コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

「井上裕」の版間の差分

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
削除された内容 追加された内容
編集の要約なし
タグ: モバイル編集 モバイルウェブ編集
Cewbot (会話 | 投稿記録)
27行目: 27行目:
|元首 = [[明仁|上皇(平成の天皇)]]
|元首 = [[明仁|上皇(平成の天皇)]]
|国旗2 = JPN
|国旗2 = JPN
|職名2 = 第115代 [[文部大臣 (日本)|文部大臣]]
|職名2 = 第115代 [[文部大臣]]
|内閣2 = [[第2次海部内閣_(改造)|第2次海部改造内閣]]
|内閣2 = [[第2次海部内閣_(改造)|第2次海部改造内閣]]
|選挙区2 =
|選挙区2 =
49行目: 49行目:
'''井上 裕'''(いのうえ ゆたか、[[1927年]][[11月17日]] - [[2008年]][[6月22日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[位階]]は[[従二位]]、[[勲章]]は[[桐花大綬章]]。
'''井上 裕'''(いのうえ ゆたか、[[1927年]][[11月17日]] - [[2008年]][[6月22日]])は、[[日本]]の[[政治家]]。[[位階]]は[[従二位]]、[[勲章]]は[[桐花大綬章]]。


[[参議院議長]](第23・24代)、[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]([[第2次海部内閣_(改造)|第115代]])、[[参議院]][[予算委員会|予算委員長]]、[[参議院議員団#自由民主党|自由民主党参議院議員会長]](第22代)、[[参議院議員]](4期)、[[衆議院議員]](1期)、[[千葉県議会]]議員(3期)等を歴任した。
[[参議院議長]](第23・24代)、[[文部大臣]]([[第2次海部内閣_(改造)|第115代]])、[[参議院]][[予算委員会|予算委員長]]、[[参議院議員団#自由民主党|自由民主党参議院議員会長]](第22代)、[[参議院議員]](4期)、[[衆議院議員]](1期)、[[千葉県議会]]議員(3期)等を歴任した。


== 来歴 ==
== 来歴 ==
56行目: 56行目:
[[1972年]]、[[第33回衆議院議員総選挙]]に[[無所属]]で[[千葉県第2区_(中選挙区)|旧千葉2区]](定数4)から出馬したが、次点で落選。[[1976年]]の[[第34回衆議院議員総選挙]]に再び[[無所属]]で旧千葉2区から出馬し、同区トップの得票数で当選した。この総選挙では、[[保守]]系無所属で井上、[[宇野亨]]の2人が旧千葉2区から出馬して当選する一方、自民党前職の[[水野清]]、[[山村新治郎_(10代目)|山村新治郎]]がいずれも落選した。当選後、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に入党。[[1979年]]の[[第35回衆議院議員総選挙]]では、前回自民党公認で落選した元職の水野、山村がいずれも保守系無所属で出馬し、上位で当選。井上同様、当選後に自民党に入党した宇野は最下位の4位で当選したが、井上は宇野の得票数を約6千票下回り、5位で落選した(同じく自民党前職の[[林大幹]]も落選)。
[[1972年]]、[[第33回衆議院議員総選挙]]に[[無所属]]で[[千葉県第2区_(中選挙区)|旧千葉2区]](定数4)から出馬したが、次点で落選。[[1976年]]の[[第34回衆議院議員総選挙]]に再び[[無所属]]で旧千葉2区から出馬し、同区トップの得票数で当選した。この総選挙では、[[保守]]系無所属で井上、[[宇野亨]]の2人が旧千葉2区から出馬して当選する一方、自民党前職の[[水野清]]、[[山村新治郎_(10代目)|山村新治郎]]がいずれも落選した。当選後、[[自由民主党 (日本)|自由民主党]]に入党。[[1979年]]の[[第35回衆議院議員総選挙]]では、前回自民党公認で落選した元職の水野、山村がいずれも保守系無所属で出馬し、上位で当選。井上同様、当選後に自民党に入党した宇野は最下位の4位で当選したが、井上は宇野の得票数を約6千票下回り、5位で落選した(同じく自民党前職の[[林大幹]]も落選)。


