岡野栄太郎
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選手情報 | |||||||||||||||
ラテン文字 | Eitaro OKANO [1] | ||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||
競技 | 陸上競技(短距離走) | ||||||||||||||
種目 |
400m走 400mハードル 4×400mリレー | ||||||||||||||
大学 | 中央大学 | ||||||||||||||
生年月日 | 1930年6月14日 | ||||||||||||||
没年月日 | 2020年11月17日(90歳没) | ||||||||||||||
死没地 | 東京都 | ||||||||||||||
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岡野 栄太郎(おかの えいたろう、1930年6月14日 - 2020年11月17日)は、日本の陸上競技選手(短距離走)、ジャーナリスト。
1950年代に400mハードル走で日本陸上競技選手権大会を4連覇し、日本記録を保持していた。1952年ヘルシンキオリンピックに出場した[2]。
経歴
[編集]中央大学在学中の1950年、日本陸上競技選手権大会において、男子400mおよび男子400mハードルで優勝した。日本陸上競技選手権大会の男子400mハードルでは1954年まで4連覇を遂げている。
1951年、第1回アジア競技大会に出場、男子400mおよび男子400mハードルで優勝した。400mハードルで出した54秒2は日本記録であった。岡野はこの後たびたび自己の日本記録を更新しており、1952年6月には日本学生東西対抗陸上競技大会で53秒0を記録した[3]。
1952年7月、ヘルシンキオリンピックに出場。400mハードル走、4×400mリレー(岡野栄太郎・的場淳吉・室矢芳隆・山本弘一)に出場した。
大学卒業後、1953年に毎日新聞社に入社[4]。運動部記者となり、1964年東京オリンピックの取材に活躍した[5][6]。東京本社運動部長、同事業本部長、取締役を歴任した[5]。
2020年11月17日9時13分、くも膜下出血のため東京都内の病院で死去[4]。90歳没。
脚注
[編集]- ^ 「Japanese Delegation of Athletics Team : Rio de Janeiro 2016」(PDF)、日本陸上連盟、2016年、2020年10月29日閲覧。
- ^ “岡野栄太郎”. Sports Reference LLC. 2020年4月17日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年5月15日閲覧。
- ^ “日本学生記録の変遷 男子400mH”. 日本学生競技連合. 2020年10月29日閲覧。
- ^ a b “岡野栄太郎さん死去 元陸上五輪代表選手、元毎日新聞社取締役”. 時事通信社. (2020年11月26日) 2020年11月26日閲覧。
- ^ a b 堤哲. “「金メダル16個! 五輪成功の“立役者”」大島鎌吉”. 随筆集. 東京毎友会. 2020年10月20日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 滝口隆司 (2013年9月24日). “東京五輪の応援団にはならない”. スポーツアドバンテージ. 2020年10月20日閲覧。