コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

都留市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つるし ウィキデータを編集
都留市
都留市旗 都留市章
都留市旗 都留市章
1954年8月5日制定
日本の旗 日本
地方 中部地方甲信越地方
都道府県 山梨県
市町村コード 19204-0
法人番号 9000020192040 ウィキデータを編集
面積 161.63km2
総人口 29,659[編集]
推計人口、2024年12月1日)
人口密度 183人/km2
隣接自治体 富士吉田市大月市上野原市南都留郡道志村西桂町忍野村山中湖村富士河口湖町
市の木 赤松
市の花
市の鳥
都留市役所
市長 堀内富久
所在地 402-8501
山梨県都留市上谷一丁目1番1号
北緯35度33分06秒 東経138度54分20秒 / 北緯35.55153度 東経138.90544度 / 35.55153; 138.90544座標: 北緯35度33分06秒 東経138度54分20秒 / 北緯35.55153度 東経138.90544度 / 35.55153; 138.90544
都留市役所
都留市役所
外部リンク 公式ウェブサイト

都留市位置図

― 市 / ― 町 / ― 村

ウィキプロジェクト
都留市中心部周辺の空中写真。1975年撮影の4枚を合成作成。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。

都留市(つるし)は、山梨県東部の郡内地方に位置する富士北麓に位置しており、周囲は1,000メートル級の山々に囲まれている[1]。古くからの甲斐絹の産地である。

市名の由来

[編集]

「都留」は都留郡の郡名に由来し、「都留」は都留市の位置する桂川(相模川)流域の地域が富士山の裾野を蔓のように延びており、その様子から「連葛」、「豆留」(いずれも「つる」)とよばれていたことに由来するとされている。

地理

[編集]

市外局番は0554-xx。

地形

[編集]

大月市と富士吉田市との中間に位置する。ほとんどが御坂山地丹沢山地などに属する山間部であり、市の南西から北東へ桂川が流れる。この桂川に沿って急峻な山と深い渓谷に挟まれた平坦地に市街地が形成されている。また、この川に沿うようにして中央自動車道富士吉田線、国道139号富士山麓電気鉄道富士急行線が通じている。

山地

[編集]
主な山地
主な山

河川

[編集]
主な川

桂川

地域

[編集]
現行行政町名等

都留市では、一部の区域で住居表示に関する法律に基づく住居表示が実施されている。

上谷地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
田原一〜四丁目 たはら 1976年4月1日 1976年4月1日 大字上谷の一部
上谷 かみや 1954年4月29日 未実施
上谷一〜六丁目 かみや 1976年4月1日 1976年4月1日 大字上谷の一部及び大字下谷の一部(三のみ)
川棚 かわだな 1954年4月29日 未実施
下谷地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
中央一〜四丁目 ちゅうおう 1977年4月1日 1977年4月1日 大字下谷の一部
つる一〜五丁目 つる 1977年4月1日 1977年4月1日 大字下谷の一部
下谷 しもや 1954年4月29日 未実施
下谷一〜四丁目 しもや 1977年4月1日 1977年4月1日 大字下谷の一部
三吉地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
法能 ほうのう 1954年4月29日 未実施
玉川 たまがわ 1954年4月29日 未実施
戸沢 とざわ 1954年4月29日 未実施
開地地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
大野 おおの 1954年4月29日 未実施
小野 おの 1954年4月29日 未実施
東桂地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
夏狩 なつがり 1954年4月29日 未実施
十日市場 とおかいちば 1954年4月29日 未実施
桂町 かつらまち 未実施
鹿留 ししどめ 1954年4月29日 未実施
さかい 1954年4月29日 未実施
宝地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
大幡 おおはた 1954年4月29日 未実施
中津森 なかつもり 1954年4月29日 未実施
金井 かない 1954年4月29日 未実施
厚原 あつはら 1954年4月29日 未実施
平栗 ひらぐり 1954年4月29日 未実施
加畑 かはた 1954年4月29日 未実施
禾生地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
四日市場 よっかいちば 1954年4月29日 未実施
古川渡 ふるかわど 1954年4月29日 未実施
田野倉 たのくら 1954年4月29日 未実施
井倉 いぐら 1954年4月29日 未実施
小形山 おがたやま 1954年4月29日 未実施
川茂 かわも 1954年4月29日 未実施
盛里地区
町名 町名の読み 設置年月日 住居表示実施年月日 住居表示実施直前の町名 備考
盛里 もりさと 未実施
与縄 よなわ 1954年4月29日 未実施
朝日馬場 あさひばば 1954年4月29日 未実施
朝日曽雌 あさひそし 1954年4月29日 未実施

