「鬼畜系」の版間の差分
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* [[MONDO]]<ref name="SPA!19950920">[[扶桑社]]『[[SPA!|週刊SPA!]]』1995年9月20日号所載「 |
* [[MONDO]]<ref name="SPA!19950920">[[扶桑社]]『[[SPA!|週刊SPA!]]』1995年9月20日号所載「【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体」特集</ref> |
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* [[ガロ系]]/[[特殊漫画]]/[[ヘタウマ]]/[[エロ劇画誌|三流劇画]]/[[貸本劇画]]/[[カルト漫画]] |
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「鬼畜系」という言葉が活字出版物上に現れるようになったのは「鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座」と銘打たれた『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」([[データハウス]]/[[東京公司]])が刊行された1996年頃からとみられている<ref>「本来、鬼畜系という呼称は、雑誌『危ない1号』(データハウス)周辺が出演したロフトプラスワンで開催されたイベントのタイトル『鬼畜ナイト』(96年開催。のちにイベントの模様がデータハウスより書籍化された)や『危ない1号』第2巻『特集/キ印良品』(データハウス・96年)の表紙に踊っていたキャッチフレーズ『鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座』から来ているものと考えられます。その『鬼畜』というワードを『危ない1号』の編集長・青山正明氏に提唱したのが、同年に『鬼畜のススメ』(データハウス・96年)という著書を出版することになる村崎百郎氏です。その時点で『ここからここまでが鬼畜系です』というような明確なジャンルとしての定義があって名付けられたわけではなく、後にジャンル名として使われることになることも想定していなかったでしょう」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、10-11頁。</ref>。 |
「鬼畜系」という言葉が活字出版物上に現れるようになったのは「鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座」と銘打たれた『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」([[データハウス]]/[[東京公司]])が刊行された1996年頃からとみられている<ref>「本来、鬼畜系という呼称は、雑誌『危ない1号』(データハウス)周辺が出演したロフトプラスワンで開催されたイベントのタイトル『鬼畜ナイト』(96年開催。のちにイベントの模様がデータハウスより書籍化された)や『危ない1号』第2巻『特集/キ印良品』(データハウス・96年)の表紙に踊っていたキャッチフレーズ『鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座』から来ているものと考えられます。その『鬼畜』というワードを『危ない1号』の編集長・青山正明氏に提唱したのが、同年に『鬼畜のススメ』(データハウス・96年)という著書を出版することになる村崎百郎氏です。その時点で『ここからここまでが鬼畜系です』というような明確なジャンルとしての定義があって名付けられたわけではなく、後にジャンル名として使われることになることも想定していなかったでしょう」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、10-11頁。</ref>。 |
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『[[SPA!]]』編集部は鬼畜ブーム特集「 |
『[[SPA!]]』編集部は鬼畜ブーム特集「鬼畜たちの倫理観」(1996年12月11日号所収)で「鬼畜系」について「'''モラルや法にとらわれず、欲望に忠実になって、徹底的に下品で、残酷なものを楽しんじゃおうというスタンス'''」と定義し「死体写真ブームから発展した悪趣味本ブームの流れと'''[[モンド・カルチャー]]'''<ref name="SPA!19950920"/> の脱力感が合流。そこに過激な企画モノAVの変態性が吸収され、さらに[[薬物乱用|ドラッグ]]、[[レイプ]]、[[児童買春|幼児買春]]などの犯罪情報が合体した」ことを踏まえながら「インターネットの大ブームにより、過激なアンダーグラウンド情報が容易に入手できるようになったのも、この流れを加速させた要因だろう」と鬼畜系カルチャーが誕生した大まかな流れを概説している<ref name="SPA!19961211"/>。 |
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=== ロマン優光による総括 === |
=== ロマン優光による総括 === |
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[[世界恐慌]]が起こった1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)にかけて'''[[エログロナンセンス]]'''と呼ばれる[[エログロナンセンス|退廃文化]]が[[日本]]でブームとなった。時代的背景として[[関東大震災]](1923年)による帝都壊滅、[[白色テロ|官憲のファシズム台頭]]、[[プロレタリア文学|プロレタリア文化]]運動の弾圧、恐慌による倒産や失業の増加、凶作による娘の身売りや[[心中#一家心中|一家心中]]などで社会不安が深刻化しており、出口のない暗い絶望感と[[ニヒリズム]]が世相に充満していた<ref>「『文芸市場』の創刊当時を語るとなると、[[関東大震災]]をヌキにして語ることはできない。焼土と化した帝都。軍部の[[白色テロ]]の横行、[[関東大震災朝鮮人虐殺事件|朝鮮人の大量虐殺]]、[[甘粕事件|大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥宗一少年の暗殺]]、[[亀戸事件|南葛労働組合員九名の惨殺]]、加うるに、[[虎ノ門事件|虎ノ門で行われた難波大助の皇太子暗殺未遂]]も、暗く、大きく作用して世は正に暗黒時代と言うにひとしかった。[[日本共産党]]が非合法を清算して、自由主義運動から始めなければいけないと迷うたほどだから、大方察しがつくだろう。[[治安維持法]]に反対する、政治運動をめぐって、[[アナ・ボル論争|アナとボルに分裂]]、対立したプロレタリア文学運動も、自然の脅威による帝都壊滅に出あって、いつとはなしに肩を接するように、元の共同戦線に帰って行ったが、絶望感とニヒルが底流していて、革命的志向を失ないがちだった」[[金子洋文]]「梅原北明と『文藝市場』」『文藝市場/復刻版 別冊』財団法人[[日本近代文学館]]、1976年5月30日発行、1頁。</ref>。大衆は刹那的享楽に走り、[[共産主義革命]]を翼賛する“反体制的反骨”のプロレタリア文化運動も行き詰まりの果てに、常識を逸脱するエログロナンセンスへと流れていった<ref>「戦後の[[バブル時代|バブル期]]には、左翼的で晦渋な[[ニュー・アカデミズム]]が流行した。戦前の[[エログロナンセンス|エロ・グロ・ナンセンス]]の時代には、[[共産主義革命]]を支援する[[プロレタリア文学|プロレタリア文化]]運動の隆盛があった。つまり昭和の初めと終わりには、軽薄さと社会派の両面から、常識やジャンルを逸脱する熱気が大きく盛り上がっていたのだ」[[足立元]]「猥本出版の王・梅原北明と昭和エロ・グロ・ナンセンス」『[[芸術新潮]]』2020年9月号, 新潮社, pp.36-41</ref><ref>「……濃淡の差こそあれ、ブルジョワ的婦人雑誌、その他一切の通俗読み物までブルジョワ・エロ・グロによって一塗りに彩られている。……何ら新しいイデオロギーも何もありはしない。エロの粉黛を、紅色に変化することによって、数万の読者を扇情してるだけだ。ばかりでなく、手近いところで、活動のレビュー、商店の飾り窓、新聞面の広告、一切合切がそうだ。何故そうか? あっさり言って、ブルジョワ文化が、行き詰まったからだ。二進も三進も、現実を無視して思想の、イデオロギーの進展はありはしない。濁った、流れない水は腐るよりほかない。エロも、グロもナンセンス新興芸術派もそこから発生した。見たまえ、殺人毒ガスマスクと大本教、昭和五年度二千件のストライキと日本刀──新聞面だけでも、可なりなグロがある。ましてや本誌編集者の梅原北明君が、常々、ロシア大革命史の翻訳者として著名になり、現在『グロテスク』の編集者であることなども、正にグロではないか。……しかし、プロレタリア芸術家は、この一九三一年度を『ブルジョワ・エロ・グロに巣食う人々』の駆逐に向かって闘争されなければならない」[[徳永直]]「ブルジョワ・エロ・グロ」グロテスク社『グロテスク』1931年4月号(復活記念号)129-130頁から抜粋。(引用文中、[[歴史的仮名遣]]で書かれた箇所については[[現代仮名遣い]]に改めた)</ref>。このムーブメントはまさしく混迷極まる昭和初期のわずかな暗い谷間に咲いた、現実逃避の徒花であった<!--(コメント)その通りなのかもしれませんが、百科事典には似つかわしくない詩的な表現ですね。-->。 |
[[世界恐慌]]が起こった1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)にかけて'''[[エログロナンセンス]]'''と呼ばれる[[エログロナンセンス|退廃文化]]が[[日本]]でブームとなった。時代的背景として[[関東大震災]](1923年)による帝都壊滅、[[白色テロ|官憲のファシズム台頭]]、[[プロレタリア文学|プロレタリア文化]]運動の弾圧、恐慌による倒産や失業の増加、凶作による娘の身売りや[[心中#一家心中|一家心中]]などで社会不安が深刻化しており、出口のない暗い絶望感と[[ニヒリズム]]が世相に充満していた<ref>「『文芸市場』の創刊当時を語るとなると、[[関東大震災]]をヌキにして語ることはできない。焼土と化した帝都。軍部の[[白色テロ]]の横行、[[関東大震災朝鮮人虐殺事件|朝鮮人の大量虐殺]]、[[甘粕事件|大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥宗一少年の暗殺]]、[[亀戸事件|南葛労働組合員九名の惨殺]]、加うるに、[[虎ノ門事件|虎ノ門で行われた難波大助の皇太子暗殺未遂]]も、暗く、大きく作用して世は正に暗黒時代と言うにひとしかった。[[日本共産党]]が非合法を清算して、自由主義運動から始めなければいけないと迷うたほどだから、大方察しがつくだろう。[[治安維持法]]に反対する、政治運動をめぐって、[[アナ・ボル論争|アナとボルに分裂]]、対立したプロレタリア文学運動も、自然の脅威による帝都壊滅に出あって、いつとはなしに肩を接するように、元の共同戦線に帰って行ったが、絶望感とニヒルが底流していて、革命的志向を失ないがちだった」[[金子洋文]]「梅原北明と『文藝市場』」『文藝市場/復刻版 別冊』財団法人[[日本近代文学館]]、1976年5月30日発行、1頁。</ref>。大衆は刹那的享楽に走り、[[共産主義革命]]を翼賛する“反体制的反骨”のプロレタリア文化運動も行き詰まりの果てに、常識を逸脱するエログロナンセンスへと流れていった<ref>「戦後の[[バブル時代|バブル期]]には、左翼的で晦渋な[[ニュー・アカデミズム]]が流行した。戦前の[[エログロナンセンス|エロ・グロ・ナンセンス]]の時代には、[[共産主義革命]]を支援する[[プロレタリア文学|プロレタリア文化]]運動の隆盛があった。つまり昭和の初めと終わりには、軽薄さと社会派の両面から、常識やジャンルを逸脱する熱気が大きく盛り上がっていたのだ」[[足立元]]「猥本出版の王・梅原北明と昭和エロ・グロ・ナンセンス」『[[芸術新潮]]』2020年9月号, 新潮社, pp.36-41</ref><ref>「……濃淡の差こそあれ、ブルジョワ的婦人雑誌、その他一切の通俗読み物までブルジョワ・エロ・グロによって一塗りに彩られている。……何ら新しいイデオロギーも何もありはしない。エロの粉黛を、紅色に変化することによって、数万の読者を扇情してるだけだ。ばかりでなく、手近いところで、活動のレビュー、商店の飾り窓、新聞面の広告、一切合切がそうだ。何故そうか? あっさり言って、ブルジョワ文化が、行き詰まったからだ。二進も三進も、現実を無視して思想の、イデオロギーの進展はありはしない。濁った、流れない水は腐るよりほかない。エロも、グロもナンセンス新興芸術派もそこから発生した。見たまえ、殺人毒ガスマスクと大本教、昭和五年度二千件のストライキと日本刀──新聞面だけでも、可なりなグロがある。ましてや本誌編集者の梅原北明君が、常々、ロシア大革命史の翻訳者として著名になり、現在『グロテスク』の編集者であることなども、正にグロではないか。……しかし、プロレタリア芸術家は、この一九三一年度を『ブルジョワ・エロ・グロに巣食う人々』の駆逐に向かって闘争されなければならない」[[徳永直]]「ブルジョワ・エロ・グロ」グロテスク社『グロテスク』1931年4月号(復活記念号)129-130頁から抜粋。(引用文中、[[歴史的仮名遣]]で書かれた箇所については[[現代仮名遣い]]に改めた)</ref>。このムーブメントはまさしく混迷極まる昭和初期のわずかな暗い谷間に咲いた、現実逃避の徒花であった<!--(コメント)その通りなのかもしれませんが、百科事典には似つかわしくない詩的な表現ですね。-->。 |
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このブームの中心人物こそ「[[エログロナンセンス]]の帝王」「[[地下出版]]の帝王」「[[エロ本|猥本出版]]の王」「[[発禁]]王」「[[罰金]]王」「[[わいせつ|猥褻]]研究王」などと謳われたエログロナンセンスの[[オルガナイザー]]・'''[[梅原北明]]'''である<!--(コメント)全般的に、煽るのが仕事であるメディアによって述べられた手前味噌的な批評文句をそのまま引用して、さらに太字によって強調して当ブームを形容する箇所が多いように感じます。その結果、百科事典であるにも関わらず、センセーショナリズムな文体が多いように感じます。一応、引用とわかる形になっている溜め、グレーゾーンかもしれませんが。-->。北明は『[[デカメロン]]』『[[エプタメロン]]』の翻訳で知られる出版人で、1925年(大正14年)11月にはプロレタリア文芸誌の体裁を取った特殊風俗誌『'''[[文藝市場]]'''』([[文藝市場社]])を既成[[文壇]]へのカウンターとして創刊。創刊号では「文壇全部嘘新聞」と題して[[田山花袋]]、[[岡本一平]]、[[辻潤]]が[[春画]]売買容疑で取調べられている横で、[[菊池寛]]邸が全焼し、[[上司小剣]]が惨殺されるという過激な虚構新聞を見開き一頁を割いて掲載した。それら内容はいずれも冗談と諧謔の精神に満ち溢れており、既成権威に対して[[イデオロギー]]を持たず<ref>「北明編集時の『グロテスク』をざっと見る限り、北明の『エロ・グロ・ナンセンス』がブルジョワ新興芸術ともプロレタリアート芸術ともかなり異質な、'''芸術至上主義やイデオロギーを排した生産的な秩序破壊の活動'''であったことがうかがわれる」秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 61頁。</ref><ref>わずか7年ほどの間に[[梅原北明]]は“反体制的反骨出版”を怒濤の勢いで行った。しかしながら北明には政治的・思想的な[[イデオロギー]]はなかったという。北明本人はエログロ出版から手を引く直前、雑誌で次のように回想している。{{Quotation|僕が要するに以前の雑誌グロテスクによってグロテスクとかエロチックとかいうようなことをまるで流行させたかのごとくに思われるのでありますけれども、然しこれは、僕は意識的にグロテスクあるいはエロチックをやったわけではなくて、詰り非常に大胆不敵な考えの下から、エロチシズムあるいはグロテスクということを主としまして、'''そして世の中を何でも構わぬから、お茶に濁して遣ろうという気になって、それを始めたのが丁度世の中に一種の流行を受けた'''というような訳で、始めから流行をさせようとかしないという様な意味でなくして、'''僕としては何でも構わぬから行ってやろう'''という単純な気持でやった訳です。ところが僕が止めた時分に世の中が案外そう云う様な時期になって実は僕としてはもう今日になってはエロだとかグロだとかの時代ではないと思うのです。そこで僕のほうじゃ好い加減鼻について居るのです。それで僕は一年許り止めて居たので、ところが、こっちが好い加減倦いたりして居る頃に世の中が漸くエロのグロのと騒いできたような訳なのです。|[[グロテスク社]]『[[グロテスク (雑誌)|グロテスク]]』1931年4月号(復活記念号)所載「全国留置場体験座談会」251頁。}}</ref><ref>「父は北明についてかつて何度か文章を発表しています。『なぜ、発表したのか』と聞きましたところ、『義理があったから』と答えました。ずいぶん、古いことをいうなと思って聞き返しましたところ、『義理とは人間関係を重んじることで、古いとか新しいの問題ではない』とのことです。この義理ということばですが、北明も義理を重んじた人のようです。こうしたあたりに北明を単なる『純血左翼』たらしめなかった原因の一つがあるように思います。つまり、イデオロギーより、人間関係を優先させる生き方をとったのです。そのためもあってか、後年、北明を評した文章の中に『ノンイデオロギーの徒』といったことばを書きつらねている人がいました。(中略)北明は、企業性がゼロに等しい男でした。だから、利害を度外視して思いきった華麗な出版活動を行ないえたのだと思います。倒産のうき目にあっても、北明が『再び出版を行なうから、予約金を送ってほしい』と、定期講読者に手紙を出すと、ミズテンで北明に金が送られてきたといわれています。弾圧にめげずに、ぜひ、おもしろい本を作ってほしい、という手紙が寄せられたとのことです。かりに利潤があがっても、北明は目のかたきのように金を使い、その一部は、冷や飯をたべさせられていたプロレタリア文学の作家にカンパしたそうです。このあたりに、左翼後遺症がうかがえる。同時に、人間関係をたいせつにした北明の一面があります」梅原理子「梅原北明 ポルノ出版の帝王―反逆、諧謔の一生」[[檸檬社]]『[[黒の手帖]]』1971年11月号「特集:評伝―伊藤晴雨/高橋鐵/梅原北明/稲垣足穂」58-62頁。</ref> 無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時の[[同人]]からも「'''焼糞の決死的道楽出版'''」と評された<ref>[[文藝市場社]]の尾高三郎は、梅原北明編纂『明治大正綺談珍聞大集成』(1929年 - 1931年)の推薦文で、採算の取れない“決死的道楽出版”を行う理由を次のよう記している。{{Quotation|'''日本一の新聞蒐集家梅原北明氏決死的道楽出版'''<br />明治大正綺談珍聞大集成<br />(前略)親愛なる友よ。大正昭和年間に於ける猥本刊行者の親玉たる梅原北明の存在は餘りに有名であります。併し、彼をして単なる世界各国の猥文献提出者として葬るならば、餘りに彼の蒐集課目を無視したる言葉で、彼こそ實に日本一の新聞蒐集家であると云へば何人も驚嘆するでありませう。事ほど左様に彼は古新間の蒐集に拾数年を費し、この間に投じた蒐集費は数拾萬圓の上に算します。<br />この貴重な長時間と莫大な費用とで纏めあげたのが、今回の「明治大正綺談珍聞大集成」で(中略)内容装幀共に日本有史以来の凝りかたで、<ruby><rb>軈</rb><rp>(</rp><rt>やが</rt><rp>)</rp></ruby>て死んだ親爺のせつせと稼ぎ蓄めて残し去つた財産の大部分をかぢつて了ひさうです。<br />然らば、何が故に實費以下に頒布なさんとするのか? それには一つの大きな原因がなければならない。'''所謂原因は燒け糞です。梅原北明第三十一回の筆禍禁止勲章授與紀念報告祭に要する燒糞出版だからであります。'''損得を云つちやいられません。冗談にも早く三十二回目にしろよと云ひますので、責任出版者たる拙者こと文藝市場社こと尾高三郎こと、誠にもつて北明なんて愚にもつかぬ不經濟極る親友を脊負つてゐるばかりに、末は畳の上で死ねるか死ねないか今のところ一寸疑間ものです。<br />冗談は扨て置きまして、この紀念を、日本の後代に永遠に残し去かんとする慾望が編者の印税であり、又、明治、大正六十年の人類が刻み残した生ける珍記録の集成こそ、吾々にとつて、最も懐かしい人間的な歴史でなければなりません。と私は確信するので御座います。<br />たとへ、この'''貴重なる決死的道楽出版'''が、果して、諸賢に共鳴され得るや否やは大なる疑間です。併し吾々は、そうした<ruby><rb>對</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>社會的に不純なる投機的精紳とは絶対に妥協出来ないことだけは断言いたしておきます。<br />退窟は死なりと誰れかが云ひましたが、退窟で仕様のない人達にとつては、正に本書は唯一の獵奇趣味に富む眠む氣覺しであるかと思はれます。'''金錢と云ふ観念を全く超越した装幀の贅澤さ、内容の極珍ぶりに、東京中の出版業者は、多分泡をふいて極度の妬みと嘲けりを投げ與へることでせう。'''(中略)'''本書は一部でも多く賣れれば賣れるだけ損害が益々甚大になる譚です。が、この珍聞を一人でも多くに告げ得られる喜びは、千や二千の端金には換へられない貴い喜びだと信ずるからであります。特に百人の俗人に讀まるゝより一人の獵奇家諸氏に愛讀されんことを欲する次第で御座います。'''(後略)|文藝市場社『グロテスク』1928年11月号(第1巻第2号)}}</ref><ref>[http://hendensha.com/?p=3423 「公敵」としてのコンテクストメイカー梅原北明『殺人會社』『文藝市場宣言』『火の用心』『ぺてん商法』【FIGHT THE POWER】]</ref><ref name="umehara">[[梅原正紀]]「 |
このブームの中心人物こそ「[[エログロナンセンス]]の帝王」「[[地下出版]]の帝王」「[[エロ本|猥本出版]]の王」「[[発禁]]王」「[[罰金]]王」「[[わいせつ|猥褻]]研究王」などと謳われたエログロナンセンスの[[オルガナイザー]]・'''[[梅原北明]]'''である<!--(コメント)全般的に、煽るのが仕事であるメディアによって述べられた手前味噌的な批評文句をそのまま引用して、さらに太字によって強調して当ブームを形容する箇所が多いように感じます。その結果、百科事典であるにも関わらず、センセーショナリズムな文体が多いように感じます。一応、引用とわかる形になっている溜め、グレーゾーンかもしれませんが。-->。北明は『[[デカメロン]]』『[[エプタメロン]]』の翻訳で知られる出版人で、1925年(大正14年)11月にはプロレタリア文芸誌の体裁を取った特殊風俗誌『'''[[文藝市場]]'''』([[文藝市場社]])を既成[[文壇]]へのカウンターとして創刊。創刊号では「文壇全部嘘新聞」と題して[[田山花袋]]、[[岡本一平]]、[[辻潤]]が[[春画]]売買容疑で取調べられている横で、[[菊池寛]]邸が全焼し、[[上司小剣]]が惨殺されるという過激な虚構新聞を見開き一頁を割いて掲載した。それら内容はいずれも冗談と諧謔の精神に満ち溢れており、既成権威に対して[[イデオロギー]]を持たず<ref>「北明編集時の『グロテスク』をざっと見る限り、北明の『エロ・グロ・ナンセンス』がブルジョワ新興芸術ともプロレタリアート芸術ともかなり異質な、'''芸術至上主義やイデオロギーを排した生産的な秩序破壊の活動'''であったことがうかがわれる」秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 61頁。</ref><ref>わずか7年ほどの間に[[梅原北明]]は“反体制的反骨出版”を怒濤の勢いで行った。しかしながら北明には政治的・思想的な[[イデオロギー]]はなかったという。北明本人はエログロ出版から手を引く直前、雑誌で次のように回想している。{{Quotation|僕が要するに以前の雑誌グロテスクによってグロテスクとかエロチックとかいうようなことをまるで流行させたかのごとくに思われるのでありますけれども、然しこれは、僕は意識的にグロテスクあるいはエロチックをやったわけではなくて、詰り非常に大胆不敵な考えの下から、エロチシズムあるいはグロテスクということを主としまして、'''そして世の中を何でも構わぬから、お茶に濁して遣ろうという気になって、それを始めたのが丁度世の中に一種の流行を受けた'''というような訳で、始めから流行をさせようとかしないという様な意味でなくして、'''僕としては何でも構わぬから行ってやろう'''という単純な気持でやった訳です。ところが僕が止めた時分に世の中が案外そう云う様な時期になって実は僕としてはもう今日になってはエロだとかグロだとかの時代ではないと思うのです。そこで僕のほうじゃ好い加減鼻について居るのです。それで僕は一年許り止めて居たので、ところが、こっちが好い加減倦いたりして居る頃に世の中が漸くエロのグロのと騒いできたような訳なのです。|[[グロテスク社]]『[[グロテスク (雑誌)|グロテスク]]』1931年4月号(復活記念号)所載「全国留置場体験座談会」251頁。}}</ref><ref>「父は北明についてかつて何度か文章を発表しています。『なぜ、発表したのか』と聞きましたところ、『義理があったから』と答えました。ずいぶん、古いことをいうなと思って聞き返しましたところ、『義理とは人間関係を重んじることで、古いとか新しいの問題ではない』とのことです。この義理ということばですが、北明も義理を重んじた人のようです。こうしたあたりに北明を単なる『純血左翼』たらしめなかった原因の一つがあるように思います。つまり、イデオロギーより、人間関係を優先させる生き方をとったのです。そのためもあってか、後年、北明を評した文章の中に『ノンイデオロギーの徒』といったことばを書きつらねている人がいました。(中略)北明は、企業性がゼロに等しい男でした。だから、利害を度外視して思いきった華麗な出版活動を行ないえたのだと思います。倒産のうき目にあっても、北明が『再び出版を行なうから、予約金を送ってほしい』と、定期講読者に手紙を出すと、ミズテンで北明に金が送られてきたといわれています。弾圧にめげずに、ぜひ、おもしろい本を作ってほしい、という手紙が寄せられたとのことです。かりに利潤があがっても、北明は目のかたきのように金を使い、その一部は、冷や飯をたべさせられていたプロレタリア文学の作家にカンパしたそうです。このあたりに、左翼後遺症がうかがえる。同時に、人間関係をたいせつにした北明の一面があります」梅原理子「梅原北明 ポルノ出版の帝王―反逆、諧謔の一生」[[檸檬社]]『[[黒の手帖]]』1971年11月号「特集:評伝―伊藤晴雨/高橋鐵/梅原北明/稲垣足穂」58-62頁。</ref> 無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時の[[同人]]からも「'''焼糞の決死的道楽出版'''」と評された<ref>[[文藝市場社]]の尾高三郎は、梅原北明編纂『明治大正綺談珍聞大集成』(1929年 - 1931年)の推薦文で、採算の取れない“決死的道楽出版”を行う理由を次のよう記している。{{Quotation|'''日本一の新聞蒐集家梅原北明氏決死的道楽出版'''<br />明治大正綺談珍聞大集成<br />(前略)親愛なる友よ。大正昭和年間に於ける猥本刊行者の親玉たる梅原北明の存在は餘りに有名であります。併し、彼をして単なる世界各国の猥文献提出者として葬るならば、餘りに彼の蒐集課目を無視したる言葉で、彼こそ實に日本一の新聞蒐集家であると云へば何人も驚嘆するでありませう。事ほど左様に彼は古新間の蒐集に拾数年を費し、この間に投じた蒐集費は数拾萬圓の上に算します。<br />この貴重な長時間と莫大な費用とで纏めあげたのが、今回の「明治大正綺談珍聞大集成」で(中略)内容装幀共に日本有史以来の凝りかたで、<ruby><rb>軈</rb><rp>(</rp><rt>やが</rt><rp>)</rp></ruby>て死んだ親爺のせつせと稼ぎ蓄めて残し去つた財産の大部分をかぢつて了ひさうです。<br />然らば、何が故に實費以下に頒布なさんとするのか? それには一つの大きな原因がなければならない。'''所謂原因は燒け糞です。梅原北明第三十一回の筆禍禁止勲章授與紀念報告祭に要する燒糞出版だからであります。'''損得を云つちやいられません。冗談にも早く三十二回目にしろよと云ひますので、責任出版者たる拙者こと文藝市場社こと尾高三郎こと、誠にもつて北明なんて愚にもつかぬ不經濟極る親友を脊負つてゐるばかりに、末は畳の上で死ねるか死ねないか今のところ一寸疑間ものです。<br />冗談は扨て置きまして、この紀念を、日本の後代に永遠に残し去かんとする慾望が編者の印税であり、又、明治、大正六十年の人類が刻み残した生ける珍記録の集成こそ、吾々にとつて、最も懐かしい人間的な歴史でなければなりません。と私は確信するので御座います。<br />たとへ、この'''貴重なる決死的道楽出版'''が、果して、諸賢に共鳴され得るや否やは大なる疑間です。併し吾々は、そうした<ruby><rb>對</rb><rp>(</rp><rt>たい</rt><rp>)</rp></ruby>社會的に不純なる投機的精紳とは絶対に妥協出来ないことだけは断言いたしておきます。<br />退窟は死なりと誰れかが云ひましたが、退窟で仕様のない人達にとつては、正に本書は唯一の獵奇趣味に富む眠む氣覺しであるかと思はれます。'''金錢と云ふ観念を全く超越した装幀の贅澤さ、内容の極珍ぶりに、東京中の出版業者は、多分泡をふいて極度の妬みと嘲けりを投げ與へることでせう。'''(中略)'''本書は一部でも多く賣れれば賣れるだけ損害が益々甚大になる譚です。が、この珍聞を一人でも多くに告げ得られる喜びは、千や二千の端金には換へられない貴い喜びだと信ずるからであります。特に百人の俗人に讀まるゝより一人の獵奇家諸氏に愛讀されんことを欲する次第で御座います。'''(後略)|文藝市場社『グロテスク』1928年11月号(第1巻第2号)}}</ref><ref>[http://hendensha.com/?p=3423 「公敵」としてのコンテクストメイカー梅原北明『殺人會社』『文藝市場宣言』『火の用心』『ぺてん商法』【FIGHT THE POWER】]</ref><ref name="umehara">[[梅原正紀]]「北明について」『[[えろちか]]』No.42「エロス開拓者 梅原北明の仕事」[[三崎書房]] 1973年1月</ref>。 |
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1926年(大正15年)12月に北明が出版した会員誌『'''[[変態・資料]]'''』(文藝資料編輯部)4号では、[[月岡芳年]]画『[[黒塚|奥州安達がはらひとつ家の図]]』と共に、[[伊藤晴雨]]が撮影した「逆さ吊りの妊婦」(1921年)が本人に無断で掲載された。その上「この寫眞は画壇の變態性慾者として有名な伊藤晴雨畫伯が、臨月の夫人を寒中逆様に吊るして虐待してゐる光景」「恐らく本人の伊藤畫伯もこれを見たら、寫眞の出處に驚くだらう」という事実無根の解説文を載せ、大いに物議を醸した{{Refnest|group="注"|[[伊藤晴雨]]によれば、撮影後すぐに妻は下ろしたとしており、虐待を加える暇はなかったとされる。妻のキセは2日後に無事出産するが、晴雨は妻が無事だったことにがっかりしたという。}}。なお、北明と晴雨は[[留置場]]で同室した仲であり、互いの性格をよく知っていたことから、晴雨は写真の無断転載について「北明という男は罪のない男で腹も立たない」と述べている<ref>[[伊藤晴雨]]「女体逆さ釣り撮影記」第一出版社『人間探求』24号</ref>。以降も同誌には過激なグラビアが掲載され、9号(27年6月)には反戦写真集『戦争に対する戦争』(1924年)から負傷兵のえぐれた顔写真を無断転載し、チューブで食事する写真に「何と芸術的な食べかただろう!」「手数はかかるが彼の生活は王侯のそれと匹敵している」など本来の文脈から完全に逸脱した不謹慎なキャプションを添えた。この他にも[[ミイラ]]や手足の[[ホルマリン]]漬けなど[[グロテスク|グロ]]<!--の極みのような←(コメント)白黒写真時代からグロの「極み」を設定することは難しいため、表現修正-->写真が終刊まで無意味に掲載され続けた。なお、2021年9月に中野「[[まんだらけ]]」の禁書房が[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律|風営法違反]]で[[家宅捜査]]を受けた際、中古販売されていた『変態・資料』は頒布から90余年を経て、再び官憲に摘発・押収されている<ref>[https://www.news24.jp/articles/2021/10/22/07960904.html アダルトショップ営業…まんだらけ書類送検] - [[日テレNEWS24]] 2021年10月22日</ref>。 |
1926年(大正15年)12月に北明が出版した会員誌『'''[[変態・資料]]'''』(文藝資料編輯部)4号では、[[月岡芳年]]画『[[黒塚|奥州安達がはらひとつ家の図]]』と共に、[[伊藤晴雨]]が撮影した「逆さ吊りの妊婦」(1921年)が本人に無断で掲載された。その上「この寫眞は画壇の變態性慾者として有名な伊藤晴雨畫伯が、臨月の夫人を寒中逆様に吊るして虐待してゐる光景」「恐らく本人の伊藤畫伯もこれを見たら、寫眞の出處に驚くだらう」という事実無根の解説文を載せ、大いに物議を醸した{{Refnest|group="注"|[[伊藤晴雨]]によれば、撮影後すぐに妻は下ろしたとしており、虐待を加える暇はなかったとされる。妻のキセは2日後に無事出産するが、晴雨は妻が無事だったことにがっかりしたという。}}。なお、北明と晴雨は[[留置場]]で同室した仲であり、互いの性格をよく知っていたことから、晴雨は写真の無断転載について「北明という男は罪のない男で腹も立たない」と述べている<ref>[[伊藤晴雨]]「女体逆さ釣り撮影記」第一出版社『人間探求』24号</ref>。以降も同誌には過激なグラビアが掲載され、9号(27年6月)には反戦写真集『戦争に対する戦争』(1924年)から負傷兵のえぐれた顔写真を無断転載し、チューブで食事する写真に「何と芸術的な食べかただろう!」「手数はかかるが彼の生活は王侯のそれと匹敵している」など本来の文脈から完全に逸脱した不謹慎なキャプションを添えた。この他にも[[ミイラ]]や手足の[[ホルマリン]]漬けなど[[グロテスク|グロ]]<!--の極みのような←(コメント)白黒写真時代からグロの「極み」を設定することは難しいため、表現修正-->写真が終刊まで無意味に掲載され続けた。なお、2021年9月に中野「[[まんだらけ]]」の禁書房が[[風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律|風営法違反]]で[[家宅捜査]]を受けた際、中古販売されていた『変態・資料』は頒布から90余年を経て、再び官憲に摘発・押収されている<ref>[https://www.news24.jp/articles/2021/10/22/07960904.html アダルトショップ営業…まんだらけ書類送検] - [[日テレNEWS24]] 2021年10月22日</ref>。 |
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1946年1月には[[菊池寛]]の命名で『[[りべらる]]』(太虚堂書房)が発刊され、創刊号は1万部を売った<ref>渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス、2019年9月、9頁。</ref>。同年10月にはカストリ雑誌ブームの火付け役となる『'''[[猟奇 (雑誌)|獵奇]]'''』([[茜書房]])が創刊され、発売から2時間で2万部を売り尽くした<ref name="watanabe11"/><ref>「刷り部数は2万部だったわけですが、2万部の根拠は、新聞広告をみた直接購読の読者が、約1万人ほどいたわけです。それだけで1万部は間違いなくでていくので、あと市場へだす分として1万部、合計2万部という線がでたわけです。(中略)創刊号を扱ったのは、河野書店だけでした。 |
1946年1月には[[菊池寛]]の命名で『[[りべらる]]』(太虚堂書房)が発刊され、創刊号は1万部を売った<ref>渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス、2019年9月、9頁。</ref>。同年10月にはカストリ雑誌ブームの火付け役となる『'''[[猟奇 (雑誌)|獵奇]]'''』([[茜書房]])が創刊され、発売から2時間で2万部を売り尽くした<ref name="watanabe11"/><ref>「刷り部数は2万部だったわけですが、2万部の根拠は、新聞広告をみた直接購読の読者が、約1万人ほどいたわけです。それだけで1万部は間違いなくでていくので、あと市場へだす分として1万部、合計2万部という線がでたわけです。(中略)創刊号を扱ったのは、河野書店だけでした。 |
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つまり、引き受け手がなかったわけです。しかも、七半の現金取り引きでした。ところが、いざ売りだしてみると、創刊号は2時間で売り切れてしまったのです。当時は、地方の書店の親父さんが、リュックサックに現金を一杯つめこんで、東京まで買い出しにきていましたから、新聞広告などで本がでることが分かっているので、発売と同時にワッと買い占めたのでしょう」加藤幸雄「 |
つまり、引き受け手がなかったわけです。しかも、七半の現金取り引きでした。ところが、いざ売りだしてみると、創刊号は2時間で売り切れてしまったのです。当時は、地方の書店の親父さんが、リュックサックに現金を一杯つめこんで、東京まで買い出しにきていましたから、新聞広告などで本がでることが分かっているので、発売と同時にワッと買い占めたのでしょう」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで」『[[出版ニュース]]』1976年11月下旬号/1060号、[[出版ニュース社]]、9頁。</ref>。創刊の辞は「平和国家建設のために心身共に、疲れ切った、午睡の一刻に、興味本位に読捨て下されば幸いです」と、至って低姿勢なものであった<ref name="watanabe11"/>。 |
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『獵奇』は「[[梅原北明]]のような出版活動が戦後も堂々と出来るのか」という意図で創刊され、戦前の[[エログロナンセンス]]を引き継いだ側面があった<ref>「『[[りべらる]]』は、私は[[カストリ雑誌]]とは、思っていませんでした。いわゆるカストリ雑誌、エロ雑誌と認めなかったわけです。当時でた『小説と読物』などは、完全な小説雑誌ですし、私の知人の22、3歳の若い男が1冊だけだしてやめた『ろまねすく』という雑誌がありましたが、これなども『りべらる』をちょっと軟化したような雑誌で、私はエロ雑誌とは認めませんでした。戦前、梅原北明のやっていたようなキワどいものとは認めていなかったのです。梅原北明のやった文芸市場社もののようなキワどいものが、堂々とやれるかどうかと、思っていたわけです」加藤幸雄「 |
『獵奇』は「[[梅原北明]]のような出版活動が戦後も堂々と出来るのか」という意図で創刊され、戦前の[[エログロナンセンス]]を引き継いだ側面があった<ref>「『[[りべらる]]』は、私は[[カストリ雑誌]]とは、思っていませんでした。いわゆるカストリ雑誌、エロ雑誌と認めなかったわけです。当時でた『小説と読物』などは、完全な小説雑誌ですし、私の知人の22、3歳の若い男が1冊だけだしてやめた『ろまねすく』という雑誌がありましたが、これなども『りべらる』をちょっと軟化したような雑誌で、私はエロ雑誌とは認めませんでした。戦前、梅原北明のやっていたようなキワどいものとは認めていなかったのです。梅原北明のやった文芸市場社もののようなキワどいものが、堂々とやれるかどうかと、思っていたわけです」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで」『出版ニュース』1976年11月下旬号/1060号、出版ニュース社、7頁。</ref>。また北明の盟友だった[[花房四郎]]、[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]、[[藤沢衛彦]]が2号から編集者として参加し<ref>「2号の編集からは、スタッフがふえました。2号から参加した花房四郎の他に、斎藤昌三さん、明治大学の藤沢衛彦さん、それと三宅一郎、この3人を月1万円の顧問料をだして入れました。雑誌の定価が高いのでだせたのですが、当時の1万円といえば、かなりの高給をはずんだことになります。なにしろ、女の子の給料が600円、男の営業部員でも月給1000円といった時代でしたから」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(2) 戦後摘発第1号―北川千代三『H大佐夫人』で―」『出版ニュース』1976年12月下旬号/1063号、出版ニュース社、24頁。</ref>、北明周辺の作家も積極的に起用された<ref>「その頃、『文芸市場』の編集をしていた花房四郎(当時45、6歳)という人が、新聞広告をみて、『私を使ってくれないか』といってきたのです。私は、『使うということより、編集者として、原稿集めをしてくれないか』ということで、その人を編集員にしたわけです。1号は原稿が揃っていたので、2号の原稿は、その人が集めてきたと思います。ですから、ほとんど『文芸市場社』の時代の作家が全部原稿を書いてくれたはずです」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで」『出版ニュース』1976年11月下旬号/1060号、出版ニュース社、8頁。</ref><ref>「それはともかく、ここでは『猟奇』が北明の原稿をあえて掲載したことに注目したい。実は『猟奇』という雑誌、戦前のエロ執筆者を積極的に登用していた。(中略)彼らの書くものは、その後、雨後の筍のように湧いた他のカストリ雑誌の下手くそな原稿に比べれば、まだしもまっとうな内容ではあるのだが、その多くは、戦前に執筆していた内容の焼き直し、あるいは延長にすぎない。カストリ雑誌は戦後突然現れたように語られているが、実は戦前の遺産を引き継ぐかたちで始まったのだ。『猟奇』の編集人が戦前のエロへの郷愁を抱いていたためなのか、その時期にエロを書き切れる人材が育っていなかったためなのかはわからないが、『猟奇』は、これまで大っぴらには出版できなかった戦前のエロをそのまま持ってきた部分が多いことは確かだ。これは昭和初期のモダニズムの影響を受けた表紙からも窺える(特に2号)」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、26頁。</ref>。執筆陣には、[[変態十二史]]シリーズの『変態伝説史』『変態浴場史』『変態見世物史』を執筆し、本誌の顧問も兼任した[[藤沢衛彦]]<ref>2号、3号、4号、5号で執筆。戦前の雑誌『獵奇画報』の編集者であり、戦後は[[明治大学]]の教授に就任した。専門は[[民俗学]]で、特に伝説研究に造詣が深い。また[[犯罪学]]や[[社会学|風俗研究]]にも通暁している。</ref>、同じく本誌の顧問で、北明とは深い交流があった古書研究家の[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]<ref>2号、3号、4号、5号で執筆。</ref>、SM界の巨匠と名高い[[伊藤晴雨]]<ref>晴雨は4号に「虐げられた日本婦人」を執筆。</ref>、[[生殖器崇拝]]研究の大家である[[久保盛丸]]<ref>創刊号、2号、3号で執筆。久保は「宇和島の凸凹寺法主」の異名を取る人物で『凸』『凹』『空曼陀羅』『生殖崇拝論』などの著作がある。1923(大正12)年に出版した『生殖器崇拝話集成』は無事発禁となった。</ref>、北明の雑誌『[[文藝市場]]』同人の[[青山倭文二]]<ref>青山は2号、3号で執筆。</ref> らが名を連ねた。1946年12月に発行された第二號では北明の遺作『[https://hendensha.com/bibi-bookshelf/petenshouho/OEBPS/bodymatter_0_0.xhtml ぺてん商法]』が掲載<ref>「(2号には)梅原北明の“遺稿”が載ってます。当時、あれはニセものだという説も流れていましたが、北明のほんものの“遺稿”なんです。というのは、青山倭文二という人が、小田原の北明の自宅から、直接もらってきた原稿なんです。北明は、小田原の自宅で亡くなったんですが、亡くなった直後に、その原稿を手に入れているのです。原稿用紙も北明自身の原稿用紙でしたし、確かにほんものだったと、いまでも思っています」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(2) 戦後摘発第1号―北川千代三『H大佐夫人』で―」『出版ニュース』1976年12月下旬号/1063号、出版ニュース社、24頁。</ref><ref>「追記 梅原が去る5月に突然死んだと花房四郎君から通知を受取つたときには些か愕然とした。夢のやうな氣がした。それまでよきにつけ、惡しきにつけいろいろと交際を持ち續けて來た僕だつた。あの男の事であるから、もう慾は云はずにせめて四五年は生かして置きたかつた。何かあッと云ふような大きな仕事をしたに違ひない。然し、今はもう詮ない事である。今、その追悼文を書くのが目的ではない。せめて梅原が生前殘して置いたこの一文を公表しさえすれば足りる。遺稿は確か昭和十年頃になつたものではないかと思はれる。梅原らしい筆致で梅原らしい人柄がよく出てゐるのではないかと、微笑まされるところさへある(I・A生)」梅原北明(遺作)「ぺてん商法」『獵奇』第二號、茜書房、1946年12月、14-15頁。</ref>。ついでに[[北川千代三]]の官能小説『[[H大佐夫人]]』が問題視され、[[わいせつ物頒布等の罪]](刑法175条)による戦後初の摘発・[[発禁]]を受けた<ref>「今もなおこの誌名が出版史に残るのは、カストリ雑誌のスタイルを確立し、万単位の部数を売った実績だけでなく、第二号が刑法第175条の猥褻物頒布等によって初の摘発を受けたからだ。第3号巻頭に、摘発の経緯を説明し、低姿勢に謝罪をした『御挨拶』が掲載されている。これには、問題になったのは、『H大佐夫人』(北川千代三作の内容及挿画(高橋よし於筆)『王朝の好色と滑稽譚』(宮永志津夫作)の一部でした、とある。しかし、この二号はのちに再版が出されており、再版分は『H大佐夫人』『王朝の好色と滑稽譚』にあわせて、林恭一郎『亜拉比亜秘話』、MMT『新感覚派』計4本の原稿分16ページが削除されていることから、それらもまた問題とされ、警察からの指導があったのかもしれない」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、25頁。</ref><ref>「本誌第三號も校了になり、印刷にかゝらんとした、一月九日突如區検、内務省保安警視廳保安課三省連絡の上、本誌第二號の記事内容に就き'''刑法第一七五を適用して初の出版物に對する取締りを受けました'''。一時は官憲干渉に對し、やるかたなき憤りさへ感じ、出版の自由に對する彈壓でさヘあると思ったのであるが、取調べの進行するにつれて、當局の今回の措置が必ずしも出版の自由に對する彈壓でないと云ふ事に氣付いた次第である。第二號中、問題になったのは『H大佐夫人』(北川千代三作)の内容及挿畫(高橋よし於筆)『王朝の好色と滑稽譚』(宮永志津夫作)の内容の一部でありました。獵奇發行の意圖する處は、殺伐たる世相の中にあって、平和國家建設のために疲れきった人々の娯樂の一助にもなればと云ふ考へと、性の問題を取上げて究明し、今迄のあやまった、性道・習慣に對し出来得れば是正して行きたいと思ふのが目的であったのです、だが、その意図する處に反して、今回の事件を惹起した事は發行責任者として、自責の念にたへられない次第である。しかし、性問題に對する觀念の是正なぞと云ふ事は、一部の教育者や、特定の人達が、提唱するのみでは決して解決するのではない、あらゆる、大象を對照とした機關が、初め少しは感情的に缺陷はあるにもせよ取上げて究明しつゝ最後の高度な性教育にまで到達しなければならないのではないかとも考へられる。本誌第二號はその意味において決して、その目的を達してゐるとは考へない、性問題に對し、充分なる訓練を受けてゐない、年少者達に讀まれた場合、悪影響がないとは云ひ得ない、此點責任者として、どこまでもその責任は負ふつもりである。印刷會社、執筆者、置家、書籍取次店及讀者の方々に對し、多大の御迷惑をお掛け申した事を深謝申上げます。又、官憲諸氏のたヘず理解ある取調に對し紙上を以て感謝申上げます」加藤幸雄「御挨拶」『獵奇』第三號、茜書房、1947年1月、3頁。</ref>。これは結果として『獵奇』の名声を高め<ref name="watanabe11"/>、亜流誌として『新獵奇』『オール獵奇』『獵奇読物』『獵奇実話』『獵奇世界』『獵奇倶楽部』『獵奇ゼミナール』『獵奇雑誌・人魚』など、とにかく「獵奇」を冠したカストリ雑誌が雨後の筍のように創刊された<ref>「実はこの『猟奇』という言葉、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代にさんざん使われた言葉である。かの新潮社も31(昭和6)年に『現代猟奇先端図鑑』を出しているくらいだ。たとえば、これ以外にも、『犯罪公論』『デカメロン』『奥の奥』といったカストリ雑誌の名前も、戦前に存在していた雑誌からのパクリで、このあたりのネーミングの安易さを見ても、カストリ雑誌を手掛けていた連中の志の低さがわかるかもしれない」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、27頁。</ref>。 |
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さらに後続誌として『[[奇譚クラブ]]』『[[裏窓 (雑誌)|裏窓]]』『[[あまとりあ]]』『[[ろまんす]]』『[[風俗草紙]]』などが登場。のちに『'''[[奇譚クラブ]]'''』(1947年 - 1975年)は、[[SM (性風俗)|SM]]誌に転身して[[沼正三]]の『'''[[家畜人ヤプー]]'''』や[[団鬼六]]の『[[花と蛇]]』を連載した。『[[奇譚クラブ]]』の類似誌としては、[[澁澤龍彥]]編集『[[血と薔薇]]』(天声出版)や[[高倉一]]編集『[[風俗奇譚]]』『[[黒の手帖]]』(文献資料刊行会→[[檸檬社]])などがある。 |
さらに後続誌として『[[奇譚クラブ]]』『[[裏窓 (雑誌)|裏窓]]』『[[あまとりあ]]』『[[ろまんす]]』『[[風俗草紙]]』などが登場。のちに『'''[[奇譚クラブ]]'''』(1947年 - 1975年)は、[[SM (性風俗)|SM]]誌に転身して[[沼正三]]の『'''[[家畜人ヤプー]]'''』や[[団鬼六]]の『[[花と蛇]]』を連載した。『[[奇譚クラブ]]』の類似誌としては、[[澁澤龍彥]]編集『[[血と薔薇]]』(天声出版)や[[高倉一]]編集『[[風俗奇譚]]』『[[黒の手帖]]』(文献資料刊行会→[[檸檬社]])などがある。 |
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[[File:Poster - Freaks 02.jpg|thumb|280px|right|[[トッド・ブラウニング]]の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』は[[1960年代]]に再評価されて以降、[[ミッドナイトムービー|深夜上映の形態で定期的に劇場公開された]]。]] |
[[File:Poster - Freaks 02.jpg|thumb|280px|right|[[トッド・ブラウニング]]の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』は[[1960年代]]に再評価されて以降、[[ミッドナイトムービー|深夜上映の形態で定期的に劇場公開された]]。]] |
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[[ファイル:Ilsa she wolf of ss poster 02.jpg|right|thumb|280px|[[エクスプロイテーション映画]]『[[イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験]]』(1974年)は、[[サディズム]]と[[ナチズム]]を融合させた[[ナチスプロイテーション]]の典型的作品である。]] |
[[ファイル:Ilsa she wolf of ss poster 02.jpg|right|thumb|280px|[[エクスプロイテーション映画]]『[[イルザ ナチ女収容所 悪魔の生体実験]]』(1974年)は、[[サディズム]]と[[ナチズム]]を融合させた[[ナチスプロイテーション]]の典型的作品である。]] |
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世界各地の知られざる奇習や風俗を描いた[[グァルティエロ・ヤコペッティ]]監督の[[ドキュメンタリー]]映画『'''[[世界残酷物語]] MONDO CANE'''』(1962年)のヒットを嚆矢として、[[1960年代]]の[[ヨーロッパ]]や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、観客の[[見世物小屋|見世物]]的好奇心に訴える猟奇系のドキュメンタリー・[[モキュメンタリー]]映画が続々と登場し、人気を博していた。これら映画は「'''[[モンド映画]]'''」(Mondo film)または「'''[[エクスプロイテーション映画]]'''」と呼ばれる。特にモンド映画は、[[やらせ]]も含めたショッキングでいかがわしい演出と[[扇情主義|センセーショナリズム]]が特徴的であった。著名なモンド[[映画監督]]としては[[グァルティエロ・ヤコペッティ|ヤコペッティ]]以外にも『[[ピンク・フラミンゴ]]』の[[ジョン・ウォーターズ]]や『[[ファスター・プシィキャット!キル!キル!]]』の[[ラス・メイヤー]]などがいる。これら監督たちの映画は脱力的な大衆文化「'''[[モンド・カルチャー]]'''」のルーツとなったほか、世界中の悪趣味([[バッド・テイスト]])文化にも多大なる影響を及ぼした{{Refnest|group="注"|name="MONDO"|日本のサブカルチャーに「'''[[MONDO]]'''」という言葉と文化を輸入したのは、伝説的自販機本『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』初代編集長の[[高杉弾]]といわれている。ちなみに高杉は「MONDO」について「'''アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化'''」と定義した。また高杉は「MONDO」に一番近い不思議な[[日本語]]として「[[ひょっとこ]]」を挙げている<ref name="GARO199703">「これは日本に入って来たときに誤解されたよね。なんでもかんでもヘンなものをMONDOだってしちゃって。MONDOはもともとはイタリア語でWORLDのことなんだけれど、これを聞いたアメリカ人がすごくヘンな響きにきこえたらしくて、それで60年代にヘンなものを創ってる人達のことをモンドピープルって呼んだのが始まりだよね。それで[[ラス・メイヤー]]や[[アンディ・ウォーホル]]、[[ジョン・ウォーターズ]]なんかが『[[モンド・カルチャー|モンドカルチャー]]』とか『[[:en:Mondo New York|モンドニューヨーク]]』なんて言い出したの。要するにアメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化をそう呼ぶようになったわけだから、60年代でMONDOはなくなっちゃってるんだよ。で、MONDOを日本語に訳したら'''ひょっとこ'''だよね。ひょっとこっていうのが一番近い日本語だよ(笑)」[[高杉弾]]「 |
世界各地の知られざる奇習や風俗を描いた[[グァルティエロ・ヤコペッティ]]監督の[[ドキュメンタリー]]映画『'''[[世界残酷物語]] MONDO CANE'''』(1962年)のヒットを嚆矢として、[[1960年代]]の[[ヨーロッパ]]や[[アメリカ合衆国|アメリカ]]では、観客の[[見世物小屋|見世物]]的好奇心に訴える猟奇系のドキュメンタリー・[[モキュメンタリー]]映画が続々と登場し、人気を博していた。これら映画は「'''[[モンド映画]]'''」(Mondo film)または「'''[[エクスプロイテーション映画]]'''」と呼ばれる。特にモンド映画は、[[やらせ]]も含めたショッキングでいかがわしい演出と[[扇情主義|センセーショナリズム]]が特徴的であった。著名なモンド[[映画監督]]としては[[グァルティエロ・ヤコペッティ|ヤコペッティ]]以外にも『[[ピンク・フラミンゴ]]』の[[ジョン・ウォーターズ]]や『[[ファスター・プシィキャット!キル!キル!]]』の[[ラス・メイヤー]]などがいる。これら監督たちの映画は脱力的な大衆文化「'''[[モンド・カルチャー]]'''」のルーツとなったほか、世界中の悪趣味([[バッド・テイスト]])文化にも多大なる影響を及ぼした{{Refnest|group="注"|name="MONDO"|日本のサブカルチャーに「'''[[MONDO]]'''」という言葉と文化を輸入したのは、伝説的自販機本『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』初代編集長の[[高杉弾]]といわれている。ちなみに高杉は「MONDO」について「'''アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化'''」と定義した。また高杉は「MONDO」に一番近い不思議な[[日本語]]として「[[ひょっとこ]]」を挙げている<ref name="GARO199703">「これは日本に入って来たときに誤解されたよね。なんでもかんでもヘンなものをMONDOだってしちゃって。MONDOはもともとはイタリア語でWORLDのことなんだけれど、これを聞いたアメリカ人がすごくヘンな響きにきこえたらしくて、それで60年代にヘンなものを創ってる人達のことをモンドピープルって呼んだのが始まりだよね。それで[[ラス・メイヤー]]や[[アンディ・ウォーホル]]、[[ジョン・ウォーターズ]]なんかが『[[モンド・カルチャー|モンドカルチャー]]』とか『[[:en:Mondo New York|モンドニューヨーク]]』なんて言い出したの。要するにアメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化をそう呼ぶようになったわけだから、60年代でMONDOはなくなっちゃってるんだよ。で、MONDOを日本語に訳したら'''ひょっとこ'''だよね。ひょっとこっていうのが一番近い日本語だよ(笑)」[[高杉弾]]「メディアマンライブトーク─高杉弾とメディアマンのすべて」[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「特集/僕と私の脳内リゾート特集」48頁。</ref>。}}。日本でも[[中川信夫]]監督の『[[日本残酷物語]]』(1963年/[[国立映画アーカイブ|NFAJ]]所蔵)や[[中島貞夫]]監督の『[[セックスドキュメントシリーズ#にっぽん'69 セックス猟奇地帯|にっぽん’69 セックス猟奇地帯]]』などの[[モンド映画]]が製作されている。 |
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その後、ヤコペッティが3年の歳月を費やし、本物の処刑シーンも収めた『[[さらばアフリカ]]』(1966年)が興行的に大失敗するなどして、過熱的なモンド映画ブームは終息したが、[[トッド・ブラウニング]]監督の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』([[1932年]]・[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]])がアメリカの[[映画館]]で深夜上映されたのを皮切りに、[[1970年代]]のアメリカでは[[カルト映画|カルトムービー]]や[[自主映画|インディーズ・ムービー]]が深夜上映の形態で続々公開されるようになった。これらの映画は「'''[[ミッドナイトムービー]]'''」と呼ばれ、一部の映画マニアを中心に熱狂的な人気を博した。また、ここから『[[ピンク・フラミンゴ]]』(犬の糞を食べるシーンがある)『[[エル・トポ]]』『[[ナイト・オブ・ザ・リビングデッド]]』『[[ロッキー・ホラー・ショー]]』『[[イレイザーヘッド]]』『[[エレファント・マン (映画)|エレファントマン]]』などのカルト映画も数多く生み出されていった。1972年には[[ラルフ・バクシ]]が画期的な[[アダルトアニメ]]『[[フリッツ・ザ・キャット]]』を製作し、史上最も成功した[[インディーズ]]系[[アニメーション映画]]のひとつとなった(それと同時にアニメ史上初の{{仮リンク|X指定 (レイティング)|en|X rating|label=X指定}}を受けた)。本作では[[ブラックユーモア]]や[[性行為|セックス]]描写が大胆に取り入れられ、主人公が[[学生運動]]、[[性の革命|性革命]]、[[ヒッピー]][[コミューン]]など[[アメリカ合衆国の社会|アメリカ社会]]で60年代後半に巻き起こった[[社会運動|ムーブメント]]を[[野次馬]]的に体験していく様子が毒々しく描かれている。 |
その後、ヤコペッティが3年の歳月を費やし、本物の処刑シーンも収めた『[[さらばアフリカ]]』(1966年)が興行的に大失敗するなどして、過熱的なモンド映画ブームは終息したが、[[トッド・ブラウニング]]監督の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』([[1932年]]・[[メトロ・ゴールドウィン・メイヤー|MGM]])がアメリカの[[映画館]]で深夜上映されたのを皮切りに、[[1970年代]]のアメリカでは[[カルト映画|カルトムービー]]や[[自主映画|インディーズ・ムービー]]が深夜上映の形態で続々公開されるようになった。これらの映画は「'''[[ミッドナイトムービー]]'''」と呼ばれ、一部の映画マニアを中心に熱狂的な人気を博した。また、ここから『[[ピンク・フラミンゴ]]』(犬の糞を食べるシーンがある)『[[エル・トポ]]』『[[ナイト・オブ・ザ・リビングデッド]]』『[[ロッキー・ホラー・ショー]]』『[[イレイザーヘッド]]』『[[エレファント・マン (映画)|エレファントマン]]』などのカルト映画も数多く生み出されていった。1972年には[[ラルフ・バクシ]]が画期的な[[アダルトアニメ]]『[[フリッツ・ザ・キャット]]』を製作し、史上最も成功した[[インディーズ]]系[[アニメーション映画]]のひとつとなった(それと同時にアニメ史上初の{{仮リンク|X指定 (レイティング)|en|X rating|label=X指定}}を受けた)。本作では[[ブラックユーモア]]や[[性行為|セックス]]描写が大胆に取り入れられ、主人公が[[学生運動]]、[[性の革命|性革命]]、[[ヒッピー]][[コミューン]]など[[アメリカ合衆国の社会|アメリカ社会]]で60年代後半に巻き起こった[[社会運動|ムーブメント]]を[[野次馬]]的に体験していく様子が毒々しく描かれている。 |
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このように1970年代末には、既成の出版文化から逸脱したサブカル・アングラ誌が続々と登場し、独自の文化を形成していた。そんな端境期に出現したのが、伝説的[[自販機本]]『'''[[Jam (自販機本)|Jam]]'''』『'''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]'''』([[エルシー企画]]→[[アリス出版]]→[[群雄社出版]])である。[[メディアマン]]の'''[[高杉弾]]'''と'''[[山崎春美]]'''([[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]/[[山崎春美#TACO|TACO]])らによって[[1979年]]3月に創刊された『Jam』は、[[20世紀]]末の日本で花開いた「[[#サブカルチャーに於ける鬼畜系|鬼畜系]]」の元祖的存在とされた<ref name="QJ19">『[[Quick Japan]]』19号、[[太田出版]]、198頁。</ref><ref>ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、17-18頁。</ref><ref>[https://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/improtanigashira/2555/ 蓮實重彦、鬼畜系、麻原彰晃、あるいは2つの共時性を巡って] - ゲンロンスクール</ref>。特に『Jam』創刊号の爆弾企画「'''[[Jam (自販機本)#自販機本『Jam』創刊|芸能人ゴミあさりシリーズ]]'''」では、[[山口百恵]]の自宅から出たゴミを回収し、[[電波系]]ファンレターから使用済み[[生理処理用品|生理用品]]まで、誌面の[[グラビア]]で大々的に公開したことから物議を醸した(雑誌上のゴミ漁り企画は、[[アメリカ合衆国]]のアンダーグラウンド・マガジン『[[:en:Wet (magazine)|WET]]』〈1976-81〉のゴミ漁り企画が元祖である)。また同誌では、[[薬物乱用|ドラッグ]]、[[パンク・ロック]]、[[神秘主義]]、[[臨済禅]]、[[シュルレアリスム]]、{{仮リンク|フリーミュージック|en|Free improvisation}}、[[ヘタウマ]]([[蛭子能収]]・[[渡辺和博]])など[[オルタナティヴ|オルタナティブ・カルチャー]]を縦横無尽に取り上げ、[[:en:Intellect|知性]]と[[ユーモア|諧謔]]と[[狂気]]が交錯する[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]な誌面を展開した。 |
このように1970年代末には、既成の出版文化から逸脱したサブカル・アングラ誌が続々と登場し、独自の文化を形成していた。そんな端境期に出現したのが、伝説的[[自販機本]]『'''[[Jam (自販機本)|Jam]]'''』『'''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]'''』([[エルシー企画]]→[[アリス出版]]→[[群雄社出版]])である。[[メディアマン]]の'''[[高杉弾]]'''と'''[[山崎春美]]'''([[ガセネタ (バンド)|ガセネタ]]/[[山崎春美#TACO|TACO]])らによって[[1979年]]3月に創刊された『Jam』は、[[20世紀]]末の日本で花開いた「[[#サブカルチャーに於ける鬼畜系|鬼畜系]]」の元祖的存在とされた<ref name="QJ19">『[[Quick Japan]]』19号、[[太田出版]]、198頁。</ref><ref>ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、17-18頁。</ref><ref>[https://school.genron.co.jp/works/critics/2017/students/improtanigashira/2555/ 蓮實重彦、鬼畜系、麻原彰晃、あるいは2つの共時性を巡って] - ゲンロンスクール</ref>。特に『Jam』創刊号の爆弾企画「'''[[Jam (自販機本)#自販機本『Jam』創刊|芸能人ゴミあさりシリーズ]]'''」では、[[山口百恵]]の自宅から出たゴミを回収し、[[電波系]]ファンレターから使用済み[[生理処理用品|生理用品]]まで、誌面の[[グラビア]]で大々的に公開したことから物議を醸した(雑誌上のゴミ漁り企画は、[[アメリカ合衆国]]のアンダーグラウンド・マガジン『[[:en:Wet (magazine)|WET]]』〈1976-81〉のゴミ漁り企画が元祖である)。また同誌では、[[薬物乱用|ドラッグ]]、[[パンク・ロック]]、[[神秘主義]]、[[臨済禅]]、[[シュルレアリスム]]、{{仮リンク|フリーミュージック|en|Free improvisation}}、[[ヘタウマ]]([[蛭子能収]]・[[渡辺和博]])など[[オルタナティヴ|オルタナティブ・カルチャー]]を縦横無尽に取り上げ、[[:en:Intellect|知性]]と[[ユーモア|諧謔]]と[[狂気]]が交錯する[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]な誌面を展開した。 |
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[[1980年代]]に特異なサブカル誌が[[エロ本]]などから出現した背景について[[大塚英志]]は「[[全学共闘会議|全共闘世代]]が〈[[おたく]]〉第一世代に活動の場を提供する、という形で起きた」と指摘しており<ref>[[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』[[星海社文庫]] 2016年3月 18頁</ref>、これに関して[[高杉弾]]も「あの頃は[[自販機本]]の黄金期で出せば売れるという時代だったから、僕らみたいなわけの分からない奴にも作らせる余裕があったんだね。それに編集者は全共闘世代の人が多かったから、僕らみたいな下の世代に興味を持ってくれたんだと思うよ。それで『[[Jam (自販機本)|Jam]]』や『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』を作ったんだよね」と述懐している<ref>[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「 |
[[1980年代]]に特異なサブカル誌が[[エロ本]]などから出現した背景について[[大塚英志]]は「[[全学共闘会議|全共闘世代]]が〈[[おたく]]〉第一世代に活動の場を提供する、という形で起きた」と指摘しており<ref>[[大塚英志]]『「おたく」の精神史 一九八〇年代論』[[星海社文庫]] 2016年3月 18頁</ref>、これに関して[[高杉弾]]も「あの頃は[[自販機本]]の黄金期で出せば売れるという時代だったから、僕らみたいなわけの分からない奴にも作らせる余裕があったんだね。それに編集者は全共闘世代の人が多かったから、僕らみたいな下の世代に興味を持ってくれたんだと思うよ。それで『[[Jam (自販機本)|Jam]]』や『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』を作ったんだよね」と述懐している<ref>[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1997年3月号「僕と私の脳内リゾート―ブレイン・リゾーター高杉弾とメディアマンのすべて」46頁</ref>。その後、自販機本より過激な[[ビニ本]]の台頭、全国に飛び火した[[PTA]]や[[警察]]による弾圧運動などで、自販機本は急速に姿を消す。しかしながら『Jam』『HEAVEN』の[[アナーキー]]な精神は、[[アリス出版]]から分派した[[群雄社]]を経て、[[白夜書房]]〜[[コアマガジン]]系のアダルト雑誌に引き継がれていった<ref name="takarajima 19990526"/>。今日『Jam』『HEAVEN』は、伝説の[[自販機本]]として神話化されている<ref>[[赤田祐一]]「──はじめに」『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|SPECTATOR]]』vol.39「パンクマガジン『Jam』の神話」[[幻冬舎]]/エディトリアル・デパートメント、[[2017年]]、30-35頁。</ref>。 |
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鬼畜系文筆家の草分け的存在である'''[[青山正明]]'''と'''[[村崎百郎]]'''も『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の影響を強く受けており、青山は[[慶應義塾大学]]在学中の[[1981年]]にキャンパスマガジン『'''[[突然変異 (ミニコミ)|突然変異]]'''』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)を創刊{{Refnest|group="注"|[[青山正明]]は[[永山薫]]との対談で「面白かった時代っていうと、やっぱり『[[Jam (自販機本)|ジャム]]』『[[HEAVEN (雑誌)|ヘヴン]]』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている([[宝島社]]『[[別冊宝島]]345 雑誌狂時代!』所載「 |
鬼畜系文筆家の草分け的存在である'''[[青山正明]]'''と'''[[村崎百郎]]'''も『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の影響を強く受けており、青山は[[慶應義塾大学]]在学中の[[1981年]]にキャンパスマガジン『'''[[突然変異 (ミニコミ)|突然変異]]'''』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)を創刊{{Refnest|group="注"|[[青山正明]]は[[永山薫]]との対談で「面白かった時代っていうと、やっぱり『[[Jam (自販機本)|ジャム]]』『[[HEAVEN (雑誌)|ヘヴン]]』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている([[宝島社]]『[[別冊宝島]]345 雑誌狂時代!』所載「アンダーグラウンドでいこう! 自販機本からハッカー系まで」より)。また青山は出版業界に入った理由について「僕自身は『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』という[[自販機本]]があって、その前身の『[[Jam (自販機本)|Jam]]』だったっけ? あそこらへんで、[[かたせ梨乃]]とか[[山口百恵]]の[[ゴミ漁り|ゴミ箱あさって]]……たしか、かたせ梨乃の[[タンポン]]とか、山口百恵の妹の学校のテストが二十点とかいう、すっげえ成績悪いやつを全部並べて写真撮って載せてるような……そういうメチャクチャな自販機本があったんですよ。それ見てね『あっ、こんな楽しいことやってて、食っていけるんだなー』って思って、うっかり入っちゃったんだよね。そのあとも、うっかり続きで(笑)」と[[青山正明#東京公司結成|東京公司]]のトークイベント『[[危ない1号|鬼畜ナイト]]』([[新宿ロフトプラスワン]]/1996年1月10日)にて語っている}}。[[障害者]]や[[奇形]]、[[薬物乱用|ドラッグ]]、[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]、[[皇室]]揶揄まで幅広く[[タブー]]を扱い<ref>[[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕』([[幻冬舎文庫|幻冬舎アウトロー文庫]])第3章「青山正明の思い出」の中「幻のキャンパス・マガジン」より。</ref>、熱狂的な読者を獲得したものの、[[椎名誠]]などなどの[[文化人]]から「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」<ref>[http://blog.livedoor.jp/yu_hirano/archives/1808002.html 天才編集者 故青山正明インタビュー] [[ロフト (ライブハウス)#経営者|平野悠]]. BURST 2000年9月号</ref> と袋叩きに遭い、わずか4号で[[休刊|廃刊]]する。一方の村崎は『Jam』からヒントを得て「[[鬼畜]]の[[ゴミ漁り]]」というスタイルを後に確立する<ref>[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]「『Jam』創刊号を完読してみる」『[[スペクテイター (1999年創刊の雑誌)|Spectator]]』vol.39「[[Jam (自販機本)#パンクマガジン『Jam』の神話|パンクマガジン『Jam』の神話]]」p.50-65, 幻冬舎/有限会社エディトリアル・デパートメント, 2017年</ref>。 |
