コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「神道」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
日本国憲法には信教の自由が定められている。したがって、勝手に「日本の心だ」と断定するのは矛盾である。
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
m 参考文献: ISBN追記
 
(100人を超える利用者による、間の324版が非表示)
1行目: 1行目:
{{基礎情報 宗教
{{神道}}
| 宗教名 = 神道
'''神道'''(しんとう)は、[[日本]]の[[宗教]]である。[[教典]]や具体的な教えはなく、[[開祖]]もおらず、[[神話]]、[[神 (神道)|八百万の神]]、[[自然]]や[[自然現象]]などにもとづく[[多神教]]。自然と神とは一体として認識され、神と人間を結ぶ具体的作法が祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域とされた<ref>岡田荘司 2010年 p.22-23</ref>。
| 背景色 = #C22047
[[file:Takachiho-gawara Kirishima City Kagoshima Pref02n4050.jpg|thumb|250px|[[天照大御神]]の孫である[[ニニギノミコト]]が降臨した[[高千穂河原]]]]
| 画像 = [[ファイル:Geku - Ise torii.svg|150px]]
[[file:Hokora in Takeo no Okusu.jpg|thumb|250px|樹齢約3000年の[[武雄神社]]の[[御神木]]]]
| 画像2 = {{Multiple image
| border = infobox
| total_width = 290
| image_style = border:1;
| perrow = 1/2/2/2
| image1 = Fushimi Inari-taisha 千本鳥居 2012-2.jpg
| image2 = Votive offering of the Shinto,Katori-jingu,Katori-city,Japan.JPG
| image3 = Kazahinomi-sai04.jpg
| image4 = Amanoiwato-east-shrine.jpg
| image5 = Komainu of Shirayama Shrine (Kasugai) - 2.jpg
| image6 = Tamagushi.jpg
| image7 = Gyoubogaiwaya-cave-inside.jpg
}}
| 国・地域 = {{JPN}}など<ref group="注">『[[日本書紀]]』では、[[日本列島]]外(ここでは[[百済]])で神が祀られることが想定されていると取れる記述がある。{{quote|蘇我卿曰「昔在[[雄略天皇|天皇]]大泊瀬之世、汝國、爲高麗所逼、危甚累卵。於是、天皇命神祇伯、敬受策於神祇。祝者廼託神語報曰『屈請建邦之神・往救將亡之主、必當國家謐靖・人物乂安。』由是、請神往救、所以社稷安寧。原夫建邦神者、天地割判之代・草木言語之時・自天降來造立國家之神也。頃聞、汝國輟而不祀。方今、悛悔前過・脩理神宮・奉祭神靈、國可昌盛。汝當莫忘。」|欽明天皇十六年二月条}}</ref><ref>{{cite journal|title=アジスキタカヒコネと建国神 (II):原ヤマトタケル伝承と四・五世紀史序説|author=大内 建彦|journal=城西大学女子短期大学部紀要|volume=10|issue=1|pages=39-47|year=1993|doi=10.20566/02897849_10(1)_b39}}</ref>
| 信者数 = 8792万4087人<ref>これは『宗教年鑑』(文化庁)に基づく神道支持者とされる者の数で、神社側の自己申告によるものである [https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r03nenkan.pdf 『宗教年鑑 令和3年版』]</ref>
| 成立年 = 不明([[縄文時代]]から[[古墳時代]]にかけて原型が形成されたとされる)
| 創始者 = なし
| 信仰対象 = [[神 (日本)|八百万の神]]
| 聖典 = 正典なし<ref group="注>[[神典]]という古典群が聖典として扱われることがある</ref>
| 母体 = [[民族宗教|民族信仰]]・[[自然崇拝|自然信仰]]・[[祖先信仰]]
| 宗派 = 下記神道諸派参照
| 主な指導者 = *[[天皇]](大祭司)
*[[氏子]](住民自ら)による祭祀<ref>{{Cite web|和書|title=伝説の後南朝 神器巡る悲劇、今に伝える 朝拝式(奈良県川上村) …|エンタメ!|NIKKEI STYLE|url=https://web.archive.org/web/20170409105854/http://style.nikkei.com:80/article/DGXNASHC30015_R00C12A2000000?|website=web.archive.org|date=2017-04-09|accessdate=2019-12-01}}</ref>
*[[神職]](神主・神官などの「[[祭司]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}」)
| 聖地 = [[神社]]などの祭祀施設・[[山]]、[[岩]]、[[川]]などの自然物
| 教義 = 具体的な教義なし
| 備考 =
}}
[[ファイル:Hokora in Takeo no Okusu.jpg|thumb|250px|樹齢約3000年の[[武雄神社]]の[[御神木]]]]
'''神道'''(しんとう、しんどう<ref>{{Cite web|和書|author=松村明ほか|date=2018 |url=https://kotobank.jp/word/%E7%A5%9E%E9%81%93-82299#E3.83.87.E3.82.B8.E3.82.BF.E3.83.AB.E5.A4.A7.E8.BE.9E.E6.B3.89 |title=デジタル大辞泉 |publisher=小学館 |accessdate=2019-01-08}}</ref>)は、[[日本]]の[[宗教]]。[[開祖]]や[[教祖]]、[[教典]]を持たず、また、[[一神教]]とは対照的に[[森羅万象]]あらゆるものに[[神]]が宿るという思想に基づく。

[[日本人]]が昔から農耕や漁労など[[自然]]と交わり生活を営む中から生まれた[[信仰]]といえ<ref>[https://www.jinjahoncho.or.jp/shinto/shinto_izanai/ 神社本庁 神道とは]</ref>、[[神話]]、[[神 (神道)|八百万の神]]、自然や[[自然現象]]など多くの事柄を含む[[アニミズム]]的、[[祖霊崇拝]]的な[[民族宗教]]である<ref name="[[神道国際学会]]">{{Cite web|和書|url= http://www.shinto.org/wordjp/?page_id=2|title=[[神道国際学会]]のホームページ|accessdate =2019-06-30}}</ref>。[[神]]と[[自然]]は一体と認識され、[[神]]と[[人間]]を結ぶ[[作法|具体的作法]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}が[[祭祀 (神道)|祭祀]]であり、その祭祀を行う場所が[[神社]]であり、[[聖域]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}とされた<ref>岡田荘司 2010年 p.22-23</ref>。


== 概要 ==
== 概要 ==
[[ファイル:Kobayashi Izanami and Izanagi.jpg|thumb|250px|[[国産み]]を描いた『天瓊を以て滄海を探るの図』([[小林永濯]]画、[[ボストン美術館]]所蔵)]]
[[ファイル:Kobayashi Izanami and Izanagi.jpg|thumb|250px|[[国産み]]を描いた『天瓊を以て滄海を探るの図』([[小林永濯]]画、[[ボストン美術館]]所蔵)]]
神道は古代日本に起源を辿ることができるとされる宗教である。宗教名の多くは日本語では何教と呼称するが、宗教名は神教ではなく「神道」である。伝統的な[[民俗信仰]]・[[自然崇拝|自然信仰]]を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した<ref name="jiten">『世界大百科事典』 217-218頁。</ref><ref>『神道』 12-13頁。</ref>。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である<ref>岡田荘司 2010年 ⅲページ</ref>。
神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。伝統的な[[民俗信仰]]・[[自然崇拝|自然信仰]]・[[祖霊信仰]]を基盤に、[[豪族]]層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した<ref name="jiten">『世界大百科事典』 217-218頁。</ref><ref>『神道』 12-13頁。</ref>。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である<ref name="岡田(2010)_ⅲ">岡田荘司 2010年 ⅲページ</ref>。世の中の宗教名の多くは日本語では「○○教」と呼称するが、神道の宗教名だけは「神道教」ではなく、単に「神道」となっている<ref group="注">ただし[[仏教]]を仏道と呼んだり、[[儒教]]を儒学と呼んだりする。また、「キリスト教」は明治以降の語で、[[安土桃山時代]]から[[江戸時代]]には「[[切支丹]]」と呼ばれていた。</ref>。


神道には確定した教祖、創始者がおらず<ref>岡田荘司 2010年 ⅲページ</ref>、[[キリスト教]]の[[聖書]]、[[イスラム教]]の[[コーラン]]にあたるような公式に定められた「[[正典]]」も存在しないとされるが<ref>{{cite web|url= http://www.shinto.org/wordjp/?page_id=2|title=神道国際学会のホームページ|accessdate =2016-04-28}}</ref>、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』『[[古語拾遺]]』『[[宣命]]』といった「'''[[神典]]'''」と称される古典群が神道の[[聖典]]とされている<ref name="長野県神社庁">{{cite web|url= http://www.nagano-jinjacho.jp/jinjayougo/7syo.htm|title=長野県神社庁のホームページ|accessdate =2016-03-24}}</ref>。[[森羅万象]]に[[神 (神道)|神]]が宿ると考え、[[天津神・国津神]][[祖霊]]をまつり、[[祭祀]]を重視する。浄明正直(浄く明るく正しく直く)を徳目とする<ref name="zukai">『神道』 18頁。</ref>。他宗教と比べて[[現世]]主義的といった特徴がみられる。神道とは森羅万象を神々の体現として享受する「惟神の道(かんながらのみち、神と共にあるの意)」であるといわれる<ref name="KS">大島宏之 『この一冊で「宗教」がわかる!』 [[三笠書房]]</ref>。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられている。『[[五箇条の御誓文]]』や、よく知られている童歌〔わらべうた〕『[[通りゃんせ]]』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる。
神道には確定した教祖、創始者がおらず{{r|岡田(2010)_ⅲ}}、[[キリスト教]]の[[聖書]]、[[イスラム教]]の[[コーラン]]にあたるような公式に定められた「[[正典]]」も存在しないが<ref name="[[神道国際学会]]" />、『[[古事記]]』『[[日本書紀]]』『[[古語拾遺]]』『[[先代旧事本紀]]』『[[宣命]]』といった「'''[[神典]]'''」と称される古典群が神道の[[聖典]]とされている<ref name="長野県神社庁">{{Cite web|和書|url= http://www.nagano-jinjacho.jp/jinjayougo/7syo.htm|title=長野県神社庁のホームページ|accessdate =2016-03-24}}</ref>。[[森羅万象]]に[[神 (神道)|神]]が宿ると考え、また偉大な祖先を神格化し、[[天津神・国津神]]などの[[祖霊]]をまつり、[[祭祀]]を重視する。浄明正直 (じょうみょうせいちょく)(浄く明るく正しく直く)を徳目とする<ref name="zukai">『神道』 18頁。</ref>。他宗教と比べて[[現世]]主義的といった特徴がみられる。


日本人の生活と深い関わりのある神道は、当初から宗教として認識されていたわけではなく、[[仏教]]が大陸から伝来したのち、それまで日本国独自の習慣や信仰が御祖神(みおやがみ)の御心に従う「かむながらの道(神道)」として意識されるようになった<ref>{{Cite book|和書 |title=神道いろは-神社とまつりの基礎知識- |date=2007-01-25 |publisher=[[神社新報社]] |page=14 |editor=神社本庁教学研究所監修}}</ref><ref name="KS">大島宏之 『この一冊で「宗教」がわかる!』 [[三笠書房]]</ref>。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられおり、『[[五箇条の御誓文]]』や、よく知られている童歌『[[通りゃんせ]]』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる<ref>{{Cite web |url=https://373news.com/_kikaku/meijiishin150/ishinmeidou/06-01.php |title=第6部 流浪する神仏 宗教の変革|明治維新150年「維新鳴動-かごしま再論-」 |access-date=2024-05-28 |publisher=[[南日本新聞]]}}</ref>。
神道は奈良時代以降の長い間、[[仏教]]信仰と混淆し一つの宗教体系として再構成されてきた([[神仏習合]])。一方で伊勢神宮のように早くから神仏分離して神事のみを行ってきた神社もある。明治時代には[[天皇]]を中心とした国民統合をはかるため、全ての神社で[[神仏分離]]が行われた。


神道の特色の一つとして、外来の他宗教に対する寛容さが挙げられる。神道は[[仏教]]や[[儒教]]・[[道教]]などとも習合し日本文化に大きな影響を及ぼしたが、日本国独自の神観念は変わらず、現在まで脈々と受け継がれている<ref>{{Cite book|和書 |title=神道いろは-神社とまつりの基礎知識- |date=2007-01-25 |publisher=[[神社新報社]] |page=14、15 |editor=神社本庁教学研究所監修}}</ref>。
神道と[[仏教]]の違いについては、'''神道'''は[[地縁]]・[[血縁]]などで結ばれた[[共同体]]([[部族]]や[[村]]など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、'''仏教'''はおもに人々の安心立命や[[魂]]の[[救済]]、[[鎮護国家|国家鎮護]]を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する<ref name="jiten"/>。


神道は奈良時代以降の長い間、[[仏教]]信仰と混淆してきた([[神仏習合]])。日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って一つの宗教となったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性が維持されている<ref name="末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)6頁">末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)6頁</ref>。宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されながら並存していた<ref name="末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)14頁">末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)14頁</ref>。明治時代には[[神道国教化]]を実現するために、[[神仏分離]]が行われた<ref>{{Cite book|和書|author=全国歴史教育研究協議会 |title=日本史B用語集―A併記 |edition=改訂版|publisher=山川出版社}}</ref>。
神道は日本国内で約85,000の神社が登録され約1億600万人の支持者がいると『宗教年鑑』([[文化庁]])には記載があるが、支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、地域住民をすべて[[氏子]]とみなす例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札等の呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。このため、日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する<ref name="武蔵野大学仏教文化研究所">{{cite web|url= http://www.musashino-u.ac.jp/bukken/pdf/watanabehiro27.pdf|title=日本の宗教人口-2億と2-3割の怪の解-|publisher=武蔵野大学仏教文化研究所 渡辺浩希|format=PDF|accessdate =2014-07-03}}</ref>。

神道と[[仏教]]の違いについては、'''神道'''は[[地縁]]・[[血縁]]などで結ばれた[[共同体]]([[部族]]や[[村]]など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、'''仏教'''はおもに人々の安心立命や[[魂]]の[[救済]]、[[鎮護国家|国家鎮護]]を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する{{r|jiten}}。

神道は日本国内で約8万5,000の神社が登録され、約8,400万人の支持者がいると『宗教年鑑』([[文化庁]])には記載があるが<ref>{{PDFlink|[https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/h29nenkan_gaiyo.pdf 『宗教年鑑 平成29年版』]}}</ref>、支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、地域住民をすべて[[氏子]]とみなす例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札などの呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。このため、日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する<ref name="武蔵野大学仏教文化研究所">{{Cite web|和書|url= http://www.musashino-u.ac.jp/bukken/pdf/watanabehiro27.pdf|title=日本の宗教人口-2億と2-3割の怪の解-|publisher=武蔵野大学仏教文化研究所 渡辺浩希|format=PDF|accessdate =2014-07-03}}</ref>。


== 分類 ==
== 分類 ==
;皇室神道 ([[宮中祭祀]])
神道は、
:皇居内の[[宮中三殿]]を中心とする[[皇室]]の神道である<ref name="zukai2">『神道』 20頁。</ref>。新年の[[四方拝]]や[[歳旦祭]]、五穀豊穣や国家・国民の安寧を祈る[[新嘗祭]](天皇即位後初の新嘗祭は[[大嘗祭]]という)などが行われる<ref>{{Cite web|和書
; 皇室神道(=[[宮中祭祀]])
|url = https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi01.html
: 皇居内の[[宮中三殿]]を中心とする[[皇室]]の神道である<ref name="zukai2">『神道』 20頁。</ref>。皇室神道では、新年の[[四方拝]]や[[歳旦祭]]、五穀豊穣や国家・国民の安寧を祈る[[新嘗祭]](天皇即位後初の新嘗祭は[[大嘗祭]]という)などが行われる<ref>{{Cite web
|url = http://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi01.html
|title = 主要祭儀一覧
|title = 主要祭儀一覧
|publisher = 宮内庁
|publisher = 宮内庁
|accessdate = 2018-05-24 }}</ref>。
|accessdate = 2018-05-24 }}</ref>。
[[ファイル:Dengai-omi-akusha (Reiwa Daijokyu).JPG|thumb|250px|大嘗祭が斎行された令和の[[大嘗祭#大嘗宮|大嘗宮]]]]
; [[神社神道]]
; [[神社神道]]
: [[神社]]を中心に、[[氏子]]・崇敬者などによる組織によっておこなわれる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である<ref>『世界大百科事典』 219頁。</ref>。
: [[神社]]を中心に、[[氏子]]・崇敬者などによる組織によってわれる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である<ref>『世界大百科事典』 219頁。</ref>。

; 民俗神道
; 民俗神道
: 民間神道ともいう。民間でおこなわれてきた信仰行事をいう。[[道祖神]]・[[田の神]]・[[山の神]]・[[竈神]]など。[[修験道]]や[[密教]]や[[仏教]]、あるいは[[道教]]の思想と習合している場合も多い。[[いざなぎ流]]なども入る。
: 民間神道ともいう。民間でわれてきた信仰行事をいう。[[道祖神]]・[[田の神]]・[[山の神]]・[[竈神]]など。[[修験道]]や[[密教]]や[[仏教]]、あるいは[[道教]]の思想と習合している場合も多い。[[いざなぎ流]]なども入る{{要出典|date=2020年10月}}

; [[教派神道]](神道十三派)
; [[教派神道]](神道十三派)
: 教祖・開祖の宗教的体験にもとづく。創唱宗教的色彩が濃い。
: 教祖・開祖の宗教的体験にもとづく。創唱宗教的色彩が濃い{{要出典|date=2020年10月}}

; [[古神道]](≒原始神道)
; [[古神道]](≒原始神道)
: 江戸時代の国学によって、儒教や仏教からの影響を受ける前の神道が仮構され、[[復古神道]]・[[古道]]・皇学・本教などと称された。明治時代以降に古神道だけを取り出し新たな宗派として設立されたものも古神道と称している場合がある。近代以降の学問で研究されて国学色を排除してからは、純神道・原始神道ともいう。
: 江戸時代の国学によって、儒教や仏教からの影響を受ける前の神道が仮構され、[[復古神道]]・[[古道]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}・皇学・本教などと称された。明治時代以降に古神道だけを取り出し新たな宗派として設立されたものも古神道と称している場合がある。近代以降の学問で研究されて国学色を排除してからは、純神道・原始神道ともいう{{要出典|date=2020年10月}}
; [[国家神道]]
: 特に近代([[明治維新]]より[[第二次世界大戦]]終結まで)において国家の支援のもとにおこなわれた神道を指す名称である<ref>『神道』 134頁。</ref><ref>教派神道の『神道各派』から区別された神ながらの道はとくに国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は以前からそれを神社と呼ぶのが例であった。{{Cite book|和書
|author=宮沢俊義
|authorlink=宮沢俊義
|title=憲法講話
|origdate=1967-04-20
|accessdate=2009-05-22
|edition=第2版
|date=1967-06-01
|publisher=[[岩波書店]]
|series=[[岩波新書]]
|pages=pp. 28-29
}}現在では[[政教分離]]が進んで「神社」の語義が変化しており、国家神道を単に「神社」と称することはほぼなくなった。しかし、この様な国家神道の概念・語を、創作・捏造とする説もある。昭和26年の[[宗教法人法]]により、多くの神社が政府機関から[[伊勢神宮]]を中心とした[[神社本庁]]傘下の[[宗教法人]]へと変更された経緯がある。石原藤夫 『靖国神社一問一答』([[展転社]]、2002年12月23日) 26頁。</ref>。

; 橘家神道(きつけしんとう)
: [[橘諸兄]]の[[子孫]]である[[玉木正英]]が[[江戸時代]]に[[家伝]][[宗教]]から興した神道。[[口伝]]や秘伝が多く「鳴弦」「蟇目」「守符」「軍陣」などの秘儀を行ったとされる。その一方、[[吉田神道]]、[[陰陽道]]の影響も受けていると言われる。橘家神道はほぼ消滅したとされるが、その[[修法]]や[[思想]]などが[[民間]][[信仰]]に残っていると言われる<ref name=shinto-g>『神道ガイド』村上書店1996年1月30日発行222頁中180頁</ref>。


