正義の味方
正義の味方(せいぎのみかた)は、勧善懲悪的に行動する人物を指す語で[1]、主に創作物のヒーローを指す[1]。用例は19世紀から存在する[注 1]。
用例
[編集]川内康範が『月光仮面』の主題歌(1958年)で用いて広まったとされ[1][20]、川内の造語だとする説もあるが[21][22][23]、19世紀から多数の用例が存在する[注 1]。中でも徳富蘇峰の『国民之友』誌の記事[注 2]や内村鑑三の著作[注 3]では、「正義の味方」という表現がたびたび用いられている[注 2][注 3]。
群馬県の廃娼運動団体が明治時代に発行していた機関誌『上毛之青年』にも、社告や寄稿などに「正義の味方」という言葉が見受けられる[注 4]。『東京毎日新聞』[注 5]は大正時代中頃から昭和時代初期にかけて「我等は正義の味方也」というスローガンを広告や日々の紙面で標榜していた[注 6][26][28]。
大隈重信や芥川龍之介なども[注 7]、『月光仮面』以前に「正義の味方」という語を用いている。
創作物のヒーローを指す意味としては、『月光仮面』以前から永松健夫・加太こうじらが『黄金バット』で「正義の味方」という語をたびたび用いている[注 8]。
由来に関する考察
[編集]佐藤誠三郎は、日本文化会議のセミナーで「日本における正義」と題した講演を行い、その中で(創作物における)「正義の味方」についても言及している[83]。佐藤によれば、「正義の味方」とはイエやムラのような共同体から外れた孤高の存在で、見返りを求めることなく共同体を部外者として手助けする[83]。こうした「正義の味方」の概念は明治維新以降に生まれたもので[83]、義士や義民といった江戸時代から存在する類似概念との違いは、義士や義民が自らの属する共同体のために行動するのに対して、正義の味方はその共同体の構成員ではない点にある[83]。佐藤はそのような「正義の味方」の系譜として、鞍馬天狗、月光仮面、およびウルトラマンを挙げている[83]。
『黄金バット』の作者の1人でもある加太こうじによれば、「正義の味方」をキャッチフレーズに用いたヒーローの元祖が『黄金バット』であるという[77]。
対義語
[編集]馬場恒吾、芥川龍之介、やなせたかしは、「正義の味方」の対義語として「正義の敵」[45][58][84][23]という表現を用いている。
アニメ『鉄人28号』(1963年)の主題歌を作詞作曲した三木鶏郎は、歌詞の中で「正義の味方」の対義語として「悪魔のてさき」[85](悪魔の手先)という表現を用いている。
「正義の味方」を題名とする創作物
[編集]以下のようなものがある。
- 正義の味方 (ゲームソフト) - 2001年に発売されたプレイステーション2用ゲームソフト。
- 正義の味方 (漫画) - 聖千秋による少女漫画。
- 正義の味方 (テレビ番組) - 2001年4 - 9月に日本テレビで放送された深夜番組。
- 教えて!ニュースライブ 正義のミカタ - 2014年4月から朝日放送で放送されているニュース情報番組。
- せいぎのみかた - 1997年に日本テレビで放送されたテレビドラマ。
- 正義のミカタ I'm a loser - 本多孝好による小説作品。
- 「正義の味方」で始まるページの一覧も参照。
関連項目
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 「正義の味方」の19世紀の用例は[2][3][4][5][6][7][8][9][10][11][12][13][14][15][16][17][18]など。
- ^ a b 徳富蘇峰の『国民之友』誌での「正義の味方」の用例は[2][6][8][14][15][16]など。
- ^ a b 内村鑑三の著作での「正義の味方」の用例は[12][17][18][24][25]など。
- ^ 『上毛之青年』誌における「正義の味方」の用例は[3][4][5][10]など。
- ^ 『東京毎日新聞』は1871年1月(旧暦明治3年12月)に『横浜毎日新聞』として創刊され[26]、1940年に『帝都日日新聞』(後の『やまと新聞』)に吸収されて消滅した新聞[26]。現存する全国紙の『毎日新聞』とは別系統[26]。
- ^ 『東京毎日新聞』の広告で確認できる「正義の味方」の用例は[27][19]など。
