張富士夫
ちょう ふじお 張 富士夫 | |
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生誕 |
1937年2月2日(87歳) 満洲国 大連市 |
国籍 | 日本 |
出身校 | 東京大学法学部卒業 |
職業 | 実業家、会社役員 |
団体 | トヨタグループ |
肩書き |
トヨタ自動車代表取締役社長(1999年-2005年) トヨタ自動車代表取締役会長(2006年-2013年) トヨタ自動車名誉会長(2013年-2017年) トヨタ自動車相談役(2017年-2020年) |
前任者 | 奥田碩(社長) |
後任者 | 渡辺捷昭(社長) |
取締役会 |
トヨタ自動車株式会社 株式会社デンソー 株式会社豊田自動織機 東和不動産株式会社 東海旅客鉄道株式会社 |
親戚 | 辰野金吾(族大伯父) |
家族 | 張二男松(祖父) |
受賞 | 旭日大綬章 |
署名 | |
張 富士夫(ちょう ふじお、1937年〈昭和12年〉2月2日 - )は、日本の実業家、元トヨタ自動車代表取締役社長、同社元名誉会長[1]。
株式会社デンソー社外監査役、株式会社豊田自動織機社外取締役、東和不動産株式会社監査役、東海旅客鉄道株式会社社外取締役、公益財団法人日印協会理事・副会長[2]、一般財団法人日中経済協会代表理事・会長、一般財団法人全日本剣道連盟会長。勲等は旭日大綬章[3]。
トヨタ自動車代表取締役副会長、同社代表取締役会長(第4代、工販分離前から数えると第8代[1])を務めたほか、社団法人日本経団連副会長、社団法人日本自動車工業会会長、財団法人道路システム高度化推進機構理事長、財団法人高速道路調査会副会長、財団法人財務会計基準機構理事、財団法人駐車場整備推進機構会長、内閣の教育再生会議委員、国土開発幹線自動車道建設会議委員、ソニーの社外取締役を務めた。
祖父は佐賀県師範学校及び長崎県女子師範学校元校長の張二男松。伯父は九州大学名誉教授の張玄彦[4]。また曽祖父の鈴木乗熙は建築家・辰野金吾の叔父にあたる[4][5][6]。
来歴・人物
[編集]1937年、旧満州大連市に生まれた。本籍地はトヨタの本拠、愛知県豊田市に置いてある[7]。父・芳武(元華北交通参事総局参与)は佐賀県出身[8]。母・喜美子は山口県萩市出身[8]。父親が南満洲鉄道株式会社に勤務していた関係で、大連のあと、北京郊外の済南で終戦を迎え、日本に引き揚げてきた[7]。その後、東京の小学・中学・高校(都立駒場高校)を経て、東京大学法学部を卒業する。1960年(昭和35年)、トヨタ自動車入社。米国ケンタッキー工場の稼動開始などを担当した後、1999年(平成11年)、奥田碩の後任として社長に就任。2005年(平成17年)まで務め、会長に就任。2009年の役員報酬は1億3200万円、2012年の役員報酬は1億4400万円[9]。
7年間の在任期間中、従来の車種を次々と廃止し、多くの新車種を発表した。
張社長在任中最後の年度決算となる2004年度決算では2000年(平成12年)の日産自動車(カルロス・ゴーン社長)に続いて同社史上最高利益を記録。後任の社長は、原価低減の推進役を務めた渡辺捷昭。在任中準備に進められていたレクサスの日本展開も同年8月に果たした。2001年には、自動車殿堂(米国)による「最も優れた業界リーダー(Industry Leader of the Year)」に選出されている。
2013年には代表取締役会長を退き名誉会長に就任し、豊田章一郎との2人の名誉会長の体制になった。2017年6月の株主総会をもって名誉会長を退任し、その後は相談役に就任し、2020年6月の取締役会の決議により相談役は廃止された[10]。
姓から在日中国人か韓国人と誤解されることに関し(“張”は漢族に発した姓である)、張の先祖は代々佐賀藩の教育指南方をしていたとされ(祖父は佐賀県師範学校校長の張二男松)、近世の渡来者ではないため、親が日本人らしい名前だということで富士夫と名づけたと雑誌のインタビューで答えていた。一方、自らの民族的ルーツに関して「私の考えでは先祖が中国や韓国から来たのではないかと思います」と述べている[11]。
家族
[編集]鈴木家(辰野家)
[編集]- 曽祖父・鈴木乗熙(別名:辰野民輔(助)、鈴木民助乗近、1827年(文政10年) - 1907年(明治40年)2月20日)
