「船田元」の版間の差分
53行目: | 53行目: | ||
=== 離党、自民への復党 === |
=== 離党、自民への復党 === |
||
[[1996年]]9月、船田は新進党を離党し、[[第41回衆議院議員総選挙]]には[[無所属]]で[[栃木県第1区|栃木1区]]から出馬し当選。翌[[1997年]]1月、4年ぶりに自民党に復党した。復党後、自身は無派閥ながら[[近未来政治研究会|山崎派]]の結成に奔走し、同じ[[栃木県]]選出の[[国井正幸]]参議院議員の[[政策科学研究所 |
[[1996年]]9月、船田は新進党を離党し、[[第41回衆議院議員総選挙]]には[[無所属]]で[[栃木県第1区|栃木1区]]から出馬し当選。翌[[1997年]]1月、4年ぶりに自民党に復党した。復党後、自身は無派閥ながら[[近未来政治研究会|山崎派]]の結成に奔走し、同じ[[栃木県]]選出の[[国井正幸]]参議院議員の[[政策科学研究所|旧渡辺派]]からの取り込みにも成功する。 |
||
[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]において[[民主党_(日本_1998-2016)|民主党]]新人の[[水島広子]]に敗れ、1979年の初当選以来初めて落選する<ref name=":0" />。山崎派を退会。 |
[[2000年]]の[[第42回衆議院議員総選挙]]において[[民主党_(日本_1998-2016)|民主党]]新人の[[水島広子]]に敗れ、1979年の初当選以来初めて落選する<ref name=":0" />。山崎派を退会。 |
2023年1月9日 (月) 23:18時点における版
船田 元 ふなだ はじめ | |
---|---|
生年月日 | 1953年11月22日(71歳) |
出生地 | 日本 栃木県宇都宮市 |
出身校 |
慶應義塾大学経済学部卒業 慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻修士課程修了 |
現職 |
船田教育会理事長 作新学院学院長 |
所属政党 |
(自由民主党(旧船田派→田中派→竹下派)→) (新生党→) (新進党→) (無所属→) 自由民主党(山崎派→茂木派) |
称号 |
衆議院永年在職議員 教育学修士 経済学士 |
配偶者 | 妻・畑恵 |
親族 |
曽祖父・元田肇 祖父・船田中 大叔父・船田享二 大叔父・藤枝泉介 父・船田譲 |
公式サイト | 船田元・F-Project.Net |
第46代 経済企画庁長官 | |
内閣 | 宮澤改造内閣 |
在任期間 | 1992年12月12日 - 1993年6月18日 |
選挙区 |
(旧栃木1区→) 栃木1区 |
当選回数 | 13回 |
在任期間 |
1979年10月8日 - 2000年6月2日 2003年11月11日 - 2009年7月21日 2012年12月19日[1] - 現職 |
船田 元(ふなだ はじめ、1953年〈昭和28年〉11月22日 - )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(13期)、自由民主党衆議院議員総会長、自民党消費者問題調査会会長。元経済企画庁長官(第46代)。
祖父は衆議院議長や自由民主党副総裁、防衛庁長官を務めた元衆議院議員の船田中。父は栃木県知事や参議院議員を務めた船田譲。妻は元NHKアナウンサー、元参議院議員で学校法人作新学院理事長の畑恵[2][3]。
来歴
生い立ち
栃木県宇都宮市出身。栃木県立宇都宮高等学校、慶應義塾大学経済学部卒業[4]。1976年に大学を卒業後[5]、生家の船田家が創立した作新学院の副院長や総務部長を務める。
1983年3月、慶應義塾大学大学院社会学研究科教育学専攻修士課程修了[6]。
衆議院へ出馬
1979年、祖父・船田中の地盤を引き継ぎ、第35回衆議院議員総選挙に旧栃木1区(定数5)から出馬。渡辺美智雄に次ぐ得票数2位で初当選した。当時25歳で、史上最年少での当選であった[7][3]。旧船田派を経て木曜クラブ(田中派)に入会し、田中派分裂の際は竹下登が結成した経世会に参加。自由民主党青年局長、総務政務次官、文部政務次官、自民党文教部会長、衆議院文教委員長、自民党外交部会長などを務め[8]、竹下派の中では早くから将来を嘱望された[3]。海部俊樹政権の下では、自由民主党幹事長に就任した小沢一郎が会長の「小沢調査会」で座長を務め、湾岸戦争における国際貢献策の議論を主導し、この頃から小沢一郎の側近を自任。竹下派分裂の際は羽田孜や小沢ら、金丸信の後継会長に羽田を推す陣営に加わり、スポークスマン役を務める。
