コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

筑波久子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
つくば ひさこ
筑波 久子
筑波 久子
1960年
本名 村田敏子
別名義 チャコ・ヴァン・リューウェン
生年月日 (1939-11-06) 1939年11月6日(84歳)
出生地 日本の旗 日本茨城県多賀郡大津町(現:北茨城市
国籍 日本→アメリカ合衆国
民族 日本人
職業 女優プロデューサー
ジャンル 映画
主な作品
『肉体の反抗』『春泥尼』『海底から来た女』『男の銘柄』『きさらぎ無双剣』『ピラニア』
テンプレートを表示

筑波 久子(つくば ひさこ、1939年11月6日[1][3] - )は、日本の元女優で、アメリカ合衆国映画プロデューサーである。

アメリカ合衆国での別名はチャコ・ヴァン・リューウェン (Chako van Leeuwen)。

来歴・人物

[編集]

茨城県多賀郡大津町(現・北茨城市大津町)五浦出身[4]。父・弥一郎、母・ハツの間に4人兄妹の末っ子として生まれる。 兄が2人、姉が1人いる。父は地元大手の旅館「五浦観光ホテル」と映画館を経営していた[4]。旅館の女将であった母親に溺愛され、母を憧れにして育つ。小・中学校は地元の大津小学校常北中学校に通った[4]。中学時代は生徒会長を務め、トップ成績で慶應義塾女子高等学校に進学。

日活へ

[編集]

慶應義塾女子高校では演劇部に所属、幼い頃に映画関係者にスカウトされたこともあり、両親に無断で日活のオーディションを受けトップ合格。娘の芸能界入りに、母親は賛成したが厳格な父親は猛反対。「駄目なら高校もやめる」としてついに父親が根負け、日活第3期ニューフェイスとして日活に入社。同期に二谷英明小林旭がいる。

高校卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科に進学するが、仕事が忙しくなり中退[6]

1957年(昭和32年)、『肉体の反抗』が大ヒット、筑波の身体を張った演技が話題となり、筑波主演の「肉体シリーズ」が日活のドル箱となる。

新人賞を受賞し、仕事には恵まれたが、もともと体があまり丈夫でなく、一本撮り終えるごとに2週間の入院静養を余儀なくされ、初恋の男性の急逝もあって酒浸りとなる。また「肉体派女優」というレッテルを私生活にまで貼られ、心身疲労。ついに虫垂破裂で横浜のレストランで倒れ、緊急入院。きわどい瀬戸際だったといい、「救われた命だから生活を一から変えよう」と決意、これを機に渡米を考える。

米国へ

[編集]

1963年(昭和38年)、人気絶頂の中、24歳で突如芸能界を引退、渡米してコロンビア大学に語学入学。

27歳の時に、遠距離恋愛を経て3歳年下のマシュー・ヴァン・リューエンと結婚。カリフォルニアに新居を構えるが、映画への思いは捨てられず、カリフォルニア大学の脚本コースに進む。

1967年(昭和42年)、長男キースを出産[7]

1966年(昭和41年)及び1968年(昭和43年)に一時帰国[8]し、東映の映画などに出演。その後はアメリカに定住。

当時米国は泥沼化するベトナム戦争のさなかにあり、知人にも戦死者がいた。筑波は退廃的な生活を送る若者たちを題材にしたドキュメンタリー映画『若いアメリカ人たち』を撮る。

1973年(昭和48年)、第2作目作品『Tender Loving Care』が大物プロデューサーロジャー・コーマンに認められ、「チャコ・ヴァン・リューウェン」名義で全米配給。「彼女の作品を試写室で見てショックを受けた。キャリアの浅いチャコが作ったのが信じられなかった、それくらいクオリティの高い作品に仕上がっていた」(コーマン談)

1978年(昭和53年)、ジョー・ダンテを監督に抜擢して、1億円の低予算で製作したパニック映画『ピラニア』が、興収40億円の大ヒット。ハリウッドの大物プロデューサーとなった。

1981年(昭和56年)、『ピラニア』のリメイク作品『殺人魚フライングキラー』の監督に、当時無名で駆け出しの28歳、ジェームズ・キャメロンを抜擢。

1986年(昭和61年)、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起こり、感受性の強い一人息子のキースが世を儚んで拳銃自殺を図る。筑波は一時このショックから精神不安定となり、自殺を試みたこともあったという。

2013年(平成24年)春、息子の思いを支えに、東日本大震災からの復興、自殺防止、高齢者・若者の支援を目的とする団体「ファミリー・グループ」を日本で組織。政治活動も行っている[7]

