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磯崎新

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
磯崎新
磯崎新(2001年)
生誕 (1931-07-23) 1931年7月23日
日本の旗 日本大分県大分市
死没 (2022-12-28) 2022年12月28日(91歳没)
日本の旗 日本沖縄県那覇市
国籍 日本の旗 日本
出身校 東京大学工学部建築学科卒業
東京大学大学院数物系研究科建築学専攻博士課程修了
職業 建築家
配偶者 宮脇愛子
受賞 日本建築学会賞(1967、75年)
芸術選奨新人賞(1969年)
毎日芸術賞(1984年)
RIBAゴールドメダル(1986年)
朝日賞(1988年)
日本文化デザイン大賞(1993年)
ヴェネチア・ビエンナーレ金獅子賞(1996年)
プリツカー賞(2019年)
建築物 大分県立大分図書館
つくばセンタービル
ロサンゼルス現代美術館
デザイン モンローチェアー
著作 空間へ
1976年撮影

磯崎 新(いそざき あらた、1931年昭和6年)7月23日 - 2022年令和4年)12月28日)は、日本建築家一級建築士アトリエ建築家日本芸術院会員。

大分県大分市出身。父は実業家俳人磯崎操次。妻は彫刻家宮脇愛子茨城つくばセンタービル米国ロサンゼルス現代美術館などで知られ、ポストモダン建築をリードして国際的に活躍した。

経歴

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1996年撮影
  • 2017年 - 日本芸術院会員に選出。
  • 2020年 - 同済大学建築都市計画学院名誉教授。
  • 2022年12月28日 - 老衰のため那覇市の自宅で死去。91歳没[3]

受賞等

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評価

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CIAM以降、さまざまな現象へ分裂解体しつつあった世界の建築状況を整理し、改めて総合的な文化状況の中に位置づけ直し、全体的な見通しと批評言語を編纂した役割において、磯崎はポストモダン建築を牽引した建築家の一人であると言われる。特に日本では丹下健三以降の世代にとって、1970年以降の建築言説の展開の大凡は磯崎によって編成されてきたと見なされている。

一方で磯崎の活動がつねに批評的な活動を伴っていた事実は、建築家としての磯崎新自身の建築設計や都市計画といった実務的な仕事を、建築史上の特定の動向、様式に位置づけることを著しく困難にさせてきた。ちなみに、様式や形式それ自体も、批評的に選択されていると彼自身が表明している。

そもそも磯崎の出発点は大分市の「新世紀群」という絵画サークルの活動から始まった。そこは後にネオ・ダダで活躍した吉村益信赤瀬川原平風倉匠らも在籍した前衛的土壌であった(なお赤瀬川原平の兄の赤瀬川隼(直木賞作家)とは、旧制中学の同級生)。また磯崎が1960年に丹下健三の東京計画1960に加わっていた頃、ネオ・ダダは新宿百人町の吉村アトリエ(通称ホワイトハウス:磯崎による設計)を拠点に反芸術的活動を展開しており、磯崎もたびたびそこを訪れていた。この時点において磯崎はネオ・ダダ的建築家として最も過激な思想の基に模索していた。

1980年代以降はロサンゼルス現代美術館、ブルックリン美術館など日本国外で活躍している。閉塞的な日本のアカデミズムを脱却し、世界的な次元で建築を構想する姿勢は、日本国内では批判に晒されるが、日本の現代建築を世界的なレベルに押し上げた建築家の一人である。古典的なプロポーションの均整を避けるため敢えてキューブのようなプラトン立体を多用することで知られている。

現在は活動の場を海外、とりわけ中国と中東、ヨーロッパなどに移している。そこでは、かつて自身が行ったさまざまな実験やアンビルトとなった建築計画などのレファレンス、構造家とのコラボレーションによる進化論的構造最適化手法などを採用し、オーガニックな形態で特異な空間を現出させようとしている。