宮澤内閣にて初入閣
1992年、宮澤改造内閣で経済企画庁長官に任命され、戦後の日本史上最年少(当時)の39歳1ヶ月で初入閣した[9]。
不信任決議賛成から自民党離党
宮澤改造内閣成立の直後、羽田孜、小沢一郎らが改革フォーラム21(羽田派)を結成。1993年6月、宮澤内閣不信任決議案が国会に提出され羽田派は賛成投票を決定する。そのため、宮澤改造内閣の閣僚だった船田、中島衛科学技術庁長官の2人は辞表を提出し、閣僚を辞任した上で宮澤内閣不信任決議案に賛成票を投じた。結果、宮澤内閣不信任決議案は可決され、宮澤首相は衆議院を解散した。その後羽田派は自民党を集団離党し、新生党を結党。船田も新生党公認で第40回衆議院議員総選挙に出馬し、当選した。新生党では国会対策委員長に相当する政務幹事に就任し、新生党代表幹事の小沢一郎を補佐する。
新進党結党に参加・政界失楽園報道
1994年、新生党解党により新進党結党に参加するが、第2回の新進党党首選挙では羽田孜陣営に参加する。しかし、党首選挙で羽田は小沢に敗れた。その後新党さきがけの鳩山由紀夫、船田の2人を中心に新党構想(鳩船新党)が練られ、党派を超えて改革派を結集する動きを模索するが、リベラル志向の鳩山に対して船田は新保守主義を主張したこと、1996年夏に参議院議員だった畑恵との不倫が大々的にスクープされて政界失楽園と騒がれたことで、結局鳩船新党の構想は頓挫した。更にマスコミの取材で不倫を否定したことで世論の反感も買った[3]。鳩船新党が流れた後、鳩山は新党さきがけの大半や社会民主党の過半、新進党を離党した鳩山邦夫らを集め、旧民主党を結成した。
離党、自民への復党
1996年9月、船田は新進党を離党し、第41回衆議院議員総選挙には無所属で栃木1区から出馬し当選。翌1997年1月、4年ぶりに自民党に復党した。復党後、自身は無派閥ながら山崎派の結成に奔走し、同じ栃木県選出の国井正幸参議院議員の旧渡辺派からの取り込みにも成功する。
2000年の第42回衆議院議員総選挙において民主党新人の水島広子に敗れ、1979年の初当選以来初めて落選する[3]。山崎派を退会。
山崎派退会後
2003年の第43回衆議院議員総選挙では栃木1区で当選し、3年ぶりに国政に復帰した[3]。当選後、竹下派の流れを汲む橋本派に入会。2005年の第44回衆議院議員総選挙で再選[3]。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では公明党、栃木県建設業協会の政治団体「県建設業協会政治連盟」の推薦も受け[10]自民党公認で出馬するが、栃木1区で比例復活もならず落選した[11][3]。
2012年の第46回衆議院議員総選挙では、栃木1区で当選し、三たび国政に復帰した[12]。2014年の第47回衆議院議員総選挙で再選[13]。
2015年、衆議院憲法審査会で、自民党推薦の参考人長谷部恭男早稲田大教授が政府提出の平和安全法制を違憲と批判する異例の事態が起きた。与党側責任者の審査会幹事で自民党憲法改正推進本部長の船田は人選ミスだったと釈明するも、山東昭子・山東派会長は「誰も責任を取らず、ただ曖昧にお茶を濁すという問題ではない。今後の国会運営への影響を危惧する」と指摘。その後実際に憲法審議が停滞すると党内から批判が高まり、同年10月には同役職を実質的に更迭されることとなった[14][15][16]。
2017年の第48回衆議院議員総選挙で12選[17]。2018年9月14日、宇都宮市内の講演で20日に行われる自民党総裁選挙で石破茂に投票しない事を断言し[18]、当日は白票を投じた[19]。 2021年10月31日、第49回衆議院議員総選挙で13回目の当選。
参院竹下派から次期会長に推す声があったが、茂木敏充が会長となりこの話は立ち消えとなった[20]。
同年11月25日、新たに発足した茂木派の役員人事において顧問に就任した。
政策・活動
保守政治の右旋回への批判について
かつては自民党青年局長を務め、親台派であり、新保守主義を標榜し、顔ぶれがリベラルに偏る鳩山新党への参加を拒否した。しかし小泉内閣以降の自民党については右傾化していると批判的で、安倍晋三が掲げる「戦後レジームからの脱却」にも否定的な見解を示している[21]。
