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1990年代の業界再編期を経た現在はグループ内各社との共同開発が一般的となっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。またスバルと[[86]]/[[BRZ]]を共同開発したり、8AR-FTSや2UR- GSEのような高級車のスポーツモデルに搭載するエンジンの開発協力を[[ヤマハ発動機]]に委託しているように、自社の技術のみに拘泥せず消費者のニーズに応えたり、潜在的なニーズを掘り当てるのが得意と言える。 |
1990年代の業界再編期を経た現在はグループ内各社との共同開発が一般的となっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。またスバルと[[86]]/[[BRZ]]を共同開発したり、8AR-FTSや2UR- GSEのような高級車のスポーツモデルに搭載するエンジンの開発協力を[[ヤマハ発動機]]に委託しているように、自社の技術のみに拘泥せず消費者のニーズに応えたり、潜在的なニーズを掘り当てるのが得意と言える。 |
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なお生産委託が多いのはトヨタに技術が無いためではなく、多彩なラインナップを揃え、かつ年間1000万台を販売するトヨタのは自社の生産ラインだけでは生産が追いつかないためである。これは1960年代の自動車の輸入自由化で、早急に200万台生産体制を築くことを強いられたことに端を発している<ref>[https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/entering_the_automotive_business/chapter1/section2/item3.html |
なお生産委託が多いのはトヨタに技術が無いためではなく、多彩なラインナップを揃え、かつ年間1000万台を販売するトヨタのは自社の生産ラインだけでは生産が追いつかないためである。これは1960年代の自動車の輸入自由化で、早急に200万台生産体制を築くことを強いられたことに端を発している<ref>[https://www.toyota.co.jp/jpn/company/history/75years/text/entering_the_automotive_business/chapter1/section2/item3.html 第2節 モータリゼーションと貿易・資本の自由化 第3項 資本の自由化と自動車業界再編]</ref>。 |
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第3項 資本の自由化と自動車業界再編]</ref>。 |
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ハイブリッドカーなどに使われるリレーなど電子部品の開発では、部品供給で関係の深かった[[パナソニックグループ|松下グループ(後のパナソニックグループ)]]と連携している。静岡県裾野市の東富士研究所と[[北海道]][[士別市]]、田原工場内に巨大なテストコースを持っており、世界中の走行環境を再現した走行試験や、高速域や極寒冷下での試験などをはじめ、日本国外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。 |
ハイブリッドカーなどに使われるリレーなど電子部品の開発では、部品供給で関係の深かった[[パナソニックグループ|松下グループ(後のパナソニックグループ)]]と連携している。静岡県裾野市の東富士研究所と[[北海道]][[士別市]]、田原工場内に巨大なテストコースを持っており、世界中の走行環境を再現した走行試験や、高速域や極寒冷下での試験などをはじめ、日本国外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。 |
2017年10月29日 (日) 00:01時点における版
トヨタ自動車 本社 | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
市場情報 |
大証1部(廃止) 7203 1949年5月16日 - 2013年7月12日 |
略称 | トヨタ、TMC |
本社所在地 |
日本 〒471-8571 本店: 愛知県豊田市トヨタ町1番地 東京本社: 東京都文京区後楽一丁目4番18号 トヨタ自動車東京本社ビル 名古屋オフィス: 名古屋市中村区名駅四丁目7番1号 |
設立 |
1937年(昭和12年)8月28日 (トヨタ自動車工業株式会社) |
業種 | 輸送用機器 |
事業内容 | 自動車(車種一覧を参照) |
代表者 |
内山田竹志(代表取締役会長) 豊田章男(代表取締役社長) |
資本金 | 3970億4900万円(2016年3月期)[1] |
発行済株式総数 | 33億3799万7492株[1] |
売上高 |
連結:28兆4031億1800万円 単独:11兆5858億2200万円 (2016年3月期)[1] |
営業利益 |
連結:2兆8539億7100万円 単独:1兆4021億2600万円 (2016年3月期)[1] |
経常利益 |
連結:2兆9833億8100万円 単独:2兆2840億9100万円 (2016年3月期)[1] |
純利益 |
連結:2兆3126億9400万円 単独:1兆8103億7000万円 (2016年3月期)[1] |
純資産 |
連結:18兆0881億8600万円 単独:10兆8594億4300万円 (2016年3月期)[1] |
総資産 |
連結:47兆4275億9700万円 単独:16兆1002億0900万円 (2016年3月期)[1] |
従業員数 |
連結:36万4445人 単独:7万2721人 (2017年3月31日現在) |
決算期 | 毎年3月31日 |
会計監査人 | PwCあらた有限責任監査法人 |
主要株主 |
日本トラスティ・サービス信託銀行 10.6% 豊田自動織機 6.63% 日本マスタートラスト信託銀行 4.4% 日本生命保険相互会社 3.56% ステート・ストリート・バンク・アンド・トラスト・カンパニー 3.4% デンソー 2.56% ジェーピーモルガンチェース 2.17% ザ・バンク・オブ・ニューヨーク・メロン・アズ・デポジタリ・バンク・フォーデポジタリ・レシート・ホルダーズ 1.98% 資産管理サービス信託銀行 1.89% 三井住友海上火災保険株式会社 1.83% (2016年3月31日現在) |
主要子会社 |
トヨタ車体 100% トヨタ自動車東日本 100% トヨタ自動車北海道 100% トヨタ自動車九州 100% ダイハツ工業 100% トヨタホーム 87.80% 豊田中央研究所 54.00% 日野自動車 50.11% 豊田合成 42.80% トヨタ紡織 39.36% デンソー 24.77% 愛知製鋼 23.71% 豊田自動織機 23.51% ジェイテクト 22.57% アイシン精機 22.25% 豊田通商 21.50% SUBARU 16.77% いすゞ自動車 5.89% 東和不動産 名古屋グランパス トヨタグループの組織を参照 |
関係する人物 |
豊田佐吉(トヨタの始祖) 豊田利三郎(初代社長) 豊田喜一郎(第二代社長、実質的創業者) 石田退三(第三代社長、中興の祖) 豊田英二(第五代社長、元最高顧問) 豊田章一郞(第六代社長、名誉会長) 奥田碩(第八代社長、相談役) 張富士夫(第九代社長、元名誉会長) 豊田章男(現社長) |
外部リンク |
www |
トヨタ自動車株式会社(トヨタじどうしゃ、英: Toyota Motor Corporation)は、日本の大手自動車メーカー。トヨタグループの中核企業で、源流は豊田自動織機である。通称「トヨタ」、英語表記「TOYOTA」。トヨタグループ内では「TMC」の略称で表記される。トヨタ自動車は、ダイハツ工業と日野自動車の親会社である他、SUBARUの筆頭株主でもある(株式保有比率16.48%)。TOPIX Core30の構成銘柄の一つ。
単一の自動車メーカーでは世界最大であり、四輪車の販売台数では2016年度においては世界第2位である。ダイハツ工業と日野自動車を含めたトヨタグループの2014年 世界累計販売台数は1023万台[2]。
本社がある豊田市はもともと奈良時代から約1,300年間「挙母(ころも、挙母市)」と称されて来た歴史ある土地であったが、1959年にトヨタ自動車に拠り「豊田(豊田市)」へ改称することが市議会で決議、本社所在地の表示は「挙母市大字下市場字前山8番地」から「豊田市トヨタ町1番地」に変わっている[3]。日本全国の企業城下町の中でも、市名が企業名に変更されるのは異例である。
歴史
創業
豊田佐吉(人名は「とよだ」と濁る)が創業した豊田自動織機製作所(現在の豊田自動織機)内に、1933年9月に開設された自動車部がトヨタ自動車の起源で、自動車部設置にあたり、中京デトロイト構想創案者の川越庸一(大同メタル工業創立者)が豊田喜一郎を説き伏せ、自動車部設置に至った。初代自動部部長に川越庸一氏が迎え入れられた。この設立の中心になったのは佐吉の息子である豊田喜一郎[4]であるが、初代社長に就任したのは佐吉の娘婿で喜一郎の義兄である豊田利三郎である。
織機製作における鋳造・機械加工技術等のノウハウを活かし、研究期間を経て1935年11月にG1型トラックを発表。翌1936年9月には同社初の量産乗用車であるAA型乗用車を、また同時にG1型の改良型であるGA型トラックを発表し、1937年には独立した新会社が設立された(設立は8月28日であるが、本社工場が竣工された11月3日を創立記念日としている)。
豊田自動織機製作所自動車部時代は、社名中の「豊田」の読みが「トヨダ」であったため、ロゴや刻印も英語では「TOYODA」でエンブレムは漢字の「豊田」を使用していた。しかし、1936年夏に行われた新トヨダマークの公募で、約27000点の応募作品から選ばれたのは「トヨダ」ではなく「トヨタ」のマークだった。その理由としては、デザイン的にスマートであること、画数が8画で縁起がいいこと、個人名から離れ社会的存在へと発展することなどが挙げられている[5]。1936年9月25日には「トヨタ(TOYOTA)」の使用が開始され、翌年の自動車部門独立時も「トヨタ自動車工業株式会社」が社名に採用された。
初期
1941年、利三郎は会長に退き第2代社長には創業者の喜一郎が就任した。日中戦争および太平洋戦争中は主に帝国陸軍向けのトラックと、少数ではあるがAA型乗用車および派生型であるAB型(ABR型)・AC型などを生産。大戦末期である1945年8月14日、挙母工場がアメリカ軍による爆撃の憂き目に遭い、工場の約4分の1が破壊された。そして翌15日、爆撃による被害の復旧工事を行っているさなかに、終戦を迎えた。
戦後の1950年、ドッジ・ラインに伴うデフレにより経営危機に陥り豊田喜一郎社長は辞任。朝鮮戦争勃発で軍用トラック特需があり倒産を回避、同時に技術者の中村健也の監督のもと、国産自家用車の開発を開始。
なお1945年には本田宗一郎が経営するピストンリング製造会社「東海精機」の株式を全て取得しているが、本田はこの売却益を元手に本田技研工業の母体となる本田技術研究所 (旧)を設立し、原動機付き自転車や自動2輪車の研究開発を開始するなどして成長し、現代ではライバルとなった本田技研工業の誕生に関わっている。
経営危機時の深刻な資金難に際し同社初のリストラを決断、日銀の仲介により、都銀・地銀含めトヨタと取引のあった銀行24行による協調融資団が結成される中、帝国銀行(三井銀行と改称、現・三井住友銀行)、東海銀行(現・三菱東京UFJ銀行)を中心とする銀行団の緊急融資の条件として、販売強化のためにトヨタ自動車販売株式会社(「自販」と略された)が設立された。この時に、融資に協力した帝国銀行と東海銀行がメインバンクとなる。
逆に貸付金の回収をした大阪銀行(住友銀行と改称、現・三井住友銀行)は、住友が三井銀行の後身であるさくら銀行と合併するまで50年間も口座の開設・取引をされることはなかった。また、千代田銀行(三菱銀行と改称、現・三菱東京UFJ銀行)とは取引解消にはならなかったものの、再建策には消極的であった。このため、住友銀行ほどではなかったが、長らく三菱銀行(およびその後身である東京三菱銀行)は、海外での資金調達や決済など一部に限られ、三菱が東京銀行と合併するまで45年間、全面的な口座・取引をされることはなかった。
中興
喜一郎の後を継いだ石田退三社長の時代にはクラウン(1955年)、コロナ(1957年)、ダイナ(1959年)、パブリカ(1961年)などロングセラーカーを開発し、販売網の整備を推し進めた。1956年クラウンがロンドン-東京間を走破、国産自動車メーカー各社の自信となった。その後中川不器男社長時代にはスポーツ800(1965年)、カローラ(1966年)、ハイエース、2000GT(1967年)などを発売した。
