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「大分市」の版間の差分

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'''大分市'''(おおいたし)は、[[九州]]東部にある[[大分県]]の中部に位置する[[市]]である。大分県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]で、1997年4月1日に[[中核市]]に指定された。人口では、大分県内及び[[東九州]](大分県及び[[宮崎県]])で最大、九州では[[福岡市]]、[[北九州市]]、[[熊本市]]、[[鹿児島市]]に次ぐ第5位の都市である。
'''大分市'''(おおいたし)は、[[九州]]東部にある[[大分県]]の中部に位置する[[市]]である。大分県の[[都道府県庁所在地|県庁所在地]]で、1997年4月1日に[[中核市]]に指定された。人口では、大分県内及び[[東九州]](大分県及び[[宮崎県]])で最大、九州では[[福岡市]]、[[北九州市]]、[[熊本市]]、[[鹿児島市]]、[[長崎市]]に次ぐ第6位の都市である。


== 概要 ==
== 概要 ==

2020年3月2日 (月) 10:24時点における版

おおいたし ウィキデータを編集
大分市
大分市旗 大分市章
大分市旗
1966年昭和41年)2月11日制定
大分市章
1965年(昭和40年)6月11日制定
日本の旗 日本
地方 九州地方
都道府県 大分県
市町村コード 44201-1
法人番号 4000020442011 ウィキデータを編集
面積 502.39km2
総人口 470,818[編集]
推計人口、2024年10月1日)
人口密度 937人/km2
隣接自治体
市の木 ホルトノキ
市の花 サザンカ
大分市役所
市長 足立信也
所在地 870-8504
大分県大分市荷揚町2番31号
北緯33度14分22.4秒 東経131度36分33.7秒 / 北緯33.239556度 東経131.609361度 / 33.239556; 131.609361座標: 北緯33度14分22.4秒 東経131度36分33.7秒 / 北緯33.239556度 東経131.609361度 / 33.239556; 131.609361
外部リンク 公式ウェブサイト

大分市位置図

― 市 / ― 町・村

ウィキプロジェクト

大分市(おおいたし)は、九州東部にある大分県の中部に位置するである。大分県の県庁所在地で、1997年4月1日に中核市に指定された。人口では、大分県内及び東九州(大分県及び宮崎県)で最大、九州では福岡市北九州市熊本市鹿児島市長崎市に次ぐ第6位の都市である。

概要

大分県の沿海部のほぼ中央に位置し、大分県の行政・経済・交通の中心地で、人口約74万人の大分都市圏の中心地でもある。県内の総人口の42%が集中する首位都市であり、これは九州地方の県庁所在地の中では、熊本市(42.3%)に次いで高い。人口が微増していた本市も、2017年度には1981年の統計開始以来、初めて減少に転じたが、減少率は県内の市町村の中では最も少ない。現在の市域は、かつて大分郡及び北海部郡(明治初期までは海部郡)に属していた。


古くは豊後国国府が置かれ、府内(ふない)と呼ばれた。中世には大友氏の城下町として発展し、戦国時代にはキリシタン大名大友義鎮(宗麟)の庇護のもと、日本におけるキリスト教布教の中心地となり、南蛮文化が花開いた。

高度経済成長期に、鉄鋼業化学工業などの重化学工業の進出に伴い工業都市として急成長し、近年では電子工業の立地が進んでいる。

地理

大分市高砂町から。前方右には大分港、別府湾。左には国道10号、奥には高崎山
大分駅前から北に延びる中央通り

瀬戸内海別府湾に面し、東部には南から大野川が、西部には西から大分川が流れ、瀬戸内海に注いでいる。大分川及び大野川が形成した三角州及び沖積平野からなる大分平野と、その周りの丘陵とを抱え、中心市街は、大分川の河口西側に位置する。別府市との境界付近にあってニホンザルで知られる高崎山地区、及び、豊予海峡に浮かぶ高島地区は、瀬戸内海国立公園に指定されている。森林セラピー基地認定地域。

