中村幸八
中村 幸八(なかむら こうはち、1898年(明治31年)12月18日[1] - 1966年(昭和41年)11月18日[2][3])は、大正から昭和期の商工官僚、政治家。衆議院議員、特許局長官。旧姓・鈴木。
経歴
[編集]静岡県[2][3]浜名郡笠井町(現:浜松市中央区)で鈴木幸作の三男として生まれ[4]、のちに同郡雄踏町(現:浜松市中央区)の旧家・中村源左衛門の養子となり中村家31代当主を継承した[1][4]。第四高等学校を経て[5]、1922年(大正11年)東京帝国大学法学部政治学科を卒業[1][2][3][4][5]。同年、農商務省に入省し[2][3][4]特許局属に任じられ[5]、1924年(大正13年)11月、高等試験行政科試験に合格した[5]。
以後、特許局事務官、同審判官、同意匠課長、製鐵所参事、同労務部福利課長、大阪鉱山監督局鉱政課長、特許局事務官・庶務課長、商工書記官・鉱山局鉱政課長、仙台鉱山監督局長、福岡鉱山監督局長、特許局長官、北海軍需監理部長などを歴任し[1][2][3][4]、1945年(昭和20年)に退官した[5]。
1949年(昭和24年)1月の第24回衆議院議員総選挙に静岡県第3区から民主自由党公認で出馬して初当選し[2][3][4][6]、その後、第26回総選挙まで再選された[7]。1955年(昭和30年)2月の第27回総選挙では次点で落選[7]。1958年(昭和33年)5月の第28回総選挙で再選され[8]、その後、1963年(昭和38年)11月の第30回総選挙まで連続して当選し[8]、衆議院議員に通算6期在任した[2][3][4]。この間、第4次吉田内閣・外務政務次官、衆議院商工委員長、自由党政調会資源部長、同政調会相談役、同総務、自由民主党総務、同組織総局次長、同科学技術特別委員長、同四国地方開発特別委員長、同副幹事長などを務めた[2][3][4]。議員在任中の1966年11月に死去した。
著書
[編集]- 『特許発明総動員の指標』桜木書房、1944年。
- 『発明五十年史』東京出版社、1944年。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 静岡新聞社出版局編『静岡県歴史人物事典』静岡新聞社、1991年。
- 『新訂 政治家人名事典 明治~昭和』日外アソシエーツ、2003年。
- 秦郁彦編『日本官僚制総合事典1868-2000』第2版、東京大学出版会、2007年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。
関連項目
[編集]- 中村家住宅 (静岡県)(重要文化財)
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