企業の動きとして1966年には日野自動車と[6]、1967年にはダイハツ工業[7]と業務提携した。
豊田英二社長の時代にはセンチュリー(1967年)、スプリンター、マークII(1968年)、カリーナ、セリカ、ライトエース(1970年)、スターレット(1973年)、タウンエース(1976年)、ターセル、コルサ(1978年)、カムリ(1980年)、ソアラ(1981年)などを発売し、公害問題や排ガス規制などに対処した。販売面では1980年にビスタ店を設立し、トヨタ店、トヨペット店、カローラ店、オート店(1998年に「(旧)ネッツ店」に改称)とともに「販売5チャンネル体制」を確立した。
企業統廃合
1982年にトヨタ自工とトヨタ自販が合併し、現在のトヨタ自動車株式会社となった。新会社の社長には喜一郎の長男・豊田章一郞が就任し、佐吉の甥である英二は会長に退いた。国内市場では1982年のビスタ、マスターエース、1984年のハイラックスサーフ、MR2、1985年のカリーナED、1986年のスープラ、1989年のセルシオ、1990年のエスティマ、1991年のウィンダムなど次世代のトヨタを担う車種を発売し、国内販売高トップの座を不動のものにした。
1989年にはアメリカを主要マーケットとしたトヨタの上級ブランド「レクサス」を立ち上げた。レクサス・LS (日本名、セルシオ) の成功は、日本車が高級乗用車としても通用することを証明させた。
1992年に章一郞は社長を退き、弟の豊田達郎が社長となった。しかし、バブル経済の崩壊は自動車業界を直撃し、トヨタもその影響を受けた。バブル崩壊後の不況の中、1995年に達郎は高血圧で倒れ、副社長の奥田碩が社長職を継いだ。
日本一の企業、世界一の自動車メーカーへ
奥田は創業家出身の会長の章一郞を後ろ盾に、業績が下降していたトヨタを再生させ、積極的な海外販路拡大路線を開始した。1997年 に世界初の量産ハイブリッドカープリウスの販売を開始し、1999年のヴィッツ発売を機に張富士夫に社長の座を譲った。張は奥田の海外販路拡大路線をさらに推し進め、2002年 頃から海外販売台数が急拡大し始めた[8]。2003年 には2代目プリウスの販売を開始したが、この成功は「ハイブリッドカーを擁する環境先進企業・トヨタ」のイメージを確立させる事に成功した。また、2000年 からは、部品の設計開発段階からの原価低減を目指したCCC21活動を開始し、ピーク時の2003年には3,000億円の原価低減を達成した[9]。2003年3月末集計における従業員数は65,551人、トヨタグループの連結子会社の合計は 264,096人で日本最大、世界では第三位の企業規模となった。2004年には、旧ネッツ店とビスタ店が統合され、新生・ネッツ店として再出発した。
傘下企業の関係強化も進み、1998年にはダイハツ工業[7]、2001年には日野自動車の株式の過半数を取得した[6]。
2005年には張の後任として渡辺捷昭が社長に就任した。渡辺も、奥田社長時代以降続いている拡大路線を継続しつつ、CCC21活動を発展させてシステム単位での原価低減を目指すVI活動を開始した[9]。同年、トヨタ町の本社新本館が完成し地上14階、地下2階の一面ガラス張りの現代的な建物が完成。8月にはレクサス店の日本導入を果たした。10月にはゼネラルモーターズが保有していた富士重工業株(約20%)のうち8.7%を取得し筆頭株主になった上で、提携を結ぶことを発表した。2007年には世界販売台数が過去最多の936万6,418台を記録し (世界2位、生産台数は世界1位)、2008年3月期の連結営業利益も過去最高となる2兆2703億円を記録した[10]。また2007年には、名古屋駅前にある豊田ビル・毎日ビルの建替えによる再開発で建設されるミッドランドスクエア内に新しい名古屋オフィスが完成し、元名古屋ビル、JRセントラルタワーズオフィス、本社機能の一部と名古屋市内と東京本社からそれぞれ日本国内・日本国外の営業部門が移転した。
しかし、2008年に起こったリーマン・ショックが世界の自動車販売台数を急減させると、拡大路線をひた走ってきたトヨタは大打撃を受け、2009年3月期の連結営業利益が4,610億円の赤字となり58年ぶりに赤字に転落した[11]。ただし2008年の年間世界販売台数ではGMの販売台数の方が落ち込みが激しかったため、897万2,000台の販売台数を記録したトヨタグループが初めて販売台数世界一となった[12]。この自動車市場の冷え込みに加えて、2009年 から2010年 にかけて大規模リコールが発生したため、トヨタの経営は一転して危機的状況に陥った。この危機に対して、2009年6月に新社長に就任したばかりの創業家出身の豊田章男は、トヨタがジェームズ・C. コリンズが言うところの企業消滅手前の「企業凋落の4段階目」に瀕していると表明した[13]。さらに、2011年には、東日本大震災、タイ大洪水が発生し、2010年から続く記録的な円高もあって、トヨタグループの世界販売台数はGMとフォルクスワーゲングループに抜かれて世界3位に後退した。このように苦しい経営が続いたため、2008年から、さらなる原価低減を目指す緊急VA活動を開始し、全社VA活動、VA開発部の発足まで発展させ[14][15]、2011年から、意思決定の迅速化のために大幅に取締役を削減した上で海外事業体にいくつかの権限を委譲し[16][17]、商品力の飛躍的向上と原価低減を同時に達成する新しい設計開発思想「TNGA」の導入を開始するなど[18]、様々な企業努力を行った。
2012年には過去最多となる世界販売台数974万7,762台を達成し、2年ぶりに世界販売台数1位を奪還した[19]。また、2012年末からのアベノミクスの金融緩和による円安で、2013年3月期はリーマン・ショック後初で5年ぶりとなる営業利益1兆円越えを達成する。
2013年4月には、レクサス・インターナショナル、第1トヨタ、第2トヨタ、ユニットセンターの4つのビジネスユニットを新設し、意思決定をさらに迅速化させた。これは1982年の工販合併後の最大の組織改編であった[20][21]。同年のグループ年間生産台数は1011万7274台を記録し、世界の自動車メーカーの中で初めての年間生産台数1000万台超えを達成し[22]、翌2014年は、年間販売台数でも初の1000万台超えを達成した[2]。2015年3月期では日本企業で初の純利益2兆円越えを達成し、2016年3月期売上高28兆4千億円は、5大商社である三菱商事、三井物産、住友商事、伊藤忠商事、丸紅を抑え日本1位である[23]。
2015年6月には、一般投資家向けに中長期保有を前提とした元本保証の種類株式『AA型種類株式』の発行を発表[24]。即座に業績へ反映されない研究開発に投資するのが目的とされる[25]。株式名はトヨタ初の量産乗用車AA型にちなんで命名された。
2016年3月1日にヤマハ発動機に対抗するためヤンマーホールディングス(ヤンマー)とマリン事業分野において業務提携を[26]発表、また同年4月4日に米マイクロソフトと合弁でコネクテッドカー関連の研究開発および商品開発を行う新会社「Toyota Connected」(トヨタ・コネクテッド)設立を発表[27]。
2016年4月から、意思決定のさらなる迅速化と次世代リーダーの育成を目的に、専務役員がプレジデントを務める7つの部門からなるカンパニー制を導入した[28][29]。
2017年2月には、スズキと業務提携に向けて基本合意した[30]。さらには8月にマツダとも株の持ち合いによる資本提携と技術提携を締結した[31]。
最高幹部
創業家出身の第11代代表取締役社長豊田章男 |
役員一覧
取締役 | |
---|---|
代表取締役会長 | 内山田竹志 |
取締役副会長 | 早川茂 |
代表取締役社長 (兼執行役員社長) |
豊田章男 |
取締役 (兼執行役員副社長) |
ディディエ・ルロワ (Didier Leroy) |
寺師茂樹 | |
永田理 | |
取締役 (社外取締役) |
宇野郁夫 |
加藤治彦 | |
マーク・ホーガン(Mark T. Hogan) | |
監査役 | |
常勤監査役 | 中津川昌樹 |
加藤雅大 | |
香川佳之 | |
監査役 | 和気洋子 |
北山禎介 | |
小津博司 | |
執行役員の体制 | |
社長 (兼取締役) |
豊田章夫 |
副社長 (兼取締役) |
ディディエ・ルロワ (Didier Leroy) |
寺師茂樹 | |
永田理 | |
副社長 | 河合満 |
専務役員 | 17名 |
常務役員 | 29名 |
名誉会長
名誉会長 | 豊田章一郎 |
(2017年6月14日付[32])
歴代社長
トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の社長の変遷
トヨタ自動車工業株式会社 社長 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 | ||
1 | 豊田利三郎 | 1937年8月 | 1941年1月 | 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任 | ||
2 | 豊田喜一郎 | 1941年1月 | 1950年6月 | ― | ||
3 | 石田退三 | 1950年7月 | 1961年8月 | 石田は退任後、トヨタ自動車工業会長に就任 | ||
4 | 中川不器男 | 1961年8月 | 1967年10月 | 中川は在任中に死去 | ||
5 | 豊田英二 | 1967年10月 | 1982年7月 | 英二は退任後、トヨタ自動車会長に就任 | ||
トヨタ自動車販売株式会社 社長 | ||||||
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 | ||
1 | 神谷正太郎 | 1950年4月 | 1975年12月 | 神谷は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任 | ||
2 | 加藤誠之 | 1975年12月 | 1979年6月 | 加藤は退任後、トヨタ自動車販売会長に就任 | ||
3 | 山本定藏 | 1979年6月 | 1981年6月 | ― | ||
4 | *豊田章一郎 | 1981年6月 | 1982年6月 | ― | ||
トヨタ自動車株式会社 社長 | ||||||
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 補足 | 備考 | |
1 | *豊田章一郎 | 1982年7月 | 1992年9月 | 工販合併前からは通算6代目 | 退任後、会長に就任 | |
2 | 豊田達郎 | 1992年9月 | 1995年8月 | 工販合併前からは通算7代目 | 退任後、副会長に就任 | |
3 | 奥田碩 | 1995年8月 | 1999年6月 | 工販合併前からは通算8代目 | 退任後、会長に就任 | |
4 | 張富士夫 | 1999年6月 | 2005年6月 | 工販合併前からは通算9代目 | 退任後、副会長に就任 | |
5 | 渡辺捷昭 | 2005年6月 | 2009年6月 | 工販合併前からは通算10代目 | 退任後、副会長に就任 | |
6 | 豊田章男 | 2009年6月 | (現職) | 工販合併前からは通算11代目 | ― |
*現名誉会長
歴代会長
トヨタ自動車工業株式会社・トヨタ自動車販売株式会社・トヨタ自動車株式会社の会長の変遷
トヨタ自動車工業株式会社 会長 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 | ||
1 | 豊田利三郎 | 1941年1月 | 1945年11月 | 利三郎は退任後、トヨタ自動車工業監査役に就任 | ||
2 | 石田退三 | 1961年8月 | 1971年7月 | 石田は退任後も、兼任するトヨタ自動車販売監査役を継続 | ||
3 | 齋藤尚一 | 1972年12月 | 1978年9月 | ― | ||
4 | 花井正八 | 1978年9月 | 1982年7月 | 花井は退任後、トヨタ自動車相談役に就任 | ||
トヨタ自動車販売株式会社 会長 | ||||||
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 備考 | ||
1 | 神谷正太郎 | 1975年12月 | 1979年6月 | 神谷は退任後、トヨタ自動車販売名誉会長に就任 | ||
2 | 加藤誠之 | 1979年6月 | 1982年6月 | 加藤は退任後、トヨタ自動車監査役に就任 | ||
トヨタ自動車株式会社 会長 | ||||||
代 | 氏名 | 就任日 | 退任日 | 補足 | 備考 | |
