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Honda陸上競技部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
Honda陸上競技部
正式名称 Honda陸上競技部
愛称 ホンダ
創設 1971年
本拠地 埼玉県狭山市
監督 小川智

Honda陸上競技部(ホンダりくじょうきょうぎぶ)は、埼玉県狭山市を本拠地とする、本田技研工業陸上競技部である。

概要

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発足は1971年。黎明期は棒高跳高根沢威夫モントリオールオリンピック代表)や走高跳影井克弘(1977年日本選手権優勝)など、フィールド種目を中心に結果を残した[1]

1980年、第25回全日本実業団駅伝に初出場。1983年に碓井哲雄が監督に就任すると中長距離の強豪チームとなり、浦田春生大志田秀次らを輩出した。ニューイヤー駅伝では第35回大会(1991年)および第37回大会(1993年)で3位、第38回大会(1994年)では準優勝したものの、旭化成の壁は厚く優勝には手が届かなかった[1]

なお、狭山市を拠点とする当陸上部のほかに、浜松工場を拠点とするホンダ浜松陸上競技部、熊本工場を拠点とするホンダ熊本陸上競技部、高根沢工場を拠点とするホンダ栃木陸上競技部が存在し、それぞれニューイヤー駅伝に出場(浜松23回・熊本3回・栃木1回)していたが、浜松と熊本は2004年度で廃部、栃木も同好会として2008年まで東日本実業団駅伝に出場していたがその後廃部となっている。

2000年代は藤原正和石川末廣らがチームを牽引し、第52回ニューイヤー駅伝(2008年)で3位、以降9年連続で8位以内に入るも優勝にあと一歩という状態が続いた[1]

2010年代後半は設楽悠太服部翔大田口雅也山中秀仁ら有力ランナーが揃い、2018年の第62回ニューイヤー駅伝では24年ぶりとなる準優勝。設楽は2017年にハーフマラソン、2018年にマラソンの日本記録を立て続けに更新した[1]

2022年の第66回ニューイヤー駅伝では伊藤達彦青木涼真土方英和らを擁し、悲願の初優勝を果たす。2023年の第67回ニューイヤー駅伝でも優勝し、史上7チーム目の連覇を達成した[2]

現役選手・スタッフ

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過去の主な所属選手

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全日本実業団対抗駅伝競走大会(ニューイヤー駅伝)成績

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2009年以降のみ掲載。 走者 は区間賞。

総合順位 1区走者 2区走者 3区走者 4区走者 5区走者 6区走者 7区走者
2009年 8位 金塚洋輔 ヤコブ・ジャルソ 石川末廣 堀口貴史 奥田実 藤原正和 池上誠悟
2010年 6位 池上誠悟 ヤコブ・ジャルソ 石川末廣 藤原正和 堀口貴史 山中貴弘 中尾誠宏
2011年 7位 中尾誠宏 イブラヒム・ジェイラン 池上誠悟 石川末廣 堀口貴史 藤原正和 池邉稔
2012年 8位 石川末廣 齋藤勇人 福山良祐 藤原正和 池邉稔 堀口貴史 豊田崇
2013年 4位 齋藤勇人 アズメラウ・メンギスト 馬場圭太 石川末廣 池邉稔 福山良祐 藤原正和
2014年 8位 上野渉 ウィリアム・マレル 馬場圭太 佐野広明 石川末廣 齋藤勇人 藤原正和
2015年 4位 馬場圭太 ウィリアム・マレル 佐野広明 設楽悠太 服部翔大 齋藤勇人 上野渉
2016年 4位 新庄翔太 ウィリアム・マレル 松村優樹 設楽悠太 服部翔大 石川末廣 佐野広明
2017年 11位 田口雅也 ウィリアム・マレル 山中秀仁 設楽悠太 石川末廣 服部翔大 馬場圭太
2018年 準優勝 田口雅也 ウィリアム・マレル 松村優樹 設楽悠太 山中秀仁 石川末廣 上野渉
2019年 24位 木村慎 ウィリアム・マレル 原法利 田口雅也 山中秀仁 服部翔大 足羽純実
2020年 3位 小山直城 アモス・キルイ 中山顕 設楽悠太 田口雅也 山中秀仁 原法利
2021年 5位 小山直城 ジャスティス・ソゲット 中山顕 伊藤達彦 青木涼真 田口雅也 土方英和
2022年 優勝 川瀬翔矢 ジャクソン・カベサ 小山直城 伊藤達彦 青木涼真 中山顕 土方英和
2023年 優勝 小袖英人 ジャスティス・ソゲット 川瀬翔矢 小山直城 青木涼真 中山顕 木村慎

脚注

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出典

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  1. ^ a b c d ヒストリー”. SPORTS | Honda. 2022年7月7日閲覧。
  2. ^ TBS『ニューイヤー駅伝2023|TBSテレビhttps://www.tbs.co.jp/newyearekiden/2023年1月6日閲覧 

外部リンク

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