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昭和11年『[[朝日新聞]]』夕刊に[[尾崎士郎]]の小説「[[空想部落]]」が連載されると、絵を添える<ref name="toubunken_den />。小島政二郎の新聞小説「[[清水次郎長|次郎長]]日和」)(じろちょう ひなた)を担当、1953年-1954年(昭和28年-同29年)の連載は『[[京都新聞]]』夕刊である<ref name="toubunken_den />。『週刊現代』は1964年(昭和39年)に長編小説『意気に感ず』(源氏鶏太)を連載しており、挿し絵のデッサンは中央区の収蔵品に残っている<ref name="toubunken_den />。 |
昭和11年『[[朝日新聞]]』夕刊に[[尾崎士郎]]の小説「[[空想部落]]」が連載されると、絵を添える<ref name="toubunken_den" />。小島政二郎の新聞小説「[[清水次郎長|次郎長]]日和」)(じろちょう ひなた)を担当、1953年-1954年(昭和28年-同29年)の連載は『[[京都新聞]]』夕刊である<ref name="toubunken_den" />。『週刊現代』は1964年(昭和39年)に長編小説『意気に感ず』(源氏鶏太)を連載しており、挿し絵のデッサンは中央区の収蔵品に残っている<ref name="toubunken_den" />。 |
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その縁で小島の小説『おこま:ある女掏摸(すり)の良心』の装丁(1955年・講談社<ref>小島 政二郎『おこま : ある女掏摸の良心』(上、下)大日本雄弁会講談社、1955年。{{NCID|BB09215812}}</ref>)を手がけた<ref>{{Cite web|和書|title=長谷川春子「自筆挿絵 おこま:ある女掏摸 (おんなすり)の良心」|website= 山田書店美術部オンラインストア|url=https://www.yamada-shoten.com/onlinestore/detail.php?item_id=44726|accessdate=2020-10-29|language=ja}}</ref><ref>{{harvnb|『長谷川春子源氏物語絵巻展』|1965|page=67}}</ref>。 |
その縁で小島の小説『おこま:ある女掏摸(すり)の良心』の装丁(1955年・講談社<ref>小島 政二郎『おこま : ある女掏摸の良心』(上、下)大日本雄弁会講談社、1955年。{{NCID|BB09215812}}</ref>)を手がけた<ref>{{Cite web|和書|title=長谷川春子「自筆挿絵 おこま:ある女掏摸 (おんなすり)の良心」|website= 山田書店美術部オンラインストア|url=https://www.yamada-shoten.com/onlinestore/detail.php?item_id=44726|accessdate=2020-10-29|language=ja}}</ref><ref>{{harvnb|『長谷川春子源氏物語絵巻展』|1965|page=67}}</ref>。 |
2024年2月29日 (木) 00:00時点における版
長谷川 春子 | |
---|---|
1947年[2] | |
生誕 |
1895年2月28日 東京都中央区日本橋大伝馬町三丁目(旧:東京市日本橋区日本橋通油町) |
死没 |
1967年5月7日(72歳没) 東京都大田区 |
国籍 | 日本 |
教育 | 雙葉高等女学校 |
著名な実績 | 日本画、洋画、随筆、戦場レポーター |
運動・動向 | 第1回大日本陸軍従軍画家協会展[1] |
選出 | 女流美術奉公隊[1] |
長谷川 春子(はせがわ はるこ、1895年(明治28年)2月28日[3] - 1967年(昭和42年)5月7日[3])は、明治時代から昭和時代にかけての洋画家。文筆家としても活動し『戯画漫文』[4][5]などの著作がある。またモダンガールと呼ばれた女性の一人とも、毒舌家としても知られ[6]、エッセイに政治家から落語家、歌舞伎役者、柔道家の人物評[7]、藤田嗣治とパブロ・ピカソの対照[8]などをしたためた[3][9]。
