紙智子
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(内山智子から転送)
紙 智子 かみ ともこ | |
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生年月日 | 1955年1月13日(69歳) |
出生地 |
北海道札幌郡豊平町 (現:札幌市清田区) |
出身校 | 北海道女子短期大学 |
前職 |
日本共産党中央委員会青年学生部 日本共産党北海道委員会常任委員 |
現職 |
常任幹部会委員 参院国会対策副委員長 農林水産部会長 国民運動委員 基地再編・強化反対闘争本部員 |
所属政党 | 日本共産党 |
称号 | 準学士 |
公式サイト | 日本共産党参議院議員 紙智子 |
選挙区 | 参議院比例区 |
当選回数 | 4回 |
在任期間 | 2001年 - 現職 |
紙 智子(かみ ともこ、本名:内山 智子(うちやま ともこ)[1]、1955年1月13日[1] - )は、日本の政治家。日本共産党所属の参議院議員(4期)。
党参議院議員団長、党常任幹部会委員、党農林・漁民局長。
概要
[編集]1955年、北海道札幌郡豊平町字真栄(現:札幌市清田区真栄)の農家4人兄妹(兄3人)の末子として生まれる。
短期大学時代に実業団バレーボールチーム9人制全道大会で優勝。全国大会にも出場する[2]。
日本民主青年同盟員としても活動。実家は自由民主党支持であったが、兄と友人の影響で日本共産党に入党する。
1986年に初めて国政選挙に立候補するが、2001年に初当選するまでは参院選に4回、衆院選に3回落選している。
経歴
[編集]- 1955年 - 北海道札幌郡豊平町字真栄に生まれる[2]
- 札幌市立厚別小学校(現・清田小学校)、札幌市立厚別中学校(現・清田中学校)、北海道恵庭南高等学校卒業[3]。
- 1975年 - 北海道女子短期大学(現・北翔大学短期大学部)工芸美術科卒業。北海道学生自治会連合書記局員[3]。
- 1976年 - 株式会社小川白衣勤務[3]。
- 1978年 - 日本民主青年同盟北海道委員、中央委員会副委員長[2]。
- 1986年 - 第14回参議院議員通常選挙、比例区から立候補するが落選。
- 1989年 - 日本共産党中央委員会青年学生部勤務。
- 1989年10月 - 党北海道委員会勤務、党国会議員団北海道事務所長[2]。
- 1993年 - 第40回衆議院議員総選挙に旧北海道4区から出馬するも落選。
- 1996年 - 第41回衆議院議員総選挙に北海道9区から出馬するも落選)
- 1998年 - 第18回参議院議員通常選挙にて北海道選挙区から出馬、60万票以上を獲るも落選。
- 2000年 - 第42回衆議院議員総選挙にて北海道2区から出馬するも落選。
- 2001年 - 第19回参議院議員通常選挙、比例区から立候補、初当選。北方領土返還・四島交流促進議員連盟副会長[2]。
- 2007年 - 第21回参議院議員通常選挙、比例区から立候補して再選を果たす[2]。
- 2013年 - 第23回参議院議員通常選挙、比例区から立候補して3選を果たす[2]。
- 2019年 - 第25回参議院議員通常選挙、比例区から立候補して4選を果たす。
主張・ 活動
[編集]- 2007年にLGBTの権利獲得のためのパレード札幌レインボーマーチに参加を表明するも空転する国会情勢のため参加できず、札幌市議会議員・坂本恭子がメッセージを代読、そのメッセージでLGBTの権利獲得の障害になっているのは、格差社会を是認し社会的弱者を抹殺しようとする自民党と公明党との連立政権であると主張した。
- 紙智子は2008年1月8日にマイク・ホンダが来日したとき、江田五月・神本美恵子・水岡俊一・仁比聡平と一緒にホンダが慰安婦問題に関して日本政府に公式な謝罪を要求するアメリカ合衆国下院121号決議の提出を主導し、下院で議決させたことに対し、謝意を表明した。これに対しホンダは「困難な課題だが、みなさんとセイム・ハート(同じ気持ち)だ」と応じた[4]。
- 2011年12月14日に日本軍『慰安婦』問題解決全国行動が開催した韓国水曜デモ1000回アクション in Tokyoに参加した[5][6]。
政策
[編集]- 国会前で連帯の挨拶をするなど、TPP交渉から直ちに撤退することを主張している[7][8]。
- 民法改正を目指す院内集会に積極的に参加するなど、選択的夫婦別姓制度導入推進に積極的にかかわっている[9][10]。
所属団体・議員連盟
[編集]人物・家族
[編集]趣味は、スキー、山歩き、絵画、料理など[12]。1990年代、自身が40歳前後の時に結婚した15歳年上の夫は2012年、72歳で死去している[13]。
脚注
[編集]- ^ a b 紙 智子(かみ ともこ): 参議院 (平成28年11月28日現在) 2018年9月7日 閲覧
- ^ a b c d e f g “紙 智子|日本共産党参議院議員”. www.kami-tomoko.jp. 2024年4月8日閲覧。
- ^ a b c “紙智子”. 北海道テレビ放送 (1997年1月28日). 2024年4月8日閲覧。
- ^ 米下院「慰安婦」決議の提出者/ホンダ議員が参院訪問 しんぶん赤旗(2008年1月9日)2018年9月30日閲覧。
- ^ “韓国水曜デモ1000回アクション”. 週刊金曜日オンライン (2012年1月20日). 2021年3月28日閲覧。
- ^ “韓国水曜デモ1000回アクション 東京行動 報告”. 日本軍『慰安婦』問題解決全国行動. 2021年3月28日閲覧。
- ^ 日本共産党ホームページ 2015年9月の動画
- ^ 日本共産党ホームページ 動画 集会2
- ^ 活動日誌
- ^ しんぶん赤旗 2009年4月25日
- ^ “「アイヌ政策」推進議員連盟が開かれ、私も参加し、一言発言”. 2019年8月28日閲覧。
- ^ 公式プロフィール
- ^ 日本経済新聞 2012/4/26
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 日本共産党参議院議員 紙智子
- 紙智子 (@KamiTomoko) - X(旧Twitter)
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