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ダウンタウンのごっつええ感じ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
橋爪光男から転送)
ダウンタウンのごっつええ感じ
GOTTSU "A" KANJI
別名 ごっつええ感じ
ごっつ
ジャンル バラエティ番組 / お笑い番組
出演者 ダウンタウン
浜田雅功松本人志
今田耕司
東野幸治
130R
板尾創路蔵野孝洋
YOU
篠原涼子
西端弥生
吉田ヒロ
山田花子
松雪泰子
伊藤美奈子 ほか
オープニング オープニングを参照
国・地域 日本の旗 日本
言語 日本語
製作
プロデューサー 佐藤義和
小須田和彦
大﨑洋
製作 フジテレビ
放送
放送局フジテレビ系列
音声形式モノラル放送ステレオ放送
放送国・地域日本の旗 日本
ダウンタウンのごっつええ感じ
マジでマジでアカンめっちゃ腹痛い
(正月特番)
放送期間1991年平成3年〉1月3日
放送時間木曜日 14:45 - 16:25
放送分100分
回数1
ダウンタウンのごっつええ感じ
(火曜ワイドスペシャル版)
放送期間1991年〈平成3年〉5月28日
1991年〈平成3年〉7月23日
放送時間火曜日 19:30 - 20:54
放送分84分
回数2
ダウンタウンのごっつええ感じ
(レギュラー放送)
放送期間1991年〈平成3年〉12月8日 - 1997年〈平成9年〉11月2日
放送時間日曜日 20:00 - 20:54
放送分54分
回数245
ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル
放送期間2001年〈平成13年〉10月12日
放送時間金曜日 19:00 - 20:54
放送分114分
回数1
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ダウンタウンのごっつええ感じ』(ダウンタウンのごっつええかんじ、ラテン文字表記:GOTTSU "A" KANJI)は、フジテレビ系列で放送されていたお笑いバラエティ番組。通称『ごっつええ感じ』または『ごっつ』。レギュラー放送は、1991年平成3年〉12月8日から1997年〈平成9年〉11月2日まで、毎週日曜日20:00 - 20:54に放送された。

概要

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ダウンタウン冠番組のひとつであり、『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)と並び東京進出したばかりの頃の代表的な出演番組でもある。番組はコントとロケ企画を中心に構成され、ダウンタウンのほか今田耕司東野幸治130R板尾創路蔵野孝洋)、YOU篠原涼子といったレギュラー出演者にとって一躍その名を全国区に知らしめた番組となった。

前身番組として、1991年正月の夕方に『ダウンタウンのごっつええ感じ マジでマジでアカンめっちゃ腹痛い』というタイトルの特番が放送された。その後、タイトルを縮めゴールデンタイムの『火曜ワイドスペシャル』の枠で行われた2度のトライアル放送で内容のひな形が構築され、1991年12月8日からレギュラー番組としてスタートした[注釈 1]。レギュラースタート時のキャッチコピーは、「バカ、ふたり。」。最盛期には裏番組でもある日本テレビの『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』と視聴率争いを展開し、ついには『元気が出るテレビ!!』を終了へと追い込んだ。

しかし、その過激な内容が人気を博した一方でいじめ差別などを連想させる企画や、危険なため真似してはいけない企画が多いとして視聴者から抗議や苦情も多く寄せられ、「親が子供に見せたくない番組」の上位の常連となった。フジテレビならびに吉本興業もこれを重く受け止め、ダウンタウンに番組内容の見直しを勧めたがコントに消極的な浜田に対して、コント構成も兼任している松本は聞き入れず結果として番組内容は過激化し、他の出演陣へも負担が大きくかかるようになっていった。それがさらに批判を呼ぶ一方で、視聴率の方も上がっていくというジレンマを抱え、フジテレビ内部でも番組の継続をどうするかで議論が度々起こっていた。

レギュラー出演者

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  • ダウンタウン
  • 今田耕司 - ダウンタウン以外で1991年正月特番から2001年スペシャルまでの全期間に出演している唯一のレギュラー出演者。
  • 東野幸治(正月特番、火曜ワイドスペシャル版、1994年10月23日 - 1997年11月2日、2001年スペシャル) - 『正月特番・火曜ワイドスペシャル版』に出演していたが、レギュラー放送開始では130Rに変更になった。理由は、浜田から「東野は協調性がないからアカン」の一言があったため。板尾の活動自粛がきっかけでレギュラー出演者に加入した。
  • 130R(1991年12月8日 - 1997年11月2日、2001年スペシャル)
  • YOU(正月特番 - 1997年4月20日、2001年スペシャル) - 番組開始当初はFAIRCHILDのメンバーであったが、1993年にバンドが解散した後はソロタレントとして出演した。1997年4月、妊娠のため降板。
  • 篠原涼子(1991年12月8日 - 1997年4月20日) - 番組開始当初は東京パフォーマンスドールのメンバーであったが、1994年9月にグループを卒業した後はソロ歌手・ソロタレントとして出演した。1994年に楽曲がヒットし芸能活動が多忙になったため、1995年秋以降はコントの出演はしなくなり、「the TEAM FIGHT」のコーナーのみの出演となった。
  • 西端弥生(火曜ワイドスペシャル版 - 1994年5月29日) - 産休のため休業したが、そのまま芸能界を引退した。
  • 吉田ヒロ(火曜ワイドスペシャル版 - 1992年9月27日) - 降板の挨拶などは一切なく番組を離れた。
  • 山田花子(火曜ワイドスペシャル版、1992年11月1日 - 1993年3月21日) - レギュラー出演者に加入する以前に『火曜ワイドスペシャル版』の「知っておこう」のコーナーにリポーターとして出演していた。プロレスラーに転身するため降板(その後芸能界復帰、末期の企画にメイン出演)。
  • 松雪泰子(1991年12月8日 - 1992年3月22日) - 1993年末に放送された「私が選んだまた見たいランキングBEST100」で再登場している。
  • 伊藤美奈子(1991年12月8日 - 1992年3月22日) - NHK朝ドラ『おんなは度胸』に出演が決まったため降板。