; [[国家神道]]
; 雲伝神道(うんでんしんとう)
: 特に近代([[明治維新]]より[[第二次世界大戦]]終結まで)において国家の支援のもとに行われた神道を指す名称であり<ref>『神道』 134頁。</ref>{{Refnest|group="注"|教派神道の『神道各派』から区別された神ながらの道はとくに国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は以前からそれを神社と呼ぶのが例であった<ref>{{Cite book|和書|author=宮沢俊義|authorlink=宮沢俊義|title=憲法講話|origdate=1967-04-20|accessdate=2009-05-22|edition=第2版|date=1967-06-01|publisher=[[岩波書店]]|series=[[岩波新書]]|pages=pp. 28-29}}</ref>。現在では[[政教分離]]が進んで「神社」の語義が変化しており、国家神道を単に「神社」と称することはほぼなくなった。しかし、この様な国家神道の概念・語を、創作・捏造とする説もある。昭和26年の[[宗教法人法]]により、多くの神社が政府機関から[[伊勢神宮]]を中心とした[[神社本庁]]傘下の[[宗教法人]]へと変更された経緯がある<ref>石原藤夫 『靖国神社一問一答』([[展転社]]、2002年12月23日) 26頁。</ref>。}}、事実上の[[国教|国家宗教]]となっていた<ref>{{Cite web|和書|url=https://kotobank.jp/word/%E5%9B%BD%E5%AE%B6%E7%A5%9E%E9%81%93-65214|title=国家神道|accessdate=2019-12-16|publisher=コトバンク}}</ref>。([[国家神道#語誌]]を参照)
: [[慈雲]]が説いた神道。慈雲は[[真言宗]]僧だが、[[仏教]]色を感じさせず、[[古事記]][[日本書紀]]を中心にした[[復古神道]]的思想で、[[日本]]を[[世界]]の要とし「真心」を重要視した神道を興した。また[[儒教]]的な面もあったが、[[明治]]以降に[[断絶]]した<ref name=shinto-g />。

; 三輪流神道(みわりゅうしんとう)
: 僧の[[慶円]]が説いた奈良の[[三輪山]]を中心に、[[三輪]]の[[神]]と[[伊勢]]の神を一体とし、[[大日如来]]を含めた神道。[[大神神社]]にて[[両部神道]]や[[神仏混交]]の影響などを受け、[[室町時代]]に発生し、[[伊勢神道]]や[[真言宗]]や[[陰陽道]]なども混ざり合った[[信仰]]。[[明治時代]]に廃絶に至るも、一部に細々と存続しているという<ref name=yaoyorozu>神道の本-八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 2) 出版:学習研究社 1992/3 ISBN 978-4051060244</ref>。能「三輪」に影響を与えている。

; 烏伝神道(うでんしんとう)
:賀茂規清が[[江戸時代]]に興した神道説。万物や現象等は[[神霊]]や[[霊魂]]が影響するという[[思想]]。また[[人]]の[[誕生]]は「幸魂」、[[死]]は「奇魂」が作用すると説いた。しかしその[[教義]]は人を惑わすとして、規清は、[[流罪]]になり、死去した。烏伝神道は廃絶したが、その一部は[[禊教]]に継承された<ref name=yaoyorozu />。


以上のような分類をすることができるが、今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指すことが多い。
以上のような分類をすることができるが、今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指すことが多い{{要出典|date=2020年10月}}


また、何に重きを置くかによって「祭り型」「教え型」という分け方も提唱されている。
また、何に重きを置くかによって「祭り型」「教え型」という分け方も提唱されている。
* 祭り型神道(社人神道 - 儀礼を中心とする)
* 祭り型神道(社人神道 - 儀礼を中心とする)
:これは上記の「皇室神道」「神社神道」「民俗神道」のことである。
:これは上記の「皇室神道」「神社神道」「民俗神道」などのことである。
* 教え型神道(学派神道 - 教学を中心とする)
* 教え型神道(学派神道 - 教学を中心とする)
** [[神仏習合]]系 - [[両部神道]]・[[山王一実神道]]など
**[[神仏習合]]系 - [[両部神道]]・[[山王一実神道]]など
** [[神儒習合]]系 - [[儒家神道]]・[[吉川神道|理学神道]]・[[伊勢神道]](=度会神道)・[[垂加神道]]など
** [[神儒習合]]系 - [[儒家神道]]・[[忌部神道]]・[[吉川神道|理学神道]]・[[伊勢神道]](=度会神道)・[[垂加神道]]など
** 家元神道 - [[唯一神道]](=吉田神道)など
** 家元神道 - [[唯一神道]](=吉田神道)・[[土御門神道]]など
** [[復古神道]] - [[平田篤胤]]・[[大国隆正]]ら
** [[復古神道]] - [[平田篤胤]]・[[大国隆正]]ら
*** 国学系の教団 - [[出雲大社教]]・[[神道修成派]]など
*** 国学系の教団 - [[出雲大社教]]・[[神道修成派]]など
*** [[神道霊学|霊学]]系の教団 - [[神道天行居]]など
*** [[神道霊学|霊学]]系の教団 - [[神道天行居]]など
** その他の新宗教
** その他の新宗教
*** [[山岳信仰]]系 - [[実行教]]・[[御嶽教]]など
***[[山岳信仰]]系 - [[実行教]]・[[御嶽教]]など
*** 霊示系(創唱宗教) - [[黒住教]]・[[金光教]]・[[天理教]]正確には天理教は政府の弾圧を避けるために教派神道となり現在は諸派に分類されている・[[大本]]など
*** 霊示系(創唱宗教) - [[黒住教]]・[[金光教]]・[[天理教]]{{Refnest|group="注"|正確には天理教は政府の弾圧を避けるために教派神道となり現在は諸派に分類されている}}・[[大本]]など
*** 大本系新宗教 - [[生長の家]]・[[世界救世教]]・[[白光真宏会]]など
*** 大本系新宗教 - [[生長の家]]・[[世界救世教]]・[[白光真宏会]]など
*** 救世教系新宗教(いわゆる「手かざし」系) - [[世界真光文明教団]]・[[崇教真光]]・[[ス光光波世界神団]]・[[神慈秀明会]]など
*** 救世教系新宗教(いわゆる「手かざし」系) - [[世界真光文明教団]]・[[崇教真光]]・[[ス光光波世界神団]]・[[神慈秀明会]]など
*** [[キリスト教]]と習合した例 - [[かくれキリシタン]]の信仰。一部の新宗教の例([[キリストの幕屋]])。
以上のように分けられる<ref name="zukai2"/>。なお、[[陰陽道]]系の[[土御門神道]]は上記の家元神道の一つではあるが、教え型とも祭り型とも決められるものではない。
*** その他 - 国外の[[シンクレティズム]]的な新興宗教や[[ニューエイジ]]・[[心霊主義]]において神道の神を自らが信じる神と同一視する場合がある。例:[[天道 (新宗教)|天道]]、[[ラエリアン・ムーブメント]]など。
以上のように分けられる{{r|zukai2}}。なお、[[陰陽道]]系の[[土御門神道]]は上記の家元神道のひとつではあるが、教え型とも祭り型とも決められるものではない{{要出典|date=2020年10月}}。


== 由来と教義 ==
== 歴史 ==
[[画像:KasugaTaisha2.jpg|thumb|[[春日大社]]にて、[[おみくじ]]を結ぶ人々]]
[[ファイル:KasugaTaisha2.jpg|thumb|[[春日大社]]にて、[[おみくじ]]を結ぶ人々]]
[[File:Kamidana.jpg|thumb|一般家庭で祀られる[[神棚]]]]
[[ファイル:Kamidana.jpg|thumb|一般家庭で祀られる[[神棚]]]]
[[画像:Association of Shinto Shrines 2010.jpg|thumb|right|[[神社本庁]]([[東京都]][[渋谷区]]代々木)]]
[[ファイル:Association of Shinto Shrines 2010.jpg|thumb|right|[[神社本庁]]([[東京都]][[渋谷区]]代々木)]]
神道の起源はとても古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念である。このためキリスト教、仏教のような開祖が存在せず、[[縄文時代]]を起点に[[弥生時代]]から[[古墳時代]]にかけてその原型が形成されたと考えられている<ref name="KS"/>。


{{main|神道の歴史}}
「神道」という名称については「かんながらの道(神道)<ref>表記例として、『[[日本文徳天皇実録]]』([[9世紀]]成立)[[仁寿]]元年([[851年]])に、「神那我良(かんながら)」の記述がみられる。</ref>」と言う意味である。中国の『[[易経]]』や『[[晋書]]』の中にみえる<ref>『世界大百科事典』 216頁</ref>神道は「神(あや)しき道」と言う意味であり、これは日本の神道観念とは性質が異なる別個のものである。同様のケースに、[[卑弥呼]]の時代の宗教感に対し[[鬼道]]という表現がなされるが、これは当時の中国における[[鬼道]]が異国の諸宗教に対して用いられていた<ref>[[武光誠]] 『邪馬台国と卑弥呼の事典』 [[東京堂出版]]、96頁。</ref>ことからも、日本での呼称とは全くの別物であることが分かる。
神道の起源は非常に古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念である。農耕文化の進展とともに、自然の威力に神霊の存在を見出し、その神霊を丁重に祭ることで自然の脅威を和ませ、農耕生活の安寧を祈るという神観念が生じたことが、神道の始まりであった<ref>{{Cite web|和書|author=小林宣彦 |title=コミュニケーションがとれない日本の神=自然 災害対策施策としての祭祀の歴史 |url=https://www.kokugakuin.ac.jp/article/157312 |publisher=國學院大學メディア |date=2020-04-10 |accessdate=2020-11-12}}</ref>。このためキリスト教、仏教のような開祖が存在せず、[[縄文時代]]を起点に[[弥生時代]]から[[古墳時代]]にかけてその原型が形成されたと考えられている{{r|KS}}。


現在の神道・神社に直接繋がる祭祀遺跡が出土するのは、農耕文化の成立に伴って[[自然崇拝|自然信仰]]が生じた弥生時代で、この時代には、[[荒神谷遺跡]]などに代表される青銅器祭祀、[[池上曽根遺跡]]のような後の神社建築と共通する独立棟持柱を持つ建物、鹿などの骨を焼いて占う[[卜骨]]、副葬品としての鏡・剣・玉の出土など、神社祭祀や記紀の神道信仰と明らかに連続性を持つ要素が見られるようになる<ref name="岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),68-69頁">岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),68-69頁</ref>。[[魏志倭人伝]]において、[[邪馬台国]]の女王[[卑弥呼]]が「[[鬼道]]を事とし、衆を惑わすこと能ふ」との記述が見られ、この「鬼道」が[[シャーマニズム]]的な要素が強い初期の神道であるとする説が有力である。なお、「鬼」「惑」などのようにネガティヴ的なニュアンスを持つ漢字が用いられたのは、[[儒教]]に内包される反[[迷信]]的な理念([[孔子|子]]曰く「怪力乱神を語るべからず」-『[[論語]]』)による所が大きいと考えられる。
日本における「神道」という言葉の初見は『[[日本書紀]]』の[[用明天皇]]紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であるが<ref>即位前紀。</ref>、このように外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった<ref>『世界大百科事典』 216-217頁。</ref><ref>『神道』 16頁。</ref>。


大和王権が成立する古墳時代には、最初期の神社と考えられる[[宗像大社]]や[[大神神社]]で、古墳副葬品と共通する副葬品が出土することから、大和王権による国家祭祀が行われたと推定されており、この時期に神道の直接の原型が形成された<ref name="岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),72頁">岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),72頁</ref>。飛鳥時代には律令の整備に伴い、[[神祇令]]に基づいた祭祀制度の体系化が行われ、[[神祇官]]が全国の神社に幣帛を頒布する[[班幣]]制度の確立や、全国の神社への[[社格]]区分や[[神階]]・[[神位]]の授与など、全国の神社を包括する国家的な律令祭祀制度が整備されたため、この時期に体系的な「神道」が成立したとするのが、多くの研究者での概ねの共通認識となっている<ref name="岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),14-15頁">岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),14-15頁</ref>。
解釈は多様であり、仏教や儒教に対して日本独自の宗教を神道とする説<ref name="SS">[[三橋健 (神道学者)|三橋健]] 『決定版 知れば知るほど面白い!神道の本』 西東社</ref>、稲作の様な自然の理法に従う営みを指して神道とする説などがある<ref name="SS"/>。


「神道」という名称については「かんながらの道(神道)<ref>表記例として、『[[日本文徳天皇実録]]』([[9世紀]]成立)[[仁寿]]元年([[851年]])に、「神那我良(かんながら)」の記述がみられる。</ref>」と言う意味である。中国の『[[易経]]』や『[[晋書]]』の中にみえる<ref>『世界大百科事典』216頁</ref>神道は「神(あや)しき道」という意味であり、これは日本の神道観念とは性質が異なる別個のものである。
明治20年代(19世紀末)になると、西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始め、同30年代(20世紀初)には宗教学が本格的に導入され<ref>{{Cite book|和書
|author=磯前順一
|authorlink=磯前順一
|title=近代における「宗教」概念の成立過程
|origdate=2002-01-15
|accessdate=2009-05-22
|edition=初版
|publisher=岩波書店
|series=近代日本の文化史
|isbn=400011073X
|volume=第3巻
|pages=p. 185
}}</ref>、学問上でも「神道」の語が確立した<ref>山口輝臣『明治国家と宗教』東京大学出版、1995年。</ref>。


日本における「神道」という言葉の初出は『[[日本書紀]]』の[[用明天皇]]紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であるが<ref>即位前紀。</ref>、このように外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった<ref>『世界大百科事典』216-217頁。</ref><ref>『神道』16頁。</ref>。また、[[稲作]]のような自然の理法に従う営みを指して神道とする解釈もある{{r|SS}}。
もともと、神道には[[イエス・キリスト]]や[[釈迦]]のような[[カリスマ]]的創唱者が存在しなかった<ref name="zukai" />。政権による土着の民俗信仰との支配的な[[祭政一致]]がおこなわれた神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神ながら 事挙げせぬ国」<ref>『[[万葉集]]』巻第13「[[柿本人麻呂|柿本朝臣人麻呂]]の歌集の歌に曰く」。[[国歌大観番号]]3253番。</ref>だったからであるとも言われている。そのため、外来諸教と融合しやすい性格を有することになったともいう。神道のような土着の民俗信仰と[[教派|宗派宗教]]の併存例は世界各地でみられるものであるが、その多様性は特異なものである。


[[中世]]には[[仏教]]理論との関連から神道の教義化・内面化が模索され、最終的に仏教から独立した独自の教義・経典・祭祀を持つ[[吉田神道]]が形成されて、神道界の主流となった。さらに[[近世]]には日本の古典研究に神道が統合されることで[[国学]]が成立し、倒幕運動に影響を与えた。こうして[[近代]]に入ると、[[明治政府]]によって[[国家神道]]体制が形成されたが、[[第二次世界大戦]]終結後には[[国家主義]]的イデオロギーの根源とされた同体制は解体され、現代においては[[宗教法人]]として各地の神社が活動している。
実際には、[[仏教公伝]]の当初から、廃仏派の[[物部氏]]と崇仏派の[[蘇我氏]]の間で抗争もあった。中世には、[[伊勢神道]]をはじめとして、[[吉田神道]]などの諸派が[[反本地垂迹説]]など複雑な教理の大系をつくりあげてゆく<ref>『世界大百科事典』 218-219頁。</ref><ref>『神道』 128頁。</ref>。近世後期には、[[平田篤胤]]がキリスト教の[[最後の審判]]の観念の影響を受けた[[平田篤胤|幽明審判思想]]を唱えたり、その門人等が[[天之御中主神]]を[[創造神]]とする[[単一神教]]的な観念を展開するなど、近代に連なる教理の展開を遂げた。また、近世以降の[[儒家神道]]も勢力はさほどではなかったものの、そこで主張された[[名分論]]は各神道説に影響を与え、[[尊王攘夷]]思想を広めるとともに討幕の国民的原理ともなっていった。


明治20年代(19世紀末)になると、西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始めた。同30年代(20世紀初)には宗教学が本格的に導入され<ref>{{Cite book |和書 |author=磯前順一 |authorlink=磯前順一 |title=近代における「宗教」概念の成立過程 |origdate=2002-01-15 |accessdate=2009-05-22 |edition=初版 |publisher=岩波書店 |series=近代日本の文化史 |isbn=400011073X |volume=第3巻 |page=185 }}</ref>、学問上で「神道」の語が確立した<ref>山口輝臣『明治国家と宗教』東京大学出版、1995年。</ref>{{要ページ番号|date=2020年10月}}。
近代には[[国家神道#神道事務局 祭神論争|神道事務局祭神論争]]という熾烈な教理闘争もあったが、結局は、政府も神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識したため、[[大日本帝国憲法]]によって[[信教の自由]]が認められた<ref>『日本史大事典』平凡社1993年、「[[国家神道]]」の項参照。</ref>。もっとも、それには欧米列強に対して日本が近代国家であることをあきらかにしなければならないという事情もあった。

== 教義 ==
もともと、神道には[[イエス・キリスト]]や[[釈迦]]のような[[カリスマ]]的創唱者が存在しなかった{{r|zukai}}。政権による土着の民俗信仰との支配的な[[祭政一致]]が行われた神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神ながら [[言挙げ]]せぬ国<ref>『[[万葉集]]』巻第13「[[柿本人麻呂|柿本朝臣人麻呂]]の歌集の歌に曰く」。[[国歌大観番号]]3253番。</ref>」だったからであるとも言われている{{要出典|date=2020年10月}}。そのため、外来諸教と融合しやすい性格を有することになったともいう{{要出典|date=2020年10月}}。神道のような土着の民俗信仰と[[教派|宗派宗教]]の併存例は世界各地でみられるものであるが、その多様性は特異なものである{{要出典|date=2020年10月}}。ただ、実際には、[[仏教公伝]]の当初から、廃仏派の[[物部氏]]と崇仏派の[[蘇我氏]]の間でひと悶着もあった。

このように神道には明確な教義がないものの、古事記や日本書紀などのいわゆる「[[神典]]」には、神道の基本的な観念をうかがうことのできる記述があり<ref name="國學院大學日本文化研究所『神道事典』弘文堂(1999),366頁">國學院大學日本文化研究所『神道事典』弘文堂(1999),366頁</ref>、[[常世]]、[[黄泉]]などの他界観や、[[荒魂・和魂]]、[[祖霊]]などの霊魂観、[[むすひ]]、惟神(かんながら)、浄明正直などの倫理観、[[禊]][[祓]]により[[天津罪・国津罪|罪]][[穢れ]]を払う清浄観などが、神道の基本的な観念と考えられる<ref name="國學院大學日本文化研究所『神道事典』弘文堂(1999),366頁">國學院大學日本文化研究所『神道事典』弘文堂(1999),366頁</ref>。

