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高永完

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
1960年ごろ

高 永完(コ・ヨンワン、朝鮮語: 고영완1914年 - 1991年8月6日)は、日本統治時代の朝鮮独立運動家大韓民国政治家。初代長興郡郡守アメリカ軍政下)、第2・5代韓国国会議員を歴任した[1]霧渓(ムゲ、무계)。仏教徒[2]

本貫長興高氏朝鮮語版[2]壬辰倭乱の時の義兵長の高敬命朝鮮語版の直系の15世孫である。元大法院長の李容勲朝鮮語版は娘婿。また、2人の妹は金性洙の2人の息子、金相万朝鮮語版金相欽朝鮮語版の妻である[3]

経歴

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日本統治時代の全羅南道長興郡出身。専修大学法科卒。抗日運動で活躍したため、日本軍憲兵に捕まえられ、咸興刑務所で3年間服役した。光復後は長興郡守、大韓独立促成国民会長興支部長、大韓民族青年団長興支団長、韓民党中央執行委員・長興党部総務を歴任した。1950年の第2代総選挙では民国党の候補、1960年の第5代総選挙では民主党の候補としてそれぞれ当選したが、その間の第3代第4代総選挙では落選した[1][2]

1991年8月6日、長興郡長興邑の自宅で持病により死去。享年78[4]

賞勲

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愛国志士大統領表彰、建国勲章愛族章を受賞[4]

エピソード

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1988年に生家が「長興霧渓古宅朝鮮語版」として全羅南道地方文化財161号に指定された[5]

故郷の長興中学校と長興農業中学校の設立にも寄与した[3]

脚注

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  1. ^ a b 대한민국헌정회”. rokps.or.kr. 2024年10月20日閲覧。
  2. ^ a b c 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年10月20日閲覧。
  3. ^ a b 재경장흥중고동문회 2017.11.No.17”. bonaem.co.kr (2017年11月). 2024年10月20日閲覧。
  4. ^ a b 2,5代議員(대의원) 高永完(고영완)씨”. NAVER Newslibrary. 1991.08.07 (1991年8月7日). 2024年10月20日閲覧。
  5. ^ 전라남도 문화유산자료 장흥 무계고택 (長興 霧溪古宅) : 국가유산포털 - 문화재청” (朝鮮語). Heritage Portal : CULTURAL HERITAGE ADMINISTRATION. 2024年10月20日閲覧。