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2016年11月13日 (日) 03:30時点における版
中山 成彬 なかやま なりあき | |
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生年月日 | 1943年6月7日(81歳) |
出生地 | 日本 宮崎県小林市 |
出身校 | 東京大学法学部 |
前職 | 官僚 |
所属政党 |
(自由民主党→) (たちあがれ日本→) (日本維新の会→) (次世代の党→) 日本のこころを大切にする党 |
称号 | 法学士(東京大学・1966年) |
配偶者 | 中山恭子 |
公式サイト | 前衆議院議員 中山成彬 |
第10代 国土交通大臣 | |
内閣 | 麻生内閣 |
在任期間 | 2008年9月24日 - 2008年9月28日 |
第5-6代 文部科学大臣 | |
内閣 |
第2次小泉改造内閣 第3次小泉内閣 |
在任期間 | 2004年9月27日 - 2005年10月31日 |
選挙区 |
(旧宮崎2区→) (宮崎1区→) 比例九州ブロック |
当選回数 | 7回 |
在任期間 |
1986年7月8日 - 1993年6月18日 1996年10月20日 - 2009年7月21日 2012年12月21日[1] - 2014年11月21日 |
中山 成彬(なかやま なりあき、1943年(昭和18年)6月7日 - )は、日本の政治家、大蔵官僚。文部科学大臣(第5代・第6代)、国土交通大臣(第10代)、衆議院議員(7期)、次世代の党両院議員総会長兼代議士会長を歴任。
来歴・人物
鹿児島ラ・サール高校、東京大学法学部卒業後、大蔵省(当時)に入省。大臣官房企画官などを経て1982年に退官し、政治の道に入る[要出典]。
小泉政権
2004年の第2次小泉改造内閣にて文部科学大臣として初入閣し、日本原子力研究所と、もんじゅを運営していた核燃料サイクル開発機構を統合し独立行政法人日本原子力研究開発機構とする法案を成立させた。また、清和政策研究会事務総長を務めた[要出典]ほか、かつて慰安婦問題で調査を行い、南京事件は存在しないというレポート[2]を出した日本の前途と歴史教育を考える議員の会会長を務める[要出典]。
麻生内閣
2008年9月25日に麻生内閣の国土交通大臣に就任するが、同月28日に辞任。原因は同月25日の「成田反対はゴネ得」、「日本は単一民族」、同月27日の「日教組を解体へ」の発言に対して度重なる抗議を受けたため[3]。翌29日、『みのもんたの朝ズバッ!』に生出演し、自身の発言に対する批判に反論した[4]。
引退撤回
2008年10月4日、2009年8月30日の第45回衆議院議員総選挙に立候補せず、引退を表明したが[5]、10月16日、「やっぱり出る意思を固めた」とし、引退を撤回した[6]。イメージダウンを嫌った自民党本部は、門前払いした。自民党内から「(日教組批判などを繰り返し、国交相を引責辞任した中山成彬の)再出馬なんか認めたら国民から疑われる」と批判が相次いだ[7]。党選対委員長の古賀誠選対委員長と電話で話したが、立候補を拒否され、再出馬を断念した[8]。
2009年衆院選
自民党宮崎県連は、中山成彬の後任に元参議院議員・上杉光弘の出馬を内定した。だが、宮崎1区支部長職の交代は、進展しなかった[9]。
宮崎1区に自民の公認候補が存在しない選挙となり、自民支持層は分裂した。結果、民主などの推薦を受けた川村秀三郎が当選した。落選後、中山成彬は、「あまりにもあっけない落選。申し訳ない。全国的な民主党ブームの中、県民の冷静な判断を求めたが。日教組教育が浸透するとこの国はダメになる。政治家としてこの国の行く末を見届ける。」と、政治活動を続ける意向を示した[10]。
自民党宮崎県連
2009年9月12日、自民党宮崎県連は、自民党本部に「中山成彬を除名処分にする」様、求める[注 1]ことを決定をした。日教組を批判したこと。2009年の衆院選が共倒れになったこと。自民党の党紀委は、「党の規律を乱す行為」と認め、自民党宮城県第1選挙区支部の久島時夫幹事長と大村嘉一郎副支部長も、除名処分とした。この2人が処分の対象にされたのは、中山成彬を公認するように推薦した為[11][12][13][14]。