- ^ 上述した徳富蘇峰や内村鑑三以外で「正義の味方」の用例を確認できるのは、宗教家の松村介石[7]、政治家の新井毫[9]、大隈重信[29]、大津淳一郎[30]、鈴木梅四郎[31]、学者の岡田哲蔵[13]、小野塚喜平次[32]、新城和一[33]、吉江喬松[34]、杉村広蔵[35]、矢野仁一[36]、田中耕太郎[37]、官僚の杉村陽太郎[38][39]、奥村喜和男[40]、弁護士の布施辰治[41]、塚崎直義[42]、ジャーナリストの大庭柯公[43]、野依秀一(野依秀市)[44]、馬場恒吾[45]、作家の山田美妙[46]、小川未明[47]、渡辺霞亭(碧瑠璃園)[48][49][50][51]、田口掬汀[52]、津田光造[53]、有島武郎[54]、長與善郎[55]、菊池寛[56]、村松梢風[57]、芥川龍之介[58]、佐々木味津三[59]、江戸川乱歩[60]、直木三十五[61]、夢野久作[62]、大佛次郎[63]、海野十三[64]、中野重治[65]、山岡荘八[66]、小島政二郎[67]、評論家の高須梅渓[68]など。
- ^ 『黄金バット』作中での「正義の味方」の用例は[69][70][71][72][73][74][75]、作者自身による「正義の味方」の用例は[76][77]、第三者言及で黄金バットを「正義の味方」と呼ぶ用例は[78][79][80][81][82]など。
出典
[編集]- ^ a b c “正義の味方(せいぎのみかた)の意味”. goo国語辞典(デジタル大辞林). goo. 2020年5月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2020年5月9日閲覧。
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假令 口を開て政治を談ずるも、筆を採て時務を論ずるも、決して黨派の牽制を受けず、偏頗の擧動を爲さず、苟くも自由の大義に從ひ、正義の味方たり、」 - ^ a b 「雜報 吾人は」『上毛之青年』第13号、上毛青年社、1890年1月18日、24頁。復刻版:『上毛之青年 第1巻』不二出版、1993年、414頁。「吾人は/只正義の味方たるのみ其正を助けて其邪を撃つべきのみ」
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- ^ a b 新井毫(述)『明治二十三年第一期第一回衆議院に於ける顛末』峯岸良輔、1891年7月23日、22頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「我等同志の士は飽迄正義の味方と爲り情實權勢の奴隷たることを欲せず」
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趨 ク所ナリ、」 - ^ 菱沼東洲(菱沼平治)「寄書 正義と愛」『女学雑誌』第318号、女学雑誌社、1892年5月21日、20-21頁。複製版:『女学雑誌 第276-319号』臨川書店、1967年、1082-1083頁。(プレビュー、Google Books)「エマルソンの詩に曰く、/何人が戰ひ、何人が倒るゝも、正義は
遠 えに勝ちて、變ることなし。正義の味方に戰ふ者は、假令 十度び、百度び、屠らるゝとも、」 - ^ a b 内村鑑三『後世への最大遺物』東京独立雑誌社、1899年(初出1894年)、132頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「今日我々が正義の味方に立つ時に、我々少數の人が正義の爲に立つときに、少く共
此 夏期學校に來て居る者位は共に其 方に起つて貰ひたい。」 - ^ a b 岡田哲蔵「戦時に於ける死生問題」『青山評論』第52号、青山評論社、1895年1月26日、6頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「世界は一大義戰の塲にして、吾人の要は、正義の味方となりて、潔くこの大戰の犠牲となるにあるのみ。」
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豈 一人の正義の味方として起ち、平和の味方として起ち、人情を代表して起ち、正義の爲に生き、平和の爲に鬪ひ、人情の爲に死するものはなき乎 。」 - ^ a b 内村鑑三「奇蹟の事」『宗教座談』東京独立雑誌社、1900年、83頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「正義が何時でも其維持者の最少數なるにも關はらず、最大多數の罪惡に打勝ちつゝあるのは人間以上の勢力が常に正義の味方を爲しつゝあるからでは御座いません
