第9代総選挙 (大韓民国)
第9代総選 | |
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各種表記 | |
ハングル: | 제9대 총선 |
漢字: | 第九代總選 |
第9代総選挙(だい9だいそうせんきょ)は、第四共和国時代における大韓民国国会の国会議員を選出するために1973年2月27日に行なわれた総選挙である。韓国では総選挙の回数は「第○回」ではなく「第○代」と数える。また名称も「総選挙」(총선거)ではなく、「総選」(총선)と表記するのが一般的である。
経緯
[編集]朴正熙大統領の与党である民主共和党は1971年の第8代総選挙で過半数は維持したものの、第7代総選挙時と比べ議席を大幅に減らし、反対に野党の新民党が躍進し議席が4割を超えたことで憲法改正を与党単独で行なうことは不可能になり、3選改憲に引き続いて朴大統領が政権を維持する道が封じられることとなった。その一方で、アメリカと中国、アメリカとソ連のデタントで、東西の冷戦が緩和される中、南北朝鮮でも対話の雰囲気が生まれ、幾多の秘密会談を経て、1972年7月4日に南北共同声明が発表された。その直後の10月17日「祖国の平和統一のための体制を整えるため」との趣旨の「特別宣言」を発表し、全国に非常戒厳令を宣布し、国会の解散、政党の政治活動停止、非常国務会議設置などの特別措置がとられた(10月維新)。そして、10月27日に「祖国の平和統一を志向する憲法改正案」(維新憲法)を公布、改正草案に対する賛否を問う運動が禁止される中、立会人無しの国民投票(11月21日)にかけられ、9割以上の圧倒的「賛成」で可決され「維新憲法」が確定した。
維新憲法により、大統領の直接選挙制は廃止され、新設された統一主体国民会議の代議員が選出する間接制に改められ、大統領の重任制限も撤廃された。国民の基本的人権も制限され、国会についても、国政監査権が廃止され、第三共和国時代の小選挙区比例代表並立制から、国会の3分の1の議席を統一主体国民会議のリストから選出、残る3分の2を定数2名の中選挙区から国民が直接選出する方法に改められ、国会の地位が大きく低下させられた。12月23日に統一主体国民会議を構成する代議員による大統領選挙に唯一出馬した朴正熙が第8代大統領に当選。維新体制が発足し、翌年の73年2月27日に国会の中選挙区部分の選挙が行なわれることになった。
基礎データ
[編集]1972年12月30日に公布された新・国会議員選挙法に基づいて行われた。新しい選挙法の特徴は、①無所属候補者の出馬を容認、②中選挙区制度の採用、③選挙運動の公営化を徹底し候補者個人による選挙運動を一切禁止などである。また、政党法も改正(72年12月31日)され、政党要件が厳格化されたため、群小政党が一掃され、本選挙に参加した政党は民主共和党(共和党)と新民党、民主統一党(統一党)の3党のみとなった。
- 大統領:朴正熙(民主共和党)、1972年12月23日の統一主体国民会議で選出(統一主体国民会議の在籍議員2359名中2357名が朴正熙に投票)
- 改選数:219議席
- 選挙区選出:146議席
- 大統領推薦:73議席[1]
- 議員任期
- 選挙区選出議員:6年
- 大統領推薦議員:3年
- 選挙制度:中選挙区単記投票制(一律定数2名で73選挙区).無所属候補の出馬も容認
- 投票日:1973年2月27日
地域区選挙の結果
[編集]- 投票率:71.3%
- 選挙人数:15,690,130名
- 投票者数:11,196,484名[2]
党派 | 得票数 | 得票率 | 議席数 |
---|---|---|---|
民主共和党(민주공화당) | 4,251,754 | 38.7 | 73 |
新民党(신민당) | 3,577,300 | 32.5 | 52 |
民主統一党(민주통일당) | 1,114,204 | 10.1 | 2 |
無所属(무소속) | 2,048,178 | 18.7 | 19 |