来歴
1895年(明治28年)生まれ、東京日本橋通油町(現・中央区)の出身である。父の長谷川深造は天保13年旧暦5月25日生まれ(1842年)で東京市参事会員[注釈 1]、長谷川時雨は16歳離れた姉に当たる。25歳の時に姉の勧めにより画家を志し、鏑木清方に師事して日本画を学ぶが、梅原龍三郎から洋画も学んだ。1929年(昭和4年)フランスに行き[13]、この年と翌年にパリで個展を開く[3]。2年後、帰国して国画会展に絵を出品し、同展解散後も同人としてに展覧会に作品を寄せ続けた。
モダンガール(モガ)と呼ばれて憧れの視線を集めた人々の中にある長谷川を、国際結婚をして自らもモガと呼ばれたマス・ケート[注釈 2]は、長谷川と佐藤美子、柴田早苗、望月百合子たちの座談を「女五人ごめん遊ばせ放談会」として残した[14]。
満州事変と支那事変の時には通信員として前線に赴き、戦時中は女流美術家奉公隊委員長[1][17]として活動[18]。1944年に銃の製造工場で女性の取材をした壺井栄が、画家数人と勤労奉仕する長谷川の話を『婦人公論』に寄稿している[19]。戦後はあまり作品を出さなくなるが、1957年(昭和32年)頃から「源氏物語絵巻」の制作を始め、完成後は福岡市の筥崎宮に奉納された[6]。最期は自宅にて死亡しているのを発見される[6]。享年72。
画業
パリ外遊中の1929年末と翌1930年にザック画廊で個展を開いている[6]。フランスから帰国後、七彩会を組織(1936年1月9日)[注釈 3][21]。1938年(昭和13年)11月に銀座資生堂で個展を開く(12日-15日)[22]。1939年4月には陸軍美術協会[23]創立の発起人に加わった[17]。
1965年(昭和40年)に『長谷川春子源氏物語絵巻展』として毎日新聞社主催〈第4回毎日美術サロン〉に出展(伊勢丹百貨店、6月24日-同30日)。
挿し絵
長谷川は雑誌『女人芸術』編集部で美術担当であった[31]。
昭和11年『朝日新聞』夕刊に尾崎士郎の小説「空想部落」が連載されると、絵を添える[6]。小島政二郎の新聞小説「次郎長日和」)(じろちょう ひなた)を担当、1953年-1954年(昭和28年-同29年)の連載は『京都新聞』夕刊である[6]。『週刊現代』は1964年(昭和39年)に長編小説『意気に感ず』(源氏鶏太)を連載しており、挿し絵のデッサンは中央区の収蔵品に残っている[6]。
その縁で小島の小説『おこま:ある女掏摸(すり)の良心』の装丁(1955年・講談社[32])を手がけた[33][34]。
文筆
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『女人芸術』1928年12月号に「帝展〉〈雜感〉、大調和諸作」を寄せた[35]。1929年2月19日に新聞コラム[36]を掲載、エッセイ集『戯画漫文』(1937年)にはパリの思い出を綴ったり[37]、カラー口絵に国画会出品作「俳優の像」を載せたりした[38]。あるいは尾上菊五郎[39]ほか多くの人物評を記した中に、写真家の福田勝治に突然の訪問を受け、肖像写真のモデルになった経験を書き留めている[40]。
満州事変(1931年)、支那事変(1937年)が勃発すると特別通信員を委嘱され、後者の際は内モンゴルに日本軍の駐屯地を訪問してエッセイにまとめた。天津租界の様子[41]や大同石仏群を見学したこと[42]、寺内最高指揮官と荒茶を囲み[43]、駆逐艦に便乗して流氷を分け遼東半島へ向かった[44]など書き留めて1939年に上梓した。
第二次世界大戦後に自叙伝がある[45]。
作品
挿絵の原画ならびに素描297枚は、生まれ故郷にあたる東京都中央区の郷土資料館(新富一丁目13番14号)に収蔵され、2019年(平成31)年4月1日付で同区文化財の指定を受けた[注釈 4]。以下の「※」印は制作年。
- 「幻想」 ※大正12年(1923年)、第8回郷土会展
- 「原画「次郎長日向」
- 「小景即興」 ※大正14年(1925年)、第10回郷土会展
- 「習作」 ※大正15年(1926年)、第11回郷土会展
- 「春余興」 栃木県立美術館所蔵 ※昭和11年(1936年)