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[[三流劇画ブーム]]と[[ロリコンブーム]]の仕掛人で、元[[アリス出版]]『[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]』編集長の[[川本耕次]]は、[[自販機本]]周辺のサブカルチャーが1990年代に[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜系]]へと発展した経緯について次のように総括している。{{Quotation|[[自販機本|自販機エロ本]]というのは、それまであった[[エロ本]]のタブーをブチ壊し、アナーキーな性欲を街頭に開放することから始まった。既成の出版業界から見れば、[[鬼畜]]そのものだ。[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]に限らず、[[性欲]]に関するあらゆる[[タブー]]を打破し、マトモな性欲の持ち主だったら眉をひそめるようなネタを続々と登場させた。それは[[ビニ本]]に引き継がれ、タブーは次々に破られて行く。それが70年代終わりから80年代前半までのトレンドで、90年代の[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]というのは、そんな連中、まぁ、おいらもその典型なんだが、'''そんな連中を「カッコイイ」と思って憧れていたネクラ少年たちが作り上げたブーム'''なんだろうが、基本は文学少年だったり音楽オタクだったりする文系のお坊ちゃまなので、'''鬼畜ごっこ'''{{Refnest|group="注"|『[[Quick Japan]]』創刊編集長の[[赤田祐一]]は「鬼畜ごっこ」の[[類義語]]として「'''痴的遊戯'''」という表現を用いている<ref>[[赤田祐一]]「『クイック・ジャパン』創刊編集長が語る90年代と現在―個人の眼と情熱が支えた雑誌作り」(構成=鴇田義晴)[[中央公論新社]]『[[中央公論]]』2021年10月号、114頁。</ref><ref>「赤田氏は、青山正明氏の文章の上手さは好きだったが鬼畜・悪趣味系サブカルには興味がなかった、高学歴の人の痴的遊戯だと思っていたという内容をインタビュー内で語っていますが、そういう記事として高度な技術が使われているより、生々しいものが読みたかったということなのでしょう。記事の趣旨が違うとはいえ、小山田圭吾氏の件について触れているのが、SNSを見なくなった理由としてあげている箇所ぐらいなのに驚いた人も多かったと思います。なんというか、赤田氏は人間の起こすことには興味があっても、人間自体には興味がなく、自分の読みたいものをつくる以外には何も考えていない、その結果として何が起こっても、それは理解できない相手の問題としてしか捉えていないのかもしれません。(中略)社会にも人間自体にも興味がなく、人間が産み出した何か名付けようのないものを見てみたいという自分の欲望に忠実な個人主義者なんだと思います。社会性に基づいた反応を要求する声とは平行線をたどるのではないでしょうか」[http://bucchinews.com/subcul/6408.html ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第197回 松永天馬「私はサブカルが嫌いだ」を読んでみた] - ブッチNEWS 2021年10月15日</ref>。{{Bquote|〔鴇田〕―90年代の出版業界にあった余裕から生まれた異端児が『[[危ない1号]]』に代表される鬼畜系サブカルチャーかと思います。[[青山正明]]、[[村崎百郎]]、[[吉永嘉明]]といった人物が関わっていました。赤田さんは吉永さんの『自殺されちゃった僕』の編集も手がけておられます。<br />'''赤田''' “鬼畜文化”と称される露悪的な感覚って好きではなかったし、自分は関係ないですね。ただ、青山さんの書くものは好きでよく読んでいたし、ライターとしてとても優秀な人だった。つまらないネタでも読ませる文章として成立させていた。その文化周辺の人って、自分の印象では、高偏差値の人が多いですよね。その意味で、屈折したインテリの'''痴'''的遊戯なんだろうと思って、横目で眺めていました。}}}}と呼ぶのが正しい(笑)|[http://my.shadowcity.jp/2021/07/post-22114.html オマエが元祖鬼畜系だろうが - ネットゲリラ(2021年7月22日配信)]}} |
[[三流劇画ブーム]]と[[ロリコンブーム]]の仕掛人で、元[[アリス出版]]『[[少女アリス (自販機本)|少女アリス]]』編集長の[[川本耕次]]は、[[自販機本]]周辺のサブカルチャーが1990年代に[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜系]]へと発展した経緯について次のように総括している。{{Quotation|[[自販機本|自販機エロ本]]というのは、それまであった[[エロ本]]のタブーをブチ壊し、アナーキーな性欲を街頭に開放することから始まった。既成の出版業界から見れば、[[鬼畜]]そのものだ。[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]に限らず、[[性欲]]に関するあらゆる[[タブー]]を打破し、マトモな性欲の持ち主だったら眉をひそめるようなネタを続々と登場させた。それは[[ビニ本]]に引き継がれ、タブーは次々に破られて行く。それが70年代終わりから80年代前半までのトレンドで、90年代の[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]というのは、そんな連中、まぁ、おいらもその典型なんだが、'''そんな連中を「カッコイイ」と思って憧れていたネクラ少年たちが作り上げたブーム'''なんだろうが、基本は文学少年だったり音楽オタクだったりする文系のお坊ちゃまなので、'''鬼畜ごっこ'''{{Refnest|group="注"|『[[Quick Japan]]』創刊編集長の[[赤田祐一]]は「鬼畜ごっこ」の[[類義語]]として「'''痴的遊戯'''」という表現を用いている<ref>[[赤田祐一]]「『クイック・ジャパン』創刊編集長が語る90年代と現在―個人の眼と情熱が支えた雑誌作り」(構成=鴇田義晴)[[中央公論新社]]『[[中央公論]]』2021年10月号、114頁。</ref><ref>「赤田氏は、青山正明氏の文章の上手さは好きだったが鬼畜・悪趣味系サブカルには興味がなかった、高学歴の人の痴的遊戯だと思っていたという内容をインタビュー内で語っていますが、そういう記事として高度な技術が使われているより、生々しいものが読みたかったということなのでしょう。記事の趣旨が違うとはいえ、小山田圭吾氏の件について触れているのが、SNSを見なくなった理由としてあげている箇所ぐらいなのに驚いた人も多かったと思います。なんというか、赤田氏は人間の起こすことには興味があっても、人間自体には興味がなく、自分の読みたいものをつくる以外には何も考えていない、その結果として何が起こっても、それは理解できない相手の問題としてしか捉えていないのかもしれません。(中略)社会にも人間自体にも興味がなく、人間が産み出した何か名付けようのないものを見てみたいという自分の欲望に忠実な個人主義者なんだと思います。社会性に基づいた反応を要求する声とは平行線をたどるのではないでしょうか」[http://bucchinews.com/subcul/6408.html ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第197回 松永天馬「私はサブカルが嫌いだ」を読んでみた] - ブッチNEWS 2021年10月15日</ref>。{{Bquote|〔鴇田〕―90年代の出版業界にあった余裕から生まれた異端児が『[[危ない1号]]』に代表される鬼畜系サブカルチャーかと思います。[[青山正明]]、[[村崎百郎]]、[[吉永嘉明]]といった人物が関わっていました。赤田さんは吉永さんの『自殺されちゃった僕』の編集も手がけておられます。<br />'''赤田''' “鬼畜文化”と称される露悪的な感覚って好きではなかったし、自分は関係ないですね。ただ、青山さんの書くものは好きでよく読んでいたし、ライターとしてとても優秀な人だった。つまらないネタでも読ませる文章として成立させていた。その文化周辺の人って、自分の印象では、高偏差値の人が多いですよね。その意味で、屈折したインテリの'''痴'''的遊戯なんだろうと思って、横目で眺めていました。}}}}と呼ぶのが正しい(笑)|[http://my.shadowcity.jp/2021/07/post-22114.html オマエが元祖鬼畜系だろうが - ネットゲリラ(2021年7月22日配信)]}} |
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==== 80年代の猟奇・変態カルチャーとその終焉 ==== |
==== 80年代の猟奇・変態カルチャーとその終焉 ==== |
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[[1980年代]]前半には“都市環境が美化された結果、死体が見えなくなったことに対する反逆”として局所的な死体ブームが起こった<ref name="STUDIO 200612">[[村崎百郎]]インタビュー「 |
[[1980年代]]前半には“都市環境が美化された結果、死体が見えなくなったことに対する反逆”として局所的な死体ブームが起こった<ref name="STUDIO 200612">[[村崎百郎]]インタビュー「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」[[INFASパブリケーションズ]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」pp.70-71</ref>。[[写真週刊誌]]『[[FOCUS]]』([[新潮社]])に創刊号から連載され、わずか6回で打ち切られた[[藤原新也]]の『'''[[東京漂流]]'''』では、[[ガンジス川]]の[[水葬]]死体に野犬が喰らいつく写真に「'''ニンゲンは犬に食われるほど自由だ'''」というキャプションが添えられた。これは[[コマーシャリズム]]によって異物を排除する志向が広く浸透した、現代社会に対する痛烈な[[アンチテーゼ]]である。 |
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1982年には[[インディーズ|インディペンデント]]出版社の[[ペヨトル工房]]が刊行する耽美系[[サブカルチャー]]雑誌『[[夜想]]』5号で死体を通した文明論や異常心理に関する考察をまとめた「'''屍体─幻想へのテロル'''」特集が組まれる。1984年には[[九鬼 (アダルトビデオ)|ビー・セラーズ]]<ref>[[アリス出版]]から派生した[[アダルトビデオメーカー]]「[[九鬼 (アダルトビデオ)|九鬼]]」(KUKI)が立ち上げた別会社。1977年4月設立。</ref> から死体写真集『'''[[SCENE (死体写真集)|SCENE]]'''』([[九鬼 (アダルトビデオ)|中川徳章]]・[[アリス出版|小向一實]]・芝田洋一選)が出版された{{Refnest|group="注"|name="小林"|同書は1990年代に出版された『[[SCENE (死体写真集)|SCENE]]』と書名が同じだが、内容は全く異なっているため「初代」と区別される。元々は『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])の別冊として[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]が出版しようと試みたが諸事情で頓挫し、別の編集者が小林の志を引き継ぐ形で出版したという経緯がある<ref name="burst 200409">[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]「死体カメラマン『アルバロ・フェルナンデス』との日々・南米編」[[コアマガジン]]『[[BURST]]』2004年9月号, pp.8-11</ref>。}}。これは[[法医学|法医学書]]や[[学術出版|学術書]]の形を借りずに出版された日本初の死体写真集である。その後、同写真集に触発された[[アリス出版]]編集部は『SCENE』の写真を転載し、[[自販機本]]『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』に[[根本敬]]の死体写真漫画『'''極楽劇場'''』を連載する(1991年に[[青林堂]]から刊行された根本敬初期作品集『豚小屋発犬小屋行き』に収録された)<ref>座談会・[[根本敬]]+[[湯浅学]]([[幻の名盤解放同盟]])× 原野国夫(元『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』編集部)「 |
1982年には[[インディーズ|インディペンデント]]出版社の[[ペヨトル工房]]が刊行する耽美系[[サブカルチャー]]雑誌『[[夜想]]』5号で死体を通した文明論や異常心理に関する考察をまとめた「'''屍体─幻想へのテロル'''」特集が組まれる。1984年には[[九鬼 (アダルトビデオ)|ビー・セラーズ]]<ref>[[アリス出版]]から派生した[[アダルトビデオメーカー]]「[[九鬼 (アダルトビデオ)|九鬼]]」(KUKI)が立ち上げた別会社。1977年4月設立。</ref> から死体写真集『'''[[SCENE (死体写真集)|SCENE]]'''』([[九鬼 (アダルトビデオ)|中川徳章]]・[[アリス出版|小向一實]]・芝田洋一選)が出版された{{Refnest|group="注"|name="小林"|同書は1990年代に出版された『[[SCENE (死体写真集)|SCENE]]』と書名が同じだが、内容は全く異なっているため「初代」と区別される。元々は『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])の別冊として[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]が出版しようと試みたが諸事情で頓挫し、別の編集者が小林の志を引き継ぐ形で出版したという経緯がある<ref name="burst 200409">[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]「死体カメラマン『アルバロ・フェルナンデス』との日々・南米編」[[コアマガジン]]『[[BURST]]』2004年9月号, pp.8-11</ref>。}}。これは[[法医学|法医学書]]や[[学術出版|学術書]]の形を借りずに出版された日本初の死体写真集である。その後、同写真集に触発された[[アリス出版]]編集部は『SCENE』の写真を転載し、[[自販機本]]『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』に[[根本敬]]の死体写真漫画『'''極楽劇場'''』を連載する(1991年に[[青林堂]]から刊行された根本敬初期作品集『豚小屋発犬小屋行き』に収録された)<ref>座談会・[[根本敬]]+[[湯浅学]]([[幻の名盤解放同盟]])× 原野国夫(元『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』編集部)「自販機本は廃盤歌手みたいなもんだよね」[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」</ref>。 |
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その他にも大手出版社の写真週刊誌では、[[自殺]]した[[三島由紀夫]]や[[岡田有希子]]の死体写真、また[[日本航空123便墜落事故|日航機墜落事故]]や[[山岳ベース事件]]の遺体写真が大写しで掲載された<ref>山田宏之「写真週刊誌に見る死体」コアマガジン『BURST』2003年9月号, pp.32-33</ref>。1985年6月18日には[[豊田商事]]会長の[[永野一男]]が、[[豊田商事会長刺殺事件|約30名の報道陣の前で自称右翼の男に日本刀で刺殺され、その様子が全国の茶の間に生中継された]]<ref>「カメラの放列の前で展開されたまさかの凶行。その一部始終がテレビ放映された十八日夜、読売新聞社に『法治国家でこんなことが許されていいのか』『だれも犯行を止められなかったのか』──など様々な意見が寄せられた。『食事がノドを通らなくなってしまった』と電話口で声を震わせたのは東京都港区の主婦、今井しのぶさん(四五)。高校二年生と中学一年生の娘さん二人とともに夕食をとっているところへ、血まみれの事件現場が飛び込んできた。『人が殺される場面がそのまま画面に流れるなんて、あまりにもひどい』。ともども夕食を中断したという」{{Cite news|title="凶行中継" 茶の間に衝撃「止められなかったのか」“目前のテロ”に電話殺到|newspaper=[[読売新聞]]・東京朝刊|date=1985-06-19|page=22}}</ref>。 |
その他にも大手出版社の写真週刊誌では、[[自殺]]した[[三島由紀夫]]や[[岡田有希子]]の死体写真、また[[日本航空123便墜落事故|日航機墜落事故]]や[[山岳ベース事件]]の遺体写真が大写しで掲載された<ref>山田宏之「写真週刊誌に見る死体」コアマガジン『BURST』2003年9月号, pp.32-33</ref>。1985年6月18日には[[豊田商事]]会長の[[永野一男]]が、[[豊田商事会長刺殺事件|約30名の報道陣の前で自称右翼の男に日本刀で刺殺され、その様子が全国の茶の間に生中継された]]<ref>「カメラの放列の前で展開されたまさかの凶行。その一部始終がテレビ放映された十八日夜、読売新聞社に『法治国家でこんなことが許されていいのか』『だれも犯行を止められなかったのか』──など様々な意見が寄せられた。『食事がノドを通らなくなってしまった』と電話口で声を震わせたのは東京都港区の主婦、今井しのぶさん(四五)。高校二年生と中学一年生の娘さん二人とともに夕食をとっているところへ、血まみれの事件現場が飛び込んできた。『人が殺される場面がそのまま画面に流れるなんて、あまりにもひどい』。ともども夕食を中断したという」{{Cite news|title="凶行中継" 茶の間に衝撃「止められなかったのか」“目前のテロ”に電話殺到|newspaper=[[読売新聞]]・東京朝刊|date=1985-06-19|page=22}}</ref>。 |
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=== モンド・ブーム === |
=== モンド・ブーム === |
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[[画像:Maboroshi no meiban kaiho domei.jpg|thumb|300px|[[幻の名盤解放同盟]]は1982年の結成以来、[[モンド歌謡曲]]の発掘、および[[電波系]]/[[根本敬|イイ顔]]/[[根本敬|因果者]]の[[フィールドワーク]]を一貫して行っている。]] |
[[画像:Maboroshi no meiban kaiho domei.jpg|thumb|300px|[[幻の名盤解放同盟]]は1982年の結成以来、[[モンド歌謡曲]]の発掘、および[[電波系]]/[[根本敬|イイ顔]]/[[根本敬|因果者]]の[[フィールドワーク]]を一貫して行っている。]] |
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90年代には悪趣味ブームと連なる形で、世界的な'''モンド・ブーム'''が起きた<ref name="shibuya173">[[渋谷直角]]『世界の夜は僕のもの』[[扶桑社]]、2021年9月、173頁。</ref>。'''MONDO'''とは[[イタリア語]]で「世界」を表し{{Refnest|group="注"|name="MONDO"}}、未開地域の奇妙で野蛮な風習を虚実ないまぜに記録した[[モンド映画]]『'''[[世界残酷物語]]'''』(1962年)のヒットにより世界中で定着した(原題の「MONDO CANE」は、イタリア語の定句で「ひどい世界」の意)。[[モンド映画]]とは世界中の奇習・奇祭などをテーマにした映画で、[[エログロ]]満載のショッキングな映像で観客の好奇心を惹きつけておきながら「狂っているのは文明人のほうだ」と、取ってつけたような文明批判や社会批判を盛り込んだ、社会派きどりの[[モキュメンタリー]]・猟奇趣味的な[[ドキュメンタリー]]である。その後、MONDOという概念はアメリカで独自の発展を遂げ、単なる世界から'''「奇妙な世界」「覗き見る世界」「マヌケな世界」'''へと語義が変化し<ref name="takarajima198902">[[高杉弾]]「 |
90年代には悪趣味ブームと連なる形で、世界的な'''モンド・ブーム'''が起きた<ref name="shibuya173">[[渋谷直角]]『世界の夜は僕のもの』[[扶桑社]]、2021年9月、173頁。</ref>。'''MONDO'''とは[[イタリア語]]で「世界」を表し{{Refnest|group="注"|name="MONDO"}}、未開地域の奇妙で野蛮な風習を虚実ないまぜに記録した[[モンド映画]]『'''[[世界残酷物語]]'''』(1962年)のヒットにより世界中で定着した(原題の「MONDO CANE」は、イタリア語の定句で「ひどい世界」の意)。[[モンド映画]]とは世界中の奇習・奇祭などをテーマにした映画で、[[エログロ]]満載のショッキングな映像で観客の好奇心を惹きつけておきながら「狂っているのは文明人のほうだ」と、取ってつけたような文明批判や社会批判を盛り込んだ、社会派きどりの[[モキュメンタリー]]・猟奇趣味的な[[ドキュメンタリー]]である。その後、MONDOという概念はアメリカで独自の発展を遂げ、単なる世界から'''「奇妙な世界」「覗き見る世界」「マヌケな世界」'''へと語義が変化し<ref name="takarajima198902">[[高杉弾]]「WORLD IS “MONDO”. 世界はひょっとこである。―辞書には出てない変な英語『モンド』っていったい何?」[[宝島社|JICC出版局]]『[[宝島 (雑誌)|宝島]]』1989年2月号、pp.6-7</ref>、奇妙な大衆文化を包括する[[サブカルチャー]]の総称、ないし世間的に無価値と思われている対象をポップな文脈で再評価するムーブメントとして扱われるようになった。 |
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[[メディアマン]]の[[高杉弾]]はMONDOについて「アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化」または「けっして新しくもカッコ良くもオシャレでもないけど、なんだか人間の普遍的なラリパッパ状態を表現する暗号的な感覚」と定義し「ポップでありながら繊細ではなく、間抜けでありながら冗談ではなく、人を馬鹿にしつつも自らがそれ以上の馬鹿となり、ときにはぜーんぜん面白くなかったりもしながら、しかし着実に生き延びていった」と評している<ref name="GARO199703"/><ref name="takarajima198902"/>。 |
[[メディアマン]]の[[高杉弾]]はMONDOについて「アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化」または「けっして新しくもカッコ良くもオシャレでもないけど、なんだか人間の普遍的なラリパッパ状態を表現する暗号的な感覚」と定義し「ポップでありながら繊細ではなく、間抜けでありながら冗談ではなく、人を馬鹿にしつつも自らがそれ以上の馬鹿となり、ときにはぜーんぜん面白くなかったりもしながら、しかし着実に生き延びていった」と評している<ref name="GARO199703"/><ref name="takarajima198902"/>。 |
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1995年2月には、ラウンジのみならず、[[アポロ計画]]の頃に作られた宇宙もの{{Refnest|group="注"|S.A.B.P.M.=[[スペースエイジ・バチェラー・パッド・ミュージック]]。エレクトロニクス技術を駆使し、宇宙の魅惑的でモダンな魅力をエキゾチックに表現した音楽。[[中流階級]]のアメリカ人がモダンなライフスタイルを標榜した1960年代に流行し、主に独身貴族の最新[[Hi-Fi]]ステレオ・セットで流れていた。その後、ほとんど顧みられることはなかったが、1990年代のモンド/ラウンジの流れで再評価された。}}やマイナーな[[コマーシャルソング|CMソング]]など、従来は軽視されてきた[[イージーリスニング|ムード音楽]]に新たな解釈や面白さを与え、娯楽的かつ学術的に体系化した書籍『'''モンド・ミュージック'''』([[リブロポート]]発行/Gazette4=[[小柳帝]]、[[鈴木惣一朗]]、[[小林深雪]]、[[茂木隆行]]の共著)が刊行されたことで、この用語は音楽業界にそれなりに定着した<ref name="osato200">[[大里俊晴]]「"世界"の奇妙さについて――モンド・ミュージックを読む」[[青土社]]『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』1997年8月号「特集=エキゾティシズム」pp.200-211</ref><ref name="shibuya173"/>。また個性的すぎて日の目を見ずに埋もれていったディープな[[昭和歌謡]]を80年代から紹介している'''[[幻の名盤解放同盟]]'''がブームに与えた影響も大きい。迷盤・奇盤の数々を再録した、特殊音楽の[[コンピレーション・アルバム]]『[[幻の名盤解放歌集]]』([[Pヴァイン]])シリーズには5000枚以上を売った作品も存在し、廃盤レコードの編集盤としては「破格のヒット」とされる<ref name="asahi 19931104">「だれも知らない“名作”の復刻盤に人気」『[[朝日新聞]]』1993年11月4日付東京夕刊、17面。</ref>。90年代半ばには[[幻の名盤解放同盟]]の紹介で、[[大韓民国|韓国]]では下世話とみなされている[[ポンチャック]]および[[李博士]]が日本に上陸し、一時的なブームを呼んだ。元[[ボアダムス]]の[[山本精一]]はモンド音楽について「一言で言ったら変態」「趣味のよい悪趣味」「あくまで無意識」「狙ってないことがポイント」「本人は自分がモンドだなんて決して思ってない」と定義している<ref name="SPA!19950920"/>。 |
1995年2月には、ラウンジのみならず、[[アポロ計画]]の頃に作られた宇宙もの{{Refnest|group="注"|S.A.B.P.M.=[[スペースエイジ・バチェラー・パッド・ミュージック]]。エレクトロニクス技術を駆使し、宇宙の魅惑的でモダンな魅力をエキゾチックに表現した音楽。[[中流階級]]のアメリカ人がモダンなライフスタイルを標榜した1960年代に流行し、主に独身貴族の最新[[Hi-Fi]]ステレオ・セットで流れていた。その後、ほとんど顧みられることはなかったが、1990年代のモンド/ラウンジの流れで再評価された。}}やマイナーな[[コマーシャルソング|CMソング]]など、従来は軽視されてきた[[イージーリスニング|ムード音楽]]に新たな解釈や面白さを与え、娯楽的かつ学術的に体系化した書籍『'''モンド・ミュージック'''』([[リブロポート]]発行/Gazette4=[[小柳帝]]、[[鈴木惣一朗]]、[[小林深雪]]、[[茂木隆行]]の共著)が刊行されたことで、この用語は音楽業界にそれなりに定着した<ref name="osato200">[[大里俊晴]]「"世界"の奇妙さについて――モンド・ミュージックを読む」[[青土社]]『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』1997年8月号「特集=エキゾティシズム」pp.200-211</ref><ref name="shibuya173"/>。また個性的すぎて日の目を見ずに埋もれていったディープな[[昭和歌謡]]を80年代から紹介している'''[[幻の名盤解放同盟]]'''がブームに与えた影響も大きい。迷盤・奇盤の数々を再録した、特殊音楽の[[コンピレーション・アルバム]]『[[幻の名盤解放歌集]]』([[Pヴァイン]])シリーズには5000枚以上を売った作品も存在し、廃盤レコードの編集盤としては「破格のヒット」とされる<ref name="asahi 19931104">「だれも知らない“名作”の復刻盤に人気」『[[朝日新聞]]』1993年11月4日付東京夕刊、17面。</ref>。90年代半ばには[[幻の名盤解放同盟]]の紹介で、[[大韓民国|韓国]]では下世話とみなされている[[ポンチャック]]および[[李博士]]が日本に上陸し、一時的なブームを呼んだ。元[[ボアダムス]]の[[山本精一]]はモンド音楽について「一言で言ったら変態」「趣味のよい悪趣味」「あくまで無意識」「狙ってないことがポイント」「本人は自分がモンドだなんて決して思ってない」と定義している<ref name="SPA!19950920"/>。 |
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1995年には、メジャー[[週刊誌]]『[[SPA!]]』9月20日号で「''' |
1995年には、メジャー[[週刊誌]]『[[SPA!]]』9月20日号で「'''【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体'''」特集が組まれ、モンド・グッズが悪趣味な文脈で過去・現在を問わず横断的に紹介された。また、この頃からMONDOなアート、映画、漫画を紹介するガイドブックも多数刊行され、MONDOは20世紀サブカルを総括するキーワードとして欠かせない存在となった<ref>Gazette4『モンド・ミュージック』[[リブロポート]]、1995年2月、61頁。</ref>。この時期の代表的なMONDOガイド本としては次のようなものがある。 |
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* オカルト猟奇殺人から[[ブラックメタル]]、モンドアート、[[SPK (バンド)|SPK]]などの[[ノイズミュージック]]まで暗黒文化を解説した、メルツバウの[[秋田昌美]]著『スカム・カルチャー』(1994年/[[水声社]]) |
* オカルト猟奇殺人から[[ブラックメタル]]、モンドアート、[[SPK (バンド)|SPK]]などの[[ノイズミュージック]]まで暗黒文化を解説した、メルツバウの[[秋田昌美]]著『スカム・カルチャー』(1994年/[[水声社]]) |
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'''妄想にタブーなし!'''|[[東京公司]]「はじめに」『[[危ない1号]]』第1巻 [[データハウス]]、1995年、2-3頁。}} |
'''妄想にタブーなし!'''|[[東京公司]]「はじめに」『[[危ない1号]]』第1巻 [[データハウス]]、1995年、2-3頁。}} |
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{{Quotation|まず『[[危ない1号]]』の中で使った[[鬼畜]]という意味なんだけど、これは世界で初めてカルト集団を作った[[ハサン・サッバーフ|ハッサン・イ・サバー]]と言う人物がいて、この人は、ドラッグとセックスで信者に天国を見せておいて、もう一度天国を見せてやるからお前らの命をくれみたいなこと<ref>暗殺者を意味する「[[アサシン]]」は、暗殺教団が「[[ハシシ]]」(大麻樹脂)の投与による[[神秘体験]]で部下を[[マインドコントロール]]し、暗殺者へと仕立てたという伝説に由来するといわれる。</ref> をしたんですが、その人の言葉に「'''この世に真実などない。だから、何をやっても許される'''」って言うのがあるんです。それって、ある程度正論なんですよ。たとえば後ろから殴るのは正義に反すると言うけど、誰だって、後ろから突然殴られたくない。だから、私も後ろから殴らないから、あんたも後ろから殴らないでねって言う弱気の正当化でしかない。そんな情けない正義や道徳なんかにこだわらず、もっとオープンマインドで生きようって言うことを読者に提示したかったんです。|[[コアマガジン]]『[[世紀末倶楽部]]』第2巻、1996年、198-201頁「 |
{{Quotation|まず『[[危ない1号]]』の中で使った[[鬼畜]]という意味なんだけど、これは世界で初めてカルト集団を作った[[ハサン・サッバーフ|ハッサン・イ・サバー]]と言う人物がいて、この人は、ドラッグとセックスで信者に天国を見せておいて、もう一度天国を見せてやるからお前らの命をくれみたいなこと<ref>暗殺者を意味する「[[アサシン]]」は、暗殺教団が「[[ハシシ]]」(大麻樹脂)の投与による[[神秘体験]]で部下を[[マインドコントロール]]し、暗殺者へと仕立てたという伝説に由来するといわれる。</ref> をしたんですが、その人の言葉に「'''この世に真実などない。だから、何をやっても許される'''」って言うのがあるんです。それって、ある程度正論なんですよ。たとえば後ろから殴るのは正義に反すると言うけど、誰だって、後ろから突然殴られたくない。だから、私も後ろから殴らないから、あんたも後ろから殴らないでねって言う弱気の正当化でしかない。そんな情けない正義や道徳なんかにこだわらず、もっとオープンマインドで生きようって言うことを読者に提示したかったんです。|[[コアマガジン]]『[[世紀末倶楽部]]』第2巻、1996年、198-201頁「ゲス、クズ、ダメ人間の現人神『危ない1号』編集長の青山正明氏に聞く!」(聞き手/[[斉田石也]])}} |
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だが(そうそう後ろから殴られることはないような)[[法治国家]]においてこのような発言をしても、法に守られた平和社会への単なる[[社会的手抜き|フリーライダー]](タダ乗り)的発言と見なすこともできるため、ある意味で退歩的・原始的な欲望を観念世界に持ち込む試みであったことが見て取れる。しかし、鬼畜系は雑誌や漫画などの言論世界だけにはとどまらず、最終的に当事者から[[青山正明|自殺者]]や[[村崎百郎|殺人被害者]]を出すなど現実世界でも大きな影響を及ぼした。青山の「すべての物語は等価」という試みについて[[ロマン優光]]は「'''失敗に終わった'''」として次のように総括している。{{Quotation|概念としては素晴らしいですよ。優劣をかってに決める社会に対して、優劣など存在しないということを言っているわけですから。この文章には感銘を受けた覚えはあります。 |
だが(そうそう後ろから殴られることはないような)[[法治国家]]においてこのような発言をしても、法に守られた平和社会への単なる[[社会的手抜き|フリーライダー]](タダ乗り)的発言と見なすこともできるため、ある意味で退歩的・原始的な欲望を観念世界に持ち込む試みであったことが見て取れる。しかし、鬼畜系は雑誌や漫画などの言論世界だけにはとどまらず、最終的に当事者から[[青山正明|自殺者]]や[[村崎百郎|殺人被害者]]を出すなど現実世界でも大きな影響を及ぼした。青山の「すべての物語は等価」という試みについて[[ロマン優光]]は「'''失敗に終わった'''」として次のように総括している。{{Quotation|概念としては素晴らしいですよ。優劣をかってに決める社会に対して、優劣など存在しないということを言っているわけですから。この文章には感銘を受けた覚えはあります。 |
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彼は無邪気でした。そして、内面には良識というものがしっかり存在していました。無邪気にその良識に逆らって反語的に遊ぶゲームに興じていただけなのだと思います。しかし、その無邪気さと良識ゆえに、世の中には良識が備わっていない人間が存在すること、そういう人間が自分の悪ふざけを本気にして真似しだしたらどうなるかということが想像できていなかったのです。それは悲劇でもあり、失敗でもあります。[[神戸連続児童殺傷事件|その結果起こった出来事]]は、繊細なインテリであった氏にとっては、大きなストレスになったでしょう。|[[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]]、2019年、38-39頁。}} |
彼は無邪気でした。そして、内面には良識というものがしっかり存在していました。無邪気にその良識に逆らって反語的に遊ぶゲームに興じていただけなのだと思います。しかし、その無邪気さと良識ゆえに、世の中には良識が備わっていない人間が存在すること、そういう人間が自分の悪ふざけを本気にして真似しだしたらどうなるかということが想像できていなかったのです。それは悲劇でもあり、失敗でもあります。[[神戸連続児童殺傷事件|その結果起こった出来事]]は、繊細なインテリであった氏にとっては、大きなストレスになったでしょう。|[[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]]、2019年、38-39頁。}} |
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また[[野間易通]]は『危ない1号』などで[[青山正明]]が提唱した「'''すべての物語は等価'''」という社会構造の非対称性を無視する試みについて、[[ポストモダン]]以降の「'''[[ジャン=フランソワ・リオタール|大きな物語]]([[戦後民主主義]]と[[高度経済成長]]に支えられた、社会全体で共有される統一的な価値観)の終焉'''」を可視化する目的があったと分析し、このような価値相対主義が“[[正義]]”をも相対化した結果、あらゆる[[道徳]]が価値を持たなくなり、それが現在の[[ヘイトスピーチ|ヘイト文化]]に継承されてしまった可能性を指摘している<ref name="noma224"/>。}}という言葉を引用して「'''妄想にタブーなし'''」を謳い文句に「'''鬼畜系'''」を標榜し、[[薬物乱用|ドラッグ]]・[[強姦]]・死体・[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[スカトロジー|スカトロ]]・[[電波系]]・[[障害者]]・[[痴呆]]・[[変態性欲|変態]]・[[奇形|畸形]]・[[獣姦]]・[[殺人]]・[[性風俗|風俗]]・[[読書]]・[[盗聴]]・[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]・[[カニバリズム]]・[[マニア|フリークス]]・[[身体改造]]・[[動物虐待]]・[[ゲテモノ]]・[[アンダーグラウンド (文化)#インターネット|アングラサイト]]・[[カルト映画]]・[[カルト漫画]]・[[ゴミ漁り]]・[[アナルセックス]]・[[新左翼]]の[[内ゲバ]]・[[V&Rプランニング]]・[[青山正明]]全仕事まで、ありとあらゆる悪趣味を徹頭徹尾にわたり特集した。鬼畜・変態・悪趣味が詰め込まれた同誌はシリーズ累計で25万部を超える大ヒットとなり、初代編集長の'''[[青山正明]]'''は鬼畜ブームの立役者とみなされた<ref name="yosinaga"/><ref>[[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号 [[青山正明]]×[[村崎百郎]]「 |
また[[野間易通]]は『危ない1号』などで[[青山正明]]が提唱した「'''すべての物語は等価'''」という社会構造の非対称性を無視する試みについて、[[ポストモダン]]以降の「'''[[ジャン=フランソワ・リオタール|大きな物語]]([[戦後民主主義]]と[[高度経済成長]]に支えられた、社会全体で共有される統一的な価値観)の終焉'''」を可視化する目的があったと分析し、このような価値相対主義が“[[正義]]”をも相対化した結果、あらゆる[[道徳]]が価値を持たなくなり、それが現在の[[ヘイトスピーチ|ヘイト文化]]に継承されてしまった可能性を指摘している<ref name="noma224"/>。}}という言葉を引用して「'''妄想にタブーなし'''」を謳い文句に「'''鬼畜系'''」を標榜し、[[薬物乱用|ドラッグ]]・[[強姦]]・死体・[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[スカトロジー|スカトロ]]・[[電波系]]・[[障害者]]・[[痴呆]]・[[変態性欲|変態]]・[[奇形|畸形]]・[[獣姦]]・[[殺人]]・[[性風俗|風俗]]・[[読書]]・[[盗聴]]・[[テクノ (ダンスミュージック)|テクノ]]・[[カニバリズム]]・[[マニア|フリークス]]・[[身体改造]]・[[動物虐待]]・[[ゲテモノ]]・[[アンダーグラウンド (文化)#インターネット|アングラサイト]]・[[カルト映画]]・[[カルト漫画]]・[[ゴミ漁り]]・[[アナルセックス]]・[[新左翼]]の[[内ゲバ]]・[[V&Rプランニング]]・[[青山正明]]全仕事まで、ありとあらゆる悪趣味を徹頭徹尾にわたり特集した。鬼畜・変態・悪趣味が詰め込まれた同誌はシリーズ累計で25万部を超える大ヒットとなり、初代編集長の'''[[青山正明]]'''は鬼畜ブームの立役者とみなされた<ref name="yosinaga"/><ref>[[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号 [[青山正明]]×[[村崎百郎]]「鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方」</ref>。 |
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[[ロマン優光]]は『[[危ない1号]]』とそれ以前の悪趣味の違いについて次のように述べている。 |
[[ロマン優光]]は『[[危ない1号]]』とそれ以前の悪趣味の違いについて次のように述べている。 |
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[[ファイル:Hyakurō_Murasaki.jpg|thumb|right|280px|[[データハウス]]創業者が運営している「[[まぼろし博覧会]]」内の常設展示「[[まぼろし博覧会#村崎百郎館|村崎百郎館]]」に設置されている[[村崎百郎]]の等身大人形<ref name="メンズサイゾー20140608">{{Cite news|language=ja|author=佐藤勇馬|date=2014-6-8|title=伝説の鬼畜ライター『村崎百郎』の記念館が完成! 妻・森園みるくが語る“鬼畜”の素顔|newspaper=[[メンズサイゾー]]|publisher=[[サイゾー]]|page=|url=http://www.menscyzo.com:80/2014/06/post_7796.html |accessdate=2021-8-2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140613112031/http://www.menscyzo.com:80/2014/06/post_7796.html |archivedate=2014年6月13日}}</ref>]] |
[[ファイル:Hyakurō_Murasaki.jpg|thumb|right|280px|[[データハウス]]創業者が運営している「[[まぼろし博覧会]]」内の常設展示「[[まぼろし博覧会#村崎百郎館|村崎百郎館]]」に設置されている[[村崎百郎]]の等身大人形<ref name="メンズサイゾー20140608">{{Cite news|language=ja|author=佐藤勇馬|date=2014-6-8|title=伝説の鬼畜ライター『村崎百郎』の記念館が完成! 妻・森園みるくが語る“鬼畜”の素顔|newspaper=[[メンズサイゾー]]|publisher=[[サイゾー]]|page=|url=http://www.menscyzo.com:80/2014/06/post_7796.html |accessdate=2021-8-2|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140613112031/http://www.menscyzo.com:80/2014/06/post_7796.html |archivedate=2014年6月13日}}</ref>]] |
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[[File:電波系.jpg|thumb|280px|支離滅裂な主義主張を喧伝する[[電波系|電波ビラ]]の典型。かつて[[東京メトロ銀座線]]で湊昌子(港雅子)という女性が「'''トリコじかけの明け暮れ'''」と書かれた電波ビラを配布しており、これに触発された[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]は雑誌『[[宝島30]]』に連載したコラム『[[人生解毒波止場]]』や著書『夜間中学―トリコじかけの世の中を生き抜くためのニュー・テキスト』などを通じてこの言葉を広めた。また根本のフォロワーである[[電気グルーヴ]]の[[石野卓球]]も[[1995年]]にリリースした[[シングル]]『[[虹 (電気グルーヴの曲)|虹]]』で「'''トリコじかけにする'''」という[[フレーズ]]を用いている。]] |
[[File:電波系.jpg|thumb|280px|支離滅裂な主義主張を喧伝する[[電波系|電波ビラ]]の典型。かつて[[東京メトロ銀座線]]で湊昌子(港雅子)という女性が「'''トリコじかけの明け暮れ'''」と書かれた電波ビラを配布しており、これに触発された[[ガロ系|特殊漫画家]]の[[根本敬]]は雑誌『[[宝島30]]』に連載したコラム『[[人生解毒波止場]]』や著書『夜間中学―トリコじかけの世の中を生き抜くためのニュー・テキスト』などを通じてこの言葉を広めた。また根本のフォロワーである[[電気グルーヴ]]の[[石野卓球]]も[[1995年]]にリリースした[[シングル]]『[[虹 (電気グルーヴの曲)|虹]]』で「'''トリコじかけにする'''」という[[フレーズ]]を用いている。]] |
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『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』([[青林堂]])1993年10月号の[[幻の名盤解放同盟]]の[[フィールドワーク]]特集「[[根本敬]]や[[幻の名盤解放同盟]]/夜、因果者の夜」で |
『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』([[青林堂]])1993年10月号の[[幻の名盤解放同盟]]の[[フィールドワーク]]特集「[[根本敬]]や[[幻の名盤解放同盟]]/夜、因果者の夜」でメディアに初登場した'''[[村崎百郎]]'''は、[[1995年]]からは「'''すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす'''」ために「'''鬼畜系'''」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動をはじめると宣言<ref>[[村崎百郎]]『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』[[データハウス]] [[1996年]] 著者略歴</ref>。同年4月刊行の『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ臨時増刊号/悪趣味大全]]』において'''[[#サブカルチャーに於ける鬼畜系|鬼畜系]]・[[電波系]][[著作家|ライター]]'''として本格的にデビュー後、[[青山正明]]の依頼で鬼畜本ブームの先駆けとなった『[[危ない1号]]』の編集・執筆に参加する。 |
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翌[[1996年]][[1月10日]]には[[新宿ロフトプラスワン]]で[[村崎百郎]]主催の『[[危ない1号]]』関係者総決起集会『'''[[危ない1号|鬼畜ナイト]]'''』が開催、[[大麻取締法]]違反で保釈されたばかりの[[青山正明]]が一日店長を務めた。その他にも[[根本敬]]、[[佐川一政]]<ref name="sagawa">[[佐川一政]]は世界有数の[[カニバリズム|カニバリスト]]。[[エッセイ漫画]]『[[まんがサガワさん]]』([[オークラ出版]])は本人による[[パリ人肉事件]]の[[コミカライズ]](猟奇犯罪実録漫画)である。「アノ佐川一政の漫画デビューである。彼に描かせようという発想からしてタダゴトではないが、この漫画というのがまた破格のアウトサイダー・コミックなのだ。読者は飄々としたタッチで描かれるアノ事件を佐川一政のフィルターを通して追体験することになる。そこには反省も悔恨も見えない。露悪的なまでに作者は自らを晒して行く。白人女性へのフェティシスティックな妄念と、現実に遂行された食人と屍姦のありさまを…。万人向けではないし、グロテスクなキワモノと受け取る人の方が多いだろう。だが、人間の魂の深淵という禁断の領域に踏み込みたいという物好きには格好の一冊である」佐川一政『まんがサガワさん』(00年・オークラ出版)書評「殺人者の妄想にまみれた『リアル』な手触り」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2001年3月号、コアマガジン、291頁。</ref>、[[柳下毅一郎]]、[[夏原武]]、[[釣崎清隆]]、[[宇川直宏]]、[[石丸元章]]、[[クーロン黒沢]]、[[木村重樹]]、[[吉永嘉明]]ら30人以上の[[鬼畜系#関連ライター|鬼畜系]][[文化人]]が登壇し、[[キャッチコピー]]のとおり「誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション」を繰り広げた。イベントの模様は同年8月に『[[危ない1号|鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ〜な夜]]』(鬼畜ナイト実行委員会+[[青山正明#東京公司結成|東京公司]])として[[データハウス]]から書籍化され、7万部を売り上げた<ref name="ojisaneyes 20080806">[http://www.loft-prj.co.jp/OJISAN/ojisaneyes/0806/ ロフトプラスワン・今は亡き伝説の一日店長たち/第1回 青山正明(編集者・『危ない1号』編集長)]</ref>。 |
翌[[1996年]][[1月10日]]には[[新宿ロフトプラスワン]]で[[村崎百郎]]主催の『[[危ない1号]]』関係者総決起集会『'''[[危ない1号|鬼畜ナイト]]'''』が開催、[[大麻取締法]]違反で保釈されたばかりの[[青山正明]]が一日店長を務めた。その他にも[[根本敬]]、[[佐川一政]]<ref name="sagawa">[[佐川一政]]は世界有数の[[カニバリズム|カニバリスト]]。[[エッセイ漫画]]『[[まんがサガワさん]]』([[オークラ出版]])は本人による[[パリ人肉事件]]の[[コミカライズ]](猟奇犯罪実録漫画)である。「アノ佐川一政の漫画デビューである。彼に描かせようという発想からしてタダゴトではないが、この漫画というのがまた破格のアウトサイダー・コミックなのだ。読者は飄々としたタッチで描かれるアノ事件を佐川一政のフィルターを通して追体験することになる。そこには反省も悔恨も見えない。露悪的なまでに作者は自らを晒して行く。白人女性へのフェティシスティックな妄念と、現実に遂行された食人と屍姦のありさまを…。万人向けではないし、グロテスクなキワモノと受け取る人の方が多いだろう。だが、人間の魂の深淵という禁断の領域に踏み込みたいという物好きには格好の一冊である」佐川一政『まんがサガワさん』(00年・オークラ出版)書評「殺人者の妄想にまみれた『リアル』な手触り」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2001年3月号、コアマガジン、291頁。</ref>、[[柳下毅一郎]]、[[夏原武]]、[[釣崎清隆]]、[[宇川直宏]]、[[石丸元章]]、[[クーロン黒沢]]、[[木村重樹]]、[[吉永嘉明]]ら30人以上の[[鬼畜系#関連ライター|鬼畜系]][[文化人]]が登壇し、[[キャッチコピー]]のとおり「誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション」を繰り広げた。イベントの模様は同年8月に『[[危ない1号|鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ〜な夜]]』(鬼畜ナイト実行委員会+[[青山正明#東京公司結成|東京公司]])として[[データハウス]]から書籍化され、7万部を売り上げた<ref name="ojisaneyes 20080806">[http://www.loft-prj.co.jp/OJISAN/ojisaneyes/0806/ ロフトプラスワン・今は亡き伝説の一日店長たち/第1回 青山正明(編集者・『危ない1号』編集長)]</ref>。 |
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鬼畜・悪趣味ブームの背景および歴史変遷は後述のとおりである。 |
鬼畜・悪趣味ブームの背景および歴史変遷は後述のとおりである。 |
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* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]は鬼畜ブームについて「95年に創刊した『[[危ない1号]]』([[データハウス]])を中心に流行した、死体や[[奇形|畸形]]写真を見て楽しんだり、[[薬物乱用|ドラッグ]]を嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『[[完全自殺マニュアル]]』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『[http://bucchinews.com/subcul/6408.html 死体ブーム]』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『[[#鬼畜・悪趣味ブーム|悪趣味ブーム]]』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『[[鬼畜]]』だった。『[[危ない1号]]』の編集長、[[青山正明]]氏の出所記念イベント『[[危ない1号|鬼畜ナイト]]』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している<ref name="barubora" />。 |
* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]は鬼畜ブームについて「95年に創刊した『[[危ない1号]]』([[データハウス]])を中心に流行した、死体や[[奇形|畸形]]写真を見て楽しんだり、[[薬物乱用|ドラッグ]]を嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『[[完全自殺マニュアル]]』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『[http://bucchinews.com/subcul/6408.html 死体ブーム]』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『[[#鬼畜・悪趣味ブーム|悪趣味ブーム]]』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『[[鬼畜]]』だった。『[[危ない1号]]』の編集長、[[青山正明]]氏の出所記念イベント『[[危ない1号|鬼畜ナイト]]』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している<ref name="barubora" />。 |
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* 『[[映画秘宝]]』創刊者の[[町山智浩]]は90年代の鬼畜系について「80年代のオシャレやモテや[[電通]]文化に対する怒りがあった」「オシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化{{Refnest|group="注"|[[町山智浩]]が言うところのクソ文化とは、オシャレやモテばかりを追求する[[リア充]]志向のトレンディ文化を指している([[中華圏|中国語圏]]で見られるナンセンスな[[パロディ]]文化については「[[KUSO文化]]」を参照のこと)。これは大手資本側([[電通]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[セゾングループ]]・[[ホイチョイ・プロダクションズ]])が仕掛けた[[資本主義]]的な[[社会現象]]で、[[バブル時代]]に流行した[[拝金主義]]や[[軽チャー路線]]、[[恋愛]][[資本主義]]的価値観が軸となっている。これらトレンディ文化は、表面上きらびやかでありながら、どこか軽薄で偽善的な空気感をまとっていたのが特徴的だった。町山によればトレンディ文化に対するカウンターが鬼畜系であり、[[村崎百郎]]の「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」というスローガンもこれに由来しているという。}}へのカウンターだった」という見解を示し<ref>[https://web.archive.org/web/20210720125638/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20210720125908/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417350723633750018 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref>、[[根本敬]]と[[村崎百郎]]が「すかしきった日本の文化を下品のどん底に突き堕としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど、当時の日本文化は健全で明るい「抑圧的なオシャレ」や「[[偽善]]の[[ファシズム]]」に支配されていたという<ref name="TomoMachi">[https://web.archive.org/web/20210720125443/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417353012184457216 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref><ref>「93年、『[[宝島30]]』に連載を始める時、根本さんはこんなことを言った。『今の日本は気取った、綺麗な物ばっかりになっちゃったでしょ』80年代のバブル経済は日本からダーティなものを一掃していた。みんなオシャレで明るくなった。『でも、それってかえって毒が溜まるんだよね』根本さんは言った。『それを解毒するような連載にしたい。毒をもって毒を制するみたいな』こうして連載タイトルは『[[人生解毒波止場]]』になった」[https://tomomachi.hatenadiary.org/entries/2010/12/04 『人生解毒波止場』文庫版解説(町山智浩)]</ref>。これに関して『[[SPA!]]』編集部も「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」と当時の鬼畜ブーム特集で指摘している<ref name="SPA!19961211">[[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号特集「 |
* 『[[映画秘宝]]』創刊者の[[町山智浩]]は90年代の鬼畜系について「80年代のオシャレやモテや[[電通]]文化に対する怒りがあった」「オシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化{{Refnest|group="注"|[[町山智浩]]が言うところのクソ文化とは、オシャレやモテばかりを追求する[[リア充]]志向のトレンディ文化を指している([[中華圏|中国語圏]]で見られるナンセンスな[[パロディ]]文化については「[[KUSO文化]]」を参照のこと)。これは大手資本側([[電通]]・[[フジテレビジョン|フジテレビ]]・[[セゾングループ]]・[[ホイチョイ・プロダクションズ]])が仕掛けた[[資本主義]]的な[[社会現象]]で、[[バブル時代]]に流行した[[拝金主義]]や[[軽チャー路線]]、[[恋愛]][[資本主義]]的価値観が軸となっている。これらトレンディ文化は、表面上きらびやかでありながら、どこか軽薄で偽善的な空気感をまとっていたのが特徴的だった。町山によればトレンディ文化に対するカウンターが鬼畜系であり、[[村崎百郎]]の「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」というスローガンもこれに由来しているという。}}へのカウンターだった」という見解を示し<ref>[https://web.archive.org/web/20210720125638/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417347576521629706 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref><ref>[https://web.archive.org/web/20210720125908/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417350723633750018 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref>、[[根本敬]]と[[村崎百郎]]が「すかしきった日本の文化を下品のどん底に突き堕としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど、当時の日本文化は健全で明るい「抑圧的なオシャレ」や「[[偽善]]の[[ファシズム]]」に支配されていたという<ref name="TomoMachi">[https://web.archive.org/web/20210720125443/https://twitter.com/TomoMachi/status/1417353012184457216 町山智浩のツイート] 2021年7月20日</ref><ref>「93年、『[[宝島30]]』に連載を始める時、根本さんはこんなことを言った。『今の日本は気取った、綺麗な物ばっかりになっちゃったでしょ』80年代のバブル経済は日本からダーティなものを一掃していた。みんなオシャレで明るくなった。『でも、それってかえって毒が溜まるんだよね』根本さんは言った。『それを解毒するような連載にしたい。毒をもって毒を制するみたいな』こうして連載タイトルは『[[人生解毒波止場]]』になった」[https://tomomachi.hatenadiary.org/entries/2010/12/04 『人生解毒波止場』文庫版解説(町山智浩)]</ref>。これに関して『[[SPA!]]』編集部も「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」と当時の鬼畜ブーム特集で指摘している<ref name="SPA!19961211">[[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号特集「鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?」</ref>。 |
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* ブームに耽溺していた[[雨宮処凛]]は、鬼畜系が生き辛さを抱えた弱者やマイノリティへの救済になっていたとして次のように自己分析した。 |
* ブームに耽溺していた[[雨宮処凛]]は、鬼畜系が生き辛さを抱えた弱者やマイノリティへの救済になっていたとして次のように自己分析した。 |
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{{Quotation|鬼畜系にハマる私たちは「幸せそうな」人々を勝手に敵視していて、世を呪う言葉を存分に交わすことができた。そうやって発散することで、自分という犯罪者予備軍を犯罪者にせず社会に軟着陸させているような感覚は確実にあった。当時、なぜあれほど鬼畜系カルチャーにハマっていたのかと言えば、「表」の健全できれいな社会には、自分の居場所なんてないと感じていたからだった。/あの時期、ある意味で私は鬼畜系カルチャーに命を救われていた<ref>{{cite web|author=[[雨宮処凛]]|date=2021-08-18|url=https://maga9.jp/210818-1/|title=雨宮処凛がゆく! 第566回:「幸せそうな女性」を狙った卑劣な事件。の巻(雨宮処凛)|publisher=[[マガジン9]]|accessdate=2021-08-20}}</ref>。}} |
{{Quotation|鬼畜系にハマる私たちは「幸せそうな」人々を勝手に敵視していて、世を呪う言葉を存分に交わすことができた。そうやって発散することで、自分という犯罪者予備軍を犯罪者にせず社会に軟着陸させているような感覚は確実にあった。当時、なぜあれほど鬼畜系カルチャーにハマっていたのかと言えば、「表」の健全できれいな社会には、自分の居場所なんてないと感じていたからだった。/あの時期、ある意味で私は鬼畜系カルチャーに命を救われていた<ref>{{cite web|author=[[雨宮処凛]]|date=2021-08-18|url=https://maga9.jp/210818-1/|title=雨宮処凛がゆく! 第566回:「幸せそうな女性」を狙った卑劣な事件。の巻(雨宮処凛)|publisher=[[マガジン9]]|accessdate=2021-08-20}}</ref>。}} |
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==== 青山正明の自殺(2001年) ==== |
==== 青山正明の自殺(2001年) ==== |
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[[2001年]][[6月17日]]、[[青山正明]]は[[神奈川県]][[横須賀市]]の自宅で[[縊死|首を吊って自殺]]した<ref> |
[[2001年]][[6月17日]]、[[青山正明]]は[[神奈川県]][[横須賀市]]の自宅で[[縊死|首を吊って自殺]]した<ref>イメージの治癒力──「諦観」と「リズム」でハイな毎日を [[青山正明]]. BURST 2000年9月号</ref>。 |
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ともに[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]を牽引した[[村崎百郎]]は青山の訃報に際して次の文章を雑誌に寄稿している。{{Quotation|“[[サブカルチャー]]”や“[[カウンターカルチャー]]”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、'''“鬼畜系”'''という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」編集部の質問に対し、単行本『[[村崎百郎#鬼畜ブーム到来|鬼畜のススメ]]』著者であり、[[青山正明]]氏とともに雑誌『[[危ない1号]]』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・[[村崎百郎]]の答はこうだった。 |
ともに[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]を牽引した[[村崎百郎]]は青山の訃報に際して次の文章を雑誌に寄稿している。{{Quotation|“[[サブカルチャー]]”や“[[カウンターカルチャー]]”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、'''“鬼畜系”'''という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」編集部の質問に対し、単行本『[[村崎百郎#鬼畜ブーム到来|鬼畜のススメ]]』著者であり、[[青山正明]]氏とともに雑誌『[[危ない1号]]』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・[[村崎百郎]]の答はこうだった。 |
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俺の提示した'''“鬼畜”の定義'''とは「'''被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル'''」なのだが、途中からいつのまにか'''“鬼畜系”'''には死体写真や[[奇形|フリークス]][[マニア]]や[[スカトロジー|スカトロ]][[ヘンタイ|変態]]などの'''“悪趣味”'''のテイストが加わり、'''そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブーム'''に成長したようだが、「'''誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる'''」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、'''“鬼畜”'''のイメージや意味なんかどうなってもいい。 |
俺の提示した'''“鬼畜”の定義'''とは「'''被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル'''」なのだが、途中からいつのまにか'''“鬼畜系”'''には死体写真や[[奇形|フリークス]][[マニア]]や[[スカトロジー|スカトロ]][[ヘンタイ|変態]]などの'''“悪趣味”'''のテイストが加わり、'''そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブーム'''に成長したようだが、「'''誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる'''」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、'''“鬼畜”'''のイメージや意味なんかどうなってもいい。 |
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(中略)ドラッグいらずの[[電波系]]体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『[[青山正明#東京公司結成|危ない薬]]』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、[[薬物乱用|非合法なクスリ遊び]]をする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、'''この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。'''|[[村崎百郎]]「''' |
(中略)ドラッグいらずの[[電波系]]体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『[[青山正明#東京公司結成|危ない薬]]』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、[[薬物乱用|非合法なクスリ遊び]]をする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、'''この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。'''|[[村崎百郎]]「'''非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み'''」[[太田出版]]『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁}} |
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{{Quotation|当時、ペヨトル工房をやめて、フラフラしてたとこに青山正明から「新雑誌をやるんで」と声をかけられて、彼らが「ごきげん&ハッピー系」を念頭に置いて作っていたさわやかな麻薬雑誌に、ゲスで下品で暗黒文化を無理矢理ねじこんで、気づくと、読むとイヤな気持ちになる雑誌にしてた(笑)。しまいにゃ「鬼畜系」ってキャッチ・コピーまでつけて出させたのが『危ない1号』。 |
{{Quotation|当時、ペヨトル工房をやめて、フラフラしてたとこに青山正明から「新雑誌をやるんで」と声をかけられて、彼らが「ごきげん&ハッピー系」を念頭に置いて作っていたさわやかな麻薬雑誌に、ゲスで下品で暗黒文化を無理矢理ねじこんで、気づくと、読むとイヤな気持ちになる雑誌にしてた(笑)。しまいにゃ「鬼畜系」ってキャッチ・コピーまでつけて出させたのが『危ない1号』。 |
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あの頃は記名じゃない記事も書きまくってて、2号目なんて鬼畜記事の3分の1くらいはオレが書いてた。あと、酒鬼薔薇事件というのもあったけど、酒鬼薔薇は『危ない1号』の創刊号を読んでるんだよ。オレの犬肉喰いの記事も読んでるね。酒鬼薔薇が出した年賀状のイラストっていうのが、『危ない1号』の裏表紙に使われたLSDの紙パケのイラストの模写だったから。 |
