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2020年12月25日 (金) 10:03時点における版
藤村 修 ふじむら おさむ | |
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生年月日 | 1949年11月3日(75歳) |
出生地 | 日本 大阪府大阪市 |
出身校 | 広島大学工学部経営工学科卒業 |
前職 |
あしなが育英会顧問 衆議院議員 |
現職 | あしなが育英会副会長[1] |
所属政党 |
(日本新党→) (新進党→) (国民の声→) (民政党→) (民主党(野田グループ)→) (民進党→) 国民民主党 |
称号 | 工学士(広島大学、1973年) |
第80代 内閣官房長官 | |
内閣 |
野田内閣 野田第1次改造内閣 野田第2次改造内閣 野田第3次改造内閣 |
在任期間 | 2011年9月2日 - 2012年12月26日 |
選挙区 |
(旧大阪3区→) (大阪7区→) (比例近畿ブロック→) 大阪7区 |
当選回数 | 6回 |
在任期間 | 1993年7月19日 - 2012年11月16日 |
藤村 修(ふじむら おさむ、1949年〈昭和24年〉11月3日 - )は、日本の政治家。花斉会会長。
衆議院議員(6期)、内閣官房長官(第80代)、拉致問題担当大臣、外務副大臣(菅直人内閣)、厚生労働副大臣(菅直人第1次改造内閣)、民主党国会対策委員長代理・幹事長代理、衆議院厚生労働委員長・沖縄及び北方問題に関する特別委員長等を歴任した。
人物
大阪府大阪市生まれ。大阪府立豊中高等学校を経て広島大学工学部経営工学科卒業。大学在籍時に交通事故遺児の作文を読んだことをきっかけに交通遺児育英会の活動にボランティアで参加するようになった。大学卒業後、交通遺児育英会の職員を経てあしなが育英会顧問・評議員、社団法人日本ブラジル交流協会理事長を務めた。
1993年、第40回衆議院議員総選挙に旧大阪3区(定数5)から日本新党公認で出馬し、初出馬ながら新党ブームに乗ってトップ当選。翌1994年、日本新党の解党に伴い新進党結党に参加。1996年の第41回衆議院議員総選挙では、小選挙区比例代表並立制導入に伴い大阪7区から出馬し、再選。
1997年末の新進党解党により、国民の声に参加。その後民政党を経て、1998年の民主党結成に加わる。2000年の第42回衆議院議員総選挙では民主党公認で出馬し、大阪7区で3選。2001年9月、党国会対策副委員長に就任。
2003年の第43回衆議院議員総選挙でも大阪7区に出馬し4選したが、2005年の第44回衆議院議員総選挙では、小泉旋風に乗る自由民主党の渡嘉敷奈緒美に大阪7区で敗れた。しかし、重複立候補していた比例近畿ブロックで復活して5選。その後、党国会対策委員長代理に就任。民主党次の内閣では2006年にネクスト文部科学大臣、2009年にネクスト厚生労働大臣にそれぞれ就任した。
2009年の第45回衆議院議員総選挙では大阪7区で前回敗れた渡嘉敷に勝利し、6選。同年9月、衆議院厚生労働委員長に就任(~2010年5月)。厚生労働委員長として、2010年3月には子ども手当法案、同年4月には国民健康保険法改正案の採決を行った。
2010年6月、菅直人内閣で外務副大臣に就任。同年9月、菅直人第1次改造内閣で厚生労働副大臣に任命された。2011年1月、民主党幹事長代理に就任し、厚生労働副大臣を退任(後任は大塚耕平)。
2011年9月2日、野田内閣の内閣官房長官に任命され、初入閣した。経済産業大臣・鉢呂吉雄の辞任に伴い、同年9月11日から後任に枝野幸男が就任するまでの間、臨時代理を務める。
2011年11月14日、拉致問題担当大臣を務める国家公安委員会委員長・山岡賢次の補佐として、拉致問題に詳しい国土交通副大臣の松原仁に拉致問題担当副大臣を兼任させた[2]ことに自民党が反発し混乱を招いたとして、首相の野田佳彦から厳重注意を受けた[3]。
2012年2月21日、島根県から招待されていた翌22日の「竹島の日」記念式典について、国会日程を理由に欠席する考えを示した[4]。
2012年8月23日、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の保有を巡る問題で、地権者からの購入に関し、同日の衆議院予算委員会における外交・安全保障に関する集中審議で「地権者に確認したところ『政府の責任で判断してほしい』という意向だった」と証言した。この件について地権者の同意を疑問視された東京都知事の石原慎太郎は翌24日、「つい最近も地権者に会ったけど、そんなことは言ってない。ニュースソースはどこにあるんだ」と否定した[5]。
2012年10月24日、法務大臣兼拉致問題担当大臣・田中慶秋の辞任に伴い、拉致問題担当相を兼務した(法相の後任は前任者だった滝実)。