高速道路大分自動車道及び東九州自動車道が市域をほぼ東西に貫通し、一般国道国道10号国道210号等と接続している。

市内の郊外地域ではニュータウンショッピングセンターなどの開発により、人口の増加が著しい。

  • 東端 - 東経131度57分46秒
  • 西端 - 東経131度25分07秒
  • 南端 - 北緯 33度04分11秒
  • 北端 - 北緯 33度17分24秒

気候

瀬戸内海式気候に属し、年間を通じて温暖、少雨である。平均気温は16.4℃、降水量1644.6mm(平年値)。ただし、旧大分郡野津原町地域は障子岳御座ヶ岳等の600?800m級の山々が連なり、内陸部への入り口に当たるため内陸性気候に属し、平地より気温が若干低くなる。

  • 気温 - 最高37.8℃(2013年(平成25年)7月24日、最低-7.8℃(1918年(大正7年)2月19日
  • 最大降水量 - 443.7ミリ(1908年(明治41年)8月10日
  • 最大瞬間風速 - 44.3メートル(1999年(平成11年)9月24日
  • 夏日最多日数 - 152日(2005年(平成17年))
  • 真夏日最多日数 - 75日(1990年(平成2年)、2010年(平成22年))
  • 猛暑日最多日数 - 24日(2013年(平成25年))
  • 熱帯夜最多日数 - 35日(2010年(平成22年))
  • 冬日最多日数 - 67日(1918年(大正7年)、1936年(昭和11年))
大分 (Ōita)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
最高気温記録 °C°F 24.6
(76.3)
25.5
(77.9)
29.3
(84.7)
31.2
(88.2)
32.7
(90.9)
35.3
(95.5)
37.8
(100)
37.6
(99.7)
36.5
(97.7)
32.8
(91)
28.0
(82.4)
25.0
(77)
37.8
(100)
平均最高気温 °C°F 10.5
(50.9)
11.1
(52)
14.1
(57.4)
19.3
(66.7)
23.5
(74.3)
26.5
(79.7)
30.6
(87.1)
31.8
(89.2)
28.0
(82.4)
22.9
(73.2)
17.9
(64.2)
13.1
(55.6)
20.78
(69.39)
日平均気温 °C°F 6.2
(43.2)
6.9
(44.4)
9.7
(49.5)
14.5
(58.1)
18.8
(65.8)
22.4
(72.3)
26.5
(79.7)
27.3
(81.1)
23.9
(75)
18.6
(65.5)
13.4
(56.1)
8.5
(47.3)
16.39
(61.5)
平均最低気温 °C°F 2.2
(36)
2.7
(36.9)
5.4
(41.7)
9.9
(49.8)
14.5
(58.1)
18.9
(66)
23.2
(73.8)
23.8
(74.8)
20.5
(68.9)
14.5
(58.1)
9.1
(48.4)
4.1
(39.4)
12.4
(54.33)
最低気温記録 °C°F −7.3
(18.9)
−7.8
(18)
−5.2
(22.6)
−2.1
(28.2)
1.7
(35.1)
7.2
(45)
14.0
(57.2)
14.1
(57.4)
8.8
(47.8)
2.0
(35.6)
−2.0
(28.4)
−6.1
(21)
−7.8
(18)
降水量 mm (inch) 45.4
(1.787)
65.2
(2.567)
112.1
(4.413)
129.3
(5.091)
150.3
(5.917)
273.8
(10.78)
252.5
(9.941)
172.2
(6.78)
219.5
(8.642)
120.9
(4.76)
69.1
(2.72)
34.4
(1.354)
1,644.7
(64.752)
降雪量 cm (inch) 1
(0.4)
0
(0)
0
(0)
- - - - - - 0
(0)
- 0
(0)
2
(0.8)
湿度 62 63 66 67 70 76 77 75 75 71 69 64 69.6
平均月間日照時間 150.1 148.9 164.8 186.0 187.3 146.2 183.6 207.3 154.2 168.0 149.0 156.6 2,002
出典:気象庁[1]