- 「夜曲春興」『雑記帳』墨・紙 神奈川県立近代美術館収蔵 ※1936年[49]
- 「蒙彊黄河渡船小景 春」 北海道教育委員会所蔵・所有[50] ※1939年出版の自著の挿絵か。
- 「少婦國防」 栃木県立美術館収蔵[51] ※制作年は昭和18年(1943年)か[48]。同年、陸軍美術展に出展。
- 「大東亜戦皇国婦女皆働之図」(だいとうあせん こうこくふじょ かいどうのず) ※1944年、女性画家25名の合作[48][52][53]
- 「妖しいゆめ」 栃木県立美術館収蔵 ※1950年
- 「春爛漫」 ※1952年[47][48]
- 「源氏物語絵巻 五十四帖」筥崎宮所蔵 ※1958 - 1965年
出品年と(昭和)回 | 作品名 | 備考 |
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1931(6年)6回 |
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1932(7年)7回展 |
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1933(8年) | ||
1934(9年)9回展 |
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|
1935 | ||
1936(11年)11回展 |
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1937(12年)12回展 |
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|
1938(13年)13回展 |
|
|
1939(14年)14回展 |
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|
1940(15年)15回展 |
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|
1941(16年)16回展 |
|
|
1942(17年)17回展 |
|
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1943(18年) | ||
1944(19年) | ||
1945(20年) | ||
1946(21年) | ||
1947(22年)21回展 |
|
|
1948(23年)22回展 |
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|
1949(24年)23回展 |
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|
1950(25年)24回展 |
|
|
1951(26年)25回展 |
|
|
1952(27年)26回展 | ||
1953(28年) | ||
1954(29年) | ||
1955(30年)29回展 |
|
|
1956(31年) | ||
1957(32年)31回展 |
|
|
1958(33年) | ||
1959(34年) | ||
1960(35年) | ||
1961(36年)35回展 |
| |
1962(37年) | ||
1963(38年) | ||
1964(39年) | ||
1965(40年) |
著書
- 『長谷川春子小画集』女人芸術社、1929年。全国書誌番号:47016246、doi:10.11501/1177823、国立国会図書館オンライン、公開範囲:国立国会図書館内限定。人物評「武者小路實篤」、「堀口大学」、「内藤辰雄」、「田口省吾」、「石渡山達」を収載。
- 『満洲国』三笠書房、1935年。doi:10.11501/1181278。全国書誌番号:47021340、公開範囲=国立国会図書館内限定。随想集。中国内陸各地を日本軍にしたがって訪問。
- 改版、『満洲国』、ゆまに書房〈「帝国」戦争と文学 ; 2〉、2004年
- 『戯畫漫文』昭森社、1937年。doi:10.11501/3459504。(ぎがまんぶん)<Y994-J7484>。肖像写真「著者漫像」、口絵「俳優の像」(三色版)を掲載。「八重桃の花、エツフエル塔」159頁。
