コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

西尾市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
にしおし ウィキデータを編集
西尾市
西尾市歴史公園内にある西尾城
西尾市旗 西尾市章
西尾市旗 西尾市章
1960年2月1日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
市町村コード 23213-1
法人番号 4000020232131 ウィキデータを編集
面積 161.22km2
総人口 167,185[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 1,037人/km2
隣接自治体 碧南市安城市岡崎市蒲郡市額田郡幸田町
市の木 クスノキ
市の花 バラ
西尾市役所
市長 中村健
所在地 445-8501
愛知県西尾市寄住町下田22番地
北緯34度51分43秒 東経137度03分43秒 / 北緯34.86183度 東経137.06181度 / 34.86183; 137.06181座標: 北緯34度51分43秒 東経137度03分43秒 / 北緯34.86183度 東経137.06181度 / 34.86183; 137.06181
西尾市役所
地図
市庁舎位置
外部リンク 公式ウェブサイト

西尾市位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
西尾駅と中心市街地
三河湾の黒真珠」と称される佐久島の街並み
西尾市岩瀬文庫旧書庫

西尾市(にしおし)は、愛知県西三河地方に含まれる

愛知県中央部を北から南へ流れる矢作川流域の南端にある。抹茶の産地(西尾茶)として、また「三河の小京都」として知られる。人口は愛知県第9位である。

名称

[編集]

市名の由来

[編集]

1564年に御剱八幡宮に奉納した鰐口の銘文には「三川國吉良庄西尾御剱鰐口酒井雅楽助政家寄進」とあり、この銘文がこれまで「西尾」の地名の初出とされていたが、2009年(平成21年)9月に横浜国立大学名誉教授の有光友學が発表した『今川義元書状』(江川文庫所蔵)に「西尾之御事」「西尾城」という記述があり、書状の内容から吉良氏今川氏反乱を起こした際のものとみられている。吉良氏の反乱は天文18年(1549年)と弘治元年(1555年)の2度あり、書状の日付は「十月廿三日」で、この時期に反乱の佳境だった弘治元年のものと判断されている。現時点では西尾の地名が歴史に現れる最初の史料になっている。

このほか、『三河物語』には、徳川家康による桶狭間の戦い後の三河統一戦で「西尾の城を得」と記載されている。また、今川氏真判物に「永禄四年酉年、六月十一日、西尾走廻」とある。

なお、かつては同じ愛知県内に類似した名称である尾西市(2005年に一宮市に編入され消滅)があったが、こちらは「尾張地方の西」という意味で、当市の名称との歴史的な繋がりは全く無い。

三河三都とは

[編集]

西尾商工会議所は「豊橋・岡崎・西尾で、三河三都なり」と主張している。1932年(昭和7年)発行の『西尾町史 第3巻』の序文に、「吉田岡崎と共に参河三市としてその繁栄を誇りたり」という記述が見える。吉田は豊橋市のこと、岡崎は岡崎市のことである。いずれも1932年(昭和7年)以前に市制施行していたが、当時の西尾町は市制施行前であり、参河三市という表現はおかしなものである。また、豊橋出身の夏目重蔵の三河名所図絵(江戸末期)に、三都流行、吉田岡崎西尾は本国鼎の如く、各其繁盛を争う、という記述もあると、西尾町史に紹介されている。

地理

[編集]

地形

[編集]

山地

[編集]
主な山

河川

[編集]
一級河川
二級河川
準用河川
  • 堀割川
岡崎市周辺の地理

島嶼

[編集]
有人島
無人島

地名

[編集]

人口

[編集]

2018年12月時点で、西尾市には約1万人の外国人が居住しており、市民全体の約6%に当たる[1]

西尾市と全国の年齢別人口分布(2005年) 西尾市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 西尾市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
西尾市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 130,913人
1975年(昭和50年) 140,563人
1980年(昭和55年) 146,010人
1985年(昭和60年) 152,462人
1990年(平成2年) 155,559人
1995年(平成7年) 158,693人
2000年(平成12年) 159,788人
2005年(平成17年) 163,232人
2010年(平成22年) 165,298人
2015年(平成27年) 167,990人
2020年(令和2年) 169,046人
総務省統計局 国勢調査より

隣接している自治体

[編集]
愛知県の旗愛知県

歴史

[編集]
西尾市中心部周辺の空中写真。2010年8月18日撮影の32枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
西尾茶のプロモーションの撮影現場(1933~34年頃)[2]
1933年に拡幅された西尾市本町の本町通り[3]
白浜吉田塩田(1935年頃)
西尾町役場(1920年代)。庁舎は1961年まで使用された[3]

古代においては、西尾市中心部(八ツ面山の西側)にあたる地域は幡豆郡熊来郷と呼ばれていた。古墳時代中期に築造された、吉良町にある三河最大級の前方後円墳正法寺古墳は、対岸の宝塚1号墳三重県松阪市)と類似した形状をしており、伊勢湾三河湾海上交通で覇権を得た豪族によるものと考えられる[4][5][6]

平安時代荘園・吉良荘が置かれ、矢作川(現矢作古川)を境に、西条と東条に分けられた。鎌倉時代、13世紀に足利氏宗家第3代足利義氏が、承久の乱恩賞として額田郡を領有し、鎌倉幕府の三河守護等として東海道矢作東宿(愛知県岡崎市明大寺町)に拠点を構え、地頭を務めた吉良荘の西条城(現西尾城)に庶長子吉良長氏を、東条城にその弟の吉良義継をそれぞれ置き、ここに吉良氏が発祥した。その後、足利氏宗家第四代足利泰氏の七男一色公深が吉良荘一色に分立され一色氏が、吉良長氏二男の今川国氏が今川荘に分立され今川氏が、それぞれ発祥するなど、足利氏支流の分立がなされた。室町時代には、東条・西条の両三河吉良氏は相伴衆とされた。

