「市川市」の版間の差分
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2020年11月1日 (日) 09:19時点における版
いちかわし 市川市 | |||||
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国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 千葉県 | ||||
市町村コード | 12203-3 | ||||
法人番号 | 6000020122033 | ||||
面積 |
57.44km2 (境界未定部分あり) | ||||
総人口 |
499,383人 [編集] (推計人口、2024年10月1日) | ||||
人口密度 | 8,694人/km2 | ||||
隣接自治体 |
浦安市、船橋市、松戸市、鎌ケ谷市 東京都:江戸川区 | ||||
市の木 | クロマツ | ||||
市の花 | バラ | ||||
市の鳥 市の虫 市の歌 |
ウグイス スズムシ 市川市歌、 市川賛歌 | ||||
市川市役所 | |||||
市長 | 田中甲 | ||||
所在地 |
〒272-8501 千葉県市川市南八幡2丁目20番2号(仮本庁舎) 北緯35度42分48.8秒 東経139度55分40.5秒 / 北緯35.713556度 東経139.927917度 | ||||
外部リンク | 公式ウェブサイト | ||||
特記事項 | 河原地区が江戸川区との境界未定 | ||||
ウィキプロジェクト |
市川市(いちかわし)は、千葉県北西部の葛南地域に位置する人口約50万人の市。健康都市連合加盟都市[1]。財政力指数が高く、非政令指定都市・非中核市最大の人口を持つ都市である。千葉県内では船橋市に次いで第3位の人口規模である。
概要
市川市は、東京都の都心から10 - 20キロメートル圏内[注 1]に位置し、通勤、通学の便の良さから東京のベッドタウンとして発展している。東京都特別区部への通勤率は47.1%(平成27年国勢調査)。
市中央部(西部)は、国道14号(千葉街道)、総武本線、京成本線を軸として、歴史的な街としての一面、文教都市・学園都市としての一面、閑静な高級住宅地としての一面、市の行政および商業の中心としての一面がある。国道14号(千葉街道)の北側の歴史は古く、旧石器時代や縄文時代の遺跡や古墳時代の古墳が多く残されており、1000年以上前に創建された葛飾八幡宮を始めとした歴史のある寺社仏閣も多く点在している。江戸川に近い国府台は、かつて下総国の国府が置かれ、国府台城や大日本帝国陸軍の施設が置かれた後、現在では国立高度専門医療研究センターである国立国際医療研究センターや大学などの教育機関に置き換わった。国府台から八幡にかけて私立の小学校、中学校、高等学校が多く点在しており、文教地区・学園地区となっている。
市川、真間、菅野、新田、八幡などのエリアは、市の木であるクロマツも多く静かな佇まいであり、これらの地区は明治時代から木内重四郎などの政治家や東京都心・下町(神田、日本橋、京橋、本所、深川、柳橋、浅草橋など[注 2])の富豪、日本軍の将官クラスが別荘・邸宅を構え、戦後も「お屋敷街」を形成する高級住宅地となっており[2][3][4][5][6]、千葉県内の住宅地の公示地価としては第1位である[7][8]。また、文化人や著名人が邸宅を構えたことでも知られ、過去には永井荷風、幸田露伴(次女の幸田文、孫の青木玉も同居)、北原白秋、井上ひさしなど数多くの文人が好んで定住した[3][4][6]。近代文学では夏目漱石、正岡子規、与謝野晶子、三島由紀夫[9] などが「市川」に関する作品を書いており、「市川」に縁のある作家や作品が多い[10]。これら文人の足跡が市民団体や市などの手で「市川文学の散歩道」として残されている。市川駅および本八幡駅周辺は、超高層マンションや商業施設、企業が立ち並び商業地として発展している。本八幡駅周辺は、市役所などの市の施設が多く立地する行政の中心地にもなっている。
南部の行徳地区は東京メトロ東西線が通り区画整理が進んだエリアである。道幅の広い比較的新しい街として開けており、人気のある住宅地となっている。かつては湿地帯で、江戸時代には塩田(行徳塩田、塩浜由緒書より)が作られて大量の塩が生産され、行徳の塩は全国的に有名だった。京葉線、国道357号(首都高速湾岸線・東関東自動車道)沿線の湾岸部は工業地となっていて、様々な企業の工場および倉庫が立ち並ぶ物流の拠点となっている。市川塩浜の沖合には東京湾で数少ない干潟が残っている。三番瀬は埋め立てられて工業用地になる予定であったが産業構造の変化や市民運動の成果により中止となり自然が保全されることになった。
北部から東部にかけて北総線、武蔵野線沿線に豊かな自然が残っており、市の名産品である梨畑が広がっている。
文化人が多く住んだこと、史跡が多いこと、学校など文教施設が多いことなどから市川は「文化都市[11]」と言われる。
また、歴史のある町であること、クロマツが繁る住宅街があること、古刹が多いことなどから、市中心部を中心に「千葉の鎌倉[12]」とも呼ばれる。
地理
千葉県北西部に位置し、県庁所在地である千葉市から約20キロメートルの距離である。東京都の都心から10 - 20キロメートル圏内[注 1]である。
市の西部は江戸川と旧江戸川を挟んで東京都江戸川区と接し、北部は松戸市、東部は船橋市、北東部は鎌ケ谷市、南部は浦安市と東京湾に接する。旧東葛飾郡(葛飾郡)。市の南部は海抜2メートル程度の平野で、北部は海抜20メートル程度のなだらかな下総台地となっている。最高点は国府台地先、里見公園内で30.1メートル。最低点は福栄地先で0.1メートルとなっており、埋立地の一部で海抜ゼロメートル地帯となる。
市川市と船橋市の境界付近から東京湾沿いに千葉市中央区付近まで延びる長さ約22キロメートルの東京湾北縁断層の存在が推定されていたが、1992年(平成4年)度の県の調査結果に加え、国の地震調査研究推進本部地震調査委員会においても、2001年(平成13年)11月に、「東京湾北縁断層は活断層ではない」との評価を公表した。江戸川河口の直下には中央構造線に関連した綾瀬川断層があると推定されている。
市域
- 広袤(こうぼう):東西8.2キロメートル 南北13.4キロメートル
自然
-
江戸川(国府台より市川橋方面)
-
真間川の桜
-
国分川鯉のぼりフェスティバル
歴史
前史
市川市域に人が住みはじめた歴史は古く、市内北部の台地上には旧石器時代の遺跡が多数存在する(丸山遺跡、権現原遺跡、今島田遺跡等)。縄文時代の遺跡としては、堀之内貝塚、姥山貝塚、曽谷貝塚等の国の史跡となっている貝塚遺跡があり、その他の貝塚を含めた遺跡数は約60ヶ所にのぼる国内最大級の集中度で、縄文時代には栄えた地域となっていたことが分かる。さらに、弥生時代の遺跡も多数存在する(須和田、杉ノ木台、小塚山、宮久保、国府台等)。
市川市の中でも、国府台より広がる高台は、常に市川一帯の歴史を担ってきた。古墳時代初めには小集落ができ(北根、前原、鳴神山、杉ノ木台)、多くの古墳が築かれた。法皇塚古墳(東京医科歯科大構内)、弘法寺古墳(真間山弘法寺敷地内)、明戸古墳(里見公園内)の3基の前方後円墳のほか、国府台近辺だけで約30ヶ所の古墳があったと推定されている(国府台古墳群)。
下総国府
律令制により国府台に国庁と国府が置かれ、下総国の中枢となった。国府関連施設と思われる遺跡が発掘されている。市川市には下総国の国分寺・国分尼寺が所在していたとされており、その跡も発掘されている。
下総国分寺跡
国分寺跡の伽藍は現在の下総国分寺と重複する位置にあり、金堂跡は現在の本堂の場所にあたる。ただし、塔は西に、金堂・講堂は東に傾いており、堂塔の向きは一定ではない[13]。一帯は須和田遺跡や国府跡推定地が残り、古くから文化的中心地であった。
- 金堂 - 東西31.5メートル、南北19メートル。
- 講堂 - 本堂裏の墓地内に位置する。東西26メートル、南北18メートル。
- 七重塔 - 18メートル四方。礎石は本堂前に移動されている。
下総国分尼寺跡
国分寺北東の市川市国分4丁目(北緯35度44分47.56秒 東経139度54分46.70秒)に所在する。1932年の発掘調査で金堂・講堂の基壇が確認されるとともに「尼寺」と書かれた土器が出土し、位置の確定に至った[14]。なおそれ以前は、当地はかつて「昔堂」と呼ばれ、国分僧寺跡と考えられていた[15]。
発掘調査により寺の範囲を区画する溝が北・東・南で確認され、北溝は340メートル・東溝は303メートルに及び寺域は不整な方形をなしている[14]。現在は市川市営の国分尼寺跡公園として管理されている。
- 金堂 - 東西25.5メートル、南北22.4メートル。
- 講堂 - 東西27メートル、南北19メートル。
-
下総国分寺講堂跡
-
下総国分寺塔礎石
-
下総国分尼寺金堂跡
-
下総国分寺僧寺跡・尼寺跡出土品(市川考古博物館展示)
平安時代~室町時代
10世紀には平将門の乱に巻き込まれ、12世紀には石橋山の合戦に敗れて安房国に落ち延びた源頼朝が、上総広常と下総国府で合流して軍勢を立て直した。15世紀には太田道灌が国府台に仮陣を置き、その弟の太田資忠が国府台城を築城した。16世紀には、国府台城は、里見義堯ら里見氏と後北条氏との間で2度にわたり戦われた国府台合戦の舞台となった。
近代・現代
戊辰戦争の際には、江戸を脱出した大鳥圭介が率いる旧幕府陸軍が、国府台に集結した。これに土方歳三らの新撰組も合流した。すぐに大鳥・土方らは宇都宮を経て日光へ向かったが、その後、別の旧幕府軍(撤兵隊)と官軍の戦いが、この台地下の市川から船橋にかけて戦われた(市川・船橋戦争)。
1875年(明治8年)には、教育機関の最高学府として国府台大学校計画(この計画は岩倉使節団 に随行して欧米諸国の大学校を調査してきた田中不二麿を中心に「欧米二通ズ真ノ高等大学校」の実現を目指して計画されたもので、現在の東京大学とは別の教育機関として構想されたものだった。)が持ち上がり、具体的な案もまとまり、土地の買収も進められていたが諸事情により実現しなかった。
1885年(明治18年)には、都心からのアクセスがよく、渡河訓練をはじめ、各種訓練に適した立地に恵まれていたことから、大学校用地跡に陸軍教導団が置かれた。教導団は1899年(明治32年)に廃止されたが、その後、陸軍の野砲兵連隊・国府台陸軍病院などが置かれ、市川は軍都として栄えた。