- 版違いか、全国書誌番号:21586861、doi:10.11501/1901757、公開範囲=国立国会図書館内限定。随想集、著者肉筆油絵1枚(書癡版)貼り込図2枚。
- 『北支蒙疆戦線 : 画と文(ほくしもうきょうせんせん:えとぶん)』暁書房、1939年。doi:10.11501/1257794。全国書誌番号:46072518。内モンゴルに日本軍の駐屯地を訪問した随想集。公開範囲=国立国会図書館内限定[注釈 5]。
- 口絵『征旅夕情』(カラー版、長谷川)
- 「目次扉」(鎌田工兵少尉 筆)
- 口絵写真(千田砲兵少佐 撮影)。
- 『北支蒙疆戦線』(ゆまに書房〈文化人の見た近代アジア ; 8〉、2002年)文昭社刊(昭和14年)の複製。ISBN 4-8433-0705-X。
- 『南の処女地』、興亜日本社、1940年、全国書誌番号:46074712、doi:10.11501/1048553、公開範囲=国立国会図書館内限定。随想集。
- 『東亜あちらこちら : 随筆集』室戸書房、東京、1943年。doi:10.11501/1129853。全国書誌番号:46027485。公開範囲=インターネット公開、図書館送信対象外、遠隔複写可否利用不可。随想集。
- 著者肖像(福田勝治撮影)
- 『大ぶろしき』大日本雄弁会講談社、東京〈ミリオン・ブックス〉、1955年。doi:10.11501/2932608。全国書誌番号:56003736。公開範囲=国立国会図書館内限定。随想集。「人物うらのうら」として大野伴睦、古今亭志ん生、三木武吉、三船久蔵、六代目菊五郎の人物を評価、自叙伝を収載。
- 『ニッポンじじい愛すべし』生活社、1955年、[要ページ番号]頁。doi:10.11501/2932687。全国書誌番号:56016805。公開範囲=国立国会図書館内限定。自叙伝(短編)、「藤田嗣治とピカソ」を含むおよそ20名の人物評に加え、阿部真之助、渋沢秀雄との3人の対談収載。
- 『恐妻塚縁起』学風書院、1956年。doi:10.11501/2932636。全国書誌番号:56008518。公開範囲=国立国会図書館内限定。旅とグルメ、随想集。
- 下平尾直(共和国) 編『踊る女と八重桃の花』共和国、2022年4月。ISBN 978-4-907986-88-9、前期の代表作をまとめ絵画作品(イラスト、油彩・装画など)をカラーで収載した。エッセイは『長谷川春子小画集』[57]『満洲国』[58]『戯画漫文』[59]掲載分に加え、単行本に未収録の稿を添えた。
- 下平尾直(共和国) 編『源氏手帖』共和国、2023年5月。全国書誌番号:23854559。ISBN 978-4-907986-89-6。
寄稿
発行順。
『女人芸術』[60]
- 長谷川春子(著)、女流文学者会(編)『女人芸術』第1巻、鎌倉文庫、東京、1949年1月、116-、全国書誌番号:0001920。デジタル化資料送信は図書館・個人送信対象。遠隔複写可。
- 「才色野ざらし伝」絵と文、116頁-。
- 1巻第2号「海邊浴泉」(表紙絵)、「カット」1928年8月、doi:10.11501/1578678。
- その他のカット担当:柿内青葉、深澤紅子、大原アヤ子、吉田雅子。
- 1巻第3号「カット」1928年9月、doi:10.11501/1578679、NDLJP:1578679。
- その他のカット担当:柿内青葉、篠田ちか子、深澤紅子、大原あや子、吉田雅子。
- 1928年10月号「漫画」1928年10月、doi:10.11501/1578680、NDLJP:1578679
- 1928年12月号 「帝展〈雜感〉、大調和諸作」(6号記念)、1928ー12、doi:10.11501/1578682。
- 1929年1月号「上議壇:特別附錄:漫画」1929年01月、134ー148頁、doi:10.11501/1578683
- 1929年2月号「描かれぬさきに:漫画」1929年02月、doi:10.11501/1578684
- 1929年3月号「「女人」扉絵」1929年3月、doi:10.11501/1578685。
- 2巻7号、1929年07月、doi:10.11501/1578689
