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上沼恵美子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋本恵美子から転送)
上沼かみぬま 恵美子えみこ
本名 上沼 恵美子
(旧姓:橋本はしもと[1]
生年月日 (1955-04-13) 1955年4月13日(69歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県三原郡福良町
(現:南あわじ市福良)
身長 164 cm
言語 日本語近畿方言
方言 淡路弁
大阪弁
最終学歴 帝国女子高等学校大和田校 中退
芸風 歌手司会者
事務所 上沼事務所
活動時期 1978年 -
現在の代表番組 上沼恵美子のこころ晴天
上沼・高田のクギズケ!
過去の代表番組 快傑えみちゃんねる
他の活動 歌手
配偶者 上沼真平1977年 - )
親族 芦川百々子(姉)
ゆじぇーろ(次男、放送作家)
夢大作(義兄)
峰竜太(遠戚)
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海原うなばら 千里せんり
本名 橋本はしもと 恵美子えみこ(結婚前当時)
生年月日 (1955-04-13) 1955年4月13日(69歳)
出身地 日本の旗 日本兵庫県三原郡福良町
(現:南あわじ市福良)
言語 日本語
方言 近畿方言
最終学歴 帝国女子高等学校大和田校 中退
師匠 海原お浜・小浜
コンビ名 海原千里・万里
1971年 - 1977年
相方 海原万里(現:芦川百々子
芸風 漫才
立ち位置
活動時期 1971年 - 1977年
配偶者 上沼真平(1977年 - )
親族 芦川百々子(姉)
ゆじぇーろ(次男、放送作家)
夢大作(義兄)
峰竜太(遠戚)
テンプレートを表示

上沼 恵美子(かみぬま えみこ、1955年昭和30年〉4月13日 - )は、日本タレントテレビ司会者歌手、元漫才師。上沼事務所所属。兵庫県三原郡福良町(現:南あわじ市福良)出身。夫は元メディアプルポ代表取締役会長、元関西テレビプロデューサー上沼真平。姉は海原千里・万里の相方・芦川百々子

経歴

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実家の橋本家は焼き肉店で、3人きょうだいの末っ子(6歳上の姉(芦川百々子)と2歳上の兄がいる)として生まれた。兵庫県淡路島にある三原郡福良町(現・南あわじ市福良)の出身[2]で、島内の中学校を卒業[3]。学生時代はバスケットボール部に所属していた。

海原千里・万里時代

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1971年 - 1977年

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銀行員を務めていた父[4]演芸好きだった事から(父もかつては芸人になりたかったとのこと[5])、幼少時から姉妹揃って演芸や歌を見たり聞いたりして育つ。祖母は浄瑠璃の師匠、太棹三味線の名手だった[4]。姉は浄瑠璃のものまね、自身は美空ひばりものまねをしていた。このように一家で芸事好きだったのが高じて、自分の一家が中心になって「みどり劇団」という劇団を組み、休日に老人ホームへ慰問に行くなどの活動をしていた[6]

元々は歌手志望だったが[7](父には「歌手になったって絶対あかん。顔もあかんし、歌唱力も(天童)よしみちゃんくらいうまかったらな」と言われたことがある[7])、漫才コンビとしてデビューする筈だった姉の相方がデビュー前に失踪した為[5]、父に「お前行け!」と言われ[5]姉と漫才コンビを組む事になり、1969年昭和44年)春、中学2年生になる前の春休みの頃に大須演芸場の舞台に立つ[8]。中学校卒業後、1971年に姉妹漫才コンビ海原千里・万里」の海原千里海原お浜・小浜門下)としてデビュー[9]。事務所の意向で姉の芦川百々子が年齢詐称させられていた為、4歳違いの姉妹として活動。同年、上方お笑い大賞銀賞を受賞する[9]。高校生ながら巧みな話術で一躍スターになり、当時人気アイドルで白雪姫と称されていた天地真理に倣い、「漫才界の白雪姫」と呼ばれていた。1973年にはNHK漫才コンテスト優秀敢闘賞を受賞し、1975年にはレコード「大阪ラプソディー」が40万枚を売り上げて大ヒットする。19歳の時、1974年5月初旬に盲腸で大正病院に10日間入院。

