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多田道太郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
多田 道太郎
人物情報
生誕 (1924-12-02) 1924年12月2日
日本の旗 日本京都府京都市
死没 2007年12月2日(2007-12-02)(83歳没)
出身校 京都大学
学問
研究分野 文学(フランス文学)、美学
研究機関 京都大学人文科学研究所明治学院大学
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多田 道太郎(ただ みちたろう、1924年12月2日 - 2007年12月2日)は、日本のフランス文学者評論家京都大学名誉教授

経歴

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1924年、京都府京都市生まれ。京都大学文学部文学科(フランス語学フランス文学専攻)で学び、1949年3月に卒業。

同1949年12月、京都大学人文科学研究所助手に採用。1957年に同研究所講師、1965年8月に同研究所助教授に昇進。1976年6月には同研究所教授となり、西洋思想研究部門に所属した。1976年には、桑原武夫鶴見俊輔井上俊津金沢聡広らと「現代風俗研究会」を創設し[1]、のちに第2代会長を務めた(初代会長は桑原)。1988年3月に京都大学を定年退官し、名誉教授となった。その後は同年4月より明治学院大学国際学部教授となり、教鞭をとった。1990年10月、武庫川女子大学生活美学研究所所長に就任。1999年4月からは、神戸山手大学環境文化研究所所長をつとめた(2003年3月まで)。

2007年12月2日、肺炎にて死去。

受賞・栄典

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研究内容・業績

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  • 京都大学人文科学研究所で同僚であった桑原武夫との共同研究で中心的役割を果たした。仏文学から美学、社会学などを幅広く論じ、日常の雑事からの日本人論にも定評がある。代表的な著書に『しぐさの日本文化』(1972年)、『変身放火論』(1998年)などがある。
  • フランス文学では特にボードレールを専門としたが、そのほかにカイヨワの「遊び」論に関心が深く、大衆文化、関西文化、日本人論に関する数多くの評論を書いた。
  • 京都大学人文科学研究所ではボードレールに関する共同研究班のリーダーを務め、西川長夫らと研究活動を行った[2]
  • 主要著作を収めた『多田道太郎著作集』(筑摩書房・全6巻)がある。

家族・親族

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一家は香里団地に開発当時から長年にわたって居住し、有志による「香里ヶ丘文化会議」のメンバーであった。多田宅には1966年にサルトルボーヴォワールが来日した際、来訪したことがある。

著作

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  • 『複製芸術論』(勁草書房) 1962、のち講談社学術文庫
  • 管理社会の影 複数の思想』(読売新聞社) 1971
  • 『しぐさの日本文化』(筑摩書房) 1972、のち講談社学術文庫 2014
  • 『遊びと日本人』(筑摩書房) 1974、のち講談社学術文庫
  • 物くさ太郎の空想力』(冬樹社) 1978
  • 『風俗学 路上の思考』(筑摩書房) 1978、のち文庫
  • 『日本語の作法』(潮出版社) 1979、のち朝日文庫
  • 『自分学』(朝日出版社) 1979、のち改題『あまのじゃく日本風俗学』(PHP文庫
  • 『ことわざの風景』(講談社) 1980
  • 『文章術』(潮出版社) 1981、のち朝日文庫
  • 『本棚の風景』(潮出版社) 1981
  • 『身辺の日本文化 日本人のものの見方と美意識』(講談社) 1981
  • 『ことばと響き 対談集』(筑摩書房) 1982
  • 『おひるね歳時記』(筑摩書房) 1993
  • 「多田道太郎著作集」全6巻(筑摩書房) 1994
  • 『変身放火論』(講談社) 1998
  • 『新選俳句歳時記』(潮ライブラリー) 1999
  • 『からだの日本文化』(潮出版社) 2002
  • 『多田道太郎句集』(芸林書房) 2002
  • 『転々私小説論』(講談社文芸文庫) 2012

共編著

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翻訳

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脚注

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  1. ^ 黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)P.417
  2. ^ 吉田悠樹彦,「記憶・文化史・メディア 『ダゲール街の人々』と『顔たちところどころ』を中心に」,金子遊 若林良 吉田悠樹彦編,『アニエス・ヴァルダ 愛と記憶のシネアスト』,neoneo叢書, 2021

外部リンク

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