中世には、このような神道古典に見られる基本観念を体系的に追求し、神道の教学化を図る動きが見られた<ref name="國學院大學日本文化研究所『神道事典』弘文堂(1999),366頁">國學院大學日本文化研究所『神道事典』弘文堂(1999),366頁</ref>。その最初期の動きは、[[両部神道]]や[[山王神道]]など、仏教の僧侶たちが仏教の教理に基づいた神道解釈を試みた仏家神道であった<ref name="大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),345頁">大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),345頁</ref>。それらの仏家神道説に影響を受けつつ、それに対抗する形で、[[伊勢神宮|神宮]]神官らにより社家の立場からの神道説である[[伊勢神道]]が形成された<ref name="大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),348頁">大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),348頁</ref>。伊勢神道の教説は、それまでの神道祭祀における観念を、外来宗教の語彙も活用しつつ論理化したものと捉えられ<ref name="石田一良『神道思想集』筑摩書房(1970),16頁">石田一良『神道思想集』筑摩書房(1970),16頁</ref>、これまで神道祭祀において重んじられてきた祓や禊などの身体的清浄を心の問題として解釈し<ref name="大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),355頁">大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),355頁</ref>、「正直」「清浄」を神道の徳目とした<ref name="神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2013),101頁">神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2013),101頁</ref>。中世後期には、それまでの中世神道の展開を集大成し、仏教から独立した教義・経典・儀礼を持つ神道説である[[吉田神道]]が形成された<ref name="伊藤聡『神道とは何か』中公新書(2012),243頁">伊藤聡『神道とは何か』中公新書(2012),243頁</ref>。吉田神道の教説は、この世の中の現象の全てに神が内在するという汎神論であった<ref name="伊藤聡『神道とは何か』中公新書(2012),237-238頁">伊藤聡『神道とは何か』中公新書(2012),237-238頁</ref>。

近世に入ると、儒教の隆盛に伴い、[[林羅山|理当心地神道]]、[[吉川神道]]などの[[儒家神道]]が盛んになり、神仏習合が強く批判され、儒教の徳目と神道の一致が説かれた<ref name="阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),67頁">阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),67頁</ref>。儒家神道を集大成したのが[[垂加神道]]で、垂加神道説では神と人が「天人唯一之道」という合一状態にあるとし、神道とは人が神に従って生きることであり、人は神に一心不乱の祈祷を行うことで冥加を得なければならないが、それには人が「正直」でなければならず、その「正直」の実現には「敬(つつしみ)」が第一だとする教説が説かれた<ref name="平重道・阿部秋生編『近世神道論・前期国学』岩波書店(1972),545-550頁">平重道・阿部秋生編『近世神道論・前期国学』岩波書店(1972),545-550頁</ref>。近世中期には国学が出現し、本居宣長は神道を儒教や仏教の教理によせて解釈することを強く批判した。近世後期には、[[平田篤胤]]がキリスト教の[[最後の審判]]の観念の影響を受けた[[平田篤胤|幽明審判思想]]を唱えたり、その門人らが[[天之御中主神]]を[[創造神]]とする[[単一神教]]的な観念を展開するなど、近代に連なる教理の展開を遂げた{{要出典|date=2020年10月}}。また、幕末には後期水戸学による神道説も唱えられ、国学と儒教を結びつけることで国体論を説き、尊皇論を唱え、幕末の志士たちの思想に影響を与えた<ref name="阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),70頁">阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),70頁</ref>。

近代には[[国家神道#神道事務局 祭神論争|神道事務局祭神論争]]という熾烈な教理闘争もあったが、結局は、政府も神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識したため、[[大日本帝国憲法]]によって[[信教の自由]]が認められた<ref>『日本史大事典』平凡社1993年、「[[国家神道]]」の項参照。</ref>。もっとも、それには欧米列強に対して日本が近代国家であることを明らかにしなければならないという事情もあった<ref>{{Cite book|和書 |title=日本思想体系 5 宗教と国家 |year=1988 |publisher=岩波書店 |pages=541-553 |isbn=4-00-230005-6}}</ref>。このような経緯から、近代には[[神社非宗教論]]が説かれ、神社神道の神職らが宗教的な教義を説くことは政府により禁じられたが、他方で在野の神道家らによる神道教理が説かれるようになり、国家から公認を受けた[[教派神道]]13派が独自の神道の教えを説いて活動し、勢力を広げた<ref name="阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),78頁">阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),78頁</ref>。


== 神道における「神」 ==
== 神道における「神」 ==
{{Main|神 (神道)}}
{{Main|神 (神道)}}
[[ファイル:Kamiiso torii at Oarai Isosaki Jinja.jpg|thumb|180px|[[大洗磯前神社]]の神磯の鳥居]]
神道は[[多神教]]だが、[[祖霊崇拝]]性が強い。1881年の[[国家神道#神道事務局 祭神論争|神道事務局祭神論争]]における[[明治天皇]]の裁決によって伊勢派が勝利の後、[[天照大神]]が最高の神格を得たが<ref>『古神道の本』 [[学研ホールディングス|学研]] 30頁。</ref>、敗北した出雲派的なものが未だに強く残っていたり、[[氏神]]信仰などの地域性の強いものも多い<ref name="SS"/>。
[[ファイル:ItsukushimaTorii7396.jpg|thumb|180px|[[厳島神社]]]]


神道では、気象、地理地形などの自然現象に始まり、あらゆる事象に「神」の存在を認める{{r|SS}}。いわゆる「[[八百万の神々]]」である<ref name="SS">[[三橋健 (神道学者)|三橋健]]『決定版 知れば知るほど面白い!神道の本』 西東社</ref>。[[アイヌ]]の信仰にも共通点があり、アイヌ語の「カムイ」と「神(かみ)」という語の関係も深いと考えられている<ref name="O">[[菅田正昭]] 『面白いほどよくわかる神道のすべて』 [[日本文芸社]]</ref>。元来、神の姿は、浮遊する霊力で、物に寄り付いたり去っていったりする「魂」と想起されており、非人格的なものであるとされた<ref name="國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),37頁">國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),37頁</ref>(そのような性質から、神の[[分霊]]を無限に行うことができる)が、仏教の影響で神像などが製作されるようになり、次第に神は可視的なものと考えられるようになった<ref name="國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁">國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁</ref>。神は、自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい[[自然]]の中で、人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節していき、人民生活を見回って、生活するための知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りたときや何かやってもらったときなどには少しお礼をしたり、それが、日本の「神(かみ)」が行っていた仕事のひとつであり、日本人にとって「神」は、とても身近な存在であった{{要出典|date=2020年10月}}。
[[file:Kamiiso torii at Oarai Isosaki Jinja.jpg|thumb|180px|[[大洗磯前神社]]の神磯の鳥居]]
[[file:ItsukushimaTorii7396.jpg|thumb|180px|[[厳島の戦い]]]]


また、神道における神は、理念的・抽象的存在ではなく、具体的な現象において観念されるため、自然現象が恵みとともに災害をもたらすのと同様に、神も[[荒魂・和魂]]の両面を持ち、人間にとって善悪双方をもたらすものと考えられている<ref name="國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),37頁">國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),37頁</ref>。神は、地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」であるが、天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「[[祟り|祟る]]」性格も持っている<ref name="SS"/>。このように神は自然神から人格神へ、精霊的な神から理性的神へ、恐ろしい神から貴い神へ、進化発展があったととらえることができる<ref>[[直木孝次郎]]の説、1982年。[[岡田荘司]] 2010年 24頁。</ref>。
気象、地理地形等の自然現象に始まりあらゆる事象に「神」の存在を認める<ref name="SS"/>。いわゆる「[[八百万の神々]]」である<ref name="SS"/>。[[アイヌ]]の信仰にも共通点があり、アイヌ語の「カムイ」と「神(かみ)」という語の関係も深いと考えられている<ref name="O">[[菅田正昭]] 『面白いほどよくわかる神道のすべて』 [[日本文芸社]]</ref>。詳細は[[神 (神道)|神道における神]]を参照のこと。また、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる([[人神]])<ref name="SS"/>。
自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい[[自然]]の中で、人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節して行き、人民生活を見回って、生活する為の知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りた時や何かやって貰った時などには少しお礼をしたり。それが、日本の「神(かみ)」が行っていた仕事の一つである。日本人にとって「神」は、とても身近な存在であった。日本の神は地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」であるが、天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「[[祟り|祟る]]」性格も持っている([[荒魂・和魂]])<ref name="SS"/>。このように神は自然神から人格神へ、精霊的な神から理性的神へ、恐ろしい神から貴い神へ、進化発展があったと捉えることが出来る<ref>[[直木孝次郎]]の説、1982年。[[岡田荘司]] 2010年 24ページ</ref>。


人間も死後神になるという考え方があり、社会的に突出した人物、地域社会に貢献した人物、国民や国のために働いた人物、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後[[怨霊]]として祟りをなした人物なども「神」として神社に祭られ、多くの人々の崇敬を集めることがある<ref name="SS"/>
神道の神の種類は、大別すると自然神と文化神の二つに分類ができる<ref name="國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁">國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁</ref>。前者には、太陽神や月神、風神、雷神、山神、海神などの天体や地形、気象を神格した神のほか、蛇などの動物神も含まれる<ref name="國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁">國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁</ref>。また、文化神は、[[屋敷神]]、[[氏神]]、[[産土神]]などの社会集団を守る神や、[[疫病神]]、[[田の神]]、[[漁労神]]、[[軍神]]、[[竈神]]など、人間生活における特定の場面や職能を守護する神に分けられる<ref name="國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁">國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁</ref>ほか、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる([[人神]])<ref name="SS"/>。神道には、人間も死後神になるという考え方があり、神話に描かれる一族の先祖(祖霊崇拝)や社会的に突出した人物、地域社会に貢献した人物、国民や国のために働いた人物、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後[[怨霊]]として祟りをなした人物([[御霊信仰]])なども「神」として神社に祭られ、多くの人々の崇敬を集めることがある{{r|SS}}


1881年の[[国家神道#神道事務局 祭神論争|神道事務局祭神論争]]では、[[明治天皇]]の裁決によって伊勢派が勝利し、[[天照大神]]が最高の神格を得たが<ref>『古神道の本』 [[学研ホールディングス|学研]] 30頁。</ref>、敗北した出雲派的なものがいまだに強く残っていたり、[[氏神]]信仰などの地域性の強いものも多い{{r|SS}}。
== 神道の研究 ==
平安時代以前より出雲において日本神話とのかかわりが議論されていたらしく、『出雲風土記』には他所風土記とは違い、そういった性格を色濃くみることができる。


なお、戦前は学校の教科書などに、「神」についての認識の仕方の説明が載っていた。尋常小学校の歴史や修身の教科書などには、少年少女向けの歴史物語として、神話の説明が記載されている。神話の世界はとても人間的な世界で、そこには「神」と「人」を隔てる断絶は存在しない。神もまた、人間のように仕事をし、生活をしている{{要出典|date=2020年10月}}。昭和8年の『少年國史物語』では、「神代の物語」の項目に、「どこの國でも大昔の事ははつきりとは分らないものだが」と前置きをして、[[神代 (日本神話)|神代]]の事から始まる日本の歴史について「神代といふのは、我が國の大昔に相當の身分であつた方たちを後の世の人が尊敬して、すべて神として崇めてゐるところから、その方たちの時代を指してさう呼んでゐるのである」と説明されている<ref>石原藤夫 『靖国神社一問一答』([[展転社]]、2002年12月23日) 52頁。</ref><ref>[[前田晁]] 『少年國史物語』 [[早稲田大学#早稲田大学出版部|早稲田大学出版部]]</ref>。
[[鎌倉時代]]には[[伊勢神宮]]の[[神官]]による学問的研究がはじまり、徐々に現在の神祇信仰の形を取るに至った<ref name="SS"/>。そして、そうした伊勢派の努力はやっと江戸末期の[[お伊勢参り]]の確立によって知識人よりも祖霊性の強い庶民の一部からも支持を得ることに成功した。一方で、[[本居宣長]]が江戸期に『古事記』の詳細な注釈を行い、国学の主流を形成していった<ref>『神道の本』 学研 174、175頁。</ref>。これら神道や国学の目覚めが欧米列強に植民地化されつつあったアジアの中で、日本の自覚を促し、明治維新を成功に導く思想的流れの一角を成した。神道が形成される過程において、古代は[[仏教]]から強く影響を受け、近世では[[儒教]]の日本への流入が大きい。伊勢派のはたしたことはそれに対抗する神道側の努力だったと考えるべきだろう。


== 神道の研究 ==
神道史の本格的な研究は[[宮地直一]]によって体系化された。彼は神代史(神話)と歴史を区別した講義を[[國學院大學]]の前身である皇典講究所開催の神職講習会で行い、『神祇史』(皇典講究所國學院大學出版部)として1910年(明治43年)に出版している。<ref>岡田荘司 2010年 ⅴページ</ref>。
平安時代以前より出雲において日本神話との関わりが議論されていたとされ、『出雲風土記』には他所風土記とは違い、そういった性格を色濃くみることができる{{要出典|date=2020年10月}}。


[[鎌倉時代]]には[[伊勢神宮]]の[[神官]]による学問的研究がはじまり、徐々に現在の神祇信仰の形を取るに至った{{r|SS}}。そして、そうした伊勢派の努力はやっと江戸末期の[[お伊勢参り]]の確立によって知識人よりも祖霊性の強い庶民の一部からも支持を得ることに成功した。一方で、[[本居宣長]]が江戸期に『古事記』の詳細な注釈を行い、国学の主流を形成していった<ref>『神道の本』 学研 174、175頁。</ref>。これら神道や国学の目覚めが欧米列強に植民地化されつつあったアジアの中で、日本の自覚を促し、明治維新を成功に導く思想的流れの一角を成した。神道が形成される過程において、古代は[[仏教]]から強く影響を受け、近世では[[儒教]]の日本への流入が大きい。伊勢派の果たしたことはそれに対抗する神道側の努力だったと考えるべきだろう{{要出典|date=2020年10月}}。
神道の成立期については諸説出されている。主な説として次の四説があげられている。その第一説は、7世紀後半・8世紀、[[律令]]祭祀制。天武・持統天皇朝説。この説は大方の了承を得られる妥当な学説と考える。第二説は、8・9世紀、[[平安時代]]初期説。提唱者は[[高取正男]]。第三説は、11・12世紀、[[院政]]期成立説。提唱者は[[井上寛司]]。第四説は、15世紀、吉田神道成立期説。提唱者は[[黒田俊雄]]。<ref>岡田荘司 2010年 15-16ページ</ref>。


神道史の本格的な研究は[[宮地直一]]によって体系化された{{要出典|date=2020年10月}}。彼は神代史(神話)と歴史を区別した講義を[[國學院大學]]の前身である皇典講究所開催の神職講習会で行い、『神祇史』(皇典講究所國學院大學出版部)として1910年(明治43年)に出版している<ref>岡田荘司 2010年 ⅴページ</ref>。
== 戦前の教科書の神と神代 ==

戦前は、学校の教科書などに、「神」についての認識の仕方の説明が載っていた。尋常小学校の歴史や修身の教科書などには、少年少女向けの歴史物語として、神話の説明が記載されている。神話の世界はとても人間的な世界で、そこには「神」と「人」を隔てる断絶は存在しない。神もまた、人間のように仕事をし、生活をしている。昭和8年の『少年國史物語』では、「神代の物語」の項目に、「どこの國でも大昔の事ははつきりとは分らないものだが」と前置きをして、神代の事から始まる日本の歴史についての、以下の説明がある。
神道の成立期については諸説出されている。おもな説として次の四説があげられている。その第一説は、7世紀後半・8世紀、[[律令]]祭祀制。天武・持統天皇朝説。この説は大方の了承を得られる妥当な学説と考える。第二説は、8・9世紀、[[平安時代]]初期説。提唱者は[[高取正男]]。第三説は、11・12世紀、[[院政]]期成立説。提唱者は[[井上寛司]]。第四説は、15世紀、吉田神道成立期説。提唱者は[[黒田俊雄]]<ref>岡田荘司 2010年 15-16頁。</ref>。
「神代といふのは、我が國の大昔に相當の身分であつた方たちを後の世の人が尊敬して、すべて神として崇めてゐるところから、その方たちの時代を指してさう呼んでゐるのである。」<ref>石原藤夫 『靖国神社一問一答』([[展転社]]、2002年12月23日) 52頁。</ref><ref>[[前田晁]] 『少年國史物語』 [[早稲田大学#早稲田大学出版部|早稲田大学出版部]]</ref>


== 現代の神道 ==
== 現代の神道 ==
[[ファイル:Hakone Shrine Haiden.jpg|thumb|250px|神社の例([[箱根神社]])]]
神道に属する神々を祭神とする社を神社(じんじゃ)といい、全国の神社の大部分は[[神社本庁]]が統括している<ref>『神社』 136頁。</ref>。なお、神社本庁は「庁」と称しているが、行政機関ではなく[[宗教法人]]の一つである。
神道に属する神々を祭神とする社を神社(じんじゃ)といい、全国の神社の大部分は[[神社本庁]]が統括している<ref>『神社』 136頁。</ref>。なお、神社本庁は「庁」と称しているが、行政機関ではなく[[宗教法人]]のひとつである<ref>島田 裕巳 神社で拍手を打つな! -日本の「しきたり」のウソ・ホント 出版社: 中央公論新社 (2019/11/7) P24</ref>。


== 皇室と神道 ==
== 皇室と神道 ==
[[image:Oka Misanzai Kofun, haisho.jpg|thumb|250px|[[天皇陵]]([[仲哀天皇]]・恵我長野西陵)]]
[[ファイル:Oka Misanzai Kofun, haisho.jpg|thumb|250px|[[天皇陵]][[仲哀天皇]]・恵我長野西陵]]
[[image:Naiku 001.jpg|thumb|250px|皇室の祖先神を祀る[[伊勢神宮]]の[[内宮]]]]
[[ファイル:Naiku 001.jpg|thumb|250px|[[皇室]]の祖先神を祀る[[伊勢神宮内宮]]]]
[[File:Emperor Akihito Daijōsai(1990).jpg|thumb|250px|[[1990年|1990年(平成2年)]]、[[明仁|上天皇]]の'''[[大嘗祭]]'''<br/>大嘗祭は新天皇の即位後、[[五穀豊穣]]と国民安寧を祈る神道祭祀である。]]
[[ファイル:Emperor Akihito Daijōsai(1990).jpg|thumb|250px|[[1990年|1990年(平成2年)]]、[[明仁|第125代天皇]](現・[[皇 (皇退位特例法)|上皇]]の'''[[大嘗祭]]'''<br/>大嘗祭は新天皇の即位後、[[五穀豊穣]]と国民安寧を祈る神道祭祀である。]]
[[宮中祭祀]]に見られるように、皇室と神道は歴史的に密接な関わりを持ってきた。記紀神話には、神武天皇が大和橿原の地で即位したのちに[[鳥見山]]の祭壇で祭祀を行ったとの記述があり、古代においては[[祭政一致]]の観念のもと、神祭りを行うことと国を治めることが一体であり、そのいずれもが天皇の役割であると考えられていたとされる<ref name="神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),36頁">神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),36頁</ref>。そして、記紀には[[崇神天皇]]の時代に[[天神地祇]]を祀る制度が整備されたとされ<ref name="神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),18頁">神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),18頁</ref>、律令制の整備が進む飛鳥時代には、[[神祇官 (明治時代)|神祇官]]より全国の神社へ幣帛が頒布される班幣制度が整備された<ref name="神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),42-43頁">神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),42-43頁</ref>。平安時代以降は、天皇が[[名神大社]]に対して勅使を派遣して奉幣と[[宣命]]の奏上を行わせる名神大社奉幣が盛んになり、次第に[[二十二社]]への奉幣と展開した<ref name="神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),63頁">神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),63頁</ref>。平安時代の中期以降は、律令制度の弛緩に伴う神祇官の衰退により、天皇の親祭が高まり、年始の元旦[[四方拝]]や天皇が内裏で毎朝、「石灰壇」と呼ばれる台で伊勢神宮を遥拝する[[毎朝御拝|毎朝の御拝]]や、即位に際して特定神社へ神宝を送る[[一代一度の大神宝使]]の制度が始められたほか、神社の[[行宮]]まで天皇が赴く[[行幸]]も始められた<ref name="岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),140-148p">岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),140-148p</ref>。
[[宮中祭祀]]に見られるように、皇室と神道は歴史的事実として密接なかかわりを持つことが上げられる<ref name="O"/>。また、神道の信仰の対象としての天皇とその祖先神の存在がある<ref name="O"/><ref name="SS"/>。


