神崎村 (大分県)
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こうざきむら 神崎村 | |
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廃止日 | 1955年1月1日 |
廃止理由 |
新設合併 佐賀関町、神崎村、一尺屋村 → 佐賀関町 |
現在の自治体 | 大分市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 大分県 |
郡 | 北海部郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
5,906人 (国勢調査、1950年) |
隣接自治体 | 臼杵市、坂ノ市町、佐賀関町、一尺屋村 |
神崎村役場 | |
所在地 | 大分県北海部郡神崎村大字神崎 |
座標 | 北緯33度14分20秒 東経131度47分50秒 / 北緯33.239度 東経131.79725度座標: 北緯33度14分20秒 東経131度47分50秒 / 北緯33.239度 東経131.79725度 |
ウィキプロジェクト |
神崎村(こうざきむら)は、かつて大分県北海部郡にあった村である。
現在の大分市馬場、木佐上、本神崎、大平、大志生木、小志生木等にあたる。1955年(昭和30年)1月1日に、佐賀関町、一尺屋村と新設合併し、新たな佐賀関町となって消滅した。
地理
[編集]佐賀関半島の別府湾側の基部に位置しており、日本鉱業佐賀関鉄道の起点が置かれるなど、佐賀関半島への玄関口となっていた。
この村の中心駅であった国鉄日豊本線幸崎駅では、「神」の代わりに「幸」の字が用いられているが、これは佐賀県神埼市の神埼駅(かんざきえき)と区別するためである[1][2]。また、かつての神崎村の中心地域は、佐賀関町との合併に伴い佐賀関町大字’’’神崎’’’となったが、2005年の大分市への編入にあたり、大分市大字本神崎に改称した。これは、旧大分市西部にある大分市大字神崎(かんざき)と区別するためである[3]。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、北海部郡に神馬木村、大志生木村が成立する。このうち、神馬木村(こうめきむら)は、同村を構成する神崎、馬場、木佐上の頭文字を取った合成地名であった。
- 1907年(明治40年)7月1日 - 神馬木村、大志生木村が合併し、神崎村が発足。
- 1955年(昭和30年)1月1日 - 佐賀関町、神崎村、一尺屋村が新設合併し、新たな佐賀関町が発足。神崎村が廃止。
- 2005年(平成17年)1月1日 - 佐賀関町が野津原町とともに大分市に編入される。
交通
[編集]鉄道
[編集]脚注
[編集]- ^ “駅の景色<2> 幸崎駅(日豊本線)”. 大分合同新聞(朝刊) (大分合同新聞社): p. 11. (1992年6月9日)
- ^ 梅木秀徳 著、大分合同新聞社 編『デジタルブック版 各駅停車・大分県歴史散歩 ふるさとの駅 (7) 鶴崎・大在』(PDF)NAN-NAN事務局、2007年4月13日。オリジナルの2016年3月4日時点におけるアーカイブ 。
- ^ “合併要覧 大分市(大分県)”. 公益財団法人日本都市センター. 2021年9月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年9月25日閲覧。
参考文献
[編集]- 角川日本地名大辞典編纂委員会編『角川日本地名大辞典 44 大分県』角川書店、1980年1月