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大多喜町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
おおたきまち ウィキデータを編集
大多喜町
大多喜町旗 大多喜町章
大多喜町旗 大多喜町章
1958年1月15日に制定
日本の旗 日本
地方 関東地方
都道府県 千葉県
夷隅郡
市町村コード 12441-9
法人番号 5000020124419 ウィキデータを編集
面積 129.87km2
総人口 8,106[編集]
推計人口、2024年11月1日)
人口密度 62.4人/km2
隣接自治体 市原市君津市勝浦市鴨川市いすみ市長生郡睦沢町長南町
町の木 サクラ
キャッチフレーズ:城と渓谷の町
大多喜町役場
町長 平林昇
所在地 298-0292
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜93
北緯35度17分07秒 東経140度14分44秒 / 北緯35.28517度 東経140.24542度 / 35.28517; 140.24542座標: 北緯35度17分07秒 東経140度14分44秒 / 北緯35.28517度 東経140.24542度 / 35.28517; 140.24542
外部リンク 公式ウェブサイト

大多喜町位置図

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村

地図
ウィキプロジェクト
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大多喜町観光本陣

大多喜町(おおたきまち)は、千葉県の南部に位置し、夷隅郡に属する

古くから城下町として栄え、大多喜城徳川四天王の1人、本多忠勝が城主であったことでも知られる。

また、その風土が漫画家つげ義春白土三平らに強いインスピレーションを与え、『』『初茸がり』『紅い花』 『西部田村事件』など数々の作品を生み出したことでも知られる[1]

地理

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地勢

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千葉県南部に位置し、県庁所在地である千葉市から約35キロメートルの距離である。東京都都心から60 - 70キロメートル圏内である。なお、東京都(特に東京国際空港(羽田空港)や神奈川県からは東京湾アクアライン若しくは東京湾フェリーを利用した場合が移動距離の短縮となる[2]

房総丘陵(丘陵地帯)の中に位置し、森林が面積の約70%を占める、太平洋側(外房)・南総上総国)の町。南西部は山勝ちで北東に向かうに従い標高は低くなっている。主な河川である夷隅川は北東に蛇行しながら流れ、養老川は西部を北に流れる。

市域

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千葉県の町村で最も広大な面積を持つ。

  • 東西約12キロメートル
  • 南北約19キロメートル

地区

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  • 上瀑地区 - 横山、下大多喜、小土呂
  • 大多喜地区 - 森宮、船子、紺屋、田丁、泉水、猿稲、久保、桜台、新丁、大多喜、柳原、上原、西部田、上原西部田柳原入会
  • 総元地区 - 小谷松、八声、部田、大戸、堀之内、石神、久我原、三又、黒原
  • 西畑地区 - 笛倉、小内、馬場内、原内、押沼、百鉾、宇筒原、平沢、川畑、弥喜用、湯倉、小苗、紙敷、松尾、庄司、中野、市川、板谷、堀切、三条、田代、弓木、伊保田
  • 老川地区 - 小田代、葛藤、大田代、筒森、面白、小沢又、粟又、会所

気候

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年間平均気温は15℃前後。内陸部に位置するため内陸性気候に近い。冬期は最低気温が氷点下に達する日もあり周辺沿岸部が雨の時も町内は雪の場合が多い。年間平均雨量は2200ミリメートル程度。

大多喜(1991年 - 2020年)の気候
1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
降水量 mm (inch) 114.2
(4.496)
102.8
(4.047)
205.4
(8.087)
193.0
(7.598)
190.5
(7.5)
235.1
(9.256)
178.7
(7.035)
131.6
(5.181)
280.0
(11.024)
332.2
(13.079)
155.8
(6.134)
103.9
(4.091)
2,223
(87.52)
平均降水日数 (≥1.0 mm) 7.2 7.6 11.9 11.5 11.0 12.2 10.6 7.3 12.5 12.6 9.7 7.2 121.2
出典1:Japan Meteorological Agency
出典2:気象庁[3]

主な河川

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主な山岳

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ダム

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歴史

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合併前

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大多喜地域は戦国時代から城下町として繁栄した。応仁の乱以後守護大名が台頭し、長南の武田氏、万木の土岐氏、小浜の槍田氏安房里見氏がこの地方で衝突していた。小田喜根古屋城1544年天文13年)武田氏から里見氏の武将正木時茂が取って代わり、里見氏の支配を受けた。1590年天正18年)徳川四天王の1人本多忠勝が10万石を与えられ約11年間領知した。忠勝は里見氏に備えてを整え、城下町の整備、六斎市の開市を企てた。本多氏以後たびたび城主が替わり、1703年元禄16年)から松平氏が9代続いたが、大多喜地域の大部分が他藩領、旗本知行地として支配を受けた。明治維新により大多喜県木更津県千葉県と行政区画が変遷し1889年(明治22年)老川村西畑村総元村上瀑村、旧・大多喜町が誕生した。

