西貞一
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西貞一(1932年) | ||||
選手情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 陸上競技(短距離走) | |||
種目 | 200m・400m | |||
所属 | 朝鮮総督府鉄道 | |||
大学 | 同志社大学 | |||
生年月日 | 1907年8月31日[1] | |||
生誕地 | 日本 京都府[1] | |||
没年月日 | 2001年2月3日(93歳没)[1] | |||
自己ベスト | ||||
200m | 21秒2(1933年)[1] | |||
400m | 49秒2(1933年)[1] | |||
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西 貞一(にし ていいち)は、日本の陸上競技選手(短距離走)、実業家。同志社大学在学中[2]の1932年、ロサンゼルスオリンピックに200m走と4×400mリレーで出場。日本陸上競技選手権大会の400m走で優勝3回。第二次世界大戦後に、陸上競技用具等のメーカーであるニシ・スポーツを創業した。
経歴
[編集]京都市生まれ[1]。京都市立第二商業学校卒業後[3]、同志社大学に進学。
同志社大学在学中、1929年(昭和4年)に日本陸上競技選手権大会の400m走で優勝(51秒4)[4]。1931年(昭和6年)には日本陸上競技選手権大会400m走で2度目の優勝(50秒2)[4]。
1932年ロサンゼルスオリンピックの日本代表に選ばれ、男子200メートル走と男子4×400mリレーに出場した。200メートル走では2次予選落ち[注釈 1]。4×400mリレー(中島亥太郎・増田礒・大木正幹・西貞一)ではアンカーを務め、5位入賞[5][6]。同志社大学出身者としては初のオリンピック選手である[注釈 2]。
同志社卒業後は朝鮮総督府鉄道に勤務。1933年(昭和8年)には日本陸上競技選手権大会400m走で3度目の優勝を果たした(50秒5)[4]。
1951年、東京都新宿区でスポーツ用品店を開業[8]、のちに陸上器具メーカー「ニシ・スポーツ」となる[8][9]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 公式記録では「記録なし」。Sports Referenceによれば、2次予選4組で5位(22秒1)であったという。
- ^ 同大会には水泳で同志社高女の横田みさをも出場している。「同志社出身者」としては西と横田が初のオリンピック選手である[7]。
出典
[編集]- ^ a b c d e f “Teiichi Nishi Olympic Results”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年3月16日閲覧。
- ^ 中澤篤史 2010, p. 41.
- ^ 「オリンピック派遣陸上代表選手」『日伯新聞』1932年8月11日、4面。2021年3月15日閲覧。
- ^ a b c “過去の優勝者・記録 男子400m”. 日本陸上競技連盟. 2021年3月15日閲覧。
- ^ “オリンピック入賞者 第8回~第11回(1924~1936)”. 日本陸上競技連盟. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “大会別日本代表選手 入賞者一覧 > 1932年ロサンゼルス大会”. 日本オリンピック委員会. 2021年3月16日閲覧。
- ^ “オリンピック出場者”. 同志社スポーツユニオン. 2021年3月15日閲覧。
- ^ a b “沿革”. ニシ・スポーツ. 2021年3月15日閲覧。
- ^ 「挑戦者たち(5)より遠く 鉄球に込めた技」『朝日新聞』2019年1月7日。2021年3月15日閲覧。
参考文献
[編集]- 中澤篤史「オリンピック日本代表選手団における学生選手に関する資料検討:1912年ストックホルム大会から1996年アトランタ大会までを対象に」『一橋スポーツ研究』第29巻、2010年、37-48頁、2021年3月3日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日本代表選手団 記録検索:西 貞一 - 日本オリンピック委員会