- 「アウ・ルヴオア・巴里」30ー32頁。
- 同号に寄稿あり、長谷川時雨「日本橋」66ー78頁。
- 9号 「巴里・日本画展覽会印象」第2巻、1929年9月、doi:10.11501/1578691。
- 3巻11号「サボア閑日帖」1930年11月、46ー51頁、doi:10.11501/1578705
「ネオンと電飾」『新聞と広告』28号、5-6頁(日本電報通信社、1950年7月)CRID 1522825130576036736。
- 初出の年月は不明。
- マス・ケート 著「女五人ごめん遊ばせ放談会」、平井一弘 編『マス・ケート文集 : 昭和を華麗に生きたモダン・ガールの記録』近代文藝社、2011年。国立国会図書館オンライン。
その他の資料
参考文献
脚注に使用。主な執筆者、編者の姓の50音順。
- 赤塚書房編輯部 編『文芸豆年鑑』昭和16年版、赤塚書房、昭和16年。doi:10.11501/1265814。
- 「文化団体、雑誌社、同人雑誌:赤坂区表町3 輝く会」、27頁。
- 「昭和16年度 3500人住所録」、35頁。
- 長谷川 春子 著、伊勢丹 編『長谷川春子源氏物語絵巻展』毎日新聞社、1965年、67頁。NCID BB03772190。。
- 小勝礼子、橋本慎司、鈴木かおる 編『奔(はし)る女たち : 女性画家の戦前・戦後 : 1930-1950年代』尾形明子(序)、栃木県立美術館、2001年、[要ページ番号]頁。 展覧会図録。長谷川春子、吉田ふじを、森田元子、島あふひについて。別題『Japanese women artists before and after World War II, 1930s-1950s』。2001年10月21日-12月9日、栃木県立美術館にて開催。
- 鷺只雄「壺井栄論 (17) 第六章 戦時下の文学 (3)」『都留文科大学研究紀要』第65巻、都留文科大学、2007年、220頁 (71)、doi:10.34356/00000194、ISSN 0286-3774、NAID 110007055991、2021年4月30日閲覧。 壺井栄は『婦人公論』昭和19年1月(1944年)掲載の随筆「銃をつくる娘たち」に取材先の東京の兵器工場で聞いたエピソードとして、長谷川春子たち女性画家数人が同工場で勤労奉仕していると紹介。
- 志村明子「戦前の女性雑誌から探る女性アナーキストたちの言論世界(3)」『中京大学現代社会学部紀要』第1巻第2号、中京大学現代社会学部、2007年、53-54頁、ISSN 1883-0226、NAID 110007144843、2021年4月30日閲覧。
- 昭和女子大学近代文学研究室 編『近代文学研究叢書』 48巻、昭和女子大学近代文化研究所、1979年1月。doi:10.11501/1337150。NCID BN00448146
- 長谷川時雨・近代文学研究室、95頁。
- 奥様と姐御神崎清、長谷川春子、木村毅、室生犀星
- 第11号「我れ等の女芸輝く会の誕生を喜ぶ」
- 「陸軍美術協會員砲爆演習見学」『画論』9月号(通号25)、造形芸術社、1943年9月、25頁、doi:10.11501/1536771。
- 高橋鈴子(著)、女流文学者会(編)「長谷川春子を送る埠頭にて」『女人芸術』1929年4月号、鎌倉文庫、東京、1949年1月、64ー65、doi:10.11501/1578686。
- 「昭和十三年十一月一、長谷川春子個展(十二日-十五日銀座資生堂)」『中央公論』第87巻10(通号1027)、中央公論新社、1972年10月。国立国会図書館デジタルコレクションNDLJP:3365843。
- 辻惟雄、泉武夫、山下裕二、河田明久 著、辻惟雄、泉武夫、山下裕二、板倉聖哲(編集委員) 編『戦争と美術 : 戦前・戦中』 18巻、小学館〈日本美術全集〉、2015年4月、199-200頁。ISBN 9784096011188。(だいとうあせん こうこく ふじょ かいどうのず)
- 昭和ニュース事典編纂委員会 編「戦争画の名作目指して結成」『東京朝日新聞(昭和14年4月16日=1939年)』 7(昭和14年/昭和16年)、毎日コミュニケーションズ〈昭和ニュース事典〉、1994年、787頁。本編参照。