1935年(昭和10年)5月、大多喜町で建設が進められていた宮田製作所の自転車工場が一部完成。フレームの生産等を始める。工場の動力は地域産の天然ガスが使用された[4]

大多喜地域は次第に衰退し財政力が豊かではなかった。そこで、町村規模の適正化、福祉の推進、地方自治の発展、行財政の強化のため旧5町村が町村合併促進法により合併し、現在の大多喜町が誕生した。

合併後

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行政区域変遷

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  • 変遷の年表
大多喜町町域の変遷(年表)
月日 現大多喜町町域に関連する行政区域変遷
1889年(明治22年) 4月1日 町村制施行により、以下の町村がそれぞれ発足が発足。[6][7]
  • 大多喜町 ← 大多喜村・大多喜柳原町・大多喜新町・大多喜桜台町・大多喜久保町・大多喜猿稲町・
大多喜田町・大多喜紺屋町・西部田村・上原村・船子村・森宮村・泉水村と
横山村・正立寺村の各飛地と上原村外二町村入会地
  • 総元村 ← 黒原村・三又村・久我原村・石神村・大戸村・堀之内村・部田村・八声村・小谷松村
  • 西畑村 ← 伊保田村・板屋村・市川村・中野村・堀切村・三条村・田代村・弓木村・平沢村・宇筒原村・
押沼村・笛倉村・川畑村・馬場村・原内村・小内村・小苗村・湯倉村・紙敷村・松尾村・
庄司村・弥喜用村・百鉾村
  • 上瀑村 ← 下大多喜村・小土呂村・横山村・葛藤村
  • 老川村 ← 葛藤村・小田代村・筒森村・大田代村・面白村・小沢又村・粟又村
1954年(昭和29年) 10月5日 大多喜町・総元村・西畑村・上瀑村・老川村が合併し大多喜町が発足。
  • 変遷表
大多喜町町域の変遷表
1868年
以前
明治元年 - 明治22年 明治22年
4月1日
明治22年 - 昭和19年 昭和20年 - 昭和64年 平成元年 - 現在 現在
明治5年
大多喜村
大多喜町 大多喜町 昭和29年10月5日
大多喜町
大多喜町 大多喜町
柳原町 明治5年
大多喜柳原町
新町 明治5年
大多喜新町
桜台町 明治5年
大多喜桜台町
久保町 明治5年
大多喜久保町
猿稲町 明治5年
大多喜猿稲町
田町 明治5年
大多喜田町
紺屋町 明治5年
大多喜紺屋町
西部田村
上原村
船子村
森宮村
泉水村
黒原村 総元村 総元村
三又村
久我原村
石神村
大戸村
堀之内村
部田村
八声村
  小谷松村 明治7年
小谷松村
  桜谷村
伊保田村 西畑村 西畑村
板屋村
市川村
中野村
堀切村
三条村
田代村
弓木村
平沢村
宇筒原村
押沼村
笛倉村
  川安戸村 明治9年
川畑村
  南畑村
馬場村
原内村
小内村
小苗村
湯倉村
紙敷村
松尾村
庄司村
弥喜用村
百鉾村
下大多喜村 上瀑村 上瀑村
小土呂村
横山村
葛藤村 老川村 老川村
小田代村
筒森村
大田代村
面白村
小沢又村
粟又村

人口

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平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、7.76%減の9,843人であり、増減率は千葉県下54市町村中47位、60行政区域中53位。

大多喜町と全国の年齢別人口分布(2005年) 大多喜町の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 大多喜町
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
大多喜町(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 14,620人
1975年(昭和50年) 13,932人
1980年(昭和55年) 13,612人
1985年(昭和60年) 13,391人
1990年(平成2年) 13,218人
1995年(平成7年) 12,678人
2000年(平成12年) 12,121人
2005年(平成17年) 11,514人
2010年(平成22年) 10,671人
2015年(平成27年) 9,843人
2020年(令和2年) 8,885人
総務省統計局 国勢調査より