応仁の乱時や戦国時代、吉良氏は西条吉良氏と東条吉良氏に分かれて対立し、享禄2年(1529年)、岡崎城松平清康により、東条吉良氏の分家荒川義広の居城・尾島城(小島城)が攻め獲られた。吉良氏はやがて庶流の駿河守護今川義元に隷属するようになる。義元の死後は、岡崎城の徳川家康から攻撃を受けるようになる。永禄4年(1561年)には、東条城の正面にあたる深溝城額田郡幸田町深溝)を居城とする深溝松平家松平好景善明堤の戦いで討たれるが、その後家康家臣の酒井正親が西条城を奪い、西尾城と改称した。同年の藤波畷の戦いでは西条吉良氏家老の富永忠元が討たれた。その後東条城の西条吉良氏・吉良義昭は降伏して岡崎に移され、東条城には東条松平家が入った。また義昭の兄吉良義安は、東条吉良氏を継いでいたが、徳川家康と親しく、義昭の逃亡後、家康に許されて東条西条の吉良氏を統一した。

江戸時代には、西尾藩大多喜藩小牧陣屋等が置かれた。2011年に編入合併した幡豆町や吉良町には、旗本となった吉良家がかつて持っていた知行、八箇村3000石の領地が飛び地の形で点在していた。ただ赤穂事件で義央が討ち取られた後、1703年に吉良家は改易となり、旧吉良領の八箇村は、西尾藩のほか大多喜藩や沼津藩などの飛び地、寺社領、天領といった様々な領主が統治することになり、その後江戸期を通じで吉良氏は統治に関与していない。

産業では、1564年に愛知県内最古の塩田・白浜吉田塩田が作られるなど、古くから製塩が盛んで、良質とされた饗庭塩は矢作川を上り岡崎城下の塩座や、さらには足助街道三州街道を通り、遠く信州塩尻宿長野県塩尻市)まで運ばれた。

