明治村 (愛知県碧海郡)
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めいじむら 明治村 | |
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1917年の明治村 | |
廃止日 | 1955年4月1日 |
廃止理由 |
編入 |
現在の自治体 | 安城市・碧南市・西尾市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中部地方、東海地方 |
都道府県 | 愛知県 |
郡 | 碧海郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 24.77 km2. |
総人口 |
15,325人 (愛知県郡市町村勢要覧[1]、1950年10月1日) |
隣接自治体 | 安城市、碧南市、西尾市、碧海郡高浜町、依佐美村、桜井村 |
明治村役場 | |
所在地 | 愛知県碧海郡明治村大字根崎字西根70-1 |
座標 | 北緯34度53分59秒 東経137度01分59秒 / 北緯34.89969度 東経137.03303度座標: 北緯34度53分59秒 東経137度01分59秒 / 北緯34.89969度 東経137.03303度 |
ウィキプロジェクト |
明治村(めいじむら)は、かつて愛知県碧海郡にあった村である。
矢作川北岸、油ヶ淵北岸、東岸の地域である。太平洋戦争中には明治航空基地[2]が開設されていた。
昭和の大合併で分割され、3市に編入された。現在の安城市南部、碧南市東部、西尾市北部に該当する。
名称・村役場
[編集]油ヶ淵の周辺にあるということで、1906年(明治39年)の発足当初は淵辺村とされていたが、明るく治まる村としたい意向ですぐに明治村に改称された[3]。旧和泉村と旧根崎村の間で村役場の誘致問題が起こり、当初は旧和泉村役場がそのまま使用されていたが、この建物は狭くて老朽化が進行しており、1年後には旧根崎村役場が使用されることとなった[3]。1909年(明治43年)9月には再び旧和泉村役場が明治村役場となったものの、1910年(明治44年)9月には旧根崎村役場に戻され、1913年(大正2年)にはまたもや旧和泉村役場に戻された[3]。1930年(昭和5年)には根崎に明治村役場新庁舎が完成し、村役場の誘致問題が解決した[3]。村役場後には安城市根崎公民館が建っており、「碧海郡明治村役場址」の石碑と正門の門柱が残っている[3]。
沿革
[編集]- 江戸時代末期、この地域は刈谷藩領、福島藩領[4]、沼津藩領、西端藩領、天領、旗本領、寺社領などが混在していた。
- 1906年(明治39年)5月1日 - 米津村、西端村、東端村、根崎村、城ヶ入村、和泉村、榎前村の一部[5]が合併し、淵辺村が発足。
- 1906年(明治39年)5月7日 - 明治村に改称する。[6]
- 1955年(昭和30年)4月1日 - 分割され、安城市、碧南市、西尾市に編入される。
現在の地名との関係
[編集]- 安城市に編入
- 明治村大字東端、根崎、榎前、和泉、城ケ入、石井(現・安城市東端町、根崎町、榎前町、和泉町、城ケ入町、石井町)
- 碧南市に編入
- 明治村大字西端(現・碧南市油ケ渕町、湖西町、荒居町、井口町、大久手町、大坪町、奥沢町、長田町、神田町、北町、坂口町、洲先町、古川町など)
- 西尾市に編入
- 明治村大字米津、南中根(現・西尾市米津町、南中根町)
教育
[編集]小学校
[編集]- 明治村立米津小学校(現・西尾市立米津小学校)
- 明治村立西端小学校(現・碧南市立西端小学校)
- 明治村立明治中部小学校(現・安城市立明和小学校)
- 明治村立和泉小学校(1971年に城ケ入小学校と統合。現・安城市立丈山小学校)
- 明治村立城ケ入小学校(1971年に和泉小学校と統合。現・安城市立丈山小学校)
中学校
[編集]- 明治村立明治中学校(現・安城市立明祥中学校)
交通
[編集]神社・仏閣
[編集]- 八剣神社
- 米津神社
脚注
[編集]- ^ 愛知県総務部統計課 1951年10月刊行
- ^ 1943年に海軍が開設した飛行場。明治村大字東端、根崎、和泉(現・安城市)にまたがる地域に位置していた。1944年7月に第三四五海軍航空隊明治派遣隊の基地となり、以後第三四一海軍航空隊明治派遣隊、第二一〇海軍航空隊、東海海軍航空隊の基地となった。現在、飛行場自体は残っていないが、防空壕、弾薬貯蔵庫、燃料貯蔵庫の建物や痕跡が残る。
- ^ a b c d e 明和小学校編集委員会『ほっとめいわ探訪』安城市立明和小学校、2014年、pp.67-69
- ^ 刈谷藩領の一部と福島藩領は明治になってからの1869年に重原藩領となる。
- ^ 榎前。榎前村の残部(井杭山)は高棚村、小垣江村、野田村、半高村と合併し、依佐美村発足。
- ^ [1] たった6日間だけ存在した村