隣接する自治体

地名

歴史

ファイル:OtomoSorin.jpg
大友宗麟像(大分駅前)

古代

古代には、現在の大分市周辺は大分郡(おほきたのこほり)と呼ばれ、現在の市の中心部からやや南に外れた大分川下流沿い(現在の古国府)に、豊後国国府が置かれたと推測されている。

「大分」の名は、『豊後国風土記』によれば、景行天皇がこの地を訪れた際に「広大なる哉、この郡は。よろしく碩田国(おおきたのくに)と名づくべし」と言って名づけたもので、「碩田」が後に「大分」と書かれるようになったとされる。実際には大分平野はさほど広大であるとは言えないため、今日では、景行天皇の言葉は、平野の広大さではなく、多くの田が並ぶ様子を描写したものと解されているが、いずれにしても大分平野に古くから田圃が開けていたことを示すものと言える。

中世

鎌倉時代には大友氏が豊後国守護に任じられ、第3代当主大友頼泰貞応元年(1222年) - 正安2年(1300年))の代に豊後国に下向して土着した。元弘3年(1333年)には豊後国の守護職に任ぜられている。室町時代に入ると、第7代当主大友氏泰は、拠城をわずかに北にずらして大分川河口付近に館を構えた(現在の市の中心部の東側で、顕徳町等にあたる)。これが現在の大分市に連なる城下町のはじまりで、町の名を府内といった。現在の大分市街地中心部に残る「府内町」という地名や「府内5番街」という商店街はこの名残である。

戦国時代の府内は、最盛期には九州の過半を手中に収めた第21代当主大友義鎮(宗麟)のもとで、日本で初めての西洋式の病院が開設されるなど、南蛮文化を受容し栄えた。しかし、大友氏は島津氏等との抗争に敗れて衰退し、府内は1586年天正14年)の島津家久の侵攻(豊薩合戦)によって炎上し壊滅したとされる。近年、大分駅付近の連続立体交差事業および区画整理事業に伴い、大友氏館跡をはじめとする中世から戦国時代にかけての府内の遺跡が発掘され、2001年平成13年)には大友氏館跡として国の史跡に指定されている。

義鎮(宗麟)の跡を継いだ大友義統文禄の役での失態のために改易された後、豊後国は細分され諸侯に封じられた。1597年慶長2年)に府内を封じられた福原直高府内城(大分城)の築城を開始した。

近世

1601年(慶長6年)、関ヶ原の戦いの戦功により府内藩(大分藩)の藩祖となった竹中重利によって府内城は大規模な改修が行われ、1607年(慶長12年)に近世大名の居城としての規模となった。その城下町もまた重利によって整備され、後の繁栄の基となった。

江戸時代の府内は、1712年正徳2年)の調査によると5,591人の人口を擁しており、豊後最大級の城下町であった。

幕末時点では、現在の市域に、府内藩のほか、臼杵藩岡藩延岡藩熊本藩・幕府の領地が存在した。

近代

明治になると府内には大分県の県庁が置かれ、1889年明治22年)の町村制施行により大分町となった。明治の大合併と呼ばれる市町村合併が進む中、1907年(明治40年)に3町村を編入。1911年(明治44年)には市制を施行した。1920年大正9年)の人口は、4万3,150人であった。

戦後・現代

旧大分市域(1963年3月10日 - 2004年12月31日)

全国の都市の中でも、大分市は高度経済成長期以降に急激に成長した都市のひとつである。

1950年代には大分市の人口は10万人弱で、宮崎市よりもわずかに少なく、九州(沖縄県を除く)では佐賀市に次いで2番目に小さな県庁所在地であった[2]