中世の戦乱で、皇室儀礼や皇室の神道儀礼などは廃絶していったが、江戸時代に入ると復興されてゆき、伊勢神宮の神嘗祭に際しての例幣使派遣([[伊勢例幣使]])は[[1647年]]([[正保]]4年)に、二十二社のうちの上七社及び宇佐八幡宮・香椎宮への奉幣は[[1744年]]([[延享]]元年)に復興された。天皇の特定神社への奉幣は、近代を経て現代にも受け継がれており、現在では賀茂神社、石清水八幡宮、春日大社をはじめ16の神社が[[勅祭社]]とされ、天皇からの奉幣にあずかっている。
多くの日本国民が[[仏教]]と神道の習慣と信仰を両立させているように、皇室も神道の祭祀と仏教の行事を共に行っていた。皇室の神道色が強まったのは、朝廷の復権を志向して[[光格天皇]]が行った宮中祭祀の復活によってであり、それまではむしろ仏教色が強かった。[[明治天皇]]の代で行われた神仏分離や神道国教化に伴い、仏教と皇室の直接的な関係は薄れたが、皇室菩提寺であった[[泉涌寺]]と宮内省の特別な関係は日本国憲法施行時まで続いた。


多くの日本国民が[[仏教]]と神道の習慣と信仰を両立させているように、皇室も神道の祭祀と仏教の行事をともに行っていた。他方で、『貞観儀式』『儀式』などの規定によって、大嘗祭の期間は中央及び五畿の官吏が仏事を行うことが禁じられ、中祀および内裏の斎戒を伴う小祀には、僧尼の代理への参内を禁じ、内裏の仏事が禁じられたほか、平安時代中期以降には、新嘗祭、月次祭、神嘗祭などの天皇自らが斎戒を行う祭においては、斎戒の期間中内裏の仏事をやめ、官人も仏法を忌避することとなるなど、神道儀礼と仏教儀礼は、朝廷においては明確に区分されていた<ref name="佐藤眞人「神道と仏教」『神道事典』弘文堂(1999),24-26p">佐藤眞人「神道と仏教」『神道事典』弘文堂(1999),24-26p</ref>。朝廷の復権を志向した[[光格天皇]]以降は、朝廷の儀礼における神道の要素が高まった。[[明治天皇]]の代で行われた神仏分離や神道国教化に伴い、仏教と皇室の直接的な関係は薄れたが、皇室菩提寺であった[[泉涌寺]]と宮内省の特別な関係は日本国憲法施行時まで続いた{{要出典|date=2020年10月}}。
== 歴史 ==
{{節スタブ}}


=== 神 ===
== アニミズムと ==
{{See Also|アニミズム|トーテミズム|祭政一致}}
* [[日本神話]]
八百万の神々を信仰対象とする神道は、すべてのものが精神的な性質(人格があるか、擬人化された魂、霊等)を持つと信じる[[アニミズム]]の特徴を保持してきたと考えられている{{sfnm|1a1=Nelson|1y=1996|1p=7|2a1=Picken|2y=2011|2p=40}}。動植物やその他の事物に人格的な霊魂、霊神が宿るとするアニミズムは、非人格的な超常現象、超自然的な呪力を崇拝する[[マナ]]イズム(呪力崇拝)とは区別される{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021d|p=「自然崇拝」}}{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021e|p=「精霊崇拝」}}。[[アニミズム]]はすべてのものに魂があると主張するのに対し、物活論はすべてのものが生きていると主張する。<ref name="Skrbina-2005">Skrbina, David. (2005). ''Panpsychism in the West''. MIT Press. {{ISBN2|0-262-19522-4}}</ref>{{rp|149}}<ref>Carus, Paul. (1893). "Panpsychism and Panbiotism." ''[[The Monist]]''. Vol. 3, No. 2. pp. 234–257. {{JSTOR|27897062}}</ref>
* 古来の神祇信仰
* [[ヤマト王権|大和朝廷]]
* [[高天原]]
* [[天津神]]
* [[国津神]]
* [[出雲国]]([[出雲大社]])
* 神に祀る


[[祟り|たたり]]を恐れ崇拝の対象とする死霊崇拝は未開宗教における[[アニミズム]]の一形態とされている{{sfn|小学館|2021d|p=「死霊崇拝」}}。未開社会で行われる[[シャーマニズム|シャーマン]]による[[呪術]]の代わりに、[[神社]]では怨霊を鎮めるために神として祀った{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021c|p=「怨霊」}}。死を霊魂の永久離脱として他界に赴くが、死霊や動物霊は定められたときにこの世を訪れ、人に憑いて健康を損なわせるとされる。[[狐憑き]]、ヤコツキ、オサキツキは動物霊[[憑依]]の例である{{sfn|小学館|2021a|p=「アニミズム」}}。
=== 古代 ===
* [[伊勢神宮]]
* [[出雲大社]]


未開社会において特定の氏族、部族が自然現象・自然物や動植物と超自然的関係で結ばれることをトーテムと呼ぶ{{sfn|平凡社|2021a|p=「トーテム」}}。[[南方熊楠]]は、[[大物主]]を[[蛇]]トーテムとした<ref>南方熊楠 『南方熊楠全集』第2巻 119頁</ref>。
=== 奈良時代 ===
* [[神仏習合]]、[[厭魅]]


神道は[[アニミズム]]的宗教であり、その特徴の一つに[[祭政一致]]がある<ref name="nigosian">{{Citation
=== 平安時代 ===
| last = Nigosian | first = S. A.
* [[延喜式]](第9-10巻を通常「神名帳」と称し、全国の朝廷、国司が祭る社格を定めた一覧表になっている)
| title = World Faiths
| publisher = Bedford/st Martins; 2nd edition
| pages = 217-218
| date = January 1, 1994
| isbn = 978-0312084141 }}</ref>。祭政一致は英語では'''Saisei itchi'''としてそのまま神道の用語として用いられており<ref name="nigosian" /><ref>{{Cite web |author= |url=https://www.britannica.com/topic/saisei-itchi |title=saisei-itchi |website= |publisher=Encyclopedia Britannica |date= |accessdate=2022-01-10}}</ref><ref>Public Shrine Forests? Shinto, Immanence, and Discursive Secularization, Aike P. Rots, Japan Review 30 Special Issue (2017): p.187</ref><ref>'''Saisei itchi'''は"the unity of religion and government"か"the unity of ritual and government"と直訳され神道固有の概念として解説されている</ref>、[[柳川啓一]]は祭政一致を職業聖職者が直接統治を行う神権政治とは異なるものとして定義した<ref name="yanagawa">Between Unity and Separation: Religion and Politics in Japan, 1965-1977 Yanagawa Keiichi and David Reid, Japanese Journal of Religious Studies 6/4 December 1979. p.502</ref>。原始・未開社会の宗教の超自然観はアニミズム的であり、霊的存在に対して[[呪術]]的にかかわる。特定の開祖がなく、儀礼が公的に行われる。法・政治・経済・道徳・慣習などと密接にかかわり、[[祭政一致]]し、祭と経済的活動が同一の場で行われ、[[タブー]](禁忌)が法的または道徳的観念・行動と重なる{{sfn|小学館|2021b|p=「原始宗教」}}{{sfn|小学館|2021c|p=「原始宗教」}}。祭政一致は主として古代天皇制の文脈において言及されてきた{{sfn|平凡社|2021d|p=「祭政一致」}}。古代天皇制国家の形成において[[大嘗祭]]の祭式と密接に結びついて成立した王権神話に象徴されるように、政治主権者は原始・未開社会に遡り宗教祭祀者の機能とは未分化であり{{sfn|平凡社|2021d|p=「祭政一致」}}{{sfn|平凡社|2021c|p=「祭政一致」}}、天皇家が諸部族の首長の祭祀権、祖神とその神話を血縁的系譜関係の神話的設定を通して奪い取り政治的統合を実現した{{sfn|平凡社|2021d|p=「祭政一致」}}。原始・古代社会では風雨雷地震などの自然現象、狩猟・農耕の収穫にいたるまですべて神意と考えられていたが、この思想は古代天皇制国家統一の支柱となり、[[律令制]]において[[神祇官]]を設置、中世の神道思想から[[江戸時代]]の[[国学]]へと受け継がれ、[[明治維新]]以後は神道国家観によって天皇の「まつりごと」を強調する傾向が生じ、[[昭和]]に入ると天皇を[[現人神]]とするようになった{{sfn|ブリタニカ・ジャパン|2021f|p=「祭政一致」}}。


[[明治維新]]後の新政府は「[[太政官布達]]」で祭政一致し[[神祇官 (明治時代)|神祇官]]を再興すると布告した<ref>「此度王政復古,神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御復被遊候ニ付テハ,先第一神祇官御再興御造立ノ上……(後略)」[[安丸良夫]]・[[宮地正人]]編『日本近代思想大系5 宗教と国家』425ページ</ref>。日本でも[[巫]]の告げる[[神託]]が政治的な権威をもった[[ヤマト王権]]の統治体制に遡ることができる{{sfn|山上|1989|pages=84-100}}。
* [[斎宮]]
* [[斎院]]


== シャーマニズムと神道 ==
* [[御霊信仰]]
{{See Also|シャーマニズム|巫女|憑依}}
宗教人類学者の[[佐々木宏幹]]は、[[シャーマニズム]]には次のような3つの要素があるとした<ref>[[#佐々木 (1984)|佐々木 (1984)]]、4-11頁。</ref>。
*'''[[トランス (意識)|トランス]]'''という特別の精神状態において[[脱魂]](ecstasy)または[[憑依]](憑霊)(possession)が行われる
*[[神]][[仏]]・精霊などの超自然的存在と直接接触・交流・交信
*社会的に一定の役割を持つ[[信仰]]と行動の体系


神代紀の[[天鈿女命]]、崇神紀の[[倭迹迹日百襲姫命]]、仲哀紀の[[神功皇后]]などは突然神がかり([[憑依]])、狂躁乱舞しており、シャーマンの例として挙げられてきた{{sfn|平凡社|2021b|p=「神がかり」}}<ref name='shukyougaku-jiten'>[[#佐々木 (1973)|佐々木 (1973)]], pp. 249-253.</ref>。
=== 中世 ===
* [[伊勢神道]]、[[神道五部書]]、[[中世日本紀]]、[[度会神道]](鎌倉時代)


[[山上伊豆母]]は、4世紀の[[三輪王朝]]、5世紀の[[河内王朝]]、そして崇仏派の[[蘇我氏]]による大化の改新によって[[律令制]]国家となる以前の[[大和朝廷]]は、[[三輪氏]]や[[多氏]]といった巫を司る一族と政を司る[[治天下大王|大王]]の共同統治が行われてきたと主張している{{sfn|山上|1989|pages=84-100}}。
=== 近世 ===
* [[儒家神道|神儒合一]]、[[国学]]、[[復古神道]]、[[垂加神道]](江戸時代)、[[烏伝神道]](経済と性に重きを置いた神道で、幕末期に[[賀茂規清]]によって大成された)<ref>[http://iss.ndl.go.jp/books/R100000039-I001660059-00 大日本神社志, 第 1 巻、出版:大日本敬神会本部, 大日本敬神会 編, 1933]</ref><ref>末永惠子(1997)、「[http://hdl.handle.net/10097/14626 烏伝神道の基礎的研究]」</ref>、[[禊教]](幕末に[[井上正鉄]]が唯一神道をもとに興した一派)、[[黒住教]](幕末に[[黒住宗忠]]が興した天照大神の陽気に生命を求める神道)、[[天理教]]、[[不二道]](幕末に[[小谷三志]]が広めた[[富士講]]の一派で、日常道徳に重きを置いた)。


[[シャーマニズム]]は大きく[[脱魂]]と[[憑依]](憑霊)の2つにわけることができるが、東アジア(日本、韓国、台湾、中国大陸)、東南アジアのシャーマンに脱魂(ecstasy)型がないとは言えないが、圧倒的に憑依(possession)型が多い<ref>{{Cite book|和書|title=宗教学事典|year=2010|publisher=丸善出版|page=311}}</ref>。
=== 近代 ===

* [[国家神道]]、[[神仏分離]]、[[祭政一致]]、[[皇典講究所]]、[[教派神道]]、[[國學院]]、[[皇學館大学]]、[[神社整理]]([[神社合祀]])、[[神道指令]]
[[小口偉一]]は、日本の宗教信仰の基底にシャーマニズム的傾向があるとし、神道系新宗教の集団の形成や基盤も同様であるとした<ref name='shukyougaku-jiten' />。神道系[[新宗教]]の[[教祖]]らの中には召命型[[シャーマン]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}の系統に属するものがいると考えられている<ref name='shukyougaku-jiten' />。

== 信仰 ==
神社信仰の性格は、大きく分類すると氏神型信仰と勧請型信仰(崇敬祈願型信仰)の2つに分けられる<ref name="阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),51頁">阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),51頁</ref>。古代における信仰は、前者の、地域ごとに[[氏神]]・[[産土神]]を祀る閉鎖的な共同体祭祀が中心であったが、中世に入ると、霊威のある神々が地域を越えて各地に勧請され、個人の祈願が行われる勧請型の信仰が増加した<ref name="阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),51頁">阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),51頁</ref>。中世期の律令制の崩壊と荘園制の成立に伴い、特定神社を国家が支える古代的な律令祭祀制度が崩壊し、荘園領主たちが有力神社を[[本所]]として荘園を寄進するようになった結果、その寄進された社領にその分霊社が勧請されるようになったことや、各神社が[[御師]]をして地方まで信仰を広げる活動をはじめたことなどが、中世期に入って神社信仰が拡散する要因となった<ref name="阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),51頁">阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),51頁</ref>。また、中世期の[[惣村]]では、村民たちは日常の農耕生活の中で神社に寄り合い、村民の中から一年交代で年番神主が選ばれていたり、オトナ・年寄と呼ばれる古老が取り仕切り若者衆が神事の奉仕に当たる神事運営のための祭りの編成組織である[[宮座]]が結成されるなどしたほか、村の取り決めに際しては[[起請文]]を記して神に誓約し、[[一揆]]の時には[[一味神水]]が行われるなど、神社は、民衆の精神的拠り所となっていった<ref name="阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),56頁">阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),56頁</ref>。

近世期に入ると、治安や交通の改善によって人々の神社参詣がさらに活性化し、一層庶民の間での神社信仰が広がった。各村では[[講]]が結成され、毎年わずかなお金を積み立て、その共同出資をもとに籤で選ばれた代表者が神社に参詣し、講員全員分のお札などを受け取って帰る代参講が流行し、各講は[[御師]]や先達と師檀関係を結び、御師は講員の祈祷や参詣における宿泊の便を図った<ref name="岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),219-220頁">岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),219-220頁</ref>。このようなことから、数百万人が短期間で伊勢神宮に参拝したと記録される[[お蔭参り]]をはじめ、近世期には多数の人々が神社に参詣した。他方で、近世期の神社参詣は、近世社会における輸送組織の発達や道中での宿屋・遊楽施設の充実などにより、道中において様々な名所を見物したり、遊興を行うといった、観光・娯楽的な要素も多く持つものであった<ref name="新城常三『社寺と交通』日本歴史新書(1960),118-119頁">新城常三『社寺と交通』日本歴史新書(1960),118-119頁</ref>。このような観光と寺社参詣の結びつきは、近代を経て現代でも受け継がれており、観光における神社の存在感は大きなものとなっている<ref>{{Cite web|和書|author=小林宣彦 |title=寺社観光とは|url=https://www.kokugakuin.ac.jp/article/157312 |publisher=全国寺社観光協会 |accessdate=2021-12-23}}</ref>。この他、現在における神社への信仰は、[[初詣]]、[[お宮参り]]、[[七五三]]、[[結婚式]]など、個人や家族の年中行事や人生儀礼において現れている<ref name="岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),324-325頁">岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),324-325頁</ref>。