人口

[編集]
都留市と全国の年齢別人口分布(2005年) 都留市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 都留市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
都留市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 31,188人
1975年(昭和50年) 32,607人
1980年(昭和55年) 32,901人
1985年(昭和60年) 33,158人
1990年(平成2年) 33,903人
1995年(平成7年) 35,398人
2000年(平成12年) 35,513人
2005年(平成17年) 35,017人
2010年(平成22年) 33,588人
2015年(平成27年) 32,002人
2020年(令和2年) 31,016人
総務省統計局 国勢調査より
  • 20歳前後で男女とも人口が突出して多くなっているが、これは市内にある都留文科大学の学生が入学に際して住民票を都留市に移すためである[2]。2020年国勢調査では大学生の年代である18歳~22歳の総人口に対する比率が10.9%で、全市町村の中で最も高い。

隣接自治体

[編集]
山梨県の旗山梨県

歴史

[編集]

先史

[編集]

郡内地方では桂川や支流域の平坦地に数多くの考古遺跡が立地している傾向にある。市域も同様で、大野の一杯窪遺跡旧石器時代の遺跡で、山梨県内最古の石器類が出土している。また縄文時代の遺跡は早期から見られ、縄文中期の集落遺跡である尾咲原遺跡や中溝遺跡、後晩期の配石遺構が見られる牛石遺跡中谷遺跡、桂川河岸段丘上の美通遺跡などがある。一方、郡内の傾向として弥生時代以降の遺跡は乏しい。

古代

[編集]

古代の律令制下では甲斐四郡のうち都留郡に属し、市域には桂川流域の多良郷が比定されている。

中世

[編集]

戦国時代には都留郡を領した国衆小山田氏が市域を本拠としている。小山田氏は国中地方における守護武田氏と有力国衆との抗争に介入して武田氏と敵対していたが、信虎期に武田氏と和睦して武田家臣団に加わる。

晴信(信玄)期には有力家臣として活躍し、勝頼期には織田・徳川連合軍の侵攻に際して小山田信茂が織田方に内通するが、織田氏により討伐され小山田氏は滅亡する。小山田氏は、はじめ桂川支流大幡川左岸にあたる中津森館を本拠としていたが、武田氏の武田城下町造成と平行して現在の都留市中心市街にあたる谷村(やむら)の地へ居館の移転を行い、谷村館(正確な所在地は不明)を中心に城下町整備を行う。

谷村は後の甲州街道から分岐し吉田へ至る富士道が通り、中世には市も成立した要地で、近世に甲斐国を領した徳川氏や豊臣系大名時代にも政治的拠点として活用された。また、谷村から桂川を挟んで対岸の川棚には勝山城が所在し、築城期は不明であるが、城跡からは豊臣系大名の浅野氏時代の居館や屋敷地の遺構が検出されており、桂川左岸に新たな城下町造成が企図されていた可能性も指摘されている。

近世

[編集]

江戸時代には谷村城が築かれ鳥居氏秋元氏二代の谷村藩が成立し郡内地方の政治的拠点となり町場が発達する。秋元氏時代には郡内地方における用水堰の開削や郡内織の新興が行われているが、市域でも秋元氏時代の開削と言われている谷村大堰があり、近世には郡内織も広く営まれていた。

  • 宝永元年(1704年)に秋元氏が武蔵国川越へ転封されると郡内地方は幕府直轄領化となり、谷村城は破却されて谷村には陣屋が設置され町場は衰退する。

行政区画の変遷

[編集]

行政

[編集]

市長

[編集]
歴代市長

特記なき場合「歴代市長」による[5]

氏名 就任 退任 備考
1 小林治郎 1954年(昭和29年)6月6日 1957年(昭和32年)12月7日
2 秋山与三郎 1957年(昭和32年)12月8日 1961年(昭和36年)12月7日
3 前田清明 1961年(昭和36年)12月8日 1969年(昭和44年)12月7日
4 富山節三 1969年(昭和44年)12月8日 1977年(昭和52年)12月7日
5 高部通正 1977年(昭和52年)12月8日 1985年(昭和60年)12月7日
6 都倉昭二 1985年(昭和60年)12月8日 1997年(平成9年)12月7日
7 小林義光 1997年(平成9年)12月8日 2013年(平成25年)12月7日
8 堀内富久 2013年(平成25年)12月8日 現職

姉妹都市・提携都市

[編集]

