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「日本における死刑囚の一覧」の版間の差分

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有名な事件である場合には具体的な事件名を記述しているが、その他詳細が判明しない場合には事件名は罪状名をもとに便宜上つけたものもあることに留意されたい。
有名な事件である場合には具体的な事件名を記述しているが、その他詳細が判明しない場合には事件名は罪状名をもとに便宜上つけたものもあることに留意されたい。


なお「判決確定日」であるが、特記事項がない場合、[[最高裁判所 (日本)|最高裁判所]]ないし下級審の場合には死刑判決が言い渡された判決[[公判]]が開かれた年月日が記入されている。地方裁判所の判決を不服として[[控訴]]する場合、判決公判から14日とされている([[刑事訴訟法]]第373条)。そのため一審の死刑判決が控訴せずに実際に確定するのは2週間後である。また控訴取下げの場合は、取り下げにより原判決が確定した日である。ただし最高裁判決を「誤りがある」として10日以内に[[被告人]]などの当事者が発見した時には、申し出で訂正することができる(刑事訴訟法415条)とあるため、実際に最高裁判決が実際に確定するのは10日後である(刑事訴訟法418条)。ただし現実に最高裁判決が誤りがあるとして死刑判決が訂正されたことはない。
なお「判決確定日」であるが、特記事項がない場合、[[最高裁判所 (日本)|最高裁]]ないし下級審の場合には死刑判決が言い渡された判決[[公判]]が開かれた年月日が記入されている。地方裁判所の判決を不服として[[控訴]]する場合、判決公判から14日とされている([[刑事訴訟法]]第373条)。そのため一審の死刑判決が控訴せずに実際に確定するのは2週間後である。また控訴取下げの場合は、取り下げにより原判決が確定した日である。ただし最高裁判決を「誤りがある」として10日以内に[[被告人]]などの当事者が発見した時には、申し出で訂正することができる(刑事訴訟法415条)とあるため、実際に最高裁判決が実際に確定するのは10日後である(刑事訴訟法418条)。ただし現実に最高裁判決が誤りがあるとして死刑判決が訂正されたことはない。


