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レジー・ベネット

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
レジー・ベネット
プロフィール
リングネーム レジー・ベネット
ビッグ・モー
誕生日 (1961-01-24) 1961年1月24日(63歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
カリフォルニア州サンディエゴ
スポーツ歴 プロレスラー
デビュー 1986年
引退 2001年
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レジー・ベネットReggie Bennett1961年1月24日 - )は、アメリカ合衆国の元女子プロレスラーカリフォルニア州サンディエゴ出身。

来歴

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高校卒業後、ボディビルダーとして様々なタイトルを獲得。映画「グラント」に出演した際、プロレスラーのマンド・ゲレロとの出会いをきっかけにプロレスに転向。1986年ハワイでデビュー。その後、アメリカの女子プロレス団体LPWAと契約。「ビッグ・モー」のリングネームシェリル・ルーサー(リトル・モー)とのタッグ「ロコモーション」として活躍。

日本で知名度が上がったきっかけは1991年に放映されたピップフジモト(現:ピップ)の栄養ドリンク「ダダン」(現:ダダンII)のCMだった。「ダ・ダーン! ボヨヨン、ボヨヨン。ダ・ダーン!」の台詞とともに胸を揺らし、ポール牧が担当する振付で強烈な印象を残した[1][2][3][4]。この「ダダーン ボヨヨン ボヨヨン」は流行語にもなり、1991年の新語・流行語大賞の大衆部門・銀賞を受賞した[5]

これを機に日本の各団体がオファーを送り、1991年にFMWへ初来日を果たした。FMWでは工藤めぐみとのシングルマッチや、コンバット豊田とのブルロープデスマッチなどで話題となる。

その後、ジャパン女子プロレスに参戦するが、すぐにジャパン女子が解散してしまったため、1993年にJWP女子プロレス、1994年に全日本女子プロレスのリングへあがることになる。

全女ではIWA世界女子王座オールパシフィック王座に君臨。格闘技戦にも挑戦するが、経営難の影響により離脱。

1997年、ロッシー小川アルシオン旗揚げに参加。しかし、経営方針に疑問を持ち小川と対立して離脱。その後、再び全女やJWP女子プロレスなどに参戦。

2000年、日本人ミュージシャンと結婚(後に離婚)して2001年3月4日の豊田真奈美戦を最後に引退。

その後アメリカに帰国し、ミシシッピ州ブランドンでホームセンターのスーパーバイザーとして勤務。2015年に結婚した[6][7]

獲得タイトル

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得意技

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  • グローバル・ボム
  • レジー・ラック

出典

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  1. ^ 「今月の広告批評 / S ; 好 ; 立 ; Y ;」『広告批評』第142号、マドラ出版、1991年9月1日、108 - 109頁、NDLJP:1853108/56 
  2. ^ 実業往来社(編)「CMかたろぐ ピップフジモト」『実業往来』第472号、実業往来社、1991年10月1日、64頁、NDLJP:2245716/33 
  3. ^ 「CF撮影余話――ピップフジモト」『近代企業リサーチ 10月10日』第645号、中小企業経営管理センター事業部、1991年10月10日、77頁、NDLJP:2652146/39 
  4. ^ 「今月の主役(1)石井達矢」『広告批評』第160号、マドラ出版、1993年4月1日、93頁、NDLJP:1853129/48 
  5. ^ 第8回〔1991(平成3)年〕 自由国民社新語・流行語大賞公式サイト
  6. ^ 【かつて一世を風靡】流行語になった「ダダーン ボヨヨン・ボヨヨン」CMのあの女性は今?|爆報!THEフライデー TBSテレビ 2019年12月3日
  7. ^ 「ダダン!ボヨヨンボヨヨン」のレジー・ベネット、いま何を? Smart FLASH 2018年11月7日

外部リンク

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