あの頃は記名じゃない記事も書きまくってて、2号目なんて鬼畜記事の3分の1くらいはオレが書いてた。あと、酒鬼薔薇事件というのもあったけど、酒鬼薔薇は『危ない1号』の創刊号を読んでるんだよ。オレの犬肉喰いの記事も読んでるね。酒鬼薔薇が出した年賀状のイラストっていうのが、『危ない1号』の裏表紙に使われたLSDの紙パケのイラストの模写だったから。 |
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賛否両論あったけど『危ない1号』は一応受けて、雑誌も売れて抗議も殺到。おかげで「鬼畜系編集者」の烙印を押された青山が鬱になって、この件も彼の自殺を早めた大きな要因だって、青山の周辺からはずいぶん恨まれました。謝って許されることじゃないから謝らないけどね。今でも悪かったとは思ってるよ。青山の名誉のためにも言っとくけど、青山は鬼畜とは対極にある本当に優しくて親切な良い人でした。彼の雑誌を「鬼畜系」にねじまげてしまったのは全てオレのせいです。他の連中に罪はありません。|村崎百郎インタビュー「''' |
賛否両論あったけど『危ない1号』は一応受けて、雑誌も売れて抗議も殺到。おかげで「鬼畜系編集者」の烙印を押された青山が鬱になって、この件も彼の自殺を早めた大きな要因だって、青山の周辺からはずいぶん恨まれました。謝って許されることじゃないから謝らないけどね。今でも悪かったとは思ってるよ。青山の名誉のためにも言っとくけど、青山は鬼畜とは対極にある本当に優しくて親切な良い人でした。彼の雑誌を「鬼畜系」にねじまげてしまったのは全てオレのせいです。他の連中に罪はありません。|村崎百郎インタビュー「'''今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ'''」『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」[[INFASパブリケーションズ]]、70-71頁所載。}} |
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青山の没後、[[村崎百郎]]が明かしたのは、実際に『[[危ない1号]]』に関わった人間で本当に「[[鬼畜]]」な人間は、村崎本人以外に誰もいなかったという事実である<ref name="aoyama18" />。これについて[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]は「実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、つまり[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]は実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した」と解説している<ref name="aoyama18" />。 |
青山の没後、[[村崎百郎]]が明かしたのは、実際に『[[危ない1号]]』に関わった人間で本当に「[[鬼畜]]」な人間は、村崎本人以外に誰もいなかったという事実である<ref name="aoyama18" />。これについて[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]は「実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、つまり[[#鬼畜・悪趣味ブーム|鬼畜ブーム]]は実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した」と解説している<ref name="aoyama18" />。 |
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* 10月7日 - 映画『[[鬼畜 (松本清張)|鬼畜]]』([[松本清張]]原作/[[松竹]])公開。 |
* 10月7日 - 映画『[[鬼畜 (松本清張)|鬼畜]]』([[松本清張]]原作/[[松竹]])公開。 |
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* [[米澤嘉博|米沢嘉博]]や[[川本耕次]]が仕掛けた[[三流劇画ブーム]]が頂点を迎える。 |
* [[米澤嘉博|米沢嘉博]]や[[川本耕次]]が仕掛けた[[三流劇画ブーム]]が頂点を迎える。 |
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* [[エロ劇画誌|三流劇画誌]]『[[漫画エロジェニカ]]』([[海潮社]])11月号が[[警視庁]]の摘発を受け[[発禁]]となる<ref>[[高取英]]「 |
* [[エロ劇画誌|三流劇画誌]]『[[漫画エロジェニカ]]』([[海潮社]])11月号が[[警視庁]]の摘発を受け[[発禁]]となる<ref>[[高取英]]「三馬鹿劇画ブーム」([[同人誌]]『発禁20周年本 真・堕天使たちの狂宴』所載)</ref>。エロマンガ誌が[[わいせつ物頒布等の罪|わいせつ物頒布]]で摘発されたのは史上初。 |
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; 1979年 |
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; 1982年 |
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* 『'''[[ビリー (雑誌)|Billy]]'''』([[白夜書房]])が2月号から[[変態性欲|変態]]路線に誌面刷新し、スーパー変態マガジンとなる。 |
* 『'''[[ビリー (雑誌)|Billy]]'''』([[白夜書房]])が2月号から[[変態性欲|変態]]路線に誌面刷新し、スーパー変態マガジンとなる。 |
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* 『'''[[ヘイ!バディー|Hey!Buddy]]'''』(白夜書房)が5月号から[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]路線に誌面刷新。[[青山正明]]は「 |
* 『'''[[ヘイ!バディー|Hey!Buddy]]'''』(白夜書房)が5月号から[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]路線に誌面刷新。[[青山正明]]は「六年四組学級新聞」改め「Flesh Paper」(肉新聞)を10月号から連載開始。同誌廃刊後、この連載は他誌に移籍して[[1996年]]まで続き、青山のライフワーク的連載となる。 |
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* 8月 - 日本初の[[ロリータビデオ]]『あゆみ11歳 小さな誘惑』発売。ヒロインに懸想する青年のツトム役として青山正明が出演する。青山によると3万円という高額なビデオにもかかわらず4000本が即完売したという<ref>[[青山正明]]「 |
* 8月 - 日本初の[[ロリータビデオ]]『あゆみ11歳 小さな誘惑』発売。ヒロインに懸想する青年のツトム役として青山正明が出演する。青山によると3万円という高額なビデオにもかかわらず4000本が即完売したという<ref>[[青山正明]]「ロリータをめぐる冒険」[[宝島社]]『[[宝島30]]』1994年9月号, 167頁。</ref>。 |
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* 9月1日 - ニューウェーブ自販機本『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』3代目編集長の[[山崎春美]]が「'''[[自殺未遂ギグ]]'''」決行。体中を出刃包丁で切りつけ[[救急車]]で運ばれる。[[ドクターストップ]]役は医大生の[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]](後に[[精神科医]])が務めた。 |
* 9月1日 - ニューウェーブ自販機本『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』3代目編集長の[[山崎春美]]が「'''[[自殺未遂ギグ]]'''」決行。体中を出刃包丁で切りつけ[[救急車]]で運ばれる。[[ドクターストップ]]役は医大生の[[香山リカ (精神科医)|香山リカ]](後に[[精神科医]])が務めた。 |
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*この年、[[幻の名盤解放同盟]]が[[自販機本]]『[[コレクター (自販機本)|コレクター]]』([[群雄社]])誌上で[[クロスレビュー]]を開始。その後も自販機本『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』([[アリス出版]])で引き続き連載を持つ。 |
*この年、[[幻の名盤解放同盟]]が[[自販機本]]『[[コレクター (自販機本)|コレクター]]』([[群雄社]])誌上で[[クロスレビュー]]を開始。その後も自販機本『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』([[アリス出版]])で引き続き連載を持つ。 |
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* [[山野一]]の長編漫画『[[どぶさらい劇場]]』が『[[コミックスコラ]]』([[スコラ]])4月6日号から連載開始(1994年4月5日号まで)。 |
* [[山野一]]の長編漫画『[[どぶさらい劇場]]』が『[[コミックスコラ]]』([[スコラ]])4月6日号から連載開始(1994年4月5日号まで)。 |
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* 6月8日 - [[別冊宝島]]特別編集『[[宝島30]]』創刊(1996年6月号まで)。[[根本敬]]の連載『[[人生解毒波止場]]』を[[町山智浩]]が担当する<ref name="gedoku"/>。 |
* 6月8日 - [[別冊宝島]]特別編集『[[宝島30]]』創刊(1996年6月号まで)。[[根本敬]]の連載『[[人生解毒波止場]]』を[[町山智浩]]が担当する<ref name="gedoku"/>。 |
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* 『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』([[青林堂]])1993年8月号に掲載された[[幻の名盤解放同盟]]の[[フィールドワーク]]特集「 |
* 『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』([[青林堂]])1993年8月号に掲載された[[幻の名盤解放同盟]]の[[フィールドワーク]]特集「夜、因果者の夜/根本敬や幻の名盤解放同盟」内の[[根本敬]]によるインタビューで'''[[村崎百郎|鬼畜系]]・[[電波系]]を自称する[[村崎百郎]]がメディアに初登場'''<ref>のちに村崎百郎が編集した幻の名盤解放同盟の単行本『夜、因果者の夜』(1997年11月・ペヨトル工房)に再録。</ref>。このインタビューでは村崎の生い立ちから製粉工場でのバイト経験、趣味のゴミ漁り、特有の電波系体質などが語られており、この時点で村崎百郎のキャラクターが殆ど確立していたことがわかる。 |
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* [[根本敬]]や[[幻の名盤解放同盟]]周辺の奇妙な人物・物件の[[フィールドワーク]]が収録された『'''因果鉄道の旅'''』([[KKベストセラーズ]])刊行。90年代サブカルの聖典的存在となる。[[ロマン優光]]は本書の存在について「'''本来は文献紹介的だった悪趣味系に生身の人間を題材にするという流れを生んだ'''」と位置づけた<ref name="sukarenai 178"/>。 |
* [[根本敬]]や[[幻の名盤解放同盟]]周辺の奇妙な人物・物件の[[フィールドワーク]]が収録された『'''因果鉄道の旅'''』([[KKベストセラーズ]])刊行。90年代サブカルの聖典的存在となる。[[ロマン優光]]は本書の存在について「'''本来は文献紹介的だった悪趣味系に生身の人間を題材にするという流れを生んだ'''」と位置づけた<ref name="sukarenai 178"/>。 |
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* [[幻の名盤解放同盟]]による[[モンド・ミュージック|モンド歌謡曲]]の紹介本『ディープ歌謡』([[ペヨトル工房]])刊行。 |
* [[幻の名盤解放同盟]]による[[モンド・ミュージック|モンド歌謡曲]]の紹介本『ディープ歌謡』([[ペヨトル工房]])刊行。 |
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* 7月 - 猟奇漫画家の[[氏賀Y太]]が[[エログロ]][[同人誌]]『毒どく』発表。テーマは[[蟲責め]]。[[花輪和一]]や[[蛭子能収]]など[[ガロ系]]のバット・テイストとは異なる文脈で鬼畜系コミックの地平を開拓する。 |
* 7月 - 猟奇漫画家の[[氏賀Y太]]が[[エログロ]][[同人誌]]『毒どく』発表。テーマは[[蟲責め]]。[[花輪和一]]や[[蛭子能収]]など[[ガロ系]]のバット・テイストとは異なる文脈で鬼畜系コミックの地平を開拓する。 |
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* 8月1日 - [[赤田祐一]]が私財600万円を投じて『'''[[Quick Japan]]'''』創刊準備号を[[飛鳥新社]]から刊行。 |
* 8月1日 - [[赤田祐一]]が私財600万円を投じて『'''[[Quick Japan]]'''』創刊準備号を[[飛鳥新社]]から刊行。 |
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* 『ガロ』9月号で「 |
* 『ガロ』9月号で「三流エロ雑誌の黄金時代」特集。性欲処理を意図しない「[[ガロ系|特殊漫画]]」を積極的に掲載していたエロ本編集者が当時の総括を行う<ref>同号では『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の[[高杉弾]]/『[[写真時代]]』の[[末井昭]]/『[[アリス出版#代表的な出版物|EVE]]』の原野国夫/『[[漫画大快楽]]』の小谷哲/『[[漫画ピラニア]]』の菅野邦明/『[[劇画アリス]]』&「[[迷宮 (同人サークル)|迷宮]]」の[[米澤嘉博|米沢嘉博]]/『[[漫画エロジェニカ]]』の[[高取英]]/『[[S&Mスナイパー]]』の緒方大啓などの編集者が参加・寄稿している。</ref>。『[[S&Mスナイパー]]』の編集長は、これらエロ本との出会いを次のように回想した。{{Quotation|真夜中のコンビニエンスストアーで立ち読みをした『大快楽』や『ピラニア』(それにしても凄い名前!)に掲載されていた、[[平口広美]]さんや、[[蛭子能収]]さん、[[根本敬]]さんの作品は、特に鮮烈に憶えている。暴力的で残酷なセックスを執拗に繰り返す平口さんの『白熱』や、チョン切られた女の首から、一すじにひかれた墨の色が、真っ白な空間に映えて、鮮血よりも生々しく赤かった蛭子さんの作品。そして、妊婦の腹をかっさばいた強盗が、取り出した胎児を別の女の腹を割いて中に入れ、御丁寧にも縫合までするという、空恐ろしい根本敬さんの作品に出会った時には、ただもう呆然として、コンビニエンスストアーのブックスタンドの前に立ち尽くしてしまったのを憶えている。(中略)ズリネタにならないエロ劇画は何なのだ、と思いながらも、何かエロ劇画誌はとんでもないことになっているのかも知れないと興奮したものだ。(中略)そうした作品には圧倒的なまでの個性があった。エロなんてなんぼのもんじゃいという、声が聞こえた。叫び、犯し、ヤリまくる者も、笑いながら女を殺し屍姦する者も、田舎者も労働者も、都市生活者も、ともかく日常から逸脱せずにはいられない超個性的な性の世界を生きていた。'''彼達はきっと肉体を越えたセックスを目指していたのだと思う。あるいは、セックスの向こうにある欲望に突き動かされていたのだと思う。'''|緒方大啓「すぐれたエロ劇画はすぐれたひとりSMに似ている」[[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」79頁。}}また同号では[[小林よしのり]]の『[[ゴーマニズム宣言]]』が特別篇として収録されている([[皇室]]を取り上げたことにより『[[SPA!]]』で掲載拒否された)。 |
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* 12月 - [[山野一]]『[[混沌大陸パンゲア]]』([[青林堂]])刊行。[[貧乏]]、[[鬼畜]]、[[電波系|電波]]、[[不条理]]、[[薬物乱用|薬物]]、[[宗教]]、[[障害者]]、[[神]]などをテーマにした異色作品を多数収録。 |
* 12月 - [[山野一]]『[[混沌大陸パンゲア]]』([[青林堂]])刊行。[[貧乏]]、[[鬼畜]]、[[電波系|電波]]、[[不条理]]、[[薬物乱用|薬物]]、[[宗教]]、[[障害者]]、[[神]]などをテーマにした異色作品を多数収録。 |
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*この年、身体障害者を男優に起用した[[安達かおる]]監督の[[アダルトビデオ]]『ハンディキャップをぶっとばせ!』([[V&Rプランニング]])が[[日本ビデオ倫理協会|ビデ倫]]から「[[障害者]]を見世物にするのは差別的」として審査拒否され[[発禁]]となる。後に安達は「何らかの原因で体がシンメトリーじゃない人がAVに出ちゃいけないって、僕はどう考えても納得いかない」と吐露している<ref>{{Cite web|url=https://tocana.jp/2017/03/post_12622_entry.html|title=【閲覧注意・インタビュー】ウンコ、SM、奇形・障害者AV…鬼のドキュメンタリスト・安達かおるのリアル|work=安達かおる|publisher=[[サイゾー|TOCANA]]|date=2017-03-23|accessdate=2019-07-10}}</ref>。 |
*この年、身体障害者を男優に起用した[[安達かおる]]監督の[[アダルトビデオ]]『ハンディキャップをぶっとばせ!』([[V&Rプランニング]])が[[日本ビデオ倫理協会|ビデ倫]]から「[[障害者]]を見世物にするのは差別的」として審査拒否され[[発禁]]となる。後に安達は「何らかの原因で体がシンメトリーじゃない人がAVに出ちゃいけないって、僕はどう考えても納得いかない」と吐露している<ref>{{Cite web|url=https://tocana.jp/2017/03/post_12622_entry.html|title=【閲覧注意・インタビュー】ウンコ、SM、奇形・障害者AV…鬼のドキュメンタリスト・安達かおるのリアル|work=安達かおる|publisher=[[サイゾー|TOCANA]]|date=2017-03-23|accessdate=2019-07-10}}</ref>。 |
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* 9月 - [[秋田昌美]]『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』([[青弓社]])刊行。[[大正]]末期から[[昭和]]初期にかけての日本を席巻した「[[エロ・グロ・ナンセンス]]」の時代を彩った一連の変態雑誌群と[[梅原北明]]、[[伊藤晴雨]]、[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]、[[中村古峡]]、[[酒井潔]]など元祖鬼畜系文化人の仕事を再検証した性メディア史。 |
* 9月 - [[秋田昌美]]『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』([[青弓社]])刊行。[[大正]]末期から[[昭和]]初期にかけての日本を席巻した「[[エロ・グロ・ナンセンス]]」の時代を彩った一連の変態雑誌群と[[梅原北明]]、[[伊藤晴雨]]、[[斎藤昌三 (古書研究家)|斎藤昌三]]、[[中村古峡]]、[[酒井潔]]など元祖鬼畜系文化人の仕事を再検証した性メディア史。 |
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* 10月 - [[幻の名盤解放同盟]]『定本ディープ・コリア―韓国旅行記』([[青林堂]])刊行。 |
* 10月 - [[幻の名盤解放同盟]]『定本ディープ・コリア―韓国旅行記』([[青林堂]])刊行。 |
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* 『[[週刊SPA!]]』10月5日号で「''' |
* 『[[週刊SPA!]]』10月5日号で「'''猟奇モノ死体写真ブームの謎'''」特集 |
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* 11月 - カルトビデオショップ「'''[[高円寺バロック]]'''」開店。死体、[[奇形|フリークス]]、[[殺人鬼]]グッズ、[[カルト漫画]]、鬼畜系雑誌、[[人体改造]]もの、フェチ系AV、[[立島夕子]]の[[アウトサイダー・アート]]など鬼畜系にカテゴライズされるアングラ商品を専門に取り扱っていた。2011年に店舗を縮小して新宿に移転後、2013年頃に閉店。 |
* 11月 - カルトビデオショップ「'''[[高円寺バロック]]'''」開店。死体、[[奇形|フリークス]]、[[殺人鬼]]グッズ、[[カルト漫画]]、鬼畜系雑誌、[[人体改造]]もの、フェチ系AV、[[立島夕子]]の[[アウトサイダー・アート]]など鬼畜系にカテゴライズされるアングラ商品を専門に取り扱っていた。2011年に店舗を縮小して新宿に移転後、2013年頃に閉店。 |
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* 11月13日 - [[松本人志]]原作の[[テレビアニメ]]『'''[[きょうふのキョーちゃん]]'''』が[[バラエティ番組]]『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])内で放送開始(〜95年3月5日まで) |
* 11月13日 - [[松本人志]]原作の[[テレビアニメ]]『'''[[きょうふのキョーちゃん]]'''』が[[バラエティ番組]]『[[ダウンタウンのごっつええ感じ]]』([[フジテレビジョン|フジテレビ]])内で放送開始(〜95年3月5日まで) |
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* 9月 - 不良系サブカルチャー中心の[[カウンターカルチャー]]誌『'''[[BURST]]'''』([[白夜書房]]→[[コアマガジン]])が隔月誌として創刊。当初は[[バイク]]と[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]の不良雑誌で、のちに[[タトゥー]]や[[ピアス]]などの[[身体改造]]=モダン・プリミティブ路線と[[大麻|マリファナ]]路線がヒットする(いずれも『[[TATTOO BURST]]』『[[BURST HIGH]]』として独立雑誌化)。他にも死体や殺人など悪趣味系の記事が同居していた。初代編集長は[[ピスケン]]こと曽根賢。 |
* 9月 - 不良系サブカルチャー中心の[[カウンターカルチャー]]誌『'''[[BURST]]'''』([[白夜書房]]→[[コアマガジン]])が隔月誌として創刊。当初は[[バイク]]と[[パンク (サブカルチャー)|パンク]]の不良雑誌で、のちに[[タトゥー]]や[[ピアス]]などの[[身体改造]]=モダン・プリミティブ路線と[[大麻|マリファナ]]路線がヒットする(いずれも『[[TATTOO BURST]]』『[[BURST HIGH]]』として独立雑誌化)。他にも死体や殺人など悪趣味系の記事が同居していた。初代編集長は[[ピスケン]]こと曽根賢。 |
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* 9月 - 『[[人体の不思議展]]』が開催され、死体を[[プラスティネーション]](樹脂コーティング)したコレクションが展示される。最初の開催地は日本が選ばれ、主催者は死体解剖保存法違反の疑いで起訴された<ref>[https://healthnet.jp/paper/2011%E5%B9%B4/%E7%AC%AC2776%E5%8F%B7%E3%80%802011%E5%B9%B4%EF%BC%92%E6%9C%8820%E6%97%A5/%E4%B8%BB%E5%BC%B5%EF%BC%8F%E3%80%8C%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%B1%95%E3%80%8D%E4%B8%BB%E5%82%AC%E8%80%85%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84/ 主張/「人体展」主催者だけの問題でない] - 京都府保険医協会『京都保険医新聞』第2776号(2011年2月20日)</ref>。 |
* 9月 - 『[[人体の不思議展]]』が開催され、死体を[[プラスティネーション]](樹脂コーティング)したコレクションが展示される。最初の開催地は日本が選ばれ、主催者は死体解剖保存法違反の疑いで起訴された<ref>[https://healthnet.jp/paper/2011%E5%B9%B4/%E7%AC%AC2776%E5%8F%B7%E3%80%802011%E5%B9%B4%EF%BC%92%E6%9C%8820%E6%97%A5/%E4%B8%BB%E5%BC%B5%EF%BC%8F%E3%80%8C%E4%BA%BA%E4%BD%93%E5%B1%95%E3%80%8D%E4%B8%BB%E5%82%AC%E8%80%85%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AE%E5%95%8F%E9%A1%8C%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84/ 主張/「人体展」主催者だけの問題でない] - 京都府保険医協会『京都保険医新聞』第2776号(2011年2月20日)</ref>。 |
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* 『[[週刊SPA!]]』9月20日号で「''' |
* 『[[週刊SPA!]]』9月20日号で「'''【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体'''」特集 |
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* 10月4日 - [[テレビアニメ]]『'''[[新世紀エヴァンゲリオン]]'''』放送開始(〜96年3月27日まで) |
* 10月4日 - [[テレビアニメ]]『'''[[新世紀エヴァンゲリオン]]'''』放送開始(〜96年3月27日まで) |
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* 10月 - [[作田明]]監修の殺人百科『'''[[週刊マーダー・ケースブック]]'''』([[省心書房]]→[[デアゴスティーニ・ジャパン]]に吸収合併)創刊。第1弾は「チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件」特集(Vol.1・2の合併号)。次いで第2巻には[[佐川一政]]も登場。[[1997年]]8月1日まで'''全96巻'''を刊行する。 |
* 10月 - [[作田明]]監修の殺人百科『'''[[週刊マーダー・ケースブック]]'''』([[省心書房]]→[[デアゴスティーニ・ジャパン]]に吸収合併)創刊。第1弾は「チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件」特集(Vol.1・2の合併号)。次いで第2巻には[[佐川一政]]も登場。[[1997年]]8月1日まで'''全96巻'''を刊行する。 |
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* 10月 - [[椹木野衣]]+[[木村重樹]]編『'''ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教'''』(太田出版)刊行。椹木野衣・[[飴屋法水]]・[[福居ショウジン]]との鼎談を始め、[[大澤真幸]]、[[福田和也]]、[[岡田斗司夫]]、[[村上隆]]、[[根本敬]]、[[宇川直宏]]、[[中原昌也]]、[[清水アリカ]]らが参加した。また[[村崎百郎]]は[[オウム真理教事件]]の反省を踏まえ、導師(グル)への脱依存を啓発する論考「 |
* 10月 - [[椹木野衣]]+[[木村重樹]]編『'''ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教'''』(太田出版)刊行。椹木野衣・[[飴屋法水]]・[[福居ショウジン]]との鼎談を始め、[[大澤真幸]]、[[福田和也]]、[[岡田斗司夫]]、[[村上隆]]、[[根本敬]]、[[宇川直宏]]、[[中原昌也]]、[[清水アリカ]]らが参加した。また[[村崎百郎]]は[[オウム真理教事件]]の反省を踏まえ、導師(グル)への脱依存を啓発する論考「 導師(グル)なき時代の覚醒論」を本名の[[黒田一郎]]名義で寄稿している。村崎はこの論考を次のように締め括った。{{Quotation|悟りや覚醒に至る道は無数にあり、我々はどんな道を選んでも自由なんだ。観念の中に閉じこもるな。現実としっかり向かい合え。覚醒も堕落も、創造も破壊も、あらゆる可能性は常に我々の内にあり、いずれを選ぶかは、常に我々自身の意志に委ねられている。'''その権利と自由を決して手放すな'''。}} |
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* 『[[週刊SPA!]]』11月1日号で「'''[[電波系]]な人々大研究―巫女の神がかりから[[ウィリアム・S・バロウズ|ウィリアム・バロウズ]]、犬と会話できる異能者まで'''」特集。[[根本敬]]と[[村崎百郎]]の対談「電波系の正体を解き明かす電波対談ここに開催!」掲載(のちに大幅な加筆修正と語り下ろし談話を加えて単行本『[[電波系]]』に「オレたちを通り過ぎていった電波たち」と改題して収録)。 |
* 『[[週刊SPA!]]』11月1日号で「'''[[電波系]]な人々大研究―巫女の神がかりから[[ウィリアム・S・バロウズ|ウィリアム・バロウズ]]、犬と会話できる異能者まで'''」特集。[[根本敬]]と[[村崎百郎]]の対談「電波系の正体を解き明かす電波対談ここに開催!」掲載(のちに大幅な加筆修正と語り下ろし談話を加えて単行本『[[電波系]]』に「オレたちを通り過ぎていった電波たち」と改題して収録)。 |
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* 11月 - [[竹熊健太郎]]『'''私とハルマゲドン―おたく宗教としてのオウム真理教'''』([[太田出版]])刊行。[[1960年代|60年代]]生まれの元祖オタク世代として漫画やアニメなどの戦後[[サブカルチャー]]の洗礼を受け、高度資本主義社会の恩恵に浴しながら、いまひとつ世間との折り合いがつかない著者自身の体験を踏まえつつ、[[おたく|おたく文化]]の土壌から世紀末最大のカルト教団「[[オウム真理教]]」が生まれたと論じる極私的おたく文化論。2000年7月には[[筑摩書房]]から改訂文庫版が刊行された。 |
* 11月 - [[竹熊健太郎]]『'''私とハルマゲドン―おたく宗教としてのオウム真理教'''』([[太田出版]])刊行。[[1960年代|60年代]]生まれの元祖オタク世代として漫画やアニメなどの戦後[[サブカルチャー]]の洗礼を受け、高度資本主義社会の恩恵に浴しながら、いまひとつ世間との折り合いがつかない著者自身の体験を踏まえつつ、[[おたく|おたく文化]]の土壌から世紀末最大のカルト教団「[[オウム真理教]]」が生まれたと論じる極私的おたく文化論。2000年7月には[[筑摩書房]]から改訂文庫版が刊行された。 |
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* 11月30日 - B級のエロネタ中心の悪趣味雑誌『BAD TASTE』([[東京三世社|フロム出版]])創刊。[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『[[戦後エロマンガ史]]』の初出(→[[青林工藝舎]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』に移籍)。 |
* 11月30日 - B級のエロネタ中心の悪趣味雑誌『BAD TASTE』([[東京三世社|フロム出版]])創刊。[[米澤嘉博|米沢嘉博]]『[[戦後エロマンガ史]]』の初出(→[[青林工藝舎]]『[[アックス (雑誌)|アックス]]』に移籍)。 |
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* 12月 - 『[[Quick Japan]]』([[太田出版]])11号で[[山崎春美]]特集「山崎春美という伝説─“[[自殺未遂ギグ]]”の本音」掲載。 |
* 12月 - 『[[Quick Japan]]』([[太田出版]])11号で[[山崎春美]]特集「山崎春美という伝説─“[[自殺未遂ギグ]]”の本音」掲載。 |
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* 『[[週刊SPA!]]』12月11日号で「''' |
* 『[[週刊SPA!]]』12月11日号で「'''鬼畜たちの倫理観─死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?'''」特集 |
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**[[ロリータ・コンプレックス|ロリータ]][[官能小説|官能小説家]]の[[斉田石也]]、[[V&Rプランニング]]代表の[[安達かおる]]、雑誌『[[ブブカ (雑誌)|BUBKA]]』創刊編集長の寺島知裕、[[九鬼 (アダルトビデオ)|KUKI]]の鬼畜レーベル“餓鬼”の山本雅弘、特殊漫画家の[[根本敬]]らにコメントを求め、鬼畜系ショップ「[[高円寺バロック]]」周辺の客に質問し、日本でベストセラーとなった『FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』著者の[[ロバート・K・レスラー]]、『痴呆系―すばらしき痴呆老人の世界』著者の[[直崎人士]]、[[タコシェ]]創設者で[[著作家|ライター]]の[[松沢呉一]]らが鬼畜ブームに一言呈した上で、ラストに[[青山正明]]と[[村崎百郎]]の対談「''' |
**[[ロリータ・コンプレックス|ロリータ]][[官能小説|官能小説家]]の[[斉田石也]]、[[V&Rプランニング]]代表の[[安達かおる]]、雑誌『[[ブブカ (雑誌)|BUBKA]]』創刊編集長の寺島知裕、[[九鬼 (アダルトビデオ)|KUKI]]の鬼畜レーベル“餓鬼”の山本雅弘、特殊漫画家の[[根本敬]]らにコメントを求め、鬼畜系ショップ「[[高円寺バロック]]」周辺の客に質問し、日本でベストセラーとなった『FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』著者の[[ロバート・K・レスラー]]、『痴呆系―すばらしき痴呆老人の世界』著者の[[直崎人士]]、[[タコシェ]]創設者で[[著作家|ライター]]の[[松沢呉一]]らが鬼畜ブームに一言呈した上で、ラストに[[青山正明]]と[[村崎百郎]]の対談「'''鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方'''」を掲載。 |
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**この特集で『SPA!』は青山に村崎のような鬼畜キャラを期待していたが、実際に登場した青山は温厚誠実なインテリの常識人だったことから、本来なら青山に割かれるはずだった誌面も大幅に縮小せざるを得なかったという。これに関して青山と交友があったデザイナーの[[こじままさき]]は「本当に常識的で穏やかないい人なんですよ。どちらかというと気弱で温厚で。完全に上から目線で、バカを鼻で笑ってる立ち位置の原稿が多いじゃないですか。でも実際に会った初対面の人には絶対それを匂わせない。愛されキャラなんですよ。なかなかいないですよね、そういう人」と語っている<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/_84_part3.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第84回 こじままさきインタビュー part3]</ref>。 |
**この特集で『SPA!』は青山に村崎のような鬼畜キャラを期待していたが、実際に登場した青山は温厚誠実なインテリの常識人だったことから、本来なら青山に割かれるはずだった誌面も大幅に縮小せざるを得なかったという。これに関して青山と交友があったデザイナーの[[こじままさき]]は「本当に常識的で穏やかないい人なんですよ。どちらかというと気弱で温厚で。完全に上から目線で、バカを鼻で笑ってる立ち位置の原稿が多いじゃないですか。でも実際に会った初対面の人には絶対それを匂わせない。愛されキャラなんですよ。なかなかいないですよね、そういう人」と語っている<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/_84_part3.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第84回 こじままさきインタビュー part3]</ref>。 |
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*マーケティング雑誌『流行観測アクロス』([[パルコ出版]])12月号に[[竹熊健太郎]]と[[岡田斗司夫]]の対談「 |
*マーケティング雑誌『流行観測アクロス』([[パルコ出版]])12月号に[[竹熊健太郎]]と[[岡田斗司夫]]の対談「“鬼畜”に走るサブカル雑誌に未来はあるか?」掲載。 |
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* [[旭川女子中学生集団暴行事件]]が起こる。 |
* [[旭川女子中学生集団暴行事件]]が起こる。 |
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* [[Rotten.com]]が開設。後の[[Ogrish.com]]と並んで2000年代を代表する精神的ブラクラサイトになった。 |
* [[Rotten.com]]が開設。後の[[Ogrish.com]]と並んで2000年代を代表する精神的ブラクラサイトになった。 |
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* 『週刊SPA!』5月28日号で「台頭する『いじめられっ子』カルチャーに注目せよ!」特集 |
* 『週刊SPA!』5月28日号で「台頭する『いじめられっ子』カルチャーに注目せよ!」特集 |
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* 6月 - 別冊宝島334『トンデモさんの大逆襲!―超科学者たちの栄光と飛躍』(宝島社)刊行。 |
* 6月 - 別冊宝島334『トンデモさんの大逆襲!―超科学者たちの栄光と飛躍』(宝島社)刊行。 |
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*雑誌『[[AERA]]』(朝日新聞出版)6月23日号に[[高橋淳子]]の記事「''' |
*雑誌『[[AERA]]』(朝日新聞出版)6月23日号に[[高橋淳子]]の記事「'''世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感'''」が掲載。鬼畜ブームを仕掛けた『[[危ない1号]]』側の見解として「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」([[青山正明]])「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、80年代以降、なくなった」([[柳下毅一郎]])とのコメントが掲載。 |
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* 7月7日 - [[青林堂]]の全社員が退職。結果として[[1964年]]の創刊以来一度も休刊することなく日本のマイナー文化を支え続けた伝説の漫画雑誌『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』が8月号で休刊に至る。その後、[[青林堂]]から分裂した[[青林工藝舎]]が事実上の後継誌『[[アックス (雑誌)|アックス]]』([[1998年]]2月〜)を創刊する。『ガロ』休刊の真相については[[白取千夏雄]]の自伝『「ガロ」に人生を捧げた男―全身編集者の告白』([[興陽館]]/[[おおかみ書房]])に詳しい。 |
* 7月7日 - [[青林堂]]の全社員が退職。結果として[[1964年]]の創刊以来一度も休刊することなく日本のマイナー文化を支え続けた伝説の漫画雑誌『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』が8月号で休刊に至る。その後、[[青林堂]]から分裂した[[青林工藝舎]]が事実上の後継誌『[[アックス (雑誌)|アックス]]』([[1998年]]2月〜)を創刊する。『ガロ』休刊の真相については[[白取千夏雄]]の自伝『「ガロ」に人生を捧げた男―全身編集者の告白』([[興陽館]]/[[おおかみ書房]])に詳しい。 |
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* 『[[週刊アスキー]]』7月28日号で「検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」特集。[[神戸連続児童殺傷事件|酒鬼薔薇事件]]と鬼畜系カルチャーの関係性の有無について問題提起した上で[[青山正明]]、[[木村重樹]]、[[柳下毅一郎]]、[[テリー伊藤]]、[[猪瀬直樹]]らが事件に言及する。 |
* 『[[週刊アスキー]]』7月28日号で「検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」特集。[[神戸連続児童殺傷事件|酒鬼薔薇事件]]と鬼畜系カルチャーの関係性の有無について問題提起した上で[[青山正明]]、[[木村重樹]]、[[柳下毅一郎]]、[[テリー伊藤]]、[[猪瀬直樹]]らが事件に言及する。 |
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* 9月20日 - [[青山正明]]の2冊目の単著である『[[危ない1号]]』第4巻「'''特集/青山正明全仕事'''」が刊行される。[[キャッチコピー]]は「[[児童買春|少女買春]]から[[常温核融合]]まで」。本号をもって『[[危ない1号]]』シリーズ終刊。 |
* 9月20日 - [[青山正明]]の2冊目の単著である『[[危ない1号]]』第4巻「'''特集/青山正明全仕事'''」が刊行される。[[キャッチコピー]]は「[[児童買春|少女買春]]から[[常温核融合]]まで」。本号をもって『[[危ない1号]]』シリーズ終刊。 |
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* 11月1日 - [[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ禁止法]]施行。 |
* 11月1日 - [[児童買春、児童ポルノに係る行為等の規制及び処罰並びに児童の保護等に関する法律|児童ポルノ禁止法]]施行。 |
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* 12月6日 - 『[[BURST]]』2000年1月号で「'''世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括―90年代式幽霊列車の葬送'''」特集。『[[世紀末倶楽部]]』『[[トラッシュメン]]』編集人の[[土屋静光]]によるコラム「 |
* 12月6日 - 『[[BURST]]』2000年1月号で「'''世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括―90年代式幽霊列車の葬送'''」特集。『[[世紀末倶楽部]]』『[[トラッシュメン]]』編集人の[[土屋静光]]によるコラム「悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌」が掲載。[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]による『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』『[[ORGANIZER]]』『[[TOO NEGATIVE]]』、[[比嘉健二]]による『[[GON!]]』『[[ティーンズロード]]』、のちの『[[映画秘宝]]』につながる『悪趣味洋画劇場』『悪趣味邦画劇場』などの紹介や『[[世紀末倶楽部]]』を編集する上で影響を受けたという海外ミニコミ『FUCK!』『BOILD ANGEL』の解説などを収録。 |
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*この年、[[アロマ企画]]が[[スナッフフィルム|疑似殺人]]を記録した[[穴留玉狂]]監督の[[アダルトビデオ]]『猟奇エロチカ 肉だるま』発売。発売直前に出演女優の[[大場加奈子]]が電車に飛び込み自殺<ref>{{Cite web|url=http://tocana.jp/2016/01/post_8605_entry.html|title=舌や足首を切断…! 主演女優が自殺した封印AV映像『肉だるま』の恐怖|work=天野ミチヒロ|publisher=[[サイゾー|TOCANA]]|date=2018-03-25|accessdate=2019-07-10}}</ref>。 |
*この年、[[アロマ企画]]が[[スナッフフィルム|疑似殺人]]を記録した[[穴留玉狂]]監督の[[アダルトビデオ]]『猟奇エロチカ 肉だるま』発売。発売直前に出演女優の[[大場加奈子]]が電車に飛び込み自殺<ref>{{Cite web|url=http://tocana.jp/2016/01/post_8605_entry.html|title=舌や足首を切断…! 主演女優が自殺した封印AV映像『肉だるま』の恐怖|work=天野ミチヒロ|publisher=[[サイゾー|TOCANA]]|date=2018-03-25|accessdate=2019-07-10}}</ref>。 |
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*登場人物のモデルが[[宮崎勤]]や[[麻原彰晃]]といった実在の凶悪[[犯罪者]]であるホラー映画『[[地獄 (1999年の映画)|地獄]]』が公開。 |
*登場人物のモデルが[[宮崎勤]]や[[麻原彰晃]]といった実在の凶悪[[犯罪者]]であるホラー映画『[[地獄 (1999年の映画)|地獄]]』が公開。 |
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* [[西鉄バスジャック事件]]が発生。犯人は2ちゃんねるの[[荒らし]]であった。当時の2ちゃんねる管理人の[[西村博之]](ひろゆき)は[[報道番組]]のインタビューで「'''うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい'''」と答えている<ref>{{cite news|url=https://toyokeizai.net/articles/-/393574?page=4|title=2ちゃん創設者が分析「炎上を起こす人」の生態―ネットには「金はないが時間はある」暇人が多い|newspaper=[[東洋経済オンライン]]|date=2020-12-23|accessdate=2021-10-05}}</ref>。 |
* [[西鉄バスジャック事件]]が発生。犯人は2ちゃんねるの[[荒らし]]であった。当時の2ちゃんねる管理人の[[西村博之]](ひろゆき)は[[報道番組]]のインタビューで「'''うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい'''」と答えている<ref>{{cite news|url=https://toyokeizai.net/articles/-/393574?page=4|title=2ちゃん創設者が分析「炎上を起こす人」の生態―ネットには「金はないが時間はある」暇人が多い|newspaper=[[東洋経済オンライン]]|date=2020-12-23|accessdate=2021-10-05}}</ref>。 |
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* 『[[危ない28号]]』第3巻「特集/危険物特集号」の記事を参考にして作られた爆弾による連続爆発事件が起こる<ref name="toukaimura"/>。結果、同誌は全国18都道府県で[[有害図書]]に指定された<ref name="KuRaRe"/>。同年『[[危ない28号]]』の廃刊が決定する(最終巻となった第5巻は1999年11月に刊行)。 |
* 『[[危ない28号]]』第3巻「特集/危険物特集号」の記事を参考にして作られた爆弾による連続爆発事件が起こる<ref name="toukaimura"/>。結果、同誌は全国18都道府県で[[有害図書]]に指定された<ref name="KuRaRe"/>。同年『[[危ない28号]]』の廃刊が決定する(最終巻となった第5巻は1999年11月に刊行)。 |
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* 『[[BURST]]』9月号に[[青山正明]]の遺稿「 |
* 『[[BURST]]』9月号に[[青山正明]]の遺稿「イメージの治癒力──『諦観』と『リズム』でハイな毎日を」と生前最後のインタビュー記事「[http://blog.livedoor.jp/yu_hirano/archives/1808002.html シャバはいいけどシャブはいけません──帰って来た? 天才編集者 青山正明]」掲載。 |
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* 12月 - [[佐川一政]]『'''まんがサガワさん'''』([[オークラ出版]])刊行<ref name="sagawa"/>。 |
* 12月 - [[佐川一政]]『'''まんがサガワさん'''』([[オークラ出版]])刊行<ref name="sagawa"/>。 |
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* 12月16日 - 映画『'''[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]]'''』公開。[[映画のレイティングシステム#R15+|R-15]]指定。 |
* 12月16日 - 映画『'''[[バトル・ロワイアル (映画)|バトル・ロワイアル]]'''』公開。[[映画のレイティングシステム#R15+|R-15]]指定。 |
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* 6月17日 - 『[[危ない薬]]』『[[危ない1号]]』の編著者・'''[[青山正明]]が自殺'''。40歳没。 |
* 6月17日 - 『[[危ない薬]]』『[[危ない1号]]』の編著者・'''[[青山正明]]が自殺'''。40歳没。 |
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* 『[[BURST]]』9月号で[[木村重樹]]・[[吉永嘉明]]・[[園田俊明]]の鼎談「青山正明追悼座談会」掲載。 |
* 『[[BURST]]』9月号で[[木村重樹]]・[[吉永嘉明]]・[[園田俊明]]の鼎談「青山正明追悼座談会」掲載。 |
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*雑誌『[[AERA]]』11月19日号に[[速水由紀子]]の記事「 |
*雑誌『[[AERA]]』11月19日号に[[速水由紀子]]の記事「新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺]」掲載。[[青山正明]]、[[ねこぢる]]、[[hide]]の[[自殺]]や『[[別冊宝島]] 死体の本』『[[完全自殺マニュアル]]』に触れつつ、[[新人類]]の行く末について案じる。 |
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* 12月 - [[村崎百郎]]が『アウトロー・ジャパン』([[太田出版]])創刊号に「''' |
* 12月 - [[村崎百郎]]が『アウトロー・ジャパン』([[太田出版]])創刊号に「'''非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み'''」を寄稿。 |
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; 2002年 |
; 2002年 |
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* 9月 - 90年代の鬼畜ブームの空気を詰め込んだ雑誌『SIDE FREAK』([[三才ブックス]])が創刊されるも、発売予定の第2号が刊行されず創廃刊。 |
* 9月 - 90年代の鬼畜ブームの空気を詰め込んだ雑誌『SIDE FREAK』([[三才ブックス]])が創刊されるも、発売予定の第2号が刊行されず創廃刊。 |
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* 10月12日頃 - 2ちゃんねるのスピンオフとして[[ダークウェブ]]圏最大の[[匿名掲示板]]「'''[[Onionちゃんねる]]'''」(通称・[[Tor]]板)開設。ありとあらゆるアングラネタが取り扱われ、エロいのとアングラ板では[[クラッキング]]・[[違法薬物]]・[[児童ポルノ]]などの危ない情報が平然と並べられていた<ref>「『onionちゃんねる』は2004年に『2ちゃんねる』の代替として開設された匿名掲示板で、ダークウェブにおける日本人コミュニティとしては最大規模のものであると言えるでしょう。その内のひとつ『エロいのとアングラ板』は、その名の通り、ありとあらゆるアングラネタとポルノに満ちていました。例えば、クラッキング、違法薬物、児童ポルノ、個人情報、某弁護士ネタ等々、これらが渾然一体となった坩堝のような状態が一時期のエロアン板でした。これら日本のダークウェブに慣れてしまうと、海外のいわゆる児童ポルノフォーラムなどを覗くと、いささかソフィスティケートされ過ぎていて、アングラで猥雑な空間を予想していた向きは少々拍子抜けするかもしれません」[[木澤佐登志]]「[https://note.com/taiyounomatecha/n/n095f62f4d9b1 ダークウェブについて私が知っている二、三の事柄]」[[note]] 2017年9月25日</ref>。 |
* 10月12日頃 - 2ちゃんねるのスピンオフとして[[ダークウェブ]]圏最大の[[匿名掲示板]]「'''[[Onionちゃんねる]]'''」(通称・[[Tor]]板)開設。ありとあらゆるアングラネタが取り扱われ、エロいのとアングラ板では[[クラッキング]]・[[違法薬物]]・[[児童ポルノ]]などの危ない情報が平然と並べられていた<ref>「『onionちゃんねる』は2004年に『2ちゃんねる』の代替として開設された匿名掲示板で、ダークウェブにおける日本人コミュニティとしては最大規模のものであると言えるでしょう。その内のひとつ『エロいのとアングラ板』は、その名の通り、ありとあらゆるアングラネタとポルノに満ちていました。例えば、クラッキング、違法薬物、児童ポルノ、個人情報、某弁護士ネタ等々、これらが渾然一体となった坩堝のような状態が一時期のエロアン板でした。これら日本のダークウェブに慣れてしまうと、海外のいわゆる児童ポルノフォーラムなどを覗くと、いささかソフィスティケートされ過ぎていて、アングラで猥雑な空間を予想していた向きは少々拍子抜けするかもしれません」[[木澤佐登志]]「[https://note.com/taiyounomatecha/n/n095f62f4d9b1 ダークウェブについて私が知っている二、三の事柄]」[[note]] 2017年9月25日</ref>。 |
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* 11月 - [[吉永嘉明]]『'''自殺されちゃった僕'''』([[飛鳥新社]])刊行。同僚の[[青山正明]]、友人の[[ねこぢる]]、最愛の妻の3人に相次いで先立たれた『[[危ない1号]]』副編集長が綴る慟哭の手記。プロデュースは[[赤田祐一]]。2008年10月に[[幻冬舎アウトロー文庫]]から再刊された(''' |
* 11月 - [[吉永嘉明]]『'''自殺されちゃった僕'''』([[飛鳥新社]])刊行。同僚の[[青山正明]]、友人の[[ねこぢる]]、最愛の妻の3人に相次いで先立たれた『[[危ない1号]]』副編集長が綴る慟哭の手記。プロデュースは[[赤田祐一]]。2008年10月に[[幻冬舎アウトロー文庫]]から再刊された('''解説'''は[[精神科医]]の[[春日武彦]])。 |
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*この年、[[アダルトビデオメーカー]]の[[バッキービジュアルプランニング]]が一連の[[強制性交等罪|強姦致傷]]事件(通称・'''[[バッキー事件]]''')を起こす。 |
*この年、[[アダルトビデオメーカー]]の[[バッキービジュアルプランニング]]が一連の[[強制性交等罪|強姦致傷]]事件(通称・'''[[バッキー事件]]''')を起こす。 |
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; 2006年 |
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* 3月 - [[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕たち』が『[[実話ナックルズ|実話GON!ナックルズ]]』で連載開始(2008年11月号まで全32回) |
* 3月 - [[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕たち』が『[[実話ナックルズ|実話GON!ナックルズ]]』で連載開始(2008年11月号まで全32回) |
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* 『[[STUDIO VOICE]]』12月号で「90年代カルチャー完全マニュアル」特集。[[村崎百郎]]インタビュー「''' |
* 『[[STUDIO VOICE]]』12月号で「90年代カルチャー完全マニュアル」特集。[[村崎百郎]]インタビュー「'''今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ'''」掲載。 |
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* [[クラブきっず事件]]発生。 |
* [[クラブきっず事件]]発生。 |
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* [[在日特権を許さない市民の会]]設立。2000年代後半から2010年代前半にかけて[[ヘイトスピーチ]]が激化する。 |
* [[在日特権を許さない市民の会]]設立。2000年代後半から2010年代前半にかけて[[ヘイトスピーチ]]が激化する。 |
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; 参考文献 |
; 参考文献 |
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* [[東京公司]]編『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」[[データハウス]]、1996年 |
* [[東京公司]]編『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」[[データハウス]]、1996年 |
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* [[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号特集「 |
* [[扶桑社]]『[[SPA!]]』1996年12月11日号特集「鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?」 |
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* [[メディアワークス]]編『[http://altculture.web.fc2.com/index.html オルタカルチャー 日本版]』1997年 |
* [[メディアワークス]]編『[http://altculture.web.fc2.com/index.html オルタカルチャー 日本版]』1997年 |
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* [[別冊宝島]]345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』[[宝島社]]、1997年 |
* [[別冊宝島]]345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』[[宝島社]]、1997年 |
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** [[青山正明]]×[[永山薫]]「 |
** [[青山正明]]×[[永山薫]]「自販機本からハッカー系まで──アンダーグラウンドでいこう!『JAM』『ヘヴン』『ビリー』『危ない1号』ほか」 |
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* 双葉社MOOK 好奇心ブック15『悶絶!!怪ブックフェア』[[双葉社]]、1998年 |
* 双葉社MOOK 好奇心ブック15『悶絶!!怪ブックフェア』[[双葉社]]、1998年 |
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* [[青土社]]『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』[[2005年]]8月臨時増刊号「総特集=オタクVSサブカル!」 |
* [[青土社]]『[[ユリイカ (雑誌)|ユリイカ]]』[[2005年]]8月臨時増刊号「総特集=オタクVSサブカル!」 |
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* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』[[翔泳社]]、2005年 |
* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』[[翔泳社]]、2005年 |
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* [[流行通信]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」 |
* [[流行通信]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」 |
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** [[村崎百郎]]「 |
** [[村崎百郎]]「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」 |
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* [[赤田祐一]]+ばるぼら『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』[[誠文堂新光社]]、2014年 |
* [[赤田祐一]]+ばるぼら『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』[[誠文堂新光社]]、2014年 |
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** ばるぼら「[https://archive.ph/7nRGu 出版界の出来事年表 1855-2014]」 |
** ばるぼら「[https://archive.ph/7nRGu 出版界の出来事年表 1855-2014]」 |
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* [[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]]〈コア新書〉2019年 |
* [[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]]〈コア新書〉2019年 |
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* [[宮沢章夫]]『[[ニッポン戦後サブカルチャー史]]』 |
* [[宮沢章夫]]『[[ニッポン戦後サブカルチャー史]]』 |
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* {{Cite web|url=http://kougasetumei.hatenablog.com/entry/2017/06/04/232259|title=鬼畜系サブカルチャーの終焉/正しい悪趣味の衰退|work=虫塚虫蔵|date=2017-06-04|accessdate=2018-09-12}} |
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* {{Cite web|url=http://www.bekkoame.ne.jp/~alteredim/asoh/060215.html|title=鬼畜系とエログロナンセンスの時代/鬼畜系は20世紀の世紀末現象だったということ|work=麻生結|date=2006-02-15|accessdate=2018-09-12}} |
* {{Cite web|url=http://www.bekkoame.ne.jp/~alteredim/asoh/060215.html|title=鬼畜系とエログロナンセンスの時代/鬼畜系は20世紀の世紀末現象だったということ|work=麻生結|date=2006-02-15|accessdate=2018-09-12}} |
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* [https://togetter.com/li/1322020 鬼畜系サブカルを総括する(1) 日本悪趣味文化史編] - [[Togetter]] 2019年2月23日 |
* [https://togetter.com/li/1322020 鬼畜系サブカルを総括する(1) 日本悪趣味文化史編] - [[Togetter]] 2019年2月23日 |
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* '''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]''' - 『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の後継誌として[[1980年]]4月に創刊。3代目編集長は[[山崎春美]]。[[1980年代]]を代表する伝説的な[[ニュー・ウェーブ|ニューウェーブ]]雑誌として知られる<ref>{{Cite web|url=http://www.pandora.nu/bluebox/doc_cult/cult0001.html|title=幻の自販機本『HEAVEN』にUGルーツを追え!|work=Cannabis C4|publisher=BLUEBOX|date=2001-11-18|accessdate=2017-06-17}}</ref>。[[キャッチコピー]]は「空中楼閣的天眼通」。 |
* '''[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]''' - 『[[Jam (自販機本)|Jam]]』の後継誌として[[1980年]]4月に創刊。3代目編集長は[[山崎春美]]。[[1980年代]]を代表する伝説的な[[ニュー・ウェーブ|ニューウェーブ]]雑誌として知られる<ref>{{Cite web|url=http://www.pandora.nu/bluebox/doc_cult/cult0001.html|title=幻の自販機本『HEAVEN』にUGルーツを追え!|work=Cannabis C4|publisher=BLUEBOX|date=2001-11-18|accessdate=2017-06-17}}</ref>。[[キャッチコピー]]は「空中楼閣的天眼通」。 |
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* '''[[突然変異 (ミニコミ)|突然変異]]''' - [[青山正明]]が[[慶應義塾大学]]在学中の[[1981年]]4月に創刊した[[変態性欲|変態]][[同人誌|ミニコミ誌]]。本誌は伝説的[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』の影響を大きく受けており<ref>[[青山正明]]は『別冊宝島345 雑誌狂時代!』(宝島社 1997年)掲載の[[永山薫]]との対談記事の中で「面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている。</ref>、小学校の[[盗撮]]や[[差別用語]]の[[クロスワードパズル]]などの鬼畜企画を始め、[[奇形]]・[[障害者]]から[[皇室]]揶揄まで幅広く[[タブー]]を扱った<ref>吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第3章「青山正明の思い出」の中「幻のキャンパス・マガジン」より。</ref>。当時の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]ブームに乗ってメディアからの取材が殺到。熱狂的な読者を獲得したものの『突然変異』に嫌悪感を抱いた[[椎名誠]]が[[朝日新聞]]紙上で批判文を発表。抗議や脅迫の電話が殺到し、わずか4号で休刊に追い込まれた。[[キャッチコピー]]は「脳細胞爆裂マガジン」「ペーパードラッグ」。 |
* '''[[突然変異 (ミニコミ)|突然変異]]''' - [[青山正明]]が[[慶應義塾大学]]在学中の[[1981年]]4月に創刊した[[変態性欲|変態]][[同人誌|ミニコミ誌]]。本誌は伝説的[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』の影響を大きく受けており<ref>[[青山正明]]は『別冊宝島345 雑誌狂時代!』(宝島社 1997年)掲載の[[永山薫]]との対談記事の中で「面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている。</ref>、小学校の[[盗撮]]や[[差別用語]]の[[クロスワードパズル]]などの鬼畜企画を始め、[[奇形]]・[[障害者]]から[[皇室]]揶揄まで幅広く[[タブー]]を扱った<ref>吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(幻冬舎アウトロー文庫)第3章「青山正明の思い出」の中「幻のキャンパス・マガジン」より。</ref>。当時の[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]ブームに乗ってメディアからの取材が殺到。熱狂的な読者を獲得したものの『突然変異』に嫌悪感を抱いた[[椎名誠]]が[[朝日新聞]]紙上で批判文を発表。抗議や脅迫の電話が殺到し、わずか4号で休刊に追い込まれた。[[キャッチコピー]]は「脳細胞爆裂マガジン」「ペーパードラッグ」。 |
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* '''[[ヘイ!バディー|Hey!Buddy]]''' - [[白夜書房]]が発行していた[[ポルノ雑誌]]。[[1980年]]7月創刊。[[1982年]]春から明確な[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]路線に移行してブームの過熱を煽り、最盛期には8万部を売り上げた。読者投稿の写真コーナーも充実しており、3年余りで7万2000枚もの写真が編集部に寄せられた<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回「ロリコンにおける青山正明(2)」]</ref>。しかしその内容には、少女を物陰に連れ込んで撮影した「いたずら写真」のコーナーなど明らかな犯罪行為も多く含まれていた<ref>[[青山正明]]×[[志水一夫]]×[[斉田石也]]「 |
