筑波久子
つくば ひさこ 筑波 久子 | |
---|---|
1960年 | |
本名 | 村田敏子 |
別名義 | チャコ・ヴァン・リューウェン |
生年月日 | 1939年11月6日(84歳) |
出生地 | 日本茨城県多賀郡大津町(現:北茨城市) |
国籍 | 日本→アメリカ合衆国 |
民族 | 日本人 |
職業 | 女優→プロデューサー |
ジャンル | 映画 |
主な作品 | |
『肉体の反抗』『春泥尼』『海底から来た女』『男の銘柄』『きさらぎ無双剣』『ピラニア』 |
筑波 久子(つくば ひさこ、1939年11月6日[1][3] - )は、日本の元女優で、アメリカ合衆国の映画プロデューサーである。
アメリカ合衆国での別名はチャコ・ヴァン・リューウェン (Chako van Leeuwen)。
来歴・人物
[編集]茨城県多賀郡大津町(現・北茨城市大津町)五浦出身[4]。父・弥一郎、母・ハツの間に4人兄妹の末っ子として生まれる。 兄が2人、姉が1人いる。父は地元大手の旅館「五浦観光ホテル」と映画館を経営していた[4]。旅館の女将であった母親に溺愛され、母を憧れにして育つ。小・中学校は地元の大津小学校、常北中学校に通った[4]。中学時代は生徒会長を務め、トップ成績で慶應義塾女子高等学校に進学。
日活へ
[編集]慶應義塾女子高校では演劇部に所属、幼い頃に映画関係者にスカウトされたこともあり、両親に無断で日活のオーディションを受けトップ合格。娘の芸能界入りに、母親は賛成したが厳格な父親は猛反対。「駄目なら高校もやめる」としてついに父親が根負け、日活第3期ニューフェイスとして日活に入社。同期に二谷英明、小林旭がいる。
高校卒業後は慶應義塾大学法学部政治学科に進学するが、仕事が忙しくなり中退[6]。
1957年(昭和32年)、『肉体の反抗』が大ヒット、筑波の身体を張った演技が話題となり、筑波主演の「肉体シリーズ」が日活のドル箱となる。
新人賞を受賞し、仕事には恵まれたが、もともと体があまり丈夫でなく、一本撮り終えるごとに2週間の入院静養を余儀なくされ、初恋の男性の急逝もあって酒浸りとなる。また「肉体派女優」というレッテルを私生活にまで貼られ、心身疲労。ついに虫垂破裂で横浜のレストランで倒れ、緊急入院。きわどい瀬戸際だったといい、「救われた命だから生活を一から変えよう」と決意、これを機に渡米を考える。
米国へ
[編集]1963年(昭和38年)、人気絶頂の中、24歳で突如芸能界を引退、渡米してコロンビア大学に語学入学。
27歳の時に、遠距離恋愛を経て3歳年下のマシュー・ヴァン・リューエンと結婚。カリフォルニアに新居を構えるが、映画への思いは捨てられず、カリフォルニア大学の脚本コースに進む。
1967年(昭和42年)、長男キースを出産[7]。
1966年(昭和41年)及び1968年(昭和43年)に一時帰国[8]し、東映の映画などに出演。その後はアメリカに定住。
当時米国は泥沼化するベトナム戦争のさなかにあり、知人にも戦死者がいた。筑波は退廃的な生活を送る若者たちを題材にしたドキュメンタリー映画『若いアメリカ人たち』を撮る。
1973年(昭和48年)、第2作目作品『Tender Loving Care』が大物プロデューサーロジャー・コーマンに認められ、「チャコ・ヴァン・リューウェン」名義で全米配給。「彼女の作品を試写室で見てショックを受けた。キャリアの浅いチャコが作ったのが信じられなかった、それくらいクオリティの高い作品に仕上がっていた」(コーマン談)
1978年(昭和53年)、ジョー・ダンテを監督に抜擢して、1億円の低予算で製作したパニック映画『ピラニア』が、興収40億円の大ヒット。ハリウッドの大物プロデューサーとなった。
1981年(昭和56年)、『ピラニア』のリメイク作品『殺人魚フライングキラー』の監督に、当時無名で駆け出しの28歳、ジェームズ・キャメロンを抜擢。
1986年(昭和61年)、旧ソ連でチェルノブイリ原発事故が起こり、感受性の強い一人息子のキースが世を儚んで拳銃自殺を図る。筑波は一時このショックから精神不安定となり、自殺を試みたこともあったという。
2013年(平成24年)春、息子の思いを支えに、東日本大震災からの復興、自殺防止、高齢者・若者の支援を目的とする団体「ファミリー・グループ」を日本で組織。政治活動も行っている[7]。
主な受賞歴
[編集]出演
[編集]映画
[編集]- 『復讐は誰がやる』 (1957年、日活) - 恵美子
- 『街燈』 (1957年、日活) - ゆり
- 『マダム』 (1957年、日活) - けい子
- 『肉体の反抗』 (1957年、日活) - 吉行英子
- 『殺したのは誰だ』 (1957年、日活) - 道子
- 『狂った関係』 (1957年、日活) - 福島笙子
- 『肉体の悪夢』 (1957年、日活) - 石川芙美
- 『燃える肉体』 (1957年、日活) - 稲葉比沙子
- 『乳房と銃弾』 (1958年、日活) - 三笠ゆり