1960年代(昭和35年頃)からの高度経済成長期に入ると、工業化による地域振興を図り大分地域の発展計画のために新産業都市指定を目指した。人口要件を満たすために1963年(昭和38年)に鶴崎市大南町などとの大合併(新設)に踏みきり、1964年(昭和39年)1月に新産業都市に指定されると、沿岸部に新日鉄などの大工場が進出した。それまでの鄙びた小都市から九州を代表する工業都市へと急速に開発が進み、大分市は「新産都の優等生」と呼ばれた。

人口も1960年代以降急激に増加し、1963年(昭和38年)の合併時には21万人であった人口が1970年(昭和45年)には26万人、1980年代には36万人、1990年代には40万人を突破し、ほぼ倍増するという著しい増加を見せた。周辺部の丘陵地帯には次々に大規模な住宅団地が造成され、城南団地明野団地敷戸団地などのニュータウンスプロール化して連なる特異な郊外環境が誕生した[3]

新産業都市としての発展にともない、1970年代には長崎屋ダイエーニチイジャスコ西友など関東・関西資本の大型スーパーが大分駅前に多数進出し、地場百貨店のトキハなどとともに九州では珍しい首都圏の郊外都市のような駅前型の繁華街が形成された。しかし、その後、商業のドーナツ化が進み郊外ではショッピングモールが開発された一方、2009年までに中心部の大型スーパーはすべてが業態転換または撤退[4]。中心部では、大分駅の高架化に伴い2015年(平成27年)春にアミュプラザおおいたが開業している。

1997年(平成9年)4月1日には中核市に指定されている。

平成の大合併では、2005年(平成17年)1月1日、佐賀関町及び野津原町が大分市に編入された。

市政

市長

歴代市長[5]
氏名 就任日 退任日 備考
官選旧大分市長
1 後藤喜太郎 1911年(明治44年)7月26日 1917年(大正6年)7月25日
2 三浦数平 1917年(大正6年)8月9日 1926年(大正15年)2月6日
3 高田保 1926年(大正15年)4月23日 1929年(昭和4年)4月10日
4 高山英明 1929年(昭和4年)7月11日 1932年(昭和7年)6月8日
5 高田保 1932年(昭和7年)6月20日 1933年(昭和8年)6月29日
6 朝吹亀三 1933年(昭和8年)12月23日 1937年(昭和12年)12月22日
7 小野廉 1938年(昭和13年)6月16日 1942年(昭和17年)6月15日
8 高田保 1942年(昭和17年)7月1日 1944年(昭和19年)5月2日
9 武藤一彦 1944年(昭和19年)6月24日 1945年(昭和20年)3月31日
10 三好一 1945年(昭和20年)4月1日 1945年(昭和20年)10月9日
11 木下郁 1945年(昭和21年) 1947年(昭和22年)
公選旧大分市長
12 上田保 1947年(昭和22年)4月7日 1963年(昭和38年)3月9日
大分市長
1 安東玉彦 1963年(昭和38年)3月 1975年(昭和50年)4月
2 佐藤益美 1975年(昭和50年)4月 1991年(平成3年)4月
3 木下敬之助 1991年(平成3年)4月 2003年(平成15年)4月
4 釘宮磐 2003年(平成15年)4月 2015年(平成27年)3月2日
5 佐藤樹一郎 2015年(平成27年)4月26日

議会

市議会

  • 定数:44名
  • 議長:野尻哲雄(自由民主党)[6]
  • 副議長:髙野博幸(社会民主クラブ)[6]
  • 任期:2017年(平成29年)3月10日 - 2021年(令和3年)3月9日
会派名 議席数 所属党派
自由民主党 16
社会民主クラブ 8
公明党 6
新市民クラブ 5
おおいた民主クラブ 3
日本共産党 3
新政クラブ 2
無所属 1

大分県議会(大分市選挙区)