* '''[[ヘイ!バディー|Hey!Buddy]]''' - [[白夜書房]]が発行していた[[ポルノ雑誌]]。[[1980年]]7月創刊。[[1982年]]春から明確な[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]路線に移行してブームの過熱を煽り、最盛期には8万部を売り上げた。読者投稿の写真コーナーも充実しており、3年余りで7万2000枚もの写真が編集部に寄せられた<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/29_2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第30回「ロリコンにおける青山正明(2)」]</ref>。しかしその内容には、少女を物陰に連れ込んで撮影した「いたずら写真」のコーナーなど明らかな犯罪行為も多く含まれていた<ref>[[青山正明]]×[[志水一夫]]×[[斉田石也]]「受験と女権とロリータ文化」『宝島30』1994年9月号(宝島社)138-145頁。</ref>。別冊の投稿写真集『[[ヘイ!バディー|少女アングル]]』が当局から[[警告]]を受け<ref>『宝島30』1994年9月号(宝島社)青山正明「ロリータをめぐる冒険」167頁。</ref>、同じく増刊『[[ヘイ!バディー|ロリコンランド]]』が[[発禁]]となり、『Hey!Buddy』本誌も[[1985年]]11月号をもって[[休刊|廃刊]]となった<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/post_908.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第11回]</ref>。 |
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* '''[[ビリー (雑誌)|Billy]]''' - [[白夜書房]]が発行していた[[ポルノ雑誌]]。[[1981年]]6月創刊。[[スカトロジー|スカトロ]]から死体・[[獣姦]]・[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[薬物乱用|ドラッグ]]・[[奇形|フリークス]]まで悪趣味の限りを尽くした伝説的な[[変態性欲|変態]]雑誌であり、[[エロ本]]とはいえ[[商業誌]]としては斬新な異端ネタが満載だった<ref>[http://blackbox.pandora.nu/TX1/BK11.HTM BLACK BOX:鬼畜 =ビリー=]</ref>。[[東京都青少年の健全な育成に関する条例|都条例]]のため[[1984年]]12月より『'''Billyボーイ'''』と新創刊したが全く内容が変わっておらず、条例違反により[[1985年]]8月号をもって再度廃刊となった<ref name="aoyama37" />。[[キャッチコピー]]は「'''スーパー変態マガジン'''」。 |
* '''[[ビリー (雑誌)|Billy]]''' - [[白夜書房]]が発行していた[[ポルノ雑誌]]。[[1981年]]6月創刊。[[スカトロジー|スカトロ]]から死体・[[獣姦]]・[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]・[[薬物乱用|ドラッグ]]・[[奇形|フリークス]]まで悪趣味の限りを尽くした伝説的な[[変態性欲|変態]]雑誌であり、[[エロ本]]とはいえ[[商業誌]]としては斬新な異端ネタが満載だった<ref>[http://blackbox.pandora.nu/TX1/BK11.HTM BLACK BOX:鬼畜 =ビリー=]</ref>。[[東京都青少年の健全な育成に関する条例|都条例]]のため[[1984年]]12月より『'''Billyボーイ'''』と新創刊したが全く内容が変わっておらず、条例違反により[[1985年]]8月号をもって再度廃刊となった<ref name="aoyama37" />。[[キャッチコピー]]は「'''スーパー変態マガジン'''」。 |
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* '''[[BD (ミニコミ)|BD]]''' - [[1993年]]1月創刊の[[同人誌|ミニコミ誌]]。『[[青山正明#『突然変異』創刊|突然変異]]』の影響を色濃く受けており、結果的に[[1990年代]]の悪趣味ブームを先取りした。編集長は[[デザイナー]]の[[こじままさき]]。[[吉田豪]]、[[早川いくを]]、[[枡野浩一]]、[[リリー・フランキー|リリーフランキー]]、[[根本敬]]らが寄稿し、全15号を発行(1・3・4号は欠番<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/_83_part2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第83回「こじままさきインタビュー」part2]</ref>)。 |
* '''[[BD (ミニコミ)|BD]]''' - [[1993年]]1月創刊の[[同人誌|ミニコミ誌]]。『[[青山正明#『突然変異』創刊|突然変異]]』の影響を色濃く受けており、結果的に[[1990年代]]の悪趣味ブームを先取りした。編集長は[[デザイナー]]の[[こじままさき]]。[[吉田豪]]、[[早川いくを]]、[[枡野浩一]]、[[リリー・フランキー|リリーフランキー]]、[[根本敬]]らが寄稿し、全15号を発行(1・3・4号は欠番<ref>[http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/_83_part2.html ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第83回「こじままさきインタビュー」part2]</ref>)。 |
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* '''[[宝島30]]''' - [[宝島社]]発行の月刊[[総合雑誌|オピニオン雑誌]]。初代編集長は[[町山智浩]]。[[1993年]]6月創刊。政治から[[サブカルチャー]]までテーマは広く、[[オウム真理教|オウム]]特集や『[[SPA!]]』決別時の[[小林よしのり]]インタビュー、[[根本敬]]の連載『人生解毒波止場』など攻めた内容が多い。[[爆笑問題]]が連載していた[[コラム]]『爆笑問題の日本原論』は30万部を超える[[ベストセラー]]にもなった。[[1993年]]8月号では[[宮内庁]][[守旧派]]による[[皇室]]内幕の告白手記を掲載し、[[右翼]]による銃撃事件に発展した<ref>[http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20101204 町山智浩ホームページ] 内 2010年12月04日付/根本敬『人生解毒波止場』[[幻冬舎文庫]]、2010年、pp.286-288</ref>。1996年6月休刊。 |
* '''[[宝島30]]''' - [[宝島社]]発行の月刊[[総合雑誌|オピニオン雑誌]]。初代編集長は[[町山智浩]]。[[1993年]]6月創刊。政治から[[サブカルチャー]]までテーマは広く、[[オウム真理教|オウム]]特集や『[[SPA!]]』決別時の[[小林よしのり]]インタビュー、[[根本敬]]の連載『人生解毒波止場』など攻めた内容が多い。[[爆笑問題]]が連載していた[[コラム]]『爆笑問題の日本原論』は30万部を超える[[ベストセラー]]にもなった。[[1993年]]8月号では[[宮内庁]][[守旧派]]による[[皇室]]内幕の告白手記を掲載し、[[右翼]]による銃撃事件に発展した<ref>[http://d.hatena.ne.jp/TomoMachi/20101204 町山智浩ホームページ] 内 2010年12月04日付/根本敬『人生解毒波止場』[[幻冬舎文庫]]、2010年、pp.286-288</ref>。1996年6月休刊。 |
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* '''[[TOO NEGATIVE]]''' - [[吐夢書房]]発行の隔月刊雑誌。初代編集長は元『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』編集長の[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]。本誌では[[1990年代]]の『Billy』を標榜し、[[SM (性風俗)|SM]]・[[ボンデージ]]を主軸にしつつ撮り下ろしの死体写真も多数掲載して死体写真家の[[釣崎清隆]]を輩出した。1994年10月から2000年1月まで[[発禁]]による中断を挟みながら全13冊を刊行したが、新創刊した7号(1997年1月)以降、小林は編集に関わっていない<ref name="barubora" />。[[キャッチコピー]]は「禁じられた絵本」。 |
* '''[[TOO NEGATIVE]]''' - [[吐夢書房]]発行の隔月刊雑誌。初代編集長は元『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』編集長の[[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]。本誌では[[1990年代]]の『Billy』を標榜し、[[SM (性風俗)|SM]]・[[ボンデージ]]を主軸にしつつ撮り下ろしの死体写真も多数掲載して死体写真家の[[釣崎清隆]]を輩出した。1994年10月から2000年1月まで[[発禁]]による中断を挟みながら全13冊を刊行したが、新創刊した7号(1997年1月)以降、小林は編集に関わっていない<ref name="barubora" />。[[キャッチコピー]]は「禁じられた絵本」。 |
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* '''[[GON!]]''' - [[ミリオン出版]]が1994年から2001年にかけて発行していた[[サブカルチャー]]系の月刊誌。ヤンキー雑誌『[[ティーンズロード]]』(ミリオン出版)編集者の[[比嘉健二]]によって創刊された。[[東京スポーツ]]新聞のB級ニュースやフェイク記事のみをかき集めて独立した雑誌にしたような内容で、海外タブロイド誌『[[ウィークリー・ワールド・ニューズ|Wilkly World News]]』の日本的解釈のもと創刊された。主にコンビニルートで全国的に流通し、悪趣味系雑誌では最も広く読まれたとみられる。また印字級数は極小で、内容の無意味ぶりに比して情報密度は非常に高かったのも特徴である。誌面では死体写真や仰天ニュースの類がよく掲載されており、びっくり箱を具現化したようなインパクト重視の誌面となっている(ただし『[[世紀末倶楽部]]』編集人の土屋静光は「たんなるアメリカン・ジョークのビジュアル化に過ぎず、悪趣味というタームからはズレるだろう」と評している)<ref>[[コアマガジン]]『[[BURST (雑誌)|BURST]]』2000年1月号「特集/90年代式幽霊列車の葬送──世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括」より土屋静光(『世紀末倶楽部』編集長)「 |
* '''[[GON!]]''' - [[ミリオン出版]]が1994年から2001年にかけて発行していた[[サブカルチャー]]系の月刊誌。ヤンキー雑誌『[[ティーンズロード]]』(ミリオン出版)編集者の[[比嘉健二]]によって創刊された。[[東京スポーツ]]新聞のB級ニュースやフェイク記事のみをかき集めて独立した雑誌にしたような内容で、海外タブロイド誌『[[ウィークリー・ワールド・ニューズ|Wilkly World News]]』の日本的解釈のもと創刊された。主にコンビニルートで全国的に流通し、悪趣味系雑誌では最も広く読まれたとみられる。また印字級数は極小で、内容の無意味ぶりに比して情報密度は非常に高かったのも特徴である。誌面では死体写真や仰天ニュースの類がよく掲載されており、びっくり箱を具現化したようなインパクト重視の誌面となっている(ただし『[[世紀末倶楽部]]』編集人の土屋静光は「たんなるアメリカン・ジョークのビジュアル化に過ぎず、悪趣味というタームからはズレるだろう」と評している)<ref>[[コアマガジン]]『[[BURST (雑誌)|BURST]]』2000年1月号「特集/90年代式幽霊列車の葬送──世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括」より土屋静光(『世紀末倶楽部』編集長)「悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌」</ref>。本誌は[[村崎百郎]]の活動拠点となり、月刊ペースで「汚物童子・村崎百郎の勝手に清掃局/隣の美女が出すゴミ」というゴミ漁りの連載を行なっていたことから同誌で村崎の存在を知った読者も多い。その後は『[[BUBKA]]』(コアマガジン→白夜書房)や『[[裏BUBKA]]』(コアマガジン)などの亜流誌も登場するに至った(しかし鬼畜ブームが去ったのち『GON!』は徐々に内容がソフト化し『BUBKA』もアイドル雑誌となる)。のちに『GON!』は『[[実話ナックルズ]]』に発展するが「B級の実話誌」という点を除けば、ほぼつながりは存在しない。 |
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* '''[[危ない1号]]''' - 悪趣味ブームの原点とされている鬼畜系[[ムック (出版)|ムック]]。初代編集長は[[青山正明]]。「妄想にタブーなし」を謳い文句に数多くの悪趣味を扱った。[[1995年]]7月創刊。[[青山正明#東京公司結成|東京公司]]編集/[[データハウス]]発行。 |
* '''[[危ない1号]]''' - 悪趣味ブームの原点とされている鬼畜系[[ムック (出版)|ムック]]。初代編集長は[[青山正明]]。「妄想にタブーなし」を謳い文句に数多くの悪趣味を扱った。[[1995年]]7月創刊。[[青山正明#東京公司結成|東京公司]]編集/[[データハウス]]発行。 |
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* '''[[危ない28号]]''' - [[データハウス]]が発行していた[[ムック (出版)|ムック]]。[[クラッキング (コンピュータ)|ハッキング]]や[[兵器]]、[[薬物乱用|ドラッグ]]など、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載であり、結果全国18[[都道府県]]で[[有害図書]]指定された<ref name="KuRaRe"/>。[[2000年]]1月に[[浦和駅]]、[[東海村]]、[[大阪府]]で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため<ref name="toukaimura"/>、刊行済みだった第5巻を最後に[[休刊|廃刊]]を余儀なくされる。 |
* '''[[危ない28号]]''' - [[データハウス]]が発行していた[[ムック (出版)|ムック]]。[[クラッキング (コンピュータ)|ハッキング]]や[[兵器]]、[[薬物乱用|ドラッグ]]など、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載であり、結果全国18[[都道府県]]で[[有害図書]]指定された<ref name="KuRaRe"/>。[[2000年]]1月に[[浦和駅]]、[[東海村]]、[[大阪府]]で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため<ref name="toukaimura"/>、刊行済みだった第5巻を最後に[[休刊|廃刊]]を余儀なくされる。 |
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* '''[[蛭子能収]]'''<ref>『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』1973年8月号掲載の入選作「[[パチンコ]]」で漫画家デビュー。[[つげ義春]]や[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]映画に影響されたシュールで不条理な[[ギャグ漫画]]や暴力的なモチーフを多用するダークな作風の漫画家で知られる。[[高杉弾]]・[[山崎春美]]編集の伝説的[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』でも執筆活動を行っていたほか、スーパー変態マガジン『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])1982年3月号では |
* '''[[蛭子能収]]'''<ref>『[[ガロ (雑誌)|ガロ]]』1973年8月号掲載の入選作「[[パチンコ]]」で漫画家デビュー。[[つげ義春]]や[[日本アート・シアター・ギルド|ATG]]映画に影響されたシュールで不条理な[[ギャグ漫画]]や暴力的なモチーフを多用するダークな作風の漫画家で知られる。[[高杉弾]]・[[山崎春美]]編集の伝説的[[自販機本]]『[[Jam (自販機本)|Jam]]』『[[HEAVEN (雑誌)|HEAVEN]]』でも執筆活動を行っていたほか、スーパー変態マガジン『[[ビリー (雑誌)|Billy]]』([[白夜書房]])1982年3月号では「山崎春美のスーパー変態インタビュー」([[遠藤ミチロウ]]、[[明石賢生]]に次いで3人目)にも応じている。主な作品集に『[[地獄に堕ちた教師ども]]』『[[私はバカになりたい]]』(ともに[[青林堂]]/[[青林工藝舎]])などがある。</ref> |
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* '''[[早見純]]'''<ref>1980年代の[[エロ劇画]]界において[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]趣味や[[殺人|猟奇殺人]]などの[[タブー]]を、私小説の様に文学的な独白調かつ端正な[[劇画]]タッチで描き、残虐かつ救いの無いストーリーを圧倒的画力と迫力をもって描き出した昭和のエロ劇画界を代表する伝説的な鬼畜系漫画家。[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]に先駆けて[[少女趣味]]、[[ストーカー]]、[[窃視症|のぞき]]、[[リストカット]]、[[SM (性風俗)|SM]]、[[監禁]]、[[窒息]][[レイプ]]、[[引きこもり|ひきこもり]]、[[バラバラ殺人]]など現代で起こりうる異常犯罪を予言していたかのような作品を発表していたが、前述の宮崎勤事件を契機に1989年頃から寡作になり、その後10年以上休筆していたが、[[大西祥平 (ライター)|大西祥平]]による再評価や復刻本刊行等によって2000年に再デビューを果たす。以降「伝説の猟奇エロ漫画家」「エロ漫画界の極北」「漫画界の暗黒大陸」として国内外で再評価が進んでいる。</ref> |
* '''[[早見純]]'''<ref>1980年代の[[エロ劇画]]界において[[ロリータ・コンプレックス|ロリコン]]趣味や[[殺人|猟奇殺人]]などの[[タブー]]を、私小説の様に文学的な独白調かつ端正な[[劇画]]タッチで描き、残虐かつ救いの無いストーリーを圧倒的画力と迫力をもって描き出した昭和のエロ劇画界を代表する伝説的な鬼畜系漫画家。[[東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件]]に先駆けて[[少女趣味]]、[[ストーカー]]、[[窃視症|のぞき]]、[[リストカット]]、[[SM (性風俗)|SM]]、[[監禁]]、[[窒息]][[レイプ]]、[[引きこもり|ひきこもり]]、[[バラバラ殺人]]など現代で起こりうる異常犯罪を予言していたかのような作品を発表していたが、前述の宮崎勤事件を契機に1989年頃から寡作になり、その後10年以上休筆していたが、[[大西祥平 (ライター)|大西祥平]]による再評価や復刻本刊行等によって2000年に再デビューを果たす。以降「伝説の猟奇エロ漫画家」「エロ漫画界の極北」「漫画界の暗黒大陸」として国内外で再評価が進んでいる。</ref> |
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* '''[[根本敬]]'''<ref>自称・'''[[特殊漫画家]]'''。[[東洋大学]][[文学部]]中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号掲載の「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。しばしば便所の落書きと形容される猥雑な絵柄と因果で不条理なストーリーで知られ、日本の[[オルタナティヴ・コミック|オルタナティブ・コミック]]の作家の中でも最も過激な作風の漫画家である。『[[平凡パンチ]]』から『[[月刊現代]]』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで活動の場は多岐に渡り、イラストレーションから文筆、映像、講演、装幀まで依頼された仕事は原則断らない。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』他多数。</ref> |
* '''[[根本敬]]'''<ref>自称・'''[[特殊漫画家]]'''。[[東洋大学]][[文学部]]中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号掲載の「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。しばしば便所の落書きと形容される猥雑な絵柄と因果で不条理なストーリーで知られ、日本の[[オルタナティヴ・コミック|オルタナティブ・コミック]]の作家の中でも最も過激な作風の漫画家である。『[[平凡パンチ]]』から『[[月刊現代]]』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで活動の場は多岐に渡り、イラストレーションから文筆、映像、講演、装幀まで依頼された仕事は原則断らない。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』他多数。</ref> |
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* '''[[山野一]](ねこぢるy)'''<ref>[[貧困]]や[[差別]]、[[電波系|電波]]、[[畸形]]、[[障害者]]などを題材にした作風を得意とする特殊漫画家。山野の前妻で漫画家の[[ねこぢる]]が自身の私生活を題材にした[[随筆|エッセイ]]『ぢるぢる日記』には「'''鬼畜系マンガ家'''」である「旦那」が登場している(ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)75頁)。[[立教大学]][[文学部]]卒。四年次在学中、[[青林堂]]に持ち込みを経て『ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。以後、各種[[エロ本]]などに[[ガロ系|特殊漫画]]を執筆。不幸の[[八大地獄#八熱地獄及び対応する罪|無間地獄]]を滑稽なタッチで入念に描いた作風が特徴的である。ちなみに[[青山正明]]は山野一の大ファンであり、青山が編集長を務めた『[[危ない1号]]』第2巻には山野の |
* '''[[山野一]](ねこぢるy)'''<ref>[[貧困]]や[[差別]]、[[電波系|電波]]、[[畸形]]、[[障害者]]などを題材にした作風を得意とする特殊漫画家。山野の前妻で漫画家の[[ねこぢる]]が自身の私生活を題材にした[[随筆|エッセイ]]『ぢるぢる日記』には「'''鬼畜系マンガ家'''」である「旦那」が登場している(ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)75頁)。[[立教大学]][[文学部]]卒。四年次在学中、[[青林堂]]に持ち込みを経て『ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。以後、各種[[エロ本]]などに[[ガロ系|特殊漫画]]を執筆。不幸の[[八大地獄#八熱地獄及び対応する罪|無間地獄]]を滑稽なタッチで入念に描いた作風が特徴的である。ちなみに[[青山正明]]は山野一の大ファンであり、青山が編集長を務めた『[[危ない1号]]』第2巻には山野の ロングインタビュー(聞き手・構成/[[吉永嘉明]])が掲載されている。主な作品に『'''[[夢の島で逢いましょう]]'''』『'''[[四丁目の夕日]]'''』『'''[[貧困魔境伝ヒヤパカ]]'''』『'''[[混沌大陸パンゲア]]'''』『'''[[どぶさらい劇場]]'''』(いずれも[[青林堂]])『[[そせじ]]』([[Amazon Kindle|Kindle]])がある。</ref><ref>「あれは80年代半ば。当時、僕は書籍コードも持ってない零細なダメ出版社で、むちゃくちゃマイナーな変態雑誌の編集に携わり、僕個人の好みにピッタリくる作家さん探しに奔走していた。そんなとき手にし、目眩を覚えるほどの衝撃を与えてくれたのが、[[山野一]]の処女作『[[夢の島で逢いましょう]]』だ。内容はもちろん、醜悪なシチュエーションと繊細なタッチの絵柄との絶妙な相性も、実に僕好みだった。続いて長編2作目、赤貧の少年工員がひたすら人生の坂道をノンストップでゴロゴロ堕ちていく悲惨な物語『[[四丁目の夕日]]』を目にし、僕は山野一なる漫画家の才能に完全に惚れてしまった。僕の頭の中では、山野一氏と[[根本敬]]氏は、ゲス漫画家の双璧である。この世の、永遠になくなることなき悲劇に照準を合わせ、日本の現実を踏まえたうえで徹底的にえぐっていく。短編も好きだが、願わくば、もっとむごい大部の長編作を描いてもらいたいものである(青山正明)」[[コアマガジン]]『[[ブブカ (雑誌)|BUBKA]]』1998年1月号「マンガ狂い咲き 山野一 〜アセチレンからドブの上澄みまで特殊全般〜因業製造工場へようこそ!」</ref><ref>「イヤハヤ言語道断なマンガ家が出現したものだ。その作品たるや気の弱い婦女子ならば一読三嘆、三日三晩はウナされること確実の、衛生博覧会と因果物の見世物と[[トッド・ブラウニング]]の『[[フリークス (映画)|フリークス]]』と[[ジョン・カーペンター]]の『[[遊星からの物体X]]』の濃縮混合エキスの如き代物である。このキモチワルサは、只単にフリークスやワケのわからない[[蛆|蛆虫]]、[[ミミズ]]、[[回虫|廻虫]]の類がワンサと画面にあふれているからだけではない。キモチワルイ絵なら絵心さえあればサルだって描ける。山野のキモチワルサは、そのキモチワルサが常に人間の肉体から発していると云う極めて生理的なキモチワルサなのだ。彼の本領、即ち生理的肉体に対するこだわり。つまり人間の肉体そのものの内在する気色悪さ、訳の判らなさ。つまり、外見はさほどではなくとも皮一枚下に、ドロドログニャグニャのハラワタ、ミミズの如き血管、神経、さらにはサナダ虫、廻虫、ぎょう虫、包虫等々と云った考えるだにオゾケ立つキモチワルイモノを秘匿している肉体を持って生きるコトのキモチワルサ。とにかくとんでもない想像力の持ち主の登場に拍手を贈ろうではないか」[[永山薫|福本義裕]]「本に唾をかけろ!(連載第32回)」[[白夜書房]]『[[ビリー (雑誌)|Billyボーイ]]』1985年5月号、74頁。</ref> - 現在は[[育児コミック|育児漫画]]に転向 |
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* '''[[平口広美]]''' |
* '''[[平口広美]]''' |
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* '''[[花輪和一]]'''<ref>[[丸尾末広]]と並ぶ「'''耽美系'''」「'''猟奇系'''」の作家であり、ベースとなるテーマが人間の「[[業]]」である作品が多い。著作に『赤ヒ夜』『月ノ光』『[[刑務所の中]]』『花輪和一初期作品集』(ともに[[青林工藝舎]])などがある。</ref> |
* '''[[花輪和一]]'''<ref>[[丸尾末広]]と並ぶ「'''耽美系'''」「'''猟奇系'''」の作家であり、ベースとなるテーマが人間の「[[業]]」である作品が多い。著作に『赤ヒ夜』『月ノ光』『[[刑務所の中]]』『花輪和一初期作品集』(ともに[[青林工藝舎]])などがある。</ref> |
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* 辰巳出版『[https://www.cyzo.com/2012/03/post_10024_entry.html 美少女漫画大百科]』1991年8月 |
* 辰巳出版『[https://www.cyzo.com/2012/03/post_10024_entry.html 美少女漫画大百科]』1991年8月 |
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* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1992年10月号「特集/特殊漫画博覧会」 |
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1992年10月号「特集/特殊漫画博覧会」 |
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* 青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「 |
* 青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」 |
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* [[東京公司]]編『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」[[データハウス]]、1996年4月 |
* [[東京公司]]編『[[危ない1号]]』第2巻「特集/キ印良品」[[データハウス]]、1996年4月 |
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* 辰巳出版『美少女コミックカタログ』1996年10月 |
* 辰巳出版『美少女コミックカタログ』1996年10月 |
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* [[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]] 2019年3月 |
* [[ロマン優光]]『90年代サブカルの呪い』[[コアマガジン]] 2019年3月 |
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* [[アスペクト (企業)|アスペクト]]編『村崎百郎の本』2010年12月(構成=多田遠志・尾崎未央) |
* [[アスペクト (企業)|アスペクト]]編『村崎百郎の本』2010年12月(構成=多田遠志・尾崎未央) |
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* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「 |
* [[青林堂]]『[[ガロ (雑誌)|月刊漫画ガロ]]』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」 |
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* [[宝島社]]『[[宝島30]]』1994年9月号「 |
* [[宝島社]]『[[宝島30]]』1994年9月号「特集/ロリータの時代」(編集協力/[[東京公司]]) |
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** {{Cite journal|和書|author=[[青山正明]]|title= |
** {{Cite journal|和書|author=[[青山正明]]|title=ロリータをめぐる冒険|journal=宝島30|volume=1994年9月号|pages=164 - 168|ref={{SfnRef|青山|1994}}}} |
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* [[扶桑社]]『[[SPA!|週刊SPA!]]』 |
* [[扶桑社]]『[[SPA!|週刊SPA!]]』 |
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** 1994年10月5日号特集「 |
** 1994年10月5日号特集「猟奇モノ死体写真ブームの謎」 |
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** 1995年9月20日号特集「 |
** 1995年9月20日号特集「【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体」 |
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** 1995年11月1日号特集「電波系な人々大研究──巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」 |
** 1995年11月1日号特集「電波系な人々大研究──巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」 |
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*** [[根本敬]]×[[村崎百郎]]「電波系の正体を解き明かす電波対談ここに開催!」(本記事を元に膨大量の語り下ろし談話を加味して加筆訂正を行った内容が1996年に[[太田出版]]から『[[電波系]]』として書籍化) |
*** [[根本敬]]×[[村崎百郎]]「電波系の正体を解き明かす電波対談ここに開催!」(本記事を元に膨大量の語り下ろし談話を加味して加筆訂正を行った内容が1996年に[[太田出版]]から『[[電波系]]』として書籍化) |
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** 1996年12月11日号特集「''' |
** 1996年12月11日号特集「'''鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?'''」 |
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*** [[青山正明]]×[[村崎百郎]]「 |
*** [[青山正明]]×[[村崎百郎]]「鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方」 |
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* [[別冊宝島]]240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社 1995年12月 |
* [[別冊宝島]]240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社 1995年12月 |
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** [[永江朗]]「 |
** [[永江朗]]「アダルト系出版社のルーツを探せ!―系統樹なき、したたかな業界の原点」 |
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** [[松沢呉一]]「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」 |
** [[松沢呉一]]「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」 |
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** [[下川耿史]]「変態の総合デパート『奇譚クラブ』から『SMセレクト』が産声をあげるまで―変態メディアの細分化はどのように進んだのか?」 |
** [[下川耿史]]「変態の総合デパート『奇譚クラブ』から『SMセレクト』が産声をあげるまで―変態メディアの細分化はどのように進んだのか?」 |
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* 別冊宝島345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』[[宝島社]] 1997年11月 |
* 別冊宝島345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』[[宝島社]] 1997年11月 |
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* [[コアマガジン]]『[[世紀末倶楽部]]』Vol.2「総力特集/地下渋谷系―恐怖!怪奇!猟奇!残酷!ショック大全科」1996年9月 |
* [[コアマガジン]]『[[世紀末倶楽部]]』Vol.2「総力特集/地下渋谷系―恐怖!怪奇!猟奇!残酷!ショック大全科」1996年9月 |
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** [[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]インタビュー「 |
** [[小林小太郎 (編集者)|小林小太郎]]インタビュー「平口広美さんに死体写真集を見せてもらった瞬間。あ、これだ、いけるぞ、って」(取材&文・こじままさき) |
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** [[青山正明]]インタビュー「 |
** [[青山正明]]インタビュー「ゲス、クズ、ダメ人間の現人神・『危ない1号』の編集長 青山正明氏に聞く」(取材&文・[[斉田石也]]) |
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* 小平絞+鈴原成『世紀末インターネット大全 鬼畜ネット』[[二見書房]] 1997年5月 |
* 小平絞+鈴原成『世紀末インターネット大全 鬼畜ネット』[[二見書房]] 1997年5月 |
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** NG Gallery館長・小林小太郎氏に聞く「マネされる前にお前らのところに行ってやる」 |
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* [[アスキー (企業)|アスキー]]『[[週刊アスキー]]』1997年7月28日号「特集/検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」 |
* [[アスキー (企業)|アスキー]]『[[週刊アスキー]]』1997年7月28日号「特集/検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」 |
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* [[メディアワークス]]編『[http://altculture.web.fc2.com/index.html オルタカルチャー 日本版]』1997年10月「[http://altculture.web.fc2.com/altculture.html 悪趣味雑誌]」の項(18-19頁) |
* [[メディアワークス]]編『[http://altculture.web.fc2.com/index.html オルタカルチャー 日本版]』1997年10月「[http://altculture.web.fc2.com/altculture.html 悪趣味雑誌]」の項(18-19頁) |
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* [[平凡社]]『[[別冊太陽]]/発禁本―明治・大正・昭和・平成』1999年7月(構成/[[米澤嘉博|米沢嘉博]]+[[城市郎]]) |
* [[平凡社]]『[[別冊太陽]]/発禁本―明治・大正・昭和・平成』1999年7月(構成/[[米澤嘉博|米沢嘉博]]+[[城市郎]]) |
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* コアマガジン『BURST』2000年1月号「特集/90年代式幽霊列車の葬送──世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括」 |
* コアマガジン『BURST』2000年1月号「特集/90年代式幽霊列車の葬送──世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括」 |
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** [[土屋静光]](『[[世紀末倶楽部]]』編集長)「 |
** [[土屋静光]](『[[世紀末倶楽部]]』編集長)「悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌」 |
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* [[太田出版]]『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年1月 166-173頁 |
* [[太田出版]]『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年1月 166-173頁 |
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** [[村崎百郎]]「 |
** [[村崎百郎]]「非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み」 |
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* [[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕』[[飛鳥新社]] 2004年11月/[[幻冬舎アウトロー文庫]] 2008年10月 |
* [[吉永嘉明]]『自殺されちゃった僕』[[飛鳥新社]] 2004年11月/[[幻冬舎アウトロー文庫]] 2008年10月 |
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** 解説/[[春日武彦]]「 |
** 解説/[[春日武彦]]「掟破り、ということ」 |
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* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』[[翔泳社]] 2005年5月 |
* [[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』[[翔泳社]] 2005年5月 |
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* [[INFASパブリケーションズ]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」 |
* [[INFASパブリケーションズ]]『[[STUDIO VOICE]]』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」 |
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** 村崎百郎「 |
** 村崎百郎「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」 |
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* {{Cite web|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/post_803.html|title='''ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界'''|work=[[ばるぼら (ライター)|ばるぼら]]|publisher=[[大洋図書|S&Mスナイパー]]|date=2008-03-23|accessdate=2017-06-17}} |
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** {{Cite web|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/post_877.html|title=吉永嘉明氏インタビュー|work=ばるぼら|publisher=S&Mスナイパー|date=2008-05-18|accessdate=2017-09-15}} |
** {{Cite web|url=http://sniper.jp/008sniper/00874aoyama/post_877.html|title=吉永嘉明氏インタビュー|work=ばるぼら|publisher=S&Mスナイパー|date=2008-05-18|accessdate=2017-09-15}} |
2021年12月5日 (日) 16:12時点における版
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鬼畜系/悪趣味系 | |
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様式的起源 | |
文化的起源 |
日本・東京都 1920年代 - 1990年代 エログロナンセンス→カストリ雑誌→エロ本(自販機本)→サブカル/MONDO/悪趣味系→鬼畜系 アメリカ合衆国 1960年代 - 1990年代 MONDO/カウンターカルチャー |
サブジャンル | |
関連項目 | |
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鬼畜系(きちくけい、Demon style)は、悪趣味系サブカルチャーのサブジャンルであり[3]、1990年代の鬼畜・悪趣味ブームにおいて電波系やゴミ漁りで知られた鬼畜ライターの村崎百郎が自分自身を指すのに提唱した造語である[4]。
これはポストモダン的な価値相対主義(面白主義や冷笑主義など)が成立背景にあり、かつては従来の権威主義的な文化への対抗として機能していた[5]。しかし、現代の人権感覚に照らすと全体的に人権意識が乏しく[5]、狭義の文脈が喪失した今日では「政治的に正しくない(Politically Incorrect)」すなわち「ポリティカル・コレクトネスに違反する」として批判的に言及されることも多い[6]。
なお、これは成人漫画などにおける反社会的行為、ないし残酷描写が含まれる作品、またその作家を指す言葉としても用いられている。
語義
「鬼畜系」という言葉が活字出版物上に現れるようになったのは「鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座」と銘打たれた『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」(データハウス/東京公司)が刊行された1996年頃からとみられている[7]。
『SPA!』編集部は鬼畜ブーム特集「鬼畜たちの倫理観」(1996年12月11日号所収)で「鬼畜系」について「モラルや法にとらわれず、欲望に忠実になって、徹底的に下品で、残酷なものを楽しんじゃおうというスタンス」と定義し「死体写真ブームから発展した悪趣味本ブームの流れとモンド・カルチャー[1] の脱力感が合流。そこに過激な企画モノAVの変態性が吸収され、さらにドラッグ、レイプ、幼児買春などの犯罪情報が合体した」ことを踏まえながら「インターネットの大ブームにより、過激なアンダーグラウンド情報が容易に入手できるようになったのも、この流れを加速させた要因だろう」と鬼畜系カルチャーが誕生した大まかな流れを概説している[8]。
ロマン優光による総括
2010年代以降はSNSを中心に鬼畜系の功罪が論じられるようになったが、その強烈な語感からイメージのみが先行し、当時を知らない層には政治的な正しさの観点から必要以上に悪く思われ、否定的に扱われる節もある[9][10]。
90年代サブカルについて無責任な放言が跋扈することに強い危惧を持ったロマン優光は、著書『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)で鬼畜系サブカルの出自と存在意義、および文脈が失われた過程と語義上の留意点について次のように総括している。
90年代というのは不思議な時代です。(中略)建前が道徳的な機能を失っているのに、それはなかったことにして表面上だけ建前を優先する世界。綺麗事が蔓延し、綺麗なものしかメディアに出すことを許さない一方で、本音の部分では差別意識と搾取精神に溢れている。そんな時代です。当時はネットがそこまで発達していない状況で、一般の人が汚い本音を世間に撒き散らせる環境はなかったため、表面上は建前でコーティングされてました。(中略)わかりやすく言うと、こういった社会に対して「そんな風に建前を言っているけど、本当は汚い欲望でいっぱいじゃないか。世界はこんなに汚いもので溢れている。お前らが覆い隠そうとしているような人間だって自分の人生を生きている」という風な異議申し立ての側面があったのが、「鬼畜系」だったのです。
「鬼畜系」というものは90年代社会に対するカウンターであり、それは当時の状況の中で一定の意義があったものでした。しかし、同時に当時の人権意識の低さから自由ではなかったし、本人たちの意図してない受け入れられ方を多くされていくことで、瓦解していったのです[注 1]。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、30-31頁。
ここで忘れてはいけないのは、「鬼畜系」はあくまで反道徳性、犯罪性の強いものを考察してたり、語ってたりするものを消費する文化であって、表面上に見られる読者へのあおりも基本ポーズであり、犯罪を犯すこと、反道徳的行為を実行すること自体を指していたり、それをみだりに推奨していたわけではないということです。そこは注意するべきところだと思います。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、12-13頁。
また「鬼畜系」の派生元となった「悪趣味系」についてロマンは次のように定義した。
90年代サブカルにおける悪趣味系というのは「価値のないもの、取り上げるに値しないものと見なされているものを、俎上にのせ再評価していくこと」をポップな文脈で楽しむという行為と、薬物、死体、殺人者などの情報を即物的に楽しむという行為の二つが混合されたムーブメントです。(中略)視点の位置を変えることで対象に新しい意味を付加していき、それをポップなものとして提示するのが通例であり、「世間的に悪趣味な存在と見なされているもの」、「それを好むと世間的に悪趣味だとみなされるものを好むこと自体」をその対象に選んだのが悪趣味系ということです。悪趣味なことを実践していくことが目的ではなく、世間では悪趣味とされているようなものや行為を取り上げることに主眼がおかれているムーブメントだと考えれば、そう間違ってないのではないでしょうかね。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、20-21頁。
サブカルチャーに於ける鬼畜系
前史
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近世以前
性(エロ)は生物にとって根本的なものであり、日本列島および世界の各地では生殖器崇拝が行われていた他、さまざまな性愛にまつわる絵画、文学、彫刻などが作成・消費されてきた。また、現代の感覚では鬼畜とみなされるような、少年愛や児童性的虐待、女性差別、人種差別、階級差別(奴隷制、身分制)、障害者差別、人肉食、生物種の大量絶滅、戦争による虐殺、拷問、残虐処刑などの習慣も世界中で普遍的に行われていた。
日本の春画(エロ画)は、唐から医学書と共に伝わった房中術(性愛の手引書)の挿絵「偃息図」や明から伝わった春宮画に起源を持つとされる。平安時代から、縁起物を象徴する男性器がグロいほどに誇張して描かれていたとされる[12]。残酷な地獄絵図としては、12世紀の「地獄草紙」や「快楽の園(16世紀版)」「快楽の園(12世紀版)」などがある。
江戸時代
日本におけるエログロ文化は、大衆文化が花開いた江戸時代後期の艶本・春画においても見出すことができる。鳥居清信の春画の一つ(1700年頃)には性的倒錯の一種の裸の男と服を着た女のシチュエーションがある[13]。同性愛を描いた春画(枕絵)も多々知られている[14]。葛飾北斎の艶本『喜能会之故真通』(1814年頃)における「蛸と海女」は、獣姦アートの中でも蛸が相手というかなりのキワモノであった[15]。
西洋ではルネッサンス以降、医学書・解剖図[16] や解剖図を反映した等身大の人体蝋人形などが数々制作された。中でも、Marie Marguerite Bihéron (1719 - 1795) の作品が有名であり、妊婦の解剖人形などは非常に精巧だったとされる[17][18][19]。日本でも、蘭学の医学書の翻訳本『解体新書』(1774年)など、漢学や蘭学の医学書・解剖図に倣った書籍が幾らか発行された。中でも、渓斎英泉の艶本『閨中紀聞 枕文庫』(1822年)は、当時の性の医学書・百科事典にして性奥義の指南書であり、同時に、奇書の中の奇書として知られている(特に膣の内部に大きな関心が抱かれている)[20]。
幕末期には浮世絵師の月岡芳年や落合芳幾が「無惨絵」という歌舞伎の殺陣や鮮血などの残酷描写を主題にした扇情的な浮世絵を発表した。これは幕末という不穏当な時代世相を背景に制作されたともいわれる。なお、無残絵は江戸時代後期の廃仏毀釈の流れもあり、九相図など仏教絵画に見られる宗教色が一掃されている。つまり無残絵は宗教的文脈を逸脱し、純粋な娯楽として制作および鑑賞されていたことがわかる。以降、無残絵はエログロの古典的地位を確立し、責め絵の草分け的存在である伊藤晴雨は、芳年の無残絵を模した緊縛絵や緊縛写真を多数制作した。また芳年と芳幾が幕末に発表した競作無惨絵『英名二十八衆句』(1866年 - 1867年)は、非商業的な漫画雑誌『ガロ』(青林堂)などで活躍した丸尾末広と花輪和一によって昭和末期にリメイクされており、無残絵を原点とするエログロ文化の精神的な流れは、後々のサブカルチャーに脈々と受け継がれた。
また、幽霊画というホラージャンルも存在し、月岡芳年作の女性器が顔についている幽霊など、エログロセンスの絵画もあった[21][22]。ピーテル・パウル・ルーベンスのメドューサの頭部も古典的グロ画である。
拷問は世界各地で行われていた習慣であったため、さまざまな文化において拷問シーンやを描いた絵画が見られる[23][24]。また、放尿・脱糞などの排泄シーンを描いた絵画も、歴史上にいくらか残されている[25][26][27]。
1785年にはマルキ・ド・サドが鬼畜SM小説『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を著した(初版は1904年)。マゾ文学は1871年の『毛皮を着たヴィーナス』にて開花したと言われている。死や汚穢趣味[28] にエロティシズムを見出す文学は世界各地に見られる。
文明開化
16世紀半ばに始まったヨーロッパとの交流は、江戸時代(1603 - 1868年)には鎖国によって細まったが、黒船来航(1853年)および明治維新(1868年)後には再び強力に推進された。日本の幕末・明治時代に相当する欧米のビクトリア朝時代は、市民革命・産業革命がもたらした急速な社会変革や資本主義化が進んだはけ口か、様々な悪趣味・不気味な習慣が知られていた[29][30][31]。文明開化の裏側では、これらの習慣も何らかの形で日本にも伝わった。
1812年にヨーロッパで刊行された『グリム童話』は、民衆文化の中から成立し、残酷・性的な描写も垣間見られる。1912年に刊行された『変身』は、ある男が目覚めるとグロテスクな虫になるという不条理なストーリーである。
1839年に実用的な写真技術が発明されて以来、そのような奇怪な物の写真(髭の生えた女性、シャム双生児、小人症、4本足の人物など)や排便[32]、ヌード・ポルノ写真も巷に出回り、人々の好奇を集めていた。19世紀終盤に映画が発明されると、すぐにポルノ映画が地下で制作されるようになったが、欧米や日本では公権力の下では非合法だった。
以前は絵画で表現されていた死の風景や残酷描写が写真記録としても残されるようになったことで、外科手術(癌で顔面が奇形化した写真も多々残されている)[33][34][35]、事故、殺人事件[36][37][38]、戦争(南北戦争ではすでにカメラが広く商用化されていたため、千切れた手足や損壊した顔面など多くの肉体損傷写真が残されている)[39][40][41][42][43]、果ては清朝時代の残酷極まりない拷問写真(特に凌遅刑)[44][45][46][47][48] や死体写真[49] が出回るようになった。その他にも、故人を生きているかのようにポーズを取らせて写真を取ることも流行した[50] が、これは葬儀の風習の一貫である。1880年頃からから商用で使われ始めたハーフトーンという印刷法によって、白黒写真を雑誌に印刷できるようになったことでヌード写真が雑誌に掲載できるようになったが、同様にグロ写真が一般の出版物として写真集や雑誌の形で発行されていたかは、追加調査が必要で待たれる。
快楽主義・虚無主義とオカルティズムの萌芽
薬物(ドラッグ)が成分抽出・化学合成される以前は、向精神物質は自生植物から調合され世界中の文化で宗教的儀式において使用されていた。
19世紀にはドイツなどで化学が発展し、さまざまな向精神物質が植物より成分抽出・化学合成された。モルヒネ(1804年)、カフェイン(1820年)、ニコチン(1828年)、コカイン(1860年)など。1888年に長井長義がドイツ留学中に漢方薬の麻黄から抽出に成功したメタンフェタミン(商品名ヒロポン)は、第二次世界大戦中に兵士の疲労回復や士気向上に用いられ、戦後に多くの中毒者を出した。戦前は中毒性の強い薬物でも、エネルギー剤として市販されていたりした。戦後のアメリカでは、若者の間のドラッグ中毒が蔓延している。
1904年には、オカルティストのアレイスター・クロウリーが『法の書』を出版し、「汝の意志することを行え」というセレマ思想を提唱した。クロウリーは『法の書』(II,28) に対する「新しい注釈」の中でこう書いている。
「これが正しい」という基準などない。倫理とは戯言である。それぞれの星は独自の軌道を行くべきである。「道徳原理」などクソ食らえ。そんなものはどこにもないのだ[51]。
古代から存在する、自己の快楽(欲望)を追求する利己的快楽主義は、19世紀・20世紀初頭のオカルティズムにて再解釈され宗教・社会的道徳に反逆する悪魔崇拝カルトなども生まれ、20世紀後半のカウンターカルチャー運動によって再評価されるようになった[52][53][54]。例えば、快楽主義の一派キュレネ派のヘゲシアスは、人生は苦痛であり、自殺こそが快楽を追求する道だと説いた[55]。利己的快楽主義者では、極端なケースでは、自己の快楽のためならば姦淫、同性愛、児童性愛、近親相姦、快楽殺人[56]、自殺[57]、安楽死、などなんでも正当化され許されてしまうことが議論されてきた。また、悪魔崇拝では、自己の快楽が目的ではなくても、積極的に社会に対するあらゆる悪(破壊[58]、殺人[59]、強姦[60]、暴力、強奪、拷問、裏切り、虚言)を働くことが推奨される(自殺をすると悪を働けなくなるため自殺を推奨しない一派もあるし、より強力な悪に生まれ変わるため自殺を推奨する一派もある[61])。20世紀にはこれらの心理は、心理学や精神病理学の分野において、人格障害やサイコパシーなどの観点から研究されている[62]。自殺予防の観点では、悪魔崇拝への傾倒は自殺の前兆の一つとも考えられている[63]。
19世紀のもう一つのトレンドは、ニーチェによって有名になった虚無主義である。これは、人生に意味はない、世界に価値はない、客観的な真実や善悪(道徳)など存在せず全ては相対的である、全ては無に帰するため無意味である、すなわち「事実などない。あるのは解釈だけだ」などという態度である。
明治期の社会風刺
イギリスでは風刺漫画雑誌『パンチ』が1841年に刊行され、社会を面白おかしく皮肉的に風刺した。またこの頃の日本でも、時には不謹慎とも見なされた社会風刺雑誌として、野村文夫の『團團珍聞』や宮武外骨の『滑稽新聞』のようなものがあった。特に「癇癪と色気。過激にして愛嬌あり」をキャッチコピーに足掛け8年で全173号を刊行した宮武外骨の『滑稽新聞』は1901年(明治34年)の創刊以来、政府や役人の汚職や醜聞、既成ジャーナリズムの腐敗などを容赦なく暴き出し、歯に衣着せぬ過激な社会風刺が人気を集め、当時としては驚異的な8万部を発行した[64][65]。同紙は発刊中だけでも、外骨本人の入獄2回、関係者の入獄3回、罰金刑16回、発禁印刷差押え処分20回以上という壮絶な筆禍を受けたが、外骨は全く懲りることなく「寧ろ悪を勧めよ」「法律廃止論」「検事には悪い奴が多い」などの過激な持論を紙面に掲げた[64][66][67]。当然、検事からは「無政府主義の社会主義を理想とする新聞であり、国家秩序を甚だしく害するものだから、この際、発行禁止処分にするのが適当」と弾劾されるも[68]、不当に高額な罰金刑を下した検事を紙上でさらに攻撃し、大阪地裁による発行禁止命令[67] に先手を打つ形で最終的に「自殺号」(1908年10月20日付)を出すに至る。これには「権力に殺されたのではなく、自らの意志で自殺廃刊を選んだ」という外骨なりの自負とユーモアが込められている(さらに翌月『大阪滑稽新聞』を創刊して戦いを継続)[65]。以後も外骨は権威に屈せず、反骨と諧謔のパロディストであることを生涯を通してつらぬいた[69]。
大正デモクラシーと変態性欲の通俗化
大正時代に入ると、明治維新による国内産業の近代化の恩恵もあり、中産階級層が厚くなり消費文化を形成するようになった(江戸時代の大衆文化は江戸や大坂などの大都市の庶民が中心であった)。特権階級が欧米から学んで社会制度を制定した明治時代からさらに発展し、民衆が政治参加によって社会制度を制定するための大正デモクラシーという運動が盛んになり、1925年にはアジアで初の男子普通選挙が法定されたことで、戦後民主主義の礎を築いた。この時代は、軍国主義が台頭した昭和初期とは対照的に、官憲や大衆は性にもおおらかだった時代であったとされる。
遡ること明治時代には、James Ashtonによる『The Book of Nature』(1865年)[70] の翻訳本『造化機論』が1875年に刊行され、近代の言葉と論理で性を解き明かした記念碑的な書物となった。当時の一般人にはなじみのなかった精子と卵子のことなども解説されていた。「造化機」とは、当時の用語で「生殖器・性器」のことを指した。この書物を皮切りに、「造化機」について論じた書物は明治期には大量に刊行され、類本・異本・二番煎じを含めれば、優に100種類以上の「造化機論」が存在していた[71]。しかし、明治期は道徳的には保守的で、科学書であったため発刊が許されたが、男女の性器の図解等もあり、現在のエロ本のような関心で見られた側面もあった。明治末から大正になると、その種の本も次第に娯楽的な彩りを持つようになった。
ドイツの精神医学者・クラフト=エビングが性的倒錯について書いた『性的精神病理』(1886年)は、日本における変態性欲ブームの火付け役ともされている[72]。この書物は、1894年に『色情狂編』として和訳されたが明治政府に発禁とされた後、大正時代の1913年に解禁され、大日本文明教会から『変態性欲心理』と題して刊行された。この書籍中では「折檻プレイ」「露出狂プレイ」「放置プレイ」「イメージプレイ」「コスプレ」などの例が取り上げられており、日本においても学術的そしてすぐに通俗的な「変態」考察が盛んになった[73]。「変態」という語は、1909年に刊行された小説『ヰタ・セクスアリス』で有名になったとされる。
中村古峡によって創刊された雑誌『変態心理』(1917 - 1926年)では、変態性欲論が議論され、男性同性愛者の読者たちによってゲイ解放区構想も議論された[74][75]。また田中香涯(田中祐吉、医学博士)によって刊行された『変態性欲』(1921年)では、それまで狭義の心理学用語として使用されてきた変態の通俗化が行われ[76]、羽太鋭治や澤田順次郎といったセクソロジストたちによる性科学の通俗化も起こった。変態という言葉自体も広く社会に浸透した流行語となり、宮武外骨は『変態知識』(1924年)を、梅原北明は『変態・資料』『変態十二史』(1926 - 1928年)を刊行するに至った[77][78]。インターネットが発達した2000年代には、日本のアダルトアニメやキワモノAV、アダルトゲームのジャンル(ロリ、異種姦、ぶっかけ、ごっくんなど)を表す言葉として「Hentai」が世界中に広まっている。
人間動物園・衛生博覧会
19世紀のイギリスやアメリカでは、フリーク・ショウと呼ばれる見世物小屋にて世の中の奇怪なもの(奇形、部族の全身入れ墨や身体改造など)を、人間動物園では西洋文化以外の部族・人種や非健常者を見せ物にしていた。日本でも、欧米の植民地帝国主義の流儀に倣って、20世紀初頭に台湾人やアイヌ人など、弱小民族の人間動物園的展示を博覧会にて行っている。これらは現代の人権感覚に照らすと差別極まりないものであった。
また、19世紀は都市人口の増加と劣悪な環境に住まう労働者が増え、コレラなどの伝染病も蔓延した。これを背景として、欧米では「衛生知識普及」のための催事である衛生博覧会が19世紀半ばに始まった。大きなものでは、1883年のロンドン万国衛生博覧会、1883年にベルリンで「全ドイツ街生・救命覧会」(Allgemeine Deutsche Ausstellungaufdem Gebieteder Hygeneuncldes Rettungswesens) が、1903年にはドレスデン都市博覧会の特別展として「国民病とその克服」(Volkskrankheitenunclihre Bekimpfung) が開催されている。アメリカでも同様に博覧会における衛生展示が行われ、人体解剖模型の鑑賞ブームが起こった[79]。19世紀後半のパリで開催された解剖蝋模型展覧会は大人気を博し、ヨーロッパを移動する展覧会になった。そこでは結合双生児と呼ばれた身体の一部が結合している双子の模型も展示されていた[80]。1911年のドレスデン国際衛生博覧会では、大衆向けアトラクションも数々設置され、中でも人体展示館の性病ブースなどの精巧な蝋人形は国際的な評判を呼んだ[81]。
日本でも1887年(明治20年)の「衛生参考品展覧会」(東京・築地)を皮切りに、昭和初期まで全国各地で衛生博覧会が開催された(戦後も再開されているが、現在では保健衛生思想が行きわたったことでこの展覧会の役割は終えている)。大正期になると、見せ物的エログロ要素が白熱し、ビール過飲心臓、子宮炸裂、コレラ小腸、天然痘皮膚、トラホーム模型、花柳病模型、淋病男局部のウミ、寄生虫模型、梅毒になった女性器、強姦殺人の現場再現のようなものが公然と展示され鑑賞されていた[82]。1914年の東京大正博覧会の衛生展示は、生身の人間から疾病・臓器・死体・ミイラにいたるまでなんでもありの企画となり、保存液につけた生首10級、刑死した高橋伝の性器や刺青を入れた皮膚なども展示されたという。東京大正博覧会の展示物はその後更に充実し、「大阪衛生博覧会」(1915)、「戦捷記念全国衛生博覧会」(1919)、「児童衛生博覧会」(1920)、「大正衛生博覧会」(1921)、「平和記念東京博覧会」(1922)、「名古屋衛生博覧会」(1926)などへと引き継がれた[83]。
衛生博覧会は、1985年(昭和60年)にも、本来純粋なはずの芸術を取り戻すために「制約やモラルなどの精神的な不衛生を排し、本能のおもむくままに創作に取り組もう」との趣旨で有志のアーティストたちによってリバイバルした[84]。好奇のための人体展示という意味では、人体の不思議展、目黒寄生虫館、温泉観光地にみられる秘宝館(性のミュージアム)、閉館した元祖国際秘宝館の展示物を引き継いだまぼろし博覧会は、衛生展覧会の系譜に連なるものと捉えることもできる[85]。
第一次世界大戦後から世界恐慌まで
欧米における1920年代は、毒ガス兵器など非人道的兵器や大量破壊兵器も登場し破滅的だった第一次世界大戦(1914 - 1918年)からの反動で、既存の権威に対する不信感が高まり、冷笑主義や反権威主義が蔓延し、より自由な社会を望む風潮が世界的に高まった。アメリカでは婦人の参政権が成立し、女性の服装や髪型は動きやすいボーイッシュなものが流行した。狂騒の20年代を背景として登場したフラッパーなどのファッションスタイルは、モボ・モガとして日本にも伝わった。バーレスクもこの頃には、ストリップショーがメインの出し物に成り下がった。また、ティファナ・バイブルと呼ばれる、粗雑な画風のポルノ漫画誌もこの頃に出回るようになった。
また世界では、ダダイズムなどの反芸術の流れが起き、マルセル・デュシャンは小便器を芸術作品(1917年)として発表し、マン・レイは性交中の結合部のアップの写真を芸術作品として1920年代に発表した。この流れは、シュールレアリズムやアバンギャルドなどの前衛芸術に連なる伝統的な系譜でもある。また1929年には実験映画の『これがロシヤだ』と『アンダルシアの犬』が公開され、前者では出産シーンが映されたほか、後者では女性が剃刀で眼球を切り裂かれるという衝撃的なイメージが描写された。
1929年の世界恐慌によって社会・政治が保守化したことで、解放的なムードは戦後まで抑圧されることになった。その後、不謹慎とみなされる文化の多くは地下へ潜ることになり、ドイツではナチスによって前衛芸術は退廃芸術という烙印を押され、徹底的に弾圧された。
エログロナンセンスと梅原北明の時代
世界恐慌が起こった1929年(昭和4年)から1936年(昭和11年)にかけてエログロナンセンスと呼ばれる退廃文化が日本でブームとなった。時代的背景として関東大震災(1923年)による帝都壊滅、官憲のファシズム台頭、プロレタリア文化運動の弾圧、恐慌による倒産や失業の増加、凶作による娘の身売りや一家心中などで社会不安が深刻化しており、出口のない暗い絶望感とニヒリズムが世相に充満していた[88]。大衆は刹那的享楽に走り、共産主義革命を翼賛する“反体制的反骨”のプロレタリア文化運動も行き詰まりの果てに、常識を逸脱するエログロナンセンスへと流れていった[89][90]。このムーブメントはまさしく混迷極まる昭和初期のわずかな暗い谷間に咲いた、現実逃避の徒花であった。
このブームの中心人物こそ「エログロナンセンスの帝王」「地下出版の帝王」「猥本出版の王」「発禁王」「罰金王」「猥褻研究王」などと謳われたエログロナンセンスのオルガナイザー・梅原北明である。北明は『デカメロン』『エプタメロン』の翻訳で知られる出版人で、1925年(大正14年)11月にはプロレタリア文芸誌の体裁を取った特殊風俗誌『文藝市場』(文藝市場社)を既成文壇へのカウンターとして創刊。創刊号では「文壇全部嘘新聞」と題して田山花袋、岡本一平、辻潤が春画売買容疑で取調べられている横で、菊池寛邸が全焼し、上司小剣が惨殺されるという過激な虚構新聞を見開き一頁を割いて掲載した。それら内容はいずれも冗談と諧謔の精神に満ち溢れており、既成権威に対してイデオロギーを持たず[91][92][93] 無意味なまでに反抗するような姿勢は、当時の同人からも「焼糞の決死的道楽出版」と評された[94][95][96]。
1926年(大正15年)12月に北明が出版した会員誌『変態・資料』(文藝資料編輯部)4号では、月岡芳年画『奥州安達がはらひとつ家の図』と共に、伊藤晴雨が撮影した「逆さ吊りの妊婦」(1921年)が本人に無断で掲載された。その上「この寫眞は画壇の變態性慾者として有名な伊藤晴雨畫伯が、臨月の夫人を寒中逆様に吊るして虐待してゐる光景」「恐らく本人の伊藤畫伯もこれを見たら、寫眞の出處に驚くだらう」という事実無根の解説文を載せ、大いに物議を醸した[注 2]。なお、北明と晴雨は留置場で同室した仲であり、互いの性格をよく知っていたことから、晴雨は写真の無断転載について「北明という男は罪のない男で腹も立たない」と述べている[97]。以降も同誌には過激なグラビアが掲載され、9号(27年6月)には反戦写真集『戦争に対する戦争』(1924年)から負傷兵のえぐれた顔写真を無断転載し、チューブで食事する写真に「何と芸術的な食べかただろう!」「手数はかかるが彼の生活は王侯のそれと匹敵している」など本来の文脈から完全に逸脱した不謹慎なキャプションを添えた。この他にもミイラや手足のホルマリン漬けなどグロ写真が終刊まで無意味に掲載され続けた。なお、2021年9月に中野「まんだらけ」の禁書房が風営法違反で家宅捜査を受けた際、中古販売されていた『変態・資料』は頒布から90余年を経て、再び官憲に摘発・押収されている[98]。
その後、北明は出版法19条「風俗壊乱」の疑いで市ヶ谷刑務所に投獄され前科一犯となるが、仮出獄後すぐに猟奇雑誌『グロテスク』(グロテスク社→文藝市場社→談奇館書局)を1928年(昭和3年)11月に創刊する。新年号が発禁になると、それを逆手にとって読売新聞に「急性發禁病の爲め、昭和三年十二月廿八日を以て『長兄グロテスク十二月號』の後を追い永眠仕り候」という死亡広告を出し、世人の注目を集めた。また北明は度重なる発禁を「金鵄勲章ならぬ禁止勲章授与、数十回」と声高らかに喧伝し、警察からは「正気だか気ちがいだか、わけのわからぬ猥本の出版狂」と見なされた[96]。発禁本研究家の斎藤昌三は「軟派の出版界に君臨した二大異端者を擧げるなら、梅原北明と宮武外骨老の二人に匹敵する者はまずない。その実績に於て北明は東の大関である」と評価している[99]。結果、北明は生涯で家宅捜索数十回、刑法適用25回、出版法適用12回、罰金刑十数回、体刑5年以下の筆禍を受けることになった[100]。
与太雑誌『グロテスク』自体は度重なる発禁と罰金で、ほとんど採算無視の放漫経営状態にあったが、発行部数だけは伸び続け、1929年4月号で部数は遂に1万部を突破した。同誌は『変態・資料』と違って一般に市販されたこともあってか、文献研究雑誌の趣が強く、北明自身も「文献趣味雑誌」と自認していたため、後の視点で見ると決してグロテスクなわけではないが、戦前の抑圧社会で「グロ」を主題にした軟派雑誌が公刊で1万部を売ったという事実は、それだけで驚異的だった[101]。結果的に『グロテスク』は出版界にグロ旋風を巻き起こし、数多くの亜流本を生みだした(後述)。
1931年(昭和6年)に北明は菊判2100頁にも及ぶ古新聞漁りの集大成『近世社会大驚異全史』を刊行する。しかし今度検挙されたら保釈がきかないと弁護士から宣告された北明は当局から逃れるため上海や大阪に逃がれ、ほどなく艶本出版から完全に手を引き、靖国神社の職員となった[96][102]。また二・二六事件以降は国内での検閲・発禁が激化していき、一連のムーブメントは1936年(昭和11年)頃を境に終息していった。この年、日本三大奇書の一つ『ドグラ・マグラ』を著した夢野久作も急逝する。
猟奇ブーム─エロからグロへ
出版界は1929年から1931年頃にかけて「変態ブーム」に代わり、拷問刑罰や犯罪科学にまつわる学術書籍が相次いで刊行されるなど「猟奇ブーム」で沸いた。これは「エロ」が露骨な弾圧を食らうようになってきた背景があり、エロが駄目なら「グロ」を主軸に展開しようということだった[注 3]。