2017年12月19日現在、法務省によると「同日時点で死刑が確定している死刑囚は123人。このうち、同日時点で[[再審]]請求しているのは94人」で、同省は「犯行時に少年だった死刑囚の人数については公表を控える」としている<ref>{{Cite web |date=2017-12-19 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263581000.html |title=死刑囚2人の死刑を執行 1人は犯行当時19歳 |newspaper=NHKニュース |publisher=日本放送協会 |accessdate=2017-12-19 |archivedate=2017-12-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171221030510/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263581000.html}}</ref><ref>{{Cite press release|title=法務大臣臨時記者会見の概要|date=2017-12-19|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[上川陽子]])|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00961.html|accessdate=2017-12-23|archivedate=2017-12-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171223152255/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00961.html}}</ref>。
2017年12月19日現在、法務省によると「同日時点で死刑が確定している死刑囚は123人。このうち、同日時点で[[再審]]請求しているのは94人」で、同省は「犯行時に少年だった死刑囚の人数については公表を控える」としている<ref>{{Cite web |date=2017-12-19 |url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263581000.html |title=死刑囚2人の死刑を執行 1人は犯行当時19歳 |newspaper=NHKニュース |publisher=日本放送協会 |accessdate=2017-12-19 |archivedate=2017-12-21 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20171221030510/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20171219/k10011263581000.html}}</ref><ref>{{Cite press release|title=法務大臣臨時記者会見の概要|date=2017-12-19|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[上川陽子]])|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00961.html|accessdate=2017-12-23|archivedate=2017-12-23|archiveurl=https://web.archive.org/web/20171223152255/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_00961.html}}</ref>。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|岡山県勝田郡強盗殺人事件(J)||1912年2月6日||1911年7月8日||勝田郡梶並村で、孫(当時32歳)が住居侵入罪の罰金20円が支払えず労役場留置処分を免れる為に金策協力を頼んだ祖父(当時74歳)に断られた。そのため祖父のへそくり50円を奪う為に殺害。1914年2月7日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1047-1049頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
|岡山県勝田郡強盗殺人事件 (J)||1912年2月6日||1911年7月8日||勝田郡梶並村で、孫(当時32歳)が住居侵入罪の罰金20円が支払えず労役場留置処分を免れる為に金策協力を頼んだ祖父(当時74歳)に断られた。そのため祖父のへそくり50円を奪う為に殺害。1914年2月7日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1047-1049頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
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|愛知貰い子殺人事件(猪飼なか)||1914年10月21日||1898年-1913年||上記共犯者。
|愛知貰い子殺人事件(猪飼なか)||1914年10月21日||1898年-1913年||上記共犯者。
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|岡山興除村一家3人殺害事件(A)||1914年12月16日||1914年9月26日||未亡人A(当時52)は養子一家が家督相続することを不満に思っていた。そこで情夫B(当時55)に借金230円の棒引きと400円の報酬を約束し、養子一家殺害を指示し自身は事件当日外泊しアリバイ工作をしていた。また近所には自分が虐待されているといった虚偽の噂を立てていた。1915年8月27日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1059-1060頁、岡山県警察本部、1975年</ref>
|岡山興除村一家3人殺害事件 (A)||1914年12月16日||1914年9月26日||未亡人A(当時52)は養子一家が家督相続することを不満に思っていた。そこで情夫B(当時55)に借金230円の棒引きと400円の報酬を約束し、養子一家殺害を指示し自身は事件当日外泊しアリバイ工作をしていた。また近所には自分が虐待されているといった虚偽の噂を立てていた。1915年8月27日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1059-1060頁、岡山県警察本部、1975年</ref>
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|岡山興除村一家3人殺害事件(B)||1914年12月16日||1914年9月26日||上記共犯者。なおBは殺害の手助けをCにさせていたが、Cは懲役10年になった。主犯Aとともに1915年8月27日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1059-1060頁、岡山県警察本部、1975年</ref>
|岡山興除村一家3人殺害事件 (B)||1914年12月16日||1914年9月26日||上記共犯者。なおBは殺害の手助けをCにさせていたが、Cは懲役10年になった。主犯Aとともに1915年8月27日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1059-1060頁、岡山県警察本部、1975年</ref>
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|小石川七人斬事件(A、B)||1915年10月22日||1915年3月15日||[[東京電燈]]会社小石川出張所において、同社主任以下7人が襲われ、5人が死亡した強盗殺人事件。1916年8月12日死刑執行<ref>{{Cite book|url={{NDLDC|1920457/84}}|chapter=小石川七人斬|title=明治・大正・昭和歴史資料全集. 犯罪篇 下卷|publisher=有恒社|date=1933-06-18|pages=154-168}}</ref>。
|小石川七人斬事件 (A・B)||1915年10月22日||1915年3月15日||[[東京電燈]]会社小石川出張所において、同社主任以下7人が襲われ、5人が死亡した強盗殺人事件。1916年8月12日死刑執行<ref>{{Cite book|url={{NDLDC|1920457/84}}|chapter=小石川七人斬|title=明治・大正・昭和歴史資料全集. 犯罪篇 下卷|publisher=有恒社|date=1933-06-18|pages=154-168}}</ref>。
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|[[大米龍雲連続殺人事件]](大米龍雲)||1916年5月22日||1905年-1915年||僧侶による連続強姦強盗殺人事件。被害者の多くが尼僧であったことから「殺尼魔」と報道された。6月26日に死刑執行。
|[[大米龍雲連続殺人事件]](大米龍雲)||1916年5月22日||1905年-1915年||僧侶による連続強姦強盗殺人事件。被害者の多くが尼僧であったことから「殺尼魔」と報道された。6月26日に死刑執行。
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|[[一家四人死刑事件]](H)||1916年7月8日||1914年12月30日||一家の父親が殺された事件について、一審では被害者の姑と妻、2人の息子の4人全員が死刑判決を受けた。控訴審では長男の単独犯行とされ、他の3人は無罪となった。死刑を維持された長男は、犯行は外部犯によるものとして無実を訴え続けたが1917年12月8日に死刑執行<ref>{{Cite book|和書|author= [[森長英三郎]]|title= 史談裁判|origyear= 1966|edition= 新編|year= 1984|publisher= [[日本評論社]]|series= [[日評選書]]|isbn= 978-4535011342|volume= 第2巻|pages= 5-8}}</ref>。
|[[一家四人死刑事件]] (H)||1916年7月8日||1914年12月30日||一家の父親が殺された事件について、一審では被害者の姑と妻、2人の息子の4人全員が死刑判決を受けた。控訴審では長男の単独犯行とされ、他の3人は無罪となった。死刑を維持された長男は、犯行は外部犯によるものとして無実を訴え続けたが1917年12月8日に死刑執行<ref>{{Cite book|和書|author= [[森長英三郎]]|title= 史談裁判|origyear= 1966|edition= 新編|year= 1984|publisher= [[日本評論社]]|series= [[日評選書]]|isbn= 978-4535011342|volume= 第2巻|pages= 5-8}}</ref>。
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|ドイツ海軍大尉夫人殺人事件(A)||1917年10月26日||1917年2月25日||日本軍捕虜となった夫の世話をする為来日していた女性殺害事件。夫は妻の後を追って自殺。1918年3月11日に死刑執行。
|ドイツ海軍大尉夫人殺人事件 (A)||1917年10月26日||1917年2月25日||日本軍捕虜となった夫の世話をする為来日していた女性殺害事件。夫は妻の後を追って自殺。1918年3月11日に死刑執行。
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|[[鈴ヶ森おはる殺し事件]](石井藤吉)||1917年3月31日||1915年4月30日||同時期に検察は同じ事件で「単独犯」として2人の裁判を進め、一人は無罪になった。真犯人とされた石井は1918年8月17日に死刑執行。
|[[鈴ヶ森おはる殺し事件]](石井藤吉)||1917年3月31日||1915年4月30日||同時期に検察は同じ事件で「単独犯」として2人の裁判を進め、一人は無罪になった。真犯人とされた石井は1918年8月17日に死刑執行。
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|神戸山中妻殺害事件(A)||1918年5月15日||1917年4月6日||養子を虐待する妻との離婚話がこじれた為、岡山市の男が神戸市の山中に連れ出して殺害。男は養子を実家に預けたあと[[外地]]に逃亡。1918年2月になって朝鮮から[[中華民国]]の青島へ逃亡しようとしていたところを逮捕。1919年2月19日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1049-1051頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
|神戸山中妻殺害事件 (A)||1918年5月15日||1917年4月6日||養子を虐待する妻との離婚話がこじれた為、岡山市の男が神戸市の山中に連れ出して殺害。男は養子を実家に預けたあと[[外地]]に逃亡。1918年2月になって朝鮮から[[中華民国]]の青島へ逃亡しようとしていたところを逮捕。1919年2月19日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1049-1051頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
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|岡山巡礼女性殺害事件(A)||1919年12月2日||1916年4月ごろ||1916年4月に京都の寺院に巡礼に出かけるとして行方不明になっていた広島県[[高田郡]]の主婦が1917年4月18日になって岡山県[[都窪郡]]の[[廃坑]]で白骨死体として発見された。犯人として金銭目当てに被害女性の夫を広島県[[深安郡]]に呼び出し、[[山陽本線]][[大門駅 (広島県)|大門駅]]付近の山道で殺害しようとした殺人未遂の罪で服役中のAが逮捕起訴された。Aは殺害を否定し被害者は情夫の妻に殺害され自身は何者かにはめられたと主張したが、該当する人物は存在せず、そのうえAが妻に胴着するようにと渡した羽織が被害者が持参していたものと判明。それらを証拠に死刑が確定。1923年8月21日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1060-1063頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
|岡山巡礼女性殺害事件 (A)||1919年12月2日||1916年4月ごろ||1916年4月に京都の寺院に巡礼に出かけるとして行方不明になっていた広島県[[高田郡]]の主婦が1917年4月18日になって岡山県[[都窪郡]]の[[廃坑]]で白骨死体として発見された。犯人として金銭目当てに被害女性の夫を広島県[[深安郡]]に呼び出し、[[山陽本線]][[大門駅 (広島県)|大門駅]]付近の山道で殺害しようとした殺人未遂の罪で服役中のAが逮捕起訴された。Aは殺害を否定し被害者は情夫の妻に殺害され自身は何者かにはめられたと主張したが、該当する人物は存在せず、そのうえAが妻に胴着するようにと渡した羽織が被害者が持参していたものと判明。それらを証拠に死刑が確定。1923年8月21日に死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 上巻』1060-1063頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
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|大岡山殺人事件(G)||1931年4月20日||1925年9月6日||下記Tと共同で一家3人を殺害し、さらに3年後にもTとともに夫婦を殺害した。この間に大岡山事件の犯人として起訴されていた男性は、裁判中に獄死している。Gは控訴せず一審で確定し、1933年3月7日に死刑執行<ref name="史談3、66">{{Cite book|和書|author= 森長英三郎|title= 史談裁判|origyear= 1966|edition= 新編|year= 1984|publisher= 日本評論社|series= 日評選書|isbn= 978-4535011359|volume= 第3巻|pages= 66-73|ref= 史談3}}</ref>。
|大岡山殺人事件 (G)||1931年4月20日||1925年9月6日||下記Tと共同で一家3人を殺害し、さらに3年後にもTとともに夫婦を殺害した。この間に大岡山事件の犯人として起訴されていた男性は、裁判中に獄死している。Gは控訴せず一審で確定し、1933年3月7日に死刑執行<ref name="史談3、66">{{Cite book|和書|author= 森長英三郎|title= 史談裁判|origyear= 1966|edition= 新編|year= 1984|publisher= 日本評論社|series= 日評選書|isbn= 978-4535011359|volume= 第3巻|pages= 66-73|ref= 史談3}}</ref>。
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|大岡山殺人事件(T)||1932年4月5日||1925年9月6日||上記Gの共犯。最高裁まで争うも確定し、Gと同じく1933年3月7日に死刑執行<ref name="史談3、66"/>。
|大岡山殺人事件 (T)||1932年4月5日||1925年9月6日||上記Gの共犯。最高裁まで争うも確定し、Gと同じく1933年3月7日に死刑執行<ref name="史談3、66"/>。
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|日大用務員殺害事件(D)||1932年8月29日||1930年12月||上告棄却。元用務員の男が[[日本大学]]に侵入し用務員を殺害し670円を奪った<ref>東京朝日新聞1932年8月30日夕刊</ref>。
|日大用務員殺害事件 (D)||1932年8月29日||1930年12月||上告棄却。元用務員の男が[[日本大学]]に侵入し用務員を殺害し670円を奪った<ref>東京朝日新聞1932年8月30日夕刊</ref>。
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|[[桜田門事件]]([[李奉昌]])||1932年9月30日||1932年1月8日||昭和天皇暗殺未遂犯。1932年10月10日に死刑執行(32歳没)。
|[[桜田門事件]]([[李奉昌]])||1932年9月30日||1932年1月8日||昭和天皇暗殺未遂犯。1932年10月10日に死刑執行(32歳没)。
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|十三釣堀屋事件(F)||1933年3月8日||1931年3月1日||愛人と共謀して夫を殺害した被告人について死刑。1934年6月28日に死刑執行。共犯の愛人は無期懲役<ref>[[#史談3|森長 (1984)]] 247-252頁</ref>。
|十三釣堀屋事件 (F)||1933年3月8日||1931年3月1日||愛人と共謀して夫を殺害した被告人について死刑。1934年6月28日に死刑執行。共犯の愛人は無期懲役<ref>[[#史談3|森長 (1984)]] 247-252頁</ref>。
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|[[安田銀行玉島支店強盗殺人事件]](O)||1933年10月30日||1933年6月18日||現職警察官による銀行ギャング。1934年7月30日死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 下巻』652頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
|[[安田銀行玉島支店強盗殺人事件]] (O)||1933年10月30日||1933年6月18日||現職警察官による銀行ギャング。1934年7月30日死刑執行<ref>岡山県警察史編さん委員会編 『岡山県警察史 下巻』652頁、岡山県警察本部、1975年</ref>。
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|[[隅田川コマ切れ殺人事件]](K)||1934年9月19日||1934年6月||10月に死刑執行<ref>事件・犯罪研究会編『明治・大正・昭和・平成事件・犯罪大事典』東京法経学院出版、2002年</ref>。
|[[隅田川コマ切れ殺人事件]] (K)||1934年9月19日||1934年6月||10月に死刑執行<ref>事件・犯罪研究会編『明治・大正・昭和・平成事件・犯罪大事典』東京法経学院出版、2002年</ref>。
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|福岡刑務所囚人殺害事件(D)||1934年11月7日||1933年10月28日||上告棄却。殺人未遂で懲役20年、恩赦により刑期短縮も1929年に殺傷事件を起こし無期懲役になった受刑者が同囚の者に「死に損ない」と罵られたことに腹を立て刑務活動中に刺殺<ref>東京朝日新聞1934年11月8日夕刊</ref>。
|福岡刑務所囚人殺害事件 (D)||1934年11月7日||1933年10月28日||上告棄却。殺人未遂で懲役20年、恩赦により刑期短縮も1929年に殺傷事件を起こし無期懲役になった受刑者が同囚の者に「死に損ない」と罵られたことに腹を立て刑務活動中に刺殺<ref>東京朝日新聞1934年11月8日夕刊</ref>。
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|バス屋殺し事件(G)||1936年3月30日||1931年8月27日||家業の利益目的で夫を殺害した被告人について死刑判決が下ったが、後に無期刑に減軽され、1943年頃に獄死。被告人と共謀したとされていた愛人の男性については、一審の死刑判決が控訴審で無罪へ覆った<ref>[[#史談3|森長 (1984)]] 253-259頁</ref>。
|バス屋殺し事件 (G)||1936年3月30日||1931年8月27日||家業の利益目的で夫を殺害した被告人について死刑判決が下ったが、後に無期刑に減軽され、1943年頃に獄死。被告人と共謀したとされていた愛人の男性については、一審の死刑判決が控訴審で無罪へ覆った<ref>[[#史談3|森長 (1984)]] 253-259頁</ref>。
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|浅草青酸カリ殺人事件(U)||1936年8月3日||1935年11月21日||足袋屋経営の男が、顔なじみの小学校校長を紅茶の中に入れた[[シアン化カリウム|青酸カリ]]で毒殺し、教職員の給料を奪った。日本における青酸カリによる殺人事件第1号。1937年10月26日死刑執行<ref>[http://yabusaka.moo.jp/seisan1gou.htm 事件録1902→1944 日本初・青酸カリ殺人]2013年6月20日閲覧</ref>。
|浅草青酸カリ殺人事件 (U)||1936年8月3日||1935年11月21日||足袋屋経営の男が、顔なじみの小学校校長を紅茶の中に入れた[[シアン化カリウム|青酸カリ]]で毒殺し、教職員の給料を奪った。日本における青酸カリによる殺人事件第1号。1937年10月26日死刑執行<ref>[http://yabusaka.moo.jp/seisan1gou.htm 事件録1902→1944 日本初・青酸カリ殺人]2013年6月20日閲覧</ref>。
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|[[松山城放火事件]](F)||1938年||1932年-1936年||西日本各地で公共施設45箇所を放火。1939年9月15日に死刑執行。
|[[松山城放火事件]] (F)||1938年||1932年-1936年||西日本各地で公共施設45箇所を放火。1939年9月15日に死刑執行。
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|[[樺太・西柵丹強盗殺人事件]](S)||1945年7月7日||1944年10月22日||樺太で発生した強盗殺人事件。死刑確定後、樺太が[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]に侵略され、公判記録が滅失し死刑執行手続きが不能になった特殊事情により、1949年12月24日、個別[[恩赦]]。[[無期懲役]]に減刑された<ref>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 31頁</ref>。
|[[樺太・西柵丹強盗殺人事件]] (S)||1945年7月7日||1944年10月22日||樺太で発生した強盗殺人事件。死刑確定後、樺太が[[ソビエト連邦軍|ソ連軍]]に侵略され、公判記録が滅失し死刑執行手続きが不能になった特殊事情により、1949年12月24日、個別[[恩赦]]。[[無期懲役]]に減刑された<ref>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 31頁</ref>。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|強盗殺人事件(A)||1948年1月||?||友人を鉄棒で撲殺。
|強盗殺人事件 (A)||1948年1月||?||友人を鉄棒で撲殺。
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|強盗殺人事件(A)||1948年1月||?||強盗に入った家で夫婦を射殺。
|強盗殺人事件 (A)||1948年1月||?||強盗に入った家で夫婦を射殺。
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|強盗殺人事件(A)||1948年2月||?||雇い主を斧で殺害。
|強盗殺人事件 (A)||1948年2月||?||雇い主を斧で殺害。
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|[[名古屋愚連隊殺人事件]](A)||1948年3月11日||1947年6月21日||強盗に入った家人2人を布団で縛りつけ窒息死させた。主犯Aが死刑(控訴取り下げにより死刑確定)であったが犯行時17歳であったため、少年法改正により1949年3月23日に無期懲役に減刑。
|[[名古屋愚連隊殺人事件]] (A)||1948年3月11日||1947年6月21日||強盗に入った家人2人を布団で縛りつけ窒息死させた。主犯Aが死刑(控訴取り下げにより死刑確定)であったが犯行時17歳であったため、少年法改正により1949年3月23日に無期懲役に減刑。
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|[[死刑制度合憲判決事件]](A)||1948年3月12日||1946年9月16日||犯行時19歳。夕飯を用意してもらえなかったことに逆上して母妹を殺害し遺体を井戸に遺棄。一審は無期懲役だった。最高裁が死刑制度は[[日本国憲法]]に反せず合憲とした判例。
|[[死刑制度合憲判決事件]] (A)||1948年3月12日||1946年9月16日||犯行時19歳。夕飯を用意してもらえなかったことに逆上して母妹を殺害し遺体を井戸に遺棄。一審は無期懲役だった。最高裁が死刑制度は[[日本国憲法]]に反せず合憲とした判例。
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|[[小平事件]](小平義雄)||1948年11月16日||1945 - 1946年||連続強盗強姦殺人事件。10人殺害で起訴され、うち7人殺害で有罪となった。なお、小平には軍隊時代に[[山東出兵]]に派遣された際に現地の婦女子を殺害(軍規違反に問われず)したうえ、1932年に前妻の義父を殺害し懲役15年(二度の恩赦により8年で仮出所)を受けており、殺人前科があった。1949年10月5日に死刑執行。
|[[小平事件]](小平義雄)||1948年11月16日||1945 - 1946年||連続強盗強姦殺人事件。10人殺害で起訴され、うち7人殺害で有罪となった。なお、小平には軍隊時代に[[山東出兵]]に派遣された際に現地の婦女子を殺害(軍規違反に問われず)したうえ、1932年に前妻の義父を殺害し懲役15年(二度の恩赦により8年で仮出所)を受けており、殺人前科があった。1949年10月5日に死刑執行。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|奈良・手拭村強盗殺人事件(D)||1949年5月28日||1946年12月11日||強盗団4人組による犯行。Dを主犯として死刑が確定し、後に死刑執行されたが、1958年に出所した「従犯」が本当の主犯を恐喝して逮捕されDは濡れ衣であったという真相が発覚<ref>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 103頁</ref>。
|奈良・手拭村強盗殺人事件 (D)||1949年5月28日||1946年12月11日||強盗団4人組による犯行。Dを主犯として死刑が確定し、後に死刑執行されたが、1958年に出所した「従犯」が本当の主犯を恐喝して逮捕されDは濡れ衣であったという真相が発覚<ref>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 103頁</ref>。
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|[[大津野村強盗殺人事件]](A)||1949年7月31日||1945年12月18日||架空の商談話でおびき出した2人を殺害。共犯5人のうち2人が死刑に。
|[[大津野村強盗殺人事件]] (A)||1949年7月31日||1945年12月18日||架空の商談話でおびき出した2人を殺害。共犯5人のうち2人が死刑に。
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|大津野村強盗殺人事件(C)||1949年7月31日||1945年12月18日||上記共犯。
|大津野村強盗殺人事件 (C)||1949年7月31日||1945年12月18日||上記共犯。
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|[[和歌山一家8人殺害事件]](A)||1949年8月18日||1946年1月29日||母親を虐待した兄嫁を恨み、兄一家8人を虐殺。死刑確定後1952年に恩赦により無期減刑、1968年に仮出獄
|[[和歌山一家8人殺害事件]] (A)||1949年8月18日||1946年1月29日||母親を虐待した兄嫁を恨み、兄一家8人を虐殺。死刑確定後1952年に恩赦により無期減刑、1968年に仮出獄
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|強盗殺人事件(A)||1950年1月||?||無関係の人物を絞殺。控訴取下げ。
|強盗殺人事件 (A)||1950年1月||?||無関係の人物を絞殺。控訴取下げ。
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|[[第二小平事件]](K)||1950年2月3日||1946―1947年||埼玉県で発生。司法の認定では3人殺害であるが、ほかに2人の殺害も自供。若い女性ばかり被害者であったことから。同様な[[小平事件]]からこの事件名で報道された。
|[[第二小平事件]] (K)||1950年2月3日||1946―1947年||埼玉県で発生。司法の認定では3人殺害であるが、ほかに2人の殺害も自供。若い女性ばかり被害者であったことから。同様な[[小平事件]]からこの事件名で報道された。
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|強盗2人殺害事件(A)||1950年2月||?||
|強盗2人殺害事件 (A)||1950年2月||?||
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|[[志和堀村両親殺害事件]](M)||1950年2月21日||1948年6月11日||犯行時19歳、上告を取り下げにより死刑が確定したが、1952年4月にサンフランシスコ講和条約恩赦で無期懲役に減刑。
|[[志和堀村両親殺害事件]] (M)||1950年2月21日||1948年6月11日||犯行時19歳、上告を取り下げにより死刑が確定したが、1952年4月にサンフランシスコ講和条約恩赦で無期懲役に減刑。
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|強盗2人殺害事件(A)||1950年4月||?||
|強盗2人殺害事件 (A)||1950年4月||?||
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|拳銃強盗殺害事件(A)||1950年4月||?||控訴取下げ。
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|愛人殺害事件(A)||1950年5月||?||控訴取下げ。
|愛人殺害事件 (A)||1950年5月||?||控訴取下げ。
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|子供2人撲殺強盗事件(A)||1950年5月||?||
|子供2人撲殺強盗事件 (A)||1950年5月||?||
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|子供2人撲殺強盗事件(B)||1950年5月||?||上記の共犯者。
|子供2人撲殺強盗事件 (B)||1950年5月||?||上記の共犯者。
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|知人絞殺強盗事件(A)||1950年5月||?||
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|強盗事件(A)||1950年5月||?||
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|強盗2人殺害事件(A)||1950年5月||?||
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|警官ら2人射殺強盗事件(A)||1950年6月||?||
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|強盗2人殺害事件(A)||1950年5月||?||
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|下宿人大家家族2人殺害事件(A)||1950年7月||?||控訴取下げ。
|下宿人大家家族2人殺害事件 (A)||1950年7月||?||控訴取下げ。
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|知人夫婦強盗殺害事件(A)||1950年7月||?||
|知人夫婦強盗殺害事件 (A)||1950年7月||?||
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|警官射殺事件(A)||1950年9月||?||
|警官射殺事件 (A)||1950年9月||?||
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|知人2人ハンマー撲殺強盗事件(A)||1950年10月||?||
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|知人殺害事件(A)||1950年10月||?||
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|雇用主殺害事件(A)||1950年11月||?||控訴取下げ。
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|強姦殺人事件(A)||1950年11月||?||
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|知人親子3人殺害事件(A)||1950年12月||?||最高裁が下級審の判決を破棄し死刑判決。
|知人親子3人殺害事件 (A)||1950年12月||?||最高裁が下級審の判決を破棄し死刑判決。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[矢野村強盗殺人事件]](F)||1951年2月2日||1947年5月23日||兄弟で犯した強盗殺人について死刑判決を受けた弟が「主犯は兄である」と主張していた。兄もそれを裏付ける主張を行っていたが、弟の再審請求は容れられず、1953年2月20日に死刑執行。
|[[矢野村強盗殺人事件]] (F)||1951年2月2日||1947年5月23日||兄弟で犯した強盗殺人について死刑判決を受けた弟が「主犯は兄である」と主張していた。兄もそれを裏付ける主張を行っていたが、弟の再審請求は容れられず、1953年2月20日に死刑執行。
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|[[菅野村強盗殺人・放火事件]](A)||1951年7月10日||1949年6月10日||犠牲者1人。戦後初の女性死刑囚。結核・精神病を罹患し1969年に恩赦減刑され、1978年に病死(63歳没)。
|[[菅野村強盗殺人・放火事件]] (A)||1951年7月10日||1949年6月10日||犠牲者1人。戦後初の女性死刑囚。結核・精神病を罹患し1969年に恩赦減刑され、1978年に病死(63歳没)。
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|[[小田原一家5人殺害事件]](A)||1951年9月18日||1949年9月14日||大量殺人犯でありながら1952年恩赦減刑。1970年に仮出獄も、1984年に殺人未遂事件を起こし、懲役8年と仮出獄取消しで収監<ref>村野薫『日本の大量殺人総覧』[[新潮社]] [[2002年]] ISBN 4-10-455215-1</ref>。2009年10月27日に獄死。
|[[小田原一家5人殺害事件]] (A)||1951年9月18日||1949年9月14日||大量殺人犯でありながら1952年恩赦減刑。1970年に仮出獄も、1984年に殺人未遂事件を起こし、懲役8年と仮出獄取消しで収監<ref>村野薫『日本の大量殺人総覧』[[新潮社]] [[2002年]] ISBN 4-10-455215-1</ref>。2009年10月27日に獄死。
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|強盗3人刺殺事件(A)||1951年12月||?||
|強盗3人刺殺事件 (A)||1951年12月||?||
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|拳銃強盗事件(A)||1951年12月||?||一審は無期懲役だった。
|拳銃強盗事件 (A)||1951年12月||?||一審は無期懲役だった。
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|強盗2人撲殺事件(A)||1951年12月||?||友人を殺害。
|強盗2人撲殺事件 (A)||1951年12月||?||友人を殺害。
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|強盗強姦殺人事件(A)||1951年12月||?||一審は無期懲役。強姦したうえ絞殺。
|強盗強姦殺人事件 (A)||1951年12月||?||一審は無期懲役。強姦したうえ絞殺。
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|[[免田事件]]([[免田栄]])||1951年12月25日||1948年12月28日||[[1983年]]7月に再審で無罪が確定した冤罪事件。
|[[免田事件]]([[免田栄]])||1951年12月25日||1948年12月28日||[[1983年]]7月に再審で無罪が確定した冤罪事件。
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|強盗殺人事件(A)||1951年12月||?||知人を紐で絞殺。
|強盗殺人事件 (A)||1951年12月||?||知人を紐で絞殺。
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|強盗2人殺害事件(A)||1951年12月||?||知人2人を木刀とマフラーで殺害。
|強盗2人殺害事件 (A)||1951年12月||?||知人2人を木刀とマフラーで殺害。
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|強盗2人殺害事件(B)||1951年12月||?||上記事件の共犯。
|強盗2人殺害事件 (B)||1951年12月||?||上記事件の共犯。
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|強盗殺害事件(A)||1951年12月||?||知人を棒で殺害。一審は無期懲役だった。
|強盗殺害事件 (A)||1951年12月||?||知人を棒で殺害。一審は無期懲役だった。
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|強盗強姦致死事件(A)||1951年12月||?||通行人ら2人を強姦し扼殺。犯行時少年だった。
|強盗強姦致死事件 (A)||1951年12月||?||通行人ら2人を強姦し扼殺。犯行時少年だった。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|福岡連続強盗殺人事件(S)||1952年4月21日||1951年5月-6月||事件当時19歳([[少年死刑囚]])。裁判では「自分は見張り役で主犯は古谷惣吉(当時逃亡中)だ」と主張。Sの死刑執行後に古谷は逮捕されたが懲役10年が確定し、出所後に[[古谷惣吉連続殺人事件]]を起こす。
|福岡連続強盗殺人事件 (S)||1952年4月21日||1951年5月-6月||事件当時19歳([[少年死刑囚]])。裁判では「自分は見張り役で主犯は古谷惣吉(当時逃亡中)だ」と主張。Sの死刑執行後に古谷は逮捕されたが懲役10年が確定し、出所後に[[古谷惣吉連続殺人事件]]を起こす。
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|[[三鷹事件]](竹内景助)||1955年6月22日||1949年7月15日||電車転覆致死等事件で6人死亡。ただし冤罪が指摘されている。1967年に獄死(45歳没)。
|[[三鷹事件]](竹内景助)||1955年6月22日||1949年7月15日||電車転覆致死等事件で6人死亡。ただし冤罪が指摘されている。1967年に獄死(45歳没)。
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|[[栃木雑貨商一家殺害事件]](K)||1955年6月28日||1953年3月17日||上告棄却、白内障を患った母親の治療費欲しさに近所の雑貨商に侵入し、一家3人と使用人を殺害。最高裁上告中に脱獄、後に確保され、1955年6月28日に最高裁が上告を棄却。同年11月22日宮城刑務所にて死刑執行。死刑確定から執行までの期間は戦後最短。
|[[栃木雑貨商一家殺害事件]] (K)||1955年6月28日||1953年3月17日||上告棄却、白内障を患った母親の治療費欲しさに近所の雑貨商に侵入し、一家3人と使用人を殺害。最高裁上告中に脱獄、後に確保され、1955年6月28日に最高裁が上告を棄却。同年11月22日宮城刑務所にて死刑執行。死刑確定から執行までの期間は戦後最短。
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|[[神戸洋服商殺人事件]](孫斗八)||1955年12月16日||1951年1月17日||上告棄却、以前オーバーコートを購入した洋服商店に上り込み、夫婦2人を殺害。
|[[神戸洋服商殺人事件]](孫斗八)||1955年12月16日||1951年1月17日||上告棄却、以前オーバーコートを購入した洋服商店に上り込み、夫婦2人を殺害。
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|新宿家政婦殺害事件<ref>朝日新聞1955年12月20日夕刊</ref>(A)||1955年12月20日||1951年5月25日||上告棄却、金銭の貸主宅に侵入し、同家の家政婦を殺害。
|新宿家政婦殺害事件<ref>朝日新聞1955年12月20日夕刊</ref> (A)||1955年12月20日||1951年5月25日||上告棄却、金銭の貸主宅に侵入し、同家の家政婦を殺害。
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|福島警察官殺害事件<ref>朝日新聞1955年12月26日夕刊</ref>(A)||1955年12月26日||不明||上告棄却、一審は無期懲役。駐在所巡査を殺害。
|福島警察官殺害事件<ref>朝日新聞1955年12月26日夕刊</ref> (A)||1955年12月26日||不明||上告棄却、一審は無期懲役。駐在所巡査を殺害。
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|長野・松尾村強盗致死事件<ref>朝日新聞1955年12月26日夕刊</ref>(A)||1955年12月26日||不明||上告棄却、1人を刺殺。
|長野・松尾村強盗致死事件<ref>朝日新聞1955年12月26日夕刊</ref> (A)||1955年12月26日||不明||上告棄却、1人を刺殺。
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|門司3人殺人事件<ref>朝日新聞1955年12月26日夕刊</ref>(A)||1955年12月26日||不明||上告棄却、幼児3人を惨殺。
|門司3人殺人事件<ref>朝日新聞1955年12月26日夕刊</ref> (A)||1955年12月26日||不明||上告棄却、幼児3人を惨殺。
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|[[福岡・豊津村一家8人殺害事件]](A)||1955年12月26日||1953年||上告棄却、同居していた一家8人を惨殺。
|[[福岡・豊津村一家8人殺害事件]] (A)||1955年12月26日||1953年||上告棄却、同居していた一家8人を惨殺。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[福岡事件]](N)||1956年4月||1947年6月17日||1975年6月17日に死刑執行(60歳没)。
|[[福岡事件]] (N)||1956年4月||1947年6月17日||1975年6月17日に死刑執行(60歳没)。
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|福岡事件(I)||1956年4月||1947年6月17日||1975年6月17日に恩赦で無期懲役に減刑。1989年仮出獄、2008年11月に死去(91歳没)。
|福岡事件 (I)||1956年4月||1947年6月17日||1975年6月17日に恩赦で無期懲役に減刑。1989年仮出獄、2008年11月に死去(91歳没)。
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|[[財田川事件]](谷口繁義)||1957年1月22日||1950年2月28日||[[高松地方検察庁]]で保存されていた捜査資料が破棄され死刑執行手続きが不可能になったうえに、[[古畑種基]]による証拠鑑定の杜撰さや被疑者に対する[[拷問]]といった問題点が明らかになった為、1984年3月12日に再審無罪となり放免された。
|[[財田川事件]](谷口繁義)||1957年1月22日||1950年2月28日||[[高松地方検察庁]]で保存されていた捜査資料が破棄され死刑執行手続きが不可能になったうえに、[[古畑種基]]による証拠鑑定の杜撰さや被疑者に対する[[拷問]]といった問題点が明らかになった為、1984年3月12日に再審無罪となり放免された。
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|親族殺人事件(A)||1957年2月||不明||鎌と棍棒で殺害し強奪。犠牲者1人、控訴棄却。
|親族殺人事件 (A)||1957年2月||不明||鎌と棍棒で殺害し強奪。犠牲者1人、控訴棄却。
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|兵庫女性強姦殺人事件(I)||1957年4月5日||1954年12月1日||通行人1人を強姦の上刺殺。少年犯罪、一審は無期懲役。上告棄却。
|兵庫女性強姦殺人事件 (I)||1957年4月5日||1954年12月1日||通行人1人を強姦の上刺殺。少年犯罪、一審は無期懲役。上告棄却。
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|保土ヶ谷女性強盗殺人事件(U)||1957年4月18日||1953年12月3日||通行人1人を強姦の上扼殺。上告棄却。
|保土ヶ谷女性強盗殺人事件 (U)||1957年4月18日||1953年12月3日||通行人1人を強姦の上扼殺。上告棄却。
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|我孫子女子中学生殺害事件(S)||1957年4月26日||1955年9月12日||通行人1人を扼殺。控訴取下げ。1959年11月11日に死刑執行<ref>朝日新聞1959年11月12日夕刊</ref>(28歳没)。
|我孫子女子中学生殺害事件 (S)||1957年4月26日||1955年9月12日||通行人1人を扼殺。控訴取下げ。1959年11月11日に死刑執行<ref>朝日新聞1959年11月12日夕刊</ref>(28歳没)。
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|[[福笑い殺人事件|八王子マダム福笑い殺人事件]](Y)||1957年6月||1955年2月3日||1人を縄で絞殺、控訴取下げ。
|[[福笑い殺人事件|八王子マダム福笑い殺人事件]] (Y)||1957年6月||1955年2月3日||1人を縄で絞殺、控訴取下げ。
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|佐賀雇主一家強盗殺傷事件(W)||1957年6月27日||1952年1月3日||知人1人を日本刀で惨殺。
|佐賀雇主一家強盗殺傷事件 (W)||1957年6月27日||1952年1月3日||知人1人を日本刀で惨殺。
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|[[人違いバラバラ殺人事件]](F)||1957年7月19日||1954年9月5日||一審は無期懲役、控訴審最終尋問で証人を負傷させたことが問題に。1959年5月27日に死刑執行(40歳没)。
|[[人違いバラバラ殺人事件]] (F)||1957年7月19日||1954年9月5日||一審は無期懲役、控訴審最終尋問で証人を負傷させたことが問題に。1959年5月27日に死刑執行(40歳没)。
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|[[藤本事件]](藤本松夫)||1957年8月23日||1952年7月6日||1962年9月14日に死刑執行(40歳没)。死刑囚が[[ハンセン病]]患者であったため、当時から捜査と裁判の不正さ、冤罪の可能性が指摘されていたが、国の委託を受けた[[日弁連法務研究財団]]<ref>{{PDFLink|[http://www.jlf.or.jp/work/gijiroku/hansen_giji1.pdf 日弁連法務研究財団ハンセン病事業検証会議 第1回ハンセン病問題検討会議事録]}}</ref>は、2005年に調査報告書で、「[[デュー・プロセス・オブ・ロー|手続的保障]]が十分に尽くされ(ていた事件かという)視野に立った場合、藤本事件は、到底、[[日本国憲法|憲法]]的な要求を満たした裁判であったとはいえないだろう」と指摘した<ref>{{PDFLink|[http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/dl/4a16.pdf ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 3.藤本事件の真相 日弁連法務研究財団ハンセン病事業検証会議]}}</ref>。
|[[藤本事件]](藤本松夫)||1957年8月23日||1952年7月6日||1962年9月14日に死刑執行(40歳没)。死刑囚が[[ハンセン病]]患者であったため、当時から捜査と裁判の不正さ、冤罪の可能性が指摘されていたが、国の委託を受けた[[日弁連法務研究財団]]<ref>{{PDFLink|[http://www.jlf.or.jp/work/gijiroku/hansen_giji1.pdf 日弁連法務研究財団ハンセン病事業検証会議 第1回ハンセン病問題検討会議事録]}}</ref>は、2005年に調査報告書で、「[[デュー・プロセス・オブ・ロー|手続的保障]]が十分に尽くされ(ていた事件かという)視野に立った場合、藤本事件は、到底、[[日本国憲法|憲法]]的な要求を満たした裁判であったとはいえないだろう」と指摘した<ref>{{PDFLink|[http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/kenkou/hansen/kanren/dl/4a16.pdf ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書 3.藤本事件の真相 日弁連法務研究財団ハンセン病事業検証会議]}}</ref>。
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|北海道・千歳強盗殺人事件<ref>朝日新聞1957年8月30日夕刊</ref>(Y)||1957年8月30日||1954年1月2日||一審は無期懲役、侵入先で夫婦を惨殺し子供1人を負傷させる。犯行時18歳4か月で確定時も21歳であり、ともに戦後最年少記録だった。犯行年齢最年少は[[光市母子殺害事件]](判決確定2012年2月20日)により18歳1か月に更新されている。
|北海道・千歳強盗殺人事件<ref>朝日新聞1957年8月30日夕刊</ref> (Y)||1957年8月30日||1954年1月2日||一審は無期懲役、侵入先で夫婦を惨殺し子供1人を負傷させる。犯行時18歳4か月で確定時も21歳であり、ともに戦後最年少記録だった。犯行年齢最年少は[[光市母子殺害事件]](判決確定2012年2月20日)により18歳1か月に更新されている。
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|十二銭五厘強盗殺人事件<ref>朝日新聞1957年9月3日夕刊</ref>(I)||1957年9月3日||1955年12月9日||手提金庫にあった硬貨を掴んだ際に83歳女性にみつかり「口封じ」のために殺害しボストンバッグを持って逃走。硬貨は法的には既に通用しない古銭だった。
|十二銭五厘強盗殺人事件<ref>朝日新聞1957年9月3日夕刊</ref> (I)||1957年9月3日||1955年12月9日||手提金庫にあった硬貨を掴んだ際に83歳女性にみつかり「口封じ」のために殺害しボストンバッグを持って逃走。硬貨は法的には既に通用しない古銭だった。
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|[[梅田事件]](H)||1957年11月14日||1950年・1951年||Hは2件の強盗殺人の首謀者であるが、無関係の第三者を2人も巻き込み、そのうちUが無期懲役で服役し後に再審無罪になった冤罪事件でもある。[[青地晨]]の「魔の時間」によればHはUを巻き込むことで共犯を守ろうとした可能性を指摘している。1960年6月20日に死刑執行(37歳没)。
|[[梅田事件]] (H)||1957年11月14日||1950年・1951年||Hは2件の強盗殺人の首謀者であるが、無関係の第三者を2人も巻き込み、そのうちUが無期懲役で服役し後に再審無罪になった冤罪事件でもある。[[青地晨]]の「魔の時間」によればHはUを巻き込むことで共犯を守ろうとした可能性を指摘している。1960年6月20日に死刑執行(37歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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| 中野質屋夫婦殺傷事件(T)||1958年6月13日||1955年11月4日||遊興費に窮した男が質屋に押し入り、妻をナタで撲殺し夫は重傷。500円と腕時計を奪う<ref>朝日新聞1958年6月13日 夕刊5面</ref>。
| 中野質屋夫婦殺傷事件 (T)||1958年6月13日||1955年11月4日||遊興費に窮した男が質屋に押し入り、妻をナタで撲殺し夫は重傷。500円と腕時計を奪う<ref>朝日新聞1958年6月13日 夕刊5面</ref>。
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|江戸川運転手殺害事件(I)||1958年6月13日||1956年4月5日||江戸川区で運転手を殴り付近のハス田に投げ込み窒息死にし約2500円を奪った<ref>朝日新聞1958年6月13日 夕刊5面</ref>。
|江戸川運転手殺害事件 (I)||1958年6月13日||1956年4月5日||江戸川区で運転手を殴り付近のハス田に投げ込み窒息死にし約2500円を奪った<ref>朝日新聞1958年6月13日 夕刊5面</ref>。
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|{{Display none|さとう まこと/}}[[牟礼事件]]([[佐藤誠 歌人|佐藤誠]])||1958年8月5日||1950年4月13日||実行犯による証言のみ。物的[[証拠]]がないため冤罪との指摘がある。再審請求8回。1989年10月27日、[[くも膜下出血]]のため死亡(81歳没)。
|{{Display none|さとう まこと/}}[[牟礼事件]]([[佐藤誠 (歌人)|佐藤誠]])||1958年8月5日||1950年4月13日||実行犯による証言のみ。物的[[証拠]]がないため冤罪との指摘がある。再審請求8回。1989年10月27日、[[くも膜下出血]]のため死亡(81歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|北海道連続強盗強姦殺傷事件(A)||1959年2月25日||1953年9月5日 1958年1月3日||一審確定、侵入先一家3人を惨殺。
|北海道連続強盗強姦殺傷事件 (A)||1959年2月25日||1953年9月5日 1958年1月3日||一審確定、侵入先一家3人を惨殺。
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|杉並重役夫人殺害事件<ref>朝日新聞1959年4月16日夕刊</ref>(A)||1959年4月16日||1957年4月24日||一審は無期懲役で上告棄却、侵入先で1人を刺殺。
|杉並重役夫人殺害事件<ref>朝日新聞1959年4月16日夕刊</ref> (A)||1959年4月16日||1957年4月24日||一審は無期懲役で上告棄却、侵入先で1人を刺殺。
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|銀座雑貨商殺害事件<ref>朝日新聞1959年4月16日夕刊</ref>(A)||1959年4月16日||1955年3月5日||上告棄却、侵入先で1人を殺害。
|銀座雑貨商殺害事件<ref>朝日新聞1959年4月16日夕刊</ref> (A)||1959年4月16日||1955年3月5日||上告棄却、侵入先で1人を殺害。
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|長野一家4人殺傷事件(O)||1959年4月23日||1956年12月30日||
|長野一家4人殺傷事件 (O)||1959年4月23日||1956年12月30日||
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|札幌重役夫人殺人事件(S)||1959年4月28日||1955年3月5日||
|札幌重役夫人殺人事件 (S)||1959年4月28日||1955年3月5日||
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|横浜母子強盗殺人事件(A)||1959年6月9日||1957年5月17日||
|横浜母子強盗殺人事件 (A)||1959年6月9日||1957年5月17日||
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|八王子マダム福笑い殺人事件(O)||1959年6月16日||1955年2月3日||未成年、共犯のYは1957年確定。
|八王子マダム福笑い殺人事件 (O)||1959年6月16日||1955年2月3日||未成年、共犯のYは1957年確定。
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|[[品川トランク詰殺人事件]](N)||1959年9月18日||1956年6月30日||共犯の女性は懲役15年。
|[[品川トランク詰殺人事件]] (N)||1959年9月18日||1956年6月30日||共犯の女性は懲役15年。
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|中野友人殺害事件<ref>朝日新聞1959年9月18日夕刊</ref>(T)||1959年9月18日||1956年12月||上告棄却、ネクタイで友人を絞殺。共犯は有期の懲役刑。
|中野友人殺害事件<ref>朝日新聞1959年9月18日夕刊</ref> (T)||1959年9月18日||1956年12月||上告棄却、ネクタイで友人を絞殺。共犯は有期の懲役刑。
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|宇部市兄一家4人殺害事件<ref>朝日新聞1959年9月18日夕刊</ref>(S)||1959年9月18日||1957年3月||上告棄却、同居していた兄嫁と子供3人を惨殺。
|宇部市兄一家4人殺害事件<ref>朝日新聞1959年9月18日夕刊</ref> (S)||1959年9月18日||1957年3月||上告棄却、同居していた兄嫁と子供3人を惨殺。
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|北海道・羽幌強盗放火殺人事件<ref>朝日新聞1959年12月4日夕刊</ref>(O)||1959年12月4日||1956年4月4日||上告棄却、金に困り侵入先一家3人を惨殺。
|北海道・羽幌強盗放火殺人事件<ref>朝日新聞1959年12月4日夕刊</ref> (O)||1959年12月4日||1956年4月4日||上告棄却、金に困り侵入先一家3人を惨殺。
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|東京・神奈川・埼玉連続婦女暴行殺傷事件<ref>朝日新聞1959年12月15日夕刊</ref>(A)||1959年12月15日||1954年7月4日ほか||上告棄却。殺人2件のほか婦女暴行31件の余罪。
|東京・神奈川・埼玉連続婦女暴行殺傷事件<ref>朝日新聞1959年12月15日夕刊</ref> (A)||1959年12月15日||1954年7月4日ほか||上告棄却。殺人2件のほか婦女暴行31件の余罪。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[日光中宮祠事件]](A)||1960年6月10日||1946年5月4日||強盗放火殺人、犠牲者6人も警察は一家心中と処理し、1955年まで真相が判明せず。1974年6月6日に死刑執行。
|[[日光中宮祠事件]] (A)||1960年6月10日||1946年5月4日||強盗放火殺人、犠牲者6人も警察は一家心中と処理し、1955年まで真相が判明せず。1974年6月6日に死刑執行。
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|日光中宮祠事件(B)||1960年6月10日||1946年5月4日||上記共犯。1974年6月6日に死刑執行。
|日光中宮祠事件 (B)||1960年6月10日||1946年5月4日||上記共犯。1974年6月6日に死刑執行。
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|京都・大映部長一家殺傷事件<ref name=retsuden222>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 222頁</ref>(K)||1960年6月||不明||1962年に死刑執行。
|京都・大映部長一家殺傷事件<ref name=retsuden222>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 222頁</ref> (K)||1960年6月||不明||1962年に死刑執行。
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|宮城自動車販売店外交員殺人事件(A)||1960年7月15日||1955年11月4日||購入したオート三輪の支払いに困り、代金の取立てに来た販売店の外交員を殺害し、手形を奪い死体を近所のりんご畑に埋めた<ref>朝日新聞1960年7月15日夕刊</ref>。
|宮城自動車販売店外交員殺人事件 (A)||1960年7月15日||1955年11月4日||購入したオート三輪の支払いに困り、代金の取立てに来た販売店の外交員を殺害し、手形を奪い死体を近所のりんご畑に埋めた<ref>朝日新聞1960年7月15日夕刊</ref>。
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|熊本質屋女性主人殺害事件<ref name=retsuden222/>(I)||1960年8月4日||1958年10月30日||1962年に死刑執行。
|熊本質屋女性主人殺害事件<ref name=retsuden222/> (I)||1960年8月4日||1958年10月30日||1962年に死刑執行。
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|[[広島・八本松タクシー強盗殺人事件]](A)||1960年8月4日||1957年1月29日||銀行強盗に使おうとタクシー運転手を射殺しタクシーを強奪<ref>朝日新聞1960年8月4日夕刊</ref>。また1961年4月に拘置所から脱獄し18時間後に拘束される事件も起こした<ref>朝日新聞1961年4月4日朝刊</ref>。
|[[広島・八本松タクシー強盗殺人事件]] (A)||1960年8月4日||1957年1月29日||銀行強盗に使おうとタクシー運転手を射殺しタクシーを強奪<ref>朝日新聞1960年8月4日夕刊</ref>。また1961年4月に拘置所から脱獄し18時間後に拘束される事件も起こした<ref>朝日新聞1961年4月4日朝刊</ref>。
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|[[松山事件]](斎藤幸夫)||1960年11月1日||1955年10月18日||強盗放火殺人事件であるが、再審で捜査当局によって証拠の捏造と自白の強要が証明され冤罪として無罪になったのは、1984年7月であった。
|[[松山事件]](斎藤幸夫)||1960年11月1日||1955年10月18日||強盗放火殺人事件であるが、再審で捜査当局によって証拠の捏造と自白の強要が証明され冤罪として無罪になったのは、1984年7月であった。
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|[[島田事件]](赤堀政夫)||1960年12月5日||1954年3月10日||女子児童誘拐殺人事件であるが、自白調書作成と証拠鑑定<ref group="注">[[東京大学]]教授の[[古畑種基]]による被害者の殺害方法についての鑑定が、再審時の鑑定とまったく一致しないばかりか、目撃証言と元死刑囚の体格が一致していなかったことが判明。</ref>で問題が数多くあったことが再審で判明、1989年8月に無罪放免となった。[[静岡県警察]][[警部]]であった「拷問王」[[紅林麻雄]]による冤罪犠牲者<ref group="注">拷問と虚偽の捏造した証拠によって自白調書を作成する捜査手法をとることで静岡県警で「捜査の神様」といわれた紅林の関わった冤罪事件は[[幸浦事件]]、[[二俣事件]]、[[小島事件]]など多数あるが、死刑判決が確定したのは島田事件が唯一だった。最高裁でも見向けなかったのは古畑の誤鑑定の評価ミスだった。もっとも現在では証拠能力を否定する刑事訴訟法の法理である違法収集証拠排除法則が確立しているため、真実の自白や証拠であったとしても証拠能力が否定され刑事裁判の維持が不可能になる。</ref>のひとりとされている。
|[[島田事件]](赤堀政夫)||1960年12月5日||1954年3月10日||女子児童誘拐殺人事件であるが、自白調書作成と証拠鑑定<ref group="注">[[東京大学]]教授の[[古畑種基]]による被害者の殺害方法についての鑑定が、再審時の鑑定とまったく一致しないばかりか、目撃証言と元死刑囚の体格が一致していなかったことが判明。</ref>で問題が数多くあったことが再審で判明、1989年8月に無罪放免となった。[[静岡県警察]][[警部]]であった「拷問王」[[紅林麻雄]]による冤罪犠牲者<ref group="注">拷問と虚偽の捏造した証拠によって自白調書を作成する捜査手法をとることで静岡県警で「捜査の神様」といわれた紅林の関わった冤罪事件は[[幸浦事件]]、[[二俣事件]]、[[小島事件]]など多数あるが、死刑判決が確定したのは島田事件が唯一だった。最高裁でも見向けなかったのは古畑の誤鑑定の評価ミスだった。もっとも現在では証拠能力を否定する刑事訴訟法の法理である違法収集証拠排除法則が確立しているため、真実の自白や証拠であったとしても証拠能力が否定され刑事裁判の維持が不可能になる。</ref>のひとりとされている。
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|[[熊本饅頭屋夫妻殺人事件]](M)||1960年12月16日||1956年1月12日||上告審で被告人側弁護人が「死刑が相当」と「求刑」したのが問題に。1962年12月21日に死刑執行(26歳没)。
|[[熊本饅頭屋夫妻殺人事件]] (M)||1960年12月16日||1956年1月12日||上告審で被告人側弁護人が「死刑が相当」と「求刑」したのが問題に。1962年12月21日に死刑執行(26歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|和歌山愛人爆殺事件<ref>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 227頁</ref> (H)||1961年2月||不明||元愛人ら2人を[[ダイナマイト]]で殺害。裁判時は62歳。死刑執行日は不明。
|和歌山愛人爆殺事件<ref>村野薫「増補・改訂版 戦後死刑囚列伝」宝島社 2002年 227頁</ref> (H)||1961年2月||不明||元愛人ら2人を[[ダイナマイト]]で殺害。裁判時は62歳。死刑執行日は不明。
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|[[下関養父母殺害逃亡事件]](A)||1961年3月30日||1955年 - 1957年||養父母殺害後、身代わりにするため2人も殺害。1965年に死刑執行(月日は不明)。
|[[下関養父母殺害逃亡事件]] (A)||1961年3月30日||1955年 - 1957年||養父母殺害後、身代わりにするため2人も殺害。1965年に死刑執行(月日は不明)。
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|高岡質屋女性主人殺人事件(A)||1961年6月6日||1960年3月14日||質屋の女性主人を殺害し、現金23,000円と時計を強奪<ref>朝日新聞1961年6月6日夕刊</ref>。
|高岡質屋女性主人殺人事件 (A)||1961年6月6日||1960年3月14日||質屋の女性主人を殺害し、現金23,000円と時計を強奪<ref>朝日新聞1961年6月6日夕刊</ref>。
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|[[昭和郷アパート放火事件]](A)||1961年7月31日||1957年10月27日||[[現住建造物等放火罪]]で死刑。一審は無期懲役。
|[[昭和郷アパート放火事件]] (A)||1961年7月31日||1957年10月27日||[[現住建造物等放火罪]]で死刑。一審は無期懲役。
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|[[小松川事件]](李珍宇)||1961年8月17日||1958年4月8日||犯行時18歳、犠牲者は女性2人。1962年11月26日に死刑執行(22歳没)。
|[[小松川事件]](李珍宇)||1961年8月17日||1958年4月8日||犯行時18歳、犠牲者は女性2人。1962年11月26日に死刑執行(22歳没)。
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|愛知農協宿直員殺人事件(A)||1961年8月17日||1958年3月||農協に押し入り宿直していた者を撲殺。一審は無期懲役<ref>朝日新聞1961年8月17日夕刊</ref>。
|愛知農協宿直員殺人事件 (A)||1961年8月17日||1958年3月||農協に押し入り宿直していた者を撲殺。一審は無期懲役<ref>朝日新聞1961年8月17日夕刊</ref>。
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|横浜船長父子殺人放火事件 (A)||1962年2月16日||1959年2月8日||
|横浜船長父子殺人放火事件 (A)||1962年2月16日||1959年2月8日||
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|釧路ハイヤー運転手強盗殺人事件 (A)||1962年2月20日||1957年11月5日||
|釧路ハイヤー運転手強盗殺人事件 (A)||1962年2月20日||1957年11月5日||
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|岡山・児島幼姉妹わいせつ殺傷事件 (A)||1962年3月1日||1960年2月19日||控訴せず確定。
|岡山・児島幼姉妹わいせつ殺傷事件 (A)||1962年3月1日||1960年2月19日||控訴せず確定。
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|岐阜鉱山主殺人事件 (A)||1962年4月6日||1957年9月16日||在日コリアンによる事件。1970年10月に死刑執行。
|岐阜鉱山主殺人事件 (A)||1962年4月6日||1957年9月16日||在日コリアンによる事件。1970年10月に死刑執行。
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|佐世保雑貨商夫婦強盗殺人事件 (A)||1962年5月8日||1959年4月14日||1970年9月19日に死刑執行。
|佐世保雑貨商夫婦強盗殺人事件 (A)||1962年5月8日||1959年4月14日||1970年9月19日に死刑執行。
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|新潟県農家強盗殺人事件([[島秋人]])||1962年6月1日||1959年4月5日||凶悪事件の累犯であったが、農家の妻を殺害。裁判中から死刑囚の感情を読んだ短歌を歌壇に数多く発表、島はその筆名である。本名は中村覚。1967年11月2日に死刑執行(33歳没)。
|新潟県農家強盗殺人事件([[島秋人]])||1962年6月1日||1959年4月5日||凶悪事件の累犯であったが、農家の妻を殺害。裁判中から死刑囚の感情を読んだ短歌を歌壇に数多く発表、島はその筆名である。本名は中村覚。1967年11月2日に死刑執行(33歳没)。
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|長崎奈留島雑貨商殺人事件 (A)||1962年5月29日||1955年9月28日||1974年1月24日獄死。
|長崎奈留島雑貨商殺人事件 (A)||1962年5月29日||1955年9月28日||1974年1月24日獄死。
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|山口同僚強盗殺人事件 (A)||1962年6月29日||1958年10月10日||
|山口同僚強盗殺人事件 (A)||1962年6月29日||1958年10月10日||
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|[[闇屋連続4人殺害事件]] (I)||1962年7月17日||1946年||生活に困窮した夫婦が闇屋を連続して殺害。事件発覚後逃亡し11年後に逮捕。一審は共に無期懲役だったが、犯行を持ちかけたのは妻であったにもかかわらず夫が逆転死刑。1967年11月16日に死刑執行(68歳没)。
|[[闇屋連続4人殺害事件]] (I)||1962年7月17日||1946年||生活に困窮した夫婦が闇屋を連続して殺害。事件発覚後逃亡し11年後に逮捕。一審は共に無期懲役だったが、犯行を持ちかけたのは妻であったにもかかわらず夫が逆転死刑。1967年11月16日に死刑執行(68歳没)。
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|北海道・赤平母子殺人事件 (A)||1962年10月18日||1960年1月17日||
|北海道・赤平母子殺人事件 (A)||1962年10月18日||1960年1月17日||
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|広島・加計町強盗殺人事件 (A)||1962年10月9日||1957年7月12日||被害者3人。
|広島・加計町強盗殺人事件 (A)||1962年10月9日||1957年7月12日||被害者3人。
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|広島・加計町強盗殺人事件 (B)||1962年10月9日||1957年7月12日||上記共犯。
|広島・加計町強盗殺人事件 (B)||1962年10月9日||1957年7月12日||上記共犯。
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|静岡清水村老婆強盗殺人事件 (B)||1962年12月11日||1960年12月30日||
|静岡清水村老婆強盗殺人事件 (B)||1962年12月11日||1960年12月30日||
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|箕面社長一家殺傷事件 (A)||1962年12月14日||1959年3月16日||犠牲者1人。
|箕面社長一家殺傷事件 (A)||1962年12月14日||1959年3月16日||犠牲者1人。
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|[[バー・メッカ殺人事件]]([[正田昭]])||1963年||1959年7月22日||当時のマスコミはアプレゲール犯罪の典型として大きく報道した。共犯2人も有期の懲役刑、なお正田は獄中で小説家として名声を得ていた。1969年12月9日に死刑執行(40歳没)。
|[[バー・メッカ殺人事件]]([[正田昭]])||1963年||1959年7月22日||当時のマスコミはアプレゲール犯罪の典型として大きく報道した。共犯2人も有期の懲役刑、なお正田は獄中で小説家として名声を得ていた。1969年12月9日に死刑執行(40歳没)。
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|西宮雇い主一家3人殺害事件 (A)||1963年2月8日||1958年8月7日||犯行時19歳。
|西宮雇い主一家3人殺害事件 (A)||1963年2月8日||1958年8月7日||犯行時19歳。
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|葉山主婦強盗殺人事件 (A)||1963年3月28日||1959年4月21日||
|葉山主婦強盗殺人事件 (A)||1963年3月28日||1959年4月21日||
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|北海道豊頃村一家4人殺害事件 (X)||1963年4月12日||1960年8月26日||下記共犯Yも死刑。
|北海道豊頃村一家4人殺害事件 (X)||1963年4月12日||1960年8月26日||下記共犯Yも死刑。
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|中野刑務所看守殺人事件 (A)||1963年3月28日||1961年1月21日||共犯(無期)とともに脱獄時に看守を殺害、1967年に死刑執行。
|中野刑務所看守殺人事件 (A)||1963年3月28日||1961年1月21日||共犯(無期)とともに脱獄時に看守を殺害、1967年に死刑執行。
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|[[女性連続毒殺魔事件]](杉村サダメ)||1963年3月28日||1960年12月||女性死刑囚。1970年9月19日に死刑執行。
|[[女性連続毒殺魔事件]](杉村サダメ)||1963年3月28日||1960年12月||女性死刑囚。1970年9月19日に死刑執行。
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|看護婦強盗殺人・共犯内妻刺殺事件 (A)||1963年4月30日||1960年10月||控訴するも直後に取り下げ。
|看護婦強盗殺人・共犯内妻刺殺事件 (A)||1963年4月30日||1960年10月||控訴するも直後に取り下げ。
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|北海道豊頃村一家4人殺害事件 (Y)||1963年4月12日||1960年8月26日||上記X(死刑)の共犯。
|北海道豊頃村一家4人殺害事件 (Y)||1963年4月12日||1960年8月26日||上記X(死刑)の共犯。
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|神戸重役夫人殺人事件 (A)||1963年4月23日||1958年12月8日||
|神戸重役夫人殺人事件 (A)||1963年4月23日||1958年12月8日||
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|[[岩槻一家7人殺害事件]] (A)||1963年4月30日||1958年7月27日||家庭環境に疲れ果てた男が自宅を放火し一家全員を焼死させた。一審は無期懲役であったが控訴審で逆転死刑となり上告も棄却。執行日不明。
|[[岩槻一家7人殺害事件]] (A)||1963年4月30日||1958年7月27日||家庭環境に疲れ果てた男が自宅を放火し一家全員を焼死させた。一審は無期懲役であったが控訴審で逆転死刑となり上告も棄却。執行日不明。
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|熊本警官毒殺・タクシー運転手射殺事件 (A)||1963年5月10日||1961年5月31日||犯行時18歳、1969年10月18日に死刑執行。
|熊本警官毒殺・タクシー運転手射殺事件 (A)||1963年5月10日||1961年5月31日||犯行時18歳、1969年10月18日に死刑執行。
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|愛知一宮女性事務員殺人事件 (A)||1963年5月14日||1961年6月30日||
|愛知一宮女性事務員殺人事件 (A)||1963年5月14日||1961年6月30日||
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|上尾老夫婦殺人放火事件 (A)||1963年6月27日||1959年6月23日||
|上尾老夫婦殺人放火事件 (A)||1963年6月27日||1959年6月23日||
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|松島老堂守殺人事件 (A)||1963年6月25日||1961年4月15日||
|松島老堂守殺人事件 (A)||1963年6月25日||1961年4月15日||
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|東伊豆ダイナマイト殺傷事件 (A)||1963年9月5日||1960年10月||盗みに入った家で顔を見られたため「口封じ」のためダイナマイトで一家5人を皆殺しにしようとし、主人を殺害<ref>朝日新聞1963年9月5日夕刊</ref>。
|東伊豆ダイナマイト殺傷事件 (A)||1963年9月5日||1960年10月||盗みに入った家で顔を見られたため「口封じ」のためダイナマイトで一家5人を皆殺しにしようとし、主人を殺害<ref>朝日新聞1963年9月5日夕刊</ref>。
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|福岡県立築上西高校警備員2人殺害事件 (A)||1963年10月1日||1960年1月19日||共犯は無期、1967年10月21日に死刑執行。
|福岡県立築上西高校警備員2人殺害事件 (A)||1963年10月1日||1960年1月19日||共犯は無期、1967年10月21日に死刑執行。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|目黒母子殺人事件 (A)||1964年1月||1963年1月17日||控訴取下げ確定。
|目黒母子殺人事件 (A)||1964年1月||1963年1月17日||控訴取下げ確定。
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|南千住宿直員父子殺人事件 (A)||1964年1月8日||1960年5月14日||
|南千住宿直員父子殺人事件 (A)||1964年1月8日||1960年5月14日||
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|[[大阪・住吉実母殺人事件]] (O)||1964年2月7日||1960年6月8日||強盗殺人の従犯で懲役15年(7年で仮出所)の前科あり。1967年11月16日に死刑執行(42歳没)。
|[[大阪・住吉実母殺人事件]] (O)||1964年2月7日||1960年6月8日||強盗殺人の従犯で懲役15年(7年で仮出所)の前科あり。1967年11月16日に死刑執行(42歳没)。
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|大和タクシー運転手強盗殺人事件 (A)||1964年2月18日||1954年12月11日||
|大和タクシー運転手強盗殺人事件 (A)||1964年2月18日||1954年12月11日||
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|一宮大叔母強盗殺人事件 (A)||1964年4月2日||1961年12月4日||
|一宮大叔母強盗殺人事件 (A)||1964年4月2日||1961年12月4日||
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|伊那たばこ店老夫婦毒殺事件 (A)||1964年7月14日||1956年4月1日||
|伊那たばこ店老夫婦毒殺事件 (A)||1964年7月14日||1956年4月1日||
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|新潟新聞販売店一家3人殺人事件 (A)||1964年7月16日||1960年4月25日||かつて勤めていた新潟市の読売新聞販売店<ref>朝日新聞1960年4月25日夕刊</ref>に押し入り、店主と養母、女中の3人を殺害したが、たまたま通りかかった消防車のサイレンに驚き逃走。
|新潟新聞販売店一家3人殺人事件 (A)||1964年7月16日||1960年4月25日||かつて勤めていた新潟市の読売新聞販売店<ref>朝日新聞1960年4月25日夕刊</ref>に押し入り、店主と養母、女中の3人を殺害したが、たまたま通りかかった消防車のサイレンに驚き逃走。
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|新潟新聞販売店一家3人殺人事件 (B)||1964年7月16日||1960年4月25日||上記事件の共犯者<ref>朝日新聞1964年7月16日夕刊</ref>。
|新潟新聞販売店一家3人殺人事件 (B)||1964年7月16日||1960年4月25日||上記事件の共犯者<ref>朝日新聞1964年7月16日夕刊</ref>。
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|愛媛城辺老夫婦強盗殺人事件 (B)||1964年12月8日||1960年6月13日||
|愛媛城辺老夫婦強盗殺人事件 (B)||1964年12月8日||1960年6月13日||
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (S)||1965年1月5日||1962年6月5日||最高裁1964年12月25日判決、翌年確定。
|三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (S)||1965年1月5日||1962年6月5日||最高裁1964年12月25日判決、翌年確定。
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|三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (M)||1965年1月29日||1962年6月5日||上記事件共犯者。
|三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (M)||1965年1月29日||1962年6月5日||上記事件共犯者。
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|新宿女性殺人事件 (C)||1965年1月22日||1962年9月14日||
|新宿女性殺人事件 (C)||1965年1月22日||1962年9月14日||
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|横浜一家3人殺傷事件 (F)||1965年6月29日||1963年4月16日||
|横浜一家3人殺傷事件 (F)||1965年6月29日||1963年4月16日||
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|世田谷クリーニング店夫婦殺人事件 (O)||1965年7月13日||1963年6月17日||
|世田谷クリーニング店夫婦殺人事件 (O)||1965年7月13日||1963年6月17日||
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|清水一家4人殺傷事件 (O)||1965年7月20日||1960年2月3日||
|清水一家4人殺傷事件 (O)||1965年7月20日||1960年2月3日||
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|横須賀廃品回収業者殺人事件 (U)||1965年9月17日||1961年2月13日||
|横須賀廃品回収業者殺人事件 (U)||1965年9月17日||1961年2月13日||
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|横浜女児殺人事件 (W)||1965年12月17日||1963年6月16日||
|横浜女児殺人事件 (W)||1965年12月17日||1963年6月16日||
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|釧路雑貨商夫婦殺人事件 (B)||1966年2月4日||1963年11月6日||上告棄却。犯行時19歳([[少年死刑囚]])で、パチンコ代欲しさに民家を物色中、被害者が寝返りを打ったことに驚き夫婦2人を手斧で殺害<ref>朝日新聞1966年2月4日夕刊</ref>。1967年に死刑執行。
|釧路雑貨商夫婦殺人事件 (B)||1966年2月4日||1963年11月6日||上告棄却。犯行時19歳([[少年死刑囚]])で、パチンコ代欲しさに民家を物色中、被害者が寝返りを打ったことに驚き夫婦2人を手斧で殺害<ref>朝日新聞1966年2月4日夕刊</ref>。1967年に死刑執行。
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|横浜韓国人夫婦殺人事件 (C)||1966年2月26日||1964年8月5日||控訴せず確定、定住外国人死刑囚としては昭和時代最後の事例。
|横浜韓国人夫婦殺人事件 (C)||1966年2月26日||1964年8月5日||控訴せず確定、定住外国人死刑囚としては昭和時代最後の事例。
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|[[四国連続強盗殺人事件]] (M)||1966年3月31日||1964年10月||6人殺害。軍隊時代に脱走する際看守を殺害しようとしたとして軍法会議で無期懲役になった前科あり。1970年10月29日に死刑執行。
|[[四国連続強盗殺人事件]] (M)||1966年3月31日||1964年10月||6人殺害。軍隊時代に脱走する際看守を殺害しようとしたとして軍法会議で無期懲役になった前科あり。1970年10月29日に死刑執行。
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|座間市女性殺害事件 (C)||1966年4月8日||1963年6月22日||上告棄却。帰宅途中の女性を家まで送ってやると声をかけライトバンの助手席に乗せたが、草地に連れ込み乱暴した上で殺害し遺体を埋め、腕時計を奪った<ref>朝日新聞1966年4月8日夕刊</ref>。1969年3月14日に死刑執行<ref>長部日出雄『死刑台への逃走』立風書房、1969年 247頁</ref>。
|座間市女性殺害事件 (C)||1966年4月8日||1963年6月22日||上告棄却。帰宅途中の女性を家まで送ってやると声をかけライトバンの助手席に乗せたが、草地に連れ込み乱暴した上で殺害し遺体を埋め、腕時計を奪った<ref>朝日新聞1966年4月8日夕刊</ref>。1969年3月14日に死刑執行<ref>長部日出雄『死刑台への逃走』立風書房、1969年 247頁</ref>。
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|旭川連続短銃殺傷事件 (C)||1966年5月31日||不明||上告棄却<ref>朝日新聞1966年5月31日夕刊</ref>。
|旭川連続短銃殺傷事件 (C)||1966年5月31日||不明||上告棄却<ref>朝日新聞1966年5月31日夕刊</ref>。
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|小倉強盗殺人放火事件 (C)||1966年5月31日||不明||上告棄却<ref>朝日新聞1966年5月31日夕刊</ref>。
|小倉強盗殺人放火事件 (C)||1966年5月31日||不明||上告棄却<ref>朝日新聞1966年5月31日夕刊</ref>。
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|[[西口彰事件]](西口彰)||1966年8月15日||1963年||5人殺害・1970年12月11日に死刑執行(44歳没)。
|[[西口彰事件]](西口彰)||1966年8月15日||1963年||5人殺害・1970年12月11日に死刑執行(44歳没)。
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|[[ホテル日本閣殺人事件]](小林カウ)||1966年7月14日||1952年・1960年||戦後2番目の女性死刑確定囚。1952年にも前夫を毒殺していたことが発覚。1970年6月11日に死刑執行(61歳没)。[[女性死刑囚]]としては戦後初の死刑執行。
|[[ホテル日本閣殺人事件]](小林カウ)||1966年7月14日||1952年・1960年||戦後2番目の女性死刑確定囚。1952年にも前夫を毒殺していたことが発覚。1970年6月11日に死刑執行(61歳没)。[[女性死刑囚]]としては戦後初の死刑執行。
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|ホテル日本閣殺人事件 (O)||1966年7月14日||1960年||上記共犯。1970年6月11日に死刑執行。
|ホテル日本閣殺人事件 (O)||1966年7月14日||1960年||上記共犯。1970年6月11日に死刑執行。
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|厚木親方一家4人殺人事件 (H)||1966年12月1日||1964年10月25日||1969年に死刑執行。
|厚木親方一家4人殺人事件 (H)||1966年12月1日||1964年10月25日||1969年に死刑執行。
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|九州三女性殺害事件( )||1966年12月8日||1952年・1962年||上告棄却。1952年9月11日に唐津市にあった炭鉱で女性を殺害。1962年1月と3月にも女性を殺害。他にも婦女暴行や詐欺罪など4件で起訴されていた<ref>朝日新聞1966年12月8日夕刊</ref>。翌年1月12日に確定。
|九州三女性殺害事件( )||1966年12月8日||1952年・1962年||上告棄却。1952年9月11日に唐津市にあった炭鉱で女性を殺害。1962年1月と3月にも女性を殺害。他にも婦女暴行や詐欺罪など4件で起訴されていた<ref>朝日新聞1966年12月8日夕刊</ref>。翌年1月12日に確定。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|東京・中野靴職人殺人事件 (A)||1967年4月||1958年2月17日||
|東京・中野靴職人殺人事件 (A)||1967年4月||1958年2月17日||
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|[[福神丸殺人事件]] (A)||1967年3月16日||1965年3月||上告棄却。九州近海の漁船「福神丸」で発生。義母が死亡したため漁船員が帰港を申し出て船長も受諾。しかし途中で嵐に会い[[口永良部島]]に寄航。その時船長と早く出港するように申し出たところ喧嘩になり船長を殺害。さらに止めに入った同僚二人を刺した。同僚は船室に逃げ込んだため二人を閉じ込めて水没させ海難事故に見せかけて殺害した<ref>朝日新聞1967年3月16日夕刊</ref>。
|[[福神丸殺人事件]] (A)||1967年3月16日||1965年3月||上告棄却。九州近海の漁船「福神丸」で発生。義母が死亡したため漁船員が帰港を申し出て船長も受諾。しかし途中で嵐に会い[[口永良部島]]に寄航。その時船長と早く出港するように申し出たところ喧嘩になり船長を殺害。さらに止めに入った同僚二人を刺した。同僚は船室に逃げ込んだため二人を閉じ込めて水没させ海難事故に見せかけて殺害した<ref>朝日新聞1967年3月16日夕刊</ref>。
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|宮崎・知人両親殺害事件 (A)||1967年4月||1965年9月17日||
|宮崎・知人両親殺害事件 (A)||1967年4月||1965年9月17日||
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|東京・バーマダム殺人事件 (A)||1967年4月7日||1965年9月17日||上告棄却。出所したばかりの男がじぶんが住むアパート内の部屋を物色中にその部屋で寝ていたバーの雇われマダムを刺殺し2000円を奪った。ほかにも窃盗事件8件の余罪あり<ref>朝日新聞1967年4月7日夕刊</ref>。
|東京・バーマダム殺人事件 (A)||1967年4月7日||1965年9月17日||上告棄却。出所したばかりの男がじぶんが住むアパート内の部屋を物色中にその部屋で寝ていたバーの雇われマダムを刺殺し2000円を奪った。ほかにも窃盗事件8件の余罪あり<ref>朝日新聞1967年4月7日夕刊</ref>。
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|[[雅樹ちゃん誘拐殺人事件]](本山茂久)||1967年5月25日||1960年5月16日||歯科医の死刑囚、1971年に死刑執行。
|[[雅樹ちゃん誘拐殺人事件]](本山茂久)||1967年5月25日||1960年5月16日||歯科医の死刑囚、1971年に死刑執行。
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|大阪・幼女殺人事件 (A)||1967年6月22日||1960年2月3日||
|大阪・幼女殺人事件 (A)||1967年6月22日||1960年2月3日||
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|船橋・夫婦強盗殺害事件 (A)||1967年8月5日||1964年2月27日||被害者2人に対し強盗団3人とも死刑。
|船橋・夫婦強盗殺害事件 (A)||1967年8月5日||1964年2月27日||被害者2人に対し強盗団3人とも死刑。
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|船橋・夫婦強盗殺害事件 (B)||1967年9月5日||1964年2月27日||上記共犯者。
|船橋・夫婦強盗殺害事件 (B)||1967年9月5日||1964年2月27日||上記共犯者。
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|船橋・夫婦強盗殺害事件 (C)||1967年9月5日||1964年2月27日||上記共犯者。
|船橋・夫婦強盗殺害事件 (C)||1967年9月5日||1964年2月27日||上記共犯者。
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|盛岡・強盗殺人放火事件 (A)||1967年9月8日||1965年1月14日||
|盛岡・強盗殺人放火事件 (A)||1967年9月8日||1965年1月14日||
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|八王子金融業者夫婦殺害事件 (A)||1967年10月10日||1963年7月5日||
|八王子金融業者夫婦殺害事件 (A)||1967年10月10日||1963年7月5日||
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|静岡・中学生強姦殺害事件 (A)||1967年10月18日||1965年10月14日||上告棄却。妻の経営するバーの前を通り過ぎていた14歳少女を連れ込み手足を縛り暴行。翌朝絞殺し床下に隠していた。一審は無期判決だった<ref>朝日新聞1967年9月22日夕刊</ref>。
|静岡・中学生強姦殺害事件 (A)||1967年10月18日||1965年10月14日||上告棄却。妻の経営するバーの前を通り過ぎていた14歳少女を連れ込み手足を縛り暴行。翌朝絞殺し床下に隠していた。一審は無期判決だった<ref>朝日新聞1967年9月22日夕刊</ref>。
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|[[吉展ちゃん誘拐殺人事件]](小原保)||1967年10月13日||1963年3月31日||1971年12月23日に死刑執行(38歳没)。
|[[吉展ちゃん誘拐殺人事件]](小原保)||1967年10月13日||1963年3月31日||1971年12月23日に死刑執行(38歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|国分寺市強殺事件 (G)||1968年4月26日||1966年5月21日||上告棄却。会社員宅に押し入り同家の妻を刺殺し現金2020円とネックレスなどを奪った<ref>朝日新聞1968年4月26日夕刊</ref>。
|国分寺市強殺事件 (G)||1968年4月26日||1966年5月21日||上告棄却。会社員宅に押し入り同家の妻を刺殺し現金2020円とネックレスなどを奪った<ref>朝日新聞1968年4月26日夕刊</ref>。
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|岩手薪炭業者夫婦殺害事件 (L)||1968年5月2日||1964年12月||上告棄却。12月15日に薪炭業者に手持ちがないのに木炭を買い取って欲しいと嘘を言って15万円を騙し取った。さらに警察に通報されることを恐れ薪炭業者夫婦を猟銃で殺害し4万6500円を奪った<ref>朝日新聞1968年5月2日夕刊</ref>。
|岩手薪炭業者夫婦殺害事件 (L)||1968年5月2日||1964年12月||上告棄却。12月15日に薪炭業者に手持ちがないのに木炭を買い取って欲しいと嘘を言って15万円を騙し取った。さらに警察に通報されることを恐れ薪炭業者夫婦を猟銃で殺害し4万6500円を奪った<ref>朝日新聞1968年5月2日夕刊</ref>。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|熊本雑貨商一家3人強殺事件 (K)||1969年3月25日||1958年2月18日||共犯は無期懲役、1975年7月11日に死刑執行。
|熊本雑貨商一家3人強殺事件 (K)||1969年3月25日||1958年2月18日||共犯は無期懲役、1975年7月11日に死刑執行。
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|秋田元同僚強殺人事件 (S)||1969年4月25日||1966年2月21日||
|秋田元同僚強殺人事件 (S)||1969年4月25日||1966年2月21日||
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|田無・春日部連続強盗殺人事件 (N)||1969年6月28日||1966年9月||控訴取下げ、1973年10月12日に死刑執行。
|田無・春日部連続強盗殺人事件 (N)||1969年6月28日||1966年9月||控訴取下げ、1973年10月12日に死刑執行。
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|兵庫衣料品店夫妻強殺事件 (K)||1969年7月11日||1968年5月24日||
|兵庫衣料品店夫妻強殺事件 (K)||1969年7月11日||1968年5月24日||
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|鶴見上司バラバラ殺人事件 (N)||1969年8月22日||1966年12月17日||
|鶴見上司バラバラ殺人事件 (N)||1969年8月22日||1966年12月17日||
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|門真一家3人殺害事件 (M)||1969年10月21日||1968年8月7日||元同棲相手の家族を殺害。
|門真一家3人殺害事件 (M)||1969年10月21日||1968年8月7日||元同棲相手の家族を殺害。
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|[[少年ライフル魔事件]] (K)||1969年10月2日||1965年7月29日||犯行時18歳・1972年7月21日に死刑執行(25歳没)。
|[[少年ライフル魔事件]] (K)||1969年10月2日||1965年7月29日||犯行時18歳・1972年7月21日に死刑執行(25歳没)。
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|東京切り裂きジャック事件 (T)||1969年11月14日||1967年-1968年||被害者2人、殺人前科あり、1972年8月に死刑執行。
|東京切り裂きジャック事件 (T)||1969年11月14日||1967年-1968年||被害者2人、殺人前科あり、1972年8月に死刑執行。
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|宇都宮保険金殺人事件 (O)||1969年11月6日||1967年4月19日||
|宇都宮保険金殺人事件 (O)||1969年11月6日||1967年4月19日||
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|八戸農婦強姦殺人事件 (I)||1969年12月5日||1966年4月14日||
|八戸農婦強姦殺人事件 (I)||1969年12月5日||1966年4月14日||
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|長崎質店夫婦強盗殺人事件 (Y)||1969年12月12日||1966年12月23日||1975年10月3日に死刑執行。
|長崎質店夫婦強盗殺人事件 (Y)||1969年12月12日||1966年12月23日||1975年10月3日に死刑執行。
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|昭島老女強盗殺人事件 (S)||1969年12月16日||1965年2月19日||逮捕直後の5月に脱獄前科あり。
|昭島老女強盗殺人事件 (S)||1969年12月16日||1965年2月19日||逮捕直後の5月に脱獄前科あり。
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|{{Display none|T/}}福岡現金輸送車職員毒殺事件 (T)||1969年12月23日||1964年12月15日||家庭不和解決のため金銭を奪うことを計画したTは、[[福岡県]][[筑後市]]にて知り合いの市役所職員ら3人がボーナス資金を運搬していた乗用車に乗り込み青酸カリ入りの栄養剤を言葉巧みに飲ませた。一人は吐き出して助かったが二人はそのまま死亡した<ref>朝日新聞1969年12月23日夕刊</ref>。死刑執行当日の1975年10月3日朝、左手首を[[剃刀]]で切り付け自殺。死刑執行日の自殺は極めて稀である。以来、死刑囚に対し死刑執行の事前通告を一切しなくなったとされる。また当日は福岡2人連続殺傷事件のK死刑囚も死刑が執行されるはずであったが、Tの自殺のため延期され、Kは2日後の1975年10月5日に死刑を執行された。
|{{Display none|T/}}福岡現金輸送車職員毒殺事件 (T)||1969年12月23日||1964年12月15日||家庭不和解決のため金銭を奪うことを計画したTは、[[福岡県]][[筑後市]]にて知り合いの市役所職員ら3人がボーナス資金を運搬していた乗用車に乗り込み青酸カリ入りの栄養剤を言葉巧みに飲ませた。一人は吐き出して助かったが二人はそのまま死亡した<ref>朝日新聞1969年12月23日夕刊</ref>。死刑執行当日の1975年10月3日朝、左手首を[[剃刀]]で切り付け自殺。死刑執行日の自殺は極めて稀である。以来、死刑囚に対し死刑執行の事前通告を一切しなくなったとされる。また当日は福岡2人連続殺傷事件のK死刑囚も死刑が執行されるはずであったが、Tの自殺のため延期され、Kは2日後の1975年10月5日に死刑を執行された。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|川越一家3人殺傷事件 (A)||1970年2月19日||1965年8月24日||交際を求めていた女性の家族に反対され、逆上し姉夫婦を殺害し実弟に重傷を負わせた<ref>朝日新聞1970年2月19日夕刊</ref>。
|川越一家3人殺傷事件 (A)||1970年2月19日||1965年8月24日||交際を求めていた女性の家族に反対され、逆上し姉夫婦を殺害し実弟に重傷を負わせた<ref>朝日新聞1970年2月19日夕刊</ref>。
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|浜松義妹殺人事件 (I)||1970年2月20日||1968年1月10日||犠牲者一人、執行日不明。
|浜松義妹殺人事件 (I)||1970年2月20日||1968年1月10日||犠牲者一人、執行日不明。
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|町田警察官殺害事件 (O)||1970年3月26日||1967年10月5日||執行日不明。
|町田警察官殺害事件 (O)||1970年3月26日||1967年10月5日||執行日不明。
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|福岡2人連続殺傷事件 (K)||1970年3月26日||1966年・1967年||福岡現金輸送車職員毒殺事件のT死刑囚と同じ1975年10月3日に死刑執行予定であったが、当日Tが自殺したため延期。2日後の1975年10月5日に死刑執行(37歳没)。
|福岡2人連続殺傷事件 (K)||1970年3月26日||1966年・1967年||福岡現金輸送車職員毒殺事件のT死刑囚と同じ1975年10月3日に死刑執行予定であったが、当日Tが自殺したため延期。2日後の1975年10月5日に死刑執行(37歳没)。
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|[[広島拘置所尾道拘置支所脱獄事件|三原食堂女主人強盗殺害事件]] (H)||1970年5月||1963年1月20日||殺人前科に余罪多数。1965年に留置場から脱獄しその際窃盗や傷害の余罪を起こし別件で懲役15年が確定。1975年死刑執行(38歳没)。
|[[広島拘置所尾道拘置支所脱獄事件|三原食堂女主人強盗殺害事件]] (H)||1970年5月||1963年1月20日||殺人前科に余罪多数。1965年に留置場から脱獄しその際窃盗や傷害の余罪を起こし別件で懲役15年が確定。1975年死刑執行(38歳没)。
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|弘前宝石商殺人事件 (N)||1970年4月16日||1967年8月10日||共犯は無期懲役、執行日不明。
|弘前宝石商殺人事件 (N)||1970年4月16日||1967年8月10日||共犯は無期懲役、執行日不明。
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|北海道知人強盗殺人事件 (N)||1970年6月||1968年10月19日||控訴取下げ、執行日不明。
|北海道知人強盗殺人事件 (N)||1970年6月||1968年10月19日||控訴取下げ、執行日不明。
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|秋田・五城目夫婦殺人事件 (A)||1970年6月11日||1968年7月23日||強盗に入りマサカリで夫婦を撲殺し金品を奪った<ref>朝日新聞1970年6月11日夕刊</ref>。
|秋田・五城目夫婦殺人事件 (A)||1970年6月11日||1968年7月23日||強盗に入りマサカリで夫婦を撲殺し金品を奪った<ref>朝日新聞1970年6月11日夕刊</ref>。
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|女性美容師殺人事件 (A)||1970年8月20日||1967年1月26日||犯行時19歳([[少年死刑囚]])。内縁の妻がいるのに、結婚すると騙して金をとった女性が邪魔になった為、連れ出した矢板市で殺害し、死体を玉川上水に遺棄した<ref>朝日新聞1970年8月20日夕刊</ref>。1968年に一時脱走の前科あり。
|女性美容師殺人事件 (A)||1970年8月20日||1967年1月26日||犯行時19歳([[少年死刑囚]])。内縁の妻がいるのに、結婚すると騙して金をとった女性が邪魔になった為、連れ出した矢板市で殺害し、死体を玉川上水に遺棄した<ref>朝日新聞1970年8月20日夕刊</ref>。1968年に一時脱走の前科あり。
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|日暮里用務員夫婦殺人事件 (T)||1970年9月22日||1966年8月10日||執行日不明。
|日暮里用務員夫婦殺人事件 (T)||1970年9月22日||1966年8月10日||執行日不明。
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|[[マルヨ無線事件]] (O)||1970年11月12日||1966年12月5日||1946年(昭和21年)9月19日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。一・二審で死刑判決を受け、1970年11月12日に最高裁で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定したが、被害者の死因の1つとされる放火を否認して再審請求中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。死刑確定後収監年数50年は帝銀事件の平沢を上回る世界記録。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[福岡拘置所]]に収監中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。
|[[マルヨ無線事件]] (O)||1970年11月12日||1966年12月5日||1946年(昭和21年)9月19日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。一・二審で死刑判決を受け、1970年11月12日に最高裁で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定したが、被害者の死因の1つとされる放火を否認して再審請求中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。死刑確定後収監年数50年は帝銀事件の平沢を上回る世界記録。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[福岡拘置所]]に収監中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。
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|栃木連続少女殺人事件 (U)||1970年12月15日||1962年・1963年||殺人前科あり。死刑執行日は不明。
|栃木連続少女殺人事件 (U)||1970年12月15日||1962年・1963年||殺人前科あり。死刑執行日は不明。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|横浜団地主婦殺害事件 (W)||1971年2月23日||1967年6月9日||執行日不明。
|横浜団地主婦殺害事件 (W)||1971年2月23日||1967年6月9日||執行日不明。
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|静岡同僚妻殺害放火事件 (M)||1971年3月9日||1967年4月29日||執行日不明。
|静岡同僚妻殺害放火事件 (M)||1971年3月9日||1967年4月29日||執行日不明。
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|[[横須賀線電車爆破事件]](純多摩良樹)||1971年4月22日||1968年6月16日||犠牲者1人。本名はW。獄中で「純多摩良樹」の筆名で短歌を寄稿。1975年12月5日宮城刑務所にて死刑執行(32歳没)。純多摩の希望により遺骨は支援者の牧師が預かったが、1995年、遺族により遺骨が引き取られ、短歌新聞社より歌集『死に至る罪―純多摩良樹歌集』 が刊行された。
|[[横須賀線電車爆破事件]](純多摩良樹)||1971年4月22日||1968年6月16日||犠牲者1人。本名はW。獄中で「純多摩良樹」の筆名で短歌を寄稿。1975年12月5日宮城刑務所にて死刑執行(32歳没)。純多摩の希望により遺骨は支援者の牧師が預かったが、1995年、遺族により遺骨が引き取られ、短歌新聞社より歌集『死に至る罪―純多摩良樹歌集』 が刊行された。
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|[[新潟デザイナー誘拐殺人事件]] (Y)||1971年5月11日||1965年1月13日||1977年5月21日に[[東京拘置所]]の独房の窓ガラスを割り、その破片で首を切り自殺(35歳没)。
|[[新潟デザイナー誘拐殺人事件]] (Y)||1971年5月11日||1965年1月13日||1977年5月21日に[[東京拘置所]]の独房の窓ガラスを割り、その破片で首を切り自殺(35歳没)。
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|栃木呉服店一家3人強盗殺人事件 (M)||1971年8月17日||1969年1月3日||犯行時19歳、執行日不明。
|栃木呉服店一家3人強盗殺人事件 (M)||1971年8月17日||1969年1月3日||犯行時19歳、執行日不明。
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|横浜母子強盗殺人事件 (H)||1971年10月26日||1967年3月14日||1975年12月7日に死刑執行(37歳没)。
|横浜母子強盗殺人事件 (H)||1971年10月26日||1967年3月14日||1975年12月7日に死刑執行(37歳没)。
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|愛知義妹夫婦殺人事件 (F)||1971年12月21日||1969年2月20日||1976年に死刑執行。
|愛知義妹夫婦殺人事件 (F)||1971年12月21日||1969年2月20日||1976年に死刑執行。
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|[[名張毒ぶどう酒事件]](奥西勝)||1972年6月15日||1961年3月28日||1926年(大正15年)1月1日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。1964年12月13日に[[津地方裁判所|津地裁]]で無罪判決を受けたが、1969年9月10日に[[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]で一審破棄・死刑判決を受けた{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。<br>1972年6月15日に最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。その後再審請求を繰り返し、2005年4月には第7次再審請求が認められたが、検察の異議申し立てにより2006年12月に再審開始取り消し決定がなされた{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。最高裁で2010年4月に名古屋高裁への差し戻し決定がなされるも、その後も再審は認められなかった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。<br>第9次再審請求中の2015年10月4日に[[八王子医療刑務所]]で病死({{没年齢|1926|1|1|2015|10|4}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。死後、2015年11月6日に実妹が第10次再審請求{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。
|[[名張毒ぶどう酒事件]](奥西勝)||1972年6月15日||1961年3月28日||1926年(大正15年)1月1日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。1964年12月13日に[[津地方裁判所|津地裁]]で無罪判決を受けたが、1969年9月10日に[[名古屋高等裁判所|名古屋高裁]]で一審破棄・死刑判決を受けた{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。<br>1972年6月15日に最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。その後再審請求を繰り返し、2005年4月には第7次再審請求が認められたが、検察の異議申し立てにより2006年12月に再審開始取り消し決定がなされた{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。最高裁で2010年4月に名古屋高裁への差し戻し決定がなされるも、その後も再審は認められなかった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。<br>第9次再審請求中の2015年10月4日に[[八王子医療刑務所]]で病死({{没年齢|1926|1|1|2015|10|4}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。死後、2015年11月6日に実妹が第10次再審請求{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=248}}。
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|藤沢女子高生殺害事件 (S)||1972年7月18日||1967年1月13日||1982年11月25日に死刑執行。
|藤沢女子高生殺害事件 (S)||1972年7月18日||1967年1月13日||1982年11月25日に死刑執行。
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|戸田・異常性欲男殺人事件(萩原貞次)||1972年12月||1970年8月8日||1976年4月に死刑執行。
|戸田・異常性欲男殺人事件(萩原貞次)||1972年12月||1970年8月8日||1976年4月に死刑執行。
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|大久保清連続殺人事件([[大久保清]])||1973年3月9日||1971年||8人を殺害、被害者多数。一審で死刑判決を受け、控訴せず確定。1976年1月22日に死刑執行(41歳没)。
|大久保清連続殺人事件([[大久保清]])||1973年3月9日||1971年||8人を殺害、被害者多数。一審で死刑判決を受け、控訴せず確定。1976年1月22日に死刑執行(41歳没)。
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|福岡農協強盗殺傷事件 (A)||1973年3月2日||1967年6月20日||1976年9月2日に死刑執行。
|福岡農協強盗殺傷事件 (A)||1973年3月2日||1967年6月20日||1976年9月2日に死刑執行。
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|富山少女殺人事件 (T)||1973年10月18日||1970年3月29日||1977年に死刑執行。
|富山少女殺人事件 (T)||1973年10月18日||1970年3月29日||1977年に死刑執行。
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|山口・徳山市家政婦殺害事件 (B)||1973年9月27日||1967年11月11日||上告棄却。Bは仲間D(無期)と共謀し女性金融業者宅に押し入り金融業者の悲鳴を聞いた家政婦を殺害、金融業者の手足を縛り銀行に電話をかけさせ約42万円を届けさせそれを奪取。逃亡時にBは金融業者の首を縛った。彼女は命は助かったものの全治7ヶ月の重傷であった<ref>朝日新聞1973年9月27日夕刊</ref>。1978年に死刑執行。
|山口・徳山市家政婦殺害事件 (B)||1973年9月27日||1967年11月11日||上告棄却。Bは仲間D(無期)と共謀し女性金融業者宅に押し入り金融業者の悲鳴を聞いた家政婦を殺害、金融業者の手足を縛り銀行に電話をかけさせ約42万円を届けさせそれを奪取。逃亡時にBは金融業者の首を縛った。彼女は命は助かったものの全治7ヶ月の重傷であった<ref>朝日新聞1973年9月27日夕刊</ref>。1978年に死刑執行。
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|神奈川3人連続毒殺事件 (H)||1973年12月13日||1969年12月||上告棄却。金欲しさのため友人三人を次々と毒殺。犯行を隠すため放火もした<ref>朝日新聞1973年12月13日夕刊</ref>。最高裁は1974年2月に判決訂正申立棄却。
|神奈川3人連続毒殺事件 (H)||1973年12月13日||1969年12月||上告棄却。金欲しさのため友人三人を次々と毒殺。犯行を隠すため放火もした<ref>朝日新聞1973年12月13日夕刊</ref>。最高裁は1974年2月に判決訂正申立棄却。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|大田原女性セールスマン殺人事件 (A)||1974年7月||1971年8月||知人女性を撲殺。一審は無期懲役だったが二審で逆転死刑。上告取り下げにより死刑確定。1975年9月5日に東京拘置所でシーツで首を吊り自殺、34歳没<ref>朝日新聞1975年9月5日夕刊</ref>。
|大田原女性セールスマン殺人事件 (A)||1974年7月||1971年8月||知人女性を撲殺。一審は無期懲役だったが二審で逆転死刑。上告取り下げにより死刑確定。1975年9月5日に東京拘置所でシーツで首を吊り自殺、34歳没<ref>朝日新聞1975年9月5日夕刊</ref>。
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|沼津金融業者殺人事件 (A)||1974年12月20日||1969年2月||上告棄却。共犯二人とともに、静岡県内の金融業者を誘い出し睡眠薬を飲ませ絞殺。死体を箱根山中に埋めた。裁判中に自動車の排気ガス機構に関する特許権を取得している。1977年に死刑執行。
|沼津金融業者殺人事件 (A)||1974年12月20日||1969年2月||上告棄却。共犯二人とともに、静岡県内の金融業者を誘い出し睡眠薬を飲ませ絞殺。死体を箱根山中に埋めた。裁判中に自動車の排気ガス機構に関する特許権を取得している。1977年に死刑執行。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[波崎事件]] (T)||1976年4月1日||1963年8月26日||二度にわたり再審請求するも棄却。東京拘置所に収監されていたが、2003年9月3日に慢性[[腎不全]]により病死(86歳没)。晩年は寝たきりの生活で、病死時点では三度目の再審請求準備中だった。
|[[波崎事件]] (T)||1976年4月1日||1963年8月26日||二度にわたり再審請求するも棄却。東京拘置所に収監されていたが、2003年9月3日に慢性[[腎不全]]により病死(86歳没)。晩年は寝たきりの生活で、病死時点では三度目の再審請求準備中だった。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[ピアノ騒音殺人事件]] (O)||1977年4月16日||1974年8月28日||死刑執行を望み前年10月に自ら控訴を取り下げ確定も、40年以上経過した現在も執行されず生存中<ref group="注">控訴取下げの時点で精神異常をきたしていたといわれており、心神喪失のため執行できない可能性もあるが、実際のところ現状不明。</ref>。[[東京拘置所]]収監中。
|[[ピアノ騒音殺人事件]] (O)||1977年4月16日||1974年8月28日||死刑執行を望み前年10月に自ら控訴を取り下げ確定も、40年以上経過した現在も執行されず生存中<ref group="注">控訴取下げの時点で精神異常をきたしていたといわれており、心神喪失のため執行できない可能性もあるが、実際のところ現状不明。</ref>。[[東京拘置所]]収監中。
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|沖縄一家殺傷事件 (O)||1977年4月26日||1973年3月30日||1980年12月16日に死刑執行。
|沖縄一家殺傷事件 (O)||1977年4月26日||1973年3月30日||1980年12月16日に死刑執行。
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|北九州組員4人連続殺人事件 (K)||1977年6月7日||1975年||控訴取り下げにより死刑確定したが、5か月後の1977年11月16日に死刑執行。戦後、死刑確定から執行までの期間が最も短かった記録。
|北九州組員4人連続殺人事件 (K)||1977年6月7日||1975年||控訴取り下げにより死刑確定したが、5か月後の1977年11月16日に死刑執行。戦後、死刑確定から執行までの期間が最も短かった記録。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K)||1977年12月20日<ref>最高裁判決日、判決確定は1978年1月5日</ref>||1969年9月10日||犯行時19歳・1979年10月に東京拘置所で死刑執行(29歳没)。
|正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K)||1977年12月20日<ref>最高裁判決日、判決確定は1978年1月5日</ref>||1969年9月10日||犯行時19歳・1979年10月に東京拘置所で死刑執行(29歳没)。
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|東京連続少年誘拐殺人事件 (K)||1978年1月26日||1966年・1970年||4年間に少年2人を殺害した。1981年1月に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
|東京連続少年誘拐殺人事件 (K)||1978年1月26日||1966年・1970年||4年間に少年2人を殺害した。1981年1月に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
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|愛知武豊一家3人強盗殺人事件 (O)||1978年4月17日||1971年5月1日||1985年5月31日に名古屋拘置所で死刑執行(53歳没)。
|愛知武豊一家3人強盗殺人事件 (O)||1978年4月17日||1971年5月1日||1985年5月31日に名古屋拘置所で死刑執行(53歳没)。
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|群馬2女性強盗殺人事件 (N)||1978年6月22日||1968年・1971年||1984年10月30日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)。
|群馬2女性強盗殺人事件 (N)||1978年6月22日||1968年・1971年||1984年10月30日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|大分・福岡女性連続殺人事件 (A)||1979年1月||1977年2月28日・3月8日||控訴取下げ、1985年7月25日に福岡拘置所で死刑執行。
|大分・福岡女性連続殺人事件 (A)||1979年1月||1977年2月28日・3月8日||控訴取下げ、1985年7月25日に福岡拘置所で死刑執行。
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|[[古谷惣吉連続殺人事件]](古谷惣吉)||1978年11月28日||1965年||8人殺害で起訴されたが、過去に2人殺害している([[#1952年死刑確定囚(41人)|福岡連続強盗殺人事件]])ため生涯で10人殺害している。1985年5月31日に大阪拘置所で死刑執行(71歳没)。
|[[古谷惣吉連続殺人事件]](古谷惣吉)||1978年11月28日||1965年||8人殺害で起訴されたが、過去に2人殺害している([[#1952年死刑確定囚(41人)|福岡連続強盗殺人事件]])ため生涯で10人殺害している。1985年5月31日に大阪拘置所で死刑執行(71歳没)。
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|芦屋親子殺人事件 (O)||1979年4月17日||1976年12月24日||一審は無期懲役だった。1987年9月30日に大阪拘置所で死刑執行。
|芦屋親子殺人事件 (O)||1979年4月17日||1976年12月24日||一審は無期懲役だった。1987年9月30日に大阪拘置所で死刑執行。
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|熊本義兄一家殺傷事件 (K)||1979年7月10日||1970年7月4日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1989年11月10日に福岡拘置所で死刑執行。
|熊本義兄一家殺傷事件 (K)||1979年7月10日||1970年7月4日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1989年11月10日に福岡拘置所で死刑執行。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[上野消火器商一家殺人事件]] (K)||1980年1月5日||1974年2月6日||最高裁判決訂正申立せず。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(52歳没)。
|[[上野消火器商一家殺人事件]] (K)||1980年1月5日||1974年2月6日||最高裁判決訂正申立せず。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(52歳没)。
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|上野消火器商一家殺人事件 (T)||1980年1月16日||1974年2月6日||上記共犯。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(49歳没)。
|上野消火器商一家殺人事件 (T)||1980年1月16日||1974年2月6日||上記共犯。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(49歳没)。
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|銚子民宿母子殺人事件 (Y)||1980年3月11日||1976年6月14日||殺人の前科あり。1987年9月30日に東京拘置所で死刑執行(35歳没)。
|銚子民宿母子殺人事件 (Y)||1980年3月11日||1976年6月14日||殺人の前科あり。1987年9月30日に東京拘置所で死刑執行(35歳没)。
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|福島連続保険金殺人事件 (K)||1980年4月25日||1970年7月28日・1971年5月20日||1993年3月26日に[[宮城刑務所]](収監先・[[仙台拘置支所]]に隣接。刑場は宮城刑務所にある)で死刑執行(55歳没)。
|福島連続保険金殺人事件 (K)||1980年4月25日||1970年7月28日・1971年5月20日||1993年3月26日に[[宮城刑務所]](収監先・[[仙台拘置支所]]に隣接。刑場は宮城刑務所にある)で死刑執行(55歳没)。
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|徳島上那賀母子強盗殺人事件 (M)||1980年7月22日||1976年3月12日||一審は無期懲役、上告取り下げで確定。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
|徳島上那賀母子強盗殺人事件 (M)||1980年7月22日||1976年3月12日||一審は無期懲役、上告取り下げで確定。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
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|寝屋川強盗殺人事件 (W)||1980年11月6日||1975年8月23日||拾った合鍵で侵入し夫婦を殺害。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
|寝屋川強盗殺人事件 (W)||1980年11月6日||1975年8月23日||拾った合鍵で侵入し夫婦を殺害。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
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|[[袴田事件]](袴田巌)||1980年11月28日||1966年6月30日||放火殺人事件。公判中から冤罪が指摘されていた。2011年には「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定(当時42年間、その後46年間)。2014年に第二次再審請求の際の[[DNA鑑定]]により有罪の証拠とされた犯行時に着用したとされる衣服から加害者と被害者双方のDNAが検出されなかったことから、[[静岡地方裁判所|静岡地裁]]が再審開始を決定。これにより死刑の執行が停止され、同年3月27日に東京拘置所から48年ぶりに釈放された。釈放後袴田は[[拘禁反応]]や[[糖尿病]]のため[[東京都]]内の病院に入院したが、その後病状は回復しつつあると診断され、同年5月27日、故郷の[[浜松市]]に帰り、市内の病院に転院した。
|[[袴田事件]](袴田巌)||1980年11月28日||1966年6月30日||放火殺人事件。公判中から冤罪が指摘されていた。2011年には「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定(当時42年間、その後46年間)。2014年に第二次再審請求の際の[[DNA鑑定]]により有罪の証拠とされた犯行時に着用したとされる衣服から加害者と被害者双方のDNAが検出されなかったことから、[[静岡地方裁判所|静岡地裁]]が再審開始を決定。これにより死刑の執行が停止され、同年3月27日に東京拘置所から48年ぶりに釈放された。釈放後袴田は[[拘禁反応]]や[[糖尿病]]のため[[東京都]]内の病院に入院したが、その後病状は回復しつつあると診断され、同年5月27日、故郷の[[浜松市]]に帰り、市内の病院に転院した。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|釧路薬局一家殺人事件 (K)||1981年3月19日||1974年8月7日||一家3人を殺害し金銭を強奪。1993年11月26日に札幌刑務所で死刑執行(61歳没)。
|釧路薬局一家殺人事件 (K)||1981年3月19日||1974年8月7日||一家3人を殺害し金銭を強奪。1993年11月26日に札幌刑務所で死刑執行(61歳没)。
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|長崎雨宿り殺人事件 (O)||1981年6月16日||1977年9月24日||殺人前科あり。第8次再審請求中の1999年12月17日に福岡拘置所で死刑執行(62歳没)。
|長崎雨宿り殺人事件 (O)||1981年6月16日||1977年9月24日||殺人前科あり。第8次再審請求中の1999年12月17日に福岡拘置所で死刑執行(62歳没)。
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|愛媛・松前連続保険金殺人事件 (T)||1981年6月26日||1971年・1972年||保険金目的で実母を殺害し、口封じの為妻も殺害。別々に審議され死刑と無期懲役が確定。共犯2人も有罪確定。1993年3月26日に大阪拘置所で死刑執行(62歳没)。
|愛媛・松前連続保険金殺人事件 (T)||1981年6月26日||1971年・1972年||保険金目的で実母を殺害し、口封じの為妻も殺害。別々に審議され死刑と無期懲役が確定。共犯2人も有罪確定。1993年3月26日に大阪拘置所で死刑執行(62歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|世田谷家女性強盗殺人事件 (S)||1982年9月1日||1977年12月3日||不動産売主を殺害し二審で確定。共犯は懲役13年。1993年11月26日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)。
|世田谷家女性強盗殺人事件 (S)||1982年9月1日||1977年12月3日||不動産売主を殺害し二審で確定。共犯は懲役13年。1993年11月26日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)。
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|徳島連続老人殺人事件 (F)||1983年4月14日||1978年||控訴せず確定したが「知的障害者で自分が死刑になることを理解できなかった」との指摘がある。1995年5月26日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。
|徳島連続老人殺人事件 (F)||1983年4月14日||1978年||控訴せず確定したが「知的障害者で自分が死刑になることを理解できなかった」との指摘がある。1995年5月26日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。
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|[[大阪電解事件]] (D)||1984年4月27日||1974年||勤務先の上司2人を殺害・1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(70歳没)。
|[[大阪電解事件]] (D)||1984年4月27日||1974年||勤務先の上司2人を殺害・1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(70歳没)。
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|大阪電解事件 (S)||1984年4月27日||1974年||上記共犯・1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)。
|大阪電解事件 (S)||1984年4月27日||1974年||上記共犯・1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)。
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|近畿連続強盗殺人事件 (K)||1984年9月13日||1975年-1977年||7府県で強盗をし3人を殺害。1993年3月26日に死刑執行(48歳没)。死刑執行時は統合失調症であった可能性が指摘されている。
|近畿連続強盗殺人事件 (K)||1984年9月13日||1975年-1977年||7府県で強盗をし3人を殺害。1993年3月26日に死刑執行(48歳没)。死刑執行時は統合失調症であった可能性が指摘されている。
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|群馬3女性殺人事件 (A)||1985年4月26日||1977年4月16日||1994年12月1日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)。国家賠償訴訟中だった。
|群馬3女性殺人事件 (A)||1985年4月26日||1977年4月16日||1994年12月1日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)。国家賠償訴訟中だった。
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|青森旅館連続女性殺人事件 (S)||1985年7月1日||1984年9月9日||1958年に強盗殺人で無期懲役となった前科がある。控訴取り下げにより死刑確定。1994年12月1日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(65歳没)。
|青森旅館連続女性殺人事件 (S)||1985年7月1日||1984年9月9日||1958年に強盗殺人で無期懲役となった前科がある。控訴取り下げにより死刑確定。1994年12月1日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(65歳没)。
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|裕士ちゃん誘拐殺人事件 (S)||1987年1月19日||1986年5月9日||控訴取り下げにより死刑確定。1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)。
|裕士ちゃん誘拐殺人事件 (S)||1987年1月19日||1986年5月9日||控訴取り下げにより死刑確定。1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)。
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|[[連続企業爆破事件]]([[大道寺将司]])||1987年3月24日||1974年8月30日-1975年5月4日||共犯の一部が[[超法規的措置]]で出国。<br>1987年3月24日に最高裁第三小法廷([[伊藤正己]]裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|事件番号=昭和57年第1761号|事件名=爆発物取締罰則違反、同幇助、殺人、殺人未遂、殺人予備被告事件|裁判年月日=1987年(昭和62年)3月24日|判例集=集刑 第245号745頁|判示事項=一、爆発物取締罰則の合憲性 二、死刑の合憲性 三、量刑に関する違憲の主張が欠前提とされた事例 四、死刑事件|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=76083}}</ref>、同判決への訂正申し立ても1987年4月20日付で棄却されたため<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=決定|事件番号=昭和62年第1号|事件名=爆発物取締罰則違反、同幇助、殺人、殺人未遂、殺人予備、被告事件についてした判決訂正申立|裁判年月日=1987年(昭和62年)4月20日|判例集=集刑 第262号323頁|判示事項=いわゆる連続企業爆破事件の判決訂正申立棄却決定|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=60444}}</ref>、益永とともに死刑が確定<ref name="毎日新聞1987-04-22">『[[毎日新聞]]』1987年4月22日東京朝刊第二社会面22頁「連続企業爆破事件の大道寺被告らの最高裁判決確定」([[毎日新聞東京本社]])</ref>。同決定により共犯者の[[黒川芳正]]は無期懲役、共犯の女も懲役8年が確定した<ref name="毎日新聞1987-04-22"/>。<br>東京拘置所に収監されていたが2017年5月24日に[[多発性骨髄腫]]のため病死(68歳没)。
|[[連続企業爆破事件]]([[大道寺将司]])||1987年3月24日||1974年8月30日-1975年5月4日||共犯の一部が[[超法規的措置]]で出国。<br>1987年3月24日に最高裁第三小法廷([[伊藤正己]]裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|事件番号=昭和57年()第1761号|事件名=爆発物取締罰則違反、同幇助、殺人、殺人未遂、殺人予備被告事件|裁判年月日=1987年(昭和62年)3月24日|判例集=集刑 第245号745頁|判示事項=一、爆発物取締罰則の合憲性 二、死刑の合憲性 三、量刑に関する違憲の主張が欠前提とされた事例 四、死刑事件|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=76083}}</ref>、同判決への訂正申し立ても1987年4月20日付で棄却されたため<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=決定|事件番号=昭和62年()第1号|事件名=爆発物取締罰則違反、同幇助、殺人、殺人未遂、殺人予備、被告事件についてした判決訂正申立|裁判年月日=1987年(昭和62年)4月20日|判例集=集刑 第262号323頁|判示事項=いわゆる連続企業爆破事件の判決訂正申立棄却決定|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=60444}}</ref>、益永とともに死刑が確定<ref name="毎日新聞1987-04-22">『[[毎日新聞]]』1987年4月22日東京朝刊第二社会面22頁「連続企業爆破事件の大道寺被告らの最高裁判決確定」([[毎日新聞東京本社]])</ref>。同決定により共犯者の[[黒川芳正]]は無期懲役、共犯の女も懲役8年が確定した<ref name="毎日新聞1987-04-22"/>。<br>東京拘置所に収監されていたが2017年5月24日に[[多発性骨髄腫]]のため病死(68歳没)。
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|連続企業爆破事件([[益永利明]])||1987年3月24日||1974年8月30日-1975年5月4日||同上。東京拘置所収監中。旧姓片岡。
|連続企業爆破事件([[益永利明]])||1987年3月24日||1974年8月30日-1975年5月4日||同上。東京拘置所収監中。旧姓片岡。
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|[[名古屋保険金殺人事件]] (I)||1987年3月31日||1979年11月19日-1983年12月25日||二審で確定・1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(56歳没)。共犯のHは1993年に死刑が確定し、2001年に死刑執行。
|[[名古屋保険金殺人事件]] (I)||1987年3月31日||1979年11月19日-1983年12月25日||二審で確定・1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(56歳没)。共犯のHは1993年に死刑が確定し、2001年に死刑執行。
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|[[名古屋市女子大生誘拐殺人事件]](木村修治)||1987年7月9日||1980年12月2日||木村は[[愛知県]][[名古屋市]]の[[被差別部落]]出身(参考・[[白山中学校事件]])。最高裁上告後「[[水平社宣言]]」や死刑廃止運動を知り、1986年2月には死刑廃止運動を行う死刑囚による「日本死刑囚会議・麦の会」に入会、同年には同会運営委員となる。上告審では死刑[[違憲]]論を主張するも棄却。大道寺将司・益永利明・坂口弘らとともに[[統一獄中者組合]]員として獄中活動。1993年9月に[[恩赦]]出願。1995年1月に手記『本当の自分を生きたい 死刑囚・木村修治の手記』([[インパクト出版会]])を出版。恩赦出願の結果は通知されないまま1995年12月21日に名古屋拘置所で死刑執行(45歳没)。また日本死刑囚会議・麦の会『死刑囚からあなたへ 国には殺されたくない』(インパクト出版会)に手記「強く、優しく生き抜いてください」を寄稿(死刑執行後の1997年3月刊行)。
|[[名古屋市女子大生誘拐殺人事件]](木村修治)||1987年7月9日||1980年12月2日||木村は[[愛知県]][[名古屋市]]の[[被差別部落]]出身(参考・[[白山中学校事件]])。最高裁上告後「[[水平社宣言]]」や死刑廃止運動を知り、1986年2月には死刑廃止運動を行う死刑囚による「日本死刑囚会議・麦の会」に入会、同年には同会運営委員となる。上告審では死刑[[違憲]]論を主張するも棄却。大道寺将司・益永利明・坂口弘らとともに[[統一獄中者組合]]員として獄中活動。1993年9月に[[恩赦]]出願。1995年1月に手記『本当の自分を生きたい 死刑囚・木村修治の手記』([[インパクト出版会]])を出版。恩赦出願の結果は通知されないまま1995年12月21日に名古屋拘置所で死刑執行(45歳没)。また日本死刑囚会議・麦の会『死刑囚からあなたへ 国には殺されたくない』(インパクト出版会)に手記「強く、優しく生き抜いてください」を寄稿(死刑執行後の1997年3月刊行)。
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|秋山兄弟事件(秋山芳光<ref>{{Cite book|和書|others= 死刑囚連絡会議・麦の会編著|title= 死刑囚からあなたへ - 国には殺されたくない|year= 1990|publisher= [[インパクト出版会]]|isbn= 978-4755400193|volume= II|page= 178|ref= 麦2}}</ref>)||1987年7月17日||1975年8月25日||秋山兄弟([[双生児]])の弟。兄が経営していた紙工場の元従業員。2006年12月25日(当時、2度目の再審請求中)に東京拘置所で死刑執行(77歳没)。この年齢での死刑執行は[[日本国憲法]]下では最高齢で、確定から19年5か月後の死刑執行は戦後最長。確定判決において兄は従犯とされ[[無期懲役]](求刑は死刑)となったが、主犯は兄であるとして[[2003年]]8月に再審請求するも棄却。
|秋山兄弟事件(秋山芳光<ref>{{Cite book|和書|others= 死刑囚連絡会議・麦の会編著|title= 死刑囚からあなたへ - 国には殺されたくない|year= 1990|publisher= [[インパクト出版会]]|isbn= 978-4755400193|volume= II|page= 178|ref= 麦2}}</ref>)||1987年7月17日||1975年8月25日||秋山兄弟([[双生児]])の弟。兄が経営していた紙工場の元従業員。2006年12月25日(当時、2度目の再審請求中)に東京拘置所で死刑執行(77歳没)。この年齢での死刑執行は[[日本国憲法]]下では最高齢で、確定から19年5か月後の死刑執行は戦後最長。確定判決において兄は従犯とされ[[無期懲役]](求刑は死刑)となったが、主犯は兄であるとして[[2003年]]8月に再審請求するも棄却。
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|東村山署警察官殺人事件 (T)||1987年10月23日||1976年10月18日||1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)。
|東村山署警察官殺人事件 (T)||1987年10月23日||1976年10月18日||1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)。
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|熊本連続強盗殺人事件(平田直人<ref>[[#麦2|死刑囚連絡会議・麦の会 (1990)]] 184頁</ref>)||1987年12月18日||1979年3月28日・5月15日||1995年12月21日に福岡拘置所で死刑執行(63歳没)。
|熊本連続強盗殺人事件(平田直人<ref>[[#麦2|死刑囚連絡会議・麦の会 (1990)]] 184頁</ref>)||1987年12月18日||1979年3月28日・5月15日||1995年12月21日に福岡拘置所で死刑執行(63歳没)。
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|3連続保険金殺人事件(浜田武重<ref>{{Cite journal|和書|author = 浜田武重|date = 1986-05|title = 償いは強制されてはならない|journal = [[インパクション]]|issue = 41|page = 76|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1988年3月8日||1978年3月24日-1979年5月9日||[[福岡拘置所]]に収監されていたが2017年6月26日に病死(90歳没)。
|3連続保険金殺人事件(浜田武重<ref>{{Cite journal|和書|author = 浜田武重|date = 1986-05|title = 償いは強制されてはならない|journal = [[インパクション]]|issue = 41|page = 76|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1988年3月8日||1978年3月24日-1979年5月9日||[[福岡拘置所]]に収監されていたが2017年6月26日に病死(90歳没)。
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|[[福岡病院長殺人事件]] (S)||1988年4月15日||1979年11月4日||犠牲者1名。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(49歳没)。
|[[福岡病院長殺人事件]] (S)||1988年4月15日||1979年11月4日||犠牲者1名。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(49歳没)。
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|福岡病院長殺人事件 (Y)||1988年4月15日||1979年11月4日||同上共犯。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(43歳没)。
|福岡病院長殺人事件 (Y)||1988年4月15日||1979年11月4日||同上共犯。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(43歳没)。
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|日立女子中学生誘拐殺人事件 (W)||1988年4月28日||1978年10月16日||経営していた鉄工所の経営難に加え韓国への[[妓生#大韓民国の妓生|キーセン旅行]]に何度もいったことから1400万円の負債を重ね、資産家であった妻の養父の中学校3年生の娘を金銭目的で誘拐し殺害。東京拘置所に収監されていたが2013年6月23日夜、くも膜下出血により病死(74歳没)<ref>*「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、68頁、[[2009年]]
|日立女子中学生誘拐殺人事件 (W)||1988年4月28日||1978年10月16日||経営していた鉄工所の経営難に加え韓国への[[妓生#大韓民国の妓生|キーセン旅行]]に何度もいったことから1400万円の負債を重ね、資産家であった妻の養父の中学校3年生の娘を金銭目的で誘拐し殺害。東京拘置所に収監されていたが2013年6月23日夜、くも膜下出血により病死(74歳没)<ref>*「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、68頁、[[2009年]]
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|群馬連続女性農夫殺人事件 (S)||1988年5月20日||1981年10月2日・1982年7月3日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1995年12月21日に東京拘置所で死刑執行(68歳没)。
|群馬連続女性農夫殺人事件 (S)||1988年5月20日||1981年10月2日・1982年7月3日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1995年12月21日に東京拘置所で死刑執行(68歳没)。
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|連続4人殺人事件 (W)||1988年6月2日||1967年4月24日-1973年3月20日||一審は無期懲役だった。4件の犯行のうち2件は未成年時によるもの。[[大阪拘置所]]収監中。
|連続4人殺人事件 (W)||1988年6月2日||1967年4月24日-1973年3月20日||一審は無期懲役だった。4件の犯行のうち2件は未成年時によるもの。[[大阪拘置所]]収監中。
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|神田ビル放火殺人事件 (I)||1988年7月1日||1981年7月6日||1996年7月11日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。
|神田ビル放火殺人事件 (I)||1988年7月1日||1981年7月6日||1996年7月11日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。
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|[[夕張保険金殺人事件]](H)||1988年10月11日||1984年5月5日||犯人夫婦の夫。明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所で死刑執行(54歳没)。
|[[夕張保険金殺人事件]] (H)||1988年10月11日||1984年5月5日||犯人夫婦の夫。明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所で死刑執行(54歳没)。
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|夕張保険金殺人事件(H)||1988年10月11日||1984年5月5日||上記の妻。女性死刑囚としては戦後3人目に処刑された。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所で死刑執行(51歳没)。
|夕張保険金殺人事件 (H)||1988年10月11日||1984年5月5日||上記の妻。女性死刑囚としては戦後3人目に処刑された。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所で死刑執行(51歳没)。
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|東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H)||1988年10月17日||1978年5月21日・6月10日||明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。共犯は1990年に死刑確定。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)。
|東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H)||1988年10月17日||1978年5月21日・6月10日||明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。共犯は1990年に死刑確定。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)。
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|元昭和石油重役一家殺人事件 (I)||1988年10月24日||1983年1月29日||明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
|元昭和石油重役一家殺人事件 (I)||1988年10月24日||1983年1月29日||明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|日建土木事件 (N)||1989年3月28日||1977年1月7日||1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(61歳没)。
|日建土木事件 (N)||1989年3月28日||1977年1月7日||1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(61歳没)。
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|埼玉2女性殺人事件(石田富蔵<ref>{{Cite journal|和書|author = 石田富蔵|date = 1986-05|title = 生きて償いたい|journal = インパクション|issue = 41|page = 47|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1989年6月13日||1973年8月4日・1974年9月13日||農道で交際中の女性に結婚とその場で肉体関係を迫ったことからケンカとなり絞殺した後で屍姦し遺体を焼却。ついで飲食店の女性経営者宅に侵入し乱暴目的のために襲いかかったが抵抗されたため絞殺し、貴金属を奪い逃走。東京拘置所に収監されていたが2014年4月19日に[[前立腺癌]]のため病死(92歳没)<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG4M4V09G4MUTIL019.html 最高齢92歳の死刑囚が病死 東京拘置所]{{リンク切れ|date= 2020-03}} 朝日新聞 2014年4月19日</ref>。
|埼玉2女性殺人事件(石田富蔵<ref>{{Cite journal|和書|author = 石田富蔵|date = 1986-05|title = 生きて償いたい|journal = インパクション|issue = 41|page = 47|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1989年6月13日||1973年8月4日・1974年9月13日||農道で交際中の女性に結婚とその場で肉体関係を迫ったことからケンカとなり絞殺した後で屍姦し遺体を焼却。ついで飲食店の女性経営者宅に侵入し乱暴目的のために襲いかかったが抵抗されたため絞殺し、貴金属を奪い逃走。東京拘置所に収監されていたが2014年4月19日に[[前立腺癌]]のため病死(92歳没)<ref>[http://www.asahi.com/articles/ASG4M4V09G4MUTIL019.html 最高齢92歳の死刑囚が病死 東京拘置所]{{リンク切れ|date= 2020-03}} 朝日新聞 2014年4月19日</ref>。
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|「殺し屋」連続殺人事件 (F)||1989年10月13日||1970年2月13日-1973年4月15日||旧姓S。従兄弟の暴力団員に依頼し都合の悪い相手3人を殺害したほか、会社経営者らから恐喝で金銭を巻き上げるなど多数の余罪がある<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、[[ミリオン出版]]、15頁、[[2009年]]</ref>。[[中日スタヂアム事件]]にも関与した。東京拘置所収監中。
|「殺し屋」連続殺人事件 (F)||1989年10月13日||1970年2月13日-1973年4月15日||旧姓S。従兄弟の暴力団員に依頼し都合の悪い相手3人を殺害したほか、会社経営者らから恐喝で金銭を巻き上げるなど多数の余罪がある<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、[[ミリオン出版]]、15頁、[[2009年]]</ref>。[[中日スタヂアム事件]]にも関与した。東京拘置所収監中。
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|埼玉父親等3人殺人事件 (K)||1989年11月20日||1985年3月8日||1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(43歳没)。
|埼玉父親等3人殺人事件 (K)||1989年11月20日||1985年3月8日||1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(43歳没)。
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|伊勢崎女子中学生殺人事件 (U)||1989年12月8日||1976年4月1日||旧姓T。覚醒剤の購入資金を得るため、隣家に侵入し、留守番をしていたその家の長女と従兄弟の中学生2人を殺害、金品を奪った後で灯油をまき放火し家を全焼させた<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、[[ミリオン出版]]、41頁、[[2009年]]</ref>。東京拘置所に収監されていたが、2013年11月15日に[[肺癌]]のため62歳で病死<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013111500979 死刑囚が病死=伊勢崎女子中学生殺人]{{リンク切れ|date= 2020-03}} 時事ドットコム 2013年11月15日</ref>。
|伊勢崎女子中学生殺人事件 (U)||1989年12月8日||1976年4月1日||旧姓T。覚醒剤の購入資金を得るため、隣家に侵入し、留守番をしていたその家の長女と従兄弟の中学生2人を殺害、金品を奪った後で灯油をまき放火し家を全焼させた<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、[[ミリオン出版]]、41頁、[[2009年]]</ref>。東京拘置所に収監されていたが、2013年11月15日に[[肺癌]]のため62歳で病死<ref>[http://www.jiji.com/jc/zc?k=201311/2013111500979 死刑囚が病死=伊勢崎女子中学生殺人]{{リンク切れ|date= 2020-03}} 時事ドットコム 2013年11月15日</ref>。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N)||1990年2月1日||1978年5月21日・6月10日||共犯のHは1988年に上告取り下げにより死刑確定している。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)。
|東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N)||1990年2月1日||1978年5月21日・6月10日||共犯のHは1988年に上告取り下げにより死刑確定している。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)。
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|[[熊本主婦殺人事件]](金川一<ref>{{Cite journal|和書|author = 金川一|date = 1986-05|title = 前科者ゆえデッチ上げられた|journal = インパクション|issue = 41|page = 72|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1990年4月3日||1979年9月11日||一審は無期懲役だった。18歳のときに強盗殺人を起こした前科がある。
|[[熊本主婦殺人事件]](金川一<ref>{{Cite journal|和書|author = 金川一|date = 1986-05|title = 前科者ゆえデッチ上げられた|journal = インパクション|issue = 41|page = 72|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1990年4月3日||1979年9月11日||一審は無期懲役だった。18歳のときに強盗殺人を起こした前科がある。
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|長崎3人殺人事件(村竹正博<ref>{{Cite journal|和書|author = 村竹正博|date = 1986-05|title = 命がふたつ欲しい|journal = [[インパクション]]|issue = 41|page = 80|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1990年4月27日||1978年3月21日||一審は無期懲役だった。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(54歳没)。
|長崎3人殺人事件(村竹正博<ref>{{Cite journal|和書|author = 村竹正博|date = 1986-05|title = 命がふたつ欲しい|journal = [[インパクション]]|issue = 41|page = 80|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1990年4月27日||1978年3月21日||一審は無期懲役だった。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(54歳没)。
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|空知2女性殺人事件 (H)||1990年9月13日||1972年5月-1974年5月||一審は無期懲役だった。札幌刑務所札幌拘置支所に収監されていたが2004年6月4日に病死(70歳没)。再審請求棄却に対する異議申立中だった。
|空知2女性殺人事件 (H)||1990年9月13日||1972年5月-1974年5月||一審は無期懲役だった。札幌刑務所札幌拘置支所に収監されていたが2004年6月4日に病死(70歳没)。再審請求棄却に対する異議申立中だった。
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|[[三崎事件]](荒井政男<ref>{{Cite journal|和書|author = 荒井政男|date = 1986-05|title = 私は無実の死刑囚である|journal = インパクション|issue = 41|page = 52|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1990年10月16日||1971年12月21日||東京拘置所に収監されていたが2009年9月3日に病死(82歳没)。再審請求審理中だった。
|[[三崎事件]](荒井政男<ref>{{Cite journal|和書|author = 荒井政男|date = 1986-05|title = 私は無実の死刑囚である|journal = インパクション|issue = 41|page = 52|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1990年10月16日||1971年12月21日||東京拘置所に収監されていたが2009年9月3日に病死(82歳没)。再審請求審理中だった。
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|[[福岡県直方市強盗殺人事件]] (T)||1990年12月14日||1980年4月23日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(66歳没)。
|[[福岡県直方市強盗殺人事件]] (T)||1990年12月14日||1980年4月23日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(66歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|自殺偽装夫殺害事件 (M)||1991年1月31日||1974年8月8日・1978年4月24日||別の男性殺害でも起訴。東京拘置所に収監されていたが2007年7月17日に病死(75歳没)。再審請求中だった。
|自殺偽装夫殺害事件 (M)||1991年1月31日||1974年8月8日・1978年4月24日||別の男性殺害でも起訴。東京拘置所に収監されていたが2007年7月17日に病死(75歳没)。再審請求中だった。
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|パチンコ景品商殺人事件 (S)||1991年2月5日||1983年1月16日||1950年に強盗殺人で無期懲役の判決を受けている。1998年6月25日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)。
|パチンコ景品商殺人事件 (S)||1991年2月5日||1983年1月16日||1950年に強盗殺人で無期懲役の判決を受けている。1998年6月25日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)。
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|[[泰州くん誘拐殺人事件]] (T)||1991年6月11日||1984年2月13日||1998年11月19日に広島拘置所で死刑執行(59歳没)。
|[[泰州くん誘拐殺人事件]] (T)||1991年6月11日||1984年2月13日||1998年11月19日に広島拘置所で死刑執行(59歳没)。
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|[[大宮母子殺人事件]](佐川和男<ref>[[#麦2|死刑囚連絡会議・麦の会 (1990)]] 22頁</ref>)||1991年11月29日||1981年4月4日||共犯は逃亡中の1996年に病死。1999年12月17日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。