終戦後、陸軍の広大な土地は、国立国際医療研究センター国府台病院(旧・国府台陸軍病院)、市川市スポーツセンター(国府台公園)、東京医科歯科大学、千葉商科大学、和洋女子大学、筑波大学附属聴覚特別支援学校、千葉県立国府台高等学校、市川市立第一中学校、千葉県血清研究所の各施設に変わった。
国府台周辺以外の地区
八幡地区は寛平年間(西暦889年 - 898年)に創建された葛飾八幡宮を中心に発展し、中山地区は文応元年(西暦1260年)に創建された中山法華経寺の門前町として発展した。江戸時代には、市川地区、八幡地区に佐倉街道(成田街道)の宿場町である市川宿、八幡宿があり、五街道の1つである日光街道の支線として道中奉行の支配下に置かれた。成田街道の別ルートである日本橋から海路を経るルートとして行徳地区にも宿場町があり、江戸川水運の中心地として発展した。
真間の手児奈伝説・江戸名所図会
現在の真間に舒明天皇時代の国造の娘である手児奈という絶世の美少女がいたという伝説があり、奈良時代にはその噂が都にまで届いて万葉集に詠まれるほど有名だった。737年に行基がその故事を聞き、手児奈の霊を慰めるために弘法寺を開いた。現在は手児奈霊神堂に祀られている。
斎藤月岑の江戸名所図会には、葛飾八幡宮および八幡の藪知らずが、歌川広重の名所江戸百景には、「真間の紅葉 手古那の社継はし」「鴻の台とね川風景」が描かれている。
年表
- 1934年(昭和9年)11月3日 - 東葛飾郡市川町、八幡町、中山町、国分村が合併し、市川市が発足した。千葉県内では千葉市、銚子市についで3番目の市制施行である。
- 1949年(昭和24年)11月3日 - 東葛飾郡大柏村を編入。
- 1955年(昭和30年)3月31日 - 東葛飾郡行徳町を編入。
- 1956年(昭和31年)10月1日 - 東葛飾郡南行徳町を編入。
- 1992年(平成4年) - 日本で最初に「駅前放置自転車対策条例」(平成4年12月条例第27号)を施行した。
- 2007年(平成19年)4月27日 - 同年2月の議会での「政令指定都市検討促進決議」を受け、市川市、船橋市、松戸市、鎌ケ谷市が、この圏域の将来的な選択肢の一つとして、合併や政令指定都市への移行に関する共同研究を目的とした「東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会」[17](2008年9月1日現在の4市推計人口1,649,569人)を設立した。同研究会は2009年3月研究報告書を出した。この研究報告により合併のメリットがさほど見いだせないことがわかり、中央においても合併論が下火になったこともあり、合併推進論は全く語られなくなった。
- 2008年(平成20年)10月26日 - 市で初めての還暦式が行われた。地方自治体が催す式典としては先陣の一つとされる。
- 2017年(平成29年)度 - 新第2庁舎が竣工予定。
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市川駅北口付近の略図(1928年)
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市川橋付近の略図(1928年)
宿場
佐倉街道(成田街道)のうち水戸街道からの分岐である新宿から数えて2番目の宿場が市川宿、3番目が八幡宿である[注 3]。新宿から八幡宿までは五街道の1つである日光街道の支線として道中奉行の支配下に置かれていた。水戸街道は千住宿で日光街道から分岐し、次の新宿で佐倉街道と分岐している。
市川市名の由来
市川町、八幡町、中山町、国分村の3町1村の合併の際、協議案として市名には旧町村名を使用しないこととして、「江東市」、「東葛市」、「下総市」、「北総市」、「総府市」などの候補が挙げられたが[18]、名称が決まらず、業を煮やした市川町代表が大反対。総武線秋葉原駅には「両国・市川・千葉方面」という案内があり、市川という地名が既に一般の人々に馴染み深く、縦と横に「市川市」と書き、どこから読んでも市川市でわかりやすいという語呂の良さから「市川市」を提案したが市川町以外の反対にあい、話し合いが縺れて一時は合併話が一度暗礁に乗りかけるも、各町村間で何度も何度も協議を重ねた末、1934年9月に市名が「市川市」に決定し、「各町村の要望の実現に努める」といった条件で市役所等市の中枢施設は地理的中心の旧八幡町に置かれた[19] 。
市川の名称は市西端に流れる江戸川が当時東国一の川であったことから一の川が訛ったとする説、江戸川の河岸に川舟が集まり定期的に市が開かれていたことに由来するという説の2つが有力である。市川の地名が初めて登場するのは『義経記』。石橋山の戦いで敗れ安房で再起した源頼朝が、軍勢を率いて下総の松戸庄市河に達するという記述がある。
町名
市川市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。
町名 | 町名の読み | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
国府台一丁目 | こうのだい | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 国府台町1、国分町の各一部 | |
国府台二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 国府台町1の一部 | ||
国府台三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 国府台町1、国府台町2の各一部 | ||
国府台四丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 国府台町2の一部 | ||
国府台五丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 国府台町1、国府台町2、国府台町3の各一部 | ||
国府台六丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 国府台町3の一部 | ||
市川一丁目 | いちかわ | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 市川町5、新田町3の各一部 | |
市川二丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 市川町3の全部と市川町2、市川町5の各一部 | ||
市川三丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 市川町1の全部と市川町2、根本町、真間町2の各一部 | ||
市川四丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 根本町、真間町1の各一部 | ||
市川南一丁目 | いちかわみなみ | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 市川町5の一部 | |
市川南二丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 市川町5の一部 | ||
市川南三丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 市川町4の一部 | ||
市川南四丁目 | 1965年7月1日 | 1965年7月1日 | 市川町4の一部 | ||
市川南五丁目 | 1966年9月1日 | 1966年9月1日 | 市川町4の全部 | ||
真間一丁目 | まま | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 真間町4の全部と真間町3の一部 | |
真間二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 真間町2の全部 | ||
真間三丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 真間町3の一部 | ||
真間四丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 真間町1、根本町の各一部 | ||
真間五丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 真間町1、国分町の各一部 | ||
新田一丁目 | しんでん | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 新田町1の全部と平田町3の一部 | |
新田二丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 新田町2の一部 | ||
新田三丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 新田町2の一部 | ||
新田四丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 新田町4、大洲町の各一部 | ||
新田五丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 新田町3の全部と新田町4の一部 | ||
平田一丁目 | ひらた | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 平田町1、平田町2、平田町3の各一部 | |
平田二丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 平田町2、平田町3の各一部 | ||
平田三丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 平田町1、平田町2、平田町3の各一部 | ||
平田四丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 平田町1、平田町2、平田町3の各一部 | ||
大洲一丁目 | おおす | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 大洲町の一部 | |
大洲二丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 大洲町、下新宿の各一部 | ||
大洲三丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 大洲町の一部 | ||