野党時代の自民党憲法改正草案について
自民党が野党時代に作成した憲法改正草案における9条への国防軍の明記について「国防軍という名前は行き過ぎな感じがする。私は自衛隊のままでもいいと思っている」と述べた。また、この草案について「このまま憲法改正の原案になることは全くない。妥協をせざるを得ず、草案はほとんどズタズタになると思って結構だ」とも語った[22]。また、「改正草案は自民党が野党のときに作ったもので、党内でも右寄りという印象。言いすぎてしまった部分が何カ所かある。その一つが『家族』の規定。」とも述べている[23]。
天文学の推進について
国会議員としては天文学がより発展することを願い、国立天文台がハワイ島の火山(マウナ・ケア、標高4,200m)の頂上に建設した世界最大級(口径8m)の望遠鏡「すばる」の建設を推進した[6]。
アニメ・マンガ・ゲーム・映画への有害図書規制推進について
- マンガ・アニメ・ゲーム・映画の表現を規制する青少年健全育成基本法案の請願を国会に提出した[24]。
- 自由民主党の日本国憲法改正案の草案に関し、青少年に影響を与える可能性のある有害図書が存在するとして、「表現の自由」に関する条文を修正する必要があると述べた[25]。
選択的夫婦別姓制度について
選択的夫婦別姓制度導入に賛同する。「民法七百五十条は形式的には男女平等だが、ほとんどの場合は夫の姓になる。これは、間接的差別。そういう、やはり男女の差、あるいは差別に近い形がこういう社会通念の中にまだまだ入っているということがあり、そういうものを積極的に是正をしていくための法律、立法措置が必要」と述べた[26]。なお、2014年の朝日新聞の調査では、「どちらともいえない」[27]、2017年の朝日新聞の調査では「どちらかといえば賛成」としている[28]。
受動喫煙問題について
受動喫煙防止を目的に飲食店などの建物内を原則禁煙とする法改正について「タバコ文化の保存や愛煙家の切なる気持ちは分からないではない」としながらも「世界標準にきちんと合わせなければならない」と述べている。また、2018年に自民党内でまとまった健康増進法改正案が当初案より大幅に規制緩和にされたことについては「このような措置が不十分との声もあるが、まずは第一歩としてスタートさせ、その着実な実施を目指すべき」「その後も受動喫煙防止の取り組みを、継続して実現すべき」と述べている[29]。
選挙歴
当落 | 選挙 | 施行日 | 選挙区 | 政党 | 得票数 | 得票率 (%) |
得票順位 /候補者数 |
定数 | 票差 (と次点者) |
惜敗率 (%) |
比例区 順位 |
政党当選者数 /政党候補者数 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
当 | 第35回衆議院議員総選挙 | 1979年10月 | 7日旧栃木1区 | 自由民主党 | 79,189 | 18.94 | 2/7 | 5 | 44,194 | - | - | - |
当 | 第36回衆議院議員総選挙 | 1980年 | 6月22日旧栃木1区 | 自由民主党 | 88,808 | 18.27 | 2/7 | 5 | 45,814 | - | - | - |
当 | 第37回衆議院議員総選挙 | 1983年12月18日 | 旧栃木1区 | 自由民主党 | 68,403 | 17.08 | 2/6 | 5 | 54,820 | - | - | - |
当 | 第38回衆議院議員総選挙 | 1986年 | 7月 6日旧栃木1区 | 自由民主党 | 83,339 | 17.18 | 2/9 | 5 | 30,531 | - | - | - |
当 | 第39回衆議院議員総選挙 | 1990年 | 2月18日旧栃木1区 | 自由民主党 | 80,875 | 14.85 | 3/7 | 5 | 6,300 | - | - | - |
当 | 第40回衆議院議員総選挙 | 1993年 | 7月18日旧栃木1区 | 新生党 | 119,652 | 22.61 | 2/7 | 5 | 72,779 | - | - | - |
当 | 第41回衆議院議員総選挙 | 1996年10月20日 | 栃木1区 | 無所属 | 127,503 | 63.36 | 1/4 | 1 | 70,263 | - | - | - |