準レギュラー・コーナーレギュラー出演者

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  • 爆風スランプ(1991年12月 - 1992年3月)
    • サンプラザ中野
    • パッパラー河合
      • コントの合間に、持ち歌の「ちゃんちゃらおかぴー音頭」などを二人で炬燵の上で披露するブリッジ的コーナーで、詩は毎回新作が用意された。
  • ユニコーン(火ワイ版 - 1993年9月)
    • 奥田民生(末期の企画「芸能人マリオカート王決定戦」ではPUFFYと共に登場した。)
    • 阿部義晴
      • 爆風スランプと同じく、持ち歌の「風」の節に、毎回違う歌詞をのせた歌ネタを披露。のち「民生くんとアベくん」という1コーナーに独立し、二人があちこちの学校などに出向き、ご当地的に作詞された「風」を歌うというものになった。
  • ジミー大西(何をされたかツアーなど主にリアクション系の企画に数回出演し、画家転向後も1度出演した。)
  • Mr.オクレ
  • オスマン・サンコン
  • 若杉茂樹(浜田の高校生時代の恩師。一時期「ラブラブファイヤー」やコントにドッキリで頻繁に出演していた。)
  • 木村祐一
    • 1991年の正月特番に出演した後、本番組後期の放送作家を務めキャリー東野などの企画に出演することも多かった。
  • 岸田今日子(結婚前提戦士ラブラブファイヤー)
  • 原田大二郎(結婚前提戦士ラブラブファイヤー)
  • 橋爪光男(結婚前提戦士ラブラブファイヤー)
    • OPEDのキャスト紹介ではノンクレジットだった。当コーナーの終了後は2回番組の別企画に顔を出していた。また、イエロー・マジック・オーケストラが「テクノドン」のリリース会見を行った際には、オジンガーZとして司会を担当した。
  • 吉行和子(熱血刑事伝説こちら88分署)
  • 冨士眞奈美(木瓜の花)
  • 宮川一朗太(木瓜の花)
  • 佐藤蛾次郎(木瓜の花)
  • 八名信夫(木瓜の花)
  • 鈴木蘭々(改造人間カスタムひかる)
  • 藤原喜明(改造人間カスタムひかる他、1993年から94年にかけて出演。)
  • 佐藤和弘(草野球王)
  • 神田利則(草野球王)
  • 堀部圭亮(草野球王)
  • 工藤兄弟(草野球王)
  • 平光清(草野球王・審判)
  • 藤岡弘(藤岡弘とあそぼう)
  • 福井謙二(浜田雅功 完全試合に挑戦 / 浜ちゃんの剣道がんばるぞ!ほか、フジテレビアナウンサー)
  • 川端健嗣(浜ちゃんのスポーツがんばるぞ! / PAINTING QUIZ SHOW 俺ならこう描く!!ほか・進行、フジテレビアナウンサー)
  • 三宅正治(キャリー東野のアイドル虎の穴 / 草野球王 ~芸能界最強を目指して~・実況、フジテレビアナウンサー)
  • 西山喜久恵(草野球王 ~芸能界最強を目指して~・ベンチリポーター / 力也ちゃんと遊ぼう・進行、フジテレビアナウンサー)
  • 富永美樹(草野球王・ベンチリポーター / 巨大紙切りマッチデス・司会、フジテレビアナウンサー)

番組の歴史

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1991年12月 - 1993年3月

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『火曜ワイドスペシャル』時のメンバーだった今田、YOU、西端、ヒロ、ユニコーンの2人に加え吉本の若手お笑いコンビ・130R、東京パフォーマンスドールの篠原、前身番組の『夢で逢えたら』から伊藤、そして爆風スランプのサンプラザ・パッパラー、『夢逢え』の最終回ドラマに出演していた松雪といった陣営でレギュラー番組としての本番組はスタートした。しかし当初はまだ基本内容が固定されておらず、『火ワイ』時代のコーナーや単発企画で凌いだ。年明けには「ハマダ芸能社」「なんなんなあに何太郎君」「ラブラブファイヤー」などのレギュラーコーナーがスタート、番組のフォーマットが確立された。その年の春にはミラクルエースやオジンガーZなどの人気キャラクターも登場し、番組の人気は過熱していったが、93年春に一斉終了した。なお、松本のケガの影響により、VTR不足になり急遽生放送を行ったことがある。

1993年4月 - 10月

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『夢で逢えたら』の路線を引きずっていたオープニング枠が撤廃され、スタジオでの公開収録がメインになるなど番組構成に変化が起こる。「トラゴロウとゆかいな仲間たち」「木瓜の花」「カスタムひかる」「ボディコンかあちゃんコンテスト」「鼻リーグ」がこの時期の主なコーナーであったが、いずれも短命に終わった。「カスタムひかる」「木瓜の花」の終了によって連続コントドラマ枠も途絶え、ユニコーンの解散で奥田・阿部も番組を去った。

1993年11月 - 1995年3月

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それまでの『夢で逢えたら』の派生的雰囲気からダウンタウン色が濃厚なお笑い番組へと方向転換し始めた。初期キャラの生き残りでメインコーナーを与えられた「おかんとマーくん」も姿を消し、「かけめぐるジャッキーとマキ」「こんにさわ!!園長先生」「AHOAHOMAN」などバイオレンスさ・下品さの度を増したコントが量産された。さらに、この頃からコント以外のコーナーが増え、ゲームコーナー「ザ・対決」をはじめ、ドッキリやロケといった「緊急企画」が実施されるようになる。そして翌1994年には板尾が後述の騒動で番組を去り、西端も産休のため降板。ダウンタウン+今田、蔵野、YOU、篠原という少人数体勢での番組進行を余儀なくされる。この時期には「きょうふのキョーちゃん」というアニメコーナーが登場したが、その放送コードスレスレの過激描写は話題となった。そしてこの年の秋には「火曜ワイドスペシャル」版のメンバーだった東野を迎え、年明けには板尾も復帰し、8か月ぶりに8人になったレギュラーで番組は新たな方向性を模索していくことになる。

1995年4月 - 12月

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番組内容はスポーツ系アトラクションコーナー「THE TEAM FIGHT」を皮切りに、コントでは「Mr.BATER」「世紀末戦隊ゴレンジャイ」「キャシィ塚本シリーズ」「こづれ狼」「やすしくん」「産卵」「みすずちゃん」「殺人事件シリーズ」「放課後電磁波クラブ」など番組を代表するヒット作が多数生み出された。それに伴うように視聴率も急上昇し、この年は平均視聴率18.9%とかなり高い数字で推移、番組はいわゆる「絶頂期」へと突入する。男性メンバーのみで開始した「ボケましょう」もロケ企画としては久々のシリーズものとなり、このコーナーは板尾の独擅場であった。

1996年1月 - 1997年3月

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前年から続いていた人気コントシリーズが1995年秋 - 1996年中盤あたりで軒並み終了した。それに伴い新たに始まったシリーズコントは「たとえ警視」「とみよしさん」「サニーさん」「香川さん」「BOKE BOKE ヒノックン」「龍としのぶ」など特定の人物をモデルにしたものや、内輪ウケ、楽屋オチ、芸能ネタなどがコントの内容のほとんどを占めるものとなった。それに加えて初見の人には世界観などが理解しがたい玄人向けのコントが量産された。また、この時期は「オジャパメン」、「マウヤケソ」などの歌もの、「10万円分食べよう」や「草野球王」、「ビチクメーナーコンテスト」、「頭突きコンテスト」と芸人やタレントが単発ゲストとして出演する回数が頻繁にあり、よりダウンタウン色が大きく反映されていった。そんな中、年明け早々、対決コーナーの安全確認をスタッフが怠るトラブルが発生して松本が激怒、収録をボイコットする事件が起こり、急遽5周年突破企画として「公式ガイドブック」と称した総集編が4週にわたり放送された。

1997年4月 - 11月

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YOU、篠原が降板し、番組内容は「藤岡弘と遊ぼう」「ごっつええレギュラースカウトキャラバン」「山田花子愛の告白めっちゃ好きやねん」などのロケ企画がメインとなった。番組の土台であったコント枠が撤廃となるも、7月からのオープニング・エンディングに突如登場した「エキセントリック少年ボウイ」がCDオリコン初登場5位を記録し、ライブイベントまで行われるほどの人気を確保したものの、皮肉にもそのイベントが放送打ち切りへの引き金となった。