当時流行した「刑罰もの」のモチーフは、刑罰史から姦淫刑罰、宗教刑罰、歌舞伎の残酷演劇、伊藤晴雨の責め絵まで幅広く、変態風俗本と同様に各ジャンルを横断的に網羅していた。また、刑罰ものは単に猟奇趣味の好奇を煽るだけでなく、歴史風俗史料という言い訳が可能で、図版に修正を入れなくても当局の監視下で堂々と出版できるという抜け道があった(性科学系の文献雑誌は、学術誌であると同時に性的欲望を満たすエロ本としても機能していた)。
日本の近代司法における第一号の犯罪心理学者は寺田精一と言われており、1910年代から22年まで研究成果を発表している[103]。変態心理学や精神病理学では1910年代に民間学者による「変態性欲」の通俗的研究が行われた[104] ように、犯罪心理学も猟奇犯罪心理の通俗的研究の対象となった。1930年には犯罪心理学を建前とした猟奇雑誌『犯罪科学』(武侠社)が創刊され、1932年まで続刊した。主幹の田中直樹はその後も後継誌『犯罪公論』(文化公論社)を発刊し、エログロ雑誌界を風靡した[105]。
特に有名なものが、各界の権威を招いて1929年から全16巻を刊行した犯罪科学全集『近代犯罪科学全集』(武俠社)である。秋田昌美は著書『性の猟奇モダン』で「この全集が出たこと自体、日本の出版界においての大事件だったというべきだろう。それを可能にしたこの時代がエロ・グロ・ナンセンスに沸き立った熱い戦前の一時代だったのである」と評価している[106]。
1930年(昭和5年)頃には、エログロナンセンスが頂点に達し、死体写真集に相当する奇書が出回った。同年3月、武侠社の柳沼沢介[107] は『近代犯罪科学全集』の別巻として、図版中心の非公開資料集『刑罰変態性欲図譜』(刑罰及変態性欲写真集/DIE BILDER UBER DIE STRAFE UND ABNORMER GESCHLECHTS TRIEB)を少数頒布した(1996年6月に皓星社から復刊)。本書は「刑罰」「性犯罪」「文身」「責め」の4章から構成され、豊富な写真と図版が300点あまり掲載された。序文には「犯罪科学の研究の資料として世の真摯なる研究家の参考に…」とあるが、実態は今で言うところのSM本であった。刑罰の章では、1868年(明治元年)に発禁となった『徳川刑罰図譜』からの転写、幕末の刑罰/処刑写真、宗教的迫害を描いた拷問絵巻、世界各地の刑罰図譜などが掲載された。また性犯罪の章では、1917年(大正6年)に起こった下谷サドマゾ事件(日本初のSM怪死事件)[注 4]で無残な死体となったマゾヒストの人妻・ヨネの裸体写真が掲載された。さらに文身の章では責め絵、無残絵、伊藤晴雨の緊縛写真が多数紹介された(晴雨自身も「責めの研究」と題したSM論を寄稿している)。
1930年8月には『刑罰変態性欲図譜』と同じ発行元(正確には武俠社内犯罪科学同好研究会)から『犯罪現場写真集』(BILD DES VERBRECHENS IN ELAGRANTI)が発行された[注 5]。これは日本初の本格的な死体写真集とされている[108]。本書の序文には「主として強盗殺人、強姦致死並びにその疑ある犯行等の現場写真を収載した」とあり、実に100枚もの死体写真を掲載した。また扱われた61件の事件中15件が日本のもので、書籍の後半では日本人の死体写真も扱われており、これは海外の死体写真を差し置いて抜きん出た臨場感を放っていた。
しかし、グロには寛容であった官憲とはいえ、やはり本書の内容は目に余る代物だったようで、刊行翌月には「風俗禁止」で発禁となった[108]。結果的に『犯罪現場写真集』の前後が犯罪・猟奇ブームのピークとなり、1935年(昭和10年)に中央公論社が出した『防犯科学全集』では性犯罪がわずかに扱われるだけで、基本的には防犯教育を説く内容であり、猟奇的なムードは一掃された。
1936年(昭和11年)には社会を震撼させた二・二六事件が起こり、日本社会は暗い雰囲気に包まれるが、そのわずか3か月後に大島渚監督『愛のコリーダ』のモチーフとなった阿部定事件が起こる[109]。「性愛の極北」としか表現しようのない猟奇的犯行と、阿部定の妖艶な魅力に人々は熱狂した[110]。この事件は結果的に、エログロナンセンス時代最末期の掉尾を飾ることになる。
1939年(昭和14年)に勃発した第二次世界大戦では、特定民族をガス室送りにする民族浄化や武力で強制された人体実験も行われるなど、世界は有史以来のカオスに突入した。1945年8月には原爆投下という大量虐殺行為(ジェノサイド)が行われ、人類史上最悪の犠牲者を出した世界大戦は終結した。
第二次世界大戦後─カストリ雑誌と「猟奇」の時代
終戦後は言論統制が解放され、出版自由化に同調する形で、大衆の好奇心・覗き見趣味を煽る娯楽雑誌が大量に濫造された。これらの多くはエロ(性・性風俗)やグロ(猟奇・犯罪)に特化した低俗な内容で、たいてい3号で廃刊したことから、3合飲むと酔い潰れる粗悪なカストリ酒にかけて「カストリ雑誌」と総称された。発行されたタイトル数は2000とも4000とも推測されている[112]。また雑誌の内容には、快楽殺人や強姦、近親相姦、阿部定に代表される死体損壊など、非常に多くの倒錯性が含まれていた。凄惨な戦争から解放されたにもかかわらず、大衆がエログロを求めた理由については諸説があるものの、いまだに明らかではない[113]。
周囲からは「これからが梅原北明の真の出番だ」と期待されたが、すでに北明にその意志はなく、1946年(昭和21年)に発疹チフスであっけなく逝去する[114]。終戦でエロ産業は一挙に解放され、巷は第二の桃色風俗出版ブームの華々しい黄金時代を迎えようとしていた[115]。
1946年1月には菊池寛の命名で『りべらる』(太虚堂書房)が発刊され、創刊号は1万部を売った[116]。同年10月にはカストリ雑誌ブームの火付け役となる『獵奇』(茜書房)が創刊され、発売から2時間で2万部を売り尽くした[111][117]。創刊の辞は「平和国家建設のために心身共に、疲れ切った、午睡の一刻に、興味本位に読捨て下されば幸いです」と、至って低姿勢なものであった[111]。
『獵奇』は「梅原北明のような出版活動が戦後も堂々と出来るのか」という意図で創刊され、戦前のエログロナンセンスを引き継いだ側面があった[118]。また北明の盟友だった花房四郎、斎藤昌三、藤沢衛彦が2号から編集者として参加し[119]、北明周辺の作家も積極的に起用された[120][121]。執筆陣には、変態十二史シリーズの『変態伝説史』『変態浴場史』『変態見世物史』を執筆し、本誌の顧問も兼任した藤沢衛彦[122]、同じく本誌の顧問で、北明とは深い交流があった古書研究家の斎藤昌三[123]、SM界の巨匠と名高い伊藤晴雨[124]、生殖器崇拝研究の大家である久保盛丸[125]、北明の雑誌『文藝市場』同人の青山倭文二[126] らが名を連ねた。1946年12月に発行された第二號では北明の遺作『ぺてん商法』が掲載[127][128]。ついでに北川千代三の官能小説『H大佐夫人』が問題視され、わいせつ物頒布等の罪(刑法175条)による戦後初の摘発・発禁を受けた[129][130]。これは結果として『獵奇』の名声を高め[111]、亜流誌として『新獵奇』『オール獵奇』『獵奇読物』『獵奇実話』『獵奇世界』『獵奇倶楽部』『獵奇ゼミナール』『獵奇雑誌・人魚』など、とにかく「獵奇」を冠したカストリ雑誌が雨後の筍のように創刊された[131]。
さらに後続誌として『奇譚クラブ』『裏窓』『あまとりあ』『ろまんす』『風俗草紙』などが登場。のちに『奇譚クラブ』(1947年 - 1975年)は、SM誌に転身して沼正三の『家畜人ヤプー』や団鬼六の『花と蛇』を連載した。『奇譚クラブ』の類似誌としては、澁澤龍彥編集『血と薔薇』(天声出版)や高倉一編集『風俗奇譚』『黒の手帖』(文献資料刊行会→檸檬社)などがある。
また戦後は阿部定リバイバルとも言うべきブームが起き、1947年3月に織田作之助が発表した『妖婦』を皮切りに阿部定事件を扱ったカストリ本(お定もの)が相次いで出版される。木村一郎著『昭和好色一代女 お定色ざんげ』(石神書店・同年6月)は、地下出版された定の供述調書『予審訊問調書』[110] を告白文体で官能的に脚色したもので、発行2か月で公称10万部以上を売った[132]。しかし、再び好奇の視線に晒された定は憤慨し、版元を名誉棄損で告訴する。その後、開き直った定は変名での生活を捨て、坂口安吾と対談したり、阿部定劇の主演女優となって全国を巡業したり、浅草の料亭で看板仲居を勤めるなど、波瀾万丈の生涯を送った[109][132]。一人の男との愛と情欲に生きた阿部定の消息は現在も不明で、その最期を知るものは誰もいない。
このカストリ雑誌ブームは1947年にピークを迎えた。ほどなく露悪的でも猟奇的でもなく「夫婦間の性生活」という大衆的な目線でエロ(性)を打ち出した『夫婦生活』が大ヒットし、摘発と隣り合わせのアンダーグラウンドなカストリ雑誌は時代遅れになっていく[133]。結局、ブームは1950年頃までに終息し[133]、カストリ雑誌に関わったライター、編集者、デザイナーたちは無名のまま忘れ去られ、ほとんどの雑誌は公共図書館に所蔵されることなく散逸した[112]。わずか数年で幻のように消えたカストリ雑誌は、現在もなお戦後出版史のミッシングリンクとみなされている[112]。その後、カストリ雑誌を構成する「読物」「風俗」「実話」などの要素は、その後の週刊誌に吸収されていった[133]。
一方、欧米では1930年代から活動しているフェティッシュ・アーティストのジョン・ウィリーによるSM雑誌『Bizarre』(1946 - 1959)やGene Bilbrewによる『ENEG』、『Exotique』(1956 - 1959)などが出版されている。中でも有名なSM雑誌は、イギリスの『AtomAge』(1957年刊)である。SM雑誌以外にも、アメリカでは「パルプ・マガジン」と呼ばれる安価で低俗な娯楽雑誌が大衆の人気を集めた。
1960年代には特殊効果を用いた実写の猟奇映画が多数登場したが、それ以前の1940年 - 1950年代はECコミックなどのホラー漫画が残酷描写を担っており、これらの作品では「拷問」「猟奇殺人」「四肢切断」「眼球・内臓摘出」などの猟奇的テーマをはじめ、アメリカで根強い人気があるゾンビなど、数々のグロモンスターがアメコミタッチで描写された。日本では、日野日出志や楳図かずお、古賀新一、丸尾末広が猟奇ホラーの重鎮である。猟奇やホラーに特化したイラストレーションは、1980年 - 1990年代のメタルやパンク・ロックバンドのジャケットでも数多く制作されている。
カウンターカルチャー・ムーブメント
1950年代から盛んになった社会の構造的差別に抵抗する公民権運動の流れに続き、1960年代には世界的にカウンターカルチャームーブメントが広がり、既存の社会規範から解放されようという動きが一般に浸透した時代であった。以降は、個人主義(自己中心主義)、個人の権利と自由・快楽の追求が社会に到来し、社会や家庭よりも個人の利益を追求するライフスタイルが定着した[134][135]。この時代には、それまでアンダーグラウンドだったエロやグロの表現も徐々に表立つようになり、後にはさらに過激化させる方向に進んでいくことになる。
前衛芸術と過激パフォーマンス
カウンターカルチャー・ムーブメントを通じて、ショック・アートなど反芸術的な前衛芸術はさらに先鋭化し(人糞を展示するに至る)、ショック・ロックなどミュージシャンのファッションやパフォーマンスも過激化した(脱衣や自傷行為、さらには嘔吐・小便・大便の汚物三種の神器を舞台で行うに至る[136])時代でもあった。こうした風潮はフリーク・シーンとも呼ばれた[137]。
ショック・ロックの代表格には、イギー・ポップ(ジム・モリソンとともに自傷、脱衣、観客罵倒パフォーマンスの先駆者の一人)、オジー・オズボーン(コウモリ食いちぎり)、GGアリン(脱糞・食糞)、マリリン・マンソンなど。セックス・ピストルズは、皇室揶揄ソングとして記念碑的なゴッド・セイヴ・ザ・クイーンをリリースしている。日本ではザ・スターリン、じゃがたら、非常階段、ハナタラシ、TACO、ガガーリン、ゲロゲリゲゲゲ、ハイテクノロジー・スーサイドなどがいる。たとえば遠藤ミチロウは観客に豚の臓物や汚物などを投げ込み、江戸アケミは流血・放尿のほかニワトリやシマヘビの首を生きたまま食いちぎり、山塚アイはユンボでライヴハウスの壁を壊し、非常階段の女性メンバーはステージで放尿し、田口トモロヲは炊飯器に脱糞し、山崎春美は自殺未遂ギグを決行した。
また世界的にも反芸術的な前衛芸術が再興した。アメリカではネオダダが興り、日本でも九州派などがゴミに小便をかけたものを前衛芸術店に展示したり、街角でストリーキングや迷惑行為を行う芸術テロ的で過激なパフォーマンスアーティスト集団も登場した(日本ではゼロ次元やハイレッド・センター、ヨーロッパではウィーン・アクショニストなど)。草間彌生もウォール街にて全裸集団を組織して路上パフォーマンスを行なった(ナチュラリスト指向のヌーディスト運動の歴史は19世紀末に遡る)。
カルトムービーの黄金時代
世界各地の知られざる奇習や風俗を描いたグァルティエロ・ヤコペッティ監督のドキュメンタリー映画『世界残酷物語 MONDO CANE』(1962年)のヒットを嚆矢として、1960年代のヨーロッパやアメリカでは、観客の見世物的好奇心に訴える猟奇系のドキュメンタリー・モキュメンタリー映画が続々と登場し、人気を博していた。これら映画は「モンド映画」(Mondo film)または「エクスプロイテーション映画」と呼ばれる。特にモンド映画は、やらせも含めたショッキングでいかがわしい演出とセンセーショナリズムが特徴的であった。著名なモンド映画監督としてはヤコペッティ以外にも『ピンク・フラミンゴ』のジョン・ウォーターズや『ファスター・プシィキャット!キル!キル!』のラス・メイヤーなどがいる。これら監督たちの映画は脱力的な大衆文化「モンド・カルチャー」のルーツとなったほか、世界中の悪趣味(バッド・テイスト)文化にも多大なる影響を及ぼした[注 6]。日本でも中川信夫監督の『日本残酷物語』(1963年/NFAJ所蔵)や中島貞夫監督の『にっぽん’69 セックス猟奇地帯』などのモンド映画が製作されている。
その後、ヤコペッティが3年の歳月を費やし、本物の処刑シーンも収めた『さらばアフリカ』(1966年)が興行的に大失敗するなどして、過熱的なモンド映画ブームは終息したが、トッド・ブラウニング監督の『フリークス』(1932年・MGM)がアメリカの映画館で深夜上映されたのを皮切りに、1970年代のアメリカではカルトムービーやインディーズ・ムービーが深夜上映の形態で続々公開されるようになった。これらの映画は「ミッドナイトムービー」と呼ばれ、一部の映画マニアを中心に熱狂的な人気を博した。また、ここから『ピンク・フラミンゴ』(犬の糞を食べるシーンがある)『エル・トポ』『ナイト・オブ・ザ・リビングデッド』『ロッキー・ホラー・ショー』『イレイザーヘッド』『エレファントマン』などのカルト映画も数多く生み出されていった。1972年にはラルフ・バクシが画期的なアダルトアニメ『フリッツ・ザ・キャット』を製作し、史上最も成功したインディーズ系アニメーション映画のひとつとなった(それと同時にアニメ史上初のX指定を受けた)。本作ではブラックユーモアやセックス描写が大胆に取り入れられ、主人公が学生運動、性革命、ヒッピーコミューンなどアメリカ社会で60年代後半に巻き起こったムーブメントを野次馬的に体験していく様子が毒々しく描かれている。
1963年にはスプラッター映画の走りとなった『血の祝祭日』が公開され、これ以降の映画で人体損傷シーンを過激化していくきっかけを作った。日本でもこの頃から、直接的な残酷シーンが登場する『地獄』(1960年)などが制作されている。1975年にはマルキ・ド・サドの鬼畜SM小説『ソドム百二十日あるいは淫蕩学校』を原作とした『ソドムの市』が公開された。これは、金持ちの権力者たちが街で狩ってきた少年・少女たちを囲って、拷問したり食糞したりするという内容の、悪趣味映画の極みであった。1978年にはモンド映画の中でも解剖、処刑、事故、屠殺といった「死」の風景ばかりを扱う、日米合作による『ジャンク』が公開される。
1971年に出版されたエド・サンダーソン著のマンソンファミリーを扱った書籍は、殺人を撮影するスナッフフィルムに対する社会の関心を読び起こした[注 7]。これをきっかけに、スナッフフィルムは「裏世界では娯楽のために人が殺され、その模様を収めたフィルムがひそかに売買されているらしい」などといった噂とともに知られるようになり、様々な作品の題材に取り上げられている。特に1975年のモンド映画『スナッフ/SNUFF』は実際のスナッフフィルムとの触れ込みで公開されたことで有名である。また『食人族』(1983年)のように、劇中の映画撮影隊が殺人行為を撮影したり殺されたりする場面をリアルに演出し、さらに誇大宣伝をすることによって本物の殺人映像と思い込ませた例も出現した。
死ぬ権利、ドラッグ・カルチャー、ハッカー・カルチャー
1960年代から1970年代にかけては、情報・通信機器が急速に普及し、公開自殺の様子も大衆の目に届くようになった。1963年には、ティック・クアン・ドックがベトナム戦争に抗議して大使館前で焼身自殺。1970年、三島由紀夫が自衛隊の前で公開割腹自殺。1974年には、クリスティーン・チュバックが世界で初めてテレビの生放送中に自殺を遂げた。死ぬ権利を唱導するヘムロック協会は1982年に自殺マニュアル本を出版し、1991年にも同様の内容の『Final Exit』を出版した[139]。ただし、これは自殺を煽る悪趣味の文脈ではなく、苦痛から解放されたい人たちへの苦しまずに自殺する方法集であった。
カウンタカルチャー・ムーブメントではドラッグ・カルチャーが強く押し進められた。1978年には、ハイ・タイムズより『High Times Encyclopedia of Recreational Drugs』が発刊されている。また、コンピューターの普及によって、ハッカー・カルチャーも生まれた。1985年には、『The Hacker's Handbook』が発売された。
セクスプロイテーション、ピンク映画の勃興とポルノ解禁
また、1960年代のアメリカではセクスプロイテーション映画と呼ばれる、独立系映画制作会社による低予算の、お色気女優が性的搾取されるシチュエーションを扱うジャンルが隆盛し、日本でも同様にピンク映画が流行した。『Olga's Girls』(1964年)などSM行為を含むエロ映画もこの頃に多数制作されている。1969年のデンマークを皮切りに、(擬似ではなく)本物の性交を行うポルノ映画が合法となった(ポルノ解禁)。ポルノが合法になる以前からも、スタッグフィルムと呼ばれる非合法のポルノ映画が地下で流通しており、SMポルノ映画もこの頃から制作されていた。デンマークのColor Climax Corporation(1967年〜)は、すぐさま獣姦、飲尿、さらに法律の不備をついて児童ポルノなど様々なジャンルのポルノを制作した。スカトロ行為を行うポルノ動画がいつ頃から登場したかは定かではないが、『HARD GAMES – Klistier Exzess (Anita Feller)』(1980年)やVeronica Moserなどは確認できる初期の例である。1980年代にはイギリスでアニマル・ファームという獣姦ジャンルのポルノ動画がいくつも作成された。中には、ウナギを挿入するものもあった。現在では、動物の権利の観点から、獣姦ポルノは法律で禁止されている国もある。日本のカルト的エログロAVでは、V&Rプランニング、平野勝之、井口昇、天野大吉、穴留玉狂、アロマ企画などが後に登場した。
一方、日本国内では1960年代よりテレビの普及に伴い、映画館の観客動員数が減少し、これに対抗した大手以外の独立系映画会社が「テレビでは出来ないこと」としてピンク映画の製作に舵を切り始め、隆盛を極めていた。これに目を付けた東映が『網走番外地』シリーズで知られる映画監督の石井輝男と『くノ一忍法』『893愚連隊』『日本暗殺秘録』で知られる中島貞夫を抜擢し、日本の大手映画会社としては初となるポルノ映画『大奥㊙物語』(監督・中島貞夫)および『徳川女系図』(監督・石井輝男)を製作した。これに手応えを感じた東映と石井は本作より「異常性愛路線」を前面に打ち出し、作中にサドマゾ、拷問、処刑などグロテスクな描写を次々に取り入れ、エログロとサディズムの極限を追求した成人映画を立て続けに製作し、和製モンドの一ジャンルを築き上げた。これら一連の作品によって石井輝男は国内におけるカルトムービーのパイオニアとしてみなされている。
異常性愛路線は、1968年公開の『徳川女系図』の大ヒットを嚆矢として『徳川女刑罰史』『異常性愛記録 ハレンチ』『徳川いれずみ師 責め地獄』『明治大正昭和 猟奇女犯罪史』(阿部定が出演)とシリーズを重ねるごとに、その過激さを加速度的にエスカレートさせていくが、1969年の『江戸川乱歩全集 恐怖奇形人間』の興行的失敗、併映作『㊙劇画 浮世絵千一夜』の警視庁から東映と映倫に対するわいせつシーンの削除要請、そして警察庁による取り締まり強化宣言などによって60年代末に終焉を迎えることとなる[140]。
その後、エログロ路線が下火になる中、1971年に東京テレビ動画(後の日本テレビ動画)は谷岡ヤスジ原作の劇場用アニメ映画『ヤスジのポルノラマ やっちまえ!!』を製作。本作はそれまで子供向けであると言われたアニメの世界にエログロやバイオレンス表現を大胆に取り入れ、強姦や獣姦、幼児姦に近親相姦といったハードコア要素を存分に詰め込んだアブノーマルな世界観に仕上がっており[141]、今日では伝説的なカルトムービーとして一部で再評価されている。しかし、公開前に映倫からのクレームで11カ所がカットされ、主人公がメスゴリラと姦通した後、割腹自殺を遂げるラストシーンは前年の三島事件を連想させるとのことで全面的に撮り直された[141]。そのうえ公開後は全く客が入らず、2週続映が1週で打ち切られ、ほとんどの批評誌からも酷評されるなど興行は大失敗に終わり、本作を最後に東京テレビ動画は解散を余儀なくされた[141]。その後、1984年にワンダーキッズが中島史雄の三流劇画を原作とした成人向けOVA『雪の紅化粧/少女薔薇刑』を公開するまで国産アダルトアニメは12年半にわたり姿を消すこととなった。
黎明期
1976年頃、それまでの出版文化とは全く異なる出自をもつ自販機本が、旧来のエロ本へのアンチテーゼとして突如登場した[142]。自販機本は、街角に設置された自動販売機のみで販売されていたアンダーグラウンドなエロ本で、出版業界の最底辺に属する存在であり[143]、出版取次を介さず自主規制とは全く無縁という自由なメディアでもあった。主力ジャンルは写真誌・実話誌・劇画誌だが、編集者には全共闘世代も多く、既存の枠に収まらない作家や表現が積極的に採用された結果、ニューウェーブ系のサブカル誌が次々に登場した。たとえば『劇画アリス』(アリス出版/迷宮)は、三流劇画ブームの一角を担ったほか、メジャー誌から自販機本に進出した吾妻ひでおは『少女アリス』(アリス出版)に画期的なロリコン漫画を連載する[144]。
このように1970年代末には、既成の出版文化から逸脱したサブカル・アングラ誌が続々と登場し、独自の文化を形成していた。そんな端境期に出現したのが、伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』(エルシー企画→アリス出版→群雄社出版)である。メディアマンの高杉弾と山崎春美(ガセネタ/TACO)らによって1979年3月に創刊された『Jam』は、20世紀末の日本で花開いた「鬼畜系」の元祖的存在とされた[145][146][147]。特に『Jam』創刊号の爆弾企画「芸能人ゴミあさりシリーズ」では、山口百恵の自宅から出たゴミを回収し、電波系ファンレターから使用済み生理用品まで、誌面のグラビアで大々的に公開したことから物議を醸した(雑誌上のゴミ漁り企画は、アメリカ合衆国のアンダーグラウンド・マガジン『WET』〈1976-81〉のゴミ漁り企画が元祖である)。また同誌では、ドラッグ、パンク・ロック、神秘主義、臨済禅、シュルレアリスム、フリーミュージック、ヘタウマ(蛭子能収・渡辺和博)などオルタナティブ・カルチャーを縦横無尽に取り上げ、知性と諧謔と狂気が交錯するパンクな誌面を展開した。
1980年代に特異なサブカル誌がエロ本などから出現した背景について大塚英志は「全共闘世代が〈おたく〉第一世代に活動の場を提供する、という形で起きた」と指摘しており[148]、これに関して高杉弾も「あの頃は自販機本の黄金期で出せば売れるという時代だったから、僕らみたいなわけの分からない奴にも作らせる余裕があったんだね。それに編集者は全共闘世代の人が多かったから、僕らみたいな下の世代に興味を持ってくれたんだと思うよ。それで『Jam』や『HEAVEN』を作ったんだよね」と述懐している[149]。その後、自販機本より過激なビニ本の台頭、全国に飛び火したPTAや警察による弾圧運動などで、自販機本は急速に姿を消す。しかしながら『Jam』『HEAVEN』のアナーキーな精神は、アリス出版から分派した群雄社を経て、白夜書房〜コアマガジン系のアダルト雑誌に引き継がれていった[142]。今日『Jam』『HEAVEN』は、伝説の自販機本として神話化されている[150]。
鬼畜系文筆家の草分け的存在である青山正明と村崎百郎も『Jam』の影響を強く受けており、青山は慶應義塾大学在学中の1981年にキャンパスマガジン『突然変異』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)を創刊[注 8]。障害者や奇形、ドラッグ、ロリコン、皇室揶揄まで幅広くタブーを扱い[151]、熱狂的な読者を獲得したものの、椎名誠などなどの文化人から「日本を駄目にした元凶」「こんな雑誌けしからん、世の中から追放しろ!」[152] と袋叩きに遭い、わずか4号で廃刊する。一方の村崎は『Jam』からヒントを得て「鬼畜のゴミ漁り」というスタイルを後に確立する[153]。
三流劇画ブームとロリコンブームの仕掛人で、元アリス出版『少女アリス』編集長の川本耕次は、自販機本周辺のサブカルチャーが1990年代に鬼畜系へと発展した経緯について次のように総括している。
自販機エロ本というのは、それまであったエロ本のタブーをブチ壊し、アナーキーな性欲を街頭に開放することから始まった。既成の出版業界から見れば、鬼畜そのものだ。ロリコンに限らず、性欲に関するあらゆるタブーを打破し、マトモな性欲の持ち主だったら眉をひそめるようなネタを続々と登場させた。それはビニ本に引き継がれ、タブーは次々に破られて行く。それが70年代終わりから80年代前半までのトレンドで、90年代の鬼畜ブームというのは、そんな連中、まぁ、おいらもその典型なんだが、そんな連中を「カッコイイ」と思って憧れていたネクラ少年たちが作り上げたブームなんだろうが、基本は文学少年だったり音楽オタクだったりする文系のお坊ちゃまなので、鬼畜ごっこ[注 9]と呼ぶのが正しい(笑) — オマエが元祖鬼畜系だろうが - ネットゲリラ(2021年7月22日配信)
80年代の猟奇・変態カルチャーとその終焉
1980年代前半には“都市環境が美化された結果、死体が見えなくなったことに対する反逆”として局所的な死体ブームが起こった[156]。写真週刊誌『FOCUS』(新潮社)に創刊号から連載され、わずか6回で打ち切られた藤原新也の『東京漂流』では、ガンジス川の水葬死体に野犬が喰らいつく写真に「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ」というキャプションが添えられた。これはコマーシャリズムによって異物を排除する志向が広く浸透した、現代社会に対する痛烈なアンチテーゼである。
1982年にはインディペンデント出版社のペヨトル工房が刊行する耽美系サブカルチャー雑誌『夜想』5号で死体を通した文明論や異常心理に関する考察をまとめた「屍体─幻想へのテロル」特集が組まれる。1984年にはビー・セラーズ[157] から死体写真集『SCENE』(中川徳章・小向一實・芝田洋一選)が出版された[注 10]。これは法医学書や学術書の形を借りずに出版された日本初の死体写真集である。その後、同写真集に触発されたアリス出版編集部は『SCENE』の写真を転載し、自販機本『EVE』に根本敬の死体写真漫画『極楽劇場』を連載する(1991年に青林堂から刊行された根本敬初期作品集『豚小屋発犬小屋行き』に収録された)[159]。
その他にも大手出版社の写真週刊誌では、自殺した三島由紀夫や岡田有希子の死体写真、また日航機墜落事故や山岳ベース事件の遺体写真が大写しで掲載された[160]。1985年6月18日には豊田商事会長の永野一男が、約30名の報道陣の前で自称右翼の男に日本刀で刺殺され、その様子が全国の茶の間に生中継された[161]。
1981年には白夜書房がスーパー変態マガジン『Billy』を創刊。当初は芸能人インタビュー雑誌だったが全く売れず路線変更し、死体や奇形、女装にスカトロ、果ては獣姦・切腹・幼児マニアまで何でもありの最低路線を突き進んだ。その後も一貫して悪趣味の限りを尽くし、日本を代表する変態総合雑誌として、その立ち位置を不動のものにしたが、度重なる条例違反や有害図書指定を受け、誌名を変更するなどしたが全く内容が変わっておらず、1985年8月号をもって廃刊に追い込まれた[162]。
また同年には高杉弾、青山正明、蛭児神建[163] らが連載していたロリコン系サブカル雑誌『Hey!Buddy』(白夜書房)の増刊号『ロリコンランド8』が「少女のワレメはわいせつ」として発禁・回収処分となった(読者投稿の犯罪写真や無修正のワレメが当局に問題視された)。本誌『Hey!Buddy』も“ワレメが出せないロリコン雑誌は、もはやロリコン雑誌ではない”として1985年11月号をもって自主廃刊する[164]。その後はバブル時代の到来と共に、鬼畜系は約10年にも及ぶ長い冬の時代を迎えることになった。
成熟期
「鬼畜系」という言葉自体は、1995年7月に創刊され「鬼畜ブーム」の直接的な引き金となった『危ない1号』(東京公司編集/データハウス発行)周辺から生まれた1990年代の特徴的なキーワードおよびムーブメントであるが、すでにバブル景気が崩壊した1993年頃から自殺や死体など「危ない書籍」に大衆的な注目が集まるようになっていった[165][166]。
1992年に青山正明が上梓した日本初の実用的なドラッグマニュアル『危ない薬』(データハウス)は10万部を超えるヒットとなり[167]、1993年に鶴見済が発表した単行本『完全自殺マニュアル』(太田出版)はミリオンセラーを記録する[165]。
1994年には『Billy』元編集長の小林小太郎が奇形&死体雑誌『TOO NEGATIVE』(吐夢書房)を創刊。同誌では死体写真家の釣崎清隆を輩出し、画家のトレヴァー・ブラウンが起用された。また同年には初代『SCENE』編集者の芝田洋一によってアルバロ・フェルナンデスの写真集『SCENE―屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態』(桜桃書房)が発刊され[158]、定価1万5千円で2千部を売り上げた[168]。
周辺文化研究家のばるぼらは、これら『危ない1号』以前の「悪趣味」について、どこかフェティッシュで学術的な内容が強い「外部からの視点」のものであるとし、村崎百郎の定義した鬼畜的な行為あるいは妄想に「娯楽性」を見出す積極的意識こそが『危ない1号』以降の「鬼畜系/鬼畜ブーム」の本質であることを指摘している[165]。
またエロティシズム文化に詳しい伴田良輔は「悪趣味」の起源そのものは「キッチュ」「マニエリスム」「バロック」「グロテスク」といったヨーロッパ文化にあると指摘し、それが大量消費時代を迎えた1950年代以降のアメリカで「モンド」「スカム」「キャンプ」「ビザール」「ローファイ」「バッド・テイスト」に発展し、それが米国での流行の経緯とは無関係に日本で新しい意味や機能が付け加えられて蘇ったと解説している[169]。ただし、伴田の定義する「悪趣味」とは、ある範囲の事物に共通して見られる「けばけばしさ」「古臭さ」「安っぽさ」の類型的特徴を意味しており、最初から露悪的な表現や様式を追求するような「鬼畜系」は含まれていない。
モンド・ブーム
90年代には悪趣味ブームと連なる形で、世界的なモンド・ブームが起きた[170]。MONDOとはイタリア語で「世界」を表し[注 6]、未開地域の奇妙で野蛮な風習を虚実ないまぜに記録したモンド映画『世界残酷物語』(1962年)のヒットにより世界中で定着した(原題の「MONDO CANE」は、イタリア語の定句で「ひどい世界」の意)。モンド映画とは世界中の奇習・奇祭などをテーマにした映画で、エログロ満載のショッキングな映像で観客の好奇心を惹きつけておきながら「狂っているのは文明人のほうだ」と、取ってつけたような文明批判や社会批判を盛り込んだ、社会派きどりのモキュメンタリー・猟奇趣味的なドキュメンタリーである。その後、MONDOという概念はアメリカで独自の発展を遂げ、単なる世界から「奇妙な世界」「覗き見る世界」「マヌケな世界」へと語義が変化し[171]、奇妙な大衆文化を包括するサブカルチャーの総称、ないし世間的に無価値と思われている対象をポップな文脈で再評価するムーブメントとして扱われるようになった。
メディアマンの高杉弾はMONDOについて「アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化」または「けっして新しくもカッコ良くもオシャレでもないけど、なんだか人間の普遍的なラリパッパ状態を表現する暗号的な感覚」と定義し「ポップでありながら繊細ではなく、間抜けでありながら冗談ではなく、人を馬鹿にしつつも自らがそれ以上の馬鹿となり、ときにはぜーんぜん面白くなかったりもしながら、しかし着実に生き延びていった」と評している[138][171]。
世紀末のモンド・ブームは、モンド映画『モンド・ニューヨーク』(1988年)の公開をきっかけに始まり[171]、通常のディスクガイドでは完全に無視されるような奇妙で特殊な音楽―モンド・ミュージック(以下、モンド音楽)のリバイバルで爆発的に広まった。代表的なモンド音楽として、アメリカのファミレス、モール、空港、ホテル、エレベーターで、1960年代〜70年代に流れていたラウンジ・ミュージック(以下、ラウンジ)がある。ラウンジはジャズ・エキゾチカ・エレクトロニカなどの多様なジャンルを巻き込んだ匿名性の高いムード音楽(イージーリスニング)の一種で、明確な輪郭を持った音楽ジャンルではなかったが、こうしたヒットチャートとは無縁の大衆音楽を「見方を変えて面白く享受する様式」そのものが「モンド音楽/ラウンジ」とみなされた。本国アメリカでは、西海岸の独立系サブカルチャー雑誌『RE/Search』の2号にわたる「インクレディブリー・ストレンジ・ミュージック(=信じられないほど奇妙な音楽)」特集の影響、および90年代半ばに若者の流行がグランジからラウンジへ移行したことにより[172]、モンド・ブームは一気に過熱する[173]。特にラウンジは、エキゾチカ[174]とモーグ[175]が二大巨頭とみなされた[173]。1996年には、ビースティ・ボーイズが編集するアメリカのユース・カルチャー誌『グランドロイヤル・マガジン』3号でモーグ特集が組まれ、ブームは最高潮に達した[173]。
1995年2月には、ラウンジのみならず、アポロ計画の頃に作られた宇宙もの[注 11]やマイナーなCMソングなど、従来は軽視されてきたムード音楽に新たな解釈や面白さを与え、娯楽的かつ学術的に体系化した書籍『モンド・ミュージック』(リブロポート発行/Gazette4=小柳帝、鈴木惣一朗、小林深雪、茂木隆行の共著)が刊行されたことで、この用語は音楽業界にそれなりに定着した[176][170]。また個性的すぎて日の目を見ずに埋もれていったディープな昭和歌謡を80年代から紹介している幻の名盤解放同盟がブームに与えた影響も大きい。迷盤・奇盤の数々を再録した、特殊音楽のコンピレーション・アルバム『幻の名盤解放歌集』(Pヴァイン)シリーズには5000枚以上を売った作品も存在し、廃盤レコードの編集盤としては「破格のヒット」とされる[177]。90年代半ばには幻の名盤解放同盟の紹介で、韓国では下世話とみなされているポンチャックおよび李博士が日本に上陸し、一時的なブームを呼んだ。元ボアダムスの山本精一はモンド音楽について「一言で言ったら変態」「趣味のよい悪趣味」「あくまで無意識」「狙ってないことがポイント」「本人は自分がモンドだなんて決して思ってない」と定義している[1]。
1995年には、メジャー週刊誌『SPA!』9月20日号で「【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体」特集が組まれ、モンド・グッズが悪趣味な文脈で過去・現在を問わず横断的に紹介された。また、この頃からMONDOなアート、映画、漫画を紹介するガイドブックも多数刊行され、MONDOは20世紀サブカルを総括するキーワードとして欠かせない存在となった[178]。この時期の代表的なMONDOガイド本としては次のようなものがある。
- オカルト猟奇殺人からブラックメタル、モンドアート、SPKなどのノイズミュージックまで暗黒文化を解説した、メルツバウの秋田昌美著『スカム・カルチャー』(1994年/水声社)
- 国内外のモンド映画を体系化した、映画秘宝ムックシリーズ『悪趣味洋画劇場』『エド・ウッドとサイテー映画の世界』『悪趣味邦画劇場』(1994年〜1995年/洋泉社)
- モンド漫画のガイドブック『マンガ地獄変』(1996年〜1998年/水声社)および、宇田川岳夫編『マンガゾンビ』(1997年/太田出版)
- 宇田川岳夫著『フリンジ・カルチャー ―周辺的オタク文化の誕生と展開』(1998年/水声社)
MONDOの条件
MONDOを日本に紹介した高杉弾(伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長)は、MONDOの条件として「間が抜けている」「あまり面白くない」「安っぽい」「組み合わせの妙」「ややスケベ」「脳天気」などを掲げている[171]。また朝日新聞は「キワモノともジャンク(廃品)とも称される作品」「どういうつもりで作ったんだと、思わず製作意図を問いただしくなるような、音楽や映画」「懸命に作って、結局とんでもないものができてしまった、そんな間抜けさが受けている」とMONDOを要約した[177]。渋谷直角はモンド・ブームについて「デザインや作品として特別優れているわけではないが、奇妙だったり味があって良い、おもしろい、という新たな光で照らされた」「今も昔も並列に見て、その時代時代の背景も知りつつ、美しいものばかりじゃないよね、という情緒ごと楽しむ感覚が当時はあった」と評している[170]。
MONDOと見なされるような対象は、主に次の通りである[1][170][171][173]。
- エクスプロイテーション映画(グラインドハウス映画)
- 70年代の『プレイボーイ』
- 月刊誌『ペントハウス』のエログラビア
- アメリカの企業広告やノベルティグッズ
- チャールズ・マンソンのTシャツなど猟奇殺人犯のグッズ
- イームズ・チェアなどの家具
- エド・ウッドのZ級映画
- 目玉芸術集団のザ・レジデンツ
- 秘宝館(蝋人形館)の展示物
- パチンコ店の派手な看板
- ラブホテルの奇妙なインテリア
- 新聞や雑誌の誤植
- 街で見つけたヘンなもの(変な名前の店、飛び出し坊や、超芸術トマソンなど)
- ひょっとこ(高杉弾によるMONDOの超訳)
- ディープな昭和歌謡、パチソン、ポンチャック
- 高円寺バロックのモンド・グッズ
- Mondo Mediaのフラッシュアニメ
- 特殊漫画[注 12]
なお『モンド・ミュージック』のスタッフは『モンド・ミュージック2』(1996年)で、MONDOを次のように分類している。「MONDOにも2種類ある。意図せずしてMONDO(と呼ばれるよう)になってしまったものと、始めから意識的にMONDOをやっているものと」。いずれにせよ、MONDOという概念は、受け手に共有される徹底的な面白主義の立場に由来しているといえるだろう[176]。
MONDOを取り巻く関連用語には「無意識過剰」「奇想天外」「へんてこ」「ディープ」「B級」「Z級」「ポップ」「チープ」「トラッシュ」「ローファイ」「スカム」「キッチュ」「ビザール」「キャンプ」「フリーク」「ウィアード」「ストレンジ」「クィア」「エキゾチカ」「バッド・テイスト」などがある(いずれも世紀末に再注目された)[171]。特に「MONDO」は90年代にスノッブな若者言葉として一部で流通した。林雄司は「モンドな感じだよね、って言っておけば何となく意味ありげな感想を述べたような気になれた」と当時を回想している[180]。
鬼畜・悪趣味ブーム
1990年代中頃になると鬼畜系サブカルチャーが鬼畜ブーム・悪趣味ブームとして爛熟を迎え、不道徳な文脈で裏社会やタブーを娯楽感覚で覗き見ようとする露悪的なサブカル・アングラ文化が「鬼畜系」または「悪趣味系」と称されるようになった[181]。
青土社発行の芸術総合誌『ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」では文学や映画、アートにファッションなどあらゆるカルチャーにキッチュで俗悪な「悪趣味」という文化潮流が存在することが提示され、これを境に露悪趣味(バッド・テイスト)を全面に押し出した雑誌やムックが相次いで創刊され一大ブームとなる。また同年6月には海外タブロイド誌『Wilkly World News』をモチーフとした世紀末B級ニュースマガジン『GON!』(1994年4月創刊)がコンビニ向けに月刊化された。
このブームを代表する1995年7月創刊の鬼畜系ムック『危ない1号』(東京公司/データハウス)では史上初のカルトグル、ハッサン・イ・サバーの「真実などない。すべては許されている」[注 13]という言葉を引用して「妄想にタブーなし」を謳い文句に「鬼畜系」を標榜し、ドラッグ・強姦・死体・ロリコン・スカトロ・電波系・障害者・痴呆・変態・畸形・獣姦・殺人・風俗・読書・盗聴・テクノ・カニバリズム・フリークス・身体改造・動物虐待・ゲテモノ・アングラサイト・カルト映画・カルト漫画・ゴミ漁り・アナルセックス・新左翼の内ゲバ・V&Rプランニング・青山正明全仕事まで、ありとあらゆる悪趣味を徹頭徹尾にわたり特集した。鬼畜・変態・悪趣味が詰め込まれた同誌はシリーズ累計で25万部を超える大ヒットとなり、初代編集長の青山正明は鬼畜ブームの立役者とみなされた[181][183]。
ロマン優光は『危ない1号』とそれ以前の悪趣味の違いについて次のように述べている。
『危ない1号』第2巻が刊行される一年前である95年にユリイカ臨時増刊『総特集・悪趣味大全』(青土社)が刊行されており、現在よりはるかに硬めでハイカルチャー寄りの性質だった『ユリイカ』が特集を組んでしまうくらい、悪趣味系自体が当時のサブカルチャーの中の一つの大きなムーブメントであったわけですが、そこの中での差別化を図るために使われたフレーズが鬼畜だったということだと思います。『危ない1号』第2巻のテイストは非常に露悪的なものであり、その意図された露悪的でゲスい視点にオリジナリティがあったことで、それ以前の悪趣味文化との差別化に成功していました。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、11-13頁。
結果として『危ない1号』は鬼畜本ブームの先駆けとなり、次に掲げるような後発誌も続々と現れた。
- 『BURST』 - 1995年9月創刊。死体写真・タトゥー・スカトロ・違法薬物・身体改造などの先鋭的なカルチャーやバッドテイストを扱った、平成時代を代表するカウンターカルチャー誌である。派生誌に『TATTOO BURST』『BURST HIGH』『BURST Generation』がある。コアマガジン発行。
- 『週刊マーダー・ケースブック』 - 全世界の特異な殺人事件を扱う海外の週刊誌。日本語版は1995年10月創刊。監修は精神科医の作田明。1997年8月の終刊まで全96号を刊行した。省心書房→デアゴスティーニ・ジャパン発行。
- 『世紀末倶楽部』 - 1996年6月創刊。土屋静光編集。テーマは死体、フリークス、殺人鬼、見世物、解剖、レイプ、暴力、病気、事故、戦争、宗教儀式、法医学、胎児などで当時の悪趣味ブームの集大成的内容となっている。創刊号は1冊すべて「チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件」特集。コアマガジン発行。
- 『BUBKA』 - 1997年1月創刊。コアマガジン→白夜書房発行。創刊当初は先行誌『GON!』(ミリオン出版)の典型的な亜流誌だったが、のちに鬼畜系からアイドル雑誌に転向した(鬼畜系路線は兄弟誌『裏BUBKA』『実話BUBKAタブー』を経て『実話BUNKAタブー』に継承された)。
- 『BAD TASTE』 - マイノリティを主眼に置いた悪趣味雑誌。フロム出版/東京三世社発行。
- 別冊宝島シリーズ
- 別冊宝島228『死体の本―善悪の彼岸を超える世紀末死人学!』
- 別冊宝島250『トンデモ悪趣味の本―モラルそっちのけの,BADテイスト大研究!』
- 別冊宝島281『隣のサイコさん―電波系からアングラ精神病院まで!』
- 別冊宝島356『実録!サイコさんからの手紙―ストーカーから電波ビラ、謀略史観まで!』
このように鬼畜/悪趣味を前面に押し出した雑誌・週刊誌・月刊誌・隔月刊誌・ムック・単行本が相次いで出版されるようになり、ますますブームの過熱を煽っていった[184]。
電波系鬼畜ライター・村崎百郎の登場
『月刊漫画ガロ』(青林堂)1993年10月号の幻の名盤解放同盟のフィールドワーク特集「根本敬や幻の名盤解放同盟/夜、因果者の夜」でメディアに初登場した村崎百郎は、1995年からは「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」ために「鬼畜系」を名乗り、この世の腐敗に加速をかけるべく「卑怯&卑劣」をモットーに日本一ゲスで下品なライター活動をはじめると宣言[186]。同年4月刊行の『ユリイカ臨時増刊号/悪趣味大全』において鬼畜系・電波系ライターとして本格的にデビュー後、青山正明の依頼で鬼畜本ブームの先駆けとなった『危ない1号』の編集・執筆に参加する。
翌1996年1月10日には新宿ロフトプラスワンで村崎百郎主催の『危ない1号』関係者総決起集会『鬼畜ナイト』が開催、大麻取締法違反で保釈されたばかりの青山正明が一日店長を務めた。その他にも根本敬、佐川一政[187]、柳下毅一郎、夏原武、釣崎清隆、宇川直宏、石丸元章、クーロン黒沢、木村重樹、吉永嘉明ら30人以上の鬼畜系文化人が登壇し、キャッチコピーのとおり「誰もがいたたまれない気分に浸れる悪夢のトークセッション」を繰り広げた。イベントの模様は同年8月に『鬼畜ナイト 新宿でいちばんイヤ〜な夜』(鬼畜ナイト実行委員会+東京公司)としてデータハウスから書籍化され、7万部を売り上げた[188]。
その後も村崎百郎は、著書『鬼畜のススメ 世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』(データハウス/1996年7月)で他人のゴミを漁ってプライバシーを暴き出すダスト・ハンティング(霊的ゴミ漁り)を世に紹介し、さらに電波系にまつわる体系的な考察を行った単行本『電波系』を特殊漫画家の根本敬との共著で太田出版から1996年9月に上梓する。
鬼畜ブームの背景─1995年
鬼畜・悪趣味ブームの背景および歴史変遷は後述のとおりである。
- ばるぼらは鬼畜ブームについて「95年に創刊した『危ない1号』(データハウス)を中心に流行した、死体や畸形写真を見て楽しんだり、ドラッグを嗜んだりと、人の道を外れた悪趣味なモノゴトを楽しむ文化」と定義し、「元々『完全自殺マニュアル』のベストセラー化をきっかけに『死ぬこと』への関心が高まり、死体写真集などの出版で『死体ブーム』とでも言うべき状況があったが、同じ頃『悪趣味ブーム』も並行して起こり、それらの総称として現れたキーワードが『鬼畜』だった。『危ない1号』の編集長、青山正明氏の出所記念イベント『鬼畜ナイト』(96年1月10日)が“鬼畜”のはじまりかと思う」と解説している[184]。
- 『映画秘宝』創刊者の町山智浩は90年代の鬼畜系について「80年代のオシャレやモテや電通文化に対する怒りがあった」「オシャレでバブルで偽善的で反吐が出るようなクソ文化[注 14]へのカウンターだった」という見解を示し[189][190]、根本敬と村崎百郎が「すかしきった日本の文化を下品のどん底に突き堕としてやりたい」と心の底から叫ばねばならないほど、当時の日本文化は健全で明るい「抑圧的なオシャレ」や「偽善のファシズム」に支配されていたという[9][191]。これに関して『SPA!』編集部も「それまで日本に蔓延していた軽薄短小なトレンディ文化に辟易していた人々の支持を集めた」と当時の鬼畜ブーム特集で指摘している[8]。
- ブームに耽溺していた雨宮処凛は、鬼畜系が生き辛さを抱えた弱者やマイノリティへの救済になっていたとして次のように自己分析した。
鬼畜系にハマる私たちは「幸せそうな」人々を勝手に敵視していて、世を呪う言葉を存分に交わすことができた。そうやって発散することで、自分という犯罪者予備軍を犯罪者にせず社会に軟着陸させているような感覚は確実にあった。当時、なぜあれほど鬼畜系カルチャーにハマっていたのかと言えば、「表」の健全できれいな社会には、自分の居場所なんてないと感じていたからだった。/あの時期、ある意味で私は鬼畜系カルチャーに命を救われていた[192]。
- 一方で、山崎春美編集のカルト的なサブカル雑誌『HEAVEN』でデビューした香山リカは、80年代から90年代にかけてのポストモダンなサブカル文化について「すべての表象から文脈や歴史をはぎ取って相対化し、権威や規範にとらわれず、自分はどこにもコミットしないまま、“ひとつの主義主張と距離を置けなくなる人”には冷笑的な態度を取り、ひたすら心地よさやおもしろさを追い求め、それ以上、何かを問われそうになったら、『そんなの何もわからないよ』と未成熟な子どものように逃げ出すという性質を帯びたもの」と自己批判している[5]。
- またロマン優光はオウム真理教事件や阪神・淡路大震災などの影響で「たいした根はないけど変な終末『気分』になっていた人が増えていた」という状況にも触れ、「金銭や名誉、勉強やスポーツ、地道に文化を身につけるといったことから落ちこぼれたり、回避したりしながらも、他人との差異をつけたがるような自意識をこじらせた人たちが他人と違う自分を演出するためのアイテムとして、死体写真を使うようになった」と分析し、こうした潮流は自販機本に出自を持つアングラなサブカルチャーを踏まえた界隈にも流れこんでいったとしている[194]。
前述したように『危ない1号』が創刊された1995年には阪神淡路大震災や地下鉄サリン事件などの重大事件が立て続けに発生しており、それらに起因する一連の社会現象が悪趣味ブームと深く関わっているとされる[195]。特に1995年は「インターネット元年」[196] と呼ばれるように社会環境が大きく移り変わっていった激動の年でもあり[195]、宮沢章夫はこれらの事象による社会の混乱や不安定な情勢が、ある種の世紀末的世界観や終末的空気感を醸し出している悪趣味ブームの土壌になったことを指摘している[195][197]。また宮沢は自身が講師を務めるNHK教育テレビの教養番組『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』の最終回(2016年6月19日放送)において1995年を「サブカル」のターニングポイントと定義し、根本敬や村崎百郎をはじめとする90年代の鬼畜系サブカルを取り上げている[195]。
インターネットでの動向
1990年代にはインターネットが商用化され、ポルノ、スカトロ、暴力場面、侮辱、苦痛、卑語など扱うショックサイトなるものも誕生した[184]。
1995年夏には地下鉄サリン事件を題材にした不謹慎ゲーム『霞ヶ関』がパソコン通信上に出回るようになり、これを朝日新聞と毎日新聞が同年10月26日夕刊で取り上げ、多くのメディアの注目を集めた[198]。当時このゲームを所有していた「しば」は、このソフトを配布する目的で電子掲示板「あやしいわーるど」を起ち上げ、1990年代末において日本最大の規模を誇るアンダーグラウンドサイトとなる[184]。その後「あやしいわーるど」の系譜は「あめぞう」を経て巨大匿名掲示板群「2ちゃんねる」に発展し、さらには4chanや8chanなど海外匿名掲示板文化「CHANカルチャー」の原初にもなった。
1996年4月には日本初と推定されるグロサイト「Guilty」が開設され[184]、同年5月には高杉弾のWEBマガジン 《JWEbB》 が創刊される[199]。同年11月には北のりゆき(現代版『腹腹時計』の異名をとる危険図書『魔法使いサリン』〈冥土出版・1994年12月〉で一躍有名になった『危ない1号』と『危ない28号』のライター。別名義に死売狂生・行方未知など)主宰の危険文書サイトの最左翼「遊撃インターネット」がスタートし、翌1997年にはスーパー変態マガジン『Billy』『TOO NEGATIVE』元編集長の小林小太郎が運営していた死体写真ギャラリー「NG Gallery」の WEBサイト や漫画誌『ガロ』の裏サイト「裏ガロ」が本格始動する[184]。
1998年には、10万部以上[200] を売り上げたハッキング本『コンピュータ悪のマニュアル』の著者・KuRaReを編集長に『危ない1号』の事実上後継誌『危ない28号』がデータハウスの鵜野義嗣によって創刊される(これについてばるぼらは「90年代雑誌文化のサブカルの流れをコンピューター文化が引き継いだ」と指摘している[201])。同誌はハッキング、ドラッグ、兵器、安楽死など様々な違法・非合法行為のハウツーが記載された危険情報満載のムック本で『危ない1号』に次ぐヒットを飛ばしたが、発売前の段階にもかかわらず有害図書指定を受けるなど自治体からの風当たりも強く、KuRaReは「どんだけ何も見てない連中なんだよ。そうやって仮想の敵をやっつけて良いことをしたと思う自慰的行為」「28号は意識的に有害図書指定になろうとしてたので、別にいいのですが」等と述懐している[202]。そして2000年1月に浦和駅、東海村、大阪府で発生した一連の連続爆発事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述[203] した結果、『危ない28号』は全国18都道府県で有害図書指定され[204]、発行済みの第5巻(1999年11月発行)を最後に廃刊を余儀なくされた。
こうしたインターネット発のアングラカルチャーは1996年のアダルトサイト摘発、1999年の通信傍受法成立と悪趣味ブームの終焉、そして2000年の不正アクセス禁止法が決定打となり、完全消滅したとされている[184][205]。
ブームの終焉〜2ちゃんねる開設
1997年には『危ない1号』『週刊マーダー・ケースブック』愛読者の酒鬼薔薇聖斗が神戸連続児童殺傷事件を起こし[206]、悪趣味系のサブカルチャー書籍を棚から撤去する書店が続々と現れた[207]。1999年5月には「ハッキングから今晩のおかずまで」までを手広くカバーする日本最大級の匿名掲示板「2ちゃんねる」が西村博之によって開設され、鬼畜系のシーンは出版文化からインターネットに移行・拡散する形で消滅した。時期を同じくして鬼畜系/悪趣味系に属するサブカルチャー雑誌の廃刊や路線変更が相次ぎ、1999年の『危ない28号』廃刊をもって悪趣味ブームは完全に終焉を迎えた。
『ニッポン戦後サブカルチャー史』(Eテレ)の講師である宮沢章夫は『危ない1号』以降の青山正明の迷走について次のように述べている[197]。
おそらく『危ない1号』において青山が発したメッセージの「良識なんて糞食らえ!」にしろ「鬼畜」という概念にしろ「妄想にタブーなし!」にしろ、すべて「冗談」という、かなり高度な部分におけるある種の「遊び」だったはずだ。しかし、良識派に顰蹙をかうのは想定内だっただろうが、一方で冗談が理解できずにまともに受け止めた層が出現したのは想定外だったということか。2ちゃんねる(のごく一部)、ネットにおけるある種の層に直線的に浸透し、しかも、遊びではなく本気でそれをする者らが現れたと。
村崎百郎の師匠筋にあたるペヨトル工房主宰者の今野裕一も村崎百郎の存在意義が2ちゃんねるの台頭により喪失したことを次のように指摘した。
あの頃、ああいう悪意というものの存在を世の中にリードするような位置に彼(村崎百郎:引用者注)はいたんだと思う。彼が出てきてから数年後に2ちゃんねるのような剥き出しの悪意がそのまま出てくるメディアが現れる。この現状は、彼をものすごく書きにくくさせてたんじゃないかと思う。その意味で、もう村崎百郎の仕事は一旦区切りをつけて、新しい仕事に移行しなきゃいけなかった……違う形で脱皮して、あいつの書く姿勢が変わってくればよかったんだけど。あと、あいつはどちらかというとライターよりは編集者の資質が勝っていた気がするんだよね。電波にしろ鬼畜にしろ「これからはこの辺のものがくるぜ」ってセッティングして、その果てに『危ない1号』とかあったわけでしょう。あれが2ちゃんねるの登場によって、雑誌としてやることではない、普通の人間がやるものに変わってしまった。みんながやってしまうものを黒田(一郎。村崎百郎の本名:引用者注)がやってもしょうがないので。 — 今野裕一インタビュー「村崎百郎が唯一、言うことを聞く、怖がる人間が僕でした」『村崎百郎の本』アスペクト、118-119頁、2010年。
またインターネット上でも1999年以降はテイストレスに興味を持つ人口も減少したようで、死体や奇形など悪趣味に特化したグロサイトは殆ど作られなくなった(テイストレスサイトの総本山だった「下水道入口」も1999年6月17日付で閉鎖している)[184]。これについてばるぼらは「おそらく『何か変わったもの』だったはずの死体や畸形画像が、いつのまにか『ありふれたもの』になってしまい、当時アクセスしていた人々はまた別の変なものを求めて、ネットを徘徊しているのだろうと思う。そもそも2004年に本物の殺人動画、あの首切り映像が出回ったウェブに、これ以上何を求めればいいのだろう。いつかまた会うその時まで、死体は墓に埋めておいてほしい」とコメントしている[184]。
青山と交友があったデザイナーのこじままさきも鬼畜系コンテンツが飽きられた理由に関して同様の理由を次のように述べている。
昔はネットがなかったから、すべての情報には希少価値があって、ゲスなもの、社会から隠されてるものは人気が出た。でも本人(青山正明:引用者注)がそういうのが本心から好きだったとは思えないんです。比喩に出すんですが、人前で「てのひら」って言っても反応しないけど、「チンコ」「ケツの穴」っていうと反応するじゃないですか。それだけだと思うんですよね。僕はそれだけなんです。社会が隠そうとしてるものを表に出すから面白かっただけで、そのものに対する興味が、ってなるとそんなでもない。グロ画像をネットで自由に見られるような時代になったら、もう何の興味もないってことだと。(中略)でも彼についての評価は、あの時代だったからってことはないと思いますよ、今読んでもクオリティはあるし、時代で消費されるようなものは作ってない。時代のあだ花と言われるのは心外です。でも説明は難しいですね、知らない若者に。 — ばるぼら「ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界 第84回 こじままさきインタビュー part3」(2010年6月13日配信/大洋図書Web事業部・WEBスナイパー)
青山正明の自殺(2001年)
2001年6月17日、青山正明は神奈川県横須賀市の自宅で首を吊って自殺した[208]。
ともに鬼畜ブームを牽引した村崎百郎は青山の訃報に際して次の文章を雑誌に寄稿している。
“サブカルチャー”や“カウンターカルチャー”という言葉が笑われ始めたのは、一体いつからだったか? かつて孤高の勇気と覚悟を示したこの言葉、今や“おサブカル”とか言われてホコリまみれだ。シビアな時代は挙句の果てに、“鬼畜系”という究極のカウンター的価値観さえ消費するようになった。「──鬼畜系ってこれからどうなるんでしょう?」編集部の質問に対し、単行本『鬼畜のススメ』著者であり、青山正明氏とともに雑誌『危ない1号』で“電波・鬼畜ブーム”の張本人となった男・村崎百郎の答はこうだった。鬼畜“系”なんて最初からない。ずっと俺ひとりが鬼畜なだけだし、これからもそれで結構だ。
次に主張しておきたいのは「青山正明が鬼畜でも何でもなかった」という純然たる事実である。これだけは御遺族と青山の名誉の為にも声を大にして言っておくが、青山の本性は優しい善人で、決して俺のようにすべての人間に対して悪意を持った邪悪な鬼畜ではなかった。『危ない1号』に「鬼畜」というキーワードを無理矢理持ち込んで雑誌全体を邪悪なものにしたのはすべてこの俺の所業なのだ。
俺の提示した“鬼畜”の定義とは「被害者であるよりは常に加害者であることを選び、己の快感原則に忠実に好きなことを好き放題やりまくる、極めて身勝手で利己的なライフスタイル」なのだが、途中からいつのまにか“鬼畜系”には死体写真やフリークスマニアやスカトロ変態などの“悪趣味”のテイストが加わり、そのすべてが渾然一体となって、善人どもが顔をしかめる芳醇な腐臭漂うブームに成長したようだが、「誰にどう思われようが知ったこっちゃない、俺は俺の好きなことをやる」というのがまっとうな鬼畜的態度というものなので、“鬼畜”のイメージや意味なんかどうなってもいい。
(中略)ドラッグいらずの電波系体質のためドラッグにまったく縁のない俺だが、それでも青山の書いた『危ない薬』をはじめとするクスリ関連の本や雑誌のドラッグ情報の数々が、非合法なクスリ遊びをする連中に有益に働き、その結果救われた命も少なくなかったであろうことは推測がつく。こんな話はネガティヴすぎて健全な善人どもが聞いたら顔をしかめるであろうが、この世にはそういう健全な善人どもには決して救いきれない不健全で邪悪な生命や魂があることも事実なのだ。青山の存在意義はそこにあった。それは決して常人には成しえない種類の“偉業”だったと俺は信じている。 — 村崎百郎「非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み」太田出版『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年 166-173頁
当時、ペヨトル工房をやめて、フラフラしてたとこに青山正明から「新雑誌をやるんで」と声をかけられて、彼らが「ごきげん&ハッピー系」を念頭に置いて作っていたさわやかな麻薬雑誌に、ゲスで下品で暗黒文化を無理矢理ねじこんで、気づくと、読むとイヤな気持ちになる雑誌にしてた(笑)。しまいにゃ「鬼畜系」ってキャッチ・コピーまでつけて出させたのが『危ない1号』。あの頃は記名じゃない記事も書きまくってて、2号目なんて鬼畜記事の3分の1くらいはオレが書いてた。あと、酒鬼薔薇事件というのもあったけど、酒鬼薔薇は『危ない1号』の創刊号を読んでるんだよ。オレの犬肉喰いの記事も読んでるね。酒鬼薔薇が出した年賀状のイラストっていうのが、『危ない1号』の裏表紙に使われたLSDの紙パケのイラストの模写だったから。
賛否両論あったけど『危ない1号』は一応受けて、雑誌も売れて抗議も殺到。おかげで「鬼畜系編集者」の烙印を押された青山が鬱になって、この件も彼の自殺を早めた大きな要因だって、青山の周辺からはずいぶん恨まれました。謝って許されることじゃないから謝らないけどね。今でも悪かったとは思ってるよ。青山の名誉のためにも言っとくけど、青山は鬼畜とは対極にある本当に優しくて親切な良い人でした。彼の雑誌を「鬼畜系」にねじまげてしまったのは全てオレのせいです。他の連中に罪はありません。 — 村崎百郎インタビュー「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」『STUDIO VOICE』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」INFASパブリケーションズ、70-71頁所載。
青山の没後、村崎百郎が明かしたのは、実際に『危ない1号』に関わった人間で本当に「鬼畜」な人間は、村崎本人以外に誰もいなかったという事実である[165]。これについてばるぼらは「実際に『危ない1号』に関わった人間は、青山も含め鬼畜のポーズを取っていただけであって、つまり鬼畜ブームは実質、村崎一人によって作られたといえるだろう。ただ当時は『危ない1号』は鬼畜な人間が集まって作った、サイテーでゲスな雑誌であるというイメージ戦略によって売り出され、そして結果的に成功した」と解説している[165]。
その後、ムーブメントとしての実体を失った「鬼畜系」は、負の側面も含めて村崎が単独で引き受ける形となった。しかし、インターネットの加速的な普及に伴う出版不況によって、70年代末の自販機本から胚胎した「鬼畜系」は自然淘汰されていく。それでもなお、村崎はサイバースペースにおける「言語ウイルス」[注 15]に抵抗を続け[156]、ネット文化とは全く無縁の位置で「鬼畜系」を名乗り続けた。だが、村崎は同じギミックを芸風として使い続けた結果、自己模倣を繰り返して迷走する。これについてロマン優光は著書『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)で次のように推察した[211]。「それでも村崎氏が鬼畜の看板をおろさなかったのは、青山氏の死に対する思いからかもしれません」[212]。
村崎百郎の刺殺(2010年)
2010年7月23日、村崎百郎は読者を名乗る男に東京都練馬区の自宅で48ヶ所を滅多刺しにされて殺害された。当初犯人は特殊漫画家の根本敬を殺害する予定であったが、根本が不在だったため『電波系』(太田出版)の共同執筆者であった村崎の自宅に向かったという[213]。
男は犯行動機について「村崎の書いた本にだまされた」と供述し、住所は2ちゃんねるで調べたとした[214]。その後、犯人は精神鑑定の結果、統合失調症と診断され不起訴となり、精神病院に措置入院となった[215]。
2010年7月23日以降
2010年11月、村崎本人が遺した文章や関係者の証言などから綴った鬼畜系総括の書『村崎百郎の本』がアスペクトから刊行された。
関連年表
1970年代
- 1976年
- 『月刊漫画ガロ』(青林堂)1月号で「面白主義」宣言。南伸坊や渡辺和博によって「面白ければなんでもあり」という方針が作られる。いわく「世のつまらなき事件・事物・人物を面白がって眺めてみる。つまらないよりは面白いがいい。白けるよりは面白いがいい。それが面白主義の主義・主張である」[216]。これは赤瀬川原平のトマソン、根本敬などのヘタウマ、エロ本のアマチュアリズム、知識とセンスで武装するポストモダン的な80年代サブカル、90年代のモンド・カルチャー[1] にも多大な影響を与えた[217][218]。
- 糸井重里原作・湯村輝彦作画のヘタウマ漫画『ペンギンごはん』が面白主義の流れで『ガロ』4月号から連載開始。
- 1978年
- 10月7日 - 映画『鬼畜』(松本清張原作/松竹)公開。
- 米沢嘉博や川本耕次が仕掛けた三流劇画ブームが頂点を迎える。
- 三流劇画誌『漫画エロジェニカ』(海潮社)11月号が警視庁の摘発を受け発禁となる[219]。エロマンガ誌がわいせつ物頒布で摘発されたのは史上初。
- 1979年
- 3月 - 高杉弾の伝説的自販機本『X-magazine Jam』(エルシー企画)創刊。創刊号に掲載された「芸能人ゴミあさりシリーズ/山口百恵編」が伝説化する。また同誌には無名時代の蛭子能収と渡辺和博が隔月で作品を発表していた。
1980年代
- 1980年
- 4月 - 『Jam』の後継誌『HEAVEN』(アリス出版→群雄社)創刊。本誌では蛭子能収、渡辺和博、杉浦茂、宮西計三、ケネス・アンガー、ナムジュン・パイク、ジョン・ウォーターズ、鈴木いづみ、裸のラリーズ、スーフィズムなどが紹介された。カバーデザインは羽良多平吉。
- 『ガロ』9月号に渡辺和博が「電波系」の「させられ体験」による電波の攻撃に苦しむ人が登場する漫画『毒電波』を発表する。
- 1981年
- 3月 - 明石賢生社長の逮捕により『HEAVEN』廃刊。
- 4月 - ロリータ、障害者、皇室などを取り扱い、鬼畜系サブカルチャーの原型となった伝説のミニコミ誌『突然変異』(慶応大学ジャーナリズム研究会→突然変異社)創刊。編集に慶大在学中の青山正明が参加した。後に作家の椎名誠が同誌に対して『朝日新聞』誌上で名指し批判を行ったほか、2018年になって野間易通が上梓した著書『実録・レイシストをしばき隊』(河出書房新社)の中でヘイトスピーチの源泉として「何でもありのポストモダン=1980年代」という構図があると仮定し、青山らが同誌で皇室も障害者も等価に茶化そうとした姿勢に「権威の頂点と弱者を同じレベルで茶化した場合、弱者には大きなダメージがいく」「等価という青山の視線は自分の行為にしか向いておらず、社会構造の非対称性は無視されている」と批判している。
- 6月11日 - 佐川一政がパリ人肉事件を起こす。
- 6月17日 - 幼児を含む数名を殺傷した電波系による無差別殺人事件・深川通り魔殺人事件が起きる。犯人は初公判で読み上げた書状で「私が事件を引き起こしたのは、とても世間一般の常識では考えることのできない非人間的な、人間に対して絶対に行うべきではない、普通の人であったら一週間ももたないうちに神経衰弱になるだろう、心理的電波・テープによる男と女のキチガイのような声に、何年ものあいだ計画的に毎日毎晩、昼夜の区別なく、一瞬の休みもなく、この世のものとは思えない壮絶な大声でいじめられ続けたことが、原因なのであります」と語る。
- 7月 - 蛭子能収の処女作品集『地獄に堕ちた教師ども』(青林堂)刊行。
- 根本敬のデビュー作「青春むせび泣き」が『月刊漫画ガロ』(青林堂)9月号に掲載される。
- 1982年
- 『Billy』(白夜書房)が2月号から変態路線に誌面刷新し、スーパー変態マガジンとなる。
- 『Hey!Buddy』(白夜書房)が5月号からロリコン路線に誌面刷新。青山正明は「六年四組学級新聞」改め「Flesh Paper」(肉新聞)を10月号から連載開始。同誌廃刊後、この連載は他誌に移籍して1996年まで続き、青山のライフワーク的連載となる。
- 8月 - 日本初のロリータビデオ『あゆみ11歳 小さな誘惑』発売。ヒロインに懸想する青年のツトム役として青山正明が出演する。青山によると3万円という高額なビデオにもかかわらず4000本が即完売したという[220]。
- 9月1日 - ニューウェーブ自販機本『HEAVEN』3代目編集長の山崎春美が「自殺未遂ギグ」決行。体中を出刃包丁で切りつけ救急車で運ばれる。ドクターストップ役は医大生の香山リカ(後に精神科医)が務めた。
- この年、幻の名盤解放同盟が自販機本『コレクター』(群雄社)誌上でクロスレビューを開始。その後も自販機本『EVE』(アリス出版)で引き続き連載を持つ。
- 1983年
- TACOの1stアルバム『タコ』リリース。坂本龍一、遠藤ミチロウ、町田町蔵、工藤冬里、上野耕路、川島バナナ、浜野純など多彩なミュージシャンと山崎春美の歌詞がコラボレートしたもの。ピナコテカレコードからのリリースで、ジャケットは花輪和一が担当。同年、収録曲の「きらら」に差別的表現があるとして部落解放同盟から抗議が寄せられたため廃盤となる[221]。
- EP-4の1stアルバム『リンガ・フランカ-1 昭和大赦』リリース。ジャケット写真は金属バット両親殺害事件の現場となった家(藤原新也の写真集『東京漂流』に掲載されたもの)。
- 10月 - アダルトゲーム『ロリータ・シンドローム』(エニックス)発売。『マリちゃん危機一髪』に続くエニックス第2回ゲームホビープログラムコンテスト受賞作の製品化[222]。制作者は学習漫画で知られる望月かつみ[223]。手塚治虫や藤子不二雄の系譜を引く可愛らしい絵柄とは裏腹に残酷で猟奇的な内容が一部で話題となった[224]。また続編『マイ・ロリータ』(1985年3月/光栄)は「病院に来た美少女から卵子を摘出してクローンを作る」など前作以上に過激な内容からエニックスに販売拒否されたという経緯を持つ[225]。
- 1984年
- 2月 - 犯罪マニュアル本『悪の手引書』(データハウス)がベストセラーとなり、その後の同社の「危ない」「悪い」路線を決定づける。
- 9月 - 丸尾末広の残酷劇画『少女椿』(青林堂/青林工藝舎)出版。サブカルチャーにおける見世物小屋のイメージに大きな影響を与える。
- 9月1日 - モンド系ロリコン漫画雑誌『プチ・パンドラ』(一水社)創刊。編集長は『幼女嗜好』主宰の蛭児神建[163]。
- この年、死体写真集『SCENE』(ビー・セラーズ/中川徳章・小向一實・芝田洋一編)が法医学書の形を借りずに出版される[注 10]。
- 1985年
- 2月 - 山野一の初作品集『夢の島で逢いましょう』(青林堂)刊行。
- 6月18日 - 豊田商事会長刺殺事件。
- 『月刊漫画ガロ』7月号から山野一の『四丁目の夕日』が連載開始(1986年7月号まで)。
- 8月 - スーパーへんたいマガジン『Billy』の後継誌『Billyボーイ』(白夜書房)が東京都の不健全図書に指定され、8月号をもって廃刊。
- 9月 - 写真週刊誌『Emma』(文藝春秋)9月10日号で「日航機墜落現場の地獄図」特集。遺体写真を掲載して物議となる。
- 11月15日 - 青山正明編集の超変態世紀末虐待史『サバト』(三和出版)創刊。高杉弾、永山薫、秋田昌美、丸尾末広、栗本慎一郎、日野日出志、蛭児神建らが参加。魔女狩りから呪術、妖怪、フリークス、死体、スカトロ、幼児マニア、果ては妊婦の切腹まで悪趣味の限りを尽くすが商業的には不発に終わる。
- この年、白夜書房の少女ヌード写真集『ロリコンランド8』が警視庁より摘発され発禁。少女のワレメも「わいせつ」とみなされる。『Hey!Buddy』本誌も「ワレメが見えないロリコン雑誌はもはやロリコン雑誌ではない」として11月号をもって自主廃刊する[164]。
- 1986年
- 2月 - 中野富士見中学いじめ自殺事件が起こる。「葬式ごっこ事件」とも言われ、日本で初めて集団いじめが認知され社会問題となった事件である。
- 投身自殺した岡田有希子の遺体写真が『Emma』5月10日号に掲載される。
- 1987年
- 幻の名盤解放同盟が韓国旅行記『ディープ・コリア―観光鯨狩りガイド』(ナユタ出版会→青林堂→ブルース・インターアクションズ→K&Bパブリッシャーズ)を刊行。その後も出版社を変えつつ四半世紀にわたり増補改訂を繰り返し、最新版では600頁を越える大著となっている。
- 高杉弾が輸入雑貨店としてカルト・ショップ「トライアングル」を渋谷センター街に開店する[199]。同店ではモンド映画の代表格であるジョン・ウォーターズやラス・メイヤーなどのビデオ、ボンデージ関係の書籍、ビザール・コミック、ベティ・ペイジのハイヒール、大麻専門誌の『ハイ・タイムズ』、リシャール・セルフやイリア・イオネスコのフェティッシュな官能写真集、死体写真集などの商品が並べられ、当時の日本では殆ど知られていなかった「MONDO」と呼ばれる不思議なアメリカ文化の発信基地となる。
- 1989年
- 根本敬が『月刊漫画ガロ』1989年2・3月号から1992年4月号にかけて大河精子ロマン三部作『タケオの世界』『ミクロの精子圏』『未来精子ブラジル』を連載する。突然変異で生まれた巨大精子のタケオが、ありとあらゆる差別と悲劇に直面しながらも成長していく第1部『タケオの世界』は単行本『怪人無礼講ララバイ』(青林堂/青林工藝舎)に収録。気弱で善良ないじめられ役の「村田藤吉」といつも独善的に振る舞い村田一家を苦しめる「吉田佐吉」の奇妙な因縁をめぐる第2部『ミクロの精子圏』は単行本『龜ノ頭のスープ』(マガジンハウス/青林工藝舎)に収録された。なお第3部『未来精子ブラジル』は執筆中断中のため、2024年11月現在まで未完となっている。
- 4月27日 - 前26日に解散した「人生(ZIN-SÄY!)」の後継バンドとして石野卓球とピエール瀧らが「電気グルーヴ」を結成。
- 9月20日 - 『危ない1号』の前身にあたる特殊海外旅行誌『エキセントリック』(全英出版/中央法科研究所)創刊。90年8月刊行の第6号「バンコクびっくりショー!」は青山正明が編集を務める。後に『エキセントリック』編集部を母体として編集プロダクション「東京公司」結成。
- 9月27日 - V&Rプランニングから死体、奇形児、スカトロなどを扱ったオリジナルビデオ作品『デスファイル』がリリースされる
- 10月 - ナゴムレコード閉社宣言[226]。
- この年、宮崎勤が東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件を起こす。
1990年代
- 1990年
- 1991年
- 4月26日 - カルト映画に定評がある映画配給会社「アルバトロス」設立。
- 中森明夫と赤田祐一が『週刊SPA!』(扶桑社)12月25日号で90年代サブカルの起点となる[227] カラー16ページ特集「サブカルチャー最終戦争」を組む。この特集で赤田は『Quick Japan』の創刊を宣言し、中森は同号で予告した新連載「中森文化新聞」を同誌に10年以上にわたって連載する。
- 卯月妙子が三和出版のエロ本で漫画家デビュー。後に特殊系AV女優として1994年に井口昇監督のアダルトビデオ『史上最強のエログロドキュメント ウンゲロミミズ』に、1995年には『エログロドキュメント ウンゲロミミズ2』に出演する(いずれもV&Rプランニング作品)。卯月はこれら作品でスカトロやゲテモノ食いなどのハードプレイを演じ「エログロの極み」と評される。その後、元夫が投身自殺し、幼少の頃から悩まされていた統合失調症が悪化する。2008年には飛び降り自殺未遂を起こし、顔面崩壊および片眼を失明する。2012年、描き下ろしの近況自伝エッセイ『人間仮免中』を発表し作家復帰する。
- 1992年
- 青山正明の処女単行本『危ない薬』(データハウス)刊行。