  • 定数:13名
  • 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和5年)4月29日
議員名 会派名 備考
衛藤博昭 自由民主党
麻生栄作 自由民主党
阿部英仁 自由民主党
平岩淳子 県民クラブ 党籍はは社会民主党
木田昇 県民クラブ 党籍は無所属
河野成司 公明党
守永信幸 県民クラブ 党籍は社会民主党
吉村哲彦 公明党
堤栄三 日本共産党
後藤慎太郎 県民クラブ 党籍は社会民主党
藤田正道 県民クラブ 党籍は国民民主党
小嶋秀行 県民クラブ 党籍は国民民主党
浦野英樹 県民クラブ 党籍は立憲民主党

衆議院

選挙区 議員名 党派名 当選回数 備考
大分県第1区(旧佐賀関町野津原町域を除く大分市) 穴見陽一 自由民主党 3 選挙区
吉良州司 国民民主党 5 比例復活
大分県第2区(旧佐賀関町・野津原町の大分市など) 衛藤征士郎 自由民主党 13 選挙区
吉川元 社会民主党 3 比例復活

行政区域の変遷

  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、以下の各町村が発足する。
    • 大分郡大分町・西大分町・鶴崎町・別保(べっぽ)村・三佐(みさ)村・桃園村・松岡村・高田村・明治村・荏隈(えのくま)村・豊府(ほうふ)村・東大分村・八幡村・日岡村・戸次(へつぎ)村・判田村・河原内(かわらうち)村・竹中村・吉野村・稙田(わさだ)村・東稙田村・西稙田村・賀来(かく)村・諏訪村・野津原村
    • 北海部郡佐賀関町・川添村・一尺屋(いっしゃくや)村・大志生木(おおじうき)村・神馬木村・佐加村・市村・小佐井村(こざい)・丹生(にう)村・西大在(にしおおざい)村・東大在村
    • 大野郡今市村
  • 1892年(明治25年)10月28日 - 佐加村が佐賀村と改称する。
  • 1907年(明治40年)4月1日
    • 大分町が西大分町・荏隈村・豊府村を編入する。
    • 河原内村を竹中村に編入する。
    • 西稙田村を稙田村に編入する。
    • 諏訪村を野津原村に編入する。
  • 1907年(明治40年)6月1日 - 西大在村と東大在村が合併(新設合併)し、大在村となる。
  • 1907年(明治40年)7月1日
    • 佐賀村と市村が合併(新設合併)し、佐賀市村となる。
    • 大志生木村と神馬木村が合併(新設合併)し、神崎村となる。
  • 1911年(明治44年)4月1日 - 大分町が市制施行し、大分市となる。
  • 1920年(大正9年)1月1日 - 佐賀市村が町制施行し、坂ノ市町となる。
  • 1921年(大正10年)1月1日 - 戸次村が町制施行し、戸次町となる。
  • 1922年(大正11年) - 東大分村のうち、大分川左岸の地域(中島裏・弁天島)を編入する[8]
  • 1938年(昭和13年)4月1日 - 別保村を鶴崎町に編入する。
  • 1939年(昭和14年)8月15日 - 八幡村・滝尾村・東大分村を編入する。
  • 1941年(昭和16年)11月3日 - 小佐井村・丹生村を坂ノ市町に編入する。
  • 1943年(昭和18年)4月1日 - 三佐村を鶴崎町に編入する。
  • 1943年(昭和18年)11月11日 - 日岡村を編入する。
  • 1944年(昭和19年)2月11日 - 桃園村を鶴崎町に編入する。
  • 1950年(昭和25年)1月1日 - 川添村・今市村の所属郡を大分郡に変更する。
  • 1954年(昭和29年)3月31日
    • 鶴崎町・松岡村・高田村・明治村・川添村が合併(新設合併)、同時に市制施行し、鶴崎市となる。
    • 戸次町・判田村・竹中村・吉野村が合併(新設合併)し、大南町となる。
  • 1955年(昭和30年)1月1日
    • 佐賀関町・神崎村・一尺屋村が合併(新設合併)し、新たに佐賀関町となる。
    • 東稙田村の一部・賀来村の一部を編入する。
  • 1955年(昭和30年)2月1日 - 稙田村・東稙田村・賀来村が合併(新設合併)し、大分村となる。
  • 1955年(昭和30年)3月31日 - 今市村を野津原村に編入する。
  • 1955年(昭和30年)7月1日 - 鶴崎市の一部、挾間町の一部を編入する[9]
  • 1957年(昭和32年)4月1日 - 大分村が町制施行し、大分町となる。同日、一部地域が分離され、挾間町に編入される。
  • 1959年(昭和34年)2月1日 - 野津原村が町制施行し、野津原町となる。
  • 1963年(昭和38年)3月10日 - 大分市・鶴崎市・大分町・大南町・大在村・坂ノ市町が合併(新設合併)し、新たに大分市となる。
  • 2005年(平成17年)1月1日 - 北海部郡佐賀関町・大分郡野津原町を編入する。