たちあがれ日本
2010年7月11日の第22回参議院議員通常選挙でも、自民党からの立候補を目指したが実現しなかった。2010年6月21日、たちあがれ日本公認で立候補することが決定した。自民党を離党した妻・恭子と共に、たちあがれ日本へ入党したが[15]、第22回参議院議員通常選挙では落選[16]。
2010年8月4日、自民党本部は、地方組織を混乱させ、「自民党の選挙対策に悪影響を及ぼした」とし、中山成彬を除名した[17]。
日本維新の会
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、公示直前に、たちあがれ日本が日本維新の会に合流したことにより宮崎1区に日本維新の会から出馬、選挙区では3位となったものの、比例九州ブロックで復活当選、国政へ復帰した[18]。
日本維新の会では両院議員総会長兼代議士会長を務めた[要出典]。また、河野談話の見直しを求めた検証などを行う「歴史問題検証プロジェクト・チーム」の座長を務めた[要出典]。
次世代の党・日本のこころを大切にする党
2014年6月、石原慎太郎共同代表が維新を分党して新党を立ち上げる事を表明したのに伴って、妻・恭子と共に同党に参加する事を表明。8月1日次世代の党正式設立に参加し、結党大会では最高顧問に就任する石原や、党首に選ばれた平沼赳夫とともにあいさつした[19]。同日同党両院議員総会長、代議士会長に就任[20]。同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙で落選した[21]。
2016年6月、第24回参議院議員通常選挙に比例区から出馬するが、7月10日の投開票の結果落選した[22]。
政策
皇室
経済
- アベノミクス及び消費税率10%への引き上げを1年半先送りした事を評価しており、消費税率を10%に引き上げる際に軽減税率を生活必需品などに導入すべきでないとしている。年金の給付水準が下がるのは、負担増が耐えられない為やむをえないとしている[24]。
- 原発は日本に必要としている[24]。
- カジノの解禁に反対[24]。
- 日本のTPP参加に反対[23]。
家族制度
- 選択的夫婦別姓制度導入について、反対の請願を国会に提出している[25]。一方、野田聖子による例外的に夫婦の別姓を実現させる会には賛同していた[26]。
国防
- 憲法9条の改正に賛成[24]。
- 集団的自衛権の行使に賛成[24]。
- 特定秘密保護法を必要としている[24]。
- 日本の核武装について、検討を始めるべきとしている[23]。
- 普天間飛行場の移設先については、沖縄県以外の日本国内が望ましいとしている[23]。
歴史認識
南京事件の存在を否定している。
慰安婦問題については、連行過程や慰安所内での慰安婦に対する人権侵害、およびそれに対する日本軍・日本政府の責任を認めない立場である。文部科学大臣在任中に開催された教育改革タウンミーティングでは「やっと最近、従軍慰安婦や強制連行という言葉が(教科書から)減ってきたのは本当によかった」(2004年11月27日開催時)、「そもそも従軍慰安婦という言葉は当時はなかった。なかった言葉が(教科書に)あるというのが問題」(2005年6月11日開催時)と述べた。
2013年3月8日の衆議院予算委員会で質疑に立ち、慰安婦は日本政府による強制ではなく、逆に悪意ある集団を警察が取り締まっていたことを当時の朝日新聞の記事から指摘した[27]。また、「日本の留学生は、(同じ国に留学している)中国や韓国の留学生から『祖先はひどい目にあった』と責められ肩身が狭い思いをしている」と述べ、状況の改善を政府に求めた[27]。
2014年、河野談話見直しを求める署名活動を開始した[28]。
首相の靖国神社参拝を問題ないとし、「村山談話」及び「河野談話」を見直すべきとしている[24]。
文教政策