その他

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  • メタボリズムについて、「一九六二年頃の私の思考を整理してみると、私はメタボリズムと明瞭に逢遇している」と書いている( http://db.10plus1.jp/backnumber/article/articleid/888/ 最終段落)
  • 読売新聞で、バブル期の東京都公共建築である東京芸術劇場東京都庁舎江戸東京博物館東京都現代美術館東京国際フォーラムの5作品を「粗大ゴミ」と評した。ただ、これは建築家のデザイン力だけではなく、東京都が建築家に要求したプログラムに対する発言とされる[6]
  • コンペの審査員も多数務め、長谷川逸子湘南台文化センターや、伊東豊雄せんだいメディアテークの際の審査員でもある。プリツカー賞の審査員も務めた。
  • 丹下健三を最もよく知る一人で、2005年の葬儀において弔辞を読んだ。
  • 若い頃に影響を受けたのはチェ・ゲバラ毛沢東[7][8]
  • 作家の沢木耕太郎と親交があり、沢木の紀行文『深夜特急』にも登場する[9]
  • 建築模型を数多く制作している建築家としても知られている。1990年代にロサンゼルス現代美術館を皮切りに、国内(群馬県立近代美術館、水戸芸術館、北九州市立美術館、ハラミュージアム・アーク等)国外(スペイン、ギリシア、イギリスなど)をサーキットした大回顧展が行われ注目を集めた。現在それらの模型や資料は大分市のアートプラザ(磯崎新建築記念館、磯崎設計の旧大分県立大分図書館)に収蔵され、3階の磯崎新建築展示室で順次公開されており、磯崎建築を知る上で最も重要な拠点となっている。
  • 祖父の磯崎徳三郎は大分市議会議長も務めた米問屋で、その米倉庫は三浦義一林房雄が子供の頃遊び場としており、その縁で三浦義一の寄付により建設された旧大分県立大分図書館の設計者に指名された。
  • 東京大学2年時に父を亡くしたため、渡辺一夫の本郷真砂町の自宅に住み込み、渡辺の息子に数学を教えた。英語を教えていたのは高橋康也
  • 父の磯崎操次(1901-1951)は大分貨物自動車会社を経営する実業家であり、俳名を磯崎藻二として吉岡禅寺洞が福岡で1918年に創刊した新興俳句派の俳誌「天の川」同人であった俳人。
  • 韓国近代建築の巨匠・金壽根(1931-1986)は東京大学大学院時代に隣の研究室に所属しており、友人。
  • 関西大学名誉教授の古後楠徳は磯崎を数学好きにさせ、「"代数"はダメだ。"幾何学"に進め」とアドバイスし、結果的に建築学科へ導いた高校時代の恩師である。
  • 新建築住宅設計競技など審査員を歴任。1975年の「新建築住宅設計競技」では、「わがスーパースターたちのいえ」という課題を出し、1~3位の入賞者すべてを外国人にしたことで主催者を驚かせたが、賞金の一部は日本人に行くようにするという規定があったため、選外佳作という賞を急遽設け、日本人応募者に受賞させた[10]。1位は当時AAスクール在学中のトム・ヘネガンで、ハリウッドスターたちの家の写真にただ×(No!)が描かれただけのもので、2位、3位も同様にコンセプチュアルなものだった。磯崎は審査評として、新建築の12月号に「日本の建築教育の惨状を想う 」を発表し、建築界を騒がせた。
  • 静岡県コンベンションアーツセンターの完成から5年後の2004年にスレート製の外壁が落下してから、5年間に合計40回の剥落落下が相次ぎ、その責任を巡って問題となっている[11][12]。一時は、磯崎への賠償請求も検討された。落下対策には8億~14億円を要すると試算されている[13]
  • 2014年、国際コンペで選ばれた新国立競技場案に対しての議論が巻き起こったおり、「新国立競技場 ザハ・ハディド案の取り扱いについて」を発表し、改めてデザインをザハに任せるべきだと主張した[14]

作品

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建築作品

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名称 所在地 状態 備考
しんしゆくほわいとはうす/新宿ホワイトハウス 1957年 13東京都新宿区 日本の旗 日本 現カフェアリエ
おおいたいしかいかん/大分医師会館 1960年 44大分県大分市 日本の旗 日本 現存せず
えぬてい/N邸(中山邸) 1964年 44大分県大分市 日本の旗 日本 現存せず 1998年、秋吉台国際芸術村内にN邸をベースにし
た建物が建築された。
いわたかくえん/岩田学園 1964年 44大分県大分市 日本の旗 日本
おおいたけんりつとしよかん/大分県立大分図書館

(現アートプラザ) 