大洲四丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 大洲町、新田町4の各一部 | ||
大和田一丁目 | おおわだ | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 大和田の一部 | |
大和田二丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 大和田、本行徳の各一部 | ||
大和田三丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 河原の一部 | ||
大和田四丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 上下妙典、平田町3、河原の各一部 | ||
大和田五丁目 | 1968年2月1日 | 1968年2月1日 | 大和田、本行徳、上下妙典、河原の各一部 | ||
東大和田一丁目 | ひがしおおわだ | 年月日 | 年月日 | ||
東大和田二丁目 | 年月日 | 年月日 | |||
稲荷木一丁目 | とうかぎ | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 稲荷木、田尻の各一部 | |
稲荷木二丁目 | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 稲荷木、河原、大和田、田尻の各一部 | ||
稲荷木三丁目 | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 稲荷木、本行徳、大和田の各一部 | ||
八幡一丁目 | やわた | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町1、鬼越町1の各一部 | |
八幡二丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町1、八幡町3、八幡町4、八幡町6の各一部 | ||
八幡三丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町4の一部 | ||
八幡四丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町3の一部 | ||
八幡五丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町1、八幡町2の各一部 | ||
八幡六丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町2、八幡町3の各一部 | ||
南八幡一丁目 | みなみやわた | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町7の一部 | |
南八幡二丁目 | 年月日 | 年月日 | |||
南八幡三丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町6、八幡町7の各一部 | ||
南八幡四丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町6の一部 | ||
南八幡五丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 八幡町5の全部 | ||
菅野一丁目 | すがの | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町1、菅野町5、平田町1の各一部 | |
菅野二丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町5、平田町1、平田町2、平田町3、新田町1の各一部 | ||
菅野三丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町5、菅野町6、新田町1の各一部 | ||
菅野四丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町1、菅野町4の各一部 | ||
菅野五丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町4の一部 | ||
菅野六丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町6の一部 | ||
東菅野一丁目 | ひがしすがの | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町2の全部と八幡町2の一部 | |
東菅野二丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町3の一部 | ||
東菅野三丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町3、八幡町2の各一部 | ||
東菅野四丁目 | 1967年2月1日 | 1967年2月1日 | 菅野町3、八幡町2、宮久保町の各一部 | ||
東菅野五丁目 | 年月日 | 1986年6月1日 | 東菅野5、宮久保町の各全部と北方町4の一部 | ||
宮久保一丁目 | みやくぼ | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 宮久保町、曽谷町の各一部 | |
宮久保二丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 宮久保町、曽谷町の各一部 | ||
宮久保三丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 宮久保町の一部 | ||
宮久保四丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 宮久保町の一部 | ||
宮久保五丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 宮久保町の一部 | ||
宮久保六丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 宮久保町の一部 | ||
鬼越一丁目 | おにごえ | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 鬼越町1、鬼越町2、高石神町の各一部 | |
鬼越二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 鬼越町1、鬼越町2、高石神町の各一部 | ||
鬼高一丁目 | おにたか | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 八幡町7の全部と鬼高町の一部 | |
鬼高二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 鬼高町の一部 | ||
鬼高三丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 鬼高町の一部 | ||
鬼高四丁目 | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 鬼高町、田尻、稲荷木の各一部 | ||
高石神 | たかいしがみ | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 高石神町、鬼越町2の各一部 | |
中山一丁目 | なかやま | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 中山町3の全部と中山町2の各一部 | |
中山二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 中山町2、若宮町2の各一部 | ||
中山三丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 中山町2の一部 | ||
中山四丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 中山町1の全部 | ||
若宮一丁目 | わかみや | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 若宮町1の全部 | |
若宮二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 若宮町2、若宮町3、中山町2の各一部 | ||
若宮三丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 若宮町3、北方町3の各一部 | ||
北方一丁目 | きたかた | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北方町1の全部 | |
北方二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北方町2の全部 | ||
北方三丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北方町3の一部 | ||
本北方一丁目 | もときたかた | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北方町3の一部 | |
本北方二丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北方町3の一部 | ||
本北方三丁目 | 1969年9月1日 | 1969年9月1日 | 北方町3の一部 | ||
北方町四丁目 | ぼっけまち | 1951年12月1日 | 未実施 | ||
国分一丁目 | こくぶん | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国分町の一部 | |
国分二丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国分町の一部 | ||
国分三丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国分町の一部 | ||
