洪珖杓
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洪 珖杓(ホン・グァンピョ、朝鮮語: 홍광표、1917年10月23日[1]または11月24日[2] - 1991年7月6日)は、大韓民国の政治家。初代全羅南道議会議員、第5代韓国国会議員を歴任した[1]。
洪 洸杓(読み、ハングル同)とも表記される[3]。
経歴
[編集]日本統治時代の全羅南道海南郡出身。木浦産業専修学校中退。青年運動を経て、初代全羅南道議会議員[4]・懲戒資格分科委員長、海南水利組合組合長、海南中学校・海南高等学校師親会理事長を務めた。1960年の第5代総選挙では海南甲選挙区から無所属の国会議員に当選し、国防委員を務めた。1963年の第6代総選挙の前、民主共和党の公認をめぐって1958年の第4代総選挙の時からの宿敵だった金柄淳と激しく争って、登録締切の少し前に登録をしたため物議を醸した[1][3][2]。
1991年7月6日、海南郡海南邑の自宅で死去[5]。
脚注
[編集]- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年10月25日閲覧。
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月25日閲覧。
- ^ a b “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月25日閲覧。
- ^ “전라남도의회 - 의정활동 > 의사일정 > 의사일정”. 2024年10月25日閲覧。
- ^ “부음”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1991年7月9日). 2024年10月25日閲覧。