後述の「発言」に見られるように、日本教職員組合の存在と活動に否定的である。また、後述のように文科相時代に全国学力調査を提唱し、導入を推進した。現在の性教育やジェンダーフリー教育についても否定的である。「道徳」を小中学校の授業で教える事に賛成[24]。
「教育のガン」発言後の2008年12月10日に自民党の森山眞弓を会長とする「日本教職員組合問題究明議員連盟」が発足[29]すると、顧問の一人として就任した[30]。この中で中山は「一般国民の目が届かないところで一部過激な日教組の組合員が自虐教育、過激な性教育、行き過ぎたジェンダーフリー教育など信じられないような教育を行っている。かつて社会党議員であった者が今民主党内にもぐりこみ、民主党の教育政策の主導権を握り、道徳教育反対等の日教組の主張が色濃く反映している」と主張している[要出典]。
国土交通政策
「必要な道路は造っていかないといけない」「都会にも改良すべき道路はたくさんある」と述べ、地方の道路整備を進めると同時に首都圏でも道路の再整備を続ける方針を示している[31]。また、「公共事業の削減はもう限界。財政再建は必要だが、削減一辺倒という考えはやめてほしい」として公共事業への積極投資を示唆している[32]。
その他
発言
成田空港反対闘争
2008年9月25日、成田国際空港拡張工事への反対派に対して、「戦後教育が悪かったと思うが、公のためには、ある程度自分を犠牲にしてでもというのがなくて、自分さえよければという風潮の中で、なかなか空港拡張もできなかったのは大変残念だった。中国がうらやましい。」 と述べ[33]、千葉県知事(当時)の堂本暁子から抗議を受けた。この「ゴネ得」舌禍事件が、国土交通大臣辞任の最大の原因との指摘もある[34]。
単一民族
外国人観光客の誘致策を問われた際、「日本はずいぶん内向きな、単一民族といいますか、世界とのあれがないものだから内向きになりがち。まず国を開くというか、日本人が心を開かなければならない」と発言した。この発言について、アイヌ民族団体の北海道ウタリ協会理事長の加藤忠より、抗議を受けた[35]。
この発言は、2008年6月に衆参両議院で全会一致で決議した「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」を否定する内容であった。さらに「アイヌの人々が独自の宗教、文化を持った民族であることは認識している」と発言し、前述のように北海道ウタリ協会より抗議を受けた。なお、同日晩に誤解を招く表現として前述の「ゴネ得」と「単一民族」発言について、撤回し、陳謝した[36]。
日教組
教育問題について、「(賄賂事件のあった)大分県の教育委員会の体たらくなんて日教組ですよ」「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる」「(日教組が強いから)大分県の学力は低い」と日本教職員組合を批判した。この発言に対し、日本教職員組合書記長から抗議文書が送られた。また、文科相時代に全国学力調査を提唱した理由も、自説を証明するためであり、証明が完了した以上調査の役割は終わったとも述べた[37]。
朝日新聞は13道府県を対象に、日教組の組織率と学力テストの点数が共に高かった例(秋田県)や、組織率と学力テストの点数が共に低かった例を挙げて、組織率と学力の相関関係はうかがえないとしている[38]。また、文部科学省の銭谷真美事務次官は、「かつて一部地域で不適切な活動があり、是正指導をしたのは事実」と行過ぎた組合活動があったことを認めた上で、「組合の組織率が高くても低くても成績のよい県はある。(関連があると)一概には言えない」との省としての見解を示した[39]。
これらの調査に対して産経新聞は、「日教組の強さを勝手に組織率に置き換えている」「日教組の組織率の高さと組合運動の強さが正比例しているわけではない。組織率が高くても、イデオロギー色が薄く互助組合のようなところもある」「日教組が強いとは、質の問題であり、イデオロギー色の強い活動をどれだけしていて、闘争的な組合員がどれだけ全体に影響を持っているかということであり、低学力地域には日教組が強い地域が多い」と独自の主張で反論した[40][41]。