1975年、20歳の時に出演した関西テレビ『日曜ドキドキパンチ』で、同局ディレクターの上沼真平と出会う。1977年5月22日、8歳上の真平と結婚[10]。親族・親類全員が反対する状況下での結婚だった。姉とのコンビを解消し、ラスベガスからカウアイ島へと渡る新婚旅行を経て、芸能界を引退する。舅・上沼健吉は上沼が嫁ぐ前の1969年に亡くなっていて、自身の本籍地である大阪府箕面市桜1丁目の18坪の建売住宅に真平と姑と3人で暮らす事になる。姑・上沼浜子は2007年に89歳で亡くなっている。

コンビ解散後 → 芸能界に復帰

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1978年4月、長男(後に上沼恵美子事務所スタッフとなる上沼清太郎)を出産後の7月に土井勝の料理番組のアシスタントで芸能界へ復帰[9]1983年5月に次男(後に構成作家となるゆじぇーろ)を出産した。

芸能界復帰について、上沼は後に番組内で「自分には専業主婦は耐えられなかった。」と述懐している。
また、読売テレビ『上沼・高田のクギズケ!』内で島田紳助の引退について触れた際は、自身の引退時に「番組スタッフとかが離れていった事が寂しかった。」と明かした[11]
2024年10月に公開されたインタビューでは、振る舞いが良く、遊び人の夫の影響で生活費の余裕が無いため、芸能界に復帰したことを告白した[12]

1990年代

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1994年平成6年)と1995年にはNHKNHK紅白歌合戦』の紅組司会を担当した。1994年の『第45回NHK紅白歌合戦』で紅組司会を担当した際、「上沼恵美子なんて大阪だけのタレントです。それをNHKが紅組の司会に起用したっていう事は風当たりも強かったですし、やはりベテラン歌手にはいびられました」「ベテラン歌手から『あんたみたいなもんが紅組の司会ってなんやの』という態度で迫られた」と語っている。出場歌手と面談した際、「横を向いて目を会わせてくれない方が4、5人いた」と『あさイチ』(NHK総合テレビ、2015年12月25日放送)で語っており、「その人たちは未だに大っキライです」とも述べた[13]。しかし、翌1995年の『第46回NHK紅白歌合戦』での紅組司会の際については「ころっと変わりました。大事にされました」と話している[14]

2000年代

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紅白の成功以降、関西において上沼を見ない日はなく、やしきたかじんと並んで「関西の両横綱」あるいは「関西の女帝」と呼ばれるようになる[15][16]

2002年のNHKが実施したタレント好感度ランキングでは、女性部門で久本雅美松嶋菜々子に次いで3位になる。2003年度長者番付大阪地区では、芸能人部門で1位となった。

2007年下期のNHK連続テレビ小説ちりとてちん』で語りを担当した。同作では主人公の老年後という設定での参加だったが、放送されたストーリー分の時代よりも後の時代から回想して語るという設定だった為、実際に本人が主役として画面に登場することはなかった。ただし、『第46回NHK紅白歌合戦』の映像の流用と言う形で本人役での出演を果たしている。

2007年より大会委員長の島田紳助からの直々の依頼により、朝日放送『M-1グランプリ』に初の女性審査員として出演。同年から2009年まで審査員を務めたほか、大会の中断期間を挟んで2016年から2021年まで筆頭審査員を務めた。

2010年代

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2014年2月中旬に急性A型肝炎を患い入院するも、3月3日にラジオの生放送で復帰した[17]

2020年代

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2020年、上沼をめぐるバッシング報道が過熱、これに伴いレギュラー番組の降板が相次ぐ。

2022年にセミリタイアを宣言し、テレビ・ラジオともにレギュラー番組は1本となっている。一方で、新たにYouTubeチャンネルを開設し、トーク企画や料理企画などを配信している。