|[[大宮母子殺人事件]](佐川和男<ref>[[#麦2|死刑囚連絡会議・麦の会 (1990)]] 22頁</ref>)||1991年11月29日||1981年4月4日||共犯は逃亡中の1996年に病死。1999年12月17日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[市原両親殺害事件]] (S)||1992年1月30日||1974年10月30日||再審請求中。[[東京拘置所]]収監中。
|[[市原両親殺害事件]] (S)||1992年1月30日||1974年10月30日||再審請求中。[[東京拘置所]]収監中。
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|[[東京都北区幼女殺害事件]] (S)||1992年2月18日||1979年7月28日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日に東京拘置所で死刑執行(62歳没)。
|[[東京都北区幼女殺害事件]] (S)||1992年2月18日||1979年7月28日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日に東京拘置所で死刑執行(62歳没)。
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|[[福島女性飲食店経営者殺人事件]] (T)||1992年6月18日||1990年5月2日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴せず確定。1999年9月10日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(61歳没)。
|[[福島女性飲食店経営者殺人事件]] (T)||1992年6月18日||1990年5月2日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴せず確定。1999年9月10日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(61歳没)。
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|[[熊本母娘殺人事件]] (M)||1992年9月24日||1985年7月24日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日に福岡拘置所で死刑執行(69歳没)。
|[[熊本母娘殺人事件]] (M)||1992年9月24日||1985年7月24日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日に福岡拘置所で死刑執行(69歳没)。
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|赤穂同僚妻子殺人事件 (N)||1992年9月29日||1983年1月19日||2007年4月27日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)。再審請求準備中だった。
|赤穂同僚妻子殺人事件 (N)||1992年9月29日||1983年1月19日||2007年4月27日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)。再審請求準備中だった。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[連合赤軍事件]]([[坂口弘]])||1993年2月19日||1971年-1972年2月||共犯の一部が[[超法規的措置]]で出国。1993年2月19日に最高裁第三小法廷([[坂上寿夫]]裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|事件番号=昭和61年第1427号|事件名=殺人、死体遺棄、窃盗、強盗致傷、殺人未遂、公務執行妨害、鉄砲刀剣類所持等取締法違反、爆発物取締罰則違反、火薬類取締法違反、森林法違反、傷害致死、航空法違反、威力業務妨害、住居侵入、監禁、傷害、強盗被告事件|裁判年月日=1993年(平成5年)2月19日|判例集=集刑 第262号39頁|判示事項=いわゆる連合赤軍事件|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58537}}</ref>、同判決への訂正申し立ても1993年3月9日付で棄却されたため<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=決定|事件番号=平成5年第2号|事件名=殺人等被告事件に対する判決訂正の申立て|裁判年月日=1993年(平成5年)3月9日|判例集=集刑 第262号323頁|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58537}}</ref>、坂口・永田の死刑と[[植垣康博]](元兵士)の懲役20年判決が確定<ref>『[[毎日新聞]]』1993年3月11日東京朝刊第一社会面27頁「連合赤軍事件の被告らの刑確定--最高裁」([[毎日新聞東京本社]])</ref>。東京拘置所収監中。
|[[連合赤軍事件]]([[坂口弘]])||1993年2月19日||1971年-1972年2月||共犯の一部が[[超法規的措置]]で出国。1993年2月19日に最高裁第三小法廷([[坂上寿夫]]裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=判決|事件番号=昭和61年()第1427号|事件名=殺人、死体遺棄、窃盗、強盗致傷、殺人未遂、公務執行妨害、鉄砲刀剣類所持等取締法違反、爆発物取締罰則違反、火薬類取締法違反、森林法違反、傷害致死、航空法違反、威力業務妨害、住居侵入、監禁、傷害、強盗被告事件|裁判年月日=1993年(平成5年)2月19日|判例集=集刑 第262号39頁|判示事項=いわゆる連合赤軍事件|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58537}}</ref>、同判決への訂正申し立ても1993年3月9日付で棄却されたため<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=決定|事件番号=平成5年()第2号|事件名=殺人等被告事件に対する判決訂正の申立て|裁判年月日=1993年(平成5年)3月9日|判例集=集刑 第262号323頁|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58537}}</ref>、坂口・永田の死刑と[[植垣康博]](元兵士)の懲役20年判決が確定<ref>『[[毎日新聞]]』1993年3月11日東京朝刊第一社会面27頁「連合赤軍事件の被告らの刑確定--最高裁」([[毎日新聞東京本社]])</ref>。東京拘置所収監中。
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|連合赤軍事件([[永田洋子]])||1993年2月19日||1971年-1972年2月||坂口の共犯。2011年2月5日に[[脳腫瘍]]で死去(65歳没)。
|連合赤軍事件([[永田洋子]])||1993年2月19日||1971年-1972年2月||坂口の共犯。2011年2月5日に[[脳腫瘍]]で死去(65歳没)。
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|山中湖連続殺人事件(澤地和夫)||1993年7月7日||1984年10月11日-25日||元[[警視庁]][[警部]]。死刑再開への抗議のため上告取下げ、確定。2007年に[[胃癌]]が判明、[[手術]]したが[[治癒|完治]]せず、[[延命治療]]を拒否したため2008年12月16日に[[多臓器不全]]で獄死(69歳没)。再審請求中だった。公判中の[[1989年]]1月に手記『監獄日記 東京拘置所の四季』([[彩流社]])を出版。以後『東京拘置所死刑囚物語 獄中20年と死刑囚の仲間たち』(2006年3月 彩流社)・『なぜ死刑なのですか 元警察官死刑囚の言い分』(2006年10月 柘植書房新社)『殺意の時 元警察官・死刑囚の告白』(2010年4月 彩流社(死後の刊行))を刊行し。共犯のIは1995年に死刑確定
|山中湖連続殺人事件(澤地和夫)||1993年7月7日||1984年10月11日-25日||元[[警視庁]][[警部]]。死刑再開への抗議のため上告取下げ、確定。共犯のIは1995年に死刑確定。<br>2007年に[[胃癌]]が判明、[[手術]]したが[[治癒|完治]]せず、[[延命治療]]を拒否したため2008年12月16日に[[多臓器不全]]で獄死(69歳没)。再審請求中だった。公判中の[[1989年]]1月に手記『監獄日記 東京拘置所の四季』([[彩流社]])を出版。以後、死刑確定後には『東京拘置所死刑囚物語 獄中20年と死刑囚の仲間たち』(2006年3月 彩流社)・『なぜ死刑なのですか 元警察官死刑囚の言い分』(2006年10月 柘植書房新社)を刊行したほか、死後にも『殺意の時 元警察官・死刑囚の告白』(2010年4月 彩流社)が刊行された。
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|今市覚醒剤殺人事件(藤波芳夫<ref>{{Cite journal|和書|author = 藤波芳夫|date = 1986-05|title = 連帯を強め、共に|journal = インパクション|issue = 41|page = 57|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1993年9月9日||1981年3月29日||2006年12月25日に東京拘置所で死刑執行(75歳没)。再審請求中だった。
|今市覚醒剤殺人事件(藤波芳夫<ref>{{Cite journal|和書|author = 藤波芳夫|date = 1986-05|title = 連帯を強め、共に|journal = インパクション|issue = 41|page = 57|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1993年9月9日||1981年3月29日||2006年12月25日に東京拘置所で死刑執行(75歳没)。再審請求中だった。
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|[[名古屋保険金殺人事件]] (H)||1993年9月21日||1979年11月19日-1983年12月25日||旧姓T。共犯のIは1987年に死刑が確定。2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)。恩赦出願準備中だった。
|[[名古屋保険金殺人事件]] (H)||1993年9月21日||1979年11月19日-1983年12月25日||旧姓T。共犯のIは1987年に死刑が確定。2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)。恩赦出願準備中だった。
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|北九州母娘殺傷事件 (M)||1993年11月16日||1990年3月12日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴取り下げにより死刑確定するが公判再開申立、再審請求、前科の事件について控訴取下げ無効を申し立てるも福岡高裁に即時抗告中の2009年1月29日に福岡拘置所で死刑執行(58歳没)。
|北九州母娘殺傷事件 (M)||1993年11月16日||1990年3月12日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴取り下げにより死刑確定するが公判再開申立、再審請求、前科の事件について控訴取下げ無効を申し立てるも[[福岡高判所|福岡高裁]]に即時抗告中の2009年1月29日に福岡拘置所で死刑執行(58歳没)。
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|平取猟銃一家殺人事件 (O)||1993年12月10日||1979年7月18日||1999年11月8日に収監先・札幌拘置支所で入浴中、剃刀で首を切りつけて自殺(55歳没)。
|平取猟銃一家殺人事件 (O)||1993年12月10日||1979年7月18日||1999年11月8日に収監先・札幌拘置支所で入浴中、剃刀で首を切りつけて自殺(55歳没)。
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|[[勝田清孝事件]](藤原清孝)||1994年1月17日||1972年9月-1982年10月||事件の一部は「警察庁広域重要指定113号事件」。旧姓:勝田。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(52歳没)。
|[[勝田清孝事件]](藤原清孝)||1994年1月17日||1972年9月-1982年10月||事件の一部は「警察庁広域重要指定113号事件」。旧姓:勝田。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(52歳没)。
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|岐阜前妻一家殺人事件 (M)||1994年3月18日||1989年2月14日||上告取下げ、確定。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(57歳没)。
|岐阜前妻一家殺人事件 (M)||1994年3月18日||1989年2月14日||上告取下げ、確定。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(57歳没)。
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|[[北海道庁爆破事件]]([[大森勝久]])||1994年7月15日||1976年3月2日||極左暴力集団「[[東アジア反日武装戦線]]」によるテロ事件。大森の犯行を裏付ける直接証拠は見つからなかったが、有罪が確定。<br>1994年7月15日に最高裁第二小法廷([[大西勝也]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=判決|事件番号=昭和63年第682号|事件名=爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂被告事件|裁判年月日=1994年(平成6年)7月15日|判例集=集刑 第263号627頁|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58508}}</ref>、同判決に対し「本件は冤罪」として訂正を申し立てたが<ref name="毎日新聞1994-09-08">『毎日新聞』1994年9月8日東京朝刊第二社会面26頁「大森被告の死刑が確定--道庁爆破」(毎日新聞東京本社)</ref>、1994年9月20日付で棄却されたため<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=決定|事件番号=平成6年第2号|事件名=爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂被告事件に対する判決訂正の申立て|裁判年月日=1994年(平成6年)9月5日|判例集=集刑 第264号1頁|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58539}}</ref>死刑が確定<ref name="毎日新聞1994-09-08"/>。<br>[[札幌拘置支所]]収監中。[[1985年]]、支援者と獄中結婚。獄中で極左から[[保守主義]]に転向し、外部協力者によって論文を雑誌に掲載しているほか、政治評論の[[ホームページ]]を運用している。
|[[北海道庁爆破事件]]([[大森勝久]])||1994年7月15日||1976年3月2日||極左暴力集団「[[東アジア反日武装戦線]]」によるテロ事件。大森の犯行を裏付ける直接証拠は見つからなかったが、有罪が確定。<br>1994年7月15日に最高裁第二小法廷([[大西勝也]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第二小法廷|裁判形式=判決|事件番号=昭和63年()第682号|事件名=爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂被告事件|裁判年月日=1994年(平成6年)7月15日|判例集=集刑 第263号627頁|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58508}}</ref>、同判決に対し「本件は冤罪」として訂正を申し立てたが<ref name="毎日新聞1994-09-08">『毎日新聞』1994年9月8日東京朝刊第二社会面26頁「大森被告の死刑が確定--道庁爆破」(毎日新聞東京本社)</ref>、1994年9月20日付で棄却されたため<ref>{{Cite 判例検索システム|法廷名=最高裁判所第三小法廷|裁判形式=決定|事件番号=平成6年()第2号|事件名=爆発物取締罰則違反、殺人、殺人未遂被告事件に対する判決訂正の申立て|裁判年月日=1994年(平成6年)9月5日|判例集=集刑 第264号1頁|判示事項=|裁判要旨=|url=https://www.courts.go.jp/app/hanrei_jp/detail2?id=58539}}</ref>死刑が確定<ref name="毎日新聞1994-09-08"/>。<br>[[札幌拘置支所]]収監中。[[1985年]]、支援者と獄中結婚。獄中で極左から[[保守主義]]に転向し、外部協力者によって論文を雑誌に掲載しているほか、政治評論の[[ホームページ]]を運用している。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[佐賀隣人一家殺人事件]] (O)||1995年4月21日||1983年5月16日||2000年11月30日に福岡拘置所で死刑執行(55歳没)。
|[[佐賀隣人一家殺人事件]] (O)||1995年4月21日||1983年5月16日||2000年11月30日に福岡拘置所で死刑執行(55歳没)。
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|山梨・新潟連続殺人事件 (F)||1995年6月8日||1986年3月||2013年12月12日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
|山梨・新潟連続殺人事件 (F)||1995年6月8日||1986年3月||2013年12月12日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
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|山中湖連続殺人事件 (I)||1995年7月3日||1984年10月||[[東京拘置所]]収監中。共犯の澤地和夫は1993年7月に死刑が確定(2008年12月に病死)。
|山中湖連続殺人事件 (I)||1995年7月3日||1984年10月||[[東京拘置所]]収監中。共犯の澤地和夫は1993年7月に死刑が確定(2008年12月に病死)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|徳島隣人3人射殺事件 (I)||1996年3月4日||1986年6月3日||一審は無期懲役だった。2007年12月7日に大阪拘置所で死刑執行(74歳没)。
|徳島隣人3人射殺事件 (I)||1996年3月4日||1986年6月3日||一審は無期懲役だった。2007年12月7日に大阪拘置所で死刑執行(74歳没)。
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|不動産会社連続殺人事件(山野静二郎<ref>{{Cite journal|和書|author = 山野誠二郎|date = 1986-05|title = 『死刑』=その終りなき報復観念|journal = インパクション|issue = 41|page = 61|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1996年10月25日||1982年3月21日-3月25日||自身が経営していた不動産会社の資金繰りに困り、知人の不動産会社社長を架空取引で誘き出し殺害、社長が持参していた小切手を換金した。ついで役員を誘い出して殺害し手付金として持参してきた2100万円を奪った<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、[[ミリオン出版]]、41頁、[[2009年]]</ref>。[[大阪拘置所]]収監中。
|不動産会社連続殺人事件(山野静二郎<ref>{{Cite journal|和書|author = 山野誠二郎|date = 1986-05|title = 『死刑』=その終りなき報復観念|journal = インパクション|issue = 41|page = 61|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1996年10月25日||1982年3月21日-3月25日||自身が経営していた不動産会社の資金繰りに困り、知人の不動産会社社長を架空取引で誘き出し殺害、社長が持参していた小切手を換金した。ついで役員を誘い出して殺害し手付金として持参してきた2100万円を奪った<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、[[ミリオン出版]]、41頁、[[2009年]]</ref>。[[大阪拘置所]]収監中。
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|[[練馬一家5人殺害事件]] (A)||1996年11月14日||1983年6月27日||元不動産鑑定士。「競売で落札した物件に立退き料吊り上げのために居座っていた賃借人が邪魔になった」という動機から一家5人を殺害し遺体をバラバラにした。2001年12月27日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)。
|[[練馬一家5人殺害事件]] (A)||1996年11月14日||1983年6月27日||元不動産鑑定士。「競売で落札した物件に立退き料吊り上げのために居座っていた賃借人が邪魔になった」という動機から一家5人を殺害し遺体をバラバラにした。2001年12月27日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)。
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|姫路母子3人殺人事件 (M)||1996年12月17日||1985年11月29日・12月3日||2003年9月12日に大阪拘置所で死刑執行(42歳没)。
|姫路母子3人殺人事件 (M)||1996年12月17日||1985年11月29日・12月3日||2003年9月12日に大阪拘置所で死刑執行(42歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|大阪宝石商夫婦強盗殺人事件 (N)||1997年1月28日||1982年5月20日||2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)。
|大阪宝石商夫婦強盗殺人事件 (N)||1997年1月28日||1982年5月20日||2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)。
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|徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件 (M)||1997年4月28日||1987年9月||2008年2月1日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。
|徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件 (M)||1997年4月28日||1987年9月||2008年2月1日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。
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|[[福岡内妻一家4人殺害事件]](大城英明<ref>{{Cite journal|和書|author = 秋好英明|date = 1986-05|title = 慟哭のかなたに|journal = インパクション|issue = 41|page = 66|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1997年9月11日||1976年6月13日||旧姓秋好。[[福岡拘置所]]収監中。
|[[福岡内妻一家4人殺害事件]](大城英明<ref>{{Cite journal|和書|author = 秋好英明|date = 1986-05|title = 慟哭のかなたに|journal = インパクション|issue = 41|page = 66|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1997年9月11日||1976年6月13日||旧姓秋好。[[福岡拘置所]]収監中。
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|[[警察庁広域重要指定115号事件]] (J)||1997年12月19日||1984年9月4日||旧姓H。大阪拘置所収監中。
|[[警察庁広域重要指定115号事件]] (J)||1997年12月19日||1984年9月4日||旧姓H。大阪拘置所収監中。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[熊本大学生誘拐殺人事件]](春田竜也<ref>[[#麦2|死刑囚連絡会議・麦の会 (1990)]] 96頁</ref>)||1998年4月23日||1987年9月14日||旧姓田本。上告中に脱獄未遂を起こし、当時の福岡拘置所所長が自殺。2002年9月18日に福岡拘置所で死刑執行(36歳没)。
|[[熊本大学生誘拐殺人事件]](春田竜也<ref>[[#麦2|死刑囚連絡会議・麦の会 (1990)]] 96頁</ref>)||1998年4月23日||1987年9月14日||旧姓田本。上告中に脱獄未遂を起こし、当時の福岡拘置所所長が自殺。2002年9月18日に福岡拘置所で死刑執行(36歳没)。
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|岐阜県坂祝町一家3人殺人事件 (H)||1998年6月3日||1994年6月3日||殺人の前科あり。2002年9月18日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)。
|岐阜県坂祝町一家3人殺人事件 (H)||1998年6月3日||1994年6月3日||殺人の前科あり。2002年9月18日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)。
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|[[富山・長野連続女性誘拐殺人事件|警察庁広域重要指定111号事件]] (M)||1998年9月4日||1980年2月-3月||犠牲者2人。Mは戦後7番目の女性死刑囚。共犯とされた男性については無罪となったが、検察は一審審理中に主犯と共犯を逆転させた。[[名古屋拘置所]]収監中。
|[[富山・長野連続女性誘拐殺人事件|警察庁広域重要指定111号事件]] (M)||1998年9月4日||1980年2月-3月||犠牲者2人。Mは戦後7番目の女性死刑囚。共犯とされた男性については無罪となったが、検察は一審審理中に主犯と共犯を逆転させた。[[名古屋拘置所]]収監中。
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|[[中村橋派出所警官殺害事件]] (S)||1998年9月17日||1989年5月16日||元陸上自衛官が銀行強盗のために拳銃を奪おうとして警察官2名殺害。東京拘置所収監中。
|[[中村橋派出所警官殺害事件]] (S)||1998年9月17日||1989年5月16日||元陸上自衛官が銀行強盗のために拳銃を奪おうとして警察官2名殺害。東京拘置所収監中。
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|[[宮代事件]](村松誠一郎<ref>{{Cite journal|和書|author = 村松誠一郎|date = 1986-05|title = 死刑制度が偽りの自供を強いた|journal = インパクション|issue = 41|page = 38|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1998年10月8日||1980年3月21日||犠牲者2人。兄弟が起訴され兄(村松)の死刑、弟の無期懲役が確定したが、冤罪説もある。東京拘置所収監中。
|[[宮代事件]](村松誠一郎<ref>{{Cite journal|和書|author = 村松誠一郎|date = 1986-05|title = 死刑制度が偽りの自供を強いた|journal = インパクション|issue = 41|page = 38|publisher = インパクト出版会|issn = 0287-2897}}</ref>)||1998年10月8日||1980年3月21日||犠牲者2人。兄弟が起訴され兄(村松)の死刑、弟の無期懲役が確定したが、冤罪説もある。東京拘置所収監中。
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|妙義山麓連続殺人事件 (M)||1998年12月1日||1990年12月4日・1991年7月6日||東京拘置所収監中。
|妙義山麓連続殺人事件 (M)||1998年12月1日||1990年12月4日・1991年7月6日||東京拘置所収監中。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|友人3人殺人事件 (T)||1999年2月25日||1972年2月・1974年2月||1932年(昭和7年)8月17日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1986年3月28日に[[東京地方裁判所|東京地裁]](杉山忠雄裁判長)で死刑判決、1994年9月14日に[[東京高等裁判所|東京高裁]](小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1999年2月25日の最高裁判決([[小野幹雄]]裁判長)で上告を棄却され死刑が確定したが「真犯人は別人」と主張している{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1932|8|17}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|友人3人殺人事件 (T)||1999年2月25日||1972年2月・1974年2月||1932年(昭和7年)8月17日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1986年3月28日に[[東京地方裁判所|東京地裁]](杉山忠雄裁判長)で死刑判決、1994年9月14日に[[東京高等裁判所|東京高裁]](小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1999年2月25日の最高裁判決([[小野幹雄]]裁判長)で上告を棄却され死刑が確定したが「真犯人は別人」と主張している{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1932|8|17}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|熊本・菊池市保険金殺人事件 (S)||1999年3月9日||1988年3月||第一審・[[熊本地方裁判所|熊本地裁]]では1992年11月30日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・[[福岡高等裁判所|福岡高裁]](池田憲義裁判長)で1995年3月16日に一審破棄・死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2004年9月14日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|熊本・菊池市保険金殺人事件 (S)||1999年3月9日||1988年3月||第一審・[[熊本地方裁判所|熊本地裁]]では1992年11月30日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・[[福岡高等裁判所|福岡高裁]](池田憲義裁判長)で1995年3月16日に一審破棄・死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2004年9月14日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|高知3連続殺人事件 (F)||1999年6月25日||1978年・1980年・1981年||1942年(昭和16年)7月14日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1988年3月9日に[[高知地方裁判所|高知地裁]](田村秀作裁判長)で死刑判決を受け、1994年3月8日に[[高松高等裁判所|高松高裁]](米田俊昭裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1999年6月25日の最高裁判決([[福田博]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2006年12月25日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1942|7|14|2006|12|25}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|高知3連続殺人事件 (F)||1999年6月25日||1978年・1980年・1981年||1942年(昭和16年)7月14日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1988年3月9日に[[高知地方裁判所|高知地裁]](田村秀作裁判長)で死刑判決を受け、1994年3月8日に[[高松高等裁判所|高松高裁]](米田俊昭裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1999年6月25日の最高裁判決([[福田博]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2006年12月25日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1942|7|14|2006|12|25}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|群馬県安中市親子3人殺害事件 (M)||1999年9月13日||1994年2月13日||1948年(昭和23年)1月23日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1975年2月14日に<ref name="朝日新聞"/>[[群馬県]][[高崎市]]内で自身との交際を断った<ref name="読売新聞1994-02-14"/>女子専門学校生(当時20歳)を包丁で刺殺する殺人事件を起こし<ref name="朝日新聞">『[[朝日新聞]]』1975年2月14日東京夕刊第3版第一社会面7頁「高崎 女子服装学院生 庭先で刺殺さる 家族は留守」([[朝日新聞東京本社]])</ref>、懲役10年の判決を受け刑務所に服役した[[前科]]があった<ref name="読売新聞1994-02-14">『読売新聞』1994年2月14日東京夕刊第一社会面19頁「交際女性と両親殺す 結婚断られ逆恨み?46歳の容疑者逮捕/群馬・安中」(読売新聞東京本社)</ref>。一時期、姓がNだったが元に戻した。<br>前述事件の刑期を終えて出所後、群馬県[[安中市]]で交際相手の女性(当時42歳)の両親(夫69歳・妻65歳)から結婚に反対され、女性からも結婚を断られたことに逆上し、3人をハンマーで撲殺した<ref name="読売新聞1994-02-14"/>。さらに女性の妹夫婦宅にも侵入し、妹とその長女を殺そうと首を絞めるなどした<ref name="読売新聞1994-11-09">『読売新聞』1994年11月9日東京夕刊第一社会面19頁「群馬・3人殺害に死刑判決 一審で今年8人目/前橋地裁支部」</ref>。<br>[[前橋地方裁判所|前橋地裁]]高崎支部(佐野精孝裁判長)で1994年11月9日に死刑判決を受け<ref name="読売新聞1994-11-09"/>、1995年10月6日に[[東京高等裁判所|東京高裁]](小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決を受けた<ref>『読売新聞』1995年10月6日東京夕刊第二社会面18頁「群馬・高崎の3人殺害、二審も死刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>1999年9月13日に最高裁第一小法廷([[大出峻郎]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定<ref>『朝日新聞』1999年9月14日朝刊第二社会面38頁「M被告の死刑確定 群馬・安中の3人殺害事件で上告棄却」(朝日新聞社)</ref>。<br>第4次再審請求中の2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1948|1|23|2017|12|19}})<ref name="読売新聞2017-12-19">『読売新聞』2017年12月20日東京朝刊第二社会面34頁「元少年ら2人死刑執行 市川一家殺害と群馬3人殺害」(読売新聞東京本社)</ref>。
|群馬県安中市親子3人殺害事件 (M)||1999年9月13日||1994年2月13日||1948年(昭和23年)1月23日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1975年2月14日に<ref name="朝日新聞"/>[[群馬県]][[高崎市]]内で自身との交際を断った<ref name="読売新聞1994-02-14"/>女子専門学校生(当時20歳)を包丁で刺殺する殺人事件を起こし<ref name="朝日新聞">『[[朝日新聞]]』1975年2月14日東京夕刊第3版第一社会面7頁「高崎 女子服装学院生 庭先で刺殺さる 家族は留守」([[朝日新聞東京本社]])</ref>、懲役10年の判決を受け刑務所に服役した[[前科]]があった<ref name="読売新聞1994-02-14">『読売新聞』1994年2月14日東京夕刊第一社会面19頁「交際女性と両親殺す 結婚断られ逆恨み?46歳の容疑者逮捕/群馬・安中」(読売新聞東京本社)</ref>。一時期、姓がNだったが元に戻した。<br>前述事件の刑期を終えて出所後、群馬県[[安中市]]で交際相手の女性(当時42歳)の両親(夫69歳・妻65歳)から結婚に反対され、女性からも結婚を断られたことに逆上し、3人をハンマーで撲殺した<ref name="読売新聞1994-02-14"/>。さらに女性の妹夫婦宅にも侵入し、妹とその長女を殺そうと首を絞めるなどした<ref name="読売新聞1994-11-09">『読売新聞』1994年11月9日東京夕刊第一社会面19頁「群馬・3人殺害に死刑判決 一審で今年8人目/前橋地裁支部」</ref>。<br>[[前橋地方裁判所|前橋地裁]]高崎支部(佐野精孝裁判長)で1994年11月9日に死刑判決を受け<ref name="読売新聞1994-11-09"/>、1995年10月6日に[[東京高等裁判所|東京高裁]](小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決を受けた<ref>『読売新聞』1995年10月6日東京夕刊第二社会面18頁「群馬・高崎の3人殺害、二審も死刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>1999年9月13日に最高裁第一小法廷([[大出峻郎]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定<ref>『朝日新聞』1999年9月14日朝刊第二社会面38頁「M被告の死刑確定 群馬・安中の3人殺害事件で上告棄却」(朝日新聞社)</ref>。<br>第4次再審請求中の2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1948|1|23|2017|12|19}})<ref name="読売新聞2017-12-19">『読売新聞』2017年12月20日東京朝刊第二社会面34頁「元少年ら2人死刑執行 市川一家殺害と群馬3人殺害」(読売新聞東京本社)</ref>。
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|千葉・高知連続強盗殺人事件 (K)||2000年2月4日||1983年8月・1989年2月||1947年(昭和22年)5月21日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>[[高知地方裁判所|高知地裁]](隅田景一裁判長)で1994年2月23日に死刑判決を受け、高松高裁(米田俊昭裁判長)で1995年3月30日に控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2000年2月4日の最高裁判決([[北川弘治]]裁判長)で上告棄却・死刑確定。<br>2005年9月16日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1947|5|21|2005|9|16}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|千葉・高知連続強盗殺人事件 (K)||2000年2月4日||1983年8月・1989年2月||1947年(昭和22年)5月21日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>[[高知地方裁判所|高知地裁]](隅田景一裁判長)で1994年2月23日に死刑判決を受け、[[高松高判所|高松高裁]](米田俊昭裁判長)で1995年3月30日に控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2000年2月4日の最高裁判決([[北川弘治]]裁判長)で上告棄却・死刑確定。<br>2005年9月16日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1947|5|21|2005|9|16}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|[[広島タクシー運転手連続殺人事件]] (H)||2000年2月24日||1996年4月 - 9月||2000年2月9日に[[広島地方裁判所|広島地裁]]([[戸倉三郎]]裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2006年12月25日に広島拘置所で死刑執行(44歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|[[広島タクシー運転手連続殺人事件]] (H)||2000年2月24日||1996年4月 - 9月||2000年2月9日に[[広島地方裁判所|広島地裁]]([[戸倉三郎]]裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2006年12月25日に広島拘置所で死刑執行(44歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|福岡・赤池町保険金殺人事件 (O)||2000年3月30日||1990年12月25日・26日||2000年3月15日に[[福岡地方裁判所|福岡地裁]](陶山博生裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が控訴したが、同年3月30日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2007年4月27日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|福岡・赤池町保険金殺人事件 (O)||2000年3月30日||1990年12月25日・26日||2000年3月15日に[[福岡地方裁判所|福岡地裁]](陶山博生裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が控訴したが、同年3月30日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2007年4月27日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|京都・滋賀連続強盗殺人事件 (M)||2000年4月4日||1990年9月・1991年9月||1951年(昭和26年)2月3日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。共犯の兄(主犯とされる)は逮捕前に自殺{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2件の強盗殺人罪に問われ、1993年9月17日に[[大津地方裁判所|大津地裁]](土井仁臣裁判長)で死刑判決を受け、1996年2月21日に大阪高裁(朝岡智幸裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2000年4月4日に最高裁([[奥田昌道]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[大阪拘置所]]に収監中(現在{{年数|1951|2|3}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|京都・滋賀連続強盗殺人事件 (M)||2000年4月4日||1990年9月・1991年9月||1951年(昭和26年)2月3日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。共犯の兄(主犯とされる)は逮捕前に自殺{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2件の強盗殺人罪に問われ、1993年9月17日に[[大津地方裁判所|大津地裁]](土井仁臣裁判長)で死刑判決を受け、1996年2月21日に[[大阪高判所|大阪高裁]](朝岡智幸裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2000年4月4日に最高裁([[奥田昌道]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[大阪拘置所]]に収監中(現在{{年数|1951|2|3}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|4都県連続4人殺害事件 (T)||2000年9月8日||1984年・1988年<br>1989年・1991年||1964年(昭和39年)9月12日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。旧姓M{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1994年1月27日に[[横浜地方裁判所|横浜地裁]](上田誠治裁判長)で死刑判決を受け、1995年12月20日に[[東京高等裁判所|東京高裁]](佐藤文哉裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2000年9月8日に最高裁([[河合伸一]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2007年4月27日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1964|9|12|2007|4|27}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。再審請求を棄却され、恩赦請求を提出する直前だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|4都県連続4人殺害事件 (T)||2000年9月8日||1984年・1988年<br>1989年・1991年||1964年(昭和39年)9月12日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。旧姓M{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>1994年1月27日に[[横浜地方裁判所|横浜地裁]](上田誠治裁判長)で死刑判決を受け、1995年12月20日に[[東京高等裁判所|東京高裁]](佐藤文哉裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2000年9月8日に最高裁([[河合伸一]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2007年4月27日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1964|9|12|2007|4|27}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。再審請求を棄却され、恩赦請求を提出する直前だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|今市連続殺人事件 (T)||2000年12月26日||1990年9月13日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}<br>1993年7月28日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}||1998年3月24日に[[宇都宮地方裁判所|宇都宮地裁]](山田公一裁判長)で死刑判決を受け、2000年12月11日に東京高裁([[高橋省吾]]裁判長)で控訴棄却判決。<br>弁護人は「嫉妬妄想による犯行」と主張していたが、控訴審判決後に上告せず死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(69歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|今市連続殺人事件 (T)||2000年12月26日||1990年9月13日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}<br>1993年7月28日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}||1998年3月24日に[[宇都宮地方裁判所|宇都宮地裁]](山田公一裁判長)で死刑判決を受け、2000年12月11日に東京高裁([[高橋省吾]]裁判長)で控訴棄却判決。<br>弁護人は「嫉妬妄想による犯行」と主張していたが、控訴審判決後に上告せず死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(69歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|富山社長夫婦射殺事件 (S)||2001年1月30日||1991年5月7日||1993年7月15日に[[富山地方裁判所|富山地裁]]([[下山保男]]裁判長)で死刑判決を受け、1997年3月11日に[[名古屋高等裁判所金沢支部|名古屋高裁金沢支部]](高木實裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2001年1月30日に最高裁(元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2007年8月23日に名古屋拘置所で死刑執行(60歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|富山社長夫婦射殺事件 (S)||2001年1月30日||1991年5月7日||1993年7月15日に[[富山地方裁判所|富山地裁]]([[下山保男]]裁判長)で死刑判決を受け、1997年3月11日に[[名古屋高等裁判所金沢支部|名古屋高裁金沢支部]](高木實裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2001年1月30日に最高裁(元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>2007年8月23日に名古屋拘置所で死刑執行(60歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|東京連続強盗殺人事件 (I)||2001年2月6日||1996年6月10日・1999年7月8日||2001年2月1日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>弁護人が控訴したが、自ら控訴を取り下げたため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(63歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
|東京連続強盗殺人事件 (I)||2001年2月6日||1996年6月10日・1999年7月8日||2001年2月1日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。<br>弁護人が控訴したが、自ら控訴を取り下げたため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(63歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=256}}。
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|愛知連続殺人事件 (U)||2001年9月20日||1993年2月16日・3月3日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||強盗で2人殺害(強盗殺人)・1人重傷(強盗殺人未遂)のほか、窃盗など余罪多数。<br>1994年5月25日に[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]一宮支部(伊藤邦晴裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に名古屋高裁(松本光雄裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年9月20日に最高裁(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>死刑確定後の2003年2月28日に[[名古屋拘置所]]内で病死(33歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|愛知連続殺人事件 (U)||2001年9月20日||1993年2月16日・3月3日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||強盗で2人殺害(強盗殺人)・1人重傷(強盗殺人未遂)のほか、窃盗など余罪多数。<br>1994年5月25日に[[名古屋地方裁判所|名古屋地裁]]一宮支部(伊藤邦晴裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に名古屋高裁(松本光雄裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年9月20日に最高裁(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>死刑確定後の2003年2月28日に[[名古屋拘置所]]内で病死(33歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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|[[市川一家4人殺人事件]] (S)||2001年12月3日||1992年3月5日||1973年(昭和48年)1月30日生まれ・犯行時19歳の[[少年死刑囚]]{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。1994年8月8日に[[千葉地方裁判所|千葉地裁]](神作良二裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に東京高裁(神田忠治裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年12月3日に最高裁第二小法廷([[亀山継夫]]裁判長)で上告棄却判決を受け<ref>『千葉日報』2001年12月4日朝刊一面1頁「犯行時少年の死刑確定へ 市川市の一家4人殺害事件 最高裁が上告棄却」(千葉日報社)</ref>、(判決訂正申し立て棄却決定により)2001年12月21日までに死刑が確定<ref>『読売新聞』2001年12月22日東京朝刊第二社会面30頁「千葉・市川の一家4人殺害事件 元少年の死刑確定/最高裁第二小法廷」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1973|1|30|2017|12|19}})<ref name="読売新聞2017-12-19"/>。死刑執行当時は第3次再審請求への棄却決定に対する即時抗告中だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2018|p=141}}。<br>[[少年犯罪]]に対する死刑確定・執行は[[永山則夫連続射殺事件|連続射殺事件]](警察庁広域重要指定108号事件)の死刑囚・[[永山則夫]]以来で平成の事件では初だった。
|[[市川一家4人殺人事件]] (S)||2001年12月3日||1992年3月5日||1973年(昭和48年)1月30日生まれ・犯行時19歳の[[少年死刑囚]]{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。1994年8月8日に[[千葉地方裁判所|千葉地裁]](神作良二裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に[[東京高判所|東京高裁]](神田忠治裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年12月3日に最高裁第二小法廷([[亀山継夫]]裁判長)で上告棄却判決を受け<ref>『千葉日報』2001年12月4日朝刊一面1頁「犯行時少年の死刑確定へ 市川市の一家4人殺害事件 最高裁が上告棄却」(千葉日報社)</ref>、(判決訂正申し立て棄却決定により)2001年12月21日までに死刑が確定<ref>『読売新聞』2001年12月22日東京朝刊第二社会面30頁「千葉・市川の一家4人殺害事件 元少年の死刑確定/最高裁第二小法廷」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1973|1|30|2017|12|19}})<ref name="読売新聞2017-12-19"/>。死刑執行当時は第3次再審請求への棄却決定に対する即時抗告中だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2018|p=141}}。<br>[[少年犯罪]]に対する死刑確定・執行は[[永山則夫連続射殺事件|連続射殺事件]](警察庁広域重要指定108号事件)の死刑囚・[[永山則夫]]以来で平成の事件では初だった。
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|大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M)||2001年12月6日||1988年1月15日||1940年(昭和15年)1月24日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。無期懲役刑の仮釈放中に本事件を起こした{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>1991年2月7日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]](米田俊昭裁判長)で死刑判決、1997年4月10日に大阪高裁(内匠和彦裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年12月6日に最高裁(深沢武久裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1940|1|24|2008|9|11}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M)||2001年12月6日||1988年1月15日||1940年(昭和15年)1月24日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。無期懲役刑の仮釈放中に本事件を起こした{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>1991年2月7日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]](米田俊昭裁判長)で死刑判決、1997年4月10日に[[大阪高判所|大阪高裁]](内匠和彦裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年12月6日に最高裁(深沢武久裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1940|1|24|2008|9|11}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[多摩市パチンコ店強盗殺人事件]] (C)||2002年6月11日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1992年5月30日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1961年(昭和36年)2月13日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。中国国籍で、定住以外の外国人の死刑確定は戦後初だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。主犯格は国外逃亡中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>1995年12月15日に[[東京地方裁判所|東京地裁]]八王子支部(豊田健裁判長)で下記共犯とともに死刑判決を受け、1998年1月29日に東京高裁(米沢敏雄裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2002年6月11日に最高裁([[金谷利廣]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1961|2|13}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|[[多摩市パチンコ店強盗殺人事件]] (C)||2002年6月11日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1992年5月30日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1961年(昭和36年)2月13日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。中国国籍で、定住以外の外国人の死刑確定は戦後初だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。主犯格は国外逃亡中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>1995年12月15日に[[東京地方裁判所|東京地裁]]八王子支部(豊田健裁判長)で下記共犯とともに死刑判決を受け、1998年1月29日に東京高裁(米沢敏雄裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2002年6月11日に最高裁([[金谷利廣]]裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1961|2|13}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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|多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (H)||2002年6月11日||1992年5月30日||1964年(昭和39年)10月3日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。上記共犯Cと同じく中国籍で、判決期日はいずれも同上{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1964|10|3}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (H)||2002年6月11日||1992年5月30日||1964年(昭和39年)10月3日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。上記共犯Cと同じく中国籍で、判決期日はいずれも同上{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1964|10|3}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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|川口バラバラ殺人事件 (Y)||2002年10月25日||1999年1月9日||1949年(昭和24年)5月23日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。無期懲役刑の仮釈放中に本事件を起こした{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年6月28日に[[さいたま地方裁判所|さいたま地裁]]で無期懲役判決を受けたが、2002年9月30日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で一審破棄・死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>弁護人が上告したが、本人が同年10月5日に取り下げたため確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1949|5|23}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|川口バラバラ殺人事件 (Y)||2002年10月25日||1999年1月9日||1949年(昭和24年)5月23日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。無期懲役刑の仮釈放中に本事件を起こした{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2001年6月28日に[[さいたま地方裁判所|さいたま地裁]]で無期懲役判決を受けたが、2002年9月30日に東京高裁([[高橋省吾]]裁判長)で一審破棄・死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>弁護人が上告したが、本人が同年10月5日に取り下げたため確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1949|5|23}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|江戸川老母子強盗殺人事件 (F)||2003年1月||1999年4月19日||老母子2人を殺害したほか、別件で詐欺事件も起こしていた。<br>2001年3月21日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を受け、2001年12月19日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>上告していたが、2003年1月5日に上告を取り下げたため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(42歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|江戸川老母子強盗殺人事件 (F)||2003年1月||1999年4月19日||老母子2人を殺害したほか、別件で詐欺事件も起こしていた。<br>2001年3月21日に[[東京地判所|東京地裁]](木村烈裁判長)で死刑判決を受け、2001年12月19日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>上告していたが、2003年1月5日に上告を取り下げたため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(42歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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|[[附属池田小事件]](吉岡守)||2003年8月28日||2001年6月8日||旧姓:宅間。2003年8月28日に大阪地裁(川合昌幸裁判長)で死刑判決を受け、第一審の弁護人が控訴したが、本人が同年9月26日に控訴を取り下げたため死刑が確定。{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}<br>死刑確定からわずか1年後の2004年9月14日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|[[附属池田小事件]](吉岡守)||2003年8月28日||2001年6月8日||旧姓:宅間。2003年8月28日に[[大阪地判所|大阪地裁]](川合昌幸裁判長)で死刑判決を受け、第一審の弁護人が控訴したが、本人が同年9月26日に控訴を取り下げたため死刑が確定。{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}<br>死刑確定からわずか1年後の2004年9月14日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[警察庁広域重要指定121号事件]] (W)||2004年4月19日||1993年10月27日 - 12月20日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1968年(昭和43年)12月14日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。中国系のマレーシア国籍{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>[[東京都]]・[[群馬県]]・[[滋賀県]]など4都県にまたがる広域連続強盗殺人事件を起こし、強盗殺人などの罪に問われた<ref name="産経新聞2004-05-26"/>。<br>刑事裁判では強盗殺人の共謀・殺意の不存在を主張したが、1996年7月19日に東京地裁([[阿部文洋]]裁判長)で死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。1998年3月26日に東京高裁(松本時雄裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2004年4月19日に{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}最高裁第一小法廷([[島田仁郎]]裁判長)で<ref name="産経新聞2004-05-26"/>上告棄却判決を受け{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}、判決への訂正申し立ても同小法廷の決定(2004年5月25日まで)により棄却されたため死刑が確定<ref name="産経新聞2004-05-26">『[[産経新聞]]』2004年5月26日大阪朝刊第三社会面「死刑判決の外国人被告 訂正申し立て 最高裁が棄却」([[産経新聞大阪本社]])</ref>。<br>共犯Mは2005年9月に死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1968|12|14}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|[[警察庁広域重要指定121号事件]] (W)||2004年4月19日||1993年10月27日 - 12月20日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1968年(昭和43年)12月14日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。中国系のマレーシア国籍{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>[[東京都]]・[[群馬県]]・[[滋賀県]]など4都県にまたがる広域連続強盗殺人事件を起こし、強盗殺人などの罪に問われた<ref name="産経新聞2004-05-26"/>。<br>刑事裁判では強盗殺人の共謀・殺意の不存在を主張したが、1996年7月19日に東京地裁([[阿部文洋]]裁判長)で死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。1998年3月26日に東京高裁(松本時雄裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>2004年4月19日に{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}最高裁第一小法廷([[島田仁郎]]裁判長)で<ref name="産経新聞2004-05-26"/>上告棄却判決を受け{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}、判決への訂正申し立ても同小法廷の決定(2004年5月25日まで)により棄却されたため死刑が確定<ref name="産経新聞2004-05-26">『[[産経新聞]]』2004年5月26日大阪朝刊第三社会面「死刑判決の外国人被告 訂正申し立て 最高裁が棄却」([[産経新聞大阪本社]])</ref>。<br>共犯Mは2005年9月に死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}東京拘置所に収監中(現在{{年数|1968|12|14}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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|神奈川2件強盗殺人事件 (I)||2004年4月27日||1988年12月28日・1989年1月1日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1937年(昭和12年)10月25日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>第一審・[[横浜地判所|横浜地裁]]小田原支部(萩原孟裁判長)は1996年3月8日に強盗殺人2件のうち1件を無罪として無期懲役判決を言い渡した{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>しかし控訴審・東京高裁(佐藤文哉裁判長)は1999年4月28日に死刑判決を言い渡し、2004年4月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)が上告棄却判決を言い渡したため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>再審請求中の2009年10月27日に東京拘置所で病死({{没年齢|1937|10|25|2009|10|27}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
|神奈川2件強盗殺人事件 (I)||2004年4月27日||1988年12月28日・1989年1月1日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}||1937年(昭和12年)10月25日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>第一審・横浜地裁小田原支部(萩原孟裁判長)は1996年3月8日に強盗殺人2件のうち1件を無罪として無期懲役判決を言い渡した{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>しかし控訴審・東京高裁(佐藤文哉裁判長)は1999年4月28日に死刑判決を言い渡し、2004年4月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)が上告棄却判決を言い渡したため死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。<br>再審請求中の2009年10月27日に東京拘置所で病死({{没年齢|1937|10|25|2009|10|27}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=257}}。
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|[[藤沢市母娘ら5人殺害事件]] (F)||2004年6月15日||1981年10月6日 - 1982年6月5日||1960年(昭和35年)8月21日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>神奈川県で元窃盗仲間・元交際相手の女子高生一家3人の計4人を相次いで殺害したほか、一家3人殺害事件の共犯者を逃走先の兵庫県内で殺害した。一連の3件5件の殺人事件は「警察庁広域重要指定112号事件」に指定された。<br>1988年3月10日に[[横浜地方裁判所|横浜地裁]](和田保裁判長)で死刑判決を受けて[[東京高等裁判所|東京高裁]]に控訴するが、控訴中の1991年に自ら控訴を取り下げた。その後、弁護人からの異議申し立てにより1995年に最高裁から「取り下げは無効」と判断されて審理が再開されたが、2000年1月24日に東京高裁(荒木友雄裁判長)は控訴棄却判決(死刑判決支持)を言い渡した<ref>『神奈川新聞』2000年1月25日朝刊B版1面1頁「一審死刑判決を支持 F被告の控訴棄却 東京高裁」(神奈川新聞社)</ref>。<br>最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)にて2004年6月15日に上告棄却判決を受け<ref>『[[神奈川新聞]]』2004年6月16日朝刊A版第二社会面22頁「5人殺害で死刑確定へ 最高裁 F被告の上告棄却」(神奈川新聞社)</ref>、それから10日以内に判決の訂正を申し立てず確定した<ref>『読売新聞』2004年6月29日東京朝刊第三社会面37頁「女子高生ら5人殺害 F被告の死刑確定 判決に訂正申し立てず」(読売新聞東京本社)</ref>。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1960|8|21|2007|12|7}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
|[[藤沢市母娘ら5人殺害事件]] (F)||2004年6月15日||1981年10月6日 - 1982年6月5日||1960年(昭和35年)8月21日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>神奈川県で元窃盗仲間・元交際相手の女子高生一家3人の計4人を相次いで殺害したほか、一家3人殺害事件の共犯者を逃走先の兵庫県内で殺害した。一連の3件5件の殺人事件は「警察庁広域重要指定112号事件」に指定された。<br>1988年3月10日に[[横浜地方裁判所|横浜地裁]](和田保裁判長)で死刑判決を受けて[[東京高等裁判所|東京高裁]]に控訴するが、控訴中の1991年に自ら控訴を取り下げた。その後、弁護人からの異議申し立てにより1995年に最高裁から「取り下げは無効」と判断されて審理が再開されたが、2000年1月24日に東京高裁(荒木友雄裁判長)は控訴棄却判決(死刑判決支持)を言い渡した<ref>『神奈川新聞』2000年1月25日朝刊B版1面1頁「一審死刑判決を支持 F被告の控訴棄却 東京高裁」(神奈川新聞社)</ref>。<br>最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)にて2004年6月15日に上告棄却判決を受け<ref>『[[神奈川新聞]]』2004年6月16日朝刊A版第二社会面22頁「5人殺害で死刑確定へ 最高裁 F被告の上告棄却」(神奈川新聞社)</ref>、それから10日以内に判決の訂正を申し立てず確定した<ref>『読売新聞』2004年6月29日東京朝刊第三社会面37頁「女子高生ら5人殺害 F被告の死刑確定 判決に訂正申し立てず」(読売新聞東京本社)</ref>。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1960|8|21|2007|12|7}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
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|[[警察庁広域重要指定118号事件]] (O)||2004年6月25日||1986年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1989年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1991年5月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1953年(昭和28年)6月30日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>118号事件の主犯格で元[[岩手県警察|岩手県警]]警察官。殺人の被害者数2人で加害者3人に死刑判決が言い渡された{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>下記共犯2人(S・K)とともに1995年1月27日、[[福島地方裁判所|福島地裁]](井野場明子裁判長)で死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>1998年3月17日に仙台高裁(泉山禎治裁判長)で控訴棄却、2004年6月25日に最高裁(北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>死刑確定後の2008年に東京拘置所へ移送されたが、2014年6月24日未明に誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため病死({{没年齢|1953|6|30|2014|6|24}})。下記2人を含め、いずれも病死時点で再審請求中だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
|[[警察庁広域重要指定118号事件]] (O)||2004年6月25日||1986年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1989年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1991年5月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1953年(昭和28年)6月30日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>118号事件の主犯格で元[[岩手県警察|岩手県警]]警察官。殺人の被害者数2人で加害者3人に死刑判決が言い渡された{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>下記共犯2人(S・K)とともに1995年1月27日、[[福島地方裁判所|福島地裁]](井野場明子裁判長)で死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>1998年3月17日に[[仙台高判所|仙台高裁]](泉山禎治裁判長)で控訴棄却、2004年6月25日に最高裁(北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>死刑確定後の2008年に東京拘置所へ移送されたが、2014年6月24日未明に誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため病死({{没年齢|1953|6|30|2014|6|24}})。下記2人を含め、いずれも病死時点で再審請求中だった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
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|警察庁広域重要指定118号事件 (S)||2004年6月25日||1986年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1989年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1991年5月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1940年(昭和15年)7月25日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>上記O・下記K両加害者の共犯者{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。裁判経緯はO・Kと同一{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2013年8月14日に収監先の宮城刑務所仙台拘置支所医務棟で急性肺炎により病死({{没年齢|1940|7|25|2013|8|15}})。
|警察庁広域重要指定118号事件 (S)||2004年6月25日||1986年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1989年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1991年5月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1940年(昭和15年)7月25日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>上記O・下記K両加害者の共犯者{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。裁判経緯はO・Kと同一{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2013年8月14日に収監先の宮城刑務所仙台拘置支所医務棟で急性肺炎により病死({{没年齢|1940|7|25|2013|8|15}})。
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|警察庁広域重要指定118号事件 (K)||2004年6月25日||1986年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1989年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1991年5月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1943年(昭和18年)2月10日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>上記O・S両加害者の共犯者{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。裁判経緯はO・Sと同一{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>死刑確定後、いったんは宮城刑務所仙台拘置支所から東京拘置所へ移送されたが、2010年12月に胆管癌と診断されたため、医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され、2011年1月29日に拘置支所外の一般病院で病死({{没年齢|1943|2|10|2011|1|29}})<ref>朝日新聞2011年1月30日</ref>。
|警察庁広域重要指定118号事件 (K)||2004年6月25日||1986年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1989年7月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}<br>1991年5月{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1943年(昭和18年)2月10日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>上記O・S両加害者の共犯者{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。裁判経緯はO・Sと同一{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>死刑確定後、いったんは宮城刑務所仙台拘置支所から東京拘置所へ移送されたが、2010年12月に胆管癌と診断されたため、医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され、2011年1月29日に拘置支所外の一般病院で病死({{没年齢|1943|2|10|2011|1|29}})<ref>朝日新聞2011年1月30日</ref>。
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|徳之島兄家族殺傷事件(N)||2004年8月26日||2002年8月16日||1970年(昭和45年)5月7日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。2004年6月18日に[[鹿児島地方裁判所|鹿児島地裁]](大原英雄裁判長)で死刑判決を受け、2004年8月26日に自ら控訴を取り下げたため死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。2008年2月1日に福岡拘置所で死刑執行({{没年齢|1970|5|7|2008|2|1}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
|徳之島兄家族殺傷事件 (N)||2004年8月26日||2002年8月16日||1970年(昭和45年)5月7日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。2004年6月18日に[[鹿児島地方裁判所|鹿児島地裁]](大原英雄裁判長)で死刑判決を受け、2004年8月26日に自ら控訴を取り下げたため死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。2008年2月1日に福岡拘置所で死刑執行({{没年齢|1970|5|7|2008|2|1}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
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|滋賀元同僚強盗殺害事件 (N)||2004年9月9日||1989年10月10日・12月26日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1947年(昭和22年)3月11日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>1995年5月19日に[[大津地方裁判所|大津地裁]](中川隆司裁判長)で死刑判決を受け、1999年12月22日に大阪高裁(河上元康裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2004年9月13日に最高裁福田裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1947|3|11|2008|2|1}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
|滋賀元同僚強盗殺害事件 (N)||2004年9月9日||1989年10月10日・12月26日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}||1947年(昭和22年)3月11日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>1995年5月19日に[[大津地方裁判所|大津地裁]](中川隆司裁判長)で死刑判決を受け、1999年12月22日に[[大阪高判所|大阪高裁]](河上元康裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2004年9月13日に最高裁8福田裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1947|3|11|2008|2|1}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。
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|コスモ・リサーチ事件(岡本啓三){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}||2004年9月13日||1988年1月9日||1958年(昭和33年)9月3日・[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]生まれ{{Sfn|河村|2006|p=10}}(旧姓:河村){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。下記共犯者Sや共犯の男1人(無期懲役が確定)と共謀し、投資顧問会社「コスモ・リサーチ」(大阪市)社長を務めていた相場師男性(当時43歳){{Refnest|group="注"|被害者男性は派手な仕手戦で「北浜の風雲児」などと呼ばれ、大物相場師として注目を集めていた<ref name="産経新聞2018-12-27"/>。}}を拉致して1億円を奪い、その犯行を隠蔽することを計画<ref name="産経新聞2018-12-27">{{Cite news|title=元暴力団幹部ら男2人に死刑執行|url=https://www.sankei.com/affairs/news/181227/afr1812270008-n1.html|date=2018-12-27|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|accessdate=2020年4月28日|archivedate=2020年4月28日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200428144154/https://www.sankei.com/affairs/news/181227/afr1812270008-n1.html}}</ref>。社長と同社従業員男性(当時23歳)を大阪市内のマンションで絞殺し、遺体をコンクリート詰めにして[[京都府]][[南山城村]]の山林に埋めて遺棄した<ref name="産経新聞2018-12-27"/>。<br>刑事裁判では強盗殺人などの罪に問われたが<ref name="産経新聞2018-12-27"/>、事件を計画した時期や共犯同士の主従関係、強盗殺人罪の成否などが争点となった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。大阪地裁(谷村充祐裁判長)は{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}「本件は強盗殺人が成立する。河村が主導者でSも刑事責任は河村と負けず劣らず重大だ」と認定{{Refnest|group="注"|無期懲役が確定した残る1人の共犯者は事件に関与した時期が遅く、計画にも最終段階で加わったのみだったため無期懲役となった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。}}し{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}、1995年3月23日に下記共犯者Sとともに大阪地裁で死刑判決を受け、1999年3月5日に大阪高裁(西田元彦裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2004年9月13日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>死刑確定後に旧名「河村啓三」名義で[[インパクト出版会]]から著書『こんな僕でも生きてていいの』{{Sfn|河村|2006}}『生きる 大阪拘置所・死刑囚房から』<ref>{{Cite book|和書|title=生きる 大阪拘置所・死刑囚房から|publisher=インパクト出版会(発行人:深田卓)|date=2008-12-10|author=河村啓三|edition=第1刷発行|isbn=978-4755401947|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/180}}</ref>『落伍者』を出版<ref>{{Cite book|和書|title=落伍者|publisher=インパクト出版会(発行人:深田卓)|date=2012-06-25|author=河村啓三|edition=第1刷発行|isbn=978-4755402203|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/209}}</ref>。<br>2017年9月12日に第4次再審請求を申し立てていたが{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=107}}、請求中の{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1958|9|3|2018|12|27}})<ref name="朝日新聞2018-12-27">{{Cite news|title=2人の死刑を執行、山下法相の就任後初 大阪の強盗殺人|url=https://www.asahi.com/articles/ASLDW34HXLDWUTIL00G.html|date=2018-12-27|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|author=浦野直樹|accessdate=2018-02-12|archivedate=2018-02-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190212104241/https://www.asahi.com/articles/ASLDW34HXLDWUTIL00G.html}}</ref><ref name="法務省2018-12-27">{{Cite press release|title=法務大臣臨時記者会見の概要 平成30年12月27日(木)|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01083.html|date=2018-12-27|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[山下貴司]])|accessdate=2019-02-12|archivedate=2019-02-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190212104710/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01083.html}}</ref>。
|コスモ・リサーチ事件(岡本啓三){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}||2004年9月13日||1988年1月9日||1958年(昭和33年)9月3日・[[大阪府]][[大阪市]][[西成区]]生まれ{{Sfn|河村|2006|p=10}}(旧姓:河村){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。下記共犯者Sや共犯の男1人(無期懲役が確定)と共謀し、投資顧問会社「コスモ・リサーチ」(大阪市)社長を務めていた相場師男性(当時43歳){{Refnest|group="注"|被害者男性は派手な仕手戦で「北浜の風雲児」などと呼ばれ、大物相場師として注目を集めていた<ref name="産経新聞2018-12-27"/>。}}を拉致して1億円を奪い、その犯行を隠蔽することを計画<ref name="産経新聞2018-12-27">{{Cite news|title=元暴力団幹部ら男2人に死刑執行|url=https://www.sankei.com/affairs/news/181227/afr1812270008-n1.html|date=2018-12-27|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|accessdate=2020年4月28日|archivedate=2020年4月28日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200428144154/https://www.sankei.com/affairs/news/181227/afr1812270008-n1.html}}</ref>。社長と同社従業員男性(当時23歳)を大阪市内のマンションで絞殺し、遺体をコンクリート詰めにして[[京都府]][[南山城村]]の山林に埋めて遺棄した<ref name="産経新聞2018-12-27"/>。<br>刑事裁判では強盗殺人などの罪に問われたが<ref name="産経新聞2018-12-27"/>、事件を計画した時期や共犯同士の主従関係、強盗殺人罪の成否などが争点となった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。[[大阪地判所|大阪地裁]](谷村充祐裁判長)は{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}「本件は強盗殺人が成立する。河村が主導者でSも刑事責任は河村と負けず劣らず重大だ」と認定{{Refnest|group="注"|無期懲役が確定した残る1人の共犯者は事件に関与した時期が遅く、計画にも最終段階で加わったのみだったため無期懲役となった{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。}}し{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}、1995年3月23日に下記共犯者Sとともに大阪地裁で死刑判決を受け、1999年3月5日に大阪高裁(西田元彦裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2004年9月13日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>死刑確定後に旧名「河村啓三」名義で[[インパクト出版会]]から著書『こんな僕でも生きてていいの』{{Sfn|河村|2006}}『生きる 大阪拘置所・死刑囚房から』<ref>{{Cite book|和書|title=生きる 大阪拘置所・死刑囚房から|publisher=インパクト出版会(発行人:深田卓)|date=2008-12-10|author=河村啓三|edition=第1刷発行|isbn=978-4755401947|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/180}}</ref>『落伍者』を出版<ref>{{Cite book|和書|title=落伍者|publisher=インパクト出版会(発行人:深田卓)|date=2012-06-25|author=河村啓三|edition=第1刷発行|isbn=978-4755402203|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/209}}</ref>。<br>2017年9月12日に第4次再審請求を申し立てていたが{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=107}}、請求中の{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1958|9|3|2018|12|27}})<ref name="朝日新聞2018-12-27">{{Cite news|title=2人の死刑を執行、山下法相の就任後初 大阪の強盗殺人|url=https://www.asahi.com/articles/ASLDW34HXLDWUTIL00G.html|date=2018-12-27|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|author=浦野直樹|accessdate=2018-02-12|archivedate=2018-02-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190212104241/https://www.asahi.com/articles/ASLDW34HXLDWUTIL00G.html}}</ref><ref name="法務省2018-12-27">{{Cite press release|title=法務大臣臨時記者会見の概要 平成30年12月27日(木)|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01083.html|date=2018-12-27|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[山下貴司]])|accessdate=2019-02-12|archivedate=2019-02-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190212104710/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01083.html}}</ref>。
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|コスモ・リサーチ事件(S){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}||2004年9月13日||1988年1月9日||1951年(昭和26年)9月16日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。上記・岡本(河村)の共犯者で裁判の経緯は同上{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1951|9|16|2018|12|27}})<ref name="朝日新聞2018-12-27"/><ref name="法務省2018-12-27"/>。
|コスモ・リサーチ事件 (S){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}||2004年9月13日||1988年1月9日||1951年(昭和26年)9月16日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。上記・岡本(河村)の共犯者で裁判の経緯は同上{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=258}}。<br>2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行({{没年齢|1951|9|16|2018|12|27}})<ref name="朝日新聞2018-12-27"/><ref name="法務省2018-12-27"/>。
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|[[JT女性社員逆恨み殺人事件]](M)||2004年10月13日||1997年4月18日||1942年(昭和17年)5月15日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。殺人前科あり(1976年に[[広島県]][[広島市]]内で家出中の女子高生を殺害して懲役10年の刑に処された)。<br>第一審・[[東京地方裁判所|東京地裁]]([[山室惠]]裁判長)では1999年5月27日に無期懲役判決を受けたが<ref>『[[読売新聞]]』1999年5月27日東京夕刊第一社会面19頁「JT女性社員の被害届で逮捕… 出所後襲撃 逆恨み殺人に無期判決 /東京地裁」([[読売新聞東京本社]])</ref>、控訴審・[[東京高等裁判所|東京高裁]]([[仁田陸郎]]裁判長)で2000年2月28日に死刑判決を受けた<ref>『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊1頁「被害者の女性を逆恨み殺人 無期破棄し死刑判決 被害者1人でも極刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>最高裁第二小法廷([[滝井繁男]]裁判長)にて2004年10月13日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2004年11月10日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2004年11月12日東京朝刊第二社会面34頁「婦女暴行逆恨み殺人 M被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2008年2月1日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1942|5|15|2008|2|1}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。
|[[JT女性社員逆恨み殺人事件]] (M)||2004年10月13日||1997年4月18日||1942年(昭和17年)5月15日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。殺人前科あり(1976年に[[広島県]][[広島市]]内で家出中の女子高生を殺害して懲役10年の刑に処された)。<br>第一審・[[東京地方裁判所|東京地裁]]([[山室惠]]裁判長)では1999年5月27日に無期懲役判決を受けたが<ref>『[[読売新聞]]』1999年5月27日東京夕刊第一社会面19頁「JT女性社員の被害届で逮捕… 出所後襲撃 逆恨み殺人に無期判決 /東京地裁」([[読売新聞東京本社]])</ref>、控訴審・[[東京高等裁判所|東京高裁]]([[仁田陸郎]]裁判長)で2000年2月28日に死刑判決を受けた<ref>『読売新聞』2000年2月28日東京夕刊1頁「被害者の女性を逆恨み殺人 無期破棄し死刑判決 被害者1人でも極刑/東京高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>最高裁第二小法廷([[滝井繁男]]裁判長)にて2004年10月13日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2004年11月10日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2004年11月12日東京朝刊第二社会面34頁「婦女暴行逆恨み殺人 M被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2008年2月1日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1942|5|15|2008|2|1}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=113}}。
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|[[群馬女子高生誘拐殺人事件]] (S)||2004年10月29日||2002年7月19日||1966年(昭和41年)5月19日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>第一審・[[前橋地方裁判所|前橋地裁]]([[久我泰博]]裁判長)では2003年10月9日に無期懲役判決が言い渡されたが、2004年10月29日に東京高裁([[白木勇]]裁判長)で一審破棄・死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1966|5|19|2008|4|10}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。
|[[群馬女子高生誘拐殺人事件]] (S)||2004年10月29日||2002年7月19日||1966年(昭和41年)5月19日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>第一審・[[前橋地方裁判所|前橋地裁]]([[久我泰博]]裁判長)では2003年10月9日に無期懲役判決が言い渡されたが、2004年10月29日に東京高裁([[白木勇]]裁判長)で一審破棄・死刑判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行({{没年齢|1966|5|19|2008|4|10}}){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。
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|高知連続保険金殺人事件 (S)||2004年11月19日||1987年1月17日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}<br>1992年8月19日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}||1927年(昭和2年)6月21日生まれ・死刑確定時77歳{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。女性死刑囚としては最高齢。<br>[[高知県]][[室戸市]]内で1987年に共犯者らと共謀して夫を殺害し生命保険金5,000万円を詐取したほか、1992年にも交通事故を装って同居女性を殺害し、保険金を詐取しようとした<ref name="読売新聞2011-01-27"/>。殺人・詐欺などの罪で起訴され、刑事裁判では無罪を主張したが<ref name="読売新聞2011-01-27"/>、1998年7月29日に[[高知地方裁判所|高知地裁]](竹田隆裁判長)で死刑判決を受け、2000年9月28日には高松高裁(島敏男裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>2004年11月19日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。共犯3人は懲役刑が確定。<br>[[大阪拘置所]]に収監されていたが、2010年9月ごろに腫瘍が見つかり<ref name="読売新聞2011-01-27"/>、同年12月に大阪医療刑務所へ移送された<ref>{{Cite news|title=83歳の死刑囚死亡 高知の連続保険金殺人|url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011012701000772.html|date=2011-01-27|newspaper=[[東京新聞]]|publisher=[[中日新聞東京本社]]|agency=[[共同通信社]]|deadlinkdate=2020年4月28日}}</ref>。2011年1月25日ごろから容体が悪化し、2011年1月27日に肝臓がんのため[[大阪医療刑務所]]で死亡({{没年齢|1927|6|21|2011|1|27}})<ref name="読売新聞2011-01-27">{{Cite news|title=連続保険金殺人の死刑囚、医療刑務所で死亡|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110127-OYT1T00901.htm|date=2011-01-27|newspaper=[[読売新聞オンライン|YOMIURI ONLINE]]|publisher=[[読売新聞社]]|accessdate=2011-01-30|deadlinkdate=2020年4月28日|archivedate=2011年1月30日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110130094849/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110127-OYT1T00901.htm}}</ref>。
|高知連続保険金殺人事件 (S)||2004年11月19日||1987年1月17日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}<br>1992年8月19日{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}||1927年(昭和2年)6月21日生まれ・死刑確定時77歳{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。女性死刑囚としては最高齢。<br>[[高知県]][[室戸市]]内で1987年に共犯者らと共謀して夫を殺害し生命保険金5,000万円を詐取したほか、1992年にも交通事故を装って同居女性を殺害し、保険金を詐取しようとした<ref name="読売新聞2011-01-27"/>。殺人・詐欺などの罪で起訴され、刑事裁判では無罪を主張したが<ref name="読売新聞2011-01-27"/>、1998年7月29日に[[高知地方裁判所|高知地裁]](竹田隆裁判長)で死刑判決を受け、2000年9月28日には高松高裁(島敏男裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>2004年11月19日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。共犯3人は懲役刑が確定。<br>[[大阪拘置所]]に収監されていたが、2010年9月ごろに腫瘍が見つかり<ref name="読売新聞2011-01-27"/>、同年12月に大阪医療刑務所へ移送された<ref>{{Cite news|title=83歳の死刑囚死亡 高知の連続保険金殺人|url=http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011012701000772.html|date=2011-01-27|newspaper=[[東京新聞]]|publisher=[[中日新聞東京本社]]|agency=[[共同通信社]]|deadlinkdate=2020年4月28日}}</ref>。2011年1月25日ごろから容体が悪化し、2011年1月27日に肝臓がんのため[[大阪医療刑務所]]で死亡({{没年齢|1927|6|21|2011|1|27}})<ref name="読売新聞2011-01-27">{{Cite news|title=連続保険金殺人の死刑囚、医療刑務所で死亡|url=http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110127-OYT1T00901.htm|date=2011-01-27|newspaper=[[読売新聞オンライン|YOMIURI ONLINE]]|publisher=[[読売新聞社]]|accessdate=2011-01-30|deadlinkdate=2020年4月28日|archivedate=2011年1月30日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20110130094849/http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20110127-OYT1T00901.htm}}</ref>。
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|福岡連続強盗殺人事件(H)||2004年12月2日||1995年4月18日||1951年(昭和26年)7月2日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>1995年4月に[[福岡県]][[大牟田市]]で男女2人を殺害する事件などを起こし、1999年3月25日に[[福岡地方裁判所|福岡地裁]](仲家暢彦裁判長)で死刑判決を受け、2000年6月29日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>2004年12月2日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[福岡拘置所]]に収監中(現在{{年数|1951|7|2}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。
|福岡連続強盗殺人事件 (H)||2004年12月2日||1995年4月18日||1951年(昭和26年)7月2日生まれ{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>1995年4月に[[福岡県]][[大牟田市]]で男女2人を殺害する事件などを起こし、1999年3月25日に[[福岡地方裁判所|福岡地裁]](仲家暢彦裁判長)で死刑判決を受け、2000年6月29日に[[福岡高判所|福岡高裁]](小出錞一裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>2004年12月2日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[福岡拘置所]]に収監中(現在{{1951|7|2}}歳){{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。
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|フィリピン人2女性殺人事件 (M)||2004年12月14日||1998年12月25日||旧姓S。2000年3月1日に[[津地方裁判所|津地裁]](柴田秀樹裁判長)で死刑判決を受け、2001年5月14日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2004年12月14日に最高裁(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>共犯者2人のうち1人は後半途中で死亡し、もう1人は控訴審で(第一審・死刑判決が破棄され)無期懲役判決に減軽された{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[名古屋拘置所]]に収監中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。
|フィリピン人2女性殺人事件 (M)||2004年12月14日||1998年12月25日||旧姓S。2000年3月1日に[[津地方裁判所|津地裁]](柴田秀樹裁判長)で死刑判決を受け、2001年5月14日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2004年12月14日に最高裁(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。<br>共犯者2人のうち1人は後半途中で死亡し、もう1人は控訴審で(第一審・死刑判決が破棄され)無期懲役判決に減軽された{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。2019年10月1日時点で{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=275}}[[名古屋拘置所]]に収監中{{Sfn|年報・死刑廃止|2019|p=259}}。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|2件保険金殺人事件 (Y)||2005年1月25日||1985年11月・1990年3月||一審は無期懲役だった。2008年6月17日に大阪拘置所で死刑執行(73歳没)。
|2件保険金殺人事件 (Y)||2005年1月25日||1985年11月・1990年3月||一審は無期懲役だった。2008年6月17日に大阪拘置所で死刑執行(73歳没)。
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|同級生連続殺人事件 (M)||2005年1月27日||1989年8月9日-9月13日||[[東京拘置所]]収監中。
|同級生連続殺人事件 (M)||2005年1月27日||1989年8月9日-9月13日||[[東京拘置所]]収監中。
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|資産家老女ら2人殺人事件 (A)||2005年3月3日||1989年10月1日-4日||一審は無期懲役だった。2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。
|資産家老女ら2人殺人事件 (A)||2005年3月3日||1989年10月1日-4日||一審は無期懲役だった。2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。
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|[[オウム真理教事件]]([[岡崎一明|宮前一明]])||2005年4月7日||1989年2月-11月3日||旧姓は岡崎および佐伯。[[オウム真理教男性信者殺害事件]]・[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]に関与し、一連のオウム事件死刑囚では最初の死刑確定者となった。最高裁第一小法廷([[島田仁郎]]裁判長)にて2005年4月7日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2005年5月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2005年5月8日東京朝刊第二社会面34頁「元オウム幹部・岡崎被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で2018年7月26日に死刑執行(57歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[岡崎一明|宮前一明]])||2005年4月7日||1989年2月-11月3日||旧姓は岡崎および佐伯。[[オウム真理教男性信者殺害事件]]・[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]に関与し、一連のオウム事件死刑囚では最初の死刑確定者となった。最高裁第一小法廷([[島田仁郎]]裁判長)にて2005年4月7日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2005年5月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2005年5月8日東京朝刊第二社会面34頁「元オウム幹部・岡崎被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で2018年7月26日に死刑執行(57歳没)。
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|[[スナックママ連続殺人事件]] (N)||2005年6月7日||1991年12月13日-1991年12月28日||警察庁広域重要指定119号事件。18歳のときに起こした殺人の前科あり。第10次再審請求中の2017年7月13日に大阪拘置所で死刑執行(61歳没<ref group="注">なお、4件目の殺人事件の後の[[1992年]][[1月5日]]に落語家の[[桂あやめ (3代目)|3代目桂あやめ]]が同事件の犯人に襲われ殺害されそうになったが未遂に終わり、彼女の警察への通報が犯人確保に繋がった。</ref>。
|[[スナックママ連続殺人事件]] (N)||2005年6月7日||1991年12月13日-1991年12月28日||警察庁広域重要指定119号事件。18歳のときに起こした殺人の前科あり。第10次再審請求中の2017年7月13日に大阪拘置所で死刑執行(61歳没<ref group="注">なお、4件目の殺人事件の後の[[1992年]][[1月5日]]に落語家の[[桂あやめ (3代目)|3代目桂あやめ]]が同事件の犯人に襲われ殺害されそうになったが未遂に終わり、彼女の警察への通報が犯人確保に繋がった。</ref>。
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|[[大阪連続バラバラ殺人事件]] (K)||2005年7月8日||1985年5月28日-1994年3月||警察庁広域重要指定122号事件。2016年3月25日に大阪拘置所で死刑執行(75歳没)。
|[[大阪連続バラバラ殺人事件]] (K)||2005年7月8日||1985年5月28日-1994年3月||警察庁広域重要指定122号事件。2016年3月25日に大阪拘置所で死刑執行(75歳没)。
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|[[群馬パチンコ店員連続殺人事件]] (T)||2005年7月13日||2003年2月23日・4月1日||控訴取り下げにより死刑確定。共犯のOは2009年確定。東京拘置所収監中。
|[[群馬パチンコ店員連続殺人事件]] (T)||2005年7月13日||2003年2月23日・4月1日||控訴取り下げにより死刑確定。共犯のOは2009年確定。東京拘置所収監中。
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|警察庁広域重要指定121号事件 (M)||2005年9月16日||1993年10月-12月||共犯のWは2004年確定。東京拘置所収監中。
|警察庁広域重要指定121号事件 (M)||2005年9月16日||1993年10月-12月||共犯のWは2004年確定。東京拘置所収監中。
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|仙台老夫婦強盗殺人事件 (H)||2005年9月26日||1986年2月20日||[[宮城刑務所]][[仙台拘置支所]]収監中。
|仙台老夫婦強盗殺人事件 (H)||2005年9月26日||1986年2月20日||[[宮城刑務所]][[仙台拘置支所]]収監中。
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|[[東京風俗店連続殺人事件]] (M)||2005年10月17日||1995年12月21日||2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(37歳没)。
|[[東京風俗店連続殺人事件]] (M)||2005年10月17日||1995年12月21日||2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(37歳没)。
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|[[警察庁広域重要指定120号事件]] (U)||2005年12月15日||1992年6月19日-1993年10月29日||大阪拘置所収監中。
|[[警察庁広域重要指定120号事件]] (U)||2005年12月15日||1992年6月19日-1993年10月29日||大阪拘置所収監中。
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|[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]([[宮崎勤]])||2006年1月17日||1988年8月-1989年6月||警察庁広域重要指定117号事件。最高裁第三小法廷([[藤田宙靖]]裁判長)にて2006年1月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2006年2月1日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2006年2月1日東京朝刊第二社会面38頁「連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤被告の『死刑』正式確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。再審請求準備中の2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(45歳没)。
|[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]([[宮崎勤]])||2006年1月17日||1988年8月-1989年6月||警察庁広域重要指定117号事件。最高裁第三小法廷([[藤田宙靖]]裁判長)にて2006年1月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2006年2月1日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2006年2月1日東京朝刊第二社会面38頁「連続幼女誘拐殺人事件 宮崎勤被告の『死刑』正式確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。再審請求準備中の2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(45歳没)。
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|右翼幹部ら2人殺人事件 (T)||2006年2月14日||1992年2月9日・1994年4月28日||旧姓K。1992年に右翼団体に所属する自動車販売業の男に客を仲介したのに手数料を支払わないのに腹を立て仲間2人と共謀し殺害。1994年に同じ右翼団体に所属する金券販売業の男を架空取引を持ちかけて現金を奪い殺害し琵琶湖に遺棄した<ref name=Million085>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、85頁、2009年</ref>。大阪拘置所収監中。
|右翼幹部ら2人殺人事件 (T)||2006年2月14日||1992年2月9日・1994年4月28日||旧姓K。1992年に右翼団体に所属する自動車販売業の男に客を仲介したのに手数料を支払わないのに腹を立て仲間2人と共謀し殺害。1994年に同じ右翼団体に所属する金券販売業の男を架空取引を持ちかけて現金を奪い殺害し琵琶湖に遺棄した<ref name=Million085>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、85頁、2009年</ref>。大阪拘置所収監中。
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|古美術商ら2人殺人事件 (Y)||2006年2月24日||1994年3月-1995年3月||Yは1994年4月に元暴力団員3人と共謀し古物商宅に押し入って現金を奪ったが、この時の共犯の一人が反抗するようになったため4月に殺害した。1995年3月に四日市市の古物商を殺害し、現金を奪った上に遺体を[[丸山ダム]]に遺棄した<ref name=Million085>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、85頁、2009年</ref>。[[名古屋拘置所]]収監中。
|古美術商ら2人殺人事件 (Y)||2006年2月24日||1994年3月-1995年3月||Yは1994年4月に元暴力団員3人と共謀し古物商宅に押し入って現金を奪ったが、この時の共犯の一人が反抗するようになったため4月に殺害した。1995年3月に四日市市の古物商を殺害し、現金を奪った上に遺体を[[丸山ダム]]に遺棄した<ref name=Million085>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、85頁、2009年</ref>。[[名古屋拘置所]]収監中。
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|愛知・静岡2女性殺害事件 (M)||2006年3月2日||1996年8月31日・1997年9月4日||旧姓T。静岡県で同居していた女性を覚醒剤の大量注射により殺害し、遺体を山林に埋め女性の銀行口座から1000万円を引き出した。愛知県でスナック経営者を借金を踏み倒すために別の男と共謀し[[尾張旭市]]の森林公園に連れ出した上で銃殺し、遺体を駐車場脇に遺棄した<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、92頁、2009年 </ref>。名古屋拘置所収監中。
|愛知・静岡2女性殺害事件 (M)||2006年3月2日||1996年8月31日・1997年9月4日||旧姓T。静岡県で同居していた女性を覚醒剤の大量注射により殺害し、遺体を山林に埋め女性の銀行口座から1000万円を引き出した。愛知県でスナック経営者を借金を踏み倒すために別の男と共謀し[[尾張旭市]]の森林公園に連れ出した上で銃殺し、遺体を駐車場脇に遺棄した<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、92頁、2009年 </ref>。名古屋拘置所収監中。
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|神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y)||2006年3月20日||2005年1月8日||2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。
|神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y)||2006年3月20日||2005年1月8日||2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。
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|[[オウム真理教事件]]([[麻原彰晃]])||2006年3月27日||1989年2月-1995年3月|| 本名:松本智津夫。[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]・[[松本サリン事件]]・[[地下鉄サリン事件]]など[[オウム真理教事件|一連の事件]]で29人が死亡した(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)。第一審・東京地裁で2004年2月27日に死刑判決を受け弁護団が控訴したが、弁護団は「麻原には訴訟能力がなく控訴趣意書が作成できない」などとして東京高裁からの再三の催促を無視して控訴趣意書を期日通りに提出しなかったため2006年3月に控訴棄却決定、それに対する弁護団の特別抗告棄却も同年9月15日付で棄却され死刑が確定した。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[麻原彰晃]])||2006年3月27日||1989年2月-1995年3月|| 本名:松本智津夫。[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]・[[松本サリン事件]]・[[地下鉄サリン事件]]など[[オウム真理教事件|一連の事件]]で29人が死亡した(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)。第一審・東京地裁で2004年2月27日に死刑判決を受け弁護団が控訴したが、弁護団は「麻原には訴訟能力がなく控訴趣意書が作成できない」などとして東京高裁からの再三の催促を無視して控訴趣意書を期日通りに提出しなかったため2006年3月に控訴棄却決定、それに対する弁護団の特別抗告棄却も同年9月15日付で棄却され死刑が確定した。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。
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|鶴見事件(高橋和利)||2006年3月28日||1988年6月20日||[[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]にて不動産取引と金融業を営む夫婦が殺害され、現金1200万円と預金通帳が奪われた。犯人として電気工事業の高橋が逮捕・起訴された。高橋は金を奪ったことは認めたが、殺害については否認。殺害時のアリバイを主張し再審請求している<ref>『死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白』ミリオン出版、100頁、2009年</ref>。[[2011年]]5月、手記『「鶴見事件」抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた』(インパクト出版会) を出版。また[[2016年]]2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)に手記を寄せている。東京拘置所収監中。
|鶴見事件(高橋和利)||2006年3月28日||1988年6月20日||[[横浜市]][[鶴見区 (横浜市)|鶴見区]]にて不動産取引と金融業を営む夫婦が殺害され、現金1200万円と預金通帳が奪われた。犯人として電気工事業の高橋が逮捕・起訴された。高橋は金を奪ったことは認めたが、殺害については否認。殺害時のアリバイを主張し再審請求している<ref>『死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白』ミリオン出版、100頁、2009年</ref>。[[2011年]]5月、手記『「鶴見事件」抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた』(インパクト出版会) を出版。また[[2016年]]2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)に手記を寄せている。東京拘置所収監中。
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|[[ドラム缶女性焼殺事件]] (S)||2006年6月9日||2000年4月4日||旧姓N。2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(39歳没)。
|[[ドラム缶女性焼殺事件]] (S)||2006年6月9日||2000年4月4日||旧姓N。2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(39歳没)。
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|ドラム缶女性焼殺事件 (K)||2006年6月9日||2000年4月4日||上記Sの共犯。2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。
|ドラム缶女性焼殺事件 (K)||2006年6月9日||2000年4月4日||上記Sの共犯。2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。
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|[[豊中市2人殺害事件]] (N)||2006年6月13日||1992年3月5日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。2014年5月15日に獄死(66歳没)。
|[[豊中市2人殺害事件]] (N)||2006年6月13日||1992年3月5日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。2014年5月15日に獄死(66歳没)。
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|川崎中国人6人殺傷事件 (C)||2006年6月27日||1999年5月25日||[[中華人民共和国|中国]]・[[福建省]]出身の犯罪集団による犯行。裕福として目を付けていた中国人男女グループが実際は金が全くない事に激怒し、そのグループ6人を襲撃し、うち3人を殺害。主犯の中国人Cとその親類7人(全員中国人)が逮捕された。主犯Cは2009年7月28日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)<ref name=Million085>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、85頁、2009年</ref>。戦後初の在日中国人に対する死刑執行。
|川崎中国人6人殺傷事件 (C)||2006年6月27日||1999年5月25日||[[中華人民共和国|中国]]・[[福建省]]出身の犯罪集団による犯行。裕福として目を付けていた中国人男女グループが実際は金が全くない事に激怒し、そのグループ6人を襲撃し、うち3人を殺害。主犯の中国人Cとその親類7人(全員中国人)が逮捕された。主犯Cは2009年7月28日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)<ref name=Million085>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、85頁、2009年</ref>。戦後初の在日中国人に対する死刑執行。
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|市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H)||2006年9月1日||1994年12月19日||殺人の前科有り。2008年9月11日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。
|市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H)||2006年9月1日||1994年12月19日||殺人の前科有り。2008年9月11日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。
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|堺夫婦殺人事件 (E)||2006年9月7日||1997年10月30日||知り合いの資産家夫婦から資産を奪うことを計画したEは、知人3人と共謀し言葉巧みに土地建物処理の委任状を書かせた後に夫婦を殺害。二人の遺体を長野市内の休耕田に運び重機で埋める作業を始めたが、休耕田の所有者に通報され駆けつけてきた警官によって緊急逮捕された<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、93頁、2009年。</ref>。共犯逃亡中。大阪拘置所収監中。
|堺夫婦殺人事件 (E)||2006年9月7日||1997年10月30日||知り合いの資産家夫婦から資産を奪うことを計画したEは、知人3人と共謀し言葉巧みに土地建物処理の委任状を書かせた後に夫婦を殺害。二人の遺体を長野市内の休耕田に運び重機で埋める作業を始めたが、休耕田の所有者に通報され駆けつけてきた警官によって緊急逮捕された<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、93頁、2009年。</ref>。共犯逃亡中。大阪拘置所収監中。
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|[[飯塚事件]](久間三千年<ref>{{Cite book|和書|author= 久間三千年|editor= 年報・死刑廃止編集委員会編|title= 死刑100年と裁判員制度|year= 2009|publisher= インパクト出版会|isbn= 978-4755402005|volume= [[年報・死刑廃止]]2009|chapter= 私が訴えたきこと|page= 158}}</ref>)||2006年9月8日||1992年2月20日||当時の[[DNA鑑定]]は信憑性が低いとして再鑑定を求めていたが、2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行(70歳没)。
|[[飯塚事件]](久間三千年<ref>{{Cite book|和書|author= 久間三千年|editor= 年報・死刑廃止編集委員会編|title= 死刑100年と裁判員制度|year= 2009|publisher= インパクト出版会|isbn= 978-4755402005|volume= [[年報・死刑廃止]]2009|chapter= 私が訴えたきこと|page= 158}}</ref>)||2006年9月8日||1992年2月20日||当時の[[DNA鑑定]]は信憑性が低いとして再鑑定を求めていたが、2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行(70歳没)。
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|宮崎2女性殺人事件 (I)||2006年9月21日||1996年8月29日・1997年6月13日||父親の経営する工務店の経営悪化から、何とかしたいと思った家事手伝いの女性が、金銭目当てに女性2人を殺害した<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、84頁、2009年。</ref>[[福岡拘置所]]収監中。
|宮崎2女性殺人事件 (I)||2006年9月21日||1996年8月29日・1997年6月13日||父親の経営する工務店の経営悪化から、何とかしたいと思った家事手伝いの女性が、金銭目当てに女性2人を殺害した<ref>「死刑囚のすべて 確定死刑囚最期の告白。」、ミリオン出版、84頁、2009年。</ref>[[福岡拘置所]]収監中。
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|[[奈良小1女児殺害事件]](小林薫<ref>{{Cite journal|和書|author = 小林薫|date = 2006-02|title = 広島・栃木と相次いだ女児殺害事件をめぐって 奈良女児殺害・小林薫被告獄中手記『性犯罪はなぜなくならないのか』|journal = [[創 (雑誌)|創]]|volume = 36|issue = 第2号(通巻第398号)|page = 132|publisher = 創出版|naid = 40007096848}}</ref>)||2006年10月10日||2004年11月17日||控訴取り下げにより死刑確定。2013年2月21日に大阪拘置所で死刑執行(44歳没)。
|[[奈良小1女児殺害事件]](小林薫<ref>{{Cite journal|和書|author = 小林薫|date = 2006-02|title = 広島・栃木と相次いだ女児殺害事件をめぐって 奈良女児殺害・小林薫被告獄中手記『性犯罪はなぜなくならないのか』|journal = [[創 (雑誌)|創]]|volume = 36|issue = 第2号(通巻第398号)|page = 132|publisher = 創出版|naid = 40007096848}}</ref>)||2006年10月10日||2004年11月17日||控訴取り下げにより死刑確定。2013年2月21日に大阪拘置所で死刑執行(44歳没)。
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|栃木・妻と知人殺人事件 (N)||2006年10月12日||1988年11月・1989年11月||東京拘置所収監中。
|栃木・妻と知人殺人事件 (N)||2006年10月12日||1988年11月・1989年11月||東京拘置所収監中。
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|医師ら生き埋め殺人事件 (T)||2006年10月26日||1992年7月||東京拘置所収監中。
|医師ら生き埋め殺人事件 (T)||2006年10月26日||1992年7月||東京拘置所収監中。
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|名古屋福岡連続殺人事件 (P)||2006年11月24日||1995年1月12日-28日||2009年1月4日獄死(62歳没)。
|名古屋福岡連続殺人事件 (P)||2006年11月24日||1995年1月12日-28日||2009年1月4日獄死(62歳没)。
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|いわき市母娘強盗殺人事件 (T)||2006年12月20日||2004年3月18日||一審は無期懲役だった。上告取り下げにより死刑確定。2008年10月28日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(55歳没)。
|いわき市母娘強盗殺人事件 (T)||2006年12月20日||2004年3月18日||一審は無期懲役だった。上告取り下げにより死刑確定。2008年10月28日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(55歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]] (N)||2007年1月11日||2004年1月13日-9月7日||控訴取り下げにより死刑確定。2009年1月29日に東京拘置所で死刑執行(32歳没)。
|[[長野・愛知4連続強盗殺人事件]] (N)||2007年1月11日||2004年1月13日-9月7日||控訴取り下げにより死刑確定。2009年1月29日に東京拘置所で死刑執行(32歳没)。
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|マニラ連続保険金殺人事件 (M)||2007年1月30日||1994年12月-1996年6月||双子の兄弟の兄。名古屋拘置所収監後、[[肺炎]]のため八王子医療刑務所に移送され、[[2016年]]1月22日に肺炎のため病死(61歳没)。
|マニラ連続保険金殺人事件 (M)||2007年1月30日||1994年12月-1996年6月||双子の兄弟の兄。名古屋拘置所収監後、[[肺炎]]のため八王子医療刑務所に移送され、[[2016年]]1月22日に肺炎のため病死(61歳没)。
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|マニラ連続保険金殺人事件 (M)||2007年1月30日||1994年12月-1996年6月||上記共犯者、双子の兄弟の弟。名古屋拘置所収監中。
|マニラ連続保険金殺人事件 (M)||2007年1月30日||1994年12月-1996年6月||上記共犯者、双子の兄弟の弟。名古屋拘置所収監中。
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|マニラ連続保険金殺人事件 (S)||2007年1月30日||1994年12月-1996年6月||上記共犯者。死刑確定後に名古屋拘置所から大阪拘置所へ移送され同所収監中。
|マニラ連続保険金殺人事件 (S)||2007年1月30日||1994年12月-1996年6月||上記共犯者。死刑確定後に名古屋拘置所から大阪拘置所へ移送され同所収監中。
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|宮崎連続強盗殺人事件 (M)||2007年2月6日||2001年11月-12月||2012年3月29日に福岡拘置所で死刑執行(44歳没)。
|宮崎連続強盗殺人事件 (M)||2007年2月6日||2001年11月-12月||2012年3月29日に福岡拘置所で死刑執行(44歳没)。
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|[[宇都宮宝石店放火殺人事件]] (S)||2007年2月20日||2000年6月11日||最高裁第三小法廷([[那須弘平]]裁判長)が2007年2月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を言い渡した<ref name="朝日新聞2007-02-21">『[[朝日新聞]]』2007年2月21日東京朝刊第一総合面1頁「死刑囚100人に 厳罰化・凶悪化で判決増・執行減の傾向」([[朝日新聞東京本社]] 記者:市川美亜子・大島大輔)</ref>。その後、2007年3月8日付で被告人Sからの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定し<ref>『朝日新聞』2007年3月10日東京朝刊第二社会面38頁「生存死刑囚100人に 宇都宮・放火殺人で最高裁、被告の死判決訂正申し立てを棄却」(朝日新聞東京本社)</ref>、収監中の死刑囚の人数は1946年以降(2006年までは各年末時点のデータ)初めて100人に達した<ref name="朝日新聞2007-02-21"/>。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。
|[[宇都宮宝石店放火殺人事件]] (S)||2007年2月20日||2000年6月11日||最高裁第三小法廷([[那須弘平]]裁判長)が2007年2月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を言い渡した<ref name="朝日新聞2007-02-21">『[[朝日新聞]]』2007年2月21日東京朝刊第一総合面1頁「死刑囚100人に 厳罰化・凶悪化で判決増・執行減の傾向」([[朝日新聞東京本社]] 記者:市川美亜子・大島大輔)</ref>。その後、2007年3月8日付で被告人Sからの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定し<ref>『朝日新聞』2007年3月10日東京朝刊第二社会面38頁「生存死刑囚100人に 宇都宮・放火殺人で最高裁、被告の死判決訂正申し立てを棄却」(朝日新聞東京本社)</ref>、収監中の死刑囚の人数は1946年以降(2006年までは各年末時点のデータ)初めて100人に達した<ref name="朝日新聞2007-02-21"/>。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。
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|[[名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件]] (K)||2007年3月22日||2002年3月14日||旧姓B(上告中に養子縁組して改姓)。一審は無期懲役だった。殺人で懲役15年の刑に処された前科あり。2013年2月21日に名古屋拘置所で死刑執行(62歳没)。
|[[名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件]] (K)||2007年3月22日||2002年3月14日||旧姓B(上告中に養子縁組して改姓)。一審は無期懲役だった。殺人で懲役15年の刑に処された前科あり。2013年2月21日に名古屋拘置所で死刑執行(62歳没)。
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|[[武富士弘前支店強盗殺人・放火事件]] (K)||2007年3月27日||2001年5月8日||最高裁第三小法廷([[上田豊三]]裁判長)にて2007年3月27日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、4月3日付で同小法廷に判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2007年4月4日東京朝刊青森版地方面31頁「武富士放火のK被告、判決訂正を申し立て 2日付で文書送付=青森」(読売新聞東京本社・青森支局)</ref>、2007年4月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2007年4月16日東京朝刊青森版地方面35頁「武富士放火殺人 K被告の死刑確定 最高裁が申し立て棄却=青森」(読売新聞東京本社・青森支局)</ref>。2014年8月29日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(56歳没)。死刑確定後3度にわたり再審請求を行ったが2014年8月6日に3度目の再審請求の棄却決定が言い渡され、4度目の再審請求の準備に入るところであった。
|[[武富士弘前支店強盗殺人・放火事件]] (K)||2007年3月27日||2001年5月8日||最高裁第三小法廷([[上田豊三]]裁判長)にて2007年3月27日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、4月3日付で同小法廷に判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2007年4月4日東京朝刊青森版地方面31頁「武富士放火のK被告、判決訂正を申し立て 2日付で文書送付=青森」(読売新聞東京本社・青森支局)</ref>、2007年4月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2007年4月16日東京朝刊青森版地方面35頁「武富士放火殺人 K被告の死刑確定 最高裁が申し立て棄却=青森」(読売新聞東京本社・青森支局)</ref>。2014年8月29日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(56歳没)。死刑確定後3度にわたり再審請求を行ったが2014年8月6日に3度目の再審請求の棄却決定が言い渡され、4度目の再審請求の準備に入るところであった。
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|[[福山市独居老婦人殺害事件]] (N)||2007年4月10日||1992年3月29日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。一・二審は無期懲役も最高裁で[[口頭弁論]]を経て差し戻され、その後言い渡された死刑判決が確定。[[広島拘置所]]収監中。
|[[福山市独居老婦人殺害事件]] (N)||2007年4月10日||1992年3月29日||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。一・二審は無期懲役も最高裁で[[口頭弁論]]を経て差し戻され、その後言い渡された死刑判決が確定。[[広島拘置所]]収監中。
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|[[池袋通り魔殺人事件]] (Z)||2007年4月19日||1999年9月8日||東京拘置所収監中。
|[[池袋通り魔殺人事件]] (Z)||2007年4月19日||1999年9月8日||東京拘置所収監中。
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|[[大阪姉妹殺害事件]](山地悠紀夫)||2007年5月31日||2005年11月17日||控訴取り下げにより死刑確定。16歳のとき[[山口母親殺害事件]]を起こして少年院送致され、その仮退院後に本事件を起こした2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(25歳没)。
|[[大阪姉妹殺害事件]](山地悠紀夫)||2007年5月31日||2005年11月17日||控訴取り下げにより死刑確定。16歳のとき[[山口母親殺害事件]]を起こして少年院送致され、その仮退院後に本事件を起こした2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(25歳没)。
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|太州会内部抗争連続殺人事件 (N)||2007年6月12日||1997年10月||福岡拘置所収監中。
|太州会内部抗争連続殺人事件 (N)||2007年6月12日||1997年10月||福岡拘置所収監中。
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|春日部中国人夫婦殺害事件 (S)||2007年6月19日||2000年9月22日||元[[筑波大学]]大学院生。被害者・加害者とも中国人[[留学生]]。被害者夫は新越谷外国語会話教室[[中国語]]講師で[[埼玉大学]]大学院生、妻は筑波大学大学院生。東京拘置所収監中。
|春日部中国人夫婦殺害事件 (S)||2007年6月19日||2000年9月22日||元[[筑波大学]]大学院生。被害者・加害者とも中国人[[留学生]]。被害者夫は新越谷外国語会話教室[[中国語]]講師で[[埼玉大学]]大学院生、妻は筑波大学大学院生。東京拘置所収監中。
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|[[自殺サイト殺人事件]] (M)||2007年7月5日||2005年2月-6月||控訴取下げ・2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。
|[[自殺サイト殺人事件]] (M)||2007年7月5日||2005年2月-6月||控訴取下げ・2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。
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|三重連続射殺事件 (H)||2007年7月18日||1994年7月-11月||名古屋拘置所収監中。
|三重連続射殺事件 (H)||2007年7月18日||1994年7月-11月||名古屋拘置所収監中。
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|[[熊谷男女4人殺傷事件]] (O)||2007年4月10日||2003年8月18日||控訴を取り下げて確定。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(33歳没)。執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて立ち会う。
|[[熊谷男女4人殺傷事件]] (O)||2007年4月10日||2003年8月18日||控訴を取り下げて確定。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(33歳没)。執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて立ち会う。
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|[[オウム真理教事件]]([[横山真人]])||2007年7月20日||1995年3月20日||[[地下鉄サリン事件]]の実行犯の1人。横山がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、大量殺傷事件の共同正犯として死刑判決を受けた。最高裁第二小法廷([[中川了滋]]裁判長)にて2007年7月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年8月23日付同小法廷の決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2006年8月25日東京朝刊第三社会面37頁「元オウム幹部・横山被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で2018年7月26日に死刑執行(54歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[横山真人]])||2007年7月20日||1995年3月20日||[[地下鉄サリン事件]]の実行犯の1人。横山がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、大量殺傷事件の共同正犯として死刑判決を受けた。最高裁第二小法廷([[中川了滋]]裁判長)にて2007年7月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年8月23日付同小法廷の決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2006年8月25日東京朝刊第三社会面37頁「元オウム幹部・横山被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で2018年7月26日に死刑執行(54歳没)。
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|[[上申書殺人事件]] (G)||2007年9月28日||2000年7月-8月||[[茨城県]][[水戸市]]・[[栃木県]][[宇都宮市]]で男女5人を死傷させたとして殺人罪などに問われ、最高裁第二小法廷([[津野修]]裁判長)にて2007年9月28日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた<ref name="読売新聞2007-10-20"/>。10月9日に判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2007年10月10日東京朝刊茨城東版地方面31頁「上申書事件 G被告、判決訂正を申し立て=茨城」(読売新聞東京本社・水戸支局)</ref>、2007年10月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref name="読売新聞2007-10-20">『読売新聞』2007年10月20日東京朝刊茨城東版地方面33頁「上申書事件 G被告の死刑が確定、訂正申し立て棄却 最高裁=茨城」(読売新聞東京本社・水戸支局)</ref>。東京拘置所収監中。
|[[上申書殺人事件]] (G)||2007年9月28日||2000年7月-8月||[[茨城県]][[水戸市]]・[[栃木県]][[宇都宮市]]で男女5人を死傷させたとして殺人罪などに問われ、最高裁第二小法廷([[津野修]]裁判長)にて2007年9月28日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた<ref name="読売新聞2007-10-20"/>。10月9日に判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2007年10月10日東京朝刊茨城東版地方面31頁「上申書事件 G被告、判決訂正を申し立て=茨城」(読売新聞東京本社・水戸支局)</ref>、2007年10月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref name="読売新聞2007-10-20">『読売新聞』2007年10月20日東京朝刊茨城東版地方面33頁「上申書事件 G被告の死刑が確定、訂正申し立て棄却 最高裁=茨城」(読売新聞東京本社・水戸支局)</ref>。東京拘置所収監中。
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|[[オウム真理教事件]]([[端本悟]])||2007年10月26日||1989年12月など||[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]・[[松本サリン事件]]に関与。最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年10月26日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年11月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2007年11月14日東京朝刊第三社会面37頁「オウム元幹部・端本被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(51歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[端本悟]])||2007年10月26日||1989年12月など||[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]・[[松本サリン事件]]に関与。最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年10月26日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年11月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2007年11月14日東京朝刊第三社会面37頁「オウム元幹部・端本被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(51歳没)。
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|[[マブチモーター社長宅殺人放火事件|警察庁広域重要指定124号事件]](畠山鐵男)||2007年11月1日||2002年8月||犠牲者4人。東京高等裁判所への控訴取下げ、共犯も2011年に最高裁上告棄却で死刑確定。ノンフィクション作家[[藤充功]]の手によって[http://knuckles.cocolog-nifty.com/ 死刑囚獄中ブログ]に獄中手記を更新している。旧姓:小田島。東京拘置所に収監されていたが、[[食道がん]]のため2017年9月16日に病死(74歳没)。
|[[マブチモーター社長宅殺人放火事件|警察庁広域重要指定124号事件]](畠山鐵男)||2007年11月1日||2002年8月||犠牲者4人。東京高等裁判所への控訴取下げ、共犯も2011年に最高裁上告棄却で死刑確定。ノンフィクション作家[[藤充功]]の手によって[http://knuckles.cocolog-nifty.com/ 死刑囚獄中ブログ]に獄中手記を更新している。旧姓:小田島。東京拘置所に収監されていたが、[[食道がん]]のため2017年9月16日に病死(74歳没)。
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|[[大和連続主婦強盗殺人事件]] (S)||2007年11月6日||2001年8月-9月||正式な死刑確定日は2007年12月5日<ref name="法務省2019-08-02"/>。2019年8月2日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)。
|[[大和連続主婦強盗殺人事件]] (S)||2007年11月6日||2001年8月-9月||正式な死刑確定日は2007年12月5日<ref name="法務省2019-08-02"/>。2019年8月2日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)。
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|横浜前妻一家殺人事件 (F)||2007年11月15日||2002年7月31日||2012年3月29日に東京拘置所で死刑執行(46歳没)。
|横浜前妻一家殺人事件 (F)||2007年11月15日||2002年7月31日||2012年3月29日に東京拘置所で死刑執行(46歳没)。
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|岡山女性殺人事件 (U)||2007年11月30日||2001年8月9日||殺人罪で服役し仮釈放された元無期懲役囚による再犯。2008年2月7日獄死(68歳没)。歴史上初めて、法務大臣自身が死亡の事実を記者発表した。
|岡山女性殺人事件 (U)||2007年11月30日||2001年8月9日||殺人罪で服役し仮釈放された元無期懲役囚による再犯。2008年2月7日獄死(68歳没)。歴史上初めて、法務大臣自身が死亡の事実を記者発表した。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[長崎・佐賀連続保険金殺人事件]] (S)||2008年1月31日||1992年9月-1998年10月||福岡拘置所収監中。
|[[長崎・佐賀連続保険金殺人事件]] (S)||2008年1月31日||1992年9月-1998年10月||福岡拘置所収監中。
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|[[オウム真理教事件]]([[林泰男|小池泰男]])||2008年2月15日||1995年3月20日等||旧姓林。[[松本サリン事件]]・[[地下鉄サリン事件]]などに関与。最高裁第二小法廷([[古田佑紀]]裁判長)にて2008年2月15日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年3月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年3月5日東京朝刊第三社会面37頁「オウム、林被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から宮城刑務所仙台拘置支所へ移送され2018年7月26日に隣接する宮城刑務所で死刑執行(60歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[林泰男|小池泰男]])||2008年2月15日||1995年3月20日等||旧姓林。[[松本サリン事件]]・[[地下鉄サリン事件]]などに関与。最高裁第二小法廷([[古田佑紀]]裁判長)にて2008年2月15日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年3月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年3月5日東京朝刊第三社会面37頁「オウム、林被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から宮城刑務所仙台拘置支所へ移送され2018年7月26日に隣接する宮城刑務所で死刑執行(60歳没)。
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|[[三島女子短大生焼殺事件]] (H)||2008年2月29日||2002年1月22日||第一審は無期懲役だったが控訴審で死刑判決。「永山基準」が示されて以降に発生した殺人事件では「殺害被害者数1人・金銭目的および高度の計画性なし」という条件で最高裁に死刑判決が支持され確定した稀有なケース。強盗致傷の前科があり、本事件では被害者を強姦した上で灯油をかけ、生きたまま焼き殺した。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月29日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け<ref>『[[静岡新聞]]』2008年2月29日夕刊1面「三島の女子短大生焼殺 H被告、死刑確定へ-最高裁判決 被害者1人で適用」(静岡新聞社)</ref>、判決訂正申し立ても2008年3月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『静岡新聞』2008年3月19日朝刊第一社会面27面「三島の短大生焼殺事件 H被告、死刑確定-最高裁が訂正申し立て棄却」(静岡新聞社 / 配信:[[共同通信社]])</ref>。
|[[三島女子短大生焼殺事件]] (H)||2008年2月29日||2002年1月22日||第一審は無期懲役だったが控訴審で死刑判決。「永山基準」が示されて以降に発生した殺人事件では「殺害被害者数1人・金銭目的および高度の計画性なし」という条件で最高裁に死刑判決が支持され確定した稀有なケース。強盗致傷の前科があり、本事件では被害者を強姦した上で灯油をかけ、生きたまま焼き殺した。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月29日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け<ref>『[[静岡新聞]]』2008年2月29日夕刊1面「三島の女子短大生焼殺 H被告、死刑確定へ-最高裁判決 被害者1人で適用」(静岡新聞社)</ref>、判決訂正申し立ても2008年3月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『静岡新聞』2008年3月19日朝刊第一社会面27面「三島の短大生焼殺事件 H被告、死刑確定-最高裁が訂正申し立て棄却」(静岡新聞社 / 配信:[[共同通信社]])</ref>。