以下では、特に全国的に広がった神社信仰について概覧する。
*[[ファイル:Hachiman torii.svg|25px]]'''[[八幡信仰]]'''([[八幡神社]])
*:古くは'''[[八幡神]]'''と呼ばれる[[皇祖神]]の'''[[須佐之男命]]'''・'''[[五十猛神]]'''を、現在は'''[[応神天皇]]'''、'''[[神功皇后]]'''として幅広く信仰されている。宇佐国造の祀った[[宇佐八幡宮]]がその起源で、早くに[[神仏習合]]が進み、朝廷だけでなく[[源氏]]など[[武家]]の氏神としても全国に広まった<ref>[[宝賀寿男]]『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。</ref>。
*[[ファイル:Shinmei torii 2.svg|25px]]'''[[伊勢信仰]]'''([[神明神社]])
*:古代に皇祖神の'''[[天照大御神]]'''を[[伊勢神宮]]に祀り、'''[[大日如来]]'''と習合しつつも早くに神仏分離をした。朝廷からの崇拝を受けたが、歴史的に天皇が参拝した例はごくわずかである{{要出典|date=2020年10月}}。現在は神明神社が各地に鎮座する{{要出典|date=2020年10月}}。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''[[天神信仰]]'''([[天満宮|天神神社]])
*:[[延喜式]]に複数社見えるよう、本来[[天神]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}は'''[[天津神]]'''を指す言葉であったが、'''[[菅原道真]]'''が死後[[怨霊]]として恐れられたあとに[[神仏習合]]し、'''[[天満大自在天神]]'''として神格化された[[御霊信仰]]。[[太宰府天満宮]]や[[北野天満宮]]を中心として広まり、おもに[[雷神]]・学問の神として信仰される。
*[[ファイル:Inari - daiwa torii.svg|25px]]'''[[稲荷信仰]]'''([[稲荷神社]])[[ファイル:Fushimi Inari-taisha 千本鳥居 2012-2.jpg|thumb|250px|[[伏見稲荷大社]]の千本鳥居]]
*:穀物神の'''[[宇迦之御魂神]]'''を祀る[[伏見稲荷大社]]を起源とし、江戸時代には[[神大市比売]]や[[大年神]]などとともに、商売繁盛、諸産業の神として厚く信仰された。[[秦氏]]の神ともされるが、もとは[[海神族]]の神であったと考えられる<ref>宝賀寿男「上古史の流れの概観試論」『古樹紀之房間』、2009年。</ref>。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''[[熊野信仰]]'''([[熊野神社]])
*:多くの名で語られるが総じて皇祖神の'''須佐之男命'''を祀る。[[出雲国造]]の祀った[[熊野大社]]や、[[熊野国造]]の祀った[[熊野那智大社]]、[[熊野速玉大社]]を起源とし、[[物部氏]]族系が多く祀る。仏教や[[修験道]]などとも深く結びついた<ref name="ReferenceA">宝賀寿男『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。</ref>。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''[[諏訪信仰]]'''([[諏訪神社]])
*:[[大国主神|出雲神]]の子で、[[海神族]]の[[諏訪氏]]の祖・'''[[建御名方神]]'''とその妻・'''[[八坂刀売神]]'''を祀る<ref>宝賀寿男『古代氏族の研究⑦ 三輪氏 大物主神の祭祀者』青垣出版、2015年。</ref>。[[洲羽国造]]、[[科野国造]]の祀った[[諏訪大社]]を起源とし、古代は狩猟、農耕、風、水の神である[[ミシャグジ|'''ミシャクジ神''']]を祀り、鎌倉時代には[[武神]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}として武家にも広く信仰された。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''[[祇園信仰]]'''([[八坂神社 (曖昧さ回避)|八坂神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}、[[津島神社 (曖昧さ回避)|津島神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}})
*:元はインド由来の'''[[祇園牛頭天王]]'''と'''須佐之男命'''が習合した信仰。京都府の[[八坂神社]]や[[津島神社]]、[[須賀神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}を中心に、牛頭天王の八柱の御子・[[八王子権現]]とともに[[蘇民将来]]説話から疫病除災の神として信仰された。
*[[ファイル:Ryoubu Torii.svg|25px]]'''[[白山信仰]]'''([[白山神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}})
*:[[白山比咩神社]]を起源とし、'''白山比咩神'''と呼ばれる'''[[菊理媛神]]'''(宇迦之御魂神と同神か<ref name="ReferenceA"/>)を祀る。水の神として信仰されるほか、[[伊弉諾尊]]と[[伊弉冉尊]]の仲を取り持った神話から、縁結びの神としても信仰される。
*[[ファイル:Sannou torii.svg|25px]]'''[[山王信仰]]'''([[日吉神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}})
*:[[比叡山]]の山の神として古くから'''[[大山咋神]]'''([[少名毘古那神]]と同一か<ref>宝賀寿男『古代氏族の研究⑭ 蘇我氏 権勢を誇った謎多き古代大族』青垣出版、2019年。</ref>)を祀る。[[日吉大社]]を起源として早くに神仏習合し、'''[[山王権現]]'''として各地の日吉神社や[[日枝神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}に祀られる。疫病除災の神として信仰される。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''山神信仰'''([[大山祇神社]]、[[山神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}})
*:山の神である'''[[大山津見神]]'''を祀り、鉱山などでは合わせて'''[[金山毘古神]]'''とともに信仰される。山への信仰や農耕神としても信仰を集める。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''御嶽信仰'''([[金峯山寺]]、[[武蔵御嶽神社]])([[御嶽神社 (木曽御嶽山)|木曽御嶽神社]]・[[黒沢御嶽神社]]・[[王滝御嶽神社]])
*:[[金峰山|金峯山]]由来の御嶽(みたけ)神社と[[木曽御嶽山]]信仰([[御嶽山#御嶽講|御嶽講]])由来の御嶽(おんたけ)神社があり、前者の御嶽神社には'''[[蔵王権現]]'''が祀られ、後者は'''御嶽大神'''と呼ばれる[[国之常立神|'''国常立尊''']]、[[大国主|'''大己貴命''']]、[[スクナビコナ|'''少彦名命''']]を祭神とする。。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''石鎚信仰'''([[石鎚神社]])
*:[[伊邪那岐命]]と[[伊邪那美命]]の第二子である家宅六神[[家宅六神#石土毘古神|'''石鎚毘古命''']]を祀る。主に[[中国地方|中国]][[四国|四国地方]]で厚く信仰され、[[山の神]]として頂上に祀られていることが多い。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''[[浅間信仰]]'''([[浅間神社]])[[ファイル:Sakura and Mt. Fuji 桜(さくら)と富士山(ふじさん).jpg|thumb|250px|霊峰[[富士山]]]]
*:[[オオヤマツミ|大山津見神]]の娘・'''[[木花之佐久夜毘売]]'''を祀るが、元は[[保食神]]であったか<ref>宝賀寿男「甲斐国造の系譜」『古樹紀之房間』、2016年。</ref>。[[富士山本宮浅間大社]]を起源とし、[[和邇氏]]族系によって祀られている。富士山との関連で火山の神、火中出産神話から安産の神として信仰される。
*[[ファイル:Kasuga torii.svg|25px]]'''[[春日信仰]]'''([[春日神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}})
*:中臣氏の祖・'''[[天児屋命]]'''、'''[[天美津玉照比売命]]'''、'''[[建御雷神]]'''の三柱の他、[[国譲り]]神話から'''[[経津主神]]'''も合わせて祀る。[[春日大社]]を起源とし、[[中臣氏]]族系によって祀られる。
*[[ファイル:Kashima Torii.svg|25px]]'''[[鹿島信仰]]{{Nobold|{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}}}'''([[鹿島神社]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}})
*:中臣氏の祖・'''建御雷神'''を祀る。本宗の[[鹿島神宮]]は春日大社の直接的な起源ともされており、[[地震]]を起こす[[鯰]]を封じる神とされたほか、建御名方神に勝利したことから[[武道]]の神としても幅広く信仰されている。
*[[ファイル:Myoujin torii.svg|25px]]'''[[金毘羅権現|金毘羅信仰]]'''([[金刀比羅宮]]・[[金刀比羅神社]])
*:元はインド由来の[[ワニ|鰐]]の水神[[クンビーラ]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}と土着の神である[[大物主|'''大物主神''']]が習合した'''[[金毘羅大権現]]'''を祀る信仰。[[御霊信仰]]の影響で'''[[崇徳天皇]]'''も合祀された。[[水神|水の神]]としての信仰のほか[[海上交通]]の守り神として信仰されており、[[漁師]]、[[船員]]など海事関係者の崇敬を集める。


== 参拝の方法 ==
== 参拝の方法 ==
{{See also|二礼二拍手一礼}}

=== 簡易な参拝 ===
=== 簡易な参拝 ===
{{出典の明記| date = 2020年10月| section = 1}}
[[File:ItsukushimaBasin7406.jpg|thumb|200px|right|[[厳島神社]](広島県廿日市市)]]
[[ファイル:ItsukushimaBasin7406.jpg|thumb|200px|right|[[厳島神社]](広島県廿日市市)]]


以下は一般的な[[参拝]]の流れである。神社によっては作法が異なることがある。多くの場合、その旨の表示がある。
以下は一般的な[[参拝]]の流れである。神社によっては作法が異なることがある。多くの場合、その旨の表示がある。


参拝を行う日は毎月1日と15日がよいとされる。参拝する前に、本来は神の前に向かう前に心身を清める[[禊]]が必要である。これは神が「[[穢れ]]」を嫌うとされることによるが<ref name="zukai3">『神道』 120頁。</ref>、現代であれば、一般参拝では[[入浴]]・[[シャワー]]などで身体を清潔にしてから参拝する心がけが望ましい。神社に到着し、[[鳥居]]や[[神門]]をくぐる際は「小揖(身体を15度折り曲げる)」するのが望ましい。このときには脱帽し、服装もきちんと整えるようにする。
参拝を行う日は毎月1日と15日がよいとされる。参拝する前に、本来は神の前に向かう前に心身を清める[[禊]]が必要である。これは神が「[[穢れ]]」を嫌うとされることによるが<ref name="zukai3">『神道』 120頁。</ref>、現代であれば、一般参拝では[[入浴]]・[[シャワー]]などで身体を清潔にしてから参拝する心がけが望ましい。神社に到着し、[[鳥居]]や[[神門]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}をくぐる際は「小揖(身体を15度折り曲げるお辞儀。会釈に相当)」するのが望ましい。このときには脱帽し、服装もきちんと整えるようにする。


次に[[手水舎]]にて[[手水]]を使い、手口を洗う。これは[[拍手 (神道)|拍手]]と神拝詞奏上を行う手口(さらには[[心]])を清める意味合いを持つ、つの禊である。手水の作法としては、
次に[[手水舎]]にて[[手水]]を使い、手口を洗う。これは[[拍手 (神道)|拍手]]と神拝詞奏上を行う手口(さらには[[心]])を清める意味合いを持つ、ひとつの禊である。手水の作法としては、


# まず、手水舎の前で小揖する。
# まず、手水舎の前で小揖する。
196行目: 254行目:
# 柄杓を左手に持ち替え、右手を洗い清める。
# 柄杓を左手に持ち替え、右手を洗い清める。
# 柄杓を再度右手に持ち替え、すくった水を左手に受けて溜め、この水で口をすすぐ。口をすすぐ際には口が直に柄杓に触れないようにする。
# 柄杓を再度右手に持ち替え、すくった水を左手に受けて溜め、この水で口をすすぐ。口をすすぐ際には口が直に柄杓に触れないようにする。
# これらが終わった、使った柄杓を洗い清めるが、このときは水を入れた柄杓を立て、柄に水を流すようにして洗う。柄杓を洗うのには次の人のための配慮という意味合いもある。
# これらが終わったあと、使った柄杓を洗い清めるが、このときは水を入れた柄杓を立て、柄に水を流すようにして洗う。柄杓を洗うのには次の人のための配慮という意味合いもある。
# 洗い終わった柄杓は元の位置に伏せて置き、最後に口と手を拭紙や[[ハンカチ]]などでぬぐう。
# 洗い終わった柄杓は元の位置に伏せて置き、最後に口と手を拭紙や[[ハンカチ]]などでぬぐう。
# 最後にもう一度小揖する。
# 最後にもう一度小揖する。
# これらの作法は一連の動作で行うのが好ましい。
# これらの作法は一連の動作で行うのが好ましい。


なお、[[巫女]]の補助がつく場合には、作法は巫女の指示にしたがうようにする。[[手水]]を使い終わったら拝礼をおこなうために[[参道]]を通り社殿へと向かう。神前ではまず神への[[供物]]として(供物を捧げるにお祓いの意味もあるといわれる)賽銭箱に[[賽銭]]を奉納する<ref>{{Cite web|url=http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/omairi/index2.html|title=お賽銭について|publisher=神社本庁|language=日本語|accessdate=2012年7月31日}}</ref>。次に賽銭箱の近くにある[[鈴|鈴鐘]]を鳴らすが、これには邪気を払う<ref name="zukai3"/>、清らかな[[音色]]で神を呼び寄せて参拝に訪れたことを神に告げる、参拝者を敬虔な気持ちにするとともに神霊の発動を願うなどの意味合いがあるとされる<ref>外山晴彦、『サライ』編集部 編 『神社の見方』 [[小学館]] 122頁。</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.jinjahoncho.or.jp/iroha/omairi/index6.html|title=参拝の際に鳴らす鈴について|publisher=神社本庁|language=日本語|accessdate=2012年8月1日}}</ref>。
なお、[[巫女]]の補助がつく場合には、作法は巫女の指示にしたがうようにする。[[手水]]を使い終わったら拝礼をうために[[参道]]を通り社殿へと向かう。神前ではまず神への[[供物]]として(供物を捧げるほかにお祓いの意味もあるといわれる)賽銭箱に[[賽銭]]を奉納する<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/osaisen|title=お賽銭について|publisher=神社本庁|language=日本語|accessdate=2020-02-01}}</ref>。次に賽銭箱の近くにある[[鈴|鈴鐘]]を鳴らすが、これには邪気を払う{{r|zukai3}}、清らかな[[音色]]で神を呼び寄せて参拝に訪れたことを神に告げる、参拝者を敬虔な気持ちにするとともに神霊の発動を願うなどの意味合いがあるとされる<ref>外山晴彦、『サライ』編集部 編 『神社の見方』 [[小学館]] 122頁。</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/osahou/suzu|title=参拝の際に鳴らす鈴について|publisher=神社本庁|language=日本語|accessdate=2020-02-01}}</ref>。


鈴鐘を鳴らした後に拝礼をおこなう。拝礼の基本的な作法は「'''再拝二拍手一拝'''」ある<ref name="zukai3"/>。すなわち、
鈴鐘を鳴らした後に拝礼をう。拝礼の基本的な作法は、現在は「'''再拝二拍手一拝'''」あるいは「'''二拝二拍手一拝'''」「'''[[二礼二拍手一礼]]'''」)がおもに利用されている{{r|zukai3}}。すなわち、


# 拝(身体を90度折り曲げる)を二度おこなう。
# 拝(身体を90度折り曲げるお辞儀)を二度う。
# [[拍手 (神道)|拍手]]を二度打つ。より具体的には、両手を胸の高さで揃えて合わせ、右手を下方向に少し(指の第一関節ほど)ずらし、その状態で両手を二度打ち合わせて[[音]]を出し、ずらした右手を再び揃えて祈念を込め最後に両手を下ろす<ref>『神道の本』105頁。</ref>。
# [[拍手 (神道)|拍手]]を二度打つ。より具体的には、両手を胸の高さで揃えて合わせ、右手を下方向に少し(指の第一関節ほど)ずらし、その状態で両手を二度打ち合わせて[[音]]を出し、ずらした右手を再び揃えて祈念を込め最後に両手を下ろす<ref>『神道の本』105頁。</ref>。
# 一拝する。
# 一拝する。
# [[祝詞|神拝詞]]を奏上する場合は、再拝→神拝詞奏上→再拝二拍手一拝の順で行う。
# [[祝詞|神拝詞]]を奏上する場合は、再拝→神拝詞奏上→再拝二拍手一拝の順で行う。


というもの。再拝二拍手一拝の前後に深揖(身体を45度折り曲げる礼)を行うとより丁寧である。祈願を行う場合は二拍手と一拝の間に氏名び居住地と願い事を(声に出して、あるいは心の中で)陳べるのが一般的となっている。また、神恩感謝を述べたい場合も同様である。かつて、礼の作法各神社によってさだった、現在の再二拍手一拝に統一されたのは[[第二次世界大戦]]後であ。現在でも一部神社は作法が異なっており、例ば、[[出雲大社]]<ref name="zukai3"/>や[[宇佐宮]]、[[彌彦神社]]では「四拍手」である。[[伊勢神宮]]での神では「八度拝、八開手」となっている<ref>[[井沢元彦]] 神霊の国日本 p.32</ref>。
というもの。再拝二拍手一拝の前後に深揖(身体を45度折り曲げるお辞儀。最敬に相当)を行うとより丁寧である。祈願を行う場合は二拍手と一拝の間に氏名および居住地と願い事を(声に出して、あるいは心の中で)陳べるのが一般的となっている。また、神恩感謝を述べたい場合も同様である。、目を閉じることなく目を開けたままが望ましい{{要出典|date=2019年11月}}。正式参や祈祷などで[[玉串]]を捧げ場合は、上記深揖と再拝の間、玉串に祈念を込め根本を神前に向けるようにする<ref>神社本庁編『神社祭式同行作法』91頁</ref>。

一部の神社では作法が異なっており、たとえば、[[出雲大社]]や[[宇佐神宮]]、[[彌彦神社]]では「四拍手」である。[[伊勢神宮]]や[[熱田神宮]]での神事では「八度拝、八開手」となっている<ref>[[井沢元彦]] 神霊の国日本 p.32</ref>。


{{multiple image
{{multiple image
235行目: 295行目:


=== 注意事項 ===
=== 注意事項 ===
* 身内に不幸があった人は50日間(仏式の49日)を経過するまで神社参拝は控える必要がある<ref name="zukai3"/><ref>{{Cite web|url=http://www.jinjahoncho.or.jp/column/000025.html|title=服忌について|publisher=神社本庁|language=日本語|accessdate=2012年8月1日}}</ref>。[[穢れ|死穢]]の観念からである<ref>『神道行法の本』 学研 195頁。</ref>。
* 身内に不幸があった人は50日間(仏式の49日)を経過するまで神社参拝は控える必要がある{{r|zukai3}}<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.jinjahoncho.or.jp/omairi/gyouji/bukki|title=服忌|publisher=神社本庁|accessdate=2020-02-01}}</ref>。[[穢れ|死穢]]の観念からである<ref>『神道行法の本』 学研 195頁。</ref>。
* 神前に捧げる御饌は、火を通したもの(熟饌)を供える場合神聖な炎として厳粛に起こされた火を用いるのが望ましい<ref>『神道の本』43頁。</ref>。
* 神前に捧げる御饌は、火を通したもの(熟饌)を供える場合神聖な炎として厳粛に起こされた火を用いるのが望ましい<ref>『神道の本』43頁。</ref>。
* 一部で女性は音をてて拍手してはいけないという珍説を信じる者がいるが、間違いである。音をかにたてる拍手は「忍び手」と言って、葬儀のためのものであり、性別関係ない<ref>[http://www.j-cast.com/2007/03/01005851.html 細木数子の参拝作法は「誤り」 全国の神社から苦情]JCASTニュース、2007/3/ 1</ref>。
* 一部で女性は音をてて拍手してはいけないという珍説を信じる者がいるが、間違いである。そもそも拍手は音を立てるものであり、音をかすかにたてる拍手は「忍び手」と言って、性別関係なく葬儀で用るものである<ref>[https://www.j-cast.com/2007/03/01005851.html 細木数子の参拝作法は「誤り」 全国の神社から苦情] JCASTニュース、2007/3/ 1</ref>。


== 神道諸派 ==
== 神道諸派 ==
246行目: 306行目:
* [[山王一実神道]]
* [[山王一実神道]]
* [[法華神道]]
* [[法華神道]]
*[[三輪流神道]] - 僧の[[慶円]]が説いた奈良の[[三輪山]]を中心に、[[三輪]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}の[[神]]と[[伊勢]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}の神を一体とし、[[大日如来]]を含めた神道。[[大神神社]]にて[[両部神道]]や[[神仏混交]]の影響などを受け、[[室町時代]]に発生し、[[伊勢神道]]や[[真言宗]]や[[陰陽道]]なども混ざり合った[[信仰]]。[[明治時代]]に廃絶に至るも、一部に細々と存続している<ref name="yaoyorozu">神道の本-八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 2) 出版:学習研究社 1992/3 ISBN 978-4051060244</ref>。現在の「大神教」であり、能「三輪」に影響を与えている{{要出典|date=2020年10月}}。
* 土御門神道([[天社土御門神道]])
* 土御門神道([[天社土御門神道]])
* [[吉川神道]]
* [[吉川神道]]
252行目: 313行目:
* [[物部神道]]
* [[物部神道]]
* [[忌部神道]]
* [[忌部神道]]
* [[橘家神道]] - [[橘諸兄]]の[[子孫]]である[[玉木正英]]が[[江戸時代]]に[[家伝]][[宗教]]から興した神道。[[口伝]]や秘伝が多く「鳴弦」「蟇目」「守符」「軍陣」などの秘儀を行ったとされる。その一方、[[吉田神道]]、[[陰陽道]]の影響も受けていると言われる。橘家神道はほぼ消滅したとされるが、その[[修法]]や[[思想]]などが[[民間]][[信仰]]に残っていると言われる<ref name=shinto-g>『神道ガイド』村上書店1996年1月30日発行222頁中180頁</ref>。
* [[雲伝神道]] - [[慈雲]]が説いた神道。慈雲は[[真言宗]]僧だが、[[仏教]]色を感じさせず、[[古事記]][[日本書紀]]を中心にした[[復古神道]]的思想で、[[日本]]を[[世界]]の要とし「真心」を重要視した神道を興した。また[[儒教]]的な面もあったが、[[明治]]以降に[[断絶]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}した{{r|shinto-g}}。
*[[烏伝神道]] - [[賀茂規清]]が[[江戸時代]]に興した神道説。万物や現象などは[[神霊]]や[[霊魂]]が影響するという[[思想]]。また[[人]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}の[[誕生]]{{要曖昧さ回避|date=2024年11月}}は「幸魂」、[[死]]は「奇魂」が作用すると説いた。しかしその[[教義]]は人を惑わすとして、規清は[[流罪]]になり、死去した。烏伝神道は廃絶したが、その一部は[[禊教]]に継承された{{r|yaoyorozu}}。
* [[復古神道]](古道)
* [[復古神道]](古道)
* [[国家神道]]
* [[国家神道]]
270行目: 334行目:
*** [[金光教]]
*** [[金光教]]
*** [[大本]]
*** [[大本]]
*** [[天理教]] - 天理教は政府から弾圧をさけるために神道十三派に入ったが、現在では神道十三派を抜け、[[諸派]]に分類されている。また、[[記紀]]神話を用いず、[[泥海古記]](どろうみこき)と呼ばれる独自の創世神話を持っている。
*** [[天理教]] - 天理教は政府から弾圧をさけるために神道十三派に入ったが、現在では神道十三派を抜け、[[諸派]]に分類されている。また、[[記紀]]神話を用いず、[[泥海古記]](どろうみこき)と呼ばれる独自の創世神話を持っている。
** [[神宮教]]
** [[神宮教]]
* [[アニミズム]]
* [[アニミズム]]
* [[太陽神]]
* [[太陽神]]

== 神道を題材とした作品 ==
{{see also|Category:神道を題材とした作品}}


== 脚注 ==
== 脚注 ==
{{脚注ヘルプ}}
{{脚注ヘルプ}}
=== 注釈 ===
{{Notelist2}}
=== 出典 ===
{{Reflist|2}}
{{Reflist|2}}