1966年 44大分県大分市 日本の旗 日本 日本建築学会賞作品賞

公共建築百選

くしゆうおうかひ/久住歌翁碑 1967年 44大分県竹田市 日本の旗 日本
ふくおかそうこきんこうおおいたしてん/福岡相互銀行大分支店 1967年 44大分県大分市 日本の旗 日本 現存せず
ふくおかそうこきんこうたいみよう/福岡相互銀行大名支店 1969年 40福岡市中央区 日本の旗 日本 現存せず
にほんはんこくはくらんかい/日本万国博覧会・お祭り広場の諸装置
ロボットの「デク」・「デメ」)
1970年 27大阪府吹田市 日本の旗 日本 現存せず
ふくおかそうこきんこうとうきょう/福岡相互銀行東京支店 1971年 13東京都中央区 日本の旗 日本 現存せず
ふくおかそうこきんこうなかすみ/福岡相互銀行長住支店 1971年 40福岡市南区 日本の旗 日本 現存せず
ふくおかそうこきんこうろつほんまつ/福岡相互銀行六本松支店 1971年 40福岡市中央区 日本の旗 日本 現存せず
ふくおかそうこきんこうほんてん/福岡相互銀行本店 1972年 40福岡市博多区 日本の旗 日本 現存せず 西日本シティ銀行本店
ふくおかそうこきんこうさかしてん/福岡相互銀行佐賀支店 1973年 41佐賀県佐賀市 日本の旗 日本 現存せず
くんまけんりつきんたいひしゆつかん/群馬県立近代美術館 1974年 10群馬県高崎市 日本の旗 日本 日本建築学会賞作品賞
ふしみかんとりいくらふ/大分富士見カントリー倶楽部ハウス 1974年 44大分県大分市 日本の旗 日本
きたきゆうしゆうしりつひしゆつかん/北九州市立美術館 1974年 北九州市戸畑区 日本の旗 日本 公共建築百選
きたきゆうしゆうしりつとしよかん/ 北九州市立中央図書館 1975年 北九州市小倉北区 日本の旗 日本
やのてい/矢野邸 1975年 14神奈川県川崎市 日本の旗 日本
しゆうこうしやひる/秀巧社ビル 1976年 40福岡市中央区 日本の旗 日本 現存せず
おおともそうりんのはか/大友宗麟の墓 1977年 44大分県津久見市 日本の旗 日本
かいしまてい/貝島邸 1977年 13東京都武蔵野市 日本の旗 日本
はやしてい/林邸 1977年 40福岡市中央区 日本の旗 日本 現存せず
にしにほんそうこうてんししよう/西日本総合展示場 1977年 北九州市小倉北区 日本の旗 日本
からしまてい/辛島邸 1978年 44大分県大分市 日本の旗 日本
かみおかまちやくは/旧神岡町役場 1978年 21岐阜県飛騨市 日本の旗 日本 2016年に耐震工事を完了、飛騨市神岡振興事務所
(1階は飛騨市神岡図書館)として利用[15]
すえおかくりにつく/末岡クリニック 1978年 44大分県大分市 日本の旗 日本
あおき/青木邸 1979年 13東京都港区 日本の旗 日本
おおいたしちようかくせ/大分市視聴覚センター 1979年 44大分県大分市 日本の旗 日本
はくひきよういく/ハクビ教育文化会館 1979年 13東京都豊島区 日本の旗 日本 現存せず
えぬいいしいおおつこう/NEG大津工場厚生施設 1980年 25滋賀県大津市 日本の旗 日本
いらはら/伊良原邸 1980年 北九州市小倉北区 日本の旗 日本
とかさんほう/利賀山房 1980年 16富山県南砺市 日本の旗 日本
えとうくりにつく/衛藤クリニック 1981年 44大分県杵築市 日本の旗 日本
かるいさわいそさき/軽井沢磯崎別荘・書斎 1982年 20長野県軽井沢町 日本の旗 日本
はうさまん/ハウザーマン・ショールーム 1982年 シカゴ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
とかむらやかい/利賀村野外劇場 1982年 16富山県南砺市 日本の旗 日本
なかかみてい/中上邸 1983年 18福井県勝山市 日本の旗 日本
にしわきしおかのやま/西脇市岡之山美術館 1983年 28兵庫県西脇市 日本の旗 日本
つくはせんたひる/つくばセンタービル  1983年 08茨城県つくば市 日本の旗 日本 毎日芸術賞