- 『春泥尼』 (1958年、日活) - 春泥尼
- 『悪魔の爪痕』(1958年、日活) - 女給洋子
- 『死の壁の脱出』 (1958年、日活) - 三浦恵子
- 『地獄の罠』 (1958年、日活) - 新勢以子
- 『裸身の聖女』 (1958年、日活) - イザベル比佐子
- 『海女の岩礁』 (1958年、日活) - 並木雅枝
- 『都会の怒号』 (1958年、日活) - 水原恵子
- 『忘れ得ぬ人』 (1958年、日活) - 香椎美也子
- 『不道徳教育講座』 (1959年、日活) - 京子
- 『らぶれたあ』 (1959年、日活) - 梢
- 『仮面の女』 (1959年、日活) - 辻亜美子
- 『傷つける野獣』 (1959年、日活) - 佐藤芳子
- 『夜霧に消えたチャコ』 (1959年、日活) - 広瀬久子
- 『暗黒の旅券』 (1959年、日活) - 大月香代子
- 『非情な銃弾』 (1959年、日活) - 雪江
- 『海の罠』 (1959年、日活) - 森麗子
- 『0番街の狼』 (1959年、日活) - アイリン・利根
- 『海底から来た女』 (1959年、日活) - 少女
- 『昼下りの暴力』 (1959年、日活) - 澄子
- 『トップ屋取材帖 悪魔のためいき』 (1960年、日活) - 本郷朱実
- 『刑事物語 殺人者を挙げろ』 (1960年、日活) - マリ
- 『影のない妖婦』 (1960年、日活) - 千代
- 『海から来た流れ者』 (1960年、日活) - 佐伯ルミ
- 『君は狙われている』 (1960年、日活) - 松浦エミ
- 『俺は銀座の騎兵隊』 (1960年、日活) - クラブ「赤い馬」のダンサー(洋舞)
- 『ヒマラヤ無宿 心臓破りの野郎ども』 (1961年、ニュー東映) - ジーナ・カトマンズ
- 『次郎長社長よさこい道中』(1961年、ニュー東映) - 花千代
- 『男の銘柄』 (1961年、大映東京) - 志村里枝
- 『花影』 (1961年、東京映画) - 亜矢子
- 『八人目の敵』 (1961年、東映東京) - 久保圭子、笹尾ルリ
- 『アワモリ君西へ行く』 (1961年、宝塚映画) - 芳子
- 『大吉ぼんのう鏡』 (1962年、シナリオ文芸協会) - 秀玉尼
- 『新婚シリーズ 月給日は嫌い』 (1962年、東映東京) - 中井絹子
- 最初が肝心 (1962年、東映東京) - 中井絹子
- 黄門社長漫遊記 (1962年、東映東京) - 吉田仙子
- きさらぎ無双剣 (1962年、東映京都) - おえり
- 雲の上団五郎一座 (1962年、宝塚映画) - 浅山道子
- 丹下左膳 乾雲坤竜の巻 (1962年、東映京都) - 千鳥
- 向う見ずの喧嘩笠 (1962年、東映京都) - おみよ
- 伝七捕物帖 影のない男 (1962年、東映京都) - お俊
- まぼろし天狗 (1962年、東映京都) - おみね
- がんこ親父と江戸っ子社員 (1962年、東映東京) - 鰯田鮎子
- 東京アンタッチャブル (1962年、東映東京) - サリイ・南
- カレーライス (1962年、東映東京) - ゆみ子
- 遊民街の銃弾 (1962年、東映東京) - 春子
- 恐怖の魔女 (1962年、東映東京) - 鈴村和子
- 裏切者は地獄だぜ (1962年、東映東京) - 波子
- 暴力街 (1963年、東映東京) - 緑川亜矢子
- 柔道一代 (1963年、東映) - 与那嶺ミキ
- 特別機動捜査隊 東京駅に張り込め (1963年、東映) - 野沢町子
- 浅草の侠客 (1963年、東映東京) - 青木ヒカル
- 残月大川流し (1963年、東映京都) - お祭りおもん
- ジェリーの森の石松 (1963年、東映京都) - ひまわり太夫
- 毒ある愛撫 (1963年、Gプロファースト・フィルム)
- わが恐喝の人生 (1963年、東映東京) - 村岡真紀
- 図々しい奴(1964年1月15日/東映) - キリ子
- この道赤信号 (1964年、ワールド・プロ) - 佐和子
- The Love Statue (1965年、アメリカ) - Mashiko(マシコ)
- 黄金バット (1966年、東映東京) - 秋山ナオミ
- 男なんてなにさ (1967年、東映東京) - 奈美
テレビドラマ
[編集]- ミステリー 影(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
- 「沢蟹」(1960年)- 斎田久子
- 慎太郎ミステリー 暗闇の声(KRテレビ〔現・TBSテレビ〕)
- 「殺し屋」(1960年)- ユキ
- 三人の刑事(フジテレビ)
- 「虚飾の女」(1960年)
- 怪獣マリンコング(1960年、フジテレビ)
- 第2部「マリンコングの大逆襲」- 高宮比佐子、くれない天使
- 夫婦百景(日本テレビ)
- 第115回「新婚てさぐり夫婦」(1960年)- 由紀
- お笑い三人組(NHK)
