コンテンツにスキップ

高橋義孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
高橋 義孝
1982年
人物情報
生誕 (1913-03-27) 1913年3月27日
日本の旗 日本東京府東京市神田区
死没 1995年7月21日(1995-07-21)(82歳没)
出身校 東京帝国大学
子供 高橋鷹志(建築学研究者)
学問
研究分野 文学(ドイツ文学)
研究機関 北海道大学九州大学名古屋大学桐朋学園短期大学
学位 文学博士
テンプレートを表示

高橋 義孝(たかはし よしたか[1]1913年3月27日 - 1995年7月21日)は、日本ドイツ文学者評論家随筆家。学位は、文学博士東京大学論文博士・1961年)(学位論文「文学研究の諸問題」)。九州大学教授名古屋大学教授などを歴任。

経歴[編集]

出生から修学期

1913年、東京府東京市神田区生まれ。錦華尋常小学校、第二東京市立中学校(現東京都立上野高等学校)で学び、その際には福田恆存と同級であった。旧制高知高等学校を経て、東京帝国大学独文科に進んだ。1935年、東京帝国大学を卒業。その後は同大学大学院に進学し、1936年に卒業。翌1937年よりフンボルト財団給費生としてベルリン大学へ留学。1938年ケルン大学へ移りドイツ文学を学んだ。

ドイツ文学者として:戦前

1939年に帰国し、東京の旧制府立高等学校教授に就いた。教鞭を執る一方で、翻訳のほか文芸評論を発表した。1944年陸軍科学学校教授としてドイツ語を教えた。また、第二次世界大戦中はナチスの紹介もした[2]。またマルクス主義の文学理論を批判し、戦後もその姿勢は継続した。

戦後

1947年北海道大学法文学部助教授となるも、北海道が東京からはるか離れた僻地であることに嫌気が差して1948年に退官。その後は執筆に専念するが、1950年九州大学助教授の任に就いた。1954年、教授昇格。1961年、学位論文『文学研究の諸問題:ドイツ文芸学を中心として』を東京大学に提出して文学博士学位を取得[3]1968年、ベルリン大学客員教授1970年、九州大学を辞任。1973年名古屋大学教授となり、1976年に定年退官。その後は桐朋学園短期大学名誉教授として週1回講義をしていた。

教授時代は終始一貫して東京の自宅を動かず、九州大学時代は最初は国鉄の寝台車で、のちにジェット機で東京との間を往復し「ジェット教授」と呼ばれ、名古屋へも新幹線で通勤した。

受賞・栄典[編集]

研究内容・業績[編集]

専門はドイツ文学で、マンフロイトゲーテなどの訳書も多い。また、江戸っ子をもって任じ、洒脱な随筆を数多く刊行した。

人物・交遊[編集]

  • 師は内田百閒尾崎士郎。百閒の愛猫ノラが失踪した際、酒に酔って「今頃は三味線の胴と化してますよ」と電話を入れた事が逆鱗に触れ、しばらく出入り差し止めとなった(電話の件は、百閒の『ノラや』にも登場する)。
  • 弟子に山口瞳がいる。
  • 子供の頃から相撲好きで、1964年横綱審議委員会委員、1981年には委員長になった。
  • 江戸っ子をもって任じ、蝶ネクタイがトレードマークだった。

家族・親族[編集]

著作[編集]

