趙一載
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趙 一載(チョ・イルジェ、朝鮮語: 조일재、1920年2月28日 - 1965年9月19日)は、大韓民国の政治家。第4・5代韓国国会議員[1]。
経歴
[編集]日本統治時代の慶尚南道東萊郡(現・釜山広域市東萊区一帯)出身。中央大学法科中退あるいは卒業。 日本留学中に三星党組織事件により7回も検挙され、拷問を受けた。光復後は亡くなった李奉昌、尹奉吉、白貞基の遺骨を本国に奉安する使命で帰国し、申翼熙と会った後に民主国民党の発起人を務めた。同党中央執行委員および慶尚南道党企画部長・組織部長・青年指導部長を経て、民主党発起人・中央委員・釜山西区党委員長・政策委員、国会国防委員を務めた[1][2]。
1965年1月に民主党院外政策委員に選出されたが[3]、同年9月19日に持病により自宅で死去した[4]。
脚注
[編集]- ^ a b “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年10月17日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月17日閲覧。
- ^ “민주당전형위발표 정책위원45명선정”. NAVER Newslibrary. 경향신문 (1965年1月8日). 2024年10月17日閲覧。
- ^ “前國會議員(전국회의원) 趙一載(조일재)씨死亡(사망)”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1965年9月21日). 2024年10月17日閲覧。