第5代総選挙 (大韓民国)
第五代総選 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 제5대 총선 |
漢字: | 第五代總選 |
第5代総選挙(だい5だいそうせんきょ)は、韓国における国会の議員を選出するため第二共和国時代の1960年7月29日に行われた選挙である。本稿では改めて行なわれた第4代大統領選挙(国会議員による間接選挙)についても記述する。尚、韓国では「第○回」ではなく「第○代」と選挙回数を数える。また名称も「総選挙」(총선거)ではなく、「総選」(총선)と表記するのが一般的である。
概要
[編集]第一共和国の大統領である李承晩が四月革命で退陣した後、1960年6月15日に責任内閣制への憲法改正が実施された後で、民議院と参議院の選挙が同時に行われた。尚、参議院については李承晩時代の1952年7月の憲法改正で導入はされてはいたが、選挙は実施されておらず、今回がはじめての選挙となった。選挙の結果、民議院と参議院の両院で民主党が多数派を占める結果となった。
基礎データ
[編集]今回の選挙から選挙権は満21歳から満20歳に引き下げられた。
- 民議院:233議席
- 参議院:58議席
- 選挙制度
- 立候補者
- 民議院:1,563名
- 参議院:201名
- 選挙人数:11,593,432名
選挙結果
[編集]- 総投票者数:9,778,921名
- 有効票数:9,077,835票(民議院)
党派 | 民議院 | 参議院 | ||||||
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得票数 | 得票率 (%) |
議席数 | 議席率 (%) |
得票数 | 得票率 (%) |
議席数 | 議席率 (%) | |
民主党(민주당) | 3,786,401 | 41.7 | 175 | 75.1 | 8,195,543 | 39.0 | 31 | 53.4 |
社会大衆党(사회대중당) | 541,021 | 6.0 | 4 | 1.7 | 516,346 | 2.5 | 1 | 1.7 |
自由党(자유당) | 249,960 | 2.7 | 2 | 0.9 | 1,248,753 | 5.9 | 4 | 6.9 |
韓国社会党(한국사회당) | 57,965 | 0.6 | 1 | 0.4 | 191,643 | 0.9 | 1 | 1.7 |
統一党(통일당) | 17,293 | 0.2 | 1 | 0.4 | 0 | 0.0 | ||
韓国独立党(한국독립당) | 26,649 | 0.3 | 0 | 0.0 | 28,436 | 0.1 | 0 | 0.0 |
諸派(기타) | 149,366 | 1.6 | 1 | 0.4 | 476,122 | 2.3 | 1 | 1.7 |
無所属(무소속) | 4,249,180 | 46.8 | 49 | 21.1 | 10,349,763 | 49.3 | 20 | 34.6 |
合計 | 9,077,835 | 233 | 21,006,606 | 58 | ||||
女性の当選者、民議院1名(民主党1名)比率0.4%[1] |
- 出所:尹景徹『分断後の韓国政治-1945~1986-』(木鐸社)、韓国中央選挙管理委員会「歴代選挙情報システム」、"<表8-3>第5代国会議員総選挙"金浩鎮『韓国政治の研究』李健雨訳(三一書房)。参議院は『大韓民国国会60年史』193頁“〈정당별 의석수 및 득표현황〉(政党別議席数および得票現況)”と「大韓民国国会ホームページ」の「国会紹介」内「政党別議席及び得票現況」を参考。なお参議院は一人の有権者が複数候補に投票できる制限連記制を採っているため、得票数の合計は選挙人数を上回っている。
- 解説
自由党が事実上崩壊し、政治的空白状態の中で群小政党が乱立する中での選挙戦となったが、結果は民主党の一人勝ちであった。当選者数で2位となった無所属当選者の多くは、民主党候補者の公薦(公認)漏れだったため、大部分が国会開院と同時に民主党に入党した。13選挙区で不正が摘発され、直ちに再選挙が実施されるなど、不正が横行した第一共和国時代とは打って変わって、自由で公正な雰囲気の中で選挙は行なわれた。進歩党事件以後影を潜めていた革新勢力は、四月革命以後政治の第一線に踊り出て、社会大衆党や韓国社会党を結成して選挙に挑んだが、準備期間が短く十分な選挙体制を組めなかったため、民議院で233議席中5議席、参議院で58議席中2議席と惨敗した。