- 5月2日 - 自主制作アニメーション映画『地下幻燈劇画 少女椿』公開。1999年、成田税関でマスターフィルムが没収後破棄され、国内輸入および日本国内で上映禁止となる
- 5月24日 - 漫画家の山田花子が日野市の百草団地11階から投身自殺。24歳没。翌1993年刊行の『完全自殺マニュアル』では彼女が自殺に至るまでの顛末と自殺直前に書かれた日記の一部が紹介されている。
- 8月 - 『銀星倶楽部16』(ペヨトル工房)のクローネンバーグ特集をきっかけに村崎百郎が根本敬・青山正明と知り合う。
- 11月15日 - 渋谷クラブクアトロで「ガロ脱特殊歌謡祭`92」開催。根本敬プロデュースによるつめ隊(障害者プロレスのレスラー・マグナム浪貝によるパンク・バンド)や川西杏、のちに「デス渋谷系」と呼ばれる暴力温泉芸者、ハイテクノロジー・スーサイド、佐野史郎、蛭子能収&青林オールスターズ、王選手(元人生)らが出演した。のちにライブの模様は幻の名盤解放同盟監修のもと『ガロビデオ第3弾/ひさご』のタイトルで青林堂からビデオ化されている。
- バクシーシ山下監督の『初犯』(V&Rプランニング)がビデ倫から審査拒否される。
- この年、ゲテモノパンクレーベル「殺害塩化ビニール」に所属する殺害系バンド「猛毒」が代表曲「はたらくくるま」をリリース。下品で倫理性に欠けた過激な歌詞の内容から日本でこの曲をプレスしてくれる会社がおらず、海外でプレスしたという逸話がある。また同曲をモチーフとした動画がいわゆるFLASH黄金期に作られ、アングラサイトなどで話題となる。
- 1993年
- 主に自主流通本・ミニコミ誌・ガロ系コミックなどを取り扱う独立系特殊書店「タコシェ」開店。のちに中野ブロードウェイ3階に移転する。創設者はライターの松沢呉一。
- 山野一の長編漫画『どぶさらい劇場』が『コミックスコラ』(スコラ)4月6日号から連載開始(1994年4月5日号まで)。
- 6月8日 - 別冊宝島特別編集『宝島30』創刊(1996年6月号まで)。根本敬の連載『人生解毒波止場』を町山智浩が担当する[215]。
- 『月刊漫画ガロ』(青林堂)1993年8月号に掲載された幻の名盤解放同盟のフィールドワーク特集「夜、因果者の夜/根本敬や幻の名盤解放同盟」内の根本敬によるインタビューで鬼畜系・電波系を自称する村崎百郎がメディアに初登場[228]。このインタビューでは村崎の生い立ちから製粉工場でのバイト経験、趣味のゴミ漁り、特有の電波系体質などが語られており、この時点で村崎百郎のキャラクターが殆ど確立していたことがわかる。
- 根本敬や幻の名盤解放同盟周辺の奇妙な人物・物件のフィールドワークが収録された『因果鉄道の旅』(KKベストセラーズ)刊行。90年代サブカルの聖典的存在となる。ロマン優光は本書の存在について「本来は文献紹介的だった悪趣味系に生身の人間を題材にするという流れを生んだ」と位置づけた[4]。
- 幻の名盤解放同盟によるモンド歌謡曲の紹介本『ディープ歌謡』(ペヨトル工房)刊行。
- ハリウッドの暗黒面や猟奇事件を元にした洋画などを悪趣味な文脈で取り上げた町山智浩編集『映画宝島 Vol.3 地獄のハリウッド』(JICC出版局)刊行。のちに『映画秘宝』(洋泉社)の源流の一つとなる。
- 当時『死霊の盆踊り』などの最低映画(エクスプロイテーション映画)を買い付けをしていた江戸木純が自ら紹介したZ級映画評論『地獄のシネバトル』(洋泉社)刊行。
- 唐沢俊一監修の『まんがの逆襲―脳みそ直撃! 怒濤の貸本怪奇少女マンガ』(福武書店)刊行。
- 死体を通した現代文明論である布施英利『死体を探せ!』(法藏館)刊行。同書のビジュアル版として出版された『図説・死体論』(法蔵館)は死体写真の多さから話題になり、死体ブームの先駆となる(これは本来の意図とは全く違う消費のされ方だった)。
- 『芸術新潮』(新潮社)6月号で「悪趣味のパワー 悪趣味から目をそむけるな! これこそ、次代の文化を生み出す原動力だ!」特集。主に梅原北明や伊藤晴雨に代表される日本のエログロナンセンスからヨーロッパの世紀末芸術、キリストの磔刑、ヒンドゥー教の宗教画、フリークス写真やエイズ患者の死体写真、アメリカ文化、日光東照宮に代表される金ピカ趣味まで幅広く取り上げている。本特集は歴史的芸術や文化様式に見られる悪趣味な側面について美学的アプローチから多面的に言及しているが、いわゆる「90年代悪趣味サブカル」については一切含まれていない。
- 7月 - 鶴見済の『完全自殺マニュアル』(太田出版)が刊行され、100万部を売り上げるミリオンセラーを記録する(この本もまた本来のテーマとは異なる文脈で消費された本であった)。
- 7月 - 猟奇漫画家の氏賀Y太がエログロ同人誌『毒どく』発表。テーマは蟲責め。花輪和一や蛭子能収などガロ系のバット・テイストとは異なる文脈で鬼畜系コミックの地平を開拓する。
- 8月1日 - 赤田祐一が私財600万円を投じて『Quick Japan』創刊準備号を飛鳥新社から刊行。
- 『ガロ』9月号で「三流エロ雑誌の黄金時代」特集。性欲処理を意図しない「特殊漫画」を積極的に掲載していたエロ本編集者が当時の総括を行う[231]。『S&Mスナイパー』の編集長は、これらエロ本との出会いを次のように回想した。
また同号では小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』が特別篇として収録されている(皇室を取り上げたことにより『SPA!』で掲載拒否された)。真夜中のコンビニエンスストアーで立ち読みをした『大快楽』や『ピラニア』(それにしても凄い名前!)に掲載されていた、平口広美さんや、蛭子能収さん、根本敬さんの作品は、特に鮮烈に憶えている。暴力的で残酷なセックスを執拗に繰り返す平口さんの『白熱』や、チョン切られた女の首から、一すじにひかれた墨の色が、真っ白な空間に映えて、鮮血よりも生々しく赤かった蛭子さんの作品。そして、妊婦の腹をかっさばいた強盗が、取り出した胎児を別の女の腹を割いて中に入れ、御丁寧にも縫合までするという、空恐ろしい根本敬さんの作品に出会った時には、ただもう呆然として、コンビニエンスストアーのブックスタンドの前に立ち尽くしてしまったのを憶えている。(中略)ズリネタにならないエロ劇画は何なのだ、と思いながらも、何かエロ劇画誌はとんでもないことになっているのかも知れないと興奮したものだ。(中略)そうした作品には圧倒的なまでの個性があった。エロなんてなんぼのもんじゃいという、声が聞こえた。叫び、犯し、ヤリまくる者も、笑いながら女を殺し屍姦する者も、田舎者も労働者も、都市生活者も、ともかく日常から逸脱せずにはいられない超個性的な性の世界を生きていた。彼達はきっと肉体を越えたセックスを目指していたのだと思う。あるいは、セックスの向こうにある欲望に突き動かされていたのだと思う。 — 緒方大啓「すぐれたエロ劇画はすぐれたひとりSMに似ている」青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」79頁。 - 12月 - 山野一『混沌大陸パンゲア』(青林堂)刊行。貧乏、鬼畜、電波、不条理、薬物、宗教、障害者、神などをテーマにした異色作品を多数収録。
- この年、身体障害者を男優に起用した安達かおる監督のアダルトビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』(V&Rプランニング)がビデ倫から「障害者を見世物にするのは差別的」として審査拒否され発禁となる。後に安達は「何らかの原因で体がシンメトリーじゃない人がAVに出ちゃいけないって、僕はどう考えても納得いかない」と吐露している[232]。
- 『ホラーM』(ぶんか社)創刊。神田森莉の『カニおんな』(1998年)など狂気のグロ漫画が掲載された。
- 1994年
- シリアルキラー・ブームの先鞭をつけたロバート・K・レスラー『FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』(早川書房)刊行。日本の書籍では見られなかったような生々しい事件現場などの写真を収録。
- ノイズバンド「メルツバウ」の活動で知られる秋田昌美による、サタニズムとヘルズ・エンジェルス、妄想に満ちた奇怪な学説、アウトサイダー建築などについて論じた『スカム・カルチャー』(水声社)刊行。
- 田野辺尚人が編集、中原昌也がライターとして名をあげることになった『悪趣味洋画劇場』(洋泉社)刊行。
- 比嘉健二編集のB級ニュースマガジン『GON!』(ミリオン出版)創刊(1995年に月刊化)。『東京スポーツ』や女性週刊誌の怪しい噂・トンデモネタのみをかき集めたような雑誌で、大量の悪趣味かつ真偽不明な記事で誌面が彩られていた。派生誌の『別冊GON!』は本誌『GON!』の猥雑さに比べてコミック(のちに『COMIC GON!』として独立雑誌化)やホラーなどのワンテーマ総特集制だった。
- スーパー変態マガジン『Billy』『ORG』(いずれも発禁処分)などを手がけてきた小林小太郎編集の隔月刊誌『TOO NEGATIVE』(吐夢書房)創刊。同誌では死体写真家の釣崎清隆を輩出する。2001年廃刊。
- 7月 - アルバロ・フェルナンデスの写真集『SCENE―屍体写真集 戦慄の虐殺現場百態』(桜桃書房)刊行。定価1万5千円と高額な写真集にもかかわらず2千部を売り上げ、90年代死体ブームの起爆剤となる[168]。
- 『宝島30』1994年8月号掲載「根本敬の人生解毒波止場」で村崎百郎が33歳の工員としてゴミ漁りのインタビューに応じる[215]。
- 8月 - 赤田祐一編集のカルチャー誌『Quick Japan』が太田出版から創刊[233]。1970年代から1980年代の忘れられたサブカルチャー(漫画、雑誌、音楽、作家など)を再発掘する特集を多く組み、80年代を代表するサブカル誌『宝島』(方向転換して当時は単なるエロ本となっていた)と入れ替わる形で90年代を代表するサブカルチャー雑誌となる。また大泉実成による連載『消えた漫画家』が人気を博したことから米沢嘉博と竹熊健太郎の責任編集でカルト漫画の復刻レーベル「QJ漫画選書」が企画され、水木しげるの『悪魔くん』や徳南晴一郎の『怪談人間時計』、杉本五郎(つゆき・サブロー)の『奇生人』などの貸本漫画・カルト漫画を多数復刻し、話題を呼ぶ。
- 9月 - 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』(青弓社)刊行。大正末期から昭和初期にかけての日本を席巻した「エロ・グロ・ナンセンス」の時代を彩った一連の変態雑誌群と梅原北明、伊藤晴雨、斎藤昌三、中村古峡、酒井潔など元祖鬼畜系文化人の仕事を再検証した性メディア史。
- 10月 - 幻の名盤解放同盟『定本ディープ・コリア―韓国旅行記』(青林堂)刊行。
- 『週刊SPA!』10月5日号で「猟奇モノ死体写真ブームの謎」特集
- 11月 - カルトビデオショップ「高円寺バロック」開店。死体、フリークス、殺人鬼グッズ、カルト漫画、鬼畜系雑誌、人体改造もの、フェチ系AV、立島夕子のアウトサイダー・アートなど鬼畜系にカテゴライズされるアングラ商品を専門に取り扱っていた。2011年に店舗を縮小して新宿に移転後、2013年頃に閉店。
- 11月13日 - 松本人志原作のテレビアニメ『きょうふのキョーちゃん』がバラエティ番組『ダウンタウンのごっつええ感じ』(フジテレビ)内で放送開始(〜95年3月5日まで)
- 12月 - 松本サリン事件に触発された『危ない1号』ライターの北のりゆき(別名義に死売狂生・行方未知など)が現代版『腹腹時計』の異名をとる危険図書『魔法使いサリン』(冥土出版刊。アメリカで通信販売されていた『サイレント・デス』というサリン製造マニュアルを抄訳したもの)をコミックマーケット47で頒布した。翌95年5月4日、東京晴海で催されていた同人誌即売会のコミックシティでも北は同誌を頒布し、さらにオウム真理教から譲り受けた大量のパンフレットをオマケと称して無料配布していた。これを問題視した主催者側が警察に通報したため騒動となり、北は会場内で現行犯逮捕された(逮捕の名目は、北が刃渡り6センチの小型ナイフを所持していたことによる銃刀法違反。結局不起訴となる)[234][235]。その後、週刊誌『サンデー毎日』(毎日新聞出版)95年5月28日号で「度を越えた『稚気』は『狂気』をはらんでいた」「作成者に怒りがわいてくる」などの感情的批判が目立つ特集記事も掲載され物議を醸した。もうひとつのサリン騒動の顛末については、95年10月刊行の『Quick Japan』(太田出版)4号に掲載された北へのインタビューに詳しい。
- この年、青山正明主宰の編集プロダクション「東京公司」結成。
- 鳥肌実デビュー。
- フェチ系アダルトビデオメーカー「アロマ企画」設立。
- 1995年
- 1月17日 - 阪神淡路大震災発生。
- 2月 - 特殊ディスクガイド『モンド・ミュージック』(リブロポート刊、小柳帝、鈴木惣一朗、小林深雪、茂木隆行の共著)刊行。
- 2月 - 月刊誌『マルコポーロ』(文藝春秋)廃刊。
- 3月 - 『BRUTUS』(マガジンハウス)3月15日号で「インモラル図書館へようこそ!」特集。ハイカルチャーな悪趣味をアカデミックな文脈で紹介。
- 3月20日 - オウム真理教が地下鉄サリン事件を起こす。教団への強制捜査が近づいていることを察知した麻原彰晃の策略で警視庁のある霞ケ関駅を通る地下鉄3路線5両の電車内にサリン入りのポリ袋に穴を空けて散布。結果として乗客乗員13人が死亡し、約6000人が重軽傷を負った。
- 4月 - 『ユリイカ』(青土社)臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」。鬼畜系の生みの親・村崎百郎のデビュー原稿「ゲスメディアとゲス人間」が掲載される。他にも森村泰昌、小谷真理、香山リカ、松沢呉一、清水アリカ、松尾スズキ、バクシーシ山下、横尾忠則、中沢新一、石子順造、上野昻志、高山宏、高遠弘美、巽孝之、上野俊哉、風間賢二、岸野雄一、佐々木敦、安田謙一、柳下毅一郎、澤野雅樹、宇川直宏、山野一、阿部幸弘、関口弘、唐沢俊一、田中聡、比嘉健二、永江朗、ナガオカケンメイ、木村重樹、西原珉、大竹伸朗、都築響一、伴田良輔ら文化人が多数参加。鬼畜・悪趣味ブーム到来。
- 4月21日 - 電気グルーヴの6枚目のシングル『虹』リリース(1994年のアルバム『DRAGON』からのシングルカット)。曲中の歌詞「トリコじかけにする」というフレーズは根本敬が採取した電波系人間・湊昌子(港雅子)の造語「トリコじかけの明け暮れ」に由来する。
- 5月 - と学会『トンデモ本の世界』(洋泉社)刊行。と学会初代会長の山本弘は「と学会とは世に氾濫する『とんでもないもの』を観察し、研究する軽い趣味のグループ」「赤瀬川源平の『超芸術トマソン』や『宝島』の『VOW』のようなもの」[236] と説明しているが、実際はオカルト本や陰謀論の類いの電波的な主張を面白がるという消費のされ方もした。
- 7月 - 東京公司編集『危ない1号』(データハウス)創刊。第1巻の特集テーマは「ドラッグ」。創刊号発売時に編集長の青山正明は逮捕されていた。
- 7月 - 町山智浩と田野辺尚人が合流し、映画雑誌『映画秘宝』(洋泉社)シリーズを創刊。第1弾は「エド・ウッドとサイテー映画の世界」。当初はA5判ムックであったが、1999年にA4判の隔月刊映画雑誌としてリニューアルし、2002年より月刊化。
- 7月 - トークライブハウス「新宿ロフトプラスワン」開店。
- 7月 - 宮台真司『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』(筑摩書房)刊行。本書では「大きな物語」(社会全体に共有される規範)の終焉を経て、輝かしい未来が期待できない閉塞的な「終わりなき日常」を生き延びるために、コミュニケーション能力を身に着けながら「まったり」と脱力して生きていくことが提唱された(宮台曰く、コミュニケーション能力が低い孤独な人間は、追いつめられた結果、非日常を求めてカルトに絡め取られてしまうと論じている)。
- 7月 - V&Rプランニング所属のAV監督であるバクシーシ山下が『セックス障害者たち』(太田出版)を刊行。
- 7月 - 映画秘宝シリーズ第2弾『悪趣味邦画劇場』(洋泉社)刊行。
- 8月 - 『Quick Japan』(太田出版)3号で「ぼくたちのハルマゲドン」特集(竹熊健太郎『私とハルマゲドン』の草稿「おたくとハルマゲドン」掲載)。同号より新しい方法で“いじめ”を考えてみるシリーズ「村上清のいじめ紀行」連載開始(第1回ゲストは元いじめっ子の小山田圭吾)。当初は小山田のいじめ被害者とされる人物とコンタクトを取って対談させる企画だったが実現せず。後に当該記事についてロマン優光は「当時としても、こういう内容のインタビューが掲載されるというのは普通は有り得ないことであり、悪趣味/鬼畜系文化の影響のもとに起こったものであろうことは容易に想像することができる」とコメントしている[237][238]。
- 8月 - 別冊宝島228『死体の本―善悪の彼岸を超える世紀末死人学!』(宝島社)刊行。死体写真蒐集家としての顔も持つ水木しげるのインタビュー記事などを掲載。
- 8月 - 92年1月22日号より『週刊SPA!』で連載を開始した小林よしのりの『ゴーマニズム宣言』が編集部との対立から8月2日号掲載の最終回「さらばSPA!よ」をもって3年7カ月におよぶ連載を終了。
- 8月25日 - ネクロフィリアをテーマにしたドイツの発禁ホラー映画『ネクロマンティック』(1987年)がニューセレクトの配給で日本初ビデオ化。日本語字幕の翻訳は柳下毅一郎。
- 9月 - 不良系サブカルチャー中心のカウンターカルチャー誌『BURST』(白夜書房→コアマガジン)が隔月誌として創刊。当初はバイクとパンクの不良雑誌で、のちにタトゥーやピアスなどの身体改造=モダン・プリミティブ路線とマリファナ路線がヒットする(いずれも『TATTOO BURST』『BURST HIGH』として独立雑誌化)。他にも死体や殺人など悪趣味系の記事が同居していた。初代編集長はピスケンこと曽根賢。
- 9月 - 『人体の不思議展』が開催され、死体をプラスティネーション(樹脂コーティング)したコレクションが展示される。最初の開催地は日本が選ばれ、主催者は死体解剖保存法違反の疑いで起訴された[239]。
- 『週刊SPA!』9月20日号で「【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体」特集
- 10月4日 - テレビアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』放送開始(〜96年3月27日まで)
- 10月 - 作田明監修の殺人百科『週刊マーダー・ケースブック』(省心書房→デアゴスティーニ・ジャパンに吸収合併)創刊。第1弾は「チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件」特集(Vol.1・2の合併号)。次いで第2巻には佐川一政も登場。1997年8月1日まで全96巻を刊行する。
- 10月 - 椹木野衣+木村重樹編『ジ・オウム―サブカルチャーとオウム真理教』(太田出版)刊行。椹木野衣・飴屋法水・福居ショウジンとの鼎談を始め、大澤真幸、福田和也、岡田斗司夫、村上隆、根本敬、宇川直宏、中原昌也、清水アリカらが参加した。また村崎百郎はオウム真理教事件の反省を踏まえ、導師(グル)への脱依存を啓発する論考「 導師(グル)なき時代の覚醒論」を本名の黒田一郎名義で寄稿している。村崎はこの論考を次のように締め括った。悟りや覚醒に至る道は無数にあり、我々はどんな道を選んでも自由なんだ。観念の中に閉じこもるな。現実としっかり向かい合え。覚醒も堕落も、創造も破壊も、あらゆる可能性は常に我々の内にあり、いずれを選ぶかは、常に我々自身の意志に委ねられている。その権利と自由を決して手放すな。
- 『週刊SPA!』11月1日号で「電波系な人々大研究―巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」特集。根本敬と村崎百郎の対談「電波系の正体を解き明かす電波対談ここに開催!」掲載(のちに大幅な加筆修正と語り下ろし談話を加えて単行本『電波系』に「オレたちを通り過ぎていった電波たち」と改題して収録)。
- 11月 - 竹熊健太郎『私とハルマゲドン―おたく宗教としてのオウム真理教』(太田出版)刊行。60年代生まれの元祖オタク世代として漫画やアニメなどの戦後サブカルチャーの洗礼を受け、高度資本主義社会の恩恵に浴しながら、いまひとつ世間との折り合いがつかない著者自身の体験を踏まえつつ、おたく文化の土壌から世紀末最大のカルト教団「オウム真理教」が生まれたと論じる極私的おたく文化論。2000年7月には筑摩書房から改訂文庫版が刊行された。
- 11月 - クーロン黒沢ほか『さわやかインターネット―ネットの達人』(秀和システム)刊行。
- 11月23日 - Windows 95日本語版リリース。「インターネット元年」到来。ペヨトル工房主宰者の今野裕一は、インターネット以前/以後の「ブラック」の違いについて次のように述べている。
実際に死んだり病んだりするところまで行ってしまうってのはね、昔はなかったですよ。少なくとも黒田(一郎。村崎百郎の本名:引用者注)がいた90年代前半ぐらいまでは、ブラックなものを笑い飛ばすような楽しさがあったし、実際にうつ病っぽい子でも、まぁ何とかやっていけてたんだよね。それがネットが出てくるようになってから、なんだか現実の死まで行っちゃうような、本当の意味でのヤバさみたいなものが現れるようになってきた。今まで僕や黒田がやってきたようなのとは全く違う、単にネガティブな思いがだだ漏れになってきたブラック。九五年以降、本当にそういうのに触れる機会が多くなった。で、黒田もそういう新手のブラックは処理し切れなかったのかもしれない。
今の2ちゃんねる的な、言葉が勝手に走っていってしまうようなのはまったく新しい現象で……ものすごいスピードで言葉が流れていく中で、真意が見えないまま、言葉に書かれている別の意味を勝手に読み取り、物語を作ってしまう。(中略)ネットで走っている言葉の裏にある悪意って、身体的につかめない。これは新しい時代の新しいブラックの誕生だろうけど……。
黒田に実はデジタルな悪意はなかった。ひどいことを言いながら、ダメな奴を励ます。「お前もダメだけど、俺なんかもっとダメ、だけどこんな人間でも立派に生きてるんだぜ」って。生きて生き抜いて他人に肉体を擦り付けながらイヤミを言うのがあいつのやり方なんだけど、それって結局「生きろ」ってことでしょ。 — 今野裕一インタビュー「村崎百郎が唯一、言うことを聞く、怖がる人間が僕でした」『村崎百郎の本』アスペクト、126-127頁、2010年。
- 『週刊SPA!』12月13日号の特集「`95年ジャンル別裏BEST10」内で特殊翻訳家の柳下毅一郎が「個人的にはこの猟奇ブームは嫌い」「猟奇とかサイコとかいうのは、本来なら世間に顔向けできないもののはず。恥と覚悟がないと付き合えない。それを抜きにして、ただ刺激だけで面白がる人ばかり」「結局、恥知らずな人が世の中には多かったってだけかも」とコメント。
- 12月24日 - 『Quick Japan』5号で石野卓球と青山正明のテクノ対談「裏テクノ専門学校」掲載。
- この年、オウム真理教事件関連の不謹慎ゲーム『霞ヶ関』『上九一色村物語』がパソコン通信の草の根BBSで流通。また、この頃からパソコンに関連する書籍やサブカル誌が多数刊行されるようになるが、「万引きの方法」「ラーメン特集」「飲尿療法」など何の役にも立たないか、如何わしい内容のものも多かった。
- 死体写真家の釣崎清隆が池尻大橋NGギャラリー(元『Billy』編集人の小林小太郎が運営していたギャラリー)で初個展。
- 1996年
- 1月10日 - 大麻取締法違反で逮捕されていた青山正明が95年8月末に保釈されたのを記念して、新宿ロフトプラスワンにて7時間にも及ぶトークライブ『鬼畜ナイト―新宿でいちばんイヤ〜な夜』(東京公司新年会兼青山正明を励ます会)が鬼畜ナイト実行委員会(村崎百郎+ニコラス啓司=木村重樹)の主催で開催される。同年8月にはイベントのダイジェスト版が『別冊危ない1号』(鬼畜ナイト実行委員会編/東京公司)としてデータハウスから書籍化され、7万部を売り上げる[188]。主な出演者は青山正明、村崎百郎、吉永嘉明、石丸元章、釣崎清隆、柳下毅一郎、根本敬、夏原武、宇川直宏、佐川一政、クーロン黒沢など30人以上にのぼった。
- 2月8日 - 前日に可決された米通信品位法(匿名掲示板の主に性的な品位を欠いた下品な投稿を規制する法律)に抗議する目的で「サイバースペース独立宣言(電脳空間独立宣言)」というサイバースペースにおける“無制限の表現の自由”を謳ったマニフェストがジョン・ペリー・バーロウによって提唱される。これはアメリカ西海岸で勃興したヒッピーカルチャーとヤッピーの経済自由放任主義が合流した、リバリタリアン的なユートピア思想であり、カリフォルニアン・イデオロギーとも呼ばれている。またこの宣言は、オンライン空間における反表現規制運動の先駆けにもなった[240]。その後、表現の自由に対する萎縮効果が懸念された結果、ほぼ無制限の言論の自由を認めた通信品位法230条(プロバイダ免責)が規定される。以後、プラットフォーム管理者は第三者の発言や投稿に責任を負わず、オンライン空間ではヘイトスピーチや陰謀論が蔓延することになる。
- 2月25日 - 悪趣味ブームの元祖本としてアメリカの大衆文化に根ざしたバット・テイスト文化を評論したジェーン・スターン&マイケル・スターン著/伴田良輔監訳『悪趣味百科』(新潮社)が刊行。
- 3月 - 別冊宝島250『トンデモ悪趣味の本―モラルそっちのけの,BADテイスト大研究!』刊行。根本敬は蛭子能収の恐怖伝説レポート「茶の間のピンヘッドは無意識の殺人者!?」を掲載、1990年代当時すでに人気タレントとなっていた蛭子能収の知られざる素顔を鬼畜系の文脈で紹介した。
- 4月 - 『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」刊行。第2巻では村崎百郎の発案で「鬼畜系カルチャー入門講座」と称し、多様多種なジャンルの危ないコンテンツ(殺人/死体・変態・ボディアート・フリークス・コミックス・読書・デジタルネットワーク・盗聴、奴隷男飼育法、東京殺人現場巡礼マップ、山野一インタビュー、強姦チームリポート、村崎百郎の勝手にゴミュニケーション、痴呆性老人看護日記など)がガイドブック形式で横断的に紹介されている[241]。
- 6月 - 土屋静光編集の悪趣味総決算ムック『世紀末倶楽部』(コアマガジン)創刊。交通事故で内臓が飛び出した死体写真や奇形児などの写真が大量に掲載されていたこのシリーズはビジュアル面によせた見世物的かつ即物的なつくりのものが多いが、第1弾の『特集チャールズ・マンソンとシャロン・テート殺人事件』は1冊丸ごとマンソン特集という圧巻ぶりで読みものとしても評価が高い。第2号には『危ない1号』初代編集長の青山正明、カルト映画『恐怖奇形人間』の石井輝男監督、スーパー変態マガジン『Billy』編集人の小林小太郎、V&Rプランニング創業者の安達かおるなど鬼畜系キーマンにまつわる貴重なインタビュー記事を多数掲載。
- 6月 - 24歳で夭折した漫画家の山田花子が生前に遺した日記やメモなどをまとめた単行本『自殺直前日記』(太田出版)が\800本シリーズから刊行。
- 6月 - 昭和5年(1930年)に刊行された『近代犯罪科学全集』(武侠社)の別巻として編まれた『刑罰変態性欲図譜』が皓星社から復刊。
- 7月 - 村崎百郎『鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』(データハウス)刊行(2021年に電子書籍で復刊)。鬼畜でゲスな内容ながら、その行間からは人間の深淵や哲学が見え隠れし、汚穢の底から生を実感する村崎流の人間讃歌が書かれている。
- 雑誌『ホットドッグ・プレス』(講談社)8月25日号で「いいかもしれない“悪趣味”の世界 BAD TASTE BOOK」特集。根本敬は「ブームの終焉を見たなと思ったのは『ホットドッグ・プレス』で悪趣味特集やった時ね」と述べている[242]。
- 8月21日 - 日本におけるアンダーグラウンドコミュニティの始まりとされる電子掲示板「あやしいわーるど」開設。インターネット上に作成された巨大匿名掲示板群の先駆けとなる。
- 9月 - 根本敬と村崎百郎の共著『電波系』(太田出版)刊行。「だから、もう電波に対してそんなに真剣に悩まなくてもいいんだ。好きに生きろよ」(村崎百郎のあとがきより)。
- 10月 - 相良好彦編集のカルト漫画読本『マンガ地獄変』(水声社)シリーズがスタート。昭和時代のマニアックで狂気的な貸本漫画や怪奇漫画を「モンド」「B級カルト」「悪趣味系」などの文脈で再評価する契機を作り、当時10代だった『でろでろ』の押切蓮介や『東京都北区赤羽』の清野とおるにも多大な影響を与えた。また同書には無名時代の吉田豪、植地毅、大西祥平、宇田川岳夫などが執筆し、それまで『紙のプロレス』の読者以外には余り知られていなかった吉田豪がサブカル界で広く知られる切っかけを作る。
- 10月30日 - 東京大学教養学部「オタク文化論」ゼミ講師の岡田斗司夫に招かれて村崎百郎が登壇。この日のテーマはゴミ漁り。講義の模様は岡田斗司夫『東大オタク学講座』(講談社・1997年)の「第九講 ゴミ漁り想像力補完計画」に収録。
- 11月 - 別冊宝島281『隣のサイコさん―電波系からアングラ精神病院まで!』(いずれも宝島社)刊行。
- 11月 - 鶴見済『人格改造マニュアル』(太田出版)刊行。厳しい世の中を自殺せず生き抜くための大脳コントロール法を解説。
- 11月 - クーロン黒沢『オトナのハッカー読本―世界電脳暗黒列伝』『香港電脳オタクマーケット』刊行。コンピュータ界のダークサイドを紹介したガイドブック。
- 11月1日 - 『危ない1号』『危ない28号』ライターの北のりゆきが主宰する同人サークル「遊撃隊」「冥土出版」の合同ホームページとして共産趣味の古参サイト「遊撃インターネット」開設。
- 11月30日 - B級のエロネタ中心の悪趣味雑誌『BAD TASTE』(フロム出版)創刊。米沢嘉博『戦後エロマンガ史』の初出(→青林工藝舎『アックス』に移籍)。
- 12月 - 『Quick Japan』(太田出版)11号で山崎春美特集「山崎春美という伝説─“自殺未遂ギグ”の本音」掲載。
- 『週刊SPA!』12月11日号で「鬼畜たちの倫理観─死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?」特集
- ロリータ官能小説家の斉田石也、V&Rプランニング代表の安達かおる、雑誌『BUBKA』創刊編集長の寺島知裕、KUKIの鬼畜レーベル“餓鬼”の山本雅弘、特殊漫画家の根本敬らにコメントを求め、鬼畜系ショップ「高円寺バロック」周辺の客に質問し、日本でベストセラーとなった『FBI心理分析官―異常殺人者たちの素顔に迫る衝撃の手記』著者のロバート・K・レスラー、『痴呆系―すばらしき痴呆老人の世界』著者の直崎人士、タコシェ創設者でライターの松沢呉一らが鬼畜ブームに一言呈した上で、ラストに青山正明と村崎百郎の対談「鬼畜カルチャーの仕掛け人が語る欲望の行方」を掲載。
- この特集で『SPA!』は青山に村崎のような鬼畜キャラを期待していたが、実際に登場した青山は温厚誠実なインテリの常識人だったことから、本来なら青山に割かれるはずだった誌面も大幅に縮小せざるを得なかったという。これに関して青山と交友があったデザイナーのこじままさきは「本当に常識的で穏やかないい人なんですよ。どちらかというと気弱で温厚で。完全に上から目線で、バカを鼻で笑ってる立ち位置の原稿が多いじゃないですか。でも実際に会った初対面の人には絶対それを匂わせない。愛されキャラなんですよ。なかなかいないですよね、そういう人」と語っている[243]。
- マーケティング雑誌『流行観測アクロス』(パルコ出版)12月号に竹熊健太郎と岡田斗司夫の対談「“鬼畜”に走るサブカル雑誌に未来はあるか?」掲載。
- 旭川女子中学生集団暴行事件が起こる。
- Rotten.comが開設。後のOgrish.comと並んで2000年代を代表する精神的ブラクラサイトになった。
- 1997年
- 1月 - 『GON!』(ミリオン出版)のフォロワー雑誌『BUBKA』(コアマガジン→白夜書房)創刊。後にAKB48を中心とした無害なアイドル雑誌に路線変更する。
- 2月 - プロレスに対して悪趣味系のアプローチをした『悶絶!プロレス秘宝館』(シンコー・ミュージック)創刊。
- 3月 - 幻の名盤解放同盟周辺にいた直崎人士が老人介護施設の介護士として接触した痴呆老人についてのレポート『痴呆系―素晴らしき痴呆老人の世界』(早田工二との共著、データハウス)刊行。
- 『週刊SPA!』5月28日号で「台頭する『いじめられっ子』カルチャーに注目せよ!」特集
- 6月 - 別冊宝島334『トンデモさんの大逆襲!―超科学者たちの栄光と飛躍』(宝島社)刊行。
- 雑誌『AERA』(朝日新聞出版)6月23日号に高橋淳子の記事「世紀末カルチャー 残虐趣味が埋める失われた現実感」が掲載。鬼畜ブームを仕掛けた『危ない1号』側の見解として「目で見て明らかに分かるグロテスクさに人気が集中している。表層的な露悪趣味に、終始しているんじゃないか」(青山正明)「死体も殺人鬼も刺激物として喜んでいる連中が大勢いて、それを説教する人も、自制が働く人もいない。ああいうのは、まっとうな人間がやることじゃないという“つつしみ”が、80年代以降、なくなった」(柳下毅一郎)とのコメントが掲載。
- 7月7日 - 青林堂の全社員が退職。結果として1964年の創刊以来一度も休刊することなく日本のマイナー文化を支え続けた伝説の漫画雑誌『ガロ』が8月号で休刊に至る。その後、青林堂から分裂した青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』(1998年2月〜)を創刊する。『ガロ』休刊の真相については白取千夏雄の自伝『「ガロ」に人生を捧げた男―全身編集者の告白』(興陽館/おおかみ書房)に詳しい。
- 『週刊アスキー』7月28日号で「検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」特集。酒鬼薔薇事件と鬼畜系カルチャーの関係性の有無について問題提起した上で青山正明、木村重樹、柳下毅一郎、テリー伊藤、猪瀬直樹らが事件に言及する。
- 8月 - 忘れられた異端のカルト漫画について積極的に再評価を行っていた宇田川岳夫が『マンガゾンビ』(太田出版)を刊行。
- 8月5日 - 2ちゃんねるの前身となる「あめぞうリンク」が開設される。
- 8月13日 - テレビアニメ『サウスパーク』(コメディ・セントラル)放送開始。原作はトレイ・パーカーとマット・ストーン。
- 奥崎謙三主演『神様の愛い奴』が後に藤原章、大宮イチ監督名義で発表されたものとは違う内容のラフ版がBOX東中野(現・ポレポレ東中野)にて年末に上映される。
- 10月 - Create Media編『日本一醜い親への手紙』(メディアワークス)刊行。
- この年『危ない1号』愛読者の酒鬼薔薇聖斗が神戸連続児童殺傷事件を起こす。鬼畜・悪趣味ブーム事実上の終焉へ。この頃からテレビドラマやアニメなどでも自主規制が強化されるようになる。
- 1998年
- 1月 - 別冊宝島356『実録!サイコさんからの手紙―ストーカーから電波ビラ、謀略史観まで!』(宝島社)刊行。
- 1月 - 津山事件、深川通り魔殺人事件、宮崎勤事件、酒鬼薔薇聖斗事件など日本の凶悪犯罪について当時の若手ライターがサブカル的アプローチで記述した『犯罪地獄変』(水声社)刊行。
- 1月 - 荒俣宏コレクション2『バッドテイスト―悪趣味の復権のために』(集英社)刊行。
- 2月 - H&Cクラブ/KuRaRe編『コンピュータ悪のマニュアル』(データハウス)刊行。10万部以上を売り上げるヒットを記録する[200]。また参考文献には『危ない薬』『完全自殺マニュアル』『魔法使いサリン』『診断名サイコパス』などパソコンやクラッキングとは縁遠いサブカル本の書名が羅列されていた。
- 4月 - 漫画のみならず、アンダーグラウンドな音楽やオカルト、偽史作家などについて記した宇田川岳夫の著書『フリンジ・カルチャー 周辺的オタク文化の誕生と展開』(水声社)刊行。
- 5月10日 - 漫画家のねこぢる(山野一の妻)が自殺。可愛さと残酷さが同居するポップでシュールな作風が人気を博した。31歳没。
- 7月 - 『危ない1号』の実質的後継誌として季刊誌『危ない28号』(データハウス)創刊。アングラサイトの人脈によって制作され、より実用的なアングラ情報を扱う。『危ない1号』の関係者からは、村崎百郎と北のりゆきが引き続き参加した。
- 7月 - ネクロマンティンクHアンソロジー『ふにく倶楽部』(オークラ出版)刊行。成人向け漫画雑誌『コミックピンキィ』(同)に人生相談コーナーを持っていた佐川一政をメインに据えたほか、町野変丸、ダーティ・松本、内山亜紀らが執筆した。
- 7月18日 - 『神様の愛い奴』の藤原章・大宮イチによるバージョンが公開される。
- 8月28日 - 映画『鬼畜大宴会』(鬼プロ)公開。
- 1999年
- 1月1日 - 児童買春・児童ポルノ禁止法施行。
- 1997年に第5回日本ホラー小説大賞に応募されるも落選した高見広春の小説『バトル・ロワイアル』に興味を持った赤田祐一が『Quick Japan』の誌面で「尋ね人」の広告を出し、高見とコンタクトを取ることに成功。1999年4月に太田出版から刊行され、100万部を超えるミリオンセラーとなる。
- 5月15日 - Mondo Mediaが『Happy Tree Friends』の原型となるフラッシュアニメ『Banjo Frenzy』を公開する。
- 5月30日 - ひろゆきが「あめぞう掲示板」の避難所として匿名掲示板「2ちゃんねる」を開設。
- 能町みね子は、建前や偽善を徹底的に嘲笑する「2ちゃんねる」と「鬼畜系」の親和性について次のように指摘している。
いわゆる鬼畜系は私は知ってはいたけどあまり入り込むことはなくて、若いときの私にとっての鬼畜・悪趣味カルチャー(?)といえば2chだったなと思う。天皇制すらネタにして、乙武さんを酷い言葉でおちょくり、平然と弱者を罵倒するモラルのない空間は正直言って当時は嫌悪感とともに魅力も同じ強さで迫ってくる場所だったと思う。その後、私はさすがに荒れ狂うネットのインモラルさとはさすがに一線を引くべきだというごく当然の結論に行き着いたけど、2ch〜5chの不道徳も主にリベラル的な「いい子ちゃん」への反抗として存在しているわけで、もし鬼畜系悪趣味カルチャーがバブル的イケイケ文化への反抗だとするなら、2ch系カルチャーもリベラル的お利口さん文化への反抗で、この2つの当事者は「虐げられた者の反抗」のつもりでいるところが結局同じ。後者はそのままネトウヨ・陰謀・Jアノン(引用者注:オルタナ右翼/Qアノンの日本版)につながって肥大してしまいました。 — 能町みね子のツイート(2021年7月22日)
- このような日本発の匿名掲示板文化(CHANカルチャー)が日米で流行した理由について、アメリカ合衆国のニュースサイトは、90年代以降の低迷を続ける社会経済とオタク・コミュニティの台頭が背景にあるとして次のように総括した[244]。
2ちゃんねるという名に何となく聞き覚えがあるとしたら、それは物議をかもすアメリカの画像掲示板・4chan、そしてその精神を受け継いだ8chan(現在は8kunに改名)に名が似ているからだろう。(中略)東浩紀によれば、オタク・コミュニティの台頭は、インターネットが広く商業化された90年代日本特有の政治・経済状況の副産物だ。第二次大戦後の急激な再建と経済成長は「終わりなき資本主義の発展」という夢物語を生み出した。(中略)この傲慢な楽観はバブル崩壊で消え去り、結果引き起こされた重度の不況と景気低迷による「失われた10年」(または20年)で実質賃金も低下する。失われた10年のあおりを一番食らったのは若者で、終身雇用モデルも破壊された。(中略)
1995年にはオウム真理教による地下鉄サリン事件、そして巨大な阪神・淡路大震災の2大悲劇に襲われ、国民の士気がさらに低下した。オタクが占めるオンライン空間で繰り広げられるのは嫌みな皮肉と冷笑主義で、彼らは掲示板の持つ共同体としての側面に夢中になった。(中略)
終わりなき発展物語(引用者注:ジャン=フランソワ・リオタールが1979年に著した『ポストモダンの条件』において提唱した「大きな物語」のこと。戦後民主主義と高度経済成長に支えられた、社会全体で共有される統一的な価値観を指す)の崩壊と開いた穴を埋めるため、フィクションやネット・ミーム、内輪ジョークで成り立つ空間へと避難したのだ。
- 9月20日 - 青山正明の2冊目の単著である『危ない1号』第4巻「特集/青山正明全仕事」が刊行される。キャッチコピーは「少女買春から常温核融合まで」。本号をもって『危ない1号』シリーズ終刊。
- 11月1日 - 児童ポルノ禁止法施行。
- 12月6日 - 『BURST』2000年1月号で「世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括―90年代式幽霊列車の葬送」特集。『世紀末倶楽部』『トラッシュメン』編集人の土屋静光によるコラム「悪趣味雑誌/ゴミ、クズ、カスのお宝雑誌」が掲載。小林小太郎による『Billy』『ORGANIZER』『TOO NEGATIVE』、比嘉健二による『GON!』『ティーンズロード』、のちの『映画秘宝』につながる『悪趣味洋画劇場』『悪趣味邦画劇場』などの紹介や『世紀末倶楽部』を編集する上で影響を受けたという海外ミニコミ『FUCK!』『BOILD ANGEL』の解説などを収録。
- この年、アロマ企画が疑似殺人を記録した穴留玉狂監督のアダルトビデオ『猟奇エロチカ 肉だるま』発売。発売直前に出演女優の大場加奈子が電車に飛び込み自殺[245]。
- 登場人物のモデルが宮崎勤や麻原彰晃といった実在の凶悪犯罪者であるホラー映画『地獄』が公開。
2000年代
- 2000年
- 新潟少女監禁事件が発覚。9歳の少女が約9年間、無職で引きこもりの男性に子供部屋で監禁されていた。検察官は被告人について「鬼畜に劣る悪行」「非人道的で、血の通った人間の行為とは思えない」「極悪非道である」と論告で糾弾した[246]。
- 西鉄バスジャック事件が発生。犯人は2ちゃんねるの荒らしであった。当時の2ちゃんねる管理人の西村博之(ひろゆき)は報道番組のインタビューで「うそはうそであると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」と答えている[247]。
- 『危ない28号』第3巻「特集/危険物特集号」の記事を参考にして作られた爆弾による連続爆発事件が起こる[203]。結果、同誌は全国18都道府県で有害図書に指定された[204]。同年『危ない28号』の廃刊が決定する(最終巻となった第5巻は1999年11月に刊行)。
- 『BURST』9月号に青山正明の遺稿「イメージの治癒力──『諦観』と『リズム』でハイな毎日を」と生前最後のインタビュー記事「シャバはいいけどシャブはいけません──帰って来た? 天才編集者 青山正明」掲載。
- 12月 - 佐川一政『まんがサガワさん』(オークラ出版)刊行[187]。
- 12月16日 - 映画『バトル・ロワイアル』公開。R-15指定。
- Ogrish.comが開設。Rotten.comと並んで2000年代を代表する精神的ブラクラサイトであった。
- 2001年
- 5月 - 村田らむ『こじき大百科―にっぽん全国ホームレス大調査』(データハウス)刊行。人権団体からの抗議で発禁・絶版・自主回収となる。
- 6月 - 多田在良編集『激しくて変』(光彩書房)刊行。宮崎勤事件の影響で長く休筆していた鬼畜漫画家の早見純が新作「復活祭」で再デビューする。
- 附属池田小事件が発生。
- 6月17日 - 『危ない薬』『危ない1号』の編著者・青山正明が自殺。40歳没。
- 『BURST』9月号で木村重樹・吉永嘉明・園田俊明の鼎談「青山正明追悼座談会」掲載。
- 雑誌『AERA』11月19日号に速水由紀子の記事「新人類世代の閉塞 サブカルチャーのカリスマたちの自殺]」掲載。青山正明、ねこぢる、hideの自殺や『別冊宝島 死体の本』『完全自殺マニュアル』に触れつつ、新人類の行く末について案じる。
- 12月 - 村崎百郎が『アウトロー・ジャパン』(太田出版)創刊号に「非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み」を寄稿。
- 2002年
- 北九州監禁殺人事件発覚。
- 2003年
- スーパーフリー事件発生。
- プチエンジェル事件発生。事件は不可解な点が多く、ネット上で都市伝説化している。
- 『BURST』9月号「死体写真―生と性の間に横たわる死の体験者たちと未体験者の視線」特集。死体写真家の釣崎清隆によるカラー写真に加え、写真週刊誌に載った尾崎豊や岡田有希子などの死体写真を掲載。その他、法医学書、反戦写真集、昭和初期の風俗本、死体ジャケット60選など古今東西の死体写真を横断的に紹介している。また同誌は2004年8月号でも本格的な「死体」特集を再び行っている。
- 10月1日 - 2ちゃんねるの分派である「ふたば☆ちゃんねる」の非公式姉妹サイトとして英語圏最大の匿名画像掲示板「4chan」開設。
- 2004年
- 6月 - 佐世保小6女児同級生殺害事件が発生。加害者とされる女子児童が2ちゃんねる上でカルト的な人気となる祭り状態が起こり、実際に不謹慎ゲームを制作する者や加害者のコスプレをする者などが現れた。なお加害者は『バトル・ロワイアル』のファンであったことから、テレビ業界や映画業界などで自主規制が更に強化されることになる。
- 9月 - 90年代の鬼畜ブームの空気を詰め込んだ雑誌『SIDE FREAK』(三才ブックス)が創刊されるも、発売予定の第2号が刊行されず創廃刊。
- 10月12日頃 - 2ちゃんねるのスピンオフとしてダークウェブ圏最大の匿名掲示板「Onionちゃんねる」(通称・Tor板)開設。ありとあらゆるアングラネタが取り扱われ、エロいのとアングラ板ではクラッキング・違法薬物・児童ポルノなどの危ない情報が平然と並べられていた[248]。
- 11月 - 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社)刊行。同僚の青山正明、友人のねこぢる、最愛の妻の3人に相次いで先立たれた『危ない1号』副編集長が綴る慟哭の手記。プロデュースは赤田祐一。2008年10月に幻冬舎アウトロー文庫から再刊された(解説は精神科医の春日武彦)。
- この年、アダルトビデオメーカーのバッキービジュアルプランニングが一連の強姦致傷事件(通称・バッキー事件)を起こす。
- 2005年
- 3月 - 出演者のほとんどが小中高生の未成年で鬼畜なSMプレイが中心の援助交際ビデオ「関西援交・上玉援交シリーズ」制作者が児童ポルノ禁止法違反などで摘発を受け逮捕される。逮捕された制作者は反社会的勢力ではなく素人のサラリーマンに過ぎなかったが、シリーズは160巻超を数えるなど裏ビデオ史上最大のヒット商品となった。
- 5月 - 『危ない1号』以降、鬼畜系雑誌の代表とされたカウンターカルチャー誌『BURST』が6月号を最後に休刊することが発表される。
- 北海道・東京連続少女監禁事件が発生。
- 7月 - 「人間の欲望を裏側から描き出す鬼畜系体験マガジン」がキャッチコピーのサブカル雑誌『裏BUBKA』(コアマガジン)が7月号をもって廃刊。廃刊の理由は「日光の猿を撲殺して食う企画が社内で問題視されたから」とも言われる[249]。かつてのライバル誌『裏モノJAPAN』編集部の仙頭正教は「猿を編集部まで持ってきて、後でバーベキューをしようということで冷蔵庫に入れていたんです。そしたら全然そのことを知らない派遣社員の女の子が冷蔵庫を開けて騒ぎになって、こんな事がバレたら会社が潰れるということで、編集部ごと潰してしまったんです」と語っている[250]。
- 『マンガ嫌韓流』が発売され、2ちゃんねる上で祭りとなる。いわゆるヘイト本が書店に並んだ最初の事例であるとされる。
- ばるぼら+加野瀬未友責任編集『ユリイカ』8月臨時増刊号で「総特集=オタクVSサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史」特集。ばるぼらと加野瀬未友の対談「オタク×サブカル15年戦争」が掲載されたほか、90年代サブカルに関連して近藤正高「カミガミの黄昏〈一九九三年〉以前・以後」、屋根裏「悪趣味と前衛が支えたアングラ」、オクダケンゴ「平成大赦(仮)-平成サブカルチャー年表-」などの記事が収録されている。
- 2006年
- 3月 - 吉永嘉明『自殺されちゃった僕たち』が『実話GON!ナックルズ』で連載開始(2008年11月号まで全32回)
- 『STUDIO VOICE』12月号で「90年代カルチャー完全マニュアル」特集。村崎百郎インタビュー「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」掲載。
- クラブきっず事件発生。
- 在日特権を許さない市民の会設立。2000年代後半から2010年代前半にかけてヘイトスピーチが激化する。
- 香山リカはヘイトスピーチが冷笑的・相対的・ポストモダン的なサブカル文化の延長線上にあるとして次のように指摘している[5]。
ヘイトデモに参加している人たちは、80年代から90年代にかけて、「おもしろいから、センスのよい笑いだから」とか「もちろん人権は大切だとわかった上で、世の中の正論を嘲笑しているから」という大義名分のもとに私たちが作ってきたサブカル的、悪趣味・鬼畜的な表現を、現実の世界で真剣に実行に移しているのだ……。
ここで参加者たちに、サブカルやそこから派生した「悪趣味」に浸かっていた人たちが、「われわれはあくまで欺瞞に満ちた当時のおとなを嘲笑していただけで、本気に差別しようとしていたわけではない」「リアル世界での差別煽動をしたいだなんて想像もしてなかった。やめてくれ」などとあわてて止めようとしたところで、通用しないことは目に見えている。 — 香山リカ (2021年8月20日). “かつてのサブカル・キッズたちへ〜時代は変わった。誤りを認め、謝罪し、おずおずとでも“正論”を語ろう”. 情報・知識&オピニオン imidas. 凸版印刷/集英社. 2021年11月20日閲覧。
- 2007年
- 監督やスタッフによる出演者への性的虐待が後に問題となった『童貞。をプロデュース』公開。
- 障害者差別などを芸風としているアングラ芸人・スパルタ教育(現・まん☆だん太郎)のネタがYouTubeやニコニコ動画にアップロードされ炎上し、本人は後に謝罪したものの、ライブでは同様の差別的なネタを続けていた。本来は表に出ないアングラなネタが動画サイトなどで拡散され問題となった最初期の事例である。
- 8月 - 強盗や誘拐の共犯者などを募る目的で2004年頃から利用されていた闇サイト「闇の職業安定所」で知り合った男3人組がOL殺人事件を起こす(闇サイト殺人事件)。
- 2008年
- 4月23日 - 日本語版Twitterリリース。
- 6月8日 - 秋葉原通り魔事件発生。
- 2006年6月から7月にかけてウクライナのドニプロペトロウシクに住む若者らが約1ヶ月の間に快楽目的で21人を殺害した。2008年末には殺人行為を記録したビデオがインターネット上に流出し、そのうち「ウクライナ21」と称される動画は動画共有サイトに完全な状態で流出した(この前後に日本では「検索してはいけない言葉」という言葉が定着している)。その後、ウクライナ21に触発された模倣犯が「アカデミーマニアックス」事件を起こす。
- 2010年
- 6月30日 - 元『週刊SPA!』編集長のツルシカズヒコが『「週刊SPA!」黄金伝説』(朝日新聞出版)を刊行。
- 7月23日 - 村崎百郎が読者を名乗る男に自宅で48ヶ所を滅多刺しにされ刺殺。鬼畜系終焉。
2010年7月23日〜
- 2010年9月 - 根本敬『生きる2010』(青林工藝舎)刊行。
- 11月25日 - 鬼畜系総括の書『村崎百郎の本』(アスペクト)刊行。特殊漫画家の根本敬は本書のインタビューで“悪い悪趣味”の跳梁跋扈について次のように語っている。90年代の悪趣味ブームを支えていた人たちっていうのは教養があって知的な人が多かったし、読んでいる方も「行間を読む」術は自ずと持っていたと思うんですよ。それに「影響受けました!」っていう第二世代、第三世代が出てくるにつれどんどん崩れて、次第に単に悪質なことを書いてりゃいいや、みたいな“悪い悪趣味”が台頭してくるようになる。だいたい趣味がいい人じゃないと、悪趣味ってわからないからね。村崎さんにしろ、オレの漫画にしろ、結局世の中がちゃんとしていてくれないと、立つ瀬がないわけですよ。でも、世の中がどんどん弛緩していっちゃって、もう誰もがいつ犯罪者になるのか、わからないような状況になっちゃったのが鬼畜ブームの終わり以降。とりわけ90年代終わりからここ数年、特に激しいじゃない? — 根本敬インタビュー「村崎さんには“頑張れ”という言葉が相応しい、というか、これしかない」(上掲書・334頁)
- 2011年
- 3月11日 - 東日本大震災発生。
- 2012年
- 11月16日 - アウトロー雑誌『BURST』(コアマガジン)の派生誌『TATTOO BURST』が2013年1月号をもって終刊。
- この年、第一東京弁護士会に所属する弁護士を対象とした、2ちゃんねる史上最大級の炎上騒動「ハセカラ騒動」が起きる。これは「なんでも実況J板」で炎上した高校生がつけた弁護士が2ちゃんねらーに対してIP開示請求を行った際、数多くの不手際があったとして反感を買い、炎上したのが原因である。その後、当該弁護士に対する殺害予告は100万回を超え、ありとあらゆる嫌がらせが行われた結果、複数の逮捕者も出した[251]。また住所特定や墓荒らしに留まらず、2014年にはKRSWLockerと呼ばれるランサムウェアを用いた攻撃が、2015年には炎上騒動に関連したグーグルマップ改ざん事件が、2016年には当該弁護士を騙った同時爆破予告が起きるなど、現実社会にも大きな影響を与えている[252]。ネット上でも、当該弁護士を麻原彰晃に見立てて教祖化したり、3Dモデル(MMD)にして脱糞させたり、ロリコン扱いしたりと小学生感覚の発想でネタ化が進み、ニコニコ動画にも多数のMADムービーが投稿されるなど、2ちゃんねるの枠を超えた平成ネット史上最大級かつ最長級のインターネット・ミーム(ネット上の祭り)となった[253]。当該弁護士は炎上騒動について「ネット社会ではネタになれば何でもいい。憎しみが動機ではなく、集団コミュニケーションの中の居場所探しでしかない」とした上で「(ネット社会では)話し合う以前に、自分の主張に合わなければ人格否定をする。健全な言論空間として機能していない」とSNSや匿名掲示板で誹謗中傷が起きる背景を指摘している[254]。
- 2013年
- 2月8日 - 青山正明『危ない薬』が神奈川県で有害図書に指定。
- 9月13日 - 世界中の猟奇映像を公開しているまとめサイト「グロッティ・マンデー」開設。
- 2014年
- 4月27日 - データハウスの鵜野義嗣社長が運営している「まぼろし博覧会」内に常設展示「村崎百郎館」がオープンする[185]。
- 青山正明『危ない薬』が2月25日に栃木県、10月31日に北海道で有害図書に指定。
- ゲーマーゲート論争勃発。当初はゲーム文化における性差別とビデオゲームジャーナリズムをめぐる論争であったが、次第に議論は右傾化し、リベラルやフェミニストに対する反ポリコレの風潮が4chanで高まった。またゲーマーゲート・コミュニティの一部はゲーム業界の女性に対して嫌がらせ(ハラスメント・キャンペーン)を行ったため、4chanではゲーマーゲートの投稿が禁止された。その後、ゲーマーゲートは4chanの避難所として8chanの/v/(ビデオゲーム板)に移住し、彼らの一部は極右やネオナチ、白人至上主義と合流してドナルド・トランプ大統領を擁立するオルタナ右翼の構成員となった[255]。
- この年『危ない1号』副編集長の吉永嘉明が失踪する[256]。
- 2015年
- 2016年
- ヘイトスピーチ規制法成立。
- 6月19日 - NHK教育テレビ『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』第4回(最終回)「サブカルチャーが迎えた『世紀末』」放送。根本敬が悪趣味ブームについて言及。
- 7月26日 - 相模原障害者施設殺傷事件発生。
- ピザゲート陰謀論が4chanで発生する。同年12月には「ワシントンのピザ店が児童売春の拠点になっている」というフェイクニュースを信じた男が実際にピザ店で発砲する事件を起こす。
- 2017年
- 青野利光+赤田祐一編集『スペクテイター』39号(有限会社エディトリアル・デパートメント/幻冬舎)で「パンクマガジン『Jam』の神話」特集。
- 平野悠『TALK is LOFT 新宿ロフトプラスワン事件簿』(ロフトブックス)刊行。
- 7月21日 - 日本のサブカルチャーに影響を受けた米ナンセンス映画『KUSO』一般公開。蛆虫、糞尿、排泄、肛門、膿、吐瀉物、精液、粘液、性交粘膜などがクレイアニメ風に描かれる前衛ホラーコメディといった趣。フライング・ロータス(本作ではスティーヴ名義)の長編初監督作品。
- 10月28日 - 4chanの/pol/(Politically Incorrect/政治的に正しくない板)にQアノン陰謀論の「Q」が初投稿する。
- 座間9人殺害事件が発生。
- 12月 - 『Quick Japan』135号で座談会「ロフトプラスワンと90年代サブカルチャー」(赤田祐一・石丸元章・姫乃たま)掲載。
- この年、村崎百郎刺殺事件をめぐる一連の状況を漫画化した『私の夫はある日突然殺された』(森園みるく)が公開される。
- 2018年
- 2月 - 90年代鬼畜系とヘイトスピーチの関連性を論じた『実録・レイシストをしばき隊』(野間易通著、河出書房新社)刊行。本書ではポストモダン以降の「大きな物語の終焉」を可視化する目的で、青山正明が『突然変異』『危ない1号』で提唱した「すべての物語は等価」という新しいメタ物語(社会構造の非対称性を無視した価値相対主義)によって“正義”をも相対化した結果、あらゆる道徳が価値を持たなくなったこと、そして「ポストモダンの極北」である鬼畜系が現在のヘイト文化を用意した可能性を指摘している[2]。
- 5月2日 - 大阪ロフトプラスワン・ウエストで宮沢章夫と野間易通が幻の名盤解放同盟の韓国旅行記『ディープ・コリア』をめぐる対談イベント「サブカルに決着をつける」を行った。これを発端として音楽評論家の高橋健太郎がTwitter上で『ディープ・コリア』論争を起こす[258]。識者の見解や論争の流れについては香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』(太田出版)やロマン優光『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)に詳しい。
- 5月30日 - 政治活動家で作家の雨宮処凛が『90年代サブカルと「#MeToo」の間の深い溝。の巻』という論考を発表。これは「90年代、私はクソサブカル女だった」と語る雨宮が「鬼畜ブーム的なものが盛り上がる中、意図的に見ないふりをしてきたことについて、改めて考えなくてはいけないと思っている」と自己批判あるいは反省を促す内容で、これを皮切りにTwitter上で90年代サブカル論争が起こる。
- 6月24日 - ブロガーのHagexが荒らしユーザーに刺殺される。この事件で加害者の精神鑑定を担当した精神科医は「被告の攻撃的な面は現実社会の対人関係で出ることはなかった。ただ、ネットの中では、他者と全く違う関わり方をするようになった。ネットの中では被告の中の攻撃的な面が引き出されてしまった。もし、被告がネットのない時代に生まれていたら、本件のような犯行に至った可能性は、極めて低かったと考えられます」と法廷で証言し、インターネットが狂気を増幅・加速させた旨を明言した[259]。
- 9月1日 - RRR(両国楽園部屋)で催された『バースト・ジェネレーション』創刊記念座談会「90年代カウンターカルチャーを振り返る」に登壇した幻の名盤解放同盟の根本敬が『ディープ・コリア』論争について「その頃はいわゆる進歩的な文化人とされる左翼系の人達が言論界を握っていて、韓国に対して悪い事を言うと贖罪意識が強過ぎて、非常に風当たりが強かった。(中略)良い意味の間抜け加減とか、そういうものに対しても、みんな口を閉ざして」いた80年代の空気感に言及しながら、あえて「韓国のことを正直に書く」ことによって、執拗な贖罪意識にとらわれた形でしか韓国を語れず、硬直していた日本の韓国観に対し「ある種のカウンターカルチャー」として機能していたと改めて解説した[260]。また根本は高橋の『ディープ・コリア』に対する執拗なバッシングについて「それこそ本も読まないで、その行間も読まないで、そして80年代がどんな空気だったのかってことを無視して…(中略)その男が『あれはヘイト本のルーツだ』っていうキャンペーンを始めたんですよ」と不快感を示し、「結局『ディープ・コリア』バッシングっていうのは、実はある音楽評論家が『ディープ・コリア』とヘイトスピーチを結びつけて、それを自分が社会正義の立場からバッシングしているという事に置き換えてるんですけど、実は(同い年で自分より先に出世した湯浅学に対する)極めて個人的な嫉妬」が全ての元凶として一蹴している[260]。以上のように当時の時代性を考慮せずに『ディープ・コリア』がヘイト本のルーツというような批判・主張については的外れであるとしながらも「非常に表層の部分だけを捉えれば、それはもしかしたら受け手によっては『韓国をバカにしてる』『ヘイトスピーチに何かしら影響を与えたことは否めない』と捉えられるかもしれない」と受け手がそういった解釈をしてしまう可能性については根本も認めている[260][261]
- かつて鬼畜本ブームを仕掛けたデータハウスの創業者でまぼろし博覧会館長の鵜野義嗣(セーラーちゃん)が村田らむのインタビューで「『危ない』系の本は今は絶対ダメですね。『危ない』のに興味を持つのは、経済的に余裕がある時なんですよ。どうやって食っていくか大変な時代に、『危ない』とかそんなことは言ってられない。こういう“すねた本”がうけるのって実は貴族文化なんですよ」と語る[262]。
- 12月5日 - 『BURST』の後継誌『バースト・ジェネレーション』(東京キララ社)創刊号が発売。責任編集はケロッピー前田。カバーガールは姫乃たま。
- 2019年
- 3月4日 - ロマン優光が悪趣味ブームと90年代サブカルに関する手引き書『90年代サブカルの呪い』(コアマガジン)を刊行。出版に至った動機についてロマンは「90年代サブカルという特殊な文化を今の価値観で振り返り、怒り狂っているヤバい単細胞が昨今目立ちます。彼らによる考察ならびに反省は、一見まともでも的を射ていないものが実に多く、世間に間違った解釈を広めてしまう害悪でしかないのです」と同書袖で語っている。
- 3月15日 - 香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』(太田出版)刊行。『HEAVEN』編集者時代の自身の経験と特殊漫画家の根本敬を主軸に90年代サブカルと平成末期のヘイト現象を論じる試み。
- 8月5日 - アメリカ合衆国の匿名掲示板「8chan」がオフラインとなる。理由として8chanのユーザーが3度にわたる銃乱射事件を起こし、米CDN大手のCloudflareが「ヘイトの肥溜め」として強制的にサービスを打ち切ったことが挙げられる[263][264]。8chan開設者のフレドリック・ブレンナンは、サイバースペースにおける「言論の自由」の限界と8chanへの幻滅を次のように語った。「言論の自由の社会実験は失敗しました。言論の自由を進めすぎると良いことにはならない。無制限の言論の自由の結果が、現在起きていることなのです。当時、私は若かった。もし時間を巻き戻せるならば、決して8chanをつくることはないでしょう」[265]。
- 『童貞。をプロデュース』の松江哲明監督が性的虐待を認め謝罪。
- 2020年
- 8月28日 - ドキュメンタリー映画『フィールズ・グッド・マン』が公開される。この映画では、米アンダーグラウンド・コミック界のアーティスト、マット・フュリーが生み出したカエルのペペというキャラクターが、白人至上主義やネオナチなどヘイトのシンボルとして4chanのオルタナ右翼に広く拡散された経緯と、ペペのイメージ奪還にマットが乗り出す様子が描かれている[266]。文芸評論家の藤田直哉は朝日新聞に寄せた批評の中で、トランプ現象を生みだしたアメリカのネット社会について次のように評した[267]。ペペは惨めさや悲しさを表現しているキャラクターで、だから匿名掲示板に来る「負け犬」たちの自画像として機能していたと映画は分析する。明るい女性たちがペペを使って「童貞」を罵ったり、ヒラリーがペペを攻撃したりしたことで、いわゆる「リベラル」「リア充」たちへの彼らの鬱屈が爆発した。トランプには破壊者として支持が集まり、ヒラリー陣営に対しては、児童買春などのデマや陰謀論がたくさんまかれた。これはインターネット・ミームの力である。(中略)匿名掲示板の文化や、新しいメディア・テクノロジーによって、これまでにない政治的な感性が形成されている。(中略)めちゃくちゃにしてやりたい衝動が、ネットから現実に出てトランプ現象が起きたと映画は分析する。その衝動は世界の破滅すら望む。そんな悲しい姿を映画は捉えていた。
- 2021年
- 1月6日 - アメリカ合衆国議会議事堂襲撃事件発生。
- 2月 - 旭川女子中学生いじめ凍死事件発生。
- 3月21日〜4月4日 - 8chanとQアノン陰謀論のドキュメンタリー『Q: Into the Storm』(HBO)放送。5ちゃんねる/8kun管理人のワトキンス親子が主役を務める。ちなみにカレン・ホーバック監督は、8chan管理人のロンについて「彼が信奉する宗教は冷笑主義だ」と語った[269]。
- 5月7日 - グロ動画やゴア映像を掲載していた動画共有サイト「LiveLeak」閉鎖。後継サイトの「ItemFix」では過度の暴力・残酷シーンを含む猟奇的なコンテンツが禁止された。サイトの閉鎖についてギズモード・ジャパンは「ネットアングラ文化の終焉」と評した[270]。
- 7月19日 - 開幕を目前に控えた東京2020オリンピックの開会式で作曲担当予定だった小山田圭吾が、1994年1月発行の『ロッキング・オン・ジャパン』と1995年8月発行の『Quick Japan』3号掲載「村上清のいじめ紀行」で告白した障害児いじめの記述が国内外で問題視された結果、自主的な降板に追い込まれる[271]。また小山田の告白を躊躇なく掲載した編集サイドや、あえて悪趣味な言動や価値観を好む“鬼畜系”なども批判の対象となった。いじめ記事を掲載したロッキング・オン社は18日[272]、太田出版は19日[273]、公式サイトに謝罪文を掲載した。
- 7月23日 - 村崎百郎忌。東京2020オリンピック開催。小山田問題の検証記事「いじめ紀行を再読して考えたこと―90年代には許されていた?」(北尾修一)公開。一連の辞任劇について作家の適菜収は次のようにコメントした[274][275]。東京五輪のキーワードとしては「ウンコ」「いじめ」「殺人」などいろいろ上がっていましたが、最終的には「鬼畜系」というのが一番しっくりくるのかと思います。そもそも新型コロナ感染拡大下における東京五輪の強行自体が国民に「ウンコを喰わせる」ような鬼畜の所業。テレビメディアや広告代理店をはじめとする「電波系」の小遣い稼ぎであり、悪質な政治家による「トリコじかけの明け暮れ」である。嘘とデマによる誘致に始まり、開催費用の計算もデタラメ。エンブレムは盗作騒動で変更。森喜朗の女性蔑視発言から、タレントの女性を「豚」として扱う演出まで、下品のどん底に転落した東京五輪の音楽は、小山田こそがやるべきだった。
- 8月7日 - 『Quick Japan』創刊編集長の赤田祐一が『スペクテイター』公式サイトで「いじめ紀行」の企画意図を説明する[276]。また炎上騒動に関して赤田は『中央公論』のインタビューで「元のソース、書かれた本や雑誌などの現物を読まないで、誰かが書いたことに意見を付け加えたりして事実化するようなことは気持ちが悪いですね。間違いがどんどん事実になっていってしまうことが多いから。晩年の坪内祐三さんも書いていたけど、ツイッターは文脈を無視する傾向が強い。その意味で好きではありません」と言及している[277]。
- 9月16日 - 小山田のインタビュー記事が『週刊文春』9月23日号に掲載されたことを受け、当時「いじめ紀行」の連載を企画・構成・執筆した村上清の コメント が太田出版のWEBサイトに全文掲載された。ここでは「いじめはよくない、やめよう」という教科書的な正論を大っぴらに言うことに対する違和感があり、あえて極端な角度から「いじめ」の本質を伝え、突破口にしたかった、という企画意図が述べられている。また村上は、元記事にあった“皮肉と反語”をあえて掛け合わせたり、一種の“諦念”や“自虐的なニュアンス”を盛り込んだりした記述形態の文脈が、第三者のブログに転載された際、恣意的に切り取られて剥奪されてしまったこと、そしてマスメディアの報道を含む大半のケースで、そのブログ記事が「原文」として参照・拡散されたことなどにも触れている[278]。
- ロマン優光は小山田の炎上騒動が大きくなった理由について「反オリンピックの流れによる部分が多かった」とし、「いじめ記事をオリンピックを攻撃する材料として利用しようとする人間がでたことで、いじめ記事の存在すら知らなかった人、小山田氏に興味もなかったような人に届き、人権意識の高い真面目な人から、叩ければ何でもいいような人まで巻き込んだ」と指摘した。またロマンは炎上に加担したネットユーザーについて「自分に都合のいい言葉を求めてるだけで文章全体の趣旨に無関心の人も多く、期待した言葉がないとピントはずれな批判をしてきたりもする。叩く材料として利用できたら何でもいいし、好意的に解釈するために利用できればなんでもいいのだろう。そういうことから考えてみるに、小山田氏が今後に何を発信しようが、悪く思いたい人は何が何でも悪く解釈するだろうし、良く思いたい人は何でも好意的に解釈する。結局、どっちの言うことも信用ができない」と一蹴した[279]。
- 9月 - 町田市小6女児いじめ自殺事件が発覚。児童に配布されたタブレット端末が「いじめの温床」になっていたことが物議となる。
- 参考文献
- 東京公司編『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」データハウス、1996年
- 扶桑社『SPA!』1996年12月11日号特集「鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?」
- メディアワークス編『オルタカルチャー 日本版』1997年
- 別冊宝島345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』宝島社、1997年
- 双葉社MOOK 好奇心ブック15『悶絶!!怪ブックフェア』双葉社、1998年
- 青土社『ユリイカ』2005年8月臨時増刊号「総特集=オタクVSサブカル!」
- オクダケンゴ「平成大赦(仮)-平成サブカルチャー年表-」
- ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』翔泳社、2005年
- 流行通信『STUDIO VOICE』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」
- 村崎百郎「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」
- 赤田祐一+ばるぼら『20世紀エディトリアル・オデッセイ 時代を創った雑誌たち』誠文堂新光社、2014年
- ばるぼら「出版界の出来事年表 1855-2014」
- 会田弘継『破綻するアメリカ』岩波書店〈岩波現代全書〉2017年
- ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン〈コア新書〉2019年
- 宮沢章夫『ニッポン戦後サブカルチャー史』
- “鬼畜系とエログロナンセンスの時代/鬼畜系は20世紀の世紀末現象だったということ”. 麻生結 (2006年2月15日). 2018年9月12日閲覧。
- 鬼畜系サブカルを総括する(1) 日本悪趣味文化史編 - Togetter 2019年2月23日
- 鬼畜系サブカルを総括する(2) 実写版『90年代サブカルの呪い』ロマン優光×吉田豪×宇川直宏 - Togetter 2019年3月18日
- Qアノンの正体は5ちゃんねる/8chan管理人!? 衝撃のドキュメンタリー『#Qアノンの正体』感想まとめ - Togetter 2021年10月13日
- 清義明 (2021年3月29日). “Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【3】匿名掲示板というフランケンシュタインの怪物/上”. 論座(RONZA). 朝日新聞出版. 2021年8月26日閲覧。
- 清義明 (2021年3月30日). “Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【4】匿名掲示板というフランケンシュタインの怪物/下”. 論座(RONZA). 朝日新聞出版. 2021年8月26日閲覧。
- 清義明 (2021年4月2日). “Qアノンと日本発の匿名掲示板カルチャー【6】サイバースペースにおける「言論の自由」の社会実験の失敗/下”. 論座(RONZA). 朝日新聞出版. 2021年8月26日閲覧。
- Brett Fujioka (2021年1月13日). “日米の有害なネットカルチャー「アメリカのネットがフェイクに塗れたのは、日本の2ちゃんねるが一因か?」”. クーリエ・ジャポン. 2021年9月11日閲覧。
- ゲームから”美少女”が消える日 〜GamerGate参加者が語る欧米社会の今〜 Part-3 おそらくこれが最も詳細なゲーマーゲート報道 - Roninworks
- カレン・ホーバック監督『Q: Into the Storm』HBO、2021年
- BLACK BOX PANDORA
- アングラサイト入門と歴史(TorやOnionちゃんねるまとめ最新情報、ダークウェブ含む) - アングラ金融経済歴史まとめサイトwiki
- 田中朋樹 (2018年12月14日). “The Unfolding History of Japanese-Speaking Underground Communities”. Recorded Future. 2021年10月8日閲覧。〈日本語圏アンダーグラウンドコミュニティの過去と現状 (PDF, 2.85 MB) 〉
- 教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史ヽ(´ー`)人(´ー`)ノ - ウェイバックマシン(2003年8月1日アーカイブ分) - 日本インターネット史の黎明期をまとめたWEBサイト(ばるぼらが2002年9月30日に開設)
- 木澤佐登志「ダークウェブについて私が知っている二、三の事柄」note 2017年9月25日
関連ライター
- 宮武外骨 - 明治期から昭和期にかけて活躍した反骨のジャーナリスト。1889年(明治22年)に発行した『頓智協会雑誌』28号に大日本帝国憲法のパロディを掲載して不敬罪で入獄3年。1901年(明治34年)に大阪で『滑稽新聞』創刊。以後『スコブル』『変態知識』『面白半分』など面白雑誌を次々と発刊。奇抜な風刺と戯作で権力を椰楡し続けた。入獄4回、罰金、発禁など筆禍は29回を数え、生涯の刊行点数は優に170点をこえた。関東大震災後は明治文化の研究に傾倒し、晩年は東京帝国大学(現・東京大学)法学部内に明治新聞雑誌文庫を創設、貴重な新聞・雑誌の蒐集に尽力した。
- 梅原北明 - 編集者、雑文家、翻訳家、文献蒐集家、性風俗研究家。大正後期から昭和初期にかけてのエログロナンセンス文化を牽引した中心人物であり、日本における悪趣味系サブカルチャーの先駆者として知られる。梅原が翻訳出版した『デカメロン』は当時ベストセラーとなった[280]。風俗壊乱罪で投獄された後、1928年より変態雑誌『グロテスク』を創刊、毎号当局より摘発され発禁処分を繰り返す。梅原は逮捕を免れるため満州で逃亡生活を送り、1931年まで同誌の刊行を続けた[281]。これ以外にも梅原は性風俗にまつわる書籍を多数刊行し、その大半が発禁となっている。
- 青山正明 - ドラッグ、ロリコン、スカトロ、フリークスからカルトムービー、テクノ、辺境音楽、異端思想、精神世界まで幅広くアングラシーンを論ずる鬼畜系文筆家の草分け的存在[282]。1980年代から1990年代のサブカルチャーに与えた影響は大きく、ドラッグに関する文章を書いた日本人ライターの中では、実践に基づいた記述と薬学的記述において特異であり快楽主義者を標榜していた。著書に『危ない薬』『青山正明全仕事』(ともにデータハウス刊)がある。2001年6月17日に首つり自殺。40歳没。
- 村崎百郎 - 鬼畜ライター。1990年代後半に「鬼畜系」「電波系」を標榜してゴミ漁りルポや電波にまつわるエッセイを執筆した。著書にゴミ漁りの手引書『鬼畜のススメ』(データハウス)や電波系にまつわる体系的な考察を行った単行本『電波系』(根本敬との共著/太田出版)がある。その後も村崎は虚実交えた寄稿を行った末、そのような表現に引きつけられた統合失調症の読者により48ヶ所を滅多刺しにされて2010年7月23日に殺害された。
