中島亥太郎
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中島亥太郎(1932年) | ||||
選手情報 | ||||
フルネーム | なかじま いたろう | |||
ラテン文字 | Itaro Nakajima | |||
国籍 | 日本 | |||
競技 | トラック競技(短距離走) | |||
種目 |
200m・400m 1600mリレー | |||
生年月日 | 1911年3月13日[1][2] | |||
出身地 | 静岡県御殿場市[3] | |||
没年月日 | 1993年5月20日(82歳没)[2] | |||
自己ベスト | ||||
100m | 10秒7(1933年)[1] | |||
200m | 21秒3(1921年)[1] | |||
400m | 49秒0(1933年)[1] | |||
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中島 亥太郎(なかじま いたろう、1911年3月13日 - 1993年5月20日[2])は、日本の陸上競技選手。専門は短距離走。400mの元日本記録保持者。早稲田大学在学中[4]、1932年ロサンゼルスオリンピックに200m走およびリレー2種目(4×100m、4×400m)で出場。
来歴
[編集]静岡県御殿場市出身[3]。沼津商業学校(現在の静岡県立沼津商業高等学校)卒業後[5]、早稲田大学に進む。
早稲田大学在学中の1930年から1933年にかけて、400mの日本記録(ならびに日本男子学生記録)を6回更新している[6][7]。
1932年ロサンゼルスオリンピックの代表となり、男子200メートル、男子400メートルリレー走(吉岡隆徳、南部忠平、阿武巌夫、中島亥太郎)、男子1600メートルリレー走(中島亥太郎、増田礒、大木正幹、西貞一)に出場。リレーでは両種目で日本チームは5位に入賞した[8][9]。
最晩年となる1992年に『昔々の駈けっこの物語 : スプリント随筆』を自費出版した[10]。
脚注
[編集]注釈
[編集]出典
[編集]- ^ a b c d “Itaro Nakajima Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月16日閲覧。
- ^ a b c 『現代物故者事典1991~1993』(日外アソシエーツ、1994年)p.422
- ^ a b 雑誌「陸上競技マガジン」で「物申す放談リレー」というコーナーがあり、その中で中島亥太郎という人物が出ている号があるそうです。その号が第何号になるのか教えて下さい。 - 国立国会図書館レファレンス事例詳細(2019年1月15日)
- ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
- ^ 「オリンピック派遣陸上代表選手」『日伯新聞』1932年8月11日、4面。2021年3月15日閲覧。
- ^ 早稲田が作った日本記録 - 早稲田大学競走部
- ^ 日本学生記録の変遷 男子400m - 日本学生陸上競技連合
- ^ “オリンピック入賞者 第8回~第11回(1924~1936)”. 日本陸上競技連盟. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “大会別日本代表選手 入賞者一覧 > 1932年ロサンゼルス大会”. 日本オリンピック委員会. 2021年3月16日閲覧。
- ^ 昔々の駈けっこの物語 : スプリント随筆 - 国立国会図書館サーチ
参考文献
[編集]- 中澤篤史「オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討:1912年ストックホルム大会から1996年アトランタ大会までを対象に」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁、2021年3月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日本代表選手団 記録検索:中島 亥太郎 - 日本オリンピック委員会