定数 | 党派 | ||||||||
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民主党 | 社大党 | 自由党 | 社会党 | 統一党 | 諸派 | 無所属 | |||
ソウル特別市 | 16 | 15 | 1 | ||||||
京畿道 | 25 | 14 | 11 | ||||||
忠清北道 | 13 | 9 | 1 | 3 | |||||
忠清南道 | 22 | 18 | 4 | ||||||
全羅北道 | 24 | 18 | 1 | 5 | |||||
全羅南道 | 32 | 29 | 1 | 2 | |||||
慶尚北道 | 38 | 28 | 1 | 9 | |||||
慶尚南道 | 40 | 31 | 1 | 1 | 7 | ||||
江原道 | 20 | 12 | 1 | 1 | 6 | ||||
済州道 | 3 | 1 | 1 | 1 | |||||
合計 | 233 | 175 | 4 | 2 | 1 | 1 | 1 | 49 |
- 出所:" 아 政黨團體別議員定數 對 當選者比率表"、(韓國)中央選擧管理委員會編『大韓民國選擧史』(中央選擧管理委員會)828頁。
定数 | 党派別 | ||||||
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民主党 | 自由党 | 社大党 | 社会党 | 諸派 | 無所属 | ||
ソウル特別市 | 6 | 4 | 2 | ||||
京畿道 | 6 | 3 | 1 | 2 | |||
忠清北道 | 4 | 3 | 1 | ||||
忠清南道 | 6 | 2 | 1 | 1 | 2 | ||
全羅北道 | 6 | 4 | 2 | ||||
全羅南道 | 8 | 4 | 1 | 3 | |||
慶尚北道 | 8 | 3 | 1 | 4 | |||
慶尚南道 | 8 | 4 | 1 | 3 | |||
江原道 | 4 | 3 | 1 | ||||
済州道 | 2 | 1 | 1 | ||||
58 | 31 | 4 | 1 | 1 | 1 | 20 |
- 出所:"사 政黨團體別 對 當選者數比率表" 前掲書847頁。
第4代大統領選挙
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総選挙後の8月12日に開かれた民議院と参議院の両院合同会議で、第4代大統領選挙が実施された。選挙の結果、民主党旧派[2]の指導者である尹潽善議員を圧倒的多数で大統領に選出した。
当落 | 候補者 | 得票数 | % |
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当選 | 尹潽善 | 208 | 82.2 |
金昌淑 | 29 | 11.5 | |
卞榮泰 | 3 | 1.2 | |
許政 | 2 | 0.8 | |
金度演 | 2 | 0.8 |
大統領選挙後の8月16日、尹潽善大統領は旧派の領袖である金度演を国務総理に指名し民議院に対し承認を求めた。しかし翌17日に行われた投票では賛成111票、反対112票、無効1票で承認は否決された。そのため民主党新派[5]の領袖である張勉を国務総理に指名、19日の民議院において行われた承認投票で可決され、国務総理に就任した。組閣に関し張勉国務総理が、内閣閣僚から旧派を排除し、新派一色で構成しようとしたことで、民主党内の新派と旧派の争いが激化した。結局、旧派は民主党を離脱して1960年10月18日に新民党(第三共和国と第四共和国の新民党とは直接の関係は無い)を結成した。
当選議員
[編集]民議院
[編集]民主党 自由党 社会大衆党 韓国社会党 統一党 憲政同志会 無所属
補欠選挙
[編集]年 | 日付 | 選挙区 | 当選者 | 当選政党 | 欠員 | 欠員政党 | 欠員事由 |
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1960 | 10.10 | ソウル鐘路区甲 | 銭鎮漢 | 無所属 | 尹潽善 | 民主党 | 大統領に選出 |
京畿道楊州郡甲 | 趙尹衡 | 民主党 | 姜永薫 | 民主党 | 死去 | ||
12.30 | 京畿道甕津郡 | 張翼鉉 | 無所属 | 孫致浩 | 無所属 | 当選無効 | |