沿革

[編集]
中世〜江戸期
明治〜市制施行前
  • 1869年3月 - 藩主の松平乗秩版籍奉還の願書を出し、同年6月19日に許可される。
  • 1871年7月14日 - 廃藩置県により西尾藩は西尾県となる。
  • 1871年11月15日 - 西尾県は額田県に併合される。
  • 1871年12月10日 - 西尾郵便局が設置される。
  • 1872年3月 - 西尾城が解体される。
  • 1872年11月27日 - 愛知県となる。
  • 1876年6月17日 - 平坂村に郵便受取所(現・平坂郵便局)が設置される。
  • 1878年 - 西尾城が廃城となる。
  • 1879年 - 西尾警察署が設置される。
  • 1883年5月24日 - 棉祖神を祀る天竹神社が建てられる。
  • 1884年 - 西尾二等電信分局が設置される。
  • 1891年10月28日 - 濃尾地震による津波で奥田新田の堤防が決壊し、死者60名が出る。
  • 1899年 - 雲母坑での事故により、千年以上続いた八ツ面山での雲母採掘が中止される。
  • 1904年12月16日 - 寺津村に郵便受取所(現・西尾寺津郵便局)が設置される。
  • 1908年5月6日 - 岩瀬弥助が私立図書館の岩瀬文庫を開館する。
  • 1909年3月24日 - 愛知県幡豆郡立農蚕学校(鶴城丘高等学校の前身)が創立される。
  • 1910年 - 現在の市域内で電話が開通する。
  • 1911年10月30日 - 西尾鉄道(開業時は西三軌道)の西尾〜岡崎新駅が開業する。
  • 1914年10月30日 - 西尾鉄道が、西尾〜平坂臨港間(のちの名鉄平坂支線)を開業する。
  • 1915年 - 北浜川(北浜悪水路)が完成する。
  • 1918年2月22日 - 西尾町立西尾高等女学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
  • 1919年4月1日 - 愛知県立蚕糸学校(鶴城丘高等学校の前身)が設立され、翌年3月31日に農蚕学校を併合する。
  • 1920年4月16日 - 室場郵便局が設置される。
  • 1926年4月1日 - 愛知県立西尾中学校(西尾高等学校の前身)が設立認可される。
  • 1926年9月1日 - 三河鉄道(現在の名鉄三河線)が大浜港から、中畑・平坂・寺津を経由して神谷まで開業する。
  • 1928年10月1日 - 碧海電気鉄道が西尾まで開業する。
  • 1932年4月19日 - 上永良神明社の大椎の木が国の天然記念物に指定される。
  • 1933年5月21日 - 福地郵便局が設置される。
  • 1933年9月21日 - 室戸台風で奥田新田、西奥田新田、南奥田新田の堤防が決壊する。
  • 1935年10月1日 - 米津郵便局が設置される。
  • 1941年6月1日 - 米野郵便局が設置される。
  • 1942年4月1日 - 蚕糸学校を西尾実業学校に改称する。
  • 1943年5月16日 - 西尾鶴城郵便局が設置される。
  • 1943年12月16日 - 戦争による金属資材(レール)供出のため、名古屋鉄道(名鉄)西尾線(初代)の西尾〜岡崎新駅が休止される。
  • 1944年12月7日 - 東南海地震により、現在の市域で死者32名が出る。
  • 1945年1月13日 - 三河地震により福地村、三和村を中心に甚大な被害を受ける。死者765名。
  • 1948年4月1日 - 学制改革により西尾高等女学校を愛知県立幡豆高等学校に、西尾中学校を愛知県立西尾高等学校に、西尾実業学校を愛知県立西尾実業高等学校に改組する。
  • 1948年9月1日 - 西尾中町郵便局が設置される。
  • 1948年10月1日 - 愛知県立幡豆高等学校と愛知県立西尾高等学校が合併して愛知県立西尾高等学校となる。
市制施行後
  • 1955年4月 - 岩瀬文庫が西尾市に移管されて西尾市立図書館岩瀬文庫となる。
  • 1958年10月 - 市内の電話が自動化される。
  • 1959年9月26日 - 伊勢湾台風により市内が災害激甚地指定を受ける。死者20名、負傷者309名。
  • 1960年2月1日 - 市章を制定する[7]
  • 1960年3月27日 - 名鉄平坂支線が廃止される。
  • 1962年3月1日 - 西尾永楽町郵便局が設置される。
  • 1968年11月 - 市内の7農協(福地農協を除く)が合併し西尾市農業協同組合が発足する。
  • 1975年3月 - 憩の農園が開園する。
  • 1976年4月5日 - 愛知県立西尾東高等学校が開校する。
  • 1988年5月1日 - 西尾簡易裁判所が廃止される。
  • 1989年7月2日 - 名鉄西尾駅付近の高架化が完成し、西尾駅と西尾口駅が高架駅となる。
  • 1991年4月 - 愛知県議会議員選挙の選挙違反事件で、市議会正副議長ら市議会議員が多数逮捕される。同年9月8日、議会定数の半数を超える17名の補欠選挙を行う。
  • 1994年 - 西尾市バラ園が憩の農園に隣接して開園する。
  • 1994年11月27日 - 中学生いじめ自殺事件が発生し、日本全国に波紋が広がる。
  • 1995年12月26日 - 森下万歳三河万歳)が国の重要無形民俗文化財に指定される。
  • 1999年6月7日 - 岩瀬文庫旧書庫と旧児童館(現・西尾市立図書館おもちゃ館)が国の登録有形文化財に登録される。
  • 1999年12月1日 - 西尾市内の一部でケーブルテレビ放送が始まり、「西尾幡豆チャンネル」が開局する。
  • 2000年4月1日 - 西尾市および幡豆郡3町の5農協が合併し、西三河農業協同組合(JA西三河)が発足する。
  • 2001年4月1日 - 西尾市および幡豆郡3町のごみやし尿処理、水道事業、広域計画の3組織を統合した西尾幡豆広域連合が発足する。
  • 2003年4月2日 - 西尾市岩瀬文庫が古書博物館としてリニューアルオープンする。
  • 2004年1月16日 - 西尾市・幡豆郡3町任意合併協議会を解散する。
  • 2004年4月1日 - 名鉄三河線碧南〜吉良吉田間の廃止に伴い、市内の4駅が廃止される。
  • 2004年4月1日 - 愛知県立西尾実業高等学校を総合学科高校に改編し愛知県立鶴城丘高等学校に改称する。
  • 2005年4月1日 - 西尾市、一色町、吉良町の6漁協が合併し、西三河漁業協同組合(JF西三河)が発足する。
  • 2009年 - 新庁舎完成。

自治体域の変遷

[編集]
  • 1906年5月1日 - 次のような大合併が行われた。
  • 1924年 - 平坂村が町制を施行し平坂町になる。
  • 1929年4月1日 - 寺津村が町制を施行し寺津町になる。
  • 1932年9月1日 - 室場村が花明、家武、平原の3村を編入する。
  • 1952年12月1日 - 西尾町が福地村の一部(小焼野)を編入する。
  • 1953年12月15日 - 西尾町と平坂町の一部(田貫、中畑)が合併。市制を施行して西尾市が発足する。
  • 1954年8月10日 - 西尾市が幡豆郡平坂町寺津町福地村室場村を編入する。
  • 1955年1月1日 - 西尾市が幡豆郡三和村を編入する。
  • 1955年4月1日 - 西尾市が碧海郡明治村大字米津および南中根を編入する。
  • 1977年4月1日 - 市町村合併の際、合併された旧町村の役場に設置した市役所の支所が廃止される。
  • 2003年8月28日 - 西尾市・幡豆郡3町任意合併協議会を設置する。以降の協議では合併方式を巡り紛糾する。
  • 2011年4月1日 - 西尾市が幡豆郡一色町吉良町幡豆町を編入する。
市域における自治体の変遷
明治22年以前 明治22年10月1日 明治23年 - 明治45年 大正1年 - 大正15年 昭和1年 - 昭和64年 平成1年 - 現在 現在