- 秋田昌美 - 世界的なノイズミュージシャンとして知られる一方でアングラシーンやスカム・カルチャーにも精通しており、性的倒錯や異端文化にまつわる学術的ないし書誌学的な研究書も多い。著書に『スカム・カルチャー』『ボディ・エキゾチカ』『アナル・バロック』など多数。また昭和初期のエログロナンセンス文化を代表する梅原北明、伊藤晴雨、中村古峡、斎藤昌三、酒井潔などの元祖鬼畜系文化人や当時発刊されていた変態雑誌などについては秋田の著作『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』(青弓社・1994年)に詳しい。
- 下川耿史 - 風俗史家。サンケイ新聞社を経てフリー編集者、家庭文化史、性風俗史の研究家として活躍中。スーパー変態マガジン『Billy』1984年9月号より「下川耿史の新・日本アウトサイダー列伝」を連載していた(第1回は「セクシー・フロイト」で山下省死、アルチュール・絵魔を紹介)。著書に『昭和性相史』『死体の文化史』『殺人評論』『日本残酷写真史』『盆踊り 乱交の民俗学』『混浴と日本史』『エロティック日本史』などがある。
- 奥崎謙三 - 元大日本帝国陸軍上等兵、著述家、殺人犯。昭和天皇パチンコ狙撃事件やドキュメンタリー映画『ゆきゆきて、神軍』などで知られるアナキストで「神軍平等兵」「神様の愛い奴」を自称する。肩書は殺人・暴行・猥褻図画頒布・前科三犯・独房生活13年8カ月。著書に『ヤマザキ、天皇を撃て!』『田中角栄を殺すために記す』などがある。
- 根本敬 - 『ガロ』出身の漫画家、文筆家、随筆家、蒐集家、映像作家、人物研究家。独自の妥協を許さぬ特異な作風で「特殊漫画家」「特殊漫画大統領」の地位を確立する。また歌謡曲研究家としての顔も持ち「幻の名盤解放同盟」と称して昭和歌謡や辺境音楽の復刻活動も行っている。因果者・電波系人間探訪の権威であり、「因果者」「イイ顔」「電波系」「ゴミ屋敷」「特殊漫画」といったキーワードを案出するなど日本のオルタナティブ・コミックや悪趣味系サブカルチャーに与えた影響は大きい。主著に『生きる』『天然』『亀ノ頭のスープ』『怪人無礼講ララバイ』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『豚小屋発犬小屋行き』など多数。
- 高杉弾 - メディアマンを自称する編集者、ライター、評論家、AV監督。伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長。青山正明を始めとして1970年代後半以降のバット・テイスト文化に多大な影響を与えた。本名は佐内順一郎。
- 佐川一政 - 日本の殺人犯、カニバリスト、エッセイスト、小説家、翻訳家。パリ人肉事件の犯人として知られる。
- 釣崎清隆 - 死体写真家。世界各国の犯罪現場や紛争地域を取材し、これまでに撮影した死体は1000体以上に及ぶ。中南米の麻薬組織を取材する過程で自身も覚醒剤を使用し、2017年8月に覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕された[283]。
- 小林小太郎 - スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)編集長。編集プロダクション「VIC出版」主宰。1990年代には『TOO NEGATIVE』(吐夢書房)の編集長を務め、死体写真家の釣崎清隆を同誌でデビューさせている。
- 柳下毅一郎 - 殺人研究家。翻訳家としても活動しており、普通の翻訳家が取り扱わない特殊な文献や文学作品を好んで翻訳することから「特殊翻訳家」を自称する。
- ドクタークラレ - 『危ない28号』(データハウス)初代編集長。上梓した刊行物の多くが有害図書指定を受けていることでも知られる。また薬理凶室のリーダーとして『図解アリエナイ理科ノ教科書』(三才ブックス)シリーズも執筆している。
- クーロン黒沢 - ノンフィクションライター。海賊版・違法コピーにまつわる書籍やアジアを舞台としたアングラな旅行記の執筆活動を行った。
- バクシーシ山下 - AV監督、文筆家。旧所属はV&Rプランニング。衝撃的なデビュー作『女犯』は余りにリアルな作風からフェミニズム団体から抗議を受けるなど物議を醸した[284]。また山谷のドヤ街でAV女優と日雇い労働者の情交を描いた『ボディコン労働者階級』をはじめ『実録妖怪ドキュメント 河童伝説』『熟女キョンシー』などの怪作も多数。
- 白井智之 - 推理作家。特殊な舞台設定や破天荒かつ不道徳な世界観で知られ「鬼畜系特殊設定パズラー」の異名を持つ[285]。著書に『人間の顔は食べづらい』『東京結合人間』『おやすみ人面瘡』『少女を殺す100の方法』などがある。
- 友成純一 - 官能小説家、映画評論家。スーパー変態マガジン『Billy』(白夜書房)での執筆活動を経て1985年に『肉の儀式』(ミリオン出版)で小説家デビュー。悪趣味系の小説家で知られ、変態性欲やスプラッタに主眼を置いた猟奇的な作風を得意とする。
- 平山夢明 - 実話怪談や鬼畜系の短編小説で知られるホラー小説家。一般的に「鬼畜系作家」とされている[注 16]。映画評論家としてはデルモンテ平山名義でも活動。代表作品集『独白するユニバーサル横メルカトル』収録の『無垢の祈り』は亀井亨監督によって映画化されている。しかし児童虐待や新興宗教、連続殺人などがテーマであるため各国の映画祭からは出展を断られ続けており、結果的にR18+指定映画として2016年に国内で初上映され、アップリンク渋谷では13週ロングランを記録した[286]。現在はUPLINK Cloudより視聴可能である[286]。
- 北見崇史 - デビュー作の『出航』は、第39回横溝正史ミステリ大賞の選考会で賛否両論を巻き起こした作品である。同作中には死体やその内臓の表現が描写されている。
- ジャック・ケッチャム - アメリカ合衆国の鬼畜系ホラー小説家[287]。人間の弱さや残虐性を浮き彫りにする作風で知られており、重苦しい陰鬱な物語展開のうえカタルシスや救いの無い結末が多く、スティーブン・キングに「正真正銘の偶像破壊者」と賞賛された[288]。著名な作品に実際にあった少女監禁事件を題材にした『隣の家の少女』や食人族をモチーフにした衝撃的なデビュー作『オフシーズン』などがある。
- 綺羅光 - 官能小説家。一貫して凌辱物を書いており、作品中には薬物や暴力団が登場することも多い。救いのない結末が多く、陰鬱なもの、タブーとされるものが多く描写される。
- 村田らむ - ルポライター。ホームレスをテーマにしたルポルタージュが多く、2001年にデータハウスから上梓した単行本『こじき大百科―にっぽん全国ホームレス大調査』は労働団体から差別であると抗議を受けた結果、絶版になった[289]。2005年に竹書房から発行した『ホームレス大図鑑』でも同じ結果になっている。2013年には鹿砦社から『ホームレス大博覧会』を上梓した。
- 松沢呉一 - 編集者、フリーライター、性風俗研究家、古本蒐集家。著書に『ぐろぐろ』(ちくま文庫)などがある。
- 吉永嘉明 - 鬼畜系ムック『危ない1号』(データハウス)副編集長。著書に『自殺されちゃった僕』(飛鳥新社/幻冬舎アウトロー文庫)がある。
関連雑誌
休廃刊
- グロテスク - 昭和初期のエログロナンセンス文化を代表するサブカルチャー専門誌。編集長は梅原北明。1928年(昭和3年)創刊。当局より幾度となく弾圧や発禁処分を受けながらも、グロテスク社、文藝市場社、談奇館書局など発行所を変えつつ1931年(昭和6年)まで全21冊が出版された。2015年にはゆまに書房より全10巻で復刻刊行されている[290]。
- 奇譚クラブ - 1947年創刊のカストリ雑誌。不定期刊行を経てSM系月刊誌となる。GHQや当局からの発禁処分を度々受けた影響から曙書房、天星社、暁出版と発行所を変え1983年まで刊行された。著名な掲載作品に団鬼六の『花と蛇』や沼正三の『家畜人ヤプー』などがある。
- Jam - 1979年2月創刊の自販機本。初代編集長は高杉弾。創刊にあたって実行された「山口百恵宅のゴミ漁り」(有名芸能人の使用済み生理用品をグラビアで無断公開する鬼畜企画シリーズ第2弾 ※第1弾はかたせ梨乃)で名を轟かせる。以後ドラッグやインディーズパンク、カウンターカルチャーの記事のほか、この世のものとも思えぬ冗談企画を連発するなどパンクな誌面を展開した。1980年にはエルシー企画とアリス出版が合併したことを機に『HEAVEN』と改題して1981年3月まで続刊された。なお本誌は青山正明や村崎百郎に多大な影響を与えており、鬼畜系サブカルチャーのルーツとみなされている[145]。
- HEAVEN - 『Jam』の後継誌として1980年4月に創刊。3代目編集長は山崎春美。1980年代を代表する伝説的なニューウェーブ雑誌として知られる[291]。キャッチコピーは「空中楼閣的天眼通」。
- 突然変異 - 青山正明が慶應義塾大学在学中の1981年4月に創刊した変態ミニコミ誌。本誌は伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』の影響を大きく受けており[292]、小学校の盗撮や差別用語のクロスワードパズルなどの鬼畜企画を始め、奇形・障害者から皇室揶揄まで幅広くタブーを扱った[293]。当時のロリコンブームに乗ってメディアからの取材が殺到。熱狂的な読者を獲得したものの『突然変異』に嫌悪感を抱いた椎名誠が朝日新聞紙上で批判文を発表。抗議や脅迫の電話が殺到し、わずか4号で休刊に追い込まれた。キャッチコピーは「脳細胞爆裂マガジン」「ペーパードラッグ」。
- Hey!Buddy - 白夜書房が発行していたポルノ雑誌。1980年7月創刊。1982年春から明確なロリコン路線に移行してブームの過熱を煽り、最盛期には8万部を売り上げた。読者投稿の写真コーナーも充実しており、3年余りで7万2000枚もの写真が編集部に寄せられた[294]。しかしその内容には、少女を物陰に連れ込んで撮影した「いたずら写真」のコーナーなど明らかな犯罪行為も多く含まれていた[295]。別冊の投稿写真集『少女アングル』が当局から警告を受け[296]、同じく増刊『ロリコンランド』が発禁となり、『Hey!Buddy』本誌も1985年11月号をもって廃刊となった[297]。
- Billy - 白夜書房が発行していたポルノ雑誌。1981年6月創刊。スカトロから死体・獣姦・ロリコン・ドラッグ・フリークスまで悪趣味の限りを尽くした伝説的な変態雑誌であり、エロ本とはいえ商業誌としては斬新な異端ネタが満載だった[298]。都条例のため1984年12月より『Billyボーイ』と新創刊したが全く内容が変わっておらず、条例違反により1985年8月号をもって再度廃刊となった[162]。キャッチコピーは「スーパー変態マガジン」。
- BD - 1993年1月創刊のミニコミ誌。『突然変異』の影響を色濃く受けており、結果的に1990年代の悪趣味ブームを先取りした。編集長はデザイナーのこじままさき。吉田豪、早川いくを、枡野浩一、リリーフランキー、根本敬らが寄稿し、全15号を発行(1・3・4号は欠番[299])。
- 宝島30 - 宝島社発行の月刊オピニオン雑誌。初代編集長は町山智浩。1993年6月創刊。政治からサブカルチャーまでテーマは広く、オウム特集や『SPA!』決別時の小林よしのりインタビュー、根本敬の連載『人生解毒波止場』など攻めた内容が多い。爆笑問題が連載していたコラム『爆笑問題の日本原論』は30万部を超えるベストセラーにもなった。1993年8月号では宮内庁守旧派による皇室内幕の告白手記を掲載し、右翼による銃撃事件に発展した[300]。1996年6月休刊。
- TOO NEGATIVE - 吐夢書房発行の隔月刊雑誌。初代編集長は元『Billy』編集長の小林小太郎。本誌では1990年代の『Billy』を標榜し、SM・ボンデージを主軸にしつつ撮り下ろしの死体写真も多数掲載して死体写真家の釣崎清隆を輩出した。1994年10月から2000年1月まで発禁による中断を挟みながら全13冊を刊行したが、新創刊した7号(1997年1月)以降、小林は編集に関わっていない[184]。キャッチコピーは「禁じられた絵本」。
- GON! - ミリオン出版が1994年から2001年にかけて発行していたサブカルチャー系の月刊誌。ヤンキー雑誌『ティーンズロード』(ミリオン出版)編集者の比嘉健二によって創刊された。東京スポーツ新聞のB級ニュースやフェイク記事のみをかき集めて独立した雑誌にしたような内容で、海外タブロイド誌『Wilkly World News』の日本的解釈のもと創刊された。主にコンビニルートで全国的に流通し、悪趣味系雑誌では最も広く読まれたとみられる。また印字級数は極小で、内容の無意味ぶりに比して情報密度は非常に高かったのも特徴である。誌面では死体写真や仰天ニュースの類がよく掲載されており、びっくり箱を具現化したようなインパクト重視の誌面となっている(ただし『世紀末倶楽部』編集人の土屋静光は「たんなるアメリカン・ジョークのビジュアル化に過ぎず、悪趣味というタームからはズレるだろう」と評している)[301]。本誌は村崎百郎の活動拠点となり、月刊ペースで「汚物童子・村崎百郎の勝手に清掃局/隣の美女が出すゴミ」というゴミ漁りの連載を行なっていたことから同誌で村崎の存在を知った読者も多い。その後は『BUBKA』(コアマガジン→白夜書房)や『裏BUBKA』(コアマガジン)などの亜流誌も登場するに至った(しかし鬼畜ブームが去ったのち『GON!』は徐々に内容がソフト化し『BUBKA』もアイドル雑誌となる)。のちに『GON!』は『実話ナックルズ』に発展するが「B級の実話誌」という点を除けば、ほぼつながりは存在しない。
- 危ない1号 - 悪趣味ブームの原点とされている鬼畜系ムック。初代編集長は青山正明。「妄想にタブーなし」を謳い文句に数多くの悪趣味を扱った。1995年7月創刊。東京公司編集/データハウス発行。
- 危ない28号 - データハウスが発行していたムック。ハッキングや兵器、ドラッグなど、実行すれば犯罪者になってしまいそうな情報が満載であり、結果全国18都道府県で有害図書指定された[204]。2000年1月に浦和駅、東海村、大阪府で発生した一連の爆弾事件で、犯人が同誌を参考に爆発物を製造したと供述したため[203]、刊行済みだった第5巻を最後に廃刊を余儀なくされる。
- BURST - かつてコアマガジンから発行されていたカウンターカルチャー雑誌。死体写真、タトゥー、スカトロ、違法薬物、身体改造までアングラな題材を中心に扱った。1995年に隔月誌として創刊され、1999年から月刊化する。派生誌に『TATTOO BURST』(1999年 - 2012年)、『BURST HIGH』(2001年 - 2008年)、東京キララ社発行の『BURST Generation』(2018年 - )がある。本誌『BURST』は2005年に休刊。
- 世紀末倶楽部 - 1996年に創刊されたコアマガジン発行のムック。見世物小屋的な扇情主義の編集方針で、死体や奇形などの猟奇写真を大量に掲載しており、ほぼフリークスの写真集となっている。第2巻には『危ない1号』編集長の青山正明によるインタビューとフリークス映画の全ガイドが掲載されており、当時の鬼畜/悪趣味ブームの集大成的な内容となっている[241]。1999年までに全4冊が不定期刊行され、2000年のCD-ROM版を最後に事実上の終刊。
ポルノグラフィに於ける鬼畜系
エロマンガやアダルトゲームなどのポルノにおいて、SM・調教・緊縛・誘拐・拉致・監禁・拷問・飼育・洗脳・催眠・強姦・輪姦・獣姦・異種姦・屍姦・臍姦・乳児姦・児童虐待・人身売買・カニバリズム・スカトロ・ロリコン・孕ませ・腹パン・寝取られ・触手責め・拡張プレイ・異物挿入・キメセク・時間停止・強制口淫・口内射精・尿飲・精飲・嘔吐・焼印・欠損・寄生・蟲責め・闇堕ち・悪堕ち・風俗堕ち・身体改造・強制受胎・産卵プレイ・強制自慰・強制露出・人体破壊・内臓掻爬・四肢切断・精神崩壊・公衆便所など、強制的な性行為を強調した作品は「鬼畜系」(または陵辱系)と呼ばれており、これは度が過ぎるサディストを指した用語でもある。それに対して恋愛や合意の上での性行為を重視した作品を「純愛系」と呼ぶことがある[302]。
いずれもオタク系の媒体で用いられることの多い表現である[303]。評論家の本田透は「鬼畜系」について二次元世界に理想的な恋愛を見出そうとする「萌え」とは対極をなす概念であると指摘し[304]、監禁や調教といった鬼畜系のジャンルは1990年代半ばまでがピークとして、2000年代半ばの現在では一部の根強いファンだけに支えられていると述べている[305]。
また、成人向け漫画の世界で自分の世界を築き上げる作家も多く、もちろん、性的描写を避けては描けない世界というものでもある。また一つには性的描写が必須であることを除けば、それ以外の表現はむしろ一般の雑誌より制約の少ない舞台であり、その自由度の高さから作家独自の嗜好によって特異ともいえる表現が追及され、一般誌では掲載不可能な作風を実現する作家も存在する。
鬼畜系漫画家
1970年代から特殊漫画雑誌『月刊漫画ガロ』『月刊コミックフラミンゴ』『コミックMate』『COMIC LO』ほか、三流劇画誌、SM雑誌、陵辱系/リョナ系アンソロジー、お絵かき掲示板などで鬼畜系・モンド系・怪奇系の作品を執筆していた漫画家・イラストレーター・同人作家を挙げる。
- 蛭子能収[306]
- 早見純[307]
- 根本敬[308]
- 山野一(ねこぢるy)[309][310][311] - 現在は育児漫画に転向
- 平口広美
- 花輪和一[312]
- 丸尾末広[313]
- 佐川一政[187]
- 睦月影郎(ならやたかし)
- 日野日出志
- 森園みるく[314]
- 田口智朗(田口トモロヲ)
- 海明寺裕
- 蛭児神建(変質社)[163]
- 三条友美
- 清水おさむ[315][316]
- 聖レイ
- ダーティ・松本
- 玄海つとむ
- 中村威久水
- 架空まさる
- 沢渡竜也
- 伊藤まさや(由伊正香)[317]
- 六波羅芳一(ろくはら芳一)[318]
- 戸崎まこと[319]
- 洋森しのぶ(みやすのんき)- 後にお色気漫画に転向
- あべこうじ(飯田夏彦)[320]
- 和田エリカ[321]
- 蜈蚣Melibe[322]
- サガノヘルマー[323]
- このどんと(鴨下幸久)[324]
- 氏賀Y太[325]
- 堀川悟郎[326]
- 掘骨砕三(ほりほねさいぞう)
- 町野変丸
- 玉置勉強[327]
- 毛野楊太郎[328]
- 駕籠真太郎[329]
- 松永豊和[330]
- 影夢優(森野うさぎ)[331]
- 天竺浪人[332][333]
- 奴隷ジャッキー[334]
- 会田誠
- 前田寿安[335]
- 椋陽児[336]
- 四条綾[337]
- 樽本一[338]
- 牧村みき(エル・ボンデージ)[339]
- 神田森莉[340]
- 沙村広明
- 古屋兎丸(初期)
- 卯月妙子[341]
- 杉本五郎(つゆき・サブロー)[342]
- 近石まさし[343]
- 桃山ジロウ[343]
- 深田拓士
- 正鬼真司(マサキ真司)[344]
- 葦原将軍[345]
- 伊駒一平[346]
- もりしげ(初期)
- 矢追町成増[347]
- ペンネームは無い[348]
- ゴブリン森口
- 風船クラブ
- 日影鉄雄(日陰者)
- 土井やすたか[349]
- 山田タヒチ(安世夢)[350]
- 鰤てり[351]
- 後藤晶[352]
- 結晶水[353]
- 万利休[354]
- ぽいんとたかし[353][355]
- 十六女十八女(いろつきさかり)[356]
- MANA-KO(MANA-光)
- 深紫'72[357]
- See.O[358]
- SHIZUKA[359]
- 志崎月魚
- 山本雲居
- MINE[360]
- カマキリ(赤木遼一)[361]
- 金井清顕
- 鎌やん(鎌倉圭悟/カマヤン)[362]
- 町田ひらく[363]
- クジラックス
- hal
- 朝凪
- 朝比奈まこと
- OKINA
- 香愁(果愁麻沙美)
- いトう
- オイスター[364]
- カワディMAX[365]
- 知るかバカうどん
- わらしなママ[366]
- 赤井にぶら
- keny
- ゴージャス宝田
- 心島咲
- 坂辺周一
- 冴樹高雄(牙尾彪)
- 小峯つばさ(五割引中)
- 石野鐘音(杉村麦太)
- ジョン・K・ペー太[367]
- ZUKI樹
- 仙道八
- 茶否
- 窓口基[368]
- 目高健一[369]
- 彩瀬とつき[370]
- 桃屋しょう猫
- たいらあ[371]
- nnS 音速モーモン
- 774(ナナシ)- 現在は一般向け漫画に転向
- NABURU(有害図書企画/田中なぶる)
- にゅう
- テツナ
- 前島龍[372]
- 藤崎ひかり[373]
- たいぷはてな
- みくろぺえじ[374]
- ナギヤマスギ(那岐山)[375]
- つくすん
- みこしろ本人
- 愛南ぜろ(ぜろぽんち)
- 猫頭巾
- 桃色卍流
- calvet
- 原崎
- 電脳ちょこれーと (AwA)
- ボーン(ブルー・パーカッション)
- 坂本カフカ(三毛猫飯店)
- 雨がっぱ少女群 - 現在はホラー漫画に転向
- 鈴木狂太郎
- 干支門三十四
- 彦馬ヒロユキ
- Spacelight Studio
- みなすきぽぷり(椎木冊也)[376]
- みんなだいすき[377]
- 参考文献
- 米沢嘉博『戦後エロマンガ史』青林工藝舎、2010年4月[378]
- 三崎書房『えろちか3』1969年9月号
- 宮田秀夫「劇画における性描写―その可能性と限界」19-31頁所載
- 晶文社『宝島』1974年1月号「劇画マンガ雑誌、こいつがちょいと面白いんだ」
- 米沢嘉博・川本耕次・青葉伊賀丸編『別冊新評 三流劇画の世界』新評社、1979年4月
- 米沢嘉博「SEXは桃色上気から蒼ざめる―性のモチーフによる青年劇画史」48-55頁
- 高取英「エロス劇画家たちの軌跡―性的倒錯をロマンシズムに転化するまで」108-113頁
- 米沢嘉博・川本耕次・青葉伊賀丸(無署名)「三流劇画フィーバー91 エロ劇画の種類」174-184頁
- 辰巳出版『美少女漫画大百科』1991年8月
- 青林堂『月刊漫画ガロ』1992年10月号「特集/特殊漫画博覧会」
- 青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」
- 東京公司編『危ない1号』第2巻「特集/キ印良品」データハウス、1996年4月
- 辰巳出版『美少女コミックカタログ』1996年10月
- コアマガジン『コミック・ジャンキーズ』Vol.1-5(1996年12月 - 1998年9月)
- エロマンガのレビュー雑誌。同社刊『ビデオ・ザ・ワールド』のエロマンガ版という趣。2000年以降は雑誌内雑誌として『漫画ホットミルク』(コアマガジン)で同誌廃刊まで全15回にわたり連載された。
- 『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年2月号「Alice COMIC特集」
- 『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年5月号「調教コミック特集」
- 『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年11月号「SMコミック特集」
- 『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年12月号「ハードラヴ特集」
- KKベストセラーズ『SEXYコミック大全―マンガで「抜く」時代がやってきた! (ベストの本3)』1998年8月
- 泊倫人「美少女マンガの果ての果て―性的フェティッシュ〜『コミック・ブリュ』へ」90-91頁所載
- 阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店、2004年9月
- 永山薫「第二部『愛と性のさまざまなカタチ』第四章『凌辱と調教』」『増補 エロマンガ・スタディーズ「快楽装置」としての漫画入門』、筑摩書房〈ちくま文庫〉、2014年4月、203-229頁。2006年11月にイースト・プレスより刊行された同名書籍に増補・加筆を加えて文庫化したもの。
- 夜話.zip編『エロマンガベスト100』2021年1月(同人誌)
- プレイ・リスト - アブノーマル系の成年漫画紹介サイト
- リョナ漫画まとめwiki
関連漫画雑誌
- 月刊漫画ガロ - 1964年から2002年まで青林堂が刊行していた漫画雑誌。漫画界の極北に位置する伝説的漫画雑誌であり、サブカルチャーの総本山として漫画界の異才・鬼才をあまた輩出した。1998年からは青林堂の系譜を引き継いだ青林工藝舎が事実上の後継誌『アックス』を隔月刊行中。
- プチ・パンドラ - 1984年から一水社が発行していたモンド系ロリコン漫画雑誌(雑誌コードが取られていないため正確にはムック本である)。季刊・隔月刊・不定期刊を経て全12冊を刊行した。編集長は同人誌『幼女嗜好』編集発行人の蛭児神建[163]。
- COMIXフラミンゴ - かつて三和出版が発行していた特殊エロマンガ誌。町野変丸・TAGRO・しのざき嶺・駕籠真太郎といったSM・鬼畜・サブカル・アングラ系の異色作家が数多く寄稿した。2000年10月号を以って休刊。
- コミックMate - 一水社発行の老舗美少女コミック誌[379]。1992年3月創刊。鬼畜やSMをテーマとしたコンセプトマガジンであり、鬼畜系美少女漫画の総本山的なコミック雑誌である。編集長は編プロ「漫画屋」代表の塩山芳明。2015年から『コミックMate L』 (メイトレジェンド)に改題して隔月刊行中。主な執筆陣はオイスター、カワディMAX、いトうほか多数。
- コミックリトルピアス - かつてフロム出版(後に東京三世社)が発行していたハードSM系ロリコン漫画雑誌。1996年8月に隔月刊アンソロジーコミック『リトルピアス』として創刊。2003年1月号より同社刊行の成年漫画雑誌『コミックミニモン』の増刊号として雑誌化したが、2004年11月号を最後に休刊した。全50号。キャッチコピーは「小さな身体で限界まで頑張る女の子」。
アンソロジーコミック
- ピアスクラブ - かつて東京三世社が発行していたハードSM中心のアンソロジーコミック。1994年2月創刊。1998年10月廃刊。全51号(無印33号+EX18号)。主な執筆陣はペンネームは無い、大山ミミず、鋭利菊、結晶水、万利休、樽本一、富秋悠、魔北葵、となみむか、未由間すばる、ぽいんとたかしなど[380][381]。カバーイラストは上総志摩。
- コミック闇市場 - かつて一水社が刊行していた鬼畜系アンソロジーコミック。主な執筆陣は玉置勉強、町野変丸、みかりん、ゴブリン、町田ひらくほか。1994年8月創刊。1997年11月廃刊。全17号。
- 秘密の地下室 - 桜桃書房発行のSM系アンソロジーコミック。身体改造・欠損・調教・極太針刺しなど特殊性癖が中心。1996年4月から1998年5月まで全6号が刊行された。主な執筆陣は掘骨砕三、矢追町成増、志崎月魚ほか。
- 自虐少女 - 東京三世社発行のSM系アンソロジーコミック。1998年11月創刊。2000年5月廃刊。全11号発行。キャッチコピーは「ド不幸マゾ少女アンソロジー」「婦女子の夢と希望を踏みにじる暴虐のアンソロジー」。DATゾイドは「超兇悪核弾頭SM漫画アンソロジー」「SMという衣をまとった何か別の異形物」と評した[382]。
- 淫祭都 - セックス&バイオレンスをコンセプトにした松文館発行の過激派アンソロジーコミック。1999年3月創刊。2000年6月廃刊。全9号[383]。
- 鎖縛 - 美少女SMアンソロジーコミック。松文館発行。1999年12月創刊。2001年7月終刊。全20号[384]。主筆は近石まさしや桃山ジロウなど。
- 激しくて変 - かつて光彩書房が発行していた鬼畜系アンソロジーコミック。2000年創刊。編集兼発行人は多田在良。主な執筆陣は早見純、町田ひらく、沙村広明、玉置勉強、町野変丸、ほりほねさいぞう。4巻以降は『暗黒抒情』『知的色情』『Hのある風景』とタイトルを変えながら全12冊を刊行[385]。2004年終刊。
- ヒロインピンチ - キルタイムコミュニケーション発行のアンソロジーコミック。ヒロインの闇堕ちがメインテーマのコンセプトマガジンである。2014年6月創刊。2015年12月以降は『正義のヒロイン姦獄ファイル』『敗北乙女エクスタシー』『くっ殺ヒロインズ』などに改題される形で継続刊行中。
- エログロス - 氏賀Y太が発案したリョナ系アンソロジーコミック。ジーウォーク発行。2017年8月創刊。主な執筆陣は氏賀Y太、つくすん、掘骨砕三、ぜろぽんち、桃色卍流、ai7n、猫頭巾ほか。
- リョナキング - 電子書籍限定のリョナ系アンソロジーコミック。一水社発行。2019年7月創刊。主な執筆陣は氏賀Y太、つくすん、山本賢治、hal、みこしろ本人、愛南ぜろ、石野鐘音、原崎、ひめいよる、阪本カフカ、雨がっぱ少女群ほか。キャッチコピーは「許せない……この狂気じみた描写は許せない……ッ!!」。
アダルトビデオに於ける鬼畜系
V&Rプランニング
安達かおるが1986年に創業したアダルトビデオメーカーのV&Rプランニングはレイプ、スカトロ、蟲責めなどを題材にしたキワモノ系の異色作・問題作を1990年代に多数リリースして異彩を放ち、鬼畜ブーム時には『危ない1号』に特集が組まれるなどマニアの間で密かに注目を集めていた。
V&Rは当時台頭していた規制の少ないインディーズメーカーを差し置くほど過激極まりない作風で知られ[386]、当時加盟していた日本ビデオ倫理協会(ビデ倫)からはしばしば発売禁止・審査拒否の対象となった。
例えば1993年に制作されたスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』(監督:安達かおる)では身体障害者が出演したことが問題視されお蔵入りとなり[387]、平野勝之監督の『水戸拷悶2 狂気の選択』(1997年)では過激な描写を追求するあまり2名が負傷して3名が引退宣言し、撮影の舞台となった渋谷はパニック状態に陥り警察が出動する騒ぎとなった(当然ビデ倫からは「論外の外」と審査拒否されたため、自主規制した不完全版のみが流通した[388])。また下水道を舞台に撮影を敢行した平野監督の『ザ・ガマン』(1993年)でも警察官や水道局員が大挙する騒動に発展している[388]。
AV史上最大の問題作とされるバクシーシ山下監督のデビュー作『女犯』(1990年)は既存のレイプ作品では到底考えられないほど迫真に迫ったリアルな描写・演出から女性人権団体から抗議が殺到、社会問題化した[389]。しかし、後に山下が語るところによれば作品は意図的に後味の悪さを狙ったもので、事前に山下は本気で嫌がるよう女優に説明し、あえて男優にその事実を教えなかったという[389]。これらを踏まえて著作家の本橋信宏は「実際に弄ばれていたのは女優でなく男優だった」と述べている[389]。その後も山下は抗議に萎縮することなく、1992年には路上ドキュメント『ボディコン労働者階級』を監督し、山谷のドヤ街を舞台に日雇い労働者とAV女優との交接を描いたことで物議を醸すことになった[389]。死体写真家の釣崎清隆は人権団体と争ってまで問題作を送り出すV&Rプランニングの姿勢に感銘を受け、過去にAV業界で活動していたこともある。
V&Rのスカトロ作品では井口昇監督・卯月妙子主演の『ウンゲロミミズ エログロドキュメント』(1994年)が最も有名で排泄物の食糞、塗糞、脱糞に始まり、嘔吐物やミミズまでを扱った過激な演出からマニアの間でカルト的な人気を集め、翌1995年には続編も制作された。
2004年にはV&Rプランニングの制作陣によってV&Rプロダクツが発足し、現在も事業を継続中である。なお、2015年には封印されていた障害者主演のスカトロビデオ『ハンディキャップをぶっとばせ!』がアップリンク渋谷で上映され、制作から22年目にしての解禁となった[390]。
バッキービジュアルプランニング
この節の加筆が望まれています。 |
アダルトアニメに於ける鬼畜系
この節の加筆が望まれています。 |
アダルトゲームに於ける鬼畜系
この節の加筆が望まれています。 |
参考文献
- ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン 2019年3月
- アスペクト編『村崎百郎の本』2010年12月(構成=多田遠志・尾崎未央)
- 青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」
- 宝島社『宝島30』1994年9月号「特集/ロリータの時代」(編集協力/東京公司)
- 青山正明「ロリータをめぐる冒険」『宝島30』1994年9月号、164 - 168頁。
- 扶桑社『週刊SPA!』
- 1994年10月5日号特集「猟奇モノ死体写真ブームの謎」
- 1995年9月20日号特集「【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体」
- 1995年11月1日号特集「電波系な人々大研究──巫女の神がかりからウィリアム・バロウズ、犬と会話できる異能者まで」
- 1996年12月11日号特集「鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?」
- 別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社 1995年12月
- 永江朗「アダルト系出版社のルーツを探せ!―系統樹なき、したたかな業界の原点」
- 松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」
- 下川耿史「変態の総合デパート『奇譚クラブ』から『SMセレクト』が産声をあげるまで―変態メディアの細分化はどのように進んだのか?」
- 永江朗「哀愁の官能劇画史!―やがて悲しきルサンチマンの物語」
- ピストン原田(アリス出版『EVE』編集長)×木村聡(群雄社『コレクター』編集長)×原芳一「【座談会】さらば! 自販機本蟹工船―中身を見せずに売る商品のありのまま」
- 佐伯修「銃後の女性と慰問文のエロス―戦争と性の問題は、従軍慰安婦問題に限定されない!」
- 別冊宝島250『トンデモ悪趣味の本―モラルそっちのけの,BADテイスト大研究!』宝島社 1996年3月
- 別冊宝島345『雑誌狂時代!―驚きと爆笑と性欲にまみれた〈雑誌〉というワンダーランド大研究!』宝島社 1997年11月
- コアマガジン『世紀末倶楽部』Vol.2「総力特集/地下渋谷系―恐怖!怪奇!猟奇!残酷!ショック大全科」1996年9月
- 小平絞+鈴原成『世紀末インターネット大全 鬼畜ネット』二見書房 1997年5月
- NG Gallery館長・小林小太郎氏に聞く「マネされる前にお前らのところに行ってやる」
- アスキー『週刊アスキー』1997年7月28日号「特集/検証・ジャンク・カルチャーと酒鬼薔薇の危険な関係」
- メディアワークス編『オルタカルチャー 日本版』1997年10月「悪趣味雑誌」の項(18-19頁)
- 荒俣宏『バッドテイスト―悪趣味の復権のために』集英社〈集英社文庫〉1998年1月
- 平凡社『別冊太陽/発禁本―明治・大正・昭和・平成』1999年7月(構成/米沢嘉博+城市郎)
- コアマガジン『BURST』2000年1月号「特集/90年代式幽霊列車の葬送──世紀末トラッシュ・カルチャー10年間の総括」
- 太田出版『アウトロー・ジャパン』第1号 2002年1月 166-173頁
- 村崎百郎「非追悼 青山正明──またはカリスマ・鬼畜・アウトローを論ずる試み」
- 吉永嘉明『自殺されちゃった僕』飛鳥新社 2004年11月/幻冬舎アウトロー文庫 2008年10月
- 解説/春日武彦「掟破り、ということ」
- ばるぼら『教科書には載らないニッポンのインターネットの歴史教科書』翔泳社 2005年5月
- INFASパブリケーションズ『STUDIO VOICE』2006年12月号特集「90年代カルチャー完全マニュアル」
- 村崎百郎「今こそ『鬼畜』になれ! 『アングラ/サブカル』が必要なわけ」
- “ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界”. ばるぼら. S&Mスナイパー (2008年3月23日). 2017年6月17日閲覧。
- “吉永嘉明氏インタビュー”. ばるぼら. S&Mスナイパー (2008年5月18日). 2017年9月15日閲覧。
- NHK教育テレビ『ニッポン戦後サブカルチャー史Ⅲ』
- 第4回(最終回)サブカルチャーが迎えた「世紀末」 NHK公式サイト 2016年6月19日放送
- エディトリアル・デパートメント/幻冬舎『Spectator』39号「パンクマガジン『Jam』の神話」2017年6月
- ばるぼら+さやわか『僕たちのインターネット史』亜紀書房 2017年7月
- 野間易通『実録・レイシストをしばき隊』河出書房新社 2018年2月
- アトリエサード『トーキングヘッズ叢書78 ディレッタントの平成史〜令和を生きる前に振り返りたい私の「平成」』2019年4月
- 阿澄森羅「悪趣味への狂騒の果て―人の死が見たくて見たくてしょうがない―死体ビデオと90年代悪趣味ブーム」
- べんいせい「グローバリズムの嵐―時代に乗り遅れた戦乱なき敗戦と戦後」
- マルクス・ガブリエル他『未来への大分岐―資本主義の終わりか、人間の終焉か?』集英社〈集英社新書〉2019年8月
- コアマガジン『実話BUNKAタブー』2021年10月号
- ロマン優光連載「好かれない力」特別編「文化人を次々と葬り去る90年代サブカルとは一体何なのか」
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関連書籍
- 青山正明『危ない薬』データハウス 1992年11月
- 鶴見済『完全自殺マニュアル』太田出版 1993年7月
- 鶴見済編『ぼくたちの「完全自殺マニュアル」』太田出版 1994年2月
- 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月
- マガジンハウス『BRUTUS』1995年3月15日号「特集・インモラル図書館へようこそ!」
- 青土社『ユリイカ』1995年4月臨時増刊号「総特集=悪趣味大全」
- 宮台真司『終わりなき日常を生きろ―オウム完全克服マニュアル』筑摩書房 1995年7月(1998年3月に同社より文庫化)
- 竹熊健太郎『私とハルマゲドン―おたく宗教としてのオウム真理教』太田出版 1995年11月(2000年7月に筑摩書房より文庫化)
- 別冊宝島228『死体の本―善悪の彼岸を超える世紀末死人学!』宝島社 1995年7月
- 別冊宝島229『オウムという悪夢―同世代が語る「オウム真理教」論・決定版!』宝島社 1995年7月
- 別冊宝島281『隣のサイコさん―電波系からアングラ精神病院まで!』宝島社 1996年11月
- 別冊宝島356『実録!サイコさんからの手紙―ストーカーから電波ビラ、謀略史観まで!』宝島社 1998年1月
- 村崎百郎『鬼畜のススメ―世の中を下品のどん底に叩き堕とせ!! みんなで楽しいゴミ漁り』データハウス 1996年7月
- 東京公司+鬼畜ナイト実行委員会『鬼畜ナイト―新宿でいちばんイヤ〜な夜』データハウス 1996年8月
- 根本敬+村崎百郎『電波系』太田出版 1996年9月
- オークラ出版『ネクロマンティンクHアンソロジー ふにく倶楽部』1998年7月
- 青山正明『危ない1号』第4巻「特集/青山正明全仕事」データハウス 1999年9月
- 高取英編『官能劇画大全集 1978〜1982』道出版 2000年9月
- 桃園書房『桃園ムック92 鬼畜系美少女ゲーム攻略200連発』2002年2月
- 北田暁大『嗤う日本の「ナショナリズム」』日本放送出版協会/NHKブックス 2005年2月
- 青土社『ユリイカ』2005年4月臨時増刊号「総特集=オタクVSサブカル!」
- 『Quick Japan』Vol.135 太田出版 2017年12月
- ケロッピー前田責任編集『BURST Generation 01』東京キララ社 2018年12月
- 木澤佐登志『ダークウェブ・アンダーグラウンド 社会秩序を逸脱するネット暗部の住人たち』イースト・プレス 2019年1月
- 香山リカ『ヘイト・悪趣味・サブカルチャー 根本敬論』太田出版 2019年3月
- 渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス 2019年9月
- 渋谷直角『世界の夜は僕のもの』扶桑社 2021年9月
- グロテスク社『グロテスク』1931年4月号(復活記念号)
- 三崎書房『えろちか42』1973年1月号「エロス開拓者 梅原北明の仕事」
脚注
注釈
- ^ ロマン優光いわく、狭義の90年代鬼畜系とは「モラルを理解したうえでギリギリな範囲で遊ぶ」ハイコンテクスト文化であった。しかし、それが分からず面白がってモラルを無視し、本当に鬼畜なことを実行する人も少なからずいたという。またロマンはゼロ年代以降の実話誌・裏モノ雑誌で「鬼畜系」を誤解した、犯罪同然の過激な企画が増えたことを指摘している(例えば『裏BUBKA』の日光猿殺し事件など)[11]。
- ^ 伊藤晴雨によれば、撮影後すぐに妻は下ろしたとしており、虐待を加える暇はなかったとされる。妻のキセは2日後に無事出産するが、晴雨は妻が無事だったことにがっかりしたという。
- ^ 梅原北明の雑誌でも死体写真を掲載した号は必ずしも発禁になっておらず、彼の雑誌『グロテスク』が誌名通り「エロ」より「グロ」を主題としたのは、時代の趨勢を見越してのことである。
- ^ 北明主宰『変態・資料』5号でも東京帝国大学教授の杉田直樹が同事件について論じており、これは先駆的なSM評論とされる。
- ^ 当時の雑誌広告(1930年10月発行『犯罪科学』5号)には次のようにある。「警察司法官等の参考として実費を以て提供することとした。本書の出版は空前であり、絶後であって、萬金を投ずるも尚得難き資料である。本書は特殊出版にして警官司法官にのみ頒布すべきなるも、此際特殊な研究家に一百部を限り、実費送料を以て頒つものである」。ここでは100部のみ発行すると記されていたが、実際には一般人にも売られており、戦後は古書市場にも頻繁に出回っていたことからして、その数倍は流通していたと推測される。
- ^ a b 日本のサブカルチャーに「MONDO」という言葉と文化を輸入したのは、伝説的自販機本『Jam』『HEAVEN』初代編集長の高杉弾といわれている。ちなみに高杉は「MONDO」について「アメリカのアングラでもサブカルでもない、政治性を持たないマヌケな文化」と定義した。また高杉は「MONDO」に一番近い不思議な日本語として「ひょっとこ」を挙げている[138]。
- ^ その本の中で「マンソンファミリーが殺人の様子を撮影したビデオが存在する」旨でインタビューが行われたためである。しかし、そのインタビュー対象者は実際にはスナッフフィルムを見てはいなかった。
- ^ 青山正明は永山薫との対談で「面白かった時代っていうと、やっぱり『ジャム』『ヘヴン』の頃。要するに、エロとグロと神秘思想と薬物、そういうものが全部ごちゃ混ぜになってるような感じでね。大学生の頃にそこらへんに触れて、ちょうど『ヘヴン』の最終号が出たくらいのときに、『突然変異』の1号目を作ったんです」と語っている(宝島社『別冊宝島345 雑誌狂時代!』所載「アンダーグラウンドでいこう! 自販機本からハッカー系まで」より)。また青山は出版業界に入った理由について「僕自身は『HEAVEN』という自販機本があって、その前身の『Jam』だったっけ? あそこらへんで、かたせ梨乃とか山口百恵のゴミ箱あさって……たしか、かたせ梨乃のタンポンとか、山口百恵の妹の学校のテストが二十点とかいう、すっげえ成績悪いやつを全部並べて写真撮って載せてるような……そういうメチャクチャな自販機本があったんですよ。それ見てね『あっ、こんな楽しいことやってて、食っていけるんだなー』って思って、うっかり入っちゃったんだよね。そのあとも、うっかり続きで(笑)」と東京公司のトークイベント『鬼畜ナイト』(新宿ロフトプラスワン/1996年1月10日)にて語っている
- ^ 『Quick Japan』創刊編集長の赤田祐一は「鬼畜ごっこ」の類義語として「痴的遊戯」という表現を用いている[154][155]。
〔鴇田〕―90年代の出版業界にあった余裕から生まれた異端児が『危ない1号』に代表される鬼畜系サブカルチャーかと思います。青山正明、村崎百郎、吉永嘉明といった人物が関わっていました。赤田さんは吉永さんの『自殺されちゃった僕』の編集も手がけておられます。
赤田 “鬼畜文化”と称される露悪的な感覚って好きではなかったし、自分は関係ないですね。ただ、青山さんの書くものは好きでよく読んでいたし、ライターとしてとても優秀な人だった。つまらないネタでも読ませる文章として成立させていた。その文化周辺の人って、自分の印象では、高偏差値の人が多いですよね。その意味で、屈折したインテリの痴的遊戯なんだろうと思って、横目で眺めていました。 - ^ a b 同書は1990年代に出版された『SCENE』と書名が同じだが、内容は全く異なっているため「初代」と区別される。元々は『Billy』(白夜書房)の別冊として小林小太郎が出版しようと試みたが諸事情で頓挫し、別の編集者が小林の志を引き継ぐ形で出版したという経緯がある[158]。
- ^ S.A.B.P.M.=スペースエイジ・バチェラー・パッド・ミュージック。エレクトロニクス技術を駆使し、宇宙の魅惑的でモダンな魅力をエキゾチックに表現した音楽。中流階級のアメリカ人がモダンなライフスタイルを標榜した1960年代に流行し、主に独身貴族の最新Hi-Fiステレオ・セットで流れていた。その後、ほとんど顧みられることはなかったが、1990年代のモンド/ラウンジの流れで再評価された。
- ^ 特殊漫画家の山野一は、特殊漫画というジャンルについて「あまりにも私的で特異な題材を前面に打ち出しているためにほとんどすべての日本国民から無視・黙殺・拒絶され、職業として成り立ち得ないまでにマイナーな漫画の一ジャンル」と定義している[179]。
- ^ ハッサン・イ・サバーは、11世紀に登場したイスラム教シーア派の分派であるイスマーイール派の一派「ニザール派」の開祖として知られ、暗殺教団(アサシン教団)を率いてイランからシリア全土の山岳地帯に要塞を築いたといわれる。別名「山の長老」。高杉弾や村崎百郎にも多大な影響を与えたウィリアム・S・バロウズのアイドル的存在。バロウズ原作/デヴィッド・クローネンバーグ監督の映画『裸のランチ』(1991年)で引用された「真実などない。すべては許されている」(Nothing is true; everything is permitted.)というハッサンの言葉はあまりにも有名である。この言葉は『危ない1号』(1995年)において「すべての物語は等価」という価値相対主義を正当化する目的で次のように解釈された。「この世に真実などない。だから、何をやっても許される」(史上初のカルト・グル、ハッサン・イ・サバーの言葉)
全ての物事には、数え切れないほどの意味やとらえ方、感じ方などがある。例えば、自殺。これを「悲しいこと」「負け犬がすること」とみなすのは、無数にある“自殺のとらえ方”のほんの一部に過ぎない。この世には、祝福されるべき自殺だってあるのだ。
あらゆる物事は、その内に外に、無数の“物語”を秘め、纏っている。『危ない1号』では、これら無数の物語の中から、他の本や雑誌ではあまり語られない物語だけを選びだして語るようにした。さらにその際、一つの物事が含み持つ無数の物語の全てを“等価”と考えるように心掛けた。(中略)
この世に真実などない。あらゆる物事は、その内に外に“数限りない物語”を秘めている。そして、それらの物語は、人間様中心の妄想であるという意味で“全て等価”なのである。だから何を考えても許される。これが当ブックシリーズの編集ポリシーだ。
妄想にタブーなし! — 東京公司「はじめに」『危ない1号』第1巻 データハウス、1995年、2-3頁。
だが(そうそう後ろから殴られることはないような)法治国家においてこのような発言をしても、法に守られた平和社会への単なるフリーライダー(タダ乗り)的発言と見なすこともできるため、ある意味で退歩的・原始的な欲望を観念世界に持ち込む試みであったことが見て取れる。しかし、鬼畜系は雑誌や漫画などの言論世界だけにはとどまらず、最終的に当事者から自殺者や殺人被害者を出すなど現実世界でも大きな影響を及ぼした。青山の「すべての物語は等価」という試みについてロマン優光は「失敗に終わった」として次のように総括している。まず『危ない1号』の中で使った鬼畜という意味なんだけど、これは世界で初めてカルト集団を作ったハッサン・イ・サバーと言う人物がいて、この人は、ドラッグとセックスで信者に天国を見せておいて、もう一度天国を見せてやるからお前らの命をくれみたいなこと[182] をしたんですが、その人の言葉に「この世に真実などない。だから、何をやっても許される」って言うのがあるんです。それって、ある程度正論なんですよ。たとえば後ろから殴るのは正義に反すると言うけど、誰だって、後ろから突然殴られたくない。だから、私も後ろから殴らないから、あんたも後ろから殴らないでねって言う弱気の正当化でしかない。そんな情けない正義や道徳なんかにこだわらず、もっとオープンマインドで生きようって言うことを読者に提示したかったんです。 — コアマガジン『世紀末倶楽部』第2巻、1996年、198-201頁「ゲス、クズ、ダメ人間の現人神『危ない1号』編集長の青山正明氏に聞く!」(聞き手/斉田石也)概念としては素晴らしいですよ。優劣をかってに決める社会に対して、優劣など存在しないということを言っているわけですから。この文章には感銘を受けた覚えはあります。しかし、全てが等価値だからといって、何をやってもいいということとは違うわけです。筒井康隆氏はフィクションとして、それをやっていたのですが、青山正明氏は現実をストレートに素材にしており、フィクションであるというワンクッションが置かれていないためにストレートに取られやすく、はるかに毒性に関しては強かったわけで。
彼は無邪気でした。そして、内面には良識というものがしっかり存在していました。無邪気にその良識に逆らって反語的に遊ぶゲームに興じていただけなのだと思います。しかし、その無邪気さと良識ゆえに、世の中には良識が備わっていない人間が存在すること、そういう人間が自分の悪ふざけを本気にして真似しだしたらどうなるかということが想像できていなかったのです。それは悲劇でもあり、失敗でもあります。その結果起こった出来事は、繊細なインテリであった氏にとっては、大きなストレスになったでしょう。 — ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、38-39頁。また野間易通は『危ない1号』などで青山正明が提唱した「すべての物語は等価」という社会構造の非対称性を無視する試みについて、ポストモダン以降の「大きな物語(戦後民主主義と高度経済成長に支えられた、社会全体で共有される統一的な価値観)の終焉」を可視化する目的があったと分析し、このような価値相対主義が“正義”をも相対化した結果、あらゆる道徳が価値を持たなくなり、それが現在のヘイト文化に継承されてしまった可能性を指摘している[2]。
- ^ 町山智浩が言うところのクソ文化とは、オシャレやモテばかりを追求するリア充志向のトレンディ文化を指している(中国語圏で見られるナンセンスなパロディ文化については「KUSO文化」を参照のこと)。これは大手資本側(電通・フジテレビ・セゾングループ・ホイチョイ・プロダクションズ)が仕掛けた資本主義的な社会現象で、バブル時代に流行した拝金主義や軽チャー路線、恋愛資本主義的価値観が軸となっている。これらトレンディ文化は、表面上きらびやかでありながら、どこか軽薄で偽善的な空気感をまとっていたのが特徴的だった。町山によればトレンディ文化に対するカウンターが鬼畜系であり、村崎百郎の「すかしきった日本の文化を下品のどん底に叩き堕とす」というスローガンもこれに由来しているという。
- ^ a b 言語ウイルス論=人間は無意識のうちに、宇宙から飛来した「言語」に寄生され、マインドコントロールされているという考え方。ウイルスが他の生命の遺伝子に入り込んで増殖するように、言語もまたメディアを仲介し、世界中の人間の身体に伝播・憑依するという構図に由来する。言語ウイルス論はウィリアム・S・バロウズが小説の中で展開したもので、その毒性を解消する試みとして言語を解体する「カットアップ」という文学技法も登場した。言語ウイルスの典型例としては、マスコミによる思想の刷り込み、洗脳、情報戦、プロパガンダ、相対主義、権威主義、テロリズム、ファシズム、排他的ナショナリズム、インターネット・ミーム、ヘイトスピーチ、ネット右翼、オルタナ右翼、ポストトゥルース、Qアノン陰謀論などが挙げられる。特に1990年代以降はパソコン通信やインターネットの急速な普及によって、玉石混交の情報が従来以上に高速かつ膨大に流通するようになっており、高度情報化社会における「言語ウイルス」といかに向き合うべきか、という哲学的・倫理的な考察も成されている[209]。村崎百郎は言語ウイルス論を引き、言語の持つ落とし穴について次のように警鐘を鳴らした[210]。「どうか言語ウイルスどもの巧妙な罠に気づいてくれ! 奴らの正体は自分たちを使用する全ての人間に寄生して、世代を超えてその身体を拡張し続ける極めて特殊な疑似生命だ。彼らの希薄な身体と支配力は、彼らを使用する人間の数にかかっている。そのため彼らはできるだけ多くの人間に取り憑き支配しようと、自分が取り憑いた民族を刺激して他民族に対して侵略をしかけるのだ。歴史をひもとけば、侵略に成功した側の民族が征服民に自分達の宗教や言語を強いる例はいくらでもある。“神”はことばであり、同時に言語ウイルスなのだ」という言説は、一九七七年の秋以降、俺の頭に二十九日周期でやってくる電波特有のものだが、この種の妄想は記録によれば一九世紀後半のヨーロッパでは道端に転がる糞ぐらいにポピュラーなものであったというから、そもそもキチガイの妄想には所詮大したオリジナリティーなど皆無なのだ。とどのつまり、バロウズの言語ウイルス論から我々が学ぶべきは、「我々の使用する言語の中には“言語ウイルス”という言葉に象微されるような致命的な欠陥が存在する」ということだ。我々の日常のコミュニケーションの中でも、伝えたいことが何ひとつ相手に伝わらず、つまらない悪意ばかり増幅して伝わってしまうことは良くあることだろう。最も伝えたいことが相手にさっぱり伝わらないもどかしさを感じて言葉につまった経験はないか? それは何も“ボキャブラリーの貧困”ばかりが原因ではない。コミュニケーション・ツールとしての“言語”がもつ不完全性と、そこから生じる“悪意”をつねに意識しながら注意深く言語を使用すること──それこそが、我々意識ある人類が陥った“言語の拘束”から解き放たれるための第一歩なのだ。全ての言語が、発生したその瞬間に、嘘もつける“詐欺の手段”としての機能をも同時に合わせ持った“両刃の刃”であることを忘れてはいけない。
- ^ 「鬼畜系作家」というのは自称でなく通称であり、京極夏彦の対談では「鬼畜系作家」でなくハートレスな「キクチ系作家」として呼んで欲しいとのこと。
京極:平山さんは、いうなれば鬼畜系ですよね。
平山:それを言われると嫁が泣く(笑)。ネットで「鬼畜系作家」と書かれているのを読んで、「あなた鬼畜系なの? 私は鬼畜の嫁なの?」って泣いたんだよね(笑)。まあいいんだけど、漢字だと重たいから、できればカタカナにしてもらえたら(笑)。
京極:表記の問題なのか(笑)。でも音で区別はつかないから。発音を変えて対談するしかないじゃないですか。「キチク」……「キクチ」ならいい?
平山:そうそう、「キチク」とか「キクチ」とか……「キクチ」だね。
京極:じゃあ「キクチ」系にしましょう(笑)。で、「キクチ」系作家の平山夢明さんとしては、ハートフルな小説というのはあまりお書きになりませんね? ハートレスですよね(笑)。
平山:ハートレスだね。(中略)僕が書くこわい話なんかは、どっちにしろ死んでるやつのほうが多く出てくるわけ。そういう生き物より死人のほうが多いような小説はともかく(笑)。でも、そうじゃない小説って、みんな愛の方向にもっていくでしょう?
京極:もっていきがちですわね、愛の方向に。
平山:愛なんて所詮、算数でいうゼロみたいなもの。幸も不幸もゼロを掛ければみんな同じ。駆け込み寺みたいな安易な逃げ場所なんだけど、酷いことを書いて、そのまんまで終わらせちゃうとだいたい鬼畜系作家とか言われちゃうわけだよね。
出典
- ^ a b c d e 扶桑社『週刊SPA!』1995年9月20日号所載「【最低・最悪】モンド・カルチャーの正体」特集
- ^ a b c 野間易通『実録・レイシストをしばき隊』第2部「グローバル・ヴィレッジの百姓一揆」第2章「バッド・テイスト、価値相対主義、ネットワーク」の中「サブカルチャーからサブカルへ」河出書房新社、224-231頁、2018年。
- ^ 「『悪趣味系』の中のサブジャンルとして立ち上がった『鬼畜系』ですが、鬼畜という言葉の持つインパクトの強さと当時の『危ない1号』や村崎氏の勢いによって、『悪趣味系』よりも広く口にされる言葉となり、『悪趣味系』というジャンル自体を飲み込んでしまったというのが、大まかな流れだと思います」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、13頁。
- ^ a b 「鬼畜系というのは本来、他人のゴミ漁りや自身の『電波』体験をテーマにした文章で知られるライターの村崎百郎氏が自身を指すのに提唱した言葉であるが、悪趣味系のサブジャンル的に、その中でも特に非道徳的・反社会的な部分を指すような言葉として使われることもあった。漫画家・根本敬氏が書いていた奇妙な人々を観察したある意味カスタネダ的な文章の影響も大きく、本来は文献紹介的だった悪趣味系に生身の人間を題材にするという流れを生んだ」ロマン優光連載「好かれない力」特別編「文化人を次々と葬り去る90年代サブカルとは一体何なのか」コアマガジン『実話BUNKAタブー』2021年10月号,178頁。
- ^ a b c d 「いきなり『無意味で有害』などと結論づけるのはいささか乱暴なので、もう少しだけ言葉を足しておこう。(中略)80年代から90年代にかけてのサブカルとは、私の理解では『すべての表象から文脈や歴史をはぎ取って相対化し、権威や規範にとらわれず、自分はどこにもコミットしないまま、“ひとつの主義主張と距離を置けなくなる人”には冷笑的な態度を取り、ひたすら心地よさやおもしろさを追い求め、それ以上、何かを問われそうになったら、“そんなの何もわからないよ”と未成熟な子どものように逃げ出す』という性質を帯びたものだ。それは、いま思えばどう考えても、間違っていたのである」香山リカ (2021年8月20日). “かつてのサブカル・キッズたちへ〜時代は変わった。誤りを認め、謝罪し、おずおずとでも“正論”を語ろう”. 情報・知識&オピニオン imidas. 凸版印刷/集英社. 2021年8月22日閲覧。
- ^ ロマン優光は「90年代サブカルという特殊な文化を今の価値観で振り返り、怒り狂っているヤバい単細胞が昨今目立ちます。彼らによる考察ならびに反省は、一見まともでも的を射ていないものが実に多く、世間に間違った解釈を広めてしまう害悪でしかないのです」と語っている。(コアマガジン『90年代サブカルの呪い』袖)
- ^ 「本来、鬼畜系という呼称は、雑誌『危ない1号』(データハウス)周辺が出演したロフトプラスワンで開催されたイベントのタイトル『鬼畜ナイト』(96年開催。のちにイベントの模様がデータハウスより書籍化された)や『危ない1号』第2巻『特集/キ印良品』(データハウス・96年)の表紙に踊っていたキャッチフレーズ『鬼畜系カルチャー&アミューズメント入門講座』から来ているものと考えられます。その『鬼畜』というワードを『危ない1号』の編集長・青山正明氏に提唱したのが、同年に『鬼畜のススメ』(データハウス・96年)という著書を出版することになる村崎百郎氏です。その時点で『ここからここまでが鬼畜系です』というような明確なジャンルとしての定義があって名付けられたわけではなく、後にジャンル名として使われることになることも想定していなかったでしょう」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、10-11頁。
- ^ a b 扶桑社『SPA!』1996年12月11日号特集「鬼畜たちの倫理観──死体写真を楽しみ、ドラッグ、幼児買春を嬉々として語る人たちの欲望の最終ラインとは?」
- ^ a b 町山智浩のツイート 2021年7月20日
- ^ 「90年代サブカルについてネットで語られているのを見る機会が最近増えました。リアルタイムで接していた人による想い出語りのようなものもあれば、新しい世代による研究もあります。約20 - 30年前の時期の話ですから、今の視点から見るととんでもないようなことが起こっていたり、問題視されるような部分も多いと思います。特に悪趣味系や鬼畜系と括られていた界隈については、そういった視点で眺めている人も多いでしょう。また、その言葉の語感から、当時のことを知らない人から必要以上に悪く思われる場合もあります。世の中のたいていのものがそうであるように、悪趣味系、鬼畜系といったものも、全てが否定されるべきものでもないし、全てが肯定されるべきものでもない。皮肉なことに、否定されてしかるべき部分は今も継承されているのにも関わらず、最良の部分については言及されることもなく忘れられていく一方です」ロマン優光『90年代サブカルの呪い』コアマガジン、2019年、6頁。
- ^ 「本当に酷いのは90年代終わってからの、あのコアマガジンの『裏BUBKA』とか、裏モノの本とか、別にサブカルとか関係なくて酷いことをしたら売れるって思ってる…。あの、なんていうか、モラルに反することをやって、アピールしたら売れると思ってる本が大量に出たじゃないですか」(ロマン優光)「そっちだよね。サルを殺す文化とかね。分かりやすく言うと」(吉田豪)鬼畜系サブカルを総括する(2) 実写版『90年代サブカルの呪い』ロマン優光×吉田豪×宇川直宏 - Togetter 2019年3月18日
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- ^ a b 「明治41年8月28日付の『東京朝日新聞』の報道によれば、当時の『滑稽新聞』の印刷高は約7万部ないし6万5千部、小野村夫(引用者注:宮武外骨のペンネーム)の後の回想によれば約8万部という盛況のなかでの廃刊だった。当時、最もよく売れていた雑誌の『文芸倶楽部』が約3万8千部、新聞では『大阪朝日新聞』が約14万部の時代だから、まったく個人経営で個人編集の『滑稽新聞』の発行部数は、それこそ脅威的な数字であった。その盛況のなかで、小野村夫の『滑稽新聞』は、10月20日発行の173号を“自殺号”と銘うち、続刊するより自殺するほうがましだといって、さっさと廃刊してしまったのである。事は、同年6月20日発行の『滑稽新聞』165号に、小野村夫が『法律廃止論』と題する論説を書いたことからはじまった」吉野孝雄『過激にして愛嬌あり―宮武外骨と「滑稽新聞」』1992年4月 筑摩書房(ちくま文庫)323頁。
- ^ a b 筑摩書房『宮武外骨・滑稽新聞』第6冊(第146号 - 第173号)414頁
- ^ 「国家存立のために制定した法律は、これを厳重に実行すれば其効能利益もあるが、今日の如き有様ならば、寧ろ法律は廃止して了ふ方がよい。(中略)今日の社会は、巧に悪事をする者が勝利を得るのであつて、所謂法律は強者の利器、悪い奴が法網を潜って、
逆 まに善人を窘 逐迫害するのである。斯 の如くんば法律はあれども無きに等しい。否あって害ある無益の長物、速 に廃止して了ふ方がよい。併 しこれといふのも全く悪政府の奴原 が悪いのであつて、彼等が憲法に違犯して不法の行為をなし、議員買収、賄賂収受などの悪事をやるから、末派の糞役人共がそれを手本にして、国家の法律を踏附 にするのである。さすれば社会の秩序が紊乱 して人心が悉 く腐敗するのも、畢竟 こんな有名無実の法律が存在する為めであるから、寧ろ之を廃止したならば、善人が悪人に対して社会的制裁を加へる事も自由と成り、悪大臣悪元老などの兇漢 共を誅戮 することが出来て、完全なる理想的社会を実地に建設する事が出来るであらうと思ふ。これ本論主張の理由である」宮武外骨(無記名)「法律廃止論」『滑稽新聞』第百六十五號所載、1908年(明治41年)6月20日発行。 - ^ a b 「“自殺”の決意をかためた『滑稽新聞』の記事は、以前にもましてすさまじさを加えた。170号には、『司法部に堕落漢の多いのは国家の綱紀を壊乱し、社会の治安を害するものである』と論じた『法律新聞』の論文『人格の修養と司法部の神聖』を転載した『司法部の堕落漢』、担当検事の赤井定義の眉毛がうすいのをからかった記事、そして、その事実調査のために赤井の原籍地に特派員を派遣したという『赤井定義の戸籍』、続く171号には、料亭の二階から小便をして、それを咎めた巡査に暴行を加えた検事を実名で告発した『検事には悪い奴が多い』、『国法違反の悪検事』、172号には、社会の腐敗堕落はすべて政府の罪悪によるものだとした『悪政府の罪』と、それこそ毎号いいたいほうだい、いままで溜りにたまっていた小野村夫(引用者注:宮武外骨のペンネーム)の憤邁がいっきに大爆発をおこしたかの観があった。そして、ついに9月24日に、大阪地方裁判所で、『検事には悪い奴が多い』を掲載した169号が、『司法其他の官憲の威信を損し官吏の体面を傷け従つて社会の秩序を壊乱する事項に属する』ものとして、発行兼編集人の三好米吉に対して軽禁錮1カ月、『滑稽新聞』には発行禁止の判決が下ったのである」吉野孝雄『過激にして愛嬌あり―宮武外骨と「滑稽新聞」』1992年4月 筑摩書房(ちくま文庫)331-332頁。
- ^ 吉野孝雄『過激にして愛嬌あり―宮武外骨と「滑稽新聞」』1992年4月 筑摩書房(ちくま文庫)326-327頁。
- ^ 宮武外骨(みやたけがいこつ)=宮武外骨の研法発布囈語
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- ^ 「心理学の専門用語として狭い範囲で使用されてきた“変態”をより広い範囲で使用しだした第一の貢献者が田中香涯であった。(中略)そして、それまであくまでも性において使われる傾向にあったこの言葉の意味を意識的に拡大し、流行語に近いところに育てた貢献者が宮武外骨ということになる。さらに、この流れを決定づけたのが梅原北明であろう」(松沢呉一「変態の探求 〜西の骸骨、東の北明〜」より)
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- ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 53頁。
- ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 56頁。
- ^ 「『文芸市場』の創刊当時を語るとなると、関東大震災をヌキにして語ることはできない。焼土と化した帝都。軍部の白色テロの横行、朝鮮人の大量虐殺、大杉栄、伊藤野枝、大杉の甥宗一少年の暗殺、南葛労働組合員九名の惨殺、加うるに、虎ノ門で行われた難波大助の皇太子暗殺未遂も、暗く、大きく作用して世は正に暗黒時代と言うにひとしかった。日本共産党が非合法を清算して、自由主義運動から始めなければいけないと迷うたほどだから、大方察しがつくだろう。治安維持法に反対する、政治運動をめぐって、アナとボルに分裂、対立したプロレタリア文学運動も、自然の脅威による帝都壊滅に出あって、いつとはなしに肩を接するように、元の共同戦線に帰って行ったが、絶望感とニヒルが底流していて、革命的志向を失ないがちだった」金子洋文「梅原北明と『文藝市場』」『文藝市場/復刻版 別冊』財団法人日本近代文学館、1976年5月30日発行、1頁。
- ^ 「戦後のバブル期には、左翼的で晦渋なニュー・アカデミズムが流行した。戦前のエロ・グロ・ナンセンスの時代には、共産主義革命を支援するプロレタリア文化運動の隆盛があった。つまり昭和の初めと終わりには、軽薄さと社会派の両面から、常識やジャンルを逸脱する熱気が大きく盛り上がっていたのだ」足立元「猥本出版の王・梅原北明と昭和エロ・グロ・ナンセンス」『芸術新潮』2020年9月号, 新潮社, pp.36-41
- ^ 「……濃淡の差こそあれ、ブルジョワ的婦人雑誌、その他一切の通俗読み物までブルジョワ・エロ・グロによって一塗りに彩られている。……何ら新しいイデオロギーも何もありはしない。エロの粉黛を、紅色に変化することによって、数万の読者を扇情してるだけだ。ばかりでなく、手近いところで、活動のレビュー、商店の飾り窓、新聞面の広告、一切合切がそうだ。何故そうか? あっさり言って、ブルジョワ文化が、行き詰まったからだ。二進も三進も、現実を無視して思想の、イデオロギーの進展はありはしない。濁った、流れない水は腐るよりほかない。エロも、グロもナンセンス新興芸術派もそこから発生した。見たまえ、殺人毒ガスマスクと大本教、昭和五年度二千件のストライキと日本刀──新聞面だけでも、可なりなグロがある。ましてや本誌編集者の梅原北明君が、常々、ロシア大革命史の翻訳者として著名になり、現在『グロテスク』の編集者であることなども、正にグロではないか。……しかし、プロレタリア芸術家は、この一九三一年度を『ブルジョワ・エロ・グロに巣食う人々』の駆逐に向かって闘争されなければならない」徳永直「ブルジョワ・エロ・グロ」グロテスク社『グロテスク』1931年4月号(復活記念号)129-130頁から抜粋。(引用文中、歴史的仮名遣で書かれた箇所については現代仮名遣いに改めた)
- ^ 「北明編集時の『グロテスク』をざっと見る限り、北明の『エロ・グロ・ナンセンス』がブルジョワ新興芸術ともプロレタリアート芸術ともかなり異質な、芸術至上主義やイデオロギーを排した生産的な秩序破壊の活動であったことがうかがわれる」秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 61頁。
- ^ わずか7年ほどの間に梅原北明は“反体制的反骨出版”を怒濤の勢いで行った。しかしながら北明には政治的・思想的なイデオロギーはなかったという。北明本人はエログロ出版から手を引く直前、雑誌で次のように回想している。僕が要するに以前の雑誌グロテスクによってグロテスクとかエロチックとかいうようなことをまるで流行させたかのごとくに思われるのでありますけれども、然しこれは、僕は意識的にグロテスクあるいはエロチックをやったわけではなくて、詰り非常に大胆不敵な考えの下から、エロチシズムあるいはグロテスクということを主としまして、そして世の中を何でも構わぬから、お茶に濁して遣ろうという気になって、それを始めたのが丁度世の中に一種の流行を受けたというような訳で、始めから流行をさせようとかしないという様な意味でなくして、僕としては何でも構わぬから行ってやろうという単純な気持でやった訳です。ところが僕が止めた時分に世の中が案外そう云う様な時期になって実は僕としてはもう今日になってはエロだとかグロだとかの時代ではないと思うのです。そこで僕のほうじゃ好い加減鼻について居るのです。それで僕は一年許り止めて居たので、ところが、こっちが好い加減倦いたりして居る頃に世の中が漸くエロのグロのと騒いできたような訳なのです。 — グロテスク社『グロテスク』1931年4月号(復活記念号)所載「全国留置場体験座談会」251頁。
- ^ 「父は北明についてかつて何度か文章を発表しています。『なぜ、発表したのか』と聞きましたところ、『義理があったから』と答えました。ずいぶん、古いことをいうなと思って聞き返しましたところ、『義理とは人間関係を重んじることで、古いとか新しいの問題ではない』とのことです。この義理ということばですが、北明も義理を重んじた人のようです。こうしたあたりに北明を単なる『純血左翼』たらしめなかった原因の一つがあるように思います。つまり、イデオロギーより、人間関係を優先させる生き方をとったのです。そのためもあってか、後年、北明を評した文章の中に『ノンイデオロギーの徒』といったことばを書きつらねている人がいました。(中略)北明は、企業性がゼロに等しい男でした。だから、利害を度外視して思いきった華麗な出版活動を行ないえたのだと思います。倒産のうき目にあっても、北明が『再び出版を行なうから、予約金を送ってほしい』と、定期講読者に手紙を出すと、ミズテンで北明に金が送られてきたといわれています。弾圧にめげずに、ぜひ、おもしろい本を作ってほしい、という手紙が寄せられたとのことです。かりに利潤があがっても、北明は目のかたきのように金を使い、その一部は、冷や飯をたべさせられていたプロレタリア文学の作家にカンパしたそうです。このあたりに、左翼後遺症がうかがえる。同時に、人間関係をたいせつにした北明の一面があります」梅原理子「梅原北明 ポルノ出版の帝王―反逆、諧謔の一生」檸檬社『黒の手帖』1971年11月号「特集:評伝―伊藤晴雨/高橋鐵/梅原北明/稲垣足穂」58-62頁。
- ^ 文藝市場社の尾高三郎は、梅原北明編纂『明治大正綺談珍聞大集成』(1929年 - 1931年)の推薦文で、採算の取れない“決死的道楽出版”を行う理由を次のよう記している。日本一の新聞蒐集家梅原北明氏決死的道楽出版
明治大正綺談珍聞大集成
(前略)親愛なる友よ。大正昭和年間に於ける猥本刊行者の親玉たる梅原北明の存在は餘りに有名であります。併し、彼をして単なる世界各国の猥文献提出者として葬るならば、餘りに彼の蒐集課目を無視したる言葉で、彼こそ實に日本一の新聞蒐集家であると云へば何人も驚嘆するでありませう。事ほど左様に彼は古新間の蒐集に拾数年を費し、この間に投じた蒐集費は数拾萬圓の上に算します。
この貴重な長時間と莫大な費用とで纏めあげたのが、今回の「明治大正綺談珍聞大集成」で(中略)内容装幀共に日本有史以来の凝りかたで、軈 て死んだ親爺のせつせと稼ぎ蓄めて残し去つた財産の大部分をかぢつて了ひさうです。
然らば、何が故に實費以下に頒布なさんとするのか? それには一つの大きな原因がなければならない。所謂原因は燒け糞です。梅原北明第三十一回の筆禍禁止勲章授與紀念報告祭に要する燒糞出版だからであります。損得を云つちやいられません。冗談にも早く三十二回目にしろよと云ひますので、責任出版者たる拙者こと文藝市場社こと尾高三郎こと、誠にもつて北明なんて愚にもつかぬ不經濟極る親友を脊負つてゐるばかりに、末は畳の上で死ねるか死ねないか今のところ一寸疑間ものです。
冗談は扨て置きまして、この紀念を、日本の後代に永遠に残し去かんとする慾望が編者の印税であり、又、明治、大正六十年の人類が刻み残した生ける珍記録の集成こそ、吾々にとつて、最も懐かしい人間的な歴史でなければなりません。と私は確信するので御座います。
たとへ、この貴重なる決死的道楽出版が、果して、諸賢に共鳴され得るや否やは大なる疑間です。併し吾々は、そうした對 社會的に不純なる投機的精紳とは絶対に妥協出来ないことだけは断言いたしておきます。
退窟は死なりと誰れかが云ひましたが、退窟で仕様のない人達にとつては、正に本書は唯一の獵奇趣味に富む眠む氣覺しであるかと思はれます。金錢と云ふ観念を全く超越した装幀の贅澤さ、内容の極珍ぶりに、東京中の出版業者は、多分泡をふいて極度の妬みと嘲けりを投げ與へることでせう。(中略)本書は一部でも多く賣れれば賣れるだけ損害が益々甚大になる譚です。が、この珍聞を一人でも多くに告げ得られる喜びは、千や二千の端金には換へられない貴い喜びだと信ずるからであります。特に百人の俗人に讀まるゝより一人の獵奇家諸氏に愛讀されんことを欲する次第で御座います。(後略) — 文藝市場社『グロテスク』1928年11月号(第1巻第2号) - ^ 「公敵」としてのコンテクストメイカー梅原北明『殺人會社』『文藝市場宣言』『火の用心』『ぺてん商法』【FIGHT THE POWER】
- ^ a b c 梅原正紀「北明について」『えろちか』No.42「エロス開拓者 梅原北明の仕事」三崎書房 1973年1月
- ^ 伊藤晴雨「女体逆さ釣り撮影記」第一出版社『人間探求』24号
- ^ アダルトショップ営業…まんだらけ書類送検 - 日テレNEWS24 2021年10月22日
- ^ 斉藤昌三『三十六人の好色家―性研究家列伝』創芸社 1956年
- ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 51頁。
- ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 56-57頁。
- ^ 「戦争の足音が聞こえてくる頃、『かえって……好色本出版と縁を切るふんぎりがつき』(野坂昭如『好色の魂』)北明は妻と子供を連れて大阪で女学校の英語教師になる。北明三十三歳の時であった。その後の北明は、『近世社会大驚異全史』の編集能力が買われて靖国神社史編纂に加わったり、日劇再建に一肌脱いで実業家ぶりを発揮したり、その謝礼として日劇小劇場を譲り受ける話を蹴って、台湾に出かけ、記録映画を撮ったりと大波乱の人生で、野坂昭如の小説中でもこのあたりは圧巻といえる。三度上海に遊び、戦時中は翻訳能力を軍に買われ、財団法人科学技術振興会を創設して海外の技術関係文献の海賊版作りを行う。もとより北明に戦争協力の意志はなかった」秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 62-63頁。
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- ^ 中根隆行「純文芸雑誌『文学界』誕生の周辺 ―文化公論社田中直樹の文化観―」『文学研究論集』16 筑波大学比較・理論文学会 NAID 110000539565 1999-03-08 pp.61(34) - 74(21).
- ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 146頁。
- ^ 古本夜話30 柳沼沢介と武俠社 - 出版・読書メモランダム 2010年4月8日付(近代出版文化史をめぐる小田光雄のブログ)
- ^ a b 松沢呉一「図説・・・変態&死体カルチャーの研究」別冊宝島228『死体の本―善悪の彼岸を超える世紀末死人学!』(宝島社)1996年8月, pp.200-206
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- ^ a b c d 「敗戦から1年2ヵ月後、昭和21年10月に発行された『猟奇』は、その後のカストリ雑誌ブームを決定づける存在となった。『蒸される様な情痴のるつぼに──妖しげにみだれ咲く猟奇の華々……』発行の3ヵ月前にこうした宣伝文句で登場した本誌は、当初は店頭販売をせず会員制の販売を目論み、月会費10円で頒布会員を募ったところ、代金前払いにもかかわらず、またたくまに1万人の会員を集めた。会員用の1万部に加えてさらに1万部、計2万部を印刷したが、地方から上京していた書店主たちが飛びつき、発売当日わずか2時間ですべてを売り尽くした。続いて同年12月発行の2号に掲載された小説『H大佐夫人』が戦後初の発禁処分(刑法175条の適用)を受けたことも、本誌の“名声”をさらに高めることになった。創刊号の表紙は、手袋を嵌めた女性の線画という極めてシンプルなものだが、コピー『夜る読むな』と相まって、妙に劣情をそそるもの。その創刊号に添えられた創刊の辞を抜粋すると『平和国家建設のために心身共に、疲れ切った、午睡の一刻に、興味本位に読捨て下されば幸いです』と、いたって低姿勢だが、『興味本位』に性知識を弄ぶ雑誌というカストリ雑誌の原型を形づくることになった」渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス、2019年9月、11頁。
- ^ a b c 渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス、2019年9月、4-6頁「はしがき」
- ^ 「カストリ雑誌を紹介するこれまでの書籍では、倫理的にセンシティブな面に目を瞑り、笑い飛ばせるエロばかりを披露してきたせいか、カストリ雑誌が持つ倒錯性について納得できる説明を私は見たことがありません。いま、私はこう考えています。原因は戦争体験ではないかと。戦場で飛び交う銃弾、手榴弾、砲弾。『銃後の守り』といわれた戦場の外にいた人々も命の危険に曝されていたことは同様です。降り注ぐ焼夷弾、艦砲射撃、機銃掃射、放たれる火炎放射。そこで最も重く、そして最も多く生み出されたもの、それは亡骸でしょう。こうした悲惨極まりない状況でありながら、同時にその惨状に得も言われぬ快楽を見出してしまった人は存在しなかったのでしょうか――。戦争が本人の望まない『倒錯』を引きだし、人が死んでいながら悲しむこともできず、むしろ興味本位の好奇心さえ抱いている自分を自覚してしまう。これは想像できないくらい怖ろしい精神状態で、その状況はまさしく異常ですが、その異常さに慣れてしまう習性を人は持っています。(中略)本来、望まない倒錯を戦争経験によって引き出され、それを自覚してか無意識にか、猟奇的な記事を多く含むカストリ雑誌に惹かれていく。敗戦から漸進的に復興の兆しが見え、世相が落ち着きを取り戻しつつある昭和25年前後を境に、やがてカストリ雑誌は飽きられていく。(中略)カストリ雑誌が短命に終わった事実は、雑誌の中身が粗悪どうこうではなく、日本人が短い時間で戦争体験から立ち直ろうとする心を持てた、という顕れではないか。本書をつくり終えるいま、私はこう考えています」渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス、2019年9月、174-175頁「いま、なぜカストリ雑誌なのか」
- ^ 「病名は発疹チフスで、東京へ通う列車の中でシラミを経由して伝染したのである。ダンディーな身だしなみのいい男として知られた北明が、そうした病気で倒れたのは運命の皮肉であった。高熱が一週間も続き、死ぬ前日には、脳症を起こして意識は混濁していたが、ボクが朝刊を持って病室に入っていくと、父はつと手を伸ばし、新間をとりあげ、手でかざして読もうとした。しかし、なんとしても新聞を手でかざすことができず、新聞は、父の顔にバサリと落ちた。活字とともに生きてきた男の反射的動作の中に、まだ自分は生きて仕事をしなければならないのだという執念がこもっていた。しかし、その時はおそかった。北明が息をひきとったのは昭和二十一年四月五日のことである」梅原正紀『近代奇人伝』大陸書房、1978年、252頁。
- ^ 秋田昌美『性の猟奇モダン―日本変態研究往来』青弓社 1994年9月 63頁。
- ^ 渡辺豪『戦後のあだ花 カストリ雑誌』三才ブックス、2019年9月、9頁。
- ^ 「刷り部数は2万部だったわけですが、2万部の根拠は、新聞広告をみた直接購読の読者が、約1万人ほどいたわけです。それだけで1万部は間違いなくでていくので、あと市場へだす分として1万部、合計2万部という線がでたわけです。(中略)創刊号を扱ったのは、河野書店だけでした。 つまり、引き受け手がなかったわけです。しかも、七半の現金取り引きでした。ところが、いざ売りだしてみると、創刊号は2時間で売り切れてしまったのです。当時は、地方の書店の親父さんが、リュックサックに現金を一杯つめこんで、東京まで買い出しにきていましたから、新聞広告などで本がでることが分かっているので、発売と同時にワッと買い占めたのでしょう」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで」『出版ニュース』1976年11月下旬号/1060号、出版ニュース社、9頁。
- ^ 「『りべらる』は、私はカストリ雑誌とは、思っていませんでした。いわゆるカストリ雑誌、エロ雑誌と認めなかったわけです。当時でた『小説と読物』などは、完全な小説雑誌ですし、私の知人の22、3歳の若い男が1冊だけだしてやめた『ろまねすく』という雑誌がありましたが、これなども『りべらる』をちょっと軟化したような雑誌で、私はエロ雑誌とは認めませんでした。戦前、梅原北明のやっていたようなキワどいものとは認めていなかったのです。梅原北明のやった文芸市場社もののようなキワどいものが、堂々とやれるかどうかと、思っていたわけです」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで」『出版ニュース』1976年11月下旬号/1060号、出版ニュース社、7頁。
- ^ 「2号の編集からは、スタッフがふえました。2号から参加した花房四郎の他に、斎藤昌三さん、明治大学の藤沢衛彦さん、それと三宅一郎、この3人を月1万円の顧問料をだして入れました。雑誌の定価が高いのでだせたのですが、当時の1万円といえば、かなりの高給をはずんだことになります。なにしろ、女の子の給料が600円、男の営業部員でも月給1000円といった時代でしたから」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(2) 戦後摘発第1号―北川千代三『H大佐夫人』で―」『出版ニュース』1976年12月下旬号/1063号、出版ニュース社、24頁。
- ^ 「その頃、『文芸市場』の編集をしていた花房四郎(当時45、6歳)という人が、新聞広告をみて、『私を使ってくれないか』といってきたのです。私は、『使うということより、編集者として、原稿集めをしてくれないか』ということで、その人を編集員にしたわけです。1号は原稿が揃っていたので、2号の原稿は、その人が集めてきたと思います。ですから、ほとんど『文芸市場社』の時代の作家が全部原稿を書いてくれたはずです」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(1) 創刊に至るまで」『出版ニュース』1976年11月下旬号/1060号、出版ニュース社、8頁。
- ^ 「それはともかく、ここでは『猟奇』が北明の原稿をあえて掲載したことに注目したい。実は『猟奇』という雑誌、戦前のエロ執筆者を積極的に登用していた。(中略)彼らの書くものは、その後、雨後の筍のように湧いた他のカストリ雑誌の下手くそな原稿に比べれば、まだしもまっとうな内容ではあるのだが、その多くは、戦前に執筆していた内容の焼き直し、あるいは延長にすぎない。カストリ雑誌は戦後突然現れたように語られているが、実は戦前の遺産を引き継ぐかたちで始まったのだ。『猟奇』の編集人が戦前のエロへの郷愁を抱いていたためなのか、その時期にエロを書き切れる人材が育っていなかったためなのかはわからないが、『猟奇』は、これまで大っぴらには出版できなかった戦前のエロをそのまま持ってきた部分が多いことは確かだ。これは昭和初期のモダニズムの影響を受けた表紙からも窺える(特に2号)」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、26頁。
- ^ 2号、3号、4号、5号で執筆。戦前の雑誌『獵奇画報』の編集者であり、戦後は明治大学の教授に就任した。専門は民俗学で、特に伝説研究に造詣が深い。また犯罪学や風俗研究にも通暁している。
- ^ 2号、3号、4号、5号で執筆。
- ^ 晴雨は4号に「虐げられた日本婦人」を執筆。
- ^ 創刊号、2号、3号で執筆。久保は「宇和島の凸凹寺法主」の異名を取る人物で『凸』『凹』『空曼陀羅』『生殖崇拝論』などの著作がある。1923(大正12)年に出版した『生殖器崇拝話集成』は無事発禁となった。
- ^ 青山は2号、3号で執筆。
- ^ 「(2号には)梅原北明の“遺稿”が載ってます。当時、あれはニセものだという説も流れていましたが、北明のほんものの“遺稿”なんです。というのは、青山倭文二という人が、小田原の北明の自宅から、直接もらってきた原稿なんです。北明は、小田原の自宅で亡くなったんですが、亡くなった直後に、その原稿を手に入れているのです。原稿用紙も北明自身の原稿用紙でしたし、確かにほんものだったと、いまでも思っています」加藤幸雄「連載・『猟奇』刊行の思い出(2) 戦後摘発第1号―北川千代三『H大佐夫人』で―」『出版ニュース』1976年12月下旬号/1063号、出版ニュース社、24頁。
- ^ 「追記 梅原が去る5月に突然死んだと花房四郎君から通知を受取つたときには些か愕然とした。夢のやうな氣がした。それまでよきにつけ、惡しきにつけいろいろと交際を持ち續けて來た僕だつた。あの男の事であるから、もう慾は云はずにせめて四五年は生かして置きたかつた。何かあッと云ふような大きな仕事をしたに違ひない。然し、今はもう詮ない事である。今、その追悼文を書くのが目的ではない。せめて梅原が生前殘して置いたこの一文を公表しさえすれば足りる。遺稿は確か昭和十年頃になつたものではないかと思はれる。梅原らしい筆致で梅原らしい人柄がよく出てゐるのではないかと、微笑まされるところさへある(I・A生)」梅原北明(遺作)「ぺてん商法」『獵奇』第二號、茜書房、1946年12月、14-15頁。
- ^ 「今もなおこの誌名が出版史に残るのは、カストリ雑誌のスタイルを確立し、万単位の部数を売った実績だけでなく、第二号が刑法第175条の猥褻物頒布等によって初の摘発を受けたからだ。第3号巻頭に、摘発の経緯を説明し、低姿勢に謝罪をした『御挨拶』が掲載されている。これには、問題になったのは、『H大佐夫人』(北川千代三作の内容及挿画(高橋よし於筆)『王朝の好色と滑稽譚』(宮永志津夫作)の一部でした、とある。しかし、この二号はのちに再版が出されており、再版分は『H大佐夫人』『王朝の好色と滑稽譚』にあわせて、林恭一郎『亜拉比亜秘話』、MMT『新感覚派』計4本の原稿分16ページが削除されていることから、それらもまた問題とされ、警察からの指導があったのかもしれない」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、25頁。
- ^ 「本誌第三號も校了になり、印刷にかゝらんとした、一月九日突如區検、内務省保安警視廳保安課三省連絡の上、本誌第二號の記事内容に就き刑法第一七五を適用して初の出版物に對する取締りを受けました。一時は官憲干渉に對し、やるかたなき憤りさへ感じ、出版の自由に對する彈壓でさヘあると思ったのであるが、取調べの進行するにつれて、當局の今回の措置が必ずしも出版の自由に對する彈壓でないと云ふ事に氣付いた次第である。第二號中、問題になったのは『H大佐夫人』(北川千代三作)の内容及挿畫(高橋よし於筆)『王朝の好色と滑稽譚』(宮永志津夫作)の内容の一部でありました。獵奇發行の意圖する處は、殺伐たる世相の中にあって、平和國家建設のために疲れきった人々の娯樂の一助にもなればと云ふ考へと、性の問題を取上げて究明し、今迄のあやまった、性道・習慣に對し出来得れば是正して行きたいと思ふのが目的であったのです、だが、その意図する處に反して、今回の事件を惹起した事は發行責任者として、自責の念にたへられない次第である。しかし、性問題に對する觀念の是正なぞと云ふ事は、一部の教育者や、特定の人達が、提唱するのみでは決して解決するのではない、あらゆる、大象を對照とした機關が、初め少しは感情的に缺陷はあるにもせよ取上げて究明しつゝ最後の高度な性教育にまで到達しなければならないのではないかとも考へられる。本誌第二號はその意味において決して、その目的を達してゐるとは考へない、性問題に對し、充分なる訓練を受けてゐない、年少者達に讀まれた場合、悪影響がないとは云ひ得ない、此點責任者として、どこまでもその責任は負ふつもりである。印刷會社、執筆者、置家、書籍取次店及讀者の方々に對し、多大の御迷惑をお掛け申した事を深謝申上げます。又、官憲諸氏のたヘず理解ある取調に對し紙上を以て感謝申上げます」加藤幸雄「御挨拶」『獵奇』第三號、茜書房、1947年1月、3頁。
- ^ 「実はこの『猟奇』という言葉、昭和初期のエロ・グロ・ナンセンスの時代にさんざん使われた言葉である。かの新潮社も31(昭和6)年に『現代猟奇先端図鑑』を出しているくらいだ。たとえば、これ以外にも、『犯罪公論』『デカメロン』『奥の奥』といったカストリ雑誌の名前も、戦前に存在していた雑誌からのパクリで、このあたりのネーミングの安易さを見ても、カストリ雑誌を手掛けていた連中の志の低さがわかるかもしれない」松沢呉一「カストリ雑誌と『ガロ』の長井さん―大衆向けエロ本の誕生と魑魅魍魎の特価本の流通」別冊宝島240『性メディアの50年―欲望の戦後史ここに御開帳!』宝島社、1995年12月、27頁。
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- ^ 「私が、檸檬社から、アリス出版に移籍する際に、周囲の友人たちが、親切に忠告してくれたのは、『だって、キミ、あそこは自販機専門の雑誌社だよ。ああいうところに堕ちたら、もう二度と、マットウな編集者稼業は出来なくなるよ』というものだった。アリス出版は、当時は、編集者は私以外には、檸檬社で同僚だった社長のみ、他には事務の女のコが一人いるだけだった。現在は自動販売機に関連している雑誌社の数も多いが、その頃はアリスと同じ販売ルートではLC企画〔ママ〕があるのみだったし、他にも、千日堂出版、アップル社があるのみだった。出版文化の中でも、エロはその最底辺と言われてきたが、その中でも、自販機専門出版社はカーストの最底辺を形成していた」亀和田武「総括」『劇画アリス』通巻22号(アリス出版/迷宮'79)
- ^ 「吾妻ひでおはいきなりこの連作で『ロリコンまんが』の到達点ともいえる水準を示しているのであり、それ以降の今日に至るまでの20年間に描かれたこの種のまんがは吾妻ひでおの縮小再生産でしかありません」大塚英志+ササキバラ・ゴウ『教養としての〈まんが・アニメ〉』講談社〈講談社現代新書〉2001年、93頁。ISBN 978-4061495531
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- ^ 「赤田氏は、青山正明氏の文章の上手さは好きだったが鬼畜・悪趣味系サブカルには興味がなかった、高学歴の人の痴的遊戯だと思っていたという内容をインタビュー内で語っていますが、そういう記事として高度な技術が使われているより、生々しいものが読みたかったということなのでしょう。記事の趣旨が違うとはいえ、小山田圭吾氏の件について触れているのが、SNSを見なくなった理由としてあげている箇所ぐらいなのに驚いた人も多かったと思います。なんというか、赤田氏は人間の起こすことには興味があっても、人間自体には興味がなく、自分の読みたいものをつくる以外には何も考えていない、その結果として何が起こっても、それは理解できない相手の問題としてしか捉えていないのかもしれません。(中略)社会にも人間自体にも興味がなく、人間が産み出した何か名付けようのないものを見てみたいという自分の欲望に忠実な個人主義者なんだと思います。社会性に基づいた反応を要求する声とは平行線をたどるのではないでしょうか」ロマン優光のさよなら、くまさん 連載第197回 松永天馬「私はサブカルが嫌いだ」を読んでみた - ブッチNEWS 2021年10月15日
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- ^ アリス出版から派生したアダルトビデオメーカー「九鬼」(KUKI)が立ち上げた別会社。1977年4月設立。
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- ^ 座談会・根本敬+湯浅学(幻の名盤解放同盟)× 原野国夫(元『EVE』編集部)「自販機本は廃盤歌手みたいなもんだよね」青林堂『月刊漫画ガロ』1993年9月号「特集/三流エロ雑誌の黄金時代」
- ^ 山田宏之「写真週刊誌に見る死体」コアマガジン『BURST』2003年9月号, pp.32-33
- ^ 「カメラの放列の前で展開されたまさかの凶行。その一部始終がテレビ放映された十八日夜、読売新聞社に『法治国家でこんなことが許されていいのか』『だれも犯行を止められなかったのか』──など様々な意見が寄せられた。『食事がノドを通らなくなってしまった』と電話口で声を震わせたのは東京都港区の主婦、今井しのぶさん(四五)。高校二年生と中学一年生の娘さん二人とともに夕食をとっているところへ、血まみれの事件現場が飛び込んできた。『人が殺される場面がそのまま画面に流れるなんて、あまりにもひどい』。ともども夕食を中断したという」“"凶行中継" 茶の間に衝撃「止められなかったのか」“目前のテロ”に電話殺到”. 読売新聞・東京朝刊: p. 22. (1985年6月19日)
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- ^ a b c d 文筆家・イラストレーター。日本初の鬼畜系ロリコン同人誌『幼女嗜好』(変質者)主宰。主に幼女姦を主題にした猟奇的な官能小説やイラスト、および変質者ルックで知られた(トレンチコートにマスク、ハンチング帽にサングラス、プティアンジェ人形を逆さまにぶらさげていた)。1984年9月にモンド系ロリコン漫画雑誌『プチ・パンドラ』(一水社)の編集長に就任するが、作家との軋轢から1987年に引退・絶筆する。後に出家。その経緯に関しては『出家日記―ある「おたく」の生涯』(角川書店・2005年)に詳しい。
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- ^ 同号では『Jam』の高杉弾/『写真時代』の末井昭/『EVE』の原野国夫/『漫画大快楽』の小谷哲/『漫画ピラニア』の菅野邦明/『劇画アリス』&「迷宮」の米沢嘉博/『漫画エロジェニカ』の高取英/『S&Mスナイパー』の緒方大啓などの編集者が参加・寄稿している。
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- ^ 「男たちが群がる『監禁ワールド』をのぞいてみた! 連続する監禁事件」『週刊朝日』2005年6月3日号、pp.126-129
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- ^ 1980年代のエロ劇画界においてロリコン趣味や猟奇殺人などのタブーを、私小説の様に文学的な独白調かつ端正な劇画タッチで描き、残虐かつ救いの無いストーリーを圧倒的画力と迫力をもって描き出した昭和のエロ劇画界を代表する伝説的な鬼畜系漫画家。東京・埼玉連続幼女誘拐殺人事件に先駆けて少女趣味、ストーカー、のぞき、リストカット、SM、監禁、窒息レイプ、ひきこもり、バラバラ殺人など現代で起こりうる異常犯罪を予言していたかのような作品を発表していたが、前述の宮崎勤事件を契機に1989年頃から寡作になり、その後10年以上休筆していたが、大西祥平による再評価や復刻本刊行等によって2000年に再デビューを果たす。以降「伝説の猟奇エロ漫画家」「エロ漫画界の極北」「漫画界の暗黒大陸」として国内外で再評価が進んでいる。
- ^ 自称・特殊漫画家。東洋大学文学部中国哲学科中退。『ガロ』1981年9月号掲載の「青春むせび泣き」で漫画家デビュー。しばしば便所の落書きと形容される猥雑な絵柄と因果で不条理なストーリーで知られ、日本のオルタナティブ・コミックの作家の中でも最も過激な作風の漫画家である。『平凡パンチ』から『月刊現代』、進研ゼミの学習誌からエロ本まで活動の場は多岐に渡り、イラストレーションから文筆、映像、講演、装幀まで依頼された仕事は原則断らない。主著に『生きる』『因果鉄道の旅』『人生解毒波止場』『怪人無礼講ララバイ』『豚小屋発犬小屋行き』他多数。
- ^ 貧困や差別、電波、畸形、障害者などを題材にした作風を得意とする特殊漫画家。山野の前妻で漫画家のねこぢるが自身の私生活を題材にしたエッセイ『ぢるぢる日記』には「鬼畜系マンガ家」である「旦那」が登場している(ねこぢる『ぢるぢる日記』(二見書房 1998年)75頁)。立教大学文学部卒。四年次在学中、青林堂に持ち込みを経て『ガロ』1983年12月号掲載の「ハピネスインビニール」で漫画家デビュー。以後、各種エロ本などに特殊漫画を執筆。不幸の無間地獄を滑稽なタッチで入念に描いた作風が特徴的である。ちなみに青山正明は山野一の大ファンであり、青山が編集長を務めた『危ない1号』第2巻には山野の ロングインタビュー(聞き手・構成/吉永嘉明)が掲載されている。主な作品に『夢の島で逢いましょう』『四丁目の夕日』『貧困魔境伝ヒヤパカ』『混沌大陸パンゲア』『どぶさらい劇場』(いずれも青林堂)『そせじ』(Kindle)がある。
- ^ 「あれは80年代半ば。当時、僕は書籍コードも持ってない零細なダメ出版社で、むちゃくちゃマイナーな変態雑誌の編集に携わり、僕個人の好みにピッタリくる作家さん探しに奔走していた。そんなとき手にし、目眩を覚えるほどの衝撃を与えてくれたのが、山野一の処女作『夢の島で逢いましょう』だ。内容はもちろん、醜悪なシチュエーションと繊細なタッチの絵柄との絶妙な相性も、実に僕好みだった。続いて長編2作目、赤貧の少年工員がひたすら人生の坂道をノンストップでゴロゴロ堕ちていく悲惨な物語『四丁目の夕日』を目にし、僕は山野一なる漫画家の才能に完全に惚れてしまった。僕の頭の中では、山野一氏と根本敬氏は、ゲス漫画家の双璧である。この世の、永遠になくなることなき悲劇に照準を合わせ、日本の現実を踏まえたうえで徹底的にえぐっていく。短編も好きだが、願わくば、もっとむごい大部の長編作を描いてもらいたいものである(青山正明)」コアマガジン『BUBKA』1998年1月号「マンガ狂い咲き 山野一 〜アセチレンからドブの上澄みまで特殊全般〜因業製造工場へようこそ!」
- ^ 「イヤハヤ言語道断なマンガ家が出現したものだ。その作品たるや気の弱い婦女子ならば一読三嘆、三日三晩はウナされること確実の、衛生博覧会と因果物の見世物とトッド・ブラウニングの『フリークス』とジョン・カーペンターの『遊星からの物体X』の濃縮混合エキスの如き代物である。このキモチワルサは、只単にフリークスやワケのわからない蛆虫、ミミズ、廻虫の類がワンサと画面にあふれているからだけではない。キモチワルイ絵なら絵心さえあればサルだって描ける。山野のキモチワルサは、そのキモチワルサが常に人間の肉体から発していると云う極めて生理的なキモチワルサなのだ。彼の本領、即ち生理的肉体に対するこだわり。つまり人間の肉体そのものの内在する気色悪さ、訳の判らなさ。つまり、外見はさほどではなくとも皮一枚下に、ドロドログニャグニャのハラワタ、ミミズの如き血管、神経、さらにはサナダ虫、廻虫、ぎょう虫、包虫等々と云った考えるだにオゾケ立つキモチワルイモノを秘匿している肉体を持って生きるコトのキモチワルサ。とにかくとんでもない想像力の持ち主の登場に拍手を贈ろうではないか」福本義裕「本に唾をかけろ!(連載第32回)」白夜書房『Billyボーイ』1985年5月号、74頁。
- ^ 丸尾末広と並ぶ「耽美系」「猟奇系」の作家であり、ベースとなるテーマが人間の「業」である作品が多い。著作に『赤ヒ夜』『月ノ光』『刑務所の中』『花輪和一初期作品集』(ともに青林工藝舎)などがある。
- ^ 高畠華宵の影響を受けたレトロなタッチに幻想・怪奇・猟奇・グロテスクな描写を交えた過激な作風を特徴としている。代表作に『少女椿』(青林工藝舎)ほか多数。
- ^ 鬼畜系・電波系ライターの夫・村崎百郎が原作を担当し、妻の森園が作画を担当した漫画作品が多数ある。
- ^ 「ポップでファッショナブルなグロテスクエロ劇画とでも言ったらいいのだろうか。まつ毛ザワザワの宝塚調美人が首を飛ばしたり切腹したりという異常感覚が何といっても楽しい。『風俗奇譚』も『奇譚クラブ』も『えろちか』さえも持たない現在のエロティシズム状況において、清水おさむの持つ徹底した変態志向は唯一の突破口となりうる可能性を秘めているとさえ言ってしまおう」『別冊新評 三流劇画の世界』新評社、1979年4月、88-89頁「ダーティ・コミックス15人―清水おさむ エログロナンセンスの騎手」
- ^ 「おいら(川本耕次:引用者注)は1970年代から編集者をやっていたので、鬼畜系がブームになる前から、ホンモノの鬼畜系人物を見ている。『変態だって人間だ、変態だって生きてるんだよー』と絶叫する腹切り首飛ばし漫画描いて、その後、性転換する漫画家とか(笑)そういうホンモノ中のホンモノと比較したら、90年代の鬼畜系なんてお遊びなんだが」鬼畜系とは何か? - ネットゲリラ(2021年7月20日配信)
- ^ 繊細な筆致と圧倒的画力で「畸形」「人形愛」「世紀末退廃」などのグロテスクなモチーフを描き出した美少女系SF漫画家。美少女コミック誌『COMICロリポップ』(笠倉出版社)で1986年2月号(創刊号)から1989年4月号まで全32回にわたり連載されていた代表作『美しい人間』は、一部で「エロマンガ史に残る怪作」と評され、四半世紀にわたり単行本化が切望されているが、現在まで実現していない。
- ^ モダンホラー系のロリコン劇画家。美少女とクリーチャーを主題とした、グロテスクでサイケデリックな描写を得意とする。久保書店から2冊の単行本『ピンキーパニック』『子供じゃないもん!』を昭和末期に上梓したこと以外、一切の活動実績が不明という謎多き作家である。
- ^ 謎の変態カルト漫画家「戸崎まこと」とは誰か? - Togetter 2021年6月28日
- ^ 1980年代初頭に『劇画ジッパー』(考友社出版)や自販機本に鬼畜系ロリコン漫画を掲載していた漫画家。絵柄は牧歌的だが、内容的にはリアリズムであった。
- ^ 「やはり、和田エリカはヤバい。『アリスのお茶会』は、ロリコン・クライムストーリーとしてはかなり初期の長編作品である。当時『ロリコン』という言葉は、かなり広義で、今の萌え絵ぐらいの幅の広さを持っていたので、何もかもがロリコンマンガと呼ばれていた時代には珍しく、今のロリコンマンガに近い位置にあると言えよう。なにより、そんな作品を宮崎事件が起きた八九年から九二年とオーバーラップして発表している。要するに、和田エリカは真性のペドフィリアであり、その妄想、認知のゆがみをそのままマンガにしたのが『アリスのお茶会』なのだ」(稀見理都)夜話.zip編『エロマンガベスト100』2021年1月、40-41頁。
- ^ “『この世界には有機人形がいる』発売記念 蜈蚣Melibe氏インタビュー!長き沈黙から有機人形の叙事詩がついに復活”. おたぽる編集部. おたぽる (2014年12月2日). 2021年8月29日閲覧。
- ^ 商業誌に載せられる限界の変態漫画家・サガノヘルマーとは何者か? - ニコニコ生放送『山田玲司のヤングサンデー』第54回「誰がいちばんエロいんだ選手権!?漫画家・大井昌和と語るクリエイターとリビドーの物語」(2016年10月29日放送)
- ^ 「ふたなり」という概念が定着する前の1980年代後半から「両性具用」「人体改造」「内臓フェチ」「露出プレイ」「産卵プレイ」「触手陵辱」「強制受胎」「スカトロ」「レズプレイ」などハードかつフェティッシュなSM要素・変態描写・鬼畜系特殊プレイを開拓した漫画家。2019年に逝去。代表作の『奴隷戦士マヤ』について稀見理都は「SF設定を活かした新しいエロの多様性を読者に教えてくれた」「80年代に今のキルタイムコミュニケーションがやっていることをほぼ全部盛りにした」と評した(夜話.zip編『エロマンガベスト100』45頁)。
- ^ 猟奇漫画家を自称しており、性表現のみならず四肢切断やカニバリズムなど猟奇的な題材を主眼とした暴力性・加虐性にあふれたスプラッターな作風で知られる。女子高生コンクリート詰め殺人事件など実際に起きた事件をモチーフにした『真・現代猟奇伝』は物議を醸した。
- ^ 「どれを取ってもヒロインたちはボロボロに調教され肉奴隷化されちゃうんだけど、俺的には巻末の『楓の剣』にゾクッ。天才少女剣士が、自慢の剣でヤクザに負けて緊縛の上、処女レイプ、輪姦、記念撮影、竹刀を前後の穴にねじ込まれ、失禁し、逆に小便ひっかけられ、野外犬這い露出刑の後、自分の通う学校の門前浣腸脱糞させられ最後は完璧に壊されちゃう。人格ブッ壊し系調教の極致。ここまで吹っ切れてると、痛々しいとか、鬼畜だとか超越して痛快」堀川悟郎『愛玩凌辱書』(99年・茜新社)書評「救いもフォローも癒しもなく堕ちて行くのみ」(コアマガジン『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年5月号「調教コミック特集」279頁)
- ^ 「昔、鬼畜ブームという妙な潮流に巻き込まれ、編集部主導で妙な抜けないエロ漫画を描いたりしましたが、ブームが去り梯子を外されると描く場所がなくなったり、一般誌でも連載決定した漫画の約束を反故にされたりと、2回位干されているので、流行というものには懐疑的です。予定は未定なのです」玉置勉強のツイート 2020年7月4日
- ^ 「富士見出版からリリースされた同タイトルの単行本の復刻版。今回もまたケノヤンお得意のガシガシの虐待モノです! 主人公の磨衣ちゃんがもうこれでもかという程薄幸の美少女で、実の弟に犯られちゃった事が転落の始まり。ちなみにここ、鬼のコスプレさせたり、豆を調教道具に利用したりと、節分というイベントにのっかった凌辱っぷりがステキです。それからというもの、弟と交合ってるトコロを見られた同級生にも犯されちゃったり、助けを求めた先生が実はマゾ奴隷で、女王様に貢ぎ物として献上されちゃったりというジェットコースターストーリー。ダークながらも一筋の光がさすラストも流石」毛野楊太郎『磨衣スレイヴ』(00年・蒼竜社/プラザコミックス)書評「ケノヤンお得意の美少女凌辱ストーリー」(D)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年5月号、コアマガジン、292頁。
- ^ エログロ、ナンセンス、シュール、不条理、ブラックユーモアなどを得意とする奇想漫画家で、海外での評価も高い。
- ^ 米沢嘉博「ニッポン変態マンガ考」『危ない1号』第2巻、86頁、データハウス。
- ^ 日本初のロリコン漫画同人誌『シベール』出身の漫画家・同人作家。エロマンガ界における「ぷにロリ」の元祖的存在。鬼畜系の代表作に手塚治虫調の可愛らしい絵柄で三流劇画的なセックスバイオレンスを表現した『遊裸戯』シリーズ(SYSTEM GZZY/茜新社刊)がある。
- ^ 「コミックフラミンゴで掲載された作品を集めた短編集。掲載誌が掲載誌だけにトリッキーな作品が多いが、なかでも全4話収録の『ひる』は、読みごたえがあり完成度も高い。結婚を控えているがどうも乗り気でなさそうなOLが、元同僚のストーカー男に拉致され犯し抜かれるうちに、自分の中の衝動の輪郭をつかんでいく。このほかの短編は、不条理あり、無言漫画ありでそれぞれに趣がある。人間のうちなる暗いものに鋭く分け入るデビュー当時からの持ち味に、肉感的なエロスや軽やかなギャグタッチなども加え、天竺浪人の作風はまた一つ高みに昇り、幅を広げた。すでに風格さえ感じてしまう」(しばた)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年7月号、コアマガジン、295頁。
- ^ 「『便器』完結編。食糞という強迫観念に急き立てられるように、実はバンドの便所になっている優等生少女・藤沢との性に耽る少年・本山。やがて、彼も彼女の後を追うようにバンドの連中とのバイセクシュアルなオージーに呑み込まれていく…。スカトロ物という一本道から物語は外れ、エンコー少女・下田の闘争へと焦点がズレて行く。その意味では破綻しているのかもしれないが、思春期というブラックボックスの中で、欲望とオブセッションに囚われ、重力崩壊を起こして行く本山と、あがきながらも前に進んで行く下田、そして女の怪物性を象徴するかのような藤沢、この三者の対比が鮮烈にして痛い」天竺浪人『LOST,2.』(00年・三和出版/サンワコミックス)書評「便器になるボク、生きて行く君」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2001年1月号、コアマガジン、296頁。
- ^ 「ブチ切れると相手が男ならブチ殺し寸前まで攻撃し、女ならば体が壊れるくらいブチ犯すという壊れまくったヤベェ少年。不良共に母親を凌辱された上、近親相姦を強制され、母の死の責任を父に追及され半殺しにされた幼時体験が総ての始まり。妹に手を出した父親も殺害しているこの狂気の少年に年上の女が惚れる。ところが壊れ加減ではこの女もまたバケモノで、愛する少女を少年に凌辱された女は、少年の妹を拉致って性拷問にかけ、少年をおびき寄せ、兄妹ともに惨殺しようとする。制限なしの愛と狂気に駆動されるバイオレンス・エロスに口の中がカッラカラになった。あまりにも痛々しい快作だ」奴隷ジャッキー『凌辱回廊』(00年・エンジェル出版)書評「男も女もキレまくるがジャッキーサイコな愛と憎しみと」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年11月号、コアマガジン、298頁。
- ^ 1963年に劇画家としてデビュー。『SMセレクト』で椋陽児らと共に「責め絵」の挿絵を担当した。
- ^ 「ガッツリと再評価されつつある緊縛絵師作家のひとり、椋陽児先生の、今年前半にリリースされた大豪華画集本。古本マニアの間でも高価売買で取引されているという事実が証明する通り、その筆さばきはもう文句無し! 緊縛絵師仲間の笠間しろう、前田寿按らとの違いをあげるならば、椋先生の場合はもう、とにかく縛られてる娘達がほとんど女子高生!って点にあります。…こう言っちゃあ身も蓋もありませんが、先生自身がもうゴリッゴリッのSMマニアですからねぇ〜。最近のSM誌が忘れてしまった、しかし一番大事な『なんだかイケナイ事をヤってる感』もにじみ出ちゃうってなモンです」椋陽児『縄〜Jyo〜』(00年・まんだらけ出版)書評「マニアにしか描けないSM緊縛の深遠世界」(DAT)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年2月号、コアマガジン、300頁。
- ^ 1970年代から80年代にかけて『風俗奇譚』ほか複数のSM雑誌に緊縛や折檻をテーマにしたイラストを発表していた女性絵師。
- ^ 1980年代から1990年代にかけて活動したスプラッタ/SM描写中心の美少女モンド系漫画家。
- ^ “しずかちゃんが黒ベエに犯され喰われる──真のパロディ作家:エル・ボンテージの底知れぬヒロイン愛”. 昼間たかし. おたぽる (2016年1月6日). 2017年6月29日閲覧。
- ^ 米沢嘉博「ニッポン変態マンガ考」『危ない1号』第2巻、87頁、データハウス。
- ^ 「妻であり母でありカルトAV女優である卯月妙子の赤裸々すぎるほどに赤裸々なエッセイコミック。卯月妙子は、コンセプトに基づいて女優を何人も寄せ集めて一本にまとめる『企画モノ』系のビデオに出演しているAV女優である。業界に入ったそもそもが、ウンコをかぶっている男優の写真に天の啓示を受けたというところからしてものすごいが、その後もスカトロ、ゲロ、しまいにはミミズを身体中に這い回らせたりと、なんでもあり中のなんでもあり。事実は小説よりも奇なりとはかくも圧倒的なのかと絶句する。事実を受け止め、ビリビリしびれよ!」卯月妙子『実録企画モノ』(00年・太田出版)書評「ウンゲロミミズな伝説的AV女優の日常」(我執院譲治)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年6月号、コアマガジン、287頁。
- ^ 米沢嘉博「ニッポン変態マンガ考」『危ない1号』第2巻、82頁、データハウス。
- ^ a b 「レギュラー陣も元気で、近石まさしはエロ開発セミナーにハマッたバカOLがまんまと男どもに犯りまくられるなんて痛快な話を見せてくれるし、桃山ジロウはショートカットのお嬢様が変態コレクターに捕らわれて瓶詰め女にされちゃうという江戸川乱歩ビックリのアイディア監禁モノでシメてくれる。無論、完璧なアンソロジーなんてものはあり得ないが、確実にアタリの作品が入っているのがこのシリーズの強いところだ」深田拓士・他『SM COMIC 鎖縛(7)』(00年・松文館)書評「鬼畜な時代の鬼畜なアンソロジー」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年8月号、コアマガジン、297頁。
- ^ 「アンソロ本で前から気になってた作者の初単行本。まだ絵は荒削りだが、光るモンがある! 巻頭『クラゲの海』は東京から海辺の町にバカンスに来てた女の子たちがジモピーに輪姦されちゃうというだけの話なれど、犯されて呆然と横たわる女の穴がぽっかりと口を開け、そこにハエがたかるという表現には参りました。この他にも、オシッコで黄色く染まった自分のパンティに欲情するフェチ女やら、クレイジーな連続強姦殺人狂やら、ガビガビザーメンブルマに燃える男女やら、糞まみれのコスプレイヤーやら、ユーモア入りからガチンコ鬼畜まで、変態逸脱オンパレード! この先が楽しみだ」正鬼真司『連姦地獄』(00年・松文館/別冊エースファイブコミックス)書評「鬼畜&変態でGO!GO!GO!」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2001年1月号、コアマガジン、302頁。
- ^ 「『うわー、ヒデえよ』って思わず声が出たのは輪姦モノの『体育会系』。主人公の彼女が汗臭え体育会の連中に輪姦されるのだが、二人で放置された後、彼氏は失神した彼女を見ながらオナニーしてしまう。『生きているということは罪を背負うこと』とでも言いたくなるじゃないですか読んでるこっちは。そのへんのニヒリスティックな演出は他の作にも通底。『MINE』では、破局を向かえた彼女と他の男とのセックスを盗み聞きしながらも己の男根は朝起、やはり捨てられた隣の家の奥さんとヤっちゃうというクロスカウンタ一的シチュエーションが描かれる。やはり底意地悪し。こっちのチンポも勃つんでさらに始末が悪いといいますか」葦原将軍『悦虐絵図』(00年・一水社/いずみコミックス)書評「淫虐の影に潜むは作者の悪意か」(伊藤剛)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年6月号、コアマガジン、285頁。
- ^ 「今回もガッツンガッツンきめてくれるぜ伊駒一平! タイトル作に当たる『こえだめ労働ちんぽ』は子供を学校に通わせないでコキ使ってる極悪ロウアーファミリーを家庭訪問に来た担任女教師が便壺に落とされ、糞まみれ蛆まみれで犯されるというウルトラ猟奇っしゅっ! ご丁寧にチンポに蛆をまぶして突っ込むちゅーんだから鬼畜もここに極まれり!『コーマンの中でウジがプチプチとつぶれるのがわかるじゃろ!!』ぎょええ! 他には零くんのメイド姿が拝める『平成便所校長』、救いのないレイプ『花咲く家出少女』、フェラ直前顔が激エロな『なまこちんこシリーズ』など隅から隅まで楽しめました」伊駒一平『あだち区昭和便所暴行』(00年・平和出版)書評「ウジまみれで凌辱される美人教師」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年6月号、コアマガジン、286頁。
- ^ 女性器に長い針を突き刺すニードリングプレイや挿入時の不思議な擬音「メコリメコリ」など、アブノーマルな性描写で知られた漫画家。
- ^ 女子小学生、人妻、女教師の調教もので知られた漫画家。
- ^ 理不尽なレイプ作品が多いが、ポップで明るいエロコメ風の絵柄・ストーリーのため、悲壮感は少ない。DATゾイドは作品集『盗撮』(99年・桜桃書房)について「強姦モノばかりのストーリーがつまった作品集。とはいえ、全体的にコメデタッチなので暗い話はパスって人でも大丈夫。『ほんとうにあったエロい話』といったカンジで、実録物フォーマットのパロディーという手法で描かれています(後略)」と評した(コアマガジン『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年1月号、299頁)。
- ^ 「狂った鬼畜野郎の父親が姉を牝奴隷に調教し、その姉が父の命令で主人公の稜少年を調教し、優しかった少年が冷血な鬼畜野郎へと変貌し、ついにはクラスメイトの少女を凌辱&調教するまでにという因果が巡る調教長編。強烈なポルノであると同時に人間心理の深みを描く」山田タヒチ『稜』(99年・ヒット出版社)書評(コアマガジン『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年5月号「調教コミック特集」276頁)
- ^ 「暴力ハンマービートレイプが延々と繰り返されるガヴァエロ漫。他の鬼畜系作品との相違点はレイプ行為自体をハードコアに描いてるのではないところ。レイプ行為は大人しめ(飽くまで相対的にだけど)なのですが、その表現の仕方がハンパじゃありません! アレンジによってハードコアミックスに仕上げたっ てとこでしょうか(後略)」鰤てり『公衆面前凌辱』(00年・松文館/別冊エースファイブコミックス)書評「ハードコアアレンジを施された鬼畜レイプ!」(D)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年4月号、コアマガジン、300頁。
- ^ 「一冊丸ごとアンファン・テリブル(恐るべきガキ)な長編。一見天使のようなガキどもが、ヒロインの女子校生・早紀に一服盛って、大股開きに縛り上げ、ガキならではの残酷さで観察するわ、バイブ突っ込むわの乱暴狼藉を敢行する。フツーなら『でも、お姉さんの方がしたたかでした〜、ちゃんちゃん♪』と安心できるオチになるはずだが、後藤晶は容敵しません。ガキどもの調教は回を追うごとにエスカレーションし、早紀自体がマゾに開眼してしまうという心理ホラーへと盛り上がる。このヒリヒリするような徹底性にこそ、ガキどもの堕ちた闇の深さもまた見える。描き下ろし番外編収録。OVA化作品」後藤晶『こどもの時間』(00年・コアマガジン)書評「とんでもねぇガキどもの酒池肉林」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年2月号、コアマガジン、289頁。
- ^ a b 「今一番ヤバい調教系(というか暴撃系とか殺傷系とかの方が似合うが)アンソロジー・自虐少女の最新刊降臨。毎回素晴らしすぎるぽいんとたかし先生は、今回もあいかわらずどうみても○学生な少女が、南の島で黒人白人達に犯されまくりなストーリー。少女の顔を挟んで左右に黒チンポ&白チンポをコントラストに配置するという丁寧な仕事に好感持ちまくり。毎回ヤバすぎる結晶水先生も、あいかわらず手足を切断されたダルマ少女の物語。ソリッドな作画も手伝って、もはやスカム文芸の粋に達してます!(後略)」ぽいんとたかし・他『涙爆鬼・自虐少女11』(東京三世社・00年)書評「数奇な運命生きる少女達を振りまくれ!!」(DAT)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年7月号、コアマガジン、300頁。
- ^ 「秘かに調教ハウスまで建築した二人組のロリ野郎が女の子を拉致監禁調教するシリーズ。映画『コレクター』のブローアップ版と云うべきか? 拉致って来た少女のパンツを脱がし『もう二度とまともに使えなくしちゃうからね』とクンニして『かわいいオマンコがもっとかわいくなるお薬だよ…』と嫌な注射を局部にショットするぜ。出てくる女の子はチンポつければ美少年になりそうなペチャパイ・オンリー。そこらのガキンチョからアイドルまで、と異物挿入(テディベアとか入れるなよお)で生きたオモチャに改造です。行為もひでぇが、鬼畜コンビのクールな狂気がこれまた強烈。ニヒルやなあ」万利休『標本少女』(00年・東京三世社/DOコミックス)書評「君はずーっとここにいるんだよ、ってオイッ」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年9月号、コアマガジン、302頁。
- ^ 「ボディと乳房の重量比から云えばぽいんとたかしの描く巨乳少女は超トップクラスだろう。なんせ少女に巨乳がくっついているという造形を超えて、『巨乳に少女がくっついている』ように見えるほどなのだ。巨乳が主役であって身体は『少女』を示す記号にすぎないのかもしれない。それにしてもここまで男たちのドス黒い欲望を叩き付けられた巨乳もないだろう。バイオレンスを底なしに受け止め続ける乳房はもはやある意味神々しささえ漂わせている」ぽいんとたかし『真夜中の爆乳パーティ』(99年・東京三世社)書評「巨乳を緊縛打擲蹂躙しつくすドス黒い欲望」『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年1月号、コアマガジン、280頁。
- ^ 強引にSM展開持ち込む御都合主義的なストーリー展開と癖の強い絵柄で知られた。2020年1月逝去。
- ^ 「不冬理スレスレの唐突な展開で災厄に巻き込まれ凌辱されるスピードは相変わらず。安心して生きていけない世界ですね。『熟れた体』『でけえパイオツ』『ここは正直だぜ』ってな下品な紋切型表現がたまらぬ。絶対に実生活で口にしないステキなセリフ。そもそも人をモノのように扱う非道さがキモの漫画なのだから、紋切型は当然でしょう。ガーっと犯されてなんのアフターケアもなく突然話が終わるのも同様。それが素晴しいファンタジーのだと知れ」深紫'72『麗奴の雫』(99年・メディアックス/MDコミックス)書評「とにかくヒドい凌辱が見たければ買い」(伊藤剛)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年1月号、コアマガジン、298頁。
- ^ 「次々とキャラによって話がリレーされて行くロンド形式の連作。第一話は、生徒と教師は互いに秘密を握るのが公平という奇妙なバランス感覚を持つ男性教師によって女教師が生徒に犯され、第二話では犠牲者だった女教師がむしろ積極的に一途な男子生徒をたらし込み、第三話では同じホテルでエンコー詐欺を働いていた生徒の妹がオヤジに逆襲レイプされ…という風に『負の連鎖』が連なって行く。突き放すような描きっぷりがかえって気持ちいいし、これはこれで貫徹しているのだが、このリンケージにダーク系だけではなくイイ話系をもう少しハメ込んであればさらにメリハリも奥行きもついたはず」See.O『淫者たちの迷宮』(00年・フランス書院/Xコミックス)書評「犯し犯され騙し騙され、めぐる因果の輪舞曲」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2001年3月号、コアマガジン、292頁。
- ^ 「舞台はある田舎町。都会から移り住んだ主人公が屋敷に秘密の地下室を発見したところからストーリーははじまる。彼はさっそく女子高生3人を地下室に監禁、ボンデージ衣装をつけさせ、強制排泄その他の手練手管で責めたて続ける。少女のうちの眼鏡っ娘が男側についているなど、少女同士の関係描写もニクイ。暴力的に支配されることで少女たちの自我は崩壊、淫乱な肉奴隷と化す。最後には閉じ込める檻すら必要なく、自ら性の道具となることを望むようになる……。この残酷なファンタジーを単行本一冊分を使い、ねっちりと描き込んだ作品。今回もSHIZUKAならではの仕事といえるでしょう」SHIZUKA『猟色凌辱〜泡沫の艦〜』(01年・松文館/別冊エースファイブコミックス)書評「監禁と凌辱、そして調教、洗脳」(伊藤剛)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2001年3月号、コアマガジン、292頁。
- ^ 「MINEのキモはドロドロの容赦なき集団凌辱図だ。ブルマの少女が、制服の女の子が、人妻が、男どもによってたかってゲショゲショに犯されて、脳回線ブチ切れの脳内麻薬漬け状態になる様をマニエリスティックに描き込む。このモブシーンばりの輪姦図のデンパは相当に強く、プロテクトの弱いキミなら本を開いただけで脳の基本ソフトをハックされてしまう。しかし、ガッツンガッツンくるのは絵ヅラだけではない。犯られてる女の意識の流れと記憶が呪文的な長文モノローグとして文字化され、絵のデンパカをアクセラレートする。それにしてもなんと過剰な液汁と怨念。とんでもねぇ本が出ちまったな」MINE『白濁』(00年・ティーアイネット)書評「ブルマと体操服が液汁でドロドロに」(永山薫)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年6月号、コアマガジン、302頁。
- ^ 「この人は凄い。絵の上手い下手を漫画の良し悪しの判断の第一に持ってくるヤツはヘソ噛んで死ね、と言われた気がした。スーパーの従業員の男が店長を殴り殺し、他の従業員を衆人監視のもと犯りまくるシーンではじまる連作『非道』がまず凄い。第一話のヒキの台詞は『何だよこれだけ騒いでまだ警察来ねーのかよっ』。ご都合主義というなかれ。何をしても逃れられない悪夢的展開なのだ。あとはもうジェットコースターだ。そして『死んじゃ駄目DEATH』の、何の説明もなく登場する超人に犯されたヒロインが自殺を思いとどまるという、因果ブッチ切りの展開には頭から鳩の出る思い」カマキリ『外道強姦魔』(00年・松文館/別冊エースファイブコミックス)書評「鬼畜、おっとファッキン・ナイトメア」(伊藤剛)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年3月号、コアマガジン、288頁。
- ^ 元漫画家兼元塾講師。ロリコンの不純さ・醜悪さを直視した児童虐待ものが多く、幼女にトラウマを植え付けるようなリアリズム作品が中心である。またロリコン漫画の理論武装担当を自認し、ことある毎に作者の自画像(ゴリラ)が登場しては精神分析的なウンチクを披露している。単行本に『小さな玩具―子供たちは狙われている―』『アニマル・ファーム―新世紀鳥獣戯画』など。漫画評論家の伊藤剛は書評で「鎌やんは、『自分が幼女を愛好していること』について繰り返し言及する。現実の幼女ヘの性行為には、暴力が伴い、幼女の人格は深く傷つく。そのことを十分に知っているからこそ、鎌やんは内省し、苦悩し続ける。この誠実さには、僕は素直に声援を送りたい。この先には『自分の性的な嗜好を漫画という形で表現すること』への内省と言及が待っているのだから。鎌やん自身の『(異常性愛という)極めて個人的な問題は、正しく突き詰めればいずれ普遍に辿り着くものと考えられる』という言葉は、あまりにも正しくシビアな認識だ」として「これが『自覚的な』エッチ漫画にとって、唯一の出口だと思う」と評した(コアマガジン『コミック・ジャンキーズ』Vol.3、1998年1月、35頁)。
- ^ 少女を主人公とした、厭世観・無常観・失望感の漂う、空虚でリアリズムな作風の成人向け漫画が多い。
- ^ 広告媒体では「陵辱の帝王」と冠されるほど、作品の内容は女性への陵辱のみに徹しており、年齢層を問わずあらゆる女性が社会復帰不可能なほど精神的肉体的に破壊・陵辱される話が多い。
- ^ 孤児の少女が引き取られた親戚の伯父に性的虐待を受ける『コロちゃん』という鬼畜系漫画がネット上で話題となり、作中に登場する台詞「家族が増えるよ!!」「やったねたえちゃん!」はインターネットスラングとして定着するなど作品の代名詞となった。
- ^ わらしなママ特集! - DLチャンネル 2020年5月12日
- ^ 異物挿入などハードなSMプレイの描写が多いが、非現実的な領域まで達してしまっている物がほとんどであり、ファンタジーもしくはギャグとも称される。
- ^ 人間を食肉として正確に調理する描写を得意とする漫画家。作品集に『カニバリズム!』(ジーウォーク)がある。
- ^ 単行本発売記念インタビュー!! 第3回「乳欲児姦と目高健一先生」 - ウェイバックマシン(2006年10月4日アーカイブ分)
- ^ 『Comicアンスリウム』で鬼畜系と純愛系の作品を数作発表後、成人漫画界から引退した。後に別名義で一般向け漫画に転向する。
- ^ タイラアガアデン - ウェイバックマシン(2009年2月7日アーカイブ分)
- ^ 主に『COMIC LO』で活動している鬼畜系漫画家。女子小学生に対するハード系プレイが多い。単行本に『メスに生まれたお前が悪い!!』『おとなのおもちゃの使い方』『君はおじさんとセックスするために生まれてきたんだよ』(ともに茜新社)など。同人作家として『プリキュアシリーズ』のキメセク同人誌も多数発表している。
- ^ NTR、凌辱、催眠、睡姦などの要素を含む作品が多い。
- ^ 女子中学生を拉致、監禁、催眠、調教(性教育)する作品をコミックマーケットで多数発表している同人作家。
- ^ 凌辱系の同人誌を多数発表している同人サークル。主に『東方Project』『プリキュアシリーズ』『アイドルマスターシンデレラガールズ』が中心。
- ^ 『COMIC LO』で活動するロリ系漫画家。児童向け少女漫画調のポップな絵柄だが、内容としては情念深いロリコン犯罪者が歪んだ性欲や劣情をひたすら女子小学生に向けて発散する鬼畜系作品が多い。
- ^ 「小さくて、かわいくて、丸々とした小さな女の子。そこに情欲・凌辱の限りを叩きつける描写に脳がクラクラするような感覚さえ覚えるのが、鬼才・みんなだいすきの漫画です。ほのぼのとした漫画も収録されていますが、メインとなるのは凌辱・強姦、しかも強烈な描写の漫画ばかり。まだあどけなさの残る小さな女の子に向けられる一方的な野獣性は並みの凌辱漫画ではありません。どうかご注意を。しかしながら、ロリコンの心情を痛いほどに描写してくる表現力の高さこそが、鬼才と呼ばれる所以です」みんなだいすき『時間が止まればいいのに』(茜新社DIGITALプレミアム)作品解説より
- ^ “『戦後エロマンガ史』(青林工藝舎) 著者=米沢嘉博”. ばるぼら. S&Mスナイパー (2010年6月13日). 2021年10月10日閲覧。
- ^ 現存する美少女コミック誌では『COMICペンギンクラブ』に次いで2番目に古い歴史がある。
- ^ 東京三世社 ピアスクラブ - playlist
- ^ 東京三世社 ピアスクラブEX - playlist
- ^ 「漫画におけるSMの表現がスパークしすぎちゃってなんだかスゴい事になってます。言葉に表わすなら暴虐とか? 凌辱という言葉でさえヤワに思えます。1ページ1コマ技を多用しているビジュアルショック系の話や、奴隷をブタに改造手術する話もスサまじいけど、漫画としては完全に破綻しているのにもかかわらず巻頭を飾っている作品。これ、もはやSMという衣をまとったなにか別の異形物ですよ。サイコー」ぽいんとたかし・他『自虐少女8―蛮爆鬼』(99年・東京三世社/DOコミックス)書評「超兇悪核弾頭SM漫画 アンソロジー発射!」 (DATゾイド)『漫画ホットミルク』内『コミックジャンキーズ』2000年1月号、コアマガジン、302頁。
- ^ コミック淫祭都1〜9 - 松文館
- ^ 松文館 鎖縛 - playlist
- ^ アンソロジー『激しくて変』シリーズ
- ^ こじままさき「ウンコ、ゲロ、低能、病原菌……キワモノ系変態ビデオを正視せよ!」『危ない1号』第2巻、34 - 35頁。
- ^ 青山正明「全盲青年がウンコ喰らって勃起する!!『ハンディキャップをぶっとばせ!〜僕たちの初体験〜』」『危ない1号』第2巻、70 - 71頁。
- ^ a b “80-90年代平野勝之鬼畜大特集上映”. アップリンク (2013年). 2018年1月27日閲覧。
- ^ a b c d “史上最大の問題作『女犯』弄ばれていたのは男優だった”. 本橋信宏. NEWSポストセブン (2016年8月24日). 2018年1月27日閲覧。
- ^ “カンパニー松尾やバクシーシ山下の師・安達かおるの発禁作、20年の沈黙破り上映”. 映画ナタリー (2015年8月6日). 2018年1月27日閲覧。
関連項目
- Category:猟奇作品
- エログロ
- ネオダダ
- スカム
- リョナ
- 電波系
- ゴミ漁り
- 自販機本
- 見世物小屋
- カストリ雑誌
- 美少女ゲーム
- レイプレイ
- サイコパス
- ホームレス
- データハウス
- 危ない1号
- 東京公司
- 1995年
- 宮崎勤
- ロリータ・コンプレックス
- ペドフィリア
- 白夜書房
- 別冊宝島
- ガロ系
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- 神戸連続児童殺傷事件
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- ポスト真実(post-truth)
- 言論の自由
外部リンク
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- 村崎百郎WEBサイト
- BLACK BOX PANDORA - 鬼畜系書籍の紹介サイト
- 平成大赦(仮)-平成サブカルチャー年表- - 『ユリイカ』2005年8月臨時増刊号「オタクVSサブカル! 1991→2005ポップカルチャー全史」(青土社)に提供されたサブカルチャー年表
- GON!ファンページ - 世紀末B級ニュースマガジン『GON!』の記事一覧
- カルトブックマーク - インターネット黎明期のアングラサイトを網羅的にまとめたリンク集(主な内容はハック&クラック、ドラッグ、オカルト、精神世界など)
- 漫画屋ホームページ - 『コミックMate』の編集を請け負うエロ漫画編集者の塩山芳明が主宰している編プロ「漫画屋」のウェブサイト
- 鬼畜、電波系、悪趣味、ゴミ漁り、境界性人格障害、女装、Torture Garden - 食品産業情報銀行
- “ある編集者の遺した仕事とその光跡 天災編集者!青山正明の世界”. ばるぼら. S&Mスナイパー (2008年3月23日). 2017年6月17日閲覧。
- “幻の自販機本『HEAVEN』にUGルーツを追え!”. Cannabis C4. BLUEBOX (2001年11月18日). 2017年5月14日閲覧。
- “『突然変異』青山正明のミニコミを解剖する!”. Cannabis C4. BLUEBOX (2001年12月11日). 2017年6月16日閲覧。
- “90年代サブカルに救われた話”. 本郷保長. En-Soph (2016年8月24日). 2017年1月15日閲覧。
- “データハウス社長・鵜野義嗣インタビュー 「悪の手引書」編み出した男の強烈なとがり方”. 村田らむ. 東洋経済オンライン (2018年3月25日). 2017年7月10日閲覧。
- “舌や足首を切断…! 主演女優が自殺した封印AV映像『肉だるま』の恐怖”. 天野ミチヒロ. TOCANA (2018年3月25日). 2019年7月10日閲覧。
- “鬼畜系の弁明 ― 死体写真家・釣崎清隆寄稿「SM、スカトロ、ロリコン、奇形、死体…悪趣味表現を排除してはならぬ理由」”. 釣崎清隆. TOCANA (2019年4月2日). 2019年4月3日閲覧。