2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙では、民主党への強い逆風や自身の北朝鮮のミサイル発射に関する直前の失言(下記「発言」参照)もあって[6]、前回下した渡嘉敷に小選挙区で敗れた[7][8][9]。さらに、比例近畿ブロックからの比例復活もならず落選した[10]。現職の官房長官が落選するのは日本国憲法が施行されている現行の制度下で史上初めてのことである[10]。
発言
- 2012年2月22日、「南京事件」について「非戦闘員の殺害、略奪行為などがあったことは否定できない。村山談話以来、政府の姿勢は変わっていない」と記者会見で述べた[13]。
- 2012年3月11日の東日本大震災追悼式で、台湾の代表者を各国や国際機関の代表と離れた2階席に案内したことについて、13日の記者会見で「伝統的な在日外交団の仕分けで問題ない」と語った。しかし、翌14日の参議院予算委員会における世耕弘成への答弁では「事務的にも問題があったことはきちんと認めおわびしたい」と陳謝した[14]。
- 2012年12月7日、記者から選挙期間中の再度の地元入りの可能性を聞かれ、「要は北朝鮮のミサイルがいつ上がるかだ。さっさと月曜日(10日)に上げてくれるといいんですが」と述べた。その後「舌足らずで誤解を生じたとすれば訂正、おわびしたい」と、発言を事実上撤回して陳謝した[15]。
政策
所属していた団体・議員連盟
- 北京オリンピックを支援する議員の会(事務局次長)
- 在日韓国人をはじめとする永住外国人住民の法的地位向上を推進する議員連盟
- 日伯国会議員連盟(事務局長)
- 自然体験活動推進議員連盟(幹事長)
- 国際カイロプラクティック教育議員連盟(幹事)
- 活字文化議員連盟(事務局長)
- 図書議員連盟(幹事長)
- チャイルドライン設立推進議員連盟(副会長)
- インクルーシブ教育を推進する議員連盟(副会長)
著作
- 著:藤村修、インタビュー・構成:竹中治堅『民主党を見つめ直す 元官房長官・藤村修回想録』 毎日新聞出版 2014年11月15日
その他
脚注
- ^ [1]「あしなが育英会様視察アテンド」2016年05月31日
- ^ 松原仁氏 拉致問題を担当 国交副大臣と異例兼務SponichiAnnex 2011年9月6日[リンク切れ]
- ^ 拉致担当兼務めぐり「混乱招きおわび」nikkansports.com 2011年11月14日
- ^ 官房長官、「竹島の日」式典欠席-国会日程が理由世界日報 2012年2月22日
- ^ ニュースソースはどこだ…語気荒らげた石原知事(2012年8月25日13時27分 読売新聞)
- ^ “浪速のエリカ様”上西氏が復活当選よ(DAIRY SPORT ONLINE2012年12月17日配信)
- ^ なお、得票は一位の渡嘉敷(元職・自民党公認)(70361票)、二位の上西小百合(新人・日本維新の会公認)(62856票)に次ぐ三位(45531票)だった
- ^ 衆院選 総選挙2012 開票結果 小選挙区大阪 大阪7区(YOMIURI ONLINE2012年12月17日配信)
- ^ 政権幹部の応援及ばす 藤村官房長官、敗北確実 大阪7区(MSN産経ニュースwest2012年12月16日21:30(2012年12月17日閲覧))
- ^ a b 。藤村修官房長官が比例復活できず落選確実に(MSN産経ニュース2012年12月16日23:57(2012年12月17日閲覧))
- ^ “野田前首相、熱かんでねぎらう…藤村前議員引退”. 読売新聞. (2013年10月3日) 2013年10月3日閲覧。
- ^ “役員情報”. 国民民主党. 2018年10月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2018年10月23日閲覧。
- ^ 藤村官房長官「非戦闘員の殺害、略奪行為あった」 村山元首相談話の踏襲表明MSN産経ニュース 2012年2月22日
- ^ 『官房長官、台湾代表別扱い結局陳謝』 日本経済新聞 2012/3/14 19:42
- ^ 「さっさと上げてくれればいい」=北朝鮮ミサイルで藤村官房長官(時事ドットコム2012年12月7日18時26分配信 2012年12月19日閲覧)
- ^ mネット、2004年2月 国会議員への民法改正に関するアンケート
- ^ “「永田町のドラえもん」藤村元長官、政界引退へ”. MSN産経ニュース. (2013年10月1日)
公職 | ||
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先代 枝野幸男 |
内閣官房長官 第80代:2011年 - 2012年 |
次代 菅義偉 |
先代 細川律夫・長浜博行 |
厚生労働副大臣 2010年 - 2011年 小宮山洋子と共同 |
次代 小宮山洋子・大塚耕平 |
先代 武正公一・福山哲郎 |
外務副大臣 2010年 武正公一と共同 |
次代 伴野豊・松本剛明 |
議会 | ||
先代 田村憲久 |
衆議院厚生労働委員長 2009年 - 2010年 |
次代 鉢呂吉雄 |
先代 安住淳 |
衆議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長 2007年 - 2009年 |
次代 山本公一 |