視聴率

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1991年12月から1997年11月まで5年11カ月、計245回放送され、全放送回の平均視聴率は15.8% (ビデオリサーチ・関東地区)。また、ダウンタウンなどのレギュラー出演者の出身地である関西地区では、関東地区よりも視聴率が高い傾向にあった。初回視聴率は関東18.2%、関西16.6%。最終回視聴率は関東14.9%、関西14.8%。下の表は、関東地区と関西地区の視聴率ランキングである(ビデオリサーチ調べ)。

順位 視聴率(CX) 放送年日 視聴率(KTV) 放送年日
1 24.2% 1995年11月12日 28.0% 1995年9月24日
2 23.6% 1995年9月24日 27.5% 1992年7月12日
3 22.1% 1995年4月9日 27.4% 1995年3月26日
4 21.9% 1995年11月26日 27.3% 1995年4月9日
5 21.8% 1995年3月26日 26.9% 1994年12月11日、1995年2月12日
6 21.6% 1996年1月14日 26.5% 1994年10月30日、1994年12月18日
7 21.2% 1994年10月2日、1994年12月18日 25.6% 1995年3月12日
8 21.0% 1995年12月24日 25.3% 1995年5月7日
9 20.9% 1995年2月19日 25.2% 1995年1月22日
10 20.6% 1994年12月11日 25.0% 1995年2月5日、1995年10月15日

放送内容

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主なコント

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最初のスペシャル一作目においてはコントは特に設定されておらず、二作目から登場した。当初は「夢で逢えたら」の流れを汲んだ安いセットと短い時間ですむショートものが多く、シリーズものにおいてもその都度暫定のタイトルを使っていたが、1993年の11月以降はタイトルパターンを一新し、内容も過激さを増していった。

主なコーナー

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緊急企画

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その他の企画

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日帰りの戦士 ブーメラン君
レギュラー第2回目でOA。浜田博士によって造られたニューヒーロー・ブーメラン君(松本)。どこへ飛ばされても、ブーメランのごとく必ず戻ってくるという性質を試すため、河田町から飛ばされた先は札幌の羊ケ丘展望台だった。一人寒いロケをやさられていることに気付き、怒りモードに変化しつつ浜田博士の研究室に戻ってきたブーメラン君は浜田博士に八つ当たりした。移動シーンで即興のテーマソングをブーメラン君が歌っている。
男の美学 ハードボイルド入門
レギュラー第3回目でOA。ハードボイルド作家・松本謙三(北方謙三のパロディ)作のショートストーリー「探偵マッツ事件ファイル」を紹介。
ごっつ時代劇スペシャル
レギュラー第4回目でOA。設定・ストーリーは至って正統派だが、桃太郎侍風のコンビ・おめでたブラザーズ(ダウンタウン)とちびっこ侍軍団との奇妙な対決がメイン。
ごっつ入れ歯スペシャル
レギュラー第6回目でOA。「ズラリンピック」の内容を入れ歯に置き換えた競技企画。後にオジンガーZとして出演し続けることになる橋爪光男が、出場者の一人として出演。ラストでは、出場者が入れ歯の織り交ぜたファッションを着こなしながら登場するファッションショー風のパートがあった。
第1回ごっつええ感じ杯争奪「明日のオジンガーは君だ!!」
「ラブラブファイヤー」のコーナーの人気キャラクター・オジンガーZの二代目候補を出場者の老人たちから選抜するコンテスト企画。
なぜなぜ?子供相談室 私がホンモノダ~!!
7人の子供たちが疑問に思っていることを、栗本慎一郎塩田丸男、ドクターアホ松(松本)の3人がそれぞれの見解で回答。それを子供たちがジャッジして、票数の多かった回答者に1ポイントが入る。最終的にポイントの一番多かった回答者は「初代子供だまし王」の称号を得る。結果として栗本が「初代子供だまし王」となったが、2回目は行われなかった。
男前!!床運動選手権
芸能界の男前が集まり、あらゆるシチュエーションによる床運動を披露する。参加者は加納竜、本郷直樹草川祐馬団時朗といずれも70年代から活躍している二枚目俳優ばかりであった。10人のオバサンが採点を行い、100点満点を取った団が優勝となった。
第1回 長~い助走路ボウリング大会 IN 京浜蒲田商店街
京浜蒲田商店街あすとの100メートルもある路を助走路に見立てて、走りながらボーリングを投球するゲーム企画。ごっつチーム(今田・板尾)とゲストチーム(高橋ジョージ田中美奈子)の対戦。二度もストライクを決めた田中の活躍もあり、ゲストチームの圧勝に終わったが、勝負に不満を持った高橋の提案でダウンタウンと直接対決となった。しかしダウンタウンはガーターを連発で出し、結局ゲストチームの二連勝となり、公約としてダウンタウンはTHE 虎舞竜のコンサートで前説をやらされるはめになった。
男の料理
普段から包丁を手に料理をしたことがないダウンタウンが巨大鮪や巨大鮟鱇の捌きに挑戦する。また、ダウンタウンが羊の毛刈りに挑戦する「男の手仕事」というコーナーもあった。
SEPPUN DOJO
男性タレント同士、口付けを交わしあいそしてどちらがより良いキスをできたか松本に判定してもらい、トーナメント方式で優勝者を決定するコーナー。当然勝ち残り方式なので勝者は次の対戦相手と接吻を交わさなければならないので、(全員異性愛者であるため)勝者にとってかなりの精神的苦痛を伴うコーナーである。毎回男性同士のキスに会場からは悲鳴が上がっていた。この企画にルー大柴黒田アーサー梅垣義明等が登場した。
ビーチクメーナーコンテスト
上記の「SEPPUN DOJO」の発展形及び過激化させたコーナー。参加者の男性タレントが、「乳首プレゼンター」と呼ばれる男性タレントの乳首を片方ずつ舐め合い、プレゼンターが勝敗を判定する。その他のルールはSEPPUN DOJOとほぼ同じ。参加者は工藤兄弟(唯一コンビで参加、二人同時に舐める)、ルー大柴、ダチョウ倶楽部(実際の参加者は上島竜兵のみ、他の二人はセコンド的役割)、鶴久政治、東野、前田耕陽、今田(元々参加予定だった日出郎の代役。)、見栄晴。プレゼンターが志茂田景樹Mr.オクレ西川のりお大泉滉オスマン・サンコン日景忠男(本コーナー唯一の、本物の同性愛者。)優勝者は東野。決勝戦前にはビーチクメーナー大会会長(松本)によるビーチク国国歌(作詞、作曲、歌唱共に松本)が斉唱された。
ごっつええ感じ 家族対抗歌合戦
かつて同じ枠で放送されていた「オールスター家族対抗歌合戦」をダウンタウンの司会で復活させた。なぜか参加チームは、東野・蔵野・ジミー・堀部をのぞく「H・Gott's」のメンバーとその家族で固められた。優勝はパンチ佐藤チーム。
夏休み子供ファンタジー ピーターベン
子供に好かれないというレギュラーメンバーが子供向けの舞台劇「ピーターベン」に出演。ピーターベンを和田勉、ヒロインのウェンスディに堀川早苗、男性レギュラー陣はウェンズディと仲良しの動物役、そしてダウンタウ(ンは悪役の船長とペットのオウムの役だった。

