市川橋 (江戸川)
市川橋 | |
---|---|
市川橋(市川市側から撮影、2010年) | |
基本情報 | |
国 | 日本 |
所在地 | 東京都江戸川区 - 千葉県市川市間 |
交差物件 | 江戸川 |
建設 |
1905年 - 1927年 1963年 - 1967年 |
構造諸元 | |
形式 | 連続鋼桁複合橋 |
全長 | 399m |
幅 | 上り:17.5m/下り:12.45m |
関連項目 | |
橋の一覧 - 各国の橋 - 橋の形式 |
市川橋(いちかわばし)は、東京都江戸川区北小岩一丁目と千葉県市川市市川三丁目の境界線上の江戸川に架かる、国道14号と千葉県道・東京都道60号市川四ツ木線(千葉街道)の橋である。
概要
[編集]旧名は江戸川橋(えどがわばし)。全長399m。幅上り17.5m/下り12.45mの連続鋼桁複合橋形式を採用している。
江戸時代には佐倉街道上にあり、関所と渡し船が設けられていた。明治維新後も渡し船による輸送が続けられてきたが、国府台に陸軍教導団、続いて陸軍野砲兵第二旅団が設置されると、東京防衛のための役割があるにもかかわらず、江戸川に阻まれて東京との陸路が閉ざされているという問題点が生じた。
そのため、1905年1月16日[1]に渡し船の船着場近くに江戸川最初の木造橋である江戸川橋が設置された。後に江戸川橋と並行する形で京成電鉄の鉄橋が架けられた[2]。1927年12月2日[3]には、従来の江戸川橋よりも南側の現在地に鉄橋を設置した。その際に市川橋と改称された。
その後、老朽化と交通量の増加に対応するために、全面的な架け替え工事が行われた。1963年9月に下り線が、1967年3月には上り線が完成して、現在の姿となったのである。
隣の橋
[編集]市川橋 - 今井橋間は約8kmにわたり一般道路の橋がなく、首都圏の人口集中地区における直轄河川で、橋梁間隔が最長となっている[4]。江戸川区では1947年(昭和22年)、市川市では1967年(昭和42)に県道市川浦安線と柴又街道を繋いで旧江戸川の都県境をまたぐ橋梁を都市計画決定していたが、2022年度(令和4年度)から千葉県が「旧江戸川橋梁(仮称)新設事業」として着手することになった[5]。この橋梁を千葉県と市川市では押切橋と仮称している[4][6]。
脚注
[編集]- ^ 江戸川橋(現在の市川橋)1905-1-16 - 土木学会附属土木図書館
- ^ 正確に言えば、江戸川にすぐ橋を架けることが出来なかった京成側が当時「伊予田」と呼ばれていた江戸川橋の小岩側のたもとに伊予田駅(現在の江戸川駅)を設置して、鉄橋開通まで江戸川橋を使って乗客や貨物のやり取りをしていたのである。
- ^ 市川橋1927-12-2 - 土木学会附属土木図書館
- ^ a b “(仮称)押切橋(都市計画道路3・4・25号湊海岸線)について|市川市公式Webサイト”. 市川市公式Webサイト. 2022年2月13日閲覧。
- ^ “行徳~瑞江むすぶ橋、千葉県が事業着手へ 「旧江戸川橋梁」都営新宿線が生活圏に?”. 乗りものニュース. 2022年2月13日閲覧。
- ^ 千葉県. “(仮称)押切橋橋梁計画の説明会について”. 千葉県. 2022年2月13日閲覧。
参考文献
[編集]- 山本鉱太郎『江戸川図志』(崙書房出版、2001年)ISBN 978-4-8455-1080-1
- 牧野光男「市川橋」利根川文化研究会 編『利根川荒川事典』(国書刊行会、2004年)ISBN 978-4-336-04604-8
座標: 北緯35度44分03.1秒 東経139度53分58.2秒 / 北緯35.734194度 東経139.899500度