2012年8月3日に東京拘置所で死刑執行(40歳没)。
2012年8月3日に東京拘置所で死刑執行(40歳没)。
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|[[宇都宮実弟殺害事件]] (H)||2008年3月17日||2005年5月||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。上告取り下げにより死刑確定。東京拘置所収監中。
|[[宇都宮実弟殺害事件]] (H)||2008年3月17日||2005年5月||無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。上告取り下げにより死刑確定。東京拘置所収監中。
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|[[京都・神奈川親族連続殺人事件]] (M)||2008年4月8日||2007年1月||気に入らない親族2人を殺害し、かつての同級生をも殺そうとしていた。公判では反省の弁を述べなかった。控訴取り下げにより死刑確定。2012年8月3日に大阪拘置所で死刑執行(31歳没)。
|[[京都・神奈川親族連続殺人事件]] (M)||2008年4月8日||2007年1月||気に入らない親族2人を殺害し、かつての同級生をも殺そうとしていた。公判では反省の弁を述べなかった。控訴取り下げにより死刑確定。2012年8月3日に大阪拘置所で死刑執行(31歳没)。
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|入間暴力団組員5人射殺事件 (Y)||2008年4月23日||2003年12月14日||東京拘置所に収監されていたが2010年1月2日に病死(62歳没)。
|入間暴力団組員5人射殺事件 (Y)||2008年4月23日||2003年12月14日||東京拘置所に収監されていたが2010年1月2日に病死(62歳没)。
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|伊勢原市同居母娘強盗殺人事件 (K)||2008年6月5日||2001年8月4日||東京拘置所収監中。
|伊勢原市同居母娘強盗殺人事件 (K)||2008年6月5日||2001年8月4日||東京拘置所収監中。
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|[[下関通り魔殺人事件]] (U)||2008年7月11日||1999年9月29日||[[下関駅]]の構内に乱入して5人を殺害し、10人を負傷させた。最高裁第二小法廷([[今井功]]裁判長)にて2008年7月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても同小法廷決定(2008年8月30日まで)で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年8月30日東京朝刊第三社会面37頁「山口・下関駅殺傷 死刑が確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2012年3月29日に広島拘置所で死刑執行(48歳没)。
|[[下関通り魔殺人事件]] (U)||2008年7月11日||1999年9月29日||[[下関駅]]の構内に乱入して5人を殺害し、10人を負傷させた。最高裁第二小法廷([[今井功]]裁判長)にて2008年7月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても同小法廷決定(2008年8月30日まで)で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年8月30日東京朝刊第三社会面37頁「山口・下関駅殺傷 死刑が確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2012年3月29日に広島拘置所で死刑執行(48歳没)。
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|[[本庄保険金殺人事件]](八木茂)||2008年7月17日||1995年6月3日-1999年5月30日||殺人・殺人未遂・詐欺などの罪に問われ、最高裁第一小法廷([[泉徳治]]裁判長)にて2008年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年8月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年8月8日東京朝刊第二社会面34頁「埼玉・本庄連続殺人 八木被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。東京拘置所収監中。
|[[本庄保険金殺人事件]](八木茂)||2008年7月17日||1995年6月3日-1999年5月30日||殺人・殺人未遂・詐欺などの罪に問われ、最高裁第一小法廷([[泉徳治]]裁判長)にて2008年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年8月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年8月8日東京朝刊第二社会面34頁「埼玉・本庄連続殺人 八木被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。東京拘置所収監中。
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|[[福島悪魔払い殺人事件]] (E)||2008年9月16日||1994年12月-1995年6月||戦後女性死刑囚執行第4号。最高裁第三小法廷([[藤田宙靖]]裁判長)にて2008年9月16日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同月22日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2008年9月26日東京朝刊福島版地方面31頁「6人暴行死で死刑判決 被告が最高裁に訂正申し立て=福島」(読売新聞東京本社・福島支局)</ref>、2008年10月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年10月7日東京朝刊第二社会面37頁「信者6人死亡事件 E被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社・福島支局)</ref>。2012年9月27日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(65歳没)。
|[[福島悪魔払い殺人事件]] (E)||2008年9月16日||1994年12月-1995年6月||戦後女性死刑囚執行第4号。最高裁第三小法廷([[藤田宙靖]]裁判長)にて2008年9月16日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同月22日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2008年9月26日東京朝刊福島版地方面31頁「6人暴行死で死刑判決 被告が最高裁に訂正申し立て=福島」(読売新聞東京本社・福島支局)</ref>、2008年10月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年10月7日東京朝刊第二社会面37頁「信者6人死亡事件 E被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社・福島支局)</ref>。2012年9月27日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(65歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[高岡暴力団組長夫婦射殺事件]] (W)||2009年1月22日||2000年7月13日||元暴力団組長。名古屋拘置所に収監されていたが、2009年5月2日に[[肝不全]]による出血性ショックにより入院先の病院で死亡(56歳没)。
|[[高岡暴力団組長夫婦射殺事件]] (W)||2009年1月22日||2000年7月13日||元暴力団組長。名古屋拘置所に収監されていたが、2009年5月2日に[[肝不全]]による出血性ショックにより入院先の病院で死亡(56歳没)。
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|高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (I)||2009年3月23日||2000年7月13日||上記共犯者。旧姓O。元暴力団幹部。取調べの段階で副組長と一緒に殺害を依頼したと供述した。その後、副組長は起訴されて死刑を求刑されたが、一・二審で無罪判決が言い渡され確定している。収監先・名古屋拘置所から再審請求をしていたが、2014年7月16日に[[肝臓がん]]のため病死(67歳没)。
|高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (I)||2009年3月23日||2000年7月13日||上記共犯者。旧姓O。元暴力団幹部。取調べの段階で副組長と一緒に殺害を依頼したと供述した。その後、副組長は起訴されて死刑を求刑されたが、一・二審で無罪判決が言い渡され確定している。収監先・名古屋拘置所から再審請求をしていたが、2014年7月16日に[[肝臓がん]]のため病死(67歳没)。
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|熊本松橋町男女強盗殺人事件 (M)||2009年4月3日||2003年10月16日||上告取下げ。2012年9月27日に福岡拘置所で死刑執行(39歳没)。
|熊本松橋町男女強盗殺人事件 (M)||2009年4月3日||2003年10月16日||上告取下げ。2012年9月27日に福岡拘置所で死刑執行(39歳没)。
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|[[闇サイト殺人事件]] (K)||2009年4月13日||2007年8月24日||控訴取下げ。2015年6月25日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。共犯2人は無期懲役刑が確定したが、うち1人(堀慶末)は刑確定後に[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]などで再逮捕・起訴され2019年に死刑判決が確定した<ref name="産経新聞2019-07-19">{{Cite news|title=愛知夫婦強殺、無期受刑者に異例の死刑確定へ 最高裁|newspaper=産経新聞|date=2019-07-19|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190719/afr1907190043-n1.html|accessdate=2019-07-19|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190719114203/https://www.sankei.com/affairs/news/190719/afr1907190043-n1.html|archivedate=2019-07-19}}</ref>。
|[[闇サイト殺人事件]] (K)||2009年4月13日||2007年8月24日||控訴取下げ。2015年6月25日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。共犯2人は無期懲役刑が確定したが、うち1人(堀慶末)は刑確定後に[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]]などで再逮捕・起訴され2019年に死刑判決が確定した<ref name="産経新聞2019-07-19">{{Cite news|title=愛知夫婦強殺、無期受刑者に異例の死刑確定へ 最高裁|newspaper=産経新聞|date=2019-07-19|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190719/afr1907190043-n1.html|accessdate=2019-07-19|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190719114203/https://www.sankei.com/affairs/news/190719/afr1907190043-n1.html|archivedate=2019-07-19}}</ref>。
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|[[和歌山毒物カレー事件]](稲垣眞須美)||2009年4月21日||1998年7月25日||女性死刑囚。旧姓:林。最高裁第三小法廷([[那須弘平]]裁判長)で2009年4月21日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref>『[[中日新聞]]』2009年4月22日朝刊一面1頁「林被告死刑確定へ 毒カレー事件 状況証拠で『犯人』 最高裁が上告棄却 動機解明されず」([[中日新聞社]])</ref>、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが<ref>『中日新聞』2009年5月1日朝刊第三社会面29頁「林被告が申し立て」(中日新聞社)</ref>、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却されたため、同日付で死刑が確定した<ref>『中日新聞』2009年5月21日朝刊第一社会面35頁「毒物カレー事件 林被告の死刑確定 判決訂正申し立て 最高裁が棄却」</ref>。[[2014年]]3月に支援者の[[釜ヶ崎地域合同労働組合]]委員長[[稲垣浩 (労働運動家)|稲垣浩]]と養子縁組。大阪拘置所収監中。
|[[和歌山毒物カレー事件]](稲垣眞須美)||2009年4月21日||1998年7月25日||女性死刑囚。旧姓:林。最高裁第三小法廷([[那須弘平]]裁判長)で2009年4月21日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref>『[[中日新聞]]』2009年4月22日朝刊一面1頁「林被告死刑確定へ 毒カレー事件 状況証拠で『犯人』 最高裁が上告棄却 動機解明されず」([[中日新聞社]])</ref>、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが<ref>『中日新聞』2009年5月1日朝刊第三社会面29頁「林被告が申し立て」(中日新聞社)</ref>、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却されたため、同日付で死刑が確定した<ref>『中日新聞』2009年5月21日朝刊第一社会面35頁「毒物カレー事件 林被告の死刑確定 判決訂正申し立て 最高裁が棄却」</ref>。[[2014年]]3月に支援者の[[釜ヶ崎地域合同労働組合]]委員長[[稲垣浩 (労働運動家)|稲垣浩]]と養子縁組。大阪拘置所収監中。
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|[[埼玉愛犬家連続殺人事件]] (S)||2009年6月5日||1993年4月20日-8月26日||元夫婦による犯行。元夫S。東京拘置所に収監されていた。Sは事件前、TV番組「男のBEタイム」([[テレビ東京]]系列、[[1988年]]9月25日放映)に「狼に魅せられた男」として出演。また有名[[ブリーダー]]として雑誌『ペット経営』237号(野生社、1992年2月号)にも登場している。従犯の山崎永幸は懲役3年。山崎は[[1998年]]8月28日に満期出所後、[[1999年]]に事件の顛末を記した本『共犯者』(新潮社。[[2000年]]発行の文庫版は筆名「志麻永幸」名義、『愛犬家連続殺人』に改題、角川書店(角川文庫))を出版(実際は週刊新潮元記者・作家の[[蓮見圭一]]による代筆)したほか、[[2001年]]6月20日放映の[[テレビ番組]]『[[オフレコ!]]』([[TBSテレビ|TBS]]系列)に出演し事件について証言した。Sは[[2016年]]11月頃から体調を崩し、病院で治療を受けていた。東京拘置所に収監されていたが[[2017年]]3月27日早朝に所内で病死(75歳没)<ref>[http://www.jiji.com/jc/article?k=2017032700498&g=soc S死刑囚が死亡=埼玉の愛犬家殺人]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2017年03月27日 時事通信</ref>。
|[[埼玉愛犬家連続殺人事件]] (S)||2009年6月5日||1993年4月20日-8月26日||元夫婦による犯行。元夫S。東京拘置所に収監されていた。Sは事件前、TV番組「男のBEタイム」([[テレビ東京]]系列、[[1988年]]9月25日放映)に「狼に魅せられた男」として出演。また有名[[ブリーダー]]として雑誌『ペット経営』237号(野生社、1992年2月号)にも登場している。従犯の山崎永幸は懲役3年。山崎は[[1998年]]8月28日に満期出所後、[[1999年]]に事件の顛末を記した本『共犯者』(新潮社。[[2000年]]発行の文庫版は筆名「志麻永幸」名義、『愛犬家連続殺人』に改題、角川書店(角川文庫))を出版(実際は週刊新潮元記者・作家の[[蓮見圭一]]による代筆)したほか、[[2001年]]6月20日放映の[[テレビ番組]]『[[オフレコ!]]』([[TBSテレビ|TBS]]系列)に出演し事件について証言した。Sは[[2016年]]11月頃から体調を崩し、病院で治療を受けていた。東京拘置所に収監されていたが[[2017年]]3月27日早朝に所内で病死(75歳没)<ref>[http://www.jiji.com/jc/article?k=2017032700498&g=soc S死刑囚が死亡=埼玉の愛犬家殺人]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2017年03月27日 時事通信</ref>。
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|埼玉愛犬家連続殺人事件(風間博子<ref>{{Cite book|和書|editor= [[片岡健]]編|title= 絶望の牢獄から無実を叫ぶ-冤罪死刑囚八人の書画集|year= 2016|publisher= [[鹿砦社]]|isbn= 978-4846310905|page= 52|ref= 片岡}}</ref>)||2009年6月5日||1993年4月20日-8月26日||上記共犯者で元妻・女性死刑囚。東京拘置所収監中。風間は事件前の[[1992年]]2月に著書『愛しの[[アラスカン・マラミュート]]』(アフリカケンネル)を出版している。死刑確定後、S・風間夫婦の実娘が運用するホームページに手記と絵画が掲載されている。[[2016年]]2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)にも手記や実娘に宛てた手紙を採録している。再審請求中。
|埼玉愛犬家連続殺人事件(風間博子<ref>{{Cite book|和書|editor= [[片岡健]]編|title= 絶望の牢獄から無実を叫ぶ-冤罪死刑囚八人の書画集|year= 2016|publisher= [[鹿砦社]]|isbn= 978-4846310905|page= 52|ref= 片岡}}</ref>)||2009年6月5日||1993年4月20日-8月26日||上記共犯者で元妻・女性死刑囚。東京拘置所収監中。風間は事件前の[[1992年]]2月に著書『愛しの[[アラスカン・マラミュート]]』(アフリカケンネル)を出版している。死刑確定後、S・風間夫婦の実娘が運用するホームページに手記と絵画が掲載されている。[[2016年]]2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)にも手記や実娘に宛てた手紙を採録している。再審請求中。
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|[[群馬パチンコ店員連続殺人事件]] (O)||2009年6月9日||2003年2月23日・4月1日||共犯1人は2005年に控訴を取り下げて死刑が確定した。東京拘置所収監中。
|[[群馬パチンコ店員連続殺人事件]] (O)||2009年6月9日||2003年2月23日・4月1日||共犯1人は2005年に控訴を取り下げて死刑が確定した。東京拘置所収監中。
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|[[ファミレス2人射殺事件]] (M)||2009年6月15日||2005年4月25日||共犯2人中1人は2011年に死刑確定、もう1人は犯行後に自殺。2013年4月26日に東京拘置所で死刑執行(56歳没)。
|[[ファミレス2人射殺事件]] (M)||2009年6月15日||2005年4月25日||共犯2人中1人は2011年に死刑確定、もう1人は犯行後に自殺。2013年4月26日に東京拘置所で死刑執行(56歳没)。
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|仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件 (T)||2009年6月23日||2001年1月8日・2月3日||旧姓I。仙台拘置支所収監中。
|仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件 (T)||2009年6月23日||2001年1月8日・2月3日||旧姓I。仙台拘置支所収監中。
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|前橋スナック乱射事件 (K)||2009年7月10日||2003年1月25日||元[[住吉会]]系暴力団組員。同じ住吉会系暴力団組員YK(2013年6月7日死刑確定)とともに元暴力団住吉会[[幸平一家]]Y会会長YO([[2014年]]3月14日死刑確定)に指示され事件を起こす。暴力団[[稲川会]]大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。東京拘置所収監中。
|前橋スナック乱射事件 (K)||2009年7月10日||2003年1月25日||元[[住吉会]]系暴力団組員。同じ住吉会系暴力団組員YK(2013年6月7日死刑確定)とともに元暴力団住吉会[[幸平一家]]Y会会長YO([[2014年]]3月14日死刑確定)に指示され事件を起こす。暴力団[[稲川会]]大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。東京拘置所収監中。
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|[[オウム真理教事件]]([[早川紀代秀]])||2009年7月17日||1989年2月・1989年11月4日||[[オウム真理教男性信者殺害事件]]・[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]に関与。最高裁第二小法廷([[中川了滋]]裁判長)にて2009年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2009年7月31日付の同小法廷決定で棄却されたため<ref>『[[日本経済新聞]]』2009年8月2日朝刊35頁「オウム事件、早川被告の死刑確定(ピックアップ)」([[日本経済新聞社]])</ref>、2008年8月1日までに死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年8月8日東京朝刊第二社会面34頁「埼玉・本庄連続殺人 八木被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から福岡拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(68歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[早川紀代秀]])||2009年7月17日||1989年2月・1989年11月4日||[[オウム真理教男性信者殺害事件]]・[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]に関与。最高裁第二小法廷([[中川了滋]]裁判長)にて2009年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2009年7月31日付の同小法廷決定で棄却されたため<ref>『[[日本経済新聞]]』2009年8月2日朝刊35頁「オウム事件、早川被告の死刑確定(ピックアップ)」([[日本経済新聞社]])</ref>、2008年8月1日までに死刑が確定した<ref>『読売新聞』2008年8月8日東京朝刊第二社会面34頁「埼玉・本庄連続殺人 八木被告の死刑確定/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から福岡拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(68歳没)。
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|[[オウム真理教事件]]([[豊田亨]])||2009年11月6日||1995年3月20日||[[地下鉄サリン事件]]実行犯の1人で、広瀬とともに最高裁第二小法廷([[竹内行夫]]裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した<ref name="読売新聞2009-12-03"/>。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[豊田亨]])||2009年11月6日||1995年3月20日||[[地下鉄サリン事件]]実行犯の1人で、広瀬とともに最高裁第二小法廷([[竹内行夫]]裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した<ref name="読売新聞2009-12-03"/>。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)。
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|北見市資産家夫婦殺人事件 (K)||2009年12月4日||1988年10月21日||[[札幌拘置支所]]収監中。
|北見市資産家夫婦殺人事件 (K)||2009年12月4日||1988年10月21日||[[札幌拘置支所]]収監中。
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|[[オウム真理教事件]]([[井上嘉浩]])||2009年12月10日||1994年1月-1995年3月||[[駐車場経営者VX襲撃事件]]・[[会社員VX殺害事件]]・[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件]]・[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]]・[[地下鉄サリン事件]]などに関与。一審は無期懲役判決だったが控訴審・東京高裁で死刑判決を受け、2009年12月10日に上告棄却判決。その後判決訂正を申し立てたが、最高裁第一小法廷([[金築誠志]]裁判長)から2010年1月12日付で申し立てを棄却する決定を受け、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2010年1月14日東京朝刊第二社会面32頁「オウム・井上被告の死刑確定 判決訂正申し立てを棄却/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(48歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[井上嘉浩]])||2009年12月10日||1994年1月-1995年3月||[[駐車場経営者VX襲撃事件]]・[[会社員VX殺害事件]]・[[オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件]]・[[公証人役場事務長逮捕監禁致死事件]]・[[地下鉄サリン事件]]などに関与。一審は無期懲役判決だったが控訴審・東京高裁で死刑判決を受け、2009年12月10日に上告棄却判決。その後判決訂正を申し立てたが、最高裁第一小法廷([[金築誠志]]裁判長)から2010年1月12日付で申し立てを棄却する決定を受け、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2010年1月14日東京朝刊第二社会面32頁「オウム・井上被告の死刑確定 判決訂正申し立てを棄却/最高裁」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(48歳没)。
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|架空建設計画取引における連続殺人事件 (S)||2009年12月11日||1996年6月8日・11月19日||下記Tの共犯。福岡拘置所収監中。2009年12月24日付で最高裁第二小法廷([[古田佑紀]]裁判長)が上告棄却判決に対するS・T両被告人の判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定<ref>『[[日本経済新聞]]』2009年12月27日西部朝刊社会面17頁「男2人の死刑が確定 福岡の2社長殺害(ピックアップ)」([[日本経済新聞西部支社]])</ref>。大阪拘置所収監中。
|架空建設計画取引における連続殺人事件 (S)||2009年12月11日||1996年6月8日・11月19日||下記Tの共犯。福岡拘置所収監中。2009年12月24日付で最高裁第二小法廷([[古田佑紀]]裁判長)が上告棄却判決に対するS・T両被告人の判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定<ref>『[[日本経済新聞]]』2009年12月27日西部朝刊社会面17頁「男2人の死刑が確定 福岡の2社長殺害(ピックアップ)」([[日本経済新聞西部支社]])</ref>。大阪拘置所収監中。
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|架空建設計画取引における連続殺人事件 (T)||2009年12月11日||1996年6月8日・11月19日||上記共犯。一審は無期懲役だった。福岡拘置所に収監されていたが2010年4月14日に病死(66歳没)。
|架空建設計画取引における連続殺人事件 (T)||2009年12月11日||1996年6月8日・11月19日||上記共犯。一審は無期懲役だった。福岡拘置所に収監されていたが2010年4月14日に病死(66歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[土浦連続殺傷事件]] (K)||2010年1月5日||2008年3月||2009年12月18日死刑判決。通り魔事件で9人を殺傷(2人が死亡・7人が重傷)。弁護人が控訴したものの、本人が控訴を取下げ、確定。2013年2月21日に東京拘置所で死刑執行(29歳没)。
|[[土浦連続殺傷事件]] (K)||2010年1月5日||2008年3月||2009年12月18日死刑判決。通り魔事件で9人を殺傷(2人が死亡・7人が重傷)。弁護人が控訴したものの、本人が控訴を取下げ、確定。2013年2月21日に東京拘置所で死刑執行(29歳没)。
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|[[オウム真理教事件]]([[新実智光]])||2010年1月19日||1995年3月他多数||上告棄却。一連のオウム真理教事件で[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]・[[松本サリン事件]]・[[地下鉄サリン事件]]など11件26人の殺人に関与したと認定された。2010年1月19日に最高裁第三小法廷([[近藤崇晴]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正を申し立てたが2010年2月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2010年2月18日東京朝刊第二社会面38頁「新実被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(54歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[新実智光]])||2010年1月19日||1995年3月他多数||上告棄却。一連のオウム真理教事件で[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]・[[松本サリン事件]]・[[地下鉄サリン事件]]など11件26人の殺人に関与したと認定された。2010年1月19日に最高裁第三小法廷([[近藤崇晴]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正を申し立てたが2010年2月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した<ref>『読売新聞』2010年2月18日東京朝刊第二社会面38頁「新実被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(54歳没)。
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|大阪・岐阜連続女性強盗殺人事件 (O)||2010年1月29日||2005年3月-4月||上告棄却。パチンコに負けた借金に窮して金銭目的で女性2人を殺害。他にも空き巣の余罪あり。[[大阪拘置所]]収監中。
|大阪・岐阜連続女性強盗殺人事件 (O)||2010年1月29日||2005年3月-4月||上告棄却。パチンコに負けた借金に窮して金銭目的で女性2人を殺害。他にも空き巣の余罪あり。[[大阪拘置所]]収監中。
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|[[黒い看護婦|久留米看護師連続保険金殺人事件]] (Y)||2010年3月18日||1998年1月24日・1999年3月27日||女性死刑囚。再審請求中だった。2016年3月25日に福岡拘置所で死刑執行(56歳没)。戦後女性死刑囚執行第5号。
|[[黒い看護婦|久留米看護師連続保険金殺人事件]] (Y)||2010年3月18日||1998年1月24日・1999年3月27日||女性死刑囚。再審請求中だった。2016年3月25日に福岡拘置所で死刑執行(56歳没)。戦後女性死刑囚執行第5号。
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|[[館山市一家4人放火殺人事件]] (T)||2010年9月16日||2003年12月18日ほか||上告棄却。一連の放火で5人が犠牲に。東京拘置所収監中。
|[[館山市一家4人放火殺人事件]] (T)||2010年9月16日||2003年12月18日ほか||上告棄却。一連の放火で5人が犠牲に。東京拘置所収監中。
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|鉾田町独居高齢者連続強盗殺人事件 (F)||2010年10月14日||2005年1月||上告棄却。犠牲者2人。東京拘置所収監中。
|鉾田町独居高齢者連続強盗殺人事件 (F)||2010年10月14日||2005年1月||上告棄却。犠牲者2人。東京拘置所収監中。
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|大分替え玉保険金殺人事件 (O)||2010年11月8日||2002年1月||犠牲者2人。北九州市で強盗放火殺人、大分で殺人<ref>朝日新聞2010年11月9日朝刊</ref>。旧姓T。福岡拘置所収監中。
|大分替え玉保険金殺人事件 (O)||2010年11月8日||2002年1月||犠牲者2人。北九州市で強盗放火殺人、大分で殺人<ref>朝日新聞2010年11月9日朝刊</ref>。旧姓T。福岡拘置所収監中。
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|大分替え玉保険金殺人事件 (H)||2010年11月8日||2002年1月||上記共犯。旧姓T。福岡拘置所収監中。
|大分替え玉保険金殺人事件 (H)||2010年11月8日||2002年1月||上記共犯。旧姓T。福岡拘置所収監中。
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|[[オウム真理教事件]]([[土谷正実]])||2011年2月15日||1995年3月他多数||上告棄却<ref>読売新聞2011年2月16日朝刊</ref>。[[松本サリン事件]]・[[会社員VX殺害事件]]・[[地下鉄サリン事件]]などに関与。殺害行為に直接関わっていないが[[サリン]]など一連の化学兵器製造に関与しており、大量殺傷事件の[[共同正犯]]で死刑判決を受けた。2011年2月15日に最高裁第三小法廷([[那須弘平]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正を申し立てたが2011年3月7日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年3月9日東京朝刊第二社会面38頁「土谷被告の死刑確定 元オウム幹部」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[土谷正実]])||2011年2月15日||1995年3月他多数||上告棄却<ref>読売新聞2011年2月16日朝刊</ref>。[[松本サリン事件]]・[[会社員VX殺害事件]]・[[地下鉄サリン事件]]などに関与。殺害行為に直接関わっていないが[[サリン]]など一連の化学兵器製造に関与しており、大量殺傷事件の[[共同正犯]]で死刑判決を受けた。2011年2月15日に最高裁第三小法廷([[那須弘平]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正を申し立てたが2011年3月7日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年3月9日東京朝刊第二社会面38頁「土谷被告の死刑確定 元オウム幹部」(読売新聞東京本社)</ref>。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)。
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|[[渋谷駅駅員銃撃事件]]<ref>読売新聞2011年3月2日朝刊</ref> (K)||2011年3月1日||2004年5月29日||一審は無期懲役だった。死刑確定時点で70歳。窃盗罪で服役直後、金銭目的で横浜市内にて強盗殺人のほか、東京駅地下放火、渋谷駅で集金係と思い込んだ地下鉄職員を銃撃、私物を奪い片足麻痺の後遺症を与えるなどの累犯であった。2013年9月12日に東京拘置所で死刑執行(73歳没)。
|[[渋谷駅駅員銃撃事件]]<ref>読売新聞2011年3月2日朝刊</ref> (K)||2011年3月1日||2004年5月29日||一審は無期懲役だった。死刑確定時点で70歳。窃盗罪で服役直後、金銭目的で横浜市内にて強盗殺人のほか、東京駅地下放火、渋谷駅で集金係と思い込んだ地下鉄職員を銃撃、私物を奪い片足麻痺の後遺症を与えるなどの累犯であった。2013年9月12日に東京拘置所で死刑執行(73歳没)。
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|[[福岡3女性連続強盗殺人事件]] (S)||2010年3月8日||2004年12月-2005年1月||強盗・強姦目的に[[飯塚市]]・[[北九州市]]・[[福岡市]]で凶行に及んだ<ref>『[[東京新聞]]』2006年11月13日夕刊第二社会面10面「3女性殺害の男に死刑 福岡地裁判決、求刑通り」</ref>。正式な死刑確定日は2011年3月27日<ref name="法務省2019-08-02">{{Cite web|date=2019-08-02|title=法務大臣臨時記者会見の概要|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01147.html|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[山下貴司]]) |accessdate=2019-08-10|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190810124218/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01147.html|archivedate=2019-08-10}}</ref>(2011年3月25日付で最高裁第三小法廷が判決訂正申し立て棄却決定)<ref>『東京新聞』2011年3月29日朝刊第二社会面22面「S被告死刑確定 福岡、女性3人殺害」</ref>。2019年8月2日に福岡拘置所で死刑執行(50歳没)。
|[[福岡3女性連続強盗殺人事件]] (S)||2010年3月8日||2004年12月-2005年1月||強盗・強姦目的に[[飯塚市]]・[[北九州市]]・[[福岡市]]で凶行に及んだ<ref>『[[東京新聞]]』2006年11月13日夕刊第二社会面10面「3女性殺害の男に死刑 福岡地裁判決、求刑通り」</ref>。正式な死刑確定日は2011年3月27日<ref name="法務省2019-08-02">{{Cite web|date=2019-08-02|title=法務大臣臨時記者会見の概要|url=http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01147.html|publisher=[[法務省]]([[法務大臣]]:[[山下貴司]]) |accessdate=2019-08-10|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190810124218/http://www.moj.go.jp/hisho/kouhou/hisho08_01147.html|archivedate=2019-08-10}}</ref>(2011年3月25日付で最高裁第三小法廷が判決訂正申し立て棄却決定)<ref>『東京新聞』2011年3月29日朝刊第二社会面22面「S被告死刑確定 福岡、女性3人殺害」</ref>。2019年8月2日に福岡拘置所で死刑執行(50歳没)。
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|[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]] (KM)||2011年3月10日||1994年9月28日-10月7日||犯行時19歳の[[少年死刑囚]]で下記KA・HMの共犯。未成年グループによるリンチ殺人事件の主犯格。戦後の少年犯罪史上において、複数の被告人の死刑が確定した初のケース<ref>朝日新聞2011年3月11日朝刊</ref>。<br>主犯格3人の中で唯一、第一審・名古屋地裁でも死刑判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁では第一審が傷害致死事件と認定した「木曽川事件」について殺人罪と認定され、原判決破棄の上で改めて死刑判決を受けた。2011年3月10日に最高裁第一小法廷([[桜井龍子]]裁判長)で上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決の訂正を申し立てたが2011年3月30日付の同小法廷決定で棄却されたため、下記2人とともに死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年4月2日東京朝刊第二社会面30頁「連続リンチ殺人 元少年3人死刑が確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>名古屋拘置所に収監されていたが後に東京拘置所に移送され再審請求中。この他に3つの事件で共犯7人が刑事処分を受け、5人の有罪判決が確定し、2人は[[少年院]]送致された。
|[[大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件]] (KM)||2011年3月10日||1994年9月28日-10月7日||犯行時19歳の[[少年死刑囚]]で下記KA・HMの共犯。未成年グループによるリンチ殺人事件の主犯格。戦後の少年犯罪史上において、複数の被告人の死刑が確定した初のケース<ref>朝日新聞2011年3月11日朝刊</ref>。<br>主犯格3人の中で唯一、第一審・[[名古屋地判所|名古屋地裁]]でも死刑判決を受けたが、控訴審・[[名古屋高判所|名古屋高裁]]では第一審が傷害致死事件と認定した「木曽川事件」について殺人罪と認定され、原判決破棄の上で改めて死刑判決を受けた。2011年3月10日に最高裁第一小法廷([[桜井龍子]]裁判長)で上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決の訂正を申し立てたが2011年3月30日付の同小法廷決定で棄却されたため、下記2人とともに死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年4月2日東京朝刊第二社会面30頁「連続リンチ殺人 元少年3人死刑が確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>名古屋拘置所に収監されていたが後に東京拘置所に移送され再審請求中。この他に3つの事件で共犯7人が刑事処分を受け、5人の有罪判決が確定し、2人は[[少年院]]送致された。
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|大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KA)||2011年3月10日||1994年9月28日-10月7日||上記KM・下記HMの共犯で犯行時19歳の[[少年死刑囚]]。旧姓Ko、その後Oに改姓し現姓はKu。<br>第一審・名古屋地裁では「木曽川事件」が傷害致死罪と認定されたほか「事件への関与の度合いもKM被告人より低い」と判断され、KAとともに無期懲役判決を受けたが、控訴審では木曽川事件について殺人罪と認定されたほか、「3人の刑事責任はいずれも重い」とされ、被告人3人全員が死刑判決を受けた。<br>[[名古屋拘置所]]収監中。再審請求中。
|大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KA)||2011年3月10日||1994年9月28日-10月7日||上記KM・下記HMの共犯で犯行時19歳の[[少年死刑囚]]。旧姓Ko、その後Oに改姓し現姓はKu。<br>第一審・名古屋地裁では「木曽川事件」が傷害致死罪と認定されたほか「事件への関与の度合いもKM被告人より低い」と判断され、KAとともに無期懲役判決を受けたが、控訴審では木曽川事件について殺人罪と認定されたほか、「3人の刑事責任はいずれも重い」とされ、被告人3人全員が死刑判決を受けた。<br>[[名古屋拘置所]]収監中。再審請求中。
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|大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (HM)||2011年3月10日||1994年9月28日-10月7日||上記KM・KAの共犯で犯行時18歳の[[少年死刑囚]]。旧姓K。名古屋拘置所収監中。獄中で[[国家賠償請求訴訟]]を多数起こしている。
|大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (HM)||2011年3月10日||1994年9月28日-10月7日||上記KM・KAの共犯で犯行時18歳の[[少年死刑囚]]。旧姓K。名古屋拘置所収監中。獄中で[[国家賠償請求訴訟]]を多数起こしている。
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|[[広島・岡山独居老人強盗殺人事件|広島・岡山連続強盗殺人事件]] (K)||2011年3月24日||2003年-2004年||79歳での死刑確定は戦後最高齢<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160214/afr1602140020-n1.html 2人強殺のK死刑囚、84歳で病死 戦後最高齢確定囚]2016年2月14日 産経新聞</ref>。2003年9月に広島県[[比婆郡]][[東城町]](現:[[庄原市]])で一人暮らしの91歳無職女性を、2004年12月に岡山県[[井原市]]で一人暮らしの76歳蕎麦屋店主男性を強盗目的で殺害。一審では広島の犯行を強盗致死と認定し無期懲役としたが、控訴審および上告審では2件とも強盗殺人であると認定し死刑を言い渡した<ref>[http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032401000684.html 高齢者2人殺害で死刑確定へ 広島、岡山の事件、最高裁]{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。広島拘置所収監中の[[2016年]]1月に意識不明の重体となり、治療のため広島拘置所外の病院に入院したが、同年2月14日にアルツハイマー病に伴う[[摂食障害]]と老衰のため病院にて死亡した(84歳没)<ref>[http://mainichi.jp/articles/20160214/k00/00e/040/143000c K死刑囚 病院で死亡 強盗殺人11年刑確定]{{リンク切れ|date= 2020-03}}毎日新聞 2016年2月14日</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/20160214-OYT1T50035.html K死刑囚が病死…広島・岡山の独居老人殺害]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2016年02月15日 読売新聞</ref>。
|[[広島・岡山独居老人強盗殺人事件|広島・岡山連続強盗殺人事件]] (K)||2011年3月24日||2003年-2004年||79歳での死刑確定は戦後最高齢<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160214/afr1602140020-n1.html 2人強殺のK死刑囚、84歳で病死 戦後最高齢確定囚]2016年2月14日 産経新聞</ref>。2003年9月に広島県[[比婆郡]][[東城町]](現:[[庄原市]])で一人暮らしの91歳無職女性を、2004年12月に岡山県[[井原市]]で一人暮らしの76歳蕎麦屋店主男性を強盗目的で殺害。一審では広島の犯行を強盗致死と認定し無期懲役としたが、控訴審および上告審では2件とも強盗殺人であると認定し死刑を言い渡した<ref>[http://www.47news.jp/CN/201103/CN2011032401000684.html 高齢者2人殺害で死刑確定へ 広島、岡山の事件、最高裁]{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。広島拘置所収監中の[[2016年]]1月に意識不明の重体となり、治療のため広島拘置所外の病院に入院したが、同年2月14日にアルツハイマー病に伴う[[摂食障害]]と老衰のため病院にて死亡した(84歳没)<ref>[http://mainichi.jp/articles/20160214/k00/00e/040/143000c K死刑囚 病院で死亡 強盗殺人11年刑確定]{{リンク切れ|date= 2020-03}}毎日新聞 2016年2月14日</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/20160214-OYT1T50035.html K死刑囚が病死…広島・岡山の独居老人殺害]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2016年02月15日 読売新聞</ref>。
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|[[東大阪集団暴行殺人事件]]<ref>朝日新聞2011年3月27日朝刊</ref> (K)||2011年3月25日||2006年6月19日||被害者2人が男性2人を恐喝・暴行したことに対し、「殺さなければ殺される」と考え仲間9人で岡山県で生き埋めにして殺害。殺害実行犯・首謀者であるKが死刑に処されたほか、共犯8人のうち殺害発案者は無期懲役、最初に暴行された2人は懲役11年および懲役9年、重機を操作した未成年は懲役15年、被害者2人を呼び出した暴力団関係者は懲役17年、見張り役は懲役7年の判決がそれぞれ確定している。また他の2人(事件当時少年)は殺人罪で起訴されず家庭裁判所送致になっている。<br>2011年3月25日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年4月15日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年4月19日大阪朝刊第三社会面35頁「大学生殺害 死刑が確定」([[読売新聞大阪本社]])</ref>。大阪拘置所収監中。
|[[東大阪集団暴行殺人事件]]<ref>朝日新聞2011年3月27日朝刊</ref> (K)||2011年3月25日||2006年6月19日||被害者2人が男性2人を恐喝・暴行したことに対し、「殺さなければ殺される」と考え仲間9人で岡山県で生き埋めにして殺害。殺害実行犯・首謀者であるKが死刑に処されたほか、共犯8人のうち殺害発案者は無期懲役、最初に暴行された2人は懲役11年および懲役9年、重機を操作した未成年は懲役15年、被害者2人を呼び出した暴力団関係者は懲役17年、見張り役は懲役7年の判決がそれぞれ確定している。また他の2人(事件当時少年)は殺人罪で起訴されず家庭裁判所送致になっている。<br>2011年3月25日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年4月15日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年4月19日大阪朝刊第三社会面35頁「大学生殺害 死刑が確定」([[読売新聞大阪本社]])</ref>。大阪拘置所収監中。
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|同僚・妻連続殺人事件 (O)||2011年4月11日||2004年・2005年||自身の不倫相手を中傷されたことに腹を立てて同僚男性を殺害したほか、不倫を知り離婚を迫った妻を殺害し遺体をバラバラにして遺棄<ref>読売新聞2011年4月12日朝刊</ref>。旧姓T。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2011年4月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月9日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年5月11日東京朝刊第三社会面37頁「元生協職員の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。東京拘置所収監中。
|同僚・妻連続殺人事件 (O)||2011年4月11日||2004年・2005年||自身の不倫相手を中傷されたことに腹を立てて同僚男性を殺害したほか、不倫を知り離婚を迫った妻を殺害し遺体をバラバラにして遺棄<ref>読売新聞2011年4月12日朝刊</ref>。旧姓T。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2011年4月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月9日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2011年5月11日東京朝刊第三社会面37頁「元生協職員の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。東京拘置所収監中。
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|宮崎の口封じ連続殺人事件 (F)||2011年4月19日||1999年||保険金詐欺常習犯が分け前を巡るトラブルから仲間を殺害。ついで事件の真相を知った税理士を殺害<ref>読売新聞2011年4月20日朝刊</ref>。<br>2011年4月に最高裁第三小法廷([[田原睦夫]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『[[毎日新聞]]』2011年5月24日西部朝刊第二社会面26頁「宮崎・2人殺害 死刑確定 最高裁、訂正申し立て棄却」([[毎日新聞西部本社]])</ref>。福岡拘置所収監中。
|宮崎の口封じ連続殺人事件 (F)||2011年4月19日||1999年||保険金詐欺常習犯が分け前を巡るトラブルから仲間を殺害。ついで事件の真相を知った税理士を殺害<ref>読売新聞2011年4月20日朝刊</ref>。<br>2011年4月に最高裁第三小法廷([[田原睦夫]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『[[毎日新聞]]』2011年5月24日西部朝刊第二社会面26頁「宮崎・2人殺害 死刑確定 最高裁、訂正申し立て棄却」([[毎日新聞西部本社]])</ref>。福岡拘置所収監中。
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|広島連続保険金殺人事件 (O)||2011年6月7日||1998年-2000年||1998年に義父を交通事故を装って殺害。2000年には妻を浴槽につけて殺害し、遺体を遺棄した。いずれも保険金目当ての犯行であった<ref>読売新聞2011年6月8日朝刊</ref>。広島拘置所収監中。
|広島連続保険金殺人事件 (O)||2011年6月7日||1998年-2000年||1998年に義父を交通事故を装って殺害。2000年には妻を浴槽につけて殺害し、遺体を遺棄した。いずれも保険金目当ての犯行であった<ref>読売新聞2011年6月8日朝刊</ref>。広島拘置所収監中。
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|※[[横浜港バラバラ殺人事件]] (I)||2011年6月16日||2009年6月18日-19日||麻雀店経営の男性2人を千葉県内のホテルに監禁し、電動ノコギリでバラバラにして殺害。遺体を横浜港や山梨県内に遺棄した。2009年5月に施行された裁判員裁判で初の死刑判決を受けるが、判決を言い渡した裁判長から控訴することを勧められた。その後、弁護側が控訴したが、控訴を取り下げ刑が確定。裁判員裁判で初の死刑確定者である。共犯は現在も指名手配中<ref>読売新聞2011年6月18日朝刊</ref>。審理再開申立中。東京拘置所収監中。
|※[[横浜港バラバラ殺人事件]] (I)||2011年6月16日||2009年6月18日-19日||麻雀店経営の男性2人を千葉県内のホテルに監禁し、電動ノコギリでバラバラにして殺害。遺体を横浜港や山梨県内に遺棄した。2009年5月に施行された裁判員裁判で初の死刑判決を受けるが、判決を言い渡した裁判長から控訴することを勧められた。その後、弁護側が控訴したが、控訴を取り下げ刑が確定。裁判員裁判で初の死刑確定者である。共犯は現在も指名手配中<ref>読売新聞2011年6月18日朝刊</ref>。審理再開申立中。東京拘置所収監中。
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|※川崎アパート3人殺害事件 (T)||2011年7月4日||2009年5月30日||川崎市内のアパートで隣室に住む夫婦を刺殺。さらに被害者の兄で、アパートの大家であった男性を刺殺した。本人控訴取り下げ。裁判員裁判で2例目の死刑確定<ref>読売新聞2011年7月6日朝刊</ref>。2015年12月18日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。裁判員裁判による死刑囚として初の死刑執行。
|※川崎アパート3人殺害事件 (T)||2011年7月4日||2009年5月30日||川崎市内のアパートで隣室に住む夫婦を刺殺。さらに被害者の兄で、アパートの大家であった男性を刺殺した。本人控訴取り下げ。裁判員裁判で2例目の死刑確定<ref>読売新聞2011年7月6日朝刊</ref>。2015年12月18日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。裁判員裁判による死刑囚として初の死刑執行。
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|[[大牟田4人殺害事件]] (KM)||2011年10月3日||2004年9月16日・18日||[[福岡県]][[大牟田市]]で発生した連続殺人事件。KSの妻でIT・KTの母親。戦後日本14番目の女性死刑囚<ref>読売新聞2011年10月18日朝刊</ref>。福岡拘置所に収監中。
|[[大牟田4人殺害事件]] (KM)||2011年10月3日||2004年9月16日・18日||[[福岡県]][[大牟田市]]で発生した連続殺人事件。KSの妻でIT・KTの母親。戦後日本14番目の女性死刑囚<ref>読売新聞2011年10月18日朝刊</ref>。福岡拘置所に収監中。
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|大牟田4人殺害事件 (IT)||2011年10月3日||2004年9月16日・18日||KS・KM夫妻の次男かつ夫妻と異父兄K3の共犯者<ref name="全員死刑 p.11">{{Harvtxt|鈴木智彦|2017|p=11}}</ref>。[[松ヶ根部屋]]の元力士「三池山」<ref name="毎日新聞2004-10-18">『毎日新聞』2004年10月18日東京朝刊社会面31頁「[現場発]福岡・大牟田の死体遺棄 子供に厳しくしていれば…」(記者:川辺康広)</ref>。旧姓K。[[2013年]]に支援者女性と獄中結婚し父・母・兄とは違う姓になっている。福岡拘置所に収監中。
|大牟田4人殺害事件 (IT)||2011年10月3日||2004年9月16日・18日||KS・KM夫妻の次男かつ夫妻と異父兄K3の共犯者<ref name="全員死刑 p.11">{{Harvtxt|鈴木智彦|2017|p=11}}</ref>。[[松ヶ根部屋]]の元力士「三池山」<ref name="毎日新聞2004-10-18">『毎日新聞』2004年10月18日東京朝刊社会面31頁「[現場発]福岡・大牟田の死体遺棄 子供に厳しくしていれば…」(記者:川辺康広)</ref>。旧姓K。[[2013年]]に支援者女性と獄中結婚し父・母・兄とは違う姓になっている。福岡拘置所に収監中。
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|大牟田4人殺害事件 (KS)||2011年10月17日||2004年9月16日・18日||KMの夫でKT(KMと前夫との子供)の養父<ref name="週刊新潮2004-10-07">『[[週刊新潮]]』2004年10月7日号 p.156-159 特集記事「『観音様』を背負ってワル力士を育てた 『大牟田4人殺し』女親分の『3度の結婚』」([[新潮社]])</ref>・ITの実父<ref>『朝日新聞』2004年9月26日朝刊第一社会面39頁「高1遺棄で息子も逮捕 母親と共犯の疑い 大牟田事件」</ref>。元暴力団組長<ref>『読売新聞』2004年9月27日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害事件 Aさん宅、金庫消える」</ref>。<br>公判では第一審にて妻子との共謀を否定し自身の単独犯を主張したほか<ref>『読売新聞』2005年3月16日西部朝刊第一社会面39頁「福岡・大牟田連続殺人初公判 一家4人、認否割れる」</ref>、控訴審では一転して共謀を認めたが強盗目的を否定した<ref>『読売新聞』2007年10月12日西部朝刊第一社会面31頁「大牟田4人殺害控訴審初公判、父が共謀認める/福岡高裁」</ref>。本事件では妻と息子2人を含め、犯行に関与した一家4人全員が死刑判決を受け確定するという異例の事態になった<ref>『読売新聞』2011年10月18日西部朝刊第二社会面38頁「大牟田4人殺害 親子4人 死刑確定へ 元組長と長男も上告棄却」</ref>。広島拘置所に収監中。
|大牟田4人殺害事件 (KS)||2011年10月17日||2004年9月16日・18日||KMの夫でKT(KMと前夫との子供)の養父<ref name="週刊新潮2004-10-07">『[[週刊新潮]]』2004年10月7日号 p.156-159 特集記事「『観音様』を背負ってワル力士を育てた 『大牟田4人殺し』女親分の『3度の結婚』」([[新潮社]])</ref>・ITの実父<ref>『朝日新聞』2004年9月26日朝刊第一社会面39頁「高1遺棄で息子も逮捕 母親と共犯の疑い 大牟田事件」</ref>。元暴力団組長<ref>『読売新聞』2004年9月27日西部朝刊第一社会面39面「福岡・大牟田の4人殺害事件 Aさん宅、金庫消える」</ref>。<br>公判では第一審にて妻子との共謀を否定し自身の単独犯を主張したほか<ref>『読売新聞』2005年3月16日西部朝刊第一社会面39頁「福岡・大牟田連続殺人初公判 一家4人、認否割れる」</ref>、控訴審では一転して共謀を認めたが強盗目的を否定した<ref>『読売新聞』2007年10月12日西部朝刊第一社会面31頁「大牟田4人殺害控訴審初公判、父が共謀認める/福岡高裁」</ref>。本事件では妻と息子2人を含め、犯行に関与した一家4人全員が死刑判決を受け確定するという異例の事態になった<ref>『読売新聞』2011年10月18日西部朝刊第二社会面38頁「大牟田4人殺害 親子4人 死刑確定へ 元組長と長男も上告棄却」</ref>。広島拘置所に収監中。
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|大牟田4人殺害事件 (KT)||2011年10月17日||2004年9月16日・18日||KS・KM夫妻の長男<ref name="全員死刑 p.11"/>。父KSとは[[養子縁組]]関係<ref>『毎日新聞』2004年10月2日西部夕刊第一社会面7頁「福岡・大牟田の死体遺棄 Cさん遺棄の疑い、K4容疑者の兄逮捕」</ref>・弟K4とは異父兄弟関係である<ref name="毎日新聞2004-10-03">『毎日新聞』2004年10月3日西部朝刊社会面26頁「福岡・大牟田の死体遺棄 家族ぐるみの凶行か K兄弟『悪質』、不良らも嫌う」</ref>。[[大島部屋]]の元力士「旭竜神」<ref name="毎日新聞2004-10-18"/>。引退後は母KMが経営していた建設会社で働いていたが、19歳だった2000年6月25日には福岡県[[三潴郡]][[城島町]](現:[[久留米市]]城島町)で同僚の少年(当時18歳)を不良仲間6人とともにリンチして死なせる傷害致死事件を起こし逮捕<ref>『読売新聞』2000年10月30日西部夕刊第一社会面7頁「クリーク少年水死 傷害致死容疑で少年6人を逮捕 福岡県警/福岡・城島町」</ref>・起訴された<ref>『読売新聞』2000年12月23日西部朝刊第一社会面35頁「逆送致の作業員を起訴 クリーク水死事件/福岡・城島町」</ref>。2001年6月26日に傷害致死罪で福岡地裁久留米支部から懲役3年6月の実刑判決を受け<ref>『読売新聞』2001年6月27日西部朝刊第一社会面31頁「少年暴行水死に懲役3年6月 地裁久留米支部判決 /福岡」</ref>、2004年春まで刑務所に服役していた<ref>『朝日新聞』2004年10月3日朝刊第一社会面39面「逮捕のK3容疑者も力士挫折・帰郷 大牟田・遺棄事件 【西部】」</ref>。<br>逮捕後の2004年11月13日に福岡地検久留米支部庁舎から一時逃亡し<ref>『[[西日本新聞]]』2004年11月14日朝刊第19版1面1頁「大牟田4人殺害 KT容疑者が一時逃走 地検で警官監視中 久留米から熊本・荒尾へ 3時間後に確保」</ref>、単純逃走罪で追起訴された<ref>『西日本新聞』2005年1月12日朝刊第19版第二社会面(事件・人・話題)36頁「大牟田4事件、逃走罪でKT容疑者を追起訴 地検久留米支部」</ref>。大阪拘置所に収監中。
|大牟田4人殺害事件 (KT)||2011年10月17日||2004年9月16日・18日||KS・KM夫妻の長男<ref name="全員死刑 p.11"/>。父KSとは[[養子縁組]]関係<ref>『毎日新聞』2004年10月2日西部夕刊第一社会面7頁「福岡・大牟田の死体遺棄 Cさん遺棄の疑い、K4容疑者の兄逮捕」</ref>・弟K4とは異父兄弟関係である<ref name="毎日新聞2004-10-03">『毎日新聞』2004年10月3日西部朝刊社会面26頁「福岡・大牟田の死体遺棄 家族ぐるみの凶行か K兄弟『悪質』、不良らも嫌う」</ref>。[[大島部屋]]の元力士「旭竜神」<ref name="毎日新聞2004-10-18"/>。引退後は母KMが経営していた建設会社で働いていたが、19歳だった2000年6月25日には福岡県[[三潴郡]][[城島町]](現:[[久留米市]]城島町)で同僚の少年(当時18歳)を不良仲間6人とともにリンチして死なせる傷害致死事件を起こし逮捕<ref>『読売新聞』2000年10月30日西部夕刊第一社会面7頁「クリーク少年水死 傷害致死容疑で少年6人を逮捕 福岡県警/福岡・城島町」</ref>・起訴された<ref>『読売新聞』2000年12月23日西部朝刊第一社会面35頁「逆送致の作業員を起訴 クリーク水死事件/福岡・城島町」</ref>。2001年6月26日に傷害致死罪で福岡地裁久留米支部から懲役3年6月の実刑判決を受け<ref>『読売新聞』2001年6月27日西部朝刊第一社会面31頁「少年暴行水死に懲役3年6月 地裁久留米支部判決 /福岡」</ref>、2004年春まで刑務所に服役していた<ref>『朝日新聞』2004年10月3日朝刊第一社会面39面「逮捕のK3容疑者も力士挫折・帰郷 大牟田・遺棄事件 【西部】」</ref>。<br>逮捕後の2004年11月13日に福岡地検久留米支部庁舎から一時逃亡し<ref>『[[西日本新聞]]』2004年11月14日朝刊第19版1面1頁「大牟田4人殺害 KT容疑者が一時逃走 地検で警官監視中 久留米から熊本・荒尾へ 3時間後に確保」</ref>、単純逃走罪で追起訴された<ref>『西日本新聞』2005年1月12日朝刊第19版第二社会面(事件・人・話題)36頁「大牟田4事件、逃走罪でKT容疑者を追起訴 地検久留米支部」</ref>。大阪拘置所に収監中。
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|[[福岡一家4人殺害事件]] (G)||2011年10月20日||2003年6月20日||[[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]]で起きた中国人3人組による一家4人殺害事件の主犯<ref>{{Cite news|url=http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102001000732.html|title=福岡の一家4人殺害、死刑確定へ 最高裁が上告棄却|date=2011-10-20|accessdate=2011-10-22|newspaper=[[47NEWS]]|agency=[[共同通信社]]|language=ja|archivedate=2011年10月22日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111022204615/http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102001000732.html}}</ref>。2011年11月に正式に死刑が確定した<ref name="西日本新聞2019-12-26"/>。2019年12月26日に福岡拘置所で死刑執行(40歳没<ref name="西日本新聞2019-12-26">{{Cite news|title=福岡の一家4人強殺、死刑執行 中国人の元専門学校生 森法相初の命令|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/571502/|date=2019-12-26|newspaper=[[西日本新聞]]|publisher=[[西日本新聞社]]|edition=朝刊|author=一瀬圭司|language=ja|accessdate=2019-12-27|archiveurl=http://web.archive.org/web/20191227135823/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/571502/|archivedate=2019年12月27日}}</ref>。<br>共犯の被告Y・Oは[[中国]]に逃亡後、中国当局により身柄を拘束された。[[2005年]]1月24日に中国[[遼寧省]][[遼陽市]]中級人民法院はYに死刑・Oに無期懲役の判決を言い渡し<ref name="西日本新聞2005-01-24">{{Cite news|title=緊急特集 東区一家4人殺害事件 > X被告に死刑 Y被告無期 東区一家殺害 残虐な犯行明白 中国法院判決 Y被告の自首認定 X被告控訴の意向|url=http://nishinippon.co.jp/news/2003/jiken/higashiku/kiji/kiji92.html|date=2005-01-24|newspaper=西日本新聞|publisher=西日本新聞社|edition=朝刊|author=井上裕之|language=ja|accessdate=2019-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071017081637/http://nishinippon.co.jp/news/2003/jiken/higashiku/kiji/kiji92.html|archivedate=2007年10月17日}}</ref>、いずれも後に確定<ref name="Y死刑執行"/>。Yは同年7月12日に死刑執行(25歳没)<ref name="Y死刑執行">{{Cite news|title=中国人被告に死刑執行/福岡一家4人殺害事件|url=http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20050725000488|date=2005-07-25|newspaper=[[四国新聞]]|publisher=[[四国新聞社]]|language=ja|accessdate=2019-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191227132637/http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20050725000488|archivedate=2019年12月27日}}</ref>。
|[[福岡一家4人殺害事件]] (G)||2011年10月20日||2003年6月20日||[[福岡市]][[東区 (福岡市)|東区]]で起きた中国人3人組による一家4人殺害事件の主犯<ref>{{Cite news|url=http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102001000732.html|title=福岡の一家4人殺害、死刑確定へ 最高裁が上告棄却|date=2011-10-20|accessdate=2011-10-22|newspaper=[[47NEWS]]|agency=[[共同通信社]]|language=ja|archivedate=2011年10月22日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111022204615/http://www.47news.jp/CN/201110/CN2011102001000732.html}}</ref>。2011年11月に正式に死刑が確定した<ref name="西日本新聞2019-12-26"/>。2019年12月26日に福岡拘置所で死刑執行(40歳没<ref name="西日本新聞2019-12-26">{{Cite news|title=福岡の一家4人強殺、死刑執行 中国人の元専門学校生 森法相初の命令|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/571502/|date=2019-12-26|newspaper=[[西日本新聞]]|publisher=[[西日本新聞社]]|edition=朝刊|author=一瀬圭司|language=ja|accessdate=2019-12-27|archiveurl=http://web.archive.org/web/20191227135823/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/571502/|archivedate=2019年12月27日}}</ref>。<br>共犯の被告Y・Oは[[中国]]に逃亡後、中国当局により身柄を拘束された。[[2005年]]1月24日に中国[[遼寧省]][[遼陽市]]中級人民法院はYに死刑・Oに無期懲役の判決を言い渡し<ref name="西日本新聞2005-01-24">{{Cite news|title=緊急特集 東区一家4人殺害事件 > X被告に死刑 Y被告無期 東区一家殺害 残虐な犯行明白 中国法院判決 Y被告の自首認定 X被告控訴の意向|url=http://nishinippon.co.jp/news/2003/jiken/higashiku/kiji/kiji92.html|date=2005-01-24|newspaper=西日本新聞|publisher=西日本新聞社|edition=朝刊|author=井上裕之|language=ja|accessdate=2019-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20071017081637/http://nishinippon.co.jp/news/2003/jiken/higashiku/kiji/kiji92.html|archivedate=2007年10月17日}}</ref>、いずれも後に確定<ref name="Y死刑執行"/>。Yは同年7月12日に死刑執行(25歳没)<ref name="Y死刑執行">{{Cite news|title=中国人被告に死刑執行/福岡一家4人殺害事件|url=http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20050725000488|date=2005-07-25|newspaper=[[四国新聞]]|publisher=[[四国新聞社]]|language=ja|accessdate=2019-12-27|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191227132637/http://www.shikoku-np.co.jp/national/international/20050725000488|archivedate=2019年12月27日}}</ref>。
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|[[オウム真理教事件]]([[中川智正]])||2011年12月8日||1995年3月他多数||上告棄却<ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/11/18/kiji/K20111118002057080.html|title=中川智正被告の死刑確定へ オウム事件12人目|date=2011-11-18|accessdate=2011-11-23|newspaper=スポーツニッポン|archivedate=2011-11-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111122051448/http://www.sponichi.co.jp:80/society/news/2011/11/18/kiji/K20111118002057080.html}}</ref>。[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で弁護士の長男を殺害し、[[松本サリン事件|松本]]・[[地下鉄サリン事件|地下鉄]]の両サリン事件では[[サリン]]の製造に関与した。2011年11月18日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2011-12-10"/>、同月28日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2011年11月29日東京朝刊第二社会面38頁「死刑判決訂正申し立て」(読売新聞東京本社)</ref>、2011年12月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2011-12-10">『読売新聞』2011年12月10日東京朝刊第二社会面38頁「中川被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(55歳没)。
|[[オウム真理教事件]]([[中川智正]])||2011年12月8日||1995年3月他多数||上告棄却<ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/11/18/kiji/K20111118002057080.html|title=中川智正被告の死刑確定へ オウム事件12人目|date=2011-11-18|accessdate=2011-11-23|newspaper=スポーツニッポン|archivedate=2011-11-22|archiveurl=https://web.archive.org/web/20111122051448/http://www.sponichi.co.jp:80/society/news/2011/11/18/kiji/K20111118002057080.html}}</ref>。[[坂本堤弁護士一家殺害事件]]で弁護士の長男を殺害し、[[松本サリン事件|松本]]・[[地下鉄サリン事件|地下鉄]]の両サリン事件では[[サリン]]の製造に関与した。2011年11月18日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2011-12-10"/>、同月28日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2011年11月29日東京朝刊第二社会面38頁「死刑判決訂正申し立て」(読売新聞東京本社)</ref>、2011年12月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2011-12-10">『読売新聞』2011年12月10日東京朝刊第二社会面38頁「中川被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(55歳没)。
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|オウム真理教事件([[遠藤誠一]])||2011年12月12日||1995年3月他多数||[[松本サリン事件|松本]]・[[地下鉄サリン事件|地下鉄]]の両サリン事件で[[サリン]]の製造などに関与した。<br>2011年11月21日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、12月1日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2011年11月29日東京朝刊第二社会面38頁「オウムの遠藤被告 判決訂正申し立て」(読売新聞東京本社)</ref>、2011年12月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定し、1995年6月から始まったオウム裁判は(この時点で逃亡中の[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]ら3人を除き)完全に終結した<ref>『読売新聞』2011年12月14日東京朝刊第二社会面38頁「オウム遠藤被告 死刑が正式確定 判決訂正棄却」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(55歳没)。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(58歳没)。
|オウム真理教事件([[遠藤誠一]])||2011年12月12日||1995年3月他多数||[[松本サリン事件|松本]]・[[地下鉄サリン事件|地下鉄]]の両サリン事件で[[サリン]]の製造などに関与した。<br>2011年11月21日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、12月1日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2011年11月29日東京朝刊第二社会面38頁「オウムの遠藤被告 判決訂正申し立て」(読売新聞東京本社)</ref>、2011年12月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定し、1995年6月から始まったオウム裁判は(この時点で逃亡中の[[高橋克也 (オウム真理教)|高橋克也]]ら3人を除き)完全に終結した<ref>『読売新聞』2011年12月14日東京朝刊第二社会面38頁「オウム遠藤被告 死刑が正式確定 判決訂正棄却」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(55歳没)。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(58歳没)。
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|[[マブチモーター社長宅殺人放火事件|警察庁広域重要指定124号事件]](M)||2011年11月22日||2005年8月5日-11月22日||死者4人。共犯(畠山〈旧姓:小田島〉鐵男)は2007年に控訴取下げで死刑が確定していたが、2017年9月16日に[[食道がん]]で病死。Mは東京拘置所に収監中。
|[[マブチモーター社長宅殺人放火事件|警察庁広域重要指定124号事件]] (M)||2011年11月22日||2005年8月5日-11月22日||死者4人。共犯(畠山〈旧姓:小田島〉鐵男)は2007年に控訴取下げで死刑が確定していたが、2017年9月16日に[[食道がん]]で病死。Mは東京拘置所に収監中。
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|[[愛知交際2女性殺害事件]](K)||2011年11月29日||1999年8月15日・2003年5月25日||交際していた女性2人を殺害し、バラバラにして遺棄。名古屋拘置所に収監中。
|[[愛知交際2女性殺害事件]] (K)||2011年11月29日||1999年8月15日・2003年5月25日||交際していた女性2人を殺害し、バラバラにして遺棄。名古屋拘置所に収監中。
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|[[北九州監禁殺人事件]](M)||2011年12月12日||1996年2月-1998年6月||7人殺害(司法の認定では6人は殺人、1人は傷害致死)、殺害実行犯とされた女性は無期。殺害を指示したとされた主犯が死刑。福岡拘置所に収監中。
|[[北九州監禁殺人事件]] (M)||2011年12月12日||1996年2月-1998年6月||7人殺害(司法の認定では6人は殺人、1人は傷害致死)、殺害実行犯とされた女性は無期。殺害を指示したとされた主犯が死刑。福岡拘置所に収監中。
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|[[ファミレス2人射殺事件]](H)||2011年12月15日||2005年4月25日||千葉県市原市にあったファミリーレストランで暴力団員同士の話し合いがこじれ、2人が射殺された。犯人3人のうち1人は自殺し、残る共犯1人は2009年に死刑が確定した。2013年4月26日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)。
|[[ファミレス2人射殺事件]] (H)||2011年12月15日||2005年4月25日||千葉県市原市にあったファミリーレストランで暴力団員同士の話し合いがこじれ、2人が射殺された。犯人3人のうち1人は自殺し、残る共犯1人は2009年に死刑が確定した。2013年4月26日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|岩手県洋野町母娘強盗殺人事件 (W)||2012年1月16日||2006年7月19日||岩手県[[九戸郡]][[洋野町]]の母娘2人暮らしの民家に暴行・強盗目的で侵入して金品を強奪し、母娘2人を殺害して遺体を山林に埋めた<ref name="読売新聞2012-01-17">『読売新聞』2012年1月17日東京朝刊岩手版地方面33頁「洋野の母娘殺害 死刑確定へ 上告棄却 『悲しみに区切りない』=岩手」(読売新聞東京本社・盛岡支局)</ref>。控訴審([[仙台高等裁判所|仙台高裁]])以降は「産業廃棄物の不法投棄グループから犯人に仕立て上げられた」と無罪を主張したほか、上告審でも事実誤認・量刑不当を主張した<ref name="読売新聞2012-02-05"/>。2012年1月16日に最高裁第一小法廷([[宮川光治]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2012-01-17"/>、判決への訂正申し立ても2012年2月2日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2012-02-05">『読売新聞』2012年2月5日東京朝刊岩手版地方面33頁「洋野の母娘殺害 被告の死刑確定 訂正申し立て棄却=岩手」(読売新聞東京本社・盛岡支局)</ref>。2015年12月18日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(39歳没)。
|岩手県洋野町母娘強盗殺人事件 (W)||2012年1月16日||2006年7月19日||岩手県[[九戸郡]][[洋野町]]の母娘2人暮らしの民家に暴行・強盗目的で侵入して金品を強奪し、母娘2人を殺害して遺体を山林に埋めた<ref name="読売新聞2012-01-17">『読売新聞』2012年1月17日東京朝刊岩手版地方面33頁「洋野の母娘殺害 死刑確定へ 上告棄却 『悲しみに区切りない』=岩手」(読売新聞東京本社・盛岡支局)</ref>。控訴審([[仙台高等裁判所|仙台高裁]])以降は「産業廃棄物の不法投棄グループから犯人に仕立て上げられた」と無罪を主張したほか、上告審でも事実誤認・量刑不当を主張した<ref name="読売新聞2012-02-05"/>。2012年1月16日に最高裁第一小法廷([[宮川光治]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2012-01-17"/>、判決への訂正申し立ても2012年2月2日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2012-02-05">『読売新聞』2012年2月5日東京朝刊岩手版地方面33頁「洋野の母娘殺害 被告の死刑確定 訂正申し立て棄却=岩手」(読売新聞東京本社・盛岡支局)</ref>。2015年12月18日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(39歳没)。
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|[[光市母子殺害事件]] (O)||2012年2月20日||1999年4月14日||[[少年死刑囚]]。犯行時の年齢18歳1か月は1966年以降の死刑確定囚として史上最年少。山口県[[光市]]の社宅に強姦目的で侵入し、計2人(住人の女性と生後11か月の娘)を殺害。第一審・[[山口地方裁判所|山口地裁]]および控訴審・[[広島高等裁判所|広島高裁]]は無期懲役判決だったが、[[広島高等検察庁|広島高検]]が上告したところ最高裁で[[口頭弁論]]を経て破棄差し戻しとなり、差し戻し控訴審(広島高裁)で死刑が言い渡された。2012年2月20日に最高裁第一小法廷([[金築誠志]]裁判長)で上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2012-03-17"/>、判決への訂正申し立てを行ったが<ref>『読売新聞』2012年3月2日東京夕刊第二社会面18頁「光市事件 訂正申し立て」(読売新聞東京本社)</ref>、2012年3月14日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2012-03-17">『読売新聞』2012年3月17日東京朝刊第二社会面38頁「光母子殺害 被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>死刑確定判決となった2012年の差し戻し上告審判決では[[最高裁判所裁判官|裁判官]]1人([[宮川光治]])が反対意見を述べ、死刑事件としては極めて異例の展開となった<ref>
|[[光市母子殺害事件]] (O)||2012年2月20日||1999年4月14日||[[少年死刑囚]]。犯行時の年齢18歳1か月は1966年以降の死刑確定囚として史上最年少。山口県[[光市]]の社宅に強姦目的で侵入し、計2人(住人の女性と生後11か月の娘)を殺害。第一審・[[山口地方裁判所|山口地裁]]および控訴審・[[広島高等裁判所|広島高裁]]は無期懲役判決だったが、[[広島高等検察庁|広島高検]]が上告したところ最高裁で[[口頭弁論]]を経て破棄差し戻しとなり、差し戻し控訴審(広島高裁)で死刑が言い渡された。2012年2月20日に最高裁第一小法廷([[金築誠志]]裁判長)で上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2012-03-17"/>、判決への訂正申し立てを行ったが<ref>『読売新聞』2012年3月2日東京夕刊第二社会面18頁「光市事件 訂正申し立て」(読売新聞東京本社)</ref>、2012年3月14日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2012-03-17">『読売新聞』2012年3月17日東京朝刊第二社会面38頁「光母子殺害 被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>死刑確定判決となった2012年の差し戻し上告審判決では[[最高裁判所裁判官|裁判官]]1人([[宮川光治]])が反対意見を述べ、死刑事件としては極めて異例の展開となった<ref>
{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2002E_Q2A220C1000000/|title=光市母子殺害、元少年の死刑確定へ 最高裁が上告棄却 |newspeper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|language=ja|date=2012-02-20|accessdate=2018-02-22|archivedate=2018-02-22|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180222154358/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2002E_Q2A220C1000000/}}</ref>。広島拘置所収監中。
{{Cite news|url=https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2002E_Q2A220C1000000/|title=光市母子殺害、元少年の死刑確定へ 最高裁が上告棄却 |newspeper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|language=ja|date=2012-02-20|accessdate=2018-02-22|archivedate=2018-02-22|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180222154358/https://www.nikkei.com/article/DGXNASDG2002E_Q2A220C1000000/}}</ref>。広島拘置所収監中。
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|本庄夫婦強盗殺人事件 (I)||2012年3月2日||2007年2月21日||一審は無期懲役だった。知人男性の家を訪れて男性と妻を殺害。現金1万円を奪った<ref>[https://r.nikkei.com/article/DGXNASDG02031_S2A300C1CC1000 埼玉夫婦強殺、死刑判決確定へ 最高裁、被告の上告棄却]</ref>。東京拘置所収監中。
|本庄夫婦強盗殺人事件 (I)||2012年3月2日||2007年2月21日||一審は無期懲役だった。知人男性の家を訪れて男性と妻を殺害。現金1万円を奪った<ref>[https://r.nikkei.com/article/DGXNASDG02031_S2A300C1CC1000 埼玉夫婦強殺、死刑判決確定へ 最高裁、被告の上告棄却]</ref>。東京拘置所収監中。
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|[[香川・坂出3人殺害事件]] (K)||2012年7月12日||2007年11月16日||金銭トラブルを抱えていた女性と、現場にたまたま居合わせた女性の孫姉妹の3人を殺害<ref>[http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012071201001339.html 香川3人殺害、死刑確定へ 最高裁、義弟の上告棄却]{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。Kは被害女性の義弟(事件当時既に故人になっていた被害女性の妹の夫)。2014年6月26日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。
|[[香川・坂出3人殺害事件]] (K)||2012年7月12日||2007年11月16日||金銭トラブルを抱えていた女性と、現場にたまたま居合わせた女性の孫姉妹の3人を殺害<ref>[http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012071201001339.html 香川3人殺害、死刑確定へ 最高裁、義弟の上告棄却]{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。Kは被害女性の義弟(事件当時既に故人になっていた被害女性の妹の夫)。2014年6月26日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。
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|大阪連続強盗殺人事件 (K)||2012年7月24日||2000年7月29日<br>2008年2月1日||上告棄却。大阪市北区の商業施設のトイレで、たまたま入ってきた会社員から金を取ろうとして抵抗されたため刺殺。犯行後警察に出頭したが、過去に大阪市中央区の路上で中国人留学生のバックを奪い自転車で逃走し、取り押さえようとした男性の足を刺し負傷させた上、追いかけてきた留学生を刺殺した事件を起こしていたことが判明<ref>[http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072401001860.html 大阪の2人殺害、死刑確定へ 最高裁、被告の上告棄却]{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。2013年12月12日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。
|大阪連続強盗殺人事件 (K)||2012年7月24日||2000年7月29日<br>2008年2月1日||上告棄却。大阪市北区の商業施設のトイレで、たまたま入ってきた会社員から金を取ろうとして抵抗されたため刺殺。犯行後警察に出頭したが、過去に大阪市中央区の路上で中国人留学生のバックを奪い自転車で逃走し、取り押さえようとした男性の足を刺し負傷させた上、追いかけてきた留学生を刺殺した事件を起こしていたことが判明<ref>[http://www.47news.jp/CN/201207/CN2012072401001860.html 大阪の2人殺害、死刑確定へ 最高裁、被告の上告棄却]{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。2013年12月12日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。
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|※[[宇土市院長夫人殺害事件]] (T)||2012年9月10日||2004年3月13日/2011年2月23日||2004年に宇土市で強盗目的で女性を殺害し、2011年には熊本市の民家で夫婦を殺傷。本人上告取り下げで死刑確定。裁判員裁判での死刑判決で刑が確定したのは3人目。2016年11月11日に福岡拘置所で死刑執行(45歳没)。
|※[[宇土市院長夫人殺害事件]] (T)||2012年9月10日||2004年3月13日/2011年2月23日||2004年に宇土市で強盗目的で女性を殺害し、2011年には熊本市の民家で夫婦を殺傷。本人上告取り下げで死刑確定。裁判員裁判での死刑判決で刑が確定したのは3人目。2016年11月11日に福岡拘置所で死刑執行(45歳没)。
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|品川製麺所夫婦強盗殺人事件 (S)||2012年10月19日||2002年8月31日||中国籍。強盗目的で当時住んでいたアパートの所有者であった夫婦を殺害する。東京拘置所収監中。
|品川製麺所夫婦強盗殺人事件 (S)||2012年10月19日||2002年8月31日||中国籍。強盗目的で当時住んでいたアパートの所有者であった夫婦を殺害する。東京拘置所収監中。
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|群馬県暴力団組長等3人射殺事件 (T)||2012年10月23日||2001年11月 - 2005年9月||[[山口組]]系暴力団元組長。組員と共謀して対立していた暴力団の組長ら3人を射殺した。<br>配下の組員に指示し、2001年11月に[[群馬県]][[碓氷郡]][[松井田町]](現・[[安中市]])において土木作業員の男性(当時60歳)を射殺させ、2005年4月には安中市の自身の組の事務所を訪れた男性元組員(同35歳)を自ら射殺した。更に配下の組員に指示し、2005年9月には安中市内の路上において対立していた暴力団の組長の男性(当時61歳)を射殺させた。2014年8月29日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。
|群馬県暴力団組長等3人射殺事件 (T)||2012年10月23日||2001年11月 - 2005年9月||[[山口組]]系暴力団元組長。組員と共謀して対立していた暴力団の組長ら3人を射殺した。<br>配下の組員に指示し、2001年11月に[[群馬県]][[碓氷郡]][[松井田町]](現・[[安中市]])において土木作業員の男性(当時60歳)を射殺させ、2005年4月には安中市の自身の組の事務所を訪れた男性元組員(同35歳)を自ら射殺した。更に配下の組員に指示し、2005年9月には安中市内の路上において対立していた暴力団の組長の男性(当時61歳)を射殺させた。2014年8月29日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。
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|山梨キャンプ場殺人事件(阿佐吉廣<ref>[[#片岡|片岡 (2016)]] 186頁</ref>)||2012年12月11日||1997年3月~2000年5月||[[1997年]]3月頃、自身が経営する建設会社の従業員だった身元不明の男性を[[木刀]]で殴り、死亡させた。[[2000年]]5月には[[暴力団]]関係者(事件後病死)らと共謀し、同じく従業員だった当時51歳と50歳の男性を絞殺。3人の遺体を[[山梨県]][[都留市]]の[[キャンプ場]]に遺棄した。2人への殺人罪・1人への[[傷害罪|傷害致死]]の罪に問われたが、上告審では第一審で「阿佐が被害者2人を殺した」と証言していた男性受刑者が証言を一転させ「阿佐は事件当時、現場にいなかった」とする陳述書を提出<ref name="朝日新聞2013-03-10"/>。結審後に再び弁論が開かれる異例の展開になったが、最高裁第三小法廷([[田原睦夫]]裁判長)は2012年12月11日に一・二審の死刑判決を支持して被告人・阿佐の上告を棄却する判決を言い渡し、訂正申し立ても2013年1月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="朝日新聞2013-03-10">『朝日新聞』2013年3月10日東京朝刊山梨全県版第一地方面29頁「被告の死刑が確定 都留キャンプ場の殺人・傷害致死 /山梨」(朝日新聞東京本社・甲府総局)</ref>。東京拘置所に収監されていたが、[[2020年]]1月14日に[[気胸]]の症状が見られ、治療中の同年2月11日に[[間質性肺炎]]のため同拘置所内で死亡した(70歳没)<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/200211/afr2002110011-n1.html A死刑囚が病死 山梨キャンプ場殺人]2020年2月11日 産経新聞</ref>。
|山梨キャンプ場殺人事件(阿佐吉廣<ref>[[#片岡|片岡 (2016)]] 186頁</ref>)||2012年12月11日||1997年3月~2000年5月||[[1997年]]3月頃、自身が経営する建設会社の従業員だった身元不明の男性を[[木刀]]で殴り、死亡させた。[[2000年]]5月には[[暴力団]]関係者(事件後病死)らと共謀し、同じく従業員だった当時51歳と50歳の男性を絞殺。3人の遺体を[[山梨県]][[都留市]]の[[キャンプ場]]に遺棄した。2人への殺人罪・1人への[[傷害罪|傷害致死]]の罪に問われたが、上告審では第一審で「阿佐が被害者2人を殺した」と証言していた男性受刑者が証言を一転させ「阿佐は事件当時、現場にいなかった」とする陳述書を提出<ref name="朝日新聞2013-03-10"/>。結審後に再び弁論が開かれる異例の展開になったが、最高裁第三小法廷([[田原睦夫]]裁判長)は2012年12月11日に一・二審の死刑判決を支持して被告人・阿佐の上告を棄却する判決を言い渡し、訂正申し立ても2013年1月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="朝日新聞2013-03-10">『朝日新聞』2013年3月10日東京朝刊山梨全県版第一地方面29頁「被告の死刑が確定 都留キャンプ場の殺人・傷害致死 /山梨」(朝日新聞東京本社・甲府総局)</ref>。東京拘置所に収監されていたが、[[2020年]]1月14日に[[気胸]]の症状が見られ、治療中の同年2月11日に[[間質性肺炎]]のため同拘置所内で死亡した(70歳没)<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/200211/afr2002110011-n1.html A死刑囚が病死 山梨キャンプ場殺人]2020年2月11日 産経新聞</ref>。
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|[[お台場フィリピン人バラバラ殺人事件]] (N)||2012年12月14日||1999年4月22日・2008年4月3日||1999年と2008年に交際していたフィリピン人女性2人を殺害する。一審では1999年の事件で懲役14年+2008年の事件で無期懲役としたが、二審では2008年の事件について一審判決を破棄して死刑を言い渡した。東京拘置所収監中。
|[[お台場フィリピン人バラバラ殺人事件]] (N)||2012年12月14日||1999年4月22日・2008年4月3日||1999年と2008年に交際していたフィリピン人女性2人を殺害する。一審では1999年の事件で懲役14年+2008年の事件で無期懲役としたが、二審では2008年の事件について一審判決を破棄して死刑を言い渡した。東京拘置所収監中。
|}
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[架空請求詐欺仲間割れ殺人事件]] (S)||2013年1月29日||2004年10月16日||架空請求詐欺事件および殺害首謀者。仲間CがAら幹部殺害を計画していたことに激怒。Aらは共犯のDの伝手により暴力団員Eらを加えて、Cら4人を殺害し、遺体を遺棄。東京拘置所収監中。
|[[架空請求詐欺仲間割れ殺人事件]] (S)||2013年1月29日||2004年10月16日||架空請求詐欺事件および殺害首謀者。仲間CがAら幹部殺害を計画していたことに激怒。Aらは共犯のDの伝手により暴力団員Eらを加えて、Cら4人を殺害し、遺体を遺棄。東京拘置所収監中。
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|架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (W)||2013年1月29日||2004年10月16日||一審は無期判決だった。上記Sの共犯の元暴力団員。東京拘置所収監中。
|架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (W)||2013年1月29日||2004年10月16日||一審は無期判決だった。上記Sの共犯の元暴力団員。東京拘置所収監中。
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|架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (I)||2013年2月28日||2004年10月16日||上記Sの共犯。東京拘置所収監中。
|架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (I)||2013年2月28日||2004年10月16日||上記Sの共犯。東京拘置所収監中。
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|※岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 (S)||2013年3月28日||2011年9月30日||かつての勤務先の同僚であった女性を殺害。遺体をバラバラにして遺棄した。一審裁判員裁判で死刑判決を受け控訴するが、その後本人が控訴を取り下げ刑が確定する。被害者が1名で被告に殺人前科がない事例での死刑判決は近年では異例であった。2017年7月13日に広島拘置所で死刑執行(35歳没)。
|※岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 (S)||2013年3月28日||2011年9月30日||かつての勤務先の同僚であった女性を殺害。遺体をバラバラにして遺棄した。一審裁判員裁判で死刑判決を受け控訴するが、その後本人が控訴を取り下げ刑が確定する。被害者が1名で被告に殺人前科がない事例での死刑判決は近年では異例であった。2017年7月13日に広島拘置所で死刑執行(35歳没)。
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|前橋スナック乱射事件(YK)||2013年6月7日||2003年1月25日||元[[住吉会]]系暴力団組員。同じ住吉会系暴力団組員K(2009年7月10日死刑確定)とともに元暴力団住吉会[[幸平一家]]Y会会長YO([[2014年]]3月14日死刑確定)に指示され事件を起こす。暴力団[[稲川会]]大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。東京拘置所収監中。
|前橋スナック乱射事件(YK)||2013年6月7日||2003年1月25日||元[[住吉会]]系暴力団組員。同じ住吉会系暴力団組員K(2009年7月10日死刑確定)とともに元暴力団住吉会[[幸平一家]]Y会会長YO([[2014年]]3月14日死刑確定)に指示され事件を起こす。暴力団[[稲川会]]大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。東京拘置所収監中。
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|[[姫路2女性殺害事件]] (T)||2013年11月25日||2005年1月9日|| [[兵庫県警察]]による職務怠慢があり、被害者の両親が[[飛松五男]]の協力を得て犯人特定・逮捕に至った事件。大阪拘置所収監中。
|[[姫路2女性殺害事件]] (T)||2013年11月25日||2005年1月9日|| [[兵庫県警察]]による職務怠慢があり、被害者の両親が[[飛松五男]]の協力を得て犯人特定・逮捕に至った事件。大阪拘置所収監中。
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|あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件 (O)||2013年12月17日||2008年4月9日||知人の男と共謀し、東京都[[あきる野市]]の資産家姉弟から現金やキャッシュカードを奪い、2人を窒息死させた後に、遺体を長野県の山中に埋めた。共犯者は無期懲役。Oは東京拘置所に収監されていたが、転移性[[脳腫瘍]]を患い2014年7月2日に病死(66歳没)。
|あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件 (O)||2013年12月17日||2008年4月9日||知人の男と共謀し、東京都[[あきる野市]]の資産家姉弟から現金やキャッシュカードを奪い、2人を窒息死させた後に、遺体を長野県の山中に埋めた。共犯者は無期懲役。Oは東京拘置所に収監されていたが、転移性[[脳腫瘍]]を患い2014年7月2日に病死(66歳没)。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|[[大阪個室ビデオ店放火事件]] (O)||2014年3月6日||2008年10月1日||自殺をしようとして個室ビデオ店内に放火し、16人を殺害、9人を負傷させた。大阪拘置所収監中。
|[[大阪個室ビデオ店放火事件]] (O)||2014年3月6日||2008年10月1日||自殺をしようとして個室ビデオ店内に放火し、16人を殺害、9人を負傷させた。大阪拘置所収監中。
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|[[日本医科大学|日医大]]事件・前橋スナック乱射事件(YO)||2014年3月14日||2002年2月25日・2003年1月25日||元暴力団[[住吉会]][[幸平一家]]Y会会長。[[2001年]]8月に[[東京都]][[葛飾区]]の斎場で起きた暴力団[[稲川会]]大前田一家系組員による住吉会幹部射殺事件が発端となり、暴力団同士の抗争に発展。YOは[[2002年]]2月25日に[[文京区]]の[[日本医科大学]]付属病院で入院中の住吉会幸平一家系暴力団の幹部Iを、Y会の下部団体のT組組長Tらとともに日医大病院東館1階の高度救命救急センター集中治療室に侵入し射殺した。幹部Iは射殺される前日に[[豊島区]]内の路上で脇腹を拳銃で撃たれ重傷を負い、日医大に搬送されていた。幹部Iは同月に大前田一家元総長宅襲撃に失敗したため制裁と口封じのため殺された。同年3月、YOとT組組長Tはガソリン噴射器を用いて大前田一家元総長宅を襲撃。同年8月、YOは別の詐欺事件で警視庁に逮捕された。T組組長Tは日医大事件等で無期懲役確定。なおも抗争は激化し、前橋スナック乱射事件を起こすに至る。YOは逮捕前、住吉会系暴力団組員のK(2009年7月10日死刑確定)とYK(2013年6月7日死刑確定)の両名に対し、大前田一家関係者が出入りしていた[[前橋市]]のスナックを襲撃し同一家関係者の射殺するよう指示した。両名は翌[[2003年]]1月25日に犯行に及び、大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、たまたま客としてスナックに居合わせた無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。2事件の主犯として死刑確定。死刑確定後の[[2014年]]9月、「金銭トラブルなどにより他の複数の人物も殺害し、遺体を遺棄した」という内容の文書を[[警視庁]][[目白警察署]]に送付。警視庁は任意でYOに事情聴取したところ同趣旨の証言をしたため、裏付け捜査に入った。[[2016年]]2月、文書の内容とその真偽を確かめるための捜査が行われている事実が明らかとなった<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160217/afr1602170016-n1.html 「他の人物も殺害した」前橋スナック乱射事件の死刑囚が警視庁に文書提出(1)]産経新聞 2016年2月17日</ref><ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160217/afr1602170016-n2.html 「他の人物も殺害した」前橋スナック乱射事件の死刑囚が警視庁に文書提出(2)]産経新聞 2016年2月17日</ref>。YOが文書で「殺害した」と告白している[[東京都]]内の会社社長男性と[[神奈川県]]伊勢原市内の不動産業男性はいずれも20年近くにわたって行方が分からず失踪している。うち東京都内の会社社長男性は[[1996年]]の[[オレンジ共済組合事件]]に関与し、[[友部達夫]]・[[新進党]][[参議院議員]]の当選を画策する政界工作を行ったとされる「永田町の黒幕」・「リュー一世」(YOが提出した文書内での呼称)と呼ばれる人物。この会社社長男性は[[1997年]]4月、オレンジ共済組合事件に関して[[国会]]に証人喚問された<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/140/1380/14004111380018c.html 参議院会議録情報 第140回国会 予算委員会 第18号]参議院ホームページ</ref>が、その後[[1998年]]春頃より行方が分からなくなっている<ref>「国会に証人喚問…会社社長、謎の失踪半年 工作語らぬまま」『毎日新聞』1998年10月20日付夕刊</ref><ref>[http://www.dailyshincho.jp/article/2016/02171211/?all=1 【独占スクープ】死刑囚が “永田町の黒幕”の知られざる監禁殺人を告白]{{リンク切れ|date= 2020-03}}デイリー新潮(週刊新潮) 2016年2月25日号</ref>。YOは同社長を絞殺し、配下の元Y会組員男に命じ遺体を遺棄したという<ref>[http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20160219/3006521.html 元暴力団会長が“殺人告白”]{{リンク切れ|date= 2020-03}}NHK首都圏ニュース 2016年2月19日</ref>。配下の元Y会組員男は[[死体遺棄]]を認め場所も説明したため、YO死刑囚と配下の元Y会組員男の供述に基づき[[警視庁]]と[[神奈川県警]]は不明両名の捜索を行い、[[2016年]]4月19日に神奈川県伊勢原市内の山林で[[1996年]]8月から行方不明となっていた不動産業男性の白骨死体を発見した<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160419/afr1604190078-n1.html 20年前失踪男性か YO死刑囚の告白通り神奈川の山中で遺体発見 警視庁(1)]2016年4月19日 産経新聞</ref><ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160419/afr1604190078-n2.html 20年前失踪男性か YOの告白通り神奈川の山中で遺体発見 警視庁(2)]2016年4月19日 産経新聞</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/20170701-OYT1T50051.html?from=ytop_ylist 宅配便装い被害者誘い出す…死刑囚の元組長ら]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2017年7月1日 読売新聞</ref>。YOは不動産業男性とトラブルになっていたという暴力団関係者から依頼を受け、1996年8月、別の暴力団関係者に不動産業男性を殺害させ、配下の元Y会組員男に死体を遺棄させた。トラブルになっていたという暴力団関係者や、殺人の実行役とされる暴力団関係者はその後いずれも死亡しており、配下の元Y会組員男の死体遺棄容疑については既に[[時効]]が成立している。更に2016年11月29日には同社長と思われる遺体が発見され<ref>特集「永田町の黒幕を埋めた『死刑囚』の告白 ついに遺体発見!  右手に嵌っていた龍の指輪」週刊新潮 2016年12月15日号</ref>、DNA鑑定および歯形照合を行った。[[2017年]]4月10日に[[警視庁]]組織犯罪対策4課はYOを同社長に対する殺人の容疑で東京拘置所において逮捕した<ref>[http://www.jiji.com/jc/article?k=2017041000611&g=soc 死刑囚の元組長逮捕=告白の事件、殺人容疑で-警視庁]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2017年4月10日 時事通信</ref>。同年5月1日にYOは[[東京地検]]より改めて殺人罪で起訴され<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/170501/afr1705010025-n1.html 殺害告白の死刑囚を異例の起訴 残る神奈川の男性殺害事件も関連捜査]産経新聞 2017年5月1日</ref>、[[裁判員裁判]]に付された。確定死刑囚の逮捕・起訴は極めて異例であるうえ、[[裁判員]]裁判の被告が確定死刑囚という事例は初めて。[[2018年]]11月、[[東京地方裁判所]]においてYOの裁判員裁判が開始されたが、YOは初[[公判]]の[[被告人]]質問において、[[起訴]]事実について「間違いです」と全面否定し、上述の自身の殺人告白は「全く虚偽です」「([[東京都]]内の会社社長男性について)私は殺していません。ただし殺させました」「([[神奈川県]]伊勢原市内の不動産業男性について)名前すら知りません。間違いです」と述べた。YOの告白が契機となって始まった裁判であるが、その当人がいずれの容疑についても無罪を主張した<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181112/afr1811120030-n1.html 死刑囚が自ら告白した新たな殺人を否認、強まる「延命目的」 真相解明は不透明(1)]2018年11月16日 産経新聞</ref><ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181112/afr1811120030-n2.html 死刑囚が自ら告白した新たな殺人を否認、強まる「延命目的」(2)]2018年11月16日 産経新聞</ref>。YOは告白の目的について、「死刑判決を受けた事件などの再捜査であり、自身の死刑執行の先延ばしではない」と主張したが、YO以外に事件に関与したとされる者は既に全員死亡しており、再捜査や立件は困難な状況であるという<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181116/afr1811160033-n1.html 殺人告白は「全く虚偽」 YO死刑囚「目的は再捜査」]2018年11月16日 産経新聞</ref>。検察はYOが後から告白した二件の[[殺人]]について、「(裁判になれば判決確定までは死刑執行は見送られる可能性が高いため)告白の目的は死刑執行の引き延ばしであるが、告白の内容は信用できる」と指摘。裁判において否認に転じた理由は「裁判も引き延ばすため」と推認し<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181213/afr1812130023-n1.html 死刑囚に無罪判決 別件の殺人事件で 東京地裁]2018年12月13日 産経新聞</ref>、[[無期懲役]]を求刑。弁護側は「証拠不十分」のため無罪判決を求めた。同年12月13日、東京地裁は「告白の主な目的は死刑執行の先延ばしだった」「手紙には犯人でなければ知り得ない情報はない」「(告白内容を記載した)手紙は信用できない」と指摘し、YOに[[無罪]]判決を言い渡した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20181213/k00/00m/040/096000c 2件の殺人「告白」の死刑囚に無罪判決 東京地裁「告白内容は信用できない」]2018年12月13日 毎日新聞</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASLDF52PTLDFUTIL02G.html 死刑囚の元暴力団会長、告白の殺人は「延命」 無罪判決]2018年12月13日 朝日新聞</ref>。判決の言い渡し後、裁判長はYOに「検察が控訴しなければ裁判は終わり」と宣告した。なお、[[刑法 (日本)|刑法]]の[[併合罪]]に関する規定により、確定死刑囚に他の[[刑]]は執行しないため、仮にYOが後から告白した二件の殺人について[[有罪]]が確定しても[[刑]]は課されない<ref>[https://mainichi.jp/articles/20181211/k00/00m/040/259000c 2件の殺人「告白」した死刑囚、13日判決 公判では無罪主張]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2018年12月12日 毎日新聞</ref>。東京地検は同月27日の期限までに控訴せず、YOの無罪が確定した<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/national/20181227-OYT1T50028.html 執行延期狙った死刑囚無罪、検察控訴しない方針]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2018年12月27日 読売新聞</ref><ref>[https://www.yomiuri.co.jp/national/20181228-OYT1T50080.html 死刑囚「告白」の殺人、無罪確定…刑執行対象に]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2018年12月28日 読売新聞</ref>。殺人事件の無罪判決に対して検察側が控訴しなかった事例はまずないという。<br>死刑囚YOは[[2020年]]1月26日に収監中の東京拘置所において衣服を着たまま布団の中で血を流した状態で発見された<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2020012600246&g=soc スナック乱射、Y死刑囚が死亡 拘置所で自殺か]2020年1月26日 時事通信</ref>。首の左右に切り傷があり、死亡していた<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2020012600246&g=soc Y死刑囚が自殺か 拘置所で、首に切り傷―確定後「殺人」告白 ]2020年1月26日 時事通信</ref>。自作の刃物状の鋭利なもので首を切り、自殺したものとみられる<ref>{{Cite web|title=死刑囚の男“自作の刃物”で自殺か 前橋スナック4人殺害|url=https://www.fnn.jp/posts/00431022CX/202001270046_CX_CX|website=FNN.jpプライムオンライン|accessdate=2020-01-27|language=ja|publisher=|date=2020/01/27}}{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。71歳没<ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020012601001438.html 前橋4人射殺、死刑囚が死亡 首謀の元暴力団幹部、自殺か]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2020年1月26日 東京新聞</ref>。
|[[日本医科大学|日医大]]事件・前橋スナック乱射事件(YO)||2014年3月14日||2002年2月25日・2003年1月25日||元暴力団[[住吉会]][[幸平一家]]Y会会長。[[2001年]]8月に[[東京都]][[葛飾区]]の斎場で起きた暴力団[[稲川会]]大前田一家系組員による住吉会幹部射殺事件が発端となり、暴力団同士の抗争に発展。YOは[[2002年]]2月25日に[[文京区]]の[[日本医科大学]]付属病院で入院中の住吉会幸平一家系暴力団の幹部Iを、Y会の下部団体のT組組長Tらとともに日医大病院東館1階の高度救命救急センター集中治療室に侵入し射殺した。幹部Iは射殺される前日に[[豊島区]]内の路上で脇腹を拳銃で撃たれ重傷を負い、日医大に搬送されていた。幹部Iは同月に大前田一家元総長宅襲撃に失敗したため制裁と口封じのため殺された。同年3月、YOとT組組長Tはガソリン噴射器を用いて大前田一家元総長宅を襲撃。同年8月、YOは別の詐欺事件で警視庁に逮捕された。T組組長Tは日医大事件等で無期懲役確定。なおも抗争は激化し、前橋スナック乱射事件を起こすに至る。YOは逮捕前、住吉会系暴力団組員のK(2009年7月10日死刑確定)とYK(2013年6月7日死刑確定)の両名に対し、大前田一家関係者が出入りしていた[[前橋市]]のスナックを襲撃し同一家関係者の射殺するよう指示した。両名は翌[[2003年]]1月25日に犯行に及び、大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、たまたま客としてスナックに居合わせた無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。2事件の主犯として死刑確定。死刑確定後の[[2014年]]9月、「金銭トラブルなどにより他の複数の人物も殺害し、遺体を遺棄した」という内容の文書を[[警視庁]][[目白警察署]]に送付。警視庁は任意でYOに事情聴取したところ同趣旨の証言をしたため、裏付け捜査に入った。[[2016年]]2月、文書の内容とその真偽を確かめるための捜査が行われている事実が明らかとなった<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160217/afr1602170016-n1.html 「他の人物も殺害した」前橋スナック乱射事件の死刑囚が警視庁に文書提出(1)]産経新聞 2016年2月17日</ref><ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160217/afr1602170016-n2.html 「他の人物も殺害した」前橋スナック乱射事件の死刑囚が警視庁に文書提出(2)]産経新聞 2016年2月17日</ref>。YOが文書で「殺害した」と告白している[[東京都]]内の会社社長男性と[[神奈川県]]伊勢原市内の不動産業男性はいずれも20年近くにわたって行方が分からず失踪している。うち東京都内の会社社長男性は[[1996年]]の[[オレンジ共済組合事件]]に関与し、[[友部達夫]]・[[新進党]][[参議院議員]]の当選を画策する政界工作を行ったとされる「永田町の黒幕」・「リュー一世」(YOが提出した文書内での呼称)と呼ばれる人物。この会社社長男性は[[1997年]]4月、オレンジ共済組合事件に関して[[国会]]に証人喚問された<ref>[http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/sangiin/140/1380/14004111380018c.html 参議院会議録情報 第140回国会 予算委員会 第18号]参議院ホームページ</ref>が、その後[[1998年]]春頃より行方が分からなくなっている<ref>「国会に証人喚問…会社社長、謎の失踪半年 工作語らぬまま」『毎日新聞』1998年10月20日付夕刊</ref><ref>[http://www.dailyshincho.jp/article/2016/02171211/?all=1 【独占スクープ】死刑囚が “永田町の黒幕”の知られざる監禁殺人を告白]{{リンク切れ|date= 2020-03}}デイリー新潮(週刊新潮) 2016年2月25日号</ref>。YOは同社長を絞殺し、配下の元Y会組員男に命じ遺体を遺棄したという<ref>[http://www3.nhk.or.jp/shutoken-news/20160219/3006521.html 元暴力団会長が“殺人告白”]{{リンク切れ|date= 2020-03}}NHK首都圏ニュース 2016年2月19日</ref>。配下の元Y会組員男は[[死体遺棄]]を認め場所も説明したため、YO死刑囚と配下の元Y会組員男の供述に基づき[[警視庁]]と[[神奈川県警察|神奈川県警]]は不明両名の捜索を行い、[[2016年]]4月19日に神奈川県伊勢原市内の山林で[[1996年]]8月から行方不明となっていた不動産業男性の白骨死体を発見した<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160419/afr1604190078-n1.html 20年前失踪男性か YO死刑囚の告白通り神奈川の山中で遺体発見 警視庁(1)]2016年4月19日 産経新聞</ref><ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/160419/afr1604190078-n2.html 20年前失踪男性か YOの告白通り神奈川の山中で遺体発見 警視庁(2)]2016年4月19日 産経新聞</ref><ref>[http://www.yomiuri.co.jp/national/20170701-OYT1T50051.html?from=ytop_ylist 宅配便装い被害者誘い出す…死刑囚の元組長ら]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2017年7月1日 読売新聞</ref>。YOは不動産業男性とトラブルになっていたという暴力団関係者から依頼を受け、1996年8月、別の暴力団関係者に不動産業男性を殺害させ、配下の元Y会組員男に死体を遺棄させた。トラブルになっていたという暴力団関係者や、殺人の実行役とされる暴力団関係者はその後いずれも死亡しており、配下の元Y会組員男の死体遺棄容疑については既に[[時効]]が成立している。更に2016年11月29日には同社長と思われる遺体が発見され<ref>特集「永田町の黒幕を埋めた『死刑囚』の告白 ついに遺体発見! 右手に嵌っていた龍の指輪」週刊新潮 2016年12月15日号</ref>、DNA鑑定および歯形照合を行った。[[2017年]]4月10日に[[警視庁]]組織犯罪対策4課はYOを同社長に対する殺人の容疑で東京拘置所において逮捕した<ref>[http://www.jiji.com/jc/article?k=2017041000611&g=soc 死刑囚の元組長逮捕=告白の事件、殺人容疑で-警視庁]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2017年4月10日 時事通信</ref>。同年5月1日にYOは[[東京地検]]より改めて殺人罪で起訴され<ref>[http://www.sankei.com/affairs/news/170501/afr1705010025-n1.html 殺害告白の死刑囚を異例の起訴 残る神奈川の男性殺害事件も関連捜査]産経新聞 2017年5月1日</ref>、[[裁判員裁判]]に付された。確定死刑囚の逮捕・起訴は極めて異例であるうえ、[[裁判員]]裁判の被告が確定死刑囚という事例は初めて。[[2018年]]11月、[[東京地方裁判所]]においてYOの裁判員裁判が開始されたが、YOは初[[公判]]の[[被告人]]質問において、[[起訴]]事実について「間違いです」と全面否定し、上述の自身の殺人告白は「全く虚偽です」「([[東京都]]内の会社社長男性について)私は殺していません。ただし殺させました」「([[神奈川県]]伊勢原市内の不動産業男性について)名前すら知りません。間違いです」と述べた。YOの告白が契機となって始まった裁判であるが、その当人がいずれの容疑についても無罪を主張した<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181112/afr1811120030-n1.html 死刑囚が自ら告白した新たな殺人を否認、強まる「延命目的」 真相解明は不透明(1)]2018年11月16日 産経新聞</ref><ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181112/afr1811120030-n2.html 死刑囚が自ら告白した新たな殺人を否認、強まる「延命目的」(2)]2018年11月16日 産経新聞</ref>。YOは告白の目的について、「死刑判決を受けた事件などの再捜査であり、自身の死刑執行の先延ばしではない」と主張したが、YO以外に事件に関与したとされる者は既に全員死亡しており、再捜査や立件は困難な状況であるという<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181116/afr1811160033-n1.html 殺人告白は「全く虚偽」 YO死刑囚「目的は再捜査」]2018年11月16日 産経新聞</ref>。検察はYOが後から告白した二件の[[殺人]]について、「(裁判になれば判決確定までは死刑執行は見送られる可能性が高いため)告白の目的は死刑執行の引き延ばしであるが、告白の内容は信用できる」と指摘。裁判において否認に転じた理由は「裁判も引き延ばすため」と推認し<ref>[https://www.sankei.com/affairs/news/181213/afr1812130023-n1.html 死刑囚に無罪判決 別件の殺人事件で 東京地裁]2018年12月13日 産経新聞</ref>、[[無期懲役]]を求刑。弁護側は「証拠不十分」のため無罪判決を求めた。同年12月13日、東京地裁は「告白の主な目的は死刑執行の先延ばしだった」「手紙には犯人でなければ知り得ない情報はない」「(告白内容を記載した)手紙は信用できない」と指摘し、YOに[[無罪]]判決を言い渡した<ref>[https://mainichi.jp/articles/20181213/k00/00m/040/096000c 2件の殺人「告白」の死刑囚に無罪判決 東京地裁「告白内容は信用できない」]2018年12月13日 毎日新聞</ref><ref>[https://www.asahi.com/articles/ASLDF52PTLDFUTIL02G.html 死刑囚の元暴力団会長、告白の殺人は「延命」 無罪判決]2018年12月13日 朝日新聞</ref>。判決の言い渡し後、裁判長はYOに「検察が控訴しなければ裁判は終わり」と宣告した。なお、[[刑法 (日本)|刑法]]の[[併合罪]]に関する規定により、確定死刑囚に他の[[刑]]は執行しないため、仮にYOが後から告白した二件の殺人について[[有罪]]が確定しても[[刑]]は課されない<ref>[https://mainichi.jp/articles/20181211/k00/00m/040/259000c 2件の殺人「告白」した死刑囚、13日判決 公判では無罪主張]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2018年12月12日 毎日新聞</ref>。東京地検は同月27日の期限までに控訴せず、YOの無罪が確定した<ref>[https://www.yomiuri.co.jp/national/20181227-OYT1T50028.html 執行延期狙った死刑囚無罪、検察控訴しない方針]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2018年12月27日 読売新聞</ref><ref>[https://www.yomiuri.co.jp/national/20181228-OYT1T50080.html 死刑囚「告白」の殺人、無罪確定…刑執行対象に]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2018年12月28日 読売新聞</ref>。殺人事件の無罪判決に対して検察側が控訴しなかった事例はまずないという。<br>死刑囚YOは[[2020年]]1月26日に収監中の東京拘置所において衣服を着たまま布団の中で血を流した状態で発見された<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2020012600246&g=soc スナック乱射、Y死刑囚が死亡 拘置所で自殺か]2020年1月26日 時事通信</ref>。首の左右に切り傷があり、死亡していた<ref>[https://www.jiji.com/jc/article?k=2020012600246&g=soc Y死刑囚が自殺か 拘置所で、首に切り傷―確定後「殺人」告白 ]2020年1月26日 時事通信</ref>。自作の刃物状の鋭利なもので首を切り、自殺したものとみられる<ref>{{Cite web|title=死刑囚の男“自作の刃物”で自殺か 前橋スナック4人殺害|url=https://www.fnn.jp/posts/00431022CX/202001270046_CX_CX|website=FNN.jpプライムオンライン|accessdate=2020-01-27|language=ja|publisher=|date=2020/01/27}}{{リンク切れ|date= 2020-03}}</ref>。71歳没<ref>[https://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2020012601001438.html 前橋4人射殺、死刑囚が死亡 首謀の元暴力団幹部、自殺か]{{リンク切れ|date= 2020-03}}2020年1月26日 東京新聞</ref>。
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|[[元厚生事務次官宅連続襲撃事件]] (K)||2014年6月13日||2008年11月17日-18日||元厚生省事務次官宅2軒を襲撃し、[[山口剛彦]]とその妻の2人を殺害、[[吉原健二]]の妻に重傷を負わせた。東京拘置所収監中。
|[[元厚生事務次官宅連続襲撃事件]] (K)||2014年6月13日||2008年11月17日-18日||元厚生省事務次官宅2軒を襲撃し、[[山口剛彦]]とその妻の2人を殺害、[[吉原健二]]の妻に重傷を負わせた。東京拘置所収監中。
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|※[[長野市一家3人殺害事件]] (M)||2014年9月2日||2010年3月24日-25日||裁判員裁判で言い渡された死刑判決が最高裁で支持され確定した初のケース<ref name="読売新聞2014-09-27"/>。2014年9月2日に最高裁第三小法廷([[大橋正春]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2014-09-27"/>、弁護人が同月10日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2014年9月11日東京朝刊長野版地方面33頁「死刑判決訂正申し立て=長野」(読売新聞東京本社・長野支局)</ref>、2014年9月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2014-09-27">『読売新聞』2014年9月27日東京朝刊第二社会面38頁「長野3人殺害死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>共犯2人のうち1人(I)は2016年に死刑確定。もう1人は一審で死刑判決を受けるが二審で無期懲役に減軽され、その後確定。<br>東京拘置所収監中。2016年5月31日付で犯行当時の責任能力を争い[[長野地方裁判所|長野地裁]]へ再審を請求した<ref>『読売新聞』2016年6月2日東京朝刊長野版地方面25頁「長野3人強殺 再審請求 弁護人『罪軽くすべき証拠ある』=長野」(読売新聞東京本社・長野支局)</ref>。
|※[[長野市一家3人殺害事件]] (M)||2014年9月2日||2010年3月24日-25日||裁判員裁判で言い渡された死刑判決が最高裁で支持され確定した初のケース<ref name="読売新聞2014-09-27"/>。2014年9月2日に最高裁第三小法廷([[大橋正春]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref name="読売新聞2014-09-27"/>、弁護人が同月10日付で判決の訂正を申し立てたが<ref>『読売新聞』2014年9月11日東京朝刊長野版地方面33頁「死刑判決訂正申し立て=長野」(読売新聞東京本社・長野支局)</ref>、2014年9月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2014-09-27">『読売新聞』2014年9月27日東京朝刊第二社会面38頁「長野3人殺害死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。<br>共犯2人のうち1人 (I)は2016年に死刑確定。もう1人は一審で死刑判決を受けるが二審で無期懲役に減軽され、その後確定。<br>東京拘置所収監中。2016年5月31日付で犯行当時の責任能力を争い[[長野地方裁判所|長野地裁]]へ再審を請求した<ref>『読売新聞』2016年6月2日東京朝刊長野版地方面25頁「長野3人強殺 再審請求 弁護人『罪軽くすべき証拠ある』=長野」(読売新聞東京本社・長野支局)</ref>。
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|※[[宮崎家族3人殺害事件]] (O)||2014年10月16日||2010年3月1日||同居する義母の叱責から逃れたいために義母、妻、長男の3人を殺害した。2014年10月16日に最高裁第一小法廷([[山浦善樹]]裁判長)で上告棄却の判決を受け、被告人Oから出された判決への訂正申し立ても2014年11月5日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『朝日新聞』2014年11月11日西部朝刊宮崎全県版第一地方面33頁「家族3人を殺害、被告の死刑確定 宮崎 /宮崎県」([[朝日新聞西部本社]]・宮崎総局)</ref>。<br>福岡拘置所収監中。公判中、被告人Oとその両親は[[TBSテレビ|TBS]]([[Japan News Network|JNN]])系列の[[報道]]・[[ドキュメンタリー|ドキュメンタリー番組]]『[[報道特集 (TBS)|報道特集]]』から取材を受け、死刑確定後の[[2015年]]4月11日には同番組にて特集「確定死刑囚の告白」が放送された。
|※[[宮崎家族3人殺害事件]] (O)||2014年10月16日||2010年3月1日||同居する義母の叱責から逃れたいために義母、妻、長男の3人を殺害した。2014年10月16日に最高裁第一小法廷([[山浦善樹]]裁判長)で上告棄却の判決を受け、被告人Oから出された判決への訂正申し立ても2014年11月5日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『朝日新聞』2014年11月11日西部朝刊宮崎全県版第一地方面33頁「家族3人を殺害、被告の死刑確定 宮崎 /宮崎県」([[朝日新聞西部本社]]・宮崎総局)</ref>。<br>福岡拘置所収監中。公判中、被告人Oとその両親は[[TBSテレビ|TBS]]([[Japan News Network|JNN]])系列の[[報道]]・[[ドキュメンタリー|ドキュメンタリー番組]]『[[報道特集 (TBS)|報道特集]]』から取材を受け、死刑確定後の[[2015年]]4月11日には同番組にて特集「確定死刑囚の告白」が放送された。
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|※[[静岡2女性殺害事件]] (K)||2014年12月2日||2005年10月・2010年2月23日||2005年に交際相手の女性を、2010年に妻を殺害した。東京拘置所収監中。
|※[[静岡2女性殺害事件]] (K)||2014年12月2日||2005年10月・2010年2月23日||2005年に交際相手の女性を、2010年に妻を殺害した。東京拘置所収監中。
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|[[秋葉原通り魔事件]](加藤智大)||2015年2月2日||2008年6月8日||東京都[[千代田区]][[外神田]]([[秋葉原]])の[[歩行者天国]]に[[貨物自動車]]で突入し、5人をはねて3人を死亡させたほか、ダガーナイフで12人を切りつけて4人を死亡させた戦後最悪の[[通り魔]]事件。2015年2月2日に最高裁第一小法廷([[桜井龍子]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても同月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2015年2月19日東京朝刊第三社会面33頁「秋葉原殺傷 死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。東京拘置所収監中。
