群馬女子高生誘拐殺人事件
群馬女子高生誘拐殺人事件 | |
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場所 | |
標的 | 女子高生A(16歳没・群馬県立前橋東商業高等学校1年生)[1] |
日付 |
2002年(平成14年)7月[1] 7月19日13時ごろ(被害者Aを誘拐)[2] – 7月20日10時ごろ(逮捕)[3] (UTC+9〈日本標準時・JST〉) |
概要 | 「自己の妻子との面会を強要するための人質として女子高生を誘拐して強姦しよう」と考えた[4]加害者Sが帰宅途中の女子高生を誘拐・強姦したが、逃走されそうになったため殺害した[2]。その後、死体を山中に遺棄した上で金品を奪ったほか[2]、拳銃購入資金を入手しようと被害者の両親に身代金を要求した[5]。またSは本事件前に妻の連れ子に児童虐待を加えたり、元勤務先の社長宅に強盗に入るなどした[2]。 |
攻撃手段 | 両手・カーステレオ用コードで首を絞める(殺害)[2] |
攻撃側人数 | 1人 |
武器 | カーステレオ用コード[2] |
死亡者 | 1人(誘拐事件の被害者A) |
負傷者 | 1人(Sの元妻Yの連れ子ZがSからの虐待により負傷) |
損害 | 現金23万円(身代金)・被害者の携帯電話および所持金約2,600円[2]+約10万円(本事件前の強盗)[2] |
犯人 | 男S(事件当時36歳・群馬県勢多郡粕川村大字込皆戸〈現:前橋市粕川町込皆戸〉在住)[1] |
容疑 | 殺人、わいせつ略取、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反、強姦、窃盗、拐取者身の代金取得、住居侵入、強盗、傷害[6] |
動機 | 「女子高生を誘拐・強姦した上で人質にして児童相談所に電話し、離婚した前妻や2人の子供を連れてこさせよう」などと漠然と考えたこと[4] |
対処 | 加害者Sを群馬県警が逮捕・前橋地検が起訴[7] |
謝罪 | 被告人Sは第一審公判で謝罪の弁を述べ[8]、控訴審公判では自ら「(第一審判決が無期懲役で)死刑じゃないのはおかしい(刑が軽すぎる)と思ったから控訴した」と発言した[注 1][12]。そして控訴審で死刑判決を受けると上告せず、自ら死刑確定を受け入れた[10]。 |
刑事訴訟 | 死刑(控訴審判決・上告せず確定 / 執行済み)[13] |
管轄 | 群馬県警察(捜査一課・大胡警察署)[14] / 前橋地方検察庁[7] |
群馬女子高生誘拐殺人事件(ぐんまじょしこうせいゆうかいさつじんじけん)とは2002年(平成14年)7月19日に群馬県勢多郡(現:前橋市)で発生した身代金誘拐殺人事件[1]。
加害者・元死刑囚S
[編集]加害者の男Sは1966年(昭和41年)5月19日生まれで[13]、事件当時は群馬県勢多郡粕川村大字込皆戸(現:前橋市粕川町込皆戸)在住[注 2]・36歳・無職[1]。法務大臣鳩山邦夫が発した死刑執行命令により2008年(平成20年)4月10日に東京拘置所で死刑を執行された(41歳没)[16]。
Sの曽祖父は広く畜産業を営む富豪で[注 3]、村会議員を務めた地元の有力者だったが、Sが中学を卒業したころに実家の畜産業の取引先が収めた豚の代金未払いのまま倒産し、それにより実家も倒産してしまった[19]。Sは村内の小中学校を卒業後、1982年(昭和57年)4月に前橋市内の商業高校に進学したが、そのころから無免許でオートバイを乗り回したり、女友達と遊ぶことなどにふけるようになって1年で中退し[17]、ファストフード店でのアルバイト・プレス工・鳶など職を転々とした[注 4][20]。
Sは1989年(平成元年)に前々妻Xと婚姻(最初の結婚)して2子をもうけたが、当時は建設作業員などの職を転々として給料を家計に入れないことが度々あったほか、消費者金融会社から借金[注 5]して多数の女性と交際するような生活を続けていた[注 6][17]。1993年(平成5年)には義母(Xの母親)と激しく口論したことをきっかけにXと離婚して[注 7]実家に戻ったが、1996年(平成8年)ごろに行った風俗店で働いていた前妻Yと知り合い、Yや[17]その連れ子である女児Z(事件当時小学2年生)[14]との同居生活を経て1999年(平成11年)に再婚した[17]。しかし鳶などとして働いたものの、職場で諍いを起こすなどして相変わらず仕事は長続きせず[注 8]、妻Yに度々暴力を振るうなどした[注 9][17]。2000年(平成12年)ごろには住んでいたアパートの居住者とトラブルを起こしてアパートを引き払い[注 10]、Yらと共に自己の実家で両親・実弟らと同居することになった[17]。その後、2001年(平成13年)4月には建設作業員などの仕事を転々とする生活の中でYとの間に長女をもうけたが、その出産費用を巡ってYの両親と諍いを起こし、Yが暴行などによりSに嫌気が差していたこともあって、2001年7月には離婚した[17]。