米津村 米津村 米津村 明治39年5月1日
合併 明治村
明治村(一部) 明治村(一部) 昭和30年4月1日
西尾市に編入
西尾市 西尾市
南中根村


上矢田村 奥津村 奥津村 明治39年5月1日
合併 平坂村
大正13年10月1日
町制 平坂町
平坂町 平坂町 昭和29年8月10日
西尾市に編入
下矢田村
羽塚村
富尾村 富山村
山田村
新在家村 昭和28年12月15日
西尾町に編入
即日市制 西尾市
西尾市
国森村
住崎村 明治39年5月1日
合併 西尾町
西尾町 西尾町 昭和28年12月15日
市制 西尾市
西尾馬場町 西尾町 西尾町
西尾葵町
西尾錦城町
西尾鶴ヶ崎町
西尾裏町
西尾大給町
西尾矢場町
西尾伊文町
西尾和泉町
西尾順海町
西尾中町
西尾肴町
西尾横町
西尾天王町
西尾瓦町
西尾本町
西尾須田町
西尾塩町
西尾会生町
西尾満全町
鶴城村
八ッ面村 久麻久村 久麻久村
伊藤村
新渡場村
戸ヶ崎村
碧海郡
古新田村
幡豆郡
志貴野村
碧海郡
新々田村
西中野村 中原村
作原村
志籠谷村
熊子村 熊味村
味崎村
寄住村
道光寺村
小間村 小間村 西野町村 西野町村
浅井村
上町村 上町村
森下村
六ツ家村
下町村
田貫村 田貫村 明治39年5月1日
合併 平坂村
大正13年10月1日
町制 平坂町
平坂町 昭和28年12月15日
西尾町に編入
即日市制 西尾市
蒲原新田
中畑村 中畑村 中畑村
平坂村 平坂村 平坂村 平坂村 平坂町 昭和29年8月10日
西尾市に編入
楠村
西小梛新田
小栗新田
寺津村 寺津村 寺津村 明治39年5月1日
合併 寺津村
寺津村 昭和4年4月1日
町制 寺津町
徳永村
巨海村 西崎村 西崎村
刈宿村
中根村
深池村 大宝村 大宝村 明治39年5月1日
合併 福地村
福地村 福地村
川口村
菱池村
上今川村 今川村
下今川村
今井村
徳次村 明治39年5月1日
合併 西尾町
西尾町 西尾町 昭和28年12月15日
市制 西尾市
西尾市
丁田村
寄近村
矢曽根村
小焼野村 井崎村 井崎村 明治39年5月1日
合併 福地村
福地村 昭和27年12月1日
西尾町に編入
鵜ヶ池村 福地村 昭和29年8月10日
西尾市に編入
宅野島村
細池村
鎌谷村
十郎島村
須脇村
上道目記村 豊田村 豊田村
下道目記村
八ヶ尻村
行用村
針曽根村
長縄村
斎藤村
熱池村
市子村 六郷村 六郷村
笹曽根村
平口村
野々宮村
横手村
天竹村
室村 室場村 室場村 室場村 昭和7年9月1日
合併 室場村
駒場村
花蔵寺村 花明村 花明村 花明村
善明村
家武村 家武村 家武村 家武村
平原村 平原村 平原村 平原村
西浅井村 川崎村 川崎村 明治39年5月1日
合併 三和村
三和村 三和村 昭和30年1月1日
西尾市に編入
東浅井村
高落村
新村
小島村
米野村
江原村 御鍬村 御鍬村
岡島村
尾花村
和気村
大和田村
高河原村
貝吹村 吹羽良村 吹羽良村
上羽角村
下羽角村
上永良村
下永良村
西戸城村 西幡豆村 幡豆村 幡豆村 明治39年5月1日
合併 幡豆村
幡豆村 昭和3年10月1日
町制 幡豆町
平成23年4月1日
西尾市に編入
小野谷村
欠村
八幡村
中村
門内村
中門内村
寺部村
鳥羽村
洲崎村 東幡豆村 東幡豆村 東幡豆村
鹿川村
山口村
谷村
森村
彦田村
小見行村
上畑村
桑畑村
上横須賀村 横須賀村 横須賀村 明治25年5月13日
町制 横須賀町
明治39年5月1日
合併 横須賀村
横須賀村 横須賀村 昭和30年3月10日
合併 吉良町
下横須賀村
中野村
荻原村 荻原村 荻原村
饗庭村
酒井村
津平村 厨村 厨村
宮迫村
駮馬村
友国村
瀬戸村 瀬門村 瀬門村
寺島村
岡山村 岡山村
尾崎新田
木田村
小牧村
富田村 富田村 富田村
八幡川田村
吉田村 吉田村 吉田村 明治39年5月1日
合併 吉田村
大正13年1月1日
町制 吉田町
吉田町
大島村
宮崎村 宮崎村 宮崎村
乙川村 保定村 保定村
小山田村
白浜新田村
富吉新田村
一色村 一色村 明治25年5月13日
町制 一色町
明治39年5月1日
合併 一色村
大正12年10月1日
町制 一色町
一色町
藤江村
坂田新田
味浜村 味浜村 味沢村 味沢村
新斎村
中外沢村 中外沢村
芦原村
小藪新田 小藪村
東実録新田
細川新田 細川村
大岡新田
西実録新田
北須村 治明村 栄生村 栄生村
北浜村
大戸村
上平島村
下平島村
下新井村 開正村
久八荒子村
北新田村
西中村
三ツ井村
杉浦新田
養ヶ島村
赤羽村
大塚村 五保村 五保村
前後村 前野村
熊野村
養ヶ島村
対米村 対米村
七平村
池頭村 池田村
中田村
池尾新田
松木島村 衣崎村 衣崎村
酒手島村 酒手島村
鳥山新田
生田村
千間村
惣五郎村
佐久島 佐久島村 佐久島村 佐久島村 佐久島村 昭和29年8月1日
一色町に編入