公共機関

国の出先機関

警察庁

総務省

法務省

財務省

厚生労働省

農林水産省

国土交通省

防衛省

裁判所

県の行政機関

経済

大分市の市内総生産は約1兆9千億円と、大分県の総生産の46.8%を占めている[12]。産業別に見ると、第2次産業の総生産が31.3%と、日本全体(国内総生産)での26.2%(2015年)[13]に比べ高い比率を占めている。

産業別総生産(カッコ内は構成比。平成24年度 大分の市町村民経済計算(大分県)より)[12]

事業所数(産業(大分類)別事業所数上位5位まで。カッコ内は構成比。2014年経済センサス基礎調査より)[14]

  1. 卸売・小売業 - 5,256 (25.8%)
  2. 宿泊業、飲食サービス業 - 2,541 (12.5%)
  3. 建設業 - 2,001 (9.8%)
  4. 生活関連サービス業、娯楽業 - 1,896 (9.3%)
  5. 医療、福祉 - 1,664 (8.2%)

産業人口(産業(大分類)別就業者数上位5位まで。カッコ内は構成比。2010年国勢調査報告より)[14]

  1. 卸売・小売業 - 39,987人 (18.1%)
  2. 製造業 - 27,556人 (12.5%)
  3. 医療、福祉 - 27,298人 (12.4%)
  4. 建設業 - 21,832人 (9.9%)
  5. サービス業(他に分類されないもの) - 13,412人 (6.1%)

農林水産業

主要農産物生産量(2015年(平成27年))[14]

  1. 水稲 - 7,755トン
  2. にら - 1,821トン
  3. みつば - 649トン
  4. 温州みかん - 600トン
  5. おおば - 544トン

畜産物生産数(2015年度(平成27年度))[14]

工業

1964年(昭和39年)に新産業都市の指定を受け、鉄鋼、化学、石油等基礎素材産業が進出したことにより、大分臨海工業地帯を中核に工業都市へと発展した。近年では、集積回路等の加工組立産業が進出するとともに、物流団地の整備、地域輸入促進計画のもと大分港大在コンテナターミナルが設置され、物流の拠点としても成長を続けている。2014年(平成26年)の製造品出荷額等は約3.1兆円で、全国の市町村で11位に位置する[15]

また、メガソーラーの進出が進んでおり、2014年(平成26年)4月末時点の太陽光発電の発電容量(10kW以上の太陽光発電設備の合計)は130,288kWで、全国の市町村で1位となっている[16][17]

製造品出荷額等(2014年(平成26年)。産業(中分類)別製造品等出荷額上位5位まで。)[14]

  1. 石油製品・石炭製品 - 74,887,039万円
  2. 化学 - 60,050,403万円
  3. 鉄鋼業 - 56,791,479万円
  4. 非鉄金属 - 55,849,724万円
  5. 電子部品・デバイス・電子回路 - 17,977,543万円