著書
  • ナチスの文学』牧野書店 1941
  • 『構想する精神 独逸文学論集』育英書院 1942
  • 『批評・懐疑・超克』鱒書房 1947
  • 『マン・ヘッセカロッサ』南北書園 1947
  • 『文芸学批判』国土社 1948
  • 森鷗外雄山閣 1948
  • 『芸術について』玄理社 1948
  • 『芸術の秘密 芸術批評における享受の問題』東大協同組合出版部 1949
  • 『ゲーテ小伝』郁文堂書店 1949
  • 『文芸の心理学』日本教文社(教文新書) 1955
  • 『思想の抜け穴』読売新書 1955
  • 『ぼくの文芸評論』大日本雄弁会講談社 1955
  • 『無意識』新潮社(一時間文庫)1955
  • 『随筆合切袋』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス) 1955
  • 『落ちていた将棋の駒について』暮しの手帖社 1955
  • 『随筆大名の酒盛り』新潮社 1955
  • 『現代ドイツ文学』要書房(要選書) 1955
  • 『随筆狸の念仏』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス) 1956
  • 『文学と人生』河出新書、1956
  • 『まぬけの効用』文藝春秋新社 1956
    • 文春文庫
  • 『現代文学の相貌』英宝社、1956
  • 『幸福になる条件 ひとつの考え方』(1957年、新潮社)
  • 『イエスとノーの間』新潮社、1957
  • 『しかしながら』実業之日本社、1957
  • 『色けと食いけ』六月社、1957
  • 『私の人生料理術』角川書店 1957
  • 『随筆ひとり相撲』大日本雄弁会講談社(ミリオン・ブックス) 1957
  • 『芸術文学論集』東京創元社 1958
  • 『道徳の笑いと怒り』新潮社 1958
  • 『文学研究の諸問題 ドイツ文芸学を中心として』新潮社 1958
  • 『現代不作法読本』文藝春秋新社、1958
    • 文庫化:角川文庫、文春文庫
  • 『現代知性全集13 高橋義孝集』日本書房、1958
  • 『あたふたの記』雪華社、1959
  • 『この日この時』新潮社、1959
  • 『無意識の発見』光書房、1959
  • ヰタ・セクスアリス』中央公論社、1959
  • 『死と日本人 文学論集』室町パブリシティー 1959
  • 『人生短期大学』文藝春秋新社 1960
  • 『おんな大学』新潮社 1961
  • 『日本再発見』ダイヤモンド社 1963
  • 『日本旅情』新潮社 1963
  • 『悩んでいます 幸せへのアドバイス』秋田書店(サンデー新書) 1964
  • 『旅・酒・浮世』秋田書店(サンデー新書) 1964
  • 『わたくしの東京地図』文藝春秋新社 1964
  • 『近代芸術観の成立』(1965年、新潮社)[4]
  • 『おやじといたしましては』オリオン社 1965
  • 『穏健なペシミストの観想』新潮社 1967
  • 『ワレハ雲ヲ愛ス 最新随筆集』オリオン出版社 1968
  • 『芸術・文学小論集』中央大学出版部 1970
  • 『帰りなんいざ』講談社 1970
  • 『言説ノ指』同信社 1971
  • 『文学非芸術論』新潮社 1972
  • 『酒客酔話』日本交通公社(ベルブックス) 1972
  • 『酒飲みの詭弁 ユーモアエッセイ集』番町書房 1974
  • 『新つれづれ草 随筆選』角川文庫 1975
  • 『叱言たわごと独り言』新潮社 1976
    • 新潮社文庫
  • 『飲み食いのこと』ゆまにて 1976
  • 『高橋義孝文芸理論著作集』人文書院 1977
  • 『蝶ネクタイとオムレツ』文化出版局 1978
    • 講談社文庫
  • 『芸術と精神分析』人文書院 1979
  • ファウスト集注 ゲーテ『ファウスト』第一部・第二部注解』郁文堂 1979
  • 『粋と野暮の間』PHP研究所 1980
    • PHP文庫
  • 『旅路の想い 辛口日本紀行』PHP研究所 1980
  • 『大人のしつけ紳士のやせがまん』新潮社 1981
    • 新潮社文庫
  • 『生々流転』阪急コミュニケーションズ 1981年
  • 『言いたいことばかり』新潮文庫 1981
  • 『すこし枯れた話』講談社 1981
    • 講談社文庫
  • 『こんな考え方』講談社 1982
  • 『へんくつの発想』新潮文庫 1982
  • 『大相撲のすがた』平凡社 1984
  • 『夜目遠目的はずれ』PHP研究所 1984
  • のすがた』平凡社 1984
  • 『若気のいたり年寄の冷や水』新潮文庫 1984
  • 『華の園』朝日新聞社 1985
  • 『芸術・文学覚書 ユングフロイトその他』同学社 1987
  • 『私の人生頑固作法 高橋義孝エッセイ選』講談社文芸文庫 2001
  • 『蝶ネクタイ先生の飲み食い談義』河出文庫 2024

共著・編著[編集]

訳書[編集]

記念論集[編集]

  • 『ゲルマニスティクの諸相』高橋義孝先生還暦記念論集刊行会 1975

脚注[編集]

  1. ^ 文壇関係者からは名前を音読みして「たかはし ぎこう」と称される場合もある。
  2. ^ 戦時中から戦後にかけての高橋の「転身」について、山口知三は「終戦直後期の日本におけるトーマス・マン受容(その一)」希土同人社『希土』44号 2019、90-130頁、特に101頁以降において厳しい見方をしている。
  3. ^ CiNii(学位論文)
  4. ^ この著書について、国松孝二は『浮塵抄』(同学社, 1988年)207-209頁において、「近代における芸術至上主義的な芸術・文学観の成立の経緯を解明しようとしたもの」とし、「強靭な思弁力と犀利な本質直観とが結晶して、絢爛たる氷花を咲かせたような著書」と絶賛している。