国分四丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国分町の一部 | ||
国分五丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国分町、中国分町の各一部 | ||
国分六丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国分町の一部 | ||
国分七丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国分町、北国分町の各一部 | ||
中国分一丁目 | なかこくぶん | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 中国分町の一部 | |
中国分二丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 中国分町の一部 | ||
中国分三丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 中国分町の一部 | ||
中国分四丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 国府台町3の全部と国分町、中国分町の各一部 | ||
中国分五丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 中国分町の一部 | ||
北国分一丁目 | きたこくぶん | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 北国分町の一部 | |
北国分二丁目 | 1972年2月1日 | 1972年2月1日 | 北国分町の一部 | ||
北国分三丁目 | 1974年2月1日 | 1974年2月1日 | 北国分町の一部 | ||
北国分四丁目 | 1974年2月1日 | 1974年2月1日 | 北国分町の一部 | ||
須和田一丁目 | すわだ | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 須和田町1の全部と宮久保町、国分町の各一部 | |
須和田二丁目 | 1966年4月1日 | 1966年4月1日 | 須和田町2の全部 | ||
稲越町 | いなごしまち | 1951年12月1日 | 未実施 | ||
曽谷一丁目 | そや | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 曽谷町の一部 | |
曽谷二丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
曽谷三丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
曽谷四丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
曽谷五丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
曽谷六丁目 | 1974年2月1日 | 1974年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
曽谷七丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
曽谷八丁目 | 1971年2月1日 | 1971年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
下貝塚一丁目 | しもかいづか | 1981年2月1日 | 1981年2月1日 | 下貝塚町の一部 | |
下貝塚二丁目 | 1981年2月1日 | 1981年2月1日 | 下貝塚町、大野町1の各一部 | ||
下貝塚三丁目 | 1981年2月1日 | 1981年2月1日 | 下貝塚町、北方町4の各一部 | ||
東国分一丁目 | ひがしこくぶん | 1974年2月1日 | 1974年2月1日 | 曽谷町の一部 | |
東国分二丁目 | 1974年2月1日 | 1974年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
東国分三丁目 | 1974年2月1日 | 1974年2月1日 | 曽谷町の一部 | ||
堀之内一丁目 | ほりのうち | 1996年2月1日 | 1996年2月1日 | 北国分町の一部 | |
堀之内二丁目 | 1996年2月1日 | 1996年2月1日 | 北国分町の一部 | ||
堀之内三丁目 | 1996年2月1日 | 1996年2月1日 | 北国分町の一部 | ||
堀之内四丁目 | 1996年2月1日 | 1996年2月1日 | 北国分町の一部 | ||
堀之内五丁目 | 1996年2月1日 | 1996年2月1日 | 北国分町の一部 | ||
東浜一丁目 | ひがしはま | 年月日 | 未実施 | ||
田尻 | たじり | 1955年3月31日 | 未実施 | ||
田尻一丁目 | たじり | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 鬼高町、田尻、稲荷木の各一部 | |
田尻二丁目 | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 鬼高町、田尻、稲荷木の各一部 | ||
田尻三丁目 | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 鬼高町の一部 | ||
田尻四丁目 | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 鬼高町、田尻の各一部 | ||
田尻五丁目 | 1973年2月1日 | 1973年2月1日 | 田尻、稲荷木、高谷、河原の各一部 | ||
高谷 | こうや | 1955年3月31日 | 未実施 | ||
高谷一丁目 | こうや | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 高谷の一部 | |
高谷二丁目 | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 高谷の一部 | ||
高谷三丁目 | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 高谷の一部 | ||
高谷新町 | こうやしんまち | 年月日 | 未実施 | ||
原木 | ばらき | 1955年3月31日 | 未実施 | ||
原木一丁目 | ばらき | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 原木の一部 | |
原木二丁目 | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 原木、高谷の各一部 | ||
原木三丁目 | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 原木、二俣の各一部 | ||
原木四丁目 | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 原木の一部 | ||
二俣 | ふたまた | 1955年3月31日 | 未実施 | ||
二俣一丁目 | ふたまた | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 二俣、原木の各一部 | |
二俣二丁目 | 1976年4月1日 | 1976年4月1日 | 印内飛地の全部と二俣、二子飛地、本郷飛地の各一部 | ||
二俣新町 | ふたまたしんまち | 年月日 | 未実施 | ||
上妙典 | かみみょうでん | 1955年3月31日 | 未実施 | ||
二子飛地 | ふたごとびち | 1955年3月31日 | 未実施 | ||
本郷飛地 | ほんごうとびち | 1955年3月31日 | 未実施 |
町名 | 町名の読み | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
南大野一丁目 | みなみおおの | 1986年6月1日 | 1986年6月1日 | 下貝塚町の全部と北方町4、奉免町、大野町1、大野町2の各一部 | |
南大野二丁目 | 1986年6月1日 | 1986年6月1日 | 大野町2の一部 | ||
南大野三丁目 | 1986年6月1日 | 1986年6月1日 | 大野町2の一部 | ||
大野町一丁目 | おおのまち | 1951年12月1日 | 未実施 | ||
大野町二丁目 | 1951年12月1日 | 未実施 | |||
大野町三丁目 | 1951年12月1日 | 未実施 | |||
大野町四丁目 | 1951年12月1日 | 未実施 | |||
柏井町一丁目 | かしわいまち | 1951年12月1日 | 未実施 | ||
柏井町二丁目 | 1951年12月1日 | 未実施 | |||
柏井町三丁目 | 1951年12月1日 | 未実施 | |||
柏井町四丁目 | 1951年12月1日 | 未実施 | |||
大町 | おおまち | 1951年12月1日 | 未実施 | ||
奉免町 | ほうめまち | 1951年12月1日 | 未実施 |
町名 | 町名の読み | 町区域新設年月日 | 住居表示実施年月日 | 住居表示実施前の町名等 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
本行徳 | ほんぎょうとく | 年月日 | 1978年4月1日 | の各一部 | |
加藤新田 | かとうしんでん | 年月日 | 未実施 | ||
千鳥町 | ちどりちょう | 年月日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | |
高浜町 | たかはままち | 年月日 | 未実施 | 町名地番整理実施区域 | |
関ヶ島 | せきがしま | 年月日 | 1978年4月1日 | の各一部 | |
伊勢宿 | いせじゅく | 年月日 | 1978年4月1日 | の各一部 | |
下新宿 | しもしんしゅく | 年月日 | 1978年4月1日 | の各一部 | |
河原 | かわら | 年月日 | 1978年4月1日 | の各一部 | |