犯罪計画
[編集]前妻Yとの離婚後、Sはテレホンクラブで知り合った女性の家に転がり込むなどして生活していたが、2001年10月ごろにはYらを連れ戻して再び自己の実家で同居生活を始めた[17]。しかし2001年12月ごろからは義娘Zに対し再び暴力を振るうようになり[注 11]、2002年5月7日17時ごろにはZの頭部を平手で殴り、箪笥に衝突させて全治約1週間の傷害(頭部裂創)を負わせた[17](傷害罪)[2]。
同月下旬ごろ、Zの通っていた小学校の担任教諭がその暴行とは別の暴行によりZの身体に残った痣を見て[14]虐待を知り、群馬県の中央児童相談所[注 12][17]・大胡警察署に通報した[14]。これを受け、児童相談所は同年6月5日に事実確認のためS方に職員を派遣したが、Sは職員に対しZへの暴行の事実を否定したほか、自らの生活に介入してくる児相への怒りを覚え、調査後にはYに対し「お前らといると、俺はそのうち犯罪者にされちまうよ。子供連れて出てけ」などと怒鳴るなどした[17]。Yは仕事をせず、Zに暴力をふるうSに嫌気がさしていたため、(2日後の)同月7日には娘2人を連れてSの下から家出したが、Sは妻子がいなくなったことに気付くと「Yたちは児相に逃げ込んだ」と考え児相・警察署・Yの実家[注 13]などを探し回った[17]。しかしその居場所はわからず[注 14]、Sは「Yたちと会いたい」との思いから6月下旬ごろには「Zの通っている小学校のクラスを乗っ取り、教職員・児童らを人質にして児相にYらとの面会を要求してみよう」などと空想した[注 15]ことに加え、「鬱憤晴らしに女性を拉致してレイプでもしてみよう」と考えて女性を物色したこともあった[注 16][17]。
そして7月4日ごろには「小学校を乗っ取る前にそのための道具を買ったり思い切り遊ぼう」などと考えて「資金を得るために強盗しよう」と思い立ち[17]、7月9日15時20分ごろに[2]前橋市亀泉町の民家[27](かつて勤務していた人材派遣会社の社長宅)[注 17][17]へ宅配便の配達員を装って侵入し、社長の妻(当時43歳)に包丁を突き付けて「金を出せ」と脅し現金約10万円を奪った(住居侵入罪・強盗罪)[2]。しかしその際に得た金品を同月13日までにパチンコ・ゲームセンターなどで遣い切ってしまったため、同月中旬ごろには小学校乗っ取りなどの空想を具体的に考え始めるようになり[17]、犯行に使うための灯油を500ミリリットルのペットボトル6本に詰め、ビニール紐などをバッグに入れるなどして準備を始めた[17]。
Sは当初「小学校の夏休みは同月26日ごろだろうから、その直前に乗っ取り計画を実行しよう」と考えていたが[17]、同月19日朝にテレビのニュースで「明日(20日)から小学校は夏休みに入る」と知り[4]、この時点で計画・準備とも不十分だったために小学校乗っ取りを断念した[2]。しかし同日11時ころ、犯行のために準備した灯油などが入ったバッグをみて「これまでの自分の人生は何をしても中途半端で虚しかった」と感じて自暴自棄になり、「この先どうなってもいいからやりたいことをやろう」と思い立った[2]。そこで自身のかねてからのレイプ願望を満足させるため[5]「女子高生をさらってレイプした上で人質にして、児相に電話で前妻Yらを連れてこさせよう」などと漠然と考え、同日11時30分ごろには後部座席ドアにチャイルドロックを施錠した乗用車で女性を物色しに出かけた[2]。
誘拐・殺人事件
[編集]被害者Aを誘拐・強姦
[編集]2002年7月19日13時ごろ[2]、加害者Sは強姦する女性を物色するために乗用車で走行していたところ、群馬県勢多郡大胡町(現:前橋市)内の路上で[注 18][30]偶然帰宅途中の被害者・女子高生A(大胡町河原浜[注 19]在住 / 16歳没・群馬県立前橋東商業高等学校[注 20]1年生)[注 21][1]が人気のないトウモロコシ畑の中[注 22]を歩いているところを見かけた[5]。SはAに道を尋ねるふりをして立ち止まらせると[5]、Aを無理矢理自分の乗用車の後部座席に押し込んで拉致した[2](わいせつ略取罪など)[注 23]。
そして被害者Aを「人気が無く、女性を強姦するためには都合がいい」とあらかじめ考えていた赤城山中の山林内へ連れて行き[5]、同郡宮城村柏倉(現:前橋市柏倉町)の山林に至った[30]。Sは14時ごろ、(車内で)Aの腕をつかんでAを助手席に移動させ「言うことを聞かねえと帰さねえぞ」などと脅迫した上で強姦した[2](強姦罪)[5]。
Aを殺害
[編集]しかし強姦後、Sが煙草を吸うなどしていたところ[29]、Aが車内から逃げ出そうとしたため、Sは15時ごろにAの頸部を両手・カーステレオ用コード2本などで締め付け、頭部にビニール袋をかぶせることでAを窒息死させて殺害した[2](殺人罪)[5]。
