市川町 (千葉県)
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いちかわまち 市川町 | |
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廃止日 | 1934年11月3日 |
廃止理由 |
新設合併 東葛飾郡市川町・中山町・八幡町・国分村 → 市川市 |
現在の自治体 | 市川市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 関東地方 |
都道府県 | 千葉県 |
郡 | 東葛飾郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
面積 | 3.3 km2. |
総人口 |
21,865人 (1931年12月) |
隣接自治体 |
千葉県東葛飾郡八幡町、中山町、国分村、行徳町 東京府東京市(江戸川区) |
市川町役場 | |
所在地 | 千葉県東葛飾郡市川町大字市川字上出口 |
座標 | 北緯35度43分42秒 東経139度54分30秒 / 北緯35.72839度 東経139.90847度座標: 北緯35度43分42秒 東経139度54分30秒 / 北緯35.72839度 東経139.90847度 |
ウィキプロジェクト |
市川町(いちかわまち)は、かつて千葉県に存在した東葛飾郡の町。現在の市川市中西部に相当する。
地理
[編集]地域
[編集]- 大字市川
- (字)圦下、上出口、国府台、小向、笹塚、寒室出口、下出口、砂河原、堰向、大門向、第六天前、荷積、根本、真間下、見附田、宮田、柳下、八幡前、四ツ割
- 大字市川新田
- (字)市川境、石代(飛地)、溜上、溜下、宮脇、八幡下(東葛飾郡八幡町内にあった飛地)
- 大字国府台
- (字)明戸、カケ上、川通、西桜陣、東桜陣、谷津
- 大字平田
- (字)太子前、田上、前耕地、宮前
- 大字真間
- (字)新田場、大門、本寺際、本田、諭田及び小砂原、大砂原、鎗田(3字の飛地)
現在の町名
[編集]市川、市川南、国府台、新田、平田、真間の全域及び、大洲三・四丁目、菅野三丁目、南八幡五丁目、八幡五丁目の各一部に相当する。また、八幡町の町域内(現在の八幡三丁目、南八幡五丁目の一部)に飛び地があった。
歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、東葛飾郡市川村・国府台村・平田村・真間村・市川新田の区域をもって成立。
- 1934年(昭和9年)11月3日 - 東葛飾郡八幡町・中山町・国分村と新設合併して市川市が発足。同日市川町廃止。
町名の由来
[編集]「市川」の名称については、由来ははっきりしていないが、有力説として地域の西を流れる江戸川(太日川)が当時東国一の川であったことから「一の川」が訛ったとする説、江戸川の河岸に定期的に川舟が集まり、市が開かれていたことに由来するという説がある。
交通
[編集]鉄道
[編集]名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事
[編集]出身・ゆかりのある人物
[編集]脚注
[編集]- ^ 『人事興信録 第9版』ト13 - 14頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年1月3日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 『市川市史 第三巻』。