|[[秋葉原通り魔事件]](加藤智大)||2015年2月2日||2008年6月8日||東京都[[千代田区]][[外神田]]([[秋葉原]])の[[歩行者天国]]に[[貨物自動車]]で突入し、5人をはねて3人を死亡させたほか、ダガーナイフで12人を切りつけて4人を死亡させた戦後最悪の[[通り魔]]事件。2015年2月2日に最高裁第一小法廷([[桜井龍子]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても同月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2015年2月19日東京朝刊第三社会面33頁「秋葉原殺傷 死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。東京拘置所収監中。
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|[[加古川7人殺害事件]](F)||2015年5月25日||2004年8月2日||親戚や近隣住民に見下されているとの思いを抱いたことから、自宅両隣の民家で7人を包丁で刺殺し、1人に重傷を負わせた。2015年6月10日付で最高裁第二小法廷([[千葉勝美]]裁判長)が上告棄却判決に対する被告人Fの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定<ref>『[[日本経済新聞]]』2015年6月13日大阪朝刊社会面16頁「兵庫7人刺殺、死刑確定 判決訂正申し立て棄却(ピックアップ)」([[日本経済新聞大阪本社]])</ref>。大阪拘置所収監中。
|[[加古川7人殺害事件]] (F)||2015年5月25日||2004年8月2日||親戚や近隣住民に見下されているとの思いを抱いたことから、自宅両隣の民家で7人を包丁で刺殺し、1人に重傷を負わせた。2015年6月10日付で最高裁第二小法廷([[千葉勝美]]裁判長)が上告棄却判決に対する被告人Fの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定<ref>『[[日本経済新聞]]』2015年6月13日大阪朝刊社会面16頁「兵庫7人刺殺、死刑確定 判決訂正申し立て棄却(ピックアップ)」([[日本経済新聞大阪本社]])</ref>。大阪拘置所収監中。
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|※[[横浜深谷連続殺人事件]](A)||2015年12月4日||2008年3月13日/2009年8月7日||従兄弟の男と共謀し、2008年、男の養母を保険金目的で殺害。2009年には金銭トラブルを抱えていた叔父を殺害する。共犯は求刑死刑に対し、無期懲役判決が一審で確定。東京拘置所収監中。
|※[[横浜深谷連続殺人事件]] (A)||2015年12月4日||2008年3月13日/2009年8月7日||従兄弟の男と共謀し、2008年、男の養母を保険金目的で殺害。2009年には金銭トラブルを抱えていた叔父を殺害する。共犯は求刑死刑に対し、無期懲役判決が一審で確定。東京拘置所収監中。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|※[[大阪此花区パチンコ店放火殺人事件]](T)||2016年2月23日||2009年7月5日||借金など生活に対する不満を募らせ、パチンコ店の床にガソリンをまいて放火。客と従業員5人を死亡させ、10人を負傷させた。大阪拘置所収監中。
|※[[大阪此花区パチンコ店放火殺人事件]] (T)||2016年2月23日||2009年7月5日||借金など生活に対する不満を募らせ、パチンコ店の床にガソリンをまいて放火。客と従業員5人を死亡させ、10人を負傷させた。大阪拘置所収監中。
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|※福島県会津美里町夫婦強盗殺人事件(T)||2016年3月8日||2012年7月26日||病院職員の55歳男性と56歳妻の夫婦を殺害。[[宮城刑務所]][[仙台拘置支所]]収監中。
|※福島県会津美里町夫婦強盗殺人事件 (T)||2016年3月8日||2012年7月26日||病院職員の55歳男性と56歳妻の夫婦を殺害。[[宮城刑務所]][[仙台拘置支所]]収監中。
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|※長野市一家3人殺害事件(I)||2016年4月26日||2010年3月24日-25日||共犯のMは2014年に死刑が確定。自身も一・二審で死刑判決を受け、最高裁に上告するも2016年4月27日に最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)から上告棄却の判決を受けた<ref>{{Cite news|title=長野一家3人殺害、主犯格の死刑確定へ 「率先して殺害、安易かつ短絡的」と最高裁|url=https://www.sankei.com/affairs/news/160426/afr1604260027-n1.html|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|date=2016-04-26|language=ja|accessdate=2020-04-20|archivedate=2020年4月20日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200420124950/https://www.sankei.com/affairs/news/160426/afr1604260027-n1.html}}</ref>。判決への訂正申し立ても2016年5月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2016年5月28日東京朝刊長野版地方面31頁(読売新聞東京本社・長野支局)</ref>。東京拘置所収監中。
|※長野市一家3人殺害事件 (I)||2016年4月26日||2010年3月24日-25日||共犯のMは2014年に死刑が確定。自身も一・二審で死刑判決を受け、最高裁に上告するも2016年4月27日に最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)から上告棄却の判決を受けた<ref>{{Cite news|title=長野一家3人殺害、主犯格の死刑確定へ 「率先して殺害、安易かつ短絡的」と最高裁|url=https://www.sankei.com/affairs/news/160426/afr1604260027-n1.html|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|date=2016-04-26|language=ja|accessdate=2020-04-20|archivedate=2020年4月20日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200420124950/https://www.sankei.com/affairs/news/160426/afr1604260027-n1.html}}</ref>。判決への訂正申し立ても2016年5月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定<ref>『読売新聞』2016年5月28日東京朝刊長野版地方面31頁(読売新聞東京本社・長野支局)</ref>。東京拘置所収監中。
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|※山形・東京連続放火殺人事件(A)||2016年6月13日||2010年10月2日/2011年11月24日||2010年、山形市で元交際相手の実家を放火し、元交際相手の両親を殺害。翌年には妻と共謀し、東京都内で別の交際相手の母親が住むマンションに侵入し、母親を殺害した後、室内に火をつけ全焼させた。東京拘置所収監中。
|※山形・東京連続放火殺人事件 (A)||2016年6月13日||2010年10月2日/2011年11月24日||2010年、山形市で元交際相手の実家を放火し、元交際相手の両親を殺害。翌年には妻と共謀し、東京都内で別の交際相手の母親が住むマンションに侵入し、母親を殺害した後、室内に火をつけ全焼させた。東京拘置所収監中。
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|※[[石巻3人殺傷事件]](C)||2016年6月16日||2010年2月10日||事件当時18歳の[[少年死刑囚]]。共犯の少年と共に元交際相手少女の実家に押し入り、少女の姉とその友人の女子高校生計2名を牛刀で殺害。その場に居合わせた少女一家の知人男性1名に重傷を、元交際相手の少女にも軽傷を負わせた。共犯の少年は[[2010年]]12月、[[殺人]][[幇助]]の罪により懲役3年以上6年以下の[[不定期刑]]を言い渡された。<br>裁判員裁判で[[少年犯罪|少年事件]]に死刑判決が言い渡され確定した史上初の事例<ref name="読売新聞2016-07-02"/>。2016年6月16日に最高裁第一小法廷([[大谷直人]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite news|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160617_13018.html|title=<石巻3人殺傷>元少年死刑確定へ 裁判員初|date=2016-06-17|accessdate=2017-06-17|newspaper=[[河北新報]]|publisher=[[河北新報社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170617165034/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160617_13018.html|archivedate=2017-06-17}}</ref>、同月27日に判決の訂正を申し立てたが、2日後の同月29日付で同小法廷から出された決定により棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2016-07-02">『読売新聞』2016年7月2日東京朝刊仙台版地方面29頁「石巻殺傷 死刑確定『命を軽視』 弁護団、会見で批判=宮城」(読売新聞東京本社・東北総局)</ref>。[[宮城刑務所]][[仙台拘置支所]]収監中。
|※[[石巻3人殺傷事件]] (C)||2016年6月16日||2010年2月10日||事件当時18歳の[[少年死刑囚]]。共犯の少年と共に元交際相手少女の実家に押し入り、少女の姉とその友人の女子高校生計2名を牛刀で殺害。その場に居合わせた少女一家の知人男性1名に重傷を、元交際相手の少女にも軽傷を負わせた。共犯の少年は[[2010年]]12月、[[殺人]][[幇助]]の罪により懲役3年以上6年以下の[[不定期刑]]を言い渡された。<br>裁判員裁判で[[少年犯罪|少年事件]]に死刑判決が言い渡され確定した史上初の事例<ref name="読売新聞2016-07-02"/>。2016年6月16日に最高裁第一小法廷([[大谷直人]]裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け<ref>{{Cite news|url=http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160617_13018.html|title=<石巻3人殺傷>元少年死刑確定へ 裁判員初|date=2016-06-17|accessdate=2017-06-17|newspaper=[[河北新報]]|publisher=[[河北新報社]]|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20170617165034/http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201606/20160617_13018.html|archivedate=2017-06-17}}</ref>、同月27日に判決の訂正を申し立てたが、2日後の同月29日付で同小法廷から出された決定により棄却されたため死刑が確定<ref name="読売新聞2016-07-02">『読売新聞』2016年7月2日東京朝刊仙台版地方面29頁「石巻殺傷 死刑確定『命を軽視』 弁護団、会見で批判=宮城」(読売新聞東京本社・東北総局)</ref>。[[宮城刑務所]][[仙台拘置支所]]収監中。
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|※[[長崎ストーカー殺人事件]](T)||2016年7月21日||2011年12月16日||2011年、[[長崎県]][[西海市]]で同居中の女性をその家族が連れ去ったと思い込んで77歳の女性の祖母と56歳の母を刺殺し母の車のトランク内に遺体を遺棄。[[千葉県警察|千葉]]・[[三重県警察|三重]]・[[長崎県警察|長崎]]各県警の対応が問題として浮き彫りになった[[警察不祥事]]事件。最高裁第一小法廷([[池上政幸]]裁判長)が2016年8月10日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Tの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2016年8月14日東京朝刊第二社会面30頁「ストーカー死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。福岡拘置所収監中。
|※[[長崎ストーカー殺人事件]] (T)||2016年7月21日||2011年12月16日||2011年、[[長崎県]][[西海市]]で同居中の女性をその家族が連れ去ったと思い込んで77歳の女性の祖母と56歳の母を刺殺し母の車のトランク内に遺体を遺棄。[[千葉県警察|千葉]]・[[三重県警察|三重]]・[[長崎県警察|長崎]]各県警の対応が問題として浮き彫りになった[[警察不祥事]]事件。最高裁第一小法廷([[池上政幸]]裁判長)が2016年8月10日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Tの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2016年8月14日東京朝刊第二社会面30頁「ストーカー死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。福岡拘置所収監中。
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|※[[首都圏連続不審死事件]](木嶋佳苗)||2017年4月14日||2008年9月 - 2009年9月||犯行では「吉川桜」の偽名を使用。裁判員裁判では初めて死刑判決を受けた女性。戦後15人目の[[女性死刑囚]]で、同時に史上初の裁判員裁判による女性死刑囚である。<br>無罪を主張。上告中に[[獄中結婚]]し現姓はD。東京拘置所収監中。<br>木嶋は裁判中、『[[女性自身]]』に268通の手紙を送り、事件及び裁判に関する手記と、自身の半生を「1年半かけて執筆した」という小説を寄稿、同誌[[2013年]]10月22日号に木嶋佳苗名義ですべて掲載された。小説は『礼讃』と題され、[[2015年]]2月に[[KADOKAWA]]より単行本として刊行された。また[[2014年]]1月5日より[[ブログ]]「木嶋佳苗の拘置所日記」を運用、木嶋が東京拘置所で書いた文章を支援者が掲載・更新している。<br>最高裁第二小法廷([[小貫芳信]]裁判長)が2017年5月9日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Tの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2017年5月11日東京朝刊第二社会面34頁「木嶋被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。
|※[[首都圏連続不審死事件]](木嶋佳苗)||2017年4月14日||2008年9月 - 2009年9月||犯行では「吉川桜」の偽名を使用。裁判員裁判では初めて死刑判決を受けた女性。戦後15人目の[[女性死刑囚]]で、同時に史上初の裁判員裁判による女性死刑囚である。<br>無罪を主張。上告中に[[獄中結婚]]し現姓はD。東京拘置所収監中。<br>木嶋は裁判中、『[[女性自身]]』に268通の手紙を送り、事件及び裁判に関する手記と、自身の半生を「1年半かけて執筆した」という小説を寄稿、同誌[[2013年]]10月22日号に木嶋佳苗名義ですべて掲載された。小説は『礼讃』と題され、[[2015年]]2月に[[KADOKAWA]]より単行本として刊行された。また[[2014年]]1月5日より[[ブログ]]「木嶋佳苗の拘置所日記」を運用、木嶋が東京拘置所で書いた文章を支援者が掲載・更新している。<br>最高裁第二小法廷([[小貫芳信]]裁判長)が2017年5月9日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Tの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2017年5月11日東京朝刊第二社会面34頁「木嶋被告の死刑確定」(読売新聞東京本社)</ref>。
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|※[[鳥取連続不審死事件]](U)||2017年7月27日 ||2004年5月-2009年10月||裁判員裁判では木嶋に続いて2番目に死刑判決を受け確定した女性で、戦後16人目の女性死刑囚。無罪を主張。<br>最高裁第一小法廷([[小池裕]]裁判長)が2017年8月23日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Uの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2017年8月26日東京朝刊第三社会面33頁「鳥取不審死 死刑が確定」(読売新聞東京本社)</ref>。[[広島拘置所]]収監中。
|※[[鳥取連続不審死事件]] (U)||2017年7月27日 ||2004年5月-2009年10月||裁判員裁判では木嶋に続いて2番目に死刑判決を受け確定した女性で、戦後16人目の女性死刑囚。無罪を主張。<br>最高裁第一小法廷([[小池裕]]裁判長)が2017年8月23日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Uの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した<ref>『読売新聞』2017年8月26日東京朝刊第三社会面33頁「鳥取不審死 死刑が確定」(読売新聞東京本社)</ref>。[[広島拘置所]]収監中。
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|※[[大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件]](S)||2017年12月8日 ||2004年12月3日||[[大阪府]][[和泉市]]の、元カーペット製造販売会社社長男性とその妻を、鈍器で殴って殺害し、金品を奪い、遺体をのこぎりで切断して[[ドラム缶]]に詰め、同府[[阪南市]]内の貸ガレージに遺棄した。<br>事件から5年後の2009年11月になって夫婦の遺体が発見され、被害者宅での別の窃盗容疑で逮捕された。<br>その後事件から丸6年となる2010年12月に強盗殺人容疑で再逮捕・追起訴された。<br>無罪を主張。[[大阪拘置所]]収監中。<br>上告審判決後の2017年12月末時点では判決訂正申立中だったため「新たな死刑確定者」としては言及されておらず<ref name="2017年末">{{Cite news|title=確定死刑囚123人 昨年末から6人減少|url=https://r.nikkei.com/article/DGXMZO25206190Y7A221C1000000|date=2017-12-28|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|agency=共同通信社|language=ja|accessdate=2019-02-11|archivedate=2019-02-11|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190211130943/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25206190Y7A221C1000000/}}</ref>、正式な死刑確定は2018年に入ってからとなった<ref name="2018年末">{{Cite news|title=未執行の確定死刑囚110人 オウム事件含め15人執行|url=https://www.toonippo.co.jp/articles/-/133540|date=2018-12-28|newspaper=東奥日報|publisher=東奥日報社|agency=共同通信社|language=ja|accessdate=2019-02-09|archivedate=2019-02-09|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190209142910/https://www.toonippo.co.jp/articles/-/133540}}</ref>。
|※[[大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件]] (S)||2017年12月8日 ||2004年12月3日||[[大阪府]][[和泉市]]の、元カーペット製造販売会社社長男性とその妻を、鈍器で殴って殺害し、金品を奪い、遺体をのこぎりで切断して[[ドラム缶]]に詰め、同府[[阪南市]]内の貸ガレージに遺棄した。<br>事件から5年後の2009年11月になって夫婦の遺体が発見され、被害者宅での別の窃盗容疑で逮捕された。<br>その後事件から丸6年となる2010年12月に強盗殺人容疑で再逮捕・追起訴された。<br>無罪を主張。[[大阪拘置所]]収監中。<br>上告審判決後の2017年12月末時点では判決訂正申立中だったため「新たな死刑確定者」としては言及されておらず<ref name="2017年末">{{Cite news|title=確定死刑囚123人 昨年末から6人減少|url=https://r.nikkei.com/article/DGXMZO25206190Y7A221C1000000|date=2017-12-28|newspaper=日本経済新聞|publisher=日本経済新聞社|agency=共同通信社|language=ja|accessdate=2019-02-11|archivedate=2019-02-11|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190211130943/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO25206190Y7A221C1000000/}}</ref>、正式な死刑確定は2018年に入ってからとなった<ref name="2018年末">{{Cite news|title=未執行の確定死刑囚110人 オウム事件含め15人執行|url=https://www.toonippo.co.jp/articles/-/133540|date=2018-12-28|newspaper=東奥日報|publisher=東奥日報社|agency=共同通信社|language=ja|accessdate=2019-02-09|archivedate=2019-02-09|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190209142910/https://www.toonippo.co.jp/articles/-/133540}}</ref>。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|※[[愛知県蟹江町母子3人殺傷事件]](L)||2018年9月6日||2009年5月1日 - 5月2日||[[中華人民共和国|中国]][[国籍]]で犯行当時は[[三重大学]]に在学していた[[留学生]]だった。<br>生活に困り、別の[[万引き]]事件で科された罰金が払えなくなることを恐れて[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]内の民家に強盗目的で侵入し一家3人を殺傷した。<br>事件後に三重大を卒業して自動車部品会社に就職したが1年後に[[自己都合退職|退職]]、本事件で逮捕される直前には別の自動車盗事件で[[逮捕 (日本法)|逮捕]]されていた。<br>2018年10月2日付の最高裁第一小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により2018年10月3日付で正式に死刑が確定<ref>『中日新聞』2018年10月6日朝刊第11版第一社会面35面「蟹江3人殺傷 死刑確定」</ref>。名古屋拘置所収監中。
|※[[愛知県蟹江町母子3人殺傷事件]] (L)||2018年9月6日||2009年5月1日 - 5月2日||[[中華人民共和国|中国]][[国籍]]で犯行当時は[[三重大学]]に在学していた[[留学生]]だった。<br>生活に困り、別の[[万引き]]事件で科された罰金が払えなくなることを恐れて[[愛知県]][[海部郡 (愛知県)|海部郡]][[蟹江町]]内の民家に強盗目的で侵入し一家3人を殺傷した。<br>事件後に三重大を卒業して自動車部品会社に就職したが1年後に[[自己都合退職|退職]]、本事件で逮捕される直前には別の自動車盗事件で[[逮捕 (日本法)|逮捕]]されていた。<br>2018年10月2日付の最高裁第一小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により2018年10月3日付で正式に死刑が確定<ref>『中日新聞』2018年10月6日朝刊第11版第一社会面35面「蟹江3人殺傷 死刑確定」</ref>。名古屋拘置所収監中。
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|※[[埼玉資産家夫婦死体遺棄事件]](W)||2018年12月21日<ref>{{Cite news|title=資産家夫婦殺害事件 被告の元会社社長の死刑確定へ 最高裁|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181221/k10011755961000.html|date=2018-12-21|newspaper=NHKニュース|publisher=日本放送協会|language=ja|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221075022/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181221/k10011755961000.html}}</ref>||2012年12月7日||[[スイス]]在住・[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]に一時帰国していた[[資産家]](ファンドマネージャー)の男性夫妻を絞殺し、遺体を[[埼玉県]][[久喜市]]内の空き地に埋めて遺棄した。<br>被害者男性とは事件1年ほど前から付き合いがあったが、2013年に逮捕された当時は「被害者男性から勧められた[[投資]]で数億円の損をさせられた」と虚偽の供述をしていた。<br>逮捕から起訴までは殺害・死体遺棄を全面的に認めたが、公判においては「2人を殺していない」と強盗殺人を否認した。<br>東京拘置所収監中。2018年12月27日時点では判決未確定(判決訂正申立期限内のためだが有無は不明)<ref name="2018年末"/>。
|※[[埼玉資産家夫婦死体遺棄事件]] (W)||2018年12月21日<ref>{{Cite news|title=資産家夫婦殺害事件 被告の元会社社長の死刑確定へ 最高裁|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181221/k10011755961000.html|date=2018-12-21|newspaper=NHKニュース|publisher=日本放送協会|language=ja|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221075022/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181221/k10011755961000.html}}</ref>||2012年12月7日||[[スイス]]在住・[[東京都]][[中央区 (東京都)|中央区]][[銀座]]に一時帰国していた[[資産家]](ファンドマネージャー)の男性夫妻を絞殺し、遺体を[[埼玉県]][[久喜市]]内の空き地に埋めて遺棄した。<br>被害者男性とは事件1年ほど前から付き合いがあったが、2013年に逮捕された当時は「被害者男性から勧められた[[投資]]で数億円の損をさせられた」と虚偽の供述をしていた。<br>逮捕から起訴までは殺害・死体遺棄を全面的に認めたが、公判においては「2人を殺していない」と強盗殺人を否認した。<br>東京拘置所収監中。2018年12月27日時点では判決未確定(判決訂正申立期限内のためだが有無は不明)<ref name="2018年末"/>。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|※[[堺市連続強盗殺人事件]](N)||2019年2月12日<ref>{{Cite news|title=元象印副社長ら強殺事件、死刑確定へ 最高裁が上告棄却|url=https://mainichi.jp/articles/20190212/k00/00m/040/139000c|date=2019-02-12|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|agency=共同通信社|language=ja|accessdate=2019-02-12|archivedate=2019-02-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190212102531/https://mainichi.jp/articles/20190212/k00/00m/040/139000c}}</ref>||2011年11月5日・12月1日||保険金詐欺目的で自宅に放火した罪で逮捕・起訴され実刑判決を受け服役していた。<br>仮出所後に幼少期から親交があった[[象印マホービン]]の元副社長ら2人を顔に食品用ラップを巻き付けて窒息死させ、うち1人の遺体をドラム缶で焼却した。<br>大阪拘置所収監中。
|※[[堺市連続強盗殺人事件]] (N)||2019年2月12日<ref>{{Cite news|title=元象印副社長ら強殺事件、死刑確定へ 最高裁が上告棄却|url=https://mainichi.jp/articles/20190212/k00/00m/040/139000c|date=2019-02-12|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|agency=共同通信社|language=ja|accessdate=2019-02-12|archivedate=2019-02-12|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190212102531/https://mainichi.jp/articles/20190212/k00/00m/040/139000c}}</ref>||2011年11月5日・12月1日||保険金詐欺目的で自宅に放火した罪で逮捕・起訴され実刑判決を受け服役していた。<br>仮出所後に幼少期から親交があった[[象印マホービン]]の元副社長ら2人を顔に食品用ラップを巻き付けて窒息死させ、うち1人の遺体をドラム缶で焼却した。<br>大阪拘置所収監中。
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|※[[寝屋川市中1男女殺害事件]](Y)||2019年5月18日<ref name="寝屋川 死刑確定">{{Cite news|title=寝屋川中1殺人、被告が控訴取り下げ 死刑判決が確定|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190521/afr1905210010-n1.html|date=2019-05-21|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|accessdate=2019-05-21|archivedate=2019-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190521122435/https://www.sankei.com/affairs/news/190521/afr1905210010-n1.html}}</ref>||2015年8月13日||2018年12月19日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]で死刑判決を受け<ref>{{Cite news|title=大阪 寝屋川 中1男女殺害 被告の男に死刑判決|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181219/k10011752681000.html|date=2018-12-19|newspaper=NHKニュース|publisher=日本放送協会|author=|language=ja|accessdate=2018-12-19|archivedate=2018-12-19|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181219130453/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181219/k10011752681000.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=寝屋川 中1男女殺害で死刑判決|url=https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20181219/0010891.html|date=2018-12-19|newspaper=NHKニュース|publisher=日本放送協会|author=|language=ja|accessdate=2018-12-19|archivedate=2018-12-19|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181219130512/https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20181219/0010891.html}}</ref>、[[大阪高等裁判所|大阪高裁]]に控訴するも本人取下げにより確定<ref name="寝屋川 死刑確定"/>。[[令和]][[改元]](2019年5月1日)以降では初の死刑確定。<br>しかし弁護人が大阪高裁に「控訴取り下げは無効」と異議を申し立て<ref>{{Cite news|title=寝屋川中1殺害、「死刑囚の控訴取り下げは無効」弁護人が申請 「刑務官に怒られ突発的に」と説明|newspaper=毎日新聞|date=2019-05-31|author=村松洋|author2=戸上文恵|url=https://mainichi.jp/articles/20190530/k00/00m/040/308000c|accessdate=2019-05-31|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190531055752/https://mainichi.jp/articles/20190530/k00/00m/040/308000c|archivedate=2019-05-31}}</ref>、2019年12月に高裁がこれを認め控訴審を再開する決定を出した<ref>{{Cite news|title=被告の控訴取り下げは「無効」、大阪高裁 大阪・寝屋川中1事件|newspaper=産経新聞|date=2019-12-17|author=|url=https://www.sankei.com/west/news/191217/wst1912170029-n1.html|accessdate=2019-12-17|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191217130229/https://www.sankei.com/west/news/191217/wst1912170029-n1.html|archivedate=2019-12-17}}</ref>。[[大阪高等検察庁|大阪高検]]は同決定を不服として最高裁への特別抗告・大阪高裁への異議申し立てを行った<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20191220/k00/00m/040/213000c|title=「控訴取り下げ無効」で大阪高検が特別抗告 寝屋川中1殺害|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2019-12-20|author=村松洋|author2=松本紫帆|language=ja|accessdate=2019-12-21|archivedate=2019-12-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191221123643/https://mainichi.jp/articles/20191220/k00/00m/040/213000c}}</ref>。2020年2月25日、最高裁は大阪高検の特別抗告を棄却<ref>{{Cite news|title=大阪・寝屋川中1男女殺害の控訴取り下げ 検察側の特別抗告を棄却 最高裁|newspaper=産経新聞|date=2020-02-27|author=|url=https://www.sankei.com/affairs/news/200227/afr2002270051-n1.html|accessdate=2020-02-27|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200227150504/https://www.sankei.com/affairs/news/200227/afr2002270051-n1.html|archivedate=2020年2月27日}}</ref>。同年3月16日、大阪高裁第1刑事部は異議審において同高裁第6刑事部の控訴取り下げを無効とする決定を取り消し、審理を同高裁第6刑事部に差し戻した<ref>{{Cite news|title=寝屋川中1殺害 大阪高裁が控訴取り下げ無効決定差し戻し|newspaper=毎日新聞|date=2020-03-17|author=|url=https://mainichi.jp/articles/20200317/k00/00m/040/015000c|accessdate=2020-03-17|publisher=毎日新聞社}}</ref>。<br>深夜に出歩いていた中学1年生の男女2人を殺害して遺体をそれぞれ遺棄したとされる<ref name="寝屋川 死刑確定"/>。<br>公判では男子生徒の殺害に関しては無罪・女子生徒に関しても[[傷害罪|傷害致死罪]]の成立を主張しており<ref name="寝屋川 死刑確定"/>、判決直前には『朝日新聞』記者・畑宗太郎の取材に対し「裁判は第一審では終わらないだろう」と述べていた<ref name="無理でしょ">{{Cite news|title=一審で終結「無理でしょ」 死刑の被告、判決前に語る|url=https://www.asahi.com/articles/ASLDM6VYWLDMPTIL035.html|date=2018-12-19|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|language=ja|author=畑宗太郎|accessdate=2019-05-21|archivedate=2019-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190521122831/https://www.asahi.com/articles/ASLDM6VYWLDMPTIL035.html}}</ref>。大阪拘置所収監中<ref name="無理でしょ"/>。
|※[[寝屋川市中1男女殺害事件]] (Y)||2019年5月18日<ref name="寝屋川 死刑確定">{{Cite news|title=寝屋川中1殺人、被告が控訴取り下げ 死刑判決が確定|url=https://www.sankei.com/affairs/news/190521/afr1905210010-n1.html|date=2019-05-21|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|accessdate=2019-05-21|archivedate=2019-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190521122435/https://www.sankei.com/affairs/news/190521/afr1905210010-n1.html}}</ref>||2015年8月13日||2018年12月19日に[[大阪地方裁判所|大阪地裁]]で死刑判決を受け<ref>{{Cite news|title=大阪 寝屋川 中1男女殺害 被告の男に死刑判決|url=https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181219/k10011752681000.html|date=2018-12-19|newspaper=NHKニュース|publisher=日本放送協会|author=|language=ja|accessdate=2018-12-19|archivedate=2018-12-19|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181219130453/https://www3.nhk.or.jp/news/html/20181219/k10011752681000.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=寝屋川 中1男女殺害で死刑判決|url=https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20181219/0010891.html|date=2018-12-19|newspaper=NHKニュース|publisher=日本放送協会|author=|language=ja|accessdate=2018-12-19|archivedate=2018-12-19|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181219130512/https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20181219/0010891.html}}</ref>、[[大阪高等裁判所|大阪高裁]]に控訴するも本人取下げにより確定<ref name="寝屋川 死刑確定"/>。[[令和]][[改元]](2019年5月1日)以降では初の死刑確定。<br>しかし弁護人が大阪高裁に「控訴取り下げは無効」と異議を申し立て<ref>{{Cite news|title=寝屋川中1殺害、「死刑囚の控訴取り下げは無効」弁護人が申請 「刑務官に怒られ突発的に」と説明|newspaper=毎日新聞|date=2019-05-31|author=村松洋|author2=戸上文恵|url=https://mainichi.jp/articles/20190530/k00/00m/040/308000c|accessdate=2019-05-31|publisher=毎日新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190531055752/https://mainichi.jp/articles/20190530/k00/00m/040/308000c|archivedate=2019-05-31}}</ref>、2019年12月に高裁がこれを認め控訴審を再開する決定を出した<ref>{{Cite news|title=被告の控訴取り下げは「無効」、大阪高裁 大阪・寝屋川中1事件|newspaper=産経新聞|date=2019-12-17|author=|url=https://www.sankei.com/west/news/191217/wst1912170029-n1.html|accessdate=2019-12-17|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191217130229/https://www.sankei.com/west/news/191217/wst1912170029-n1.html|archivedate=2019-12-17}}</ref>。[[大阪高等検察庁|大阪高検]]は同決定を不服として最高裁への特別抗告・大阪高裁への異議申し立てを行った<ref>{{Cite news|url=https://mainichi.jp/articles/20191220/k00/00m/040/213000c|title=「控訴取り下げ無効」で大阪高検が特別抗告 寝屋川中1殺害|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|date=2019-12-20|author=村松洋|author2=松本紫帆|language=ja|accessdate=2019-12-21|archivedate=2019-12-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191221123643/https://mainichi.jp/articles/20191220/k00/00m/040/213000c}}</ref>。2020年2月25日、最高裁は大阪高検の特別抗告を棄却<ref>{{Cite news|title=大阪・寝屋川中1男女殺害の控訴取り下げ 検察側の特別抗告を棄却 最高裁|newspaper=産経新聞|date=2020-02-27|author=|url=https://www.sankei.com/affairs/news/200227/afr2002270051-n1.html|accessdate=2020-02-27|publisher=産業経済新聞社|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200227150504/https://www.sankei.com/affairs/news/200227/afr2002270051-n1.html|archivedate=2020年2月27日}}</ref>。同年3月16日、大阪高裁第1刑事部は異議審において同高裁第6刑事部の控訴取り下げを無効とする決定を取り消し、審理を同高裁第6刑事部に差し戻した<ref>{{Cite news|title=寝屋川中1殺害 大阪高裁が控訴取り下げ無効決定差し戻し|newspaper=毎日新聞|date=2020-03-17|author=|url=https://mainichi.jp/articles/20200317/k00/00m/040/015000c|accessdate=2020-03-17|publisher=毎日新聞社}}</ref>。<br>深夜に出歩いていた中学1年生の男女2人を殺害して遺体をそれぞれ遺棄したとされる<ref name="寝屋川 死刑確定"/>。<br>公判では男子生徒の殺害に関しては無罪・女子生徒に関しても[[傷害罪|傷害致死罪]]の成立を主張しており<ref name="寝屋川 死刑確定"/>、判決直前には『朝日新聞』記者・畑宗太郎の取材に対し「裁判は第一審では終わらないだろう」と述べていた<ref name="無理でしょ">{{Cite news|title=一審で終結「無理でしょ」 死刑の被告、判決前に語る|url=https://www.asahi.com/articles/ASLDM6VYWLDMPTIL035.html|date=2018-12-19|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|language=ja|author=畑宗太郎|accessdate=2019-05-21|archivedate=2019-05-21|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190521122831/https://www.asahi.com/articles/ASLDM6VYWLDMPTIL035.html}}</ref>。大阪拘置所収監中<ref name="無理でしょ"/>。
2019年12月の大阪高裁第6刑事部の控訴取り下げ無効決定後、月刊誌『[[創 (雑誌)|創]]』編集長の[[篠田博之]]がYに接見し、Yは[[2020年]]2月発売の同誌2020年3月号に獄中手記を寄せた<ref>[https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2020/02/20203.html 2020年3月号 新聞社の徹底研究]月刊「創」のご案内 [[創出版]]</ref>。
2019年12月の大阪高裁第6刑事部の控訴取り下げ無効決定後、月刊誌『[[創 (雑誌)|創]]』編集長の[[篠田博之]]がYに接見し、Yは[[2020年]]2月発売の同誌2020年3月号に獄中手記を寄せた<ref>[https://www.tsukuru.co.jp/gekkan/2020/02/20203.html 2020年3月号 新聞社の徹底研究]月刊「創」のご案内 [[創出版]]</ref>。
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||※[[山口連続殺人放火事件]](H)||2019年7月11日||2013年7月21日||帰郷した[[山口県]][[周南市]]の地元集落に馴染めず、近隣住民とのトラブルが多発していた。<br>近隣住民らへの恨みから5人を殺害・被害者宅を放火した。[[無罪]]を主張。<br>2019年8月1日付の最高裁第一小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により正式に死刑が確定<ref>『[[読売新聞]]』2019年8月4日東京朝刊第二社会面34面「山口5人殺害 死刑確定」</ref>。広島拘置所収監中。
||※[[山口連続殺人放火事件]] (H)||2019年7月11日||2013年7月21日||帰郷した[[山口県]][[周南市]]の地元集落に馴染めず、近隣住民とのトラブルが多発していた。<br>近隣住民らへの恨みから5人を殺害・被害者宅を放火した。[[無罪]]を主張。<br>2019年8月1日付の最高裁第一小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により正式に死刑が確定<ref>『[[読売新聞]]』2019年8月4日東京朝刊第二社会面34面「山口5人殺害 死刑確定」</ref>。広島拘置所収監中。
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||※[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]](堀慶末)||2019年7月19日||1998年6月28日||1998年に当時同僚だった男2人(いずれも無期懲役が確定)と共謀して[[愛知県]][[碧南市]]内でパチンコ店長夫婦2人を殺害し、2006年にはさらにそのうち1人と共謀して高齢女性を襲撃し金品を奪う強盗殺人事件を起こした。<br>本件起訴容疑の2事件を起こした後、2007年に[[闇サイト殺人事件]]に実行犯として関与し逮捕されたがこの時点では夫婦殺害事件・強盗殺人未遂事件については発覚しなかった。<br>闇サイト事件の第一審では2015年に死刑執行された死刑囚と同様に死刑判決を受けるも、控訴審で破棄・[[無期懲役]]に減軽され上告審で確定した。<br>その直後、夫婦殺害事件で当時仕事仲間だった共犯の男2人(闇サイト事件とは無関係)とともに逮捕・起訴され、翌年には強盗殺人未遂事件に関して夫婦殺害事件の共犯の1人とともに再逮捕・[[起訴]]された。<br>本事件の[[裁判]]では一部無罪を主張。本事件の裁判では[[一事不再理]]の原則に抵触するため、闇サイト事件については審理されなかった。<br>上告中の2019年5月に[[インパクト出版会]]より実名で著書『鎮魂歌』(レクイエム)を出版した<ref>{{Harvnb|堀慶末|2019}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/282|title=鎮魂歌 / インパクト出版会(第13回大道寺幸子・赤堀政夫基金死刑囚表現展特別賞受賞作)|accessdate=2019-05-22|author=インパクト出版会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190522112621/http://impact-shuppankai.com/products/detail/282|archivedate=2019-05-22}}</ref>。<br>2019年8月7日付の最高裁第二小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により正式に死刑が確定<ref>『[[中日新聞]]』2019年8月10日朝刊第14版第三社会面27面「碧南夫婦強殺で死刑確定 最高裁 闇サイト事件の堀被告」</ref>。名古屋拘置所収監中。
||※[[碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件]](堀慶末)||2019年7月19日||1998年6月28日||1998年に当時同僚だった男2人(いずれも無期懲役が確定)と共謀して[[愛知県]][[碧南市]]内でパチンコ店長夫婦2人を殺害し、2006年にはさらにそのうち1人と共謀して高齢女性を襲撃し金品を奪う強盗殺人事件を起こした。<br>本件起訴容疑の2事件を起こした後、2007年に[[闇サイト殺人事件]]に実行犯として関与し逮捕されたがこの時点では夫婦殺害事件・強盗殺人未遂事件については発覚しなかった。<br>闇サイト事件の第一審では2015年に死刑執行された死刑囚と同様に死刑判決を受けるも、控訴審で破棄・[[無期懲役]]に減軽され上告審で確定した。<br>その直後、夫婦殺害事件で当時仕事仲間だった共犯の男2人(闇サイト事件とは無関係)とともに逮捕・起訴され、翌年には強盗殺人未遂事件に関して夫婦殺害事件の共犯の1人とともに再逮捕・[[起訴]]された。<br>本事件の[[裁判]]では一部無罪を主張。本事件の裁判では[[一事不再理]]の原則に抵触するため、闇サイト事件については審理されなかった。<br>上告中の2019年5月に[[インパクト出版会]]より実名で著書『鎮魂歌』(レクイエム)を出版した<ref>{{Harvnb|堀慶末|2019}}</ref><ref>{{Cite web|url=http://impact-shuppankai.com/products/detail/282|title=鎮魂歌 / インパクト出版会(第13回大道寺幸子・赤堀政夫基金死刑囚表現展特別賞受賞作)|accessdate=2019-05-22|author=インパクト出版会|language=ja|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190522112621/http://impact-shuppankai.com/products/detail/282|archivedate=2019-05-22}}</ref>。<br>2019年8月7日付の最高裁第二小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により正式に死刑が確定<ref>『[[中日新聞]]』2019年8月10日朝刊第14版第三社会面27面「碧南夫婦強殺で死刑確定 最高裁 闇サイト事件の堀被告」</ref>。名古屋拘置所収監中。
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!style="width:25%"|事件名(死刑囚名)!!style="width:15%"|判決確定日!!style="width:20%"|事件発生日!!style="width:40%"|備考(執行日など)
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|※[[相模原障害者施設殺傷事件]](U)||2020年3月31日||2016年7月26日<ref name="中日新聞2020-03-16"/>||かつて勤務していた[[神奈川県]][[相模原市]]の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、職員を含め26人を負傷させた<ref name="中日新聞2020-03-16"/>。公判では動機について「意思疎通のできない重度障害者は不幸を生む」などと[[障害者差別|障害者への差別発言]]を繰り返していた<ref name="中日新聞2020-03-16"/>。<br>弁護人は公判で「[[大麻精神病|大麻による精神障害]]で心神喪失状態だった」と無罪を主張していたが、[[横浜地方裁判所|横浜地裁]]は完全な責任能力を有していたことを認定し2020年3月16日に死刑判決を言い渡した<ref name="中日新聞2020-03-16">{{Cite news|title=相模原殺傷、死刑 被告の責任能力認める|url=https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2020031602000080.html|newspaper=中日新聞|edition=朝刊一面|date=2020-03-16|language=ja|publisher=中日新聞社|accessdate=2020-03-16|archivedate=2020年3月16日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200316141351/https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2020031602000080.html}}</ref>。<br>その後も控訴しない意向を示していたが、弁護人が3月27日付で[[東京高等裁判所|東京高裁]]に控訴した<ref name="読売新聞2020-03-27">{{Cite news|title=死刑判決後「控訴しない」と語ったU被告、弁護側が控訴|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20200327-OYT1T50231/|newspaper=読売新聞オンライン|date=2020-03-27|language=ja|author=|publisher=読売新聞社|accessdate=2020-03-27|archivedate=2020年3月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200327101330/https://www.yomiuri.co.jp/national/20200327-OYT1T50231/}}</ref>。しかし3月30日に被告人U自身が控訴を取り下げ、控訴期限が切れた2020年3月31日0時([[日本標準時]])をもって死刑が確定した<ref name="相模原 死刑確定">{{Cite news|title=相模原殺傷事件 U被告の死刑が確定|url=https://mainichi.jp/articles/20200331/k00/00m/040/037000c|newspaper=毎日新聞|date=2020-03-31|language=ja|author=中村紬葵|publisher=毎日新聞社|accessdate=2020-03-31|archivedate=2020年3月31日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200331055845/https://mainichi.jp/articles/20200331/k00/00m/040/037000c}}</ref>。<br>死刑確定後の2020年4月7日付で身柄を横浜拘置支所([[横浜刑務所]]に隣接)から[[東京拘置所]]へ移送された<ref>{{Cite news|title=相模原事件・U死刑囚が刑場のある東京拘置所へ移送。最後に本人から届いた手紙は…|newspaper=[[Yahoo!ニュース]]|date=2020-04-08|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200408-00172150/|accessdate=2020-04-09|publisher=[[Yahoo!JAPAN]]|author=[[篠田博之]]|language=ja|archiveurl=https://megalodon.jp/2020-0409-1727-29/https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200408-00172150/|archivedate=2020年4月9日}}</ref>。
|※[[相模原障害者施設殺傷事件]] (U)||2020年3月31日||2016年7月26日<ref name="中日新聞2020-03-16"/>||かつて勤務していた[[神奈川県]][[相模原市]]の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、職員を含め26人を負傷させた<ref name="中日新聞2020-03-16"/>。公判では動機について「意思疎通のできない重度障害者は不幸を生む」などと[[障害者差別|障害者への差別発言]]を繰り返していた<ref name="中日新聞2020-03-16"/>。<br>弁護人は公判で「[[大麻精神病|大麻による精神障害]]で心神喪失状態だった」と無罪を主張していたが、[[横浜地方裁判所|横浜地裁]]は完全な責任能力を有していたことを認定し2020年3月16日に死刑判決を言い渡した<ref name="中日新聞2020-03-16">{{Cite news|title=相模原殺傷、死刑 被告の責任能力認める|url=https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2020031602000080.html|newspaper=中日新聞|edition=朝刊一面|date=2020-03-16|language=ja|publisher=中日新聞社|accessdate=2020-03-16|archivedate=2020年3月16日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200316141351/https://www.chunichi.co.jp/article/front/list/CK2020031602000080.html}}</ref>。<br>その後も控訴しない意向を示していたが、弁護人が3月27日付で[[東京高等裁判所|東京高裁]]に控訴した<ref name="読売新聞2020-03-27">{{Cite news|title=死刑判決後「控訴しない」と語ったU被告、弁護側が控訴|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20200327-OYT1T50231/|newspaper=読売新聞オンライン|date=2020-03-27|language=ja|author=|publisher=読売新聞社|accessdate=2020-03-27|archivedate=2020年3月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200327101330/https://www.yomiuri.co.jp/national/20200327-OYT1T50231/}}</ref>。しかし3月30日に被告人U自身が控訴を取り下げ、控訴期限が切れた2020年3月31日0時([[日本標準時]])をもって死刑が確定した<ref name="相模原 死刑確定">{{Cite news|title=相模原殺傷事件 U被告の死刑が確定|url=https://mainichi.jp/articles/20200331/k00/00m/040/037000c|newspaper=毎日新聞|date=2020-03-31|language=ja|author=中村紬葵|publisher=毎日新聞社|accessdate=2020-03-31|archivedate=2020年3月31日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200331055845/https://mainichi.jp/articles/20200331/k00/00m/040/037000c}}</ref>。<br>死刑確定後の2020年4月7日付で身柄を横浜拘置支所([[横浜刑務所]]に隣接)から[[東京拘置所]]へ移送された<ref>{{Cite news|title=相模原事件・U死刑囚が刑場のある東京拘置所へ移送。最後に本人から届いた手紙は…|newspaper=[[Yahoo!ニュース]]|date=2020-04-08|url=https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200408-00172150/|accessdate=2020-04-09|publisher=[[Yahoo!JAPAN]]|author=[[篠田博之]]|language=ja|archiveurl=https://megalodon.jp/2020-0409-1727-29/https://news.yahoo.co.jp/byline/shinodahiroyuki/20200408-00172150/|archivedate=2020年4月9日}}</ref>。
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!style="width:3%"|事件名(被告人名)!!style="width:3%"|第一審判決日・<br>裁判所名!!style="width:3%"|控訴審判決日・<br>裁判所名!!style="width:2.5%"|上告審日程!!style="width:3%"|事件発生日!!style="width:2%"|収監先!!style="width:15%"|備考
!style="width:3%"|事件名(被告人名)!!style="width:3%"|第一審判決日・<br>裁判所名!!style="width:3%"|控訴審判決日・<br>裁判所名!!style="width:2.5%"|上告審日程!!style="width:3%"|事件発生日!!style="width:2%"|収監先!!style="width:15%"|備考
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|※前橋市連続強盗殺傷事件(T)||2016年7月20日<br>[[前橋地方裁判所|前橋地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|title=前橋連続強盗殺人、男に死刑判決「強固な殺意で執拗かつ残虐に殺害」|url=https://www.sankei.com/affairs/news/160720/afr1607200020-n1.html|date=2016-07-20|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017141732/https://www.sankei.com/affairs/news/160720/afr1607200020-n1.html}}</ref>||2018年2月14日<br>[[東京高等裁判所|東京高裁]]・被告人側控訴棄却<ref>{{Cite news|title=前橋連続殺人 二審も死刑 東京高裁判決「回避する事情ない」|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018021402000264.html|date=2018-02-14|newspaper=[[東京新聞]]|editon=夕刊|publisher=[[中日新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017141726/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018021402000264.html}}</ref>||最高裁上告中||2014年11月10日・11月16日||東京拘置所||[[携帯電話]]の[[ソーシャルゲーム]]への課金のための浪費が原因で[[消費者金融]]に約120万円の借金があり、携帯電話・電気・ガスを料金滞納で止められていた。<br>[[群馬県]][[前橋市]]内で高齢者を次々と襲い2人を殺害、1人に重傷を負わせた。<br>翌2015年2月5日までに[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]容疑などで逮捕された。<br>2020年4月14日に最高裁第三小法廷([[林道晴]]裁判長)にて上告審・口頭弁論が予定されていたが<ref>{{Cite news|title=前橋・強殺、最高裁4月弁論|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14346252.html|date=2020-01-30|newspaper=朝日新聞デジタル|editon=|publisher=朝日新聞社|language=ja|author=|accessdate=2020-03-27|archivedate=2020年3月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200323130907/https://www.asahi.com/articles/DA3S14346252.html}}</ref>、[[2019新型コロナウイルス|新型コロナウイルス]]の[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|大流行]]により緊急事態宣言が発令されたことを受け2020年4月7日付で弁論期日が取り消された<ref>{{Cite news|title=最高裁、5月6日までの民事・刑事裁判計6件の期日取り消し|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20200408-OYT1T50216/|date=2020-04-08|newspaper=読売新聞オンライン|editon=|publisher=読売新聞社|language=ja|author=|accessdate=2020-04-11|archivedate=2020年4月11日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200411120427/https://www.yomiuri.co.jp/national/20200408-OYT1T50216/}}</ref>。
|※前橋市連続強盗殺傷事件 (T)||2016年7月20日<br>[[前橋地方裁判所|前橋地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|title=前橋連続強盗殺人、男に死刑判決「強固な殺意で執拗かつ残虐に殺害」|url=https://www.sankei.com/affairs/news/160720/afr1607200020-n1.html|date=2016-07-20|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017141732/https://www.sankei.com/affairs/news/160720/afr1607200020-n1.html}}</ref>||2018年2月14日<br>[[東京高等裁判所|東京高裁]]・被告人側控訴棄却<ref>{{Cite news|title=前橋連続殺人 二審も死刑 東京高裁判決「回避する事情ない」|url=http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018021402000264.html|date=2018-02-14|newspaper=[[東京新聞]]|editon=夕刊|publisher=[[中日新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017141726/http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201802/CK2018021402000264.html}}</ref>||最高裁上告中||2014年11月10日・11月16日||東京拘置所||[[携帯電話]]の[[ソーシャルゲーム]]への課金のための浪費が原因で[[消費者金融]]に約120万円の借金があり、携帯電話・電気・ガスを料金滞納で止められていた。<br>[[群馬県]][[前橋市]]内で高齢者を次々と襲い2人を殺害、1人に重傷を負わせた。<br>翌2015年2月5日までに[[強盗致死傷罪|強盗殺人]]容疑などで逮捕された。<br>2020年4月14日に最高裁第三小法廷([[林道晴]]裁判長)にて上告審・口頭弁論が予定されていたが<ref>{{Cite news|title=前橋・強殺、最高裁4月弁論|url=https://www.asahi.com/articles/DA3S14346252.html|date=2020-01-30|newspaper=朝日新聞デジタル|editon=|publisher=朝日新聞社|language=ja|author=|accessdate=2020-03-27|archivedate=2020年3月27日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200323130907/https://www.asahi.com/articles/DA3S14346252.html}}</ref>、[[2019新型コロナウイルス|新型コロナウイルス]]の[[日本における2019年コロナウイルス感染症の流行状況|大流行]]により緊急事態宣言が発令されたことを受け2020年4月7日付で弁論期日が取り消された<ref>{{Cite news|title=最高裁、5月6日までの民事・刑事裁判計6件の期日取り消し|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20200408-OYT1T50216/|date=2020-04-08|newspaper=読売新聞オンライン|editon=|publisher=読売新聞社|language=ja|author=|accessdate=2020-04-11|archivedate=2020年4月11日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20200411120427/https://www.yomiuri.co.jp/national/20200408-OYT1T50216/}}</ref>。
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|※伊東市干物店強盗殺人事件(H)||2016年11月24日<br>[[静岡地方裁判所|静岡地裁]]沼津支部・死刑判決<ref>{{Cite news|title=干物店強盗殺人:元従業員に死刑判決…静岡地裁支部|url=https://mainichi.jp/articles/20161124/k00/00e/040/219000c|date=2016-01-24|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|language=ja|author=垂水友里香|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730130244/https://mainichi.jp/articles/20161124/k00/00e/040/219000c}}</ref>||2018年7月30日<br>東京高裁・被告人側控訴棄却<ref>{{Cite news|title=静岡2人殺害:2審も死刑 東京高裁、控訴を棄却|url=http://mainichi.jp/articles/20180730/k00/00e/040/256000c|date=2018-07-30|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|language=ja|author=服部陽|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730130125/http://mainichi.jp/articles/20180730/k00/00e/040/256000c}}</ref><ref>{{Cite news|title=干物店強盗殺人で2審も死刑判決|url=http://mainichi.jp/articles/20180730/k00/00e/040/256000c|date=2018-07-30|newspaper=NHK静岡 NEWS WEB|publisher=日本放送協会|language=ja|author=|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730141505/http://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/3033837981.html}}</ref><ref name="静岡新聞2018-07-31">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/521956.html|title=伊東・干物店強殺、二審も死刑 東京高裁、元従業員の控訴棄却|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-07-31|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221082037/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/521956.html}}</ref>||最高裁上告中<ref>{{Cite news|title=干物店強殺 2審も死刑判決|url=https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20180730-50046/|date=2018-07-30|newspaper=読売新聞(Niftyニュース掲載)|publisher=読売新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730141710/https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20180730-50046/}}</ref><ref name="静岡新聞2018-08-01">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/522415.html|title=伊東・干物店強殺、被告が上告 控訴審の死刑判決を不服|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-08-01|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080505/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/522415.html}}</ref>||2012年12月18日||東京拘置所||かつて働いていた干物店に押し入って社長女性・常務男性の2人をそれぞれ刃物で突き刺した上に店内に設置されたプレハブ型冷凍庫内に閉じ込め出血性ショックで殺害し、店の売上金・釣り銭など現金約29万円を奪った<ref name="静岡新聞2018-08-01"/>。<br>殺害された社長に「[[解雇]]したことにしてほしい」と迫りトラブルになっていたことがあった。<br>2013年に[[失業保険|失業保険金]]をだまし取ったとして[[詐欺罪|詐欺]]容疑で逮捕され、同年6月3日に有罪判決を受けた翌日に強盗殺人容疑で逮捕された。<br>無罪を主張。弁護人は控訴審で「第三者が現場付近にいた可能性がある」と主張した<ref>{{Cite news|title=静岡の干物店強盗殺人事件 1審死刑から無罪主張 弁護側が「新証拠」提出 犯行時間帯の現場付近に第三者の影(1/3ページ)|url=https://www.sankei.com/affairs/news/171228/afr1712280040-n1.html|date=2017-12-28|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221082438/https://www.sankei.com/affairs/news/171228/afr1712280040-n1.html}}</ref>。
|※伊東市干物店強盗殺人事件 (H)||2016年11月24日<br>[[静岡地方裁判所|静岡地裁]]沼津支部・死刑判決<ref>{{Cite news|title=干物店強盗殺人:元従業員に死刑判決…静岡地裁支部|url=https://mainichi.jp/articles/20161124/k00/00e/040/219000c|date=2016-01-24|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|language=ja|author=垂水友里香|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730130244/https://mainichi.jp/articles/20161124/k00/00e/040/219000c}}</ref>||2018年7月30日<br>東京高裁・被告人側控訴棄却<ref>{{Cite news|title=静岡2人殺害:2審も死刑 東京高裁、控訴を棄却|url=http://mainichi.jp/articles/20180730/k00/00e/040/256000c|date=2018-07-30|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|language=ja|author=服部陽|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730130125/http://mainichi.jp/articles/20180730/k00/00e/040/256000c}}</ref><ref>{{Cite news|title=干物店強盗殺人で2審も死刑判決|url=http://mainichi.jp/articles/20180730/k00/00e/040/256000c|date=2018-07-30|newspaper=NHK静岡 NEWS WEB|publisher=日本放送協会|language=ja|author=|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730141505/http://www3.nhk.or.jp/lnews/shizuoka/3033837981.html}}</ref><ref name="静岡新聞2018-07-31">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/521956.html|title=伊東・干物店強殺、二審も死刑 東京高裁、元従業員の控訴棄却|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-07-31|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221082037/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/521956.html}}</ref>||最高裁上告中<ref>{{Cite news|title=干物店強殺 2審も死刑判決|url=https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20180730-50046/|date=2018-07-30|newspaper=読売新聞(Niftyニュース掲載)|publisher=読売新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-07-30|archivedate=2018-07-30|archiveurl=http://web.archive.org/web/20180730141710/https://news.nifty.com/article/domestic/society/12213-20180730-50046/}}</ref><ref name="静岡新聞2018-08-01">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/522415.html|title=伊東・干物店強殺、被告が上告 控訴審の死刑判決を不服|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-08-01|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080505/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/522415.html}}</ref>||2012年12月18日||東京拘置所||かつて働いていた干物店に押し入って社長女性・常務男性の2人をそれぞれ刃物で突き刺した上に店内に設置されたプレハブ型冷凍庫内に閉じ込め出血性ショックで殺害し、店の売上金・釣り銭など現金約29万円を奪った<ref name="静岡新聞2018-08-01"/>。<br>殺害された社長に「[[解雇]]したことにしてほしい」と迫りトラブルになっていたことがあった。<br>2013年に[[失業保険|失業保険金]]をだまし取ったとして[[詐欺罪|詐欺]]容疑で逮捕され、同年6月3日に有罪判決を受けた翌日に強盗殺人容疑で逮捕された。<br>無罪を主張。弁護人は控訴審で「第三者が現場付近にいた可能性がある」と主張した<ref>{{Cite news|title=静岡の干物店強盗殺人事件 1審死刑から無罪主張 弁護側が「新証拠」提出 犯行時間帯の現場付近に第三者の影(1/3ページ)|url=https://www.sankei.com/affairs/news/171228/afr1712280040-n1.html|date=2017-12-28|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221082438/https://www.sankei.com/affairs/news/171228/afr1712280040-n1.html}}</ref>。
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|※浜名湖連続殺人事件(K)||2018年2月23日<br>[[静岡地方裁判所|静岡地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/region/news/180224/rgn1802240052-n1.html|title=浜名湖殺人に死刑判決 「犯人、合理的に推認」 被告、宣告に顔色変えず|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|date=2018-02-24|accessdate=2018-03-09|archivedate=2018-03-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180309031549/http://www.sankei.com/region/news/180224/rgn1802240052-n1.html}}</ref><ref name="静岡新聞2018-02-23">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461038.html|title=浜名湖連続殺人「死刑」 静岡地裁、起訴内容いずれも認定|newspaper=[[静岡新聞]]アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-02-23|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080636/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461038.html}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461290.html|title=死刑判決「生命軽視の態度著しい」 浜名湖連続殺人で被告指弾|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-02-24|accessdate=2018-03-09|archivedate=2018-03-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180309031552/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461290.html}}</ref>||2019年3月15日<br>東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)<ref>『静岡新聞』2019年3月16日朝刊1面「浜名湖連続殺人 二審も死刑 東京高裁 被告の控訴棄却」</ref><ref>『静岡新聞』2019年3月16日朝刊第一社会面31面「浜名湖殺人再び死刑 事件、動機語らぬまま 被告、微動だにせず 被害者友人『自白して』」</ref><ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人、二審も死刑 東京高裁、被告の控訴棄却|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/611731.html|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2019-03-16|edition=朝刊|author=|language=ja|accessdate=2019-03-20|archivedate=2019-03-20|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190320162304/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/611731.html}}</ref><!--<ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人 K被告が控訴|url=https://www.sankei.com/affairs/news/180310/afr1803100027-n1.html|date=2018-03-10|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017143252/https://www.sankei.com/affairs/news/180310/afr1803100027-n1.html}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/466301.html|title=浜名湖連続殺人 被告が控訴、死刑判決不服|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-03-10|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080511/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/466301.html}}</ref><br>2018年12月19日・控訴審初公判で即日結審<br>2019年3月15日・控訴審判決<ref>{{Cite news|title=浜名湖遺棄、来年3月判決 東京高裁、即日結審|url=https://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/181219/evt18121911570012-n1.html|date=2018-12-19|newspaper=iza|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-12-19|archivedate=2018-12-19|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181219032842/https://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/181219/evt18121911570012-n1.html}}</ref><ref name="静岡新聞2018-12-19"/>-->||最高裁上告中<!--被告人は2019年2月26日付、弁護人も2月28日付で上告--><ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人、被告が上告 控訴審の死刑判決不服|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/616342.html|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2019-03-28|edition=朝刊|author=|language=ja|accessdate=2019-03-30|archivedate=2019-03-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190330135036/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/616342.html}}</ref>||2016年1月29日<br>2016年7月5日||東京拘置所||1月29日ごろに[[静岡県]][[浜松市]][[西区 (浜松市)|西区]]の[[マンション]]で元同僚の無職男性を何らかの方法で殺害し[[キャッシュカード]]・実印などを奪い、遺体を焼損して[[浜名湖]]周辺に遺棄したほか、この被害者男性のマンション所有権などを不正に取得・老齢[[厚生年金]]を詐取するなどした<ref name="静岡新聞2018-02-23"/>。<br>同年7月5日ごろには同県[[磐田市]]のアパートで知人工員男性の右腹部を2回刃物で刺して殺害・遺体を切断し浜名湖周辺に遺棄した<ref name="静岡新聞2018-02-23"/>。<br>公判で被告人K本人は事件関連の質問に対し一貫して[[黙秘権|黙秘]]し<ref name="静岡新聞2018-02-23"/>、[[弁護人]]が無罪を主張した<ref>{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/454586.html|title=被告に死刑求刑、浜名湖連続殺人 静岡地裁公判「悪質性高い」|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2018-02-06|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080645/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/454586.html}}</ref>。<br>控訴中の2018年9月に工員男性の友人宛に「面会して話をしてほしい」旨の手紙を送ったが、同年9月・11月と2回にわたり被害者の友人が事件に関して質問しても沈黙して語らず<ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人事件 控訴審で再び無罪主張|url=http://www.news24.jp/nnn/news1642928.html|date=2018-12-19|newspaper=NNNニュース|publisher=日本ニュースネットワーク|language=ja|author=|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221075914/http://www.news24.jp/nnn/news1642928.html}}</ref>、控訴審初公判前に『[[中日新聞]]』記者・瀬田貴嗣と面会した際も「自分は世間に戻れないから」と述べて事件の核心を語らなかった<ref>{{Cite news|title=浜名湖殺人 二審も死刑|url=https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2019031602000086.html|newspaper=中日新聞|publisher=中日新聞社|date=2019-03-16|edition=朝刊|author=瀬田貴嗣|language=ja|accessdate=2019-03-20|archivedate=2019-03-20|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190320162258/https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2019031602000086.html}}</ref>。控訴審で弁護人は「第一審判決の事実誤認・裁判官の訴訟手続きに関する法令違反」を主張するも具体的な内容は述べず新証拠の提出もなかった<ref name="静岡新聞2018-12-19">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/579560.html|title=浜名湖連続殺人、再び無罪を主張 控訴審、即日結審 3月に判決|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2018-12-19|language=ja|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221075917/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/579560.html}}</ref>。
|※浜名湖連続殺人事件 (K)||2018年2月23日<br>[[静岡地方裁判所|静岡地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|url=http://www.sankei.com/region/news/180224/rgn1802240052-n1.html|title=浜名湖殺人に死刑判決 「犯人、合理的に推認」 被告、宣告に顔色変えず|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|date=2018-02-24|accessdate=2018-03-09|archivedate=2018-03-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180309031549/http://www.sankei.com/region/news/180224/rgn1802240052-n1.html}}</ref><ref name="静岡新聞2018-02-23">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461038.html|title=浜名湖連続殺人「死刑」 静岡地裁、起訴内容いずれも認定|newspaper=[[静岡新聞]]アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-02-23|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080636/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461038.html}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461290.html|title=死刑判決「生命軽視の態度著しい」 浜名湖連続殺人で被告指弾|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-02-24|accessdate=2018-03-09|archivedate=2018-03-09|archiveurl=https://web.archive.org/web/20180309031552/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/461290.html}}</ref>||2019年3月15日<br>東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)<ref>『静岡新聞』2019年3月16日朝刊1面「浜名湖連続殺人 二審も死刑 東京高裁 被告の控訴棄却」</ref><ref>『静岡新聞』2019年3月16日朝刊第一社会面31面「浜名湖殺人再び死刑 事件、動機語らぬまま 被告、微動だにせず 被害者友人『自白して』」</ref><ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人、二審も死刑 東京高裁、被告の控訴棄却|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/611731.html|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2019-03-16|edition=朝刊|author=|language=ja|accessdate=2019-03-20|archivedate=2019-03-20|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190320162304/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/611731.html}}</ref><!--<ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人 K被告が控訴|url=https://www.sankei.com/affairs/news/180310/afr1803100027-n1.html|date=2018-03-10|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017143252/https://www.sankei.com/affairs/news/180310/afr1803100027-n1.html}}</ref><ref>{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/466301.html|title=浜名湖連続殺人 被告が控訴、死刑判決不服|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|language=ja|date=2018-03-10|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080511/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/466301.html}}</ref><br>2018年12月19日・控訴審初公判で即日結審<br>2019年3月15日・控訴審判決<ref>{{Cite news|title=浜名湖遺棄、来年3月判決 東京高裁、即日結審|url=https://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/181219/evt18121911570012-n1.html|date=2018-12-19|newspaper=iza|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2018-12-19|archivedate=2018-12-19|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181219032842/https://www.iza.ne.jp/kiji/events/news/181219/evt18121911570012-n1.html}}</ref><ref name="静岡新聞2018-12-19"/>-->||最高裁上告中<!--被告人は2019年2月26日付、弁護人も2月28日付で上告--><ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人、被告が上告 控訴審の死刑判決不服|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/616342.html|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2019-03-28|edition=朝刊|author=|language=ja|accessdate=2019-03-30|archivedate=2019-03-30|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190330135036/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/616342.html}}</ref>||2016年1月29日<br>2016年7月5日||東京拘置所||1月29日ごろに[[静岡県]][[浜松市]][[西区 (浜松市)|西区]]の[[マンション]]で元同僚の無職男性を何らかの方法で殺害し[[キャッシュカード]]・実印などを奪い、遺体を焼損して[[浜名湖]]周辺に遺棄したほか、この被害者男性のマンション所有権などを不正に取得・老齢[[厚生年金]]を詐取するなどした<ref name="静岡新聞2018-02-23"/>。<br>同年7月5日ごろには同県[[磐田市]]のアパートで知人工員男性の右腹部を2回刃物で刺して殺害・遺体を切断し浜名湖周辺に遺棄した<ref name="静岡新聞2018-02-23"/>。<br>公判で被告人K本人は事件関連の質問に対し一貫して[[黙秘権|黙秘]]し<ref name="静岡新聞2018-02-23"/>、[[弁護人]]が無罪を主張した<ref>{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/454586.html|title=被告に死刑求刑、浜名湖連続殺人 静岡地裁公判「悪質性高い」|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2018-02-06|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221080645/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/454586.html}}</ref>。<br>控訴中の2018年9月に工員男性の友人宛に「面会して話をしてほしい」旨の手紙を送ったが、同年9月・11月と2回にわたり被害者の友人が事件に関して質問しても沈黙して語らず<ref>{{Cite news|title=浜名湖連続殺人事件 控訴審で再び無罪主張|url=http://www.news24.jp/nnn/news1642928.html|date=2018-12-19|newspaper=NNNニュース|publisher=日本ニュースネットワーク|language=ja|author=|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221075914/http://www.news24.jp/nnn/news1642928.html}}</ref>、控訴審初公判前に『[[中日新聞]]』記者・瀬田貴嗣と面会した際も「自分は世間に戻れないから」と述べて事件の核心を語らなかった<ref>{{Cite news|title=浜名湖殺人 二審も死刑|url=https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2019031602000086.html|newspaper=中日新聞|publisher=中日新聞社|date=2019-03-16|edition=朝刊|author=瀬田貴嗣|language=ja|accessdate=2019-03-20|archivedate=2019-03-20|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190320162258/https://www.chunichi.co.jp/article/shizuoka/tokai-news/CK2019031602000086.html}}</ref>。控訴審で弁護人は「第一審判決の事実誤認・裁判官の訴訟手続きに関する法令違反」を主張するも具体的な内容は述べず新証拠の提出もなかった<ref name="静岡新聞2018-12-19">{{Cite news|url=http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/579560.html|title=浜名湖連続殺人、再び無罪を主張 控訴審、即日結審 3月に判決|newspaper=静岡新聞アットエス|publisher=静岡新聞社|date=2018-12-19|language=ja|accessdate=2018-12-21|archivedate=2018-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20181221075917/http://www.at-s.com/news/article/social/shizuoka/579560.html}}</ref>。
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|※[[関西青酸連続死事件]](K)||2017年11月7日<br>[[京都地方裁判所|京都地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|title=【連続青酸死公判】K被告に死刑判決 「金銭欲のための犯行で悪質」と4件全て認定、「認知症考慮しても死刑回避すべき事情ない」 京都地裁(1/2ページ)|url=https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n1.html|date=2017-11-07|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142244/https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n1.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=【連続青酸死公判】K被告に死刑判決 「金銭欲のための犯行で悪質」と4件全て認定、「認知症考慮しても死刑回避すべき事情ない」 京都地裁(2/2ページ)|url=https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n2.html|date=2017-11-07|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142254/https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n2.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=青酸連続殺人:K被告に死刑判決 京都地裁|url=https://mainichi.jp/articles/20171107/k00/00e/040/221000c|date=2017-11-07|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author=飼手勇介|author2=野口由紀|author3=大東祐紀|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142237/https://mainichi.jp/articles/20171107/k00/00e/040/221000c}}</ref>||2019年5月24日<br>大阪高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)<ref name="日本経済新聞2019-05-24">{{Cite news|title=青酸連続殺人、K被告に二審も死刑 大阪高裁|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2019-05-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45209190U9A520C1AC1000/|language=ja|accessdate=2019-05-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190524073653/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45209190U9A520C1AC1000/|archivedate=2019-05-24}}</ref><!--控訴中・大阪高裁<br>2019年3月1日・控訴審初公判で即日結審<br>2019年5月24日・控訴審判決<ref>{{Cite news|title=連続青酸事件控訴審が即日結審、弁護側請求の証拠採用せず|url=https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190301000085|newspaper=京都新聞|publisher=京都新聞社|date=2019-03-01|author=|language=ja|accessdate=2019-03-01|archivedate=2019-03-01|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190301160748/https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190301000085}}</ref>-->||最高裁上告中<ref name="日本経済新聞2019-05-24"/>||2007年12月18日<br>2012年3月9日<br>2013年9月20日・12月28日||大阪拘置所||京都大阪兵庫の3府県で[[結婚相談所]]で知り合った夫や内縁関係の男性ら4人の遺産を取得しようと、[[青酸化合物]]を飲ませ殺害した(うち1人は街中で突然倒れて入院、1年半後に転院先で死亡)。<br>2014年11月19日に夫の殺害容疑で初逮捕、のちに3件の[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]と1件の強盗殺人未遂罪に問われた。<br>他に4人の男性の突然死事件については立件・追送検されたが、いずれも嫌疑不十分で不起訴となった。<br>「[[認知症]]の影響で[[責任能力]]などがない」として無罪を主張。
|※[[関西青酸連続死事件]] (K)||2017年11月7日<br>[[京都地方裁判所|京都地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|title=【連続青酸死公判】K被告に死刑判決 「金銭欲のための犯行で悪質」と4件全て認定、「認知症考慮しても死刑回避すべき事情ない」 京都地裁(1/2ページ)|url=https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n1.html|date=2017-11-07|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142244/https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n1.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=【連続青酸死公判】K被告に死刑判決 「金銭欲のための犯行で悪質」と4件全て認定、「認知症考慮しても死刑回避すべき事情ない」 京都地裁(2/2ページ)|url=https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n2.html|date=2017-11-07|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142254/https://www.sankei.com/west/news/171107/wst1711070039-n2.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=青酸連続殺人:K被告に死刑判決 京都地裁|url=https://mainichi.jp/articles/20171107/k00/00e/040/221000c|date=2017-11-07|newspaper=毎日新聞|publisher=毎日新聞社|author=飼手勇介|author2=野口由紀|author3=大東祐紀|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142237/https://mainichi.jp/articles/20171107/k00/00e/040/221000c}}</ref>||2019年5月24日<br>大阪高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)<ref name="日本経済新聞2019-05-24">{{Cite news|title=青酸連続殺人、K被告に二審も死刑 大阪高裁|newspaper=[[日本経済新聞]]|date=2019-05-24|url=https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45209190U9A520C1AC1000/|language=ja|accessdate=2019-05-24|archiveurl=https://web.archive.org/web/20190524073653/https://www.nikkei.com/article/DGXMZO45209190U9A520C1AC1000/|archivedate=2019-05-24}}</ref><!--控訴中・大阪高裁<br>2019年3月1日・控訴審初公判で即日結審<br>2019年5月24日・控訴審判決<ref>{{Cite news|title=連続青酸事件控訴審が即日結審、弁護側請求の証拠採用せず|url=https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190301000085|newspaper=京都新聞|publisher=京都新聞社|date=2019-03-01|author=|language=ja|accessdate=2019-03-01|archivedate=2019-03-01|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190301160748/https://www.kyoto-np.co.jp/top/article/20190301000085}}</ref>-->||最高裁上告中<ref name="日本経済新聞2019-05-24"/>||2007年12月18日<br>2012年3月9日<br>2013年9月20日・12月28日||大阪拘置所||京都大阪兵庫の3府県で[[結婚相談所]]で知り合った夫や内縁関係の男性ら4人の遺産を取得しようと、[[青酸化合物]]を飲ませ殺害した(うち1人は街中で突然倒れて入院、1年半後に転院先で死亡)。<br>2014年11月19日に夫の殺害容疑で初逮捕、のちに3件の[[殺人罪 (日本)|殺人罪]]と1件の強盗殺人未遂罪に問われた。<br>他に4人の男性の突然死事件については立件・追送検されたが、いずれも嫌疑不十分で不起訴となった。<br>「[[認知症]]の影響で[[責任能力]]などがない」として無罪を主張。
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|※マニラ連続保険金殺人事件(I)||2017年8月25日<br>[[甲府地方裁判所|甲府地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|title=マニラ保険金殺人の43歳男に死刑 甲府地裁判決|url=https://www.sankei.com/world/news/170825/wor1708250027-n1.html|date=2017-08-25|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142824/https://www.sankei.com/world/news/170825/wor1708250027-n1.html}}</ref>||2019年12月17日<br>東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASMDK56RPMDKUTIL03D.html|title=マニラ保険金殺人事件、「首謀者」二審も死刑 東京高裁|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|date=2019-12-17|author=阿部峻介|language=ja|accessdate=2019-12-21|archivedate=2019-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20191221130024/https://www.asahi.com/articles/ASMDK56RPMDKUTIL03D.html}}</ref>||最高裁上告中<ref>{{Cite news|url=http://www.uty.co.jp/news/20191219/6747/|title=マニラ連続保険金殺人事件 2審も死刑判決の被告 最高裁へ上告|newspaper=UTYニュース|publisher=UTYテレビ山梨(JNN系列)|date=2019-12-17|author=|language=ja|accessdate=2019-12-21|archivedate=2019-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20191221130757/http://www.uty.co.jp/news/20191219/6747/}}</ref>||2014年10月19日<br>2015年8月31日 - 9月1日||東京拘置所||高校の同級生だった男ら4人と共謀し、2件の連続保険金殺人事件を起こした主犯格とされる。<br>2014年10月19日、整骨院院長の男性(共犯の女の夫)の死亡保険金を詐取しようと、男性を[[フィリピン]]・[[マニラ]]市内に誘い出して殺害した。<br>その後、仲違いした共犯者の1人である男に約5000万円の海外旅行保険をかけ、2015年8月31日にマニラ市内で殺害した。<br>その後、準主犯格だった男の自供により事件が発覚、逮捕・起訴された。<br>無罪を主張。<br>共犯者らは、準主犯格の無期懲役(求刑同)、整骨院院長殺害の実行犯を手配した男の懲役15年(求刑同)、整骨院院長殺害をほう助した整骨院院長の元妻である女の懲役6年(求刑懲役7年)の判決が確定した。<br>本事件で殺害された共犯者の1人は[[被疑者|容疑者]]死亡で[[不起訴処分]]となった。<br>殺害実行犯とされる[[フィリピン人]]の男は2017年1月13日、フィリピン警察当局に逮捕されたが、[[捜査]]段階でも[[山梨県警察|山梨県警]]・[[甲府地方検察庁|甲府地検]]にも存在こそ把握されていたものの、[[日本の警察]]権はフィリピンに及ばないことから逮捕されず、日本とフィリピンの間には[[犯罪人引き渡し条約]]が結ばれていないことから、日本で刑事裁判を受ける可能性はまずない。<br>2019年3月15日にはフィリピン警察当局がマニラ市内在住・[[広島県]]出身の日本人の男を「被告人Iら犯行グループに実行犯の男を紹介した」として殺人容疑で逮捕した<ref name="山梨テレビ2019-03-15">{{Cite news|title=5年前のフィリピン保険金殺人で日本人の男を逮捕|url=http://www.uty.co.jp/news/20190315/5537/|newspaper=|publisher=テレビ山梨(JNN系列)|date=2019-03-15|language=ja|accessdate=2019-03-26|archivedate=2019-03-26|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190326151207/http://www.uty.co.jp/news/20190315/5537/}}</ref>。
|※マニラ連続保険金殺人事件 (I)||2017年8月25日<br>[[甲府地方裁判所|甲府地裁]]・死刑判決<ref>{{Cite news|title=マニラ保険金殺人の43歳男に死刑 甲府地裁判決|url=https://www.sankei.com/world/news/170825/wor1708250027-n1.html|date=2017-08-25|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|author=|language=ja|accessdate=2018-10-17|archivedate=2018-10-17|archiveurl=https://web.archive.org/web/20181017142824/https://www.sankei.com/world/news/170825/wor1708250027-n1.html}}</ref>||2019年12月17日<br>東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)<ref>{{Cite news|url=https://www.asahi.com/articles/ASMDK56RPMDKUTIL03D.html|title=マニラ保険金殺人事件、「首謀者」二審も死刑 東京高裁|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|date=2019-12-17|author=阿部峻介|language=ja|accessdate=2019-12-21|archivedate=2019-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20191221130024/https://www.asahi.com/articles/ASMDK56RPMDKUTIL03D.html}}</ref>||最高裁上告中<ref>{{Cite news|url=http://www.uty.co.jp/news/20191219/6747/|title=マニラ連続保険金殺人事件 2審も死刑判決の被告 最高裁へ上告|newspaper=UTYニュース|publisher=UTYテレビ山梨(JNN系列)|date=2019-12-17|author=|language=ja|accessdate=2019-12-21|archivedate=2019-12-21|archiveurl=http://web.archive.org/web/20191221130757/http://www.uty.co.jp/news/20191219/6747/}}</ref>||2014年10月19日<br>2015年8月31日 - 9月1日||東京拘置所||高校の同級生だった男ら4人と共謀し、2件の連続保険金殺人事件を起こした主犯格とされる。<br>2014年10月19日、整骨院院長の男性(共犯の女の夫)の死亡保険金を詐取しようと、男性を[[フィリピン]]・[[マニラ]]市内に誘い出して殺害した。<br>その後、仲違いした共犯者の1人である男に約5000万円の海外旅行保険をかけ、2015年8月31日にマニラ市内で殺害した。<br>その後、準主犯格だった男の自供により事件が発覚、逮捕・起訴された。<br>無罪を主張。<br>共犯者らは、準主犯格の無期懲役(求刑同)、整骨院院長殺害の実行犯を手配した男の懲役15年(求刑同)、整骨院院長殺害をほう助した整骨院院長の元妻である女の懲役6年(求刑懲役7年)の判決が確定した。<br>本事件で殺害された共犯者の1人は[[被疑者|容疑者]]死亡で[[不起訴処分]]となった。<br>殺害実行犯とされる[[フィリピン人]]の男は2017年1月13日、フィリピン警察当局に逮捕されたが、[[捜査]]段階でも[[山梨県警察|山梨県警]]・[[甲府地方検察庁|甲府地検]]にも存在こそ把握されていたものの、[[日本の警察]]権はフィリピンに及ばないことから逮捕されず、日本とフィリピンの間には[[犯罪人引き渡し条約]]が結ばれていないことから、日本で刑事裁判を受ける可能性はまずない。<br>2019年3月15日にはフィリピン警察当局がマニラ市内在住・[[広島県]]出身の日本人の男を「被告人Iら犯行グループに実行犯の男を紹介した」として殺人容疑で逮捕した<ref name="山梨テレビ2019-03-15">{{Cite news|title=5年前のフィリピン保険金殺人で日本人の男を逮捕|url=http://www.uty.co.jp/news/20190315/5537/|newspaper=|publisher=テレビ山梨(JNN系列)|date=2019-03-15|language=ja|accessdate=2019-03-26|archivedate=2019-03-26|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190326151207/http://www.uty.co.jp/news/20190315/5537/}}</ref>。
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!style="width:3%"|事件名(被告人名)!!style="width:2.5%"|第一審判決日・<br>裁判所名!!style="width:2.5%"|控訴審日程・<br>裁判所名!!style="width:2.5%"|事件発生日!!style="width:2%"|収監先!!style="width:15%"|備考
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|※[[川崎老人ホーム連続殺人事件]](I)||2018年3月22日<br>[[横浜地方裁判所|横浜地裁]]・死刑判決||控訴中・東京高裁||2014年11月4日<br>2014年12月9日<br>2014年12月31日||東京拘置所||職員として働いていた[[川崎市]]の[[有料老人ホーム]]の入居者3人を相次いで転落死させた。<br>入所者の財布を盗んで[[窃盗罪]]の有罪判決を受けた後に本事件が発覚。<br>「[[健忘|健忘症]]により事件当時の記憶がない」として無罪を主張。
|※[[川崎老人ホーム連続殺人事件]] (I)||2018年3月22日<br>[[横浜地方裁判所|横浜地裁]]・死刑判決||控訴中・[[東京高判所|東京高裁]]||2014年11月4日<br>2014年12月9日<br>2014年12月31日||東京拘置所||職員として働いていた[[川崎市]]の[[有料老人ホーム]]の入居者3人を相次いで転落死させた。<br>入所者の財布を盗んで[[窃盗罪]]の有罪判決を受けた後に本事件が発覚。<br>「[[健忘|健忘症]]により事件当時の記憶がない」として無罪を主張。
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|※姫路市3人連続監禁殺人・致死事件(U)||2019年3月15日<br>[[神戸地方裁判所|神戸地裁]]姫路支部・死刑判決<ref>{{Cite news|title=会社社長ら3人殺害などで死刑|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20190315/2020003341.html|date=2019-03-15|newspaper=[[NHK神戸放送局]]ニュース|publisher=[[日本放送協会]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318114427/https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20190315/2020003341.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=会社社長ら3人殺害の罪で死刑|url=https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190315/0013525.html|date=2019-03-15|newspaper=NHK関西ニュース|publisher=日本放送協会|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318115520/https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190315/0013525.html}}</ref>||控訴中・大阪高裁||2010年4月・6月<ref name="読売新聞2019-03-15"/><br>2011年2月<ref name="読売新聞2019-03-15"/>||||[[兵庫県]][[姫路市]]内で2010年4月に元暴力団組員(当時57歳)を監禁させて死なせた傷害致死罪1件・同年6月に元広告会社社長(当時50歳)を拳銃で射殺したほか2011年2月に前述とは別の元暴力団組員(当時37歳)を窒息させて殺害した殺人罪2件などの罪に問われており<ref name="読売新聞2019-03-15">{{Cite news|title=3人殺害・致死 死刑…神戸地裁支部判決 「結果は重大」|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20190316-OYT1T50165/|date=2019-03-16|newspaper=[[YOMIURI ONLINE]]|publisher=[[読売新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318120152/https://www.yomiuri.co.jp/national/20190316-OYT1T50165/}}</ref>、神戸地検姫路支部側は「首謀者からの報酬を目当てに一連の事件で犯行に及んだ実行犯」と主張している<ref>{{Cite news|title=男性3人殺害、実行役に死刑判決 地裁姫路支部|url=https://www.sankei.com/west/news/190315/wst1903150051-n1.html|date=2019-03-15|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318121444/https://www.sankei.com/west/news/190315/wst1903150051-n1.html}}</ref>。無罪を主張。<br>神戸地検姫路支部は被告人Uとは別に韓国籍(在日韓国人)・パチンコ経営者の男(無罪を主張)を主犯格としてこの被告人に対しても「被告人Uらを利用して犯行を主導した」と死刑を求刑したが、神戸地裁姫路支部は2018年11月8日に「3件のうち元社長に対する殺人罪1件は無罪」と判断した上で無期懲役を言い渡し<ref name="産経新聞2018-11-08">{{Cite news|title=過去最長の裁判員裁判、判決は無期懲役 神戸地裁姫路支部(1/2ページ|url=https://www.sankei.com/west/news/181108/wst1811080038-n1.html|date=2018-11-08|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318121550/https://www.sankei.com/west/news/181108/wst1811080038-n1.html}}</ref>、検察・被告人側の双方が控訴している<ref name="朝日新聞2019-03-15"/>。<br>死亡した被害者3人のうち元会社社長・57歳元組員の2人は遺体が発見されておらず<ref name="産経新聞2018-11-08"/>、検察・弁護人双方の主張が対立したほか途中で裁判員3人が交代するなどして審理が長期化し<ref>{{Cite news|title=過去最長207日の裁判員裁判、無期懲役の判決 姫路|url=https://www.asahi.com/articles/ASLBK4R2BLBKPIHB012.html|date=2018-11-08|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318122548/https://www.asahi.com/articles/ASLBK4R2BLBKPIHB012.html}}</ref>、初公判 - 判決までの実審理期間は無期懲役判決を受けた「主犯格」が裁判員裁判として過去最長の207日・死刑判決を受けた被告人Uもそれに次いで2番目の166日といずれも異例の長期審理となった<ref name="朝日新聞2019-03-15">{{Cite news|title=共犯者に主犯より重い死刑判決 3人死亡、地裁姫路支部|url=https://www.asahi.com/articles/ASM3H5JXBM3HPIHB01V.html|date=2019-03-15|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318044602/https://www.asahi.com/articles/ASM3H5JXBM3HPIHB01V.html}}</ref>。
|※姫路市3人連続監禁殺人・致死事件 (U)||2019年3月15日<br>[[神戸地方裁判所|神戸地裁]]姫路支部・死刑判決<ref>{{Cite news|title=会社社長ら3人殺害などで死刑|url=https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20190315/2020003341.html|date=2019-03-15|newspaper=[[NHK神戸放送局]]ニュース|publisher=[[日本放送協会]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318114427/https://www3.nhk.or.jp/lnews/kobe/20190315/2020003341.html}}</ref><ref>{{Cite news|title=会社社長ら3人殺害の罪で死刑|url=https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190315/0013525.html|date=2019-03-15|newspaper=NHK関西ニュース|publisher=日本放送協会|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318115520/https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20190315/0013525.html}}</ref>||控訴中・[[大阪高判所|大阪高裁]]||2010年4月・6月<ref name="読売新聞2019-03-15"/><br>2011年2月<ref name="読売新聞2019-03-15"/>||||[[兵庫県]][[姫路市]]内で2010年4月に元暴力団組員(当時57歳)を監禁させて死なせた傷害致死罪1件・同年6月に元広告会社社長(当時50歳)を拳銃で射殺したほか2011年2月に前述とは別の元暴力団組員(当時37歳)を窒息させて殺害した殺人罪2件などの罪に問われており<ref name="読売新聞2019-03-15">{{Cite news|title=3人殺害・致死 死刑…神戸地裁支部判決 「結果は重大」|url=https://www.yomiuri.co.jp/national/20190316-OYT1T50165/|date=2019-03-16|newspaper=[[YOMIURI ONLINE]]|publisher=[[読売新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318120152/https://www.yomiuri.co.jp/national/20190316-OYT1T50165/}}</ref>、神戸地検姫路支部側は「首謀者からの報酬を目当てに一連の事件で犯行に及んだ実行犯」と主張している<ref>{{Cite news|title=男性3人殺害、実行役に死刑判決 地裁姫路支部|url=https://www.sankei.com/west/news/190315/wst1903150051-n1.html|date=2019-03-15|newspaper=[[産経新聞]]|publisher=[[産業経済新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318121444/https://www.sankei.com/west/news/190315/wst1903150051-n1.html}}</ref>。無罪を主張。<br>神戸地検姫路支部は被告人Uとは別に韓国籍(在日韓国人)・パチンコ経営者の男(無罪を主張)を主犯格としてこの被告人に対しても「被告人Uらを利用して犯行を主導した」と死刑を求刑したが、神戸地裁姫路支部は2018年11月8日に「3件のうち元社長に対する殺人罪1件は無罪」と判断した上で無期懲役を言い渡し<ref name="産経新聞2018-11-08">{{Cite news|title=過去最長の裁判員裁判、判決は無期懲役 神戸地裁姫路支部(1/2ページ)|url=https://www.sankei.com/west/news/181108/wst1811080038-n1.html|date=2018-11-08|newspaper=産経新聞|publisher=産業経済新聞社|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318121550/https://www.sankei.com/west/news/181108/wst1811080038-n1.html}}</ref>、検察・被告人側の双方が控訴している<ref name="朝日新聞2019-03-15"/>。<br>死亡した被害者3人のうち元会社社長・57歳元組員の2人は遺体が発見されておらず<ref name="産経新聞2018-11-08"/>、検察・弁護人双方の主張が対立したほか途中で裁判員3人が交代するなどして審理が長期化し<ref>{{Cite news|title=過去最長207日の裁判員裁判、無期懲役の判決 姫路|url=https://www.asahi.com/articles/ASLBK4R2BLBKPIHB012.html|date=2018-11-08|newspaper=[[朝日新聞デジタル]]|publisher=[[朝日新聞社]]|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318122548/https://www.asahi.com/articles/ASLBK4R2BLBKPIHB012.html}}</ref>、初公判 - 判決までの実審理期間は無期懲役判決を受けた「主犯格」が裁判員裁判として過去最長の207日・死刑判決を受けた被告人Uもそれに次いで2番目の166日といずれも異例の長期審理となった<ref name="朝日新聞2019-03-15">{{Cite news|title=共犯者に主犯より重い死刑判決 3人死亡、地裁姫路支部|url=https://www.asahi.com/articles/ASM3H5JXBM3HPIHB01V.html|date=2019-03-15|newspaper=朝日新聞デジタル|publisher=朝日新聞社|language=ja|author=|accessdate=2019-03-18|archivedate=2019-03-18|archiveurl=http://web.archive.org/web/20190318044602/https://www.asahi.com/articles/ASM3H5JXBM3HPIHB01V.html}}</ref>。
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|※福岡県小郡市母子3人殺害事件(N)<ref name="西日本新聞2019-12-14">{{Cite news|title=小郡妻子殺害 元警官に死刑 福岡地裁判決、無罪主張退ける|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568102/|date=2019-12-14|newspaper=[[西日本新聞]]|publisher=[[西日本新聞社]]|language=ja||edition=朝刊1面|author=鶴善行|accessdate=2019-12-28|archivedate=2019年12月28日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191228115509/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568102/}}</ref>||2019年12月13日<br>[[福岡地方裁判所|福岡地裁]]・死刑判決<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>||控訴中・[[福岡高等裁判所|福岡高裁]]<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>||2017年6月5日深夜 - 6日未明<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>||||福岡県警の元巡査部長(事件後に懲戒免職)<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>。[[福岡県]][[小郡市]]の自宅で妻と小学4年生の長男・小学1年生の長女を絞殺した殺人罪に問われている<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>。<br>警察官が在職中に起こした事件で死刑判決を受けた異例の事件<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>。無罪を主張<ref>{{Cite news|title=「現職警察官の衝撃的事件」 小郡妻子殺害、夫に死刑判決|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568049/|date=2019-12-14|newspaper=西日本新聞|publisher=西日本新聞社|language=ja|edition=朝刊社会面|author=古川大二|author2=小川勝也|author3=木村知寛|author4=西村百合恵|accessdate=2019-12-28|archivedate=2019年12月28日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191228115436/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568049/}}</ref>。
|※福岡県小郡市母子3人殺害事件 (N)<ref name="西日本新聞2019-12-14">{{Cite news|title=小郡妻子殺害 元警官に死刑 福岡地裁判決、無罪主張退ける|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568102/|date=2019-12-14|newspaper=[[西日本新聞]]|publisher=[[西日本新聞社]]|language=ja||edition=朝刊1面|author=鶴善行|accessdate=2019-12-28|archivedate=2019年12月28日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191228115509/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568102/}}</ref>||2019年12月13日<br>[[福岡地方裁判所|福岡地裁]]・死刑判決<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>||控訴中・[[福岡高等裁判所|福岡高裁]]<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>||2017年6月5日深夜 - 6日未明<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>||||福岡県警の元巡査部長(事件後に懲戒免職)<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>。[[福岡県]][[小郡市]]の自宅で妻と小学4年生の長男・小学1年生の長女を絞殺した殺人罪に問われている<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>。<br>警察官が在職中に起こした事件で死刑判決を受けた異例の事件<ref name="西日本新聞2019-12-14"/>。無罪を主張<ref>{{Cite news|title=「現職警察官の衝撃的事件」 小郡妻子殺害、夫に死刑判決|url=https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568049/|date=2019-12-14|newspaper=西日本新聞|publisher=西日本新聞社|language=ja|edition=朝刊社会面|author=古川大二|author2=小川勝也|author3=木村知寛|author4=西村百合恵|accessdate=2019-12-28|archivedate=2019年12月28日|archiveurl=https://web.archive.org/web/20191228115436/https://www.nishinippon.co.jp/item/n/568049/}}</ref>。
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2020年4月29日 (水) 13:19時点における版