== 参考文献 ==
== 参考文献 ==
{{refbegin}}
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
|author=伊藤聡
|author=伊藤聡
|authorlink=伊藤聡
|title=神道とは何か
|title=神道とは何か
|year=2012
|year=2012
289行目: 361行目:
}}
}}
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
|author=[[井上順孝]]
|author=井上順孝
|authorlink=井上順孝
|title=神道
|title=神道
|year=2006
|year=2006
297行目: 370行目:
}}
}}
* {{cite encyclopedia
* {{cite encyclopedia
| author = 景山春樹
|author = 景山春樹
| authorlink = 景山春樹
|authorlink = 景山春樹
| encyclopedia = [[世界大百科事典]]
|encyclopedia = [[世界大百科事典]]
| title = 神道
|title = 神道
| edition = 1972年
|edition = 1972年
| date = 1972-04-25
|date = 1972-04-25
| publisher = [[平凡社]]
|publisher = [[平凡社]]
| volume = 16
|volume = 16
}}
}}
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
|author=石原藤夫
|author=石原藤夫
|authorlink=石原藤夫
|title=靖国神社一問一答
|title=靖国神社一問一答
|year=2002
|year=2002
314行目: 388行目:
}}
}}
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
|author=岡田荘司
|editor=岡田荘司
|editor-link=岡田荘司
|title=日本神道史
|title=日本神道史
|year=2010
|year=2010
|publisher=[[吉川弘文館]]
|publisher=[[吉川弘文館]]
|isbn=978-4-642-08038-5
|isbn=978-4-642-08038-5
}}増補新版[https://www.yoshikawa-k.co.jp/book/b557738.html] 2021年4月 ISBN 9784642083959
}}
* {{Cite book|和書
* {{Cite book|和書
|author=[[茂木貞純]]
|author=茂木貞純
|authorlink=茂木貞純
|title=神道と祭りの伝統
|title=神道と祭りの伝統
|year=2001
|year=2001
|publisher=神社新報社
|publisher=[[神社新報社]]
|isbn=4-915265-95-1
|isbn=4-915265-95-1
}}
}}
* {{Cite book|和書
|author=小池康寿
|title=日本人なら知っておきたい正しい家相の本
|publisher=[[プレジデント社]]
|date=2015-11
|isbn=9784833421492}}
* 国立国会図書館 デジタルコレクション 神社祭式行事作法 内務省神祇院教務局祭務課編集 昭和17年 敬禮 警蹕 書誌ID 000000664653 P15 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1040190/1
* 国立国会図書館 デジタルコレクション 告示 / 内務省 / 第76号 / 神社祭式行事作法 明治40年 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/2950545
* 国立国会図書館 デジタルコレクション 神奈川県内政部 / 神社祭式行事作法解説 昭和18年 P21 22 23 https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1097500
* {{Cite book|和書
|author=島田裕巳 |authorlink=島田裕巳 |title=神社で拍手を打つな! -日本の「しきたり」のウソ・ホント
|publisher=[[中央公論新社]]
|series=[[中公新書ラクレ]] |date=2019-11-07
|page=253
|isbn=978-4121506702 }}
* {{Cite book
| 和書
| author = 小学館
| year = 2021d
| publisher = 小学館、コトバンク
| title = 精選版 日本国語大辞典
| chapter = 死霊崇拝
| ref = harv
}} {{kotobank|1=死霊崇拝 |2=精選版 日本国語大辞典}}
* {{cite book |last=Nelson |first=John K. |title=A Year in the Life of a Shinto Shrine |url=https://archive.org/details/yearinlifeofs00nels |url-access=registration |location=Seattle and London |publisher=University of Washington Press |year=1996 |isbn=978-0-295-97500-9 }}
* {{cite book |last=Nelson |first=John K. |title=Enduring Identities: The Guise of Shinto in Contemporary Japan |year=2000 |location=Honolulu |publisher=University of Hawai'i Press |isbn=978-0-8248-2259-0 }}
* {{cite book |last=Picken |first=Stuart D. B. |author-link=Stuart D. B. Picken |title=Essentials of Shinto: An Analytical Guide to Principal Teachings |year=1994 |publisher=Greenwood |location=Westport and London |isbn=978-0-313-26431-3 }}
* {{cite book |last=Picken |first=Stuart D. B. |author-link=Stuart D. B. Picken |title=Historical Dictionary of Shinto |edition=second |location=Lanham |publisher=Scarecrow Press |year=2011 |isbn=978-0-8108-7172-4 }}
* {{Cite book
| 和書
| author=ブリタニカ・ジャパン|authorlink=ブリタニカ・ジャパン
| year = 2021d
| publisher = ブリタニカ・ジャパン、コトバンク
| title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
| chapter = 自然崇拝
| ref = harv
}} {{kotobank|1=自然崇拝 |2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}
* {{Cite book
| 和書
| author=ブリタニカ・ジャパン|authorlink=ブリタニカ・ジャパン
| year = 2021e
| publisher = ブリタニカ・ジャパン、コトバンク
| title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
| chapter = 精霊崇拝
| ref = harv
}} {{kotobank|1=精霊崇拝 |2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}
* {{Cite book
| 和書
| author = 小学館
| year = 2021e
| publisher = 小学館、コトバンク
| title = 日本大百科全書(ニッポニカ)
| chapter = 八百万神
| ref = harv
}} {{kotobank|1=八百万神 |2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}
* {{Cite book|last=Sun |first=Peter Liang Tek |title=A Life Under Three Flags |type=PhD Thesis |publisher=University of Western Sydney |year=2008|ref=harv }}
* {{Cite book
| 和書
| author = 平凡社
| year = 2021a
| publisher = 平凡社、コトバンク
| title = 百科事典マイペディア
| chapter = トーテム
| ref = harv
}} {{kotobank|1=トーテム |2=百科事典マイペディア}}
* {{Cite book
| 和書
| author = 平凡社
| year = 2021b
| publisher = 平凡社、コトバンク
| title = 世界大百科事典 第2版
| chapter = 神がかり
| ref = harv
}} {{kotobank|1=神がかり |2=世界大百科事典 第2版}}
* {{Cite book
| 和書
| author=ブリタニカ・ジャパン|authorlink=ブリタニカ・ジャパン
| year = 2021c
| publisher = ブリタニカ・ジャパン、コトバンク
| title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
| chapter = 怨霊
| ref = harv
}} {{kotobank|1=怨霊 |2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}
* {{Cite book
| 和書
| author = 小学館
| year = 2021b
| publisher = 小学館、コトバンク
| title = 日本大百科全書(ニッポニカ)
| chapter = 原始宗教
| ref = harv
}} {{kotobank|1=原始宗教 |2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}
* {{Cite book
| 和書
| author = 小学館
| year = 2021c
| publisher = 小学館、コトバンク
| title = デジタル大辞泉
| chapter = 原始宗教
| ref = harv
}} {{kotobank|1=原始宗教 |2=デジタル大辞泉}}
* 佐々木 (1973):{{Cite book|和書|editor=小口偉一・堀一郎|title = 宗教学辞典|year =1973|publisher =東京大学出版会|chapter = シャマニズム|author=佐々木宏幹|authorlink=佐々木宏幹|pages = 249-253|isbn=9784130100274 |ref=佐々木 (1973) }}<!--2008年1月23日 (水) 03:11 (UTC)-->
*{{Cite book|和書|author=佐々木宏幹|title=シャーマニズム-エクスタシーと憑霊の文化|publisher=中央公論新社|isbn=9784121005878|year=1980|}}<!--2007年10月6日 (土) 06:36 (UTC)-->
* 佐々木 (1984):{{Cite book|和書|author=佐々木宏幹|title=シャーマニズムの人類学|publisher=弘文堂|isbn=9784335570315|year=1984|ref=佐々木 (1984) }}
*{{Cite book|和書|author=佐々木宏幹|chapter=祭司の誕生-神道の成立をめぐって|title=よみがえる神道の謎|edition=歴史読本臨時増刊|publisher=新人物往来社|year=1989|}}<!--2006年4月19日 (水) 12:42 (UTC)-->
*{{Cite book|和書|author=佐々木宏幹|title=シャーマニズムの世界|publisher=講談社||series=講談社学術文庫|isbn=9784061590557|year=1992|}}<!--2007年10月6日 (土) 06:36 (UTC)-->
*{{Cite journal|和書|author=佐々木伸一|title=シャーマンの類型 : 日本および周辺の地域に関して |date=1988-07|publisher=筑波大学歴史人類学系民族学研究室|journal=族 : ヤカラ |number=7|url=https://hdl.handle.net/2241/14484|ref={{sfnref|佐々木伸一|1988}}|pages=1-46}}
*{{Cite journal|和書|author=佐藤憲昭|title=新潟市のシャーマン|date=1987-03|publisher=駒澤大学|journal=駒沢大学文化|volume=10|naid=110007003984|ref={{sfnref|佐藤|1987}}|pages=209-241}}
*{{cite book|和書|author=山上伊豆母|authorlink=山上伊豆母|title=古代神道の本質|publisher=法政大学出版局|year=1989|ISBN=4588306014|ref={{sfnref|山上|1989}} |pages=84-100}}
* {{Cite book
| 和書
| author = 小学館
| year = 2021a
| publisher = 小学館、コトバンク
| title = 日本大百科全書(ニッポニカ)
| chapter = アニミズム
| ref = harv
}} {{kotobank|1=アニミズム |2=日本大百科全書(ニッポニカ)}}
* {{Cite book
| 和書
| author=ブリタニカ・ジャパン|authorlink=ブリタニカ・ジャパン
| year = 2021f
| publisher = ブリタニカ・ジャパン、コトバンク
| title = ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
| chapter = 祭政一致
| ref = harv
}} {{kotobank|1=祭政一致 |2=ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典}}
* {{Cite book
| 和書
| author = 平凡社
| year = 2021c
| publisher = 平凡社、コトバンク
| title = 百科事典マイペディア
| chapter = 祭政一致
| ref = harv
}} {{kotobank|1=祭政一致 |2=百科事典マイペディア}}
* {{Cite book
| 和書
| author = 平凡社
| year = 2021d
| publisher = 平凡社、コトバンク
| title = 世界大百科事典 第2版
| chapter = 祭政一致
| ref = harv
}} {{kotobank|1=祭政一致 |2=世界大百科事典 第2版}}
{{refend}}


== 関連項目 ==
== 関連項目 ==
{{Commons|Category:Shintō}}
{{ウィキプロジェクトリンク|神道|[[ファイル:Shinto torii icon vermillion.svg|40px]]}}
{{ウィキプロジェクトリンク|神道|[[ファイル:Shinto torii icon vermillion.svg|40px]]}}
{{ウィキポータルリンク|神道|[[画像:Shinto torii icon vermillion.svg|40px|Portal:神道]]}}
{{ウィキポータルリンク|神道|[[ファイル:Shinto torii icon vermillion.svg|40px|Portal:神道]]}}
* [[神道用語一覧]]
* [[神道用語一覧]]
* [[神社一覧]]
* [[神社一覧]]
* [[神職]]
* [[神祇院]]
* [[神祇院]]
* [[神祇省]]
* [[神祇省]]
* [[神祇官]]
* [[神祇官]]
** [[神祇官 (明治時代)]]
* [[皇典講究所]]
* [[國學院]]
* [[奥都城]]
* [[奥都城]]
* [[神道の緑性]]
* [[神道の緑性]]
343行目: 568行目:
** [[日本書紀]]
** [[日本書紀]]
* [[神仏習合]]
* [[神仏習合]]
* [[拍手 (神道)]]
* [[二礼二拍手一礼]]


== 外部リンク ==
== 外部リンク ==
{{Commonscat}}
* [http://eos.kokugakuin.ac.jp/modules/xwords/ Encylopedia of Shinto(國學院大學)]
{{Wiktionary}}
* [http://link.kokon.asia/shinto/ 神道リンク集](オンライン最大級)
* [https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913333 神道大辞典 : 3巻. 第一卷(ア-ケ)]、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913348 第二卷(コ-テ)]、[https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1913359 第三卷(ト-ワ)] 平凡社, 1941
* [http://dmoz.org/World/Japanese/%e7%a4%be%e4%bc%9a/%e5%ae%97%e6%95%99%e3%83%bb%e7%b2%be%e7%a5%9e%e4%b8%96%e7%95%8c/%e7%a5%9e%e9%81%93/ オープンディレクトリー:社会: 宗教・精神世界: 神道](英語の同カテゴリにもリンクしています)
* {{Kotobank}}
* [http://www.ko-kon.net/shinto-shiryo.html 神道資料集] - 祝詞・諸文献、神社データ


{{神道 横}}
{{宗教}}
{{日本神話}}
{{天皇項目}}
{{天皇項目}}
{{日本関連の項目}}
{{日本関連の項目}}
{{Normdaten}}
{{Authority control}}


{{DEFAULTSORT:しんとう}}
{{デフォルトソート:しんとう}}
[[Category:神道|*]]
[[Category:神道|*]]
[[Category:各種の宗教]]
[[Category:多神教]]
[[Category:アジアの神話]]
[[Category:日本神話]]
[[Category:神社]]
[[Category:日本の天皇]]
[[Category:民族]]
[[Category:日本の思想史]]
[[Category:日本の思想史]]
[[Category:神仏習合]]
[[Category:アジアの宗教的シンクレティズム]]

2024年12月3日 (火) 11:43時点における最新版

神道
国・地域 日本の旗 日本など[注 1][1]
信者数 8792万4087人[2]
成立年 不明(縄文時代から古墳時代にかけて原型が形成されたとされる)
創始者 なし
信仰対象 八百万の神
聖典 正典なし[注 2]
母体 民族信仰自然信仰祖先信仰
宗派 下記神道諸派参照
主な指導者
聖地 神社などの祭祀施設・などの自然物
教義 具体的な教義なし
テンプレートを表示
樹齢約3000年の武雄神社御神木

神道(しんとう、しんどう[4])は、日本宗教開祖教祖教典を持たず、また、一神教とは対照的に森羅万象あらゆるものにが宿るという思想に基づく。

日本人が昔から農耕や漁労など自然と交わり生活を営む中から生まれた信仰といえ[5]神話八百万の神、自然や自然現象など多くの事柄を含むアニミズム的、祖霊崇拝的な民族宗教である[6]自然は一体と認識され、人間を結ぶ具体的作法[要曖昧さ回避]祭祀であり、その祭祀を行う場所が神社であり、聖域[要曖昧さ回避]とされた[7]

概要

[編集]
国産みを描いた『天瓊を以て滄海を探るの図』(小林永濯画、ボストン美術館所蔵)

神道は古代日本に起源をたどることができるとされる宗教である。伝統的な民俗信仰自然信仰祖霊信仰を基盤に、豪族層による中央や地方の政治体制と関連しながら徐々に成立した[8][9]。また、日本国家の形成に影響を与えたとされている宗教である[10]。世の中の宗教名の多くは日本語では「○○教」と呼称するが、神道の宗教名だけは「神道教」ではなく、単に「神道」となっている[注 3]

神道には確定した教祖、創始者がおらず[10]キリスト教聖書イスラム教コーランにあたるような公式に定められた「正典」も存在しないが[6]、『古事記』『日本書紀』『古語拾遺』『先代旧事本紀』『宣命』といった「神典」と称される古典群が神道の聖典とされている[11]森羅万象が宿ると考え、また偉大な祖先を神格化し、天津神・国津神などの祖霊をまつり、祭祀を重視する。浄明正直 (じょうみょうせいちょく)(浄く明るく正しく直く)を徳目とする[12]。他宗教と比べて現世主義的といった特徴がみられる。

日本人の生活と深い関わりのある神道は、当初から宗教として認識されていたわけではなく、仏教が大陸から伝来したのち、それまで日本国独自の習慣や信仰が御祖神(みおやがみ)の御心に従う「かむながらの道(神道)」として意識されるようになった[13][14]。教えや内実は神社と祭りの中に伝えられおり、『五箇条の御誓文』や、よく知られている童歌『通りゃんせ』など、日本社会の広範囲に渡って神道の影響が見受けられる[15]

神道の特色の一つとして、外来の他宗教に対する寛容さが挙げられる。神道は仏教儒教道教などとも習合し日本文化に大きな影響を及ぼしたが、日本国独自の神観念は変わらず、現在まで脈々と受け継がれている[16]

神道は奈良時代以降の長い間、仏教信仰と混淆してきた(神仏習合)。日本における神仏習合は、すっかりと混ざり合って一つの宗教となったのではなく、部分的に合一しながらも、なおそれぞれで独立性が維持されている[17]。宮中祭祀や伊勢神宮の祭祀では仏教の関与が除去されていることから、神祇信仰は仏教と異なる宗教システムとして自覚されながら並存していた[18]。明治時代には神道国教化を実現するために、神仏分離が行われた[19]

神道と仏教の違いについては、神道地縁血縁などで結ばれた共同体部族など)を守ることを目的に信仰されてきたのに対し、仏教はおもに人々の安心立命や救済国家鎮護を求める目的で信仰されてきたという点で大きく相違する[8]

神道は日本国内で約8万5,000の神社が登録され、約8,400万人の支持者がいると『宗教年鑑』(文化庁)には記載があるが[20]、支持者は神社側の自己申告に基づく数字であり、地域住民をすべて氏子とみなす例、初詣の参拝者も信徒数に含める例、御守りや御札などの呪具の売上数や頒布数から算出した想定信徒数を計算に入れる例があるためである。このため、日本人の7割程度が無信仰を自称するという多くの調査結果とは矛盾する[21]

分類

[編集]
皇室神道 (宮中祭祀
皇居内の宮中三殿を中心とする皇室の神道である[22]。新年の四方拝歳旦祭、五穀豊穣や国家・国民の安寧を祈る新嘗祭(天皇即位後初の新嘗祭は大嘗祭という)などが行われる[23]
大嘗祭が斎行された令和の大嘗宮
神社神道
神社を中心に、氏子・崇敬者などによる組織によって行われる祭祀儀礼をその中心とする信仰形態である[24]
民俗神道
民間神道ともいう。民間で行われてきた信仰行事をいう。道祖神田の神山の神竈神など。修験道密教仏教、あるいは道教の思想と習合している場合も多い。いざなぎ流なども入る[要出典]
教派神道(神道十三派)
教祖・開祖の宗教的体験にもとづく。創唱宗教的色彩が濃い[要出典]
古神道(≒原始神道)
江戸時代の国学によって、儒教や仏教からの影響を受ける前の神道が仮構され、復古神道古道[要曖昧さ回避]・皇学・本教などと称された。明治時代以降に古神道だけを取り出し、新たな宗派として設立されたものも古神道と称している場合がある。近代以降の学問で研究されて国学色を排除してからは、純神道・原始神道ともいう[要出典]
国家神道
特に近代(明治維新より第二次世界大戦終結まで)において国家の支援のもとに行われた神道を指す名称であり[25][注 4]、事実上の国家宗教となっていた[28]。(国家神道#語誌を参照)

以上のような分類をすることができるが、今日、単に「神道」といった場合には神社神道を指すことが多い[要出典]

また、何に重きを置くかによって「祭り型」「教え型」という分け方も提唱されている。

  • 祭り型神道(社人神道 - 儀礼を中心とする)
これは上記の「皇室神道」「神社神道」「民俗神道」などのことである。

以上のように分けられる[22]。なお、陰陽道系の土御門神道は上記の家元神道のひとつではあるが、教え型とも祭り型とも決められるものではない[要出典]

歴史

[編集]
春日大社にて、おみくじを結ぶ人々
一般家庭で祀られる神棚
神社本庁東京都渋谷区代々木)

神道の起源は非常に古く、日本の風土や日本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観念である。農耕文化の進展とともに、自然の威力に神霊の存在を見出し、その神霊を丁重に祭ることで自然の脅威を和ませ、農耕生活の安寧を祈るという神観念が生じたことが、神道の始まりであった[29]。このためキリスト教、仏教のような開祖が存在せず、縄文時代を起点に弥生時代から古墳時代にかけてその原型が形成されたと考えられている[14]

