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大野川

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
大野川
大分市を流れる大野川(鶴崎橋付近)
水系 一級水系 大野川
種別 一級河川
延長 107 km
平均流量 51.09 m3/s
(犬飼観測所 2000年)
流域面積 1,465 km2
水源 祖母山(宮崎県)
水源の標高 1,757 m
河口・合流先 別府湾(大分県)
流域 日本の旗 日本
宮崎県熊本県大分県

地図

地図
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大野川下流(大在大橋付近から上流を望む)
大野川下流(大在大橋付近から上流を望む)
大野川中流(豊後大野市三重町)
大野川中流(豊後大野市三重町)
大野川中流、春の朝(豊後大野市犬飼)
大野川中流、春の朝(豊後大野市犬飼)

大野川(おおのがわ)は、大分県南部・中部、熊本県東部、宮崎県北部を流れる大野川水系の本流で一級河川である。

地理

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宮崎県高千穂町北部、大分県と宮崎県境をなす祖母・傾山の祖母山(標高1,757m)に源流を発し北流。阿蘇山(標高1,592m)を中心としたカルデラの一部も源流となる。これらが大分県竹田市豊後大野市の中北部、臼杵市野津町を流れ、大分市別府湾瀬戸内海の西部)に注ぐ。

上・中流

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竹田市では、阿蘇山の外輪山からの伏流水が湧き出している湧水地が多く点在する。同市地区の「中島河川プール」が、昭和61年度手づくり郷土賞(ふれあいの水辺)受賞

下流

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下流では大分川とともに大分平野を形成し、流域には肥沃な農地が広がる。高田地区では、分流の乙津川との間に高田輪中と呼ばれる輪中が発達している。

語源

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豊後国風土記』によると、「大野郡」は「悉皆原野なり」、つまりほとんどが原野であったことに由来する[1]。川の名前は郡名から由来すると思われる。

歴史

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古代

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大野川流域には、奥嶽川の合流地点付近の岩戸遺跡を初めとする旧石器時代から弥生時代古墳時代にかけての遺跡が多数点在しており、古くから人が居住していたことが確認されている。

中世

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大野川はかつて、その下流にあたる現在の大分市戸次付近では、戸次川(へつぎがわ)と呼ばれていた。天正14年12月12日1587年1月20日)には、この付近の河原で、島津家久が率いる島津勢長宗我部元親信親親子、仙石秀久大友義統らが率いる豊臣勢の間で戸次川の戦いが起きた。

近世

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江戸時代に入ると豊後国(現在の大分県)には多くの小藩が並立し、大野川は岡藩臼杵藩の藩境となるとともに、流域に位置する諸藩と海を結ぶ重要な交易路、交通路として賑わった。この時期の大野川の主要な港としては、岡藩の犬飼港、臼杵藩の吐合港がある[2]

流域の自治体

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主要な支川

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主要な派川

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主要な橋梁

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上流から下流の順に記す。

ダム・堰堤

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白水溜池堰堤(白水ダム)

上流から下流の順に記す。

大野川右岸緑地

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鶴崎橋(国道197号・国道217号)のすぐ下流にある大野川右岸桜スポットは桜のトンネルの中を歩くことができるソメイヨシノ400本が植えられた桜並木道[4]

流域の文化財・観光地

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原尻の滝

並行する交通

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鉄道

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道路

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脚注

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  1. ^ 豊肥エリア|おおいた遺産|大分を彩る120の美しき遺産”. oitaisan.com. 2019年9月8日閲覧。
  2. ^ 大野川通船史について知りたい。 - 大分県立図書館
  3. ^ 大野川水系河川維持管理計画 (PDF) 九州地方整備局大分河川国道事務所、2012年4月
  4. ^ 大分の四季 > 春”. 大分市観光協会. 2021年4月1日閲覧。

関連項目

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外部リンク

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