幡豆郡3町の編入合併

[編集]

周辺自治体との合併は検討されてきたが、長い間実現には至らなかった。2010年8月27日、榊原康正市長が中心となって合併協議を進め、幡豆郡3町(一色町吉良町および幡豆町)との合併調印式が行われた。翌年の2011年4月1日、各町は当市に編入合併した。

行政

[編集]

市長

[編集]
  • 市長:中村健(2017年7月5日就任)
歴代市長
氏名 就任 退任 備考
1 千葉蝶二 1953年12月15日 1954年7月5日 任期中に死去[8]
2 中村謙作 1954年8月29日 1957年8月21日 任期中に辞任[8]
3 坂部亀太郎 1957年9月15日 1961年9月14日
4-5 杉浦喜之助 1961年9月15日 1969年9月14日
6-10 本多貫一 1969年9月15日 1989年9月14日
11-14 本田忠彦 1989年9月15日 2005年9月14日
15 中村晃毅 2005年9月15日 2009年5月20日 失職[9]
16-17 榊原康正 2009年7月5日 2017年7月4日
18-19 中村健 2017年7月5日 現職

市役所

[編集]
市役所出張所
  • 寺津出張所(寺津公民館内)
広域行政

旧西尾市と旧幡豆郡3町で、ゴミ処理などの広域連合を設置していた。国の消防広域化構想では、人口30万人以上の要件に満たないため、さらに近隣との広域化が必要とされている。西三河の4広域行政圏域の中では、合計人口16万余と最も人口が少ない。国政の選挙区では、岡崎市・幸田町と同一だが、ケーブルテレビではKATCH(碧海五市)に後発加入した。

財政

[編集]

2019年度(平成31年度)当初予算案[10]

会計名 予算額 前年度対比
一般会計 550億6,000万円 3.4%増
特別会計 343億7,761万円 0.9%減
企業会計 160億4,458万円 2.8%増
全会計 1,054億8,219万円 2.8%増

議会

[編集]

西尾市議会

[編集]

愛知県議会

[編集]
2019年愛知県議会議員選挙
  • 選挙区:西尾市選挙区
  • 定数:2人
  • 投票日:2019年4月7日
  • 当日有権者数:134,380人[11]
  • 投票率:48.83%[11]
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数 備考
山田高生 49 自由民主党 28,332票
渡辺靖 61 無所属 21,635票
増山信也 64 無所属 14,438票 元副市長
2015年愛知県議会議員選挙
  • 選挙区:西尾市選挙区
  • 定数:2人
  • 投票日:2015年4月12日
  • 当日有権者数:131,392人[12]
  • 投票率:50.58%[12]
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数 備考
山田高生 45 自由民主党 25,467票
渡辺靖 57 無所属 20,315票 幡豆町
稲垣昌利 38 民主党 19,543票
2011年愛知県議会議員選挙
  • 選挙区:西尾市選挙区(旧西尾市)
  • 定数:2人
  • 投票日:2011年4月10日
  • 当日有権者数:82,763人
  • 投票率:54.36%
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別 得票数
川上万一郎 66 自由民主党 17,029票
稲垣昌利 34 民主党 15,341票
筒井登 64 日本一愛知の会 11,859票
2011年愛知県議会議員選挙
  • 選挙区:幡豆郡選挙区(旧一色町、旧吉良町、旧幡豆町
  • 定数:1人
  • 投票日:2011年4月10日(無投票)
候補者名 当落 年齢 党派名 新旧別
浅井喜代治 61 日本一愛知の会

衆議院

[編集]
  • 選挙区:愛知12区岡崎市、西尾市)
  • 任期:2024年10月27日 - 2028年10月26日
  • 投票日:2024年10月27日
  • 当日有権者数:442,431人(岡崎市309,870人、西尾市132,561人)[13]
  • 投票率:58.05%(岡崎市56.45%、西尾市61.8%)
当落 候補者名 年齢 所属党派 新旧別 得票数 重複
重徳和彦 53 立憲民主党 126,940票
青山周平 47 自由民主党 86,025票
中川博登 46 日本維新の会 28,489票
関久一 73 日本共産党 10,118票

施設

[編集]
西尾警察署
西尾市民病院
西尾郵便局
西尾市立図書館
西尾市岩瀬文庫

国家機関

[編集]
厚生労働省
財務省
国税庁
法務省

警察

[編集]

消防

[編集]

本署(矢曽根町)の他に、西分署(楠村町)と北出張所(米津町)、東出張所(米野町)がある。消防車はポンプ車9台(うち水槽付き3台)、はしご車1台、化学車2台など、救急車は計4台が各署・出張所に配置されている。

本部
消防署
  • 西尾市消防署
分署
出張所
  • 北出張所(西尾市米津町天竺桂36-1)
  • 東出張所(西尾市米野町松葉内7-1)
消防団

消防団がなかった数少ない自治体(他は大阪市のみ)であった。[要出典]

  • 1961年に自治体の消防組織である西尾市消防署が設置されたのを機に消防団を縮小
  • 1962年に解団して水防団警防団と改編した。これらはほぼ同じ役割を持つものであり、一般的には水・警防団または単に水防団と総称される。
  • 2004年に近隣自治体との合併が議論された際、この議論にあわせて消防団を復活させることが検討されかけたが、合併が不調に終わったために立ち消えとなっている。
  • 2011年4月、幡豆郡3町の編入合併にともない、3町内の消防団を引き継ぐ形で49年ぶりに消防団が復活した。