現在の神道・神社に直接繋がる祭祀遺跡が出土するのは、農耕文化の成立に伴って自然信仰が生じた弥生時代で、この時代には、荒神谷遺跡などに代表される青銅器祭祀、池上曽根遺跡のような後の神社建築と共通する独立棟持柱を持つ建物、鹿などの骨を焼いて占う卜骨、副葬品としての鏡・剣・玉の出土など、神社祭祀や記紀の神道信仰と明らかに連続性を持つ要素が見られるようになる[30]魏志倭人伝において、邪馬台国の女王卑弥呼が「鬼道を事とし、衆を惑わすこと能ふ」との記述が見られ、この「鬼道」がシャーマニズム的な要素が強い初期の神道であるとする説が有力である。なお、「鬼」「惑」などのようにネガティヴ的なニュアンスを持つ漢字が用いられたのは、儒教に内包される反迷信的な理念(曰く「怪力乱神を語るべからず」-『論語』)による所が大きいと考えられる。

大和王権が成立する古墳時代には、最初期の神社と考えられる宗像大社大神神社で、古墳副葬品と共通する副葬品が出土することから、大和王権による国家祭祀が行われたと推定されており、この時期に神道の直接の原型が形成された[31]。飛鳥時代には律令の整備に伴い、神祇令に基づいた祭祀制度の体系化が行われ、神祇官が全国の神社に幣帛を頒布する班幣制度の確立や、全国の神社への社格区分や神階神位の授与など、全国の神社を包括する国家的な律令祭祀制度が整備されたため、この時期に体系的な「神道」が成立したとするのが、多くの研究者での概ねの共通認識となっている[32]

「神道」という名称については「かんながらの道(神道)[33]」と言う意味である。中国の『易経』や『晋書』の中にみえる[34]神道は「神(あや)しき道」という意味であり、これは日本の神道観念とは性質が異なる別個のものである。

日本における「神道」という言葉の初出は『日本書紀』の用明天皇紀にある「天皇、仏法を信(う)けたまひ、神道を尊びたまふ」であるが[35]、このように外来の宗教である仏教と対になる日本固有の信仰を指したものだった[36][37]。また、稲作のような自然の理法に従う営みを指して神道とする解釈もある[38]

中世には仏教理論との関連から神道の教義化・内面化が模索され、最終的に仏教から独立した独自の教義・経典・祭祀を持つ吉田神道が形成されて、神道界の主流となった。さらに近世には日本の古典研究に神道が統合されることで国学が成立し、倒幕運動に影響を与えた。こうして近代に入ると、明治政府によって国家神道体制が形成されたが、第二次世界大戦終結後には国家主義的イデオロギーの根源とされた同体制は解体され、現代においては宗教法人として各地の神社が活動している。

明治20年代(19世紀末)になると、西欧近代的な宗教概念が日本でも輸入され、宗教としての「神道」の語も定着し始めた。同30年代(20世紀初)には宗教学が本格的に導入され[39]、学問上で「神道」の語が確立した[40][要ページ番号]

教義

[編集]

もともと、神道にはイエス・キリスト釈迦のようなカリスマ的創唱者が存在しなかった[12]。政権による土着の民俗信仰との支配的な祭政一致が行われた神道が教義を言語で統一的に定着させなかったのは、古代より「神ながら 言挙げせぬ国[41]」だったからであるとも言われている[要出典]。そのため、外来諸教と融合しやすい性格を有することになったともいう[要出典]。神道のような土着の民俗信仰と宗派宗教の併存例は世界各地でみられるものであるが、その多様性は特異なものである[要出典]。ただ、実際には、仏教公伝の当初から、廃仏派の物部氏と崇仏派の蘇我氏の間でひと悶着もあった。

このように神道には明確な教義がないものの、古事記や日本書紀などのいわゆる「神典」には、神道の基本的な観念をうかがうことのできる記述があり[42]常世黄泉などの他界観や、荒魂・和魂祖霊などの霊魂観、むすひ、惟神(かんながら)、浄明正直などの倫理観、により穢れを払う清浄観などが、神道の基本的な観念と考えられる[42]

中世には、このような神道古典に見られる基本観念を体系的に追求し、神道の教学化を図る動きが見られた[42]。その最初期の動きは、両部神道山王神道など、仏教の僧侶たちが仏教の教理に基づいた神道解釈を試みた仏家神道であった[43]。それらの仏家神道説に影響を受けつつ、それに対抗する形で、神宮神官らにより社家の立場からの神道説である伊勢神道が形成された[44]。伊勢神道の教説は、それまでの神道祭祀における観念を、外来宗教の語彙も活用しつつ論理化したものと捉えられ[45]、これまで神道祭祀において重んじられてきた祓や禊などの身体的清浄を心の問題として解釈し[46]、「正直」「清浄」を神道の徳目とした[47]。中世後期には、それまでの中世神道の展開を集大成し、仏教から独立した教義・経典・儀礼を持つ神道説である吉田神道が形成された[48]。吉田神道の教説は、この世の中の現象の全てに神が内在するという汎神論であった[49]

近世に入ると、儒教の隆盛に伴い、理当心地神道吉川神道などの儒家神道が盛んになり、神仏習合が強く批判され、儒教の徳目と神道の一致が説かれた[50]。儒家神道を集大成したのが垂加神道で、垂加神道説では神と人が「天人唯一之道」という合一状態にあるとし、神道とは人が神に従って生きることであり、人は神に一心不乱の祈祷を行うことで冥加を得なければならないが、それには人が「正直」でなければならず、その「正直」の実現には「敬(つつしみ)」が第一だとする教説が説かれた[51]。近世中期には国学が出現し、本居宣長は神道を儒教や仏教の教理によせて解釈することを強く批判した。近世後期には、平田篤胤がキリスト教の最後の審判の観念の影響を受けた幽明審判思想を唱えたり、その門人らが天之御中主神創造神とする単一神教的な観念を展開するなど、近代に連なる教理の展開を遂げた[要出典]。また、幕末には後期水戸学による神道説も唱えられ、国学と儒教を結びつけることで国体論を説き、尊皇論を唱え、幕末の志士たちの思想に影響を与えた[52]

近代には神道事務局祭神論争という熾烈な教理闘争もあったが、結局は、政府も神道に共通する教義体系の創造の不可能性と、近代国家が復古神道的な教説によって直接に民衆を統制することの不可能性を認識したため、大日本帝国憲法によって信教の自由が認められた[53]。もっとも、それには欧米列強に対して日本が近代国家であることを明らかにしなければならないという事情もあった[54]。このような経緯から、近代には神社非宗教論が説かれ、神社神道の神職らが宗教的な教義を説くことは政府により禁じられたが、他方で在野の神道家らによる神道教理が説かれるようになり、国家から公認を受けた教派神道13派が独自の神道の教えを説いて活動し、勢力を広げた[55]

神道における「神」

[編集]
大洗磯前神社の神磯の鳥居
厳島神社

神道では、気象、地理地形などの自然現象に始まり、あらゆる事象に「神」の存在を認める[38]。いわゆる「八百万の神々」である[38]アイヌの信仰にも共通点があり、アイヌ語の「カムイ」と「神(かみ)」という語の関係も深いと考えられている[56]。元来、神の姿は、浮遊する霊力で、物に寄り付いたり去っていったりする「魂」と想起されており、非人格的なものであるとされた[57](そのような性質から、神の分霊を無限に行うことができる)が、仏教の影響で神像などが製作されるようになり、次第に神は可視的なものと考えられるようになった[58]。神は、自然を感じ取り、そのもののままでは厳しい自然の中で、人間として文化的な生活を営むのにふさわしい環境と状態を、自然との調和に配慮しながらバランスを取り調節していき、人民生活を見回って、生活するための知恵や知識のヒントを与えたり、少し手伝ってあげたり、体や物を借りたときや何かやってもらったときなどには少しお礼をしたり、それが、日本の「神(かみ)」が行っていた仕事のひとつであり、日本人にとって「神」は、とても身近な存在であった[要出典]

また、神道における神は、理念的・抽象的存在ではなく、具体的な現象において観念されるため、自然現象が恵みとともに災害をもたらすのと同様に、神も荒魂・和魂の両面を持ち、人間にとって善悪双方をもたらすものと考えられている[57]。神は、地域社会を守り、現世の人間に恩恵を与える穏やかな「守護神」であるが、天変地異を引き起こし、病や死を招き寄せる「祟る」性格も持っている[38]。このように神は自然神から人格神へ、精霊的な神から理性的神へ、恐ろしい神から貴い神へ、進化発展があったととらえることができる[59]

神道の神の種類は、大別すると自然神と文化神の二つに分類ができる[58]。前者には、太陽神や月神、風神、雷神、山神、海神などの天体や地形、気象を神格した神のほか、蛇などの動物神も含まれる[58]。また、文化神は、屋敷神氏神産土神などの社会集団を守る神や、疫病神田の神漁労神軍神竈神など、人間生活における特定の場面や職能を守護する神に分けられる[58]ほか、生前業績があった人物を、没後神社を建てて神として祀る風習なども認められる(人神[38]。神道には、人間も死後神になるという考え方があり、神話に描かれる一族の先祖(祖霊崇拝)や社会的に突出した人物、地域社会に貢献した人物、国民や国のために働いた人物、国家に反逆し戦乱を起こした人物、不遇な晩年を過ごし死後怨霊として祟りをなした人物(御霊信仰)なども「神」として神社に祭られ、多くの人々の崇敬を集めることがある[38]

1881年の神道事務局祭神論争では、明治天皇の裁決によって伊勢派が勝利し、天照大神が最高の神格を得たが[60]、敗北した出雲派的なものがいまだに強く残っていたり、氏神信仰などの地域性の強いものも多い[38]

なお、戦前は学校の教科書などに、「神」についての認識の仕方の説明が載っていた。尋常小学校の歴史や修身の教科書などには、少年少女向けの歴史物語として、神話の説明が記載されている。神話の世界はとても人間的な世界で、そこには「神」と「人」を隔てる断絶は存在しない。神もまた、人間のように仕事をし、生活をしている[要出典]。昭和8年の『少年國史物語』では、「神代の物語」の項目に、「どこの國でも大昔の事ははつきりとは分らないものだが」と前置きをして、神代の事から始まる日本の歴史について「神代といふのは、我が國の大昔に相當の身分であつた方たちを後の世の人が尊敬して、すべて神として崇めてゐるところから、その方たちの時代を指してさう呼んでゐるのである」と説明されている[61][62]

神道の研究

[編集]

平安時代以前より出雲において日本神話との関わりが議論されていたとされ、『出雲風土記』には他所風土記とは違い、そういった性格を色濃くみることができる[要出典]

鎌倉時代には伊勢神宮神官による学問的研究がはじまり、徐々に現在の神祇信仰の形を取るに至った[38]。そして、そうした伊勢派の努力はやっと江戸末期のお伊勢参りの確立によって知識人よりも祖霊性の強い庶民の一部からも支持を得ることに成功した。一方で、本居宣長が江戸期に『古事記』の詳細な注釈を行い、国学の主流を形成していった[63]。これら神道や国学の目覚めが欧米列強に植民地化されつつあったアジアの中で、日本の自覚を促し、明治維新を成功に導く思想的流れの一角を成した。神道が形成される過程において、古代は仏教から強く影響を受け、近世では儒教の日本への流入が大きい。伊勢派の果たしたことはそれに対抗する神道側の努力だったと考えるべきだろう[要出典]

神道史の本格的な研究は宮地直一によって体系化された[要出典]。彼は神代史(神話)と歴史を区別した講義を國學院大學の前身である皇典講究所開催の神職講習会で行い、『神祇史』(皇典講究所國學院大學出版部)として1910年(明治43年)に出版している[64]

神道の成立期については諸説出されている。おもな説として次の四説があげられている。その第一説は、7世紀後半・8世紀、律令祭祀制。天武・持統天皇朝説。この説は大方の了承を得られる妥当な学説と考える。第二説は、8・9世紀、平安時代初期説。提唱者は高取正男。第三説は、11・12世紀、院政期成立説。提唱者は井上寛司。第四説は、15世紀、吉田神道成立期説。提唱者は黒田俊雄[65]

現代の神道

[編集]
神社の例(箱根神社

神道に属する神々を祭神とする社を神社(じんじゃ)といい、全国の神社の大部分は神社本庁が統括している[66]。なお、神社本庁は「庁」と称しているが、行政機関ではなく宗教法人のひとつである[67]

皇室と神道

[編集]
天皇陵仲哀天皇・恵我長野西陵)
皇室の祖先神を祀る伊勢神宮内宮
1990年(平成2年)第125代天皇(現・上皇)の大嘗祭
大嘗祭は新天皇の即位後、五穀豊穣と国民安寧を祈る神道祭祀である。

宮中祭祀に見られるように、皇室と神道は歴史的に密接な関わりを持ってきた。記紀神話には、神武天皇が大和橿原の地で即位したのちに鳥見山の祭壇で祭祀を行ったとの記述があり、古代においては祭政一致の観念のもと、神祭りを行うことと国を治めることが一体であり、そのいずれもが天皇の役割であると考えられていたとされる[68]。そして、記紀には崇神天皇の時代に天神地祇を祀る制度が整備されたとされ[69]、律令制の整備が進む飛鳥時代には、神祇官より全国の神社へ幣帛が頒布される班幣制度が整備された[70]。平安時代以降は、天皇が名神大社に対して勅使を派遣して奉幣と宣命の奏上を行わせる名神大社奉幣が盛んになり、次第に二十二社への奉幣と展開した[71]。平安時代の中期以降は、律令制度の弛緩に伴う神祇官の衰退により、天皇の親祭が高まり、年始の元旦四方拝や天皇が内裏で毎朝、「石灰壇」と呼ばれる台で伊勢神宮を遥拝する毎朝の御拝や、即位に際して特定神社へ神宝を送る一代一度の大神宝使の制度が始められたほか、神社の行宮まで天皇が赴く行幸も始められた[72]

中世の戦乱で、皇室儀礼や皇室の神道儀礼などは廃絶していったが、江戸時代に入ると復興されてゆき、伊勢神宮の神嘗祭に際しての例幣使派遣(伊勢例幣使)は1647年正保4年)に、二十二社のうちの上七社及び宇佐八幡宮・香椎宮への奉幣は1744年延享元年)に復興された。天皇の特定神社への奉幣は、近代を経て現代にも受け継がれており、現在では賀茂神社、石清水八幡宮、春日大社をはじめ16の神社が勅祭社とされ、天皇からの奉幣にあずかっている。

多くの日本国民が仏教と神道の習慣と信仰を両立させているように、皇室も神道の祭祀と仏教の行事をともに行っていた。他方で、『貞観儀式』『儀式』などの規定によって、大嘗祭の期間は中央及び五畿の官吏が仏事を行うことが禁じられ、中祀および内裏の斎戒を伴う小祀には、僧尼の代理への参内を禁じ、内裏の仏事が禁じられたほか、平安時代中期以降には、新嘗祭、月次祭、神嘗祭などの天皇自らが斎戒を行う祭においては、斎戒の期間中内裏の仏事をやめ、官人も仏法を忌避することとなるなど、神道儀礼と仏教儀礼は、朝廷においては明確に区分されていた[73]。朝廷の復権を志向した光格天皇以降は、朝廷の儀礼における神道の要素が高まった。明治天皇の代で行われた神仏分離や神道国教化に伴い、仏教と皇室の直接的な関係は薄れたが、皇室菩提寺であった泉涌寺と宮内省の特別な関係は日本国憲法施行時まで続いた[要出典]

アニミズムと神道

[編集]

八百万の神々を信仰対象とする神道は、すべてのものが精神的な性質(人格があるか、擬人化された魂、霊等)を持つと信じるアニミズムの特徴を保持してきたと考えられている[74]。動植物やその他の事物に人格的な霊魂、霊神が宿るとするアニミズムは、非人格的な超常現象、超自然的な呪力を崇拝するマナイズム(呪力崇拝)とは区別される[75][76]アニミズムはすべてのものに魂があると主張するのに対し、物活論はすべてのものが生きていると主張する。[77]:149[78]

たたりを恐れ崇拝の対象とする死霊崇拝は未開宗教におけるアニミズムの一形態とされている[79]。未開社会で行われるシャーマンによる呪術の代わりに、神社では怨霊を鎮めるために神として祀った[80]。死を霊魂の永久離脱として他界に赴くが、死霊や動物霊は定められたときにこの世を訪れ、人に憑いて健康を損なわせるとされる。狐憑き、ヤコツキ、オサキツキは動物霊憑依の例である[81]

未開社会において特定の氏族、部族が自然現象・自然物や動植物と超自然的関係で結ばれることをトーテムと呼ぶ[82]南方熊楠は、大物主トーテムとした[83]

神道はアニミズム的宗教であり、その特徴の一つに祭政一致がある[84]。祭政一致は英語ではSaisei itchiとしてそのまま神道の用語として用いられており[84][85][86][87]柳川啓一は祭政一致を職業聖職者が直接統治を行う神権政治とは異なるものとして定義した[88]。原始・未開社会の宗教の超自然観はアニミズム的であり、霊的存在に対して呪術的にかかわる。特定の開祖がなく、儀礼が公的に行われる。法・政治・経済・道徳・慣習などと密接にかかわり、祭政一致し、祭と経済的活動が同一の場で行われ、タブー(禁忌)が法的または道徳的観念・行動と重なる[89][90]。祭政一致は主として古代天皇制の文脈において言及されてきた[91]。古代天皇制国家の形成において大嘗祭の祭式と密接に結びついて成立した王権神話に象徴されるように、政治主権者は原始・未開社会に遡り宗教祭祀者の機能とは未分化であり[91][92]、天皇家が諸部族の首長の祭祀権、祖神とその神話を血縁的系譜関係の神話的設定を通して奪い取り政治的統合を実現した[91]。原始・古代社会では風雨雷地震などの自然現象、狩猟・農耕の収穫にいたるまですべて神意と考えられていたが、この思想は古代天皇制国家統一の支柱となり、律令制において神祇官を設置、中世の神道思想から江戸時代国学へと受け継がれ、明治維新以後は神道国家観によって天皇の「まつりごと」を強調する傾向が生じ、昭和に入ると天皇を現人神とするようになった[93]

明治維新後の新政府は「太政官布達」で祭政一致し神祇官を再興すると布告した[94]。日本でもの告げる神託が政治的な権威をもったヤマト王権の統治体制に遡ることができる[95]

シャーマニズムと神道

[編集]

宗教人類学者の佐々木宏幹は、シャーマニズムには次のような3つの要素があるとした[96]

  • トランスという特別の精神状態において脱魂(ecstasy)または憑依(憑霊)(possession)が行われる
  • ・精霊などの超自然的存在と直接接触・交流・交信
  • 社会的に一定の役割を持つ信仰と行動の体系

神代紀の天鈿女命、崇神紀の倭迹迹日百襲姫命、仲哀紀の神功皇后などは突然神がかり(憑依)、狂躁乱舞しており、シャーマンの例として挙げられてきた[97][98]

山上伊豆母は、4世紀の三輪王朝、5世紀の河内王朝、そして崇仏派の蘇我氏による大化の改新によって律令制国家となる以前の大和朝廷は、三輪氏多氏といった巫を司る一族と政を司る大王の共同統治が行われてきたと主張している[95]

シャーマニズムは大きく脱魂憑依(憑霊)の2つにわけることができるが、東アジア(日本、韓国、台湾、中国大陸)、東南アジアのシャーマンに脱魂(ecstasy)型がないとは言えないが、圧倒的に憑依(possession)型が多い[99]

小口偉一は、日本の宗教信仰の基底にシャーマニズム的傾向があるとし、神道系新宗教の集団の形成や基盤も同様であるとした[98]。神道系新宗教教祖らの中には召命型シャーマン[要曖昧さ回避]の系統に属するものがいると考えられている[98]

信仰

[編集]