乎 、」 - ^ a b 内村鑑三「摂理と歴史」『独立雑談』聖書研究社、1901年(初出1900年)、166頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「十六世紀以後の佛國史、英國史を讀んで御覧なさい、罪惡は全力を盡し、有ると凡ゆる勢力を利用して正義の味方を潰さんと努めました、」
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- ^ 鈴木梅四郎『醫療の社會化運動』実生活社出版部、1929年、186頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「之等新聞社は世の耳目としても亦其自ら宣明せる主義の上からいつても、此種の社會的不義を制して常に正義の味方を以て自ら持すべき筈のものである。」
- ^ 小野塚喜平次『歐州現代政治及學説論集』博文館、1916年、362頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「英國民ハ敢テ自國ヲ犠牲ト爲シテ單ニ世界ノ文明ノ爲ニ奮鬪スル者ニアラザルベキモ、自國ノ利害ト正義公道トガ大體ニ於テ一致セルヲ看破シ最終ノ勝利ガ正義ノ味方ナルヲ信ズルガ如シ。」
- ^ 新城和一「ストリントベルヒの淋しさ」『心霊の輝き』洛陽堂、1920年、115頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「彼が不義に陥つたのは、彼が餘りに正義の味方であつた爲ともいへばいへやう。」
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- ^ 杉村廣蔵「統制と社會倫理」『支那の現實と日本』岩波書店、1941年(初出1938年)、322頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「不正を見て憤りはする、そしてひそかに物かげから石を投げつける程度の公憤の發表はある。しかし自ら曲直をあきらかにすべく乘り出さうとはしない。そんな心理だから、これをあへてした人閒を、物好き扱ひさへする。事態が擴大して面倒になれば、たとへ、正義の味方として乘り出た人間をも、穩かでないといつて非難するのが、つねである。」
- ^ 矢野仁一「英国旗は支那に不正に翻らなかったか(一)アヘン戦争の不正義」『大阪朝日新聞』1939年7月19日。(オンライン版、神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫、外交(148-058))「イギリス人がイギリス国旗を見て、常にその精神を作興するのは、何によってしかるか、それはイギリス国旗が正義の味方、圧制の敵、民族の権利、公明正大の商業的精神を連想せしむるためでないか、」
- ^ 田中耕太郎「民主主義と眞理」『教育と政治』好学社、1946年、220-221頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「民主主義と眞理」『眞理と平和を求めて』大日本雄弁会講談社、1949年、63頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「聯合國側が世界の輿論の支持を得たのは、正義が彼等の味方であつたからである。/勿論正義の味方がある場合に戰ひは常に勝つとは限つてゐない。 (中略) 然しながら長い眼で以て世界史を大觀するときに、神の正義は誤りなく實現せられ、實力を恃み勝利に驕つた國々は久しからずして沒落の苦杯を嘗めさせられてゐるのである。」
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反之 正義が弱者のみを友とするとき社會は亡ぶるのである。」(136-137頁)、「日本の如き大國が正義の味方に立ちながら亡びたる實例が何處にあるか。」(187頁) - ^ 杉村陽太郎『國際外交錄』中央公論社、1933年、421頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「聯盟が正義の味方とならんとするとき、往々小國支持となるは實に已むを得ざるに出づるのである。」
- ^ 奥村喜和男「宣戰の布告に當り國民に