医療

[編集]
主な病院

郵便局

[編集]

局名の後にある5桁の番号は取扱局番号。

図書館

[編集]

対外関係

[編集]

姉妹都市・提携都市

[編集]

国外

[編集]
姉妹都市
フレンドシップ相手国

2005年に開催された愛知万博では「一市町村一国フレンドシップ事業」が行われた。名古屋市を除く愛知県内の市町村が120の万博公式参加国をそれぞれフレンドシップ相手国として迎え入れた[14]

国内

[編集]
提携都市
その他
  • 三河小京都「西尾」として全国京都会議に加盟している。

経済

[編集]
西尾茶の農園。碾茶生産のため、茶葉に覆いがかけられている
ヴェルサウォーク西尾

第一次産業

[編集]
農業
水産業

第二次産業

[編集]
工業
  • 自動車・輸送機器製造 - 主な大規模事業所は、アイシン(西尾ダイカスト工場・西尾機関工場・工機工場・城山工場・吉良工場)、デンソー(西尾製作所・善明製作所)など。
  • 鋳物製造 - 鋳造工場は主に平坂町に分布している。
  • 綿織物 - 愛知県下10産地のうち、西尾市を中心とした周辺地域は三州産地と呼ばれ、産業用資材の綿スフ(ステープル・ファイバー)織物では生産量全国一。
  • 食品工業 - 三河湾の水産物の加工品や、干しエビなどを利用したせんべいなどの菓子イケダヤ製菓など)の製造が盛ん。

第三次産業

[編集]
主な商業施設

本社を置く企業

[編集]
上場企業

金融

[編集]

西尾銀行協会に加盟する金融機関は以下の通り(五十音順)。

教育

[編集]
愛知県立西尾高等学校
愛知県立鶴城丘高等学校

高等学校

[編集]

中学校

[編集]

小学校

[編集]

その他各種学校

[編集]
  • 西尾市立佐久島しおさい学校
  • 西尾高等家政専門学校(専修学校。学校法人白百合学園が運営)
  • 西尾市立看護専門学校
  • 西尾市医師会准看護学校
  • 愛知県立にしお特別支援学校

交通

[編集]

鉄道

[編集]
名古屋鉄道(名鉄)
西尾線:(安城市)- 米津駅 - 桜町前駅 - 西尾口駅 - 西尾駅 - 福地駅 - 上横須賀駅 - 吉良吉田駅
蒲郡線:吉良吉田駅 - 三河鳥羽駅 - 西幡豆駅 - 東幡豆駅 - こどもの国駅 -(蒲郡市)


隣接市町村への連絡
  • 名鉄西尾線(新安城 - 吉良吉田)
西尾駅から新安城駅へは昼間帯で毎時4本、そのうち2本は吉良吉田駅から西尾駅を経由して名鉄名古屋駅方面へ直通する急行列車となっている。西尾 - 吉良吉田間は昼間帯には普通列車の運行がないため急行もこの区間では各駅に停車する。
  • 名鉄蒲郡線(吉良吉田 - 蒲郡

路線バス

[編集]
  • 名鉄東部交通バス - 自治体がバス運行補助金を拠出し、名鉄東部交通が運行している。運行頻度は毎時1-2本程度で、設定のない時間帯もあるが、西尾-西尾市民病院は路線の重複があるため、昼間帯の運行頻度はやや多い。
    • 一色線:西尾市民病院 - 西尾 - 深池 - 福地 - 憩いの農園口 - 市子 - 一色大宝橋 - 三河一色
    西尾 - 西尾市民病院(昼間帯と朝夕の一部) - 総合体育館西尾東高校前(朝1本往路のみ)の運行が延長され、三河一色→一色渡船場→一色大宝橋は昼・夕の2本のみ運行。
    • 岡崎・西尾線(三和小学校前・高須経由):西尾 - 西尾市民病院 - 総合体育館・西尾東高校前 - 三和小学校前 - 中島 - 高須 - 藤田医大岡崎医療センター - 岡崎駅西口
    • 岡崎・西尾線(室場・下青野経由):西尾 - 西尾市役所前 - 高河原 - 室場 - 永良 - 中島 - 下青野 - 藤田医大岡崎医療センター - 岡崎駅西口 - 芦池橋 - 東岡崎
    朝の一部と最終は岡崎駅西口止まり。

いずれの運行状況も平日のもの。

  • ふれんどバス
    名鉄三河線碧南 - 吉良吉田間の鉄道廃止に伴い、2004年4月1日より運行開始した代替バスで、旧沿線区間の西尾市など2市2町によるふれんどバス運行協議会が、名鉄バス東部に運行を委託している。運行頻度は毎時1-2本で、碧南と吉良吉田で鉄道路線に連絡している。但し名鉄東部交通バス路線とは運賃体系が異なる。西尾市内には西小梛から刈宿まで9つの停留所が設置されている。
    2005年4月1日に西尾市関係分として、 西小梛、楠村、刈宿の3停留所を増設、寺津大明神を寺津二ッ家と改称し、巨海と共に移設した。
    • 碧南駅 - 西小梛 - 平坂郵便局前 - 平坂小南 - 平坂港前 - 楠村 - 寺津二ッ家 - 寺津神社前 - 巨海 - 刈宿 - 一色高校西 - 吉良吉田駅 - 吉良高校
  • 六万石くるりんバスコミュニティバス
  • 一色地区コミュニティバス「いっちゃんバス」