1961 | 2.10 | ソウル麻浦区 | 申相楚 | 民主党 | 金相敦 | 民主党 | ソウル市長選へ出馬 |
京畿道金浦郡 | 許佶 | 民主党 | 鄭濬 | 無所属 | 辞職 | ||
4.24 | 京畿道利川郡 | 白斗鎮 | 無所属 | 崔夏永 | 無所属 | 反民主行為者公民権制限法違反により議員職喪失 | |
江原道洪川郡 | 李教善 | 無所属 | 李在鶴 | 無所属 | 反民主行為者公民権制限法違反により議員職喪失 | ||
忠清南道公州郡甲 | 厳大燮 | 民主党 | 朴忠植 | 無所属 | 当選無効 | ||
慶尚南道固城郡 | 金基鎔 | 無所属 | 崔奭林 | 自由党 | 当選無効 | ||
5.13 | 江原道麟蹄郡 | 金大中 | 民主党 | 全亨山 | 自由党 | 反民主行為者公民権制限法違反により議員職喪失 | |
忠清北道槐山郡 | 金思万 | 民主党 | 安東濬 | 無所属 | 反民主行為者公民権制限法違反により議員職喪失 | ||
忠清北道陰城郡 | 鄭寅笑 | 無所属 | 李丁錫 | 無所属 | 反民主行為者公民権制限法違反により議員職喪失 | ||
全羅北道井邑郡乙 | 金声煥 | 無所属 | 宋能云 | 無所属 | 反民主行為者公民権制限法違反により議員職喪失 | ||
慶尚南道南海郡 | 金鍾吉 | 民主党 | 崔致煥 | 無所属 | 反民主行為者公民権制限法違反により議員職喪失 |
- 1961年5月13日の補欠選挙で当選した金大中を含む5人は3日後の5・16軍事クーデターにより失職したため、任期は3日しかなかった。これは韓国の憲政史上の国会議員の最短任期となる。なお、金大中以外の4人はその後に国会議員に当選したことがなかった[6]。
参議院
[編集]民主党 自由党 社会大衆党 韓国社会党 革新同志会総連盟 無所属
ソウル特別市 | 白楽濬 | 韓通淑 | 金東鳴 | 李仁 | 高羲東 | 全用淳 | ||
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京畿道 | 呂運弘 | 鄭楽弼 | 申義湜 | 河相勲 | 金龍星 | 李教善 | ||
江原道 | 鄭順応 | 金大植 | 金秉魯 | 金振九 | ||||
忠清北道 | 朴己云 | 宋必満 | 朴瓚熙 | 呉範秀 | ||||
忠清南道 | 李範奭 | 沈宗錫 | 李範昇 | 李勲求 | 鄭兢謨 | 韓光錫 | ||
全羅北道 | 蘇宣奎 | 姜沢秀 | 宋邦鏞 | 梁春根 | 厳秉学 | 厳敏永 | ||
全羅南道 | 黄聖秀 | 曺国鉉 | 金南中 | 李南圭 | 朴哲雄 | 丁文甲 | 崔相彩 | 梁会英 |
慶尚北道 | 白南檍 | 李孝祥 | 宋寛洙 | 崔熙松 | 李源万 | 権東哲 | 金長渉 | 崔達喜 |
慶尚南道 | 安浩相 | 呉緯泳 | 金龍周 | 薛昌洙 | 尹致衡 | 金炯斗 | 鄭相九 | 金達範 |
済州道 | 康才良 | 康慶玉 |
脚注
[編集]- ^ 春木育美『現代韓国と女性』新幹社、158頁“表5-1「歴代女性国会議員数」”、166頁
- ^ 解放直後に結成された韓国民主党の系譜を汲む政治家のグループ。後に大統領となる金泳三は旧派に属していた。
- ^ 金浩鎮『韓国政治の研究』李健雨訳、三一書房、243頁の"<別添表3>歴代大統領選挙"を参考にして作成した。
- ^ 森山茂徳『韓国現代政治』東京大学出版会、186~187頁“ 「表5 歴代大統領選挙」”
- ^ 新派は李承晩政権初期にテクノクラートとして政権内部で活躍し、その後李承晩と袂を分かった人々を中心としたグループである。やはり後に韓国大統領となる金大中は新派に属していた。
- ^ “의회정치 60년, 선량들이 낳은 진기록|신동아” (朝鮮語). 신동아 (2008年8月4日). 2023年9月15日閲覧。
参考文献・サイト
[編集]- 韓国史編纂委員会 金容権編著『朝鮮韓国近現代史事典』、日本評論社
- 尹景徹『分断後の韓国政治 : 一九四五〜一九八六年』木鐸社、1986年11月30日。NDLJP:12173192。
- 金浩鎮『韓国政治の研究』李健雨訳、三一書房
- 『世界の議会』9巻、ぎょうせい
- 中央選擧管理委員會編『大韓民國選擧史』(中央選擧管理委員會)
- 大韓民国国会ホームページ
- 韓国中央選挙管理委員会の歴代選挙情報システム(韓国語)、過去に韓国で行われた国政及び地方選挙の有権者数や候補者、投開票結果を閲覧することが可能。
- 大韓民国憲政会の代別議員情報