- 東京国立文化財研究所美術部 編「物故者」『日本美術年鑑』 昭和43年版、大蔵省印刷局、1969年、3冊、143-144頁。doi:10.11501/2526482。国立国会図書館内限定閲覧、図書館・個人送信対象外、遠隔複写可。合巻あり『日本美術年鑑』 昭和43-45年版、大蔵省印刷局、1969年-1971年。国立国会図書館書誌ID:000001283256。国立国会図書館内限定閲覧、図書館・個人送信対象外、遠隔複写可。
- 東京市会事務局 編『東京市会史』 1巻、東京市会事務局、昭和7年10月、580頁(コマ番号336: 0336.jp2)頁。。国立国会図書館デジタルコレクション、NDLJP:1272211。
- 長谷川深造『江戸東京実見画録』有光書房、1968年。doi:10.11501/2518766。国立国会図書館デジタルコレクション。市参事会員となった翌年6月退任。明治33年1月、東京市学務委員長に選任された。
- “長谷川春子”. www.tobunken.go.jp. 東文研アーカイブデータベース. 東京文化財研究所 (2014年04月14日(2019年06月06日更新)). 2020年10月29日閲覧。
- 東京連合婦人会 編『婦人年鑑』 48巻、昭和13年版、昭和女子大学近代文化研究所、1979年1月。doi:10.11501/1337150。
- 輝く会の連絡先は「赤坂区表町3吉田ふじを方」か。
- 広告『戯漫文』長谷川春子 著、昭森社発行、2円銭〇〇銭。
- 東京連合婦人会 編『婦人年鑑』 昭和15年版、東京連合婦人会、昭和15年。doi:10.11501/1463625。 国立国会図書館デジタルコレクションNDLJP:1463625。
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- 平瀬礼太(著)、軍事史学会(編)「〈特集 戦争と芸術 〉「陸軍」と「美術」:陸軍美術協会の活動と地方展開」『軍事史学』第44巻1(通号173)、錦正社、2008年、4-28頁、doi:10.11501/12932744。
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- 平井一弘「あるモダーン・ガールの昭和初期(I) : 婦人記者からドレス・メーカーへ」『大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要』第7巻、大妻女子大学、2006年、67-84頁、CRID 1050845763331595776。掲載誌別題『Otsuma journal of comparative culture』。
- 平井一弘「あるモダーン・ガールの昭和初期(II):ドレス・メーカーの国際結婚」『大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要』第8巻、大妻女子大学、2007年、47-60頁、CRID 1050001338401466624。
- 平井一弘「あるモダーン・ガールの昭和初期(III) : 国際都市東京におけるケート一家(1)」『大妻比較文化 : 大妻女子大学比較文化学部紀要』第9巻、大妻女子大学、2008年、84-102頁、CRID 1050845763331603456。
- 平井一弘『あるモダン・ガールの昭和初期 : マス・ケート一代記』近代文藝社、2009年。|CRID=1130282273203968000}}
映像資料
脚注
注釈
- ^ 娘の春子が生まれた1895年(明治28年)、長谷川深造は東京市参事会員選挙で日本橋区より3級選出、議席番号13番[10]。のち学務委員長に推される[11](明治33年1月[12])。
- ^ 本名Gate, Masu(1902年-1955年)の資料は、自身の記した同座談会の記録[14]に加え、当人を見つめた平井一弘の論考[15]と伝記[16]がある。マスの夫ポールの父は1890年に来日したアメリカの宣教師アイザック・ウォレス・ゲート(Isaac Wallace Gate)同じく母エラは旧姓スティムソン[16]。
- ^ 洋画の新団体「七彩会」の創設者は長谷川春子以下、佐伯米子、藤川栄子、島あふひ、遠山陽子、三岸節子、橋本はな子の7名[20]。
