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宮中三殿

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
宮中三殿
所在地 日本の旗 日本東京都千代田区千代田1番1号
位置 北緯35度40分54秒 東経139度44分59秒 / 北緯35.68167度 東経139.74972度 / 35.68167; 139.74972座標: 北緯35度40分54秒 東経139度44分59秒 / 北緯35.68167度 東経139.74972度 / 35.68167; 139.74972
主祭神 賢所:天照大御神
皇霊殿:歴代天皇皇族の霊
神殿:天神地祇
社格 なし
例祭 賢所:1月3日(元始祭)・10月17日(神嘗祭
皇霊殿:1月7日(先帝祭)・春分日春季皇霊祭)・4月3日(神武天皇祭)・秋分日(秋季皇霊祭)
神殿:春分日(春季神殿祭)・秋分日(秋季神殿祭)
神嘉殿:11月23日(新嘗祭
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宮中三殿(きゅうちゅうさんでん)は、皇居吹上御苑にある賢所皇霊殿神殿の総称。これら三殿を一括して「賢所(けんしょ)」とも称する[1]

宮中三殿は皇祖天照大御神を祀る賢所(かしこどころ/けんしょ)を中央に、その西側に位置する歴代の天皇皇后皇族の霊を祀る皇霊殿(こうれいでん)、その東側に位置する天神地祇八百万神を祀る神殿(しんでん)からなる[2]

概説

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黄櫨染御袍と御祭服を着用した天皇在位時の明仁 黄櫨染御袍と御祭服を着用した天皇在位時の明仁
黄櫨染御袍と御祭服を着用した天皇在位時の明仁

宮中三殿は南面して建てられており、賢所を中央に、その西側に皇霊殿、東側に神殿がある[3]。賢所は三殿の中でも最も大きい。

宮中三殿の建築は単層入母屋妻入の形式で、向背を付した白木造りである[3]。三殿の屋根は、当初は檜皮葺だったが、後に銅板葺に改められている[4]

宮中三殿の内部はそれぞれ外陣、内陣、内々陣(内内陣)に分かれている[3]

建物は板敷で、半蔀(はじとみ)や障子などの建具をそなえ、さらに外周には簀子が取り付けられている[3]。 正面にはそれぞれの階段があり、さらにその前方に石階が設置されている[3]

儀礼と祭祀

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宮中三殿では、皇室祭祀をつかさどるため、国家行政機関たる宮内庁の組織とは別の内廷の組織として、掌典職が置かれ[5]、掌典長の下に職員として掌典次長、掌典、内掌典が置かれている[2]

内掌典(一般の神社で巫女に相当する未婚女性)は全員が三殿北側の詰所に住む。毎朝午前8時から、賢所及び皇霊殿では内掌典、神殿では掌典が清酒神饌などを供える「日供の儀」(にっくのぎ)をそれぞれ行う。続いて、午前8時30分には、宮内庁侍従職の当直侍従が、賢所、皇霊殿、神殿を天皇に代わって拝礼する「毎朝御代拝」(まいちょうごだいはい)を行う。日供の儀及び毎朝御代拝の各儀式は、廃朝(天皇が執務しないこと)や宮中喪が発せられていても、欠かさず行われる。

宮中三殿の祭祀は、明治維新から宮中祭祀の変遷と漸次的集約を経て、教部省が成立した直後の明治5年4月2日1872年5月8日)に整ったと解されている[6]。このとき鎮座された皇居内の砂拝殿は、翌1873年(明治6年)に皇居西之丸から出火の際に類焼したため、赤坂仮御所へ動座された。現在の宮中三殿の建物は、宮内省一等匠手を務めた木子清敬の設計で、1888年(明治21年)10月に竣工し、翌1889年(明治22年)1月9日に遷座された。第二次世界大戦中の1944年(昭和19年)には、空襲を避けるため皇居内の防空壕である御斎庫(おさいこ)へ動座され(翌1945年(昭和20年)の終戦により戻る)、2004年(平成16年)6月18日には、建物の耐震劣化調査のため数十メートル離れた場所に設置した仮殿(かりどの)へ一時的に動座された(同月27日に戻る)。

なお、宮中三殿の構内には、附属するいくつかの建造物も配置されている。三殿の西方にあるのが神嘉殿(しんかでん)で、普段は空殿だが、毎年11月30日に新嘗祭が行われ、神嘉殿前庭では、元旦四方拝が行われる。その他、鎮魂祭天皇皇后の装束への着替えが行われる綾綺殿(りょうきでん)、皇太子皇太子妃の着替えが行われる東宮便殿(とうぐうびんでん)、神楽を奉納する神楽舎(かぐらしゃ)、楽師が雅楽を演奏する奏楽舎(そうがくしゃ)、列席者が待機する左幄舎(ひだりあくしゃ)と右幄舎(みぎあくしゃ)、賢所に正対する賢所正門、新嘉殿に正対する新嘉門などが配されている。

三殿

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賢所

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八咫鏡(イメージ)実物は非公開

神鏡(八咫鏡)を祀り、皇祖神の天照大御神を祀る[2]