1 | 豊田英二 | 1982年7月 | 1992年9月 | 工販合併前からは通算5代目 | 退任後、名誉会長に就任 | |
2 | *豊田章一郎 | 1992年9月 | 1999年6月 | 工販合併前からは通算6代目 | 退任後、名誉会長に就任 第八代経済団体連合会会長 | |
3 | 奥田碩 | 1999年6月 | 2006年6月 | 工販合併前からは通算7代目 | 退任後、相談役に就任 初代日本経済団体連合会会長 | |
4 | *張富士夫 | 2006年6月 | 2013年6月 | 工販合併前からは通算8代目 | 退任後、名誉会長に就任 | |
5 | 内山田竹志 | 2013年6月 | (現職) | 工販合併前からは通算9代目 | ― |
*現名誉会長
グループ会社・関連会社
トヨタ自動車は、戦後すぐに経営危機に陥った時に、日本銀行名古屋支店長の斡旋で、帝国銀行と東海銀行の融資により、これらを取引銀行としてきた。三井二木会・三井業際研究所・綱町三井倶楽部に加盟し、三井二木会にはオブザーバーとして参加している。また、豊田章一郞(名誉会長)の妻は三井家の出身であった。
昔の六大企業グループとは、三菱金曜会、三井二木会、住友白水会、一勧三金会、芙蓉会、三和三水会である。
- 豊田綱領
- 上下一致、至誠業務に服し、産業報国の実を拳ぐべし
- 研究と創造に心を致し、常に時流に先んずべし
- 華美を戒め、質実剛健たるべし
- 温情友愛の精神を発揮し、家庭的美風を作興すべし
- 神仏を尊崇し、報恩感謝の生活を為すべし
トヨタグループを形成した先人たちは創業以来の理念をまとめ、「豊田綱領」として制定し、その精神が長く継承されることを願った。この理念は、グループ各社の社是や基本理念に引き継がれ、それ以後グループに参画する会社も理念を共有してきた。佐吉の6回忌に当たる昭和10年10月30日、豊田紡織本社工場内の佐吉の胸像前に従業員が整列し、同社の取締役支配人・岡本藤次郎が「豊田綱領」を朗読し、その実践を誓約したのである。
- トヨタグループ(主要13社であるデンソー、トヨタ車体、アイシン精機、豊田自動織機、トヨタ自動車東日本、トヨタ紡織、ジェイテクト、豊田通商の概要を含む)
ドッジラインによる不況の深刻化とそれに続く労働争議により、トヨタは危うい時期に立っていた。この苦境を救ったのが、1950年6月に勃発する朝鮮戦争による大量受注である。トヨタの生産台数は急伸し、グループの自動車関連会社も業績を好転させた。国民所得が上昇すると、耐久消費財の需要が伸び、昭和40年代に入ると3C(カラーテレビ、カー、クーラー)が「新三種の神器」としてもてはやされた。しかし東京オリンピック後の不況で紡織は経営危機に直面し、日本電装(現・デンソー)から自動車用部品の生産を受け、事業の重点を自動車へと移していく。これは、トヨタグループがいよいよ自動車事業に主軸を置くグループになったことを象徴する大きな出来事であった。グループ各社は、現地との調和を図りながらグローバル展開を一段と加速させた。北米でトヨタは、平成8年から15年にかけてインディアナ州やテキサス州そしてメキシコにおいて新たな生産会社を、アラバマ州とウェストバージニア州にエンジン製造会社を設立し、北米市場向けのミニバンやトラックの生産を始めた。ヨーロッパでは平成4年のイギリスに次いでトヨタの生産拠点としてフランスの工場が13年に稼働を始め、さらに合併会社を設立させたチェコでも17年から小型車を生産開始した。6年に生産を開始したトルコの生産規模も増強し、ヨーロッパへの輸出を強化させた。グループ各社の部品供給ワークも格段に整備させた。デンソーは、エアコンの生産会社を主要国に次々と設立したのをはじめ、燃料部品装置の生産会社を他国に設立した。豊田自動織機と共同出資の生産グループもドイツに設立した。そして17年6月に車両生産工場の建設工事を開始させた。そしてトヨタグループは、世界最大の人口を抱え、市場の将来性が大いに期待される中国での事業を重要案件の一つに位置づけ、自動車産業の発展に貢献する活動を行っている。1994年9月の完成車と自動車部品の現地生産を推進する意思を正式に伝え、以後、トヨタグループの中国での現地生産が本格的に開始させたトヨタ自動車幹部の中国訪問の実現、トヨタ自動車(グループ)の生産拠点も豊田通商や現地部との合併を含めて相次いで開始され、2005年には50拠点に至たる。各社が生産拠点をもつ東南アジアにおいても新たな拠点の新設と相互補完体制づくりが大きく進展した。また中国と並んで21世紀の巨大市場と目され将来性が大いに期待される南アジアや南米でもグループの生産拠点に支えられ、トヨタの生産体制は強化された。 2004年10月、名古屋で世界会議(ITS)が開催された。この年の世界会議ではメイン会場となった名古屋国際会議場で夢いっぱいITS未来博が開催されたのを筆頭に、2005年、愛知県常滑市沖に中部国際空港「セントレア」が開港し、翌年3月には、日本国際博覧会である「愛・地球博」を開幕させた。名古屋では、セントレアと日本国際博覧会開催に向けて公共交通機関や新しい道路が整備され名古屋駅前でも再開発事業が次々と進展した。トヨタグループの東和不動産(1953年-)は、2002年12月に名古屋駅前にセンチュリー豊田ビルを完成させたのに続き、2004年11月にはトヨタと毎日新聞社などの3社共同によるミッドランドスクエアを完成させた。
参考文献 『 絆-豊田集団からトヨタグループへ 』 『 絆-目で見るトヨタグループ史 』 |
- ヤマハ発動機 - 2016年6月30日現在3.58%の株式を保有。トヨタ自動車とは提携関係である。車両用エンジン開発、製造、モータースポーツ、マリン事業の提携。古くからトヨタ2000GT開発などで協力関係がある。
- SUBARU - 旧社名・旧法人名は富士重工業。17%の株式を保有する筆頭株主。資本提携以前からG-BOOKでは提携していた。
- フォルクスワーゲン - 日本国内での販売提携。トヨタ系のディーラーがVWのディーラー「DUO」を展開している。欧州ではピックアップトラック、VWタロを生産したこともある。しかし、2009年12月22日をもって、ディストリビューター契約を終了したが、販売自体は続行。
- PSA・プジョーシトロエン - チェコで合弁企業トヨタ・プジョー・シトロエン・オートモービルを設立。小型車を共同生産している。
- 日産自動車 - ハイブリッド車の技術供与。長年のライバル同士の提携は、発表当時大きな話題となった。
- いすゞ自動車 - 株式を5.89%保有する第3位の大株主。
- ロータス・カーズ - 古くから互いに技術提供をしあっていた。現行のロータス車は全てトヨタエンジンを搭載している。
- スズキ - スズキが自動車事業に参入するときや、排ガス規制に対応する際にトヨタが協力している。2017年には包括的提携をすることで合意した。
- マツダ - ハイブリッドシステムを供給したり、北米の工場設立に出資した。一方でデミオセダンのOEM供給を受けている。
- フォード - 旧くは1950年に技術提供を受けている。2016年にも車内IT技術で提携することに合意している。
- BMW - ハイブリッド技術を供与し、ディーゼルとカーボン技術の提供を受けることで2011年に提携。燃料電池車、スポーツカーの共同開発も行っているとされる。
- テスラモーターズ - EVの開発などでの業務・資本提携。[33]
- KDDI - 前身のケイディディ(←日本高速通信)・日本移動通信の流れで同社大株主。2008年現在京セラに次ぐ第2位。
- 中部国際空港
- トヨタL&F
- トヨタテクノクラフト(TTC)
この他、GMやフォルクスワーゲンとも提携をしていたことがある。
ランキング指標による企業評価
- 日本経済新聞が発表する日本国内のランキングで1位である。(2016年3月付)
- 売上高ランキング[34]
- 営業利益ランキング[35]
- 経常利益ランキング[36]
- 当期利益ランキング[37]
- 時価総額ランキング[38]
- 米国コンサルティング会社のインターブランドが発表する世界の企業ブランド価値ランキング(2013)で国内1位[39]。
- 米国フォーチュン誌が発表する2016年版フォーチュン・グローバル500ではグローバル企業ランキングで2016年版世界8位、国内1位に選ばれた。2013年版では世界8位、2012年版では世界10位[40]。
- 英国フィナンシャル・タイムズ紙が発表する世界の企業の時価総額をランキングする2015年フィナンシャル・タイムズ・グローバル500では世界15位に選ばれた[41]。
- 米国フォーブス誌が発表する売上高、利益、資産、時価総額の4つの要素を基にランキングしている2016年版フォーブス・グローバル2000では10位に選ばれた[42]。2013年版では31位[43]、2012年版では25位[44]。
- 米国インターブランド社が発表する世界の企業のブランド価値をランキングした2014年インターブランド・ベスト・グローバル・ブランド・リストでは世界8位に選ばれた[45]。2013年版では世界10位、2012年版では世界10位。
創業家としての豊田家の存在
「豊田家はトヨタグループの求心力であり、旗でもある」(当時の奥田会長談)とあるように、創業者一族である豊田家はトヨタグループ各社の中核を担う。創業家の長期に渡る介入は、しばしば経営に混乱をもたらすことがあるが、トヨタの場合はむしろ巨大グループを安定的にまとめ上げる役割を果たしてきた経緯があるとされる。現職者・関連企業役員は下記のとおりである。
- トヨタ自動車名誉会長:豊田章一郎 - 2005年日本国際博覧会協会会長・日本経済団体連合会名誉会長
- トヨタ自動車相談役:豊田達郎 - 豊田自動織機取締役兼任
- トヨタ自動車代表取締役社長:豊田章男
- 豊田自動織機取締役会長: 豊田鐵郎
- アイシン精機取締役会長:豊田幹司郎 - アイシン・エーアイ取締役会長兼任
- トヨタ紡織取締役社長:豊田周平
- 新明工業取締役:豊田彬子
- 東和不動産監査役:豊田大吉郎
豊田家系図
豊田佐助 | 豊田平吉 | 浅子 | (1)豊田佐吉 | たみ | 三井高棟 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田稔 | 豊田芳年 | 豊田英二 | 豊田利三郎 | 愛子 | (2)豊田喜一郎 | 三井高長 | 興子 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
豊田周平 | 豊田鐵郎 | 豊田幹司郎 | 豊田大吉郎 | 豊田達郎 | (3)豊田章一郞 | 博子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(4)豊田章男 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
※丸数字は豊田本家の代数
経営
前述の1950年の経営危機を教訓とし、大野耐一が中心となって、「改善(カイゼン)」、ジャストインタイム(JIT、カンバン方式)からなるトヨタ生産方式を確立した。また販売を重視し、銀行融資に頼らず自己資本の充実に努め、名古屋式経営の見本ともされる無借金経営で優良企業の代表的企業とされる。しかしこれはあくまで単独会計の場合であり、連結子会社においては有利子負債が相応に存在し、また顧客貸し出し(自動車ローン)事業をおこなう金融子会社が存在するため、連結決算においては企業規模相応の有利子負債が存在する。一方で、多大な自己資本を抱え、トヨタ銀行とも称される。2002年3月期の通期決算において日本企業初の連結経常利益1兆円を超え、さらに2004年3月期の通期決算では、連結純利益(米国会計基準)でも日本企業初の1兆円超えを達成した。そして2007年3月期連結決算(米国会計基準)では営業利益が2兆2,386億円となり、日本企業として初の2兆円の大台を突破し、2008年3月期には7年連続で最高記録を更新し営業利益を2兆2,703億円まで伸ばしたことからマスコミから絶賛された[10]。2008年中頃から2012年末頃まではリーマン・ショックや大規模リコール、東日本大震災やタイ大洪水等の天災、超円高などにより、業績が悪化したが、経営改革、商品力の向上、原価低減に努め、超円高が是正されたことで2013年3月期に業績が回復、2012年の年間販売台数も、2007年の販売台数を超えて過去最高となる974万7,762台を記録した[19]。 (詳細はトヨタ自動車#歴史を参照)。2014年3月期には営業利益が2兆2921億円となり6年ぶりに過去最高を更新し、2015年3月期でも営業利益2兆7556億円として過去最高を更新、純利益は2兆1733億円を記録し日本企業初の純利益2兆円超えを達成した。
近年では社会貢献活動に力を入れており、2006年1月からトヨタ社内に「社会貢献推進部」を設置し、交通安全や中国での植林活動、人材育成、自動車のリサイクルなどの環境への貢献などの社会貢献活動を積極的に行っている。
開発思想