商業

大分駅北側には、九州では珍しい駅前型の繁華街が広がっており、大型店のほか、アーケード商店街のセントポルタ中央町及びガレリア竹町が位置している。近年、中心部の大型小売店舗が閉鎖する一方、郊外でショッピングモールが開発されている。

市内に拠点のある主要企業

市内に本社を置く主要企業

建設・製造業
卸売業
小売業・飲食業
電気
情報通信業
金融機関

銀行

協同組織金融機関

信販会社

その他金融

サービス

市内に拠点事業所等のある主要企業

建設・製造業
電気
金融機関

銀行

信託銀行

政策金融機関

協同組織金融機関

姉妹都市・提携都市

姉妹都市・友好都市・交流促進都市は以下の通り[20]

日本国内

1966年10月26日に東亜国内航空(当時)が羽田-大分線と羽田-帯広線を同時に開設したことを機に空港姉妹都市として提携[21][22]

日本国外

大友義鎮(宗麟)の時代からのポルトガルとの交流の縁[24]。1977年、大分日本ポルトガル協会が設立された際に、ペドロ・マディラ・デ・アンドラーデ前駐日ポルトガル大使が仲介となり、アヴェイロ市との姉妹都市提携が進められた[23]
大分県とテキサス州の交流が活発であった(1985年に別府市ボーモント市が姉妹都市提携、1987年に湯布院町で第14回日本・テキサス会議開催、など)ことに加え[23][26]、オースチン市と大分市が産業・文化面で類似する(半導体産業など)ことから[25]
1974年以後、武漢鉄鋼コンビナート(武漢鋼鉄公司)の設備近代化を新日本製鐵大分製鐵所(現在の新日鐵住金大分製鐵所)が中心となって指導し[23]、双方の技術者が往来したことが契機[27]
アジア太平洋都市サミットにともに参加していることが縁[28]

地域

人口

大分市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 289,951人
1975年(昭和50年) 347,702人
1980年(昭和55年) 385,635人
1985年(昭和60年) 413,622人
1990年(平成2年) 429,927人
1995年(平成7年) 446,581人
2000年(平成12年) 454,424人
2005年(平成17年) 462,317人
2010年(平成22年) 474,094人
2015年(平成27年) 478,146人
2020年(令和2年) 475,614人
総務省統計局 国勢調査より

県内人口占有率は2005年国勢調査で38.22%、2010年調査で39.62%、2012年2月1日付の大分県の人口推計で40%を突破するなど、顕著に集積が進んでいる。

教育

学校名等は基本的に五十音順

小学校

国立

公立

中学校

国立

県立

市立

私立

高等学校

県立

私立

高等専門学校

国立

短期大学

公立

私立

大学

国公立大学

  • 大分大学
    • 旦野原キャンパス(事務局、教育学部・教育福祉科学部、経済学部、理工学部等)
    • 王子キャンパス(附属学校(幼、小、中、特別支援)、附属教育実践総合センター)
  • 大分県立看護科学大学

私立大学

特別支援学校

国立

公立

学校教育以外の施設

公共職業能力開発施設

社会教育施設

文化施設

スポーツ関連施設

歴史施設

研修施設

交通

空港

最寄の空港は大分空港(大分県国東市)。

鉄道路線

なお、1900年から1972年まで、別府市との間に市電(路面電車大分交通別大線(旧豊州電気鉄道)が運行していた。当路線は九州地方では初の路面電車である。

路線バス

  • 大分バス - 大分市内のバス路線の多くを運行する。大分市以南の竹田市・臼杵市・佐伯市と大分市を結ぶ路線もある。
  • 大分交通 - 別大国道を経由し、大分市以北の別府市・日出町国東市と大分市を結ぶ路線を運行する。

高速バス・特急バス

航路

道路

高速道路・有料道路

  • E10 東九州自動車道大分IC - 大分光吉IC - 大分米良IC - 大分宮河内IC

一般国道

国道10号西大分付近

県道

その他の主要地方道及び一般県道については、大分県の県道一覧参照。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