合計 | 10,991,436 | 146 |
- 出所:(『アジア動向年報 1974年版』, p. 59 “参考資料1.第9代国会議員選挙開票結果(1)地域区開票結果、(3)党派別議席分布]”)。女性当選者12名(地域区2人、維新政友会10人)、女性議員比率5.5%[3]
市・道 | 定数 | 党派 | |||
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共和党 | 新民党 | 統一党 | 無所属 | ||
合計 | 146 | 73 | 52 | 2 | 19 |
ソウル特別市 | 16 | 7 | 8 | 0 | 1 |
釜山直轄市 | 8 | 4 | 4 | 0 | 0 |
京畿道 | 16 | 9 | 6 | 0 | 1 |
江原道 | 10 | 5 | 3 | 0 | 2 |
忠清北道 | 8 | 5 | 2 | 0 | 1 |
忠清南道 | 14 | 6 | 6 | 0 | 2 |
全羅北道 | 12 | 4 | 4 | 0 | 4 |
全羅南道 | 20 | 10 | 6 | 2 | 2 |
慶尚北道 | 22 | 12 | 5 | 0 | 5 |
慶尚南道 | 18 | 10 | 8 | 0 | 0 |
済州道 | 2 | 1 | 0 | 0 | 1 |
- 出所:(『アジア動向年報 1974年版』, p. 60 “参考資料1「第9代国会議員選挙結果」(2)地域区別議席獲得数”)
太字の数字はその地域で第一党になったことを示している。
選挙の結果、民主共和党(共和党)が第一党となり、これに統一主体国民会議から推薦された国会議員で構成された維新政友会(維政会)の73議席を加えて国会の3分の2を与党が占める結果となった。ちなみに共和党の候補は全員が当選し、8代総選挙では1議席に留まったソウル市でも、新民党に後1議席の差にまで詰め寄ることが出来た。また「高陽・金浦・江華」、「忠州・中原・堤川・丹陽」、「青松・盈徳・蔚珍」、「忠武・統営・巨済・固城」の4選挙区では共和党が2名擁立して2名とも当選を果たしている[4]。
当選議員
[編集]選挙区
[編集]民主共和党 新民党 民主統一党 無所属
繰上当選
[編集]年 | 日付 | 選挙区 | 当選者 | 当選政党 | 欠員 | 欠員政党 | 欠員事由 |
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1973 | 12.31 | 忠清南道大田市 | 朴炳培 | 民主統一党 | 林湖 | 無所属 | 当選無効 |
補欠選挙
[編集]年 | 日付 | 選挙区 | 当選者 | 当選政党 | 欠員 | 欠員政党 | 欠員事由 |
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1977 | 6.10 | ソウル鐘路区・中区 | 呉制道 | 無所属 | 張基栄 | 民主共和党 | 死去 |
鄭大哲 | 無所属 | 鄭一亨 | 新民党 | 民主救国宣言事件により逮捕 |
前半期
[編集]任期は1973年3月12日 - 1976年3月11日。
維新政友会 | 葛奉根 | 姜文奉 | 康文用 | 高在珌 | 具範謨 | 具姙会 | 具泰会 | 権甲周 | 権逸 | 権孝燮 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
金基衡 | 金東旭 | 金明会 | 金鳳煥 | 金三峯 | 金聖斗 | 金成洛 | 金聖柱 | 金世錬 | 金永棹 | |
金玉子 | 金龍星 | 金載圭 | 金在淳 | 金鍾泌 | 金振晩 | 金振鳳 | 金昌圭 | 金兌奎 | 魯璡煥 | |
文胎甲 | 閔丙権 | 朴貞子 | 白斗鎮 | 徐丙均 | 徐英姫 | 徐仁錫 | 宋虎林 | 安鍾烈 | 安椿生 | |