開発に6年を費やして1961年に発売された700ccの小型大衆車・初代パブリカは、基本コンセプトとして低廉化・経済性を実現するため、徹底して合理的に設計され、実用車としての完成度は高かった。しかし、「せっかく購入するのだから少々高くても」という消費者心理を掴み切れず販売は不振であった。この不振を分析し、ラジオやヒーター等を装備したデラックスモデルを加えた結果、販売台数は増加した。これを踏まえて、トヨタの80+α点主義という思想が生まれる。
80点+α主義とは、1966年に発売された初代カローラの開発主査である長谷川龍雄が打ち出した考え方である。商品の完成度を高める一方で、一部の飛び抜けて優れた機能や性能を追いかけることなく、まず全ての項目において最低でも80点を目指し、及第点に達したのち更に上の点数を順次達成していくトータルバランスを念頭に置いた企業思想である[46]。
しかしこうしたトータルバランスを重視した万人向けの開発思想は、「+α」を無視した「80点主義」の名で独り歩きし、「トヨタの自動車は退屈である」「個性がない」という非難を産む原因ともなった[47]。
そのため近年は退屈イメージからの脱却を内外から行っている。「キーンルック」と呼ばれる特徴的なデザインは格好良さよりも印象の強さを重視し、一目でトヨタ車だと分かることを目的とした。また豊田章男が社長に就任してからは「もっといいクルマをつくろう」というスローガンのもとに、基本性能の向上に加えて開発者と消費者が愛情を注げるような車作りも意識し始めている。
なおトヨタの歴史を振り返ってみると、クラウン、ソアラ、マークII、セリカ、RAV4、ヴィッツ、プリウス、86などその時代のブームの火付け役や新ジャンルの先駆者となった車は多く、またセラ、MR-S、センチュリー、アリスト、ブレイド、C-HRのような攻めた車も生産している。そのためトヨタは一台一台は尖っているが、手がけるカテゴリが多彩で車種も豊富なこと、国内シェアがトップであることから万人受けに思われてしまっている、という見方もある。
技術力
省燃費技術と電子制御を得意としており、スプリット式ハイブリッドシステムTHS、アトキンソンサイクルエンジン技術VVT-i、直噴技術D-4S、燃料電池車などが有名である。
また高品質とコストダウンを両立する技術は同業界のみならずあらゆる製造業者が参考にするほど高水準で知られる。たとえば、ドアやトランクリッドなどと外板の隙間[48]を狭く均一に仕上げる技術や、ドアの閉まり音、遮音性など、ユーザーにも容易にわかる部分の品質管理には定評がある。手堅い既存技術をブラッシュアップし、低コストで質の高い製品を作る技術に長けており(←ものづくり)、顧客満足度は高い[49]。耐久性も優秀で、例えばタクシー専用車のコンフォートなどは100万キロ近く走行可能であり、業界シェアの8割を占めるほどの人気を示している。
1960年代の排ガス規制が厳しくなった頃はヤマハ発動機からは高性能型DOHCユニットの供給を、本田技研工業からは希薄燃焼システムや排ガス浄化システム(CVCC)の技術供与を受けるなど同業他社に援助を請う場合もあったが、受け入れた技術に量産に見合う改良を施すことにかけては実力を発揮している。ホンダ・日産がSOHCに移行する中で、燃焼効率の向上を企図した狭角配置の多バルブDOHCエンジン(ハイメカ・ツインカムと呼ばれる。1986年(昭和61年)に市販開始)の開発・量産化を続けたのはその一例である。
トヨタが日本車で初めて量産化に成功したものとしては、
- 四輪独立懸架式サスペンション(1947年SA型乗用車)
- カーエアコン(1957年クラウン)
- ディーゼルエンジンの乗用車(1957年クラウン)
- トルクコンバータ式オートマチックトランスミッション(1959年マスターライン)
- 水平対向エンジンのFR車(1961年パブリカ)
- クルーズコントロール(1964年クラウンエイト)
- ハードトップ(1965年コロナ)
- ポップアップ式ヘッドランプ(1981年セリカ、国産車唯一)
- トラクションコントロール(1987年クラウン)
- 横滑り防止装置(2004年クラウンマジェスタ)
などがある。
また世界初の量産車技術としては
- 電子制御式エアサスペンション(1986年ソアラ)
- アルミ鍛造アッパーアーム(1986年ソアラ)
- デュアルマスフライホイール(1984年マークII)
- 水冷インタークーラー(1983年M-TEUエンジン)
- 可変吸気システム(1984年1S-iLUエンジン)
- アクティブコントロールサスペンション(1989年セリカ)
- 超音波雨滴除去ミラー(1989年セルシオ)
- クロールコントロール(1990年ランドクルーザー)
- トルセンLSD(1996年マークII)
- 動力分割(スプリット)式ハイブリッドシステム(1997年プリウス)
- 回生協調ブレーキシステム(1997年プリウス)
- リトラクタブルリアシート(1999年ファンカーゴ)
- 衝突被害軽減ブレーキ(2003年ハリアーレクサス・RX)
- Bピラーレス(2003年ラウム)
- アダプティブ・フロントライティング・システム(2003年ハリアー)
- 低速追従モード付レーダークルーズコントロールシステム(2004年クラウンマジェスタ)
- シフト連動機能付電動パーキングブレーキ(2006年レクサス・LS460)
- LED光源ヘッドランプ(2007年レクサス・LSハイブリッド)
- オートマチックハイビーム(2007年レクサス・LSハイブリッド)
- 燃料電池車(2014年MIRAI)
- ソーラーパネル付き量産車(2016年プリウスPHV)
など、実用性・汎用性に優れた機能の開発での活躍が多い。[50]。近年はハイブリッドシステムをマツダに供給したり、燃料電池車の特許5千点以上を無料で開放するなど、他社への技術供与も行っている。
1990年代の業界再編期を経た現在はグループ内各社との共同開発が一般的となっており、小型車用エンジンの新規設計や一部の小型車の企画ではダイハツ工業の、トラック開発では日野自動車の参画を得ている。またスバルと86/BRZを共同開発したり、8AR-FTSや2UR- GSEのような高級車のスポーツモデルに搭載するエンジンの開発協力をヤマハ発動機に委託しているように、自社の技術のみに拘泥せず消費者のニーズに応えたり、潜在的なニーズを掘り当てるのが得意と言える。
なお生産委託が多いのはトヨタに技術が無いためではなく、多彩なラインナップを揃え、かつ年間1000万台を販売するトヨタのは自社の生産ラインだけでは生産が追いつかないためである。これは1960年代の自動車の輸入自由化で、早急に200万台生産体制を築くことを強いられたことに端を発している[51]。
ハイブリッドカーなどに使われるリレーなど電子部品の開発では、部品供給で関係の深かった松下グループ(後のパナソニックグループ)と連携している。静岡県裾野市の東富士研究所と北海道士別市、田原工場内に巨大なテストコースを持っており、世界中の走行環境を再現した走行試験や、高速域や極寒冷下での試験などをはじめ、日本国外向け商品の開発にも多面的に取り組んでいる。
ハイブリッドカーにおいては、1997年12月に「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の動力分割式ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。初期には知名度も低くマイナーな存在であったが、二代目では原油価格高騰などを背景に販売台数を伸ばし、三代目に至っては最初の1か月間の受注台数が月販目標(1万台)の18倍(1年6か月分)にあたる約18万台を受注、納車が最大で10か月以上待ちになるなど、空前のヒットを記録。トヨタ=ハイブリッドのイメージを不動のものとした。また、2014年9月には、ハイブリッド車のグローバル累計販売台数が700万台を突破している。プリウスやカムリHVは海外での販売が国内を上回っており、欧州でもオーリスHVやヤリスHVの販売が順調であり、グローバル販売台数におけるハイブリッド車の割合は12%と、世界の自動車メーカーの中で最も多いものとなっている。また、ハイブリッドシステムを構成する主電池やインバータ、モータ内蔵トランスアクスルなどはその大半を自社工場で生産している。
世界初のFRハイブリッド車を発売し、新型LSへもハイブリッド車を設定するなど、レクサスへのハイブリッド技術の導入にも積極的である。イメージ戦略の理由から、レクサスブランドでのレース参戦やターボ車の投入には慎重であったが、現在はGTレースへのレクサス車の投入、各車へのFスポーツの設定など、その方針を転換してきている。なかでもLFA、LC500は世界的にも評価が高い。
2014年12月15日には世界初の量産型燃料電池自動車であるMIRAI(ミライ)を発売。試作車では1台数億円と言われたが、地道な技術開発を続けた結果、1台700万円での販売となった。最初の1か月間の受注台数が年間販売目標400台を大きく上回る約1,500台を記録。約7割が個人客であり、北海道や岐阜県など遠方からの注文も相次いだ。
又、ロボット技術にも注力、将来の中核事業と位置付け、実際の事業化前提の積極的な開発が行われている。各地のイベントでも家庭内や介護医療で使われる事を想定したトヨタ・パートナーロボットをお披露目している。
2006年、トヨタの研究開発費は2位の米製薬会社ファイザーを抑え、世界一[52]。2017年も国内企業で唯一年間1兆円を超える開発費をかけている[53]
ブランド
現在のブランドに至る迄に幾つかのブランドが用いられた(現在では廃止されている)。太平洋戦争前が「トヨダ」と「TOYODA」、戦後に「トヨペット」と「TOYOPET」が使われていた。
トヨタ
創業当初から、全国各地の地場資本に協力を求め、早期に販売網を整備、この結果培われた営業網の強力さは「販売のトヨタ」と言われている。現在、国内では4系統のディーラー網を傘下に持つ。
これは喜一郎に請われ1935年(昭和10年)にトヨタに移籍した日本ゼネラル・モータース販売広告部長であった神谷正太郎(トヨタ自販初代社長)が、米国ゼネラルモーターズ流の販売方法を取り入れたためである。神谷は日本GMにおいて日本での販売網を整備し、オートローンもはじめるなど、米国GM流儀を日本において徹底させ、戦前の日本自動車市場をフォードと二分していた。
神谷はトヨタの販売責任者となってからは、GM方式を活かしつつ、戦時体制に伴うアメリカ車輸入・国内組み立て停止に乗じ、GM、フォードが開拓していた各道府県のディーラー網を自社ディーラー網として組織化し、巧みに取り込んでいった。この作戦は戦後、自動車製造・販売が再び許可されてから大きく役立つ。
その成功はまず商用車から始まった。1954年に発売された1000ccのSKBトラック[54]は簡素なセミ・キャブオーバー型トラックだが、当時主流の三輪トラック(オート三輪)へ対抗した商品であり、あえて戦略的に低価格で販売したことで、大きな成功を収めた。これをきっかけに、日本の小型トラック市場は、三輪から四輪に移行した。
また、1955年に発売された初代クラウンは、前輪独立懸架や低床シャシーなど、一応ヨーロッパ車並の構成を採った最初の日本製量産車となった。以後クラウンは、国内専用車として独特の発展を遂げ、日本国内の保守的な階層や官公庁用の車両、各種事業用車両としてドメスティックに定着し、2000年代前半からは中国などでも本格生産が開始されている。
1960年代以降は、手堅い保守的設計で排気量やボディサイズにゆとりを持たせ、多くのオプションを用意するという戦略で、競合他社を圧してきた。
1989年に「新しいトヨタが走り始めます」というキャッチコピーでトヨタの新時代・新しいトヨタマークを大々的に宣伝した。国内仕様車では車のフロントグリル等に、車種ごとに異なるエンブレムを装着[55]している。
レクサス
1989年 (平成元年)、北米で高級車ブランド「レクサス」(LEXUS )を創設し、大型高級セダンの「LS」(日本では後に「セルシオ」として発売)と「ES」[56]を発表した。従前、米国トヨタの最上位車種はクレシーダ(日本におけるマークII)であり、トヨタブランドで高級車種を販売することには限界があるとの判断からだった。開業後、日本の大衆車メーカーの参入余地がないと見られていた北米高級車市場でたちまち成功をおさめ、メルセデス・ベンツをはじめ、BMW、キャデラックなど欧米の高級車メーカーに強い衝撃と影響を与えた。
世界各国で販売が開始された後、日本国内でもレクサスブランドを展開することになり、2005年(平成17年)8月30日から9月28日かけて、GS、SC、ISの3系列の国内販売を開始した。ちなみに、レクサスの国内展開前にもレクサスの名を露出していたことがあり、例えばウィンダムは発売当初のキャッチコピーで「レクサスES300、日本名・ウィンダム」と称していた。 2006年(平成18年)9月19日にはレクサスの旗艦車種のLSが投入され、続いてRX、HS、CTが投入された。