吉良地区や幡豆地区にコミュニティバスは存在しない。

道路

[編集]
道の駅にしお岡ノ山
国道
幸田町)- 西尾東IC - 小島江原IC - 道の駅にしお岡ノ山 - 中原IC -(藤井IC)- 安城西尾IC -(安城市
主要地方道
一般県道
市内の主な通り名
その他

海上交通

[編集]
一色港(佐久島行き船のりば/一色さかな広場前)

道の駅

[編集]

港湾

[編集]

名所・旧跡・観光スポット

[編集]

名所・旧跡

[編集]
主な城郭
主な寺院
主な神社
  • 久麻久神社本殿 - 市内に久麻久神社は八ツ面町と熊味町の2か所あるが、国の重要文化財に指定された本殿は八ツ面町にあり、鰐口・棟札2枚・厨子が附[注釈 2]指定を受けている。延喜式式内社で、幡豆郡熊来郷と読みは同じである。
  • 上永良神明社の大椎の木 - 樹齢約1000年と推定される樹高8m、根囲20m、胸高囲7mのの巨木で、神明社の大シイの名称で国の天然記念物に指定されている。
  • 天竹神社 - 1883年(延元四年)に創建された「綿の神様」を祭る国内で唯一の神社で、全国の綿業者らの信仰を集める[20]。799年(延暦18年)に天竺(インド)人だと名乗る綿の種を持った青年が小船で漂着した故事から、青年を棉祖神として祀る。毎年10月の第4日曜日に、漂着の故事にちなんだ船みこしの奉納や、地元の保存会員による綿打ちの儀式が営まれる棉祖祭が開かれる。江戸時代の書物に幡豆郡天竺村が綿栽培の発祥地であると記されていた。
  • 瀬門神社
  • 寺津八幡社
  • 幡頭神社 - 本殿は重要文化財
  • 諏訪神社 - 三河一色諏訪神社とも称される。例祭は8月26日27日であり、26日には三河一色大提灯まつりと呼ばれる大提灯を献灯する祭りが催される。
主な史跡

観光スポット

[編集]

文化

[編集]
三河一色大提灯まつり
鳥羽の火祭り

主な祭事

[編集]
西尾祇園祭(西尾まつり)
7月中旬の週末を含む3日間にわたり開催され、様々な行列が市中を練り歩く等のイベントが開催される。かつては伊文神社単独での「祇園祭」が催行されていたが、のちに同祭にあわせて神輿を出すスタイルとなった[21]。1980年代中ごろには「西尾祭り音頭(歌:小山茉美)」のEPレコードが市役所等で販売されている。
西尾町史[22]によると、1820年(文政3年)の年中行事記に「6月15日 祭礼」「6月16日 神輿還御」との記載があるとしている。
てんてこ祭り
毎年1月3日に熱池(にいけ)町八幡社で行われる豊作祈願の神事。赤装束の厄男が太鼓の拍子に合わせて、腰に結んだ男根をかたどる大根を振る。県の無形民俗文化財に指定されている。
貝吹のかぎ万燈
毎年8月14日に貝吹町の万燈山で行われる旧盆の行事[23]。万燈山の斜面に108基の草木を積んだ「すずみ」と呼ばれる松明を焚き、鉤(かぎ)状に炎を映し出す[23]。鍵万燈とも表記。市の無形民俗文化財に指定されている[23]
西尾・米津の川まつり
米津町の米津橋下流で矢作川に灯籠を流し、戦没者や三河地震で犠牲になった人らの霊を弔う[23]。花火も行われる[23]
森下万歳(三河万歳・御殿万歳)
太夫(たゆう)と才蔵(さいぞう)の二人が一組になり、祝言を謡いながら舞ったり言葉の掛け合いをする伝統芸能(万歳)で、西尾のものは発祥地の名から森下万歳と呼ぶ。一般に三河万歳とも呼ばれる。森下万歳の発祥は鎌倉時代と言われ、江戸時代には幕府から優遇されて元旦の江戸城の開門の儀式も勤めた。新年を祝う芸能でもあったが、他の地域に伝承する万歳と違って門付けではなく、大名などの屋敷内の座敷で披露されたことから御殿万歳(演目や種類を御殿万歳と呼ぶ地域もあるが、西尾の場合は万歳形態そのものを指す)とも呼ばれる。
安城市、西尾市、幸田町の3地域による三河万歳連合保存会によって保護されている。1995年12月26日、国の重要無形民俗文化財に指定された。
鳥羽の火祭り
毎年2月第2日曜日に鳥羽神明社で行われる火祭り。竹やカヤで作った「すずみ」と呼ばれる、高さ5メートルの2本の松明を燃やし、中心にある「神木」と「十二縄」を取り出す速さを競う。すずみの燃え方で1年の天候や豊凶を占う[24]。2004年2月6日、国の重要無形民俗文化財に指定された。
三河一色大提灯まつり
毎年8月26日・27日に三河一色諏訪神社で行われる祭礼。大提灯を吊るすことで知られ、提灯の大きさは小さいものでも長さ約5.91m、直径約3.64m。大きいものになると長さ約10m、直径約5.60mにもなる[25]
茶祖奉告祭
上町の紅樹院で明治時代に京都から種を取り寄せて茶園を開いた「茶祖・足立順道師」の位牌の前に抹茶と煎茶をいれてささげた後に読経する献茶式などを行い、特産の茶の出来栄えを先人に報告する[26]