豊後国分寺跡
亀塚古墳
大分銀行赤レンガ館
高崎山自然動物園
大分マリーンパレス水族館「うみたまご」
府内戦紙

主な史跡・旧跡等

観光

祭り

スポーツ

スポーツチーム

かつて拠点を置いたスポーツチーム

スポーツ関連の大会・試合

出身有名人

政治

経済界

法曹

学術

芸術

スポーツ

野球

サッカー

J3リーグ以上のカテゴリのクラブに在籍経験がある選手のみ記載する。

その他

芸能

音楽

俳優

お笑い

その他

マスコミ

大分市を舞台とした作品

小説
漫画
映画

脚注

  1. ^ 大分 1981-2010年”. 気象庁. 2014年5月15日閲覧。
  2. ^ 石黒正紀、「戦後における九州地方の人口構造変化」『福岡教育大学紀要,第二分冊,社会科編』 2006年 第55号 p.1-8, 福岡教育大学
  3. ^ レファレンス事例集 大分県内の(住宅)団地開発について 大分県立図書館
  4. ^ a b デパート 商店街とデパートの競争”. 大分歴史事典. 大分放送. 2002年2月19日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年5月27日閲覧。
  5. ^ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第3巻、歴代知事編纂会、1985年。『朝日新聞』。
  6. ^ a b 正副議長が就任しました 大分市
  7. ^ 会派とは 大分市
  8. ^ 大分今昔(7)中島かいわい” (PDF). 大分合同新聞. 2018年4月14日閲覧。
  9. ^ 大分市報 昭和30年7月1日号 (PDF)
  10. ^ OASISひろば21職業相談窓口 厚生労働省大分労働局
  11. ^ 大分家畜保健衛生所 - 大分県
  12. ^ a b 大分市総合計画「おおいた創造ビジョン2024」基本計画総論 (PDF) 大分市、2016年6月
  13. ^ 年次推計主要計数 4.生産 (PDF) 内閣府
  14. ^ a b c d e 統計年鑑(平成28年版) 大分市
  15. ^ 第2次大分市商工業振興計画 資料編 3.データでみる本市商工業の現況 (PDF) 大分市
  16. ^ 太陽光発電:大分市がナンバー1 13万キロワット - ウェイバックマシン(2014年8月13日アーカイブ分) 毎日新聞、2014年8月12日
  17. ^ 太陽光発電導入件数日本一!! 浜松市
  18. ^ “100億企業 3社増 16年度”. 大分合同新聞. (2017年10月6日). オリジナルの2017年10月5日時点におけるアーカイブ。. https://web.archive.org/web/20171005222221/https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2017/10/06/JD0056213592 (以下の売上高順位もこの記事に基づく)
  19. ^ 東京都新宿区との2本社制
  20. ^ 姉妹都市・友好都市・交流促進都市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  21. ^ a b 《姉妹都市》帯広市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  22. ^ a b c 国内姉妹都市紹介”. 帯広市. 2016年3月27日閲覧。
  23. ^ a b c d e f 姉妹(友好)提携情報”. 自治体国際化協会. 2012年10月27日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年3月27日閲覧。
  24. ^ a b 《姉妹都市》アベイロ市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  25. ^ a b 《姉妹都市》オースチン市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  26. ^ アメリカ合衆国”. 国際一村一品交流協会. 2016年3月27日閲覧。
  27. ^ a b 《友好都市》武漢市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  28. ^ a b 《交流促進都市》広州市”. 大分市. 2016年3月27日閲覧。
  29. ^ “衛藤美彩 ミスマガンGP ふるさとPRしたい”. 大分合同新聞 夕刊 第40351号 (大分合同新聞社). (2011年7月13日) 

外部リンク

大分市に関連する地理データ - オープンストリートマップ