いわたかくえん/岩田学園体育館・学生寮 1985年 44大分県大分市 日本の旗 日本
くらすあとあかさか/グラスアート赤坂 1985年 13東京都港区 日本の旗 日本
さはらていあむ/ザ・パラディアム 1985年 ニューヨーク アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 古い映画館をディスコに改装したもの
しんとちようしや/新都庁舎コンペ 1986年
へるりんしゆうこうしゆうたく/ベルリン集合住宅 1986年 ベルリン ドイツの旗 ドイツ
ひよるそん/ビョルソン・ハウス/スタジオ 1986年 ロサンゼルス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 2004年までエリック・クラプトンが所有
にしとやまたわあ/西戸山タワーホウムズ 1986年 13東京都新宿区 日本の旗 日本
ろさんせるすけんたい/ロサンゼルス現代美術館 1986年 ロサンゼルス アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
こくりつえしふとふんめいはくふつかん/国立エジプト文明博物館展示計画 1986年- カイロ  エジプト
おちやのみすすくえあ/お茶の水スクエアA館カザルスホール 1987年 13東京都千代田区 日本の旗 日本
きたきゆうしゆうひしゆつかんあなつくす/北九州市立美術館アネックス 1987年 北九州市戸畑区 日本の旗 日本
こくさいふたいけいしゆつけんきゆうしよ/国際舞台芸術研究所 1988年 16富山県南砺市 日本の旗 日本
むさしきゆうりようかんとり/武蔵丘陵カントリークラブ 1988年 11埼玉県ときがわ町 日本の旗 日本
とうきようくろふさ/東京グローブ座 1988年 13東京都新宿区 日本の旗 日本
はらみゆうしあむああく/ハラ・ミュージアム・アーク 1988年 10群馬県渋川市 日本の旗 日本
きりすときようたいたんなりますきようかい/基督兄弟団成増教会 1989年 13東京都練馬区 日本の旗 日本
とうきようきりすときようたいかく/東京基督教大学礼拝堂 1989年 12千葉県印西市 日本の旗 日本
れいくさかみ/レイク相模カントリークラブ 1989年 19山梨県上野原市 日本の旗 日本 イギリスの建築家ブライアン・クラークとのコラボレーション。
こくさいはなとみとりの/ 国際花と緑の博覧会
国際陳列館・国際展示水の館
1990年 27大阪市鶴見区 日本の旗 日本
ほんとたいかく/ ボンド大学図書館/人文学棟/管理棟 1989年 ゴールドコースト オーストラリアの旗 オーストラリア
みとけいしゆつかん/ 水戸芸術館 1990年 08茨城県水戸市 日本の旗 日本 JIA25年賞
はらうさんしよるてい/パラウ・サン・ジョルディ 1990年 バルセロナ スペインの旗 スペイン
きたきゆうしゆうこくさいかいきしよう/北九州国際会議場 1990年 北九州市小倉北区 日本の旗 日本
ていむていすにひるていんく/ティーム・ディズニー・ビルディング 1991年 フロリダ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
とやまけんりつひしゆつかん/富山県立山博物館展示館・遥望館 1991年 16富山県立山町 日本の旗 日本
ゆふいんえきえきしや/由布院駅駅舎 1991年 44大分県由布市 日本の旗 日本
まるたんほんしゃひる/マルタン本社ビル 1992年 14神奈川県横浜市 日本の旗 日本
ゆうしあん/ 有時庵 1992年 13東京都品川区 日本の旗 日本
とうきようそうけい/東京造形大学 1993年 13東京都八王子市 日本の旗 日本
ひようこけんせんたんかかく/ 兵庫県立先端科学技術支援センター 1993年 28兵庫県上郡町 日本の旗 日本
おふとはいつ/ オプトハイツ 1993年 28兵庫県上郡町 日本の旗 日本
なきちようけんたい/奈義町現代美術館・奈義町立図書館 1994年 33岡山県奈義町 日本の旗 日本 第20回JIA25年賞