下妙典 | しもみょうでん | 年月日 | 未実施 | ||
妙典一〜六丁目 | みょうでん | 1978年4月1日(一〜三) | 1978年4月1日 | の各一部 | |
1998年2月1日(四〜六) | 1998年2月1日 | 上妙典、下妙典、富浜1の各一部 | |||
押切 | おしきり | 年月日 | 1978年4月1日 | の各一部 | |
湊 | みなと | 年月日 | 1977年2月1日 | 湊、湊新田の各一部 | |
湊新田 | みなとしんでん | 年月日 | 1977年2月1日 | 湊新田、湊の各一部 | |
湊新田一・二丁目 | みなとしんでん | 年月日 | 1979年5月1日 | 湊新田1・2の各全部 | |
香取一・二丁目 | かんどり | 年月日(一) | 1977年2月1日 | 香取の全部及び香取1、欠真間1の各一部 | |
1979年5月1日 | 香取1のうち住居表示未実施区域の全部 | ||||
年月日(二) | 1979年5月1日 | 香取2の全部 | |||
欠真間一・二丁目 | かけまま | 年月日(一) | 1977年2月1日 | 欠真間、欠真間1の各一部 | |
1979年5月1日 | 欠真間1のうち住居表示未実施区域の全部 | ||||
年月日(二) | 1980年2月1日 | 欠真間2の全部 | |||
相之川一〜四丁目 | あいのかわ | 1977年2月1日(一) | 1977年2月1日 | 相之川、相之川2、欠真間の各一部 | |
1972年12月27日(二〜四) | 1980年2月1日 | 相之川2〜4の各全部 | |||
新井一〜三丁目 | あらい | 1977年2月1日(一) | 1977年2月1日 | 新井、新井2、相之川、広尾1、当代島飛地、島尻の各一部 | |
1972年12月27日(二・三) | 1980年2月1日 | 新井2・3の各全部 | |||
島尻 | しまじり | 年月日 | 1977年2月1日 | 島尻、新井の各一部 | |
広尾一・二丁目 | ひろお | 年月日(一) | 1977年2月1日 | 広尾1、相之川、新井の各一部 | |
1979年5月1日(二) | 1979年5月1日 | 相之川、新井、当代島飛地の各全部及び広尾1のうち住居表示未実施区域の全部 | |||
南行徳一〜四丁目 | みなみぎょうとく | 1972年12月27日 | 1980年2月1日 | 南行徳1〜4の各全部 | |
塩浜一〜四丁目 | しおはま | 年月日 | 年月日 | の各一部 | |
福栄一〜四丁目 | ふくえい | 年月日 | 1979年5月1日 | 福栄1〜4の各全部及び欠真間の一部 | |
行徳駅前一〜四丁目 | ぎょうとくえきまえ | 年月日 | 1979年5月1日 | 行徳駅前1〜4の各全部及び本行徳の一部 | |
新浜一〜三丁目 | にいはま | 年月日 | 年月日 | の各一部 | |
入船 | いりふね | 1979年5月1日 | 1979年5月1日 | 入船町の全部及び本行徳の一部 | |
日之出 | ひので | 1979年5月1日 | 1979年5月1日 | 日之出町の全部 | |
末広一・二丁目 | すえひろ | 年月日 | 1980年2月1日 | 末広1・2の各全部 | |
本塩 | ほんしお | 年月日 | 1978年4月1日 | 住吉1の全部及び本行徳、下新宿、住吉2の各一部 | |
富浜一〜三丁目 | とみはま | 年月日 | 1980年2月1日 | 富浜2・3の各全部及び富浜1の一部 | |
塩焼一〜五丁目 | しおやき | 年月日 | 2000年2月1日 | 塩焼1〜5の各全部及び下妙典の一部 | |
宝一・二丁目 | たから | 年月日 | 1980年2月1日 | 宝1・2の各全部 | |
幸一・二丁目 | さいわい | 年月日 | 1980年2月1日 | 幸1・2の各全部 |
人口
平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減を見ると、1.65%増の481,732人であり、増減率は千葉県下54市町村中11位、60行政区域中14位。
市川市(に相当する地域)の人口の推移
| ||||||||||||||||||||||||||||||||||
総務省統計局 国勢調査より |
人口0人地区
市川市が公表している町丁別世帯人口表によると以下の地区は人口が0人になっている
- 二俣新町
- 塩浜2丁目
- 東国分3丁目
- 千鳥町
- 高浜町
- 新浜3丁目
- 東浜1丁目
- 下妙典
- 田尻(旧番地)
- 1~5丁目には居住者がいる
行政
1997年(平成9年)から行政サービス向上の一環として全国初の仕組みである、あらかじめ市役所に電話で住民票を申請し、午前中申請なら同日午後4時以降、自分の近所の公共施設や消防署、コンビニエンスストア、市内の商店などで住民票が受け取れる「取次所」を設けていた。受け取りの際には、認め印と受取人を確認する4桁の暗証番号が必要となっていた。(このサービスはコンビニエンスストアのマルチコピー機を用いた交付サービスに移行する形で、2010年(平成22年)3月16日正午までの受付分で終了した。)
個人市民税納税者等が納める税のうち、その1%の相当額を自ら任意に希望指名して地域づくりの主体であるボランティア団体やNPOなど、市民の自主的な活動に対してその団体の事業費(運営費を除く)に当てるよう要請することができるという、全国初の1%支援制度(市民活動団体支援制)がある。2005年(平成17年)度に開始され、2007年(平成19年)から3団体まで支援できる団体数を拡大し、納税者以外が地域ポイントも振り当てられるよう条例改正をした。NHKでテレビ放送されたEUハンガリー国のパーセント法がヒントとなっている[20]。
地方自治法第252条の22第1項に定める政令による中核市になる要件を満たしているが、今のところ中核市にはなっていない。
健康都市推進協議会(2003年(平成15年)12月24日発足)により市民(委託された健康都市推進員などによる)と協働で2004年(平成16年)11月にWHO健康都市を宣言し取り組んでいる。2008年(平成20年)10月に健康都市連合国際大会が開催され、「健康都市市川宣言」[21] を採択した。
2009年(平成21年)9月11日 - 市議会は市民の意見も参考に条例改正を可決し、2010年(平成22年)4月から路上などの犬の糞の放置や不始末と空き缶のポイ捨てに過料2,000円を科すとした。これらの過料は日本で初めてとされる[22]。
2010年(平成22年)10月23日-24日 - 市政戦略会議は公募市民を12人含む30人の委員により20事業25項目を対象とした初めての事業仕分けを行った[23]。
市長
歴代市長[25]
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
官選市川市長 | ||||
1 - 3 | 浮谷竹次郎 | 1934年(昭和9年)12月6日 | 1940年(昭和15年)4月28日 | |
4 | 稲内清二 | 1940年(昭和15年)6月11日 | 1941年(昭和16年)10月7日 | |
5 | 林幸司 | 1942年(昭和17年)7月1日 | 1943年(昭和18年)12月5日 | |
6 | 高橋統閭 | 1944年(昭和19年)3月5日 | 1946年(昭和21年)11月11日 | |
公選市川市長 | ||||
7 - 8 | 浮谷竹次郎 | 1947年(昭和22年)4月9日 | 1955年(昭和30年)5月1日 | |
9 | 織田智 | 1955年(昭和30年)5月2日 | 1956年(昭和31年)2月15日 | |
10 - 12 | 浮谷竹次郎 | 1956年(昭和31年)3月25日 | 1964年(昭和39年)12月15日 | |
13 | 浮谷元吉 | 1965年(昭和40年)1月31日 | 1965年(昭和40年)12月12日 | |
14 - 15 | 富川進 | 1966年(昭和41年)1月30日 | 1974年(昭和49年)1月29日 | |
16 | 鈴木忠兵衛 | 1974年(昭和49年)1月30日 | 1977年(昭和52年)12月11日 | |
17 - 21 | 高橋國雄 | 1977年(昭和52年)12月25日 | 1997年(平成9年)12月24日 | |
22 - 24 | 千葉光行 | 1997年(平成9年)12月25日 | 2009年(平成21年)12月24日 | |
25 - 26 | 大久保博 | 2009年(平成21年)12月25日 | 2017年(平成29年)12月24日 | |
27 | 村越祐民 | 2018年(平成30年)4月22日 | 現職 |
財政
財政は豊かであり、地方交付税のうち財源不足の自治体に交付される普通交付税の交付を受けていない。
職員給与が国家公務員よりも高く、2014年の地方公務員給与実態調査の結果によると全国7位であり、ラスパイレス指数(国家公務員の給与を100とした場合の地方公務員の給与水準)は103.4(全国平均は98.6)。職員の採用試験を有料とし、申込みに際して受験料を徴収している。こうした職員採用試験の受験料の徴収について総務省は「自治体が自治体職員採用試験で受験者から受験料を取るのは、地方自治法の規定に違反する。」という見解を出している。地方自治法第二百二十七条は、住民票交付など住民に利益を与える事務では手数料を徴収できると規定しているが、総務省は「自治体職員の採用試験は、自治体のための事務であり徴収はできない。」としている。人事院勧告に従い、市役所職員採用の年齢・学歴などによる制限を事実上撤廃し、59歳まで出願可能とした。
警察・消防
国の施設
- 法務省
- 千葉地方法務局 市川支局
- 財務省
- 東京税関 東京航空貨物出張所
- 厚生労働省
- 国土交通省
- 関東地方整備局 首都国道事務所市川相談所
- 防衛省
- 自衛隊千葉地方協力本部 市川募集案内所
- 宮内庁
- 検察庁
- 国税庁
- 東京国税局 市川税務署
- 特殊法人
- 裁判所
市の施設
- 市川市役所
- メディアパーク市川 - 1994年(平成6年)11月1日開館[26][27]。
- 市川市立図書館 - 蔵書数約110万冊[28]。
- 市川歴史博物館
- 市川考古博物館
- 市川自然博物館 - 1989年(平成元年)10月24日開館[30]。千葉県内初の自然博物館で[31]、開館時には動植物の標本を約2,000点収蔵していた[32]。
- 市川市動植物園 - 市立動物園および植物園。1987年(昭和62年)8月21日開園[33]。流しカワウソが名物。