SはAを逃がすまいと咄嗟にAを抑えつけ、Aが抵抗しなくなるまで右腕で首を締め上げた[5]。やがてSは「Aは失神した」と思い込んで腕をほどいたが、Aは薄目を開けた状態で口元から泡を吹いており、胸部付近がけいれんしていたため、Sはいったんは「Aを病院に連れて行かなければ」と思った[5]。しかし「そうすれば自己の強姦などの犯行が発覚してしまう」と思ったため、「いっそAを殺してしまおう」と決意し、助手席シートで仰向けに横たわっていたAの首を右手で掴み、シートの背もたれに押し付けるように体重をかけて絞めたところ、Aが「ゼーッ」という音を出したことから驚いて手を離した[5]。Sはこの時「もうAは死んだ」と思ったため、Aを山林内に放置しようとその頭部にビニール袋をかぶせたが、Aがまだ息をしていたため、両手で首を絞めた[3]。しかしその際にAの首から自分の手に脈の感触が伝わってきたため素手で絞めるのをやめ、Aを車から山中に降ろしてビニール袋を頭部に被せたままカーステレオのコードで首を縛り、Aを窒息死させた[3]。
殺害後、Sは被害者Aの死体から目立つ色のブラウスを脱がせた上で死体をその場に放置し[29]、逃走するために車を発進させたが、車内にAの荷物があることに気付いた[3]。Sはいったんそれを投棄しようとしたが「金目のものを奪ってからにしよう」と考えて荷物を物色し[3]、Aが持っていた現金約2,600円および携帯電話1台(時価約5,000円相当)を窃取し[2](窃盗罪)[5]、それ以外の荷物は山林内に投棄した[3]。
Aの家族に身代金要求
[編集]殺害・遺棄を終えたSはゲームセンターなどで時間を潰したが、20 - 21時ごろに帰宅して「自分は殺人者になった。もう終わりだ」[注 24]などと思い詰め「逮捕される前の前妻Yらに会おう。そのために直接児童相談所に乗り込み、職員を人質にとってYらを連れてこさせよう」などと考えた[3]。Sは「そのための武器として拳銃を買うためには最低でも50万円必要だ」と考え、資金としてまとまった金を手に入れる方法に強盗などを思いついたが、良い場所が思いつかなかったため行き詰まった[3]。しかし、Aから奪った携帯電話[注 25]の存在を思い出したため[3]、その携帯電話を使って娘Aの安否を心配していた[注 26]両親から身代金を得ることを企てた[2]。
Sは「大金を要求しなければAの両親は警察に届け出ないだろう」と考えて要求額を50万円に決め[29]、同日23時15分ごろ - 翌20日12時ごろまでの間、数回にわたり前橋市内の複数個所からA宅に電話を掛け、応対した両親を「娘はどうなっても良いのか。50万円を用意しろ」[注 27]「警察には届けるな」などと脅して身代金を要求した[2](拐取者身の代金取得)[5]。しかしAの両親は群馬県警察に通報し[14]、その指示通りSとの交渉を続けた[3]。
犯人Sからの電話には「金を持ってこなければ(被害者Aを)殺す」など明確に誘拐を示唆する内容がなかった一方[22]、Sは「(Aとは)メル友で面識がある」などと話していたことに加え[1]、要求額も身代金としては少額だった[22]。そのため群馬県警は当初、身代金誘拐事件ではなく単純な恐喝事件[14]・行方不明案件として捜査を開始し、報道協定を申し入れなかった[注 28]ほか、20日に恐喝容疑でSを逮捕した時点でもその事実を発表しなかった[22]。結局、交渉の末に「7月20日10時ごろに身代金23万円を受け渡す」ことになったが、Sは「Aの家族が警察に通報し、警察が見張っているかもしれない」と考え、Aの父親と携帯電話で連絡を取りながら身代金の受け渡し場所を変更した[3]。12時14分ごろ[2]、Sは現金受け渡し場所として指定した佐波郡赤堀町(現:伊勢崎市)内の受け渡し場所で身代金として現金23万円を得た[注 29][30]。Sはすぐにその場から逃走したが、約800メートル走った交差点の赤信号で停車したところ、追跡していた覆面パトカー数台に行く手を塞がれて群馬県警の捜査員に取り囲まれ、恐喝容疑で逮捕された[14]。被疑者Sは当初、取り調べに対し「自分以外に5人の仲間がおり、仲間が人質(被害者A)を確保している」などと虚偽の供述をしていたが、群馬県警が7月23日20時ごろにポリグラフ検査を受けたところ共犯がいない可能性が強まったため[14]、さらに追及したところ「自分が(Aを)殺して死体を遺棄した」と自供した[1]。これを受けて群馬県警がSの供述した場所を捜索したところ、供述通りAの遺体が発見されたため[注 30][1]、群馬県警捜査一課・大胡警察署は被疑者Sを殺人・死体遺棄容疑で逮捕した[14]。