くらこふにほん/クラコフ日本美術技術センター 1994年 クラコフ ポーランドの旗 ポーランド
るいしのおののはか/ ルイジ・ノーノの墓 1994年 ヴェネチア イタリアの旗 イタリア
きようとこんさと/京都コンサートホール 1995年 26京都市左京区 日本の旗 日本
ひこんふらさ/ ビーコンプラザ 1995年 44大分県別府市 日本の旗 日本
とよのくに/豊の国情報ライブラリー 1995年 44大分県大分市 日本の旗 日本
あこるにや/ア・コルーニャ人間科学館 1995年 ア・コルーニャ スペインの旗 スペイン
なかやうきちろう/中谷宇吉郎雪の科学館 1994年 17石川県加賀市 日本の旗 日本
はらふおるす/ パラフォルス・レクリエーション施設 1996年 パラフォルス スペインの旗 スペイン
おかやまにしけいさつ/ 岡山西警察署 1996年 33岡山市北区 日本の旗 日本
しすおかけんこんへえんしよん/ 静岡県コンベンションアーツセンター  1997年 22静岡市駿河区 日本の旗 日本
すしやまなか/ 寿司割烹やま中本店 1997年 40福岡市中央区 日本の旗 日本
あきよしたい/ 秋吉台国際芸術村 1998年 35山口県美祢市 日本の旗 日本
ならひやくねん/ なら100年会館 1998年 29奈良県奈良市 日本の旗 日本
おはいお/ オハイオ21世紀科学産業センター 1999年 オハイオ アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
くんまけんりつくんまてんもんたい/群馬県立ぐんま天文台 1999年 10群馬県高山村 日本の旗 日本
かいしやふおるむ/ カイシャ・フォールム 2002年 バルセロナ スペインの旗 スペイン
せらみつくはく/ セラミックパークMINO 2002年 21岐阜県多治見市 日本の旗 日本
やまくちしようほうけいしゆつせ/ 山口情報芸術センター 2003年 35山口県山口市 日本の旗 日本
せんりみなみせんたひる/ パラスポーツ・オリンピコ 2005年 トリノ イタリアの旗 イタリア
きたかたちようしようかい/ 北方町生涯学習センターきらり・
岐阜県建築情報センター
2005年 21岐阜県北方町 日本の旗 日本
ふくおかこりん/ 福岡五輪計画基本構想案 2005年 40福岡県福岡市
しんせんふんか/ 深圳文化中心 2007年 深圳 中華人民共和国の旗 中国
ちゆうおうひしゆつかくいん/ 中央美術学院美術館 2007年 北京 中華人民共和国の旗 中国
いそさきあてあ/ イソザキ・アテア 2008年 ビルバオ スペインの旗 スペイン
ちゆうこくしつちはくふつ/ 中国湿地博物館 2009年 杭州 中華人民共和国の旗 中国
めかろんこんさとほる/ メガロン・コンサートホール 2010年 テサロニキ ギリシャの旗 ギリシャ
おふすきゆあと/ オブスキュアド・ホライズン(砂漠の寝所) 2010年 パイオニアタウン アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
しやんはいせいひまらやけいしゆつ/ 上海征大ヒマラヤ芸術センター 2010年 上海 中華人民共和国の旗 中国
ちゆうこくこくさいけんちく/ 中国国際建築芸術実践展 会議場 2011年 南京 中華人民共和国の旗 中国
かたるこくりつこんへんしよん/ カタール国立コンベンションセンター 2011年 ドーハ カタールの旗 カタール
ああくのふあ/ アーク・ノヴァ 2011年 アニッシュ・カプーアと協働
しやんはいこうきようかくたんこん/ 上海交響楽団コンサートホール 2013年 上海 中華人民共和国の旗 中国
成都日本侵略軍博物館 2015年 成都 中華人民共和国の旗 中国
していらいふありあんつたわ/ シティライフ・アリアンツ・タワー 2015年 ミラノ イタリアの旗 イタリア
はるひんこんさとほる/ ハルビン・コンサートホール 2015年 ハルビン 中華人民共和国の旗 中国