- 万葉植物園
- 市川市文化会館
- 市川市スポーツセンター(国府台公園内) - 陸上競技場、体育館(道場)、テニスコート、野球場等の総合スポーツセンター。
- 市川市市民プール - 日本水泳連盟公認の50メートルプール、開閉式屋根付きの25メートルプール、流水プール、滑り台付き子どもプール、幼児プール等を完備。
- 市川市クリーンセンター
- 市川市斎場
- 市川市霊園
議会
市議会
- 定数:42名
- 任期:2019年(令和元年)5月2日 - 2023年(令和5年)5月1日
- 議長:岩井清郎(みらい、7期)
- 副議長:松永鉄兵(緑風会、3期)
会派名 | 議席数 | 議員名(◎は代表) |
---|---|---|
創生市川 | 10 | ◎加藤武央、鈴木雅斗、小泉文人、田中幸太郎、松永鉄兵 、稲葉健二、荒木詩郎、松永修巳、金子正、岩井清郎 |
公明党 | 8 | ◎堀越優、久保川隆志、中村よしお西村敦、浅野さち、宮本均、大場諭、松葉雅浩 |
自由民主党 | 5 | ◎佐藤ゆきのり、ほそだ伸一、青山ひろかず、中山幸紀、かいづ勉 |
日本共産党 | 5 | ◎金子貞作、髙坂進、清水みな子、廣田德子、桜井雅人 |
無所属の会 | 5 | ◎越川雅史、長友正徳、増田好秀、湯浅止子、松本のり子 |
新しい流れ | 4 | ◎守屋貴子、石原よしのり、かつまた竜大、佐藤義一 |
清風会 | 3 | ◎竹内清海、石原みさ子、松井努 |
維新の党・花の会 | 2 | ◎三浦一成、片岡きょうこ |
※2015年5月22日現在。
1968年、新潟県三条市と共に日本で初めての児童手当を支給した。
千葉県議会
- 市川市選挙区
- 定数:6名
- 任期:2019年(平成31年)4月30日 - 2023年(令和4年)4月29日
氏名 | 会派名 | 当選回数 |
---|---|---|
守屋貴子 | 立憲民主党千葉県議会議員会 | 2 |
坂下しげき | 自由民主党千葉県議会議員会 | 3 |
鈴木衛 | 自由民主党千葉県議会議員会 | 4 |
赤間正明 | 公明党千葉県議会議員団 | 6 |
プリティ長嶋 | 千葉県民の声 | 3 |
田中幸太郎 | 自由民主党千葉県議会議員団 | 1 |
※2019年4月30日現在。
衆議院
- 任期 : 2017年(平成29年)10月23日 - 2021年(令和3年)10月22日(「第48回衆議院議員総選挙」参照)
選挙区 | 議員名 | 党派名 | 当選回数 | 備考 |
---|---|---|---|---|
千葉県第5区(市川市の一部、浦安市) | 薗浦健太郎 | 自由民主党 | 4 | 選挙区 |
千葉県第6区(市川市の一部、松戸市) | 渡辺博道 | 自由民主党 | 7 | 選挙区 |
生方幸夫 | 立憲民主党 | 6 | 比例復活 |
経済
産業
1993年(平成5年)時点で地理学者の森本健弘によれば、市川市は不耕作農地率が関東地方の大都市周辺部では高いが、集約的な農業的土地利用がなされている[34]。2006年(平成18年)の千葉県青果物生産出荷統計によれば、梨の生産高・産出額は千葉県内第1位[35]。千葉県における梨栽培発祥の地(1769年に川上善六が創始)でもある[36]。「市川のなし」と「市川の梨」が2007年(平成19年)8月地域団体商標に登録された。
農業協同組合
- 市川市農業協同組合(都市型農協本店)
第1種漁港
- 市川漁港(いちかわ - )
その他
- 行徳漁港(ぎょうとく - )
本社・本店を置く企業
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拠点
- 山崎製パン 総合クリエイションセンター - 中央研究所、総合研修所、飯島藤十郎社主記念LLCホール、並びに宿泊施設を備えた食の最先端技術と文化創造の拠点。
- TDK テクニカルセンター - グローバルR&Dの拠点。
- アマゾンジャパン 市川フルフィルメントセンター(市川FC) - 配送拠点。
- 楽天 RFC市川Ⅰ・RFC市川Ⅱ - 配送拠点。
事業所
- NTTロジスコ 千葉物流センター
- ジェイアール東日本物流
- 総合研修センター
- 京葉流通センター
- クボタ 市川工場
- 日本製鉄 塗装・構造部材研究所
- フジパン 千葉工場
発祥・創業
- 山崎製パン - 1948年(昭和23年)市川市で創業。現在、JR市川駅前には直営店のヤマザキプラザ市川などが入っている創業35周年記念の「サンプラザ35ビル」が建っており、その近隣には、山崎製パングループの福利厚生施設であり一般利用ができるビジネスホテル・観光ホテルとしての客室を備えた「山崎製パン企業年金基金会館」が建っている。
- サイゼリヤ - 1973年(昭和48年)市川市で創業。現在、八幡の1号店は記念館として保存されている。
- ユニデンホールディングス - 1966年(昭和41年)ユニ電子産業として市川市で創業。
商業施設
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ニッケコルトンプラザ
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パティオ本八幡
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イオン市川妙典店2番街
金融機関
市川市に本店・支店を置く金融機関一覧(店名省略、本店・本社は太字)。
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朝日信用金庫 行徳駅前支店
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三井住友銀行 行徳支店
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三菱UFJ銀行 行徳支店
姉妹都市・提携都市
日本国外
地域
地区
郵便局
郵便番号は272である。
電話番号
市外局番は047。
住宅団地
- 市川真間団地(市川 市街地住宅 賃貸51、1963年(昭和38年))
- 市川中山団地(旧日本住宅公団、1965年(昭和40年))
- 姫宮団地
- クレストシティタワーズ浦安リバータワー(名称に浦安と入るが市川市島尻に所在する。)
再開発事業
再開発事業により超高層マンションが多く林立している。
本八幡駅北口地区
- 本八幡キャピタルタワー(1999年(平成11年)11月竣工、地上24階地下2階。市川市初の高層ビル。)
- プリームスクエア本八幡(2003年(平成15年)2月竣工、地上24階地下2階。)
- ガレリア・サーラ(2009年(平成21年)3月竣工、地上34階地下2階。市川市初の優良建築物等整備事業[38]。)
- グランドターミナルタワー本八幡(2013年(平成25年)5月竣工、地上40階地下2階[39]。)
市川駅南口地区
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I-linkタウンいちかわザ・タワーズウエスト プレミアレジデンス
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ガレリア・サーラ
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グランドターミナルタワー本八幡
宿泊施設
- 山崎製パン企業年金基金会館
- 市川グランドホテル
- ジェイホテル本八幡
放送
協会・団体
医療
健康都市連合に加盟しており、2008年10月、市川市において第3回健康都市連合国際大会が開催され、WHO憲章の精神を尊重した「健康都市いちかわ」宣言が行われた[40]。
二次医療圏(二次保健医療圏)としては東葛南部医療圏(管轄区域:鎌ヶ谷市と葛南地域)である[41]。三次医療圏は千葉県医療圏(管轄区域:千葉県全域)。
- 市内の医療機関(二次医療圏)
- 市内の医療機関(一次医療圏)
- 緊急指定病院
- 国立国際医療研究センター国府台病院
- 市川東病院
- 一条会病院
- 大野中央病院
- 大村病院
- 行徳総合病院
- その他の病院
- 安藤病院
- 市川市リハビリテ-ション病院
- 行徳中央病院
- 国際医療福祉大学市川病院(旧化学療法研究所附属病院)
- 式場病院
- 中山病院
- 緊急指定病院
- 市外の医療機関(二次医療圏)
- 順天堂大学医学部附属浦安病院(浦安市、災害拠点病院・救命救急センター)
- 東京ベイ・浦安市川医療センター(浦安市、災害拠点病院・救急基幹センター)
- 船橋市立医療センター(船橋市、災害拠点病院・救命救急センター)
- 東京女子医科大学八千代医療センター(八千代市、災害拠点病院・救命救急センター)
- 千葉県済生会習志野病院(習志野市、災害拠点病院)
文化
市の歌
- 市川市歌
- 1949年(昭和24年)制定。歌詞は公募による。
- 市川賛歌
教育
大学
高等学校
- 市川高等学校(※中高併設)
- 昭和学院高等学校(※中高併設)
- 不二女子高等学校
- 日出学園高等学校(※中高併設)
- 国府台女子学院高等部(※中高併設)
- 和洋国府台女子高等学校(※中高併設)
- 千葉商科大学付属高等学校
中学校
- 市川中学校(※中高併設)
- 昭和学院中学校(※中高併設)
- 日出学園中学校(※中高併設)
- 国府台女子学院中学部(※中高併設)
- 和洋国府台女子中学校(※中高併設)
-
昭和学院中学校・高等学校
-
国府台女子学院中学部・高等部
-
日出学園中学校・高等学校
小学校
学校法人
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スポーツ
子供会活動を通じて行われたキックベースボールの発祥の地でもある。
スポーツ施設
交通
鉄道
東京23区外では唯一、東京の地下鉄2社(東京地下鉄と東京都交通局)の路線を有している[注 4]。また、東京の地下鉄2社(東京地下鉄と東京都交通局)の路線の内、地下路線および地下駅を有しているのも東京23区外で唯一である[注 5]。
中心となる駅:JR市川駅
市役所の最寄り駅:本八幡駅(JR、東京都営地下鉄)・京成八幡駅
- JTB時刻表では市川駅が中心駅と記載されているが、本八幡駅・京成八幡駅と分け合う形である。
東日本旅客鉄道(JR東日本)
東京地下鉄(東京メトロ)
- 新宿線
- 本八幡駅
鉄道施設
- 深川検車区行徳分室(東京メトロ)
道路