歌手活動

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幼少時から数々のちびっこのど自慢大会に出場し[9]、「のど自慢荒らし」と呼ばれていた。当時のライバルは天童よしみで、毎回天童が優勝する為、自身は準優勝であったと言う[18]

デビュー当時、北島三郎のコンサートの前座を務めた際、北島に歌唱力を認められ、北島の下で歌手への転向を勧められたが断ったと言うエピソードがある[7]。後に海原千里・万里として1976年に発売した「大阪ラプソディー」がヒットを記録している。

コンビ解消後も歌手として、1年に一度のペースで大阪フェスティバルホール等の会場を使用して関西地区限定でコンサートを行っており、NHKの歌番組にも度々出演している。

人物

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芸風

自身のレギュラー番組の多くが東京で放送されていないこともあり、番組内で過去に共演した芸能人を批判することがよくある。また、ゲスト出演した芸能人に「嫌いな芸能人」などのネタを聞き出すことも多い。放送時には効果音で実名が消されイニシャルトークで進行されるが、実名で批判することもあった。パターンとしては、自身が出演しているラジオ番組こころ晴天の中でテレビ番組いつでも笑みをにゲスト出演した鶴田真由の態度が不快だったと生放送で語ったり、清水アキラに対しては、「あんなヤツ、そのうち人気が落ちる」と述べ、名誉毀損寸前の騒動に発展したことがある[19]。逆に自分がゲスト出演した際には司会者に「嫌いな人とかいましたか?」と直球で聞くこともある[20]

かつてレギュラー相談員として出演していたNHK総合テレビ『バラエティー生活笑百科』では、長年ホラ吹きキャラクターを売り物にしていた。淡路島大阪城を所有しているといった単純な富豪ホラからしばしばシュールに展開するネタで人気を博したが、隣席の3代目桂南光辻本茂雄、司会の3代目笑福亭仁鶴による突っ込みも重要な要素であったこともあり、他の番組などではそれほどこの芸風を披歴していない。

霊感が強く、怖い話を扱う特別番組やコーナーでは自らが体験した恐怖体験を語ることがある。しかし、本人は霊感があることは嫌だと述べており、普段のトークで心霊体験を語ることは少ない。

タレントとしての活動範囲・スタンス

仕事は基本的に在阪局に絞って行い、在京局やローカル局では滅多に仕事をしない。上沼と同様在阪局に絞って出演していたタレントとしてはやしきたかじんが挙げられるが、上沼の場合はやしきのような「東京嫌い」というわけではなく、芸能界復帰の際に夫・真平と交わした「(仕事をする範囲として)西は姫路、東は京都まで」との約束を守っているためで、これにより本格的な東京進出を断念している[21]。事実、たかじんの生前は在京局の番組での出演は非常に少なく、自身の冠番組が在京局にはネットされなかった。それに対して上沼は、在阪局制作の在京局を含む全国ネット番組には出演しており、回数こそ少ないものの在京局制作番組にゲスト出演したり[注 1]、出演する在阪・在名局共同制作番組で時折行われる名古屋収録に参加することもある。このため、在阪局での仕事がメインではあるものの、東京での知名度は高く、この点においてもたかじんが生前東京での知名度が低かったのとは対照的である(これは『情報ライブ ミヤネ屋』が全国ネット化されるまで、東京での知名度がほとんど無かったフリーアナウンサーの宮根誠司も同様であった)

2014年1月12日放送の『上沼・高田のクギズケ!』では「来世は東京に行きたい」「東京進出をしないのは、大阪の人と結婚したから。(東京に行ったら)別居になるやん。今度は東京の人と結婚したい!」「NHKから『大河ドラマ』の出演打診があったが、東京収録のため断った」「紅白の司会をした後、在京局から11本に及ぶレギュラー番組のオファーがあったが、夫を優先するため全て断った」と語った[22]2005年12月18日ニッポン放送のスペシャルウィークの特別番組『上沼恵美子のニッポン放送初上陸!2005年言いたい放題』で久々の在京ラジオ局への出演を果たす。2006年3月23日には日本テレビで放送の島田紳助松本人志ダウンタウン)が司会の『松紳ゴールデン!』にゲスト出演し、紳助と初共演を果たした。その際、夫の定年を機に「来年引退してハワイに移住する」と発言したが、紳助と松本に説得されて翻意した。