賢所は平安時代温明殿(うんめいでん)、室町時代以後は春興殿にあり、かつては内侍が管理したため、「内侍所(ないしどころ)」とも称された[7]。掌典及び内掌典が御用を奉り、「忌火」(「神聖な火」の意味)を護り続けるとされる。神聖な場所のため穢れを嫌い、「次清」の別などの厳格な規律があるという[8]

古代から続くという宮中祭祀が行われ、現在の上皇后美智子皇后雅子皇族の妃らを宮中に迎える結婚の儀もここで行われた。その際、后妃が賢所を退出した際に婚姻成立とみなされる。

皇霊殿

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歴代天皇および皇族などの霊を祀る[2]

明治維新の際、神仏判然令により宮中でも祭祀改革が行われ、明治2年(1862年)、再興された神祇官(のち神祇省)が附属の神殿を創建し、併せて歴代天皇の霊を神式で祀った。このため、平安時代より宮中で歴代天皇を仏式で祀っていた「黒戸」は廃止され、歴代天皇の位牌(尊牌)や尊像は泉涌寺霊明殿」に移された[9]

明治4年(1871年)9月14日に宮中の賢所に遷座[10]。先述の明治6年(1873年)の類焼による赤坂仮御所への遷座後、明治10年(1877年)に歴代天皇に加えて皇后・皇妃・皇親の霊を合祀[10]。明治18年(1885年)には尊号が贈られた天皇も合祀された[10]。明治22年(1889年)の皇居造営に伴い賢所の西側に新たに造営された[10]

天皇や皇族の霊は、死後1年をもって皇霊殿に合祀される[11]。毎年春分の日には春季の、秋分の日には秋季の皇霊祭が行われる。また、1月7日は昭和天皇祭(先帝祭)、4月3日は神武天皇祭が行われ、式年(一定の年数)にあたる時は、御陵で天皇の親祭が営まれ、皇霊殿では皇太子・皇太子妃拝礼する。

神殿

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天神地祇八百万神を祀る[2]

本来は八神を祀る施設で八神殿と称された[12]。中世以降は神祇官の西院で祀られたが、正親町天皇の頃には官舎も失われた[13]。そのため卜部氏が京都吉田村神楽岡に奉斎して斎場所としたが、天正18年(1590年)に勅許により神祇官代と称することとし、八神の御神体は白川神祇伯邸内(白川伯王家)に祀られることになった[14]

明治時代になり神祇官によって東京に神殿が造営され、御神体は明治2年(1862年)12月17日にこの神祇官の神殿に鎮座された[15]。神祇官が神祇省に改められ、明治5年(1872年)に神祇省が廃止されたため八神と天神地祇は宮中に移され、同年11月27日に八神と天神地祇を合祀して神殿と改称した[16]

毎年春分の日と秋分の日には春季、秋季の神殿祭が行われる。

脚注

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  1. ^ 『皇室事典 令和版』株式会社KADOKAWA、2019年11月30日。 
  2. ^ a b c d e 皇室75号 2017, p. 43.
  3. ^ a b c d e 皇室75号 2017, p. 42.
  4. ^ 知られざる皇室ー伝統行事から宮内庁の仕事まで. 株式会社河出書房新社. (2010年1月30日) 
  5. ^ 宮内庁. “宮中祭祀”. https://www.kunaicho.go.jp/about/gokomu/kyuchu/saishi/saishi.html 2014年10月2日閲覧。 
  6. ^ 石野浩司 (2008年11月). “維新期「宮中三殿」成立史の一考察―毎朝御拝「石灰壇」祭祀の終焉として―”. 明治聖徳記念学会紀要〔復刊第45号〕. http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f45-4.pdf 2014年10月2日閲覧。 
  7. ^ 賢所”. コトバンク. 2021年1月17日閲覧。
  8. ^ 皇室の祭祀と生きて 内掌典57年の日々. 株式会社河出書房新社. (2017年3月10日) 
  9. ^ 石野浩司 (2015). “泉涌寺における明治期「霊明殿」の成立ー皇室祭祀と御寺泉涌寺の関係ー”. 明治聖徳記念学会起要 復刊第52号. 
  10. ^ a b c d 皇典講究所 1909, p. 18.
  11. ^ 天皇陛下、寛仁さまの墓所を参拝”. 日本経済新聞. 2013年6月10日閲覧。
  12. ^ 皇典講究所 1909, p. 21.
  13. ^ 皇典講究所 1909, p. 24.
  14. ^ 皇典講究所 1909, p. 25.
  15. ^ 皇典講究所 1909, p. 25-26.
  16. ^ 皇典講究所 1909, p. 26-27.

参考文献

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  • 皇典講究所『宮中三殿並に祝祭日解説』国晃館、1909年。 
  • 皇室編集部『皇室75号 2017年夏』扶桑社、2017年。 
  • 皇室事典編集委員会編『皇室事典 令和版』KADOKAWA、2019年
  • 久能靖『知られざる皇室ー伝統行事から宮内庁の仕事まで』河出書房新社、2019年
  • 高谷朝子『皇室の祭祀と生きて 内掌典57年の日々』河出書房新社、2017年

関連項目

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外部リンク

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