主な受賞歴

[編集]

出演

[編集]

映画

[編集]

テレビドラマ

[編集]
  • ミステリー 影(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕
    • 「沢蟹」(1960年)- 斎田久子
  • 慎太郎ミステリー 暗闇の声(KRテレビ〔現・TBSテレビ〕
    • 「殺し屋」(1960年)- ユキ
  • 三人の刑事(フジテレビ
    • 「虚飾の女」(1960年)
  • 怪獣マリンコング(1960年、フジテレビ)
    • 第2部「マリンコングの大逆襲」- 高宮比佐子、くれない天使
  • 夫婦百景(日本テレビ
    • 第115回「新婚てさぐり夫婦」(1960年)- 由紀
  • お笑い三人組NHK
    • 「予防注射の巻」(1960年)- 女医
  • 人生うらおもて(日本テレビ)
    • 第2回「愛情診断簿」(1960年)
    • 第35回「なみだ茶漬け」(1961年)
  • 大学は花ざかり(1960 - 1961年、NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
  • お嬢さん奮闘記(1960 - 1961年、KRテレビ〔現・TBSテレビ〕)
  • おかあさん 第2シリーズ(KRテレビ〔現・TBSテレビ〕)
    • 第59回「造花の季節」(1960年)- よよ子
  • 魔神ガロン(1961年、パイロット版)
  • 西鶴物語(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
    • 第12回「長持の行方」(1961年)
  • 人生の四季(日本テレビ)
    • 第54回「松茸山考」(1962年)- おこん
  • ミステリーベスト21(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
    • 「期待となづける」(1962年)
  • 東芝日曜劇場
  • 特別機動捜査隊(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
    • 第83回「はみ出した青春」(1963年)
    • 第375回「鶏はふたたび鳴く」(1969年)
  • 特命捜査室(1969年、フジテレビ)
    • 第3回「真紅のプールサイド」

その他テレビ

[編集]

舞台

[編集]
  • 三波春夫ショウ-忠治流転笠-(1960年9月、日本劇場
  • コマ爆笑ミュージカル(1960年10月、新宿コマ劇場
    • ロッパの新版ガラマサどん - キャバレーの歌手
    • 秋のパレード - 若い女
    • マゲモノ・ミュージカル 灰神楽道中 - まりりん亭お紋
  • チャーミングな真夜中(1963年6月、大阪OSミュージックホール
  • 城卓矢ショー(1967年1~2月、日本劇場)

ディスコグラフィー

[編集]

シングル

[編集]

監督・プロデュース

[編集]

チャコ・ヴァン・リューウェン名義で活動。

映画

[編集]
  • 『若いアメリカ人』- 監督
  • ヘイ・ベイビー THE SEX LIFE (1971年、筑波コーポレーション) - 監督・ナレーション・主演
  • Tender Loving Care (1973年)
  • ピラニア Piranha (1978年)
  • ママ、泣かないで Forever and Beyond (1981年)
  • 殺人魚フライングキラー Piranha Part Two: The Spawning (1981年)
  • スピリット・オブ・ファイヤー/邪教都市 Raging Angels (1995年)
  • ピラニア3D Piranha 3D (2010年)
  • ピラニア リターンズ Piranha 3DD (2012年)

テレビ

[編集]
  • ザ・ピラニア/殺戮生命体 Piranha(1995年)

関連人物

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ IMDb及び『週刊女性』1960年6月5日号、『週刊文春』1999年2月11日号等には「6月1日生まれ」とある。
  2. ^ 筑波久子 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE(キネノート). 2017年1月18日閲覧。
  3. ^ KINENOTEでは1937年生まれになっている[2]
  4. ^ a b c 筑波久子 - 人物情報・関連映画 - 映画DB”. 映画DB. 2022年2月12日閲覧。
  5. ^ 石橋春海『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、57頁。ISBN 978-4-7747-5853-4 
  6. ^ 『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』では、映画出演が大学側にばれて退学になったと記述している[5]
  7. ^ a b 『女性自身』「シリーズ人間NO2139 “日活の看板女優”米ハリウッドの映画プロデューサーに転身して大成功 筑波久子さん(75)」(平成25年7月16日号、光文社)から
  8. ^ 『女性セブン』1966年12月1日号及び1968年10月23日号。
  9. ^ a b 筑波久子TV出演情報”. ORICON STYLE. 2016年10月31日閲覧。

関連図書

[編集]

筑波久子「わが青春に悔あり 悩殺女優の自分史『罪と愛の告解室』」(『新潮45』1992年9~11月号、1993年8~11月号)

外部リンク

[編集]