中山は、「授業を無視してストライキをするようなことが生徒の学力にいいはずがない。それに組織率と日教組の強さは等しくない。例えば秋田県は組織率は90%を超えるほど高いがゆるい活動で知られ、実際に学力テストの結果は良かった。逆に組織率は高くないながら過激な活動で知られる北海道や大阪は学力は低い」ちなみに、同誌の中で、文部大臣時代に全国の小中学校を視察したが大阪だけは日教組が阻止して実行できなかったと述べている。また日教組に対する批判について、「撤回はしない。わたしは日本の教育のガンは日教組だと思っている。ぶっ壊すために火の玉になる」「何とか(日教組を)解体しなければならない」と述べ[42][43][44]、千葉県知事・ウタリ協会代表からの抗議申し入れには直接応対したものの、日教組に対してはこれを拒否した。日教組側は「非常に憤りを感じる」「直接本人に会って、真意を伺うとともに、改めて辞任を求めていきたい」とコメントした[45]。
民主党
2008年9月28日、国土交通大臣を辞任。在任期間は5日で、閣僚の在任期間としては戦後2番目の短命となった[46]。辞任した後も中山は9月29日朝のTBSの番組の中で、「私の次の選挙は本当に危ないが、政治生命をかけてでも国民に訴える責任がある」とし、さらに野党の民主党についても「民主党政権が誕生すると、日本全国が大阪府みたいになる。職員組合とのなれ合いで財政破綻にひんしている」などと発言した[47]。
国土交通大臣辞任
2008年10月8日、九州横断自動車道建設促進大会でのスピーチにて、一連の問題発言による国土交通大臣辞任について「自民党が(衆院選で)勝つため」に仕組んだ「自作自演のシナリオ」だったと説明した[48]。その上で、同席した宮崎県知事の東国原英夫に対して「どうしても(衆院選に)出てもらわないと困る」と要請した[48]。
東国原はこの要請に対し「あの場で言われても困惑する。考慮に値しない」と述べた上で[48]、「唐突に公の場で依頼されたことに驚きと違和感を覚えた。いかがなものかと思う」と批判し[49]、衆議院議員選挙に出馬しないことを同日改めて表明した[50](その後、東国原は2009年6月になっていったんは総選挙出馬の意向を示し、翌7月には撤回している)。
公民権運動
第二次世界大戦で日本は負けたが八紘一宇を掲げた、その結果としてアジアやアフリカの植民地が独立し、アメリカにもアフリカ系の人々がどんどん入って来るようになった、そして公民権運動が起き、ついにはバラク・オバマがアメリカ大統領になった。全て私達の先祖のおかげであり、歴史直視とはこういうこと。従軍慰安婦や南京事件などなかった、中韓のでっち上げ。我々(日本維新の会)が平和ボケの日本人を覚醒させる。安倍総理は靖国に公式参拝すべき”と主張した[51]。
慰安婦
2013年6月7日の維新代議士会で、日本による慰安婦の募集に強制性があったとする韓国の主張について、「自分の子や近所の娘が連行されるのを黙って見ていたのか。そんなに朝鮮人は弱虫だったのか」「日本人をおとしめ、彼らの先祖もおとしめている。(応酬は)お互いにやめよう」と発言した[52]。
2013年11月、朝日新聞が、「慰安婦だったと証言するインドネシアの女性」を記事にした。ただ、この女性たちは、「日本兵かは定かではないが、言語と顔つきがインドネシア人と違うことから、日本兵だと思った」と話している。これについて、「記事にするのは恥ずかしいような証言だ。どうしても日本を悪者にしたいらしい。」と意見を言った[53]。
安全保障法制
2015年9月5日に、自らの公式ツイッターアカウントで次の発言した。「国会周辺のデモの発言が過激だ。安倍はバカ、死ね・・雰囲気に煽られて、言葉がエスカレートする。大学教授や音楽家などお里が知れるとはこういうことか。日頃ヘイトスピーチを批判するマスコミが好意的なのが可笑しい。軽いノリで登壇する若者達、天安門広場で戦車の前に立ちふさがる覚悟があるか。」[54]
政治資金
- 2003年8月、私設秘書の給与(1996年12月から1998年2月までの計300万円)が、大手商社ニチメンの詐欺事件の被告が会長を務めていた電気機器製造会社「帝菱産業」により肩代わりされていたことが判明した[55]。