夫・真平からは「自分が定年退職となる時に一緒に仕事を辞めよう」と言われ、この約束もしていたが、真平の定年退職後も仕事を続けている[21]。2014年7月20日放送の『クギズケ!』で「(真平の定年退職時)夫から『一緒にやめようね』って言われて。ちょっと待ってって言いました」「(仕事は)もういいじゃないか、一緒に世界旅行でもしようよという気持ちみたいだったんだけど、あたしはまだ未練があった。コンサートやるって言ったらいい顔はしません」と語っている[23]

ちなみに2021年時点では籍は入れたままだが別居している[24]。別居後には以前から断り続けていた在京局のテレビ出演オファーを積極的に受けるようになり、収録や生出演毎には毎回上京している。

全盛期は関西の放送局でも特に真平が幹部を務める関西テレビとの関係が強かったが、真平が定年退職すると途端に冷遇されるようになった。

番組に出演する際の衣装にはこだわりを持っており、専属スタイリストを雇って個人で用意している。しかし、1997年2005年確定申告において、経費として申告した衣装代などが経費にはあたらないと指摘され、申告漏れとして追徴課税されている。

音楽・映画関係

中森明菜のファンであり、「関西の第二の後援会長」と公言するほどで、過去には自らファンクラブにも入会したり、中森のコンサート会場に花などを贈っている(一番の後援会長は生前親交のあった友人のやしきたかじん)。中森も1997年4月21日にコンサートのプロモーションを兼ねて上沼のレギュラー番組『快傑えみちゃんねる』にゲスト出演し、初共演を果たしている。また、松田聖子のファンであることも自身の番組内で度々語っている。西城秀樹とは生年月日が同じ事が縁で交友関係があり、毎年誕生日には西城から花を贈られる仲であった[25]ももいろクローバーZの大ファンであり、仕事に行きたくないとき右側だけ化粧して嫌な気分のときに、ももクロの曲を聴くと残り左半分の化粧もするとネタにしている。『男はつらいよ』シリーズなどのヒューマン系の映画を好む。上川隆也の大ファンでもある。

M-1グランプリ

吉本興業が主催する漫才コンテストM-1グランプリに2007年から女性初の審査員として出演し、以降も2010年と2015年を除いて2021年まで毎年務めており、2016年以降は筆頭審査員として出演している。出演は当時の大会委員長である島田紳助の直々の依頼により実現した。紳助によると2006年に自身の番組「松紳」に上沼が出演後、食事を共にし仲良くなり、スタッフを通じて出演依頼を行った。紳助曰くM-1の審査員はその審査を視聴者に審査されるというリスクを負うためなり手がおらず、紳助も多くの人に直談判してきたが、ほとんどの人に断られた。そんな中、上沼は審査員が損な役回りであると分かった上で引き受けてくれたという[26]