特別編

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ダウンタウンのものごっつええ感じ 私が選んだまた見たいランキングBEST100
1993年暮れにOA。「CDTV」風のCGキャラ2人が進行役で、番組レギュラーやスタッフが選んだこれまでのコント・コーナーをランキング形式で紹介。合間には森口博子、藤井フミヤラモス瑠偉、松雪泰子のお気に入りによるコント・コーナーに対するコメントや、企画に登場した素人出演者のその後を取り上げたコーナーもあった。
ダウンタウン大全集'94
1994年暮れの昼枠にOA。
ダウンタウンのごっつええ感じのものごっつええとこどりスペシャル
1996年と1997年に正月特番として昼枠にOA。
5周年突破記念 公式ガイドブック
1997年1月から4週連続でOA。全編に渡って過去5年間の番組で起きた事を、上・中・下・別巻に分けてキーワード別に紹介。レギュラーメンバーのステータスから特に突出した部分を重点的に紹介した。この企画をOAしている間は出演者等の新規の出番は一切なく、スタッフロールも割愛されていた。

オープニング

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1991年5月28日・7月23日・12月8日 - 1992年3月22日・1997年11月2日 「恋のマジックポーション」(すかんち
レギュラー版は冒頭でコント数本やゲストとのトークを流したあとにオープニングとして流れた。ダウンタウン扮する泥棒が美術館に飾ってあるレギュラー陣(とその回のゲスト1人。ただし末期は大ちゃん伯爵の恰好をした原田大二郎で固定される)の肖像を見て回る。メンバーをデフォルメ化したアニメが随所に挿入された。
『火曜ワイドスペシャル』版は、出演者を正面と左横から写した映像を書類のようなイラストに合成したもの。
1992年4月19日 - 9月27日 「恋のミラクルサマー」(すかんち)
このバージョン以降は番組開始早々からオープニングとなった。
ゲームセンターでダウンタウンの二人がゲームを楽しむ他のレギュラー陣を見て回った後に、UFOキャッチャーで二人のディフォルメ人形を取ろうとする。
1992年11月1日 - 1993年3月31日 「きらいだよ」(FAIRCHILD
一軒家を舞台にレギュラー陣とFAIRCHILDのメンバーがパーティの準備に勤しむ。なお、この時期レギュラーだった山田花子はこのオープニングには不参加。
1993年4月18日 -
冒頭のコーナーの前半終了、もしくはコントが終わった直後にタイトル表示。タイトルCGとBGMは2度変更されている。
1997年7月6日 - 11月2日 「エキセントリック少年ボウイのテーマ」(エキセントリック少年ボウイオールスターズ)
番組冒頭に流された(初期ではエンディングでも流された)。末期では歌いだしだけで終わるようになった。

エンディング

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先述の「今週のエンディング」コーナーの終了後は、その回の最後にOAされたコントの終了直後などを中心としたメニューの未放送部分ダイジェストやコントの終わりかけの方でスタッフロールが流れ出したりしていたが、以下の歌をエンディングに充てていた時期もあった。

  • オジャパメン(オジャパメン) オリジナルはソバンチャ。(1996年2月4日 - 6月2日・1997年2月9日)
  • 日曜日よりの使者(THE HIGH-LOWS) エンディングテーマとして使用される。
  • 神様のご褒美(リビドー) エンディングテーマとして使用される。リビドーとは、構成担当の倉本美津留が結成したバンド。
  • マウヤケソ(オジャパメン) オリジナルはトゥルゴヤンイドゥル。盆踊りのセットで歌った。(1996年7月21日 - 9月22日)
  • ああエキセントリック少年ボウイ(エキセントリック少年ボウイオールスターズ)(1997年8月17日 - 9月21日・10月26日)
    • このバージョンのみ、スタッフロールは従来とは異なる形で表記された。

エンドカード

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エンディング後の提供テロップの後CMを挟んで5秒だけ流れていた。時期によって以下の変動があった。

1991年12月8日 - 1992年9月27日
提供クレジット同様にディフォルメ化した無数の松本・浜田が行進するアニメーション。BGMはその時期のオープニング曲に乗じていた。
1992年11月1日 - 1993年3月31日
オープニングテーマ「きらいだよ」のラストカット部分。
1993年4月18日 - 10月31日
エンディングのコーナーもしくは「カスタムひかる」視聴後のフリートークの一部分。
1993年11月7日 - 1994年3月20日
「今週のエンディング」のセットで松本もしくは浜田が「また来週」と挨拶。(回によっては番組休止などの告知あり。)
1994年4月17日 - 1994年7月17日
その回からの厳選された、おまけシーン。なお、これ以降は「この後の番組」を告知するクロスプログラムを充てるようになった関係で、エンドカードは廃止された。

突然の放送終了

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改編期でもない1997年11月2日、番組は最終回を迎えた。発端は9月28日、番組は2時間枠でスペシャルを放送する予定だったが、その前日にプロ野球ヤクルトが優勝までのマジックナンバー「1」となったことから、フジテレビ側は急遽、セ・リーグ優勝決定試合の中継放送に差し替え、『ごっつ~』スペシャルの放送を翌週に変更することを決行した[6]。しかし、放送予定日の3日前に番組の人気キャラクター「エキセントリック少年ボウイ」のCD発売を行ない、それに合わせたライブイベントの模様など、CD発売と連動した番組内容であったこのスペシャルは、松本にとって「その日に放送しなければ意味がないもの」だった。また、その差し替えがフジテレビや吉本から事前の連絡なしに行われたこともあり松本は激怒[7]、それ以前からスタッフの怠慢によるトラブルが度重なっていた側面も加わり松本の不満が爆発、以降全てのフジテレビ系列の番組出演を次々ボイコットし、松本とフジテレビとの関係が悪化していった。この手打ちとして、番組の打ち切りが決定したのであった。 松本がスペシャルの放送を翌週に放送変更、プロ野球中継に差し替えられる事を知ったのは当日昼過ぎで、松本はフジテレビ編成局へ連絡し当初の予定通りに"スペシャル"の放送を要望したが、フジテレビ側は聞き入れずセ・リーグ優勝決定試合を放送した[注釈 6]

なお、延期されたテレビスペシャルは翌週の10月5日に放送し[9][注釈 7]、その後、10月19日に「お母様もぜひお子様にオススメしてあげてくださいスペシャル」を放送した[11][注釈 8]後、急遽ダウンタウンが不在のまま制作された2週にわたるコントの傑作選を最後に、番組は約6年の歴史に終止符を打った。このとき、スポーツ紙などではダウンタウンや松本が出演するフジテレビの全番組が終了すると報じられたが、他番組の変動は全く無かった。