- 自民党宮崎1区支部が、2003年11月に世界基督教統一神霊協会関連団体の世界平和連合から100万円の政治献金を受け取っていた、と報じられた[56]。同支部は、「統一教会との関係は知らなかった。問題なら、返却することも検討する」としている[56]。中山は、2004年9月、宗教法人を所管する文科相に就任していた。地元事務所によれば、地元の会合に世界平和連合のメンバーも出席したことがあったとされ、献金については「問題だとは思わなかった」としている[57]。
- 村上ファンド元代表の村上世彰から150万円の献金を受けていた。中山の事務所は、「村上氏が被告になったからといって返還はしない」としている[58]。
- 日本共産党の機関紙しんぶん赤旗に、消費者金融業界の政治団体「全国貸金業政治連盟」(全政連)からパーティー券購入などにより資金提供を受けていたと報じられた[59]。また、2001年の閣議で「国務大臣、副大臣及び政務官」は大規模な政治資金パーティー自粛を決めているにも関わらず、文部科学相在任時に東京都内の赤坂プリンスホテルで会費2万円の政治資金パーティーを約500人を集めて開いたとも報じられた[60]。
- 自民党宮崎県第1選挙区支部が、国交省と旧日本道路公団が発注した鋼鉄製橋梁工事で談合したとして2005年に公正取引委員会から排除勧告を受けた2社(サノヤス・ヒシノ明昌、日本車輌製造)から、摘発後も計72万円の献金を受けていた[61]。
その他
- 2012年の第46回衆議院議員総選挙において、中山の支援者が中山氏への投票や票のとりまとめを依頼、報酬として複数回にわたって現金計数万円を受け渡ししたとして書類送検された[62]。中山氏の後援会事務所は「後援会と直接関係のない支援者のことで、詳細はわからない」としている。
家族
妻の中山恭子は、大蔵省時代の同期であり、福田康夫改造内閣にて内閣府特命担当大臣・拉致問題担当大臣を務めた。
略歴
- 1943年6月7日 - 宮崎県小林市に生まれる
- 1959年 - 小林市立小林中学校卒業
- 1962年 - 鹿児島ラ・サール高校卒業
- 1966年 - 東京大学法学部卒業、大蔵省入省。同期に夫人の中山恭子、武藤敏郎、浅見敏彦(関税局長)など。
- 1971年 - 東京都荏原税務署長
- 1975年 - 世界銀行(ワシントンD.C.)へ出向
- 1978年 - 大蔵省主計局主査(防衛担当)
- 1980年 - 大蔵省東海財務局理財部長(名古屋市)
- 1982年 - 大蔵省大臣官房企画官。その後大蔵省を退官し、政治活動に入る。
- 1983年12月 - 第37回衆議院議員総選挙に衆議院選旧宮崎2区より初出馬(551票差で落選)
- 1986年7月 - 第38回衆議院議員総選挙に初当選
- 1990年12月 - 文部政務次官に就任(-1991年11月5日)
- 1993年7月 - 第40回衆議院議員総選挙で落選
- 1996年10月 - 第41回衆議院議員総選挙で当選
- 2000年12月 - 通商産業総括政務次官に就任(-2001年1月5日)
- 2001年1月 - 経済産業副大臣に就任(-同年4月26日)
- 2003年9月 - 自民党副幹事長に就任
- 2004年9月 - 文部科学大臣に就任(第2次小泉改造内閣)
- 2006年10月 - 自民党政務調査会副会長に就任
- 2008年9月25日 - 国土交通大臣に就任(麻生内閣)28日、大臣辞任
- 2009年8月30日 - 第45回衆議院議員総選挙で落選(次点)
- 2010年6月21日 - たちあがれ日本に入党 8月4日、自民党より除名処分
- 2012年12月16日 - 第46回衆議院議員総選挙で当選(比例復活)
- 2014年12月14日 - 第47回衆議院議員総選挙で落選
所属団体・議員連盟
- 日本会議国会議員懇談会
- 清和政策研究会
- 日本教職員組合問題究明議員連盟(顧問)
- 教育再生・地方議員百人と市民の会(特別顧問)[63]
- 公共放送のあり方について考える議員の会
- 日本の前途と歴史教育を考える議員の会(会長)
- 国想う在野議員の会(会長)