レクサスブランドにおいては長年、日本独自のブランドデザインとして知的かつ先進的なステータスを与えたいとの考えから、華美な装飾を抑えた上で走行性能より乗り心地や品質に重点を置いた保守的な設計思想の車種ばかりであった。しかし近年は操る楽しさや走行性能に特化したFスポーツのIS FやLFAを投入したり、攻撃的なスピンドルグリルデザインを採用するなど、その方針を転換してきている。
サイオン
サイオン(SCION )はアメリカの若者向けのブランドで2003年に開始。いわゆる「ジェネレーションY」と呼ばれる20代前半の若い世代をターゲットとする。トヨタの主要顧客は概して年齢層が高く、若年層の取り込みが課題であった。商品開発思想や広告展開まで新しい手法を用い、従来の“退屈なトヨタ車”のイメージを覆すことを狙った。クールでスタイリッシュな「ファッション性」を商品力とし、あらかじめ多様なカスタマイズを用意することで「個性化」を呼びかけた。マス(大衆)にもアッパーにも属さない新しいカテゴリの開拓を狙う。開始当時の車種はxA[57]、xB[58]で、後に日本未発売のクーペtCが追加された。北米では86はサイオンブランドからFR-Sの名前で販売されている。2016年にその役割を終えたとして廃止[59]。
販売戦略
「販売のトヨタ」
トヨタは、1950年代後半から1960年代にかけて、クラウン、コロナ、パブリカの乗用車3車種を相次いで発売、乗用車の基本ラインナップを構築した。
さらに1960年代後半からは、それぞれの車種がモデルチェンジにより大型化、上級化するに従って、中間モデルを充実させることに力を入れた。すなわち、パブリカとコロナの中間にはカローラを、コロナとクラウンの中間にはマークIIを配し、カローラとコロナの中間にカリーナおよびセリカを配した。車種追加により、パブリカをエントリーモデルとし、カローラ、コロナ、マークII、そして最高峰ブランドのクラウンに至るまでのピラミッド型(あるいはヒエラルキー型)商品展開を完成させた。
これは日本的な年功序列や終身雇用といった慣例的制度に支えられ、日本のサラリーマンたちに昇進・昇給が約束されていた時代には、より上位モデルへの買い替えを促すシナリオでもあった。1980年代に用いられたいつかはクラウンというキャッチコピーは、トヨタの販売戦略を端的に表している。一方、販売店系列の整備がすすむと、系列別に同一シャシ・同一ボディでありながら若干意匠を変えた「姉妹車」 [60] を投入することで、系列間の競争を促し、さらなる拡販を試みた。
全国に配置した販売会社はすべて地元の商業資本との提携で設立しており、他社が販売会社の再編成を余儀なくされた1990年代以降にあっても、各都道府県に密着した手堅い販路を堅持し続けており、地元企業などの社用車需要はもとより、それに付随して個人(自家用車)需要に対してもトヨタ車の販売を強力に支えるバックボーンとなっている。また販売店の多さは多くの新規客への対応と従来の顧客への迅速なサービスを可能にしており、これが消費者の安心感に繋がっている。それに加えて優れた耐久性を持つトヨタ車はリセールバリューにも優れている。
このような商品展開と販売会社構成など、顧客の動向を重視する経営姿勢は1960年代、日本のモータリゼーションが始まったころは、「技術の日産」に対して「販売のトヨタ」と評された。
多様化するマーケットへの適応
近年では、自動車産業と先進国における市場の成熟、社会環境の変化、世代交代や価値観の変容などを受けて、トヨタの商品も多様な変化に富んだ広範な展開を見せている。
1985年、4ドア車でありながらクーペ並みに全高が低く、徹底的に耽美性を追求したハードトップ車、カリーナEDを発表し大ヒットした。自動車評論家の評価は芳しくなかったものの、その後、国内各社から同種のハードトップ車が続々と登場するきっかけとなった。
1997年、「21世紀に間に合いました」というフレーズで世界初の動力分割式ハイブリッド車、プリウスを市場に送り出した。時期尚早と見られていた「エコカー」を、他に先駆けて成功させた。また同年発表しヒットモデルとなったハリアーは、クロスオーバー車、高級SUVという新たなジャンルを生むことになり、その後他社がこぞって追随した。また、本田技研工業に続き南米市場向けにフレックスエンジン車を投入する。
1999年に登場したヴィッツは、日本で長く衰退状態だったコンパクト・カーが復権するきっかけとなり、後にこのセグメントは大きな市場へと発展する。北米においては、従来苦手としてきた若者向け車種と、かつて経済摩擦を起こした経緯から一時注力を手控えてきた「ピックアップ・トラック」の各分野における拡販を試みている。2002年に若者向け銘柄の「サイオン」をスタートさせ、2006年には、フルサイズ・ピックアップ・トラックの最大市場であるアメリカ・テキサス州で、タンドラの生産を開始し、フルサイズ・ピックアップ・トラック市場へ本格参入した。
またモータースポーツ好きな豊田章男が社長になってからはコアな車文化への訴求にも力を入れる様になり、2010年にレクサス・LFA、2012年からは86、さらに2017年にはC-HRのような、実用性よりも走りを重視した車も積極的に作る様になった。
中国戦略
第一汽車集団と包括提携関係にある。2004年9月には広州汽車集団との間でも合弁会社を設立。
- 2000年12月15日に四川豊田(現・四川一汽豊田)でコースター(「柯斯達」)生産開始。
- 2002年10月8日に天津豊田(現・天津一汽豊田 第一工場)でヴィオス(「威馳」)生産開始。出遅れていた中国市場へ進出。
- 2003年9月5日に四川豊田でランドクルーザープラド(「普拉多」)生産開始。
- 2003年10月8日に長春一汽豊越汽車(四川一汽豊田・長春工場)でランドクルーザー(「陸地巡洋艦」)の生産を開始。
- 2004年2月23日に天津一汽豊田でカローラ(「花冠」)の生産を開始。
- 2005年3月21日に天津一汽豊田・第2工場でクラウン(「皇冠」)の生産を開始。
- 2005年10月24日に天津一汽豊田・第2工場でレイツ(「鋭志」、日本名マークX)の生産を開始。
- 2005年12月15日に四川一汽豊田・長春工場でプリウス(「普鋭斯」)のノックダウン生産を開始。
- 2006年5月23日に広州豊田でカムリ(「凱美瑞」)の生産を開始。
- 2007年5月28日に天津一汽豊田・第3工場で新型カローラ(「卡羅拉」)の生産を開始(従来型カローラ「花冠」の生産も第1工場にて継続)。
- 2011年12月19日に現行型プリウスを四川一汽トヨタ自動車有限会社で生産が開始された[61]。
情報技術戦略
IT活用の変遷
トヨタ生産方式(TPS)の高度IT化
トヨタの文化・企業風土をベースに競争力の源泉であるトヨタ生産方式と両輪を成すように情報システム化が推進されている。TPSとITの最初の融合は「工場のライン側に対して、車のどの部品を組み付けるかなど生産指示のデータを打ち出し、作業手順をわかり易くすること」だったとされる[62][63]。トヨタのIT活用は1960年代からスタートしているが、現在はトヨタの開発、調達、生産、物流、販売、金融といった自動車事業の全工程に適用され、他社に追随を許さない圧倒的な仕組みをグローバルに構築している[64]。
クルマのデジタル化
クルマはモノづくりの精神・技術の結晶であり、トヨタは先進的な情報技術を車に搭載することで「もっといいクルマ」を目指している。自動車に対する最初のコンピュートは1980年代に始まったエンジンのEFI(燃料噴射装置)とされるが[65]、組み込みソフトウェアによる制御系・非制御系のインテリジェント化、マルチメディア化進行し、自動車とITの融合により安全性能の向上や自動運転機能の搭載、クルマが情報通信デバイスとなるコネクテッドカーが実現するようになった(G-BOOK、T-Connect、w:Lexus Link)。
モビリティ社会のスマート化
トヨタは1980年頃、当時の豊田英二社長が「車は、いずれスタンドアローンの時代から、管理される時代へ変わっていく」[66]との考えを示した事から車と社会の調和を図るためのIT化に注力、スマートモビリティ社会はICT(情報通信技術)によりクルマと人とコミュニティが相互に「つながる」社会であり、トヨタが目指す環境に優しい豊かな「もっといいクルマ社会」とされる[67]。この取り組みではITS(高度道路交通システム)やテレマティクス、カーシェアリング、パートナーロボット等のモビリティ社会に対するIT活用を推進している。
自動車、住宅に続く、経営の3本目の柱
トヨタはコーポレートベンチャーとして自動車以外に住宅、金融、IT、マリン、バイオ・緑化などの事業を展開しているが[68]、第3の事業としてIT事業(ITS、e-TOYOTA、GAZOO等)を推進している[69]。トヨタが目指すITサービスは公共性、公益性が高く、自動車や住宅、その他の事業との融合が期待できる利用者のニーズに基づいたシームレスな統合型サービスとされる[70]。車やモビリティの枠を超えて、人々の暮らしを豊かにして社会に貢献することを目指し、必要となる技術に対して積極的に取り組み、自動車以外の新しい産業を創出するとしている[71][72]。
自動運転、Connected Car
自動運転車や車載OSの分野では自動車メーカーに加えてIT企業が参入し始め、自動車とITの融合が加速している。Googleのセルフドライビングカーを代表とする無人自動車が登場し、人工知能技術の実用化が現実味を帯びてきた2016年にはトヨタはIT企業やベンチャー企業と競合する時代になった。また、トヨタは自動車が「グーグルのインフラ」的な「単なるハードウエア」になってしまうのを懸念し、グーグルとの提携を断っており、トヨタ独自で開発することを明確にしている[73]。一方、IT業界以外の企業がシリコンバレーに研究開発拠点を設置する動きに同調し、トヨタもシリコンバレーでの研究開発を加速させており、人工知能(AI)、自動運転、ロボット、またそのバックエンドとなるIoTやビッグデータ、クラウドコンピューティングの領域においてメインプレイヤーと捉えられている。
しかしその一方で、日本のITにおける重要な基盤技術を担ってきたメーカでありながら、総合的に厳しい状況にあるルネサスに対する、不当な安価での部品購入や人事介入など、「飼い殺して」いる一員であるとも報じられている[74]。
モータースポーツ
ラリーやスポーツプロトタイプをはじめ、フォーミュラカー、GTなどあらゆるカテゴリのレースに手広く参加し実績を残してきた。 世界ラリー選手権 (WRC) では1990年代にドライバーズチャンピオン4回とマニュファクチャラーズ(製造者部門)チャンピオン3回を記録。FIA 世界耐久選手権(WEC)でも2014年のFIA 世界耐久選手権でドライバーズとマニュファクチャラーズの双方で王座を獲得。現在トヨタは複数のFIA世界選手権でマニュファクチャラーズ王者となった唯一の日本メーカーである。
北米でも活躍はめざましく、デイトナ500、インディ500、デイトナ24時間、セブリング12時間、パイクスピーク・ヒルクライム、バハ1000などの主要レース全てで総合優勝の経験がある。シリーズ戦においてもインディカー、NASCAR、IMSAでマニュファクチャラーズチャンピオンとなっている。
またアマチュアレースの振興にも力を入れており、ナンバープレート付き車両で参加できるネッツカップや86/BRZレース、TRDラリーチャレンジなどを開催している。
豊田章男が社長になってからは、モータースポーツ活動は人を鍛え市販車をより良くするためのものとして位置づけられ、社内での地位が高められた。
航空機計画
戦後にも航空機製造の禁止解除をにらんで航空機分野への進出を企画していたが、立川飛行機から招いた長谷川龍雄技師から現状のトヨタの体制では無理という旨の意見を聞き、断念。
提携関係で同社が筆頭株主の富士重工業が航空宇宙部門を持っている。また、2008年に三菱重工業が主体となっている国産旅客機MRJに対し製造・販売会社(三菱航空機)への出資を明らかにした[75]。
鉄道車両製造
1950年代 - 70年代、トヨタ自動車本社工場や元町工場から名古屋鉄道三河線土橋駅への専用線では、多くの小型ディーゼル機関車が運用されていた。これらは日本輸送機、加藤製作所、日本車輌の製造であったが、一部はトヨタ自動車工業で自社製造され、名古屋鉄道の車籍のものもあった。その中にはガソリンエンジンの機関車(GB10形)も存在した。
これらトヨタ製機関車は、トヨタ工場内専用線のみで使用され、台数、運用範囲も限定され、他の鉄道会社では使用されなかった(トヨタ製エンジンを用いた各地の森林鉄道、鉱山鉄道などの機関車は存在したが、トヨタ自動車製造では無い)。
一般的な鉄レールの鉄道車両ではないが、2005年日本国際博覧会(愛・地球博)では、トヨタグループ開発の磁気誘導式の無人バスシステム「IMTS」が長久手会場で運用され、法的に鉄道(磁気誘導式鉄道)として取り扱われた。