なお、松本はこの件でプロ野球関係者や著名人からも批判を受け、プロ野球解説者の豊田泰光は、松本のこの一連の行動に怒りを露わにし、週刊ベースボールのコラムで名前こそ出さなかったものの「野球関係者に対する侮辱ですよ」と遠回しに松本の事を批判し、野球好きである萩本欽一も、「野球中継への差し替えは当然のこと、松本のような行動をとったら笑われる」と松本を批判した。一方で大沢啓二は、自分の仕事にプライドを持つ松本の姿勢を高く評価した。当時現役プロ野球選手だった新庄剛志は、引退後の2021年6月25日放送の「人志松本の酒のツマミになる話」にゲスト出演し、番組内でこの件が取り上げられた際、「最悪ですね野球」「僕も嫌だったパターンなんです。ちっちゃいころ、ドラマが見たくて、野球の延長いやだった」と松本を擁護する発言をした。

打ち切り決定後、最終回までの2回でコント傑作選の編集を担当したディレクターの小松純也も、番組がいつか復活することを願い、最終回エンディングの映像を初代オープニング「恋のマジックポーション」とした[13]。オープニング映像の最初と最後の間に歴代レギュラーの名場面を挟み込み、最後に再び初代オープニング映像に戻るという構成で本番組のレギュラー放送は幕を閉じた[注釈 9]。ちなみに歴代レギュラー名場面の順番は以下の通りである。

  • 今田耕司(コント「西日本番長地図」)
  • 板尾創路(「シンガーソングライダー板尾創路」〈1〉)
  • 蔵野孝洋(コント「トカゲのおっさん第二部・修行篇」〈2〉)
  • 東野幸治(「キャリー東野のアイドル虎の穴」・対T-BACKS戦)
  • YOU(「ご存知!ハマダ芸能社物語・アイドルスカウト騒動!の巻」)
  • 篠原涼子(コント「電撃パフォーマンスドール」)
  • 西端弥生(「熱血AD宣言!ウエストサイドストーリー・スポンサー接待はツライ!の巻」)
  • 山田花子(コント「親方」)
  • 吉田ヒロ(コント「たまにはヒロくん」)
  • 伊藤美奈子(「ブリッジ・女子高生編」)
  • 松雪泰子(コント「ラッキー!」)
  • ダウンタウン(「SEPPUN DOJO」〈1〉)

番組打ち切り後

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浜田は1998年11月19日放送分の『新・真夜中の王国』(NHK BS2)にて「やめるって決めたんは2人で決めた事やから」「松本のワガママでやめたわけでもなんでもない」と語り、「松本の身勝手で番組が打ち切りになった」とする新聞や雑誌の報道により松本ばかりが槍玉に挙げられてしまっていたことに対して、松本への同情とメディアへの怒りを示し、浜田もまたスタッフへの数年間にわたる不信を持っていたことも語った。対決コーナーでスタッフが安全確認を怠ったことがあり、一度目は松本が激怒、二度目は浜田が(松本が怒ってどうしようもなくなると判断し)怒りながら鉄扉を蹴ったために足を骨折し、以降しばらく浜田はギプス松葉杖姿で各レギュラー番組の出演を続けていた。

こういった同情のコメントをしている浜田だが、2021年6月25日放送の『人志松本の酒のツマミになる話』での松本の回想では、放送枠が『大河ドラマ』(NHK総合)と『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』(日本テレビ)と被っていた事から元々当番組に消極的で、番組の後期に入ると「コントをやりたくない」と発言するようになった。それを引きずる様に『ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!』(日本テレビ)のフリートークを放送時間の半分の15分で帰るなど身勝手な行動が見受けられ為、松本は浜田の負担の掛からないコントを考え、いくつものパターンでの誘導も考えていたが、最終的に浜田が固辞した。さらに、松本が当番組の終了の決意を固めた際、浜田は『まあまあ…』とフォローをするのみだったという[7][出典無効]

本番組の構成作家であり、ダウンタウンの友人である高須光聖も、『放送室』(TOKYO FM)での松本との回想トーク、小松との対談で打ち切り事件発生前後の制作現場の状況を語っている。松本が番組を辞めると言い出した時、高須は辞めたら駄目だと説得。「『ごっつ』を辞めれば、吉本的にもえらいことになるし、多分俺らが思ってる以上にこれは大きなことで、それは松本自身の怒りを使っての駆け引きをするとか交渉ができるとか、そんなレベルの事じゃないと。なにより、俺はもうこれ以上週刊誌とかにあること無いことダウンタウンが叩かれるための要因を作りたくなかったのよ」と語っている。しかし松本は「その場の感情だけで言うてるんちゃうから」、「俺がお笑いに対して、どれだけ強い想いを持って毎週『ごっつ』を作っていたか。それを、今辞めることで伝えられるはず」と固辞。「きっと何年後かには、この事件が過去のものになって、『あぁ、あの時、だからこんな決断をしたんだ』って、思ってもらえるようになる日が必ず来る。だから、今辞めることは、必要やねん。これから何年かはどうなるか分からんけど、でも、今、必要悪やと思うから」と高須に語ったという[14]

本放送終了後、DVDは発売されているものの番組の再放送や配信は行われていない。理由として上述の打ち切り騒動や、前述の通り過激化した描写から現在の放送コードに抵触するためとされる。横浜市の放送ライブラリーにはレギュラー放送の第1回放送分が収蔵されており、こちらは無料で視聴可能である。

フジテレビにおける日曜20時台の放送枠では、2004年1月から浜田司会の『ジャンクSPORTS』が枠移動のかたちで放送開始され、2010年3月まで続いた。そして、特別番組として3回放送したダウンタウン司会の『爆笑 大日本アカン警察』が、2011年春改編より日曜日20時台でレギュラー放送されることになり、浜田にとっては1年ぶりに、松本及びコンビとしてはおよそ13年半ぶりに同枠へ復帰することになった[15]。2011年7月9日に放送された『テレビを輝かせた100人』において本番組の映像が放送され、「エキセントリック少年ボウイ」「キャシィ塚本」「放課後電磁波クラブ」などが紹介された。

2022年5月5日放送の『ダウンタウンDX』(読売テレビ)でダウンタウン、今田耕司、東野幸治、130Rが集まり、当時のエピソードが紹介された。

復活

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2001年10月12日、当時のレギュラーの一部に新メンバーを加えて『ダウンタウンのものごっつええ感じスペシャル』として復活した(放送時間は19時 - 20時54分[16])。内容は往年の人気コントの続編、新作コント、出演者にアドリブで歌を歌わせるドッキリなど。フジテレビの自社制作であったレギュラー放送時とは違い、ダウンタウンと太いパイプで繋がっている読売テレビ系列の映像制作会社のワイズビジョンが同特番の制作を担当した。このスペシャルの未公開を含む全編は2003年に発売されたDVD『THE VERY BEST OF ごっつええ感じ 4』に収録されている。しかしこの特番は視聴率が9.0%とあまり伸びず、松本はこれ以降NHKの特番『松本人志のコントMHK』まで、テレビ向けのコントから離れることとなった。