- 「予防注射の巻」(1960年)- 女医
- 人生うらおもて(日本テレビ)
- 第2回「愛情診断簿」(1960年)
- 第35回「なみだ茶漬け」(1961年)
- 大学は花ざかり(1960 - 1961年、NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
- お嬢さん奮闘記(1960 - 1961年、KRテレビ〔現・TBSテレビ〕)
- おかあさん 第2シリーズ(KRテレビ〔現・TBSテレビ〕)
- 第59回「造花の季節」(1960年)- よよ子
- 魔神ガロン(1961年、パイロット版)
- 西鶴物語(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
- 第12回「長持の行方」(1961年)
- 人生の四季(日本テレビ)
- 第54回「松茸山考」(1962年)- おこん
- ミステリーベスト21(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
- 「期待となづける」(1962年)
- 東芝日曜劇場
- 「姫御前村の災難」(1962年、毎日放送)
- 特別機動捜査隊(NETテレビ〔現・テレビ朝日〕)
- 第83回「はみ出した青春」(1963年)
- 第375回「鶏はふたたび鳴く」(1969年)
- 特命捜査室(1969年、フジテレビ)
- 第3回「真紅のプールサイド」
その他テレビ
[編集]- ワンダフルクイズ(1961年、日本テレビ)
- 風のいたずら(1961年、東京テレビ〔現・TBSテレビ〕)
- 奥さま寄席(1968年、読売テレビ)
- ナイトショー(1971年、フジテレビ)
- 3時のあなた(1971年、フジテレビ)
- 日曜ビッグスペシャル「大転身!!あの有名人は今…」(2000年、テレビ東京系)[9]
- 爆報! THE フライデー(2015年、TBS系)[9]
舞台
[編集]- 三波春夫ショウ-忠治流転笠-(1960年9月、日本劇場)
- コマ爆笑ミュージカル(1960年10月、新宿コマ劇場)
- ロッパの新版ガラマサどん - キャバレーの歌手
- 秋のパレード - 若い女
- マゲモノ・ミュージカル 灰神楽道中 - まりりん亭お紋
- チャーミングな真夜中(1963年6月、大阪OSミュージックホール)
- 城卓矢ショー(1967年1~2月、日本劇場)
ディスコグラフィー
[編集]シングル
[編集]監督・プロデュース
[編集]チャコ・ヴァン・リューウェン名義で活動。
映画
[編集]- 『若いアメリカ人』- 監督
- ヘイ・ベイビー THE SEX LIFE (1971年、筑波コーポレーション) - 監督・ナレーション・主演
- Tender Loving Care (1973年)
- ピラニア Piranha (1978年)
- ママ、泣かないで Forever and Beyond (1981年)
- 殺人魚フライングキラー Piranha Part Two: The Spawning (1981年)
- スピリット・オブ・ファイヤー/邪教都市 Raging Angels (1995年)
- ピラニア3D Piranha 3D (2010年)
- ピラニア リターンズ Piranha 3DD (2012年)
テレビ
[編集]- ザ・ピラニア/殺戮生命体 Piranha(1995年)
関連人物
[編集]脚注
[編集]- ^ IMDb及び『週刊女性』1960年6月5日号、『週刊文春』1999年2月11日号等には「6月1日生まれ」とある。
- ^ “筑波久子 - 略歴・フィルモグラフィー”. KINENOTE(キネノート). 2017年1月18日閲覧。
- ^ KINENOTEでは1937年生まれになっている[2]。
- ^ a b c “筑波久子 - 人物情報・関連映画 - 映画DB”. 映画DB. 2022年2月12日閲覧。
- ^ 石橋春海『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』コスミック出版〈COSMIC MOOK〉、2013年12月5日、57頁。ISBN 978-4-7747-5853-4。
- ^ 『'60年代 蘇る昭和特撮ヒーロー』では、映画出演が大学側にばれて退学になったと記述している[5]。
- ^ a b 『女性自身』「シリーズ人間NO2139 “日活の看板女優”米ハリウッドの映画プロデューサーに転身して大成功 筑波久子さん(75)」(平成25年7月16日号、光文社)から
- ^ 『女性セブン』1966年12月1日号及び1968年10月23日号。
- ^ a b “筑波久子TV出演情報”. ORICON STYLE. 2016年10月31日閲覧。
関連図書
[編集]筑波久子「わが青春に悔あり 悩殺女優の自分史『罪と愛の告解室』」(『新潮45』1992年9~11月号、1993年8~11月号)