マリン事業
以前からヤマハ発動機のマリン関係部門と提携があったが、1997年にトヨタ自動車独自の造船部門「トヨタ・マリン」を設置した[76]。分野を小型の個人向けプレジャーボートに絞り、漁船や貨物船など業務用の船舶は扱っていない。
アルミ製船体の採用や自動車を制御技術を応用した各種安全装置、船体のデザインに自社のデザイナーを起用、生産工程の合理化やエンジンを自動車と共通化するなどのコストダウンを徹底するなど、自動車開発で培った各種ノウハウにより同クラスとしては比較的低価格を実現している[77]。また直営営業所の開設や全国規模の販売網など、販売体制も整備されている。
一方でリーマンショックの影響により2015年を目処としていた黒字化と独立が達成不可能となった他、シェアも約6%とヤマハ発動機やヤンマーの後塵を拝しており[78]、2017年までの国内での販売数は約850隻となっている。
2017年にはレクサスブランドのプレジャーボートを公開した[79]
自動車分野でライバル関係にある日産自動車は国内市場の縮小などから、1995年に造船部門を日産マリーンとして分離し2015年に新規製造と販売を終了。
本部、他の主要な事業所
トヨタ自動車の本社は豊田市と東京都に、名古屋市のミッドランドスクエアには名古屋オフィスがあり、ここに東京本社にある営業部門などが移転している。東京本社は1982年に完成。
研究開発拠点
日本国内
- トヨタテクニカルセンター(愛知県豊田市本社内)
- 東富士研究所(静岡県裾野市御宿) - (1966年設立)
- 車両の新技術開発及びエンジンの新技術研究
- 東京デザイン研究所(東京都八王子市石川) - (1989年設立)
- 先進的なスタイリングのデザイン研究・開発
- 士別試験場(北海道士別市温根別町) - (1984年設立)
- 車両の高速総合性能、各種寒冷地試験及び評価
- 東京開発センター(東京都港区台場) - (2005年設立)
- 電子技術分野の先行技術開発
- 豊田ビームライン(兵庫県佐用郡佐用町) - (2008年度着工)
日本国外
アメリカ
- トヨタテクニカルセンターU.S.A.(TEMA-TTC) - (1977年設立)
- 日本国外におけるトヨタ最大の研究開発拠点。米国現地部品・材料の開発、車両評価やエンジン適合、技術調査などの研究開発業務、および、北米向けの製品の技術開発、現地生産車両の開発を実施。
- キャルティデザインリサーチ - (1973年設立)
- トヨタ初の日本国外でのデザイン開発拠点。米国向け車両デザインの調査・開発。
- TRD USA, Inc. - (1979年設立)
- 北米におけるトヨタのモータースポーツの拠点。かつては関連会社のトヨタテクノクラフトの米国法人だったが、現在は米国トヨタ自動車販売の100%子会社。現在はNASCAR用マシンやラリーカー、レクサスのGTカーなどの開発・供給を手がける。かつてはCART/IRLエンジンの開発・供給を行っていた。
ヨーロッパ
- TME研究開発グループ - (1987年設立)
- 欧州事業サポート、欧州環境での車両・材料評価、認証、技術調査・研究、現地車両開発
- トヨタヨーロッパ・デザインディベロップメント(フランス コートダジュール)- (1998年設立)
- 外観・内装・カラーデザインの開発研究、モデル製作、デザイン調査
- トヨタモータースポーツ(TMG)(ドイツ ケルン) - (1993年設立)
- トヨタの欧州におけるモータースポーツの拠点。かつてはトヨタF1としてF1カーの開発、F1レースへの参加を行っていた。現在は世界ラリー選手権(WRC)のエンジン開発とル・マン24時間レースの車両の開発を行っている。また風洞の貸し出しやカスタマーへのラリーカーの供給も業務として行っている。
アジア・太平洋
- トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックタイ(TTCAP-TH)(タイ・サムットプラーカーン) - (2003年設立)
- デザインの研究開発・評価、技術調査、現地車両開発
- トヨタテクニカルセンターアジア・パシフィックオーストラリア(TTCAP-AU)(オーストラリア・ビクトリア州メルボルン) - (2003年設立)
- デザインの研究開発、技術調査、現地車両開発
生産拠点
日本国内
直営
本社工場(愛知県豊田市) -(1938年開業)(工場コードA11) | |
---|---|
ランドクルーザーのローリングシャーシ(1951 - 2007年8月)、ピックアップトラック、トラックのラダーフレーム、プリウスのドライブトレーン | |
元町工場(愛知県豊田市)[80] -(1959年開業)(工場コードA21、A22) | |
クラウン、クラウンマジェスタ、マークX、エスティマ、MIRAI、トヨタ86・GRMN、レクサス・LC、レクサス・LS(50系より) | 過去の生産車両 2000GT、スープラ・ソアラ(30系まで)、イプサム、プログレ、ブレビス、レクサス・LFA、マークⅡ、チェイサー、クレスタ、マークⅡブリット、パブリカなど。 |
上郷工場(愛知県豊田市) -(1965年開業) | |
エンジン、他 | |
高岡工場(愛知県豊田市) -(1966年開業)(工場コードA31、A32) | |
カローラ(香港・マカオを除く輸出仕様のみ)、オーリス(サイオン・iM → カローラiM)、ハリアー、プリウスα、ウィッシュ | 過去の生産車両 カローラ(日本向けE120型系まで)、スプリンター、カローラルミオン、iQ、ラクティス(初代)、WiLL VS、ヴィッツ、スターレット、セラなど |
三好工場(愛知県みよし市) -(1968年開業) | |
足回り機械部品、他 | |
堤工場(愛知県豊田市) -(1970年開業)(工場コードA41,42) | |
カムリハイブリッド、アルティス、プレミオ、アリオン、プリウス、プリウスα、メビウス、足回り機械部品 | 過去の生産車両 ビスタ、ビスタアルデオ、セリカ、カレン、カルディナ、カリーナED、コロナエクシヴ、カムリプロミネント、サイオン・tC、マークⅡクオリスなど。 |
明知工場(愛知県みよし市) -(1973年開業) | |
足回り機械部品、エンジン、他 | |
下山工場(愛知県みよし市) -(1975年開業) | |
エンジン(エンジン一部を除くZR・GR・AZ型式などを生産) | |
衣浦工場(愛知県碧南市) -(1978年開業) | |
足回り機械部品、他 | |
田原工場(愛知県田原市) -(1979年開業)(工場コードA51 ? A55) | |
第一製造部:レクサス・GX、ランドクルーザープラド、レクサス・LX、ランドクルーザー(2007年 - ) 第二製造部:レクサス・LS(40系まで)、レクサス・GS、レクサス・IS、レクサス・IS F)
| |
貞宝工場(愛知県豊田市) -(1986年開業) | |
工場生産設備、他 | |
広瀬工場(愛知県豊田市) -(1989年開業) | |
電子装備部品、他 |
子会社・関連会社運営(車両生産工場のみ)
豊田自動織機長草工場(愛知県大府市)(工場コードB11) |
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ヴィッツ、RAV4(輸出向け) |
トヨタ車体富士松工場(愛知県刈谷市)(工場コードC21・C25) |
ノア、ヴォクシ、エスクァイア、エスティマ、プレビア、ランドクルーザ70(ピックアップ) |
トヨタ車体いなべ工場(三重県いなべ市)(工場コードC31) |
ハイエース(ロングボディ)、アルファード、ヴェルファイア |
トヨタ車体吉原工場(愛知県豊田市)(工場コードD11) |
ランドクルーザー200、ランドクルーザー70(バン・トゥルーパー)、コースター、日野・リエッセII(コースターのOEM車種) |
トヨタ自動車東日本東富士工場(静岡県裾野市)(工場コードM21、旧:関東自動車工業東富士工場) |
センチュリー、アイシス、ポルテ、スペイド
過去:クラウンコンフォート、コンフォート、レクサスSC430、コロナ(TT130系)、カローラフィールダー(140系まで)、ソアラ(30系・UZZ40)、チェイサー(60系~90系まで)、クレスタ(GX1系~100系まで)、スープラ(JZA80)、ヴェロッサ、マークX(120系前期のみ) |
トヨタ自動車東日本岩手工場(岩手県胆沢郡金ケ崎町)(工場コードM31、旧:関東自動車工業岩手工場) |
アクア(プリウスc)、C-HR
過去:アルテッツァ、オーリス(初代)、ブレイド、ラクティス(2代目)、スバル・トレジア、イスト(2代目)など |
トヨタ自動車東日本宮城大衡工場(宮城県黒川郡大衡村)(工場コードN11、旧:セントラル自動車本社工場) |
カローラアクシオ、シエンタ、カローラフィールダー(カローラワゴン)
相模原時代の生産車種:コロナ(170系)、ラウム、bB(初代)などkl |
岐阜車体工業(岐阜県各務原市)(工場コードE11) |
ハイエース(スーパーロングボディ)、トヨタ救急車 |
日野自動車羽村工場(東京都羽村市)(工場コードP11) |
FJクルーザー、ランドクルーザープラド、トヨエース、ダイナ、クイックデリバリー |
ダイハツ工業本社(池田)工場第2地区(大阪府池田市)(工場コードK11) |
パッソ(3代目以降よりブーンのOEM車種)、ルーミー(トールのOEM車種)、タンク(トールのOEM車種) |
ダイハツ工業京都工場(京都府乙訓郡大山崎町)(工場コードK21) |
プロボックス、サクシード |
SUBARU群馬製作所本工場(群馬県太田市) |
トヨタ・86 |
トヨタ自動車九州宮田工場(福岡県宮若市) |
レクサス・IS、レクサス・IS C、レクサス・ES、レクサス・RX、レクサス・NX、レクサス・HS、レクサス・CT、ハイランダー(日本国外仕様)、SAI
過去:マークⅡ(90系・100系)、チェイサー(100系のみ)、ハリアー(30系まで)、クルーガー、ウィンダム(20系のみ) |
トヨタ自動車九州苅田工場(福岡県苅田町) |
エンジン |
トヨタ自動車九州小倉工場(福岡県北九州市/苅田町) |
ハイブリッド専用部品 |
ダイハツ九州大分(中津)工場(大分県中津市) |
ピクシススペース、ピクシストラック、ピクシスバン、ピクシスエポック、ピクシスメガ |
日本国外
北米
中南米
- ブラジル
- トヨタ・ド・ブラジルS.A. 1958年(昭和33年)創業
- インダイアツーバ工場 サンパウロ州インダイアツーバ(Indaiatuba)
- カローラ、エティオス、エンジン(組み立てのみ)
- インダイアツーバ工場 サンパウロ州インダイアツーバ(Indaiatuba)
- トヨタ・ド・ブラジルS.A. 1958年(昭和33年)創業
- アルゼンチン
- コロンビア
- Sociedad de Fabricacion de Automotores S.A.
- ベネズエラ
- Toyota de Venezuela Compania Anonima
ヨーロッパ
- イギリス
- TMUK(Toyota Motor Manufacturing "UK"Ltd.)
- バーナストン工場 ダービー州バーナストン
- アベンシス(日本向けは田原工場でPDI実施)、オーリス、オーリスツーリングスポーツ、RAV4
- バーナストン工場 ダービー州バーナストン
- TMUK(Toyota Motor Manufacturing "UK"Ltd.)
- フランス
- TMMF(Toyota Motor Manufacturing France S.A.S.)
- ヤリス
- TMMF(Toyota Motor Manufacturing France S.A.S.)
- トルコ
- Toyota Motor Manufacturing Turkey Inc.
- カローラ、カローラヴァーソ、C-HR
- Toyota Motor Manufacturing Turkey Inc.
- チェコ
- TPCA(Toyota Peugeot Citroen Automobile Czech,s.r.o.)
- アイゴ
- TPCA(Toyota Peugeot Citroen Automobile Czech,s.r.o.)
- ロシア
- Toyota Motor Manufacturing Russia Ltd.
- カムリ、RAV4
- Toyota Motor Manufacturing Russia Ltd.
- ポルトガル
- Salvador Caetano I.M.V.T., S.A.
- ダイナ、ハイエース、オプティモ
- Salvador Caetano I.M.V.T., S.A.
- ポーランド
- Toyota Motor Manufacturing Poland SP.zo.o.
- Toyota Motor Industries Poland SP.zo.o.