新メンバー

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2014年3月28日、同月26日発売の再編集版DVD『THE VERY BEST ON AIR of ダウンタウンのごっつええ感じ』の発売に合わせて深夜26時05分 - 28時05分の関東ローカル深夜枠で『ダウンタウンのごっつええ感じ DVD発売記念スペシャル』 が放送され、後日一部系列局でも放送された。進行役として番組レギュラーだった板尾・東野が出演し、当時のレギュラーだったYOU、木村、ユニコーンや当時視聴者だったタカアンドトシブラックマヨネーズチュートリアル笑い飯西川貴教松岡充SOPHIA)などのVTRゲストと共にリクエストコントや当時の回想トークを放送する内容となった。

さらに同年9月26日、再編集版DVD『THE VERY BEST ON AIR of ダウンタウンのごっつええ感じ』の全巻発売を記念して、深夜26時50分 - 28時50分の関東ローカル深夜枠で『ダウンタウンのごっつええ感じ DVD全巻発売記念スペシャル』 が放送され、後日一部系列局でも放送された。進行役として番組レギュラーだった板尾と、当時番組の構成作家として参加していた木村が出演し、前回も実施した“もう1度観たいコント”のリクエストも、宮川大輔、チュートリアル、笑い飯、サバンナ博多華丸・大吉ハリセンボン平成ノブシコブシジャルジャルジャングルポケットデニスなどのVTRゲストと共にリクエストコントや当時の回想トークを放送する内容となった。

2023年7月22日、『FNS27時間テレビ 鬼笑い祭』内の企画として、松本人志、今田耕司、東野幸治、130R、木村祐一による「ほぼごっつチーム」と、27時間テレビ総合司会の千鳥大悟ノブ)、かまいたち山内健司濱家隆一)、ダイアン(津田篤宏・ユースケ)による「鬼レンチャンチーム」がゲーム対決を行う『チームDEファイト』が放送された。しかしこの回には浜田が不在だった。[注釈 10]

ネット局

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系列は放送終了時点(打ち切り時はネット打ち切り時点)のもの。
放送対象地域 放送局 系列 ネット形態 備考
関東広域圏 フジテレビ フジテレビ系列 制作局
北海道 北海道文化放送 同時ネット
青森県 青森テレビ TBS系列 遅れネット 1993年4月から
岩手県 岩手めんこいテレビ フジテレビ系列 同時ネット
宮城県 仙台放送
秋田県 秋田テレビ
山形県 山形テレビ 遅れネット[注釈 11][注釈 12] 1993年3月打ち切り
さくらんぼテレビ 同時ネット 1997年4月開局から
福島県 福島テレビ
山梨県 テレビ山梨 TBS系列 遅れネット
新潟県 新潟総合テレビ フジテレビ系列 同時ネット
長野県 長野放送
静岡県 テレビ静岡
富山県 富山テレビ
石川県 石川テレビ
福井県 福井テレビ
中京広域圏 東海テレビ
近畿広域圏 関西テレビ
島根県
鳥取県
山陰中央テレビ
岡山県
香川県
岡山放送
広島県 テレビ新広島
山口県 山口放送 日本テレビ系列 遅れネット
テレビ山口 TBS系列 山口放送から放映権移行
愛媛県 テレビ愛媛 フジテレビ系列 同時ネット
高知県 テレビ高知 TBS系列 遅れネット
高知さんさんテレビ フジテレビ系列 同時ネット 1997年4月開局から
福岡県 テレビ西日本
佐賀県 サガテレビ
長崎県 テレビ長崎
熊本県 テレビ熊本
大分県 テレビ大分 日本テレビ系列
フジテレビ系列
遅れネット[注釈 13] 1993年9月までテレビ朝日系列とのトリプルネット局
宮崎県 テレビ宮崎 フジテレビ系列
日本テレビ系列
テレビ朝日系列
鹿児島県 鹿児島テレビ フジテレビ系列 遅れネット
→同時ネット[注釈 14]
1994年3月まで日本テレビ系列とのクロスネット局
沖縄県 沖縄テレビ 同時ネット

スタッフ

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マジでマジであかんめっちゃ腹痛い / 火曜ワイドスペシャル / レギュラー放送時代

