岩尾精一
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岩尾 精一(いわお せいいち、1904年(明治37年)9月20日[1] - 1981年(昭和56年)10月15日[2])は、日本の政治家。日田市長を務めた。
経歴
[編集]大分県日田郡日田町(現・日田市)に生まれる[3]。1922年福岡県立中学修猷館[4]、1929年3月第七高等学校造士館理科甲類[5]を経て、1932年3月東京帝国大学農学部農業経済学科を卒業[6]。さらに満洲国の大同学院に学び、同年10月に卒業[3]。
卒業後、満洲国において、奉天省洮南県属官となり、同県参事官に進み、1935年9月浜江省綏梭県参事官に転じ[3]、同省庶務科長、総務庁人事課長、牡丹江省開拓庁長を歴任した[7]。
戦後、日田漆器社長を経て、1952年10月日田市長に当選。以後1968年10月まで4期16年を務め、日田市発展の基礎を築いた。1953年6月に日田市を襲った大水害では、市民の陣頭に立ち復興にあたった[1]。
脚注
[編集]- ^ a b 『日本の歴代市長:市制施行百年の歩み 第3巻』(歴代知事編纂会、1985年)616頁
- ^ 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、426頁。
- ^ a b c 竹中憲一『人名事典 「満州」に渡った一万人』(皓星社、2012年)186頁
- ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員16頁
- ^ 『第七高等学校造士館一覧(自昭和14年4月至昭和15年3月)』(第七高等学校造士館、1939年)235頁
- ^ 『東京帝国大学一覧(昭和5年度)』(東京帝国大学、1930年)學生生徒姓名524頁
- ^ 『人事興信録第24版』(人事興信所、1968年) イ-360頁