- 唐津裏坊主町(現:唐津市)出身。辰野専右衛門の三男として生まれる[5]。1849年(嘉永2年)鈴木乗光の養子となり、名を民助と改め表坊主役で出仕。以後、御目付役、西洋流銃隊心得、御勘定組頭、御徒目付席町方吟味役などの役職に就いた。維新後市井所少属、物産所少属に任ぜられた[5]。1872年(明治5年)藩校志道学舎、英語学校耐恒寮が閉鎖したのち、子弟教育のため大島興義らと志道義舎を設立。1874年(明治7年)佐賀の乱により学舎は荒れて廃校となった。東京遊学から唐津に戻った大島小太郎とともに、橘葉医学館の跡地(唐津市京町)に中学校として余課序を設立、のちに唐津共立学校となった[5]。1876年(明治9年)に教員養成所として長崎県唐津伝習所を設立し旧藩士や各小学校の選出による子弟の教育に尽くし、多くの優秀な人材を育んだ。長兄は養子に行った姫松倉右衛門で辰野金吾の父[4][5][6]。
系譜
[編集]辰野専右衛門 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
辰野民輔 (鈴木乗熙) | 辰野宗安 | 姫松倉右衛門 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
張二男松 | 辰野金吾 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
張芳武 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
張富士夫 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
張家
[編集]- 祖父・二男松(1865年(慶応元年)2月23日 - 1952年(昭和27年))
- 祖母・ノブ(1885年(明治18年)7月 - 没年不明)
- 佐賀県・川原磐根の妹[4]。
- 父・芳武(1904年(明治37年)12月 - 没年不明)
- 母・喜美子(1913年(大正2年)2月 - 没年不明)
- 弟・紀久夫(1940年(昭和15年) - )
- 伯父・玄彦(1890年(明治23年)3月 - 没年不明)
- 伯父・菅雄(1893年(明治26年)3月24日 - 没年不明)
- 伯母・ミエ(1895年(明治28年)9月 - 没年不明)
- 埼玉県・柿原清二の妻[4]。
- 伯母・幸(1898年(明治31年)11月 - 没年不明)
- 叔母・マツ(1908年(明治41年)2月 - 没年不明)
- 佐賀県・吉富豊の妻[4]。
エピソード
[編集]- 元警察庁長官の國松孝次とは、東京大学時代に剣道部で共に汗を流した仲で、張が主将、国松が副将を務めた。トヨタ自動車入社も剣道の試合で声を掛けられたことがきっかけだった[20]。現在も1日300回ほど竹刀で素振りしている。2011年、全日本剣道連盟副会長、日本体育協会第15代会長に就任。2013年からは全日本剣道連盟会長に就任。
- 2005年5月、日本トップリーグ連携機構副会長に就任した。
- 2006年6月よりソニーの社外取締役を務めているが、2003年から2005年6月まではトヨタのライバル会社・日産自動車のカルロス・ゴーン会長兼社長兼CEOもソニーの社外取締役を務めていた。
- 2006年6月にCNNが公表した「重要な人物50人」の中の8人目として、日本人として唯一選ばれた[21]。
- 2007年7月に在名古屋英国名誉総領事に任命された。名誉総領事は日本では初。
- 財団法人YFU日本国際交流財団理事
- トヨタ自動車の生産部門に所属していた際に、トヨタ生産方式を編み出した大野耐一のもとで働いていた経験もある。張は大野の一番弟子である鈴村喜久男(当時生産調査室責任者)の部下で、“カイゼン”(業務を改善すること)の極意を鈴村から直接伝授された。
- 鍛造部で働いていた河合満は、張がトヨタ生産方式の意味を丁寧に説明していたとインタビューで答えている[22]。
テレビ出演
[編集]- 日経スペシャル カンブリア宮殿 「トヨタ26万人の人事戦略」(2006年4月17日、テレビ東京)[23]。
書籍
[編集]著書
[編集]- 『共同研究 団塊の世代とは何か』(著者:佐伯啓思 佐藤俊樹 平野啓一郎 苅部直 若宮啓文 飯尾潤 張富士夫 松原隆一郎 嶋中雄二 関川夏央 山田昌弘 残間里江子 細川興一 森信茂樹 御厨貴)(2008年4月26日、講談社)ISBN 9784062144322
関連書籍
[編集]- 『トヨタはいかにして「最強の車」をつくったか』(著者:片山修)(2004年11月1日、小学館 小学館文庫)ISBN 9784094161182 - 「カローラ」は「強いトヨタ」の根幹であり象徴である。その強さの秘密を、張富士夫社長、歴代9モデルのチーフエンジニア、熟練社員、若手社員他の連続取材から明らかにする。
- 『社長の器 張富士夫の現場力・御手洗冨士夫の説得力』(著者:梶原一明 秋場良宣)(2005年6月25日、ビジネス社)ISBN 9784828412009
- 『日本の底力 一〇〇年に一度の奇跡を起こせ!』(著者:甘利明)(2009年7月1日、角川書店)ISBN 9784048850223 - 4名の識者(張富士夫 中村邦夫 藤本隆宏 伊藤元重)との対談集