死刑 > 死刑囚 > 日本における死刑囚 > 日本における死刑囚の一覧
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日本における死刑囚の一覧は、日本刑事裁判死刑判決が言い渡された主な死刑囚の確定順による一覧である。下級審で死刑判決を言い渡された後、上訴中に死亡した者については死刑確定囚ではないためここに含めない。

本項では2020年時点で死刑判決を受け上訴中の被告人についても記載する(上訴審で破棄されたり上訴中に死亡した者を除く)。

概要

死刑囚の項目では、未執行死刑囚執行済死刑囚の一覧があるが、この項目は明治維新1870年以降に死刑判決が言い渡された死刑囚の確定順の一覧である。そのため、恩赦無期懲役に減刑されたものや、冤罪が指摘されている死刑囚、再審無罪が確定し冤罪であったとされる元死刑囚も含まれる。なお一覧が膨大であるうえに詳細のわからない事件などがあるため、完全なリストではない。また1945年以前については書籍などによって詳細がある程度判明するものについて記載している。死刑囚の氏名についてはイニシャル表記を原則とするが、死刑囚本人が氏名を明らかにして著作などを発表している場合や、事件名称に死刑囚当人の氏名が付されて通称されている[注 1]場合、その他個別に氏名が広く認知されているなどの理由で実名または筆名表記としているものもある。

有名な事件である場合には具体的な事件名を記述しているが、その他詳細が判明しない場合には事件名は罪状名をもとに便宜上つけたものもあることに留意されたい。

なお「判決確定日」であるが、特記事項がない場合、最高裁ないし下級審の場合には死刑判決が言い渡された判決公判が開かれた年月日が記入されている。地方裁判所の判決を不服として控訴する場合、判決公判から14日とされている(刑事訴訟法第373条)。そのため一審の死刑判決が控訴せずに実際に確定するのは2週間後である。また控訴取下げの場合は、取り下げにより原判決が確定した日である。ただし最高裁判決を「誤りがある」として10日以内に被告人などの当事者が発見した時には、申し出で訂正することができる(刑事訴訟法415条)とあるため、実際に最高裁判決が実際に確定するのは10日後である(刑事訴訟法418条)。ただし現実に最高裁判決が誤りがあるとして死刑判決が訂正されたことはない。

2017年12月19日現在、法務省によると「同日時点で死刑が確定している死刑囚は123人。このうち、同日時点で再審請求しているのは94人」で、同省は「犯行時に少年だった死刑囚の人数については公表を控える」としている[1][2]

1870年代

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
石鐵県死刑囚蘇生事件(田中藤作) 1872年11月 1871年8月15日 放火犯。死刑執行も、不備により蘇生。再度の死刑執行はされず。
紀尾井坂の変島田一郎 1878年7月27日 1878年5月14日 大久保利通殺害犯。同志5人とともに判決確定1時間後に斬首刑に処せられた(30歳没)。
紀尾井坂の変(長連豪 1878年7月27日 1878年5月14日 上記共犯で斬首刑に処された(23歳没)。
紀尾井坂の変(杉本乙菊 1878年7月27日 1878年5月14日 上記共犯で斬首刑に処された(30歳没)。1889年に大赦
紀尾井坂の変(脇田巧一 1878年7月27日 1878年5月14日 上記共犯で斬首刑に処された(29歳没)。1889年に大赦。
紀尾井坂の変(浅井寿篤 1878年7月27日 1878年5月14日 上記共犯で斬首刑に処された(25歳没)。1889年に大赦。
紀尾井坂の変(杉村文一 1878年7月27日 1878年5月14日 上記共犯で斬首刑に処された(18歳没)。1889年に大赦。
東京・浅草蔵前古物商強盗殺人事件(高橋お伝 1879年1月31日 1876年8月23日

1880年代

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
秩父事件田代栄助 1885年2月19日 1884年10月31日-11月9日 政府に対する武装蜂起。1885年5月17日に死刑執行(52歳没)。
秩父事件(加藤織平) 1885年2月19日 1884年10月31日-11月9日 上記共犯として死刑執行(37歳没)。
秩父事件(高岸善吉) 1885年2月19日 1884年10月31日-11月9日 上記共犯として死刑執行(37歳没)。
秩父事件(坂本宗作) 1885年2月19日 1884年10月31日-11月9日 上記共犯として死刑執行(32歳没)。
秩父事件(新井周三郎) 1885年2月19日 1884年10月31日-11月9日 上記共犯として死刑執行(24歳没)。
秩父事件(菊池貫平 1885年2月19日 1884年10月31日-11月9日 上記共犯で死刑判決を受けるも、逃走中だったため欠席裁判となる。1886年に強盗教唆で逮捕されて収監されるが、大日本帝国憲法発布の大赦で免罪、別件で無期懲役。1905年に出獄、1914年死去。
秩父事件(井上伝蔵 1885年2月19日 1884年10月31日-11月9日 上記共犯で死刑判決を受けるも、逃走中だったため欠席裁判となる。北海道で変名で生活し、1918年に死去。
人力車夫殺人事件(赤井景韶 1885年6月9日[3] 1884年 高田事件で重禁錮9年の判決を受けて服役中に脱獄し、逃走中に人力車夫を殺害して逮捕された。1885年7月27日に死刑執行[4](27歳没)。
加波山事件富松正安 1886年8月12日 1884年9月23日 栃木県令三島通庸の暗殺未遂。1886年10月5日に死刑執行(38歳没)。
加波山事件(保多駒吉 1886年8月12日 1884年9月23日 上記共犯で死刑執行(27歳没)。
加波山事件(琴田岩松) 1886年8月12日 1884年9月23日 上記共犯で死刑執行(25歳没)。
加波山事件(小針重雄) 1886年8月12日 1884年9月23日 上記共犯で死刑執行(23歳没)。
加波山事件(杉浦吉副) 1886年8月12日 1884年9月23日 上記共犯で死刑執行(43歳没)。
加波山事件(三浦文治) 1886年8月12日 1884年9月23日 上記共犯で死刑執行(31歳没)。
加波山事件(横山信六) 1886年8月12日 1884年9月23日 上記共犯で死刑判決を受けるが、執行前の1886年9月3日に肺病のため獄死[5](24歳没)。
「青森の亭主殺し」事件(小山内スミ) 1886年11月6日 1886年8月18日 12月に死刑執行。青森県陸奥国中津軽郡鬼沢村で自分の夫を浮気相手と殺害。法に反して公開斬首刑に処されたという。地元では数え歌が作られたり、『鬼沢新聞・枕の刃』という覗きメガネが作られた。[6]
「青森の亭主殺し」事件(小野長之助) 1886年11月6日 1886年8月18日 12月に死刑執行。上記共犯。[6]
「ピストル強盗[7]」事件(清水定吉 1887年8月[8] 1882年-1886年 日本最初のピストル強盗。1887年9月7日に死刑執行[8]

1890年代

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
連続針金強盗殺人事件(貝原喜勢冶) 1897年3月 1894年-1897年 連続強盗殺人犯、処刑場に護送中に脱獄し警察官と格闘した際の傷で1897年12月死亡[9]
連続針金強盗殺人事件(福永友三郎) 1897年3月 1894年-1897年 上記共犯、護送中に一緒に脱獄し警察官と格闘し首を切り落とされ1897年6月死亡[9]
連続針金強盗殺人事件(湊蔵蔵) 1897年3月 1894年-1897年 上記共犯、護送中に一緒に脱獄したが、再逮捕され広島監獄に収監[9]
連続針金強盗殺人事件(明石章吉) 1897年3月 1894年-1897年 上記共犯、護送中に一緒に脱獄し、以後消息不明[9]
山陽鉄道列車強盗殺人事件(岩永元吉) 1899年2月27日 1898年12月2日 走行中の夜行列車で陸軍大尉を殺害、列車内の殺人は日本国内では最初[10]。1899年10月30日に死刑執行。
山陽鉄道列車強盗殺人事件(中島多次郎) 1899年5月3日 1898年12月2日 上記共犯者、一審は無期だったが、検察が控訴し逆転死刑判決。1899年10月30日に死刑執行。

1900年代

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
「紬屋殺し[11]」事件(大久保時三郎) 1906年11月17日 1905年11月8日 紬屋1人を誘い出し殺害。そして紬屋仲間1人を偽の書状で誘い出しこれも殺害。反物を質に入れ400円を得る。さらに2人に借金をしたが返済がないと嘘を言い、家人をだまし現金を得ようとした。共犯の妻は無期徒刑となった。また、別件で詐欺もしている[12]。1909年4月23日に死刑執行[13]
野口男三郎事件(野口男三郎) 1907年10月10日[14] 1905年5月14日 3件の殺人と1件の文書偽造で起訴。うち薬店店主殺害事件と卒業証書偽造が有罪となる。1908年7月2日に死刑執行。

1910年代

1910年死刑確定囚

1911年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
幸徳事件幸徳秋水 1911年1月 1910年6月 天皇の暗殺を計画した大逆罪[注 2]の首謀者として死刑、判決6日後の1月24日に死刑執行(39歳没)。ただし実際には死刑判決を受けた24人(12人は恩赦減刑)のうち、陰謀に加担[注 3]していたのは5人のみであり、幸徳秋水も含む19人は冤罪だったと言われている。政府による社会主義者弾圧事件であったとされている。
幸徳事件(管野スガ 1911年1月18日 1910年6月 女性の社会運動家、彼女のみ1月25日に死刑執行(29歳没)。実際に陰謀に加担していた。
幸徳事件(森近運平 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(30歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。
幸徳事件(宮下太吉 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(25歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。
幸徳事件(新村忠雄 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(23歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。
幸徳事件(古河力作 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(26歳没)。実際は陰謀に加担していたと言われている。
幸徳事件(奥宮健之 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(44歳没)。
幸徳事件(内山愚童 1911年1月18日 1910年6月 僧侶の社会主義者。1月24日に死刑執行(36歳没)。
幸徳事件(大石誠之助 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(43歳没)。
幸徳事件(松尾卯一太 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(31歳没)。
幸徳事件(新美卯一郎 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(32歳没)。
幸徳事件(成石平四郎 1911年1月18日 1910年6月 1月24日に死刑執行(29歳没)。兄も同罪として死刑判決を受けたが恩赦減刑。
幸徳事件(高木顕明 1911年1月18日 1910年6月 住職を務める和歌山県の浄泉寺で幸徳の談話会を寺で開催したことを咎められ死刑判決。後に恩赦減刑されたが1914年に自殺(50歳没)。判決前に僧籍剥奪処分を受けたが1996年に僧籍復帰の名誉回復が行われた。
幸徳事件(峯尾節堂) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1919年に獄死。
幸徳事件(岡本一郎) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1917年に獄死。
幸徳事件(三浦安太郎) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に自殺。
幸徳事件(佐々木道元) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、恩赦減刑されたが1916年に獄死。
幸徳事件(成石勘三郎) 1911年1月18日 1910年6月 弟平四郎とともに同罪として死刑判決を受けたが弟処刑後に恩赦減刑された。1929年仮出所、1931年死去。
幸徳事件(坂本清馬) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑。1934年仮出所、1947年特赦[注 4]。1961年に再審請求したが1967年に最高裁で棄却。1975年死去[15]
幸徳事件(崎久保誓一) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1955年死去。
幸徳事件(武田九平) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1929年に仮出所、1932年に事故死。
幸徳事件(飛松与次郎) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1925年に仮出所、1953年死去。
幸徳事件(小松丑治) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1945年死去。
幸徳事件(岡林寅松) 1911年1月18日 1910年6月 死刑判決後、無期懲役に恩赦減刑され、1931年に仮出所、1948年死去。

1912年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
岡山県勝田郡強盗殺人事件 (J) 1912年2月6日 1911年7月8日 勝田郡梶並村で、孫(当時32歳)が住居侵入罪の罰金20円が支払えず労役場留置処分を免れる為に金策協力を頼んだ祖父(当時74歳)に断られた。そのため祖父のへそくり50円を奪う為に殺害。1914年2月7日に死刑執行[16]

1913年死刑確定囚

1914年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
愛知貰い子殺人事件(坂倉しげ) 1914年10月21日 1898年-1913年 養育できない私生児を金銭とともに引き取りながら殺害する貰い子殺人常習犯。犠牲者は200人以上とされる。共犯2人とともに1915年9月9日に死刑執行。
愛知貰い子殺人事件(沖つた) 1914年10月21日 1898年-1913年 上記共犯者。
愛知貰い子殺人事件(猪飼なか) 1914年10月21日 1898年-1913年 上記共犯者。
岡山興除村一家3人殺害事件 (A) 1914年12月16日 1914年9月26日 未亡人A(当時52)は養子一家が家督相続することを不満に思っていた。そこで情夫B(当時55)に借金230円の棒引きと400円の報酬を約束し、養子一家殺害を指示し自身は事件当日外泊しアリバイ工作をしていた。また近所には自分が虐待されているといった虚偽の噂を立てていた。1915年8月27日に死刑執行[17]
岡山興除村一家3人殺害事件 (B) 1914年12月16日 1914年9月26日 上記共犯者。なおBは殺害の手助けをCにさせていたが、Cは懲役10年になった。主犯Aとともに1915年8月27日に死刑執行[18]

1915年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
小石川七人斬事件 (A・B) 1915年10月22日 1915年3月15日 東京電燈会社小石川出張所において、同社主任以下7人が襲われ、5人が死亡した強盗殺人事件。1916年8月12日死刑執行[19]

1916年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大米龍雲連続殺人事件(大米龍雲) 1916年5月22日 1905年-1915年 僧侶による連続強姦強盗殺人事件。被害者の多くが尼僧であったことから「殺尼魔」と報道された。6月26日に死刑執行。
一家四人死刑事件 (H) 1916年7月8日 1914年12月30日 一家の父親が殺された事件について、一審では被害者の姑と妻、2人の息子の4人全員が死刑判決を受けた。控訴審では長男の単独犯行とされ、他の3人は無罪となった。死刑を維持された長男は、犯行は外部犯によるものとして無実を訴え続けたが1917年12月8日に死刑執行[20]

1917年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
ドイツ海軍大尉夫人殺人事件 (A) 1917年10月26日 1917年2月25日 日本軍捕虜となった夫の世話をする為来日していた女性殺害事件。夫は妻の後を追って自殺。1918年3月11日に死刑執行。

1918年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
鈴ヶ森おはる殺し事件(石井藤吉) 1917年3月31日 1915年4月30日 同時期に検察は同じ事件で「単独犯」として2人の裁判を進め、一人は無罪になった。真犯人とされた石井は1918年8月17日に死刑執行。
神戸山中妻殺害事件 (A) 1918年5月15日 1917年4月6日 養子を虐待する妻との離婚話がこじれた為、岡山市の男が神戸市の山中に連れ出して殺害。男は養子を実家に預けたあと外地に逃亡。1918年2月になって朝鮮から中華民国の青島へ逃亡しようとしていたところを逮捕。1919年2月19日に死刑執行[21]

1919年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
岡山巡礼女性殺害事件 (A) 1919年12月2日 1916年4月ごろ 1916年4月に京都の寺院に巡礼に出かけるとして行方不明になっていた広島県高田郡の主婦が1917年4月18日になって岡山県都窪郡廃坑で白骨死体として発見された。犯人として金銭目当てに被害女性の夫を広島県深安郡に呼び出し、山陽本線大門駅付近の山道で殺害しようとした殺人未遂の罪で服役中のAが逮捕起訴された。Aは殺害を否定し被害者は情夫の妻に殺害され自身は何者かにはめられたと主張したが、該当する人物は存在せず、そのうえAが妻に胴着するようにと渡した羽織が被害者が持参していたものと判明。それらを証拠に死刑が確定。1923年8月21日に死刑執行[22]

1920年代

1924年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
虎ノ門事件難波大助 1924年11月13日 1923年12月27日 摂政宮(後の昭和天皇)暗殺未遂で大逆罪により有罪(法定刑は死刑のみ)。確定2日後の11月15日に死刑執行。

1926年死刑確定囚

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
朴烈事件朴烈 1926年3月25日 1925年 天皇暗殺を計画したとして無政府主義者の朝鮮人が有罪になるも4月5日に恩赦により減刑。1945年10月に釈放され韓国国務委員に就任したが朝鮮戦争の最中に北朝鮮へ連行され、1974年死亡(田中清玄によると処刑という)。
朴烈事件金子文子 1926年3月25日 1925年 女性無政府主義者で朴烈の愛人。共犯として死刑宣告も4月5日に恩赦で減刑。7月23日に獄死(当局発表は縊死)した。
関東連続少女殺人事件吹上佐太郎 1926年7月2日 1922年-1924年 27人を強姦し、うち6人を殺害。1926年9月28日に死刑執行。

1930年代

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大岡山殺人事件 (G) 1931年4月20日 1925年9月6日 下記Tと共同で一家3人を殺害し、さらに3年後にもTとともに夫婦を殺害した。この間に大岡山事件の犯人として起訴されていた男性は、裁判中に獄死している。Gは控訴せず一審で確定し、1933年3月7日に死刑執行[23]
大岡山殺人事件 (T) 1932年4月5日 1925年9月6日 上記Gの共犯。最高裁まで争うも確定し、Gと同じく1933年3月7日に死刑執行[23]
日大用務員殺害事件 (D) 1932年8月29日 1930年12月 上告棄却。元用務員の男が日本大学に侵入し用務員を殺害し670円を奪った[24]
桜田門事件李奉昌 1932年9月30日 1932年1月8日 昭和天皇暗殺未遂犯。1932年10月10日に死刑執行(32歳没)。
十三釣堀屋事件 (F) 1933年3月8日 1931年3月1日 愛人と共謀して夫を殺害した被告人について死刑。1934年6月28日に死刑執行。共犯の愛人は無期懲役[25]
安田銀行玉島支店強盗殺人事件 (O) 1933年10月30日 1933年6月18日 現職警察官による銀行ギャング。1934年7月30日死刑執行[26]
隅田川コマ切れ殺人事件 (K) 1934年9月19日 1934年6月 10月に死刑執行[27]
福岡刑務所囚人殺害事件 (D) 1934年11月7日 1933年10月28日 上告棄却。殺人未遂で懲役20年、恩赦により刑期短縮も1929年に殺傷事件を起こし無期懲役になった受刑者が同囚の者に「死に損ない」と罵られたことに腹を立て刑務活動中に刺殺[28]
バス屋殺し事件 (G) 1936年3月30日 1931年8月27日 家業の利益目的で夫を殺害した被告人について死刑判決が下ったが、後に無期刑に減軽され、1943年頃に獄死。被告人と共謀したとされていた愛人の男性については、一審の死刑判決が控訴審で無罪へ覆った[29]
浅草青酸カリ殺人事件 (U) 1936年8月3日 1935年11月21日 足袋屋経営の男が、顔なじみの小学校校長を紅茶の中に入れた青酸カリで毒殺し、教職員の給料を奪った。日本における青酸カリによる殺人事件第1号。1937年10月26日死刑執行[30]
松山城放火事件 (F) 1938年 1932年-1936年 西日本各地で公共施設45箇所を放火。1939年9月15日に死刑執行。