神社信仰の性格は、大きく分類すると氏神型信仰と勧請型信仰(崇敬祈願型信仰)の2つに分けられる[100]。古代における信仰は、前者の、地域ごとに氏神産土神を祀る閉鎖的な共同体祭祀が中心であったが、中世に入ると、霊威のある神々が地域を越えて各地に勧請され、個人の祈願が行われる勧請型の信仰が増加した[100]。中世期の律令制の崩壊と荘園制の成立に伴い、特定神社を国家が支える古代的な律令祭祀制度が崩壊し、荘園領主たちが有力神社を本所として荘園を寄進するようになった結果、その寄進された社領にその分霊社が勧請されるようになったことや、各神社が御師をして地方まで信仰を広げる活動をはじめたことなどが、中世期に入って神社信仰が拡散する要因となった[100]。また、中世期の惣村では、村民たちは日常の農耕生活の中で神社に寄り合い、村民の中から一年交代で年番神主が選ばれていたり、オトナ・年寄と呼ばれる古老が取り仕切り若者衆が神事の奉仕に当たる神事運営のための祭りの編成組織である宮座が結成されるなどしたほか、村の取り決めに際しては起請文を記して神に誓約し、一揆の時には一味神水が行われるなど、神社は、民衆の精神的拠り所となっていった[101]

近世期に入ると、治安や交通の改善によって人々の神社参詣がさらに活性化し、一層庶民の間での神社信仰が広がった。各村ではが結成され、毎年わずかなお金を積み立て、その共同出資をもとに籤で選ばれた代表者が神社に参詣し、講員全員分のお札などを受け取って帰る代参講が流行し、各講は御師や先達と師檀関係を結び、御師は講員の祈祷や参詣における宿泊の便を図った[102]。このようなことから、数百万人が短期間で伊勢神宮に参拝したと記録されるお蔭参りをはじめ、近世期には多数の人々が神社に参詣した。他方で、近世期の神社参詣は、近世社会における輸送組織の発達や道中での宿屋・遊楽施設の充実などにより、道中において様々な名所を見物したり、遊興を行うといった、観光・娯楽的な要素も多く持つものであった[103]。このような観光と寺社参詣の結びつきは、近代を経て現代でも受け継がれており、観光における神社の存在感は大きなものとなっている[104]。この他、現在における神社への信仰は、初詣お宮参り七五三結婚式など、個人や家族の年中行事や人生儀礼において現れている[105]

以下では、特に全国的に広がった神社信仰について概覧する。

参拝の方法

[編集]

簡易な参拝

[編集]
厳島神社(広島県廿日市市)

以下は一般的な参拝の流れである。神社によっては作法が異なることがある。多くの場合、その旨の表示がある。

参拝を行う日は毎月1日と15日がよいとされる。参拝する前に、本来は神の前に向かう前に心身を清めるが必要である。これは神が「穢れ」を嫌うとされることによるが[112]、現代であれば、一般参拝では入浴シャワーなどで身体を清潔にしてから参拝する心がけが望ましい。神社に到着し、鳥居神門[要曖昧さ回避]をくぐる際は「小揖(身体を15度折り曲げるお辞儀。会釈に相当)」するのが望ましい。このときには脱帽し、服装もきちんと整えるようにする。

次に手水舎にて手水を使い、手口を洗う。これは拍手と神拝詞奏上を行う手口(さらには)を清める意味合いを持つ、ひとつの禊である。手水の作法としては、

  1. まず、手水舎の前で小揖する。
  2. 柄杓を右手で持って水をすくい、その水を左手にかけて清める。
  3. 柄杓を左手に持ち替え、右手を洗い清める。
  4. 柄杓を再度右手に持ち替え、すくった水を左手に受けて溜め、この水で口をすすぐ。口をすすぐ際には口が直に柄杓に触れないようにする。
  5. これらが終わったあと、使った柄杓を洗い清めるが、このときは水を入れた柄杓を立て、柄に水を流すようにして洗う。柄杓を洗うのには次の人のための配慮という意味合いもある。
  6. 洗い終わった柄杓は元の位置に伏せて置き、最後に口と手を拭紙やハンカチなどでぬぐう。
  7. 最後にもう一度小揖する。
  8. これらの作法は一連の動作で行うのが好ましい。

なお、巫女の補助がつく場合には、作法は巫女の指示にしたがうようにする。手水を使い終わったら拝礼を行うために参道を通り社殿へと向かう。神前ではまず神への供物として(供物を捧げるほかにお祓いの意味もあるといわれる)賽銭箱に賽銭を奉納する[113]。次に賽銭箱の近くにある鈴鐘を鳴らすが、これには邪気を払う[112]、清らかな音色で神を呼び寄せて参拝に訪れたことを神に告げる、参拝者を敬虔な気持ちにするとともに神霊の発動を願うなどの意味合いがあるとされる[114][115]

鈴鐘を鳴らした後に拝礼を行う。拝礼の基本的な作法は、現在は「再拝二拍手一拝」(あるいは「二拝二拍手一拝」「二礼二拍手一礼」)がおもに利用されている[112]。すなわち、

  1. 拝(身体を90度折り曲げるお辞儀)を二度行う。
  2. 拍手を二度打つ。より具体的には、両手を胸の高さで揃えて合わせ、右手を下方向に少し(指の第一関節ほど)ずらし、その状態で両手を二度打ち合わせてを出し、ずらした右手を再び揃えて祈念を込め最後に両手を下ろす[116]
  3. 一拝する。
  4. 神拝詞を奏上する場合は、再拝→神拝詞奏上→再拝二拍手一拝の順で行う。

というもの。再拝二拍手一拝の前後に深揖(身体を45度折り曲げるお辞儀。最敬礼に相当)を行うとより丁寧である。祈願を行う場合は二拍手と一拝の間に氏名および居住地と願い事を(声に出して、あるいは心の中で)陳べるのが一般的となっている。また、神恩感謝を述べたい場合も同様である。参拝時は、目を閉じることなく目を開けたままが望ましい[要出典]。正式参拝や祈祷などで玉串を捧げる場合は、上記の深揖と再拝の間で、玉串に祈念を込めて根本を神前に向けるようにお供えする[117]

一部の神社では作法が異なっており、たとえば、出雲大社宇佐神宮彌彦神社では「四拍手」である。伊勢神宮熱田神宮での神事では「八度拝、八開手」となっている[118]

への供物
厳島神社に奉納された酒樽。手前に千福が見える。
香取神宮、御田植祭御斎田での供物。香取市。

注意事項

[編集]
  • 身内に不幸があった人は50日間(仏式の49日)を経過するまで神社参拝は控える必要がある[112][119]死穢の観念からである[120]
  • 神前に捧げる御饌は、火を通したもの(熟饌)を供える場合、神聖な炎として厳粛に起こされた火を用いるのが望ましい[121]
  • 一部で女性は音を立てて拍手してはいけないという珍説を信じる者がいるが、間違いである。そもそも拍手は音を立てるものであり、音をかすかにたてる拍手は「忍び手」と言って、性別関係なく葬儀で用いるものである[122]

神道諸派

[編集]

神道を題材とした作品

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 日本書紀』では、日本列島外(ここでは百済)で神が祀られることが想定されていると取れる記述がある。
    蘇我卿曰「昔在天皇大泊瀬之世、汝國、爲高麗所逼、危甚累卵。於是、天皇命神祇伯、敬受策於神祇。祝者廼託神語報曰『屈請建邦之神・往救將亡之主、必當國家謐靖・人物乂安。』由是、請神往救、所以社稷安寧。原夫建邦神者、天地割判之代・草木言語之時・自天降來造立國家之神也。頃聞、汝國輟而不祀。方今、悛悔前過・脩理神宮・奉祭神靈、國可昌盛。汝當莫忘。」
    欽明天皇十六年二月条
  2. ^ 神典という古典群が聖典として扱われることがある
  3. ^ ただし仏教を仏道と呼んだり、儒教を儒学と呼んだりする。また、「キリスト教」は明治以降の語で、安土桃山時代から江戸時代には「切支丹」と呼ばれていた。
  4. ^ 教派神道の『神道各派』から区別された神ながらの道はとくに国家神道とも呼ばれるが、法律家や行政実務家は以前からそれを神社と呼ぶのが例であった[26]。現在では政教分離が進んで「神社」の語義が変化しており、国家神道を単に「神社」と称することはほぼなくなった。しかし、この様な国家神道の概念・語を、創作・捏造とする説もある。昭和26年の宗教法人法により、多くの神社が政府機関から伊勢神宮を中心とした神社本庁傘下の宗教法人へと変更された経緯がある[27]
  5. ^ 正確には、天理教は政府の弾圧を避けるために教派神道となり、現在は諸派に分類されている

出典

[編集]
  1. ^ 大内 建彦 (1993). “アジスキタカヒコネと建国神 (II):原ヤマトタケル伝承と四・五世紀史序説”. 城西大学女子短期大学部紀要 10 (1): 39-47. doi:10.20566/02897849_10(1)_b39. 
  2. ^ これは『宗教年鑑』(文化庁)に基づく神道支持者とされる者の数で、神社側の自己申告によるものである 『宗教年鑑 令和3年版』
  3. ^ 伝説の後南朝 神器巡る悲劇、今に伝える 朝拝式(奈良県川上村) …|エンタメ!|NIKKEI STYLE”. web.archive.org (2017年4月9日). 2019年12月1日閲覧。
  4. ^ 松村明ほか (2018年). “デジタル大辞泉”. 小学館. 2019年1月8日閲覧。
  5. ^ 神社本庁 神道とは
  6. ^ a b 神道国際学会のホームページ”. 2019年6月30日閲覧。
  7. ^ 岡田荘司 2010年 p.22-23
  8. ^ a b 『世界大百科事典』 217-218頁。
  9. ^ 『神道』 12-13頁。
  10. ^ a b 岡田荘司 2010年 ⅲページ
  11. ^ 長野県神社庁のホームページ”. 2016年3月24日閲覧。
  12. ^ a b 『神道』 18頁。
  13. ^ 神社本庁教学研究所監修 編『神道いろは-神社とまつりの基礎知識-』神社新報社、2007年1月25日、14頁。 
  14. ^ a b 大島宏之 『この一冊で「宗教」がわかる!』 三笠書房
  15. ^ 第6部 流浪する神仏 宗教の変革|明治維新150年「維新鳴動-かごしま再論-」”. 南日本新聞. 2024年5月28日閲覧。
  16. ^ 神社本庁教学研究所監修 編『神道いろは-神社とまつりの基礎知識-』神社新報社、2007年1月25日、14、15頁。 
  17. ^ 末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)6頁
  18. ^ 末木文美士『中世の神と仏』山川出版社(2003)14頁
  19. ^ 全国歴史教育研究協議会『日本史B用語集―A併記』(改訂版)山川出版社。 
  20. ^ 『宗教年鑑 平成29年版』 (PDF)
  21. ^ 日本の宗教人口-2億と2-3割の怪の解-” (PDF). 武蔵野大学仏教文化研究所 渡辺浩希. 2014年7月3日閲覧。
  22. ^ a b 『神道』 20頁。
  23. ^ 主要祭儀一覧”. 宮内庁. 2018年5月24日閲覧。
  24. ^ 『世界大百科事典』 219頁。
  25. ^ 『神道』 134頁。
  26. ^ 宮沢俊義『憲法講話』(第2版)岩波書店岩波新書〉、1967年6月1日(原著1967年4月20日)、pp. 28-29頁。 
  27. ^ 石原藤夫 『靖国神社一問一答』(展転社、2002年12月23日) 26頁。
  28. ^ 国家神道”. コトバンク. 2019年12月16日閲覧。
  29. ^ 小林宣彦 (2020年4月10日). “コミュニケーションがとれない日本の神=自然 災害対策施策としての祭祀の歴史”. 國學院大學メディア. 2020年11月12日閲覧。
  30. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),68-69頁
  31. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),72頁
  32. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),14-15頁
  33. ^ 表記例として、『日本文徳天皇実録』(9世紀成立)仁寿元年(851年)に、「神那我良(かんながら)」の記述がみられる。
  34. ^ 『世界大百科事典』216頁
  35. ^ 即位前紀。
  36. ^ 『世界大百科事典』216-217頁。
  37. ^ 『神道』16頁。
  38. ^ a b c d e f g h 三橋健『決定版 知れば知るほど面白い!神道の本』 西東社
  39. ^ 磯前順一『近代における「宗教」概念の成立過程』 第3巻(初版)、岩波書店〈近代日本の文化史〉(原著2002年1月15日)、185頁。ISBN 400011073X 
  40. ^ 山口輝臣『明治国家と宗教』東京大学出版、1995年。
  41. ^ 万葉集』巻第13「柿本朝臣人麻呂の歌集の歌に曰く」。国歌大観番号3253番。
  42. ^ a b c 國學院大學日本文化研究所『神道事典』弘文堂(1999),366頁
  43. ^ 大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),345頁
  44. ^ 大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),348頁
  45. ^ 石田一良『神道思想集』筑摩書房(1970),16頁
  46. ^ 大隈和雄『中世神道論』岩波書店(1977),355頁
  47. ^ 神社本庁編『神社のいろは 続』扶桑社(2013),101頁
  48. ^ 伊藤聡『神道とは何か』中公新書(2012),243頁
  49. ^ 伊藤聡『神道とは何か』中公新書(2012),237-238頁
  50. ^ 阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),67頁
  51. ^ 平重道・阿部秋生編『近世神道論・前期国学』岩波書店(1972),545-550頁
  52. ^ 阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),70頁
  53. ^ 『日本史大事典』平凡社1993年、「国家神道」の項参照。
  54. ^ 『日本思想体系 5 宗教と国家』岩波書店、1988年、541-553頁。ISBN 4-00-230005-6 
  55. ^ 阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),78頁
  56. ^ 菅田正昭 『面白いほどよくわかる神道のすべて』 日本文芸社
  57. ^ a b 國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),37頁
  58. ^ a b c d 國學院大學日本文化研究所編「神の語義と類型」『神道事典』弘文堂(1999),38頁
  59. ^ 直木孝次郎の説、1982年。岡田荘司 2010年 24頁。
  60. ^ 『古神道の本』 学研 30頁。
  61. ^ 石原藤夫 『靖国神社一問一答』(展転社、2002年12月23日) 52頁。
  62. ^ 前田晁 『少年國史物語』 早稲田大学出版部
  63. ^ 『神道の本』 学研 174、175頁。
  64. ^ 岡田荘司 2010年 ⅴページ
  65. ^ 岡田荘司 2010年 15-16頁。
  66. ^ 『神社』 136頁。
  67. ^ 島田 裕巳 神社で拍手を打つな! -日本の「しきたり」のウソ・ホント 出版社: 中央公論新社 (2019/11/7) P24
  68. ^ 神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),36頁
  69. ^ 神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),18頁
  70. ^ 神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),42-43頁
  71. ^ 神社本庁監修『神社のいろは 続』扶桑社(2013),63頁
  72. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),140-148p
  73. ^ 佐藤眞人「神道と仏教」『神道事典』弘文堂(1999),24-26p
  74. ^ Nelson 1996, p. 7; Picken 2011, p. 40.
  75. ^ ブリタニカ・ジャパン 2021d, p. 「自然崇拝」.
  76. ^ ブリタニカ・ジャパン 2021e, p. 「精霊崇拝」.
  77. ^ Skrbina, David. (2005). Panpsychism in the West. MIT Press. ISBN 0-262-19522-4
  78. ^ Carus, Paul. (1893). "Panpsychism and Panbiotism." The Monist. Vol. 3, No. 2. pp. 234–257. JSTOR 27897062
  79. ^ 小学館 2021d, p. 「死霊崇拝」.
  80. ^ ブリタニカ・ジャパン 2021c, p. 「怨霊」.
  81. ^ 小学館 2021a, p. 「アニミズム」.
  82. ^ 平凡社 2021a, p. 「トーテム」.
  83. ^ 南方熊楠 『南方熊楠全集』第2巻 119頁
  84. ^ a b Nigosian, S. A. (January 1, 1994), World Faiths, Bedford/st Martins; 2nd edition, pp. 217-218, ISBN 978-0312084141 
  85. ^ saisei-itchi”. Encyclopedia Britannica. 2022年1月10日閲覧。
  86. ^ Public Shrine Forests? Shinto, Immanence, and Discursive Secularization, Aike P. Rots, Japan Review 30 Special Issue (2017): p.187
  87. ^ Saisei itchiは"the unity of religion and government"か"the unity of ritual and government"と直訳され神道固有の概念として解説されている
  88. ^ Between Unity and Separation: Religion and Politics in Japan, 1965-1977 Yanagawa Keiichi and David Reid, Japanese Journal of Religious Studies 6/4 December 1979. p.502
  89. ^ 小学館 2021b, p. 「原始宗教」.
  90. ^ 小学館 2021c, p. 「原始宗教」.
  91. ^ a b c 平凡社 2021d, p. 「祭政一致」.
  92. ^ 平凡社 2021c, p. 「祭政一致」.
  93. ^ ブリタニカ・ジャパン 2021f, p. 「祭政一致」.
  94. ^ 「此度王政復古,神武創業ノ始ニ被為基,諸事御一新,祭政一致之御制度ニ御復被遊候ニ付テハ,先第一神祇官御再興御造立ノ上……(後略)」安丸良夫宮地正人編『日本近代思想大系5 宗教と国家』425ページ
  95. ^ a b 山上 1989, pp. 84–100.
  96. ^ 佐々木 (1984)、4-11頁。
  97. ^ 平凡社 2021b, p. 「神がかり」.
  98. ^ a b c 佐々木 (1973), pp. 249-253.
  99. ^ 『宗教学事典』丸善出版、2010年、311頁。 
  100. ^ a b c 阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),51頁
  101. ^ 阪本是丸・石井研士編『プレステップ神道学』弘文堂(2011),56頁
  102. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),219-220頁
  103. ^ 新城常三『社寺と交通』日本歴史新書(1960),118-119頁
  104. ^ 小林宣彦. “寺社観光とは”. 全国寺社観光協会. 2021年12月23日閲覧。
  105. ^ 岡田莊司編『日本神道史』吉川弘文館(2010),324-325頁
  106. ^ 宝賀寿男『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。
  107. ^ 宝賀寿男「上古史の流れの概観試論」『古樹紀之房間』、2009年。
  108. ^ a b 宝賀寿男『古代氏族の研究⑬ 天皇氏族 天孫族の来た道』青垣出版、2018年。
  109. ^ 宝賀寿男『古代氏族の研究⑦ 三輪氏 大物主神の祭祀者』青垣出版、2015年。
  110. ^ 宝賀寿男『古代氏族の研究⑭ 蘇我氏 権勢を誇った謎多き古代大族』青垣出版、2019年。
  111. ^ 宝賀寿男「甲斐国造の系譜」『古樹紀之房間』、2016年。
  112. ^ a b c d 『神道』 120頁。
  113. ^ お賽銭について”. 神社本庁. 2020年2月1日閲覧。
  114. ^ 外山晴彦、『サライ』編集部 編 『神社の見方』 小学館 122頁。
  115. ^ 参拝の際に鳴らす鈴について”. 神社本庁. 2020年2月1日閲覧。
  116. ^ 『神道の本』105頁。
  117. ^ 神社本庁編『神社祭式同行事作法』91頁
  118. ^ 井沢元彦 神霊の国日本 p.32
  119. ^ 服忌”. 神社本庁. 2020年2月1日閲覧。
  120. ^ 『神道行法の本』 学研 195頁。
  121. ^ 『神道の本』43頁。
  122. ^ 細木数子の参拝作法は「誤り」 全国の神社から苦情 JCASTニュース、2007/3/ 1
  123. ^ a b 神道の本-八百万の神々がつどう秘教的祭祀の世界 (NEW SIGHT MOOK Books Esoterica 2) 出版:学習研究社 1992/3 ISBN 978-4051060244
  124. ^ a b 『神道ガイド』村上書店1996年1月30日発行222頁中180頁

参考文献

[編集]

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]