行政

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町長

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警察・消防・司法

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消防本部・大多喜分署

立法

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県政

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国政

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経済

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いすみ鉄道本社

第一次産業農業林業が盛んである。

南関東ガス田に位置することから1891年には、日本初のガス井が掘削されるなど古くから天然ガスの開発が行われてきた。現在では、町内において関東天然瓦斯開発大多喜ガスなどが事業を実施中。

本社を置く企業

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姉妹都市・提携都市

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日本国内

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1995年10月1日友好交流協定、防災相互応援協定を結んだ。

日本国外

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1978年8月3日姉妹都市として提携。1609年慶長14年)ドン・ロドリゴ総督 の一行がフィリピンからメキシコへの帰途に、大暴風の為、房総の御宿海岸に座礁難破した。地元の漁民達に助けられ、時の大多喜城主本多忠朝(本多忠勝の次男)がこれら一行を歓待し、幕府帆船を用意してメキシコへ送還した事から日本とメキシコとの交流が始まった。現在も、大多喜城まつりにおけるメキシコ関係者の招待や各種行事への相互の参加が多くなってきている。

地域

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施設

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病院

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大多喜病院

公共施設

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  • 中央公民館
  • 町立大多喜図書館天賞文庫
  • 海洋センター
  • 総合運動公園
  • 老人福祉センター
  • 特別養護老人ホーム

宿泊施設

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養老渓谷温泉があるため、町内には宿が十数件ある。

旅館
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教育

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大学

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高等学校

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中学校

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小学校

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  • 大多喜町立西小学校(西畑・老川地区)
  • 大多喜町立大多喜小学校(大多喜・総元・上瀑地区)

専門学校

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交通

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鉄道路線

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大多喜駅(いすみ鉄道)
大多喜駅(いすみ鉄道)
上総中野駅(いすみ鉄道・小湊鉄道)
上総中野駅(いすみ鉄道・小湊鉄道)

中心となる駅:大多喜駅

いすみ鉄道
小湊鉄道

バス路線

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高速バス

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勝浦 - たけゆらの里 - 大多喜 ⇔ 市原鶴舞BTバスターミナル東京八重洲東京湾アクアライン経由)
◆市原鶴舞BTで羽田空港・横浜行高速バスに乗り換えができる。

一般路線バス

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道路

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道の駅たけゆらの里おおたき

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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名所・旧跡・観光スポット

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温泉

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祭事・行事

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  • 大多喜城さくらまつり
  • お城まつり
  • 養老渓谷もみじまつり

百選

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文化財

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国・県指定および国登録文化財一覧[8]

番号 指定・登録 類別 名称 所在地 所有者または管理者 指定年月日 備考
1 国指定 重要文化財(建造物) 渡辺家住宅 夷隅郡大多喜町久保 個人 昭和44年6月20日 1棟
2 重要文化財(工芸品) 大薙刀 無銘伝法城寺 県立中央博物館大多喜城分館 千葉県 昭和34年6月27日 1口
3 県指定 有形文化財(建造物) 六所神社本殿 夷隅郡大多喜町泉水120 六所神社 昭和42年3月7日 1棟
4 有形文化財(絵画) 紙本著色本多忠勝像 県立中央博物館大多喜城分館 良玄寺 平成1年3月10日 1幅
5 有形文化財(彫刻) 木造虚空蔵菩薩坐像 夷隅郡大多喜町泉水201 大山祇神社 昭和30年12月15日 1躯
6 木造馬頭観世音菩薩立像 夷隅郡大多喜町紺屋84 紺屋区 昭和30年12月15日 1躯
7 木造釈迦如来及び両脇侍坐像 夷隅郡大多喜町田丁232 円照寺 平成3年2月15日 3躯
8 有形文化財(工芸品) 鋳銅釣燈籠 県立中央博物館大多喜城分館 個人 昭和63年3月30日 1基
9 有形文化財(考古資料) 吉原三王遺跡出土の墨書土器資料群 夷隅郡大多喜町森宮8-3 千葉県 平成23年3月18日 176点
10 有吉南貝塚354号跡出土埋葬関連遺物 夷隅郡大多喜町森宮8-3 千葉県 平成26年3月4日 3点
11 有形民俗文化財 紙本著色観心十界図 県立中央博物館大多喜城分館 宝聚院 平成9年3月21日 1幅
12 記念物(史跡) 上総大多喜城本丸跡・大井戸・薬医門1棟 夷隅郡大多喜町大多喜481 千葉県 昭和41年5月20日
13 国登録 登録有形文化財(建造物) 大屋旅館 夷隅郡大多喜町新丁64 個人 平成11年7月8日 1件
14 豊乃鶴酒造主屋他 夷隅郡大多喜町新丁字下宿88 豊乃鶴酒造株式会社 平成11年11月18日・平成23年10月28日 6件
15 伊勢幸酒店店舗兼主屋 夷隅郡大多喜町久保字根小屋132 個人 平成21年4月28日 1件
16 宍倉弥兵衛商店店舗兼主屋 夷隅郡大多喜町大多喜字下南部60-1 個人 平成21年4月28日 1件
17 大多喜町役場中庁舎 夷隅郡大多喜町大多喜93 大多喜町 平成27年8月4日 1件
18 塩田家住宅主屋 夷隅郡大多喜町小土呂字東中野197-1 個人 平成27年8月4日 1件

