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朴瓚熙

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

朴 瓚熙(パク・チャニ、朝鮮語: 박찬희1897年1月29日 - 1972年3月2日または4月2日)は、日本統治時代の朝鮮および大韓民国ジャーナリスト政治家。参議員[1]

漢字表記は朴讚熙とも[2]

経歴

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漢城府出身。本籍地は忠清北道鎮川郡鎮川面。早稲田大学経済学部卒。1919年には出版法と保安法違反により起訴されたが、免訴放免の処分を受けた[3]時代日報記者、東亜日報地方部長を務めた後、韓国民主党結党に参加し、同党情報部長・運動部長・労働部長・調査部長を歴任した。その後は民主国民党民主党の結党にも参加し、民主党中央常任委員を務めた。1950年の第2代総選挙と1954年の第3代総選挙ではいずれも落選したが、四月革命以後の第5代総選挙では民主党所属の参議員に当選し、国会交通逓信委員会委員長を務めた。在任中に離党し、新民党の結党発起人・指導委員を務めた[1][4][2]

1972年3月1日にパーキンソン病により聖母病院に入院したが[5]、1か月後の4月2日に死去。享年76[6]

脚注

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  1. ^ a b 대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2024年11月4日閲覧。
  2. ^ a b 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月4日閲覧。
  3. ^ 상세내용 - 상세검색 - 독립운동관련 판결문”. theme.archives.go.kr. 2024年11月4日閲覧。
  4. ^ 근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2024年11月4日閲覧。
  5. ^ 入院(입원)”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1972年3月1日). 2024年11月4日閲覧。
  6. ^ 前參議員(전참의원) 朴瓚熙(박찬희)씨”. NAVER Newslibrary. 동아일보 (1972年4月3日). 2024年11月4日閲覧。