市内には狭く入り組んでいる路地が多い。2018年(平成30年)6月2日に開通した国道298号および東京外環自動車道により、弱点であった南北間の交通の便が向上した。3つのジャンクション(高谷・京葉・北千葉)を有する交通の要衝となっている。
バス路線
- 京成バス
- 京成バスシステム
- 京成トランジットバス
- 東京ベイシティ交通
- 市川市コミュニティバス
- 羽田空港リムジンバス
空港
近隣の空港として千葉県成田市の成田国際空港(成田空港)または東京都大田区の東京国際空港(羽田空港)が最寄りとなる。
成田国際空港
詳細は成田国際空港へのアクセス、最小乗換数は【】内を参照。
- 鉄道路線
- 【乗換0】JR東日本 - 総武快速線(成田線直通)にて市川駅 - 空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)・成田空港駅(成田第1ターミナル)にアクセス可能である。
- 【乗換0】京成電鉄 - 京成本線にて市内各駅 - 空港第2ビル駅(成田第2・第3ターミナル)・成田空港駅(成田第1ターミナル)にアクセス可能である。
東京国際空港
詳細は東京国際空港へのアクセス、最小乗換数は【】内を参照。
- 鉄道路線
- 【乗換1】JR東日本 - 総武快速線(横須賀線直通)にて市川駅 - 品川駅(京急本線(京急空港線直通)へ乗換)- 羽田空港第3ターミナル駅・羽田空港第1・第2ターミナル駅にアクセス可能である。
- 【乗換1】JR東日本 - 総武緩行線にて市内各駅 - 浅草橋駅(都営浅草線(京急本線・空港線直通)へ乗換)- 羽田空港第3ターミナル駅・羽田空港第1・第2ターミナル駅にアクセス可能である。
- 【乗換1】都営地下鉄 - 新宿線にて本八幡駅 - 馬喰横山駅(都営浅草線(京急本線・空港線直通)へ乗換)- 羽田空港第3ターミナル駅・羽田空港第1・第2ターミナル駅にアクセス可能である。
- 【乗換0】京成電鉄 - 京成本線(京成押上線・都営浅草線・京急本線・空港線直通)にて京成八幡駅 - 羽田空港第1・第2ターミナル駅・羽田空港第3ターミナル駅にアクセス可能である。
- バス路線
港湾
かつて江戸時代から大正時代にかけて江戸日本橋と下総国行徳を結んだ行徳船が運行していた。
- 千葉港(葛南港区)
- 葛南中央地区
- 葛南西部地区
名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
名所・旧跡
神社
- 大野天満宮
- 葛飾八幡宮 - 武神であることから平将門、源頼朝、太田道灌、徳川家康など多くの関東武士の信仰を集めた。斎藤月岑の江戸名所図会に描かれている。
- 天満天神宮
- 白幡天神社
- 六所神社(下総総社跡)
- 国分日枝神社
- ニッケ鎮守の杜・おりひめ神社(ニッケコルトンプラザ内)
-
葛飾八幡宮(紅葉)
-
国分日枝神社
-
おりひめ神社
寺院
- 安養寺
- 円福寺
- 亀井院
- 弘法寺 - 歌川広重の名所江戸百景にこちらから望む手児奈霊神堂と真間の継橋が描かれている。
- 伏姫桜 - 推定樹齢400年。
- 下総国分寺
- 下総国分寺跡 - 国の史跡。
- 下総国分尼寺跡 - 国の史跡。
- 唱行寺
- 浄光院
- 總寧寺
- 手児奈霊神堂 - 万葉集に詠まれる絶世の美女手児奈を祀っている。歌川広重の名所江戸百景に弘法寺から見た風景が真間の継橋と共に描かれている。
- 徳願寺
- 法伝寺
- 法華経寺 - 国宝2件、国の重要文化財6件を有する。
- 本光寺
- 妙行寺
- 了極寺
礼拝堂
旧跡
- 姥山貝塚 - 国の史跡。
- 曾谷貝塚 - 国の史跡。
- 堀之内貝塚 - 国の史跡。
- 法皇塚古墳
- 大野城跡
- 国府台城跡(里見公園)
- 真間の継橋(日本百名橋番外)
- 八幡の藪知らず - 足を踏み入れると二度と出てこられなくなるという神隠しの伝承や慣用句としても有名。斎藤月岑の江戸名所図会に描かれている。
- 千葉県血清研究所建物跡 - 明治37年以前の建設と推測される旧陸軍の赤レンガの建物が残る。市民や学者などから保存を求める運動が起こり「赤レンガを守る会」が県に保存を要望している。
- 文学の散歩道[43]
観光スポット
- I-linkタウン展望施設 - 一般開放されている展望施設。日本の夜景100選[2]や日本夜景遺産[3](施設型夜景遺産)にも選ばれており、東京スカイツリーや富士山、ディズニーリゾートなどが見渡せる[4]。
博物館
- 千葉県立現代産業科学館
- 市川歴史博物館 - 市の施設。
- 市川考古博物館 - 市の施設。
- 市川自然博物館 - 市の施設。1989年(平成元年)10月24日開館[30]。千葉県内初の自然博物館で[31]、開館時には動植物の標本を約2,000点収蔵していた[32]。
- 市川市動植物園 - 市立動物園および植物園。1987年(昭和62年)8月21日開園[33]。流しカワウソが名物。
- 万葉植物園 - 市の施設。
- 市川市東山魁夷記念館
- 木内ギャラリー - 木内重四郎の別邸の一部である洋館を復元したもの[44]
- 式場病院 - 日本で最初の庭園式精神科病院。バラ園で有名。
-
市立市川考古博物館
-
木内ギャラリー
自然・公園
- 宮内庁新浜鴨場 - 宮内庁が管理する伝統的な狩猟を行う場所。皇太子徳仁親王が皇太子徳仁親王妃雅子に求婚した場所でもある。
- 市川野鳥の楽園(行徳近郊緑地・行徳鳥獣保護区)
- 国分川調節池
- 大柏川第一調節池緑地
- 大柏川ビジターセンター
- 野鳥観察場
- 三番瀬 - 浦安市から習志野市にかけて広がる干潟。
- 里見公園 - 国府台城の跡地
- じゅん菜池緑地
- 大町公園
- 行徳駅前公園
- 常夜灯公園
-
大町公園
娯楽施設
-
大慶園(カート場)
温泉・入浴施設
名産品
祭事・催事
- 市川市民納涼花火大会 - 1985年(昭和60年)から毎年7月下旬から8月上旬に江戸川河川敷で開催される。同一の大会を対岸の東京都江戸川区では「江戸川区花火大会」と呼ぶ。2009年には、合計人手人数が139万人を超え、花火大会としては日本一の観客動員数を記録した。
- 手児奈太鼓 - 弘法寺を活動拠点とする女性だけの創作和太鼓集団。地域に根付いた祭りを中心に、各方面で演奏活動を行っている。
- 国分川鯉のぼりフェスティバル
文化財
- 市内の国宝一覧
番号 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 典籍 | 観心本尊抄 附 添状1巻 春日山蒔絵筥 1合 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 昭和27年3月29日 | 文永十年卯月廿五日奥書 |
2 | 〃 | 立正安国論 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 昭和27年3月29日 | 文永六年十二月八日書写奥書 |
- 市内の重要文化財(国指定)一覧
番号 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 建造物 | 法華経寺五重塔 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 大正5年5月24日 | 元和8年建立 |
2 | 〃 | 法華経寺法華堂 附 棟札5枚 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 大正5年5月24日 | 室町時代後期 |
3 | 〃 | 法華経寺四足門 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 大正5年5月24日 | 室町時代後期 |
4 | 〃 | 法華経寺祖師堂 附 棟札11枚 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 大正5年5月24日 | 延宝6年建立 |
5 | 絵画 | 絹本著色十六羅漢像 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 明治37年2月18日 | 元時代 |
6 | 〃 | 絹本著色日蓮聖人像 | 中山三丁目10番4号 | 浄光院 | 昭和27年7月19日 | 鎌倉時代 |
7 | 古文書 | 日蓮自筆遺文 附 蒔絵聖教箱2合 | 中山二丁目10番1号 | 法華経寺 | 昭和42年6月15日 | 鎌倉時代 |
- 市内の史跡(国指定)一覧
番号 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 指定年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 史跡 | 堀之内貝塚 | 堀之内二丁目2899番地他 | 市川市・他 | 昭和39年7月6日 | 縄文時代後期・晩期。馬蹄形貝塚。 |
2 | 〃 | 姥山貝塚 | 柏井町1195番地他 | 市川市 | 昭和42年8月17日 | 縄文時代中期及び後期。 |
3 | 〃 | 下総国分寺跡 | 国分三丁目20番1号他 | 国分寺・他 | 昭和42年12月27日 | 法隆寺式伽藍配置 |
4 | 〃 | 下総国分尼寺跡 | 国分四丁目17番1号他 | 市川市・他 | 昭和42年12月27日 | 無し |
5 | 〃 | 曽谷貝塚 | 曽谷二丁目438番地1他 | 市川市・他 | 昭和54年12月22日 | 縄文時代後期。大規模な馬蹄形貝塚。 |
- 市内の登録有形文化財一覧
番号 | 種別 | 名称 | 所在地 | 所有者又は管理者 | 登録年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 建造物 | 西洋館倶楽部(渡辺家住宅) | 新田 | 個人 | 平成11年7月8日 | 昭和2年竣工。木造3階建。 |
- 市内の千葉県指定文化財は千葉県指定文化財一覧を参照のこと。
- 市川市指定文化財は市川市指定文化財一覧を参照のこと。
出身有名人
政治・経済
文学・芸術
芸能
音楽
キャスター・アナウンサー・記者
|
俳優・タレント
文化人 |
スポーツ
相撲
格闘技・レスリング |
レーサー
野球
サッカー
|
その他
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市川に由縁がある著名人
政治・経済
学者・宗教家
文学・芸術
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芸能
俳優・タレント
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音楽