落 | 第42回衆議院議員総選挙 | 2000年 | 6月25日栃木1区 | 自由民主党 | 91,411 | 40.74 | 2/5 | 1 | - | 84.93 | 11 | 7/35 |
当 | 第43回衆議院議員総選挙 | 2003年11月 | 9日栃木1区 | 自由民主党 | 123,297 | 53.07 | 1/3 | 1 | 21,170 | - | - | - |
当 | 第44回衆議院議員総選挙 | 2005年 | 9月11日栃木1区 | 自由民主党 | 141,868 | 55.43 | 1/3 | 1 | 38,111 | - | - | - |
落 | 第45回衆議院議員総選挙 | 2009年 | 8月30日栃木1区 | 自由民主党 | 111,455 | 41.3 | 2/4 | 1 | - | 76.50 | 9 | 6/29 |
当 | 第46回衆議院議員総選挙 | 2012年12月16日 | 栃木1区 | 自由民主党 | 100,133 | 46.63 | 1/4 | 1 | 43,990 | - | - | - |
当 | 第47回衆議院議員総選挙 | 2014年12月14日 | 栃木1区 | 自由民主党 | 110,030 | 56.45 | 1/3 | 1 | 46,698 | - | - | - |
当 | 第48回衆議院議員総選挙 | 2017年10月22日 | 栃木1区 | 自由民主党 | 109,139 | 51.87 | 1/4 | 1 | 58,017 | - | - | - |
当 | 第49回衆議院議員総選挙 | 2021年10月31日 | 栃木1区 | 自由民主党 | 102,870 | 46.15 | 1/4 | 1 | 36,170 | - | - | - |
当選回数13回 (衆議院議員13) |
所属団体・議員連盟
- 自民党たばこ議員連盟[30]
- 日朝国交正常化推進議員連盟
- 神道政治連盟国会議員懇談会
- 国際観光産業振興議員連盟(カジノ議連)[31]
- 自民党動物愛護管理推進議員連盟
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 再生医療を推進する議員の会
- LRT推進議員連盟
- 街コン推進議員連盟
- 新憲法制定議員同盟
- 日本・チェコ友好議員連盟(会長)
- 日本食文化普及推進議員連盟
- 栃木県私立中学高等学校連合会(会長)
- 栃木県ゲートボール協会(会長)
- 公益財団法人日本国際フォーラム(参与[32])
- 日本の印章制度・文化を守る議員連盟(顧問)[33]
人物
旧統一教会との関係
ジャーナリストの鈴木エイトが作成した「旧統一教会関連団体と関係があった現職国会議員168人」によれば、旧統一教会関連団体との関係について、2006年に旧統一教会系の「天宙平和連合」のイベント「祖国郷土還元日本大会」に祝電を打っていたとされる[34]。
その他
- 船田元の父は参議院議員、栃木県知事を務めた船田譲。祖父は大野伴睦派に属し、大野の死後は船田派を率いて自由民主党副総裁や衆議院議長を務めた船田中で、船田家は栃木県の名門である。また元国務大臣の船田享二、元自治大臣の藤枝泉介は大叔父にあたる(いずれも船田中の弟)。
- 畑恵との政界失楽園騒動以降はメディア出演の機会が激減したが、公益財団法人日本国際フォーラム(JFIR)の投稿板に定期的に投稿するなどして持論を展開している[35]。
- 二度の落選歴があるものの自由民主党衆議院議員としては麻生太郎(ただし麻生も一度落選歴あり)と並び当選回数が最古参のため、2021年の総選挙以降は総理経験者や議長経験者の座る国会最奥の席となっており、安倍晋三、麻生太郎、菅義偉の歴代総理大臣経験者と並んで座っている。
脚注
- ^ 平成24年(2012年)12月19日栃木県選挙管理委員会告示第109号(衆議院小選挙区選出議員選挙における当選人の住所及び氏名並びに当該当選人に係る候補者届出政党の名称)
- ^ 「学校法人作新学院理事長に船田恵氏」下野新聞、2013年4月12日
- ^ a b c d e f g h “不倫政治家の明暗に学ぶ「正しい言い訳」「ダメな言い訳」” (日本語). ダイヤモンド・オンライン 2018年8月29日閲覧。
- ^ “プロフィール | 船田 元 公式WEBSITE”. www.funada.org. 2018年8月24日閲覧。
