広瀬正雄
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(廣瀬正雄から転送)
広瀬 正雄 ひろせ まさお | |
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『現代防衛論集』防衛研究社、1965年 | |
生年月日 | 1906年7月3日 |
出生地 | 清・廈門 |
没年月日 | 1980年12月3日(74歳没) |
出身校 | 九州帝国大学法文学部 |
所属政党 |
(無所属→) (改進党→) (日本民主党→) 自由民主党 |
称号 |
勲一等旭日大綬章(1976年) 正三位(1980年) 銀杯一組(菊紋)(1980年) 日田市名誉市民(1981年) |
子女 |
長男・広瀬貞雄(元富士紡績社長) 次男・広瀬道貞(元テレビ朝日社長) 四男・広瀬勝貞(大分県知事) 五男・広瀬興貞(興銀証券常務) |
第30代 郵政大臣 | |
内閣 | 第3次佐藤改造内閣 |
在任期間 | 1971年7月5日 - 1972年7月7日 |
選挙区 | 旧大分1区 |
当選回数 | 10回 |
在任期間 | 1952年10月1日 - 1979年9月7日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1945年 - 1952年 |
広瀬 正雄(ひろせ まさお、廣瀨 正雄、1906年〈明治39年〉7月3日 - 1980年〈昭和55年〉12月3日)は、日本の政治家。大分県日田市長[1]。衆議院議員(自由民主党所属)。佐藤内閣で郵政大臣を務めた。
来歴・人物
[編集]中国の廈門市に生まれる。広瀬貞治の長男[1]。日田郵便局長となる父・貞治とともに帰国し、大分県日田市で育つ。
1924年、福岡県立中学修猷館[2]、1926年、第五高等学校文科甲類[3]を経て、東京帝国大学に進むが病気で中退し、1931年、九州帝国大学法文学部を卒業する。
日田郵便局長、熊本逓信講習所長を経て、1945年から日田市長を3期務めた後、1952年、第25回衆議院議員総選挙で大分1区から衆議院議員に立候補して当選し、以来10期連続当選を果たす(当選同期に福田赳夫・大平正芳・黒金泰美・内田常雄・丹羽喬四郎・灘尾弘吉・宇都宮徳馬・植木庚子郎・加藤精三・山崎巌・今松治郎・重政誠之・町村金五・古井喜実など)。衆議院海外引揚及遺家族援護特別委員長、郵政政務次官、通商産業政務次官などを歴任し、1971年7月、第3次佐藤内閣改造内閣の郵政大臣に就任。その後、衆議院逓信委員長、衆議院ロッキード問題調査特別委員長などを歴任する。
1976年11月、勲一等旭日大綬章を受章。1980年12月3日死去。享年74。1981年、日田市名誉市民に選定される[4]。歿時、叙・正三位、賜・銀杯一組(菊紋)。住所は大分県日田市豆田町[1]。
家族・親族
[編集]広瀬家
- 父・貞治[1]
- 長男・貞雄[1](1933年 - 2020年、富士紡績社長)
- 二男・道貞[1](テレビ朝日会長、日本民間放送連盟会長、1934年 - )
- 四男・勝貞[1](通商産業事務次官、元大分県知事、1942年 - )
- 五男・興貞[1](興銀証券常務)
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第15版 下』人事興信所、1948年。
関連項目
[編集]公職 | ||
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先代 井出一太郎 |
郵政大臣 第30代 :1971年 - 1972年 |
次代 三池信 |
先代 伊東政喜 |
大分県日田市長 1945年 - 1952年 |
次代 岩尾精一 |
議会 | ||
先代 久保田円次 |
衆議院逓信委員長 1973年 - 1975年 |
次代 地崎宇三郎 |
先代 原健三郎 |
衆議院海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員長 | 次代 中川俊思 |