愬 ふ」『国民に叫ぶ: 亞細亞の黎明に立ちて』大日本雄弁会講談社、1942年(初出1941年12月8日)、17頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「我に正義の味方あり、我に世界無敵の陸軍あり、海軍あり。米英何んぞ惧 るゝに足らんやであります。勝利は常に御稜威 の御旗のもとにあり。」 - ^ 布施辰治「廢娼運動の徹底的態度」『廓清』第12巻第11号、廓清会本部、1922年、17頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「常に其の正義の叫は、國家が民衆の叫の結晶であり、正義の味方であると致しますならば、必ず通るのでありますが、如何にせん今日の國家は、所謂不正不義なる特權階級者に弄ばるゝ政治の實際問題として、正義の叫びを通さない場合が多々あるのであります。」
- ^ 塚崎直義『辯護三十年』岡倉書房、1937年、251, 286頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、251頁、286頁)「外國では人權が頗る尊重されてゐる、從つて人權を擁護するを職とする辯護士は、正義の味方人民の友として異常な尊敬を受けてゐるのである。」(251頁)、「人を助ける辯護士、卽ち正義の味方として、刑事々件を專門にやる辯護士にならうと決心したのである。」(286頁)
- ^ 大庭柯公『人物分布観 上篇』梁江堂、1910年、28頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「眞木和泉の訊速錄、天祐錄の二篇は正義の聲なり、政界と社會における平岡頭山は正義の味方なり。福岡の天地には正義の氣あり。」
- ^ 野依秀一(野依秀市)「正義の友に告ぐ」『愚人の力』実業之世界社、1915年、32頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「僕は正義が最後の勝利者であると信じて今日迄奮鬪して來た。そして又少なくとも『實業之世界』の讀者は、不正不義の敵、正義の味方であると信じて居つた。」
- ^ a b 馬場恒吾「労働問題(十一)国際正義と国内正義」『国民新聞』1919年11月30日。(オンライン版、神戸大学経済経営研究所新聞記事文庫、労働問題(12-112))「資本主義者の眼には元より国際正義も、国内正義もない。彼等は利益を得る所を以て正義とする。然し偶然に資本家が正義の味方となる事がある。 (中略) 人種的差別の上に立脚して、移民自由の原則を否認せんとするは、米国の労働組合であって、自己の利益の為に、我国の移民を歓迎するは、米国の資本である。此場合には、労働組合が正義の敵となって、資本家が正義の味方である。」
- ^ 山田美妙『あぎなるど 比律賓独立戦話 後編』内外出版協会、1902年、276頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「あなたが一身を犧牲に供しても島民に自由を得させやうとの思し召しならば、北米合衆國は、實に、大義公道により、たしかに正義の味方となり、あなたの御助けをする丈は決して躊躇するのでありません。」
- ^ 小川未明「蠟人形」『夜の街にて』岡村盛花堂、1914年(初出1908年)、148頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「憐れな淸吉にとつては敎師も遂に正義の味方ではなかつた。」
- ^ 碧瑠璃園(渡辺霞亭)『堀部安兵衛 前編』隆文館、1910年、67頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「紫雲寺潟一帶の百姓は八九分まで正義の味方なる由を申し上げて、」
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愛親 は已 に正義の味方たるべく覺悟した、」 - ^ 渡辺霞亭『萩江』至誠堂書店、678頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「貞様は此に浮身を
扮 して居るんですよ、只獨 り正義の味方になつて、骨を折つて居るんですよ」 - ^ 碧瑠璃園(渡辺霞亭)『阿波十郎兵衛』玄文社、1920年、146頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「殊に越前は江戶の留守中、諸事の差配を受け持つ者は細山主水である、主水は正義の味方をもつて任じて居る者であるから何方へも贔屓をしない」