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スポーツ
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市川市を舞台・ロケ地とした作品
絵画 | 漫画
アニメ テレビドラマ
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脚注
注釈
- ^ a b 例として、東京メトロ東西線で大手町駅から南行徳駅まで営業距離13.3キロメートル、JR総武本線で東京駅から市川駅まで営業距離15.4キロメートル、JR京葉線で東京駅から市川塩浜駅まで営業距離18.2キロメートル、国道14号で日本橋から市川橋まで約14.5キロメートル、高速道路で首都高速都心環状線江戸橋JCTから京葉道路京葉市川ICまで14.6キロメートル。
- ^ 神田、日本橋、京橋、本所、深川、柳橋、浅草橋の7地区は東京下町に含まれるが、神田・日本橋、京橋は東京都心にも含まれる。詳細は下町、都心を参照。
- ^ ただし、市川宿を数えずに新宿の次とする説もある
- ^ 東京23区内でも世田谷区及び葛飾区は、東京の地下鉄2社(東京地下鉄と東京都交通局)の路線を有していない。
- ^ 都営新宿線の市川市区間は全線地下路線であり、都営地下鉄本八幡駅も地下駅であるのに対し、東京23区及び市川市以外で東京地下鉄の路線を有している船橋市、浦安市、和光市を走る地下鉄区間は、いずれも地上路線及び地上駅である。
出典
- ^ “日本支部会員名簿 - 健康都市連合日本支部”. japanchapter.alliance-healthycities.com. 2019年5月18日閲覧。
- ^ 千葉県市川市
- ^ a b 【市川】国府が置かれ行政・文化の中心地として栄えた、市川の歴史を訪ねて歩く 2020年2月4日閲覧。
- ^ a b 【市川】「東の鎌倉」国府台、菅野には自然と文化と歴史が溢れていた 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
- ^ 【船橋】戦前の高級住宅地と娯楽の殿堂〜海神、花輪台、三田浜楽園 住まいの「本当」と「今」を伝える情報サイト【LIFULL HOME'S PRESS】
- ^ a b 本八幡、交通至便、歴史ある市川市の中心地
- ^ 国土交通省地価公示・都道府県地価調査
- ^ 千葉県公示地価1_3%上昇 商業地・住宅地上げ幅拡大 日本経済新聞
- ^ 短編小説『遠乗会』新潮文庫「花ざかりの森・憂国」所収
- ^ “4:軍隊の町から文教エリアへ ~ 市川・浦安 | このまちアーカイブス | 不動産購入・不動産売却なら三井住友トラスト不動産”. smtrc.jp. 2019年5月8日閲覧。
- ^ “千葉の鎌倉!「発展し続ける文化都市 市川市」を公開!”. japan.cnet.com. 2019年5月8日閲覧。
- ^ 『散歩の達人』(交通新聞社)2009年1月号に記載。『出没アド街ック天国』~市川・本八幡編~(テレビ東京)2016年(平成28年)9月10日放映分、これは現在もネット上で、テレビ東京の作った「千葉の鎌倉」という文字の記録が確認できる。
- ^ 『千葉県の地名』下総国分寺跡・下総国分尼寺跡項。
- ^ a b 国分尼寺跡公園説明板。
- ^ 下総国分尼寺跡(市川市ホームページ)。
- ^ 「真間の紅葉の名所・弘法寺から、手古那の社と継橋を望む」の意。継橋(つぎはし)は万葉集にも歌われる「真間の継橋」のことで、霊神堂南西方に現存する。なお、この構図は南を望んでいるはずなので、実際には遠方に山(筑波山?)は見えない。
- ^ “東葛飾・葛南地域4市政令指定都市研究会”. 2008年12月22日閲覧。
- ^ 市川市勢総攬
- ^ 「広報いちかわ」1500号より
- ^ 茶野順子. “パーセント法基礎講座”. 笹川平和財団. 2009年10月13日閲覧。
- ^ “健康都市市川宣言” (PDF). 市川市 (2008年10月25日). 2008年12月22日閲覧。
- ^ 読売新聞2009年9月12日13S版31面
- ^ 広報いちかわ2010年12月18日No.1407、4・5面
- ^ 市川市|プロフィール
- ^ 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。『朝日新聞』。
- ^ “図書館など4つの機能「メデイアパーク市川」 きょうオープン 市民の生涯学習の拠点”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 16. (1994年11月1日)
- ^ “メディアパーク開館 教育、文化5施設が同居 市川”. 読売新聞 (読売新聞社): pp. 朝刊 30. (1994年11月2日)
- ^ 市川市立図書館|市川市立図書館利用案内
- ^ “待望の行徳図書館が完成 市川市 装い新たにあすオープン”. 千葉日報 (千葉日報社): p. [要ページ番号]. (1989年4月14日)
- ^ a b “身近な自然、再認識 二十四日オープンした市川自然博物館の初代館長 作田修二さん”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 27. (1989年10月29日)
- ^ a b “市川に県内初の自然博物館が誕生 身近な自然を再発見 24日からオープン”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 5. (1989年10月22日)
- ^ a b “自然博物館が完成 24日オープン 動植物標本が2千点 市川”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 29. (1989年10月20日)
- ^ a b “豊かな緑、ふれあいの場 「市川市動植物園」オープンきょうから一般公開”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 11. (1987年8月21日)
- ^ 森本健弘(1993年)"千葉県市川市柏井町四丁目における不耕作農地の形成と農業経営"地理学評論Ser. A(日本地理学会).66(9):515-539.(517ページより)
- ^ 林容史"東京新聞:放射性物質未検出「市川の梨」出荷へ 吉報に市長ら初物味わう[リンク切れ]"東京新聞、2011年7月30日(2011年8月8日閲覧。)
- ^ 千葉県"梨「ちば旬鮮図鑑」 Archived 2013年10月8日, at the Wayback Machine."(2011年8月8日閲覧。)
- ^ “永遠の友好を誓う 姉妹都市の調印 メダン市(インドネシア)と市川市”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 13. (1989年11月5日)
- ^ 優良建築物等整備事業とは、国土交通省
- ^ 地上41階建てで約370戸の住宅が入る共同施設の建設(平成20年度着工予定) 店舗、業務、住宅の用途
- ^ “健康都市市川宣言” (PDF). 市川市 (2008年10月25日). 2009年1月2日閲覧。
- ^ a b 千葉県. “千葉県保健医療計画(平成30年度~平成35年度)”. 千葉県. 2019年6月14日閲覧。
- ^ 千葉県. “災害拠点病院の指定について”. 千葉県. 2019年6月14日閲覧。
- ^ 文学の散歩道
- ^ 施設案内木内ギャラリー
- ^ “坪井東三井不動産前会長死去”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 1. (1996年7月7日)
- ^ 公式サイトより"PROFILE"
- ^ 2012年8月24日発売『前田敦子 AKB48卒業記念フォトブック『あっちゃん』』(講談社)P.18。
- ^ “故渡辺二郎氏の蔵書寄贈 妻、邦美さん 中央図書館に 市川市ゆかりの哲学者”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 10. (2012年7月20日)
- ^ 田島英三 (1995). ある原子物理学者の生涯. 東京: 新人物往来社. ISBN 4-404-02208-5
- ^ “ご存じですか 亀井院”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 15. (1993年12月1日)
- ^ “房総の作家 井上ひさし1 市川国分町に住む”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 8. (2008年4月24日)
- ^ “房総の作家 井上ひさし5 北国分寺一丁目に住む”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 8. (2008年6月26日)
- ^ “市川市文化振興財団 井上ひさしさん新理事長に就任”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 1. (2004年7月2日)
- ^ “市川の偉大な文化人 井上ひさし氏が死去 20年間在住、文化振興財団の理事長も”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 1,15,18. (2010年4月13日)
- ^ “くまの子ウーフ挿絵 井上洋介さんが死去 84歳、市川在住”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 18. (2016年2月5日)
- ^ “東山魁夷画伯、故浮谷竹次郎初代市長 市川名誉市長第1号に”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 11. (1988年12月16日)
- ^ “「東山魁夷記念館」整備にめど 自宅、アトリエ譲渡へ市川市と遺族合意”. 千葉日報 (千葉日報社): pp. 朝刊 16. (2003年12月16日)
- ^ 第二の故郷、千葉・市川で「さだまさし展」 青春の20年過ごした当時の部屋再現(産経新聞 2015年6月5日 2020年10月20日閲覧)
関連項目
外部リンク
- 行政
- 観光
松戸市 | 鎌ケ谷市 | |||
東京都江戸川区 | 船橋市 | |||
市川市 | ||||
浦安市 | (東京湾) |