- 日本維新の会「歴史問題検証プロジェクト・チーム(座長)
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
これらのうち、自民党の議員連盟からは2010年8月の除名により退会したものと考えられる。
交友関係者
- サイゾー2008年12月号で対談し、外交問題や歴史認識が一致意気投合したという[64]。8月24日に中山の応援演説を行ったが、その場で広島市で毎年開催される広島平和記念式典を「慰霊祭は左翼運動。あそこに広島市民も県民もほとんどいない。被爆者も2世もいない。左翼ばかりだ。並んでいるのは全国から集まった左翼。一部政治勢力が日本弱体化を図っている」などと演説した[65]。また自身の田母神俊雄後援会公式ホームページの「田母神ルーム」で広島の原爆慰霊祭についてのコメントで「平和学習と称して日教組の先生方に引率された小学生や中学生もいっぱい参列している」と中山の主張に似たコメントをしている。これらについては広島市と長崎市の被爆者団体から事実誤認などとして不快感を表明したほか、広島市原爆被害対策部の担当者も「事実誤認であり、コメントできない」とした[66]。
- また、田母神が出馬した2014年東京都知事選挙では石原慎太郎ら日本維新の会の一部議員とともに田母神支援を表明し、中山も応援演説を行った。
関連書籍
- 伊藤玲子「中山成彬はなぜ日教組と戦うのか 〜まっとうな教育を回復せよ〜」ベストセラーズ、2008年12月 ISBN 978-4584131169
脚注
出典
- ^ 平成24年(2012年)12月21日中央選挙管理会告示第37号(平成二十四年十二月十六日執行の衆議院比例代表選出議員の選挙における衆議院名簿届出政党等に係る得票数、当選人の数並びに当選人の住所及び氏名に関する件)
- ^ 報告は戸井田徹のウェブサイトにPDF保存されており、水間政憲が『南京の実相』として書籍にまとめ日新報道から2008年10月に出版している(ISBN 9784817406675)
- ^ “中山国交相、28日に辞任 日教組めぐり再び問題発言”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月28日) 2010年9月15日閲覧。
- ^ “中山氏「言葉狩り」強弁変えず “朝ズバッ!”に生出演”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年9月29日) 2012年11月28日閲覧。
- ^ “中山前国交相が衆院選不出馬表明 宮崎1区、後継は明言せず”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年10月4日) 2010年9月15日閲覧。
- ^ 中山前国交相:やっぱり出る…引退撤回、衆院選出馬の意向 毎日新聞 2008年10月16日
- ^ 中山前国交相:八方ふさがり 党本部も「門前払い」 毎日新聞 2008年10月17日
- ^ [1] 毎日新聞 2008年10月17日
- ^ 自民宮崎1区 9支部「上杉氏支援」 中山氏応じず 支部長交代進展なく 西日本新聞 2008年12月8日
- ^ “中山前国交相「あまりにもあっけない落選」 宮崎1区”. 朝日新聞. (2009年8月31日) 2014年5月30日閲覧。
- ^ “「自民を名乗るべからず」宮崎県連が中山氏の除名要請へ”. 朝日新聞. (2009年9月13日) 2014年5月30日閲覧。
- ^ “中山成彬氏を「除名」 自民県連党本部に要請へ”. 宮崎日日新聞. (2009年9月13日) 2014年5月30日閲覧。
- ^ “「自民を名乗るべからず」宮崎県連が中山氏の除名要請へ”. 朝日新聞. (2009年9月13日) 2014年5月30日閲覧。
- ^ “【政治】自民党宮崎県連、中山前国交相を除名処分 「不出馬撤回で混乱招いた」”. 産経新聞. (2009年9月13日) 2014年5月30日閲覧。
- ^ “たちあがれ日本、中山成彬氏公認 妻とともに入党へ”. 朝日新聞. (2010年6月21日) 2014年5月30日閲覧。