関連項目
[編集]出典
[編集]- ^ a b トヨタ自動車75年史 歴代の会長・副会長・社長(含 受章歴) トヨタ公式サイト
- ^ “日印協会役員等一覧”. 公益財団法人日印協会. 2014年4月4日閲覧。
- ^ “秋の叙勲、川淵氏ら4024人に/旭日大綬章に張氏”. 四国新聞社 (2009年11月3日). 2023年4月14日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l “人事興信録. 第13版下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b c d e 佐賀県人名辞典vol.7
- ^ a b “宮島醤油ホームページ 会長コラム::東京駅、辰野金吾家の人々::”. www.miyajima-soy.co.jp. 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b 『財界』 47巻、15~18、財界研究所、1999年7月、21頁。
- ^ a b c d e f “大衆人事録. 第14版 外地・満支・海外篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年4月18日閲覧。
- ^ 「日産自動車社長兼CEO カルロス・ゴーン -年収10億円。「恥じることはない」」 PRESIDENT 2012年7月30日号
- ^ コーポレートガバナンス トヨタ自動車 2021年12月23日
- ^ 中央日報(2007.11.22)
- ^ a b “佐賀県大観 : 御大典記念 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年4月18日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年1月23日閲覧。
- ^ “国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2023年1月23日閲覧。
- ^ “張 紀久夫”. KAKEN. 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b “人事興信録. 第15版 下 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年4月18日閲覧。
- ^ “名誉教授|応化機能について|日本語|九州大学大学院工学研究院応用化学部門(+機能+)”. 九州大学大学院工学研究院応用化学部門(+機能+). 2022年4月18日閲覧。
- ^ a b c “大衆人事録. 第14版 東京篇 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年4月18日閲覧。
- ^ “日本官界名鑑. 昭和15年版 - 国立国会図書館デジタルコレクション”. dl.ndl.go.jp. 2022年4月18日閲覧。
- ^ 【旬 People】毎日300回、竹刀で素振り 張富士夫さん zakzak 2011年4月18日
- ^ “Business 2.0: The 50 Who Matter Now - Jun. 21, 2006”. money.cnn.com. 2021年8月3日閲覧。
- ^ INC, SANKEI DIGITAL (2015年4月23日). “【ものづくりに魅せられて52年(上)】「勉強が苦手でトヨタ養成校に一か八かで受験。技を盗んで仕事を覚えた」トヨタ初の技能出身役員・河合満氏に聞く”. 産経ニュース. 2021年8月3日閲覧。
- ^ 「トヨタ26万人の人事戦略」」 - テレビ東京 2006年4月17日
ビジネス | ||
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先代 奥田碩 |
トヨタ自動車社長 第9代 : 1999年 - 2005年 |
次代 渡辺捷昭 |
先代 奥田碩 |
トヨタ自動車会長 第8代 : 2006年 - 2013年 |
次代 内山田竹志 |
その他の役職 | ||
先代 小枝至 |
日本自動車工業会会長 第12代:2006年 - 2008年 |
次代 青木哲 |
先代 森下洋一 |
社会資本整備審議会会長 第3代:2007年 - 2010年 |
次代 福岡捷二 |
先代 森喜朗 |
日本体育協会会長 第15代:2011年 - 2017年 |
次代 伊藤雅俊 |
先代 武安義光 |
全日本剣道連盟会長 第8代:2013年 - 2021年 |
次代 稲川泰弘 |