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  • 構成:廣岡豊(#マジでマジで - 156)、清水東(#マジでマジで - 156)、藤沢めぐみ(#マジでマジで - 135)、和泉光晴(#マジでマジで - 135)、乙川恒樹(#マジでマジで - 135)、内村宏幸(#マジでマジで - 156)、高須光聖(#マジでマジで - 243)、植竹英次(#火曜ワイド1 - 135)、柏田眞志(#火曜ワイド1 - 135)、鈴木しゅんじ(#1 - 135)、小笠原英樹(#1 - 243)、松井洋介(#1 - 243)、小山協子(#1 - 135)、倉本美津留(#81 - 243)、かわら長介(#94 - 243)、福原太(#94 - 243)、木村祐一(#137 - 243)、三木聡(#150 - 243)、長谷川朝二(#177 - 243)、岩崎夏海(#177 - 243)、三浦亜矢(#177 - 243)/松本人志、浜田雅功
  • アドバイザー:島武実
  • 音楽:増田俊郎
  • スタイリスト:上杉典子(パイロット版)、高堂のりこ、北田あつ子
  • 振付:南流石(#1 - 14)、ラッキィ池田三浦亨
  • フォトバトル撮影:ヤマグチケン
  • 美術プロデューサー(#1 - 14)→美術制作(#15 - 212、217 - 243):永本允・村野三郎・重松照英・須藤康弘(以上フジテレビ、永本→#1 - 29、67 - 108・村野→#30 - 66・重松→#109 - ・須藤→#109 - 212、217 - 243)
  • デザイン:水上啓光・雫石洋治(以上フジテレビ)
  • 美術進行:小野秀樹(パイロット版)、末松隆(パイロット版)、林勇(#1 - 212、217 - 243)
  • 大道具:黒木一行、比留間正幸、広瀬勝之、西村幸也
  • アートフレーム:津田忠直
  • 装飾:藤間広美(#1 - 14)、福田健治(#15 - )、加川功
  • 持道具:栗原美智代(#1 - 14)、田中マキ(#15 - 32)、市橋理恵(#33 - 212、217 - 243)
  • 衣裳:木村直美
  • メイク:牧瀬典子(#1 - 212、217 - 243)、松浦緑、興石昌美、市裏美香
  • かつら:石川享一(#1 - 32, 36 - )、波形安一(#33 - 35)、岡崎紀子
  • アクリル装飾:川島正義
  • 電飾:谷口雅彦(#16 - 212、217 - 243)
  • 視覚効果:中溝雅彦
  • 生花装飾:佐藤祝子
  • 植木装飾:広田明
  • 特殊美術:CAVIN(#15 - )、大橋泰三(CAVIN、#36 - )、矢吹秀徳
  • 特殊装置:福田隆正
  • 特殊効果:水尾一雄
  • タイトル:岩崎光明
  • CG:岩下みどり
  • アニメ:山本晋士(#1 - 14)
  • CG協力:ネバーランド(#1 - 14)
  • TD:島本健司(パイロット版)、佐々木信一(#1)、石黒義満(#2 - 53)、藤本敏行(#54 - 212、217 - 243)
  • カメラ:田中祥嗣(パイロット版)、中島浩司(パイロット版)、高島洋雄(#1 - 14)、小川経一(#15 - 53)、花島和弘(#54 - 212、217 - 243)、遠山康之
  • VE:大坪裕二(パイロット版)、品田正人(#1 - 14)、島田祐司(#15 - 53)、斉藤雄一(#54 - 212、217 - 243)、西脇貴美孝
  • 音声:杉山直樹(パイロット版)、間野目正孝(パイロット版)、斉藤哲史(#1 - 14)、仙田俊一(#15 - 53)、森田篤(#54 - 212、217 - 243)
  • 照明:春日叔之(パイロット版)、北沢正樹(#1 - 212、217 - 243)、小井手正夫
  • 音響効果:志田博英(#1 - )、田中寿一(#16 - 212、217 - 243)
  • 編集:石附順一・太田友康・永吉敬文・岩崎秀徳(以上IMAGICA、石附→パイロット版、太田→#1 - 212、217 - 243)
  • MA:植松巌・円城寺暁(以上IMAGICA、植松→パイロット版/#1 - 52、円城寺→#53 - 212、217 - 243)
  • スキャニメイト:大沢宏二郎・後藤和夫(以上IMAGICA、大沢→#1 - 52、後藤→#53 - )
  • ペイント:菊池大介・山口由紀子(以上IMAGICA)
  • TK:久保田有紀子
  • アクションアドバイザー:山田一善
  • 広報:小笠原恵美子・中島良明・為永佐知男(以上フジテレビ、小笠原→#1 - 108、中島→#109 - 212、217 - 241)
  • スチル:笠井新也(#1 - 108)、安藤潤一郎(#109 - 212、217 - 243)
  • ナレーション:八木亜希子(めっちゃ腹痛い「ことわざ講座」)、若本規夫(結婚前提戦士ラブラブファイヤー)、北浜晴子(木瓜の花)、是永洋(鼻リーグ募集告知ほか)、政宗一成(「彦龍ラーメンシリーズ」)、牧原俊幸(「新ドッキリカメラ」「ザ・選挙」「5周年突破記念公式ガイドブック」「ごっつレギュラーメンバースカウトキャラバン」)、森山周一郎(「芸能界ビリヤード王決定戦」)、TERRY.T(THE TEAM FIGHT)、宝亀克寿(「出動!!メカライオン」)、石井康嗣富田耕生近田和生他(八木亜希子、森山周一郎、TERRY.T以外はノンクレジット。)
  • 協力:ヒットユニオン、JOYSOUNDTOWER RECORDS、スタジオ・ネコマンマ、シュラトン・グランデ・トーキョー・ベイ・ホテル&タワーズ、佐藤動物プロ 3年B組金八先生ほか
  • 技術協力:ニユーテレス(パイロット版/#54 - 212、217 - 243)、共同テレビ(#1 - 53)
  • 照明協力:FLT(#44 - 212、217 - 243)
  • 制作協力:吉本興業CRUSH OUTNCV(#94 - 212、217 - 243)
  • AP(プロデューサー補):小須田和彦・徳光芳文(以上フジテレビ、小須田→#15 - 114・徳光→ - 212、217 - 243)、岡本昭彦(吉本興業)
  • ディレクター:星野淳一郎・小須田和彦・清水淳司小松純也(以上フジテレビ、星野→#マジでマジで - 93・小須田→#マジでマジで - 14・清水→#54 - 114・小松→#94 - 212、217 - 243。小松は#1 - 93までAD)、山口将哉(CRUSH OUT、、#火曜ワイド2 - 243)、林田竜一(NCV、#94 - 212、217 - 242)、北沢健一(#115 - 200)、村田泰介(#115 - 212、217 - 242)
  • 演出:竹島達修(#94 - 212、217 - 242)
  • プロデューサー:佐藤義和・小須田和彦(以上フジテレビ、佐藤→#マジでマジで - 114・小須田→#115 - 212、217 - 243)、大﨑洋(吉本興業、#火曜ワイド1 - 243)
  • 制作:佐藤義和(フジテレビ、#115 - 135)
  • 制作:フジテレビ第二制作部
  • 制作著作:フジテレビ

2001年「ものごっつええ感じスペシャル」

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  • オーガナイザー:白岩久弥(ワイズビジョン)
  • ディレクター:西田二郎・高橋純(ワイズビジョン)
  • 監修:小松純也(フジテレビ)
  • 構成:かわら長介、倉本美津留、高須光聖、三木聡、木村祐一、川野将一
  • 技術:森野憲俊
  • SW:藤本敏行
  • CAM:河西純
  • VE:齋藤雄一
  • AUD:森田篤
  • 照明:北澤正樹
  • 音効:田中寿一
  • 編集:太田友康、斎田秀幸
  • MA:円城寺暁
  • 美術:小須田和彦(フジテレビ)
  • デザイン:棈木陽次(フジテレビ)
  • 美術進行:林勇
  • 大道具:松本達也
  • 装飾:門間誠
  • 持道具:小林加代子
  • 衣裳:寺田泉
  • スタイリスト:高堂のりこ、北田あつ子
  • ヘアメイク:牧瀬典子、長谷川亜依
  • かつら:矢津田一寛
  • 視覚効果:中溝雅彦
  • 電飾:中尾学
  • アクリル装飾:川島正義
  • 生花装飾:安藤岳
  • 植木装飾:広田明
  • タイトルデザイン:岩崎光明
  • CG:チームグリグリ
  • 技術協力:ニユーテレス、FLT、J-WORKS、IMAGICA、CRAZY TV、Avid Symphony
  • TK:楮本眞澄
  • 広報:谷川有季(フジテレビ)
  • スチール:安藤潤一郎
  • 制作デスク:城増美、北詰由賀、中野英美
  • AP(アシスタントプロデューサー):原武範(アズバーズ)、斉藤勅之(吉本興業)
  • 協力プロデューサー:江間浩司(NET WEB
  • プロデューサー:清水宏泰(フジテレビ)、岡本昭彦(吉本興業)、武野一起(ワイズビジョン)
  • 協力:ワイズビジョン
  • 制作協力:吉本興業
  • 制作:フジテレビ制作センター
  • 制作著作:フジテレビ

関連商品

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クレーンゲームぬいぐるみ
第一弾 ノーマルダウンタウン・何太郎くんとお兄さん・アキラファイヤー、メグッペファイヤー、オジンガーZの7種類。
第二弾 カスタムひかる(服の色が赤、青、黒)、極キラー・おかんとマー君・トラゴロウとイマダ君の8種類。いずれも発売元はタカラ。他に景品用としてTシャツキャップ腕時計等もあった。
VHS
『ダウンタウンのごっつええ感じ コント傑作集』HISTORY1 - 10、『幻のコント傑作集 HISTORY0』の計11巻が発売された。発売元はフジテレビ映像企画部、販売元はポニーキャニオン。VHSには「火曜ワイドスペシャル」の傑作選も収録されているが、現時点で火曜版がビデオ化された唯一の事例である。
エキセントリック少年ボウイオールスターズ(CD)
シングル『エキセントリック少年ボウイ』(1997年9月25日発売)、アルバム『ダウンタウンのごっつええ感じ 音楽全集』(1997年12月15日発売)がある。発売元はイーストウエスト・ジャパン
DVD
『THE VERY BEST OF ダウンタウンのごっつええ感じ』(全5巻、各3枚組)が2003年6 - 12月に発売。1000本を超える作品からダウンタウンの2人が自ら厳選した傑作コント等を収録。大ヒットを記録した。発売元はフジテレビ映像企画部、吉本興業。販売元はR and C
『THE VERY BEST ON AIR of ダウンタウンのごっつええ感じ』(3巻ずつ、全6巻、各4枚組)。こちらは放送年代別のコントやコーナー等を収録。また、当時の雰囲気を再現するために放映当時のCMも収録されている。1991-92・1993・1994の3巻が2014年3月26日に発売、1995・1996・1997の3巻が2014年9月10日に発売。発売元はフジテレビジョン、よしもとアール・アンド・シー。