- エンジン、マニュアルトランスミッション
アフリカ
アジア
- 中国
- 台湾
- タイ王国
- インドネシア
- トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・インドネシア(TMMIN)
- スンター工場
- キジャンピックアップ、イノーバ、アバンザ
- カラワン工場
- スンター工場
- トヨタ・モーター・マニュファクチャリング・インドネシア(TMMIN)
オセアニア
中近東
- バングラデシュ
- Aftab Automobiles Ltd.
- インド
- トヨタ・キルロスカ・モーター(TKM)
- バンガロール工場 イノーバ、アバンザ、カローラ、エティオス
- トヨタ・キルロスカ・モーター(TKM)
- パキスタン
- Indus Motor Company Ltd.
車種
トヨタ自動車の車種一覧については別項を参照[81]。
ディーラー
他のメーカーが全店舗全車種扱いに移行していく中、依然としてトヨタ自動車はディーラーごとに取り扱い車種が異なる。特にネッツ店は、他のトヨタ系列との併売をしている車種が極端に少ない。 また、かつては大阪府内のみトヨタ店とトヨペット店の取り扱い車種が逆だったが、現在では一部車種を除き他の都道府県と同様の取り扱いになっている。
- 取扱車種:カローラアクシオ、カローラフィールダー、ノア、パッソなど
- 以下の車種はトヨタ4系列全店で販売
- 以下の車種は実質的なトヨタ4系列全店販売車種。
- ピクシスシリーズ(全国ではカローラ店、ネッツ店で販売、希望があった一部地域のトヨタ店、トヨペット店でも販売。)
- ポルテ(トヨタ店とトヨペット店)&スペイド(カローラ店とネッツ店、2代目ポルテ発売時登場)
- ノア(カローラ店)&ヴォクシー(ネッツ店)&エスクァイア(トヨタ店とトヨペット店、3代目ノア/ヴォクシー発売の約9か月後登場)
- タンク(トヨペット店とネッツ店)&ルーミー(カローラ店&トヨタ店)
- カムリ(全国ではカローラ店、トヨペット店、ネッツ店で販売、東京都ではトヨタ店でも販売。)
キャッチフレーズ(コーポレート・ステートメント)
歴代キャッチフレーズ
- ファミリーカーのトヨタ(1966年 - 1969年) - 「ファミリーカーのトヨタと呼んで下さい」という当時の企業広告から。テレビの提供読みの時には「世界のファミリーカー」とコールされたものがある。
- 進歩のマーク(1967年 - 1970年)
- 信頼のマーク(1967年 - 1970年) - この2つのキャッチコピーは広告上で併用された。
- 愛される車をめざして(1971年 - 1980年) - ※放送では筆頭提供で放送される場合「愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることも多く、この場合番組によっては提供時間の終わりのスポンサーコールで「誰からも愛される車を目指すトヨタ自動車(とトヨタディーラー=ラジオ放送のみ)」とアナウンスされることが多かった。
- ムダ・ムリ・ムラのない運転で ガソリンを大切に使いましょう(1973年)
- TTCのトヨタ(1974年) - 「TTC」とは「トヨタトータルクリーンシステム」のこと。
- ゆたかな明日を築く トヨタグループ(1975年) - 知られざる世界の提供読みで使用。
- 安全はトヨタの願い(1978年 - 1982年、CMのみで使用)
- 新技術-時代はTOYOTA(1982年 - 1988年)
- Fun To Drive(1984年 - 1990年3月)
- VISION 先進技術で、価値ある1台を(1988年)
- シートベルトを忘れずに(1989年初頭 - 9月) - 「Fun To Drive」と兼用、コマーシャルなどで使用
- 新しいトヨタが走りはじめます。 (1989年 - 1990年9月) - この時点から、現在のトヨタのCIが制定される。(後述)1989年まではCIを出さないCMもあったが、1990年以降は全てのCMでCIを出すようになった。また、以前のキャッチフレーズ「Fun To Drive」も兼用された。
- 人へ。社会へ。地球へ。(1990年10月 - 1999年)
- BIG CHALLENGE(1993年 - 1996年) - この頃、「Sedan Innovation」や「ACTION」というキャッチコピーも展開されていた。
- クルマが未来になっていく。(1997年 - 1999年12月) - このあたりから90秒以上の提供時はこれまでの社名のみからキャッチコピー・社名に変更。
- Drive Your Dreams.(2000年1月 - 2011年9月) - カタログなど一部では2011年秋以降もこのスローガンが使われていた。
- 人、社会、地球の新しい未来へ。(サブキャッチコピー)
- 1社提供・及び90秒以上の提供時は「Drive Your Dreams. トヨタ自動車」(2005年7月からトヨタ)になっている(素敵な宇宙船地球号についてはトヨタグループ全体の協賛であるため、これはコメントされていない)。
- 人、社会、地球の新しい未来へ。(サブキャッチコピー)
- MORE THAN BEST(2004年 - 2006年3月) - なお、本キャッチコピー発表後はサザンオールスターズがCMソングに起用された。
- トビラを開けよう(2006年4月 - 2008年頃) - このキャッチコピーよりMr.Childrenの「箒星」がCMソングに起用されている。
- FUN TO DRIVE, AGAIN.(2011年10月 - ) - この頃から、1社提供・及び90秒以上の筆頭提供で協賛する場合は左記スローガンを3行で大きく表示し、その下にエンブレムのTマークを挿入(TOYOTAの社名は表示されていない)している。60秒以下の協賛は従来通りに「Tマーク+TOYOTA」である。2011年までカタログの巻末には以前のキャッチコピーが使用されたままだったが、翌年から本キャッチコピーが使用され、上記と同様の表示に切り替えられている。新聞広告では2011年まで本キャッチコピーは使用されず、「Tマーク+TOYOTA」のみの記載だったが、こちらも翌年から本キャッチコピーが使用された。ただし、本キャッチコピーとTマークをすべて1行にまとめて表示されているなど、提供表示やカタログとは違い、一部のCMと同じ記載方法となっている。
- Re BORN(2011年秋 - ) - 企業CM
- moving forward(米国における企業スローガン)
- TOYOTA NEXT ONE(2014年 - ) - 制作陣は電通の高崎卓馬がクリエイティブディレクターとして統括し、写真は瀧本幹也、デザインは博報堂出身の駒二郎らが担当した[82][83]。
- THE WORLD IS ONE(2015年 - ) - 同様に電通の高崎らが制作担当。
販売店ごとのキャッチフレーズ
この他、販売店ごとに以下のような独自のキャッチフレーズもある。
- 現在使用中のキャッチフレーズ
- フロンティアへ 人を、地域を、もっと笑顔に(トヨタ店、2016年4月 - 現在)
- クルマと、つぎの楽しみを。 TOYOPET(トヨペット店、2016年4月 - 現在)
- うれしいこと 全力で。あなたの街のカローラ店(トヨタカローラ店、2006年3月 - 現在)
- Netz Another story(ネッツ店、2016年 - 現在)
- EXPERIENCE AMAZING(2017年よりレクサスブランドで使用されているスローガン)
- 過去に使用していたキャッチフレーズ
- 最上の出会いをトヨタ店で。(トヨタ店、2002年? - 2016年3月)
- もっとクルマの話、しませんか。 Answer, for you. TOYOPET(トヨペット店、? - 2016年3月)
- hello!(トヨタカローラ店、2001年 - 2006年2月)
- Welcome To VISTA(ビスタ店、1981年 - 1999年)
- ACCESS VISTA(ビスタ店、2000年 - 2004年)
- Make the style.(ネッツ店、2004年 - 2010年)
- the Creative.(ネッツ店、2010年 - 2016年)
- 微笑むプレミアム。(レクサス店、2006年まで)
- The pursuit of perfection(レクサスブランドのグローバルスローガン。2013年4月まで使用された)
- AMAZING IN MOTION(レクサスブランドのグローバルスローガン。2016年まで使用された)
ロゴマーク
現在の「TOYOTA」ロゴマークは1978年4月(アメリカ、カナダは1986年4月)から使用されている。
1967年から1978年3月(アメリカ、カナダは1986年3月)まで、新聞広告・雑誌広告・テレビCMで使われた「TOYOTA」ロゴマークは、書体が現在の物より細いゴシック体となっていた。国内では「進歩のマーク」「信頼のマーク」「'愛される車をめざして」のキャッチコピー、丸の中に片仮名で「トヨタ」と文字の入ったマークと共に使用され、日本国外でもカタログなどに使用された。[84]
なお、旧トヨタマークは戦前に一般公募を行い制定されたもの。社章・正社員章として現在も使われている。現在のトヨタマークは1989年10月からで、縦と横に組み合わされたふたつの楕円は、トヨタのT、そしてその背後の空間は、トヨタの先進技術のグローバルな広がりと未来へ翔ける無限の可能性を表している。[85]同月にデビューした初代セルシオから採用された(商標登録日本第2392335号)。
造成開発地
トヨタ自動車は現在、子会社のトヨタすまいるライフ株式会社(旧トヨタ住宅)他と共同で住宅地をいくつか造成開発している。
- リバーサイドヒルズさくら台 - 愛知県岡崎市細川町字桜台地内(建築条件付土地分譲)
- 緑陽台 - 愛知県岡崎市(戸建と土地)
- 土岐プラズマ - 岐阜県(戸建分譲)
- 自由ヶ丘サウスステージ - 福岡県宗像市(戸建と土地)
- 上志段味 - 名古屋市守山区(戸建と土地)
- シーサイド田原光崎 - 愛知県その他(戸建と土地)
- 共和西27街区 - 愛知県その他(戸建と土地)
- 東郷町春木台 - 愛知県東郷町(戸建分譲)
- グリーン アヴェニュー日進笠寺山 - 愛知県日進市(戸建と土地)
- 日進市 香久山東 - 愛知県日進市(戸建分譲)
- あざぶの丘 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
- 黒笹120街区 - 愛知県みよし市(戸建分譲)
- 三好町根浦37街区 - 愛知県みよし市(戸建と土地)
- パークサイドアベニュー桜坂 - フジケン開発との戸建協同プロジェクト。事業開始は2001年から
- 豊橋レイクタウン大清水台 - 愛知県豊橋市(アイシン開発の開発地。1980年から集合宅地の分譲契約)
- T'sコート安城桜井 - 愛知県安城市桜井町貝戸尻(一般定期借地権)
スポンサーとして
以前は以下のアトラクションのオフィシャルスポンサーとして協賛していたが、現在は全て撤退している。
- ユニバーサル・スタジオ・ジャパン - バック・トゥ・ザ・フューチャー・ザ・ライド(サンフランシスコ・エリア)
- 東京ディズニーランド - ピノキオの冒険旅行(ファンタジーランド)
- 東京ディズニーシー - タートル・トーク(アメリカンウォーターフロント)
不祥事・事件・問題・批判・風評被害(グループ会社を含む)
中古車架空販売
トヨタ自動車が全額出資する大阪トヨタ自動車(旧大阪トヨペット)が、2004年(平成16年)、国産中古車を社員名義で自動車登録を行ない、販売実績を引き上げる架空販売を行なっていた[86]大阪府警察は2006年(平成18年)10月10日、社員ら4名を電磁的公正証書原本不実記録、および供用の疑いで逮捕した[87]。
北米トヨタのセクハラ
過労・サービス残業問題
トヨタ自動車中国広告問題
リコール関連
トヨタ日本国内リコール放置問題
- 1988年にモデルチェンジしたハイラックスについて、2004年8月に熊本県内でハイラックスのハンドル操作が利かなくなる交通事故が発生した。
- 2005年8月に熊本県警は、車軸の欠陥が存在していたにもかかわらず、販売済の車両についてリコールを行わなかった、として同社を家宅捜索。同社には1988年12月のモデルチェンジ以降に販売店から5件のリレーロッドが折れる事故が報告され、96年頃の社内調査で強度不足が発覚していたこと、新規生産分は改良品に切り替えたが市場に出回った分は放置していた事が県警調査で明らかになった。翌2006年7月、 熊本県警は業務上過失傷害の疑いでトヨタ自動車の品質保証部門の歴代三部長を書類送検した。2007年6月には、松尾邦弘 元検事総長がトヨタ自動車株式会社社外監査役に就任した。2007年7月13日、熊本地検は(1)96年時点でロッド欠損などの不具合を報告する販売店からの報告は4件だけだった。(2)菊池市の事故まで人身事故はなかったなどの理由から、リコールしなければならない状況だったとは言えないとして3名を不起訴処分(嫌疑不十分)とした。
アメリカでの大規模リコール