都市構想

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  • 新宿計画(淀橋浄水場跡地開発計画)孵化過程・空中都市(1960年)
  • 丸の内計画・空中都市(1963年)
  • スコピエ・ユーゴスラビア都市再建計画設計競技に参画(1965年)
  • 応答場としての環境計画(1969年)
  • コンピューター・エイデッド・シティ(計画)(1972年)
  • 珠海/海市計画(計画案)(1995年) - 1997年、東京にて「「海市」-もうひとつのユートピア」と題した展覧会が開催された。その後、海外へと巡回。

展覧会

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著作・作品集

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  • 「空間へ」美術出版社、1971年
  • 「建築の解体」美術出版社、1975年
  • 「建築の修辞」美術出版社、1979年
  • 「手法が」美術出版社、1979年
  • 「建築の地層」彰国社、1979年
  • 磯崎新著作集」全4巻、美術出版社、1984
  • 「現代の建築家 磯崎新2」鹿島出版会、1984年
  • 週刊本 ポスト・モダン原論」朝日出版社、1985年
  • 「いま、見えない都市」大和書房、1985年
  • 「バルセロナ・ドローイング バルセロナ・オリンピック建築素描集」岩波書店、1990年
  • 「見立ての手法 日本的空間の読解」鹿島出版会、1990年
  • 「イメージゲーム-異文化との遭遇」鹿島出版会、1990年
  • 「<建築>という形式 1 」新建築社、1991年
  • 「磯崎新の建築30 模型、版画、ドローイング」六耀社、1992年
  • 「現代の建築家 磯崎新3-4」鹿島出版会、1993年
  • 「始源のもどき-ジャパネスキゼーション」鹿島出版会、1996年
  • 「磯崎新の仕事術 建築家の発想チャンネ」王国社、1996年
  • 「造物主議論-デミウルゴモルフィスム」鹿島出版会、1996年
  • 「建築家捜し」岩波書店、1996年/岩波現代文庫、2005年
  • 「空間へ 根源へと遡行する思考」鹿島出版会、1997年/河出文庫、2017年
  • 「オペラシティの彼方に エッジを測量する17の対話」NTT出版、1997年
  • 「磯崎新の発想法 建築家の創作の秘密」王国社、1998年
  • 「栖十二」住まいの図書館出版局・星雲社、1999年
  • 「人体の影-アントロポモルフィスム」鹿島出版会、2000年
  • 「建築家のおくりもの」王国社、2000年
  • 「ル・コルビュジエとはだれか」王国社、2000年
  • 「神の似姿-テオモルフィスム」鹿島出版会、2001年
  • 「反回想 1」A.D.A.EDITA Tokyo、2001年
  • 「反建築史/UNBUILT」TOTO出版、2001年
  • 「磯崎新の建築談議」全12巻、六耀社、2001-04年
  • 「建築における「日本的なもの」」新潮社、2003年
  • 「アントニ・ガウディとはだれか」王国社、2004年
  • 「磯崎新の思考力 建築家はどこに立っているか」王国社、2005年
  • Japan-ness in Architecture, MIT Press, 2006
  • Arata Isozaki, ed. by Arata Isozaki and Ken Tadashi Oshima, London, Phaidon, 2009
  • 「日本の建築遺産12選 語りなおし日本建築史」新潮社、2011年
  • 「気になるガウディ」新潮社、2012年
  • 磯崎新建築論集」全8巻、岩波書店、2013-15年
  • 『挽歌集 建築があった時代へ』白水社、2014年
  • 『偶有性操縦法(コンティンジェンシーマニュアル) 何が新国立競技場問題を迷走させたのか』青土社、2016年
  • 『瓦礫の未来』青土社、2019年
  • 『デミウルゴス: 途上の建築』青土社、2023年

共著など

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  • 「建築および建築外的思考 磯崎新対談」鹿島出版会、1976年
  • 「現代の建築家 磯崎新」鹿島出版会、1977年
  • 「建築の1930年代-系譜と脈絡 磯崎新対談」鹿島出版会、1978年
  • 「磯崎新+篠山紀信建築行脚1~12」六耀社、1980-92年 
  • 「建築のパフォーマンス <つくばセンタービル>論争」、編著、PARCO出版局、1985年
  • 「ポスト・モダンの時代と建築 磯崎新対談」鹿島出版会、1985年
  • 「建築の政治学 磯崎新対談集」岩波書店、1989年
  • 「磯崎新作品集」第1巻、二川幸夫編、A.D.A.EDITA Tokyo、1991年
  • 「世紀末の思想と建築」、多木浩二共著、岩波書店、1991年
  • 「Anywhere 空間の諸問題」、浅田彰共編、NTT出版、1994年
  • 「Anyway 方法の諸問題」、浅田彰共編、NTT出版、1995年
  • 「季刊ja no.12 磯崎新」新建築社、1994年
  • 「建物が残った-近代建築の保存と転生」岩波書店、1998年
  • 「建築と時間 対論 土居義岳、岩波書店、2001年
  • 「空間の行間」福田和也共著、筑摩書房、2004年
  • 「Any-建築と哲学をめぐるセッション 1991-2008」、浅田彰共編、鹿島出版会、2010年
  • 「ビルディングの終わり、アーキテクチュアの始まり 10 years after any 」、浅田彰共著、鹿島出版会、2010年
  • 「磯崎新の建築・美術をめぐる10の事件簿」新保淳乃・阿部真弓共著、TOTO出版、2010年
  • 『磯崎新インタヴューズ』聞き手日埜直彦、LIXIL出版 2014
  • 『日本建築思想史』聞き手横手義洋、太田出版 atプラス叢書 2015
  • 『磯崎新と藤森照信の茶席建築談義』藤森照信共著 六耀社 2015
  • 『磯崎新と藤森照信のモダニズム建築談義』藤森照信共著 六耀社 2016
  • 『磯崎新と藤森照信の「にわ」建築談義』藤森照信共著 六耀社 2017