- ^ https://www.hmv.co.jp/artist_%E8%88%B9%E7%94%B0%E5%85%83_200000000476303/biography/
- ^ a b 公式プロフィール
- ^ 遠藤悠樹(編)、日本会議の人脈、三才ブックス、2016年。
- ^ http://www.funada.org/funadapress/profile/
- ^ この記録は後に野田聖子、小渕優子に更新される。
- ^ 公明、比例15人を公認…自民128人も追加推薦 読売新聞 2009年8月6日
- ^ “自民・船田元氏返り咲く…10回目の当選”. www.yomiuri.co.jp. 2018年8月24日閲覧。
- ^ “「政界のプリンス」船田元氏返り咲き 栃木1区”. 朝日新聞. (2012年12月16日) 2012年12月19日閲覧。
- ^ “船田元(小選挙区・栃木県):衆院選2014(衆議院選挙) : 読売新聞(YOMIURI ONLINE)”. YOMIURI ONLINE(読売新聞). 2018年8月24日閲覧。
- ^ 与党参考人が安保法案「違憲」、人選ミスで異例の事態(産経新聞)
- ^ 憲法審で人選ミスの船田氏らに「ケジメ」要求、山東氏(産経新聞)
- ^ 船田氏激白「更迭と受け止めている」(産経新聞)
- ^ “【小選挙区】 栃木県 栃木1区”. 2018年8月24日閲覧。
- ^ 船田氏「石破氏に投票せず」過去の行動問題視 安倍氏にも注文、自民総裁選は態度未定 下野新聞 2018年9月15日
- ^ 船田氏、抗議の白票 「首相の改憲姿勢に不満」 日本経済新聞社 2018年9月20日
- ^ “自民党に高まる派閥再編の機運:「安倍1強」後の主導権争い本格化”. フォーサイト (雑誌). 2021年11月21日閲覧。
- ^ 「日本をよくする小冊子 第一弾」、公式サイト
- ^ 「国防軍は行き過ぎ」 自民憲法改正推進本部長 日本経済新聞 2015年3月1日
- ^ 自民党の憲法改正草案 24条は『言い過ぎてしまった』? AERA 2016年5月16日
- ^ 請願情報 請願名「青少年健全育成のための有害図書類・有害情報規制に関する法整備を求めることに関する請願」の情報
- ^ “「国防の責務」明記を提示/自民・権利小委で船田氏”. 四国新聞. (2005年2月10日) 2020年8月17日閲覧。
- ^ 第159回国会衆議院 - 憲法調査会基本的人権の保障に関する調査小委員会 - 1号 平成16年02月19日
- ^ 朝日新聞、2014年衆院選、朝日・東大谷口研究室共同調査
- ^ 2017年衆院選、候補者アンケート(朝日・東大谷口研究室共同調査)
- ^ “受動喫煙防止なるか?”. 船田 元 公式WEBSITE (2018年3月5日). 2020年12月13日閲覧。
- ^ “2021年7月号_6面”. 全国たばこ新聞 (全国たばこ販売協同組合連合会). (2021年6月25日) 2021年7月11日閲覧。
- ^ 自民党新役員にも多数/カジノ議連メンバーしんぶん赤旗、2014年9月15日
- ^ “評議員、役員等”. 日本国際フォーラム. 2014年2月25日閲覧。
- ^ 『現代印章 2019年4月号』(ゲンダイ出版)
- ^ 鈴木エイト『自民党の統一教会汚染-追跡3000日』小学館、2022年。ISBN 978-4093801232 p307~318
- ^ 投稿履歴 e-論壇 百花斉放 JFIR. 2021年8月7日閲覧。
関連項目
外部リンク
公職 | ||
---|---|---|
先代 野田毅 |
経済企画庁長官 第46代:1992年 - 1993年 |
次代 高鳥修 |
議会 | ||
先代 新設 |
衆議院消費者問題に関する特別委員長 2009年 |
次代 末松義規 |
先代 鳩山邦夫 |
衆議院文教委員長 1990年 - 1991年 |
次代 臼井日出男 |
党職 | ||
先代 創設 北村直人 船田元 |
新生党政務幹事 畑英次郎 吹田愰と共同 初代・第3代・第4代:1993年6月 - 1994年 |
次代 北村直人 畑英次郎・吹田愰・船田元 (解党) |
先代 創設 |
新生党組織幹事 初代:1993年 |
次代 中西啓介 |
先代 北川正恭 |
自由民主党青年局長 第18代:1984年 - 1986年 |
次代 平沼赳夫 |
名誉職 | ||
先代 中村喜四郎 |
最年少衆議院議員 1979年 - 1983年 |
次代 石破茂 |