1940年代

1945年死刑確定囚(9人?)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
樺太・西柵丹強盗殺人事件 (S) 1945年7月7日 1944年10月22日 樺太で発生した強盗殺人事件。死刑確定後、樺太がソ連軍に侵略され、公判記録が滅失し死刑執行手続きが不能になった特殊事情により、1949年12月24日、個別恩赦無期懲役に減刑された[31]

1948年死刑確定囚(33人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
強盗殺人事件 (A) 1948年1月 友人を鉄棒で撲殺。
強盗殺人事件 (A) 1948年1月 強盗に入った家で夫婦を射殺。
強盗殺人事件 (A) 1948年2月 雇い主を斧で殺害。
名古屋愚連隊殺人事件 (A) 1948年3月11日 1947年6月21日 強盗に入った家人2人を布団で縛りつけ窒息死させた。主犯Aが死刑(控訴取り下げにより死刑確定)であったが犯行時17歳であったため、少年法改正により1949年3月23日に無期懲役に減刑。
死刑制度合憲判決事件 (A) 1948年3月12日 1946年9月16日 犯行時19歳。夕飯を用意してもらえなかったことに逆上して母妹を殺害し遺体を井戸に遺棄。一審は無期懲役だった。最高裁が死刑制度は日本国憲法に反せず合憲とした判例。
小平事件(小平義雄) 1948年11月16日 1945 - 1946年 連続強盗強姦殺人事件。10人殺害で起訴され、うち7人殺害で有罪となった。なお、小平には軍隊時代に山東出兵に派遣された際に現地の婦女子を殺害(軍規違反に問われず)したうえ、1932年に前妻の義父を殺害し懲役15年(二度の恩赦により8年で仮出所)を受けており、殺人前科があった。1949年10月5日に死刑執行。

1949年死刑確定囚(33人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
奈良・手拭村強盗殺人事件 (D) 1949年5月28日 1946年12月11日 強盗団4人組による犯行。Dを主犯として死刑が確定し、後に死刑執行されたが、1958年に出所した「従犯」が本当の主犯を恐喝して逮捕されDは濡れ衣であったという真相が発覚[32]
大津野村強盗殺人事件 (A) 1949年7月31日 1945年12月18日 架空の商談話でおびき出した2人を殺害。共犯5人のうち2人が死刑に。
大津野村強盗殺人事件 (C) 1949年7月31日 1945年12月18日 上記共犯。
和歌山一家8人殺害事件 (A) 1949年8月18日 1946年1月29日 母親を虐待した兄嫁を恨み、兄一家8人を虐殺。死刑確定後1952年に恩赦により無期減刑、1968年に仮出獄

1950年-1954年

1950年死刑確定囚(25人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
強盗殺人事件 (A) 1950年1月 無関係の人物を絞殺。控訴取下げ。
第二小平事件 (K) 1950年2月3日 1946―1947年 埼玉県で発生。司法の認定では3人殺害であるが、ほかに2人の殺害も自供。若い女性ばかり被害者であったことから。同様な小平事件からこの事件名で報道された。
強盗2人殺害事件 (A) 1950年2月
志和堀村両親殺害事件 (M) 1950年2月21日 1948年6月11日 犯行時19歳、上告を取り下げにより死刑が確定したが、1952年4月にサンフランシスコ講和条約恩赦で無期懲役に減刑。
強盗2人殺害事件 (A) 1950年4月
拳銃強盗殺害事件 (A) 1950年4月 控訴取下げ。
愛人殺害事件 (A) 1950年5月 控訴取下げ。
子供2人撲殺強盗事件 (A) 1950年5月
子供2人撲殺強盗事件 (B) 1950年5月 上記の共犯者。
知人絞殺強盗事件 (A) 1950年5月
強盗事件 (A) 1950年5月
強盗2人殺害事件 (A) 1950年5月
警官ら2人射殺強盗事件 (A) 1950年6月
強盗2人殺害事件 (A) 1950年5月
下宿人大家家族2人殺害事件 (A) 1950年7月 控訴取下げ。
知人夫婦強盗殺害事件 (A) 1950年7月
警官射殺事件 (A) 1950年9月
知人2人ハンマー撲殺強盗事件 (A) 1950年10月
知人殺害事件 (A) 1950年10月
雇用主殺害事件 (A) 1950年11月 控訴取下げ。
強姦殺人事件 (A) 1950年11月
知人親子3人殺害事件 (A) 1950年12月 最高裁が下級審の判決を破棄し死刑判決。

1951年死刑確定囚(32人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
矢野村強盗殺人事件 (F) 1951年2月2日 1947年5月23日 兄弟で犯した強盗殺人について死刑判決を受けた弟が「主犯は兄である」と主張していた。兄もそれを裏付ける主張を行っていたが、弟の再審請求は容れられず、1953年2月20日に死刑執行。
菅野村強盗殺人・放火事件 (A) 1951年7月10日 1949年6月10日 犠牲者1人。戦後初の女性死刑囚。結核・精神病を罹患し1969年に恩赦減刑され、1978年に病死(63歳没)。
小田原一家5人殺害事件 (A) 1951年9月18日 1949年9月14日 大量殺人犯でありながら1952年恩赦減刑。1970年に仮出獄も、1984年に殺人未遂事件を起こし、懲役8年と仮出獄取消しで収監[33]。2009年10月27日に獄死。
強盗3人刺殺事件 (A) 1951年12月
拳銃強盗事件 (A) 1951年12月 一審は無期懲役だった。
強盗2人撲殺事件 (A) 1951年12月 友人を殺害。
強盗強姦殺人事件 (A) 1951年12月 一審は無期懲役。強姦したうえ絞殺。
免田事件免田栄 1951年12月25日 1948年12月28日 1983年7月に再審で無罪が確定した冤罪事件。
強盗殺人事件 (A) 1951年12月 知人を紐で絞殺。
強盗2人殺害事件 (A) 1951年12月 知人2人を木刀とマフラーで殺害。
強盗2人殺害事件 (B) 1951年12月 上記事件の共犯。
強盗殺害事件 (A) 1951年12月 知人を棒で殺害。一審は無期懲役だった。
強盗強姦致死事件 (A) 1951年12月 通行人ら2人を強姦し扼殺。犯行時少年だった。

1952年死刑確定囚(41人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
福岡連続強盗殺人事件 (S) 1952年4月21日 1951年5月-6月 事件当時19歳(少年死刑囚)。裁判では「自分は見張り役で主犯は古谷惣吉(当時逃亡中)だ」と主張。Sの死刑執行後に古谷は逮捕されたが懲役10年が確定し、出所後に古谷惣吉連続殺人事件を起こす。

1953年死刑確定囚(25人)

1954年死刑確定囚(21人)

1955年-1959年

1955年死刑確定囚(14人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
帝銀事件平沢貞通 1955年5月7日 1948年1月26日 1987年5月10日獄死(95歳没)。
三鷹事件(竹内景助) 1955年6月22日 1949年7月15日 電車転覆致死等事件で6人死亡。ただし冤罪が指摘されている。1967年に獄死(45歳没)。
栃木雑貨商一家殺害事件 (K) 1955年6月28日 1953年3月17日 上告棄却、白内障を患った母親の治療費欲しさに近所の雑貨商に侵入し、一家3人と使用人を殺害。最高裁上告中に脱獄、後に確保され、1955年6月28日に最高裁が上告を棄却。同年11月22日宮城刑務所にて死刑執行。死刑確定から執行までの期間は戦後最短。
神戸洋服商殺人事件(孫斗八) 1955年12月16日 1951年1月17日 上告棄却、以前オーバーコートを購入した洋服商店に上り込み、夫婦2人を殺害。
新宿家政婦殺害事件[34] (A) 1955年12月20日 1951年5月25日 上告棄却、金銭の貸主宅に侵入し、同家の家政婦を殺害。
福島警察官殺害事件[35] (A) 1955年12月26日 不明 上告棄却、一審は無期懲役。駐在所巡査を殺害。
長野・松尾村強盗致死事件[36] (A) 1955年12月26日 不明 上告棄却、1人を刺殺。
門司3人殺人事件[37] (A) 1955年12月26日 不明 上告棄却、幼児3人を惨殺。
福岡・豊津村一家8人殺害事件 (A) 1955年12月26日 1953年 上告棄却、同居していた一家8人を惨殺。

1956年死刑確定囚(14人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
福岡事件 (N) 1956年4月 1947年6月17日 1975年6月17日に死刑執行(60歳没)。
福岡事件 (I) 1956年4月 1947年6月17日 1975年6月17日に恩赦で無期懲役に減刑。1989年仮出獄、2008年11月に死去(91歳没)。

1957年死刑確定囚(27人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
財田川事件(谷口繁義) 1957年1月22日 1950年2月28日 高松地方検察庁で保存されていた捜査資料が破棄され死刑執行手続きが不可能になったうえに、古畑種基による証拠鑑定の杜撰さや被疑者に対する拷問といった問題点が明らかになった為、1984年3月12日に再審無罪となり放免された。
親族殺人事件 (A) 1957年2月 不明 鎌と棍棒で殺害し強奪。犠牲者1人、控訴棄却。
兵庫女性強姦殺人事件 (I) 1957年4月5日 1954年12月1日 通行人1人を強姦の上刺殺。少年犯罪、一審は無期懲役。上告棄却。
保土ヶ谷女性強盗殺人事件 (U) 1957年4月18日 1953年12月3日 通行人1人を強姦の上扼殺。上告棄却。
我孫子女子中学生殺害事件 (S) 1957年4月26日 1955年9月12日 通行人1人を扼殺。控訴取下げ。1959年11月11日に死刑執行[38](28歳没)。
八王子マダム福笑い殺人事件 (Y) 1957年6月 1955年2月3日 1人を縄で絞殺、控訴取下げ。
佐賀雇主一家強盗殺傷事件 (W) 1957年6月27日 1952年1月3日 知人1人を日本刀で惨殺。
人違いバラバラ殺人事件 (F) 1957年7月19日 1954年9月5日 一審は無期懲役、控訴審最終尋問で証人を負傷させたことが問題に。1959年5月27日に死刑執行(40歳没)。
藤本事件(藤本松夫) 1957年8月23日 1952年7月6日 1962年9月14日に死刑執行(40歳没)。死刑囚がハンセン病患者であったため、当時から捜査と裁判の不正さ、冤罪の可能性が指摘されていたが、国の委託を受けた日弁連法務研究財団[39]は、2005年に調査報告書で、「手続的保障が十分に尽くされ(ていた事件かという)視野に立った場合、藤本事件は、到底、憲法的な要求を満たした裁判であったとはいえないだろう」と指摘した[40]
北海道・千歳強盗殺人事件[41] (Y) 1957年8月30日 1954年1月2日 一審は無期懲役、侵入先で夫婦を惨殺し子供1人を負傷させる。犯行時18歳4か月で確定時も21歳であり、ともに戦後最年少記録だった。犯行年齢最年少は光市母子殺害事件(判決確定2012年2月20日)により18歳1か月に更新されている。
十二銭五厘強盗殺人事件[42] (I) 1957年9月3日 1955年12月9日 手提金庫にあった硬貨を掴んだ際に83歳女性にみつかり「口封じ」のために殺害しボストンバッグを持って逃走。硬貨は法的には既に通用しない古銭だった。
梅田事件 (H) 1957年11月14日 1950年・1951年 Hは2件の強盗殺人の首謀者であるが、無関係の第三者を2人も巻き込み、そのうちUが無期懲役で服役し後に再審無罪になった冤罪事件でもある。青地晨の「魔の時間」によればHはUを巻き込むことで共犯を守ろうとした可能性を指摘している。1960年6月20日に死刑執行(37歳没)。

1958年死刑確定囚(21人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
中野質屋夫婦殺傷事件 (T) 1958年6月13日 1955年11月4日 遊興費に窮した男が質屋に押し入り、妻をナタで撲殺し夫は重傷。500円と腕時計を奪う[43]
江戸川運転手殺害事件 (I) 1958年6月13日 1956年4月5日 江戸川区で運転手を殴り付近のハス田に投げ込み窒息死にし約2500円を奪った[44]
さとう まこと/牟礼事件佐藤誠 1958年8月5日 1950年4月13日 実行犯による証言のみ。物的証拠がないため冤罪との指摘がある。再審請求8回。1989年10月27日、くも膜下出血のため死亡(81歳没)。

1959年死刑確定囚(12人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
北海道連続強盗強姦殺傷事件 (A) 1959年2月25日 1953年9月5日 1958年1月3日 一審確定、侵入先一家3人を惨殺。
杉並重役夫人殺害事件[45] (A) 1959年4月16日 1957年4月24日 一審は無期懲役で上告棄却、侵入先で1人を刺殺。
銀座雑貨商殺害事件[46] (A) 1959年4月16日 1955年3月5日 上告棄却、侵入先で1人を殺害。
長野一家4人殺傷事件 (O) 1959年4月23日 1956年12月30日
札幌重役夫人殺人事件 (S) 1959年4月28日 1955年3月5日
横浜母子強盗殺人事件 (A) 1959年6月9日 1957年5月17日
八王子マダム福笑い殺人事件 (O) 1959年6月16日 1955年2月3日 未成年、共犯のYは1957年確定。
品川トランク詰殺人事件 (N) 1959年9月18日 1956年6月30日 共犯の女性は懲役15年。
中野友人殺害事件[47] (T) 1959年9月18日 1956年12月 上告棄却、ネクタイで友人を絞殺。共犯は有期の懲役刑。
宇部市兄一家4人殺害事件[48] (S) 1959年9月18日 1957年3月 上告棄却、同居していた兄嫁と子供3人を惨殺。
北海道・羽幌強盗放火殺人事件[49] (O) 1959年12月4日 1956年4月4日 上告棄却、金に困り侵入先一家3人を惨殺。
東京・神奈川・埼玉連続婦女暴行殺傷事件[50] (A) 1959年12月15日 1954年7月4日ほか 上告棄却。殺人2件のほか婦女暴行31件の余罪。

1960年-1964年

1960年死刑確定囚(33人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
日光中宮祠事件 (A) 1960年6月10日 1946年5月4日 強盗放火殺人、犠牲者6人も警察は一家心中と処理し、1955年まで真相が判明せず。1974年6月6日に死刑執行。
日光中宮祠事件 (B) 1960年6月10日 1946年5月4日 上記共犯。1974年6月6日に死刑執行。
京都・大映部長一家殺傷事件[51] (K) 1960年6月 不明 1962年に死刑執行。
宮城自動車販売店外交員殺人事件 (A) 1960年7月15日 1955年11月4日 購入したオート三輪の支払いに困り、代金の取立てに来た販売店の外交員を殺害し、手形を奪い死体を近所のりんご畑に埋めた[52]
熊本質屋女性主人殺害事件[51] (I) 1960年8月4日 1958年10月30日 1962年に死刑執行。
広島・八本松タクシー強盗殺人事件 (A) 1960年8月4日 1957年1月29日 銀行強盗に使おうとタクシー運転手を射殺しタクシーを強奪[53]。また1961年4月に拘置所から脱獄し18時間後に拘束される事件も起こした[54]
松山事件(斎藤幸夫) 1960年11月1日 1955年10月18日 強盗放火殺人事件であるが、再審で捜査当局によって証拠の捏造と自白の強要が証明され冤罪として無罪になったのは、1984年7月であった。
島田事件(赤堀政夫) 1960年12月5日 1954年3月10日 女子児童誘拐殺人事件であるが、自白調書作成と証拠鑑定[注 5]で問題が数多くあったことが再審で判明、1989年8月に無罪放免となった。静岡県警察警部であった「拷問王」紅林麻雄による冤罪犠牲者[注 6]のひとりとされている。
熊本饅頭屋夫妻殺人事件 (M) 1960年12月16日 1956年1月12日 上告審で被告人側弁護人が「死刑が相当」と「求刑」したのが問題に。1962年12月21日に死刑執行(26歳没)。

1961年死刑確定囚(24人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
和歌山愛人爆殺事件[55] (H) 1961年2月 不明 元愛人ら2人をダイナマイトで殺害。裁判時は62歳。死刑執行日は不明。
下関養父母殺害逃亡事件 (A) 1961年3月30日 1955年 - 1957年 養父母殺害後、身代わりにするため2人も殺害。1965年に死刑執行(月日は不明)。
高岡質屋女性主人殺人事件 (A) 1961年6月6日 1960年3月14日 質屋の女性主人を殺害し、現金23,000円と時計を強奪[56]
昭和郷アパート放火事件 (A) 1961年7月31日 1957年10月27日 現住建造物等放火罪で死刑。一審は無期懲役。
小松川事件(李珍宇) 1961年8月17日 1958年4月8日 犯行時18歳、犠牲者は女性2人。1962年11月26日に死刑執行(22歳没)。
愛知農協宿直員殺人事件 (A) 1961年8月17日 1958年3月 農協に押し入り宿直していた者を撲殺。一審は無期懲役[57]

1962年死刑確定囚(13人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
横浜船長父子殺人放火事件 (A) 1962年2月16日 1959年2月8日
釧路ハイヤー運転手強盗殺人事件 (A) 1962年2月20日 1957年11月5日
岡山・児島幼姉妹わいせつ殺傷事件 (A) 1962年3月1日 1960年2月19日 控訴せず確定。
岐阜鉱山主殺人事件 (A) 1962年4月6日 1957年9月16日 在日コリアンによる事件。1970年10月に死刑執行。
佐世保雑貨商夫婦強盗殺人事件 (A) 1962年5月8日 1959年4月14日 1970年9月19日に死刑執行。
新潟県農家強盗殺人事件(島秋人 1962年6月1日 1959年4月5日 凶悪事件の累犯であったが、農家の妻を殺害。裁判中から死刑囚の感情を読んだ短歌を歌壇に数多く発表、島はその筆名である。本名は中村覚。1967年11月2日に死刑執行(33歳没)。
長崎奈留島雑貨商殺人事件 (A) 1962年5月29日 1955年9月28日 1974年1月24日獄死。
山口同僚強盗殺人事件 (A) 1962年6月29日 1958年10月10日
闇屋連続4人殺害事件 (I) 1962年7月17日 1946年 生活に困窮した夫婦が闇屋を連続して殺害。事件発覚後逃亡し11年後に逮捕。一審は共に無期懲役だったが、犯行を持ちかけたのは妻であったにもかかわらず夫が逆転死刑。1967年11月16日に死刑執行(68歳没)。
北海道・赤平母子殺人事件 (A) 1962年10月18日 1960年1月17日
広島・加計町強盗殺人事件 (A) 1962年10月9日 1957年7月12日 被害者3人。
広島・加計町強盗殺人事件 (B) 1962年10月9日 1957年7月12日 上記共犯。
静岡清水村老婆強盗殺人事件 (B) 1962年12月11日 1960年12月30日
箕面社長一家殺傷事件 (A) 1962年12月14日 1959年3月16日 犠牲者1人。

1963年死刑確定囚(17人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
バー・メッカ殺人事件正田昭 1963年 1959年7月22日 当時のマスコミはアプレゲール犯罪の典型として大きく報道した。共犯2人も有期の懲役刑、なお正田は獄中で小説家として名声を得ていた。1969年12月9日に死刑執行(40歳没)。
西宮雇い主一家3人殺害事件 (A) 1963年2月8日 1958年8月7日 犯行時19歳。
葉山主婦強盗殺人事件 (A) 1963年3月28日 1959年4月21日
北海道豊頃村一家4人殺害事件 (X) 1963年4月12日 1960年8月26日 下記共犯Yも死刑。
中野刑務所看守殺人事件 (A) 1963年3月28日 1961年1月21日 共犯(無期)とともに脱獄時に看守を殺害、1967年に死刑執行。
女性連続毒殺魔事件(杉村サダメ) 1963年3月28日 1960年12月 女性死刑囚。1970年9月19日に死刑執行。
看護婦強盗殺人・共犯内妻刺殺事件 (A) 1963年4月30日 1960年10月 控訴するも直後に取り下げ。
北海道豊頃村一家4人殺害事件 (Y) 1963年4月12日 1960年8月26日 上記X(死刑)の共犯。
神戸重役夫人殺人事件 (A) 1963年4月23日 1958年12月8日
岩槻一家7人殺害事件 (A) 1963年4月30日 1958年7月27日 家庭環境に疲れ果てた男が自宅を放火し一家全員を焼死させた。一審は無期懲役であったが控訴審で逆転死刑となり上告も棄却。執行日不明。
熊本警官毒殺・タクシー運転手射殺事件 (A) 1963年5月10日 1961年5月31日 犯行時18歳、1969年10月18日に死刑執行。
愛知一宮女性事務員殺人事件 (A) 1963年5月14日 1961年6月30日
上尾老夫婦殺人放火事件 (A) 1963年6月27日 1959年6月23日
松島老堂守殺人事件 (A) 1963年6月25日 1961年4月15日
東伊豆ダイナマイト殺傷事件 (A) 1963年9月5日 1960年10月 盗みに入った家で顔を見られたため「口封じ」のためダイナマイトで一家5人を皆殺しにしようとし、主人を殺害[58]
福岡県立築上西高校警備員2人殺害事件 (A) 1963年10月1日 1960年1月19日 共犯は無期、1967年10月21日に死刑執行。

1964年死刑確定囚(9人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
目黒母子殺人事件 (A) 1964年1月 1963年1月17日 控訴取下げ確定。
南千住宿直員父子殺人事件 (A) 1964年1月8日 1960年5月14日
大阪・住吉実母殺人事件 (O) 1964年2月7日 1960年6月8日 強盗殺人の従犯で懲役15年(7年で仮出所)の前科あり。1967年11月16日に死刑執行(42歳没)。
大和タクシー運転手強盗殺人事件 (A) 1964年2月18日 1954年12月11日
一宮大叔母強盗殺人事件 (A) 1964年4月2日 1961年12月4日
伊那たばこ店老夫婦毒殺事件 (A) 1964年7月14日 1956年4月1日
新潟新聞販売店一家3人殺人事件 (A) 1964年7月16日 1960年4月25日 かつて勤めていた新潟市の読売新聞販売店[59]に押し入り、店主と養母、女中の3人を殺害したが、たまたま通りかかった消防車のサイレンに驚き逃走。
新潟新聞販売店一家3人殺人事件 (B) 1964年7月16日 1960年4月25日 上記事件の共犯者[60]
愛媛城辺老夫婦強盗殺人事件 (B) 1964年12月8日 1960年6月13日

1965年-1969年

1965年死刑確定囚(7人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (S) 1965年1月5日 1962年6月5日 最高裁1964年12月25日判決、翌年確定。
三浦タクシー運転手強盗殺人事件 (M) 1965年1月29日 1962年6月5日 上記事件共犯者。
新宿女性殺人事件 (C) 1965年1月22日 1962年9月14日
横浜一家3人殺傷事件 (F) 1965年6月29日 1963年4月16日
世田谷クリーニング店夫婦殺人事件 (O) 1965年7月13日 1963年6月17日
清水一家4人殺傷事件 (O) 1965年7月20日 1960年2月3日
横須賀廃品回収業者殺人事件 (U) 1965年9月17日 1961年2月13日
横浜女児殺人事件 (W) 1965年12月17日 1963年6月16日

1966年死刑確定囚(13人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
釧路雑貨商夫婦殺人事件 (B) 1966年2月4日 1963年11月6日 上告棄却。犯行時19歳(少年死刑囚)で、パチンコ代欲しさに民家を物色中、被害者が寝返りを打ったことに驚き夫婦2人を手斧で殺害[61]。1967年に死刑執行。
横浜韓国人夫婦殺人事件 (C) 1966年2月26日 1964年8月5日 控訴せず確定、定住外国人死刑囚としては昭和時代最後の事例。
四国連続強盗殺人事件 (M) 1966年3月31日 1964年10月 6人殺害。軍隊時代に脱走する際看守を殺害しようとしたとして軍法会議で無期懲役になった前科あり。1970年10月29日に死刑執行。
座間市女性殺害事件 (C) 1966年4月8日 1963年6月22日 上告棄却。帰宅途中の女性を家まで送ってやると声をかけライトバンの助手席に乗せたが、草地に連れ込み乱暴した上で殺害し遺体を埋め、腕時計を奪った[62]。1969年3月14日に死刑執行[63]
旭川連続短銃殺傷事件 (C) 1966年5月31日 不明 上告棄却[64]
小倉強盗殺人放火事件 (C) 1966年5月31日 不明 上告棄却[65]
西口彰事件(西口彰) 1966年8月15日 1963年 5人殺害・1970年12月11日に死刑執行(44歳没)。
宮崎刑務所仲間両親殺人事件 1966年8月11日 1965年9月29日 控訴せず確定、1969年12月19日に死刑執行。
ホテル日本閣殺人事件(小林カウ) 1966年7月14日 1952年・1960年 戦後2番目の女性死刑確定囚。1952年にも前夫を毒殺していたことが発覚。1970年6月11日に死刑執行(61歳没)。女性死刑囚としては戦後初の死刑執行。
ホテル日本閣殺人事件 (O) 1966年7月14日 1960年 上記共犯。1970年6月11日に死刑執行。
厚木親方一家4人殺人事件 (H) 1966年12月1日 1964年10月25日 1969年に死刑執行。
九州三女性殺害事件( ) 1966年12月8日 1952年・1962年 上告棄却。1952年9月11日に唐津市にあった炭鉱で女性を殺害。1962年1月と3月にも女性を殺害。他にも婦女暴行や詐欺罪など4件で起訴されていた[66]。翌年1月12日に確定。

1967年死刑確定囚(13人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
東京・中野靴職人殺人事件 (A) 1967年4月 1958年2月17日
福神丸殺人事件 (A) 1967年3月16日 1965年3月 上告棄却。九州近海の漁船「福神丸」で発生。義母が死亡したため漁船員が帰港を申し出て船長も受諾。しかし途中で嵐に会い口永良部島に寄航。その時船長と早く出港するように申し出たところ喧嘩になり船長を殺害。さらに止めに入った同僚二人を刺した。同僚は船室に逃げ込んだため二人を閉じ込めて水没させ海難事故に見せかけて殺害した[67]
宮崎・知人両親殺害事件 (A) 1967年4月 1965年9月17日
東京・バーマダム殺人事件 (A) 1967年4月7日 1965年9月17日 上告棄却。出所したばかりの男がじぶんが住むアパート内の部屋を物色中にその部屋で寝ていたバーの雇われマダムを刺殺し2000円を奪った。ほかにも窃盗事件8件の余罪あり[68]
雅樹ちゃん誘拐殺人事件(本山茂久) 1967年5月25日 1960年5月16日 歯科医の死刑囚、1971年に死刑執行。
大阪・幼女殺人事件 (A) 1967年6月22日 1960年2月3日
船橋・夫婦強盗殺害事件 (A) 1967年8月5日 1964年2月27日 被害者2人に対し強盗団3人とも死刑。
船橋・夫婦強盗殺害事件 (B) 1967年9月5日 1964年2月27日 上記共犯者。
船橋・夫婦強盗殺害事件 (C) 1967年9月5日 1964年2月27日 上記共犯者。
盛岡・強盗殺人放火事件 (A) 1967年9月8日 1965年1月14日
八王子金融業者夫婦殺害事件 (A) 1967年10月10日 1963年7月5日
静岡・中学生強姦殺害事件 (A) 1967年10月18日 1965年10月14日 上告棄却。妻の経営するバーの前を通り過ぎていた14歳少女を連れ込み手足を縛り暴行。翌朝絞殺し床下に隠していた。一審は無期判決だった[69]
吉展ちゃん誘拐殺人事件(小原保) 1967年10月13日 1963年3月31日 1971年12月23日に死刑執行(38歳没)。

1968年死刑確定囚(14人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
国分寺市強殺事件 (G) 1968年4月26日 1966年5月21日 上告棄却。会社員宅に押し入り同家の妻を刺殺し現金2020円とネックレスなどを奪った[70]
岩手薪炭業者夫婦殺害事件 (L) 1968年5月2日 1964年12月 上告棄却。12月15日に薪炭業者に手持ちがないのに木炭を買い取って欲しいと嘘を言って15万円を騙し取った。さらに警察に通報されることを恐れ薪炭業者夫婦を猟銃で殺害し4万6500円を奪った[71]

1969年死刑確定囚(11人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
熊本雑貨商一家3人強殺事件 (K) 1969年3月25日 1958年2月18日 共犯は無期懲役、1975年7月11日に死刑執行。
秋田元同僚強殺人事件 (S) 1969年4月25日 1966年2月21日
田無・春日部連続強盗殺人事件 (N) 1969年6月28日 1966年9月 控訴取下げ、1973年10月12日に死刑執行。
兵庫衣料品店夫妻強殺事件 (K) 1969年7月11日 1968年5月24日
鶴見上司バラバラ殺人事件 (N) 1969年8月22日 1966年12月17日
門真一家3人殺害事件 (M) 1969年10月21日 1968年8月7日 元同棲相手の家族を殺害。
少年ライフル魔事件 (K) 1969年10月2日 1965年7月29日 犯行時18歳・1972年7月21日に死刑執行(25歳没)。
東京切り裂きジャック事件 (T) 1969年11月14日 1967年-1968年 被害者2人、殺人前科あり、1972年8月に死刑執行。
宇都宮保険金殺人事件 (O) 1969年11月6日 1967年4月19日
八戸農婦強姦殺人事件 (I) 1969年12月5日 1966年4月14日
長崎質店夫婦強盗殺人事件 (Y) 1969年12月12日 1966年12月23日 1975年10月3日に死刑執行。
昭島老女強盗殺人事件 (S) 1969年12月16日 1965年2月19日 逮捕直後の5月に脱獄前科あり。
T/福岡現金輸送車職員毒殺事件 (T) 1969年12月23日 1964年12月15日 家庭不和解決のため金銭を奪うことを計画したTは、福岡県筑後市にて知り合いの市役所職員ら3人がボーナス資金を運搬していた乗用車に乗り込み青酸カリ入りの栄養剤を言葉巧みに飲ませた。一人は吐き出して助かったが二人はそのまま死亡した[72]。死刑執行当日の1975年10月3日朝、左手首を剃刀で切り付け自殺。死刑執行日の自殺は極めて稀である。以来、死刑囚に対し死刑執行の事前通告を一切しなくなったとされる。また当日は福岡2人連続殺傷事件のK死刑囚も死刑が執行されるはずであったが、Tの自殺のため延期され、Kは2日後の1975年10月5日に死刑を執行された。

1970年-1974年

1970年死刑確定囚(14人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
川越一家3人殺傷事件 (A) 1970年2月19日 1965年8月24日 交際を求めていた女性の家族に反対され、逆上し姉夫婦を殺害し実弟に重傷を負わせた[73]
浜松義妹殺人事件 (I) 1970年2月20日 1968年1月10日 犠牲者一人、執行日不明。
町田警察官殺害事件 (O) 1970年3月26日 1967年10月5日 執行日不明。
福岡2人連続殺傷事件 (K) 1970年3月26日 1966年・1967年 福岡現金輸送車職員毒殺事件のT死刑囚と同じ1975年10月3日に死刑執行予定であったが、当日Tが自殺したため延期。2日後の1975年10月5日に死刑執行(37歳没)。
三原食堂女主人強盗殺害事件 (H) 1970年5月 1963年1月20日 殺人前科に余罪多数。1965年に留置場から脱獄しその際窃盗や傷害の余罪を起こし別件で懲役15年が確定。1975年死刑執行(38歳没)。
弘前宝石商殺人事件 (N) 1970年4月16日 1967年8月10日 共犯は無期懲役、執行日不明。
北海道知人強盗殺人事件 (N) 1970年6月 1968年10月19日 控訴取下げ、執行日不明。
秋田・五城目夫婦殺人事件 (A) 1970年6月11日 1968年7月23日 強盗に入りマサカリで夫婦を撲殺し金品を奪った[74]
女性美容師殺人事件 (A) 1970年8月20日 1967年1月26日 犯行時19歳(少年死刑囚)。内縁の妻がいるのに、結婚すると騙して金をとった女性が邪魔になった為、連れ出した矢板市で殺害し、死体を玉川上水に遺棄した[75]。1968年に一時脱走の前科あり。
日暮里用務員夫婦殺人事件 (T) 1970年9月22日 1966年8月10日 執行日不明。
マルヨ無線事件 (O) 1970年11月12日 1966年12月5日 1946年(昭和21年)9月19日生まれ[76]。一・二審で死刑判決を受け、1970年11月12日に最高裁で上告棄却判決を受けたことで死刑が確定したが、被害者の死因の1つとされる放火を否認して再審請求中[76]。死刑確定後収監年数50年は帝銀事件の平沢を上回る世界記録。2019年10月1日時点で[77]福岡拘置所に収監中[76]
栃木連続少女殺人事件 (U) 1970年12月15日 1962年・1963年 殺人前科あり。死刑執行日は不明。

1971年死刑確定囚(7人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
横浜団地主婦殺害事件 (W) 1971年2月23日 1967年6月9日 執行日不明。
静岡同僚妻殺害放火事件 (M) 1971年3月9日 1967年4月29日 執行日不明。
横須賀線電車爆破事件(純多摩良樹) 1971年4月22日 1968年6月16日 犠牲者1人。本名はW。獄中で「純多摩良樹」の筆名で短歌を寄稿。1975年12月5日宮城刑務所にて死刑執行(32歳没)。純多摩の希望により遺骨は支援者の牧師が預かったが、1995年、遺族により遺骨が引き取られ、短歌新聞社より歌集『死に至る罪―純多摩良樹歌集』 が刊行された。
新潟デザイナー誘拐殺人事件 (Y) 1971年5月11日 1965年1月13日 1977年5月21日に東京拘置所の独房の窓ガラスを割り、その破片で首を切り自殺(35歳没)。
栃木呉服店一家3人強盗殺人事件 (M) 1971年8月17日 1969年1月3日 犯行時19歳、執行日不明。
横浜母子強盗殺人事件 (H) 1971年10月26日 1967年3月14日 1975年12月7日に死刑執行(37歳没)。
愛知義妹夫婦殺人事件 (F) 1971年12月21日 1969年2月20日 1976年に死刑執行。

1972年死刑確定囚(7人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
名張毒ぶどう酒事件(奥西勝) 1972年6月15日 1961年3月28日 1926年(大正15年)1月1日生まれ[76]。1964年12月13日に津地裁で無罪判決を受けたが、1969年9月10日に名古屋高裁で一審破棄・死刑判決を受けた[76]
1972年6月15日に最高裁で上告棄却判決を受け死刑が確定[76]。その後再審請求を繰り返し、2005年4月には第7次再審請求が認められたが、検察の異議申し立てにより2006年12月に再審開始取り消し決定がなされた[76]。最高裁で2010年4月に名古屋高裁への差し戻し決定がなされるも、その後も再審は認められなかった[76]
第9次再審請求中の2015年10月4日に八王子医療刑務所で病死(89歳没)[76]。死後、2015年11月6日に実妹が第10次再審請求[76]
藤沢女子高生殺害事件 (S) 1972年7月18日 1967年1月13日 1982年11月25日に死刑執行。
戸田・異常性欲男殺人事件(萩原貞次) 1972年12月 1970年8月8日 1976年4月に死刑執行。

1973年死刑確定囚(5人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大久保清連続殺人事件(大久保清 1973年3月9日 1971年 8人を殺害、被害者多数。一審で死刑判決を受け、控訴せず確定。1976年1月22日に死刑執行(41歳没)。
福岡農協強盗殺傷事件 (A) 1973年3月2日 1967年6月20日 1976年9月2日に死刑執行。
富山少女殺人事件 (T) 1973年10月18日 1970年3月29日 1977年に死刑執行。
山口・徳山市家政婦殺害事件 (B) 1973年9月27日 1967年11月11日 上告棄却。Bは仲間D(無期)と共謀し女性金融業者宅に押し入り金融業者の悲鳴を聞いた家政婦を殺害、金融業者の手足を縛り銀行に電話をかけさせ約42万円を届けさせそれを奪取。逃亡時にBは金融業者の首を縛った。彼女は命は助かったものの全治7ヶ月の重傷であった[78]。1978年に死刑執行。
神奈川3人連続毒殺事件 (H) 1973年12月13日 1969年12月 上告棄却。金欲しさのため友人三人を次々と毒殺。犯行を隠すため放火もした[79]。最高裁は1974年2月に判決訂正申立棄却。

1974年死刑確定囚(2人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大田原女性セールスマン殺人事件 (A) 1974年7月 1971年8月 知人女性を撲殺。一審は無期懲役だったが二審で逆転死刑。上告取り下げにより死刑確定。1975年9月5日に東京拘置所でシーツで首を吊り自殺、34歳没[80]
沼津金融業者殺人事件 (A) 1974年12月20日 1969年2月 上告棄却。共犯二人とともに、静岡県内の金融業者を誘い出し睡眠薬を飲ませ絞殺。死体を箱根山中に埋めた。裁判中に自動車の排気ガス機構に関する特許権を取得している。1977年に死刑執行。

1975年-1979年

1975年死刑確定囚(3人)

1976年死刑確定囚(1人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
波崎事件 (T) 1976年4月1日 1963年8月26日 二度にわたり再審請求するも棄却。東京拘置所に収監されていたが、2003年9月3日に慢性腎不全により病死(86歳没)。晩年は寝たきりの生活で、病死時点では三度目の再審請求準備中だった。

1977年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
ピアノ騒音殺人事件 (O) 1977年4月16日 1974年8月28日 死刑執行を望み前年10月に自ら控訴を取り下げ確定も、40年以上経過した現在も執行されず生存中[注 7]東京拘置所収監中。
沖縄一家殺傷事件 (O) 1977年4月26日 1973年3月30日 1980年12月16日に死刑執行。
北九州組員4人連続殺人事件 (K) 1977年6月7日 1975年 控訴取り下げにより死刑確定したが、5か月後の1977年11月16日に死刑執行。戦後、死刑確定から執行までの期間が最も短かった記録。

1978年死刑確定囚(4人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
正寿ちゃん誘拐殺人事件 (K) 1977年12月20日[81] 1969年9月10日 犯行時19歳・1979年10月に東京拘置所で死刑執行(29歳没)。
東京連続少年誘拐殺人事件 (K) 1978年1月26日 1966年・1970年 4年間に少年2人を殺害した。1981年1月に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
愛知武豊一家3人強盗殺人事件 (O) 1978年4月17日 1971年5月1日 1985年5月31日に名古屋拘置所で死刑執行(53歳没)。
群馬2女性強盗殺人事件 (N) 1978年6月22日 1968年・1971年 1984年10月30日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)。

1979年死刑確定囚(4人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大分・福岡女性連続殺人事件 (A) 1979年1月 1977年2月28日・3月8日 控訴取下げ、1985年7月25日に福岡拘置所で死刑執行。
古谷惣吉連続殺人事件(古谷惣吉) 1978年11月28日 1965年 8人殺害で起訴されたが、過去に2人殺害している(福岡連続強盗殺人事件)ため生涯で10人殺害している。1985年5月31日に大阪拘置所で死刑執行(71歳没)。
芦屋親子殺人事件 (O) 1979年4月17日 1976年12月24日 一審は無期懲役だった。1987年9月30日に大阪拘置所で死刑執行。
熊本義兄一家殺傷事件 (K) 1979年7月10日 1970年7月4日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1989年11月10日に福岡拘置所で死刑執行。

1980年-1984年

1980年死刑確定囚(7人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
上野消火器商一家殺人事件 (K) 1980年1月5日 1974年2月6日 最高裁判決訂正申立せず。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(52歳没)。
上野消火器商一家殺人事件 (T) 1980年1月16日 1974年2月6日 上記共犯。1986年5月20日に東京拘置所で死刑執行(49歳没)。
銚子民宿母子殺人事件 (Y) 1980年3月11日 1976年6月14日 殺人の前科あり。1987年9月30日に東京拘置所で死刑執行(35歳没)。
福島連続保険金殺人事件 (K) 1980年4月25日 1970年7月28日・1971年5月20日 1993年3月26日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接。刑場は宮城刑務所にある)で死刑執行(55歳没)。
徳島上那賀母子強盗殺人事件 (M) 1980年7月22日 1976年3月12日 一審は無期懲役、上告取り下げで確定。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
寝屋川強盗殺人事件 (W) 1980年11月6日 1975年8月23日 拾った合鍵で侵入し夫婦を殺害。1988年6月16日に大阪拘置所で死刑執行。
袴田事件(袴田巌) 1980年11月28日 1966年6月30日 放火殺人事件。公判中から冤罪が指摘されていた。2011年には「世界で最も長く収監されている死刑囚」としてギネス認定(当時42年間、その後46年間)。2014年に第二次再審請求の際のDNA鑑定により有罪の証拠とされた犯行時に着用したとされる衣服から加害者と被害者双方のDNAが検出されなかったことから、静岡地裁が再審開始を決定。これにより死刑の執行が停止され、同年3月27日に東京拘置所から48年ぶりに釈放された。釈放後、袴田は拘禁反応糖尿病のため東京都内の病院に入院したが、その後病状は回復しつつあると診断され、同年5月27日、故郷の浜松市に帰り、市内の病院に転院した。

1981年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
釧路薬局一家殺人事件 (K) 1981年3月19日 1974年8月7日 一家3人を殺害し金銭を強奪。1993年11月26日に札幌刑務所で死刑執行(61歳没)。
長崎雨宿り殺人事件 (O) 1981年6月16日 1977年9月24日 殺人前科あり。第8次再審請求中の1999年12月17日に福岡拘置所で死刑執行(62歳没)。
愛媛・松前連続保険金殺人事件 (T) 1981年6月26日 1971年・1972年 保険金目的で実母を殺害し、口封じの為妻も殺害。別々に審議され死刑と無期懲役が確定。共犯2人も有罪確定。1993年3月26日に大阪拘置所で死刑執行(62歳没)。

1982年死刑確定囚(1人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
世田谷家女性強盗殺人事件 (S) 1982年9月1日 1977年12月3日 不動産売主を殺害し二審で確定。共犯は懲役13年。1993年11月26日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)。

1983年死刑確定囚(1人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
徳島連続老人殺人事件 (F) 1983年4月14日 1978年 控訴せず確定したが「知的障害者で自分が死刑になることを理解できなかった」との指摘がある。1995年5月26日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。

1984年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大阪電解事件 (D) 1984年4月27日 1974年 勤務先の上司2人を殺害・1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(70歳没)。
大阪電解事件 (S) 1984年4月27日 1974年 上記共犯・1993年11月26日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)。
近畿連続強盗殺人事件 (K) 1984年9月13日 1975年-1977年 7府県で強盗をし3人を殺害。1993年3月26日に死刑執行(48歳没)。死刑執行時は統合失調症であった可能性が指摘されている。

1985年-1989年

1986年に死刑が確定した死刑囚はいない。

1985年死刑確定囚(2人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
群馬3女性殺人事件 (A) 1985年4月26日 1977年4月16日 1994年12月1日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)。国家賠償訴訟中だった。
青森旅館連続女性殺人事件 (S) 1985年7月1日 1984年9月9日 1958年に強盗殺人で無期懲役となった前科がある。控訴取り下げにより死刑確定。1994年12月1日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(65歳没)。

1987年死刑確定囚(8人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
裕士ちゃん誘拐殺人事件 (S) 1987年1月19日 1986年5月9日 控訴取り下げにより死刑確定。1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)。
連続企業爆破事件大道寺将司 1987年3月24日 1974年8月30日-1975年5月4日 共犯の一部が超法規的措置で出国。
1987年3月24日に最高裁第三小法廷(伊藤正己裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け[82]、同判決への訂正申し立ても1987年4月20日付で棄却されたため[83]、益永とともに死刑が確定[84]。同決定により共犯者の黒川芳正は無期懲役、共犯の女も懲役8年が確定した[84]
東京拘置所に収監されていたが2017年5月24日に多発性骨髄腫のため病死(68歳没)。
連続企業爆破事件(益永利明 1987年3月24日 1974年8月30日-1975年5月4日 同上。東京拘置所収監中。旧姓片岡。
名古屋保険金殺人事件 (I) 1987年3月31日 1979年11月19日-1983年12月25日 二審で確定・1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(56歳没)。共犯のHは1993年に死刑が確定し、2001年に死刑執行。
名古屋市女子大生誘拐殺人事件(木村修治) 1987年7月9日 1980年12月2日 木村は愛知県名古屋市被差別部落出身(参考・白山中学校事件)。最高裁上告後「水平社宣言」や死刑廃止運動を知り、1986年2月には死刑廃止運動を行う死刑囚による「日本死刑囚会議・麦の会」に入会、同年には同会運営委員となる。上告審では死刑違憲論を主張するも棄却。大道寺将司・益永利明・坂口弘らとともに統一獄中者組合員として獄中活動。1993年9月に恩赦出願。1995年1月に手記『本当の自分を生きたい 死刑囚・木村修治の手記』(インパクト出版会)を出版。恩赦出願の結果は通知されないまま1995年12月21日に名古屋拘置所で死刑執行(45歳没)。また日本死刑囚会議・麦の会『死刑囚からあなたへ 国には殺されたくない』(インパクト出版会)に手記「強く、優しく生き抜いてください」を寄稿(死刑執行後の1997年3月刊行)。
秋山兄弟事件(秋山芳光[85] 1987年7月17日 1975年8月25日 秋山兄弟(双生児)の弟。兄が経営していた紙工場の元従業員。2006年12月25日(当時、2度目の再審請求中)に東京拘置所で死刑執行(77歳没)。この年齢での死刑執行は日本国憲法下では最高齢で、確定から19年5か月後の死刑執行は戦後最長。確定判決において兄は従犯とされ無期懲役(求刑は死刑)となったが、主犯は兄であるとして2003年8月に再審請求するも棄却。
東村山署警察官殺人事件 (T) 1987年10月23日 1976年10月18日 1995年5月26日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)。
熊本連続強盗殺人事件(平田直人[86] 1987年12月18日 1979年3月28日・5月15日 1995年12月21日に福岡拘置所で死刑執行(63歳没)。

1988年死刑確定囚(11人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
3連続保険金殺人事件(浜田武重[87] 1988年3月8日 1978年3月24日-1979年5月9日 福岡拘置所に収監されていたが2017年6月26日に病死(90歳没)。
福岡病院長殺人事件 (S) 1988年4月15日 1979年11月4日 犠牲者1名。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(49歳没)。
福岡病院長殺人事件 (Y) 1988年4月15日 1979年11月4日 同上共犯。1996年7月11日に福岡拘置所で死刑執行(43歳没)。
日立女子中学生誘拐殺人事件 (W) 1988年4月28日 1978年10月16日 経営していた鉄工所の経営難に加え韓国へのキーセン旅行に何度もいったことから1400万円の負債を重ね、資産家であった妻の養父の中学校3年生の娘を金銭目的で誘拐し殺害。東京拘置所に収監されていたが2013年6月23日夜、くも膜下出血により病死(74歳没)[88]
群馬連続女性農夫殺人事件 (S) 1988年5月20日 1981年10月2日・1982年7月3日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1995年12月21日に東京拘置所で死刑執行(68歳没)。
連続4人殺人事件 (W) 1988年6月2日 1967年4月24日-1973年3月20日 一審は無期懲役だった。4件の犯行のうち2件は未成年時によるもの。大阪拘置所収監中。
神田ビル放火殺人事件 (I) 1988年7月1日 1981年7月6日 1996年7月11日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。
夕張保険金殺人事件 (H) 1988年10月11日 1984年5月5日 犯人夫婦の夫。明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所で死刑執行(54歳没)。
夕張保険金殺人事件 (H) 1988年10月11日 1984年5月5日 上記の妻。女性死刑囚としては戦後3人目に処刑された。1997年8月1日に札幌刑務所札幌拘置支所で死刑執行(51歳没)。
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (H) 1988年10月17日 1978年5月21日・6月10日 明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。共犯は1990年に死刑確定。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(60歳没)。
元昭和石油重役一家殺人事件 (I) 1988年10月24日 1983年1月29日 明仁天皇即位に伴う恩赦を期待して上告を取り下げ死刑が確定したが恩赦はされなかった。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。

1989年死刑確定囚(5人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
日建土木事件 (N) 1989年3月28日 1977年1月7日 1998年11月19日に名古屋拘置所で死刑執行(61歳没)。
埼玉2女性殺人事件(石田富蔵[89] 1989年6月13日 1973年8月4日・1974年9月13日 農道で交際中の女性に結婚とその場で肉体関係を迫ったことからケンカとなり絞殺した後で屍姦し遺体を焼却。ついで飲食店の女性経営者宅に侵入し乱暴目的のために襲いかかったが抵抗されたため絞殺し、貴金属を奪い逃走。東京拘置所に収監されていたが2014年4月19日に前立腺癌のため病死(92歳没)[90]
「殺し屋」連続殺人事件 (F) 1989年10月13日 1970年2月13日-1973年4月15日 旧姓S。従兄弟の暴力団員に依頼し都合の悪い相手3人を殺害したほか、会社経営者らから恐喝で金銭を巻き上げるなど多数の余罪がある[91]中日スタヂアム事件にも関与した。東京拘置所収監中。
埼玉父親等3人殺人事件 (K) 1989年11月20日 1985年3月8日 1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(43歳没)。
伊勢崎女子中学生殺人事件 (U) 1989年12月8日 1976年4月1日 旧姓T。覚醒剤の購入資金を得るため、隣家に侵入し、留守番をしていたその家の長女と従兄弟の中学生2人を殺害、金品を奪った後で灯油をまき放火し家を全焼させた[92]。東京拘置所に収監されていたが、2013年11月15日に肺癌のため62歳で病死[93]

1990年-1994年

1990年死刑確定囚(7人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
東京港区・銀座連続強盗殺人事件 (N) 1990年2月1日 1978年5月21日・6月10日 共犯のHは1988年に上告取り下げにより死刑確定している。1996年12月20日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)。
熊本主婦殺人事件(金川一[94] 1990年4月3日 1979年9月11日 一審は無期懲役だった。18歳のときに強盗殺人を起こした前科がある。
永山則夫連続射殺事件永山則夫 1990年4月17日 1968年10月11日-11月5日 「警察庁広域重要指定108号事件」。犯行当時19歳の少年死刑囚
1990年4月17日に最高裁第三小法廷(安岡満彦裁判長)で上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を受け[95]、同判決への訂正申し立ても1993年5月9日までに最高裁第三小法廷(坂上寿夫裁判長)が棄却決定を出したため死刑が確定[96]
1997年8月1日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。
長崎3人殺人事件(村竹正博[97] 1990年4月27日 1978年3月21日 一審は無期懲役だった。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(54歳没)。
空知2女性殺人事件 (H) 1990年9月13日 1972年5月-1974年5月 一審は無期懲役だった。札幌刑務所札幌拘置支所に収監されていたが2004年6月4日に病死(70歳没)。再審請求棄却に対する異議申立中だった。
三崎事件(荒井政男[98] 1990年10月16日 1971年12月21日 東京拘置所に収監されていたが2009年9月3日に病死(82歳没)。再審請求審理中だった。
福岡県直方市強盗殺人事件 (T) 1990年12月14日 1980年4月23日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1998年6月25日に福岡拘置所で死刑執行(66歳没)。

1991年死刑確定囚(4人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
自殺偽装夫殺害事件 (M) 1991年1月31日 1974年8月8日・1978年4月24日 別の男性殺害でも起訴。東京拘置所に収監されていたが2007年7月17日に病死(75歳没)。再審請求中だった。
パチンコ景品商殺人事件 (S) 1991年2月5日 1983年1月16日 1950年に強盗殺人で無期懲役の判決を受けている。1998年6月25日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)。
泰州くん誘拐殺人事件 (T) 1991年6月11日 1984年2月13日 1998年11月19日に広島拘置所で死刑執行(59歳没)。
大宮母子殺人事件(佐川和男[99] 1991年11月29日 1981年4月4日 共犯は逃亡中の1996年に病死。1999年12月17日に東京拘置所で死刑執行(48歳没)。

1992年死刑確定囚(5人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
市原両親殺害事件 (S) 1992年1月30日 1974年10月30日 再審請求中。東京拘置所収監中。
東京都北区幼女殺害事件 (S) 1992年2月18日 1979年7月28日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日に東京拘置所で死刑執行(62歳没)。
福島女性飲食店経営者殺人事件 (T) 1992年6月18日 1990年5月2日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴せず確定。1999年9月10日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(61歳没)。
熊本母娘殺人事件 (M) 1992年9月24日 1985年7月24日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。1999年9月10日に福岡拘置所で死刑執行(69歳没)。
赤穂同僚妻子殺人事件 (N) 1992年9月29日 1983年1月19日 2007年4月27日に大阪拘置所で死刑執行(56歳没)。再審請求準備中だった。

1993年死刑確定囚(7人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
連合赤軍事件坂口弘 1993年2月19日 1971年-1972年2月 共犯の一部が超法規的措置で出国。1993年2月19日に最高裁第三小法廷(坂上寿夫裁判長)で上告棄却判決(第一審・控訴審の死刑判決を支持)を受け[100]、同判決への訂正申し立ても1993年3月9日付で棄却されたため[101]、坂口・永田の死刑と植垣康博(元兵士)の懲役20年判決が確定[102]。東京拘置所収監中。
連合赤軍事件(永田洋子 1993年2月19日 1971年-1972年2月 坂口の共犯。2011年2月5日に脳腫瘍で死去(65歳没)。
山中湖連続殺人事件(澤地和夫) 1993年7月7日 1984年10月11日-25日 警視庁警部。死刑再開への抗議のため上告取下げ、確定。共犯のIは1995年に死刑確定。
2007年に胃癌が判明、手術したが完治せず、延命治療を拒否したため2008年12月16日に多臓器不全で獄死(69歳没)。再審請求中だった。公判中の1989年1月に手記『監獄日記 東京拘置所の四季』(彩流社)を出版。以後、死刑確定後には『東京拘置所死刑囚物語 獄中20年と死刑囚の仲間たち』(2006年3月 彩流社)・『なぜ死刑なのですか 元警察官死刑囚の言い分』(2006年10月 柘植書房新社)を刊行したほか、死後にも『殺意の時 元警察官・死刑囚の告白』(2010年4月 彩流社)が刊行された。
今市覚醒剤殺人事件(藤波芳夫[103] 1993年9月9日 1981年3月29日 2006年12月25日に東京拘置所で死刑執行(75歳没)。再審請求中だった。
名古屋保険金殺人事件 (H) 1993年9月21日 1979年11月19日-1983年12月25日 旧姓T。共犯のIは1987年に死刑が確定。2001年12月27日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)。恩赦出願準備中だった。
北九州母娘殺傷事件 (M) 1993年11月16日 1990年3月12日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。控訴取り下げにより死刑確定するが公判再開申立、再審請求、前科の事件について控訴取下げ無効を申し立てるも福岡高裁に即時抗告中の2009年1月29日に福岡拘置所で死刑執行(58歳没)。
平取猟銃一家殺人事件 (O) 1993年12月10日 1979年7月18日 1999年11月8日に収監先・札幌拘置支所で入浴中、剃刀で首を切りつけて自殺(55歳没)。

1994年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
勝田清孝事件(藤原清孝) 1994年1月17日 1972年9月-1982年10月 事件の一部は「警察庁広域重要指定113号事件」。旧姓:勝田。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(52歳没)。
岐阜前妻一家殺人事件 (M) 1994年3月18日 1989年2月14日 上告取下げ、確定。2000年11月30日に名古屋拘置所で死刑執行(57歳没)。
北海道庁爆破事件大森勝久 1994年7月15日 1976年3月2日 極左暴力集団「東アジア反日武装戦線」によるテロ事件。大森の犯行を裏付ける直接証拠は見つからなかったが、有罪が確定。
1994年7月15日に最高裁第二小法廷(大西勝也裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[104]、同判決に対し「本件は冤罪」として訂正を申し立てたが[105]、1994年9月20日付で棄却されたため[106]死刑が確定[105]
札幌拘置支所収監中。1985年、支援者と獄中結婚。獄中で極左から保守主義に転向し、外部協力者によって論文を雑誌に掲載しているほか、政治評論のホームページを運用している。

1995年-1999年

1995年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
佐賀隣人一家殺人事件 (O) 1995年4月21日 1983年5月16日 2000年11月30日に福岡拘置所で死刑執行(55歳没)。
山梨・新潟連続殺人事件 (F) 1995年6月8日 1986年3月 2013年12月12日に東京拘置所で死刑執行(55歳没)。
山中湖連続殺人事件 (I) 1995年7月3日 1984年10月 東京拘置所収監中。共犯の澤地和夫は1993年7月に死刑が確定(2008年12月に病死)。

1996年死刑確定囚(4人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
徳島隣人3人射殺事件 (I) 1996年3月4日 1986年6月3日 一審は無期懲役だった。2007年12月7日に大阪拘置所で死刑執行(74歳没)。
不動産会社連続殺人事件(山野静二郎[107] 1996年10月25日 1982年3月21日-3月25日 自身が経営していた不動産会社の資金繰りに困り、知人の不動産会社社長を架空取引で誘き出し殺害、社長が持参していた小切手を換金した。ついで役員を誘い出して殺害し手付金として持参してきた2100万円を奪った[108]大阪拘置所収監中。
練馬一家5人殺害事件 (A) 1996年11月14日 1983年6月27日 元不動産鑑定士。「競売で落札した物件に立退き料吊り上げのために居座っていた賃借人が邪魔になった」という動機から一家5人を殺害し遺体をバラバラにした。2001年12月27日に東京拘置所で死刑執行(66歳没)。
姫路母子3人殺人事件 (M) 1996年12月17日 1985年11月29日・12月3日 2003年9月12日に大阪拘置所で死刑執行(42歳没)。

1997年死刑確定囚(4人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大阪宝石商夫婦強盗殺人事件 (N) 1997年1月28日 1982年5月20日 2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)。
徳島・愛知主婦連続強盗殺人事件 (M) 1997年4月28日 1987年9月 2008年2月1日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。
福岡内妻一家4人殺害事件(大城英明[109] 1997年9月11日 1976年6月13日 旧姓秋好。福岡拘置所収監中。
警察庁広域重要指定115号事件 (J) 1997年12月19日 1984年9月4日 旧姓H。大阪拘置所収監中。

1998年死刑確定囚(6人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
熊本大学生誘拐殺人事件(春田竜也[110] 1998年4月23日 1987年9月14日 旧姓田本。上告中に脱獄未遂を起こし、当時の福岡拘置所所長が自殺。2002年9月18日に福岡拘置所で死刑執行(36歳没)。
岐阜県坂祝町一家3人殺人事件 (H) 1998年6月3日 1994年6月3日 殺人の前科あり。2002年9月18日に名古屋拘置所で死刑執行(51歳没)。
警察庁広域重要指定111号事件 (M) 1998年9月4日 1980年2月-3月 犠牲者2人。Mは戦後7番目の女性死刑囚。共犯とされた男性については無罪となったが、検察は一審審理中に主犯と共犯を逆転させた。名古屋拘置所収監中。
中村橋派出所警官殺害事件 (S) 1998年9月17日 1989年5月16日 元陸上自衛官が銀行強盗のために拳銃を奪おうとして警察官2名殺害。東京拘置所収監中。
宮代事件(村松誠一郎[111] 1998年10月8日 1980年3月21日 犠牲者2人。兄弟が起訴され兄(村松)の死刑、弟の無期懲役が確定したが、冤罪説もある。東京拘置所収監中。
妙義山麓連続殺人事件 (M) 1998年12月1日 1990年12月4日・1991年7月6日 東京拘置所収監中。

1999年死刑確定囚(4人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
友人3人殺人事件 (T) 1999年2月25日 1972年2月・1974年2月 1932年(昭和7年)8月17日生まれ[112]
1986年3月28日に東京地裁(杉山忠雄裁判長)で死刑判決、1994年9月14日に東京高裁(小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決[112]
1999年2月25日の最高裁判決(小野幹雄裁判長)で上告を棄却され死刑が確定したが「真犯人は別人」と主張している[112]
2019年10月1日時点で[77]東京拘置所に収監中(現在92歳)[112]
熊本・菊池市保険金殺人事件 (S) 1999年3月9日 1988年3月 第一審・熊本地裁では1992年11月30日に無期懲役判決を受けたが、控訴審・福岡高裁(池田憲義裁判長)で1995年3月16日に一審破棄・死刑判決[112]。2004年9月14日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[112]
高知3連続殺人事件 (F) 1999年6月25日 1978年・1980年・1981年 1942年(昭和16年)7月14日生まれ[112]
1988年3月9日に高知地裁(田村秀作裁判長)で死刑判決を受け、1994年3月8日に高松高裁(米田俊昭裁判長)で控訴棄却判決[112]
1999年6月25日の最高裁判決(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[112]
2006年12月25日に大阪拘置所で死刑執行(64歳没)[112]
群馬県安中市親子3人殺害事件 (M) 1999年9月13日 1994年2月13日 1948年(昭和23年)1月23日生まれ[112]
1975年2月14日に[113]群馬県高崎市内で自身との交際を断った[114]女子専門学校生(当時20歳)を包丁で刺殺する殺人事件を起こし[113]、懲役10年の判決を受け刑務所に服役した前科があった[114]。一時期、姓がNだったが元に戻した。
前述事件の刑期を終えて出所後、群馬県安中市で交際相手の女性(当時42歳)の両親(夫69歳・妻65歳)から結婚に反対され、女性からも結婚を断られたことに逆上し、3人をハンマーで撲殺した[114]。さらに女性の妹夫婦宅にも侵入し、妹とその長女を殺そうと首を絞めるなどした[115]
前橋地裁高崎支部(佐野精孝裁判長)で1994年11月9日に死刑判決を受け[115]、1995年10月6日に東京高裁(小泉祐康裁判長)で控訴棄却判決を受けた[116]
1999年9月13日に最高裁第一小法廷(大出峻郎裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[117]
第4次再審請求中の2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)[118]

2000年-2004年

2000年死刑確定囚(6人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
千葉・高知連続強盗殺人事件 (K) 2000年2月4日 1983年8月・1989年2月 1947年(昭和22年)5月21日生まれ[112]
高知地裁(隅田景一裁判長)で1994年2月23日に死刑判決を受け、高松高裁(米田俊昭裁判長)で1995年3月30日に控訴棄却判決[112]
2000年2月4日の最高裁判決(北川弘治裁判長)で上告棄却・死刑確定。
2005年9月16日に大阪拘置所で死刑執行(58歳没)[112]
広島タクシー運転手連続殺人事件 (H) 2000年2月24日 1996年4月 - 9月 2000年2月9日に広島地裁戸倉三郎裁判長)で死刑判決を受け、控訴せず死刑が確定[112]。2006年12月25日に広島拘置所で死刑執行(44歳没)[112]
福岡・赤池町保険金殺人事件 (O) 2000年3月30日 1990年12月25日・26日 2000年3月15日に福岡地裁(陶山博生裁判長)で死刑判決を受け、弁護人が控訴したが、同年3月30日に自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[112]。2007年4月27日に福岡拘置所で死刑執行(59歳没)[112]
京都・滋賀連続強盗殺人事件 (M) 2000年4月4日 1990年9月・1991年9月 1951年(昭和26年)2月3日生まれ[112]。共犯の兄(主犯とされる)は逮捕前に自殺[112]
2件の強盗殺人罪に問われ、1993年9月17日に大津地裁(土井仁臣裁判長)で死刑判決を受け、1996年2月21日に大阪高裁(朝岡智幸裁判長)で控訴棄却判決[112]
2000年4月4日に最高裁(奥田昌道裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[112]
2019年10月1日時点で[77]大阪拘置所に収監中(現在73歳)[112]
4都県連続4人殺害事件 (T) 2000年9月8日 1984年・1988年
1989年・1991年
1964年(昭和39年)9月12日生まれ[112]。旧姓M[112]
1994年1月27日に横浜地裁(上田誠治裁判長)で死刑判決を受け、1995年12月20日に東京高裁(佐藤文哉裁判長)で控訴棄却判決[112]
2000年9月8日に最高裁(河合伸一裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[112]
2007年4月27日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[112]。再審請求を棄却され、恩赦請求を提出する直前だった[112]
今市連続殺人事件 (T) 2000年12月26日 1990年9月13日[112]
1993年7月28日[112]
1998年3月24日に宇都宮地裁(山田公一裁判長)で死刑判決を受け、2000年12月11日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決。
弁護人は「嫉妬妄想による犯行」と主張していたが、控訴審判決後に上告せず死刑が確定[112]。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(69歳没)[112]

2001年死刑確定囚(5人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
富山社長夫婦射殺事件 (S) 2001年1月30日 1991年5月7日 1993年7月15日に富山地裁下山保男裁判長)で死刑判決を受け、1997年3月11日に名古屋高裁金沢支部(高木實裁判長)で控訴棄却判決[112]
2001年1月30日に最高裁(元原利文裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[112]
2007年8月23日に名古屋拘置所で死刑執行(60歳没)[112]
東京連続強盗殺人事件 (I) 2001年2月6日 1996年6月10日・1999年7月8日 2001年2月1日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決[112]
弁護人が控訴したが、自ら控訴を取り下げたため死刑が確定[112]。2007年8月23日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)[112]
愛知連続殺人事件 (U) 2001年9月20日 1993年2月16日・3月3日[119] 強盗で2人殺害(強盗殺人)・1人重傷(強盗殺人未遂)のほか、窃盗など余罪多数。
1994年5月25日に名古屋地裁一宮支部(伊藤邦晴裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に名古屋高裁(松本光雄裁判長)で控訴棄却判決[119]
2001年9月20日に最高裁(藤井正雄裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[119]
死刑確定後の2003年2月28日に名古屋拘置所内で病死(33歳没)[119]
市川一家4人殺人事件 (S) 2001年12月3日 1992年3月5日 1973年(昭和48年)1月30日生まれ・犯行時19歳の少年死刑囚[119]。1994年8月8日に千葉地裁(神作良二裁判長)で死刑判決を受け、1996年7月2日に東京高裁(神田忠治裁判長)で控訴棄却判決[119]
2001年12月3日に最高裁第二小法廷(亀山継夫裁判長)で上告棄却判決を受け[120]、(判決訂正申し立て棄却決定により)2001年12月21日までに死刑が確定[121]
2017年12月19日に東京拘置所で死刑執行(44歳没)[118]。死刑執行当時は第3次再審請求への棄却決定に対する即時抗告中だった[122]
少年犯罪に対する死刑確定・執行は連続射殺事件(警察庁広域重要指定108号事件)の死刑囚・永山則夫以来で平成の事件では初だった。
大阪地下鉄短大生強盗殺人事件 (M) 2001年12月6日 1988年1月15日 1940年(昭和15年)1月24日生まれ[119]。無期懲役刑の仮釈放中に本事件を起こした[119]
1991年2月7日に大阪地裁(米田俊昭裁判長)で死刑判決、1997年4月10日に大阪高裁(内匠和彦裁判長)で控訴棄却判決[119]
2001年12月6日に最高裁(深沢武久裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[119]。2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)[119]

2002年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (C) 2002年6月11日[119] 1992年5月30日[119] 1961年(昭和36年)2月13日生まれ[119]。中国国籍で、定住以外の外国人の死刑確定は戦後初だった[119]。主犯格は国外逃亡中[119]
1995年12月15日に東京地裁八王子支部(豊田健裁判長)で下記共犯とともに死刑判決を受け、1998年1月29日に東京高裁(米沢敏雄裁判長)で控訴棄却判決[119]
2002年6月11日に最高裁(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[119]
2019年10月1日時点で[77]東京拘置所に収監中(現在63歳)[119]
多摩市パチンコ店強盗殺人事件 (H) 2002年6月11日 1992年5月30日 1964年(昭和39年)10月3日生まれ[119]。上記共犯Cと同じく中国籍で、判決期日はいずれも同上[119]
2019年10月1日時点で[77]東京拘置所に収監中(現在60歳)[119]
川口バラバラ殺人事件 (Y) 2002年10月25日 1999年1月9日 1949年(昭和24年)5月23日生まれ[119]。無期懲役刑の仮釈放中に本事件を起こした[119]
2001年6月28日にさいたま地裁で無期懲役判決を受けたが、2002年9月30日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で一審破棄・死刑判決[119]
弁護人が上告したが、本人が同年10月5日に取り下げたため確定[119]
2019年10月1日時点で[77]東京拘置所に収監中(現在75歳)[119]

2003年死刑確定囚(2人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
江戸川老母子強盗殺人事件 (F) 2003年1月 1999年4月19日 老母子2人を殺害したほか、別件で詐欺事件も起こしていた。
2001年3月21日に東京地裁(木村烈裁判長)で死刑判決を受け、2001年12月19日に東京高裁(高橋省吾裁判長)で控訴棄却判決[119]
上告していたが、2003年1月5日に上告を取り下げたため死刑が確定[119]。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(42歳没)[119]
附属池田小事件(吉岡守) 2003年8月28日 2001年6月8日 旧姓:宅間。2003年8月28日に大阪地裁(川合昌幸裁判長)で死刑判決を受け、第一審の弁護人が控訴したが、本人が同年9月26日に控訴を取り下げたため死刑が確定。[119]
死刑確定からわずか1年後の2004年9月14日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)[119]

2004年死刑確定囚(15人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
警察庁広域重要指定121号事件 (W) 2004年4月19日 1993年10月27日 - 12月20日[119] 1968年(昭和43年)12月14日生まれ[119]。中国系のマレーシア国籍[119]
東京都群馬県滋賀県など4都県にまたがる広域連続強盗殺人事件を起こし、強盗殺人などの罪に問われた[123]
刑事裁判では強盗殺人の共謀・殺意の不存在を主張したが、1996年7月19日に東京地裁(阿部文洋裁判長)で死刑判決[119]。1998年3月26日に東京高裁(松本時雄裁判長)で控訴棄却判決[119]
2004年4月19日に[119]最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)で[123]上告棄却判決を受け[119]、判決への訂正申し立ても同小法廷の決定(2004年5月25日まで)により棄却されたため死刑が確定[123]
共犯Mは2005年9月に死刑が確定[119]。2019年10月1日時点で[77]東京拘置所に収監中(現在56歳)[119]
神奈川2件強盗殺人事件 (I) 2004年4月27日 1988年12月28日・1989年1月1日[119] 1937年(昭和12年)10月25日生まれ[119]
第一審・横浜地裁小田原支部(萩原孟裁判長)は1996年3月8日に強盗殺人2件のうち1件を無罪として無期懲役判決を言い渡した[119]
しかし控訴審・東京高裁(佐藤文哉裁判長)は1999年4月28日に死刑判決を言い渡し、2004年4月27日に最高裁(藤田宙靖裁判長)が上告棄却判決を言い渡したため死刑が確定[119]
再審請求中の2009年10月27日に東京拘置所で病死(72歳没)[119]
藤沢市母娘ら5人殺害事件 (F) 2004年6月15日 1981年10月6日 - 1982年6月5日 1960年(昭和35年)8月21日生まれ[124]
神奈川県で元窃盗仲間・元交際相手の女子高生一家3人の計4人を相次いで殺害したほか、一家3人殺害事件の共犯者を逃走先の兵庫県内で殺害した。一連の3件5件の殺人事件は「警察庁広域重要指定112号事件」に指定された。
1988年3月10日に横浜地裁(和田保裁判長)で死刑判決を受けて東京高裁に控訴するが、控訴中の1991年に自ら控訴を取り下げた。その後、弁護人からの異議申し立てにより1995年に最高裁から「取り下げは無効」と判断されて審理が再開されたが、2000年1月24日に東京高裁(荒木友雄裁判長)は控訴棄却判決(死刑判決支持)を言い渡した[125]
最高裁第三小法廷(濱田邦夫裁判長)にて2004年6月15日に上告棄却判決を受け[126]、それから10日以内に判決の訂正を申し立てず確定した[127]。2007年12月7日に東京拘置所で死刑執行(47歳没)[124]
警察庁広域重要指定118号事件 (O) 2004年6月25日 1986年7月[124]
1989年7月[124]
1991年5月[124]
1953年(昭和28年)6月30日生まれ[124]
118号事件の主犯格で元岩手県警警察官。殺人の被害者数2人で加害者3人に死刑判決が言い渡された[124]
下記共犯2人(S・K)とともに1995年1月27日、福島地裁(井野場明子裁判長)で死刑判決[124]
1998年3月17日に仙台高裁(泉山禎治裁判長)で控訴棄却、2004年6月25日に最高裁(北川弘治裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[124]
死刑確定後の2008年に東京拘置所へ移送されたが、2014年6月24日未明に誤嚥性肺炎による急性呼吸器不全のため病死(60歳没)。下記2人を含め、いずれも病死時点で再審請求中だった[124]
警察庁広域重要指定118号事件 (S) 2004年6月25日 1986年7月[124]
1989年7月[124]
1991年5月[124]
1940年(昭和15年)7月25日生まれ[124]
上記O・下記K両加害者の共犯者[124]。裁判経緯はO・Kと同一[124]
2013年8月14日に収監先の宮城刑務所仙台拘置支所医務棟で急性肺炎により病死(73歳没)。
警察庁広域重要指定118号事件 (K) 2004年6月25日 1986年7月[124]
1989年7月[124]
1991年5月[124]
1943年(昭和18年)2月10日生まれ[124]
上記O・S両加害者の共犯者[124]。裁判経緯はO・Sと同一[124]
死刑確定後、いったんは宮城刑務所仙台拘置支所から東京拘置所へ移送されたが、2010年12月に胆管癌と診断されたため、医療施設のある宮城刑務所仙台拘置支所医務棟に移送され、2011年1月29日に拘置支所外の一般病院で病死(67歳没)[128]
徳之島兄家族殺傷事件 (N) 2004年8月26日 2002年8月16日 1970年(昭和45年)5月7日生まれ[124]。2004年6月18日に鹿児島地裁(大原英雄裁判長)で死刑判決を受け、2004年8月26日に自ら控訴を取り下げたため死刑確定[124]。2008年2月1日に福岡拘置所で死刑執行(37歳没)[124]
滋賀元同僚強盗殺害事件 (N) 2004年9月9日 1989年10月10日・12月26日[124] 1947年(昭和22年)3月11日生まれ[124]
1995年5月19日に大津地裁(中川隆司裁判長)で死刑判決を受け、1999年12月22日に大阪高裁(河上元康裁判長)で控訴棄却判決[124]
2004年9月13日に最高裁8福田宏裁判長)で上告棄却判決を受け死刑確定[124]
2008年4月10日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[124]
コスモ・リサーチ事件(岡本啓三)[129] 2004年9月13日 1988年1月9日 1958年(昭和33年)9月3日・大阪府大阪市西成区生まれ[130](旧姓:河村)[124]。下記共犯者Sや共犯の男1人(無期懲役が確定)と共謀し、投資顧問会社「コスモ・リサーチ」(大阪市)社長を務めていた相場師男性(当時43歳)[注 8]を拉致して1億円を奪い、その犯行を隠蔽することを計画[131]。社長と同社従業員男性(当時23歳)を大阪市内のマンションで絞殺し、遺体をコンクリート詰めにして京都府南山城村の山林に埋めて遺棄した[131]
刑事裁判では強盗殺人などの罪に問われたが[131]、事件を計画した時期や共犯同士の主従関係、強盗殺人罪の成否などが争点となった[129]大阪地裁(谷村充祐裁判長)は[124]「本件は強盗殺人が成立する。河村が主導者でSも刑事責任は河村と負けず劣らず重大だ」と認定[注 9][129]、1995年3月23日に下記共犯者Sとともに大阪地裁で死刑判決を受け、1999年3月5日に大阪高裁(西田元彦裁判長)で控訴棄却判決[124]
2004年9月13日に最高裁(福田博裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[124]
死刑確定後に旧名「河村啓三」名義でインパクト出版会から著書『こんな僕でも生きてていいの』[132]『生きる 大阪拘置所・死刑囚房から』[133]『落伍者』を出版[134]
2017年9月12日に第4次再審請求を申し立てていたが[135]、請求中の[124]2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(60歳没)[136][137]
コスモ・リサーチ事件 (S)[129] 2004年9月13日 1988年1月9日 1951年(昭和26年)9月16日生まれ[124]。上記・岡本(河村)の共犯者で裁判の経緯は同上[124]
2018年12月27日に大阪拘置所で死刑執行(67歳没)[136][137]
JT女性社員逆恨み殺人事件 (M) 2004年10月13日 1997年4月18日 1942年(昭和17年)5月15日生まれ[129]。殺人前科あり(1976年に広島県広島市内で家出中の女子高生を殺害して懲役10年の刑に処された)。
第一審・東京地裁山室惠裁判長)では1999年5月27日に無期懲役判決を受けたが[138]、控訴審・東京高裁仁田陸郎裁判長)で2000年2月28日に死刑判決を受けた[139]
最高裁第二小法廷(滝井繁男裁判長)にて2004年10月13日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2004年11月10日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[140]。2008年2月1日に東京拘置所で死刑執行(65歳没)[129]
群馬女子高生誘拐殺人事件 (S) 2004年10月29日 2002年7月19日 1966年(昭和41年)5月19日生まれ[141]
第一審・前橋地裁久我泰博裁判長)では2003年10月9日に無期懲役判決が言い渡されたが、2004年10月29日に東京高裁(白木勇裁判長)で一審破棄・死刑判決[141]。2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[141]
高知連続保険金殺人事件 (S) 2004年11月19日 1987年1月17日[141]
1992年8月19日[141]
1927年(昭和2年)6月21日生まれ・死刑確定時77歳[141]。女性死刑囚としては最高齢。
高知県室戸市内で1987年に共犯者らと共謀して夫を殺害し生命保険金5,000万円を詐取したほか、1992年にも交通事故を装って同居女性を殺害し、保険金を詐取しようとした[142]。殺人・詐欺などの罪で起訴され、刑事裁判では無罪を主張したが[142]、1998年7月29日に高知地裁(竹田隆裁判長)で死刑判決を受け、2000年9月28日には高松高裁(島敏男裁判長)で控訴棄却判決[141]
2004年11月19日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[141]。共犯3人は懲役刑が確定。
大阪拘置所に収監されていたが、2010年9月ごろに腫瘍が見つかり[142]、同年12月に大阪医療刑務所へ移送された[143]。2011年1月25日ごろから容体が悪化し、2011年1月27日に肝臓がんのため大阪医療刑務所で死亡(83歳没)[142]
福岡連続強盗殺人事件 (H) 2004年12月2日 1995年4月18日 1951年(昭和26年)7月2日生まれ[141]
1995年4月に福岡県大牟田市で男女2人を殺害する事件などを起こし、1999年3月25日に福岡地裁(仲家暢彦裁判長)で死刑判決を受け、2000年6月29日に福岡高裁(小出錞一裁判長)で控訴棄却判決[141]
2004年12月2日に最高裁(津野修裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[141]。2019年10月1日時点で[77]福岡拘置所に収監中(現在Template:1951歳)[141]
フィリピン人2女性殺人事件 (M) 2004年12月14日 1998年12月25日 旧姓S。2000年3月1日に津地裁(柴田秀樹裁判長)で死刑判決を受け、2001年5月14日に名古屋高裁(堀内信明裁判長)で控訴棄却判決[141]。2004年12月14日に最高裁(金谷利廣裁判長)で上告棄却判決を受け死刑が確定[141]
共犯者2人のうち1人は後半途中で死亡し、もう1人は控訴審で(第一審・死刑判決が破棄され)無期懲役判決に減軽された[141]。2019年10月1日時点で[77]名古屋拘置所に収監中[141]

