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熊本医科大学 (旧制)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

旧制熊本医科大学 (きゅうせいくまもといかだいがく) は、1929年昭和4年) 5月に設立された旧制官立大学。略称は「熊本医大」。

本項は、私立熊本医学校・旧制私立熊本医学専門学校・旧制熊本医学専門学校(熊本医専)・旧制熊本県立医科大学などの前身諸校を含めて記述する。

概要

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同窓会

「熊杏会」(ゆうきょうかい)と称され、熊本大学医学部に継承されている。

沿革

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  • 宝暦6年12月[1]1756年1月) - 肥後藩藩主細川重賢飽田郡古町村に医学寮を創設、「再春館」と命名(翌年開講)[2]
  • 明治3年1870年
  • 明治4年1871年
    • 2月 - 治療所の隣地に教育施設として医学所を創設(内藤泰吉が幹事に)。
    • 4月 - 吉雄の推薦で、教師として長崎医学校よりオランダ人医師マンスフェルトを招聘[3][4]
    • 5月 - 治療所東側を「病院」、西側を「医学所」と改称[3]
    • 7月 - 廃藩置県に伴い官立化、「医学校兼病院」(通称;古城医学校)と改称。吉雄圭斎辞任。
  • 明治5年1872年)- 種痘局設置[3]
  • 1873年(明治6年)10月 - 前年10月の文部省達により官費廃止、公立化[3]
  • 1874年(明治7年)7月 - マンスフェルトが任期満了により帰国。
  • 1875年(明治8年)11月 - 病院を下通町に移転し「公立通丁病院」と改称。医学校を廃し、生徒を病院内に収容。
  • 1876年(明治9年)
    • 5月 - 田代文基が院長就任。
    • 10月 - 県立医学校が手取本町(元家老宅)に開校[4](県立医学校の起源)、医学士三浦省軒が校長就任。
  • 1877年(明治10年)2月 - 西南戦争により病院・医学校が焼失。その後田代は北岡に仮病院開設、三浦は本山の民家で治療。真宗東派管長大谷大教正の寄付金18,000円を基に、手取本町に病院建設を起工。
  • 1878年(明治11年)
    • 4月 - 新病院竣工。翌5月開院[4]赤鹿東作が院長就任。
    • 9月 - 県立医学校が手取本町に新築再興[4]。赤鹿が校長兼任。
  • 1882年(明治15年)11月 - 甲種医学校の認可を受け、病院は医学校附属に。
  • 1888年(明治21年)3月 - 勅令第148号により、県立医学校が廃止。附属病院は「県立病院」として独立。
  • 1889年(明治22年)- 県立病院が廃止。その後、私立熊本病院として経営され、「春雨黌(しゅんうこう)」[5]と称する。
  • 1891年(明治24年)10月 - 「私立九州学院医学部」が設立。
  • 1896年(明治29年)9月 - 私立九州学院医学部が閉鎖。その後、熊本県の補助を受け、「私立熊本医学校」が創設。
  • 1901年(明治34年)- 病院が本荘町に移転。
  • 1904年(明治37年)2月 - 専門学校令により「私立医学専門学校」に昇格。
  • 1912年大正元年)- 本荘に新校舎が完成し、移転を完了。
  • 1921年(大正10年)4月 - 県立移管により、「熊本県立医学専門学校」と改称。
  • 1922年(大正11年)5月 - 大学令による大学に昇格し、「熊本医科大学」と改称。予科を設置。
  • 1929年昭和4年)
    • 4月 - 「熊本県立医科大学」と改称。
    • 5月 - 官立(国立)移管により、「熊本医科大学」と改称。
  • 1935年(昭和10年)1月1日 - 附属病院本館写真室付近から出火。本館2200坪が焼失[6]
  • 1939年(昭和14年)
    • 5月 - 戦時体制下での軍医養成のため7帝大および他の官立6医大[7]とともに臨時附属医学専門部を設置。
    • 10月 - 附属体質医学研究所を設置。
  • 1945年(昭和20年)
    • 7月 - 戦災により基礎教室・臨床教室・附属病院の木造病棟すべてを焼失。
    • 12月 - 熊本医科大学本部及び基礎教室が熊本城内二ノ丸旧軍用施設に、附属病院病室の一部が藤崎台元陸軍病院分院に移転。
  • 1949年(昭和24年)5月31日 - 国立大学設置法により、新制熊本大学が発足し、それに包括され、「熊本大学熊本医科大学」となる。
    • 熊本医科大学の在学生が卒業するまで存続。新入生は熊本大学医学部生となる。
  • 1950年(昭和25年)3月 - 臨時附属医学専門部が廃止。
  • 1954年(昭和29年)3月 - 熊本医科大学最後の卒業式を挙行。
  • 1960年(昭和35年)3月 - 法律第16号により、熊本医科大学が廃止。熊本大学医学部がその伝統を継承する。

脚注

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  1. ^ 斜体は旧暦を指す(以下同)。
  2. ^ a b 文部省編『日本教育史資料 參』文部省総務局、1890年、215頁
  3. ^ a b c d e f 文部省編『日本教育史資料 參』文部省総務局、1890年、218頁
  4. ^ a b c d 鹿子木敏範「肥後の医学史」日本医史学会『日本医史学雑誌』35巻2号(1454号)、1989年4月
  5. ^ 熊本県立済々黌高等学校#年表も参考。
  6. ^ 元日の夜、熊本医大病院焼く『九州日日新聞』昭和10年1月2日号外(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p155 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  7. ^ 医科大学を参照。

参考文献

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  • 熊本医科大学編『熊本医科大学一覧 昭和八年五月』1933年。
  • 熊本大学60年史編纂委員会編『熊本大学六十年史 通史編』熊本大学、2014年。

関連文献

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  • 山崎正董編著『肥後医育史』•『同 補遺』1929年•1931年、鎮西医海時報社(復刻:大和学芸図書、2006年)

関連項目

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