海外

[編集]
姉妹都市

国内

[編集]
提携都市

施設

[編集]
都留市消防署
都留市立病院
都留郵便局
都留市立図書館

国家機関

[編集]

郡内地方全域を管轄する司法、検察機関の支部を持ちながら、警察署本庁舎がない珍しい自治体である。

警察

[編集]
本部
分庁舎

消防

[編集]
本部
消防署
  • 都留市消防署(都留市上谷2-2-9)

医療

[編集]

郵便局

[編集]
郵便番号

文化施設

[編集]

運動施設

[編集]

その他

[編集]

教育

[編集]
都留文科大学

大学

[編集]
公立
私立

専修学校

[編集]
県立

高等学校

[編集]
県立

中学校

[編集]

小学校

[編集]

交通

[編集]
都留市駅
中央自動車道 都留IC

鉄道

[編集]

中心となる駅:都留市駅

ただし、同線で運行される特急富士回遊」「フジサン特急」「富士山ビュー特急」は都留文科大学前駅にのみ停車する。
富士山麓電気鉄道

バス

[編集]

路線バス

[編集]
  • 富士急バス
    • 都留市駅を中心に各地区に路線が延びていたが、近年のバス利用者低迷により本数大幅削減や路線存廃が取り沙汰されている。

高速バス

[編集]

道路

[編集]

高速道路

[編集]
  • E68 中央自動車道小形山BS - 都留IC - 谷村PA

国道

[編集]

県道

[編集]
主要地方道
一般県道

名所・旧跡・観光スポット

[編集]

名所・旧跡

[編集]
  • 谷村城址(跡) - 戦国期以来、郡内領主の居館跡。現在は市役所、都留市立谷村第一小学校の敷地となっている。
  • 勝山城址(跡) - 谷村市街とは桂川の対岸にある城山にかつてあった山城の址。城山公園。
  • 中津森館跡 - 中世に郡内(山梨県東部地域)を治めた小山田氏の本拠地。享禄2年(1529)に館が焼け、一族郎党谷村へ移り住む。これが谷村城である。
  • 谷村陣屋跡 - 元禄7年(1694)12月25日、谷村藩主秋元喬知川越城主となったことを機に、谷村藩は徳川幕府の直轄地となり、翌年に秋元家老高山甚五兵衛宅を谷村陣屋とした。現在は甲府地方裁判所 都留支部になっている。
  • 長生寺
  • 桂林寺 - 臨済宗。郡内領主小山田氏の菩提寺。
  • 用津院 - 曹洞宗。六地蔵は百姓一揆で死罪となった七名の庄屋を供養したものと伝わる。
  • 石船神社
  • 生出神社
  • 雛鶴神社

観光スポット

[編集]
山梨県立リニア見学センター(2017年11月16日撮影)

都留市は現在市役所のある谷村地区を中心として、中世から城下町を形成していた歴史があり、現在もその谷村地区を中心として多くの名所・名跡が残されている。

娯楽施設
  • 谷村劇場 - 劇場・映画館(1915年~昭和30年代)
  • 大手映画劇場 - 映画館(1947年~1964年)
  • 谷村座 - 劇場・映画館(1877年~1970年代)

文化・名物

[編集]

祭事・催事

[編集]
  • 八朔祭り - 都留市四日市場に鎮座する生出神社例祭が発達した祭礼。屋台曳行や大名行列を伴う。
  • 儀秀稲荷社(西涼寺境内) - 1949年の谷村町大火でも焼けずに残ったことから、火難防災の神として、火事のあった5月13日に儀秀稲荷大祭が行われる[6][7][8]

名物・特産

[編集]

出身関連著名人

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ 都留市都市計画マスタープラン 第2章 都留市の特性と課題”. 都留市. 2024年12月4日閲覧。
  2. ^ 山梨日日新聞Webサイト「学生さん、住民登録を忘れないで!」(2010年6月13日閲覧)
  3. ^ 山梨県『山梨県史―概説編 山梨県のあゆみ』山梨日日新聞社、2008年1月10日、369頁。ISBN 9784897108360 
  4. ^ 『図典 日本の市町村章』p.112
  5. ^ 歴代市長”. 都留市. 2021年3月7日閲覧。
  6. ^ 儀秀稲荷社1978年 カラー 12分、科学映像館
  7. ^ 泣き欅(西涼寺「儀秀稲荷社」)山梨デザインアルシーブ
  8. ^ 67年 防火への誓い新た 都留で大祭 /山梨毎日新聞2016年5月14日 地方版

外部リンク

[編集]