- ^ 田口掬汀『北の国』日高有倫堂、1912年、197頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「淨海入道は
制 へ難い憤激の聲を迸 らせた。『正義の味方?へん何が正義だ。鐚 一文持たねえで何が正義だ。正義呼はりして腹が膨れるか馬鹿奴 。』」 - ^ 津田光造『二宮尊徳の人格と現代: 附・青年教師の懐疑』大同館書店、1919年、108頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「
此 彼の何處迄も徹底的に正義の味方となつて眞理を追求し、敵壘に肉薄して行く態度、それは慥 かに眞の經世家の態度でなければならない。此彼の志士的な氣魄を大久保侯は非常に賞讃された。」 - ^ 有島武郎「聖餐」『有島武郎著作集 第10輯 (三部曲)』叢文閣、1919年、213-214頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「あなた方パリサイ人は正義の味方であり、愛國の志士ではありませんか。」
- ^ 長與善郎『或る人々』春陽堂、1920年、419頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「信生は善い人間であり、純粹でない迄も眞直であり、本能的に正義の味方ではあつたが、未だ『君子』ではなかつた。」
- ^ 菊池寛『火華』大阪毎日新聞社、1922年、141頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「この塲合、淳は肉親の味方でなくして正義の味方だつた。」
- ^ 村松梢風『清水次郎長』成象堂〈創作講談 5〉、1925年、139頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「仁吉はかう事がもれて來た以上、女房󠄁を離緣しても、正義の味方をしなければ、自分の男がすたると考へて」
- ^ a b 芥川龍之介「武器」『侏儒の言葉』文芸春秋社、1927年、17頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「日本人の勞働者は單に日本人と生まれたが故に、パナマから退去を命ぜられた。これは正義に反してゐる。亞米利加は新聞紙の傳へる通り、『正義の敵』と云はなければならぬ。しかし支那人の勞働者も單に支那人と生まれたが故に、千住から退去を命ぜられた。これも正義に反してゐる。日本は新聞紙の傳へる通り、――いや、日本は二千年來、常に『正義の味方』である。正義はまだ日本の利害と一度も矛盾はしなかつたらしい。」
- ^ 佐々木味津三『風雲天滿双紙』平凡社〈佐々木味津三全集第6巻〉、1934年(初出1929年)、11-12頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「事件の吟味と裁きを決する場合に當つて、つねに平八郎は正義の味方、弱者の味方、そしてまた民衆の味方でした。」
- ^ 江戸川乱歩「影武者」『孤島の鬼』1930年。(オンライン版、青空文庫)「滅入っている諸戸を力づけて、正義の味方にしよう。そして、彼の優れた智恵を借りて、悪魔と戦おう。」
- ^ 直木三十五「呪殺変」『南国太平記』誠文堂、1931年。(オンライン版、青空文庫)「仮えば、一人の敵将を呪い殺すということは、正義の味方を勝たしめることで」
- ^ 夢野久作「キチガイ地獄外道祭文 七」『ドグラ・マグラ』松柏館書店、1935年。(オンライン版、青空文庫)「正義の味方の学者や牧師が。言論自由の権利の下に。富豪いじめの演説はじめる。 (中略) 正義の味方の学者や牧師を。まさか追立て喰わせもならず。」
- ^ 大佛次郎「江戸日記」『大佛次郎時代小説全集第3巻 鞍馬天狗III』朝日新聞社、1976年(初出1935年)、267頁。「正義の味方が公儀には求められず、かえってお尋ね者の鞍馬天狗にあるというのは、なんと言ってよい世の中だろう。」
- ^ 海野十三「深夜の市長」『海野十三全集 第3巻 深夜の市長』三一書房、1988年(初出1936年)、201頁。(オンライン版、青空文庫)「君、誤解しちゃいけないよ。僕はいつも正義の味方なんだからネ……」