[[1980年]]、[[第12回参議院議員通常選挙]]に[[千葉県選挙区|千葉県地方区]]から自民党公認で出馬し、当選。以後、4期22年にわたり参議院議員を務める。[[1983年]]、[[第2次中曽根内閣]]で[[大蔵政務次官]]に就任。[[1990年]]、[[第2次海部内閣_(改造)|第2次海部改造内閣]]で[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]に任命され、初入閣した。[[1995年]]、[[参議院]][[予算委員会|予算委員長]]に就任。
[[1980年]]、[[第12回参議院議員通常選挙]]に[[千葉県選挙区|千葉県地方区]]から自民党公認で出馬し、当選。以後、4期22年にわたり参議院議員を務める。[[1983年]]、[[第2次中曽根内閣]]で[[大蔵政務次官]]に就任。[[1990年]]、[[第2次海部内閣_(改造)|第2次海部改造内閣]]で[[文部大臣]]に任命され、初入閣した。[[1995年]]、[[参議院]][[予算委員会|予算委員長]]に就任。


[[1998年]]、[[小渕恵三]][[自由民主党総裁|総裁]]の下で[[参議院議員団#自由民主党|自由民主党参議院議員会長]]に起用された。[[2000年]]、5年にわたり[[参議院議長]]を務めていた[[斎藤十朗]]に代わり、参議院議長に就任。同年11月、[[勲一等旭日大綬章]]受章<ref>「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊</ref>。
[[1998年]]、[[小渕恵三]][[自由民主党総裁|総裁]]の下で[[参議院議員団#自由民主党|自由民主党参議院議員会長]]に起用された。[[2000年]]、5年にわたり[[参議院議長]]を務めていた[[斎藤十朗]]に代わり、参議院議長に就任。同年11月、[[勲一等旭日大綬章]]受章<ref>「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊</ref>。
96行目: 96行目:
{{s-off}}
{{s-off}}
{{succession box
{{succession box
| title = {{Flagicon|日本}} [[文部大臣 (日本)|文部大臣]]
| title = {{Flagicon|日本}} [[文部大臣]]
| before = [[保利耕輔]]
| before = [[保利耕輔]]
| years = 第115代:1990年 - 1991年
| years = 第115代:1990年 - 1991年
128行目: 128行目:
}}
}}
{{end box}}
{{end box}}
{{文部科学大臣|1990年-1991年|[[文部大臣 (日本)|文部大臣]]}}
{{文部科学大臣|1990年-1991年|[[文部大臣]]}}
{{参議院議長|2000年-2002年}}
{{参議院議長|2000年-2002年}}
{{参議院予算委員長|1995年-1996年}}
{{参議院予算委員長|1995年-1996年}}

2020年12月30日 (水) 08:49時点における版

井上裕
いのうえ ゆたか
ファイル:Yutaka Inoue.jpg
生年月日 1927年11月17日
出生地 日本の旗 日本 千葉県成田市
没年月日 (2008-06-22) 2008年6月22日(80歳没)
出身校 旧制東京歯科医学専門学校
(現東京歯科大学
所属政党無所属→)
自由民主党
称号 従二位
桐花大綬章

日本の旗 第23・24代 参議院議長
在任期間 2000年10月19日 - 2002年4月22日
天皇 上皇(平成の天皇)

日本の旗 第115代 文部大臣
内閣 第2次海部改造内閣
在任期間 1990年12月29日 - 1991年11月5日

選挙区 千葉県選挙区
当選回数 4回
在任期間 1980年6月23日 - 2002年5月8日

選挙区 旧千葉2区
当選回数 1回
在任期間 1976年12月10日 - 1979年9月7日
テンプレートを表示
文部大臣就任に際して公表された画像

井上 裕(いのうえ ゆたか、1927年11月17日 - 2008年6月22日)は、日本政治家位階従二位勲章桐花大綬章

参議院議長(第23・24代)、文部大臣第115代)、参議院予算委員長自由民主党参議院議員会長(第22代)、参議院議員(4期)、衆議院議員(1期)、千葉県議会議員(3期)等を歴任した。

