冬樹社
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沿革
[編集]1958年8月に設立[1]。設立直後に矢田挿雲『江戸から東京へ』を出版した後に休業し、1964年から出版活動を再開した[1]。1966年から定期刊行物としてスキー専門誌『スキージャーナル』を創刊するが、1969年にスキー部門を独立させて文芸路線に転じた[1]。二代社長・高橋直良[1]の下、編集者に森内俊雄や高橋徹などがおり、『坂口安吾全集』『岡本かの子全集』などを刊行[2][3]。
1980年代には、ニュー・アカデミズムブーム、ポストモダンブームと連動して、雑誌「GS たのしい知識」を刊行してニューアカブームを仕掛けたなどと言われた[3][4]。四方田犬彦『クリティック』、伊藤俊治『写真都市』、蓮實重彦『映画 誘惑のエクリチェール』、栗本慎一郎・吉本隆明『相対幻論』などを出したこの頃を、評論家の坪内祐三は「1980年前後、たしかに冬樹社という時代があった」と語っている[5]。しかし1980年代半ばに経営不安が囁かれ[6]、荻原魚雷によると1991年に廃業[3]。
商号を受け継いだ者がIT関連の本を出す会社として再建したが、これも廃業したとされる[7]。
定期刊行物
[編集]- 『スキージャーナル』(1966年創刊)
- 『カイエ』(月刊雑誌)[1](1978年創刊)
- 『50冊の本』[1](1978年創刊。書評誌)
- 『GS たのしい知識』(1984年創刊。浅田彰・四方田犬彦、伊藤俊治ら責任編集の季刊誌)
- 『ビデパル』[1](創刊号は1984年2月号。オーディオビジュアル専門誌)
主な刊行物
[編集]- 『十一月、水晶』野呂邦暢(長崎市出身、諫早市在住の芥川賞受賞後、第一著作集)
- 『英米文学作家論叢書』シリーズ(著者は川口喬一、川本静子、小池滋、佐藤宏子ほか)
- 『山川方夫全集』(全5巻)
- 『定本 坂口安吾全集』(全13巻)
- 『吉行エイスケ作品集』(全2巻)
- 『風景の向こうへ』 中上健次
- 『相対原論』栗本慎一郎・吉本隆明
- 『クリティック』四方田犬彦
- 『反文学論』柄谷行人
- 『俺たちはノイズだ』糸井重里・栗本慎一郎
- 『長電話』坂本龍一・高橋悠治(坂本の個人出版社"本本堂"・発行、冬樹社の役割は“発売”)
- カセットブックシリーズ
出典
[編集]- ^ a b c d e f g 内野祐、高沢皓司『出版社now 出版社の全プロフィール』凱風社、1985年、p.115
- ^ 高崎俊夫vs坪内祐三「消えた出版社総まくり 函入り本を出すと出版社は消える?」『本の雑誌』2018年8月号、p.14
- ^ a b c 荻原魚雷「荻原魚雷の古書古書話66 メロウでプラスチックな八〇年代」『小説すばる』2013年6月号、p.372
- ^ 長山靖生「僕がSFでマンガでアニメで、おたくと呼ばれた頃 記憶のなかの80年前後SFファンダム史 〈後篇〉」『S-Fマガジン』2011年7月号、p.188
- ^ 坪内祐三「“たしかに冬樹社という時代があった” 『50冊の本』」『私の体を通りすぎていった雑誌たち』新潮社、2005年、pp.196-197
- ^ 「一行情報」『噂の真相』1985年5月号、p.79
- ^ “冬樹社(とうじゅしゃ)”. 2006年3月7日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年7月29日閲覧。