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韓光錫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

韓 光錫(ハン・グァンソク、朝鮮語: 한광석1918年7月5日 - 2017年2月2日)は、大韓民国実業家政治家。第4代韓国国会議員、参議員[1]本貫清州韓氏[2][3]

経歴

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本籍地は忠清南道扶余郡福岡中学校護国士官学校卒。忠清南道財産管理処調査官、大韓青年団扶余郡団団長、国民会扶余郡支部支部長、大韓貨物株式会社取締役社長、南鮮物貨株式会社理事、自由党扶余郡甲区党委員長・中央党部総務部副委員長・忠清南道党総務部長、三信文化社代表理事を歴任した。1958年の第4代総選挙では扶余甲選挙区より自由党から立候補して初当選した。1960年の第5代総選挙では参議員に当選したが、参議員在任中は反革命勢力という理由で、公民権制限審査にひっかかり、議員職を失った。5・16軍事クーデター以後は新韓党に入党し、その後統合野党の新民党に合流したが、1967年の第7代総選挙金鍾泌と対決する直前に不出馬を表明した。その後は大韓民国憲政会常任副会長を務めた[1][4][5][3]

2017年2月2日に死去。享年98(数え年は100[6])。

エピソード

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2014年7月4日に梁春根が死去したことにより、明確に消息が確認される最後の参議員経験者であった[7]

脚注

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  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年11月4日閲覧。
  2. ^ (10)청주 한씨(淸州韓氏)-642,992명” (朝鮮語). 서울이코노미뉴스 (2014年7月6日). 2024年11月4日閲覧。
  3. ^ a b 현세록 - 국회의원 한광석”. cheongjuhan.net. 2024年11月4日閲覧。
  4. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月4日閲覧。
  5. ^ 중앙선거관리위원회”. elecinfo.nec.go.kr. 2024年11月4日閲覧。
  6. ^ 한광석 전 국회의원 별세” (朝鮮語). 한국일보 (2017年2月2日). 2024年11月4日閲覧。
  7. ^ 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年11月4日閲覧。