群馬県警捜査一課は事件当初、本事件を誘拐事件として捜査せず、報道協定を締結しなかった理由として「誘拐現場の目撃情報がなかったことに加え、脅迫電話には被害者Aが出ていなかったことから『被害者Aが拘束されている』という確証がなかったためだ」などと説明した[36]。また県警刑事部長・津久井信次は「発生当時、Sは電話で明確に誘拐を示唆しなかった一方で知り合いを自称していたため、被害者が誘拐されているという確証がなかった。恐喝容疑で逮捕した事実を発表しなかったのはSの『共犯者がいる』という言葉を前提に捜査していたためだ」と[22]、警察庁も「報道協定は『報道の自由』を制限するもので、あくまで特別なものだ。被疑者Sの電話には切迫感がなく、報道協定を締結する必要があったとは言えない」と説明したが[36]、『読売新聞』は「Sの脅迫電話は十数回に及んでおり、金の要求と同時に被害者Aに危害を加えることを示唆する発言もあったため『当初から誘拐事件として扱うべきだった』との見方もある」と報道したほか[14]、『毎日新聞』も大谷昭宏(ジャーナリスト)[注 31]・土本武司(元最高検察庁検事・帝京大学教授)[注 32]の意見を引用して「報道協定の申し入れの判断は『被害者の生命の危険性』が最終的な決め手だ。今回は結果的に被害者Aは脅迫電話以前に殺害されていたが、Sは電話で被害者Aの生存・共犯者の存在をほのめかしており、県警はその時点でAへの危害も想定できただろう。警察は今回の判断に誤りがなかったかを検証すべきだ」と指摘した[36]。
群馬県警捜査一課・大胡署は2002年7月25日に被疑者Sを殺人・死体遺棄容疑で前橋地方検察庁へ送検したほか[21]、大胡署に「赤城山中女子高校生殺人・死体遺棄事件捜査本部」を設置して[37]未成年者略取容疑でもSを追及した[21]。その後、2002年8月13日には略取容疑で[7]、9月4日にはSが自供した7月9日の強盗事件に関する強盗容疑でそれぞれ被疑者Sを再逮捕した[28]。
前橋地検はSが略取容疑で再逮捕された8月13日に被疑者Sを殺人罪で前橋地方裁判所へ起訴し[7]、同年9月3日には拐取者身代金取得などの罪で[27]、9月13日には強盗・住居侵入の罪でそれぞれ追起訴した[38]。なお前橋地検は捜査の結果、遺棄現場で殺害行為が行われていたことが判明したことから、死体遺棄罪では起訴しなかった[39]。
刑事裁判
[編集]第一審・前橋地裁
[編集]2002年10月21日に前橋地方裁判所(長谷川憲一裁判長)[注 33]で被告人Sの初公判が開かれ、被告人Sは起訴事実を全面的に認めた[42]。
2002年12月5日の第2回公判ではSが本事件前に起こした前妻の連れ子に対する傷害(児童虐待)事件・強盗事件について罪状認否が行われ、被告人Sは両事件についても起訴事実を認めた[24]。また検察官は同日の公判で被害者Aの同級生たちが書いた作文265人分を情状証拠として提出した[24]。
2003年(平成15年)1月27日に開かれた第3回公判では被告人質問が行われ、被告人Sは逮捕後の調べで「犯罪をするなら完全犯罪できる」と供述していた点を検察官から尋ねられ「真意は『自分はずるい男だから、完全犯罪できる状況でないと罪は犯さない』という意味だ」と述べたほか[43]、弁護人からの質問に対し「学校への立てこもり・女子高生の人質計画を立て行動したのは思い付きだ」とも証言した[44]。また同日の公判で検察官は被害者Aの遺族・友人らが被告人Sへの厳罰を求めて集めた署名約76,000人分を提出したが、証拠採用はされなかった[注 34][44]。
2003年3月11日の第4回公判では被告人質問・証人尋問が行われ、検察側の証人として出廷した被害者Aの父親は「犯人Sは反省しているようには見えないが、犯人への怒り以上に娘を亡くした悲しみが大きい」と証言した[47]。同日の公判で弁護人は「被告人Sの人格問題が先天的か否かなどを判断する必要がある」として被告人Sの精神鑑定を申請したが[47]、同年5月8日の第5回公判で前橋地裁(久我泰博裁判長)は鑑定申請を却下した[41]。同公判では被害者Aの母親が検察側の証人として出廷し「事件後、心に穴が開いたようで何も感じなくなった。娘を返してほしいし、Sを死刑にしてほしい」と意見陳述した[41]。
2003年6月19日の第7回公判(論告求刑前最後の公判)では被告人質問が行われ、被告人Sは検察官から「命を奪ったことをどう思うか?」と質問され「事件のことを考えると普通でいられなくなる」と供述したが、吉井隆平裁判官から「本当の反省は自分と向き合うことだ。中途半端なら反省とは言えない」と諭された[48]。また久我裁判長は「最後まで(被害者を)帰さないつもりだったのか?」と質問すると、Sは「とりあえず誘拐しようと思った。今は後悔している」と述べた[48]。
2003年7月29日に前橋地裁(久我泰博裁判長)で論告求刑公判が開かれ、前橋地検の検察官は「人間性の欠片も感じられない凶悪犯罪で矯正は不可能」として被告人Sに死刑を求刑した[49][50]。群馬県内の刑事裁判における死刑求刑は1994年3月に安中市で交際相手の女性ら3人を殺害した元水道設備業者(当時既に死刑確定済み)[注 35]以来、約9年ぶりだった[50]。一方、弁護人は最終弁論で「被告人Sは成長段階で思いやりを欠き、自己抑制・忍耐力のない人格が形成された。その生活環境を放置してきた親族や社会・教育にも責任があるのではないか」などと述べた[52]。