- ^ 中野重治「田舎者文藝時評」『中野重治全集 第7巻』筑摩書房、1959年(初出1936年)、391-403頁。「見事な『永遠の正義の味方』である。彼らは無力な怠けものであることを自ら感じているにすぎない。彼らは正義を行おうとするものではなく、正義派感情を懐ろ手で温めていたい人々なのである。」(402頁)
- ^ 山岡荘八『怪童不動丸』偕成社、1950年、99頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「しかも日本の武將はみなその北條氏に味方して、これをたおして民の難儀を救おうという、正義の味方は楠兵衞ただひとりなのだ。」
- ^ 小島政二郎『乳房祭』同光社、1955年、106頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「『科学者は常に正義の味方じや』/ 冷然と、この一語を以つて応酬したきり、一翁は取り合おうともしなかつた。」
- ^ 高須梅渓『学生坐右訓』亀井支店書籍部、1906年、89-90頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション)「惡友を遠ざけ、心友を撰び、是れならば終生正義の味方たるべしと思ひ込みし靑年を以て其友となし、以つて茲に交際の端を開くべきなり。」
- ^ 永松健夫『黄金バット なぞの巻』明々社、1947年、88, 106頁。(オンライン版、マンガ図書館Zのインターネットアーカイブ、88頁目、106頁目)「世界に 暗黒が きたとき 叩けよ さらば 正義の味方 黄金バットは あらわれん」(88頁)、「正義の味方 自由の使徒 黄金バットの いかりの もとに」(106頁)
- ^ 永松健夫『黄金バット 地底の国』明々社、1948年、1, 17, 97頁。(オンライン版、マンガ図書館Zのインターネットアーカイブ、1頁目、17頁目、97頁目)「正義の 味方 黄金バットは 決然起って ナゾーと 鬪うことになった。」(1頁)、「正義の 味方 黄金バットにも ほどこす すべは なかったのだろうか」(17頁)、「たからかな さけび、それは 永遠に 正義の味方 黄金バットの げきれいの 聲であった。」(97頁)
- ^ 永松健夫『黄金バット 天空の魔城』明々社、1948年、20頁。(オンライン版、マンガ図書館Zのインターネットアーカイブ、20頁目)「正義の味方 黄金バットは いま いずこに あるのか、ようとして その いさましい 姿を あらわさない。」
- ^ 永松健夫『黄金バット 彗星ロケット』明々社、1949年、67頁。(オンライン版、マンガ図書館Zのインターネットアーカイブ、67頁目)「刮然と天空にこだまして高笑する正義の味方黄金バットの声。」
- ^ 永松健夫「黄金バット 科学魔篇」『黄金バット 天空の魔城・彗星ロケット』桃源社、1975年(初出1950年)、179, 185, 192, 193頁。(オンライン版、マンガ図書館Zのインターネットアーカイブ、179頁目、185頁目、192-193頁目)「前号までのあらすじ 惡の権化ナゾー一味は、天空の魔城のクーマ大王と隣国Q大王の助けを借りて、全世界を惡の世界に変えようとしていた。それを阻んだ正義の味方黄金バットの戦いは」(179頁)、「☆前号までのあらまし☆惡の権化ナゾー一味は、天空の魔城のクーマ大王と隣国Q大王の助けを借りて、全世界を惡の世界にしようとした。これに対して正義の味方黄金バットと大木探偵、地底国のモーグリ博士が」(185頁)、「☆前号までのあらまし☆惡の權化ナゾー一味は、天空のクーマ大王と力を合せ、全世界を惡一色にしようとしたが、これに対して正義の味方黄金バットと大木探偵モーグリ博士等は」(192頁)、「クーマ大王やナゾー一味の惡人共は、正義の味方黄金バットの助力を受けて私たちが皆退治してしまいました。」(193頁)
- ^ ハラマサル『覆面の怪人 黄金バット』藤田書店、1947年、18頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定公開)「お
禮 にはおよばぬ。バツトは、いつでも正義の味方です。」 - ^ 加太こうじ『黄金バット 巨獣の巻』綱島書店、1952年8月、96頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定公開)「この次は/『東京の巻』として/神出鬼没の正義の味方、黄金バットが東京にあらわれて、 (中略) 乞う、御愛読!」