- ^ “ファイル:中山氏、たちあがれ入党”. 読売新聞. (2010年6月21日) 2014年5月30日閲覧。
- ^ “自民、「みんな」から立候補の水野氏を除名処分”. 朝日新聞. (2010年8月4日) 2010年9月15日閲覧。
- ^ “中山元国交相が比例復活”. 産経新聞. (2012年12月17日) 2012年12月19日閲覧。
- ^ “平沼党首いきなり党名間違えた 「次世代の党」を「新世代の党」”. スポーツニッポン (2014年8月1日). 2014年8月8日閲覧。
- ^ 議員一覧 - 次世代の党
- ^ “中山成彬 衆院選2014”. 読売新聞. 2016年7月13日閲覧。
- ^ “中山成彬 参院選2016”. 読売新聞. 2016年7月13日閲覧。
- ^ a b c d “2012衆院選 九州ブロック 日本維新の会 中山成彬”. 毎日jp (毎日新聞社) 2013年3月13日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i 2014衆院選 九州ブロック 中山 成彬 - 毎日新聞 - 毎日新聞
- ^ 第154回国会請願2018号
- ^ 毎日新聞 2002年7月16日
- ^ a b 産経新聞 2013年3月8日
- ^ http://nakayamanariaki.com/modules/news/index.php?page=article&storyid=10
- ^ “「反日教組」議連が発足 自民、民主をけん制”. 共同通信社. 47NEWS. (2008年12月10日) 2013年3月14日閲覧。
- ^ 「日教組問題究明議員連盟(略称)」発足 中山成彬公式ホームページ 2009年2月8日閲覧 [リンク切れ]
- ^ 日経新聞 9月25日
- ^ 時事通信 2008年9月25日
- ^ 「成田反対ゴネ得」「日本は単一民族」 中山国交相「誤解招く」と撤回 産経新聞2008年9月26日[リンク切れ]
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- ^ “参加者 - 国会議員、学識経験者、オピニオンリーダー(顧問)”. 教育再生・地方議員百人と市民の会. 2015年11月17日閲覧。
- ^ 中山氏に田母神氏が“救いの手”スポーツ報知 2009年8月20日 2009年8月26日確認[リンク切れ]
- ^ 『田母神元空幕長 広島平和式典「被爆者も2世もいない」』毎日新聞 2009年8月25日配信、2009年8月26日確認
- ^ 『前空幕長「広島平和記念式典は左翼運動」と発言』 読売新聞2009年8月26日
注釈
- ^ 国会議員経験者を処分する権限は、党本部が持つと自民党の党則で規定されている
外部リンク
- 前衆議院議員 中山成彬
- 中山なりあき (nakayamanariaki) - X(旧Twitter)
- 中山 成彬 (nariaki.nakayama) - Facebook
- 中山成彬(なかやま なりあき)/Nariaki Nakayama【Official】 (nakayamanariaki.official) - Facebook
- 中山成彬 - YouTubeチャンネル
党職 | ||
---|---|---|
先代 (創設) |
次世代の党両院議員総会長 初代:2014年 |
次代 江口克彦 |
先代 (創設) |
次世代の党代議士会長 初代:2014年 |
次代 園田博之 |
先代 谷畑孝 |
日本維新の会両院議員総会長 2012年 - 2014年 |
次代 谷畑孝 |
議会 | ||
先代 坂井隆憲 |
衆議院厚生労働委員長 2003年 |
次代 衛藤晟一 |
先代 古賀正浩 |
衆議院商工委員長 1999年 - 2000年 |
次代 古屋圭司 |
公職 | ||
先代 谷垣禎一 |
国土交通大臣 第10代:2008年 |
次代 金子一義 |
先代 谷垣禎一 |
文部科学大臣 第5・6代:2004年 - 2005年 |
次代 小坂憲次 |
先代 新設 |
経済産業副大臣 松田岩夫と共同 2001年 |
次代 古屋圭司 松田岩夫 |