来歴

千葉県成田市生まれ。旧制成田中学校(現成田高等学校)、旧制東京歯科医学専門学校(現東京歯科大学)卒業。1963年千葉県議会議員選挙に出馬し、初当選した。以後、3期連続当選。

1972年第33回衆議院議員総選挙無所属旧千葉2区(定数4)から出馬したが、次点で落選。1976年第34回衆議院議員総選挙に再び無所属で旧千葉2区から出馬し、同区トップの得票数で当選した。この総選挙では、保守系無所属で井上、宇野亨の2人が旧千葉2区から出馬して当選する一方、自民党前職の水野清山村新治郎がいずれも落選した。当選後、自由民主党に入党。1979年第35回衆議院議員総選挙では、前回自民党公認で落選した元職の水野、山村がいずれも保守系無所属で出馬し、上位で当選。井上同様、当選後に自民党に入党した宇野は最下位の4位で当選したが、井上は宇野の得票数を約6千票下回り、5位で落選した(同じく自民党前職の林大幹も落選)。

1980年第12回参議院議員通常選挙千葉県地方区から自民党公認で出馬し、当選。以後、4期22年にわたり参議院議員を務める。1983年第2次中曽根内閣大蔵政務次官に就任。1990年第2次海部改造内閣文部大臣に任命され、初入閣した。1995年参議院予算委員長に就任。

1998年小渕恵三総裁の下で自由民主党参議院議員会長に起用された。2000年、5年にわたり参議院議長を務めていた斎藤十朗に代わり、参議院議長に就任。同年11月、勲一等旭日大綬章受章[1]

2002年4月22日、井上の公設秘書の、鎌ケ谷市汚職事件への関与が発覚し、参議院議長を引責辞任。5月8日に辞職願を提出し、参議院議員を辞職する。

2008年6月22日、肺線維症のため千葉県市川市内の病院で死去。80歳没。死去に伴い従二位に叙され、桐花大綬章へ昇叙。

所属団体・議員連盟

選挙歴

当落 選挙 施行日 選挙区 政党 得票数 得票率 得票順位
/候補者数
比例区 比例順位
/候補者数
第33回衆議院議員総選挙 1972年12月10日 千葉県第2区 無所属 40,932 12.7 5/9 - -
第34回衆議院議員総選挙 1976年12月5日 千葉県第2区 無所属 59,945 16.2 1/8 - -
第35回衆議院議員総選挙 1979年10月7日 千葉県第2区 自由民主党 47,238 12.6 5/7 - -
第12回参議院議員通常選挙 1980年6月22日 千葉県地方区 自由民主党 1,025,592 51.1 1/5 - -
第14回参議院議員通常選挙 1986年7月6日 千葉県選挙区 自由民主党 1,067,890 51.6 1/8 - -
第16回参議院議員通常選挙 1992年7月26日 千葉県選挙区 自由民主党 809,120 52.1 1/7 - -
第18回参議院議員通常選挙 1998年7月12日 千葉県選挙区 自由民主党 730,643 31.4 2/7 - -
当選回数5回 (参議院議員4 衆議院議員1)

脚注

  1. ^ 「2000年秋の叙勲 勲三等以上と在外邦人、外国人、在日外国人の受章者一覧」『読売新聞』2000年11月3日朝刊
公職
先代
保利耕輔
日本の旗 文部大臣
第115代:1990年 - 1991年
次代
鳩山邦夫
議会
先代
斎藤十朗
日本の旗 参議院議長
第23・24代:2000年 - 2002年
次代
倉田寛之
先代
坂野重信
日本の旗 参議院予算委員長
1995年 - 1996年
次代
大河原太一郎
先代
山本富雄
日本の旗 参議院大蔵委員長
1986年 - 1987年
次代
村上正邦
党職
先代
井上吉夫
自由民主党参院議員会長
第22代:1998年 - 1999年
次代
村上正邦