沢田一郎
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沢田 一郎(澤田 一郎、さわだ いちろう、1894年8月7日 - 1984年2月3日、享年89)は、元日本オリンピック委員会名誉委員、元ヤナセ常務。
略歴
[編集]東京府出身。東京府立一中(現在の東京都立日比谷高等学校)などを経て、1918年に東京帝国大学法学部政治学科卒業。三井物産入社後、1949年にヤナセに移る。東大在学中に主に陸上競技中距離選手として活躍し、走高跳、800mで日本記録を出す。三井物産ニューヨーク支店に勤務中、ニューヨークに合宿に来た1920年アントワープオリンピックの日本選手団の世話係を務めている[1]。
1924年(大正13年)、パリオリンピック日本選手代表団監督[1]、その他、体協理事、JOC委員。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 澤田一郎「野口源三郎先生をいたむ」『新体育』第37巻第5号、新体育社、1967年5月、56-59頁。