2003年10月9日に第一審・判決公判が開かれ、前橋地裁(久我泰博裁判長)は被告人Sに無期懲役判決を言い渡した[注 36][17][30]。前橋地裁は「犯行は冷酷・残忍かつ凶悪でその動機に酌むべき余地はなく、被害者の無念・遺族の処罰感情および社会に与えた衝撃などを鑑みれば被告人Sの刑事責任は極めて重大だ」と指摘したが[53]、その一方で被告人Sに有利な情状として「殺人は被害者が逃走しようとしたことに動揺した被告人Sが咄嗟にそれを阻止しようとした偶発的なもので計画的殺人ではない。略取・監禁や強姦は計画的犯行ではあるが綿密な計画によるものではなく、身代金要求も被害者を殺害した後で思いついたものだ。被告人Sは捜査段階の途中から素直に事実関係を認め、被害者遺族への謝罪の言葉を述べたり、捜査段階の悪態を後悔するような発言もしており、現時点では被害者に対する謝罪の念や、遺族の気持ちに思いを致し真に反省悔悟する気持ちなどが芽生えてきていることも窺われる」とも指摘し、「極刑が真にやむを得ないと言うにはいまだ隔たりがある」と結論付けた[8]。久我裁判長は判決宣告後、被告人Sに「周りの人に『死刑にしなくて良かった』と言ってもらえる人間になってほしい」と説諭したほか[46]、被告人Sの退廷後には被害者Aの両親に対し「納得がいかないと思うが、『犯人が人を殺すのは簡単だが、国家が死刑という判断をするのは大変だ』ということだ」と語りかけた[注 37][55]。
前橋地検は「量刑は軽すぎて不当だ」と主張して2003年10月16日付で東京高等裁判所へ控訴したほか[56]、被告人Sも同月21日までに東京高裁へ控訴した[57][58]。検察官の控訴趣意書論旨は「被告人Sの罪責は重大で死刑をもって臨むことが真にやむを得ない事案であり、無期懲役の量刑は軽すぎて不当」というもので、弁護人の控訴趣意書論旨は「反省の萌芽が芽生えている被告人に対しては生涯にわたり被害者の冥福を祈らせるのが適切で、無期懲役の量刑は維持されるべきだ」というもの(実質的に検察官の控訴趣意に対する答弁)だった[59]。
控訴審・東京高裁
[編集]東京高裁第11刑事部(白木勇裁判長)で[60]2004年(平成16年)6月16日に控訴審初公判が開かれ、検察官は控訴趣意書で「犯行の執拗性・残虐性や被害者遺族の被害感情を考慮すれば極刑が誠にやむを得ない事案。起訴事実と同じ事実認定をしておきながらあえて死刑を回避した第一審判決は不当」と述べ、改めて死刑を求めた[61]。その一方で弁護人は「被告人Sは現在も極刑を望んでいるが、自らの犯した行為から目を背けず、もっと被害者のことを考えて苦しまねばならない。そのためには一生被害者への償いをさせる方が意味がある」などと主張して控訴棄却を求めた[61]。
2004年7月14日に開かれた公判では被害者の両親が検察官側の証人として出廷し「犯人を死刑にしてほしい」「仇討ちが許されないなら国が代わりに敵を討ってほしい」などと訴えた[62]。2004年8月26日の第3回公判で被告人質問が行われたが[63]、被告人Sは死刑を回避した第一審判決を不服として控訴した理由について「死刑ではないのはおかしい(刑が軽すぎる)と思ったからだ」と供述した[注 1]ほか、白木に対し「この裁判自体が自分と無関係なところで行われている気がする」などと不可解な発言を繰り返した[12]。同日、Sは殺害当時の気持ちについて弁護人から質問されると「よくわからない」と述べたが、殺意を有した時期について検察官から質問されると「最初から殺意を有していたと思う」と回答したほか、被害者遺族に一度も謝罪の手紙を書いていない理由について「謝罪の意思がないから書いていない。そのような行為は刑を軽くすることだと思った」と述べた[12]。
それに続く2004年9月8日に開かれた[12]公判で控訴審は結審し、同日の最終弁論で検察官は「第一審判決は『犯行に場当たり的な面がある』などとして死刑を回避したが、周到な計画性の欠如は死刑を回避する正当な選択ではない。被告人Sは控訴審で『死刑じゃないのはおかしいと思ったから控訴した』と発言したのは厳罰を求める被害者遺族の感情を癒すどころか逆撫でしているだけだ」と主張し、改めて死刑適用を求めた[64]。一方、弁護人は「死刑じゃないのはおかしい」というSの発言について「感情をうまく表現できないだけで、反省の態度がないわけではない」と反論し、検察側の控訴棄却(第一審・無期懲役判決の支持)を求めた[64]。