上沼のM-1グランプリにおける審査は度々話題を集めてきた。例えば、2016年大会ではカミナリに対してネタは好意的に評価したものの、ボケの頭を猛烈に叩いてツッコむ彼らの持ち味である「どつき漫才」を、「叩いて笑いが来ない。あのドツキはいるんやろか。叩いてから突っ込むというのはいらないと思う、くせになってる。これ(ドツキ)なしで突っ込んでも笑いは来ます」と公開指導を行った[27]。この上沼の審査は、後々のカミナリの芸風に影響を与えた[28]。2大会ぶりの決勝進出となったスリムクラブに対しては「今回は無理がありましたね。飛びすぎ!親しいから言うとくけど、どないしたんや!しっかりせんかい!まだ優勝してないねんから(初心に)戻りなさいよ」と手厳しく評論した。スリムクラブはこの審査にひどく落ち込んだが、2年後の番組共演時にこの話題を触れられた上沼は「私怒った?M-1で?あなたを?(記憶)全然ない」「私はいつも忘れます。私はそういうのを忘れることにしています」と返し、笑わせた[29]。2017年大会では、マヂカルラブリーを「一生懸命やってるのは分かるけど好みじゃない」「よう決勝残ったなと思って」と酷評した[30]。これ以降の大会では、敗者復活戦の結果発表前に、マヂカルラブリーの野田クリスタルが上着を脱いで上半身を露出し、スタジオの上沼に対して「えみちゃん待っててねぇー」とアピールするというのが定番化した。 そして3年後の2020年大会にて、マヂカルラブリーに対する酷評について触れられるも、先述のスリムクラブ同様、上沼はやはり忘れてしまっていたものの、今回のネタについては「ばかばかしさが突き抜けるというのはもう芸術や」と絶賛した[31]

2018年大会では、上沼の審査に不満を抱いた2017年大会優勝のとろサーモンの久保田かずのぶとM-1決勝の常連であるスーパーマラドーナの武智が、決勝大会後にインターネット上に配信した動画で上沼に対して暴言を吐くという騒動が起こった。久保田は「酔ってるから言いますけど」と前置きした上で「(審査員を)そろそろもうやめてください」「自分目線の、自分の感情だけで審査せんといてください」、武智は「『嫌いです』って言われたら更年期障害かって思いますよね」と発言した。問題の動画は程なくして削除され、久保田と武智は謝罪した[32]。この騒動に関して同じく審査員のオール巨人は「つまらん本当に情けない話」と嘆き[33]松本人志は「彼らは勉強不足」と批判[34]、更に大会創設者である島田紳助が週刊誌の誌面で上沼に謝罪するに至った[35]。その他にも多くのお笑い芸人が言及するなど大きな騒動になったが、当の上沼は「悪いですけど興味ないです」と一蹴した[36]。その反面で上沼は騒動発生当時に一度審査員を降板する意向を表したことがあったが、最終的には撤回し2019年以降の大会も審査員を続投。2019年大会に審査員として会場に登場した際には「更年期障害を乗り越えました」と、騒動に絡めた挨拶を行った[37]。その2019年大会ではからし蓮根の採点時に、その前に漫才を披露していた和牛に対して「去年もその前も和牛に(ファイナルステージの投票で)チャンピオンを入れました。でも横柄な感じを和牛に対しては感じました。なんか『このステージは僕のもの。リサイタル』みたいな、緊張感のない、ぞんざいなものを感じた」と厳しい意見を述べた。その後2023年に和牛が解散を発表した際にこのコメントが話題となった[38]

2021年大会終了後には、オール巨人とともに審査員から引退する事を表明[39]、この年をもって勇退となった。2022年大会では上沼に続いて2人目となる女性審査員として山田邦子が務める[40]

その他

毎日放送『今夜はえみぃ〜GO!!』などで料理の腕前を披露し、番組からは4冊の料理本を出版した。ちなみに好きな食べ物はカレーうどん

御堂筋のイチョウの木のライトアップは、上沼が当時大阪市長西尾正也に提言したことで実現した。また、海遊館オープン時の名称選定委員会のメンバーで、海遊館のネーミングは上沼が推したために決定されたものである[41]。当初は単なる公募に対する一般人からの応募に過ぎなかったが、上沼が推したことがきっかけとなって選定された。

次男であるゆじぇーろを出演番組に構成作家として採用している[42]。次男の業界入りで口利きしたのが島田紳助。『M-1グランプリ』の審査員を紳助に頼まれて断れなかった、と言っているのは、このためである。愛犬はメスのトイプードル(キキ)とフレンチブル(べべ)。ベベは2022年4月23日に永眠[43]