民俗芸能

[編集]
棒の手
農民が自衛のため棒を使う武術として江戸時代に始まったといわれ、愛知県内の各地に伝わる。田貫町の鎌田流は古式を大切に受けついでおり、六尺棒の棒さばきが毎年10月の第3日曜日に披露される。県の無形民俗文化財に指定されている。

郷土食

[編集]
大量に捕れるアカエビサルエビ、モギエビ(この地方では三種を総称してアカシャエビと呼ぶ)などの季節のエビと、バレイショでんぷんに塩や砂糖などの調味料を加えて混ぜ合わせ、熱した鉄板に並べて上下から挟み込んで焼き上げる煎餅の一種[27]。旧一色町中心に最盛期の昭和40年代は100社以上の業者が生産していた[27]
  • 饗庭塩

スポーツチーム

[編集]
バレーボール

出身著名人

[編集]

歴史上の人物

[編集]

政財界

[編集]

学界・教育界

[編集]

芸能

[編集]

スポーツ選手

[編集]

その他・文化人

[編集]

その他

[編集]

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ 鳥居元忠は、市内にある久麻久神社不退院実相寺三河一色諏訪神社の再建に尽力したことで知られている。
  2. ^ 「つけたり」と読み、本体に附属するものの意。

出典

[編集]
  1. ^ 愛知県内の市町村における外国人住民数の状況(2018年12月末現在) - 愛知県”. www.pref.aichi.jp. 2020年2月17日閲覧。
  2. ^ 『岡崎・西尾の昭和』(樹林舎、2011年12月7日)60頁
  3. ^ a b 『岡崎・西尾の昭和』(樹林舎、2011年12月7日)27頁
  4. ^ 愛知県史編さん委員会編集『愛知県史 資料編3』(愛知県、2005年)
  5. ^ 正法寺古墳現地説明板
  6. ^ 岡崎市美術博物館 副館長 荒井信貴「「岡崎」のなかった頃の岡崎学 -古墳時代~古代の西三河―」
  7. ^ 『図典 日本の市町村章』 p. 138
  8. ^ a b 名誉市民”. 西尾市役所 (2013年12月19日). 2019年3月14日閲覧。
  9. ^ 東海愛知新聞』2009年5月21日、1面、「『市長不信任』可決 西尾市議会 中村被告の失職確定」。
  10. ^ 宇佐美尚「『ワクワク創生予算』新設 西尾市当初案 職員アイデア事業化」 『中日新聞』2019年2月14日付朝刊、西三河版、22面。
  11. ^ a b 平成31年4月7日執行 愛知県議会議員一般選挙 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2019年4月7日). 2019年4月7日閲覧。
  12. ^ a b 平成27年4月12日執行 愛知県議会議員一般選挙 投票状況速報” (PDF). 愛知県選挙管理委員会 (2015年4月12日). 2019年4月7日閲覧。
  13. ^ 第50回衆議院議員総選挙(小選挙区) 投票状況速報”. 愛知県選挙管理委員会. 2024年10月29日閲覧。
  14. ^ 「あいちフレンドシップ交流アルバム」(あいちフレンドシップ交流アルバム)
  15. ^ 長田弘己、赤川肇 (2016年1月16日). “アサリ再生へ干潟 16年度予算案 造成に1億7000万円”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 県内版 24 
  16. ^ 林知孝 (2015年5月24日). “ウナギの香り誘われ 西尾・一色 みなとまつり開幕”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 三河総合版 21 
  17. ^ 西尾市公式web「西尾市の文化財」西尾市の文化財一覧(2011年11月25日)
  18. ^ 境内「花岳寺由緒案内板」・一般財団法人「西尾観光協会」西尾観光公式webなど。
  19. ^ 観光情報詳細:養寿寺|愛知県観光ガイド
  20. ^ 林知孝 (2016年12月10日). “地名さんぽ 天竹町(西尾市) 天竺人の伝説から”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 西河総合版 21 
  21. ^ 祇園祭への思い - 伊文神社(2013年7月3日閲覧)
  22. ^ 第1巻 尾崎正・青山善太郎 著
  23. ^ a b c d e 林知孝 (2015年8月16日). “旧盆行事 夏惜しむ 西尾 かぎ万灯と川まつり”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 西三河版 24 
  24. ^ 中日新聞』2017年2月14日付朝刊、西三河版、25面、「男衆ら完全燃焼 鳥羽の火祭り勇ましく 西尾」。
  25. ^ 三河一色大提灯まつり - 西尾市観光協会
  26. ^ 林知孝 (2015年12月13日). “茶の出来栄え 「茶祖」に報告 西尾・紅樹”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 三河総合版 25 
  27. ^ a b 宇佐美尚 (2017年4月24日). “はっくつ 新・三河遺産 (17) 三河一色えびせんべい 西尾 手焼きの味 伝統守る”. 中日新聞 (中日新聞社): p. 朝刊 三河版 14 
  28. ^ 小山茉美プロフィール”. 小山茉美ホームページ(オフィシャルサイト). 2020年10月31日閲覧。
  29. ^ a b 西尾市シティプロモーション特命大使一覧” (PDF). 西尾市役所 (2021年4月13日). 2021年5月11日閲覧。
  30. ^ スタッフ紹介 糟谷 悟”. トヨタ紡織陸上部. 2021年5月11日閲覧。

外部リンク

[編集]