「叶順子 (女優)」の版間の差分
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2023年5月11日 (木) 01:12時点における最新版
かのう じゅんこ 叶 順子 | |||||
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本名 | 吉田順子 | ||||
生年月日 | 1936年1月21日(88歳) | ||||
出生地 | 日本東京都中野区野方 | ||||
職業 | 女優 | ||||
活動期間 | 1957年 - 1963年 | ||||
配偶者 | あり | ||||
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叶 順子(かのう じゅんこ。本名:吉田順子(旧姓・中沢)、1936年1月21日 - )は、日本の女優。東京都中野区野方出身。
略歴
[編集]スッポン料理店主の娘として育ち、都立北野高校を卒業。1954年、ミス資生堂に選ばれ、同社に入社して勤務。その美貌を目にした同社の美容部長・藤原あき(後の参議院議員)の推薦で1956年、第10期ニューフェイスとして大映に入社。同期に田宮二郎がいた。
1957年、「朝の口笛」でデビュー。「透明人間と蝿男」に主演。 1959年、島耕二監督の「細雪」の四女役を演じスターの仲間入り。以後、京マチ子、山本富士子、若尾文子の三大女優に次ぐスター女優として売り出され活躍。
1963年7月、人気のピークで引退[1]。撮影所長の永田秀雅によると、当時のカラー撮影は顔のクローズアップを撮る時に600から800ワットの照明を当てる必要があり、この種の撮影が続いた後、目の縁に異常を来し医務室でもこのままでは失明すると判定され、引退となってしまったとのこと。
1964年、結婚。
主な出演映画
[編集]- 朝の口笛(1957年、大映)デビュー作
- 透明人間と蝿男(1957年、大映)
- 暖流(1957年、大映)
- 日蓮と蒙古大襲来 (1958年、大映)
- 共犯者(1958年、大映)
- 細雪(1959年、大映)
- 氾濫(1959年、大映)
- 鍵(1959年、大映)
- 闇を横切れ(1959年、大映)
- 女経(第三話 恋を忘れていた女)(1960年、大映)
- 女妖(1960年、大映)
- 痴人の愛(1960年、大映)
- 誰よりも君を愛す(1960年、大映)
- 黒い樹海(1960年、大映)
- 女の勲章(1961年、大映)
- 明日を呼ぶ港(1961年、大映)
- 釈迦 大映京都 ... マータンガ 1961.11.01
- 黒蜥蜴(1962年、大映)
- あした逢う人(1962年、大映)
- 黒の試走車(テストカー)(1962年、大映)
- 真昼の罠(1962年、大映)
- 秦・始皇帝 大映東京 ... 香娘(貴姫)1962.11.01
- 女の一生(1962年、大映)
- 黒の報告書(1963年、大映)
- 嘘(第二話 社用2号)(1963年、大映)
- 風速七十五米(1963年、大映)
主な出演テレビ
[編集]- ジェスチャー(NHK)