このほか番組放映当時に、コントに登場したキャラクターのシールがおまけに付いた激辛カレー味のスナック菓子、コントキャラクターを辞典式に掲載した番組公式本(コラムや松本が語るキャラのその後が書かれている)などが発売されていた。

脚注

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注釈

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  1. ^ 改編期でもないこの時期に番組が開始したのは、前番組の『世界の常識・非常識!』(この番組には、ダウンタウンもレギュラー解答者として出演していた。)が『たけし・逸見の平成教育委員会』放送開始等による逸見政孝のスケジュール調整により、ワールドカップバレー'91の前週で打ち切られたことによる。
  2. ^ 高齢の一般人女性。同名の俳優とは無関係。
  3. ^ 後のネプチューン
  4. ^ 細川護熙首相日本新党)・羽田孜外相新生党)・武村正義官房長官新党さきがけ)・山花貞夫政治改革担当日本社会党)・石田幸四郎総務庁長官公明党)・大内啓伍厚相民社党)・江田五月科技庁長官社会民主連合)。
  5. ^ ロゴも放送当時使われていたものに寄せていた。
  6. ^ なお、差し替えられた試合の結果はヤクルトが対戦相手の阪神に16-1で勝利し、リーグ優勝を果たしている[8]
  7. ^ なお、この枠は本来であれば『ママとボクが愛したドラマ&アニメ名場面集』が放送される予定だった枠であった[10]
  8. ^ 10月12日F1日本グランプリの中継を19時半からの2時間枠で放送したため、休止[12]
  9. ^ この映像は現在DVD『THE VERY BEST OF ダウンタウンのごっつええ感じ』3(レンタル版7巻)の最初に収録されている。
  10. ^ 不在の理由はしばらく明かされていなかったが、2023年にTBSで生放送された『お笑いの日2023』のオープニング漫才でオファーを完全に断ったことを明らかにした。一方普段浜田が不在の際松本はよくイジることがあるが今回は「ギャラが高くて浜田に逃げられた」、「たぶん今愛人と見てます」と触れたのみだった。
  11. ^ 日曜15:00からの放送で、スポンサーも地元企業に差し替えられていた。
  12. ^ 山形テレビの1980年4月から1993年3月までの日曜20時台は、当時日本テレビ系列テレビ朝日系列とのクロスネット局だった山形放送テレビ朝日系同時ネット枠だった関係で、フジテレビ系列局にもかかわらず日本テレビ系列の番組を同時ネットしていた。そのため、1980年3月まで同時ネットで放送されていた『オールスター家族対抗歌合戦』は同年4月から遅れネットに変更されてからは、フジテレビ系日曜20時台の番組は本番組まで遅れネットが続いた。山形テレビは1993年4月にテレビ朝日系列にネットチェンジしたため、本番組も1993年4月からさくらんぼテレビ開局まで山形県では未ネットだった。ただし、ケーブルテレビなどで近隣のフジテレビ系列局を受信できた場合は1993年4月以降も引き続き視聴可能だった。
  13. ^ テレビ大分とテレビ宮崎はクロスネット局
  14. ^ 鹿児島テレビは1994年3月までは日本テレビ系列とのクロスネット局のため、日本テレビ系列番組を同時ネット。1992年4月5日から日曜13時の時差ネットで放送開始。2年後、鹿児島テレビがフジテレビ系列フルネット化されたのに伴い、1994年4月3日より同時ネットへ変更された。

出典

[編集]
  1. ^ 松本、怒り再燃「ごっつ」なんだろうくん事件…メンチ切り、顔面火傷を デイリースポーツ、2020年8月23日
  2. ^ 実は後輩思い! 緊急入院のハチミツ二郎にも励ましメール、ダウンタウン松本の人情エピソード”. リアルライブ. アンカード (2018年7月30日). 2023年8月27日閲覧。 “『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ系)に“オジンガーZ”として出演していた橋爪光男さんが亡くなった時、松本は“世話になったから”と、後日橋爪さんの自宅まで行ったそうです。そこには、遺影の他にも“オジンガーZ”の写真が飾られていて、感極まった……という話をしていましたね”
  3. ^ こじへい (2016年12月6日). “オジンガーZ、野見さん……松本人志の"おじん・おばんイジり"の歴史”. exciteニュース. エキサイト. 2023年8月27日閲覧。
  4. ^ YOU (タレント)/二回目のキス”. tower.jp. 2022年2月27日閲覧。
  5. ^ ボクらの時代』11月19日放送分より
  6. ^ ダウンタウン~11月2日で最終回 - ウェイバックマシン(1998年2月11日アーカイブ分)
  7. ^ a b 松本人志 「ごっつ」終了の真相「血気盛んな頃だったから、ちょっとプチって来ちゃって」― スポニチ Sponichi Annex 芸能
  8. ^ 『北日本新聞』1997年9月29日付15面『ヤクルト圧勝 5度目の制覇 19安打の猛攻16点 吉井が完投 阪神元気なし』より。
  9. ^ 『北日本新聞』1997年10月5日付朝刊30面、テレビ欄。
  10. ^ 『北日本新聞』1997年9月28日付テレビFM芸能ウィークリー、11面。
  11. ^ 『北日本新聞』1997年10月19日付、テレビ欄。
  12. ^ 『北日本新聞』1997年10月12日付朝刊14面、テレビ欄。
  13. ^ 高須光聖がキク | 高須光聖オフィシャルホームページ「御影屋」”. mikageya.com. 2023年9月21日閲覧。
  14. ^ 「ごっつえぇ感じ」終焉の真実 高須光聖公式HPより
  15. ^ ダウンタウン、フジ系日8に帰ってくる!-芸能-sanspo.com Archived 2011年2月17日, at the Wayback Machine.(2011年2月16日サンケイスポーツ)
  16. ^ 『北日本新聞』2001年10月12日付朝刊34面、テレビ欄。

外部リンク

[編集]
フジテレビ系列 日曜20時台
前番組 番組名 次番組
世界の常識・非常識!

ワールドカップバレー'91中継
ダウンタウンのごっつええ感じ
フジテレビ系列 日曜19:58 - 20:00枠
ダウンタウンがやってくる!
(1996年10月 - 1997年11月2日)
日曜リトルウェーブ