2004年10月29日に控訴審判決公判が開かれ、東京高裁第11刑事部(白木勇裁判長)は第一審・無期懲役判決を破棄自判して被告人Sに死刑判決を言い渡した[65]。東京高裁は犯行経緯・動機について「家出した妻子らを連れ戻すことが動機だが、家出の動機は被告人Sの不行跡・暴力に起因するもので被告人Sの心情には同情できず、その手段として考えた小学校乗っ取り・女子高生拉致監禁は理不尽極まりないもので、犯行経緯・動機に酌量の余地はない」と指摘したほか[20]、犯行様態について「原判決は『A殺害は当初からの計画的犯行ではなく偶発的で、その態様も冷酷・残忍だが、極めて残虐とまでは言えない。また身代金要求はA殺害後に思い付いたもので当初から計画していたわけではない』と指摘したが、Sはその場の成り行きに任せて殺害行為を実行した面が多分にあるため、偶発的とまでは評価できず、生きたままビニール袋をかぶせ手首を縛り殺害したことは極めて残虐な殺害方法だ。またSはAの安否を気遣う両親に対し時には笑いながら応対したり、『もうやめよう』などとAの生命を保証しないと言わんばかりの突き放した言い方で金を要求するなど、その際の言動は卑劣極まりなく、人の真心を弄ぶような許し難い所業だ。Aを強姦・殺害した後も自己の行為への恐れ・後悔の気持ちを抱かぬまま安易に凶悪犯罪を思い浮かべ、すぐに実行している」と指摘し、第一審とは逆に「殺害方法は極めて残虐で、身代金要求に計画性がない点を過大視すべきではない」という結論を出した[29]。その上で「被害者遺族は厳罰を望んでいるほか、Aの級友や社会に与えた深刻な衝撃・不安も大きい」などと指弾した一方[35]、「被告人Sには前科・前歴がなく、現時点では自ら死刑を望み、被害者Aへの謝罪の念・反省悔悟の情が芽生え始めている」と被告人Sにとって有利な情状も認定したが[9]、「その罪責はあまりにも重大で、A殺害の態様や被告人Sの反省の情などについて誤った評価をし、Sにとって過度に有利な斟酌をした第一審判決は破棄を免れず、Aへの殺人罪については被告人Sを死刑に処すことが妥当である」と結論付けた[11]。
弁護人は最高裁判所へ上告する方針だったが[65]、被告人Sが「弁護人が上告しても取り下げる」と意思表示した[66]。結果、被告人Sは上告期限(2004年11月12日)までに上告しなかったため、そのまま死刑が確定した[10]。
法務省(法務大臣:鳩山邦夫)が発した死刑執行命令により、死刑囚Sは死刑確定から3年4か月後[16]の2008年(平成20年)4月10日に東京拘置所で死刑を執行された(41歳没)[13][67]。
脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ a b 控訴審判決にて東京高裁 (2004) はこの言葉の真意を「被告人Sは自身の気持ちを素直に表現できず、被害者Aの両親の神経を逆撫でする言い方になっているが、その気持ちを忖度すれば反省・悔悟の情と認められる」と事実認定しているが[9]、第一審で被告人Sの弁護人を担当した弁護士・高橋盾生は「Sは『仮に10年・20年後に釈放されても行く当ても金もないから死刑にしてくれ』と話しており、弁護していても反省・罪の意識は感じられなかった」と述べている[10]。なお被告人側の上訴については刑事訴訟法第402条で「被告人が控訴をし、又は被告人のため控訴をした事件については、原判決の刑より重い刑を言い渡すことはできない」と規定されているため、検察官が上訴しない限りは原判決より重い刑を言い渡すことはできない。よって、控訴審判決は検察官の控訴を受け入れた上で原判決(無期懲役)を破棄して死刑を言い渡している[11]。
- ^ 込皆戸集落を訪れて取材した上原善広 (2009) は「Sによる事件が発生した前後にも、地元ではそれぞれ同地区出身者によるコンビニ強盗・村会議員による汚職といった犯罪が相次いだため、地区に対する偏見の悪化を恐れて困惑する空気が強まった」と述べている[15]。
- ^ Sの両親は養豚業者[17]。上原 (2009) から取材を受けた近隣住民は「幼少期のSはスポーツ好きで活発などこにでもいるような少年だったが、実家が倒産したころからあまり姿を見なくなった」と証言している[18]。
- ^ このころ交際していた女性を妊娠させ、母親に人工妊娠中絶の費用をもらって中絶させたことがあったほか、10歳代後半ごろからレイプ願望があった[17]。
- ^ Sは事件当時、消費者金融3社から少なくとも二百数十万円を借金しており、逮捕時の所持金はわずか200円程度だった[21]。
- ^ 不倫相手の1人を妊娠させ中絶させたこともあった[17]。
- ^ 2子はXが引き取った[17]。
- ^ 1995年(平成7年)以降は親戚が経営していた建設会社で約3年間働いていたが[14]、1998年(平成10年)夏に辞めてからは定職に就いていなかった[22]。
- ^ Yにはしばしば口淫することを求め、拒まれると暴力を振るうこともあった[17]。
- ^ この時には数か月分の家賃(十数万円)を滞納し、家財道具などを残して姿を消したが、数日後にアパートの大家が部屋の様子を見ると襖に拳大の穴が複数開いていたほか、ポストにはSのものとみられる「迷惑をかけてすみません。お世話になりました。家賃は必ず返します」という書置きが残されていた[23]。その後、家賃の滞納分は家財道具などを片付けに来た両親が完済したが、姿を消した後で複数の消費者金融業者が借金返済の催促に来た[23]。