主婦タレントの草分け的存在とも言われる[44]

ローンを組むことを考えず、どれだけ高級でもキャッシュで買い、「ローンの意味がわからない」というほど徹底している[45]

峰竜太は「姑(夫・真平の母)の親戚」というつながりで親戚である[46]

現在の出演番組

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2013年平成25年)9月末以降、レギュラー出演する番組全てが司会者としての出演かつ冠番組である。

レギュラー

過去の出演番組

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※コンビでの出演作は海原千里・万里#出演の項を参照のこと。

テレビ

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ラジオ

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CM

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映画

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ディスコグラフィ

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シングル

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# 発売日 A/B面 タイトル 作詞 作曲 編曲 規格品番
1 1989年
1月21日
A面 大阪めぐり愛 吉田旺 市川昭介 斉藤恒夫 RE-883
B面 さ・い・な・ら
2 1989年
10月21日
A面 浮草みなと やしろよう RE-906
B面 やくそく 吉田旺 桜庭伸幸
3 1995年
3月24日
01 大阪ひとり 円広志 古川忠義 CRDN-274
02 思い出づくり 上沼恵美子 古川忠義
4 1996年
3月25日
01 P.S.愛してる![注 6] 荒木とよひさ 堀内孝雄 宮崎慎二 PSDF-5019
02 愛した人へ 蘭かおる 金田一郎
5 1998年
4月29日
01 春夏秋冬 岡田冨美子 浜圭介 川村栄二 CRDN-541
02 あなたをずっと見ている 伊藤薫 ばんばひろふみ
6 2002年
4月24日
01 笑顔を咲かせましょう つんく 小西貴雄 EPDE-1099
02 それが愛人
7 2004年
6月23日
01 コスモス揺れて かず翼 円広志 宮崎慎二 TECA-11636
02 少しだけサヨナラ
8 2005年
12月16日
01 泡盛心中 宮城常雄 宮城衛 桜庭伸幸 TECA-12038
02 大阪ラプソディー 山上路夫 猪俣公章 藤田はじめ
前田俊明
9 2009年
8月19日
01 涙の重さ かず翼 田尾将実 川村栄二 TECA-12194
02 リラの雨 ひうら一帆
10 2015年
9月9日
01 あかんたれ 中田昌秀 猪俣公章 前田俊明 TECA-13618
02 ふたりの故郷
11 2019年
11月13日
01 時のしおり 田久保真見 南乃星太 南郷達也 TECA-13974
02 人生これから 萩田光雄
2020年
9月16日
03 大阪ラプソディー 山上路夫 猪俣公章 藤田はじめ
前田俊明
TECA-20056
(感謝盤)

アルバム

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発売日 タイトル 規格品番
1989年10月21日 全曲集 大阪めぐり愛 / 浮草みなと 30CH-398
2005年8月30日 スーパーベスト TECE-28588
2018年10月31日 コンサート愛唱歌撰 TECE-3500

著書

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脚注

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注釈

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  1. ^ 前述の歌手活動のプロモーションとして、千葉県県域の独立局である千葉テレビ放送で2020年8月10日放送された『カラオケ大賞』に、VTR出演ではあるがゲスト出演したこともある。
  2. ^ ナレーション(熟年期の主人公・和田喜代美)のみ
  3. ^ 2001年 - 2013年、2015年 - 。2001年 - 2013年および2019年・2020年は司会兼歌手、2015年 - 2018年および2021年は歌手専任で出演
  4. ^ 乾浩明と共にパーソナリティを務めた。
  5. ^ ゲスト出演した梅宮辰夫の役名があまりに長く、梅宮本人が覚えきれなかったため、上沼演じるドライブインの女将が、梅宮と対決する主人公の一番星桃次郎(菅原文太)に対し、梅宮に代わって「大熊田太郎次郎左右衛門」(おおくまだ・たろうじろうざえもん)と名前を教えている。
  6. ^ デュエット:高田純次