厳敬燮 | 呉定根 | 呉周煥 | 劉敏相 | 尹泰日 | 李道先 | 李範俊 | 李成佳 | 李淑鍾 | 李永根 | |
李鍾植 | 李振羲 | 李海浪 | 林森 | 張東植 | 張俊翰 | 張昌国 | 全在球 | 鄭光鎬 | 鄭福香 | |
鄭在虎 | 朱寧寛 | 池宗傑 | 崔永喆 | 崔栄喜 | 崔龍洙 | 韓泰淵 | 咸明洙 | 咸在勲 | 咸鍾贇 | |
許戊寅 | 玄梧鳳 | 黄昌柱 |
繰上当選
[編集]年 | 日付 | 当選者 | 欠員 | 欠員事由 |
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1973 | 12.19 | 宋孝淳 | 金載圭 | 建設部長官に指名 |
1974 | 12.4 | 金忠銖 | 許戊寅 | 死去 |
1975 | 12.1 | 李承福 | 李成佳 | 死去 |
1976 | 1.12 | 南相敦 | 金聖柱 | 治安本部長に指名 |
後半期
[編集]任期は1976年3月12日 - 1979年3月11日。
維新政友会 | 葛奉根 | 姜文奉 | 康文用 | 高在珌 | 具範謨 | 具泰会 | 権甲周 | 権逸 | 権重東 | 権孝燮 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
金基衡 | 金道昶 | 金東晟 | 金明会 | 金三峯 | 金星鏞 | 金世錬 | 金世培 | 金信 | 金永棹 | |
金龍星 | 金益俊 | 金鍾泌 | 金鎮福 | 金振鳳 | 金昌圭 | 金忠銖 | 南相敦 | 魯璡煥 | 文胎甲 | |
閔丙権 | 朴東昴 | 朴貞子 | 朴瓚鉉 | 白斗鎮 | 白永勲 | 徐英姫 | 徐仁錫 | 宋虎林 | 宋孝淳 | |
申光淳 | 申範植 | 申相楚 | 安鍾烈 | 安椿生 | 呉定根 | 尹汝訓 | 尹冑栄 | 尹泰日 | 李道先 | |
李範俊 | 李聖根 | 李淑鍾 | 李承福 | 李承潤 | 李永根 | 李廷植 | 李鍾植 | 李鍾賛 | 李振羲 | |
張東植 | 全富一 | 全在球 | 鄭一永 | 鄭在虎 | 朱寧寛 | 池宗傑 | 崔永喆 | 崔栄喜 | 崔宇根 | |
韓泰淵 | 咸明洙 | 玄梧鳳 |
繰上当選
[編集]年 | 日付 | 当選者 | 欠員 | 欠員事由 |
---|---|---|---|---|
1976 | 8.25 | 辺禹亮 | 姜文奉 | 辞職 |
1977 | 12.27 | 馬澾千 | 池宗傑 | 辞職 |
脚注
[編集]- ^ 1973年3月7日に、朴正熙大統領が推薦した候補者名簿に対し、統一主体国民会議が一括投票して選出。詳細は統一主体国民会議第一期代議員選挙」を参照
- ^ 韓国中央選挙管理委員会の「歴代選挙情報システム」より引用
- ^ 春木育美『現代韓国と女性』新幹社、158頁 表5-1「歴代女性国会議員数」、171頁
- ^ 9代議員당선자(9代議員当選者) (PDF) 韓国日報3月1日付3面
参考文献
[編集]- 韓国史編纂委員会 金容権編著『朝鮮韓国近現代史事典』日本評論社
- 「維新体制の動揺 : 1973年の韓国」『アジア動向年報 1974年版』、アジア経済研究所、1974年、17-79頁、doi:10.20561/00039358、hdl:2344/00001711。「ZAD197400_003」
- 西平重喜『各国の選挙 : 変遷と実状』木鐸社、2003年。ISBN 4833223414。国立国会図書館書誌ID:000004235865。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 韓国中央選挙管理委員会の歴代選挙情報システム(韓国語)、過去に韓国で行われた国政及び地方選挙の有権者数や候補者、投開票結果を閲覧することが可能(但し、比例代表(全国区)については、2004年の第17代総選挙以前は未掲載である)。
- 大韓民国憲政会の代別議員情報