- ^ 印刷のための絵の原画87枚と、その他のデッサンなど合計210点。印刷物に使うイラスト(挿し絵の画稿)は長く保存されにくい点、イラストにメモが添えてあって完成した印刷物とは異なる絵柄、あるいは素描を比べ合わせることができる。長谷川の制作姿勢、人柄や考え方が透けて見える[46]。
- ^ 発行の1939年は支那事変の2周年にあたり、この年に支那事変従軍記章が発行される。従軍記章でもっとも数が多い[56]が長谷川は受けていない。
- ^ 輝く会は[62](大正8年創立[63])は昭和16年頃、連絡先を「赤坂区表町3吉田ふじを方」とし、会員31名の幹事は岡田三郞助(顧問)以下、安井曾太郞、有鳥生馬、藤田嗣治に加え、会員の主な顔ぶれは飯守米子、長谷川春子、遠山陽子、大久保百合子、亀高みよ子、吉田ふじを、秋元松子、宮崎美喜、平岩貞子[64][65]。昭和9年には長谷川時雨(春子の姉)が輝く会と燦々会を対比させている[66]。
出典
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- ^ 『東京市会史』 1932, pp. 801頁(コマ番号446: 0446.jp2)
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- ^ 『女人芸術』1929年3月号、doi:10.11501/1578685
- ^ 長谷川春子は『女人芸術』の美術担当として[24][25]、1巻第2号表紙絵「海邊浴泉」(1928年8月[26])のほかカット(同号[26]、同年9月・1巻第3号)、「漫画」(1928年10月号[27]、1929年1月号[28]、1929年2月[29]、扉絵「女人」[30]をほか手がけた。
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関連資料
本文の脚注に使っていないもの。出版年順。
長谷川の生家について(父・長谷川深造)
- 東京都 編「一、 東京市参事会員名簿(明治22年~同44年)」『東京市役所の誕生』(東京都〈都史資料集成 第2巻 〉、2000年3月)。全国書誌番号:20057523。
- 長谷川深造 著『実見画録』(出版社不明、大正8年)doi:10.11501/1183517。国立国会図書館デジタルコレクション、NDLJP:1183517。
長谷川が挿画した新聞小説と改題した単行本。
- 尾崎士郎『定本空想部落』(東晃書院、1947年)国立国会図書館デジタルコレクションNDLJP:1648302。
- 小島政二郎「次郎長日向(全)」『小島政二郎集』(河出書房〈大衆文学代表作全集 第11〉1955年)doi:10.11501/1355901。
- 源氏鶏太『意気に感ず』は雑誌に連載(講談社『週刊現代』、1964年1月-12月)6巻1号-51号(doi:10.11501/33712501-doi:10.11501/3371300)。
長谷川の雑誌『女人芸術』時代から第二次世界大戦期。
- 尾形明子「II 創刊のころ編集者たち 生田花代と長谷川春子」『女人芸術の世界 : 長谷川時雨とその周辺』(ドメス出版、1980年)ISBN 4810701174、NCID BN02401019。
- 岩見照代(監修)『「婦人雑誌」がつくる大正・昭和の女性像』第27巻(ゆまに書房、2016年)複製。
- 北原恵(編著)「戦時下の美術家・長谷川春子」『アジアの女性身体はいかに描かれたか : 視覚表象と戦争の記憶』(青弓社〈日本学叢書 ; 4〉、2013年)国立国会図書館オンライン。長谷川の作風を分析。
戦後の長谷川
- 『日本文学』(日本文学協会、1981年4月)に長谷川の新刊の広告。第30巻第4号(通号334)、63頁。全国書誌番号:00019055。
- 『新聞集成昭和編年史 昭和31年版 3』明治大正昭和新聞研究会(編集制作)、新聞資料出版、2008年。国立国会図書館オンライン。
関連項目
外部リンク
- コレクション万華鏡展 / 栃木県立美術館(収蔵品展)2013年 / 北原研究室 - Art Activism ※戦時下に描いたと推測される絵画2点
- 戦時下に描かれた絵画(I) -女流画家・長谷川春子「少婦國を防ぐ」調査と周辺 ディヴォート