出典

[編集]
  1. ^ 幼なじみ爆笑対談「家に滝があるんですって?」”. 文藝春秋. 2022年9月16日閲覧。
  2. ^ 上沼恵美子さん故郷・淡路島で番組ロケ 島の食材で新名物を考案」『産経新聞』2015年12月25日。2020年10月18日閲覧。
  3. ^ (語る 人生の贈りもの)上沼恵美子:5 辞めるか、売れて抜け出すか」『朝日新聞』2019年11月21日。オリジナルの2019年11月12日時点におけるアーカイブ。2020年10月18日閲覧。
  4. ^ a b スポーツニッポン 2022年12月3日 28面「上沼恵美子『我が道』(3)」
  5. ^ a b c スポーツニッポン 2022年12月6日 18面「上沼恵美子『我が道』(6)」
  6. ^ スポーツニッポン 2022年12月4日 26面「上沼恵美子『我が道』(4)」
  7. ^ a b c スポーツニッポン 2022年12月9日 20面「上沼恵美子『我が道』(9)」
  8. ^ スポーツニッポン 2022年12月7日 20面「上沼恵美子『我が道』(7)」
  9. ^ a b c d 「日常を笑いに変える「浪速のヤングミセス」上沼恵美子さん」『保険展望』第43巻第3号、簡易保険加入者協会、1996年6月1日、48 - 53頁、NDLJP:2880324/26 
  10. ^ 上沼恵美子「離婚はしません」 結婚44年、別居3年も関係良好「主人は体の一部」”. デイリースポーツ (2021年8月2日). 2021年8月3日閲覧。
  11. ^ デイリースポーツ(2011年8月29日)
  12. ^ 上沼恵美子さん・69歳「愚痴やひがみに聞こえるかもしれないけど」今のテレビに思うこと – magacol”. 美ST. 2024年10月11日閲覧。
  13. ^ “上沼恵美子、紅白初司会いびられた過去”. デイリースポーツ. (2015年12月25日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/12/25/0008674846.shtml 
  14. ^ “上沼恵美子 紅白司会でいびられた”. デイリースポーツ. (2015年10月3日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2015/10/03/0008453177.shtml 
  15. ^ 上沼恵美子“女帝”と呼ばれることへの不快感明かす「こんなに腰が低いし、感じいいのにね(笑)」
  16. ^ 上沼恵美子を“西の女帝”にしたスタッフの過剰な忖度ぶり
  17. ^ “上沼恵美子、入院中に自分の番組見て涙”. デイリースポーツ. (2014年3月22日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/03/22/0006797267.shtml 
  18. ^ スポーツニッポン 2022年12月5日 18面「上沼恵美子『我が道』(5)」
  19. ^ 日刊ゲンダイ(2015年10月23日)
  20. ^ 上沼恵美子「徹子の部屋」で「嫌なゲストいましたか」と直球質問 黒柳徹子の達観ぶりに感心”. 日刊スポーツ (2023年5月4日). 2023年5月4日閲覧。
  21. ^ a b 週刊文春(2013年9月26日号)
  22. ^ “上沼恵美子 番組内で“遺言”秘密告白”. デイリースポーツ. (2014年1月12日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/01/12/0006632076.shtml 
  23. ^ “上沼恵美子 夫から引退勧告あった”. デイリースポーツ. (2014年7月20日). https://www.daily.co.jp/newsflash/gossip/2014/07/20/1p_0007162260.shtml 
  24. ^ 上沼恵美子 3年前に離婚考えた、今は別居で「いい距離」”. デイリースポーツ (2021年8月8日). 2021年8月8日閲覧。
  25. ^ “上沼恵美子明かす 生年月日が同じ西城秀樹さんから今年も花が”. スポーツ報知. (2018年5月27日). https://hochi.news/articles/20180527-OHT1T50106.html 
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  47. ^ a b c 上沼恵美子 - オリコンTV出演情報
  48. ^ 上沼恵美子 - オリコンCM出演情報

外部リンク

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