2010年2月22日、米ABCは南イリノイ大学のデビッド・ギルバート教授が行ったトヨタ車を急加速させる実験の映像を流し、車両に問題があることを示す報道を行ったが、その翌月トヨタ自動車側は報道されたような不具合は発生し得ないと指摘、それを受けABC側は同年3月12日に、該当の報道は映像に操作を施した捏造であったと認めた。
2010年4月14日、アメリカ消費者団体専門誌「コンシューマー・リポート」で特定の運転状況下で横転する危険性を指摘され、全世界でレクサスGX460の販売を一時停止し、4月19日には全世界で約1万3000台を対象に、車両安定制御装置ソフトウェアの修正を発表、同様にプラドも約2万1000台を対象に実施した[88][89]。
また、2010年6月21日、中国の広州にあるデンソー系の電装(広州南沙)有限公司にて待遇改善を求めてストライキが発生し、トヨタの広州工場に対する自動車燃料噴射装置などの部品の供給が停止した[90]。
2010年8月13日、米高速道路交通安全局(NHTSA)は、電子系統には異常がなく、事故のほとんどが運転者の人為的なミスによるものであると報告、翌2011年2月8日には、米運輸省は、NHTSAと米航空宇宙局(NASA)による10ヶ月の共同調査の結果を踏まえて、電子制御装置に欠陥はなかったと発表した[91]。NASAは電子制御装置に異常は見られず、NHTSAは加速ペダルと運転席フロアマットの欠陥は問題は確認されたものの、急発進事故の殆どが運転手のミスと確認された[92]。ワシントン・ポストなど各新聞は、トヨタ叩きは政治的に引き起こされたヒステリーだったと議会などを批判した[93]。一方、米消費者団体は政府の調査は不十分とした[92]。
2014年3月19日、アメリカ司法省とトヨタ自動車は、リコール問題の最終的な和解案に合意。トヨタ側が12億ドルを和解金の支払いとリコールに対する約束事項の遵守を負うこととなった。巨額の賠償金もさることながら、折りしもゼネラルモーターズでも大規模なリコール問題が生じたタイミングであり、アメリカにおけるリコール問題処理の模範になるものとして注目された[94]。
このアメリカにおける大規模リコール問題は、同年日本国内でも毎日のように報道され、大きな話題を呼んだ。
中東紛争でのトヨタ車人気
トヨタのハイラックスやランドクルーザーは走行性能・耐久性に優れるとして中東の紛争で非常に愛用される。1980年代のチャドの内戦では政府軍・反政府軍ともにハイラックスの改造車で戦ったため、「トヨタ戦争」とも呼ばれるほどであった[95]。イスラム国もトヨタの車両を愛用していることから「トヨタはイスラム国のスポンサーでは」と揶揄する声が聞かれ、実際に米財務省がトヨタに釈明を求めたこともある。これに対してトヨタの米国法人はテロ活動の恐れがある購入希望者には車は売らないという厳格な規定を採用しているとし、一方で中古車の販売や盗難などの全ての経路を断つことは「どのメーカーでも不可能だ」と反論している[96]。なお米ロン・ポール平和繁栄研究所では「米国が2013年~2014年にシリア反政府軍に供与したものがイスラム国に横流しされた」のだとしている[97]。 またトヨタが製造しているミニバンのアイシスの英語表記が「Isis」であり、これが生産終了を決定されたことはイスラム国との関係を想起させるからではと噂された。
トヨタとジャーナリズム
「トヨタはジャーナリストに大金をバラまいて、都合のいいことしか言わせていない」という都市伝説があり、そのため「トヨタを批判できるのは素晴らしいことだ」と考える車好きも多い[98]。しかしかつて徳大寺有恒が「トヨタは潰れた方が良い」などの強烈な批判を展開し続けたにも関わらずなんのお咎めも無かったことからも分かるように[99]、実際にはそのようなことは起きていないと考えるのが自然である。
その他日本国外における法的トラブル
1990年1月1日から2006年5月22日までの間に北米の関連会社Toyota Motor Credit Corporationがアフリカ系アメリカ人(黒人)とヒスパニック系アメリカ人に対し、白人に対して融資する際の年率(APR)より高い値を設定し人種差別を基に不当に利益を上げていたとしてカリフォルニア州中央行政裁判所、およびサンフランシスコ群高等裁判所に起訴された[100]。
2006年9月20日にはフォード・モーター、ゼネラルモーターズ、ダイムラー・クライスラー、ホンダ、日産自動車と共にカリフォルニア州検事総長のビル・ロッキヤーによってオークランド地方裁判所に地球温暖化の対策を講じてこなかったとして起訴された[101]。
書籍『トヨタの闇』における批判
米国籍役員による「麻薬」密輸問題
2015年6月、アメリカ国籍の同社初の女性役員(チーフコミュニケーションオフィサー=広報トップ)が、アメリカから麻薬成分を含む鎮痛剤オキシコドン57錠を、ネックレスと虚偽申告をした上で箱の二重底に隠して宅配便で密輸した疑いで、警視庁に麻薬取締法違反容疑で逮捕された[102]。同年6月30日に容疑者の役員が辞表を提出してトヨタに受理され7月1日に辞任が発表された。7月8日、本人に違法性の認識が薄かったことや既に役員を辞任したことが考慮され不起訴処分で釈放された[103]。いくつかの米メディアは背後でキャロライン・ケネディ駐日アメリカ大使が容疑者の役員辞任を条件に釈放を働きかけたこと、また2月に起きた類似事件でも米国人釈放に関与していたことを報じている[104][105][106]。
所得税の源泉徴収漏れ
世界ラリー選手権のラリー用車両の開発などに絡んで同社が2014年度から2016年度までに海外企業などに支払った20億円超について、名古屋国税局の税務調査で所得税の源泉徴収漏れを指摘されていたことが、2017年10月に判明した[107]。
脚注
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- ^ 2014年3月22日,23日にはTBS系列にてトヨタ自動車監修のスペシャルドラマ「LEADERS リーダーズ」が放送された。トヨタ(劇中ではアイチ自動車)の自動車製造の始まり、トヨタ自動車(アイチ自動車)の設立、そして戦後における金融事情・トヨタ(アイチ)の経営危機(主に旧住友銀行(劇中では西国銀行)におけるトヨタ(アイチ)への融資拒否、日本銀行や取引銀行24行による協調融資団による再建策の一つとして1600名の人員整理を提案。その事を巡り、労働組合と経営陣の対立が激化し労働争議に発展。)を中心としたエピソードが放送された。また2017年3月26日には「LEADERS II」が放送された。こちらはトヨタの協力会社(主に小島プレス工業など)が中心の協豊会(劇中では協愛会)の発足やトヨタと販売ディーラー(主に愛知トヨタ)との協力関係、戦時中の自動車配給会社(自配)の設立、戦後におけるトヨタ自動車販売店協会の発足を中心としたエピソードである。
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- ^ 豊田トヨタ社長、トヨタは「凋落の第4段階」にある Response 2009年10月2日
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- ^ 特に過激な事例を取り上げればトップ・ギア司会者3人組の扱き下ろしがある。「カローラの横に並んでいた冷蔵庫をカローラとして紹介し、没個性的だと揶揄」「初代LS(セルシオ)登場時に"退屈なレクサス"と発言」など、トヨタ車が扱き下ろされる際のキーワードは「無(没)個性」「退屈」「無味無臭」が多い。また、米国におけるサイオン導入も「トヨタ車は退屈」と言うネガティブイメージが背景にあったとされる。
- ^ 「チリ」とよばれる。
- ^ JDパワーや保険会社のランキングなどによる。
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- ^ 第2節 モータリゼーションと貿易・資本の自由化 第3項 資本の自由化と自動車業界再編
- ^ 世界のトップ1000企業の2006年研究開発費,前年比10%増の4470億ドル
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- ^ 1956年から「トヨエース」と愛称(ペットネーム)が付いた。
- ^ 例:ネッツ店専売車種(例:後期型以降のアベンシス、2代目ヴィッツ、後期型以降のウィッシュ、2代目bB、オーリス、3代目RAV4、ヴェルファイア、2代目ヴォクシー等)の「N」マーク、E120系(9代目)カローラシリーズ以降の「NCV」マーク、マークXおよびマークXジオの「X」マーク、プレミオの「P」、アリオンの「A」、初代ラクティスの「R」マーク等。リアは大抵の場合トヨタマークが付いている。
- ^ 日本で販売されていた「トヨタ・カムリプロミネント」の仕様変更版。
- ^ 日本では初代ist。
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- ^ なお、このころのCMの最後には「愛される車をめざして(進歩のマーク・信頼のマーク)[改行]TOYOTA[改行]当時のトヨタのマーク」が表示された。(末期は単にTOYOTAの旧ロゴになった。また一時期はCMの最後に「TTCのトヨタ」というナレーションが入ったものや、旧ロゴ最末期から現行ロゴの初期には「安全はトヨタの願い[改行]TOYOTA」というものもあった。
- ^ くるまの理科・社会 Vol.002「第2回 トヨタ・3つの輪に込めた想い」
- ^ 読売新聞2006年 9月24日、同年9月28日記事。2004年6月に35万円で仕入れた国産中古車を同月下旬、営業店社員に45万円で販売し、社員名義で自動車登録。同年11月、この車を80万円で買い取った形にし、数日後、一般顧客に90万円で販売していた。
- ^ [6]10月31日には元店長と元室長を電磁的公正証書原本不実記録の疑いで再逮捕、11月9日に大阪地検に追送検した。[要出典]
- ^ ランドクルーザープラドのリコール対象は中東、ロシアが主体で日本などで販売された右ハンドル車はリコールの対象外である。 トヨタ・レクサスGXの販売一時中止、世界全体に拡大 MSN産経ニュース 2010年4月14日
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- ^ 麻薬密輸容疑で逮捕のトヨタ元役員、不起訴処分で釈放 東京地検 産経ニュース 2015年7月8日
- ^ 逮捕のトヨタ元女性役員 釈放された背景に米大使館の介入疑惑
- ^ トヨタ初の外国人女性役員が逮捕、賛否分かれる広報対応
- ^ The Kennedy touch: Ambassador helps Toyota exec go free
- ^ トヨタ源泉徴収漏れ 3億円超追徴課税 ラリー車開発など巡り 日本経済新聞 2017年10月13日
関連項目
- トヨタグループ
- 三井グループ
- 三井月曜会
- 二木会
- 豊田工業大学
- 海陽学園
- ラグーナ蒲郡
- トヨタテクニカルディベロップメント(TTDC)
- レクサス
- ウェルキャブ
- ミッドランドスクエア
- アムラックス
- MEGAWEB
- GAZOO METAPOLIS(2010年(平成22年)11月25日にTOYOTA METAPOLISより名称を変更)
- PiPit
- G-BOOK
- TSS
- T-UP
- トヨタセンター
- 企業博物館
- TOYOTA LONGPASS EXPRESS(貨物列車)
- 東海旅客鉄道(JR東海、大株主)
- 奥田務
- 丸山茂樹
- 石坂浩二
ICT・ITS関連企業
スポーツ関連
- トヨタ自動車のモータースポーツ
- トヨタ・モータースポーツ (TMG)
- トヨタF1
- 国際オリンピック委員会(IOCワールドワイドパートナー)
- 国際パラリンピック委員会(IPCワールドワイドパートナー)
- トヨタカップ
- トヨタスポーツセンター
- ブルーグラスステークス(米で行われる競馬の重賞)
- 中京記念(日本で行われる競馬の重賞)
- トヨタ自動車硬式野球部
- トヨタ自動車サンホークス(V・チャレンジリーグ)
- トヨタ自動車アンテロープス(女子バスケットボールWリーグ)
- トヨタ自動車ヴェルブリッツ(ラグビートップリーグ)
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- 寺尾悟(トリノ五輪代表ショートトラックスピードスケート選手)
- 小塚崇彦(バンクーバー五輪代表フィギュアスケート選手)
- 伊藤亜由子(バンクーバー五輪代表ショートトラックスピードスケート選手)
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その他
- 6大グループ
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- トヨタ戦争(Toyota War)
- こども店長
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- AKB48 Team 8(AKB48 × TOYOTA Team 8 プロジェクト)
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外部リンク
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