- ^ 検察官は虐待事件に関する冒頭陳述で「被告人Sは苛立ちを覚えると子供を平手で殴ったり、自分の顔の高さまで持ち上げて床に投げ落とすなどしていた」と指摘している[24]。
- ^ 前橋保健福祉事務所児童相談部[24]。群馬県中央児童相談所(前橋保健福祉事務所児童相談部)は前橋市野中町360番地1号に位置する[25]。
- ^ Zは母親Yの実家(東京都内)へ引っ越し、都内の小学校へ転校することになった[14]。
- ^ Sが児相にYらの居場所を聞き出したところ、応対した職員は「(前妻Y・子供たちの居場所について)答える法律上の義務はない」と要求を拒否したが、Sは「そんな法律は破ってやる。好きなことをやってやる」と自暴自棄になり強盗を決意した[24]。
- ^ 被疑者Sは逮捕後、捜査本部の調べに対し「前年(2001年)に発生した附属池田小事件を意識した。同事件の加害者・宅間守は生い立ちや妻に捨てられたことなど、自分と境遇が似ていると思っていた。宅間のように派手なことをすれば妻子が振り向いてくれると思った」などと供述した[26]。
- ^ 6月下旬 - 7月上旬ごろにかけて大胡町(判決文では「h町」と表記。被害者Aの拉致された現場・大胡町も「h町」と表記されている)などを車で走り回り、女性を物色した[17]。
- ^ 事件より3年前、Sは当時勤務していた桐生市内の人材派遣会社からこの社長の会社に出向いて仕事をしたことがあった[28]。
- ^ Aが拉致された現場はA宅からわずか200メートルばかりの場所だった[29]。
- ^ 現:前橋市河原浜町。
- ^ 前橋東商業高校は女子校で、同校から大胡駅(上毛電気鉄道上毛線)に至る県道やその周辺道路では事件の数年前から車で通りがかりの男が女子高生を誘ったり、変質者が体を露出する姿が頻繁に目撃されており、一部では「ナンパ街道」と呼ばれていた[23]。そのため、学校側が自主的に見回り活動を行っていた[23]。
- ^ Aは1986年(昭和61年)5月18日生まれ(北海道出身)で、高校入学後は初の中間試験でクラス1の成績を残していたほか、通学用に自動車の運転免許を取得しようと貯金するためにガソリンスタンドでアルバイトをしており、将来は幼稚園の先生になることを夢見ていた[3]。事件当日は高校1年の1学期終業式があった日で[29]、同年春に卒業した中学校[31](大胡町立大胡中学校)[32]の吹奏楽部のコンサートに歩いて向かう途中だった[31]。
- ^ 拉致現場は被害者Aの自宅から約100 m離れた町道だった[21]。
- ^ わいせつ目的略取の点では刑法第225条、第三者に対して義務のない行為をすることを要求するための人質にする目的での監禁の点は「人質による強要行為等の処罰に関する法律」第1条2項・1項違反[33]。
- ^ この時には「死刑になる」とも考えていた[29]。
- ^ S自身の携帯電話は使用できない状態だった[34]。
- ^ Aの両親は「娘が夜遅くになっても帰ってこず、連絡も取れない」という事態が今まで一度もなかったために心配が頂点に達しており、娘の(友人など)居場所を知っていそうな連絡先に電話を掛けるなどしていた[3]。
- ^ この時にはAの生存を装い「共犯者がAを監視しており、危害を加えようとしているので自分が抑えている」などとAの両親を脅迫していた[29]。またAの父親が「今日は土曜日だから金策できない」と答えると「仲間の若い奴らの都合もあるから金は半分でいい」と話し[14]、途中で要求額を二十数万円まで引き下げたが[1]、Aの両親は夜中にも拘らず急ごしらえで身代金を用意させられることとなった[29]。
- ^ 『読売新聞』『朝日新聞』『毎日新聞』はいずれも事件解決(殺人容疑での逮捕)後となる2002年7月24日夕刊が第一報となった[1][22][31]。
- ^ この時、SはAの父親から直接身代金を受け取ったが、その際にはAの父親の手を握手するように包み込んでいた[29]。
- ^ Aの遺体は発見当時、首にロープが巻かれていた[31]。またSが殺害翌日に逮捕されてからも3日間にわたりA殺害を自供しなかったため、Aの遺体は正視に堪えないほど腐敗し、Aの父親が「妻が見たら衝撃を受ける」と恐れて妻を娘の亡骸と対面させなかったほどだった[35]。
- ^ 大谷は「県警は『女子高生』『メル友』『少額の50万円』というキーワードから『誘拐というよりメル友絡みの事件だ』と先入観を抱えていたのではないか?誘拐の事実が確認できなかったことなどは報道協定を申し入れなかった積極的な理由にはならず、今回の対応は間違いだったと再考すべき」と指摘した[36]。
- ^ 土本は「被害者の行方が分からなかったため、当初恐喝容疑で逮捕したこと自体はやむを得ないが、被疑者Sが身代金を要求する電話を頻繁に欠けていた点を考えれば人命最優先で報道協定を申し入れるべきだったかもしれない」と指摘した[36]。
