申相楚
申 相楚(シン・サンチョ、朝鮮語: 신상초、1922年12月15日 - 1989年2月29日)は、大韓民国のジャーナリスト、教授、政治家、独立運動家。第5・9・10・11代韓国国会議員[1][2]。本貫は平山申氏[3]、号は月崗(ウォルガン、월강)[1]。
経歴
[編集]平安北道定州出身。1935年に新義州高等普通学校を卒業。1942年に福岡高等学校の文科を経て、東京帝国大学(現・東京大学)法学部に入学した。1944年に学徒出陣により中国戦線に配置された後、八路軍地区に脱出し朝鮮義勇軍の一員として抗日活動に参加した。解放後の1946年に朝鮮義勇軍東満洲支隊から帰郷したが、北朝鮮共産当局によって逮捕され、17ヶ月間に監獄で過ごした。1949年1月に越南し、同年3月に中学校教師に就任し、1975年までにソウル大学校講師、成均館大学校教授、漢陽大学校教授、慶熙大学校教授を務めた。また、1954年から1974年までに東亜日報、中央日報、京郷新聞の論説委員を務めた[1][2][4]。
1961年2月、ソウル麻浦区の第5代総選挙の補欠選挙で初当選し、民主党宣伝委員長等を務めた。以後維新政友会、民正党などで第9代総選挙・第10代総選挙・第11代総選挙で3選。また、1980年に国家保衛立法会議委員、1984年には北韓学会会長を歴任した[1][2]。
晩年は反共と文明批評に関心を持ち[1]、反共連盟理事長、中国問題研究院代表などを務めていたが、1989年に持病によりソウル瑞草区の自宅にて67歳で死去した[2][4][5]。興社団団員、ソウル市文化賞(言論部門)受賞、『現代政治の諸問題』『中国共産主義運動史』など著書・訳書多数[1][4]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f “신상초(申相楚)” (朝鮮語). 韓国民族文化大百科事典. 2023年4月11日閲覧。
- ^ a b c d “대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2023年4月11日閲覧。
- ^ “통일신문 북한지역 본관성씨 79. 평산신씨(平山申氏)” (朝鮮語). 통일신문 (2012年12月17日). 2023年4月11日閲覧。
- ^ a b c “4選議員(선의원) 申相楚(신상초)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1989年2月27日). 2023年4月10日閲覧。
- ^ “前(전)의원 申相楚(신상초)씨 별세”. NAVER Newslibrary. 조선일보 (1989年2月28日). 2023年4月10日閲覧。