2005年-2009年

2005年死刑確定囚(11人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
2件保険金殺人事件 (Y) 2005年1月25日 1985年11月・1990年3月 一審は無期懲役だった。2008年6月17日に大阪拘置所で死刑執行(73歳没)。
同級生連続殺人事件 (M) 2005年1月27日 1989年8月9日-9月13日 東京拘置所収監中。
資産家老女ら2人殺人事件 (A) 2005年3月3日 1989年10月1日-4日 一審は無期懲役だった。2008年4月10日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。
オウム真理教事件宮前一明 2005年4月7日 1989年2月-11月3日 旧姓は岡崎および佐伯。オウム真理教男性信者殺害事件坂本堤弁護士一家殺害事件に関与し、一連のオウム事件死刑囚では最初の死刑確定者となった。最高裁第一小法廷(島田仁郎裁判長)にて2005年4月7日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2005年5月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[144]。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で2018年7月26日に死刑執行(57歳没)。
スナックママ連続殺人事件 (N) 2005年6月7日 1991年12月13日-1991年12月28日 警察庁広域重要指定119号事件。18歳のときに起こした殺人の前科あり。第10次再審請求中の2017年7月13日に大阪拘置所で死刑執行(61歳没[注 10]
大阪連続バラバラ殺人事件 (K) 2005年7月8日 1985年5月28日-1994年3月 警察庁広域重要指定122号事件。2016年3月25日に大阪拘置所で死刑執行(75歳没)。
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (T) 2005年7月13日 2003年2月23日・4月1日 控訴取り下げにより死刑確定。共犯のOは2009年確定。東京拘置所収監中。
警察庁広域重要指定121号事件 (M) 2005年9月16日 1993年10月-12月 共犯のWは2004年確定。東京拘置所収監中。
仙台老夫婦強盗殺人事件 (H) 2005年9月26日 1986年2月20日 宮城刑務所仙台拘置支所収監中。
東京風俗店連続殺人事件 (M) 2005年10月17日 1995年12月21日 2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(37歳没)。
警察庁広域重要指定120号事件 (U) 2005年12月15日 1992年6月19日-1993年10月29日 大阪拘置所収監中。

2006年死刑確定囚(20人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件宮崎勤 2006年1月17日 1988年8月-1989年6月 警察庁広域重要指定117号事件。最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)にて2006年1月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2006年2月1日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[145]。再審請求準備中の2008年6月17日に東京拘置所で死刑執行(45歳没)。
右翼幹部ら2人殺人事件 (T) 2006年2月14日 1992年2月9日・1994年4月28日 旧姓K。1992年に右翼団体に所属する自動車販売業の男に客を仲介したのに手数料を支払わないのに腹を立て仲間2人と共謀し殺害。1994年に同じ右翼団体に所属する金券販売業の男を架空取引を持ちかけて現金を奪い殺害し琵琶湖に遺棄した[146]。大阪拘置所収監中。
古美術商ら2人殺人事件 (Y) 2006年2月24日 1994年3月-1995年3月 Yは1994年4月に元暴力団員3人と共謀し古物商宅に押し入って現金を奪ったが、この時の共犯の一人が反抗するようになったため4月に殺害した。1995年3月に四日市市の古物商を殺害し、現金を奪った上に遺体を丸山ダムに遺棄した[146]名古屋拘置所収監中。
愛知・静岡2女性殺害事件 (M) 2006年3月2日 1996年8月31日・1997年9月4日 旧姓T。静岡県で同居していた女性を覚醒剤の大量注射により殺害し、遺体を山林に埋め女性の銀行口座から1000万円を引き出した。愛知県でスナック経営者を借金を踏み倒すために別の男と共謀し尾張旭市の森林公園に連れ出した上で銃殺し、遺体を駐車場脇に遺棄した[147]。名古屋拘置所収監中。
神戸市夫婦強盗殺人事件 (Y) 2006年3月20日 2005年1月8日 2008年9月11日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。
オウム真理教事件麻原彰晃 2006年3月27日 1989年2月-1995年3月 本名:松本智津夫。坂本堤弁護士一家殺害事件松本サリン事件地下鉄サリン事件など一連の事件で29人が死亡した(殺人26名、逮捕監禁致死1名、殺人未遂2名)。第一審・東京地裁で2004年2月27日に死刑判決を受け弁護団が控訴したが、弁護団は「麻原には訴訟能力がなく控訴趣意書が作成できない」などとして東京高裁からの再三の催促を無視して控訴趣意書を期日通りに提出しなかったため2006年3月に控訴棄却決定、それに対する弁護団の特別抗告棄却も同年9月15日付で棄却され死刑が確定した。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。
鶴見事件(高橋和利) 2006年3月28日 1988年6月20日 横浜市鶴見区にて不動産取引と金融業を営む夫婦が殺害され、現金1200万円と預金通帳が奪われた。犯人として電気工事業の高橋が逮捕・起訴された。高橋は金を奪ったことは認めたが、殺害については否認。殺害時のアリバイを主張し再審請求している[148]2011年5月、手記『「鶴見事件」抹殺された真実―私は冤罪で死刑判決を受けた』(インパクト出版会) を出版。また2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)に手記を寄せている。東京拘置所収監中。
ドラム缶女性焼殺事件 (S) 2006年6月9日 2000年4月4日 旧姓N。2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(39歳没)。
ドラム缶女性焼殺事件 (K) 2006年6月9日 2000年4月4日 上記Sの共犯。2009年1月29日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。
豊中市2人殺害事件 (N) 2006年6月13日 1992年3月5日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。2014年5月15日に獄死(66歳没)。
川崎中国人6人殺傷事件 (C) 2006年6月27日 1999年5月25日 中国福建省出身の犯罪集団による犯行。裕福として目を付けていた中国人男女グループが実際は金が全くない事に激怒し、そのグループ6人を襲撃し、うち3人を殺害。主犯の中国人Cとその親類7人(全員中国人)が逮捕された。主犯Cは2009年7月28日に東京拘置所で死刑執行(41歳没)[146]。戦後初の在日中国人に対する死刑執行。
市貝町牧場夫婦強盗殺人放火事件 (H) 2006年9月1日 1994年12月19日 殺人の前科有り。2008年9月11日に東京拘置所で死刑執行(61歳没)。
堺夫婦殺人事件 (E) 2006年9月7日 1997年10月30日 知り合いの資産家夫婦から資産を奪うことを計画したEは、知人3人と共謀し言葉巧みに土地建物処理の委任状を書かせた後に夫婦を殺害。二人の遺体を長野市内の休耕田に運び重機で埋める作業を始めたが、休耕田の所有者に通報され駆けつけてきた警官によって緊急逮捕された[149]。共犯逃亡中。大阪拘置所収監中。
飯塚事件(久間三千年[150] 2006年9月8日 1992年2月20日 当時のDNA鑑定は信憑性が低いとして再鑑定を求めていたが、2008年10月28日に福岡拘置所で死刑執行(70歳没)。
宮崎2女性殺人事件 (I) 2006年9月21日 1996年8月29日・1997年6月13日 父親の経営する工務店の経営悪化から、何とかしたいと思った家事手伝いの女性が、金銭目当てに女性2人を殺害した[151]福岡拘置所収監中。
奈良小1女児殺害事件(小林薫[152] 2006年10月10日 2004年11月17日 控訴取り下げにより死刑確定。2013年2月21日に大阪拘置所で死刑執行(44歳没)。
栃木・妻と知人殺人事件 (N) 2006年10月12日 1988年11月・1989年11月 東京拘置所収監中。
医師ら生き埋め殺人事件 (T) 2006年10月26日 1992年7月 東京拘置所収監中。
名古屋福岡連続殺人事件 (P) 2006年11月24日 1995年1月12日-28日 2009年1月4日獄死(62歳没)。
いわき市母娘強盗殺人事件 (T) 2006年12月20日 2004年3月18日 一審は無期懲役だった。上告取り下げにより死刑確定。2008年10月28日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(55歳没)。

2007年死刑確定囚(23人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
長野・愛知4連続強盗殺人事件 (N) 2007年1月11日 2004年1月13日-9月7日 控訴取り下げにより死刑確定。2009年1月29日に東京拘置所で死刑執行(32歳没)。
マニラ連続保険金殺人事件 (M) 2007年1月30日 1994年12月-1996年6月 双子の兄弟の兄。名古屋拘置所収監後、肺炎のため八王子医療刑務所に移送され、2016年1月22日に肺炎のため病死(61歳没)。
マニラ連続保険金殺人事件 (M) 2007年1月30日 1994年12月-1996年6月 上記共犯者、双子の兄弟の弟。名古屋拘置所収監中。
マニラ連続保険金殺人事件 (S) 2007年1月30日 1994年12月-1996年6月 上記共犯者。死刑確定後に名古屋拘置所から大阪拘置所へ移送され同所収監中。
宮崎連続強盗殺人事件 (M) 2007年2月6日 2001年11月-12月 2012年3月29日に福岡拘置所で死刑執行(44歳没)。
宇都宮宝石店放火殺人事件 (S) 2007年2月20日 2000年6月11日 最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)が2007年2月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を言い渡した[153]。その後、2007年3月8日付で被告人Sからの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定し[154]、収監中の死刑囚の人数は1946年以降(2006年までは各年末時点のデータ)初めて100人に達した[153]。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。
名古屋市中区栄スナックバー経営者殺害事件 (K) 2007年3月22日 2002年3月14日 旧姓B(上告中に養子縁組して改姓)。一審は無期懲役だった。殺人で懲役15年の刑に処された前科あり。2013年2月21日に名古屋拘置所で死刑執行(62歳没)。
武富士弘前支店強盗殺人・放火事件 (K) 2007年3月27日 2001年5月8日 最高裁第三小法廷(上田豊三裁判長)にて2007年3月27日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、4月3日付で同小法廷に判決の訂正を申し立てたが[155]、2007年4月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[156]。2014年8月29日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(56歳没)。死刑確定後3度にわたり再審請求を行ったが2014年8月6日に3度目の再審請求の棄却決定が言い渡され、4度目の再審請求の準備に入るところであった。
福山市独居老婦人殺害事件 (N) 2007年4月10日 1992年3月29日 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。一・二審は無期懲役も最高裁で口頭弁論を経て差し戻され、その後言い渡された死刑判決が確定。広島拘置所収監中。
池袋通り魔殺人事件 (Z) 2007年4月19日 1999年9月8日 東京拘置所収監中。
大阪姉妹殺害事件(山地悠紀夫) 2007年5月31日 2005年11月17日 控訴取り下げにより死刑確定。16歳のとき山口母親殺害事件を起こして少年院送致され、その仮退院後に本事件を起こした2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(25歳没)。
太州会内部抗争連続殺人事件 (N) 2007年6月12日 1997年10月 福岡拘置所収監中。
春日部中国人夫婦殺害事件 (S) 2007年6月19日 2000年9月22日 筑波大学大学院生。被害者・加害者とも中国人留学生。被害者夫は新越谷外国語会話教室中国語講師で埼玉大学大学院生、妻は筑波大学大学院生。東京拘置所収監中。
自殺サイト殺人事件 (M) 2007年7月5日 2005年2月-6月 控訴取下げ・2009年7月28日に大阪拘置所で死刑執行(40歳没)。
三重連続射殺事件 (H) 2007年7月18日 1994年7月-11月 名古屋拘置所収監中。
熊谷男女4人殺傷事件 (O) 2007年4月10日 2003年8月18日 控訴を取り下げて確定。2010年7月28日に東京拘置所で死刑執行(33歳没)。執行命令書に署名した法務大臣自身が歴史上初めて立ち会う。
オウム真理教事件横山真人 2007年7月20日 1995年3月20日 地下鉄サリン事件の実行犯の1人。横山がサリンを散布した車両では死者を出さなかったが、大量殺傷事件の共同正犯として死刑判決を受けた。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2007年7月20日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年8月23日付同小法廷の決定で棄却されたため死刑が確定した[157]。2018年3月14日に東京拘置所から名古屋拘置所へ移送され、同所で2018年7月26日に死刑執行(54歳没)。
上申書殺人事件 (G) 2007年9月28日 2000年7月-8月 茨城県水戸市栃木県宇都宮市で男女5人を死傷させたとして殺人罪などに問われ、最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年9月28日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受けた[158]。10月9日に判決の訂正を申し立てたが[159]、2007年10月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[158]。東京拘置所収監中。
オウム真理教事件端本悟 2007年10月26日 1989年12月など 坂本堤弁護士一家殺害事件松本サリン事件に関与。最高裁第二小法廷(津野修裁判長)にて2007年10月26日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2007年11月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[160]。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(51歳没)。
警察庁広域重要指定124号事件(畠山鐵男) 2007年11月1日 2002年8月 犠牲者4人。東京高等裁判所への控訴取下げ、共犯も2011年に最高裁上告棄却で死刑確定。ノンフィクション作家斉藤充功の手によって死刑囚獄中ブログに、獄中手記を更新している。旧姓:小田島。東京拘置所に収監されていたが、食道がんのため2017年9月16日に病死(74歳没)。
大和連続主婦強盗殺人事件 (S) 2007年11月6日 2001年8月-9月 正式な死刑確定日は2007年12月5日[161]。2019年8月2日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)。
横浜前妻一家殺人事件 (F) 2007年11月15日 2002年7月31日 2012年3月29日に東京拘置所で死刑執行(46歳没)。
岡山女性殺人事件 (U) 2007年11月30日 2001年8月9日 殺人罪で服役し仮釈放された元無期懲役囚による再犯。2008年2月7日獄死(68歳没)。歴史上初めて、法務大臣自身が死亡の事実を記者発表した。

2008年死刑確定囚(10人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
長崎・佐賀連続保険金殺人事件 (S) 2008年1月31日 1992年9月-1998年10月 福岡拘置所収監中。
オウム真理教事件小池泰男 2008年2月15日 1995年3月20日等 旧姓林。松本サリン事件地下鉄サリン事件などに関与。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月15日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年3月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[162]。2018年3月14日に東京拘置所から宮城刑務所仙台拘置支所へ移送され2018年7月26日に隣接する宮城刑務所で死刑執行(60歳没)。
三島女子短大生焼殺事件 (H) 2008年2月29日 2002年1月22日 第一審は無期懲役だったが控訴審で死刑判決。「永山基準」が示されて以降に発生した殺人事件では「殺害被害者数1人・金銭目的および高度の計画性なし」という条件で最高裁に死刑判決が支持され確定した稀有なケース。強盗致傷の前科があり、本事件では被害者を強姦した上で灯油をかけ、生きたまま焼き殺した。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)にて2008年2月29日に上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け[163]、判決訂正申し立ても2008年3月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[164]

2012年8月3日に東京拘置所で死刑執行(40歳没)。

宇都宮実弟殺害事件 (H) 2008年3月17日 2005年5月 無期懲役の仮釈放中に事件を起こす。上告取り下げにより死刑確定。東京拘置所収監中。
京都・神奈川親族連続殺人事件 (M) 2008年4月8日 2007年1月 気に入らない親族2人を殺害し、かつての同級生をも殺そうとしていた。公判では反省の弁を述べなかった。控訴取り下げにより死刑確定。2012年8月3日に大阪拘置所で死刑執行(31歳没)。
入間暴力団組員5人射殺事件 (Y) 2008年4月23日 2003年12月14日 東京拘置所に収監されていたが2010年1月2日に病死(62歳没)。
伊勢原市同居母娘強盗殺人事件 (K) 2008年6月5日 2001年8月4日 東京拘置所収監中。
下関通り魔殺人事件 (U) 2008年7月11日 1999年9月29日 下関駅の構内に乱入して5人を殺害し、10人を負傷させた。最高裁第二小法廷(今井功裁判長)にて2008年7月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても同小法廷決定(2008年8月30日まで)で棄却されたため死刑が確定した[165]。2012年3月29日に広島拘置所で死刑執行(48歳没)。
本庄保険金殺人事件(八木茂) 2008年7月17日 1995年6月3日-1999年5月30日 殺人・殺人未遂・詐欺などの罪に問われ、最高裁第一小法廷(泉徳治裁判長)にて2008年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2008年8月6日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[166]。東京拘置所収監中。
福島悪魔払い殺人事件 (E) 2008年9月16日 1994年12月-1995年6月 戦後女性死刑囚執行第4号。最高裁第三小法廷(藤田宙靖裁判長)にて2008年9月16日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、同月22日付で判決の訂正を申し立てたが[167]、2008年10月3日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[168]。2012年9月27日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(65歳没)。

2009年死刑確定囚(18人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (W) 2009年1月22日 2000年7月13日 元暴力団組長。名古屋拘置所に収監されていたが、2009年5月2日に肝不全による出血性ショックにより入院先の病院で死亡(56歳没)。
高岡暴力団組長夫婦射殺事件 (I) 2009年3月23日 2000年7月13日 上記共犯者。旧姓O。元暴力団幹部。取調べの段階で副組長と一緒に殺害を依頼したと供述した。その後、副組長は起訴されて死刑を求刑されたが、一・二審で無罪判決が言い渡され確定している。収監先・名古屋拘置所から再審請求をしていたが、2014年7月16日に肝臓がんのため病死(67歳没)。
熊本松橋町男女強盗殺人事件 (M) 2009年4月3日 2003年10月16日 上告取下げ。2012年9月27日に福岡拘置所で死刑執行(39歳没)。
闇サイト殺人事件 (K) 2009年4月13日 2007年8月24日 控訴取下げ。2015年6月25日に名古屋拘置所で死刑執行(44歳没)。共犯2人は無期懲役刑が確定したが、うち1人(堀慶末)は刑確定後に碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件などで再逮捕・起訴され2019年に死刑判決が確定した[169]
和歌山毒物カレー事件(稲垣眞須美) 2009年4月21日 1998年7月25日 女性死刑囚。旧姓:林。最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で2009年4月21日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[170]、2009年4月30日付で死刑判決の破棄を求めて最高裁第三小法廷に判決の訂正を申し立てたが[171]、申し立ては同小法廷の2009年5月18日付決定で棄却されたため、同日付で死刑が確定した[172]2014年3月に支援者の釜ヶ崎地域合同労働組合委員長稲垣浩と養子縁組。大阪拘置所収監中。
埼玉愛犬家連続殺人事件 (S) 2009年6月5日 1993年4月20日-8月26日 元夫婦による犯行。元夫S。東京拘置所に収監されていた。Sは事件前、TV番組「男のBEタイム」(テレビ東京系列、1988年9月25日放映)に「狼に魅せられた男」として出演。また有名ブリーダーとして雑誌『ペット経営』237号(野生社、1992年2月号)にも登場している。従犯の山崎永幸は懲役3年。山崎は1998年8月28日に満期出所後、1999年に事件の顛末を記した本『共犯者』(新潮社。2000年発行の文庫版は筆名「志麻永幸」名義、『愛犬家連続殺人』に改題、角川書店(角川文庫))を出版(実際は週刊新潮元記者・作家の蓮見圭一による代筆)したほか、2001年6月20日放映のテレビ番組オフレコ!』(TBS系列)に出演し事件について証言した。Sは2016年11月頃から体調を崩し、病院で治療を受けていた。東京拘置所に収監されていたが2017年3月27日早朝に所内で病死(75歳没)[173]
埼玉愛犬家連続殺人事件(風間博子[174] 2009年6月5日 1993年4月20日-8月26日 上記共犯者で元妻・女性死刑囚。東京拘置所収監中。風間は事件前の1992年2月に著書『愛しのアラスカン・マラミュート』(アフリカケンネル)を出版している。死刑確定後、S・風間夫婦の実娘が運用するホームページに手記と絵画が掲載されている。2016年2月発行の片岡健編『絶望の牢獄から無実を叫ぶ ―冤罪死刑囚八人の書画集―』(鹿砦社)にも手記や実娘に宛てた手紙を採録している。再審請求中。
群馬パチンコ店員連続殺人事件 (O) 2009年6月9日 2003年2月23日・4月1日 共犯1人は2005年に控訴を取り下げて死刑が確定した。東京拘置所収監中。
ファミレス2人射殺事件 (M) 2009年6月15日 2005年4月25日 共犯2人中1人は2011年に死刑確定、もう1人は犯行後に自殺。2013年4月26日に東京拘置所で死刑執行(56歳没)。
仙台市暴力団幹部による強盗殺人事件 (T) 2009年6月23日 2001年1月8日・2月3日 旧姓I。仙台拘置支所収監中。
前橋スナック乱射事件 (K) 2009年7月10日 2003年1月25日 住吉会系暴力団組員。同じ住吉会系暴力団組員YK(2013年6月7日死刑確定)とともに元暴力団住吉会幸平一家Y会会長YO(2014年3月14日死刑確定)に指示され事件を起こす。暴力団稲川会大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。東京拘置所収監中。
オウム真理教事件早川紀代秀 2009年7月17日 1989年2月・1989年11月4日 オウム真理教男性信者殺害事件坂本堤弁護士一家殺害事件に関与。最高裁第二小法廷(中川了滋裁判長)にて2009年7月17日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決訂正申し立ても2009年7月31日付の同小法廷決定で棄却されたため[175]、2008年8月1日までに死刑が確定した[176]。2018年3月14日に東京拘置所から福岡拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(68歳没)。
オウム真理教事件広瀬健一 2009年11月6日 1995年3月20日 地下鉄サリン事件実行犯の1人。豊田とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[177]。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(54歳没)。
オウム真理教事件豊田亨 2009年11月6日 1995年3月20日 地下鉄サリン事件実行犯の1人で、広瀬とともに最高裁第二小法廷(竹内行夫裁判長)で2009年11月6日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2009年12月1日付で棄却されたため死刑が確定した[177]。2018年7月26日に東京拘置所で死刑執行(50歳没)。
北見市資産家夫婦殺人事件 (K) 2009年12月4日 1988年10月21日 札幌拘置支所収監中。
オウム真理教事件井上嘉浩 2009年12月10日 1994年1月-1995年3月 駐車場経営者VX襲撃事件会社員VX殺害事件オウム真理教被害者の会会長VX襲撃事件公証人役場事務長逮捕監禁致死事件地下鉄サリン事件などに関与。一審は無期懲役判決だったが控訴審・東京高裁で死刑判決を受け、2009年12月10日に上告棄却判決。その後判決訂正を申し立てたが、最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)から2010年1月12日付で申し立てを棄却する決定を受け、死刑が確定した[178]。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(48歳没)。
架空建設計画取引における連続殺人事件 (S) 2009年12月11日 1996年6月8日・11月19日 下記Tの共犯。福岡拘置所収監中。2009年12月24日付で最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)が上告棄却判決に対するS・T両被告人の判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定[179]。大阪拘置所収監中。
架空建設計画取引における連続殺人事件 (T) 2009年12月11日 1996年6月8日・11月19日 上記共犯。一審は無期懲役だった。福岡拘置所に収監されていたが2010年4月14日に病死(66歳没)。

2010年-2014年

※は第一審・裁判員裁判による死刑囚。

2010年死刑確定囚(8人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
土浦連続殺傷事件 (K) 2010年1月5日 2008年3月 2009年12月18日死刑判決。通り魔事件で9人を殺傷(2人が死亡・7人が重傷)。弁護人が控訴したものの、本人が控訴を取下げ、確定。2013年2月21日に東京拘置所で死刑執行(29歳没)。
オウム真理教事件新実智光 2010年1月19日 1995年3月他多数 上告棄却。一連のオウム真理教事件で坂本堤弁護士一家殺害事件松本サリン事件地下鉄サリン事件など11件26人の殺人に関与したと認定された。2010年1月19日に最高裁第三小法廷(近藤崇晴裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正を申し立てたが2010年2月16日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定した[180]。2018年3月14日に東京拘置所から大阪拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(54歳没)。
大阪・岐阜連続女性強盗殺人事件 (O) 2010年1月29日 2005年3月-4月 上告棄却。パチンコに負けた借金に窮して金銭目的で女性2人を殺害。他にも空き巣の余罪あり。大阪拘置所収監中。
久留米看護師連続保険金殺人事件 (Y) 2010年3月18日 1998年1月24日・1999年3月27日 女性死刑囚。再審請求中だった。2016年3月25日に福岡拘置所で死刑執行(56歳没)。戦後女性死刑囚執行第5号。
館山市一家4人放火殺人事件 (T) 2010年9月16日 2003年12月18日ほか 上告棄却。一連の放火で5人が犠牲に。東京拘置所収監中。
鉾田町独居高齢者連続強盗殺人事件 (F) 2010年10月14日 2005年1月 上告棄却。犠牲者2人。東京拘置所収監中。
大分替え玉保険金殺人事件 (O) 2010年11月8日 2002年1月 犠牲者2人。北九州市で強盗放火殺人、大分で殺人[181]。旧姓T。福岡拘置所収監中。
大分替え玉保険金殺人事件 (H) 2010年11月8日 2002年1月 上記共犯。旧姓T。福岡拘置所収監中。

2011年死刑確定囚(24人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
オウム真理教事件土谷正実 2011年2月15日 1995年3月他多数 上告棄却[182]松本サリン事件会社員VX殺害事件地下鉄サリン事件などに関与。殺害行為に直接関わっていないがサリンなど一連の化学兵器製造に関与しており、大量殺傷事件の共同正犯で死刑判決を受けた。2011年2月15日に最高裁第三小法廷(那須弘平裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正を申し立てたが2011年3月7日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[183]。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(53歳没)。
渋谷駅駅員銃撃事件[184] (K) 2011年3月1日 2004年5月29日 一審は無期懲役だった。死刑確定時点で70歳。窃盗罪で服役直後、金銭目的で横浜市内にて強盗殺人のほか、東京駅地下放火、渋谷駅で集金係と思い込んだ地下鉄職員を銃撃、私物を奪い片足麻痺の後遺症を与えるなどの累犯であった。2013年9月12日に東京拘置所で死刑執行(73歳没)。
福岡3女性連続強盗殺人事件 (S) 2010年3月8日 2004年12月-2005年1月 強盗・強姦目的に飯塚市北九州市福岡市で凶行に及んだ[185]。正式な死刑確定日は2011年3月27日[161](2011年3月25日付で最高裁第三小法廷が判決訂正申し立て棄却決定)[186]。2019年8月2日に福岡拘置所で死刑執行(50歳没)。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KM) 2011年3月10日 1994年9月28日-10月7日 犯行時19歳の少年死刑囚で下記KA・HMの共犯。未成年グループによるリンチ殺人事件の主犯格。戦後の少年犯罪史上において、複数の被告人の死刑が確定した初のケース[187]
主犯格3人の中で唯一、第一審・名古屋地裁でも死刑判決を受けたが、控訴審・名古屋高裁では第一審が傷害致死事件と認定した「木曽川事件」について殺人罪と認定され、原判決破棄の上で改めて死刑判決を受けた。2011年3月10日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で上告棄却判決(二審の死刑判決を支持)を受け、判決の訂正を申し立てたが2011年3月30日付の同小法廷決定で棄却されたため、下記2人とともに死刑が確定[188]
名古屋拘置所に収監されていたが後に東京拘置所に移送され再審請求中。この他に3つの事件で共犯7人が刑事処分を受け、5人の有罪判決が確定し、2人は少年院送致された。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (KA) 2011年3月10日 1994年9月28日-10月7日 上記KM・下記HMの共犯で犯行時19歳の少年死刑囚。旧姓Ko、その後Oに改姓し現姓はKu。
第一審・名古屋地裁では「木曽川事件」が傷害致死罪と認定されたほか「事件への関与の度合いもKM被告人より低い」と判断され、KAとともに無期懲役判決を受けたが、控訴審では木曽川事件について殺人罪と認定されたほか、「3人の刑事責任はいずれも重い」とされ、被告人3人全員が死刑判決を受けた。
名古屋拘置所収監中。再審請求中。
大阪・愛知・岐阜連続リンチ殺人事件 (HM) 2011年3月10日 1994年9月28日-10月7日 上記KM・KAの共犯で犯行時18歳の少年死刑囚。旧姓K。名古屋拘置所収監中。獄中で国家賠償請求訴訟を多数起こしている。
広島・岡山連続強盗殺人事件 (K) 2011年3月24日 2003年-2004年 79歳での死刑確定は戦後最高齢[189]。2003年9月に広島県比婆郡東城町(現:庄原市)で一人暮らしの91歳無職女性を、2004年12月に岡山県井原市で一人暮らしの76歳蕎麦屋店主男性を強盗目的で殺害。一審では広島の犯行を強盗致死と認定し無期懲役としたが、控訴審および上告審では2件とも強盗殺人であると認定し死刑を言い渡した[190]。広島拘置所収監中の2016年1月に意識不明の重体となり、治療のため広島拘置所外の病院に入院したが、同年2月14日にアルツハイマー病に伴う摂食障害と老衰のため病院にて死亡した(84歳没)[191][192]
東大阪集団暴行殺人事件[193] (K) 2011年3月25日 2006年6月19日 被害者2人が男性2人を恐喝・暴行したことに対し、「殺さなければ殺される」と考え仲間9人で岡山県で生き埋めにして殺害。殺害実行犯・首謀者であるKが死刑に処されたほか、共犯8人のうち殺害発案者は無期懲役、最初に暴行された2人は懲役11年および懲役9年、重機を操作した未成年は懲役15年、被害者2人を呼び出した暴力団関係者は懲役17年、見張り役は懲役7年の判決がそれぞれ確定している。また他の2人(事件当時少年)は殺人罪で起訴されず家庭裁判所送致になっている。
2011年3月25日に最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年4月15日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[194]。大阪拘置所収監中。
同僚・妻連続殺人事件 (O) 2011年4月11日 2004年・2005年 自身の不倫相手を中傷されたことに腹を立てて同僚男性を殺害したほか、不倫を知り離婚を迫った妻を殺害し遺体をバラバラにして遺棄[195]。旧姓T。最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で2011年4月11日に上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月9日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[196]。東京拘置所収監中。
宮崎の口封じ連続殺人事件 (F) 2011年4月19日 1999年 保険金詐欺常習犯が分け前を巡るトラブルから仲間を殺害。ついで事件の真相を知った税理士を殺害[197]
2011年4月に最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても2011年5月20日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[198]。福岡拘置所収監中。
広島連続保険金殺人事件 (O) 2011年6月7日 1998年-2000年 1998年に義父を交通事故を装って殺害。2000年には妻を浴槽につけて殺害し、遺体を遺棄した。いずれも保険金目当ての犯行であった[199]。広島拘置所収監中。
横浜港バラバラ殺人事件 (I) 2011年6月16日 2009年6月18日-19日 麻雀店経営の男性2人を千葉県内のホテルに監禁し、電動ノコギリでバラバラにして殺害。遺体を横浜港や山梨県内に遺棄した。2009年5月に施行された裁判員裁判で初の死刑判決を受けるが、判決を言い渡した裁判長から控訴することを勧められた。その後、弁護側が控訴したが、控訴を取り下げ刑が確定。裁判員裁判で初の死刑確定者である。共犯は現在も指名手配中[200]。審理再開申立中。東京拘置所収監中。
※川崎アパート3人殺害事件 (T) 2011年7月4日 2009年5月30日 川崎市内のアパートで隣室に住む夫婦を刺殺。さらに被害者の兄で、アパートの大家であった男性を刺殺した。本人控訴取り下げ。裁判員裁判で2例目の死刑確定[201]。2015年12月18日に東京拘置所で死刑執行(63歳没)。裁判員裁判による死刑囚として初の死刑執行。
大牟田4人殺害事件 (KM) 2011年10月3日 2004年9月16日・18日 福岡県大牟田市で発生した連続殺人事件。KSの妻でIT・KTの母親。戦後日本14番目の女性死刑囚[202]。福岡拘置所に収監中。
大牟田4人殺害事件 (IT) 2011年10月3日 2004年9月16日・18日 KS・KM夫妻の次男かつ夫妻と異父兄K3の共犯者[203]松ヶ根部屋の元力士「三池山」[204]。旧姓K。2013年に支援者女性と獄中結婚し父・母・兄とは違う姓になっている。福岡拘置所に収監中。
大牟田4人殺害事件 (KS) 2011年10月17日 2004年9月16日・18日 KMの夫でKT(KMと前夫との子供)の養父[205]・ITの実父[206]。元暴力団組長[207]
公判では第一審にて妻子との共謀を否定し自身の単独犯を主張したほか[208]、控訴審では一転して共謀を認めたが強盗目的を否定した[209]。本事件では妻と息子2人を含め、犯行に関与した一家4人全員が死刑判決を受け確定するという異例の事態になった[210]。広島拘置所に収監中。
大牟田4人殺害事件 (KT) 2011年10月17日 2004年9月16日・18日 KS・KM夫妻の長男[203]。父KSとは養子縁組関係[211]・弟K4とは異父兄弟関係である[212]大島部屋の元力士「旭竜神」[204]。引退後は母KMが経営していた建設会社で働いていたが、19歳だった2000年6月25日には福岡県三潴郡城島町(現:久留米市城島町)で同僚の少年(当時18歳)を不良仲間6人とともにリンチして死なせる傷害致死事件を起こし逮捕[213]・起訴された[214]。2001年6月26日に傷害致死罪で福岡地裁久留米支部から懲役3年6月の実刑判決を受け[215]、2004年春まで刑務所に服役していた[216]
逮捕後の2004年11月13日に福岡地検久留米支部庁舎から一時逃亡し[217]、単純逃走罪で追起訴された[218]。大阪拘置所に収監中。
福岡一家4人殺害事件 (G) 2011年10月20日 2003年6月20日 福岡市東区で起きた中国人3人組による一家4人殺害事件の主犯[219]。2011年11月に正式に死刑が確定した[220]。2019年12月26日に福岡拘置所で死刑執行(40歳没[220]
共犯の被告Y・Oは中国に逃亡後、中国当局により身柄を拘束された。2005年1月24日に中国遼寧省遼陽市中級人民法院はYに死刑・Oに無期懲役の判決を言い渡し[221]、いずれも後に確定[222]。Yは同年7月12日に死刑執行(25歳没)[222]
オウム真理教事件中川智正 2011年12月8日 1995年3月他多数 上告棄却[223]坂本堤弁護士一家殺害事件で弁護士の長男を殺害し、松本地下鉄の両サリン事件ではサリンの製造に関与した。2011年11月18日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[224]、同月28日付で判決の訂正を申し立てたが[225]、2011年12月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[224]
2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(55歳没)。
オウム真理教事件(遠藤誠一 2011年12月12日 1995年3月他多数 松本地下鉄の両サリン事件でサリンの製造などに関与した。
2011年11月21日に最高裁第二小法廷(古田佑紀裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、12月1日付で判決の訂正を申し立てたが[226]、2011年12月12日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定し、1995年6月から始まったオウム裁判は(この時点で逃亡中の高橋克也ら3人を除き)完全に終結した[227]
2018年3月14日に東京拘置所から広島拘置所へ移送され、同所で2018年7月6日に死刑執行(55歳没)。2018年7月6日に東京拘置所で死刑執行(58歳没)。
警察庁広域重要指定124号事件 (M) 2011年11月22日 2005年8月5日-11月22日 死者4人。共犯(畠山〈旧姓:小田島〉鐵男)は2007年に控訴取下げで死刑が確定していたが、2017年9月16日に食道がんで病死。Mは東京拘置所に収監中。
愛知交際2女性殺害事件 (K) 2011年11月29日 1999年8月15日・2003年5月25日 交際していた女性2人を殺害し、バラバラにして遺棄。名古屋拘置所に収監中。
北九州監禁殺人事件 (M) 2011年12月12日 1996年2月-1998年6月 7人殺害(司法の認定では6人は殺人、1人は傷害致死)、殺害実行犯とされた女性は無期。殺害を指示したとされた主犯が死刑。福岡拘置所に収監中。
ファミレス2人射殺事件 (H) 2011年12月15日 2005年4月25日 千葉県市原市にあったファミリーレストランで暴力団員同士の話し合いがこじれ、2人が射殺された。犯人3人のうち1人は自殺し、残る共犯1人は2009年に死刑が確定した。2013年4月26日に東京拘置所で死刑執行(64歳没)。

2012年死刑確定囚(10人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
岩手県洋野町母娘強盗殺人事件 (W) 2012年1月16日 2006年7月19日 岩手県九戸郡洋野町の母娘2人暮らしの民家に暴行・強盗目的で侵入して金品を強奪し、母娘2人を殺害して遺体を山林に埋めた[228]。控訴審(仙台高裁)以降は「産業廃棄物の不法投棄グループから犯人に仕立て上げられた」と無罪を主張したほか、上告審でも事実誤認・量刑不当を主張した[229]。2012年1月16日に最高裁第一小法廷(宮川光治裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[228]、判決への訂正申し立ても2012年2月2日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[229]。2015年12月18日に宮城刑務所(収監先・仙台拘置支所に隣接)で死刑執行(39歳没)。
光市母子殺害事件 (O) 2012年2月20日 1999年4月14日 少年死刑囚。犯行時の年齢18歳1か月は1966年以降の死刑確定囚として史上最年少。山口県光市の社宅に強姦目的で侵入し、計2人(住人の女性と生後11か月の娘)を殺害。第一審・山口地裁および控訴審・広島高裁は無期懲役判決だったが、広島高検が上告したところ最高裁で口頭弁論を経て破棄差し戻しとなり、差し戻し控訴審(広島高裁)で死刑が言い渡された。2012年2月20日に最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)で上告棄却判決(差し戻し控訴審の死刑判決を支持)を受け[230]、判決への訂正申し立てを行ったが[231]、2012年3月14日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[230]
死刑確定判決となった2012年の差し戻し上告審判決では裁判官1人(宮川光治)が反対意見を述べ、死刑事件としては極めて異例の展開となった[232]。広島拘置所収監中。
本庄夫婦強盗殺人事件 (I) 2012年3月2日 2007年2月21日 一審は無期懲役だった。知人男性の家を訪れて男性と妻を殺害。現金1万円を奪った[233]。東京拘置所収監中。
香川・坂出3人殺害事件 (K) 2012年7月12日 2007年11月16日 金銭トラブルを抱えていた女性と、現場にたまたま居合わせた女性の孫姉妹の3人を殺害[234]。Kは被害女性の義弟(事件当時既に故人になっていた被害女性の妹の夫)。2014年6月26日に大阪拘置所で死刑執行(68歳没)。
大阪連続強盗殺人事件 (K) 2012年7月24日 2000年7月29日
2008年2月1日
上告棄却。大阪市北区の商業施設のトイレで、たまたま入ってきた会社員から金を取ろうとして抵抗されたため刺殺。犯行後警察に出頭したが、過去に大阪市中央区の路上で中国人留学生のバックを奪い自転車で逃走し、取り押さえようとした男性の足を刺し負傷させた上、追いかけてきた留学生を刺殺した事件を起こしていたことが判明[235]。2013年12月12日に大阪拘置所で死刑執行(63歳没)。
宇土市院長夫人殺害事件 (T) 2012年9月10日 2004年3月13日/2011年2月23日 2004年に宇土市で強盗目的で女性を殺害し、2011年には熊本市の民家で夫婦を殺傷。本人上告取り下げで死刑確定。裁判員裁判での死刑判決で刑が確定したのは3人目。2016年11月11日に福岡拘置所で死刑執行(45歳没)。
品川製麺所夫婦強盗殺人事件 (S) 2012年10月19日 2002年8月31日 中国籍。強盗目的で当時住んでいたアパートの所有者であった夫婦を殺害する。東京拘置所収監中。
群馬県暴力団組長等3人射殺事件 (T) 2012年10月23日 2001年11月 - 2005年9月 山口組系暴力団元組長。組員と共謀して対立していた暴力団の組長ら3人を射殺した。
配下の組員に指示し、2001年11月に群馬県碓氷郡松井田町(現・安中市)において土木作業員の男性(当時60歳)を射殺させ、2005年4月には安中市の自身の組の事務所を訪れた男性元組員(同35歳)を自ら射殺した。更に配下の組員に指示し、2005年9月には安中市内の路上において対立していた暴力団の組長の男性(当時61歳)を射殺させた。2014年8月29日に東京拘置所で死刑執行(59歳没)。
山梨キャンプ場殺人事件(阿佐吉廣[236] 2012年12月11日 1997年3月~2000年5月 1997年3月頃、自身が経営する建設会社の従業員だった身元不明の男性を木刀で殴り、死亡させた。2000年5月には暴力団関係者(事件後病死)らと共謀し、同じく従業員だった当時51歳と50歳の男性を絞殺。3人の遺体を山梨県都留市キャンプ場に遺棄した。2人への殺人罪・1人への傷害致死の罪に問われたが、上告審では第一審で「阿佐が被害者2人を殺した」と証言していた男性受刑者が証言を一転させ「阿佐は事件当時、現場にいなかった」とする陳述書を提出[237]。結審後に再び弁論が開かれる異例の展開になったが、最高裁第三小法廷(田原睦夫裁判長)は2012年12月11日に一・二審の死刑判決を支持して被告人・阿佐の上告を棄却する判決を言い渡し、訂正申し立ても2013年1月8日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[237]。東京拘置所に収監されていたが、2020年1月14日に気胸の症状が見られ、治療中の同年2月11日に間質性肺炎のため同拘置所内で死亡した(70歳没)[238]
お台場フィリピン人バラバラ殺人事件 (N) 2012年12月14日 1999年4月22日・2008年4月3日 1999年と2008年に交際していたフィリピン人女性2人を殺害する。一審では1999年の事件で懲役14年+2008年の事件で無期懲役としたが、二審では2008年の事件について一審判決を破棄して死刑を言い渡した。東京拘置所収監中。

2013年死刑確定囚(7人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (S) 2013年1月29日 2004年10月16日 架空請求詐欺事件および殺害首謀者。仲間CがAら幹部殺害を計画していたことに激怒。Aらは共犯のDの伝手により暴力団員Eらを加えて、Cら4人を殺害し、遺体を遺棄。東京拘置所収監中。
架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (W) 2013年1月29日 2004年10月16日 一審は無期判決だった。上記Sの共犯の元暴力団員。東京拘置所収監中。
架空請求詐欺仲間割れ殺人事件 (I) 2013年2月28日 2004年10月16日 上記Sの共犯。東京拘置所収監中。
※岡山元同僚女性バラバラ殺人事件 (S) 2013年3月28日 2011年9月30日 かつての勤務先の同僚であった女性を殺害。遺体をバラバラにして遺棄した。一審裁判員裁判で死刑判決を受け控訴するが、その後本人が控訴を取り下げ刑が確定する。被害者が1名で被告に殺人前科がない事例での死刑判決は近年では異例であった。2017年7月13日に広島拘置所で死刑執行(35歳没)。
前橋スナック乱射事件(YK) 2013年6月7日 2003年1月25日 住吉会系暴力団組員。同じ住吉会系暴力団組員K(2009年7月10日死刑確定)とともに元暴力団住吉会幸平一家Y会会長YO(2014年3月14日死刑確定)に指示され事件を起こす。暴力団稲川会大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。東京拘置所収監中。
姫路2女性殺害事件 (T) 2013年11月25日 2005年1月9日 兵庫県警察による職務怠慢があり、被害者の両親が飛松五男の協力を得て犯人特定・逮捕に至った事件。大阪拘置所収監中。
あきる野市資産家姉弟強盗殺人事件 (O) 2013年12月17日 2008年4月9日 知人の男と共謀し、東京都あきる野市の資産家姉弟から現金やキャッシュカードを奪い、2人を窒息死させた後に、遺体を長野県の山中に埋めた。共犯者は無期懲役。Oは東京拘置所に収監されていたが、転移性脳腫瘍を患い2014年7月2日に病死(66歳没)。

2014年死刑確定囚(6人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大阪個室ビデオ店放火事件 (O) 2014年3月6日 2008年10月1日 自殺をしようとして個室ビデオ店内に放火し、16人を殺害、9人を負傷させた。大阪拘置所収監中。
日医大事件・前橋スナック乱射事件(YO) 2014年3月14日 2002年2月25日・2003年1月25日 元暴力団住吉会幸平一家Y会会長。2001年8月に東京都葛飾区の斎場で起きた暴力団稲川会大前田一家系組員による住吉会幹部射殺事件が発端となり、暴力団同士の抗争に発展。YOは2002年2月25日に文京区日本医科大学付属病院で入院中の住吉会幸平一家系暴力団の幹部Iを、Y会の下部団体のT組組長Tらとともに日医大病院東館1階の高度救命救急センター集中治療室に侵入し射殺した。幹部Iは射殺される前日に豊島区内の路上で脇腹を拳銃で撃たれ重傷を負い、日医大に搬送されていた。幹部Iは同月に大前田一家元総長宅襲撃に失敗したため制裁と口封じのため殺された。同年3月、YOとT組組長Tはガソリン噴射器を用いて大前田一家元総長宅を襲撃。同年8月、YOは別の詐欺事件で警視庁に逮捕された。T組組長Tは日医大事件等で無期懲役確定。なおも抗争は激化し、前橋スナック乱射事件を起こすに至る。YOは逮捕前、住吉会系暴力団組員のK(2009年7月10日死刑確定)とYK(2013年6月7日死刑確定)の両名に対し、大前田一家関係者が出入りしていた前橋市のスナックを襲撃し同一家関係者の射殺するよう指示した。両名は翌2003年1月25日に犯行に及び、大前田一家関係者1名が死亡、2名が重傷を負ったほか、たまたま客としてスナックに居合わせた無関係の一般市民3名が巻き込まれ犠牲となった。2事件の主犯として死刑確定。死刑確定後の2014年9月、「金銭トラブルなどにより他の複数の人物も殺害し、遺体を遺棄した」という内容の文書を警視庁目白警察署に送付。警視庁は任意でYOに事情聴取したところ同趣旨の証言をしたため、裏付け捜査に入った。2016年2月、文書の内容とその真偽を確かめるための捜査が行われている事実が明らかとなった[239][240]。YOが文書で「殺害した」と告白している東京都内の会社社長男性と神奈川県伊勢原市内の不動産業男性はいずれも20年近くにわたって行方が分からず失踪している。うち東京都内の会社社長男性は1996年オレンジ共済組合事件に関与し、友部達夫新進党参議院議員の当選を画策する政界工作を行ったとされる「永田町の黒幕」・「リュー一世」(YOが提出した文書内での呼称)と呼ばれる人物。この会社社長男性は1997年4月、オレンジ共済組合事件に関して国会に証人喚問された[241]が、その後1998年春頃より行方が分からなくなっている[242][243]。YOは同社長を絞殺し、配下の元Y会組員男に命じ遺体を遺棄したという[244]。配下の元Y会組員男は死体遺棄を認め場所も説明したため、YO死刑囚と配下の元Y会組員男の供述に基づき警視庁神奈川県警は不明両名の捜索を行い、2016年4月19日に神奈川県伊勢原市内の山林で1996年8月から行方不明となっていた不動産業男性の白骨死体を発見した[245][246][247]。YOは不動産業男性とトラブルになっていたという暴力団関係者から依頼を受け、1996年8月、別の暴力団関係者に不動産業男性を殺害させ、配下の元Y会組員男に死体を遺棄させた。トラブルになっていたという暴力団関係者や、殺人の実行役とされる暴力団関係者はその後いずれも死亡しており、配下の元Y会組員男の死体遺棄容疑については既に時効が成立している。更に2016年11月29日には同社長と思われる遺体が発見され[248]、DNA鑑定および歯形照合を行った。2017年4月10日に警視庁組織犯罪対策4課はYOを同社長に対する殺人の容疑で東京拘置所において逮捕した[249]。同年5月1日にYOは東京地検より改めて殺人罪で起訴され[250]裁判員裁判に付された。確定死刑囚の逮捕・起訴は極めて異例であるうえ、裁判員裁判の被告が確定死刑囚という事例は初めて。2018年11月、東京地方裁判所においてYOの裁判員裁判が開始されたが、YOは初公判被告人質問において、起訴事実について「間違いです」と全面否定し、上述の自身の殺人告白は「全く虚偽です」「(東京都内の会社社長男性について)私は殺していません。ただし殺させました」「(神奈川県伊勢原市内の不動産業男性について)名前すら知りません。間違いです」と述べた。YOの告白が契機となって始まった裁判であるが、その当人がいずれの容疑についても無罪を主張した[251][252]。YOは告白の目的について、「死刑判決を受けた事件などの再捜査であり、自身の死刑執行の先延ばしではない」と主張したが、YO以外に事件に関与したとされる者は既に全員死亡しており、再捜査や立件は困難な状況であるという[253]。検察はYOが後から告白した二件の殺人について、「(裁判になれば判決確定までは死刑執行は見送られる可能性が高いため)告白の目的は死刑執行の引き延ばしであるが、告白の内容は信用できる」と指摘。裁判において否認に転じた理由は「裁判も引き延ばすため」と推認し[254]無期懲役を求刑。弁護側は「証拠不十分」のため無罪判決を求めた。同年12月13日、東京地裁は「告白の主な目的は死刑執行の先延ばしだった」「手紙には犯人でなければ知り得ない情報はない」「(告白内容を記載した)手紙は信用できない」と指摘し、YOに無罪判決を言い渡した[255][256]。判決の言い渡し後、裁判長はYOに「検察が控訴しなければ裁判は終わり」と宣告した。なお、刑法併合罪に関する規定により、確定死刑囚に他のは執行しないため、仮にYOが後から告白した二件の殺人について有罪が確定してもは課されない[257]。東京地検は同月27日の期限までに控訴せず、YOの無罪が確定した[258][259]。殺人事件の無罪判決に対して検察側が控訴しなかった事例はまずないという。
死刑囚YOは2020年1月26日に収監中の東京拘置所において衣服を着たまま布団の中で血を流した状態で発見された[260]。首の左右に切り傷があり、死亡していた[261]。自作の刃物状の鋭利なもので首を切り、自殺したものとみられる[262]。71歳没[263]
元厚生事務次官宅連続襲撃事件 (K) 2014年6月13日 2008年11月17日-18日 元厚生省事務次官宅2軒を襲撃し、山口剛彦とその妻の2人を殺害、吉原健二の妻に重傷を負わせた。東京拘置所収監中。
長野市一家3人殺害事件 (M) 2014年9月2日 2010年3月24日-25日 裁判員裁判で言い渡された死刑判決が最高裁で支持され確定した初のケース[264]。2014年9月2日に最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[264]、弁護人が同月10日付で判決の訂正を申し立てたが[265]、2014年9月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[264]
共犯2人のうち1人 (I)は2016年に死刑確定。もう1人は一審で死刑判決を受けるが二審で無期懲役に減軽され、その後確定。
東京拘置所収監中。2016年5月31日付で犯行当時の責任能力を争い長野地裁へ再審を請求した[266]
宮崎家族3人殺害事件 (O) 2014年10月16日 2010年3月1日 同居する義母の叱責から逃れたいために義母、妻、長男の3人を殺害した。2014年10月16日に最高裁第一小法廷(山浦善樹裁判長)で上告棄却の判決を受け、被告人Oから出された判決への訂正申し立ても2014年11月5日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[267]
福岡拘置所収監中。公判中、被告人Oとその両親はTBSJNN)系列の報道ドキュメンタリー番組報道特集』から取材を受け、死刑確定後の2015年4月11日には同番組にて特集「確定死刑囚の告白」が放送された。
静岡2女性殺害事件 (K) 2014年12月2日 2005年10月・2010年2月23日 2005年に交際相手の女性を、2010年に妻を殺害した。東京拘置所収監中。

2015年以降

※は第一審・裁判員裁判による死刑囚。

2015年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
秋葉原通り魔事件(加藤智大) 2015年2月2日 2008年6月8日 東京都千代田区外神田秋葉原)の歩行者天国貨物自動車で突入し、5人をはねて3人を死亡させたほか、ダガーナイフで12人を切りつけて4人を死亡させた戦後最悪の通り魔事件。2015年2月2日に最高裁第一小法廷(桜井龍子裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け、判決への訂正申し立ても同月17日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[268]。東京拘置所収監中。
加古川7人殺害事件 (F) 2015年5月25日 2004年8月2日 親戚や近隣住民に見下されているとの思いを抱いたことから、自宅両隣の民家で7人を包丁で刺殺し、1人に重傷を負わせた。2015年6月10日付で最高裁第二小法廷(千葉勝美裁判長)が上告棄却判決に対する被告人Fの判決訂正申し立てを棄却する決定を出したため死刑が確定[269]。大阪拘置所収監中。
横浜深谷連続殺人事件 (A) 2015年12月4日 2008年3月13日/2009年8月7日 従兄弟の男と共謀し、2008年、男の養母を保険金目的で殺害。2009年には金銭トラブルを抱えていた叔父を殺害する。共犯は求刑死刑に対し、無期懲役判決が一審で確定。東京拘置所収監中。

2016年死刑確定囚(6人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
大阪此花区パチンコ店放火殺人事件 (T) 2016年2月23日 2009年7月5日 借金など生活に対する不満を募らせ、パチンコ店の床にガソリンをまいて放火。客と従業員5人を死亡させ、10人を負傷させた。大阪拘置所収監中。
※福島県会津美里町夫婦強盗殺人事件 (T) 2016年3月8日 2012年7月26日 病院職員の55歳男性と56歳妻の夫婦を殺害。宮城刑務所仙台拘置支所収監中。
※長野市一家3人殺害事件 (I) 2016年4月26日 2010年3月24日-25日 共犯のMは2014年に死刑が確定。自身も一・二審で死刑判決を受け、最高裁に上告するも2016年4月27日に最高裁第三小法廷(大橋正春裁判長)から上告棄却の判決を受けた[270]。判決への訂正申し立ても2016年5月25日付の同小法廷決定で棄却されたため死刑が確定[271]。東京拘置所収監中。
※山形・東京連続放火殺人事件 (A) 2016年6月13日 2010年10月2日/2011年11月24日 2010年、山形市で元交際相手の実家を放火し、元交際相手の両親を殺害。翌年には妻と共謀し、東京都内で別の交際相手の母親が住むマンションに侵入し、母親を殺害した後、室内に火をつけ全焼させた。東京拘置所収監中。
石巻3人殺傷事件 (C) 2016年6月16日 2010年2月10日 事件当時18歳の少年死刑囚。共犯の少年と共に元交際相手少女の実家に押し入り、少女の姉とその友人の女子高校生計2名を牛刀で殺害。その場に居合わせた少女一家の知人男性1名に重傷を、元交際相手の少女にも軽傷を負わせた。共犯の少年は2010年12月、殺人幇助の罪により懲役3年以上6年以下の不定期刑を言い渡された。
裁判員裁判で少年事件に死刑判決が言い渡され確定した史上初の事例[272]。2016年6月16日に最高裁第一小法廷(大谷直人裁判長)で上告棄却判決(一・二審の死刑判決を支持)を受け[273]、同月27日に判決の訂正を申し立てたが、2日後の同月29日付で同小法廷から出された決定により棄却されたため死刑が確定[272]宮城刑務所仙台拘置支所収監中。
長崎ストーカー殺人事件 (T) 2016年7月21日 2011年12月16日 2011年、長崎県西海市で同居中の女性をその家族が連れ去ったと思い込んで77歳の女性の祖母と56歳の母を刺殺し母の車のトランク内に遺体を遺棄。千葉三重長崎各県警の対応が問題として浮き彫りになった警察不祥事事件。最高裁第一小法廷(池上政幸裁判長)が2016年8月10日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Tの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した[274]。福岡拘置所収監中。

2017年死刑確定囚(3人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
首都圏連続不審死事件(木嶋佳苗) 2017年4月14日 2008年9月 - 2009年9月 犯行では「吉川桜」の偽名を使用。裁判員裁判では初めて死刑判決を受けた女性。戦後15人目の女性死刑囚で、同時に史上初の裁判員裁判による女性死刑囚である。
無罪を主張。上告中に獄中結婚し現姓はD。東京拘置所収監中。
木嶋は裁判中、『女性自身』に268通の手紙を送り、事件及び裁判に関する手記と、自身の半生を「1年半かけて執筆した」という小説を寄稿、同誌2013年10月22日号に木嶋佳苗名義ですべて掲載された。小説は『礼讃』と題され、2015年2月にKADOKAWAより単行本として刊行された。また2014年1月5日よりブログ「木嶋佳苗の拘置所日記」を運用、木嶋が東京拘置所で書いた文章を支援者が掲載・更新している。
最高裁第二小法廷(小貫芳信裁判長)が2017年5月9日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Tの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した[275]
鳥取連続不審死事件 (U) 2017年7月27日 2004年5月-2009年10月 裁判員裁判では木嶋に続いて2番目に死刑判決を受け確定した女性で、戦後16人目の女性死刑囚。無罪を主張。
最高裁第一小法廷(小池裕裁判長)が2017年8月23日付の決定で上告棄却判決に対する被告人Uの判決への訂正申し立てを棄却したため、死刑が確定した[276]広島拘置所収監中。
大阪府和泉市元社長夫婦殺害事件 (S) 2017年12月8日 2004年12月3日 大阪府和泉市の、元カーペット製造販売会社社長男性とその妻を、鈍器で殴って殺害し、金品を奪い、遺体をのこぎりで切断してドラム缶に詰め、同府阪南市内の貸ガレージに遺棄した。
事件から5年後の2009年11月になって夫婦の遺体が発見され、被害者宅での別の窃盗容疑で逮捕された。
その後事件から丸6年となる2010年12月に強盗殺人容疑で再逮捕・追起訴された。
無罪を主張。大阪拘置所収監中。
上告審判決後の2017年12月末時点では判決訂正申立中だったため「新たな死刑確定者」としては言及されておらず[277]、正式な死刑確定は2018年に入ってからとなった[278]

2018年死刑確定囚(2人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
愛知県蟹江町母子3人殺傷事件 (L) 2018年9月6日 2009年5月1日 - 5月2日 中国国籍で犯行当時は三重大学に在学していた留学生だった。
生活に困り、別の万引き事件で科された罰金が払えなくなることを恐れて愛知県海部郡蟹江町内の民家に強盗目的で侵入し一家3人を殺傷した。
事件後に三重大を卒業して自動車部品会社に就職したが1年後に退職、本事件で逮捕される直前には別の自動車盗事件で逮捕されていた。
2018年10月2日付の最高裁第一小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により2018年10月3日付で正式に死刑が確定[279]。名古屋拘置所収監中。
埼玉資産家夫婦死体遺棄事件 (W) 2018年12月21日[280] 2012年12月7日 スイス在住・東京都中央区銀座に一時帰国していた資産家(ファンドマネージャー)の男性夫妻を絞殺し、遺体を埼玉県久喜市内の空き地に埋めて遺棄した。
被害者男性とは事件1年ほど前から付き合いがあったが、2013年に逮捕された当時は「被害者男性から勧められた投資で数億円の損をさせられた」と虚偽の供述をしていた。
逮捕から起訴までは殺害・死体遺棄を全面的に認めたが、公判においては「2人を殺していない」と強盗殺人を否認した。
東京拘置所収監中。2018年12月27日時点では判決未確定(判決訂正申立期限内のためだが有無は不明)[278]

2019年死刑確定囚(4人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
堺市連続強盗殺人事件 (N) 2019年2月12日[281] 2011年11月5日・12月1日 保険金詐欺目的で自宅に放火した罪で逮捕・起訴され実刑判決を受け服役していた。
仮出所後に幼少期から親交があった象印マホービンの元副社長ら2人を顔に食品用ラップを巻き付けて窒息死させ、うち1人の遺体をドラム缶で焼却した。
大阪拘置所収監中。
寝屋川市中1男女殺害事件 (Y) 2019年5月18日[282] 2015年8月13日 2018年12月19日に大阪地裁で死刑判決を受け[283][284]大阪高裁に控訴するも本人取下げにより確定[282]令和改元(2019年5月1日)以降では初の死刑確定。
しかし弁護人が大阪高裁に「控訴取り下げは無効」と異議を申し立て[285]、2019年12月に高裁がこれを認め控訴審を再開する決定を出した[286]大阪高検は同決定を不服として最高裁への特別抗告・大阪高裁への異議申し立てを行った[287]。2020年2月25日、最高裁は大阪高検の特別抗告を棄却[288]。同年3月16日、大阪高裁第1刑事部は異議審において同高裁第6刑事部の控訴取り下げを無効とする決定を取り消し、審理を同高裁第6刑事部に差し戻した[289]
深夜に出歩いていた中学1年生の男女2人を殺害して遺体をそれぞれ遺棄したとされる[282]
公判では男子生徒の殺害に関しては無罪・女子生徒に関しても傷害致死罪の成立を主張しており[282]、判決直前には『朝日新聞』記者・畑宗太郎の取材に対し「裁判は第一審では終わらないだろう」と述べていた[290]。大阪拘置所収監中[290]

2019年12月の大阪高裁第6刑事部の控訴取り下げ無効決定後、月刊誌『』編集長の篠田博之がYに接見し、Yは2020年2月発売の同誌2020年3月号に獄中手記を寄せた[291]

山口連続殺人放火事件 (H) 2019年7月11日 2013年7月21日 帰郷した山口県周南市の地元集落に馴染めず、近隣住民とのトラブルが多発していた。
近隣住民らへの恨みから5人を殺害・被害者宅を放火した。無罪を主張。
2019年8月1日付の最高裁第一小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により正式に死刑が確定[292]。広島拘置所収監中。
碧南市パチンコ店長夫婦殺害事件(堀慶末) 2019年7月19日 1998年6月28日 1998年に当時同僚だった男2人(いずれも無期懲役が確定)と共謀して愛知県碧南市内でパチンコ店長夫婦2人を殺害し、2006年にはさらにそのうち1人と共謀して高齢女性を襲撃し金品を奪う強盗殺人事件を起こした。
本件起訴容疑の2事件を起こした後、2007年に闇サイト殺人事件に実行犯として関与し逮捕されたがこの時点では夫婦殺害事件・強盗殺人未遂事件については発覚しなかった。
闇サイト事件の第一審では2015年に死刑執行された死刑囚と同様に死刑判決を受けるも、控訴審で破棄・無期懲役に減軽され上告審で確定した。
その直後、夫婦殺害事件で当時仕事仲間だった共犯の男2人(闇サイト事件とは無関係)とともに逮捕・起訴され、翌年には強盗殺人未遂事件に関して夫婦殺害事件の共犯の1人とともに再逮捕・起訴された。
本事件の裁判では一部無罪を主張。本事件の裁判では一事不再理の原則に抵触するため、闇サイト事件については審理されなかった。
上告中の2019年5月にインパクト出版会より実名で著書『鎮魂歌』(レクイエム)を出版した[293][294]
2019年8月7日付の最高裁第二小法廷決定(上告棄却判決に対する訂正申し立て棄却)により正式に死刑が確定[295]。名古屋拘置所収監中。

2020年死刑確定囚(1人)

事件名(死刑囚名) 判決確定日 事件発生日 備考(執行日など)
相模原障害者施設殺傷事件 (U) 2020年3月31日 2016年7月26日[296] かつて勤務していた神奈川県相模原市の知的障害者施設で入所者19人を刺殺し、職員を含め26人を負傷させた[296]。公判では動機について「意思疎通のできない重度障害者は不幸を生む」などと障害者への差別発言を繰り返していた[296]
弁護人は公判で「大麻による精神障害で心神喪失状態だった」と無罪を主張していたが、横浜地裁は完全な責任能力を有していたことを認定し2020年3月16日に死刑判決を言い渡した[296]
その後も控訴しない意向を示していたが、弁護人が3月27日付で東京高裁に控訴した[297]。しかし3月30日に被告人U自身が控訴を取り下げ、控訴期限が切れた2020年3月31日0時(日本標準時)をもって死刑が確定した[298]
死刑確定後の2020年4月7日付で身柄を横浜拘置支所(横浜刑務所に隣接)から東京拘置所へ移送された[299]

死刑判決を受け上訴中の被告人一覧

以下の情報は2020年3月31日時点で第一審・控訴審にて死刑判決を受け控訴・上告中の被告人についての情報を記載する。なお控訴審・上告審の日程は未定の場合特に記載しない。

上訴審で死刑判決が破棄されて無期懲役以下に減軽・もしくは無罪判決が出たか審理が差し戻された場合、上訴中に被告人が死亡して公訴棄却となった場合はこの表からは除外される。最高裁判決で上告が棄却されるか被告人自ら上訴を取り下げて死刑が確定した場合は上節の「死刑確定囚」に移動する。

※は第一審・裁判員裁判による被告人。

最高裁上告中の死刑判決事件被告人一覧(5人)

事件名(被告人名) 第一審判決日・
裁判所名
控訴審判決日・
裁判所名
上告審日程 事件発生日 収監先 備考
※前橋市連続強盗殺傷事件 (T) 2016年7月20日
前橋地裁・死刑判決[300]
2018年2月14日
東京高裁・被告人側控訴棄却[301]
最高裁上告中 2014年11月10日・11月16日 東京拘置所 携帯電話ソーシャルゲームへの課金のための浪費が原因で消費者金融に約120万円の借金があり、携帯電話・電気・ガスを料金滞納で止められていた。
群馬県前橋市内で高齢者を次々と襲い2人を殺害、1人に重傷を負わせた。
翌2015年2月5日までに強盗殺人容疑などで逮捕された。
2020年4月14日に最高裁第三小法廷(林道晴裁判長)にて上告審・口頭弁論が予定されていたが[302]新型コロナウイルス大流行により緊急事態宣言が発令されたことを受け2020年4月7日付で弁論期日が取り消された[303]
※伊東市干物店強盗殺人事件 (H) 2016年11月24日
静岡地裁沼津支部・死刑判決[304]
2018年7月30日
東京高裁・被告人側控訴棄却[305][306][307]
最高裁上告中[308][309] 2012年12月18日 東京拘置所 かつて働いていた干物店に押し入って社長女性・常務男性の2人をそれぞれ刃物で突き刺した上に店内に設置されたプレハブ型冷凍庫内に閉じ込め出血性ショックで殺害し、店の売上金・釣り銭など現金約29万円を奪った[309]
殺害された社長に「解雇したことにしてほしい」と迫りトラブルになっていたことがあった。
2013年に失業保険金をだまし取ったとして詐欺容疑で逮捕され、同年6月3日に有罪判決を受けた翌日に強盗殺人容疑で逮捕された。
無罪を主張。弁護人は控訴審で「第三者が現場付近にいた可能性がある」と主張した[310]
※浜名湖連続殺人事件 (K) 2018年2月23日
静岡地裁・死刑判決[311][312][313]
2019年3月15日
東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)[314][315][316]
最高裁上告中[317] 2016年1月29日
2016年7月5日
東京拘置所 1月29日ごろに静岡県浜松市西区マンションで元同僚の無職男性を何らかの方法で殺害しキャッシュカード・実印などを奪い、遺体を焼損して浜名湖周辺に遺棄したほか、この被害者男性のマンション所有権などを不正に取得・老齢厚生年金を詐取するなどした[312]
同年7月5日ごろには同県磐田市のアパートで知人工員男性の右腹部を2回刃物で刺して殺害・遺体を切断し浜名湖周辺に遺棄した[312]
公判で被告人K本人は事件関連の質問に対し一貫して黙秘[312]弁護人が無罪を主張した[318]
控訴中の2018年9月に工員男性の友人宛に「面会して話をしてほしい」旨の手紙を送ったが、同年9月・11月と2回にわたり被害者の友人が事件に関して質問しても沈黙して語らず[319]、控訴審初公判前に『中日新聞』記者・瀬田貴嗣と面会した際も「自分は世間に戻れないから」と述べて事件の核心を語らなかった[320]。控訴審で弁護人は「第一審判決の事実誤認・裁判官の訴訟手続きに関する法令違反」を主張するも具体的な内容は述べず新証拠の提出もなかった[321]
関西青酸連続死事件 (K) 2017年11月7日
京都地裁・死刑判決[322][323][324]
2019年5月24日
大阪高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)[325]
最高裁上告中[325] 2007年12月18日
2012年3月9日
2013年9月20日・12月28日
大阪拘置所 京都、大阪、兵庫の3府県で、結婚相談所で知り合った夫や内縁関係の男性ら4人の遺産を取得しようと、青酸化合物を飲ませ殺害した(うち1人は街中で突然倒れて入院、1年半後に転院先で死亡)。
2014年11月19日に夫の殺害容疑で初逮捕、のちに3件の殺人罪と1件の強盗殺人未遂罪に問われた。
他に4人の男性の突然死事件については立件・追送検されたが、いずれも嫌疑不十分で不起訴となった。
認知症の影響で責任能力などがない」として無罪を主張。
※マニラ連続保険金殺人事件 (I) 2017年8月25日
甲府地裁・死刑判決[326]
2019年12月17日
東京高裁・被告人側控訴棄却(死刑判決支持)[327]
最高裁上告中[328] 2014年10月19日
2015年8月31日 - 9月1日
東京拘置所 高校の同級生だった男ら4人と共謀し、2件の連続保険金殺人事件を起こした主犯格とされる。
2014年10月19日、整骨院院長の男性(共犯の女の夫)の死亡保険金を詐取しようと、男性をフィリピンマニラ市内に誘い出して殺害した。
その後、仲違いした共犯者の1人である男に約5000万円の海外旅行保険をかけ、2015年8月31日にマニラ市内で殺害した。
その後、準主犯格だった男の自供により事件が発覚、逮捕・起訴された。
無罪を主張。
共犯者らは、準主犯格の無期懲役(求刑同)、整骨院院長殺害の実行犯を手配した男の懲役15年(求刑同)、整骨院院長殺害をほう助した整骨院院長の元妻である女の懲役6年(求刑懲役7年)の判決が確定した。
本事件で殺害された共犯者の1人は容疑者死亡で不起訴処分となった。
殺害実行犯とされるフィリピン人の男は2017年1月13日、フィリピン警察当局に逮捕されたが、捜査段階でも山梨県警甲府地検にも存在こそ把握されていたものの、日本の警察権はフィリピンに及ばないことから逮捕されず、日本とフィリピンの間には犯罪人引き渡し条約が結ばれていないことから、日本で刑事裁判を受ける可能性はまずない。
2019年3月15日にはフィリピン警察当局がマニラ市内在住・広島県出身の日本人の男を「被告人Iら犯行グループに実行犯の男を紹介した」として殺人容疑で逮捕した[329]

高裁控訴中の死刑判決事件被告人一覧(3人)

事件名(被告人名) 第一審判決日・
裁判所名
控訴審日程・
裁判所名
事件発生日 収監先 備考
川崎老人ホーム連続殺人事件 (I) 2018年3月22日
横浜地裁・死刑判決
控訴中・東京高裁 2014年11月4日
2014年12月9日
2014年12月31日
東京拘置所 職員として働いていた川崎市有料老人ホームの入居者3人を相次いで転落死させた。
入所者の財布を盗んで窃盗罪の有罪判決を受けた後に本事件が発覚。
健忘症により事件当時の記憶がない」として無罪を主張。
※姫路市3人連続監禁殺人・致死事件 (U) 2019年3月15日
神戸地裁姫路支部・死刑判決[330][331]
控訴中・大阪高裁 2010年4月・6月[332]
2011年2月[332]
兵庫県姫路市内で2010年4月に元暴力団組員(当時57歳)を監禁させて死なせた傷害致死罪1件・同年6月に元広告会社社長(当時50歳)を拳銃で射殺したほか2011年2月に前述とは別の元暴力団組員(当時37歳)を窒息させて殺害した殺人罪2件などの罪に問われており[332]、神戸地検姫路支部側は「首謀者からの報酬を目当てに一連の事件で犯行に及んだ実行犯」と主張している[333]。無罪を主張。
神戸地検姫路支部は被告人Uとは別に韓国籍(在日韓国人)・パチンコ経営者の男(無罪を主張)を主犯格としてこの被告人に対しても「被告人Uらを利用して犯行を主導した」と死刑を求刑したが、神戸地裁姫路支部は2018年11月8日に「3件のうち元社長に対する殺人罪1件は無罪」と判断した上で無期懲役を言い渡し[334]、検察・被告人側の双方が控訴している[335]
死亡した被害者3人のうち元会社社長・57歳元組員の2人は遺体が発見されておらず[334]、検察・弁護人双方の主張が対立したほか途中で裁判員3人が交代するなどして審理が長期化し[336]、初公判 - 判決までの実審理期間は無期懲役判決を受けた「主犯格」が裁判員裁判として過去最長の207日・死刑判決を受けた被告人Uもそれに次いで2番目の166日といずれも異例の長期審理となった[335]
※福岡県小郡市母子3人殺害事件 (N)[337] 2019年12月13日
福岡地裁・死刑判決[337]
控訴中・福岡高裁[337] 2017年6月5日深夜 - 6日未明[337] 福岡県警の元巡査部長(事件後に懲戒免職)[337]福岡県小郡市の自宅で妻と小学4年生の長男・小学1年生の長女を絞殺した殺人罪に問われている[337]
警察官が在職中に起こした事件で死刑判決を受けた異例の事件[337]。無罪を主張[338]

脚注

注釈

  1. ^ 日本国内・国外を問わず事件名に加害者あるいは被害者の氏名を付けて呼称されている事例は少なくなく、一部は既に歴史用語となっているものもあり、そのような事件名称を本項に限って匿名・イニシャル表記とすることは困難であるため。
  2. ^ 未遂に終わったとしても法定刑は死刑しか規定されていない刑罰。戦後廃止された
  3. ^ あくまでも構想のみであり、実際に犯行計画をすすめていないため、日本では罰則規定が現在もない共謀罪であった。
  4. ^ 大逆罪廃止による
  5. ^ 東京大学教授の古畑種基による被害者の殺害方法についての鑑定が、再審時の鑑定とまったく一致しないばかりか、目撃証言と元死刑囚の体格が一致していなかったことが判明。
  6. ^ 拷問と虚偽の捏造した証拠によって自白調書を作成する捜査手法をとることで静岡県警で「捜査の神様」といわれた紅林の関わった冤罪事件は幸浦事件二俣事件小島事件など多数あるが、死刑判決が確定したのは島田事件が唯一だった。最高裁でも見向けなかったのは古畑の誤鑑定の評価ミスだった。もっとも現在では証拠能力を否定する刑事訴訟法の法理である違法収集証拠排除法則が確立しているため、真実の自白や証拠であったとしても証拠能力が否定され刑事裁判の維持が不可能になる。
  7. ^ 控訴取下げの時点で精神異常をきたしていたといわれており、心神喪失のため執行できない可能性もあるが、実際のところ現状不明。
  8. ^ 被害者男性は派手な仕手戦で「北浜の風雲児」などと呼ばれ、大物相場師として注目を集めていた[131]
  9. ^ 無期懲役が確定した残る1人の共犯者は事件に関与した時期が遅く、計画にも最終段階で加わったのみだったため無期懲役となった[129]
  10. ^ なお、4件目の殺人事件の後の1992年1月5日に落語家の3代目桂あやめが同事件の犯人に襲われ殺害されそうになったが未遂に終わり、彼女の警察への通報が犯人確保に繋がった。

出典

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参考文献

外部リンク