翻訳

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審査員を務めたコンペ・コーディネートを務めたプロジェクト

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名称 所在地 国・地域 1等案 立場
/ラ・ヴィレット公園 1982年 パリ フランスの旗 フランス ベルナール・チュミ 審査員
/香港ピーク 1983年 香港島 香港の旗 香港 ザハ・ハディッド 審査員
/湘南台文化センター 1986年 神奈川県藤沢市 日本の旗 日本 長谷川逸子 審査委員
/高知県立坂本龍馬記念館 1986年 高知県高知市 日本の旗 日本 ワークステーション 審査委員
/せんだいメディアテーク 1995年 宮城県仙台市 日本の旗 日本 伊東豊雄 審査委員長
/横浜港大さん橋国際客船ターミナル 1994-95年 神奈川県横浜市 日本の旗 日本 エフ・オー・アーキテクツ 審査委員
/水俣メモリアル 1995年 熊本県水俣市 日本の旗 日本 ジョゼッペ・バローネ 審査委員
/国営中国中央テレビ 2002年 北京 中華人民共和国の旗 中国 レム・コールハース 審査委員
名称 所在地 国・地域
/ネクサスワールド 1991年-92年 福岡市東区 日本の旗 日本
/岐阜県営住宅ハイタウン北方 1998年・2000年 岐阜県北方町 日本の旗 日本

脚注

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  1. ^ 20世紀日本人名事典. “磯崎藻二(イソザキ ソウジ)とは? 意味や使い方”. コトバンク. 2024年10月10日閲覧。
  2. ^ a b 「私の履歴書 磯崎新」日本経済新聞、2009/5/3
  3. ^ “Muere el arquitecto Arata Isozaki, autor del Palau Sant Jordi”. La Vanguardia. (29 December 2022). https://www.lavanguardia.com/cultura/20221229/8662467/muere-arquitecto-arata-isozaki.html 29 December 2022閲覧。 
  4. ^ 朝日賞 1971-2000年度”. 朝日新聞社. 2022年8月31日閲覧。
  5. ^ プリツカー賞 | 現代美術用語辞典ver.2.0”. artscape.jp. 2019年12月20日閲覧。
  6. ^ 磯崎新 『磯崎新の発想法 建築家の創作の秘密』 王国社
  7. ^ 『10+1』 No.13 (メディア都市の地政学) pp.25-32
  8. ^ 八束はじめ. “建築と文学をめぐる鉄人同士の知的蕩尽”. 10+1 website. 2024年10月10日閲覧。
  9. ^ 沢木耕太郎 『深夜特急 4 シルクロード』 新潮社文庫
  10. ^ https://live.nicovideo.jp/watch/lv33643068 ニコニコ生放送村上隆の芸術闘争論#2」森川嘉一郎・談
  11. ^ 日経クロステック(xTECH) (2011年2月4日). “外装剥落の責任:管理者が設計者に求償することも”. 日経クロステック(xTECH). 2024年10月10日閲覧。
  12. ^ [1]
  13. ^ 日経クロステック(xTECH) (2010年11月22日). “スレート落下対策に8億~14億円、磯崎氏設計の施設で”. 日経クロステック(xTECH). 2024年10月10日閲覧。
  14. ^ 磯崎新による、新国立競技場に関する意見の全文”. architecturephoto.net (2014年11月7日). 2023年1月10日閲覧。
  15. ^ 飛騨市神岡図書館
  16. ^ 「磯崎新の謎」展が大分市美術館で開催中。「いき」と「しま」を軸にその思考を紐解く”. 美術手帖. 2019年12月11日閲覧。

文献

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磯崎新アトリエ出身の人物

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建築家

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関連項目・人物

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外部リンク

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