- ^ 長谷川は第4回公判(2003年3月11日)まで担当し[40]、第5回(2003年5月8日)以降は久我が裁判長を務めた[41]。
- ^ ただし、前橋地裁 (2003) は被害者遺族の処罰感情および署名活動について「被害者Aの遺族らの被告人に対する憎しみや怒りは、遺族らをして被告人を死刑に処すべきであるとの嘆願書への署名活動に駆り立てるほどで…(中略)深い同情の念を禁じ得ず、これを慰める言葉を見つけることもできない」と言及している[45]。署名活動は初公判前から始まって口コミで広まり、第一審判決までに約8万人分が集まった[46]。
- ^ この死刑囚は2017年12月19日に東京拘置所で市川一家4人殺害事件の少年死刑囚とともに死刑を執行された[51]。
- ^ 刑期に未決勾留日数のうち320日を算入[17]。殺人および拐取者身の代金取得罪についてそれぞれ無期懲役刑を、それ以外の罪状については懲役刑を選択したが、併合罪の規定により最も犯情の重い殺人罪に対する無期懲役刑のみが実際に適用された[33]。
- ^ 裁判長が閉廷後の法廷で傍聴人に対し釈明したことは異例で、被害者遺族の心情に配慮したものとみられる[54]。
出典
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参考文献
[編集]- 第一審 - 前橋地方裁判所刑事部判決 2003年(平成15年)10月9日 裁判所ウェブサイト掲載判例、平成14年(わ)第480号/平成14年(わ)第532号/平成14年(わ)第564号/平成14年(わ)第712号、『殺人、わいせつ略取、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反、強姦、窃盗、拐取者身の代金取得、住居侵入、強盗、傷害被告事件』。
- 『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28095063
- 被告人が、被害者Dを強姦するとともに自己の妻子との面会を強要するために人質にする目的で、略取した上監禁して、強姦し、その際、逃走しようとした同女を殺害し、その所有に係る現金等を窃取した後、同女の両親に対し身代金を要求しこれを交付させるなどした事案で、本件各犯行のすべての情状を併せ考察するとき、被告人の刑事責任が極めて重大であるが、死刑が人命の剥奪を内容とする最も冷厳な刑罰であり、真にやむを得ない場合のみ適用すべき究極の刑罰であることを考慮し、かつ、近年の我が国における同種犯罪に対する量刑の実情をも勘案すると、被告人に対しては、極刑が真にやむを得ないと言うには、いまだ隔たりがあるとし、被告人に無期懲役を言渡した事例。
- 控訴審 - 東京高等裁判所第11刑事部判決 2004年(平成16年)10月29日 『TKCローライブラリー』(LEX/DBインターネット) 文献番号:28105255、平成15年(う)第2869号、『殺人、わいせつ略取、人質による強要行為等の処罰に関する法律違反、強姦、窃盗、拐取者身の代金取得、住居侵入、強盗、傷害被告事件』。
- 深井一誠「総力特集 昭和&平成 世にも恐ろしい13の「死刑囚」事件簿 S(死刑囚の実名)「群馬・女子高生誘拐殺人」両親に笑いながら電話した元お坊ちゃん」『新潮45』第25巻第10号、新潮社、2006年10月1日、73-75頁。
- 法務大臣:鳩山邦夫『法務大臣臨時記者会見の概要(平成20年4月10日(木))』(プレスリリース)法務省、2008年4月10日。オリジナルの2011年3月23日時点におけるアーカイブ 。2011年3月23日閲覧。
- 上原善広『日本の路地を旅する』(第一刷発行)文藝春秋、2009年12月15日、236-251頁。ISBN 978-4163720708 。
- 年報・死刑廃止編集委員会 著、(編集委員:岩井信・可知亮・笹原恵・島谷直子・高田章子・永井迅・安田好弘・深田卓) 編『オウム大虐殺 13人執行の残したもの 年報・死刑廃止2019』(初版第1刷発行)インパクト出版会、2019年10月25日、259頁。ISBN 978-4755402883 。
関連項目
[編集]- 三島女子短大生焼殺事件 - 本事件と同じく2002年に発生した、殺害された被害者数が1人で加害者に殺人前科のない殺人事件(静岡県三島市で発生)。同事件では経済的な利欲目的・計画性ともなかったが、犯行の残虐性や被告人の犯罪性行から死刑判決が言い渡され、最高裁で確定した。
- 闇サイト殺人事件・池袋暴走事故・千葉小3女児殺害事件 - 本事件と同じく、被害者遺族が加害者への厳罰を求め署名活動を行った事件。
- 江東マンション神隠し殺人事件 - 2008年に東京都江東区で発生した殺人事件。同事件の公判では「殺害された被害者が1人で加害者に殺人の前科がない場合でも死刑が確定した事例」の1つとして本事件が挙げられたが、同事件の刑事裁判では一・二審とも無期懲役判決が言い渡され確定した。