- ^ 永松健夫「『黃金バツト』の頃 紙芝居發達史の内」『紙芝居』復刊第三号、日本紙芝居協會、1947年12月、12-13頁。(オンライン版、国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「高らかな笑いと共に眞紅のマントをひるがへしつゝ現れる正義の味方、超人黃金バツトのそう嚴な姿は、少年の限りない夢をゆすぶつてあまりあつたのである。」
- ^ a b 加太こうじ 著「正義の味方」、高橋義孝 編『東京故事物語』河出書房新社、1968年2月、186頁。 NCID BN1095165X。(オンライン版、国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「子どもは正義の味方というのが大好きである。 (中略) 猿飛佐助は、 (中略) 劣勢の豊臣家を圧迫する徳川方に抗する正義の味方として、たちまちにして日本中の子どものあこがれのまとになった。/正義の味方ということを、キャッチフレーズにして売りだした英雄は、猿飛よりずっとおくれて、昭和初年の紙芝居に登場した『黄金バット』である。原作者は鈴木一郎という紙芝居説明者兼台本作者で、その絵を永松健夫という少年画家が描き、のちには加太こうじも描いた。」
- ^ 森三郎「夜中」『赤い鳥』第10巻第3号、1935年9月、70-71頁。「向うの空地で紙芝居屋のをぢさんが飴を賣つてゐます。勇二はそこへ駈けていきました。 (中略) 『――正義の味方は黃金バット。』とをぢさんはお得意の義賊黃金バットをはじめました。」
- ^ 「坊やおなじみ”黄金バット” 丸の内に現る!ビル渡り」『読売新聞東京夕刊』1950年12月18日、3面。ヨミダス歴史館にて閲覧。「突如一陣の風とともに現われましたのはアーラ懐しや正義の味方”黄金バツト” (中略) 実は某映画社のロケがはじまつたのです」(映画『黄金バット 摩天楼の怪人』のロケーション撮影に関する記事)
- ^ 稲庭桂子 著「大衆の芸術 ― 紙芝居」、日本労働組合総評議会教育文化部 編『現代文化講座』駿台社、1956年2月10日、254頁。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、デジタル化資料送信サービス限定公開)「これは街頭紙芝居を思いうかべていただくと解りいいんですが、 (中略) かつて一世を風びした『黄金バット』などでも、 (中略) 『われこそは正義の味方黄金バット』といいながら画面がパッとかわって、サッとつるぎを打ちおろす。そういうところで、子どもたちは、ひきつけられていくわけです。」
- ^ 作田啓一、多田道太郎、津金沢聡広「黄金バット」『マンガの主人公』至誠堂〈至誠堂新書 13〉、1965年、46頁。 NCID BN0779060X。(オンライン版、国立国会図書館デジタルコレクション、館内限定公開)「黄金バットは、もちろん正義の味方ではあるが、ふしぎな風貌を持っている。まず、顔が不気味なガイコツである。」
- ^ 三島由紀夫「第二十章」『奔馬』新潮社〈決定版 三島由紀夫全集 第13巻〉、2001年(初出1967年)、614頁。ISBN 410642553X。「紙芝居屋は咳払ひをして、エー正義の味方黄金バットは、と前説をはじめ、その塩辛声が、すでに紙芝居と子供の群衆を背後にして歩いてゐる勲の耳朶を追つて来た。/勲は静かな西片町の塀つづきの道へ入りながら、空を駈ける黄金の髑髏の幻に追はれてゐた。あれは正義といふものの異様な
金色 のグロテスクな姿だつた。」 - ^ a b c d e 佐藤誠三郎 著「日本における正義」、日本文化会議 編『西欧の正義 日本の正義』三修社、1980年、179, 213-215頁。 NCID BN02649998。 新版:文藝春秋社〈文春学藝ライブラリー 雑13〉、2015年、231, 272-274頁。ISBN 978-4-16-813043-4。
- ^ やなせたかし、鈴木一義『アンパンマン大研究』フレーベル館、1998年、58-59頁。ISBN 4-577-01898-5。「Q1 ばいきんまんは、どこから何のためにやってきたのですか? (中略) (やなせもひとこと) アンパンマンと闘うため、『正義の敵』としてやってきました。」(58頁)「Q3 ばいきんまんとアンパンマンは、どんな関係ですか? (中略) (やなせもひとこと) アンパンマンは『正義の味方』、ばいきんまんは『正義の敵』です。」(59頁)
- ^ 三木鶏郎(作詞作曲)、デューク・エイセス(歌)「鉄人28号」、1963年。(歌詞オンライン版、J-Lyric.net)「あるときは 正義の味方/あるときは 悪魔のてさき」