つげ義春と白土三平

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寿恵比楼旅館
つげ義春の 『西部田村事件』(1967年12月)は大多喜の西部田村が舞台となった。

1965年昭和40年)9月末ごろ、漫画家のつげ義春白土三平とともに大多喜に滞在し、特につげは大多喜の印象から『紅い花』ほか数多くの代表作を生み出した。2人が滞在した寿恵比楼旅館は、つげ義春の数少ない作品の中でも多くの作品を産むきっかけとなった旅館である(建物は2019年12月に取り壊されている)。白土はここで『週刊少年マガジン』に連載していた『ワタリ』のコマ割りを手がけた。

大多喜での滞在で中での出来事や空想がヒントとなって生まれたのが、以下のつげの作品群である[1]

関連作品

つげの作風を大きく転換させるきっかけとなった作品である、「」に登場する少女のモデルとなったのが寿恵比楼旅館の当時17 - 18歳の娘であった。美人でありながら千葉方言を臆することなく口にするこの少女に、つげは奇妙な違和感とエロティックな感覚を持ち、作品を生むきっかけとなった。またすぐ脇を流れる夷隅川のよどんだ感じが「」のイメージを呼び起こしたともいわれている[1]

メルヘンティックな小品「初茸がり」は、旅館の母屋の大広間の横に置かれていた大きな柱時計がヒントになって生まれた。主人公の少年、正太が翌日の初茸がりに興奮して眠れず、いつしか柱時計の振り子の下に入って寝てしまうという話である。実際は子供が入りこめるほどの大きさではなかったが、つげの感興を喚起したらしい。また、作中でバックの黒い山の中に一部だけ雨が降っているように見える印象的なコマがあるが、この旅館の窓から見た「天気雨みたいに陽が差していた」(つげ義春談『つげ義春漫画術』)光景がヒントになっている。また、実際に白土と初茸がりに出かけたものの収穫はなかったらしい[1]

出身有名人

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関連人物

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大多喜町を舞台・ロケ地とした作品

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脚注

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出典

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  1. ^ a b c d つげ義春漫画術』(下巻)1993年10月 ISBN 4-948-73519-1ISBN 978-4-948-73519-4
  2. ^ お車をご利用の場合 - 大多喜町公式ホームページ”. www.town.otaki.chiba.jp. 2019年5月31日閲覧。
  3. ^ 大多喜 過去の気象データ検索”. 気象庁. 2023年9月27日閲覧。
  4. ^ 千葉県大多喜に自転車工場一分完成『中外商業新報』昭和10年5月16日(『昭和ニュース事典第5巻 昭和10年-昭和11年』本編p707 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  5. ^ 浸水や橋流失『朝日新聞』1970年(昭和45年)11月20日夕刊 3面 11面
  6. ^ 大多喜町史編さん委員会編『大多喜町史』、大多喜町、1991年
  7. ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201
  8. ^ 千葉県. “大多喜町の国・県指定および国登録文化財”. 千葉県. 2019年6月8日閲覧。
  9. ^ 有村架純さん主演 映画「夏美のホタル」ロケ地について ~6月11日公開です~”. 大多喜町. 2020年9月1日閲覧。
  10. ^ GOD監督、SIZUKUがヒロインの誰も見たことがない新ジャンルの奇想天外NEOXドラマ「原宿ニャンニャン探偵局 シーズン2」遂に制作開始!”. newscast. 2020年9月1日閲覧。
  11. ^ 遂にインターネットテレビ原宿テレビNEO開局”. 2020年9月1日閲覧。

参考文献

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『大多喜町行政のあゆみ』 発行日 : 2004年9月、発行 : 千葉県大多喜町、編集 : 大多喜町総務課、制作 : 株式会社ぎょうせい

関連項目

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外部リンク

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名所・観光

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